「マスコミ原論」講義ノート2016 後半 *各章や小節の番号は、一部を

「マスコミ原論」講義ノート2016 後半
*各章や小節の番号は、一部を省略したり、説明を並べ替えたため、ズ
レていることがあります。気にしないで読んでください。
以下のーーー内の部分は、今年は、手短かに講義内で触れるにとどまっ
たが、要約として重要で、出題される年度もある。
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在京キー局は、それぞれの系列にある放送局とともに、「ニュース・
ネットワーク」と呼ばれる取材・報道網を形成している。東京放送(T
BS)を中心とするJNN、日本テレビ放送網(NTV)を中心とする
NNN、フジテレビジョン(CX)を中心とするFNN、全国朝日放送
(ANB)を中心とするANN、テレビ東京(TX)を中心とするTX
N、という具合に、系列化されたニュース報道網を持っている。系列下
にある局の数は変化するが、これら5大ニュース・ネットワーク自体は
ほとんど変化していない。(6番目にMX系列を加えるかどうか、とい
うていど:東京メトロポリタンテレビ(MX)+中日新聞社(東京新
聞)。また、TXは規模が小さいことから、近年では四大ネットワーク
という言い方もされる。ただし、説明した理由から、五大ネットワーク
の1つだと考えられる)。
6)加えて、これらの五大在京キー局は、大手の全国紙5紙と、資本参
加・取材協力・人的交流などを通して提携関係にある。
具体的には、
・東京放送と毎日新聞社
・日本テレビ放送網と読売新聞社
・フジテレビジョンと産経新聞社
・全国朝日放送と朝日新聞社
・テレビ東京と日経新聞社
が提携関係を持っている。
以上から明らかなように、日本のマス・メディア秩序とは、もっとも大
局的には、多数の電波とメディアを使用する全国ネットワークの公共放
送である協会(NHK)に加えて、5つの在京キー局と5つの全国紙
が、多数の系列下のローカルメディアと形成する、5大ニュース・ネッ
トワークによって構成される。地方新聞については、「新聞を発行しな
い新聞社」である「通信社」も重要。このメディア秩序は、1980年
代に、メディアの規制緩和の動向を受けて、この体制で成立した。
ーーーー
要約:広告収入モデルでは、実売数とは無関係に、発行部数が維持され
る場合もある。広告収入モデルは「どんぶり勘定」であり、明細があま
り明瞭ではない。内容販売モデルでは、基本的に、内容の対価が支払わ
れる。ただし、内容販売モデルも広告によるその商品の知名度には依存
する。
電波法が、電波発信主体としての「局」の認可について広く規定して
いる。放送法では、放送事業者の種類について記述されている。放送法
上、NHKは協会、民放は一般放送事業者(2011年から名称変更、
ただししばらくこの講義ではこの呼称を使っていく。様子見のため)、
これ以外に放送大学学園などが規定されている。これらの放送法上の分
類は、2011年以後、大きく変化しつつあるが、ここでは旧来の分類
で論じている。まだ「先が見えていない」変化の途中といえるため。
協会は公共の福祉を目的とする特殊法人であり、その運営は、海外放
送など以外は、ほぼ全て、視聴者からの受信料に依存する。したがっ
て、協会は「国民のもの」であり、国有放送ではない。ただし、協会の
予算案は国会において承認されねば成立しない。この点で、それはいわ
ゆる「政府のひもつき」である。すべての放送局は、総務大臣の許可を
受けて電波を発信できるという意味で、政府からの影響下にある。協会
の場合には、さらに予算がらみの制約を受けている。
放送法には、協会は「公共の福祉のために、あまねく日本全国におい
て受信できるように」しなければならないという、いわゆる「あまねく
条項」が存在している。この義務の遂行を確認するため、協会は、社会
調査を行なって、国民の番組視聴実態を確認する。協会は、視聴率調査
を行なう少数の組織である。
日本国民が日本に居住し、国産のテレビ受像機を使用すれば、「あま
ねく条項」が保証するように、協会の番組を受信「できる」。番組を受
信「できる」国民は、一律に、受信料を支払うことになる。「見られな
いことはない」のだから、実際の視聴量にかかわらず、とにかく一律
に、基本的な料金だけは徴収する発想だろう。値上げが困難という事情
もある。
国民に「あまねく」視聴される放送局を維持することは、国家サイド
の利益にも直結しうる。近代国家の条件のひとつは、標準化された「自
国語」を維持整備し、他国からの言語的・文化的な分離・独立を確保す
ること。そのために集権化されたマス・メディアを領土の広域にわたっ
て機能させている。
協会の実質は、きわめて大規模なマス・メディア組織の複合体であ
る。関連団体として、多数の財団法人や株式会社を擁し、全体としての
規模は巨大になっている。
これに加えて、いわゆる民間放送、すなわち、5つの在京キー局が、
多数の系列下のローカル放送局と形成する「5大ニュース・ネットワー
ク」が存在する。これら在京キー局は、全国紙5紙と系列関係にある。
Ⅹ 新聞の性質1
1)新聞とは何か
近年では、ネットニュースの発達が急速に進展しており、90年代まで
一般的だった、「新聞=新聞紙」という認識が変化しつつある。では
あっても、新聞社の基本的な利益は、新聞紙の発行に依存している現実
は、まだ変わっていない(ネットニュースで利益を出す事が難しい。
ネットはしばしば確実な課金が困難、フリーライド(タダ見ただ乗り)
が容易なため)。したがって、もっとも歴史の長いマス媒体としての、
「新聞紙」による新聞について、まず解説しなければならない。
(1)何が具体例なのかは自明であっても、「そのものを、それ以外か
ら区別する特徴的な性質を、過不足なく定義すること」は、しばしば、
意外に難しい。「新聞とは何か」と問われれば、多くの人が、具体的な
新聞の名前を挙げるに違いない。
(2)全国紙は「新聞」であろう。各都道府県には、その地域で流通す
る県紙(東京近県だと「神奈川新聞」「千葉日報」など)があるが、こ
れらも「新聞」であろう。スポーツ紙や夕刊紙も、キオスクの新聞売場
に置いてあるから、「新聞」であるにちがいない。ここまでは常識で判
断できる。
(3)では、次のようなものは「新聞」だろうか? 「サンリオのいち
ご新聞」「AKB48新聞」(前者は書店、後者はコンビニにあった)
あるいは、「小学生の作った学級新聞」「各家庭に無料で配達されてく
る、周辺の商店の広告が掲載された、新聞のような外観の定期刊行物
(首都圏だと「ショッパー」とか、地名が入った「○○リビング」な
ど)」「自治体の広報」(広報紙)。具体的に、どれが新聞であり、ど
れがそうではないのか。そして、それらを区別する基準はどこにあるの
か。具体例を順番にみていく:
(例示:「小田急沿線新聞」。月2回刊行。)広報紙
(例示:「成城大学新聞」。学校新聞にはさまざまな種類がある。)
(例示:学会等のニュースレター。会員向け、つまり不特定多数向けで
はないので、新聞というよりも、連絡紙の性格があるが、ニュースは掲
載されている。上、アメリカ世論調査学会。下、国際コミュニケーショ
ン学会。)
(例示:無代紙の実例。「リビング」と「ショッパー」。広告収入モデ
ルに依存するので、題の真下に、発行部数(=広告媒体価値)が明記さ
れている。)
(例示:地域の篤志家などが発行する地域紙の一例。無料であり、郵便
受けに入れられていることが多い。)
(例示:競馬新聞「馬三郎」。「デイリー・スポーツ」が発行している
らしい。)
(例示:釣り新聞2種。専門紙や趣味の新聞には、店頭販売や宅配でな
