タイ王国における家族と少年非行 (427KB

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タイ王国における家族と少年非行
千葉少年鑑別所
犬 塚 石 夫
1 タイ王国の概況
かってシャム(Siam)と呼ばれたタイは1932年のクーデターによって絶対王制から立憲君主
制へと移行し,さらに1939年には国名をタイ王国(Kingdom of Thailand)と変更するなどの
変遷を経て現在の主要な国の枠組みができあがっている。
その後度重なるクーデターが繰り返えされ,憲法は頻繁に改正されてはいるものの,有力な軍
人や政治家の権力争いの域を出ておらず,基本的な政治や社会の仕組みに大きな変化は認められ
ない。憲法上国家元首とされる国王は直接政治に関与はしないが,国民から絶大な尊敬と支持を
得ており,仏教の最高の擁護者でもあって,その影響力は極めて大きい。
人口の8割強を占めるタイ族を中心として,中央部に華僑やイソド人等,マレーシアと国境を
接する南部にイスラム教徒であるマレー人 北部に多種の山岳民族が生活しているが,政府の同
化政策や混血によってしだいにタイ人化が進み,タイ語が共通語として用いられている。また,
タイは仏教の国と言われるように,仏教が事実上の国教として位置付けられており,国民の9割
強が仏教徒である。
日本の約1.4倍にあたる国土に約5千500万の人口をもつが,一般に人種や言語,宗教の面で複
雑な構造をもつ東南アジア諸国の中にあって,植民地化されたことのないタイは比較的統合の進
んだ等質度の高い国と言うことができる。
しかし,タイは基本的には米作を中心とする農業国であるが,農業の多角化とその地位の相対
的低下,さらには外国資本の進出に支えられた工業化が進むとともに,輸出産業や観光事業等の
拡大ともあいまって急速な社会変動が進行している。全般的にみれば所得や生活水準は急速に向
上し,バソコク市内には豪華なホテル,デパート
,オフィスビルなどが林立して一見東京と余り
変わらない景観を呈しているが,こうした急激な変化は,能力・資力・学歴のある恵まれた者に
より多くの恩恵をもたらしている。そして貧富の差や都市と農村の格差が一層拡大し,さらに都
市への人口移動に伴う農山村の過疎化,都市の住宅密集地域(スラム)の増加といった現象が麒
著に現れている。
2 タイ王国の豪族
(1)「ルースな社会」
アジアの国の中でも日本や中国,ヴェトナムなどは,一定の図式にそった人の結合が比較的緊
密な社会構造をもっているが,タイは個人主義的色彩が強く,一人一人の行動の許容範囲が広い
社会とされている。これは,米国の人類学者エソブリー(John F.Embree)が1950年代に行っ
た研究結果から,タイの国を「緩やかな構造をもつ社会システム(loosely structured social
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system)」と規定して以来特に注目されてきたことである。日本のように地縁,血縁,各種の
組織を介した人の結び付きが極めて緊密な社会では,権利や義務,相互援助などをめぐって複雑
かつ強力な拘束が外部から加えられ,これに従わない者に対しては有形,無形の社会的制裁が加
えられるのが当然と考えられてきた。
しかし,このような外的枠組みによって個人の行動が拘束されることが少なく,社会的な結合
の弱い,いわゆる「ルースな社会」にあっては,規則や組織に合わせた順応的行動はとかく不得
手となり,各個人が自由に振る舞うまとまりのない社会として認知される。
時間厳守,規則の公平な適用,厳格な責任と義務の観念,規律正しい団体的行動,組織への忠
誠などがそれほど重要視されない社会であることは,タイを訪れる多くの外国人によって体験さ
れていることである。
他人の事柄に関与,干渉せず,個人中心の価値観に従って行動する傾向の強いタイの社会は,人
の結合や組織との関わり方といった点において,日本とはかなり異なっているということができる。
(2)ルースな社会の家族
社会の重要な構成単位である家族の在り方は,当然ながら上述のような社会的特徴の影響を受
シナている。
日本の家族と異なる特徴の第一は,家族集団の成員の規定がそれほど明確ではなく,その結び
付きも弱いという点である。
統計的にみれば夫婦と子供によって構成される核家族が多いが,結婚しても届けを出さず,あ
るいは同居もしない夫婦の在り方がそれほど不自然とは考えられていない。
異性関係を見る目も比較的おおらかで,複数の家庭をもつ男性も少なくないが,厳しい人間関
係や世間の思惑等に拘束されない生き方が許容される社会であれば当然ということもできる。こ
