NO.66 1999年11月号 NOVEMBER I I N N T T E E R RC CU UL LT TU UR RE E ■■ 学校法人 千里国際学園 Senri International School Foundation (SISF) ■■ 千里国際学園中等部・高等部 Senri International School (SIS) 併設 大阪インターナショナルスクール Osaka International School (OIS) 〒562-0032 箕面市小野原西4丁目4番16号 TEL 0727-27-5050 FAX 0727-27-5055 URL http://www.senri.ed.jp/ 暑くて熱かった運動会 恒例!玄関コンサート 卒業生3名が教育実習 海外研修・留学体験報告 英語弁論大会大阪で6位入賞 撮影 斉藤 数(理科) I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 1 学 園 一 般 人間というものはどう生きれば 藤澤 皖 ある。が、おれの得た思案は、お前の参考 にはならぬ」 学園顧問・SIS元校長 9月の初めに、「司馬遼太郎が愛した世 界展」を日本橋の三越で観ました。 マス目よりも細かい字がいっぱい書かれ ている親筆の原稿用紙にも興味がありまし たが、ゆっくり目を通すことは難しいほど 大勢の人が入っていて、人気のほどを偲ば せていました。『史記』を著した中国古代 の歴史家、司馬遷にはるかに及ばないもの の、司馬遷のようにありたいという願いで 司馬遼太郎と名付けたということですが、 日本にも数多くの歴史小説を残しました。 写真で見た司馬遼太郎の書庫には、私が今 おります外務省の図書館の地下書庫のよう に、歴史小説の資料として集めた図書や文 献がぎっしり詰まっていました。 昨年4月に霞が関へ通勤するようになっ てから、電車の中で読書をする時間が生ま れましたので、司馬遼太郎の代表作の一つ 『坂の上の雲』全6巻も読みました。近代 日本の国家を形成し、帝政ロシアの極東進 出に立ち向かった人たちの、少年時代から の生き様が描かれていて、大変興味深い小 説です。 コサック騎兵隊を破る日本の騎兵 隊の指導者秋山好古(よしふる)と日本海海戦 の時の海軍の参謀の秋山真之(さねゆき)の兄 弟の若いころの対話を少し読んでみてくだ さい。 ◇ 「兄さん、うかがってもいいですか」 「なんだ」 「人間というものはどう生きれば よろしい のでしょう」 と、真之はおそるおそる、兄の心底をそん な質問でたたいてみた。人間はなぜ生きて いるのか。どう生きればよいのか。 「人間? いや、これは」 好古は顔をなで、 「むずかしいことを言やがる」 下唇を突きあげた。おらァな、いままで どう自分を世の中で自立させてゆくか、そ のことだけで精いっぱいで、土の底の根も とのことまでは考えがおよばんじゃった。 「いまやっと自立し、齢も二十代の半ばを 数年すぎ、そのことをときに考えることが 2 「なぜです」 「わしは日本陸軍の騎兵大尉秋山好古とい という者で、ざんねんながらばく然とした 人間ではない。」 「ばく然とした人間とは?」 「たとえば書生よ」 書生の立場ならば、人間ということにつ いての思案も根元まで掘り下げて考えるこ とができるが、すでに社会に所属し、それ も好古の場合陸軍将校として所属と身分が 位置付けられてしまっている以上、「人間 はどうあるべきか」という普遍的問題は考 えられず、「陸軍騎兵大尉秋山好古はどう あるべきか」ということ以外考えられな い。 「そうだろう」 と、好古は湯のみをとりあげた。 ─司馬遼太郎著『坂の上の雲 一』(文藝春秋刊) より─ ◇ 秋山兄弟は、明治維新後没落して貧窮を きわめていた伊予の松山藩の士族の家に生 まれました。兄の好古は、少年時代銭湯の 風呂焚きをしたりしましたが、官費が支給 される大阪の師範学校に入り、教員にな り、さらに、勉強するために、やはり官費 支給で軍人養成のための東京の士官学校の 騎兵科に入校したのです。さらには陸軍大 学校へも進んでいます。したがって、秋山 好古は「人間はどうあるべきか」というこ とを考える間もないうちに、陸軍騎兵将校 への道を歩んでいたといえるのではないで しょうか。当然、「日本の騎兵をどう育成 してゆくか」ということが、好古の生き方 そのものになっていきました。 弟の真之は、ちょっと違っています。兄 からの送金のおかげで松山中学から東京一 橋の大学予備門で学んでいます。のちの旧 制第一高等学校(現在の東京大学教養課程 相当の学校)で、同郷の正岡子規と親友 で、二人で哲学や文芸についてもよく論じ あっていたということです。この学生時代 といいますか、書生時代に、さらに、学資 のかかる大学に進むか、学費無用の海軍兵 学校に入るかという人生の分岐路で、自分 の生き方を考えるようになったのです。真 之が兄の好古を訪ね、「人間というものは どう生きれば」と尋ねたのは、この時で す。 ところで、皆さんは、どうでしょうか。 職業をもっている日本人は、大抵、肩書の 入っている名刺をもっています。そこへた どり着くまでには、人さまざまの過程があ るでしょう。秋山好古のように常に向上心 をもって、限られた狭い道を夢中で歩んで いくうちに自分の使命が明らかになって来 たという人、その兄さんのおかげですが、 より自由に人生について考え、自分の生き る道を選んでくることができた秋山真之の ような人、この二通りだけでしょうか。 自分で目標を選んで、その道に進めるよ うに努力するというよりは、自分の力で入 れる大学に、入れる学部に、そして、就職 の時でも、就職試験に受かった企業になど というように、与えられたところで、名刺 の肩書をもらい、これが自分の生き方であ ると受け身に考えているという人はいない でしょうか。そのような人は、雇用者側の 都合などで、その仕事を辞めなければなら なくなったりしますと、「どうしてよいか 分からない」ということになります。女性 の場合には、結婚して子育ても終わります と、「自分は何なのか」と迷い始める人が 多く見られます。 このような人達は、若いころに、「人間 というものはどう生きれば」と悩んだこと のない人達ではないでしょうか。日本の社 会の中だけで生きるにしても、世代の変化 や経済情勢の変化によって、考え方も変 わって来ます。さらに、地球上が一つの人 間社会になって、いろいろな文化背景をも つ人達との交流が多くなり、国内でも日本 語以外の言語が飛び交うようになります と、「自分のアイデンティテイとは何か」 「自分は何なのか」と改めて悩むことにな ります。 秋山好古も引用した対話の後に、「むい ていなければさっさとやめる。人間は、自 分の器量がともかく発揮できる場所をえら ばねばならない」と言っています。弟の真 之は、自分の置かれた状況、器量を考慮 (次ページへつづく) I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 魂の自由 大迫弘和 れを貪るように読んだ、そのときのある種 であるべく断罪されている」人間にとって SIS校長 の純粋さのようなものを、懐かしく感じつ つ。 は、簡単な事ではない。「自由」は「おまえ はどのような生き方を選択するのか」と、 9月、10月と何人かのSIS12年生(高3) 「自由」は「行動」におけるそれ、とは別に 「個人の意識の自律性」としてのそれが考 問いをつきつけ続けているのだから。 ◆ えられる、即ち前者のそれが現実的な「障 害」により「制限」される「自由」であるのに 「SISの卒業生は、大学に入ってからも、 本当に一生懸命やってますよ」と、卒業生 対し、後者の「自由」は、「行動」におけるそ れのように「制限」されることなく、あくま の保護者の方から最近いただいたお話で す。 で、まさに「自由」なものなのだ。私たちは なにものにも「制限」されずに、あることを 「娘のお友達を見ても、皆さん、大学 で、しっかり目的をもって勉強していま 「望む」ことができ、かつ、私たちには望ん だ事を「試みる自由」さえも備わっている。 す。とてもすばらしい事だと思います。SIS の先生方は皆さん勉強熱心で、その姿を見 私たちは「望む」事が出来るゆえ、場合に よっては現実に存在するものを「無化」し、 て育ってきた子供たちの中には、ごく自然 に勉強する事への興味が生まれているので 現実を越えていく事さえも「試みる」ことが 出来るのだ…。 はないでしょうか、そんな風に思えるので す。」 魂の自由。 私たちは「行動の自由」にのみ「自由」とい 娘さんの、そしてその友達の頑張りを、 暖かく見つめているお母さまの柔らかなま うことばをよりかからせてしまってはいな いだろうか? なざし。 SISの先生方、皆さんの授業が、いかに深 「『自由』と『好き勝手』は違う」とい うお馴染みの言い回し。「中学生に、高校 いところまで生徒たちを引き付けている か、9月10月、12年生たちは、校長室で繰 生に『自由』なんて早すぎる」という「教 育論」。 り返し語ってくれたのです。 「**先生の授業は、本当に忘れられま いずれもが、語られるべき「自由」とは 「魂の自由」なのだ、という基本を外して せん。」「**の授業が、どれだけ自分に 影響を与えてくれたか、今初めて気づくん しまっている。 と同時に、中学生・高校生の成長の過程 です。」「**先生がいてくれたから、あ の時頑張れた。」「**で勉強したこと において、本当に「魂の自由」を学ぶため には、時として「行動」は「制限」されると を、大学でもっと深く知りたくて。」 限りなくそんな話が続くのです。 いう、整理の仕方も、決定的に欠けてい る。 ああ、そのように、SISが「魂のことをす る場所」であり続けますように。 と個別にお話しをする機会がありました。 そろそろ「卒業」という二文字が心を過ぎ りはじめているのか、様々な思いをもって SISでの最後の時間を過ごす彼ら。「SISのこ と、私、かなり自慢できますよ」と屈託な い表情で語り、「最後の方になってやっと うまくSISのよさを活用できるようになった かな」とちょっと自慢げで、そして「『自 由』というものが、間違って捉えられると どういう悪い面が出てくるか、という事も 学べました」と振り返る、そんな12年生た ちのなんと立派に成長し、気持ちのよいマ ナーを身につけ、逞しく頼もしいことで しょうか。 「**大学で勉強したいな、と思った理由 の一つに、雰囲気がなんとなくSISに似てい る、ということがあるんです」。異口同音 という風に、そんな言葉が彼らから発せら れ、彼らにとってこのSISという空間が何で あったかという事を、改めて気づかされる のです。 ◆ 「人間は自由であるべく断罪されてい る」、サルトルはそう書いた。『存在と 無』を読み返す。21世紀を前に、小説家と してはカミュの方が精彩がある、哲学者と してはハイデガーの方が深く、等々「二 流」の評価も耳にしないでもないが、しか し、僕たちはかつて、「自由」ということを 考えるために、必ず通らなければならぬも のとして青年期特有の昂揚感をもちつつそ (前ページのつづき) 「魂の自由」によって美しく秩序的な世界 を形成していくことは、それこそ正に「自由 し、さらには明治時代当時の日本の社会が でも、情報化の時代です。容易に想像力を 働かせることのできる時代です。国内にい る道を歩んだ内村鑑三の墓が多摩霊園にあ りますが、その墓碑には、次のように生前 必要としている分野などを総合的に考え、 親友の正岡子規とは全く異なる海軍の道を ても、英語はもとよりいろいろな言語や文 化も学習しやすい時代になっています。自 のモットーが刻まれています。 I for Japan, 自分で選びました。 現代は、日本という社会にとどまらず、 分はどういう生き方をしたいのかというこ とを考えながら、自分が将来出来そうなこ 地球社会にまで視野を広めることが必要に なっているのではないでしょうか。海外経 と、やってみたいことを探して、その実現の ために努めてこそ、人間らしい生き方では and All for God. このように、何か、自分の姿勢をもって 験のある人は、「百聞は一見に如かず」と 思われているでしょう。海外経験のない人 ないでしょうか。 秋山兄弟と同じ時代を生きながら、異な 生きてみたいものです。 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 Japan for the World, the World for Christ, 3 学 園 一 般 暑くて熱かった運動会 さわやかな秋晴れというよりは夏のように暑かった10月2日(土)、恒例の運動会が開催されました。午前8:45∼ 10:45はOISの幼児部・小学部。10:45∼3:35はSIS/OIS中等部・高等部合同で行われました。また、中・高等部では今年 も各学年対抗応援パフォーマンスがありました。白熱した競技の結果、中等部は8年生(中2)、高等部は12年生(高 3)がそれぞれ優勝しました。 千里国際学園運動会 1999プログラム 8:45-10:45 OIS幼児部・小学部運動会 10:45-11:00 OIS幼児部・小学部閉会式 SIS/OIS中等部・高等部開会式 11:00-12:45 中等部 ドッジボール/ フィールドホッケー 高等部 ドッジボール/バ レーボール 12:45-1:30 応援パフォーマンス(中庭) 1:30-3:20 1.障害物競走 2.玉入れ競争 3.大縄跳び競争 4.綱引き 5.リレー 3:20-3:35 表彰式 清掃 4 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 5 学 園 一 般 恒例! 