ノースバンクーバー市 - 公益財団法人千葉市国際交流協会

平成25年度 青少年交流事業ノースバンクーバー(派遣)
報
告
書
公益財団法人千葉市国際交流協会
・
目 次
1.派遣概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
2.滞在日程・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2
3.研究レポート・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
(1)カナダの娯楽とエンターテイメント
派遣生 岡本 浩弥
(2)日本とカナダの小学校教育
派遣生 川島 彩音
(3)日本とカナダの医療の違い
派遣生 田野 裕介
(4)バンクーバーの歴史
派遣生 畠山 昇太
(5)ノースバンクーバー市の経済、ESL 教育について
引率者 千葉市経済農政局経済部産業支援課 主査 木元 恒喜
4.滞在感想文(日本文/英文)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26
(1)最高の思い出を.../Thank you for precious memories
岡本 浩弥 Hiromitsu Okamoto
(2)かけがえのない時間/Irreplaceable time
川島 彩音 Ayane Kawashima
(3)カナダが教えてくれたこと/Canada was taught me a lot of things
田野 裕介 Yusuke Tano
(4)一生の思い出/My memory for life
畠山 昇太 Shota Hatakeyama
(5)ノースバンクーバー青少年交流の引率を終えて/
Upon finishing the chaperon’s duty
引率者 千葉市経済農政局経済部産業支援課 主査 木元恒喜 Koki Kimoto
5.記録写真・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 34
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1.派遣概要
(1)派遣都市
(2)派遣期間
(3)派遣者
(4)滞在形態
カナダ・ブリティッシュコロンビア州ノースバンクーバー市
平成25年8月5日(月)~平成25年8月20日(火)
高校生4名、引率者 1 名
一般家庭にホームステイ
2.滞在日程
8月5日【第1日目】
定刻から 30 分ほど遅れて到着。ライオンズクラブのワトソンさん、ゲイリーさんに出迎
えていただき、ワトソンさんの車で歓迎会会場へ。
午後2時頃から、ライオンズクラブの一員エリックさんのお宅で歓迎会を開いていた
だきました。ハンバーガーを作っていただきましたが、そのボリュームに派遣生一同びっ
くり。お腹がいっぱいになった後は、プールで遊んだり、歓談をしたりしました。
この歓迎会には、出発を翌日に控えた千葉市への派遣生 4 名と引率者のジョージさんも
参加してくださり、交流することが出来ました。
天気は快晴でした。この日の前 1 か月間に 1 日しか雨が降らないくらい晴天が続いてい
たそうです。
歓迎会で昨年度の千葉市への派遣生でもあるホストシスター、ブラザーを含むホストフ
ァミリーと対面し、歓迎会後、それぞれのお宅へ移動しました。
【 バンクーバー国際空港に到着 】
【 ウェルカムパーティー 】
8月6日【第2日目】
引率者は午前中、ブリティッシュコロンビア州政府アジア・太平洋ビジネスセンターを
訪問。ブリティッシュコロンビア州の産業について聞くとともに、千葉市の産業について
説明し、意見交換を行いました。
派遣生は遅めの午後 2 時に集合。皆、時差ボケがあったり、食欲がいつもと違うことに
戸惑ったりしていましたが、概ね体調は良好。ホストファミリーとのコミュニケーション
も上手くいっているようです。
集合後、Capilano Suspension Bridge を見学。長さ 140 メートル、地上からの高さ 70
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メートルの吊り橋で、1889 年に最初の橋が架けられ、その後改修が重ねられ、現在はグレ
ーターバンクーバー地域の観光名所の一つとなっています。
吊り橋の両岸に吊り橋の歴史や野生動物に関する展示があり、森林散策が出来るように
なっています。また、2011 年に新たに導入された「Cliff Walk」というアトラクションで
は、崖に面した小径(一部、床がガラス張りになっている)を歩きながら、森林と水資源
との関係を学ぶことができます。
各家庭で夕食を済ませた後、再集合してウエストバンクーバー市の夏祭りへ。バンドの
生演奏を芝生の広場に集まって聞くという、ゆったりした感じのお祭りでした。夏のバン
クーバーは日が長く、夜 9 時頃まで明るいのですが、日が暮れた後の午後 10 時頃でも幼児
を連れた家族連れがたくさんいたのに驚きました。そうした幼児を安心して遊ばせること
ができる所に、North Shore(ノースバンクーバー、ウエストバンクーバー周辺一帯)がと
ても落ち着いたコミュニティであることを感じました。
【
橋の前で。奥に見えるのが吊り橋 】
【 Cliff Walk の展示 】
8月7日【第3日目】
この日は派遣生と引率者が別行動。引率者はバンクーバー地域の産業を研究するため、
穀物の輸出船への積み込み作業場を見学した後、輸出に関わっている企業の方々と面会。
カナダから日本に輸出される穀物に、様々な会社が関わっていることが分かりました。
派遣生はバンクーバーの遊園地、プレイランドに行きました。プレイランドでは日本の
遊園地に比べて、いわゆる絶叫系の乗り物が多く、派遣生は次々と乗り物に乗り、心から
楽しむことが出来たようです。
8月8日【第4日目】
浴衣を着てノースバンクーバー市役所に集合し、表敬訪問をしました。この日は残念な
がらダレル・ムサット市長は休暇のため不在でしたが、ケネス・トルスタム最高執行責任
者が表敬訪問の受け入れをしてくださいました。
千葉市からお預かりした親書と記念品をお渡しし、来訪者帳にそれぞれの名前を記入し
ました。
その後、トルスタムさんと一緒に近くのレストラン「Red Robbin」で昼食。トルスタム
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さんは日本が東日本大震災からどのように復興しているのかを気遣ってくださった他、学
校での体罰、若者のスマートフォンの使い方などについて話し合いました。日本とカナダ
の違いを考えることができた意見交換でした。
夕方 5 時から、シェリルさんの家に全員が集合し、千葉市の熊谷市長とスカイプで会話。
滞在の中間報告をしました。皆、緊張しながらも、この日までに感じた発見や驚きを堂々
と市長に伝え、市長からも励ましのメッセージをいただきました。
【
市役所の来訪者帳に記帳 】
【
市役所前で記念撮影 】
8月9日【第5日目】
グラウスマウンテンに行きました。ここは市内中心部から車で 15 分ほどの場所にありま
す。バラード入江に面した海抜 0 メートルの場所のすぐ近くにあるにも関わらず、
標高 1,231
メートルを誇る山です。海と山の両方のアウトドアアクティビティが楽しめる、ノースバ
ンクーバーの自然の魅力を実感しました。
山頂へはゴンドラとリフトを使って登りました。山頂には巨大な風力発電のタービンが
設置されていて、ブリティッシュコロンビア州のクリーンエネルギーへの取り組みを感じ
ました。
山頂一帯はテーマパークとしても整備されていて、コミカルなショーなどにより、林業
の歴史や、猛禽類、熊など野生動物の保護などの取り組みを学ぶことが出来ました。
【
山頂に設置されたタービン 】
【 木こりのショー 】
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夕食はロンズデール・キーのフライデイ・マーケットで。屋台で提供される様々な国の
料理を、派遣生が自由に選んで食べました。このフライデイ・マーケットはノースバンク
ーバー市が夏の間毎週金曜日に行っているイベントで、ステージでのバンドの生演奏、農
産品の直売などが行われ、大変賑わっていました。
8月10日【第6日目】
水上バスとスカイトレイン、バスを乗り継ぎ、グランビルアイランドへ。ここはかつて
工場が立ち並ぶ地域でしたが、再開発によりバンクーバーの観光名所として生まれ変わり
ました。
グランビルアイランドで買い物をした後、フェリー(と言っても 20 人乗り程度の小舟)
に乗って移動し、MLS(メジャーリーグサッカー)の地元チーム、バンクーバー・ホワイ
トキャップスのゲームを観戦。チームは 2 対 0 で勝利し、大いに盛り上がりました。
夕食はスシでした。日本の寿司とは違う味に、派遣生は戸惑いながらも大満足。バンク
ーバーでは今日本食がとても流行っているそうですが、日本人がオーナーの日本食レスト
ランはほとんどないそうです。
【