く、郵送のものもある。)
(例示:県紙の例。各都道府県にある。全国紙と併読されることが多
い。)
(例示:5大全国紙のひとつであるが、内容的には経済紙の性格が強
い。早期からデータベース化など実施。)
(例示:東京新聞は、名古屋にある中日新聞社が東京で発行している。
他に北陸でも発行しており、複数地方(この場合は名古屋、東京、北
陸)にまたがって発行されている「ブロック紙」と呼ばれる新聞であ
る。他には、北海道新聞(北海道全域)、西日本新聞(九州全域)など
がブロック紙と呼ばれる)
(例示:以上3紙を、3大全国紙と呼ぶこともある。かつては「朝毎時
代」があったが、「読」の部数攻勢で、「朝読時代」になって久しい。
発行部数1千万部の世界最大規模になったこともある。)
(例示:全国紙であるが、夕刊はすでに廃止した。また、ネットで閲読
可能なシステムを早期から用意したりしている。)
(4)じつは「新聞とは何か」は、それほど自明な問題ではない。日本
語で「新聞」という言葉は、元来は「ニュースnews」を意味するもの
だった。つまり「最近の時事的な出来事の消息」といった意味である。
「ニュース」と「ニュースペーパー」は別物であり、後者は「新聞紙」
と呼ばれていた。新聞と新聞紙を混用したために、意味上の混乱が生じ
た部分もある。
(5)原義に忠実に言えば、「最近の消息である「新聞(ニュース)」
を収集し、それを掲載する「新聞紙(ニュースペーパー)」を発行する
組織のことを、「新聞社」と呼ぶ」わけである。この定義だと、
「ニュースを掲載するのが新聞(紙)」となり、上の各種の「∼∼新
聞」は、みな何ほどか「新聞(紙)」だということになる。これは一面
きわめて妥当な認識である。ただし、包括的すぎて識別基準になってい
ない。とはいえ、意外な「新聞」が実在していることもまた事実ではあ
る。
(水産練製品の業界紙の速報、「速報かまぼこニュース」のHP)
(段ボール業界の新聞社、「日刊板紙段ボール新聞社」のHP)
(6)現在では、「新聞(紙)」といえば、ほとんどが、ブランケット
版(全国紙のサイズ)またはタブロイド版(その半分の夕刊紙サイズ)
で印刷される、中折り部分が綴じられていない、新聞用紙に印刷された
印刷物である。このような形状を持った印刷物のことを「新聞(紙)」
と呼ぶのだと思われがちだが、実際にはそうではない。中折り部分が綴
じられた、小型の判型の印刷物で、新聞用紙も使っておらず、一見し
て、今なら「雑誌」とでも呼ばれそうな形状のものでありながら、しか
もなお、「新聞」を自称している印刷物が、歴史上存在しているからで
ある。このことから分かるように、新聞というのは、実際には、必ずし
も形態上の分類ではない。
(例示:宮武外骨が明治時代に発行した風刺新聞「滑稽新聞」の最終
号(「自殺号」となっている)。現在なら「雑誌」と呼ばれる体裁の
「新聞」である。画像出典は吉野孝雄『過激にして愛嬌あり』筑摩書房
1983。)
(例示:パキスタン、イスラマバードの英語週刊紙「MAG」1991
年。都市のエンターテインメント情報が多い。雑誌と呼ぶには大判すぎ
新聞のようだが、カラーページが多く中綴じされ、これらは新聞らしく
ない特徴。MAGは magazine からとったものかもしれない。雑誌と
新聞紙の中間形態というべきだろうか。)
現代の新聞の基本形態は、大判、中綴じなし、モノクロ印刷、日刊、あ
たりだが、その他の例外も多いのが現状。
(7)刊行頻度の問題とも言い切れない。たしかに「新聞」と称される
印刷物の全般的な傾向として、刊行ペースが高いことがある。われわれ
が今、「新聞」と聞いてすぐに思い浮かべるのは、ほとんどが毎日発行
されている印刷物だろう。しかし、これも新聞の定義には当たらない。
週刊新聞や隔週刊新聞や月刊新聞などがある。総じて、規模の大きな新
聞社の新聞は、およそ日刊であるが、しかし、日刊であることが新聞の
条件ではない。日刊ということ自体、印刷工場の能力が向上してはじめ
て可能となった刊行形態であって、日刊が可能となる以前から、新聞は
存在していた。
(例示:最初の日刊新聞、「横浜毎日新聞」1870年。)
(8)では、時事性の問題であろうか。たしかに「新聞」の記事になり
うるのは、ふつうは「新しい出来事」の記録であって、昔の事件や一般
的な事象の記録ではない。つまり、事典やカレンダーの内容は、普通そ
のままでは新聞記事になりにくい。なぜなら、そこには「新奇性」がみ
られないからであり、ニュースの性質のひとつは、この、新奇である
(something new) ということだ。この意味では、一定の時事性を持
たなければ、それは新聞として成立しがたい。
ただし、この時事性というのも程度問題であって、「誰にも普遍的に
興味を持たれる時事性」がある記事は、それほど多くない。受け手の利
害関心に応じて、「時事性」の内実も変化する。キャラクター商品の好
きな学生なら、ファンシーグッズの宣伝紙(例:「いちご新聞」)やア
イドル新聞など宣伝紙・広報紙の記事の方が、たとえば経済紙の株価記
事よりも、「時事性」を持っているだろう。その学生にしろ、就職の時
期には、日頃あまり気にしない企業情報を熟読し、就職後は、再びほと
んど見向きもしなくなるだろう。この意味では、何が新聞かの指標とな
りうる「時事性」も、受け手の利害関心に従って流動し変化するので、
必ずしも確定的な基準とはなりにくい。たしかに、誰にも関心を抱かれ
やすい話題は存在しうるが、それが全てではない。
(例示:新聞社の拡販素材として販売員が配布した、アイドル・ユニッ
トの印刷されたビニール袋。特に若者や単身者の世帯で、新聞の定期購
読率が低下している。そこをターゲットにした販売拡大戦略の結果と考
えられる。)
(9)こうした考察からも推測できるが、われわれの国では、言論の自
由が基本的に保証されている。つまり、意見の公開にあたって、政府な
どからの許可が要らないし、「届け出」を提出する必要もない。という
ことは、どこでどんな印刷物が、「――新聞」という名のもとに印刷さ
れていても不思議はない。「――新聞」という表題は、別に、誰かの専
売特許でもなければ私物でもないので、自由主義体制下では、誰がどこ
で、その呼称の印刷物を無届けで制作してもかまわない(ただし、その
具体的な呼称が、すでに実用化されて、商標登録されていなければ、な
どの条件はある)。
(10)このように、自由主義体制下の新聞のひとつの定義は、「およ
そ新聞を名乗るものすべて」、ということになりうる。重要点:これが
非自由主義体制下なら、政府や支配層によって認可された少数の正当な
「新聞」(=「御用新聞」)と、多くの非合法パンフレットに区分され
てしまう(正当なものは権力が認可したものだけ、となる。このことか
らも、言論は「無届け」で行われるのが自由主義的にいって自然ではあ
る)。以上は、新聞を、形態ではなく機能からとらえる場合には、ある
程度まで妥当な認識である。つまり、マス・メディアとしての形態はど
うあれ、ニュース(「新聞」)を伝えるものは、すべからく「新聞(つ
まりここではニュース・メディア)」である、とみなす発想である。と
はいえ、これではいささか包括的すぎて、形式的な分類としては不便で
ある。
(11)このように、「新聞とは何か」は、一見して自明にみえる疑問
であるが、まさに「言論の自由な性質」のゆえに、その形式的な定義
は、かえってむずかしい。これに対して、「放送」とは、既述したよう
に、まず何よりも「放送電波の認可された発信主体(「局」)」のこと
であり、その限りで間違いようがない(が、近年、音声動画コンテンツ
自体は、有線やネット経由でも配信可能となり、定義がやや錯綜しつつ
ある)。