玄関コンサート Music Department Draws Enthusiastic Crowds For Annual Genkan Concerts 10/19-22 Stephen Bonnette Music October is one of most enjoyable times of the year for middle and high school music students. Each performance ensemble prepares a program, which reflects what concepts they are working on in their respective classes, and presents an informal concert for their counterparts from the other music classes, parents and curious passers-by that decide to stop and listen. The Genkan Concert Series traditionally kicks off the Music Department’s concert season. This year’s selections showcased a repertoire drawing on a wide range of historical periods and varied cultural heritage. The Middle School Performance Band under the baton of Mr. Bill Marocco did a great job getting the ball rolling on Monday, October 18th. The lyrical Caprice by William Himes, a beautiful arrangement of the traditional children’s folk song, Sakura by Mike Story and a journey into Mr. Marocco’s childhood with a medley of favorites from “The Wiizard of Oz” displayed the centered tone and rhythmic sense that have been stressed this fall. Wednesday, October 20 was the busiest day of the festival, beginning with Mr. Marocco’s High School Wind Ensemble performing Folk Dances by Dimitri Shostakovich and the very dramatic Symphonic Suite from “Star Wars: The Phantom Menace”. Middle School Performance Strings was next to perform and they impressed the lunchtime audience by opening with Mozart’s popular Divertimento III. Talented SIS 8th grader Yuka Tokumine and OIS 7th grader Hyuen Jeong Cho shared the spotlight as they were featured on Seitz Concerto No. 5 for Violin. 6 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 Contrasts in E Minor by Francis Feese explored the tonal colors of contemporary music and Rossini’s William Tell Overture provided an exciting finale to Wednesday middle staging. Ms. Miriam Factora once again presented a delightful and varied program with her combined M.S./H.S. Chorus. Opening selection “Let Everybody Sing” was aptly named as the audience was encouraged to join in. Follow the River, Swedish folk song Vem Kan Segla Forutan Vind (featuring flutist Masa Fox, cellist Yasushi Tanaka and violinist Haruna Shiotsu), and the African call and response Sansa Kroma, featuring vocalist Hilary Beglar, combined to make a truly multi-cultural happening. High School Concert Band was the lone performance on Thursday, October 21 and the students seemed to relish the spotlight. The Fairest of the Fair by John Philip Sousa and Lupin, featuring Mathew Van Houten on Alto Sax clearly showed how much these students enjoy playing. This years grand finale was presented by the High School String Ensemble on Friday, October 22. Mr. Bonnette’s student musicians played to a full house and demonstrated the ensemble technique that they’ve been focusing this quarter. Bela Bartok’s interesting Rumanian Folk Dances began the set followed by the challenging waltz from Tschaikovsky’s Serenade for Strings. Aria Aoyama was featured on the violin in the exciting Cappricio Espagnol. The climactic final movement made for a fitting finish to an outstanding week of music making. Congratulations to all the students involved,and good luck in your future musical projects this school year! I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 7 学 園 一 般 コラムを2つ連載します! <旧職員寄稿> 田浦秀幸 SIS英語科旧職員 インターカルチュアの紙面を借り て、在職中時間が取れず実現できな かった2つのコラムを連載していき たいと思います。SIS Research Column では、一英語教員・語学科全 体・帰国子女教育センターとして取 り組んだ様々なデータを使いなが ら、どのように一般生・帰国生の英 また、部外者となった現在、私の のが、私のリサーチの出発点でし 持っているデータについては全て生 徒の名前を消し、便宜上数字を打っ た。 言語能力には大きく分けて能動的 てあるだけなので、そこから個人名 を判断することはできませんし、研 能力と受動的能力とがあります。能 動的能力とは話をした文章を書いた 究以外の目的で使用することは一切 ありませんので、プライバシーの保 りする能力のことで、受動的能力と は話や文章を理解する能力のことで 護につきましてもご安心下さい。 す。言語喪失を取り扱ったさまざま なリサーチを見てみると、一度高い 語力が在学中に推移しているのかを 少しずつ分析していきたいと思いま す。また、Bilingualism Columnで は、バイリンガル教育界の第一人者 Colin Baker博士によって1995年に出 版された"A parents' and teachers' guide to bilingualism" (1995)の中から1ト ピックずつまとめて翻訳していこう と思っています(これは専門書では なく、保護者や学校の先生対象に書 かれたものです)。両方とも私がこ こ数年興味を持っている分野であ り、特に前者は学園・保護者・生徒 にリサーチ結果を還元していくもの ですが、管理職はもとより元同僚の 先生方(特に井嶋先生と英語科の先 生方)の理解と協力がなければ収集 し得なかった貴重なデータであり、 本来は在職中にまとめ上げておくべ き性質のものであったことをお詫び します。ただ、遅ればせながらもこ のような形で千里国際学園の素晴ら しい教育実践を外に向けて発信でき ることを幸せに思うと同時に、イン ターカルチュア誌上で課外活動ばか りでなく、教科内で行われている地 道な教育実践報告もどんどんなされ ることを個人的に希望します。 データ収集は複数の教員の手を 通って行われましたが、リサーチ結 果の分析や表記上の誤りにつきまし ては全て私1人の責任であることを ここに付記し、ご意見や質問等は メールで直接私宛にお願いします(email address:[email protected])。 8 SIS Research Column レベルまで到達した言語能力のうち 受動的能力はかなりの期間(あるリ <1> 千里国際学園の生徒の英語の実 サーチによると驚くべき事に50年間 も!)保持されるようです。ですか 状は? ら少なくとも3年以上英語圏の現地 校で勉強をした帰国生について、帰 千里国際学園では数ヶ月に一度、 新編入生徒が入学してきます。英語 国後英語が聞き取れなくなったと か、英語の本が急に読めなくなった の授業を担当していると、帰国後間 もない生徒からは「先生、僕(私) という現象は極めて起こりにくいと 考えられます。それゆれ、帰国生が の英語力をkeep-upするにはどうした らいいですか?」と質問され、帰国 「英語力が落ちた」と感じるのは主 として能動的能力、特に以前のよう 後1、2年以上経つ生徒からは「以 前より絶対に英語の力が落ちた!」 に流暢に英語が口をついて出ない時 だと思われるのです。本当に英語を とよく聞かされました。確かに、周 りの環境が全て英語であったのが一 話したり書いたりする力は帰国後落 ちているのでしょうか?また、英語 変して、週に5時間の英語の授業 と、joint classes(SIS/OISの合同授 を聞き取ったり読んだりする力は維 持されているのでしょうか?この 業)やクラブ活動でのnativeの先生達 や一握りの同級生との会話を除け テーマ(帰国生の入学後の英語力の 推移)について今後7、8回に渡っ ば、英語を使う機会が極端に減りま す。毎日当たり前のように使ってい て見ていきますので、今回まず語の 定義をしておきました。このテーマ た表現や単語も、日常生活の中で使 わなくなると思い出せなくなった が一通り終わった時点で今度は、一 般生の中学1年から高校3年までの り、思い出すのに時間がかかったり してフラストレーションを感じるよ 6年間に渡る「書く力」の向上の様 子について、アメリカ人の中高校生 うになると思います。でも、高校 2、3年と2年間通して同じ生徒を や帰国生との比較の中で如何に驚く べき程のスピードで進歩しているの 教える事が多かった英語担当者とし て、「英語の力は伸びて卒業してい かを、お話する予定でいます。 次回は、帰国生のリサーチを始め る」と確信が持てていました。英語 力の向上をきちんとした数値として るに当たって、当時手元にあった毎 年高校2年生全員を対象に4月上旬 示すことができれば、きっと帰国生 を安心させることができると思った に行われていたTOEFL模擬テストの 結果を、ある年度の高校2年生の冬 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 及び高校3年生の冬のTOEFL模擬テ スト結果と比較して能動的能力がど 両親が自分の第一言語を子供に使う ことで、自然な親としての愛情を 養育され、教養を身につけていくの です。でも、その言語の種類が違う のように変遷していったのかを見て みます。 持って接する事ができると共に、子 供もその言語で愛情を感じる事がで という理由だけで、国家間・民族間 のコミュニケーションがうまくいか きるのです。第3に、今後益々世界 各地が密接に結びつくに連れて、バ ないことがあります。家庭、地域社 会、国家の中で2言語を使いこなせ Bilingualism Column イリンガルの方が好ましい職業が増 え、経済的地位が将来的に潜在的に るバイリンガルがいると、このよう な障害を幾分軽減できるのです。母 <1> 子供をバイリンガルに育てるこ とのメリットとは何か? 高くなる可能性があります。現にイ ギリスのウェールズ(英語科の難波 国語だけを話せるモノリンガルが、 人と動物との根本的な違いを象徴化 バイリンガルのメリットは沢山あ 先生の奥さんのお国ですが:訳者 注)の一地方では、ある職業の管理 しているとすると、皮膚の色・信 条・文化・言語を異にしている人種 りますがディメリットはほとんどな いように思われます。メリットとし 職になるのには、少数民族の言葉を 使えるバイリンガルであることが条 間の橋渡しをするという営みを、バ イリンガルが象徴していると言える ては、第1に、近隣諸国を始め海外 に出かけていった際、多くの人とコ 件であるのです。バイリンガルであ れば将来「食いっぱぐれる」ことが でしょう。 ミュニケーションを取れる機会が増 えると言うことです。第2に、言語 ないというのは誤りですが、将来の 雇用という面から見るとモノリンガ (*バイリンガルの定義は学会でも 未だ一致を見ていないのが現状で、 には必ずその文化が背景にあるの で、モノリンガル(単一言語しか使 ルよりも比較的優位であるかもしれ ません。