グランビルアイランドの新鮮な食材 】
【
サッカー試合開始前の一枚 】
8月11日【第7日目】
終日、自主研修
8月12日【第8日目】
この日は、ライオンズ・デイとして、ライオンズクラブのワトソンさんとリアさん親子
がバンクーバー市街の観光名所を案内してくれました。
カナダを空から見る感覚が味わえる IMAX シアターや、バンクーバールックアウトとい
う展望塔、ギャスタウンというショッピング街で買い物を楽しみ、夕食はイタリアンレス
トラン、Water Street Cafe へ。ステーキの肉の柔らかさを表現する「tender」という言葉
を教えてもらい、派遣生はステーキを食べながら「tender」を連発していました。
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【 展望塔から街を一望 】
【 ギャスタウンで買物を満喫しました 】
8月13日【第9日目】
この日も派遣生と引率者が別行動。引率者は午前中、ライオンズクラブのゲイリーさん
の紹介で、材木の販売会社を訪問したあと、ウエストバンクーバーの超高級住宅街を車で
案内してもらい、バンクーバー地域の住宅関連産業について学ぶことが出来ました。午後
は、小学校で ELS(第二言語としての英語)を教えていた方と意見交換。カナダの教育面
での多文化共生施策について学ぶことが出来ました。
派遣生は自ら要望して日程を変更してもらい、地域最大級のショッピングモール、Metro
Town へ行きました。日本のららぽーとによく似たモールで、昼食は日本食の食べ放題の店
を選び、ホストシスター、ブラザー達とも会話を楽しみました。
8月14日【第10日目】
、8月15日【第11日目】
一泊二日でウィスラーへ。車で片道 3 時間程度の距離です。カナダの高速道路は一部を
除いて全て無料で、維持管理は連邦政府が行っています。
途中に見える景色は、左手に海、右手に切り立った崖という、絵葉書から切り取ったよ
うな、美しくかつダイナミックなものでした。途中でスクワミッシュという所を通った時
には、そこが世界一のロッククライミングの名所で、車の窓から崖を登るロッククライマ
ーが見えると教えてもらい、車の中から目を凝らしてみた所、派遣生の一人が壁面にロッ
ククライマーを見つけることが出来ました。
途中、ブリタニア・マインという鉱山博物館に立ち寄りました。鉱山の歴史を数々の展
示資料と共に分かり易く紹介する施設でした。中でも、トロッコに乗って実際の坑道を見
学するアトラクションでは、昔の炭鉱労働がいかに過酷で危険であったかが分かりました。
また、砂金採集を体験できるアトラクションでは、派遣生は一心不乱に砂金を探してい
ました。
ウィスラーの麓のウィスラービレッジという場所にあるホテルに宿泊。この地域はカナ
ダの中でもオーストラリア・ニュージーランド系の移民が一番多い地域だそうです。ウィ
ンタースポーツを満喫できる環境がオーストラリアやニュージーランドに近いからなので
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しょうか。
【
坑道内での説明を聞く派遣生 】
【 砂金探しに熱中 】
ウィスラー旅行 2 日目は、ウィスラー山にゴンドラとリフトを乗り継いで登りました。
山頂の標高は 2,181 メートル。山頂にはまだ雪が残っていました。
ここでの一番の目玉は、ピーク2ピークというゴンドラです。これは、その名の通り、
ウィスラー山とブラックコーム山、2 つの山の頂上を結ぶゴンドラで、途中に支柱が一本も
ない区間があり、その距離は 3.03Km で世界最長です。床の一部がガラス張りになってい
る特別なゴンドラに乗りました。
ウィスラーからの帰りにホース・シュー・ベイという港に寄って夕食。このレストラン
のクラムチャウダースープとフィッシュ&チップスが美味しいと勧められたので、スープ
をシェアして各自フィッシュ&チップスを注文。滞在当初はカナダの食事のボリュームに
圧倒されていた派遣生の胃袋もすっかりカナダ化したのか、全員完食しました。
【 ピーク 2 ピークのゴンドラから 】
【 フィッシュ&チップス 】
8月16日【第12日目】
この日の午前中は派遣生と引率者が別行動。引率者はノースバンクーバーの商工会議所
を訪問しました。訪問を受け付けてくれたのが、過去にこの青少年交流で千葉市に行った
ことがある方だと分かって驚きました。
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ノースバンクーバーの産業や企業について教えていただくとともに、千葉市の産業を紹
介し、互いに連絡を取り続けることを約束しました。
その間、派遣生はハイキングへ行きました。険しい道を 30 分歩き続けて到着した山頂か
らのディープ・コーブの眺めはとても美しいものだったそうです。
午後は派遣生と引率者が合流し、ディープ・コーブの入江でシーカヤッキング。この入
江はバンクーバー到着初日に陸から見たことがあったのですが、カヤックに乗って海面の
高さから見ると全く別世界。入江の奥なので波も全くなく、本当に爽快な体験でした。ま
た、カヤックから野生のアザラシの姿を見ることが出来ました。
8月17日【第13日目】
この日はスタンレーパークへ。これはバンクーバーを代表する市民の憩いの場で、公園
の名前の由来になったスタンレー卿は、アイスホッケーNHL の優勝杯であるスタンレーカ
ップを寄贈したことでも知られています。
広大な公園には様々な施設がありますが、私たちが行ったのは水族館。展示やショーだ
けでなく、水族館が大学などの研究機関と共に取り組む海洋調査や環境保護についても紹
介され、教育的価値が高い水族館だと感じました。
水族館見学の後、派遣生はリッチモンド市のナイトマーケットへ、引率者は過去の引率
者同窓会、シャペロンズナイトへ行きました。
ナイトマーケットはバンクーバーの南のリッチモンド市で開かれていて、主に中国、韓
国の商品が売られていました。色々な店を回り、日本式のラーメンを食べることもでき、
楽しかったそうです。
【ベルーガのショーで水を掛けられました】 【クラゲの目線が体験できる珍しい展示】
8月18日【第14日目】
午前中、各家庭で自主研修。午後はディープ・コーブのライオンズクラブ会館でフェア
ウェルパーティーを開いていただきました。各家庭でテーブルを囲み、パーティーが盛り
上がってきた頃に、派遣生がお別れのスピーチ。感謝の言葉を英語で伝えました。
スピーチの後は、全員で歌のプレゼント。カナダでも親しまれている曲として選んだ
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「Vacation」と日本の曲「Secret Base」を歌いました。
「Secret Base」は、皆さんに曲の
メッセージが伝わるよう、歌詞を翻訳して配り、派遣生 2 名はギターの演奏もしました。
派遣生たちの熱唱に、会場は大いに盛り上がり、大成功でした。
【 ホストファミリーとテーブルを囲み、最後のディナーを楽しみました
】
8月19日【第15日目】
長いと思われた 2 週間の滞在もあっという間に今日が最終日。空港まで見送りに来てく
れたホストファミリーと再開を誓い合った後、笑顔で搭乗口に向かいました。
【 出国ゲート前で 】
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3.研究レポート
カナダの娯楽と Entertainment
岡本
浩弥
(1) テーマ選定理由
“Entertainment”とは、人を楽しませるもの、という意味である。多文化が共生する
と言われるカナダではどのような娯楽が好まれているのか現地で調べ、体験させてもら
って日本の様子と比較しようと考えた。そして自分の Entertainment に対する価値観を
広げ、それだけでなく僕がカナダで体験したことを日本の人々にも報告することでカナ
ダの魅力を伝え、興味を持ってもらいたいと思いこのテーマに決めた。
(2) カナダで身近なスポーツ・娯楽
まず初めに、カナダの人々の生活に身近な娯楽に着目してみた。
①カナダで人気なスポーツ
カナダで人気なスポーツ…フットボール、アイスホッケー、サッカー、テニス、マリ
カナダで人気なスポーツ
ンスポーツなど。バンクーバーにあるスポーツのチームとしては、BC ライオンズ(フッ
トボール)、バンクーバー・ホワイトキャップス(サッカー)、バンクーバー・カナック
ス(アイスホッケー)で、サッカーとフットボールの本拠地は同じ BC プレイススタジア
ムだった。また雄大な自然を生かしたマリンスポーツとしてプライベートボートに乗せ
てもらったり、カヤックを体験したりした。
ちなみに、高校でのクラブ活動を聞くとホストシスターの Caroline はサッカー、田野
君のシスターPaula は野球をやっていたと言っていた。他にはホストファザーCarl とお
姉さんの Angela はトライアスロン、お兄さんの James はラグビーをやっていた。また、
日本と異なり季節によって多種多様なスポーツ活動に力を入れて楽しむと言っていた。
