をテーマに旅行産業経営塾の卒論 - オーストラリア専門旅行会社オズ

激減!
オーストラリア日本人訪問者数
80万人から30万人へ
株式会社オズ・プロジェクト
岡田 繁
オーストラリア人気低迷の現状
今年は日豪観光交流年である。オーストラリアの観光の今後について私なりに検証し
てみたい。
1997 年は貴乃花が全盛期でタマゴッチが流行り、ダイアナが亡くなった年である。
オーストラリアにとって日本は NO1の観光受入国(80 万人)だったが、2011 年には
5 番目(30 万人)になってしまった。(ちなみに順番は、1 位ニュージーランド)最盛
期は、カンタス航空が成田、名古屋、大阪主要都市に加え、福岡、札幌からの直行便
をシドニー、メルボルン、パース、ブリスベン、ケアンズ、ダーウィンに運航してい
たが現在ではカンタス航空と日本航空の直行便はシドニーのみの運航。LCC のジェッ
トスター航空が大阪と成田からケアンズとゴールドコーストに直行便を飛ばしている。
年末年始の大手旅行社の新聞広告にもオーストラリアは殆どない状態。クラスメイト
吉岡君の道祖神ではバイクのツーリングツアーが年間 300 人送客していたが、今や 0
になってしまったとのこと。仲間達のハネムーンはオーストラリアが定番だったが、
それも遠い昔の話。エリマキトカゲに代わる珍獣よ出てきておくれ!!
2012 年 9 月、ワイルドフラワー見学ツアーでモンキーマイヤーを訪問。久しぶりに
30 人ほどの日本人グループと遭遇する。街中でなく、こんな場所でと少し驚く。単な
る観光でなく目的のある旅は健在なのか?
パース行きの機内では 8 人程のシニアグループと一緒になる。話をするとパースと
グレートバリアリーフを 8 日間で旅するという忙しいスケジュールであった。パッケ
ージツアーから個人旅行のスタイルが増えていることを感じた。とくに旅慣れたリー
ダーが仲間を連れて行く旅が増えている。
私の出身白井市の友好都市への中学生派遣は 1993 年より継続中で 693 人の中学生
がオーストラリアへ 506 人のオーストラリア人が白井へ来ている。おそらく日本一交
流が盛んな市である。メルボルンのホテル宿泊をカットするなど旅程の内容は縮小し
つつあるが姉妹都市のイベントは観光と違い流行り廃りがないらしい。
年間 8000 人前後の若者がワーキング・ホリデー制度を利用してオーストラリアを訪
問している。留学も多く、この国の訪問者の年齢層別では 15 歳から 29 歳までが断ト
ツの 1 位で 38%を占めている。また、彼らはリピーターとしても貢献している。オー
ストラリアにとってこの制度がなかったら、どれほどまでに日本人客の数字が落ちて
いたことか。若者は神様です。
オーストラリアの魅力はなんだろう?
オーストラリアは若い世代から絶対的な評価を受けている国である。
美しいビーチを中心として大自然、治安が良く清潔感にあふれた町並み、そして何
より、自由な雰囲気のなかで生活を楽しんでいる人々の暮らしぶり。あわただしい日
本の生活になじんだ人には、この国を包むゆったりとした時間の流れと、恵まれた自
然とともに暮らす「豊かさ」に憧憬の思いを抱かずにはいられないだろう。
オーストラリアには世界中を知る「旅の達人」というべき人が好むであろう地域が
多いし、プライベート感覚あふれるヨーロッパの高級マナーハウスのようなホテルも
多く存在する。ビーチを中心とした若者好みの町以外にも、旅心を満足させてくれる
美しい町はたくさんあるし、少し足を延ばせば、世界遺産も数多く、他の国には見ら
れない大自然の美しさを堪能することができる。
ゆっくりとした時が流れる国での旅らしく、あくせくせずにオーストラリアを旅す
ると、ここは単に若者にとってパラダイスだけではなく、世界中を知り尽くした人々
にも絶好の訪問地であることがわかる。
オーストラリアは、これからの時代が求めるであろう旅の姿を満たす要素を潜在的
に持ち合わせていることが、おわかりいただけると思う。それは、駆け足で各地を見
て回る旅からの脱却である。暮らすように旅する長期滞在型の旅やセルフ・ドライブ
といった自分流の旅の実現だろう。シニア・トラベラーの急増、リピーターの増加に
よる成熟した日本の海外旅行マーケットに対して、オーストラリアはそういった提案
を最もしやすい国であり、満足度の高い旅を提供できる国である。
暮らしてみたい国と旅してみたい国が、並列に語られるようになってきた今、オー
ストラリアはその最前線でもっとも脚光を浴びている国なのだ。
オーストラリア「大人の旅」への誘い
菊間潤吾(監修者)より
まさに、私が言おうとした内容だったので抜粋させていただいた。菊間さんは、アデ