最後に(でも本当は、一番 本稿では広義に捉えて千里国際の中 等部の一般生のように「一方の言語 用できない人)に比べて、行動様 式・伝承民話・歴史・伝統・儀式・ 大事なことかもしれませんが)、同 じ事象に対して2つの表現方法を を現在獲得中」も含めています。現 実問題として2言語が全く同一レベ 文学等2倍以上の体験ができるので す。もちろんモノリンガルも異文化 知っていて(例えば日本語の「台 所」に対して英語の'kitchen')、単な ルで高い能力を「読み・書き・話 し・聞く」全てに持ち合わせている 体験をできるわけですが、よりその 文化の深部に触れようとした場合や る翻訳以上に各言語でのニュアンス の違いがあればそれも体得している バイリンガルは例外中の例外で、同 じ人物でも、どの国に住み、どの言 はり言語が必要となるのです。ま た、国際結婚の家族の場合、両親の ので、モノリンガルに比べてより柔 軟な思考がでやすい点が指摘されて 語で仕事や勉強、日常生活を送って いるのかによって、一方が片方の言 それぞれの言語を身につけることで 両親の祖父母と世代間の橋渡しをで います。 言語の存在によって、人間は他の 語より強くなったり弱くなったり変 化するのが常なのです。) きるし、より親しい関係を築くこと ができるのです。また、それぞれの 動物と区別されます。言語を媒体と して子供は皆同様に、愛情を受け、 THE BOOKSTORE NEWS November 1999 今年もイヤーブック購入申込の時期になりました。学期末は混雑しますので申込 はお早めにお願いします。 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 9 学 園 一 般 日本に戻りました <卒業生寄稿> 井上由美子 1995年中等部卒、東京大学理科。類1年 この秋久しぶりに学校を訪れて、私が中 学校を卒業して以来、多くの年月が流れた ことをしみじみと感じた。馬場先生にお会 いしたのが運の尽き、海外で取ったIB資 格(国際バカロレア=世界共通の大学入学 資格試験)で日本の大学を受験した経過の 報告をリクエストされてしまったので、久 しぶりにインターカルチュアに寄稿させて いただいている。 私が留学を思い立ったのは、中学校2年 生の後半だったと思う。オーストラリアへ のホームステイの経験にか、自分の周りの 友だちや先生方にか、ともかく千里国際学 園での生活のなかで触発されたことは確か である。 3年生も終りかけの2月、阪神大震災の 直後、私はシドニーに発った。ホームステ イをしながら10週間語学学校へ通い、その 後は現地の私立女子校に在籍した。しかし 半年ほどしてその学校が自分にあってない と感じたとき、何度もOIA(現SIS)に戻り たいと思っていたにも関わらず新たな学校 探しを始めた。そうして私は翌年度からの 三年間をメルボルンの外れにある私立の女 子校で過ごし、IB資格を取得した。 IBは高校最後の2年間のカリキュラム であるが、その進行に沿うようにして、大 学選びが現実の問題となってきた。何を学 ぶかについては、昔からの夢があったの で、迷うことはなかった。 その夢を追うにあたって、オーストラリ アで大学へ行くメリットは特になかった。 むしろ、その夢の実現にあたっていずれは アメリカで生活することが必ずあると思 い、それならオーストラリアに居続けるの ではなく、場所を変えるべき時だと思っ た。いろいろな国を見比べてみたいという 想いがあり、私はカナダの大学の資料を集 めた。また、アメリカの大学院へはアメリ カの大学からの方が行きやすいのではない かという考えと、アメリカにはたくさん知 人が居ることからアメリカの大学も調べ た。 しかしそういった自分の行動に、私の心 10 は何か納得のいかないものを感じ、抵抗し ていた。日本に帰りたいという想いがあっ た。家族や懐かしい友達のそばに居たかっ たし、日本の事を何も知らない自分にも幻 滅していた。やはり将来の視野に海外での 生活が入っているならば、日本人としての 自分を再確認し、日本のことを知るべきだ と思った。しかし、もしかしたら日本に帰 るという事は自分が甘えているだけなのか も知れないとも思い、不安だった。だが同 時に、たまには自分の心を、感じることを 大切にするべきかも知れないと思った。 アメリカやカナダの大学は、大学側の要 求する統一試験さえ済ませれば、どこの大 学でも受け入れてくれそうな雰囲気だっ た。IBが認められ、優遇処置までもが用 意されていた。一方、日本で私が志望する 理系の学科に、単身留学からの帰国者を受 け入れる制度の整っている大学は、筑波、 九州、信州、東京、北海道の各大学だけ だった(筑波大学では、一般の推薦枠での 受験が認められていた)。それらでさえ も、北半球からの帰国者を念頭に置いてい るところがほとんどで、受験に際しては、 大学に特別な対応をお願いしなければなら ないこともあった。 IBでは最終試験が最も重要で、その結 果が2年間の正式な成績として授与され る。従って、私には自分に対する評価の見 当もつかず、どの程度のレベルの大学に行 けるのか全く皆無だった。正直なところ、 日本の大学には受かるわけがないと思って いた。けれども、チャレンジする前に諦め ることはどうしてもできず、安全策として アメリカやカナダの大学への準備も進めつ つ、日本の大学に願書を提出した。 日本の大学は、基本的に高校での成績 (これは、在留した国での高等学校課程の 成績を要求するところ、IB資格を要求す るところ、そのいずれでもよいところと 様々である)、大学側の用意する筆記試験 (私の場合は、主に数学、理科2科目、日 本語と外国語での小論文だった)そして面 問、その大学の志望理由などの個人的な質 問と、これも区々である)を評価した。 南半球のIB資格の授与は1月にあるた め、私はその提出期限に遅れてしまった が、多分それでも加味してくれたのだろ う。筆記試験のための勉強を始めたのは、 12月半ばに卒業式を終えて帰国してからで ある。それから2ヶ月程塾に通い、数学、 物理、化学を勉強した。用語を覚えれば、 事足りるだろうと思っていた物理や化学 も、日本の受験とIBの問題の傾向があま りにも違い、ほとんど一からのやり直し だった。数学に関しては、手のつけようが なかった。筆記試験の日の朝、周りの外国 学校出身の受験生はみんな6月くらいから 塾に通っていたと聞いて、本当に落ちたと 思い、かえって気が楽になったことを覚え ている。 諸外国に比べるとまだまだ門戸の狭い日 本の大学であるが、一般に名の通った大学 ほど経歴を問わず受け入れの体制を整えて いて、試験内容は細部に渡っていた。受験 するものとしては大変な反面、様々な面を しっかりと評価してくれていることが感じ られ、うれしかった。 全く運を天にまかせた受験だった。気合 いと熱意だけで受かったようなものであ る。現在は東京大学教養学部理科。類に所 属し、理学部への進学を目標に、理解不能 な数学の教科書を持ち歩き、週末はヨット に乗っている。 今まで本当に紆余曲折を重ねてきた。あ えて大変で、先の見えない道を選び、周囲 にはその度に心配や迷惑ををかけたが、そ うしたことで私は自分の夢により近づくこ とができたように思う。いつも率直で適切 なアドバイスを下さった先生方、私を暖か く見守り、上手に導いてきてくれた両親、 そしてどんなときでも心の支えになってく れた友達への感謝は言葉では言い表せな い。これからも自分を信じて夢を追ってい きたい。 接(グループ討論、筆記試験に関しての質 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 受験生にエール!私の失敗談 <卒業生寄稿> 乾奈津子 第6期卒業生、慶應義塾大学法学部1年 「えっ?うそ。もう9月?」1998 年、9月1日登校しながらそう思った ことを覚えています。その時電車に 乗っていて、世界史の問題集をパラパ ラめくりながら冷や汗をかいて青ざめ た気がした。学校にたどり着くまでは 不安で仕方なかったが、行ってみると 高校三年生みんなが同じ気持ちでいた ことを知ってすごく安心しました。今 の高校三年生は、それ以上の不安を抱 える時期でしょう。自分だけではない ことを忘れないようにくれぐれも注意 するように! さて、私は六泊七日の合宿(混合合 唱団。一日10時間の練習)を終えて、 家でホッとしている所です。(これを 書く時期と出す時期が大幅にずれてい ます。重ねてお詫びを。)BUT! だがし かーし!その合宿中に春学期の成績表 が届きましたぁ。しかも実家に一通の み。もちろん最初に見るのは両親。と いうことで、練習の合間に実家へ電話 したところ ・ 政治学基礎。墜落(上で私の学部学 科を確認 ) ・ 必修、ほとんど“ピー。” ・ ハ?なんでこの課目がスレスレ合 格? と、心の痛む結果でした。 最初聞いた時はショックで悔しくて たまらない気分でした。だが、後に冷 静になって考えてみたとき、先輩の一 言を思い出したのです。 「本当にいい成績をとる人達は、人 一倍努力するからねぇ。」 ムキになって怒っていたときはそれ を認めようとしなかったが、その言葉 は本当だった。頑張った課目はAだっ たし、試験前になって始めてやったも のはCだった。 私は、高校三年の一年間、一学期の コメントカードに書いてあった古典の 木村先生の言葉を心にとめながら過ご しました。「人を納得させる必要は全 くないのです。自分が納得すればいい 期でもあり、一生を決める選択かもし のです。」という言葉を。受験だけで はなく、全ての事に関して言えること れません。私も推薦で滑った人です。 ですが、そのおかげでここまでこれた です。大学に入って初めての成績の悪 さにショックだった私はふとこの言葉 し、向上心をもって頑張れたし、今は とても満足しています。推薦で落ちた を思い出しました。思い残すことが多 く、成績が悪いというよりも、自分の 所に一般入試でも受かったが、あえて 蹴ったのも推薦で落ちたことが、自分 努力不足に嘆きました。 また、成績表を見て改めて、勉強と に対するメッセージだと思ったことが 一つの理由です。あと一ヶ月で冬休 いうのは自分との闘いであることが身 にしみた。木村先生の言葉にもつなが み、大詰めです。そして冬休みがあけ たら追い込みです。めげずに頑張って るが、8月31日までためた夏休みの宿 題と違って、誰か救ってくれる人もい 下さい。 成績に関して私は、自分との闘いに なければ、もちろん自分でやる以外仕 方がないのです。受験という戦いでは 負けてしまい、失敗しました。だが、 受験での勝利があるため、自分の能力 勝利を得たが、大学の春学期は完全な る敗北でした。この短時間の間での落 の低さではなく、努力不足だというこ とが解ります。それだけでも、頑張っ 差が、よりショックを大きくしてくれ たものでしょう。 てよかったと思います。その上に、そ の時の自分がとても好きだし、誇れる 今思い出してみると、たとえがむ しゃらでも、毎日精一杯目標に向かっ のです。皆さんも、来年そう思えるよ うに頑張って下さい。そして何より、 て頑張っていた自分が一番好きでし た。苦しかったとはいえ、今までにな 自分のために頑張って下さい。勉強し て損することはないです。受験の苦し く充実していて、今ではその頑張りを 誇りに思えるぐらいです。 さから逃げてしまったら、自分のため にも、何にもなりません。腹をくくっ これを読んでいる頃には、推薦で決 まっている人達もたくさんいるでしょ て、真っ向から挑んでください。後 は、あなた次第です。 う。その人達は、おめでとう!本当に おめでとう!残りの学園生活を有意義 心から応援しています。精一杯頑 張ってください。 に過ごしてください。これから一般入 試を控えているみんなは、これを機会 PS 質問でも、「ここ受かった!」と に自分の限界を試してみては?みんな をぎゃふんといわせて見ては?私は、 いうことでも、何かあったらどうぞ、 E-mailで御一報下さい。 おそらくほとんどの先生に、一般では 絶対受からないと思われていたに違い [email protected] ないです。(特に国語科に。某・松島 先生などに聞いてみてください。 笑。)推薦で決まった人達は、本当に 羨ましく思えるし、プレッシャーの原 因でもあるし、時々腹が立つことを 言ってきます。(「バイトで忙しい の!」などといった言葉が、飛んでき ます。)だが、人は人、自分は自分で す。