(たとえば、夏に球技系の活動をし、冬はスキーやアイスホッケーなどに力を入れる)
滞在初日にホストファミリーにライオンズの試合に連れて行ってもらった(写真 1)。
【写真 1・フットボールの試合の様子】
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選手がタッチダウンを決めた時の観客が一斉に立ち上がって盛り上がる様子や、観客の
ほとんどがチームカラーであるオレンジ色のシャツを着ていたのを目にして、選手だけ
でなくファンの一体感も強いと感じた。さらに、ハーフタイムにはゆるキャラによる試
合のようなものが行われたり、観客が参加するイベントがあってファンを楽しませよう
としていることがよくわかった。また、後日フットボールのテレビ中継を目にした。
②カナダの人々の生活に身近な
カナダの人々の生活に身近な MUSIC…カナダでは日本にいるよりもずっと音楽を身
近に感じた。ドライブ中だったり、料理中だったり、生活の中で常に音楽を聴いている
ような感じだった。また、“FESTIVAL” (お祭り)にも音楽は必ずつきものだった。滞在
2 日目に行ったウエストバンクーバーのお祭り、12 日目に行ったディープコーブでのお
祭り、⒔日目に行ったナイトマーケットのいずれでも(おそらく)アマチュアバンドによ
る演奏が行われていた。ホストシスターたちに聞くとメジャーな曲からなかなか耳にし
ないような曲までいろいろあったというが、どこで見たバンドの演奏もクォリティーは
相当高かった。また、音楽に合わせてステージの前で踊りだす人も多数いた。畠山君の
シスターの Emily は、バンドをやっている、と言っていた。
そして 5 日目には僕の研究テーマをあらかじめ知っていたホストファミリーが
SQUAMISH というインディーズロックの音楽フェスに連れて行ってくれた(写真 2)。
【写真 2 SQUAMISH 音楽祭】
以下、日本の音楽イベントとの違い・気づいたことを挙げてみる。
・開催場所…バンクーバーにある家から車で 1 時間くらいの山中の広い原っぱ。
・開催時間…13 時~25 時。周りに住宅街などがないため遅くまでできる。
・とにかく自由度が高い。座席などの決まりはなく、完全に立ち見である。
肩車をする人がいたり、ビーチボールが観客の頭上に投げ入れられたりしていた。
・日本のイベントと同じく、後になればなるほど有名なアーティストが出てきていた。
・イベント中の撮影や終了後の出待ちは(インディーズだからなのかわからないが)
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お咎めなし。僕も帰りの駐車場に向かう道でたまたま関係者口から出てきた DAN・
MANGAN さんというアーティストと写真を撮ってもらえた。
・さまざまな国の食事の出店が出ていて日本食の屋台もあった。
・分煙が全くされていなく、演奏中の人ごみの中で喫煙する人もいた。ゴミマナーも
良い人がほとんどだったがまれに悪い人もいた。
・音楽とは関係ないけど、駐車場には日本ブランドの車がかなり多く見受けられた。
(3)
カナダの高校生の趣味
僕たちがお世話になった同年代のホストシスター・ブラザーたちはどのような趣味
を持っているのか、またそれが日本の高校生とどう違うか、聞いて比較してみた。
①ショッピング…カナダの若者がショッピングを楽しむ場所として、
メトロタウンとい
①ショッピング
うショッピングセンターへ一緒に行った。そこの様子は日本の「ららぽーと」にとても
近く、日本と同様にメンズ向けの店よりレディース向けの店が多かった。
②ゲーム…僕のホストファミリーは任天堂のWiiやプレイステーションなど、
日本で
②ゲーム
も遊ばれているゲームを持っていて、みんなで集まって遊んだりもした。
③ドライブ…カナダでは
17 歳から運転免許を取得出来るため、畠山君のシスターを除
③ドライブ
いた 3 人は運転免許を持っていた。特にホストシスターの Caroline はよく車で色々な場
所へ連れて行ってくれたのだが、ある時彼女が言っていたのが、「窓を開けて音楽を流
しながらドライブすることはとても好きだわ。」
(4)
) 終わりに
一概に言うのは難しいかもしれないけれど、カナダの娯楽は自由度が高く、その分
楽しみ甲斐があり、実際にカナダの人々はそれを楽しんでいる様子が伝わってきた。
このテーマを選定したことでより多くのカナダの魅力に触れることができたし、思
い出をより鮮明に残すことができた。これからも僕が触れたカナダの魅力を多くの人に
伝えていきたい。
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日本とカナダの小学校教育
川島
彩音
【研究テーマ選定理由】
私は小学校 2 年生の時から、小学校教諭になりたいという夢を持ち続けている。今回
の滞在を自分の将来に生かしたいと考え、この研究テーマを選定した。
1. 基本的な教育システム(ブリティッシュコロンビア州の場合)
日本
幼稚園
カナダ
義務教育ではない。
幼稚園の1年間は義務教育である。
(保育園)
(6~7歳)
小学校
7 歳~12歳(6年)
7歳~13歳(7年)
中学校
13歳~15歳(3年)
ない
高校
16歳~18歳(3年)
14歳~18歳(5年)
日本の幼稚園は基本的に3年で、保育園は1歳~2歳の間で通わせる人が多い。
カナダでは、義務教育の幼稚園に通う前にプリスクールという私立の幼稚園がある。家
庭によって、行かせても行かせなくてもよい。
2. 日本とカナダの共通点
① 制服ではなく私服で学校生活を送る。
② 小学校に入学する年齢が6歳から7歳である。
③ 留年の制度がなく全員進級できる。
④ 体育館や校庭がある。ちなみに、カナダの小学校の校庭は低学年用と高学年用
の2つに分かれている。
3. 日本とカナダの相違点
① 時間割
・1コマの授業時間
カナダでは、低学年は1コマが短く、多くの授業がある。1コマ20分から3
0分。高学年は1コマ30分から40分で、たまに60分の授業がある。日本
は1コマの時間は全学年共通で、授業数で分けている。今回お話を伺った先生
は、朝から日本でいう業間休みまで2,3個の授業をして、業間休みから昼食
まで2個の授業、午後は2,3個の授業をするそうだ。
・学校が始まる時間
カナダでは、8時50分から学校が始まる。日本ではおおよそ30分早く
学校が始まる。
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② 休憩時間
カナダでは10時20分から40分の朝の休憩がある。そのあと、1時間お昼の時
間がある。生徒たちは12時から12時20分で昼食を食べ、そこから13時まで
外に出て遊ぶ。日本と違う点は、朝休憩のときは天気に関係なく、昼は雨が強く降
っていなければ、外に出なければいけないということ。主に運動場で、ブランコや
サッカー、バスケをして遊び、また話しているだけの生徒もいるそうだ。ちなみに
図書館は、宿題や読書をしたり、ひそかにお絵かきをしたい生徒のために開いてい
る。
③ 昼食
カナダには給食がなく、各家庭で用意したお弁当を食べる。食堂はない。食べる席
は担任の先生によるが、多くのクラスは、4年生までは自分の席で食べ、5年生か
ら自由な席で食べる。
④ 体育の授業
カナダでは、高学年は運動できる服装に着替えることになっているが、学校指定の
体操服はない。シャツ・運動用の短パンツまたは体育ズボン・きちんとした体育靴
に履き替える・というような大まかな規定は決められている。日本は学校ごとに、
全学年共通で指定の体操服がある。
⑤ 学期制
カナダは3学期制で、日本(千葉市)は主に2学期制である。また、カナダは秋か
ら新学期が始まる。夏休みは一番長い長期休暇である。
⑥ その他
・クラス構成
クラスの雰囲気によっては校長先生の裁量で、違う学年を同じクラスにすることが
ある。また、日本は 2 年ごとのクラスの持ち上がりが一般的だが、カナダは毎年シ
ャッフルである。
・飛び級制度
カナダには、成績優秀者を対象に特別進級制度があり、学年を飛ばして進級するこ
とができる。
・長期休暇
夏休みなどの長期休暇は、学校は完全に閉まっている。長期休暇の際に掃除をする
業者が入る学校もある。
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4. 学習障がいの生徒について
カナダでは、状況によって補助つきクラスがある。しかし、所属は他の先生である。2日、
3日そのクラスにピックアップされ、特別な授業を受け、その生徒の所属の担任の先生は、
スペシャルアシスタンスの先生と連携をとっている。日本と違うところは、補助つきクラ
スで授業を受けることがあっても、所属が、普通学級だということである。補助つきクラ
スの先生と担任の先生が連携をして、その生徒をサポートしていくことに興味を惹かれ、
どのように連携をしているのか、もっと詳しく知りたいと感じた。
5.感想
このテーマについて調べて、印象に残ったことは相違点の1つである飛び級制度と、学