レードのガイドブックなども書かれており一度お会いしたい方である。セルフ・ドラ
イブは私も一押しである。この国を旅するには自由なセルフ・ドライブが一番である。
私の知人の夫婦は 50 歳で教員と市役所職員の職を捨てて、大蝙蝠の研究がしたくてキ
ャンピングカーでオーストラリア一周の旅に出た。それは
それは、素晴らしい旅だ
ったと話している。大蝙蝠や何億年も前から生息している植物が街から車でわずかの
場所で観察することができるのが大きな魅力らしい。
イタリアが好きで 50 回以上訪問しているオーストラリア政府観光局のスタッフと話
をした時に言われたことは、シドニー、メルボルンなどの街々は確かに美しいが、世
界中には似たような素晴らしい場所が沢山ある。オーストラリアが誇れる場所、それ
は、カカドウ国立公園、エアーズロック、タスマニア、そしてカンガルー島である。
これらは、世界中を探してもない場所、これらの場所は車でなければ行けない場所で
ある。交通ルールが日本と似ているので自らの運転もアメリカのような違和感がない。
そして私がオーストラリアの凄いと感じている事は、200 カ国以上の移民が喧嘩もせず
に仲良く暮らしていることである。それぞれの移民の国の文化、良いものは積極的に
取り入れる懐の深さが好きである。例えば、日本では西洋医学以外は認められていな
い風土があるが、オーストラリアには良い医療は全て取り入れる統合医療が盛んであ
る。それに治安が良く、法の下では誰でも平等である。時差がなく、季節が逆なのは
シニアの人たちにとっても魅力的である。
私とオーストラリアとの関わり
大学卒業後、体育教師になる前に世界を観たく、ワーキング・ホリデー制度で初め
てのオーストラリアへ訪問する。ヨット好きの私はアメリカンズ・カップイアーの西
オーストラリアを訪問地と決めて渡豪。日本からの鮪船相手の仕込みやでアルバイト
をする。1000 ドルで購入した車や長距離バスを利用して、東海岸とエアーズロック周
辺を旅する。牧場でも住み込みのバイトなどをする。
帰国後、社団法人日本ワーキング・ホリデー協会の職員としてオーストラリアへ行
く若者への情報提供、来日しているオーストラリア人に職業の紹介をする。現在オー
ストラリアには、この時の仲間が旅行業の仕事をしている。
その後、オーストラリア誕生の若者相手の旅行会社エスティーエートラベルに転職。
外資系の旅行会社は、オーストラリア人やワーキング・ホリデー、留学帰りのスタッ
フが多く自由な雰囲気であった。ここで、私はグループの営業をさせていただく。初
めての添乗はゴールドコーストへ建設会社の社員旅行であった。初めてのツアー企画
は、メルボルンマラソンツアー(結果は私と大学時代の同級生の二人)翌年は、
「走る
添乗員が同行します!」で 50 人近くの集客に成功。日本体育大学ライフセービング部
230 名をマンリービーチで合宿させた仕事が一番の思い出である。それ以外に、中央学
院大学ゴルフ部のパース合宿、大学生準公式野球チームのゴールドコースト・シドニ
ー遠征、東海大付属菅生中学校のダーウィンへの修学旅行、松戸市・沼南町・白井市
の姉妹都市訪問ツアー、カウラへ高校生野球チームやラグビーチーム派遣。
オーストラリアに訪問する機会がずいぶん増えた。
平成 15 年 6 月 10 日オーストラリア専門旅行会社オズ・プロジェクトを設立。
「クラブ・オーストラリア」を設立
今から5年前に、オーストラリアの人気を回復する為に俳優の柴俊夫さんと仲間達と
一緒にクラブ・オーストラリアを設立した。入会金 1.000 円で年会費はない。現在会
員は 1200 名ほどいる。目的はオーストラリアの広報活動や送客である。
主な活動内容

毎月第3水曜日の定例飲み会
場所は六本木の「アウトバック」毎回講師をお呼びしてオーストラリアの話をしてい
ただく。参加者は毎回15名前後

オーストラリア大使館庭でのお花見 BBQ やクリスマスパーティーの実施 200 名前後
(ビクトリア州の山火事、QLD 州の洪水等のチャリティーを兼ねて)

ワインセミナー

オーストラリア旅行(メルボルン、カウラ)
旅行会社が今まで企画したことのない旅程をスタッフが知恵を出し合い決定
約 20 名が参加する。
(ビクトリア州の山火事で多くの動物が被害にあった動物園訪
問寄付をする。メルボルンマラソンのウォークに参加、12 使徒でサンセット見学

オーストラリア・フェア(東中野のトラベルジャーナルの校舎にて 2 回程開催する)
ゲストスピーカーを招いて講演、オーストラリア関連のミュージシャンのコンサート
各教室にてオーストラリアの商品販売、留学・WH・ロングスティー相談会
地下の食堂でワインパーティーなど
オーストラリアの企画
まずは弊社のある地元の中野から発信しよう!