うした場合,子供は妻あるいは妻の親が養育するのが普通であるが,夫婦関係よりも母子関係の
方が強いと言われる所以である。
子供が早くから独立して親元を離れたり,近親者の相互援助のため一つの生活単位である所帯
に幅広い親族が加わったり離れたりしながら,成員が変化し,家族が構成されるということになる。
感情表出を抑制し,人との争いを避けることが最大の美徳とされるタイ社会の文化的伝統の影響
もあるが,日本の家族と比して当然ながら成員同士の間で激しい対立や感情的な緊張が高まるこ
とは比較的少ないと考えられる。
第二の点は,一部の学者によって双糸制と指摘されているが,父親を中心とした家族としての
系譜性を欠き,どちらかというと母系制に傾くということである。
地域による差は認められるものの,特に東北タイでは伝統的に男子は相続権を放棄して婚出し,
女子は結婚しても親と同居ないしは同じ屋敷地内に居住して,最後に残った末娘夫婦が親の世話
をするといった形態がとられている。
このような家族形態をとる社会にあっては,父親を軸とするタテの関係,すなわち家父長的な
権威や家系といった考え方はそれほど重要視されず,長男や男子に特別な役割や義務が期待され
ることもない。日常生活面においてはむしろ母親と娘の結び付きを中心として,兄弟姉妹の序列
に関係なく,比較的平等な立場でその時の必要に応じた親族関係が柔軟に維持・形成されてゆく
ことになる。
しかし,バソコク首都圏においては,中国系タイ人が多いこともあって親や年長者を大切にす
タイ王国における家族と少年非行
るという考え方が強く,子供特に娘は家計を援助したり親の面倒を見たりする役割が強く期待さ
れている。
(3)変化を強いられる家族
日本の伝統的な家族の在り方とはかなり異なった特徴をもつタイの家族にも大きな変化が現れ
ている。最も顕著な影響を与えている社会変化は,都市への人口移動と貧富の格差の拡大である。
外国資本の進出に支えられた工業化や第三次産業の隆盛は,交通及び流通手段等が比較的整備
されたバソコク首都圏に集中しており,さまざまなレベルの就業人口を急増させている。こうし
た都会の「引き付け要因」に加えて,農山村の慢性的貧困が「押し出し要因」となり,若年者の
都会就職や単身者の出稼ぎに止まらず,家族ぐるみの移住が進行して,バソコク首都圏の人口は
約600万に達している。タイの第二の都会である北部のチェソマイの人口が約20万であることを
みれば,凄まじい一極集中であることが分かる。
能力・資力・学歴のある恵まれた者はますます機会を得て上昇するが,地方からの移住者は賃
金の低い単純作業や肉体労働から抜け出すことができず,質の悪い住宅密集地域(スラム)を膨
張させる結果を招いている。
出稼ぎや家族の移住に伴って,夫婦の別居・離婚,家族の離散,子供の遺棄といった現象が増
えているが,生活の基本条件の整備を欠いた都会の無秩序な人口膨脹はむしろ大多数の都会居住
者の生活の質を悪化させ,都市及び農山村の家庭の崩壊を促進しつつあるものと考えられる。
3 年少者をめぐる問題
会変化は家族の変様・崩壊をとおして弱者である年少者に大きな影響を及ぼしている。
厳しい生活条件の中でその日暮しに追われ,しかも家族成員の結び付きが比較的弱いタイにおい
ては,多くの青少年は日本のように親から手厚い保護を受けることもできず,むしろ早くから自
急速な社
立。自活するのみならず,労働力や生活費の稼ぎ手としての役割を担うことが期待されている。
義務教育は小学校6年までで,就学率はほぼ100%に近いが,実際に卒業できる者は約6割に過
ぎない。自立するための教育や訓練を十分に受けないまま自活や家計への寄与を強いられる年少
者のなし得ることは,単純作業や肉体労働によって僅かな資金を得ることでしかない。非行をは
じめとして児童労働,児童売春,ストリートチルドレソといった年少者を巡る社会的問題の背景
はこうしたところにもあると考えられる。
4 非行の状況
(1)生きるための非行
犯罪や非行に占める窃盗の率が高いことはどの国にも共通した傾向であるが,その動機となる
要因には大きな差がある。
年少者の窃盗は,自己消費のための食料や日用品,それらを購入するための現金を盗む,ある
いは家計援助の必要にせまられて,といった動機が多い。窃盗以外の非行においても,このよう
な「生きる」ことを目的として行われるものが少なくない。
タイの年少者が,社会に適応するための教育や訓練を十分に受けられず,「保護された幼少期」
を持てないままに自立を強いられること,そしてこのような年少者を援助・救済する社会制度が
整備されていないこと,が大きな要困となっている。