習障がいを持っている生徒のサポート体制だ。まず、飛び級制度があることを知ったとき
は非常に驚いたが、私個人的には面白い制度だと思った。しかし、一概に良い制度なのか
は分からない。実際にその制度を日本で適用すると、様々な問題がたくさん出てくるので
はないだろうかと感じた。次に、学習障がいの生徒のサポートの仕方が日本と比べて充実
しているということだ。特別アシスタントの先生と担任の先生が連携をとって、その生徒
をサポートしていくことは難しいことかもしれないが、重要なことの1つだと思う。
今回、一番感じたことは 国や制度が違っても子供たちや先生は変わらないということ
だ。現地の先生に、
「どんな生徒さんが多いか?」と聞くと、
「30人の中でいろいろな子
がいる。子供ごとで違う。
」と言われた。そして、私の母校の先生も、
「いろいろな生徒が
います。特に素直で穏やかな生徒が多い。
」とのことだった。また、カナダと日本の 2 人の
先生にこの仕事の楽しさを聞いた。すると、「誰かの人生に変化をもたらすことができる。
それは私にとって、とても幸せ。」と笑顔で答えていただいた。そして、同じ質問を私の母
校の先生にしたところ、
「人と関わることができること。
」と同じく笑顔で答えていただい
た。子供たちの本質、先生の思いは、変わりはない。 これは本当に素晴らしいことだと
私は感じた。今回、このテーマについて調べて、たくさんのことを学ぶことができた。学
んだことを自分の将来に確実に生かしていきたい。
DEEPCOVE の小学校
RICHMOND の小学校
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日本とカナダの医療の違い
田野 裕介
【研究テーマ選定理由】
僕は将来グローバルな視点を持った医者になることが将来の夢です。そこで高校生の
うちに日本だけでなく、外国の医療や保険にどのような違いがあるのか学びたいと思い、
調べることにしました。
現地では LIONS GATE HOSPITAL を病
院見学させていただきました。この病
院はノースバンクーバーで唯一の病
院で、そこでカナダの医療について
様々なことを教えていただきました。
まずカナダの医療制度について簡単
に説明します。もし、体調不良になっ
た場合ファミリードクターという家
族全員が 1 人の決まったドクターに診
てもらうか、ファミリードクターがい
ない家庭ではウォークインクリニックという日本のクリニックのような場所に診ても
らうこととなり、そこで専門医の診断が必要と判断された場合のみ病院の専門医の診察
を受けることができます。しかし、ファミリードクターを呼ぶにも時間がかかってしま
ったり、ウォークインクリニックも待ち時間がとても長いようです。また、どうしても
病院の専門医に診てもらいたい場合診てもらうことは可能ですが、こちらも長い待ち時
間を要することになります。
そして次に救急時の医療体制についてです。バンクーバーでは、専用の Web サイトに、
病院ごとに治療を受けられるまでの所要時間が掲載されているため、患者さんが移動時
間、病院での待ち時間を考慮して、病院を選び、迅速な治療を受けることができます。
このシステムを日本に導入できれば、問題になっている「たらいまわし」によって治療
が受けられない患者さんを減らすことが可能になると思いました。
←各病院の待ち時間の一覧
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次に救急車についてです。日本の場合救急車は無料で呼べますが、その分救急車をタ
クシー代わりに使う人が出てきてしまい、本当に必要としている人への対応が遅くなっ
てしまうことが問題になっています。
それに対してカナダの場合保険に入っていても、緊急通報して救急車の必要がないと
判断されたとしても 50 ドル、救急車で患者さんが搬送される場合 80 ドルと高額な金額
を請求されるため、本当に緊急な時以外は自分の車を使って病院へ行くようです。
また、旅行者や保険に入っていない人の場合さらに高額な金額を請求されてしまいま
す。
ですが、カナダの医療制度であれば、救急車本来の役目を果たせると思いました。
↓LIONS GATE HOSPITAL の救急車搬入口
そして取材させていただいた方が精神科の看護師さんだったので、精神科のことにつ
いても少しお話します。日本で精神科というと少し堅いイメージがあるかもしれません
が、我々が少し風邪を引いたから内科に受信するのと同様な感覚で、カナダの人々は精
神科を利用しています。さらに普段過酷なスケジュールで働く医者のために、医者向け
のカウンセリングを無償で行う制度がカナダでは確立されています。このような点から
カナダの方が日本よりもメンタルケアの部分で進んでいるように感じられました。
最後にカナダは日本と違って毎月、一定の国民保険を支払うことによって、診察料や
入院費用が無償で薬代もわずかな支払いで済むという制度が存在します。
入院費用については個室や少人数部屋を希望した場合にのみ別途料金が発生します
が、基本的にあまりお金がかからない点が魅力的に思えました。
この画期的に医療制度が成り立っているのは、カナダの税金が高いことにあるようです。
税金が高くても、国民からの不満の声が出ないのは、この医療制度を含む様々な分野に
おいて、国民の目に見える形で国が政策を出しているからだと思います。
このように、日本とカナダの医療の違いについて様々な違いを見つけることができま
した。そして今回のこの研究によって、他国の医療について直接触れることができまし
た。
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カナダの歴史
畠山
昇太
{研究テーマ選定の理由}
現在私は、学校で日本史の勉強をしています。カナダに行く事が決まった時にカナダ
の歴史はどのような歴史があるのか知らなかったので調べてみたいと思い調べました。
{歴史の背景}
(写真 1)
(写真 2)
カナダは植民地として 17 世紀にはフランスがインディアンとの貿易拠点を置くため
に支配して、18 世紀にはイギリスの支配下に置かれていました、このころにカナダは
「カナダ植民地」と呼弥されるようになりました。1812 年に米英戦争が起こりました。
アメリカはカナダの領土獲得を目指しましたが、イギリス軍は防衛に成功しました。
1867 年にカナダは建国しましたがイギリスの支配下のままでしたが第一次世界大戦
後に独立意識が高まり 1982 年に独立国家になりました。
公用語に英語、フランス語の二つの言葉が存在するのは植民地の時の名残だと考えら
れます。ですが私達の行ったバンクーバーではほとんどの人が英語で話していました。
公用語がフランス語としているのはケベック州のみです。
またカナダは移民の国なのでいろいろな人種の方が住んでいます。
バンクーバーにも日系の人達しか住んでない地域もありました。
ライオンズクラブのワトソンさんに差別などはあるのかと質問した所、昔は日系の人
の賃金は安くて危険な仕事をやらされていたが今ではそのような差別は無いとのこと
です。
18
{カナダの有名な産業の歴史}
(写真 3)
(写真 4)
カナダは鉱山業で有名です。この写真 3 と 4 はバンクーバーから 1 時間ほどにある
所に鉱山博物館です。このブニタニア・ビーチ鉱山は 1888 年に発見され、1904 年か
ら稼動されて主に金、銀、銅を発掘して、鉱山のガイドさんは「あなたの身の回りの銅
はもしかしたらここで発掘したものかもしれない」と言うほどここではたくさん発掘さ
れていました。1974 年に閉山になりましたがブリタニア鉱山で働いていた人々がこの
鉱山の歴史を後世に残したいと考え、1975 年にブリディッシュ・コロンビア州鉱山博
物館として一般に公開されるようになりました。
この鉱山には日本人はもちろん、約 50 ヶ国から 70 年間で約 6 万人が働いていたそ
うです。鉱山の近くには町が作られて、映像でも町の人がみんなで運動会をしたりして
楽しんでいる様子も記録されていました。
しかし鉱山では岩を砕く為の装置を使って肺に大量のほこりが入り死亡してしまう
人々もたくさんいてこの岩を砕くマシーンは未亡人を生み出すマシーンと言われてい
たそうです。また作業をする時には明かりはロウソクだけでほぼ真っ暗闇の状態だった
そうです。
トイレをする時も真っ暗闇で写真 4 の移動式トイレを新入りの人が何往復もして運
んだそうです。また用を足すとき、周りは真っ暗だから周りに見られることもなかった
とガイドさんは教えてくれました。
この鉱山はガイドさんと一緒にトロッコに乗って鉱山の中に入って見学することが
できます。中に入ってみると足場も悪く環境も良くない所でした。ここで働いていた鉱
山夫は非常に過酷な環境で働いていたんだと感じられる事のできる鉱山博物館でした。
日本も発展する前は鉱山産業が盛んであったため昔はどの国も鉱山産業で国の収益
になっていたんだと分かりました。
19
{有名観光地の歴史的背景}
(写真 5)
(写真 6)
写真 5 のキャピラノ吊り橋は 1889 年にスコットランド人の開拓者ジョージ・グラン