日豪観光交流年の今年、中野に大学が 3 校、キリン本社がやってくる。オーストラリアを
アピールする良い機会である。現在、ブロードウェイ,中野サンプラザ、キリンと弊社で
この中野でオーストラリアに関するイベントが出来ないかミーティングを行っている。あ
くまで企画段階である。将来的に姉妹都市提携が出来る事を目指したい。
① 2013 年 6 月6日(木)中野サンプラザでオズ・プロジェクト 10 周年感謝パーティーを
開催決定。沢山のオーストラリア関係者に来ていただく。オーストラリアの商品を集め
る。そこに国際交流協会、中野法人会や商工会議所、ロータリーの人たちにも来ていた
だき、中野とオーストラリアの関係づくりをしていただく。
② ブロードウェイでオーストラリアをアピール
ブロードウェイの天井からコアラをぶら下げる。ポスターを貼る。お客様をオースト
ラリアご招待。オーストラリア商品販売コーナーを設ける。
③ 中野サンプラザの前の広場でオーストラリア・フェアの開催
オーストラリア・ワイン、オージービーフ、オーガニック商品、旅行、留学/WH、スポー
ツ等オーストラリア関係団体が出展する。
これからのオーストラリア送客に向けて弊社が出来る事は何か?
オーストラリア専門旅行会社を立ち上げて 10 年目を終えようとしている。皆様のご協力の
下でなんとか生き延びている状況である。正直、独立前の方が給料もよかったが今は自由
の身であり、上司の許可がなければ出張にも行けない状況ではない。お蔭さまでオースト
ラリアにも随分と出かけて色々な体験をさせていただいた。今後はこの体験を必ずや生か
していきたいと考える。
① 50 歳の記念イベントに 2 ヶ月間のオーストラリア個人視察旅行実施
普段の添乗や政府観光局主催の研修ツアーでは出来ない体験をする為に 2011 年 12 月~
2012 年 2 月に実行した。長年の夢だったメルボルンで生活体験、マレー川カヌーマラソン
参加、アボリジニ居住区へ訪問、全豪オープン観戦、お客様と合流してタスマニアとカン
ガルー島ドライブの旅、シドニー~メルボルン、メルボルン~アデレードへの鉄道の旅、
スピリットオブタスマニアでメルボルン~タスマニアへのクルーズ。ブルーム訪問、マー
ガレットリバーのルーインエステート・コンサート鑑賞など。20 代の若者に戻ったような
気持ちで、仲間の家やバックパッカーに宿泊しながら無駄遣いもせず親父旅人を演じた。
大手企業では長期勤続のご褒美に長期間の休暇がもらえる所もあるらしい。是非、我が
旅行業界こそ長期休暇を与えて、彼らの好きな旅を私のようにさせてあげたら良いと思う。
② ケアンズ To カルンバ 780 キロ・チャリティーバイクに視察として参加
政府観光局からの要請あり、他社は誰も出してくれないと言われ参加決断する。
300 人近くのオーストラリア人達と 7 日間、サイクリングやキャンプで親交を深める。
100 回以上もオーストラリアを訪問しているにも関わらず、これほどまで深くオージー
達との時間を共有したことがなかったので、彼らの文化や考え方がわかり勉強になった。
例えば、キャンプ場での夕食の時間。テーブルの上にキャンドルを置きワインを飲み会
話をしながら夕食を楽しんでいる。かたや自分は、木の切り株に座り黙々と食事をして
いる。彼らは人生を楽しむ術を知っている。このチャリティーでさえ、楽しんでしまっ
ている。なんとか、このイベントに日本の若者を連れて行きたい!