これが、自分の人生の大きな転換 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 11 学 園 一 般 本当にやりたいことをよく考えて <卒業生寄稿> 吉川彰布 第6期卒業生、Pratt Institute; Freshman of the Department of Architecture Hi everyone!! How are you doing? I amprettysurethe"Jukensei" seniors are starting to get cranky, because of allthatstudying,andpressure,andso forth.Irememberlastyear,everyone studying hard for the coming exams andsendingapplicationstocolleges. Don't pressure yourself too hard (Some people would need more pushing) and enjoy your school, you willrealizeyouonlyhaveafewerthan a month to see your friends. I know SIS is the best high school when I was there, and I know now that it was the best and I miss it. I'm sure you seniors are anxious to getanykindofinformationoncollege (I know I was), so I'll introduce my college life here and give you some adviceonchoosingacollege,ifanyare helpful. New York is an exciting place, much differentfromOsaka.SinceIgothere, I have been regretting that I didn't studyChinese,Korean,andSpanish. The reason comes from the experienceIhavehere.Ifrequentlygo to China town to eat food, (Because Chinesefoodischeap)butthewaiters there can't understand English. It is really stressing that I can't simply order a food. I was also on a subway to Manhattan, and this guy next to me wasreadingaKoreannewspaper,and theguyinfront,theChinese,andnext to him was a guy with a Spanish newspaper. No one was reading English newspaper! For once I thought I was in the wrong country, but this is how it is in New York. My point is that you should study some other language while you can. You neverknowwhenitcomeshandy. 12 My college, "Pratt Institute" is an art schoolinBrooklynNewYork.Iknow everyone thinks it's very dangerous here (believe it or not, I thought the same way), but it really isn't. The security is more than enough, the policestationisonlytwoblocksaway. The school is famous for almost any kindofartespeciallyinNewYork,but it is famous for its Industrial Design, FineArts,CommunicationDesign,and last but not least, the Architecture department. Many people doesn't know this, but the architecture department is said to be one of the bestinNewYork.Manyinternational students(30%ofstudentpopulation) comeherefromallovertheplace.Iam the only Japanese here who have come directly from high school. I am alsothefewwhois18inmyfreshman class.Manyaretransferstudentfrom othercollegeslikeColumbia,andone is a graduate from Tokyo Kougyo university.Almosteveryonehassome kind of related experience in the field of architecture, such as a graduate from some other college to high school graduate from Engineering high schools. I'm studying architecture here, with many experiencedclassmatesataveryhigh standardlevel,tryinghardtoimpress thisverydemandingprofessors. We architects are all busy everyday. We have to work all night to meet his/ herdemandsthatchangeseveryclass. Soeachdaygoesbyreallyfast!IwishI had at least 36 hours each day so I can getasolid10hoursofsleepeveryday. But in reality, I can only get like 3 to 4 hours of sleep if I am lucky ( I feel like aJUKENSEIsometimes). I'm really enjoying my college life here. This was what I wanted to do since Junior High, and because everyone is a step ahead of me, I am forced to do extra hard to even with them, or to be the best in class. This a lot of work, but it is really worth it. I'm happy with this school (though the heaterinthestudiodoesn'twork),and I know I made the right choice. My schoolisnotreallyfamousthroughout the nation like Harvard, but I assume it's better, at least for me. How did I end up here? I did a lot of reserch in books, and picked some schools that met my standards, and sent a letter asking for a school catologue. I looked extremely carefully at the curriculum, because that is what you go there to do. For me, I knew what, and where I wanted to study, so it was easy for me to pick the school. I also talked to some architectsandaskedforsomeadvice.I basicallychosethiscollegebecauseI wanted to study architecture in New Yorkcity,thatoffersabachlordegree, andisaffordable. Moneyisalwaysan importantfactorinchoosingaschool. Always talk to your parents or whomeverisyourfinancialsupporter and discuss your feelings, and thoughts, explain to them why you wanttogotothatparticularschool,or you'll be regretting the choice you made. I in particular, urge you all seniors to go to a college in the states if you are serious about your future career. I knowmanyofmyfriendswhogoesto colleges in Japan are not so really satisfiedwiththeirschools.Iknowone person is actually helping the I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 professor teach a class. Are some of youafraidthatyourEnglishmightnot begoodenough?Well,I'msorrytosay somepeoplehavemoregutsthanyou. My Japanese friend here transfered fromSeijyoUniversitywithabsolutly no experience in English other than the English class he took in high school. But he still manages with the helpofmanyothersincludingmyself. And he is doing great! His bridge project was even selected for the archiveforthissemester.SowhatIam sayingisthateveryone,especiallyhere in SIS is elegible to go to the states for college as long as you don't go for linguistics.Alwaystakeadvantagein anywayyoucanwhatthishighschool hastooffer. Youcan'tgetabetterhigh school where you can choose both Japaneseandforeincollege. I would suggest not to go to a college by the name which some people intend to do. Go by what the school is really good at. You don't go TokyoUniversitytodoGraphicDesign right? Alwayscheckthecurriculum, talk to your teachers, read books about them, ask your senpai about their school, do a lot of reserch. Go to theschoolifyoucan.Today,wehavea marvelous tool for reserch, the internet.Takeadvantagefromit.Igot alotofinformationfromthewebsite. The most important thing about choosing a college is you. Ask yourselves why you want to go to college. The reason might be beceause everyone else does. That is not the best reason to go to a college, but it is still a reason. If you don't want to study, don't! My friend is not going to college or the prep school to the try 般 for next year, he works and goes snowboarding in New Zealand. I remenber him saying, "I'll go to college if I ever feel the want, and the need of it". He is right. If you really wanttogo,anddon'tknowwhy,gofor it! There must be a reason deep down inside of you. It's not too late to change your decisions (well some are). Tofinishmysomewhatexaggerating lecture,Iwouldlikeforallyouseniors who is considering on going to a college,goeswheretheywanttostudy to prepair for your professional carreer. And remenber this, "There is no suchthingasSUBERIDOME".Don't eventhinkaboutgoingtocollegesuch asSUBERIDOME.It'sbetterifyougo toprepschoolforanotheryearandgo to the school you want to go (though I don't think all schools in Japan are worthit). Studyhard!Challengeyourself!Get some sleep! Have your mom cook good healthy food! Don't drink too muchcoffee! Wishyouallseniorsgoodluck! "Always do right, this will gratify some and astonish others" (MARK TWAIN) If you have any questions, comments, please send e-mails to [email protected] URLofmycollegeiswww.pratt.edu I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 千里国際学園基本方針 千里国際学園では、自分の 行動に責任を持ち、よい人間 関係を維持していく能力が、 生徒各自に備わっていると信 じます。