ト・マッケイがこのキャピラノの景色に感動して奥さんとこの地に住むことを決意した
ジョージ・グラント・マケイさんは自らが森林に通う手段の為に地元のカナダの人々と
共に協力して架けた橋です。
吊り橋は口コミで広がっていき有名になったそうです。
吊り橋の材料がスギ材の厚い板と麻のロープで今にも壊れそうな橋だったので 1956
年には安全性を高めるためワイヤー製に架け替えて、橋の両端に土台が設けられ平均的
な大人が 1300 人ほど乗っても耐えられるようになりました。橋の全長は 137 メートル、
高さは 70 メートルで吊り橋としては世界有数の規模を誇る吊り橋です。
1 万 2 千年前は平らな地面でしたが氷河期が終わると小川が流れるようになり、小川
が地面を削って一番深いところで 90 メートルまで削られたそうです。
また 1930 年代にカナダの先住民族のファースト・ネーションズが橋の所有者から誘
いを受けてトーテムポールを飾りました。
(写真 6 の置物です)
このトーテムポールというのはインディアンの家柱や墓柱として立てられていたも
のです。このトーテムポールはスタンリーパークにも飾られていてカナダでは重要な置
物という事がわかりました。
現在、キャピラノ吊り橋の入場料は大人約 35 ドルとやや高めですがここでの景色は
とても綺麗でした。吊り橋はゆらゆらと揺れてスリルもあります。
しかし橋を渡った先は綺麗な森で心が浄化されてジョージ・グラント・マケイさんも
ここで心を浄化してたんだなと感じる事もできます。
このキャピラノ付近は自然がとても豊かで森がきちんと手入れされています。
橋を作った人たちの写真やサンプル品が展示してありキャピラノ吊り橋を作った人
を今でも敬っているんだと感じる事ができました。
20
ノースバンクーバー市の経済、ESL 教育について
木元 恒喜
【研究テーマ選定理由】
職務で国際経済交流、市内企業の国際化に携わっていることから、千葉市との経済交
流促進につなげることを目指し、ノースバンクーバー市の経済をテーマに選定した。
また、移民受け入れを積極的に行っているカナダが、多文化共生施策としての ELS
(第二言語としての英語教育)にどのように取り組んでいるかに興味があるため、ノー
スバンクーバー市が ESL 教育にどのように取り組んでいるかをテーマに選定した。
1
ノースバンクーバー市の経済
(1)地域経済の単位はメトロバンクーバー
ノースバンクーバー市の経済を研究しようとしたが、その前提として、経済や地域の
話をする時に、ノースバンクーバー市の市域で区切って考えることがまれだということ
にまず気が付いた。
バラード入江を挟んだ北側一帯は North Shore と呼ばれ、主に住宅地域である。経済
の中心は入江の南側のバンクーバー市を中心とする地域であり、これらを包含する地方
行政区であるメトロバンクーバーが地域経済を論じる場合の単位として用いられる。
バンクーバー市の人口は約 60 万人で、メトロバンクーバーの人口は 210 万人である。
(2)メトロバンクーバーの主な産業
州政府事務所、商工会議所等の機関を訪問してヒアリングを行った所、メトロバンク
ーバーの主な産業は、ICT、映画、ゲーム、環境技術、海洋技術であるとのことだった。
ICT、映画産業に関しては、アメリカ西海岸のシリコンバレーやハリウッドと同じ標準
時間帯に属し、飛行機で 3 時間程度の距離に位置することから、北のシリコンバレー、
北のハリウッドと呼ばれ、栄えている。私の滞在中も、街中で大規模な撮影を行ってい
る場面に 3 回遭遇した。
海洋産業については、船のドライドックが商業施設に再開発されるなど、減退傾向に
あるが、海運会社の Seaspan 社がカナダ連邦政府から向こう 30 年間計 8,000 億円の補
助金を受けた事例もあり、一部では盛り返しを見せている。
また、州の電力の 95%が水力発電であるなど、環境技術においても先進的である。
(3)好調な経済
メトロバンクーバーの色々な場所に案内してもらったが、行く先々で高層建築のクレ
ーン見られ、モダンなデザインのマンションが次々と建設されていた。ライオンズクラ
ブの方に不動産事情について尋ねた所、15 年ほど前に購入した家が倍以上の値段で売れ
たと教えてくれた。2010 年のバンクーバーオリンピックを目指して大規模な開発が行わ
21
れ、その好景気を維持したまま発展を続けているという印象を受けた。
メトロバンクーバーの活力を千葉市にも取り込むことができるように、千葉市の経済
とのマッチングを進めていきたいと思う。
2
ノースバンクーバー市の ESL 教育
ノースバンクーバー市の ESL 教育を調査するため、昨年まで小学校の ESL の教師
をしていた方にインタビューを行った。
(1)教育の単位は学校区
ノースバンクーバー市で公立学校を運営しているのは、学校区の教育委員会である。
学校区の範囲はほぼ市域と同一であり、教育委員会は市から独立した組織である。
(2)ELS 教育のシステム
小学校(幼稚園 1 学年と小学校 7 学年の計 8 学年)の ESL 対象児童数によって ESL
教員の配置人数が決まる。ESL 対象児童は writing, reading, oral communication の平
均値で 4 段階にレベル分けされ、自分のクラスから一定時間 ESL クラスに抜き出され
て授業を受ける。レベルが上がるほど、自分のクラスにいる時間が長くなる。
児童の学年によって対応を変え、例えば同じ英語レベルでも幼稚園児と 7 年生を一
緒に教えたりはしない。
児童の自分のクラスの担任と常に連絡を取り合っている他、ESL の児童がクラスの
他の児童とどのような関係にあるかにも気を配っている。
ESL クラスでは失敗が許されるという雰囲気づくりをしていて、ESL クラスが自分
のクラスよりも安全であると児童に感じてもらいたいと思っている。
(3)母国語が使えないことのストレス
母国語ではない英語を一日中使う環境に放り込まれることは、子供にとって大きな
ストレスになる。年齢が低いほど、ストレスへの対応が容易で、幼稚園児は自分のク
ラスから抜き出さなくても、半年ほどで英語を覚えてしまうことが多い。
性別によっても差があり、男子は野球やサッカーなど運動の仲間に入れればすぐに
言葉も覚えるのに対し、女子は言語で自分を表現する比重が大きいので、母語が自由
に使えなくなることのストレスを受けやすい傾向がある。
(4)第一言語とのバランスが大事
早い年齢でカナダに来た児童の方が英語を身に着けるのは早いが、遅い年齢で第一
言語をしっかり身に着けてからカナダに来た児童の方が後で伸びることもある。母語
の能力を維持、向上させるため、インターネットを使った調べ学習等の場面で児童の
母語を使うことを奨励している。
児童の親の言語環境にも気を配っており、両親ともに英語が堪能な家庭のケースで
22
は母語の使用量が不足するため、家では母語を使うよう親に依頼することもある。
(5)児童の言語をいかに構築するか
英語を生活の中で使っていくため、カナダに来た直後の児童には「トイレに行って
もいいですか」等の学校生活で絶対に必要な表現を 20 個程度覚えさせる。その後は名
詞などを覚え、続いて、それらを文の中で構成していくための接続詞等を覚えていく。
児童が口に出して表現する語彙の背後には、遥かに多い量の語彙の蓄積があり、発
話を引き出すまでには、読書によるインプットが必要である。
読書、特に百科事典のような事実の客観的な説明ではなく、物語を読む量を出来る
だけ確保するように気を配っている。読み聞かせも効果的で、日本の絵だけを子供に
見せて読み聞かせをするスタイル(紙芝居)は非常に理にかなっている。
3
終わりに
経済関係機関への訪問、ESL の先生へのインタビューを通して、カナダの人々の外向
き志向、異なる文化への寛大さを強く感じた。企業や経済関係機関が海外とのビジネス
を積極的に行う姿勢である他、移民政策は非常に寛大で、企業は人材面で内側から国際
化することにも取り組んでいる。私が訪問した企業の輸出の責任者は、英語、日本語、
中国語が堪能で、それらの言語を駆使しながら仕事に取り組んでいた。
滞在中、ホストファミリーのシェリルさんに、カナダ人のアイデンテティは何かを尋
ねた所、「カナダ人はアメリカ人よりも礼儀正しい」
、「アメリカ人は移民に同化すること
を求めるが、カナダ人は移民の文化を尊重する」との答えが返ってきた。カナダの懐の
深さを感じたが、一方で、バンクーバー市の南のリッチモンド市では人口の 9 割近くを
中国系、韓国系の住民が占め、欧米人が少数派になっているという事例があることも聞
いた。そうした事例に対し、カナダ社会がどこまで寛大さを保ち続けるのかを、今後も
注意して見守りたい。
今回の訪問で学んだことを生かし、千葉市がこれからより国際化し、企業が外国との
取引を増やしたり、より多くの外国人が千葉市で働けるような手助けをしたい。また、
より多くの千葉市民が言葉の壁を乗り越え、カナダを始めとする海外で勉強や仕事をす
ることに挑戦するようになってほしいと思う。
23
4.滞在感想文(日本文及び英文)
最高の思い出を...