ちなみに、今年は若者でなく 3 人の会社経営者が今年のイベントに参加表明して
くれている。将来的にはこの参加者が中心になって東京から八戸までチャリティー
バイクのイベント開催が出来たらいいなと考えている。
③ 親父と息子の絆を深める旅
仕事が忙しくて子供たちとの会話がない親父は多いと思う。私は息子たちが小学生の頃
は少年野球のコーチとして、週末はいつも一緒だった。キャンプや家族旅行も沢山してコ
ミュニケーションは取れていたはずなのに、長男が中学生になって少しグレ始めてから会
話が少なくなり、高校生になると完全に心が離れてしまった状況になった。これはまずい
と思い、長男が19歳の時にキャンピングカーでケアンズからカルンバまでの親子二人の
旅を決行した。息子には「親父と息子の絆を深める旅」商品企画のため付き合って欲しい
とお願いして同行してもらった。ケアンズを出発して二人で交互に運転しながら目的に向
う。キャンプ場で彼が作ったカレーライスを初めて食べる。飯を食ったらすることがない
ので、近くのバーに飲みに行き初めて親子でビールを飲んだが、彼は俺よりアルコールに
強いのに気がつく。母親とのオーストラリアの出会いの話や彼のガールフレンドの話を聞
く。グレートバリアリーフの海を一緒にシュノーケリングをしたり、真夜中に月の明かり
で影が出来る広大なビーチを歩く。そんな二人の時間が過ごせるなら時間もお金もおしく
ないと感じた。長男はその後ワーキング・ホリデーでオーストラリアに渡り一年間ピッキ
ングをしながら車で旅をする。現在は2ヶ月間の予定でメルボルンのワイナリーで勉強中
である。将来は自分でオージーカフェを経営したいと目的も決めた。いつの日か、彼のカ
フェでオーストラリアの旅に出掛けるお客様が集まるような日が来ることを願っている。
実は今、ダーウィンからアデレードまでの3000キロを20日間かけて親父と息子で
ドライブの旅をする企画を考えている。実施は夏休みを狙い、毎年絆を深めたい親子がや
ってくるような企画である。
④ これぞ本物のオーストラリアの体験
私は普通では行けないアボリジニー居住区に友人に連れて行ってもらい、3泊する体験
をしたが、宿泊したゲストハウスにはクーラーやテレビ、冷蔵庫もあり、マルロ・モーガ
ン著作「ミュータント・メッセージ」
(全米ベストセラー)1人のアメリカ人女性が灼熱の
大地で体験したアボリジニ族との120日間の世界とは大分かけ離れていた。それでも、
車の前を横切るイグアナを見つけた時の彼らの行動には驚かされた。後部座席に乗ってい
た年配の女性から車を停めるよう命令、彼女は助手席にいた 15 歳の少年に棒を探してくる
よう支持すると草むらのある方向を指差している。車を止めてから既に 1 分以上は過ぎて
いる。まさか、あんなところにいるわけがないと思ってみていると、少年が棒を振り下ろ
した先には口から血を出したイグアナがノビテいた。現在では居住区にあるスーパーにて
一本 5 ドルでカンガルーの冷凍シッポを購入することが出来るが、まだまだ彼らのハンテ
ィング能力は衰えていないようだ。この後、子供たちと雨で溜った池で水遊びをしている
間にたき火を始め、イグアニアとカンガルーのシッポを丸焼きにして食べさせてもらった
が、これぞ、まさしくオーストラリアでなければ出来ない体験だったと思う。アリススプ
リングスから車で300キロも離れた砂漠の中にある村のため、周辺には街灯もなく、満
天の星が美しく沢山の流れ星を見ることも出来た。
アボリジニー居住区でボランティアをしている若者達にも会えた。彼らは子供達と一緒
に勉強したり、絵を書いたり、音楽を聴いたり、スポーツをしたりしていた。日本の若者
にもチャンスはあると思う。大いにチャレンジして欲しい。
⑤ 女性の小グループ ドライブの旅