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日本の非行と異なる第二の点は,個人の人格的な偏りや異常,対人関係における乳轢・葛藤等
と結び付いた非行が比較的少ないという点である。憂さ晴らし,敵意,性的欲求,自己顕示,仲
間への誇示,亨楽の手段といった日本の非行少年によく見られる人格的要因はそれほど多くはな
いと考えられている。
第三には,個人主義的傾向の強い社会であるだ桝こ非行集団も形成されにくいという点である。
もちろん共犯となる複数の個人の集まりは存在するが,その結び付きほやはり「ルース」であっ
て,独特な非行文化を生みだすような関係ではない。したがって,非行集団や非行文化に影響さ
れた非行も少ないということになる。
一般的にみて,緊張をはらんだ家族関係やさまざまな対人的葛藤等によって形成された個人病
理よりも,広い意味の環境的要因に基づく非行が多いように考えられる。
(2)統計からみた非行
先進国の中でも犯罪非行に関する統計が日本ほどに整備された国は少ないと言われるが,開発
途上国ともなればなおさらである。
タイにおいても事情は同様で,総理府統計局の発行する統計年鑑には一部の資料が掲載されて
いるのみであり,非行問題を管轄する司法省も独自の全国統計を作成していない。
最近になって中央少年裁判所がその管轄区域であるバソコク首都圏の統計を初めて公刊した。
1978年から1987年までの10年間の資料が取り上げられているが,項目は極めて少ない。全国の傾
向と多少異なると思われるが,この統計に基づく1987年の非行の概要は以下のとおりである。
タイの刑法によれば,刑事責任年齢は7歳で(第73条),少年裁判所の扱う対象者を,児童
(7∼14歳未満)と少年(14∼18歳未満)に分け,異なった処分が規定されている。
① 中央少年裁判所取扱人員
児 童
総 数
男子
2,194
女子
1,556
65
犯罪組織員との交遊
傷害
強盗
武器弾薬所持等
業過傷害(交通)
家宅侵入
賭博
2
その他
4
9
2
1
総数
10
性非行
140
︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶ ︶
︶26206528668
%4.9.7・6・2・2・2・ト1・1・
9。
窃盗
薬物乱用
男子
,121
1
② 非行名
433
少 年
女子
123
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③ 学歴
人数 (%)
64(2.9)
小学1年以下
505(23.0)
小学4年以下
中学3年以下
1,451(66.1)
174(7.9)
中学卒業以上
総数
2,194
④ 学職別
学生
470(21.4)
親元で就業
117(5.3)
他所で就業
865(39.4)
無職
742(33.8)
総数
2,194
⑤ 保護者
なし(浮浪)
126(5.7)
両親
766(34.9)
父親
106(4.8)
母親
290(13.2)
その他
906(41.3)
総数
2,194
8
1
7
6
0
1
8
︵
1
2
1
8
6
︶
0
6
1
2
5
1
6
4
︶
0
6
0
0
1
︶
︵
1
︵
︶
︵
︶
︵
︶
︵
︶
︵
︶
2
少年院送致
刑務所送致
4
9
1
2
5 非行少年の処遇
9
0
6
罰金
総数
1
6
2
2
保護観察
7
4
3
試験観察
︶
3
︵
2
本人訓戒
4
6
1
不処分
保護者訓戒
3
7
不起訴
︵
⑥ 処分内容
(1)法律と制度
タイ王国の現在の少年司法制度は,1951年に制定された「少年裁判所設置法」及び「少年裁判
所手続法」によっている。これ以後少年の犯罪事件は成人と分離して少年裁判所が取り扱うこと
となったのであるが(ぐ犯は対象外),大きな特徴の一つは「観察保護セソター(Observation
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中央研究所紀要 第2号
and Protection Center)」が少年裁判所と同時に設置されたことである。犯罪をおかした少年
が逮描されると,警察は24時間以内に身柄をこのセソターへ送るとともに,事件を検察官に送致
する。−ヒソクーの長は引き続き身柄を拘束するか,適当な保護者に引き渡すかを決定する権限を
有している。セソタ一にはソシアル・ワーカー,サイコロジスト,精神科医,医師などの専門家
が配置されていて,保護者や家庭環境,本人の生育歴・教育歴・生活状況・性格・健康状況,犯
罪の動機などを調査し,結果を検察官に報告する機能を与えられている(手続法第9条)。日本
の少年鑑別所に相当する施設ということができるが,少年裁判所の管轄下にあること,少年のプ