岡本
浩弥
帰国から数日が経ち、感想文を書くにあたって色々な思いが駆け巡っているけれど、
一番強く思っているのはノースバンクーバーで過ごした15日間がこれまでの人生で
何よりも素敵な、夢のような時間だった、ということです。そして、この滞在にあたっ
てご尽力いただいた千葉市国際交流協会の方々、ライオンズクラブの皆様、ノースバン
クーバーのホストファミリーの皆さん、そして誰よりも15日間を一緒に過ごした9人
の仲間―引率者木元さん,Cheryl さん,Caroline,昇太,Emily,裕介,Paula,彩音,Terry―
に心からの感謝の気持ちを伝えたいです。この場を借りて、ありがとうございました。
僕にとって初めての海外で、出発前はもちろん不安もありました。しかしそんな不安
も杞憂に終わるほど、ノースバンクーバーの方々は僕たちを温かく迎えてくれました。
そして、毎日のように素敵な場所へ連れて行ってくれて、素敵な経験をさせてくれまし
た。みんなで行った様々な場所、カナダでしかできない体験、たくさんの人々との交流、
どれも忘れられない思い出です。また思い出が積み重なるにつれてホストシスター・ブ
ラザーとの仲が深まっていくのをとても強く感じました。国籍なんて関係なく、立派な
友達として仲良くなれた。心の交流ができた。そういう意味ではただ思い出を作れただ
けでなく、本当の意味での国際交流が生まれたと思っています。
そして異国の地で2週間を過ごす中で、感じたことがあります。まず一つに、最も不
安に感じていた言語についてです。普段と違う慣れない言語を使ってどうにか意思を伝
えようと懸命に生きる感覚がとても新鮮でしたし、英語で会話が成り立った時はとても
嬉しかったです。しかし、何よりも大事なのは言葉で全てが伝わりきらなくてもお互い
に相手の気持ちや相手の伝えようとしていることを理解しようとする気持ちで、それが
あったからこそ意思の疎通は苦にならなかったし、心の交流が生まれたのだと思いまし
た。これはどんな人同士のコミュニケーションにも当てはまると思います。
さらに、人と人の距離感の近さです。店の従業員や観光地ですれ違う人など、知らな
い人にも気さくに話しかけて簡単に打ち解ける場面を何度も目にしたり、写真を撮ると
きなど男女隔てなく肩を組んだり、再会や別れの場面での熱い抱擁など、心理的にも身
体的にもカナダの人々は他人との距離が本当に近く感じました。
本当に充実した15日間を過ごすことができて、ノースバンクーバーで仲良くなれた
仲間と別れること、ノースバンクーバーを離れることはとても辛かったけれど、僕たち
がフェアウェルパーティーで歌った曲の歌詞のように、「10年後の8月また出会える
のを信じて」、今回学んだこと、感じたこと、そして何より今回得た素敵な仲間と思い
出を胸に刻んで、これからの人生を歩んでいきます。
必ずまた、会いに行きます。最高の思い出を、ありがとう。
24
Thank you for precious memories
Hiromitsu Okamoto
I am writing this with holding some feelings. Above all, I feel that 15 days I spent in Canada
were the dreamiest time of my life. Then, I would like to say thanks to many people ; people of
CCIA, Lions Club, all of host families in North Vancouver , and above all, my best friends
whom I shared the time with ;our chaperone Mr. Kimoto, Cheryl, Caroline, Shota, Emily,
Yusuke, Paula, Ayane, Terry. Thank you from the bottom of my heart.
It was first time for me to go abroad. So I was not only looking forward to this stay but also
worried about it. But people in NV welcomed us so kindly that my worry ended in imaginary
fears. And they took us many great, beautiful places almost everyday. We could gain many
experience. Their memories are so precious that I will never forget any ones. And also, the more
memories we piled up, the closer we got with friends in NV. We got along with each other over
the nationality. That means we gained international exchange truly.
I have been feeling something in 2 weeks. For one thing, it is about language that we were
worried the most. But in fact, I felt it was flesh to try to communicate in English. I got happy
when I could make some conversations in English. We tried to understand each other even if the
language is not perfect. I think that’s why we got along with people in Canada.
And also, I felt that the distance between people in Canada one by one were much closer than
in Japan. For example, they speak to stranger in a shop or town. They put shoulders together
regardless each other’s gender when take pictures. They hug at the situation of reunion or in
saying good bye.
It was so sad to say good bye to host family and my friends. I would never like to leave
Canada because I really enjoyed this stay. But, I am going to keep on believing that “ we will be
able to meet again in August 10 years later” like the lyrics of the song that we sang at farewell
party.
I will certainly go to see you again someday. So let’s keep in touch. Thank you for precious
memories from the bottom of my heart.
25
かけがえのない時間
川島
彩音
平成25年度青少年交流事業ノースバンクーバー派遣生として、8月5日から20日ま
で本当に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。まずは千葉市国際交流協会やラ
イオンズクラブの皆様、現地で受け入れてくださったホストファミリーの方々とテリー
君、エミリーさん、キャロラインさん、ポーラさん、そして引率してくださった木元さ
んと派遣メンバーの浩弥君、昇太君、裕介君に心から感謝いたします。
8 月 5 日午前、現地に到着し、初日は英語に慣れていなくて不安でしたが、日数を重
ねていくうちに徐々に溶け込んでいきました。この2週間は不安より楽しさの方が多か
ったです。よくショッピングや観光地に連れて行っていただきました。街中を歩いてい
ると日本との共通点や相違点を見つけることができ、毎日が『新しい発見』の繰り返し
でした。例えば、信号や郵便ポストです。信号は縦で、赤でも右折できます。郵便ポス
トについては、日本は赤ですが、カナダは柄が入っています。右下の写真は、ホストフ
ァミリーの家の近くで見つけた郵便ポストです。また、ドライブを
しているときに日本の会社の車を多く見ました。ちなみに、私のホ
ストブラザーが運転している車はスバルでした。このように本当に
小さな発見ですが、一つ一つがとても興味深かったです。
そして一番印象に残った事は、現地の皆さんの優しさです。ホス
トブラザーをはじめ、ホストファミリーや友達など、皆さんがとても優しくて安心した
のと同時に心が温かくなりました。ハイキングの時は急な斜面でなかなか思うように前
に進めず、先頭集団と差が開いてしまいました。そこでネイティブの二人が私のペース
に合わせてくれて、手を差し伸べてくれたり、上着を持ってくれたりと気遣ってくれた
おかげで、安心して登ることができました。二人の思いやりに感動しました。そして下
山する際は、更に急斜面で転ばないようにするのが大変でした。ネイティブはもちろん
派遣メンバーの助けもあり、無事に怪我がなくハイキングを終えることができました。
そこで私は口には出せなかったけれど、『みんな!ありがとう!』と心の中で叫びまし
た。また、ウィスラーでの旅行の際、朝食を女性全員で作りました。その時に、私の不
注意でパンケーキを焦がしてしまいました。謝ると、
「最初は上手くいかないのよ。」と
さりげなくフォローしてくれました。日常の小さなエピソードですが、その一つ一つが
私の心に未だに焼き付いています。
この2週間、ここには書ききれないことがたくさんありました。全て私の大切な一生
の思い出です。出会った皆さん全員にもう一度会いたいです。人と人との繋がりやふれ
あいの素晴らしさを改めて感じ取ることができたノースバンクーバーでの時間は私の
宝物です。本当にありがとうございました。
26
Irreplaceable time
Ayane Kawashima
I spent a really wonderful time from August 5th to August 20th of 2013 as International Youth
Exchange student for North Vancouver. First I am deeply grateful to everyone in CCIA and
Lions Club, Terry, Emily, Caroline, Paula, Mr.Kimoto, Hiromithu, Shota, Yuusuke.