ここ 2 年間で同じグループのお客様が 4 回もオーストラリア旅行をしてくれた。いずれ
も私がレンタカーを運転してのドライブの旅である。60 代、70 代の女性 4 人~6 人のメン
バーで、第1回目はダーウィン、カカドウ国立公園、キャサリン渓谷の 8 日間の旅。ダー
ウィンの友人宅で夕食をご馳走になり、彼女の友人のマンゴ農家に寄らせていただいたり、
ジムで一緒にエアロビックスをしたりと大自然と人との交流がミックスされた面白い旅だ
った。第2回目はタスマニア一周の 10 日間の旅。雨にたたり、川の洪水で旅程を変更した
りトラブルの多い旅であった。汚れた車をお客様が掃除してくれたのは嬉しかった。第3
回目はメルボルンから鉄道でアデレードへ移動。カンガルー島での2泊3日のドライブの
旅。多くの野生動物と遭遇した。アデレードでは無料の自転車を借りてリバーサイドをビ
ーチに向かってサイクリング。天気も良く皆さん大満足。第4回目は西オーストラリア・
ワイルドフラワー11 日間。世界遺産のシャークベイまで花を探して往復 1600 キロのドラ
イブの旅。旅程中はスーパーマーケットで食料を調達して私とアシスタントの息子と二人
で料理も作った。モンキーマイヤーリゾートではテニスをしたりシーカヤックを漕いだり
とリゾート・ライフも体験した。
大人数のパッケージツアーにはない自由な旅のスタイルである。しかも専属の添乗員
&ドライバー&コックが同行している。言葉の不自由はないし、レストランの場所も探す。
痒い所に手が届く旅である。旅行代金は安くはないが楽しんでいただけたからこそ、弊社
を使って 4 回もオーストラリアを旅行してくれた。
「感動のある旅」「思い出に残る旅」が
少しは提供出来ているかもしれない。
⑥ インバンドもあるぞ!!
9 月にシドニーから女子野球のチームが来日して交流試合を予定している。弊社では、対
戦相手を探し、宿やバスの手配をしている。私は過去にも3回ほどシドニー野球チームの
お世話をしたことがある。第2次世界対戦中に NSW 州のカウラには日本兵の捕虜収容所が
あり、脱走事件で 240 名弱の日本兵と 4 名のオースオトラリア兵が亡くなるという事件が
あった。現在このカウラには日本兵のお墓があり、カウラ市民が管理してくれている。日
本兵は草野球をしていたということから、日本の高校生野球チームをカウラに連れて行き
スポーツ交流をしたことがある。そのお礼にと直江津市にあるオーストラリアの捕虜収容
所があった記念公園にシドニー
野球チームが来てくれて、直江津高校の野球部と交流試合が実現した。
先日は白馬スキー場に視察も行った。宿泊したホテルはオーストラリア人とロシア人だ
けで、日本人は私と従業員だけであった。夕食に訪れた焼肉屋、客はオーストラリア人で
満席。従業員もオーストラリア人であった。ホテルの方に何故にこのような状況にとお聞
きしたところ、ニセコがあれだけの人気が出たのだから白馬にもチャンスがあるはずだと
7年前にオーストラリアに営業に出かけたとのこと。一歩踏み出したからこそ、このよう
に結果が出ている。こうしてオーストラリア人が日本に興味を持って来てくれていること
に感謝したい。日豪交流を盛んにすることにより、多くの日本人もオーストラリアに興味
を持ちはじめ、いつの日かオーストラリアへ訪問してくれるだろう。
まとめ
塾を通じてこの一年間で多くの旅行会社の先輩や若者と仲間になる事が出来た。これが
私の一番の財産である。個々で出来る仕事などはたかがしれている。オーストラリアに関
する情報、ネットワーク、そして私自身の体験を宣伝力がないばかりに全く生かされてい
ない状況であるのが歯がゆい。今後は、各社の強みを生かしてチームを組んでの仕事が出
来たら良いなと熱望している。皆さんの智恵をお借りして多くに日本人にオーストラリア
の魅力を感じて頂けるような仕事をしていきたい。