2)新聞の形態と機能
(1)以上のように、はっきりした定義が意外に難しい「新聞」である
が、いくつかの特徴または傾向性を指摘することならば可能である。形
態と機能についてそれを指摘する。
(2)形態としては、現代の新聞の多くは、ブランケット判またはタブ
ロイド判の、綴じられていない印刷物であって、専用の新聞用紙に印刷
され、長期間の保存を前提に作られてはいない(ただし:縮刷版あり、
ネット記事の「魚拓」も)。部分的にカラー印刷されるが、基本は単色
印刷である(ただし:タブロイド、報道写真、パパラッチ)。それは文
字情報に重点を置いたメディアであって、たしかに新聞写真や報道写真
には、独自の方法論や見識や歴史があるが、紙面の配分からすれば、ど
うしても文字中心のメディアである。扇情的な記事を多く掲載する新聞
を、その判型から、「タブロイド紙」と呼ぶ。じっさいには、スポーツ
紙など、ブランケット判であっても、内容的にはタブロイド紙のような
ものもある。これらは、大胆な多色カラー印刷を使って、人目に立つ作
りをしている。
新聞の形態は、世界中どこでも類似している。
(例示:世界中どこでも、新聞の判型は、しばしば類似している。上:
パキスタン、ラホールで発行されている英語紙 The Frontier Post。
ブランケット判単色刷りの一般紙である。中:同じく、イスラマバード
とラワルピンディで発行されている英語の一般紙 The Nation もブラ
ンケット判で単色刷り。下:イスラマバードで発行の夕刊紙、
Pakistan Observer は、2色刷りのタブロイド判であり、娯楽や生
活情報が多くなっている。)
(3)新聞に期待される社会的機能は、マス・メディアが持ちうるさま
ざまな作用のうち、とりわけ「事実の報道」と「社会批判」であって、
娯楽性や情動の喚起は、第一義的にはそれほど重視されない。ただし、
事実の報道それだけでは、著作物性が弱くなるため、社会批評、論説的
な内容が必要となる。また上に触れたように、事実報道や社会批判に加
えて、各種の創作性や娯楽性をも盛り込んだ創作的な記事が掲載された
スポーツ紙や夕刊紙も存在している。これらはまた、多色印刷や大胆な
新聞写真・見出しなどの採用によって、一般紙にはない独自の個性を主
張している。
(4)「事実報道」の一部は、そのまま広告の機能を果たしうる。マ
ス・メディアの第一の機能は、ある意味では、単純な「事実の報知」で
あって、事件とモノがあふれている現代にあっては、あるものごとの
「存在」を知らせるだけでも、非常に大きな社会的影響を持ちうる。現
代のマス・メディアにおいて、事実報知は、しばしば、広告や批評をす
ら兼務していることがある。
たとえば、前出の、近隣商店の広告や紹介などが掲載された無料のタ
ブロイド判新聞は、一般に「無代紙」と呼ばれるものであり、その内容
は、いわば「消費に特化した事実報道」であるが、つまりは「広告紙」
である、ともいえる。事実、これらの無代紙に、たとえば、あからさま
な社会批判は期待されないし、また、その必要が必ずしもあるわけでは
ない。しかし、事実のみを充分に詳細かつ正確に報知すれば、それはそ
れだけでも社会批判の機能を担いうる。繰り返しだが、ジャーナリズム
の原義は「日記つけ」であり、たとえば30年前の物価が日記につけら
れていれば、それはそのまま、現在の物価を相対化し批判するための基
礎データになる。事実の報知は、この意味で、それだけでも批評性を持
ちうる。ネットのブログが注目されるのは、それもやはり「日記つけ」
行為だからである。=個人的営為としてのジャーナル記録。
(5)とはいえ、たんなる事実報道のみでは、一般にいわれる「新聞」
とは、いささか趣を異にするものであろう。明示的な論評性を持たない
からだ。一般的な「新聞」は、事実報道に加えて、一定の言論・論評機
能や社会批評性をも持つものである。批評性の発露の様式もさまざまで
あろうが、もっとも普通にとられる形式は、一般記事の場合では、ある
事実や事件に対する、記者のコメントとして記事中に示され、あるい
は、より特化した形式としては、記者や社の姿勢を伝える「論説」や
「社説」などの形態として提示される。
(6)世論の造出者としてのマス・メディアには、一定の言論・論評機
能が求められる。加えて、この場合には、批判だけではすまないので、
社会への具体的な提言を行なうことも要請されよう。つまり、「世論を
導いてゆくことで、望ましい社会秩序の実現に協力する者」、社会の木
鐸としてのマス・メディアまたはジャーナリズム像である。新聞メディ
アは、その歴史が長く、歴史的にも政治や言論に深くかかわり、特定政
党と関連して、それを重視してきたため、しばしば「ジャーナリズムの
王者」とみなされる。「自由かつ責任のある、独立しまた自律したプレ
ス」こそは、現代ジャーナリズムの原風景であろう。
ところで、放送は政府の許可制のもとで管理されており、新聞以外の
印刷メディアは、その規模や独立性において、新聞よりも全般に弱体で
ある。このようなメディア状況を前提として、独立性の高い言論・論説
機関としての新聞の社会的機能がしばしば強調されてきた。したがっ
て、一定の優遇措置が取られるとともに、閉鎖的な傾向をもちうる(株
式非上場、テレビは近年公開している:系列の新聞社が多く持株してい
る)。
要約:マスコミ事業は排他的な寡占事業であるため、営利性だけでなく
公益性が求められる。成分などの表示に制限はないが、広告については
総量規制など制約がある。
新聞には、全国紙、県紙、ブロック紙、地域紙、スポーツ紙、夕刊
紙、無代紙、などの種類がある。新聞とは元来ニュースの意味であり、
新聞紙のことではない。このため、形態では新聞を必ずしも定義できな
い。概して大手新聞は刊行頻度が高く、掲載される内容は時事性をも
つ。最初の日刊新聞は横浜毎日新聞だった。新聞紙のサイズは、ブラン
ケット判とタブロイド判が多い。ジャーナリズムの原義は日記つけであ
る。新聞の機能は、基本的には、事実報道と社会批判である。
参考:最近、引退を宣言した、メディア・コングロマリット(複合企
業)「ニューズ・コーポレーション」オーナーのマードックは、数年前
から、新聞の旧体質を批判している。提示
以上、「新聞=そもそもニュースの意味」だったものが、たまたま紙媒
体が主流の20世紀に躍進したため、「新聞紙=ニュースペーパー=新
聞(を発行する会社)」と誤認されたため、新聞=ニュースの本来の性
質、すなわち時事的な消息、新奇な出来事の報道と論評、という側面が
軽視され、新聞社のみが新聞(ニュース)の会社として重要視された原
因を、新聞の定義を検討することから指摘してきた。
本来の新聞=ニュースなので、それが紙媒体で提供されようと、ネッ
ト配信されようと、新聞会社(ニュース会社)の本来の社会的機能=事
実の報知と社会への批判、にとっては本質的なことではない。新聞=新
聞紙、というのが混乱をよぶ20世紀を通しての狭隘な認識だったにす
ぎない。
Ⅺ 新聞の性質2 とはいえ、大手新聞社は、紙媒体に最適化されている。20世紀の名残
である。
「新聞紙を配達する新聞少年」
(例示:1965年の大ヒット曲「新聞少年」を歌う歌手、山田太郎。
芸名「山田太郎」は、つまり everybody という含意だろう。病弱な
母親を励ましつつ、新聞配達をする、貧しい母子家庭の少年を明るく
歌っている。「新聞少年」:作詞・八反ふじを、作曲・島津信男。画像
出典はYouTube。)
他方では、新聞社から販売店へ押し付けられる「押し紙」、廃棄される
「捨て紙」が公正取引委員会から問題視されつづけている。
例:捨てられる直前の押し紙の山。80年代。