この考えにもとづい て、次のような行動の目安が つくられています。 5つのリスペクト <5つの大切> 自分を大切にする 他の人を大切にする 学習を大切にする 環境を大切にする リーダーシップを大切にする 13 学 園 一 般 卒業生3名教育実習で奮闘 教育実習を終えて 今後もこの経験を生かしたい 崎岡祐香 今里拓哉 第3期卒業生、追手門大学4回生 第3期卒業生、京都文教大学4回生 10月4日から 2週間、教育実 習生として約4 年ぶりにSISに 通うことになり ました。高校生 の時に3年間も 通った場所なの に、少しの違和 感を感じ、心には逃げ出したいくら いの不安と緊張を抱えて、私の実習 生生活は始まりました。落ちつこう と思っても、「自分が授業をするの だ。」と思うと、不安と緊張はおさ まる事はありませんでした。自分で も、「途中で私、リタイアしないだ ろうか」と不安になるくらいの心理 状況でした。 そして、初めての授業。とにかく 緊張しました。その日は、朝から何 も手につかず、泣き出しそうな勢い でした。授業中も、とにかく「笑 顔」を意識して1時間を乗り切りま した。生徒に「緊張」を悟られない ようにと、心がけたつもりではいま したが、言葉はカムし、頭は何度も 真っ白になるし、足は震えるし。1 時間終わった頃には、全身汗でびっ しょりになっていました。先生方や 同じ実習生には、「初めてにして は、よかった。」と言われて安心し ながら、不安でした。しかし、その 日の放課後にHRのお掃除に行って る時に、私の授業を受けてくれた生 徒の子から「先生、授業わかりやす かったですよ。」と言われた時に、 泣きそうに嬉しくて、不安が一気に 吹っ飛んでいったのを覚えていま す。それからは、廊下でもたくさん の生徒に声を掛けてもらったり、控 え室に遊びにきてくれる子がいたり 14 して、本当に楽しく、充実した時間 を過ごすことができました。 大学の仲間の 中にも教育免許 今、実習を終えて一番に思うこと は、私の実習は生徒のみんなに支え を取得しようと している者は多 られた実習だったと思います。日本 史のクラスのみんなには、たくさん い。しかし、僕 以外は六月に教 発言をしてくれて授業に活気を持た せてくれたり、協力的な態度で授業 育実習に行くた め、僕は皆の経 に臨んでくれたり、クラスもHRも 違うのに廊下で話し掛けてくれる子 験談や苦労話、 感想などを事前に聞くことが出来てい がいたり、みんなのそんな態度が2 週間頑張る力の源になりました。本 た。中には学校側から邪魔者扱いさ れ、一・二回しか授業をさせてもらえ 当にSISの生徒のみんなに感謝してい ます。 なかった者。また、逆に二日目から授 業をさせてもらうと同時に、クラブ顧 実習が終わって思い出すのは、本 当に楽しかったこと、嬉しかったこ 問から雑用まで何もかもやらされ、毎 日が徹夜状態だった者。皆、学校に とばかりです。私には、とても素敵 な2週間でしたが、先生方はもちろ よって様々な教育実習を経験してきた ようだが、僕が千里国際で経験した教 んのこと、生徒の皆さんには、たく さんのご迷惑をおかけしたと思いま 育実習ほどバランスがとれ、充実した ものはなかったであろう。 す。今思うと、とても短かった2週 間、本当に貴重な経験をすることが まず、僕を受け入れてくれた校長先 生や教頭先生をはじめとする先生方に できました。そして、多くの事を学 ばさせて頂く事ができました。この 感謝したい。普段の仕事だけでも多忙 にも関わらず、つきっきりで僕の面倒 場を借りて、教育実習の場を与えて くださったSISと授業のご指導を頂い を見ていただいた中村先生や社会科の 野島先生・ダッタ先生・池田先生・広 た先生方に、心から感謝したいと思 います。本当にありがとうございま 瀬先生には特にお世話になった。授業 に関することだけでなく、それ以外に した。 も多く教えていただいた。また、目が あったときに微笑んでくれたり、廊下 ですれ違ったときにアドバイスや励ま し(イヤミ?)を言ってくれる先生方 がいるこの千里国際が教育実習先で本 当に良かった。 次に、一緒に教育実習生として千里 国際に来ていた崎岡さんと西村さんに も感謝している。教育実習生とはとて も中途半端な立場に立つわけである。 まだ大学の学生でありながら、中学校 や高等学校で教師という社会人として 振る舞うのだ。生徒達は一人前の教師 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 教育実習の感想 西村千絵子 第3期卒業生、中央大学4回生 と同じものを要求すると同時に、先 生方から見れば生徒と大差はない教 え子である。そんな異様な状況の中 でお互いに励まし、批評し、愚痴る 戦友がいたからこそ成し遂げること が出来た。 最後に千里国際の生徒達に大いに 感謝したい。別の立場の者として 戻ってくることによって、改めてこ の学校の生徒達の素晴らしさを知る ことが出来た。僕は主に高校三年生 の世界史の授業を担当した。僕がな れない手つきと口調でする授業を真 剣に聴き、一生懸命考え、大いに反 応を返してくれた。彼らのリスポン スがあって初めて僕の授業は成立し た。僕の授業を参加、又は見学した 人は想像してみてほしい。僕の言っ たことや質問に対して全くリスポン スを返してくれない生徒達が相手で あったら、どれだけ寒く痛々しい一 時間になっていたかを。高校三年と いう大事な時期の貴重な時間を、嫌 な顔一つせず、僕のお相手に費やし てくれて本当に感謝している。その 他にも事務や図書室の方々にもいろ いろと助けていただいた。この場を 持って感謝させていただくことにす る。 「教育実習の感想」というより 「感謝状」のようになってしまっ た。しかし、教育実習が終わり、僕 の千里国際に対する気持ちを正直に 述べさせてもらった。現在少子化が 進み、特に社会科の教師になること は困難な状態である。たとえ大学卒 業後すぐに教師という職に就くこと が難しいとしても、千里国際で教育 実習生として過ごしたこの二週間を 大いに生かして今後の人生を歩んで いきたいと思う。 教育実習は 大きな衝撃と 共に始まっ た。最初に足 を踏み入れた 授業は月曜日 1時限目の 「地球社会と 個人」。朝一番だというのに白熱し た議論が交わされていたその授業が 終わった頃にはホームルームで「寒 い」一言をかましてしまったこと も、前の日からのみっともないくら いの緊張も忘れていた。「私が∼ だったら…」「理屈ではわかるけど 気持ちの上では納得できない」日本 の国旗と日の丸の話をしているとき にそのような言葉が出てきたことが 新鮮だった。「生徒には書物や新聞 に書いてある意見に縛られず、自ら の経験に基づいた考えを語ってほし い」というのが野島先生の願いだ。 私が最後にそのような言葉を発した のはいつだっただろう。 「事実による裏づけのない意見は ただの戯言だ」四年間敵視し続けた 某教授が発したこの言葉が私の大学 生活を変えた。特に1年目は楽しい もののある種の劣等感との闘いでも あった。ぎりぎりまで課外活動とい う熱病にうなされ、受験勉強も必要 最低限程度しかしていなかったので は一般生徒に知識の量で勝てない。 そう考え事実や「現実」にこだわる 中で自分や人の考えに目を向けるこ とを忘れていたような気がする。 「まるで引率の先生みたい」悔し いが、教壇に立った私の姿だ。自ら 経験してもらうことによって学ぶ 「参加・獲得型」の授業を行おうと してしていたもののうまくかみ合わ ない。「自分が動かすのではなく引 き出すこと」が鉄則のはずなのに 作ってきた計画表に合わせて授業を 行わなければならない気になってし まう。「放っておけば自分で考えて 言ってくるから、待て」「補足と 『まとめ』に集中しろ」野島先生に そうアドバイスされて途中で授業プ ラン(教育実習の課題の一部なので 作りましたが)を心の彼方へぶん投 げた。そして考えをぶつけてくる生 徒たちに頭をフル回転させて応戦す る。真剣勝負のハラハラ感はあった が、久しぶりに自分の言葉で話せた 気がする。 教師として学園に戻ってきたはず が、大切なものを学んで帰る結果と なった。久しぶりだというのに覚え ていて声を掛けてくれたり、こんな 私を「先生」と呼んでくれたり。ク ラスのみんなのサイン色紙のお土産 付きの温かいおもてなし、嬉しかっ たです。けれど何よりも、原点に戻 してくれる「最後の授業」をしてく れたことを心から感謝しています。 だからこそ教授の一言は重く胸に響 き、「超」がつくほどの負けず嫌い 根性に火をつけた。事実による裏づ けさえあれば「意見」として認めて もらえるなら、教授に批判された 「陳腐なセンチメンタリズム」や 「理想論」をうまく仕立て上げ、 ぎゃふんと言わせてやる。しかし、 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 15 学 園 一 般 参加してよかった4週間 <夏の海外研修報告> カナダ英語研修 一生大切にしたい 欠けている感じが するから。と答え 太田雅子 高等部2年 ていました。私は これを聞いて、T このプログラムに参加した理由 OEFLの事しか 考え無かった自分 は、勉強(TOEFL)のためでした。 ネーティブ・スピーカーのなかで英 がちょっと情けな く感じました。そ 語力をつけたいとおもっていまし た。しかし、カナダに着くとプログ して、これからは もっと広い、柔ら ラムの参加者は主にメキシコ人で びっくりしました。想像していた感 かな考え方をした いと思いました。 じと全然ちがいましたが、行ったか らにはおもいきり頑張ろうと決めま このプログラム では楽しい日々を した。 レベル分けがTOEFLのテストに 過ごし、勉強では成功を収めたとは 言い切れませんが、素晴らしい出会 よって行われ、四つのレベルのクラ スができました。皆年齢不祥で、あ いもあり、頑張った甲斐があったと 思いました。そして、最初は正直 とで聞いてみると同い年位に見えた 子が年下でかなりショックをうけま いって、不安や不満で一杯だった 私、ヒロ(高等部2年太田浩之)、 そして何人かも、このプログラムに した。それでも皆、学校で習っただ けの英語なのに、帰国子女の様な感 じでペラペラしゃべってました。中 には間違った英語を喋る人もいまし たが、そんなことは気にせず、恥ず かしがらずに頑張って、発言してい ました。私はこれを見て、きっと沢 山喋る事によって英語力を伸ばして 向かって左から1番目が田中さん、4番目が太田さん きたくてたまらなかったです。カナ ダでは2週間の寮生活と2週間の Homestay生活が私を待っていまし た。まず、St.Margaret School(2週 間勉強した場所)に行きました。私 のルームメイトは17歳のMexicoから きた女の子でした。彼女の名前は 来て良かったと口を揃えて言いまし た。 Reynaでした。2歳も年上の人と同じ 部屋になってうまくやっていけるか こんな風に考えが変わったのも、 1ヶ月間を一緒に過ごしたメキシコ どうか不安になりました。部屋をで るとスペイン語が聞こえてきまし 人の友達、そしてクラスメートのお かげだと思っています。この夏の出 た。私は少しびっくりしてしまいま した。でももっとびっくりした事が 会いは一生大切にしたいです。 ありましたそれは、参加者が50人位 いてそのほとんどがMexico人だった きたんだと気付きました。 いざ、授業が始まると、せっかく のTOEFLの授業を皆が嫌がるので、 先生が中止にする事もあって、たま 帰りたくなかった 事です。あとは日本人とHong Kong の人とTaiwanの子がいました。だか に腹が立ってしまった事もありまし た。中には、簡単だと感じた授業も 田中美絵 ら英語を習いにきた私はSpanishしか 聞こえない事に不安になりました。 ありました。授業は、レクチャー、 ディスカッション、グラマーといっ た英語の授業がありました。 最後の日に皆が感想を述べた時、 皆は私とは全く異なる理由で参加し ていた事が分かりました。皆は、先 生の、どうしてTOEFLをそんなにし たがらなかったのか。と言う問いか けに対してTOEFLは決まった、ロ ボットのための英語の様で柔軟性が 16 中等部3年 最初のみんなの印象はよくありま せんでした。きっと私の印象も良く 今年の夏、私は4週間カナダに行 きました。行こうと思った動機はた なかったでしょう。4週間もここで うまくやっていけるか不安になりま くさんあったけど、一番行ってよ かったと思った事はとってもいい友 した。でもその不安も飛ぶかのよう にだんだんみんなと仲良くやってい 達ができた事です。このPearson Summer Program は私にとってすごくいい けるようになりました。Soccerをし たり、お互いの国の事を話したりし 思い出になりました。 7月4日にカナダに到着した私は てみんなのことがだんだんわかって きました。Reynaとも夜遅くまで話し 長旅に少し疲れてたけど早く寮に行 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 たので、なかなか朝起きられません た。クラスがいっしょだったのでよ がつけば最後の日でした。私はカナ でした。だからよく昼寝をしまし た。 く授業中話したり、紙で書いて話し たりしました。CarolinaはDanceがう ダから帰りたくありませんでした。 最初の不安はどこかに消えていまし 2週間が過ぎ、寮生活が終わり次 はHomestayです。Homestayから まいので私に少し教えてくれたりし ました。TaniaというMexicoの女の子 た。