In the morning of the 5th August, we arrived in Vancouver. On the First day, I was not used to
speak English. So I was a little uneasy. But the more days passed, the more I was used to speak
English. I felt many enjoyment in this week. I went to shopping and many tourist spots. I found
many points in common things and different whenever I walked in the town area. I found a new
discovery every day. There were a spotlight and postbox. Canada’s signal is vertical. Cars can
turn right even if signal’s color is red. About mailbox, Japan’s mailbox is red, but Canada’s
mailbox has many patterns. This picture is Canada’s mailbox.
I found near my host family’s house. And, I often saw Japanese cars. By
the way, my host brother’s car is Subaru. It is really a little discovering,
but it was very interested.
What is the most impressive thing is the kindness of everyone local. My host brother, my host
family, and friends were very kind. So simultaneously heart to that peace of mind is now
warming me. I could not advance as I wanted. Because the slope was steep. Then two of the
locals waited for me. They brought my jacket and reached out to me. They care about me, so I
could climb with confidence. Their kindness moved me. It was hard to keep from falling in the
steep slope even more when I get down. Locals and members of the delegation helped me. So I
was able to finish the hike safely without injury. Then I said in mind. 『Thank you, everyone.』
When we went to a trip in Whistler, we all women cooked breakfast. Then I burned pancakes. I
apologized. Ms.Whitney saying 「First time doesn’t work well.」This is the episode that is
casual , day-to-day, but one that has burned in my heart.
For two weeks, There were many things that I cannot write all. Everything is my precious
memories, I would like to see everyone I saw in Canada. I felt a heartistic between me and them.
The time in North Vancouver is my treasure. Thank you for everything.
27
カナダが教えてくれたこと
田野 裕介
カナダでの2週間は本当に楽しく、あっという間に過ぎてしまいました。初めての海
外だったので、とてもワクワクして楽しみにしていましたが、それとともに「自分の英
語で相手にしっかりと物事を伝えられるのか」という大きな不安もありました。そして
それは出国の日が近づくにつれて大きくなっていったのを覚えています。
カナダに着いて、僕らを迎えに来てくれたワトソンさんとゲーリーさんに英語で話し
かけられた時、ようやく異国の地に来た実感がして感動しました。
ホストファミリーはみんな優しくて、僕を快く歓迎してくれました。毎日僕が家に帰
るとその日の出来事を聞いてくれるので、それが日々の楽しみの 1 つでした。また時間
があるときに庭で家族全員と会話する機会を設けてくれたり、ゴルフの練習を一緒にや
らせてくれました。よく出してくれた紅茶の味を今も忘れることができません。
毎日のアクティビティはどれも楽しいものばかりでした。みんなでカナダの壮大な自
然を体験したり、遊園地やボウリングをしたりと最高の思い出になりました。
僕はこのプログラムを通じて数多くのことを学んだり、経験することができました。
母国である日本を客観的にみることができました。例えば「英語は大文字と小文字だけ
なのに、何故日本語はひらがなとカタカナと漢字の 3 種類分けて使うの?」と聞かれた
時、自分の母国語のことなのにうまく答えられませんでした。他にも自分が当たり前だ
と思っていたことも、海外では当たり前でないことを見つけることができました。
また一番自分への影響が大きかったことは、今まであまり好きではなかった英語を好
きになれたことです。英語を使う場面が日本では少なかったため、ただの勉強だと思っ
ていたからだと思います。
しかし、カナダで実際に英語を使って生活してみると、自分の言いたいことを上手く
伝えるのが大変な分、伝わった時とても嬉しかったので英語で会話することが楽しいと
感じるようになり、もっと英語を学びたいと思えました。
このような機会を与えてくれた千葉市、ノースバンクーバー市、ライオンズクラブ、
そして家族に感謝しています。
また引率者の木元さんと派遣生の 4 人でノースバンクーバーに行きたいです。
ホストファミリー(Huston 家)
28
Canada was taught me a lot of things
Yusuke Tano
I have passed in no time really happily on two weeks in Canada. This was first time
to go foreign countries, and I was excited very much and looked forward to, but
there was the big uneasiness whether "Things were conveyed in one's English with
it well by a partner". It remembers that it became big as a day of the departure
approaches.
When I arrived at Canada, I was talked to Watson and Gary who came to pick us up,
the actual feeling that finally came to the foreign ground did it and was impressed.
All of the host families were tender and welcomed me willingly. It was one of the
daily pleasures every day, because they heard the event of the day when I went
home. In addition, when I had time, I arranged the whole family and the
opportunity to talk in their garden and let you do an exercise of golf together. I
cannot still forget taste of the tea which host mother made.
Every day’s activities were only pleasant things. I experienced Canadian
magnificent nature together and I went an amusement park and bowling. These
became the best memory.
I learned a lot of through this program and was able to experience it.
I was able to look at Japan which was my mother country objectively. For example,
though "English is only a small and capital letter, why do Japanese have character
of three kinds:”Hiragana”,”Katakana”, and “Kanji”?
When I was asked about it, I cannot answer well though it was one's native
language. I was not able to find about my mother country.
In addition, I became to like English that I had not like very much. Because there
were few scenes speaking English in Japan, so I thought that it is mere study.
However, it was so difficult that understanding what I wanted to say when I stayed
in Canada, so if you can understand it, I was so happy!
I thank Chiba City that gave me such an opportunity, North Vancouver City, Lions
Club and my family.
In addition, I want to go to North Vancouver in dispatch raw four people with
Kimoto of the leader.
29
一生の思い出
畠山 昇太
カナダでの生活は一生の思い出です。すべてが初めてで毎日が本当に楽しくて、充実し
た日々を過ごさせてもらいました。またカナダに来て自分自身成長できたと感じた夏にな
りました。
一番の不安は英語が話せるかという事でした。苦労したのはリスニングでした。相手が
話している時にわからない単語がでてきたり、話すスピードが速すぎて何を言っているの
か分からなくて悲しくなる時もありましたが、分からない時は何回も繰り返してもらい、
また周りの日本人の仲間と協力して話したり、ジェスチャーもたくさん使いました。その
おかげで、英会話は自分が想像していたよりは意外にも通じました。
ホストファミリーにも恵まれました。僕がお世話になった家族は 4 人家族でした。みん
な優しく、僕が話す事をきちんと聞いてくれました。お父さんとはドライブをしたり、お
母さんとは毎日語ったり、お兄さんとホストシスターとは語ったり、ゲームも一緒にしま
した。お母さんはお別れする時に僕の事を日本の息子と呼んでくれました。
カナダの皆さんには毎日いろいろな所に連れていただきました。どれも楽しかったので
すが、一番印象に残っているのはカヤックをした時にアザラシを見つけた事です。
カナダは自然豊かだととても感じる事ができました。
ホストシスターとスターバックスに行ったときの事です。ホストシスターが店員に「彼、
日本から来たのよ。それで~」
。と話していたので店を出た後にあの人友達なの?と聞いた
ら「知らない人よ」。と言ったのでびっくりしました。「カナダ人はフレンドリーで初対面
の人でも気軽に話すのよ」と教えてくれました。また他のホストファミリーのバースデイ
パーティーに参加してジョークを連発したところ、みんなずっと爆笑してくれたのでカナ
ダ人はノリがいいと感じました。僕はたくさんの人と話して英語力は必要だと改めて感じ
ました。
別れ際は本当に帰りたくなかったです。家族や他のカナダのメンバーとの別れが寂しく、
いつかカナダに住みたいなと思いました。お別れ会の時にみんなに I’ll be back と言って、
「カナダに帰ってくる宣言」をしたので有言実行できるように頑張って英語を勉強したい
と思います。
このプログラムに参加した事によって、将来は海外で働きたいという夢を抱くことがで
きました。そして自分の中の世界観が大きく変わりました。
今回は千葉市、国際交流協会、ライオンズクラブの皆様のおかげで貴重な体験ができま
した。本当に感謝しています。
30
My memory for life
Shota Hatakeyama
Canadian life is my lifelong treasure memory. Every day really was fun and everything a first time
experience. So I spent a nice day. I felt Matured myself in this summer.