例:正当性のあいまいな「無代紙」契約書。不当な割引はしないことに
なっているが、広汎に行なわれていた。80年代。
3)取材網と印刷工場:現状での大手新聞の独自の所有物
(1)大手の新聞社にとりわけ顕著な特性として、自前の「取材網」お
よび「印刷工場」の所有ということがある。これらによって、大手の新
聞の高い独立性が保証されている。大手の新聞社の場合、取材網と工場
に限らず、制作過程のあらかたが自前(専用)であり、ほとんど「丸が
かえ」の体質をもっている。これもまた、新聞を、その他の、とりわけ
印刷メディアから区別している特徴である。
関連する例として:囲碁将棋、スポーツ杯などを援助、協賛。文化事業
スポーツ事業にも影響力をもつ。観光業、不動産業など、多事業に展開
している。新聞事業が赤字でも倒産することはない。
ニュース制作過程に即して、「自前」さをみていく。
(2)取材:現状では変化しつつあると言われるが、大手の新聞社は、
ある意味できわめて一元的に階層化された社会であって、大都市(東京
と関西)の中心に本社を置き、各地方都市に支社、海外に海外支社、各
地にもう少し小規模な支局、さらに数人が駐在している通信局や駐在、
といった順で構成される自前の取材拠点を、全国展開・世界展開してい
る。
こうした人員配置のネットワーク(各地に配備された記者の連絡網)
こそが、これまで新聞社に独自の機構とされた「取材網」である。さら
に、このような自前の拠点に加えて、官公庁などには、「記者クラブ」
と呼ばれる、「その官庁が提供する各紙の記者の待機場所」が設置され
ている。これらを合わせて「取材網」とする場合もある。また、新聞社
の外報部には、常時、海外の通信社から、最新のニュースが入電してく
る。
重要なのは、このような人員配備されたネットワークが、常時維持さ
れていることによって、24時間態勢で、現地の事件を取材し、あるい
は関係諸方面に取材を行えるという点である。新聞社の持つ取材能力
は、このような「現地張り付き主義の取材網」が常時、維持されている
ことによって発揮される。主要駅などに支局がある。
ひとたび事件が発生するや、その連絡が、近くの取材拠点から本社に
流され、事件の性質に応じて、しかるべき人員が本社から派遣される。
特ダネを落とすまいとして、取材競争が展開される。必要とあれば、近
隣の宿や民家を借りて、そこに泊まり込んで何日も取材を続ける(報道
被害の元になることもある)。長期化すれば、テントを張って取材拠点
を設営する。報道は時間との勝負であり、少しでも早く第一報を流そう
とする。そのために大量の人員と資源とが取材に動員される。
(3)編集:このようにして取材された事件は、記者の手によって逐次
原稿化され、輸送やファックス、パソコン通信、時には移動式の衛星通
信など、利用可能なもっとも速い手段によって、本社に送られる。この
手書き原稿は、かつては専用の原稿用紙に記された。判読しやすいよう
にマス目の大きい、ペラ(つまり2つ折りでない)の原稿用紙である。
大量に消費されるため、安価なザラ紙の用紙が使用されたり、各部署に
コピーが必要なので、数枚重ねの複写紙が用いられたりしていた。現在
では、文書のデジタル処理化やワープロ使用のおかげでずいぶん状況が
変ってきているが、基本的な取材・執筆・編集の流れは、抜本的には変
化していないようだ。記者が書いた現場の報道が、記事化される。
この原稿をもとにして、そこからまず各部(政治部、経済部、社会部
など)で内容が検討され、それがデスクや各部長を経由して、整理部や
編成部に持ち込まれる。これらの部が、新聞社の編集主体であって、各
部から上がってくる個別の記事原稿を逐次判断し、どの記事を掲載する
か、掲載するとしてどの程度の大きさの扱いにするか、などといった編
集作業を、全体紙面のバランスを見ながら行っていく。個別の記事に、
この整理過程で見出しやリードが付け加えられ、しかるべき面に割り付
けられ、その他の記事との間で、重要度やその他の要因が配慮され、長
さの調整がはかられる。このプロセスのことをゲートキーピングと呼ぶ
(入稿、編集の「門番」役)。
そして最終的に、ある面の全体に、最初から最後まで、ほとんど 間
なしに、大小の記事が、重要性その他の順番で、並べられていくことに
なる。ここに、メディアとしての新聞紙の第一の特徴である、「ひとつ
の面上に、さまざまな大きさの記事が入り組んで並べられた、大きな紙
面」が作り出されていくことになる。1面、トップ記事、大きな見出
し、特集、社説などが「重要な記事」と判断されている。反対に、謝罪
広告などは小さい(これは「埋没化Burying 」という、まったく合法
な報道手法)。
(4)印刷:かつてこの作業は、実際の鉛製の活字を使って行なわれて
いたので、その手間は、大変なものであった。現在では、この編集過程
も、ほとんどがコンピュータの大型画面上での割り付け作業になってき
ており、一種DTPに類似した労働となっている(過去30年間の大き
な変化:印刷の容易化)。しかし、それ以前には、この工程は、もっぱ
ら即物的な、鉛の活字相手の工業的な工程であった。
それぞれの記事原稿を、鉛活字を拾って、小箱の中に組んでゆき(こ
れを「小組み」という)、さらにそれを、今度は見出し(これは鉛を溶
かしてその都度鋳造する)や、その他の「小組み」と組み合わせて、新
聞紙の一面分まで組み上げていく(これを「大組み」という)。これ
は、コンピュータ化された割り付け・製版技術の導入以前には、非常な
手間と労働力のかかる作業であった(というのも、鉛合金は重いか
ら)。そして、それは、新聞制作のタイムリミットを設定する、きわめ
て具体的な要因でもあった。
(例示:活字。活字用の合金で作られた字母であり、これを大量に組み
合わせて文章が作られていた。いわゆる「活版の金属活字」印刷であ
る。近代世界の原動力となった存在であるが、他方で、マーシャル・マ
クルーハン『グーテンベルクの銀河系』のように、これが近現代に固有
の価値意識をも生み出したという指摘もある。)
(例示:新聞社の文選・組版の工程。鉛合金の活字を大量に使って、多
くの紙面が作られていく。かつて新聞製作の工務は、ほとんど工場の現
場のようだった。画像出典:後藤『マス・メディア論』。)
・「ワープロ革命」(80半ば∼90年代):植字作業が筆者へ移
行 、活字(フォント)の一般化:それ以前は「活字=プロ文章」
・「電子書籍革命」(現在進行中):その他の流通機構への波及
印刷工程もさまざまであり、部数が少ない場合には、大組みをそのま
ま印刷していた。輪転機を使う時には、上のような大組みに、分厚い専
用紙をプレスして、さらにそのネガを作り出す。その原版に、さらにも
う一度、鉛合金を溶かし込んで、今度はカマボコ型の鉛板の表面に、見
開き分が刻印された印刷原版を鋳造する。
こうして出来上がったカマボコ型の鉛板(漬物 を半分に割ったよう
な形の巨大な鉛のカタマリ)を、輪転機のドラムにカポリとはめ込ん
で、輪転機を回転させると、見開き分がどんどん印刷されていく。この
作業を紙面の数だけ繰り返し、折りを入れ、複数の枚数を合せていっ
て、最終的に八面なり一六面なりの新聞となる。
用紙一枚の裏表に印刷して、それをふたつに折るので、新聞印刷の基
本単位は四面であり、半分に切ったサイズのものが、真ん中に折り込ま
れていなければ、総頁数はつねに四の倍数である。これは書物や雑誌の
出版も同様。
およそ大量生産物の量産工程には、どこかに必ず、物質を何度も繰り
返し微分して積分していくといった、ある種異様な反復される生産過程
が含まれている。新聞という文化的生産物においてもこれは変らない。
表立っているのが最終産物の新聞紙だけなので、あまり注目されること