みんなとお別れを言うのが辛く て、大泣きしました。その最後の日 PearsonCollegeに通いました。 Homestayは雅子ちゃん(高等部2年 ともAfternoon Activityがいっしょ だったのでカヌーなどいっしょにし は朝の1時半までみんなとお別れを していました。 太田雅子)といっしょで、色々とい ろんな事について話しました。 ました。最初はどうしようと思った けどすごくみんなと仲良くなれて嬉 こんなに楽しいProgramに参加して とても良かったです。4週間で出 HostfamilyはMargaretとCregの二人で 親子でした。Cregは息子で30才位で しかったです。 Pearson Summer Program で、働い 会った人達は私にいろんな事を教え てくれました。大切な友達ができ最 した。Margaretはとってもおいしい 料理を作ってくれるので、いつも楽 てたmonitorの人とも仲良くなれまし た。Johnという一人のmonitorの人は 高の夏でした。またいつか同じメン バーでカナダで会いたいです。 しみにしていました。 Pearsonに移ってみんなと仲良くな 私が彼の妹に似てると言ってProgram 中ずっとそればっかり言ってまし れました。中でもCarolina という Mexicoの女の子と仲良くなれまし た。 時間が経つのは早かったです。気 SISは社交的だけど… <ただいま留学中> 呂 秀慧 高等部2年、Allen CO. Scottsville High School またまたリュウでっす!!実は毎回でもいいよと いわれたのでおいしいっ(><)/、ということで できれば毎回載せていただこうかと思います。私の これからの体験話が将来留学したいなと思っている 人達の参考になってくれればと思います・・・(変 な事しか書かなそうですけど・・・)。さてさ て・・・。 こちらに来て早かれ遅かれ2ヶ月が経つのです が、はじめにムカッときた事がありました。それは アイサツです。SISのように「Hi」というさわやか な言葉が飛び交うのかと思えば・・・。こっちの生 徒は目が合ってもすぐそらしてスタスタと行ってし まいます。(そうじゃない人もいるけど65%はそう です) 今、私はバスケ部に入っていて特別に居心地の良 いロッカールームを使ってるんですけど、そこでも I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 中にいる人は部屋に入って来た子をただ見るだけ。 また入ってくる子も自分のロッカーにスタスタと 行ってしまう。本当に友達か?、とかちゃんとまと まってるチームなのか?、って思うんですけど2ヶ 月も経てば慣れてしまいました。(−。−)y―・・ 最初は留学生だから無視されるのかなとか思って 悩んだりもしたんですけど、みんな同じで全然悩む 事ではありませんでした。ただみんなツンツンして るだけ。こういう時はポジティブに気にせず「目に は目、歯には歯」作戦ですっ。相手が無視したら こっちも無視。これが一番です。 でももしかしたら私が行ってる学校だけかもしれ ませんけど・・・。でもSISではちゃんと元気に挨拶 をし続けてください。SISはとても社交的な学校です よ。(^^) 17 学 園 一 般 SHARE=分かちあうこと <留学体験報告> ∼アメリカで学んだこと・私の留学体験から∼ 市河原章子 高等部3年 私は、1998年8月から1999年7月 まで、約1年間アメリカのニュー まし、前向きに生きようと、心にこ う誓いました。「この学校の人たち ガールスカウト、老人クラブ、学 校、教会、子供会等で、私は日本の ヨーク州でAFS(American Field Service)の第45期交換留学生として過 みんなと友達になろう」と。その 時、私は自分自身がどのような状況 ことについてのプレゼンテーション の依頼を受け、アメリカの人に日本 ごしました。 私がアメリカに留学したいと思っ に置かれても常にpositiveに人生を切 り開いていこうとする強さを見まし についての話しをする機会を持つこ とができました。 た理由が4つありました。1つは英 語の上達、2つ目は アメリカに対す た。 私の留学先の学校には、日本人は アメリカで私は、多くの場所を旅 することができました。ボストン、 る憧れ、3つ目は今までと違った視 野を持ちたいということ、そして4 一人もおらず、アジア系の生徒は3 人、黒人の人は一人、あとは白人と フロリダ、ミシガン、カナダのトロ ント、ナイアガラフォールスなど、 つ目は自分自身に自信が欲しかった のです。違う視野が何故欲しかった いう構成です。1学年は約200人の公 立高校です。日本にいるときは、自 どの場所もとても印象的でしたが、 その中でも一番印象的だったのは、 のかというと、私は社会的にも、世 界的にも幸せな環境の中で生きてい 分は日本人だという認識を持って生 活することなどなかったが、アメリ 留学団体同士の交流で、他の国から の留学生達と一緒に行ったNEW るのに、何かいつも満たされていな いものを感じ続けていたのです。そ カでは目をあけているだけで、自分 のバックグラウンドを感じざるをえ YORK CITY です。 私は、AFSの交換留学生でした れが何なのか、自分自身を見つめた かったのです。そして、自分で「何 ませんでした。それは、時として大 きく私にストレスとしてのし掛かっ が、私と同様にこのAFSは日本だ けでなく、世界中からの留学生を派 か」の答えが見つからないまま、受 験勉強をし、日本の大学へ進むこと てきました。しかし、それは私に とって違った視野を自分のものして 遣しています。私と同じ地域にも約 30名の留学生が派遣されていまし に疑問を抱いていたのです。そし て、大学を含めて、高校卒業後の進 いくための必要なプロセスだったの だと思います。 た。この世界各国からの留学生達と 旅をしながら、私は素晴らしい国際 路を考えるにあたり大きな視野を身 につけた上で、自分の進むべき道を 学校で私は、この学校に早く慣れ るためにも、友達を作るためにも、 交流をすることができました。みん なで自分の国について、そしてアメ 決めたかったのです。 1998年8月6日、私のアメリカで テニスを始めました。日本でテニス の経験はほとんどありませんでした リカについて、自分自身についてな ど、さまざまなことを語り合いまし の留学生活が始まりました。アメリ カでの全く知らなかった人々との生 が、一生懸命頑張った結果、シーズ ンの最後には地域の学校8校から4 た。みんなで語り合っているとき、 私は人種の違い、母国語の違い、政 活に飛び込んだ私の日々は、まさに 新しい体験の連続でした。その生活 名だけが選出されるオールスターに 選ばれました。この結果は、その後 治の違い、宗教の違いなどすっかり 忘れていました。あとで、はっとそ に対応していこうとするとき、私は 今までに経験したことがないほど膨 のアメリカでの生活を元気づけてく れることになりました。そして、次 のことに気づいたとき、自分自身の 中に単純な疑問が湧いてきました。 大な精神力を自分自身に要求されま した。その中でも一番精神力を使っ 第に多くの生徒が声をかけてくれる ようになり、友達も毎日増えていき 「何故、人は民族紛争をするのだろ う」私は、きっとお互いにお互いを た場所は学校でした。私は今までに 転入生としての経験もなく、すでに ました。テニスのあとは、バレー ボール部、国際関係部、またミュー 知らないからではないか、交流とい うことをしていないからではない 生徒の間でグループができてしまっ ているという経験は初めてでした。 ジカルのメークアップも担当しまし た。そして、学校が終わる頃には、 か、と思いました。相手側の状況を 理解するということ、簡単そうで非 そのため私は、とても緊張し、自分 が選んだ道とはいえ、その現実に圧 全員とは言えないまでも、私の誓い にかなり近い結果になり、私自身と 常に難しいことだとは思います。し かし、お互いに理解するという努力 倒されていました。でも、自分を励 ても幸せでした。 を続けたら、戦争もしないですむの 18 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 園 一 般 たって、この人達のこ とを抜きにはできませ また、アメリカでの約1年間の生 活の中で学んだことのなかに、 ん。アメリカで本当に 多くの出会いがありま "SHARE"=分かち合うということが あります。アメリカで、私は"share" した。でも、もっとも 感謝したい人達は何と という言葉を日常の中でたくさん聞 きました。"share"とは、独り占めす いってもホストファミ リーです。彼らへの感 るのではなく、分かちあうというこ とです。それは、個人的レベルでの 謝の気持ちは、こくれ らいといったように言 幸福だけを求めることではなく、全 体的な幸福を求めていくことだと思 葉で表せるようなもの ではありません。 います。振り返ってみれば、少しづ つ大人への階段を登って行きなが 彼らは、私の人生を 大きく左右する重大な ら、分かちあうという大切なことが らが自分の中で次第に薄らいできて ではないでしょうか。相手の状況を 言葉をくれました。一 つはホストファザーのことばです。 いたように思います。この忘れかけ ていた分かちあうという気持ちを、 理解しようとしない方が一方的に争 いを始めたり、相手を無視すること この言葉を聞いたときの状況は、私 とホストファザーとがあることがら その大切さを思い出させて、あらた めて教えてくれたのもホストファミ しかしないもの同士が争ったりし て、世界のあちこちで悲劇はどんど について意見が違い、論争したあと のことです。そのとき、彼はこう リーでした。私は、あるときなぜ私 をボランティアとして受け入れてく ん生まれていくのではないでしょう か。人間のエゴとエゴのぶつかり合 言ってくれたのです。「僕はいくら 怒っても、君を愛しているというこ れたのか、尋ねたことがあります。 その時、彼らは笑顔で"Becuase we い、悲しいことです。日本でも約50 年前は、私達のおじいちゃん達は第 とには変わりはないんだからね。喧 嘩をしたって、あっこのことを嫌い wanted to share our life "と答えてく れました。Share−共に分かちあうこ 二次世界大戦で戦っていました。で も、今のNEW YORKでは、こうして になったりなんか絶対にないから ね」と。そして、 "I love you no mat- と、この大切さは私のホームステイ 体験から学んだ一番の宝物です。 若者がつどい、お互いの国籍のこと など忘れ、共に語り、踊り、笑い、 ter what " と言ってくれたのです。私 は涙が止まりませんでした。本当に このアメリカでの約1年間の留学 を通して、私は多くの人に出会い、 泣き、感動する時間を持つことがで きたのです。私にとっては、本当に 人を愛するということの深さを教え てくれました。また、ホストマザー 多くのことを学ぶことができまし た。ホストファミリー、友達、地域 大きな感動でした。この感動を分か ち合うことができた私達は、2005年 は、こんな言葉を言ってくれまし た。 "Life is a series of choices"「人 の人々、心から感謝しています。そ して、日本から私を励まし、サポー に正月にジャマイカでまた再会しよ うと約束をしました。国境を越えた 生は選択のつながりだ」というこの 言葉は、私の心にリアルに響きまし トしてくれた両親や友達をはじめ大 勢のみなさん、本当にありがとうご パワー、素晴らしいと思います。人 は、バックグラウンドが違うだけで た。そして、その言葉が、私のこれ からの自分の行動の一つ一つを見つ ざいました。 あって、人であることには代わりは ないのです。人は人なんだと、単純 めるきっかけになりました。このよ うに、ホストファミリーからもらっ なことが、はっきりと理解できまし た。 た素晴らしい贈り物は、私の人生の なかで、すばらしい財産だと思って アメリカでの私の生活を語るにあ います。 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 19 The Color <留学体験報告> 宮永理央 高等部3年 前回僕の留学の中間報告と題し な学校だと先を思い て、「留学は大変だぜ」という形の 文章を皆様に読んでいただいたわけ やった。 しかし、そんな不安 ですが、今回はその波瀾万丈の留学 生活の荒波の中で教わり、そして学 はものの6時間後に消 え去っていた。異様な んだことを踏まえて論文形式で一つ 書いてみようと思って筆(ペン)を ムードの中にいた僕の 気持ちを一転させたの とってみました。文章としてはまと まりも悪く、非常に読みにくいもの はその日行われたアッセンブリーで あった。黄・黒・白色の生徒達約 のだと思う。 彼らの根本をつくっているのは彼 だと思いますが、“自称”多忙な最 近の生活の中、精一杯書いたので、 2000人が一同に会した体育館はまる で蜂の巣の様で、初めはやはり らの信じるもので、多くの人間がち やほやするものも存在しないわけで 興味がある方はどうぞ読んでやって ください。 「やっちゃった」と思っていたのだ が、吹奏楽隊による国歌のイントロ はないが、「自分」をもっているか ら日本のそれとは根本から違うし、 《The color》 が始まり、皆が左胸に右手をあて一 斉(声)に歌いだし、それが終わっ 「流行」というものも生まれにく く、そしてあったとしてもその寿命 ここ最近日本では若い人を中心に た時僕は確かに心に何かしら熱いも のが芽生えはじめていることに気が は長い。 しかし日本では、「流行」の波が 「流行」を追い求める姿勢というも のが強くなっている様に思える。例 ついていた。そう、一見彼らは「皆 同じ」に装っている様に見えるが、 次から次へとやってきてしまう(早 ければものの1ヶ月くらいのターム えばある有名人がしているアクセサ リーがたちまち街に溢れたり、言葉 それは大きな間違いだったのだ。彼 らの身にまとっていたものは彼らの で)。「いいもの」を「いい」と思 う事は大切だと思うが、あまりにも にしてもどんどん新しいものがあら われてくる。