It is difficult to hear English. When my partner was talking to me, Sometimes I heard it but I didn’t
know words. So I often became confused. When I didn’t understand, My Partner repeated many
times, I call for help from a Japanese friend, I used gesture. So I managed to speak English.
My host family is very nice. The family has 4 person, Everyone is really kind and listen to my story.
I went to night Vancouver with my host father. Every day, I talk about many things with my host
mother. I played video game and talk about many things with my host brother and host sister.
At the time of departure, my host mother told me I am her Japanese son.
Every day my Canadian friend brought us too many places. The most impressive experience was
kayak. Because I played kayak so I could meet a Seal. I felt Canada is full of nature
I went to Star bucks with my host sister. She talked with the staff a lot.
Suddenly she introduced me to the staff. Leaving the shop, I asked questions to her.
She is your friend? She answers I don’t know her. Canada people often talk with they don’t know
people. She told me. Also we joined a birthday party. I talked to many peoples, I said many jokes.
Everyone laughing all the time. I think that Canadian people is easy for laugh.
And I fell English is very important.
At the time of departure, I really don’t come back Japan. It’s sad for me to part with everyone. I
would like to live in Canada. I joined this program, I want to work abroad in the future. And I
changed the world inside me
I decided to study English because I said to everyone I’ll be back.
Thank you everyone.
This time, I am really grateful for this experience to Chiba City, Chiba City International Association
and Lions Club.
31
ノースバンクーバー青少年交流の引率を終えて
木元 恒喜
私は、引率者として 2 週間この事業に参加させていただきましたが、派遣生全員が病気、
事故なく、今回の派遣を終えられたことが何よりだと思っています。これは、ライオンズ
クラブとの連携のもと、各受け入れ家庭が細心の配慮をしてくれた結果であり、深く感謝
しています。
今回の引率では、派遣生が孤立しないように配慮しました。その際、派遣生全員が Wifi
接続可能な機器を持参し、各受け入れ家庭でネットに接続可能であったことから、毎晩帰
宅後等に日本語で連絡を取り合うことが可能であったことで、派遣生の精神的負担はかな
り軽減されたものと思います。
実際には、各家庭で必要となる約束事の確認などは派遣生が自身で対処したものがほと
んどでしたが、いざという時に直接引率者や他の派遣生と連絡が取れる手段があるという
安心感が、各家庭での積極的な行動につながっていたものと思います。
日本、カナダ共に、家庭での Wifi 環境の普及率はかなり高いと言えると思いますが、今
後は、受け入れ家庭に Wifi 環境の有無の確認、無しの場合は受け入れまでに Wifi 環境を導
入することの働きかけをするべきだと思います。
今回の派遣生は全員が海外生活未経験であり、人生初の貴重な経験が多くあり、大変有
意義なものであったと思います。特に、滞在初期には、派遣生はカナダのルールやカナダ
人の振る舞いを日本のそれと比較して、
「変だ、おかしい」と半ば無意識的に否定的な表現
を使うことが多かったのですが、私は彼らに、価値観の違いを出来るだけ中立的に受け止
め、相手の文化の優れた部分は積極的に尊重するよう促しました。こうしたことを意識す
ることにより、今回の滞在が、彼らが日本の文化や日本人の価値観を客観視し、相対的に
評価するための、ものさしとして役立って欲しいと願っています。
今回の滞在を通して、私はノースバンクーバーの皆様のホスピタリティに強く感動しま
した。特に、私を家族の一員として受け入れてくださった、ハム家の皆様には特に感謝し
ています。カナダの文化や娯楽を体験できる場所にたくさん連れて行っていただいた他、
政治や宗教、社会問題などに関して深く話し合いをすることが出来たことは、一生の財産
になる体験でした。
今回の滞在は、草の根の国際交流の素晴らしさを肌で感じた 2 週間でした。今後、今回
お世話になった皆様と継続的に親交を続けるとともに、私の家族を連れて再びノースバン
クーバーを訪問したいと思っています。
最後に、ノースバンクーバー市と千葉市の友好が、今後ますます発展することを祈念しま
して、私の滞在の感想を結ばせていただきます。
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Upon finishing the chaperon’s duty
Koki Kimoto
I did the chaperon of this two weeks exchange program. After finishing it, I feel most glad
that all participants had no diseases or accidents during the stay. It is greatly because each host
family and the Lions Clubs took great care for our health and safety. I would like to thank them
from bottom of my heart.
As a chaperon, I tried not to let the participants feel isolated. It was very useful that all the
participants brought Wifi devices and all the host families provide Wifi access to them. We can
make contact at nights in Japanese. It reduced the pressure of the participants to stay in a foreign
country.
In fact, the participants took care of their lives in host families by themselves. But having a
way to make correspondence with chaperon and other participants made them easier to conduct
positive actions in their lives with host families.
I believe Wifi is installed in most of homes in both Japan and Canada, but it should be
checked if the host family has Wifi connection before receiving the participants. And if not, the
host family should be encouraged to install Wifi by arrival of the participants.
This exchange visit was the first time to go overseas for all the participants. So there are
many precious experiences which they experienced for the first time in their lives. I think this
visit becomes a significant experience for them. Especially, at the first few days of the stay,
they compare Canadian rules and Canadian’s bahaviour to those of Japan and judge them
“strange or odd”. Then, I asked them to evaluate the difference of culture and the way of
viewing as neutrally as possible and asked them to respect better points in other cultures. I
hope they can use this experience as a measure to evaluate their own culture and the way of
viewing objectively and relatively.
Through this stay, I was deeply moved by the hospitality of the people in North Vancouver.
Especially, I am most grateful to the Ham family who welcomed me as one of their family
members. They brought to me many places to experience Canadian culture and entertainment.
We also made deep discussions on politics, religions, social issues and so on. Those are my life
long treasurable experiences.
I felt the brilliance of the grass-root international exchange through this two-week stay. I will
keep in touch with people who took good care of us for this stay. In addition, I would love to
visit North Vancouver again along with my family.
Lastly, I hope the friendship between North Vancouver and Chiba becomes deeper and more
prosperous.
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5.記録写真
8月1日(木)市長表敬訪問
熊谷市長をヒューストン派遣生と合同で訪問
8月5日(月)成田出発・ノースバンクーバー到着・歓迎会
歓迎会で翌日千葉市へ出発するカナダの学生と
初日の散歩(午後 8 時過ぎでも明るい)
8月6日(火)自主研修(キャピラノ吊り橋・ウエストバンクーバー市夏祭り見学)
キャピラノ吊り橋
バンドの生演奏
8月8日(木)ノースバンクーバー市長表敬訪問及び千葉市長とスカイプ(Skype)
派遣生が熊谷市長へ Skype で滞在の報告
派遣生の受入家庭とも交流
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8月9日(金)グラウスマウンテン及びフライデイ・マーケット見学
グラウスマウンテン山頂
山頂にある風力発電機の展望台
フライデイ・マーケット
マーケットで食事中、隣の人と
8月10日(土)グランビルアイランド見学・地元サッカーチーム観戦
水上バスで移動
フェリーからの風景(BC プレイス・スタジアム)
8月12日(月)ライオンズ・デイ(ライオンズクラブのワトソンさん、リアさん
がバンクーバー市街を案内)
1ドルショップで買い物
レストランで夕食
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8月14日(水)~15日(木) 1 泊 2 日でウィスラーへ旅行
途中に寄ったブリタニア・マイン(鉱物博物館)
ウィスラー散策
のトロッコ
山頂
五輪マークの前
8月18日(日)フェアウェルパーティ
歌のプレゼントを披露
ホストファミリーと記念写真
8月19日(月)ノースバンクーバー出発、20日(火)成田到着
成田到着、ライオンズクラブのゲイリーさんも一緒に来日
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9月19日(木)帰国報告会
一般公開で行われた帰国報告会
派遣生がレポート発表と滞在の感想を報告
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平成25年度 青少年交流事業
ノースバンクーバー(派遣)報告書
発行
平成25年11月発行
編集・発行 公益財団法人千葉市国際交流協会
〒260-0013
千葉市中央区中央2-5-1
千葉中央ツインビル2号館8階
TEL:043-202-3000
FAX:043-202-3111
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