はないが、新聞生産の工程は、まずなによりも、新聞紙の印刷用に活字
を拾い、それを組み合わせて紙に印刷していく、工業生産の過程でもあ
る。
(5)このような印刷工場を、自前で保有していることが、大手新聞社
の特性のひとつである。具体的には、大手新聞社の地下階は印刷工場に
なっており、取材・編集の作業を経て、印刷されるまでに仕上がった原
稿は、下版され、この印刷工場で印刷される。印刷工場はまた、その新
聞が販売される各地にも展開されており、これら遠隔の工場には、フィ
ルムが送られたり、電送されたりして、印刷にかけられる。
そしてこれらの印刷工場は、多くの場合に、新聞社の自己所有になる
ものである。つまり新聞社とは、(ニュースの収集や、記事の執筆・編
集のみを行う場所ではなく)、新聞紙の印刷そのものを行なう場所でも
ある。
このために、新聞業は、産業分類上は「製造業」(=工場)として分
類されており、その限りにおいて、情報産業中いささか異例の第二次産
業だった。これに対して、たとえば放送局は、サービス業という第三次
産業である。このために、図体がやたらと大きいことから、新聞業は
「恐竜」と揶揄されることもままある。
マスコミとりわけ新聞や雑誌など印刷メディアを「プレス」と呼ぶ
が、これはもちろん、印刷機械がもともとプレス機だったからであり
(ぶどう酒を作るためのぶどう搾りプレスだったという)、そこから転
用されたものだからである。
印刷工場の自己所有により、どのような事態が発生しても、新聞を刊行
しつづけられる。このことは、有事などをも想定した、新聞社の高い独
立性、安定性の根本的な根拠となっている。国家への批判、国がどうな
ろうと発行しつづける、という意志が新聞社にはある。
「石巻の手書き壁新聞、米博物館へ 被災後に地元新聞発行」
(例示):米ワシントンの報道博物館「ニュージアム」に展示される
「石巻日日新聞」
東日本大震災で被災した「石巻日日新聞」(宮城県石巻市)が、震災直
後、フェルトペンの手書きで発行を続け、避難所などに張り出した壁新
聞が保存される。報道の原点ともいえる行為だろう。
このような報道への意欲(役に立つニュースを伝えなければならない)
こそが、ニュース屋=本来の意味での「新聞」を報道する記者の意気で
あるが、それが「新聞紙の発行部数拡大」に埋もれる傾向(大企業化、
営利化)はみられている。現在、自前の印刷工場の維持が経営的に困難
になりつつあり、各社の印刷工場の統合や相乗りなどが行われるように
なっている。
「新聞は国境を超える」
(例示:移民とともに活字が海を越える。日系移民の多く住む外国で
は、いわゆる邦字新聞が発行される。「移民新聞」。異国の地で移民の
ニュース欲求を満たすために、重い活字セットが海外へ輸送されるので
ある。「自文化の文字を読みたいという欲望」の強さ。上:アメリカ、
ユタ州の「ユタ日報」社長が、文選をしているところ。下:「ユタ日
報」の例。出典:上坂冬子『おばあちゃんのユタ日報』文芸春秋)
(6)新聞社が自社工場を所有することには、いろいろな理由や歴史的
な経緯がある。そもそも自前の専用工場がなければ、日刊の発行体勢は
困難だったという歴史的事情も大きい。中でもひとつ言及しておくべき
なのは、基本的に、新聞社という組織そのものが、「独立」を強く志向
する組織体だという事実であろう。新聞社のメンタリティは、もしそう
いうものを想定するならば、きわめて独立自存への志向が強いもので
あって、なんであれ「他」に頼ることをいさぎよしとしない。「国家内
国家」のおもむきすらあり、独自の論陣を張り続ける。
これは、戦争中に、国家の国策に協力させられ、いわゆる「御用新
聞」となってしまったことへの強烈な反省意識から、戦後の新聞におい
て、その「独立性」が、きわめて鋭く自覚されてきたことの結果であろ
う。自社の記者、自社の取材網、自社の意見、自社の活字、そして自社
の印刷工場である。当然ながら、つまるところは「自社の言語」という
ことになるが、それすらもすでに、各社が「新聞用語集」を作成してお
り、いわば自社用にカスタマイズされた日本語サブセットを、紙面上の
公用語として採用している。
(例示:各社が発行していたそれぞれの「用語集」。それぞれの媒体で
は、それぞれの用語集に従った「正しい」用語が用いられる。)
(7)配達と集金:新聞販売店は、経営体としては新聞社とは別個のも
のであるが、それでも、多くは特定の新聞社と契約して、特定の新聞を
中心に販売している。たとえば書店で、ある出版社の書物だけしか置い
ていないところがあれば、それはいささか風変わりと思われるだろう。
しかし新聞販売店では、むしろ特定の新聞社の代理店であることは珍し
くない。それだけ特化しているということであり、新聞社からすれば、
それだけ「自前」の度合いが大きい独自の流通ルートだということにな
る。新聞販売店では、いわゆる「新聞少年」を雇用して、各家庭まで新
聞紙を配達する。新聞少年は、新聞社の社員ではなく、また他面では、
地域の折り込み広告の配達者、集金人でもあるが、しかし新聞社「専
属」の度合いは高い。
この過程で、いわゆる「押し紙」「捨て紙」問題が発生する。広告収入
モデルにもかなり依存した経営なので、部数低下は致命的な経営問題に
直結する。捨て紙をしても、公称発行部数を維持したいと考える。
(8)このように、取材→執筆→編集→製版→印刷→販売店への輸送→
各家庭への配達という流れのすべてを、すなわち、事件が記事化され、
印刷されて家庭に届くまでのニュースの生産流通過程のすべてを、いわ
ば「専用」に押さえてあるのが、とりわけ大手の新聞社の持っている特
徴であり、これだけの人員を配備して、ニュースの取材・制作・伝達の
一貫した体勢を整えているのは、マス・メディアでは新聞社だけであ
る。出版では各工程がさらに分業化、分社化されており、放送は、そも
そも「現物」を輸送しない、電波法、放送法に縛られている。ネットは
電気が来なければ無意味化する、また通信法規に縛られている。こうし
た素描から描かれる新聞社像は、むしろコンビニや郵便局や銀行など、
フランチャイズ化された事業所や販売店のネットワークに近いものであ
ろう。
このようなニュースの生産配達ループ中の欠けた部分(ミッシング・
リンク)は、唯一「事件の発生」だけである。事件さえ起きれば、この
周到に整備された連鎖的過程が作動して、ニュースが逐次製造されてい
く。ニュースは「新奇なもの」であるが、ニュースの制作それ自体は、
とりたてて新奇ではない経常業務である。同語反復だが、経常業務は毎
日確実に行われねばならない。ニュースが作れないと、マスコミは困る
ということだ。
(1989、珊瑚KY落書き事件:下請けカメラマンの自作自演だった
ことが発覚。「良い絵」が必要だったことが一因という)
マス・メディアの報道の全てが作為性を持っているとは思われない
し、実際そんなことはないだろうが、この回路は、あとは「事件」さえ
発生すれば、どこまででも循環していけるほどの高い完結性と慣性を
誇っている。そして、まさにこのことこそが、独立自存をめざした戦後
ジャーナリズムの志向した自律性でもあったはずである。だが、反面で
は、それは、時として「ニュースに飢えた反復機械」でもありえてしま
う可能性を持つものでもあるわけだ。
(例示:新聞社は、きわめて独立性の高い組織であり、「会社専用」の
資源を多く保有している。「事件そのもの」と「読者」だけは社外の
「一般人」の中にある)
4)記者クラブと通信社
(1)新聞社が持っているニュース源は、自社の取材網が中心であり、
この取材網には、自前の拠点(支社、支局、通信部、駐在などが全国に