彼らに言わせればそれ 「スピリット」そのものだったので ある。彼らの学校を愛する心が結 それが多くなると結局「自分」とい うものが解らなくなってしまい、中 は「波に乗る」行為であり、「遅れ てはならない」らしく、「出る杭は 果、この様な一見“異様”に思える 集会を形作っていたのである。僕が 身の無い人間(僕の言葉で言えば “のっぺら坊”)になってしまう。 打たれる」から皆と足並みを揃える らしいが、僕は「打たれても出る 何故彼らの国歌斉唱を聴いて心に響 いたのかと言うとそれは彼らの「ス わざわざ高い学費を払ってこういう 特殊な学校に来て、のっぺら坊にな 杭」になることこそ今の我々若者に 足りないものだと思う。 ピリット」が僕の心まで届くほどの ものだったからだろう。 るほどバカげた事は無い。 だから、一度じっくりと「自分」 ここで僕のアメリカでのこんな経 験談を紹介したいと思う。あれは僕 何はともあれアッセンブリーは続 いていったのだが、秋の倶楽部発表 というものを見直し、自分を理解 し、そして自分だけの「color」を発 がアメリカの高校に入学して1週間 が過ぎたあたりの事だった。その日 にしても何らかの賞等を受賞した 人々の発表の時も僕には教えられる 見してみてはどうだろうか。そし て、誰に何といわれようとゆずれな は金曜日で、入学後初めてのアッセ ンブリーが開かれる日だったのだ ことばっかりだった。彼らは自分自 身はもちろんの事、彼らのやる事、 い何かを持ってみてもいいと思う (それは、好きな食べ物とか歌手だ が、まずびっくりしたのは、彼等の 服装だ。上から下までスクールカ 成す事、信じるもの全てに自信を 持ってるのだという事に気が付い とか何だっていい)。そういう意味 で僕は「打たてれても出る杭」にな ラーの黄、黒、白に飾られた彼等は まるで仮装行列の集団・・・という た。もちろん間違いをおかす事だっ て少ないわけでは無いと思う、しか る事を勧めるのだ。なぜなら 「color」の無い同じ高さに揃った よりむしろサーカスの一団状態。聞 くと毎週金曜日は“スクール・スピ し自分の信念を持って物事に取り組 むから失敗してもなお心地よいし、 「杭(人間)」の集団はのっぺら坊 の集団と何ら変わりはないし、信念 リッツ・デー”たる曜日らしく、つ まり毎週、週末の学校はこの状態が 後悔しないのだと思う。そして、だ からこそ彼らは他人の努力、そして を持って「出ている」「杭」ならば 打たれても簡単には負けないから 続くということらしい。なんて異様 成果に心から賞賛を送る事ができる (次ページへつづく) 20 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 貴重な半年間 <留学体験報告> 桂 翔夢 中等部3年 2月から8月まで僕は短期留学と ど人気があった。 いう形で約半年、アメリカのアイオ ワ州の学校に通った。その学校は過 アメリカの物は日 本で手に入るの 去に一度も外国人を入れたことがな く心から僕を歓迎してくれた。そう に、日本の物はア メリカでは手に入 はいっても学校に入るための手続き などを一切することなく僕を学校に らないのかと表現 しにくい気持ちに 受け入れたことには少々驚いたが。 こっちの学校とうまくやっていける なった。 ホームステイさ かなどという疑問も初日から打ち消 されてしまった。みんな日本人であ せてもらっている 家は馬が2頭、犬 る僕がめずらしかったのかとてもよ くしてくれた。 が2匹、猫が20匹 の動物だらけの家だった。その動物 と疑問を持ったこともあった。 授業の内容はSISとは異なり、先生 達が決めたスケジュールにしたがう 達のえさをやるのは僕の仕事だった ため学校の生徒達だけでなく動物達 アメリカ人の家族の一員になりア メリカ人としてアメリカにいたあの というもの。登下校はほとんどの生 徒がスクールバスであるため部活な ともすぐ仲良くなることができた。 その家の両親はおそくまで仕事をし 長いようで短かった半年間は忘れる ことのできない思い出となってい どの特別授業は普通の授業としてス ケジュールに組み込まれていた。僕 ていたため家族そろって食事をとる ということはあまりなかった。ただ る。 の場合は半年間という時間制限が あったため部活に参加することはで 日曜日だけは家族みんなで教会にい きミサに参加するということになっ きなかったが、かわりに日本のこと をクラスに教えてほしいと先生に頼 ていた。ちなみにこの家族は根っか らのクリスチャンで人間の祖先はク まれ、まだ部活に参加することので きない低学年のクラスにおじゃます ロマニヨン人だとか地球はいん石が ぶつかりあってできたとかなどと僕 ることもあった。みんなが一番興味 があるといっていたのは食べ物や環 が言うと「神様が人間を造ったん だ。」とか「神様が地球をお作りに 境だった。日本での伝統的な食べ物 や自然破壊などがその主なものだっ なったんだ。」などという。聖書に 反するようなことを口にすれば家族 た。偶然持ってきていた日本のお茶 やおかしをみんなに配ると「住所を 全員で一時間もお説教をくらってし まうようなこともあった。こんなと 教えるから送ってよ」といわれるほ き歴史の先生などはどうするんだ? (前ページのつづき) 事ができると思う。「リーダーシッ だ。要はどれだけ豊かな「color」を 持てるかだらろう。この貴重な中・ プ」「環境」「勉強」「他人」−そ して『自分』を大切にするというリ 高校生活の中で「悔い」を残さない 様に生活できるかだと思う。 スペクトによって・・・。 最後に、色々だらだら書いてきた が、結局全ては我校の掲げる5つの リスペクトによって簡単にまとめる I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 21 学 年 だ よ り 学年だより ●中等部1年生 影響というのは計り知れないものが あると思うのです。 ●中等部2年生 離島の教育に思う 本校のあちこちの学年の授業で生 徒に手を挙げてもらっているのです 運動会で2連覇 野島大輔 が、「小さいころ野原や海や川で思 う存分遊んだ」「おじいさんやおば 高橋寿弥 社会科 早いものでもう秋学期も過ぎよう あさんと一緒に住んでいた」「近所 同士で子供が行き来して食事を共に 昨年度に引き続き、今年もぶっち としています。複雑な校舎の中を右 往左往していた7年生も、今や様々 する事があった」「夏休みにカブト ムシやセミをよく取りに行った」 ぎりで余裕の優勝!!!普段から団 結力のある我がSIS中等部2年 なクラブ活動などに積極的に取り組 み、すっかりこの学園の主の一員へ 「年齢の違う子供同士が大勢で一緒 に遊んでいた」「親以外の近所の人 生!!!運動会でドラマを見せて魅 せてくれました。本当におめでと と成長していっている様子です。 昨今、沖縄の離島の教育事情がい にも叱られた事がある」経験のある 子供たちはもはや希少価値といって う!!!心から祝福したいと思いま す。少し自慢話のようになります ろいろと紹介され始めています。そ こでは本土都市文化と同じ言語と同 良い割合の人数です。今の子供たち はもはや私たちの世代とは格段に異 が、運動神経のいい子が多く、運動 が苦手な子も我武者羅に各々の競技 じ建て方の校舎の中で、本土とは全 く違った人々のつながりを元にした なる幼少時代を過ごしています。そ れを大人たちはわかっているのか、 に参加できる、言わばスポーツにつ けての「熱血人間」がこの学年には 学校があります。学校の運動会が即 大人も含めた島全体の運動会だった わかってもしかたがないと思ってい るのか、わかって何とかしようと 多い気がします。当然エキサイティ ングな場面も随所に見られ、見てい り、授業で父母が働いて得た魚や野 菜をモデルに図鑑を作ったり、学校 思っているが手段が見つからないの か…。 る側も心底興奮し、感動を与えてく れました。勉強の面でもこういう感 を支える共同体が常に授業の背後に 良い影響を与えています。逆に、島 6年間使う「学年ボール」が先日 落とし物として届けられ、貸し出し 動的な場面をもっともっと見せて魅 せて下さい!!!期待していま の行事にちゃんと子供たちや中高生 の出番(ハタスガシー)があった の責任の所在を表す「リストバン ド」は3つとも紛失していました。 す!!! こうなったら、6年間連続優勝を り、小さな子供が家業を助けながら 世の中を自然に学んだりしていま 自分で考えて行動することを忘れて 「大勢の中に隠れる一人になってな 是非とも狙いましょうよ。人間何に つけても欲張りに生きたほうがいい す。寝たきり老人の世話や知的「障 害」の子供の居る世帯への支援も島 んとなく行動する」様子が伺える出 来事もありました。「沖縄の離島の と思います。「来年はハイスクール の1番低い学年になるから難し 全体でするのが当たり前、道ゆく 人々がほとんど互いに家の中の様子 先生ならいったいどういうふうに指 導しているのだろうか?」「僕は果 い」って? そんな心配は御無用で す。君たちは1番若い学年です。パ まで知っているどうし、食べ物や飲 み物も共有する意識があり旅館や商 たしてそういう指導が出来るだろう か?」「私たちの学園を本当に良い ワーは絶対他には負けません。女子 も男子も全学年通じて1番賑やかで 店でも損得を度外視した人々へのふ るまいを欠かしません。私も縁ある 学びができる環境にできるだろう か?」と、つい家の壁いっぱいに貼 す。そんな自分たちを誇りに思って 下さい。先生は常々そう思っていま 度に沖縄の離島へ足を運ぶ「沖縄 病」患者の一人ですが、そこでの自 り散らかした離島の写真を眺めて考 えてしまった次第です。 す。 それに加え、運動会の次の週は代 然や人々に何度癒されたかわかりま せん(昨夏は妻を大阪に置いてまで <参考文献> 『好きになっちゃった沖縄』『好き 休がなくみんな「バタンキュー」か と思いきや、非常に元気よく学校生 旧盆の獅子舞を見に出かけてしま い、それを棚に上げて「子供が出来 になっちゃった沖縄の離島』双葉 社、灰谷健次郎『優しい時間』読売 活を送っていたことにも拍手を送り たいと思います。 たら絶対こんなところで育ててやり たいね!」と暴言を吐く重病ぶ 新聞社 以上、今年の秋のある1日の出来 事でした。 数学科 り)。このような恵まれた自然環 境・人的環境が子供の成長に与える 22 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 学 年 だ よ り ●中等部3年生 でしょう。九月から中等部三年生の 担任をしています。この出会いが、 た。その時、15歳の次男(昨年の私 のバディー、今年のM君のバディー 出会いを大切に 僕にとっても、中三の生徒達にとっ ても、意義深いものとなってくれる であるP君、因みに、彼は成績も優秀 で日本語も勉強していて、来年は日 松島 勇 ことを期待しています。 国語科 本にも来る予定でいます。)の引越 しの荷物の中にある物をお母さんは 先日、授業中に生徒からどのよう 見つけたのです。その類の物はこの 家では子供たちは持たないようにと にして現在の職(SISの教員)に至っ たのかについて質問されました。そ ●高等部1年生 願っていた物でした。 それは、本物そっくりのモデルガ のときに大体は答えたのですが、あ とで考えてみて付け加えたほうがい オーストラリアでのお話 ンでした。それを見たお母さんは考 えました。どうしたらこういう物を いと思ったいことがあるので、それ をここに書こうと思います。 中村亮介 持つ必要がないのか、また、この家 では持ってほしくないのか。(最 それは、人との出会いが大きく影 響していたということです。大学を 卒業したときから今に至るまでの自 分を振り返ってみると、実に多くの 人との出会いがあったと思います。 その出会いが現在の自分に導いてく れたのであるし、出会いから得た多 くのものが現在の自分を形成してい るのだとも思います。ですから、教 師という仕事を続けているのも、SIS で働いているのも、出会った多くの 人たちのおかげだと言えるような気 がします。 例えば、関西と縁が出来たのは前 の職場からです。同僚に何人かの関 西出身の方々がいて、その方たちの お蔭で、関西に親しみを持ちまし た。新卒で入った僕は多くの方々に 面倒を見てもらっていたのですが、 特に親しく付き合ってくださったの は関西出身の方々だったからです。 もちろん人間ですから、馬が合った というか相性がよかったというのは あったと思います。でも僕の中に も、この出会いを大切にしようとい う気持ちはありました。それがあっ たからこそ、面倒を見てもらえたの だと思いますし、現在もいい友人と して付き合ってもらっているのだと 思います。そんなわけで、関西には 結構いい印象は持っていましたし、 何度か遊びに来たこともあります。 関西で暮らすようになって、随分経 ちますが今でも何か不思議な気はし ます。 さて、これも縁あってと言うべき 社会科 昨年私のホームステイでお世話に なったプラットさんご一家は、学校 のすぐ近くに住んでいます。今年は 9年生(中3)のM君がお世話にな りました。 そこのお母さんの話。(といって も私より4歳も若い)彼女は生まれ つき足が少々不自由で小学校時代は そのことでよくいじめられたそうで す。中学校に入ってからも同じ事で いやな思いをし、途中で学校へ行か なくなってしました。16歳のころか ら働き始め、現在のご主人と出会っ たのもそのころで、20年近く一緒に いるそうです。離婚家庭の多いオー ストラリアでは珍しいカップルかも しれません。(本人もそう言って いました。) 彼女は私が滞在中も良く色々な話 をしてくれました。自分の事、生ま れ育った家族の事、今のご主人がど れほど彼女に優しいか、そして、自 分の子供たちについて(17歳、15 歳、11歳の男の子と、6歳の女の子 の4人の子供がいます)などなど。 自分は中学校も途中で止めてし まったので子供たちにはキチンと学 校で勉強をしてもらいたいとか、聞 いているととてもしっかりとした考 えを持っているお母さんだなと思い ました。 今年、再度訪問をして、こんな話 を聞きました。 プラット家は昨年まで住んでいた 隣の家に今年の初め引越しをしまし I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 近、オーストラリアでも青少年の犯 罪や事件、麻薬の害などが増加して いるそうです。)