ロベーショソ及びパ
ロールをも担当しているという点において異なっている。
このセンターは,総務部,保護観察部,医務部,観護部の4部から構成されている。
少年裁判所及び観察保護セソクーを管轄する司法省は,全国各県(73)に一つずつ少年裁判所
を設置する計画をもっているが,現在のところ,本所8,地方裁判所少年部2が機能しているに
過ぎない。
(2)少年裁判所の行う処分
審判は職業裁判官2名及び民間の篤志家である準裁判官2名(うち1名は女性)の4名によっ
て行われる。控訴は可能で,高等裁判所少年部が担当する。
児童及び少年に対する処分は刑法及び少年裁判所設置法に定められているが,その概略は以下
のとおりである。
ア 本人及び保護者訓戒
イ 保護観察
り 補導委託
工 少年院送致
オ 罰金に代わる体罰(現在は行われていない)
カ 罰金
キ 刑務所送致(刑は成人に比し一定の割合で軽減される)
(3)少年の矯正処遇
少年院送致の決定は長期と短期の期間を定めて行われる。バソコク首都圏の場合,中央少年裁
判所の管轄する施設は5か所あり(審判前少年収容施設1,女子少年院1,男子少年院3。少年
院はいずれも観察保護センターの総務部に属する),それぞれ分類収容されているが,その他の
県においては観察保護セソタ一に併設さた施設がこれらすべての少年を収容している。
処遇内容としては,教科教育,職業訓練,体育,宗教・道徳指導などがあるが,最も重視され
ているのは職業訓練である。男子では自動車修理,縫製,印刷,理髪,溶接,美術,養豚などが,
また女子では縫製のほか調理,造花,タイ。ダソスなどが行われている。種目によっては,一定
の要件を満たした場合国から資格が授与されることは日本と同様である。
教科教育は非識字者や義務教育未修了者に対して行われているが,国語,算数などの基礎科目
が中心である。裁判官の許可を得て外部の学校に通学することも可能である。
宗教や道徳は重視されているものの,心理療法的な処遇プログラムは日課としては行われてい
ない。
不適応者については,ソシアル・ワーカーが面接などの個別指導を行うほか懲戒も加えられる
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が,管理上支障を釆たすような処遇困難者は裁判官の決定により刑務所に移送することができる。
少年院では各少年の評価を定期的に行って少年裁判所に報告し,処遇経過に応じて仮退院が決
定される。仮退院中は観察保護セソターの保護観察部に所属する保護観察官及び民間の篤志家で
ある保護司の指導を受けることになる。
(4)矯正をめぐる問題点
タイでは法律や制度は次第に整備,改善されつつあるものの,施設・設備は極めて不十分であ
り,現実の処遇現場は厳しい状況に置かれている。実現可能性についての綿密な検討が十分にな
されないまま,法律の制定や制度改善が先行することは珍しいことではなく,法律と現実のギャッ
プは至るところに認められるが,実践が常に先行する日本とは対照的である。
職員の専門性は必ずしも尊重又は活用されておらず,研修も十分に行われていない。
また,すでに述べたとおり,タイの一般的傾向として,タテヨコの連携や組織的対応が不得手
であることもあって,現有の職員や設備がフルに活用されているとは言い難い面も多い。しかし,
社会変動の波に流されて不利な生活を強いられ,止むをえず犯罪に陥った少年達に対しては,社
会適応のために意味のある処遇を与え,貴重な効果を挙げているものと考えられる。
施設に収容されている大多数の少年が,教育や職業技術の不足,社会的孤立等による経済的な
困窮層からの出身者であれば,現在のような職業訓練を中心とする処遇は,社会生活上極めて有
利な条件を少年に付与することになる。路上で新聞や花を売り,零細な工場や建設現場で単純労
働に従事するほかはない少年が,例えば,自動車修理や印刷の技術を身に付けることができれば
それは画期的なことと言える。社会生活の基盤を確保させるための職業訓練を中心とするこのよ
うな処遇は,タイの実情に見合ったものであり,事実退院者の再犯率は非常に低くなっている。
しかし,他方では,家庭内葛藤,親の暴力・拒否,富裕な家庭の過保護などの歪んだ成育過程
や親子関係と密接に結び付いた非行も次第に増加してきており,今後こうした事例により良く対
応するためには,個別処遇の理念に基づく生活指導の充実や処遇内容の多様化を図るなどの処遇
プログラムの在り方,さらには職員の組織や研修も含めた少年院の運営に関する全般的な再検討
が必要になると考えられる。
参考文献
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