ある)と、記者クラブとがありうる。記者クラブは、官公庁などに設置
された取材拠点であって、クラブ加入記者が、そこに常駐することがで
きる。ただし、記者クラブにはまた、各社の記者が取材先で独自に組織
する、「記者の親睦グループ」という意味合いもあり、このクラブ内
で、記者間に独特の取材協定が結ばれたり、いわゆる「発表待ちジャー
ナリズム」の温床となったり、報道内容の事前の調整がはかられたり、
閉鎖的な体質を持ちがちで他社の記者や外国人記者や一般人を排除する
ことがあるなど、さまざまな問題が指摘されている。
(2)これらに加えて、新聞社の持っているニュース源としては、通信
社からの配信が重要である。通信社とは、いわば「新聞紙を印刷しない
新聞社」のことであって、新聞社と同じように、自前の取材網を使って
ニュースの収集活動を行なうが、そこで作られた記事を、自前の新聞紙
に印刷し発行することはなく、代わりに、その記事を、各新聞社に配信
することで商売をしているニュース企業のことである。
日本国内には、時事通信社、共同通信社といった大手の通信社があ
り、それぞれが制作した記事を、契約している各新聞社に提供してい
る。海外の国際的な通信社としては、英国のロイター、フランスのAF
P、アメリカのAPなどがあり、それぞれの記事を世界中に配信してい
る。通信社の記事は、そのまま掲載されるとは限らず、各新聞社で、適
宜編集して掲載することがある。また、つねに必ず配信した通信社名が
明記されているとは限らない(配信であることが分からないこともあ
る)。
大手の通信社としては、上のようなものがあるが、これ以外にも、多
数の専門化した通信社が、各種存在している。写真通信社といって、
ニュース価値のある報道写真を主に扱っている通信社もあり、こうした
通信社には、さまざまな特ダネ写真が持ち込まれるといわれる。この種
の特ダネ写真を求めて、いわゆるパパラッチによる過剰な写真取材が行
われたり、真偽のあいまいな写真に依拠して、スキャンダル報道が行わ
れたりしているのは周知のとおりである。なお、新聞社に限らず、出版
社や雑誌社なども、日常的に、写真通信社からのニュース写真を購入し
て、紙面に使用している。
県紙程度の経営規模の新聞社では、どうしても自社の持つ取材網の大
きさに限界があり、地元のニュースはあつかえても、全国ニュースや国
際情勢については、独自取材が難しい場合がままある。このような場合
に、契約した通信社からの配信を利用して、紙面作りが行なわれること
がしばしばある。
要約:大手新聞は、自前の取材網と印刷工場をはじめ、生産・流通の多
くを専用で使っている「丸がかえ」体質である。取材記者の人員配備
ネットワークが取材網であり、官公庁などには待機場所「記者クラブ」
が置かれている。24時間態勢で、現地張り付き主義で取材が行える。
取材された記事は、整理部や編成部という編集主体において、見出しや
リードをつけられ、日頃目にする記事になる。かつては、鉛活字を小組
み、大組み、鉛板、と構成し、輪転機で印刷していた。現在ではDTP
的なコンピュータ上での作業となった。印刷の都合から、新聞の基本単
位は4面である。新聞業は、マスメディアとしては珍しい製造業であ
る。
大手新聞社は、とりわけ戦後、独立を強く意識した「自前でそろえたが
る」組織として特徴がある。ただし、契約取り、配達、集金を分担する
新聞販売店は、新聞社とは別個の経営体である。事件の発生以外のほぼ
すべてを自前で確保しているのが新聞社である。
記者クラブには、現地での記者の親睦組織という意味もあり、独自協定
が結ばれたり、排他的になったりするなど問題が指摘されている。
その他のニュース源としては、「新聞を発行しない新聞社」である通信
社からの配信が重要であり、特に地方の県紙などに影響が大きい。
(2016年度は、以後、およそ1回分の、新聞についての講義を、時
間不足で省略しました)。
以上までの講義を要約して:
「放送」:
*公共財の電波を排他的に利用。
*協会の場合は、受像機設置したら契約義務が発生(あまねく条項によ
る)で、受信料を徴収。
*一般放送事業者の場合は、あらゆる消費行動から1∼3%の広告費
が、「スポンサー=集金人」によって徴収され、広告代理店経由で入っ
てくる。この金額が、系列下のローカル局へも支払われる。(ほとんど
の局において、収入の相当部分は広告代理店経由で得られる。)
「新聞」:
*取材から印刷まで、「自社保有」で一貫した新聞製作を行なえる唯一
のマスメディア。
*ただし、販売については別会社の新聞販売店が行い、そこでは押し
紙、捨て紙が日常的に発生(あらゆるものについて、製造数は分かって
も、実売数は分かりにくい)。広告掲載費を高止まりさせるため、発行
部数を減らさないのは雑誌と同様、広告収入モデルの宿命。ここにも代
理店が介在。
*さらに、相当程度は「定期購読契約」。つまり販売店が契約を取って
くれば、定期的な収入が確保される。「単品販売」は駅スタンドなど。
**以上から、放送、新聞、雑誌とも、「単品販売」だけを意識してい
ない。受信料、広告費など、「個々の内容はともあれ、定期的に、別組
織(や協会では別部署)が集めてくる金額に、収入を依存している」こ
とになる→単品販売なら否応なしに「買い手」を意識するが、そうでは
ない。
**単品販売の性格が強いのは、出版のうち、「書籍」である。
ⅩⅣ 出版の性質
20年かけて5000部を売る教科書もあれば、100万部が数ヶ月で
売り切れるベストセラーもある、多様な業界である。(ベストセラーに
は「作り方」がある。好例は、自社買い上げ、CDと同様の手法)。
1)出版業界の分業体制 出版とは、「不定期刊の本格的に印刷・製本された印刷物(つまり書
籍):ISBN付き」および「定期刊の簡便に印刷・製本された印刷物
(つまり雑誌):雑誌コード付き」を、制作・流通させるマスコミ業
界。
メディアとしての定期性に注目すれば、書籍→雑誌→新聞の順番で、
定期性は高くなる。これに対して、メディアの保存性は、逆の傾向をも
ち、新聞→雑誌→書籍の順番で、保存性が高くなる。新聞(紙)は通
例、もともと保存を前提に印刷されてはいない。これに対して、書籍
は、場合にもよるが、そもそも保存されることを前提として製作される
記録媒体である(ISBNコード=国会図書館にて2部を保存)。
出版業界の第一の特徴は、新聞業と比較した場合に明らかになるが、
きわめて多くの分業過程から成り立っているという点に求められる。大
手の新聞社が、いわば「一社丸がかえ」で保有している設備や機構の多
くは、出版においては、おのおのが独立した中小規模の経営体であるこ
とが多く、こうした多数の中小企業の連合形態として、出版業界が成立
している。出版社、編集プロダクション、製版会社、印刷会社、製本会
社、取次店、書店、古書店、などなど。
出版物は、取次店(卸売り)を経由して、書店において販売される。
書店とは、いうなれば出版物の「陳列・販売業者」のことであって、出
版物の売上げの、およそ二∼三割程度が、書店の収入となるといわれ
る。ごく少数の例外を除いて、書店は、出版物を、単に「あずかって陳
列している」にすぎず、それらの出版物を所有しているわけではない。
これを委託販売制と呼んでいる(対語は「買切り制」である)。書店に
おいて「立ち読み」が好まれないのは、ひとつには、そこに置いてある
商品が「借り物」だからである。売れなかった出版物は、取次店を経由
して、書店から出版社に返品される。
なお、「書店」は、70年代まで、個人経営の小規模店舗が中心だった
(古書店街の大規模書店などは例外として存在した)。小売業におい
て、小規模店舗は珍しくなく、消滅する店舗があることも珍しくない
(例:ゲームカセット屋)。
書籍売り上げの全般的な低迷と、他方での量産化に対応するため、7
8年の八重洲ブックセンター開店を契機として、大規模店舗化が進行し
はじめる。これらは販売員を多く雇用する株式会社であることが多かっ
たため、70年代末∼80年代にかけて、一気に、「書店の産業化」が
進行した(書店そのものは単なる小売業であるが、それが企業化し
た)。量産品の流通メカニズムとしてこれが必要な部分もあったわけで
あるが、この時期から、「著者には1割、それを小売りすることで2
割」という産業構造が確立することになる。近年、出版不況が言われ続
けているが、それも、このような産業構造を前提としての不況であり、
いわば「80年代にできた秩序がうまく機能していない」、という意味
でしかない。
例:1冊の書籍の定価からの取り分:書物1冊の価格について、著者1
割、出版社3割、書店2割ていどの取り分である。あるコンテンツを執
筆して得られる金額よりも、それを商品化して、販売することで得られ
る金額の方が多い。
2)出版界の規模 このような多様な内実をもった出版業界であるが、概括的な数字として
は、次のような規模をもつものである。日本には、出版社と呼ばれる会
社が、全国におよそ四千社以上も存在していた。このうち、一九九〇年
度の売上げでみれば、ベスト5は、この順番で、講談社、集英社、小学
館、学研、福武書店(現ベネッセ)である。これら五社によって、四千
社以上ある出版社の、全売上げのおよそ十四パーセントが占められてい
た。さらに、売上げの上位四百社によって、全売上げの七六パーセント
が占められた。ここでも基本的な産業構造は同一であり、「少数の大手
に加えて多数の中小企業」により、全体としての業界が構成されてい
る。ちなみに、全国にある書店の数は、一九八八年の統計で、およそ二
万八千店であったが減少しつづけている。
なお、慣習的な分類であるが、上位の社のうち、講談社は、系列の光
文社とともに、所在地名をとって「音羽グループ」を形成する。小学館
は、系列の集英社、祥伝社および白泉社とともに、これも所在地に由来
する「一ツ橋グループ」を形成している。両者とも、いわゆる総合出版
系の最大手であるが、学術出版を重視した「岩波文化」と比較する際に
は、この一方をその代表例として、大衆出版の「講談社文化」などと呼
ばれることがある(「学術」の対語が「大衆」なのが、この表現の時代
性)。
3)量産化と再販価格の維持
出版物については、大量生産される「量産物」と、それ以外との差が
大きくなっている。
書物は「定価」で販売される少数の商品のひとつ。再販価格の維持が
続いている。(岩波書店によって導入されたもの。)
日本の出版において、きわめて顕著な特徴のひとつは、伝統的に、再
販価格(再販売価格)が堅固に維持されていることである。再販価格と
は、resale priceの直訳であり、resaler とは「小売店」の意味であ
る。つまり、メーカーや取次店が「卸売者wholesaler」であり、そこ
から買って、もう一度消費者に販売するので、小売店のことをresaler
再販者と呼ぶ。ちなみにwholesale price を「卸売価格」と訳すの
で、その対語としては、resale priceは「小売価格」となる。「小売
価格の維持」といった方が、意味は分かりやすいだろう。
再販価格の維持とは、くだいていえば、書店では、出版物を、出版社
が決めた「定価」で販売せねばならず(小売価格を維持せねばなら
ず)、小売店(書店)の店頭で、「本の安売り」をしてはならない、と
いう慣習である。実際には、安売りをしてもかまわないが、すると「委
託販売制」の枠組みを超えてしまう(預かって言われた価格で売るので
はなく、勝手に値付けして売る)ので、返品ができなくなってしまう。
売れなかった余剰在庫は必ず生じるものだが、これまで書店では、返品
して、出版社に戻してしまっていたため、自分には問題とならなかっ
た。
再販価格の維持は、新聞、書籍、雑誌、レコードなどの文化財に加え
て、一部の化粧品や医薬品などについても求められていた。一九五〇年
代以来、公正取引委員会の指導のもとに、独占禁止法に根拠をもつ法的
制度であったが、一九七〇年代に法律が改正されたため、現在では、出
版物の再販価格維持は、かつてほど明示的な法的根拠をもってはいな
い。必ず維持せねばならないというものではなく、出版物の一部につい
て適用する(部分再販)、あるいは期限つきで適用する(時限再版)な
どといった運用が、制度上では可能になっている。ただし、自由化が検
討されてきているが、事実上は変化なし状態が、このところ長く続いて
いる。実際、一九八〇年代には、いくつかの流通業者によって、「本の
安売り」が試みられたこともあったが、結局はほとんど定着せず、現在
にいたっている。例外は、たとえば大学生協での1割引など、限られて
いる。
再販価格制が論議されるのは、それが、本来われわれの誰ひとりとし
てそこから自由ではありえないはずの、基本的な経済体制を超越してい
るからである。いうまでもなく、およそ資本主義経済の大原則とは、
「需要があれば量産され、量産されれば安くなる」ということである。
大量生産とは、同じ規格品を大量に生産することで、一個あたりの製造
コストと売価とを低下させるということである。一般に、価格と生産量
と需要とは、相互依存の関係にあり、動的に変動してゆくものである。
身近な食品の価格をみればこのことは自明であって、大根や白菜は、た
くさん収穫されれば安価になり、市場に大量に供給される。季節食品
は、旬の時期に量産され、その期間にわたって、安価かつ大量に提供さ
れる。冷害で収穫が少なければ、一個あたりのコストが高くなり、その
結果として価格は高騰する。同じ味の食品であっても、食中毒の原因と
されれば、需要が激減し、売価も低下する。すなわち、ここには「決
まった価格」は存在しない。
これに対して、日本における出版物は、ほぼ完全に、「定価」によっ
て販売されている。(海外では、書店での安売りは常識である。)ある
書物が、百万部を超えるミリオンセラーになったからといって、ある時
点で、その販売価格が引き下げられるわけではない。すなわち、この場
合、量産によるスケール・メリットが出ているつまり、量産したので原
価が安くなっているが、その収益は、価格にまったく還元されていな
い。いくら売れても、同じ定価で販売され続ける。なお、「書物は、い
くら大量に生産しても、一定部数を越えると原価が変わらない」という
主張がしばしばなされてきたが、たとえば四千部と百万部とで、製造コ
ストがまるで変わらないというのも、いささか不可解な議論である。
このように、再販価格の維持とは、実質的には、現実の市場動向とは
無関係に、一定の定価が、その商品の流通サイクルの最後まで、同一不
変で維持されることを意味している。変動相場制のもとでは、円やドル
といった通貨ですら、値上がり値下がりを繰り返すのが常識であるが、
出版物は、日本においては、このような価格変動から、まったく無縁の
商品であり、そもそもここには、健全な経済原則が成立していないとす
らいえる。この場合、よく売れる品目は、大量に供給されてもまったく
価格が低下しないので、いわば大きな利益を生み出しつづける高収益率
の品目でありつづける。再販制は、書物の大量生産と結びつき、うまく
ベストセラーを生み出した場合には、いくら増産しても値段が下がらな
いので、たいへん効率的な集金システムとしても作動しうるものであ
る。
例:「600円の漫画本で、初刷が100万部」、これが全部売れれ
ば:
・6億円の収入
・その1割の6000万円が著者へ
・1.2∼1.8億円、2∼3割が書店(全体)へ
・1.8億円、3割が出版社へ
・もし、これを20巻のシリーズ化して、どれも同様に成功すれば、著
者には12億、書店全体には24億、出版社には36億が入る。
このような収益が、再販制と量産化の組み合わせで当然のように期待
できる。それが特にうまく動いたのは、60∼80年代頃までだろう。
量産化傾向、ベストセラー出版としては、60年代の光文社の「カッ
パ商法」(編集者がマーケットリサーチした結果で、著者に内容を依頼
する)、70年代の角川書店の「メディアミックス商法」(原作本と映
画化とタイアップ音楽など複数メディアの組み合わせで売りさばく)が
代表例として知られる。最近では、話題になれば売れる「炎上商法」な
ども。
加えて、われわれの間に、「書物は定価で買うもの」という意識が定
着していることもあって、出版物は、価格競争の波にさらされにくい一
面をもっている。このことによって、日本に独特の出版文化が、現在ま
で維持されてきた側面も大きい。それが近年、立ち行かなくなってい
る。
・出版社の「自転車操業」化による出版点数の増加問題:委託販売制の
限界が生じている。
「本が売れない」にもかかわらず「出版点数は増えていく」矛盾があ
る。80年代には3万点/1年が、2013では8.2万点/1年。3倍
近い発行点数。この原因:
(1)出版社が「A」という本を、たとえば3000部だけ印刷して、
取次に卸すと、いったん取次店から出版社に、この3000部ぶんの代
金が支払われる。
(2)しかし、取次経由で、各書店にこの3000部が配本されたの
ち、けっきょく半分の1500部しか売れなかったとする。すると、の
こり1500部は、委託販売制なので、書店から取次に返品され、取次
はさらにこれを出版社に返品する。そして、先にとりあえず支払った3
000部ぶんの代金のうち、1500部ぶんを、出版社に対して返金請
求する(売れなかったから先払いしたお金をそれだけ返して、というこ
と)。
(3)出版社は、それだけの返金をしたくない(あるいはできない)。
そこで、「次の新刊本「B」を作って、 現物でかわりに支払おう とす
る」(お金で払うのではなく、次の新刊本「B」を納めることで、その
現物で、お金の代理として、支払おうとする)。
(4)この次の新刊本「B」についても、やはり思ったより売れないこ
とが多い。そこで、上のような(1)∼(3)のサイクルが繰り返され
て、さらに、新刊本「C」「D」「E」……が出され続ける。(が、そ
のほとんどは売れないので返本となる)。
(5)つまり、「えんえんと借金しつつ新刊本を出し続けることで、出
版社が、取次への負債金額を、次の出版物の現物を代理として、支払い
続ける」。このため、新刊本を出し続けないとならなくなっている。典
型的な自転車操業で、以前からよくあることだったが、近年、極端化し
ている。
売れない→返本分の赤字を、次の新刊本現物で払う→また売れない→
また次の新刊本で払う→また売れない、というように、「売れないこと
が、次の新刊本の刊行で弁償される」ために、ひたすら書物の刊行サイ
クルと刊行点数が膨れ上がる。これは「良書を長い時間かけて売る」と
いうことの正反対の傾向。「ダメならすぐ次の玉を、また次の玉を、以
下同様」の繰り返しで、返品・在庫と出版点数が膨れ上がり、大量の新
刊が出ては消え、出ては消える。多くの新刊本は、配本されても、もは
や、書店の店頭に並ばず、そのまま返本される。あらかじめ話題性を
作った本だけが売れるので、それ以外は「出した瞬間には、すでに売れ
ないことが決まっている」といわれる。そして長く市場にありつづける
本はごく少なくなる。(70年代でも、まだ、例えば「定番の翻訳を1
0冊すれば、もうあまり働かなくてすむ」的なことが言われていた。そ
の10冊が毎年増刷するので、年金的に収入があるから、それだけでも
暮らせた、ということ)。近年、このようなロングセラーはなかなか出
ない。
以上のように出版業については
1)書籍(不定期刊の本格的製本、ISBNコードあり)
雑誌(定期刊の簡便な製本、雑誌コードあり)
「マンガ本」の一定部分は、「雑誌」である。
2)大量生産(10万部以上)か少量生産(数千∼数万部)かで扱いが
違う:
量産物の場合、先行投資も含めてさまざまな売り出し方がありうる。要
は「話題」になれば売れやすい:意外な著者、著者関係のスキャンダ
ル、別方面で有名な著者の起用、「死人商法」(評判のよい著者が亡く
なった時の便乗販売)、著作権切れ商法、「有名人ならなんでもでき
る」(例:芸能人→出版→その他メディアへ進出→政治家になる、等の
流れ)。
自費出版では、かなりいい加減なものもあるので注意。
雑誌は広告掲載モデルでの収益の部分がある(いわゆる「フリーペー
パー」類は、運営の100%が広告収入モデル、ということ。)
「ベストセラー商法、ベストセラー倒産」:「文化」といいながら、実
際には、「量産物として売りさばく」マス媒体化していることに、抜本
的な問題があるともいえる。
量産物はきわめて一般性が高いコンテンツである。高い一般性とは「コ
ンビニ、キオスクで流通する」。→ だが、文化的(ハイカルチャー
的)といえるかどうか。
3)分業された小規模な多数の会社から成り立つ。
出版社(原稿の依頼、作成、編集)
製版印刷業者(製版と印刷を行う。用紙業者も関係)
製本業者(印刷された紙を製本する)
取次店(本の卸売り業者、大手書店が出資)
書店(定価販売の委託販売、買い切りではない)
4)再販価格の維持(説明済)
5)「物材」としての流通にもはや限界がある
6)「借りて読む」「読んだらすぐ転売」がマーケットを小さくしてい
る。最終的に、「自分で買って、読んでも読まなくても、保管してお
く」という読書習慣が、出版業を維持していた部分がある。そのような
「特別な本」がいまでもありうるのかどうか、ということ。ネット文化
の影響を、もっとも大きく受けているのが書籍。雑誌は広告掲載モデル
で生き延びている。単品販売の代表例だった書籍が、もっとも売れなく
なっている。ただし、もともと大量生産物だったベストセラー本は限ら
れていたので、その意味では抜本的な変化ともいえない。
要約:出版とは、「不定期刊の本格的に印刷・製本された印刷物(つま
り書籍)」および「定期刊の簡便に印刷・製本された印刷物(つまり雑
誌)」を、制作・流通させるマスコミ業界。メディアの定期性は、書
籍、雑誌、新聞の順で高くなり、保存性は、この逆の順で高くなる。出
版業界の特徴は、新聞業と比較した場合に明らかだが、きわめて多くの
分業過程から成り立つ点にある。大手の新聞社が「一社丸がかえ」で保
有する設備や機構の多くは、出版では、独立した中小規模の経営体であ
ることが多い。出版社、編集プロダクション、製紙会社、製版会社、印
刷会社、製本会社、取次店、書店、古書店など。出版物は、取次店を経
由して、書店において販売される。書店での書物の扱いについては、委
託販売制と買切り制がある。
日本には出版社が四千社ほど存在したが、売り上げの多くは少数の大
手で占められる。「音羽グループ」「一ツ橋グループ」「岩波文化」
「講談社文化」など、現場で発生した各種の分類がある。
日本の出版において、きわめて顕著な特徴のひとつは、再販価格(再
販売価格)が堅固に維持されていることである。再販価格の維持とは、
くだいていえば、書店では、出版物を、出版社が決めた「定価」で販売
せねばならず(小売価格を維持せねばならず)、小売店(書店)の店頭
で、「本の安売り」をしてはならない、という慣習である。このことに
よって、日本に独特の出版文化が現在まで維持されてきた側面も大き
い。