彼に解ってもらう にどう話したらいいか考えました。 頭ごなしに叱る事は効果がない事は 十分に理解していました。 そこでお母さんはこうしました。 本人にモデルガンを持ってこさせ、 それを持って彼と一緒に近くの警察 署に行きました。そこで、担当の警 察官に事情を話しました。するとそ の警察官は話を聞き終えて2人にこ う言いました。 「2人ともしばらく後ろを向いて いてください。」 30秒ほどして 「では、こちらを向いてくださ い。」「そして、このテーブル上に 置いてある2つ拳銃のうちのどちら が本物か即座に答えてくさい。」 警察官は、自分の本物の拳銃を出 してきて、彼の持ってきた本物そっ くりのモデルガンとをテーブルの上 に同じようにならべたのです。 2人はしばらく考えてから本物と 思う方の拳銃を指差しました。それ を見ていた警察官がP君を見つめなが らこう言いました。 「夕暮れの公園の小道で君ぐらい の身長の男が数人いて、そんな銃を 構えていたら(P君は180cm以上あり ます)、しかもそれを巡回中の警察官 に向かって、たとえ遊び半分にしろ 銃口を向けていたら、その警察官は 間違えなくそれを見たとたんに自分 の持っている本物の銃の引き金を君 23 学 年 だ よ り に向かって引くよ。」 と言いまし た。そして、彼に更にこう言いまし ず試しに1回だけということで、今の 形が生まれ、そして定着しました。ス みなさんは、学年登校日を除いて冬学 期から自宅学習になります。それぞれ た。 「それでもこれを君が持っていた ポーツデイ、卒業式、そしてこの学年 旅行も生徒が自分たちで準備し運営す が計画的に有意義に過ごして下さい。 受験を控えたみなさんにとっては最 いと言うならそれは君の自由だが、 今のような話になってもそれは君の ることが、今では当たり前になってい ます。毎年経験を重ねていける教師と 後の追い込みの時期でもあります。体 の調子を崩さずに目標に向かってがん 責任になるからね。」 と。 この話の後、彼は2度とモデルガ 違い、生徒達にとってはどれも生まれ てはじめての経験です。彼らはいつも ばって欲しいと思います。自宅学習に なっても、毎日学校の図書館等で自習 ンを持つ事はしないと両親に言った そうです。 手探りで準備をしていかなければなり ません。悩んだり苦しんだりと苦労の するのもいいでしょう。質問をしたく なった時にも好都合ではないでしょう 土地柄や国民性も違うので、その まま今の私たちのこの日本の社会に 連続のはずです。それでもなんとか作 り上げていくことになります。効率を か。一人ではくじけそうだったら、同 じ目的を持つ友人とがんばればいい。 上の話を当てはめる事は出来ません が、ただ、考えさせられたのはお母 考えると無駄なことかもしれません。 完成度を考えれば教師や旅行会社にゆ この時期にすでに進路先が決まって しまったみなさんの中には、自分の学 さんの行動も、その話に真剣に付き 合ってくれて粋な(?)話をしてく だねた方がいいのかもしれません。し かし「生徒が作る」ことに大きな意味 びたい科目、少し不得意だった科目に 再挑戦してやろうと冬学期にも履修登 れた警察官も共に私たちとは違っ た、私たちが考えもつかないアプ を見いだしてきたのがこの学校の行事 だったと思います。そしてそれは完成 録をしている人がいます。時間的に余 裕を持って学習できるわけですから、 ローチの仕方で子供に接し、話をし いると言う事でした。 度の上でも、それぞれ決して見劣りす るものではなく、それどころか、彼ら 今まで以上に楽しく、深く掘り下げた 学習が出来るのではないでしょうか。 考えさせられたお話しでした。 にしか作りだせない良さが感じられる ものです。生徒達の熱意が、そうさせ とてもうらやましく思います。履修登 録はしてないが、自分でテーマを決め ●高等部2年生 ているのです。終わったときの、自分 にもできたんだという実感、満足感、 て「卒業論文」を作成してやろうとい う意気込みを持っている人、二三人の 手作りの旅行 自信…。 学年旅行は今そのプロセスのまった 小さなグループで定期的にゼミナール を開こうという人もいるかも知れませ 田中 守 だ中です。興味を持った委員が話し 合っていた段階から、徐々に学年全体 んね。 それぞれがそれぞれの目標を持って 理科 に自分たちで作り上げようという意識 が広がってきているところです。大き がんばる冬学期。みなさんの本学園で の成果が問われる時期でもあります。 高等部2年生は、来年の3月に学年 旅行に行くことが決まりました。学年 な行事ほど多くの人がかかわらなくて はならなくなるはずです。3月までの 旅行委員会が準備を進めているところ です。毎回委員会に僕も出席して、会 準備期間のなかでどれだけの人がどん な新しい経験をしてくれるかとてもた 議の成り行きを見守っていますが、い つもたくさんのアイデアが出て、簡単 のしみです。今回余り関われなかった 人も、次は自分の番…と秘かに考えて にはまとまりません。けれど、委員の みなさんは本当にねばり強くがんばっ いるかもしれません。これもまた、た のしみなことです。 てくれています。 今、振り返ってみると、開校以来こ の学校の行事もいろいろな変遷を経 て、変化しながらも、結局一つの流れ ●高等部3年生 の方向で成長してきたようです。それ は「生徒が作る」ということだったと 有意義な冬学期を! 思います。でも、初めからそういう方 針が明確にあったわけではありませ 田中 憲三 数学科 ん。学園祭も最初は教師が運営してい ました。第3回目の学園祭の前年に、 まもなく秋学期が終わります。本年 生徒会から自分たちの手で学園祭を運 営したいという要望が出て、とりあえ 度より導入された学期完結制により、 冬学期に履修科目の登録をしなかった 24 本校は、1998年度より、それ までの4学期制から各学期同授業 日数の3学期制(60日×3)へ と移行しました。4月∼6月を春 学期、9月∼11月を秋学期、12 月∼3月を冬学期と呼んでいま す。 また1999年度には、大阪国際 文化中学校・高等学校 (OIA)から千 里国際学園中等部・高等部(SIS)へ 校名変更。同時に、中3以上の授 業は一部を除いて「学期完結制」 となり、高等部では学期ごとに単 位が認定されるようになりまし た。このため、各学期で履修科 目、時間割が変わります。 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 話 題 ・ 情 報 ・ 連 話題 情報 連絡 絡 英語弁論大会大阪で6位入賞 第51回高円宮杯全日本中学校英語弁論大会大阪大会 平尾公美洋 SIS教頭 9年生(中等部3年生)の津高絵 ていたり、わざわざ親切に声を掛け 美さんが、第51回高円宮杯全日本中 学校英語弁論大阪大会で6位に入賞 て下さる人がいたり、帰り際の ちょっとうれしい出来事でした。 しました。入賞者は7位から順に呼 ばれていきます。5位までが大阪府 とにかく、チャレンジできただけ でも良かったと本人は謙虚に話して 代表として中央大会に出場できるの で、2番目に名前が呼ばれた瞬間、 くれましたが、次のステップへのい い経験になったようです。 「惜しい!」と心の中で叫んでしま いました。でも、とてもいいスピー ◇ 津高絵美さんの感想 チでした。 英語のピーター・ハイマー先生が 弁論大会に出場して、私は、この 学校の良さを2つ発見した。1つ は、自然に身につく英語のレベルの 高さだ。私のように特別な訓練を受 けなくても出場できるということ。 そしてもう一つは、学校の名前のた めでなく、生徒一人一人のやる気を 認めてくれる、ということだ。私は この学校がますます好きになった。 ご協力下さった先生方ありがとうご ざいました。 指導をされ、本来なら引率していた だくところですが、当日授業がたく さんあり、できるだけ授業を大切に という学校の方針で、ピンチヒッ ターの付き添いになった次第です。 場所は梅田のギャラリーよみうり でした。建物に入るなり、大きな声 で英語が響いてきます。目に入った のは、廊下や玄関のあちこちで、出 場者が付き添い教員と練習を繰り返 す光景でした。すごいなあと思わず 絵美さんと顔を見合わせたほどで す。 出場者21人が5分の持ち時間で壇 上で話します。マイクは使用せず、 生の声です。原稿を見ることはでき ないので、出場者の中には詰まって 沈黙する人もいました。そんな緊張 の中、絵美さんの表情豊かな話し振 りと落ち着いたスピーチが印象的で した。 大会後のことです。本校に在籍し ていた生徒と現在友達だという大会 2位の生徒がやってきて、「いい学 校のようだね」と声を掛けてくれま した。また、帰る途中の路上で、そ 10月14日付読売新聞より 入賞した津高絵美さん(中3) の大会の観戦に来られていた見知ら ぬご婦人が「とても良かったです よ」と声を掛けて下さいました。意 外なところで他校の生徒とつながっ I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 25 話 題 ・ 情 報 ・ 連 絡 保健論文抄録第4弾! <授業より> 保健体育科 インターセックス(半陰陽) について 橋本さんの性器を覗きこみ、外性器に 触れ、「こんな子供はいくらでもいま 昨年12月に現12年生(高3)が 岡本佳織 す。成長すれば変化しますよ。」と母 親に伝えている。時が経って、小学校 取り組んだ保健論文を毎号紹介し ています。 高等部3年 4年生のときの事だったそうです。学 校のプール開きが行われたとき、みん 今回の抄録は、岡本香織さんの 「インターセックス(半陰陽)に 「半陰陽」とは、男女の区別が解剖 学的に明確でないものの総称です。男 な水着に着替え裸になったとき、他の 人と「自分の体」が違うことがわか ついて」です。 この「インターセックス」とい 女両方の特徴を持っているため、区別 がつかないのです。はじめてこんな現 り、友人たちが「おまえのオッパイ大 きいなァ」と言いながら橋本さんの胸 う言葉は、最近になってようやく 耳にするようになりましたが、ま 象が起こると聞いたときすごく驚きま した。「男」と「女」以外の性別は存 を触ってきたそうです。橋本さんに とって屈辱的でショッキングな事件で だまだ聞いたことがないという人 の方が多いでしょう。これがこの 在しないと思っていたからです。その 人たちの体の中では何が起こっている あると同時に、女性化している自分の 体に混乱し始めた事件だったのです。 問題の根源であり、また、日本社 会の共通の問題点であるといえる のか?精神状態はどんなものなのか? すごく疑問に思い、インターネットを この話しを、母親に伝えたところ、母 親はただ袖の長いシャツを橋本さんに かもしれません。(なんと大上段 な!!) 主に利用し、また本も購入して調べま した。 渡し、これで性器と胸を隠せと言った そうです。これがさらに、橋本さんに つまり、社会に知られていない ことは隠してしまい、一般の人の 「半陰陽」と言っても、その原因や 形態が様々で、細かく分けると8種類 ショックを与え、「ボクの体は恥ずか しいもので、他人に見せるものではな 耳に入れないという体質です。 「インターセックス」の詳しい話 に分けられます。それらの症状は本当 に複雑で、見た目だけでは半陰陽であ いんだ。」とこの時、肉体コンプレッ クスはトラウマ(傷)として植え付け は岡本さんの抄録に譲るとして、 この問題の裏にあるもの、根っこ ることさえも見分けることができない こともあります。日本では現在子供が られてしまったそうです。この本には 橋本さん以外の人の話しも少し書かれ にあるものを考えてみるのも、社 会が見えて面白いかもしれませ 生まれてくると、見た目の性器だけで 医者が、そのこの性別を判断していま ていました。理由がわからないまま に、思春期に性腺の摘出手術をさせら ん。 す。「男」か「女」しかいないことが 前提なので、当然見分けのつきにくい れた人の話、体は完全に女ではあるけ れども月経がない人の話など、私達の 半陰陽の子も、そのどちらかに無理や り分類されてしまいます。ここで、明 感覚では、信じられない話が載せられ ています。 らかに半陰陽の子だと分かったとき、 医療側は子供を親に見せる前に子供を 「インターセックス・半陰陽」と聞 いてその言葉の指す意味を知っている 隠してしまい、勝手に性腺の摘出手術 を行ってしまいます。これはとても卑 人は、少ないと思います。なぜ半陰陽 者が生まれてくるのか、現在はまだ詳 劣な人権侵害です。彼らは、「母体保 護法」と「戸籍法」によって、「性的 しい事はわかっていません。そんな 中、私たちがしなければいけない事 指向の自己決定権」を奪われてしまっ ています。その結果、社会的に認めら は、半陰陽についての正しい知識を得 て、性別の枠組に無理やり入れない事 れている「性別」と肉体的な「性」と が一致せず、ジェンダー・アイデン です。そしてもう一つは、彼らの人権 を尊重し、その存在を受け入れること ティティー・クライシスに陥ってしま います。『男でも女でもない性 イン です。彼ら自身が認識している「性」 があるということを、私たちは理解す ターセックス(半陰陽)を生きる』の 著者、橋本秀雄さんの、幼年時代の記 る努力をする必要があると思います。 岡田憲志 憶です。病院の診療室で、幼い橋本さ んは診療台に寝かされている。医者が 26 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 話 題 ・ 情 報 ・ 連 絡 Some Light Relief. <授業より> MarkAvery SIS English Has someone ever told you a story that you don't know whether to believe or not? Maybe you've heard the story about the man who fell off the Empire State Building in New York.Hewasverylucky.Atruckfullof matteresseswasgoingpastjustatthat time. He landed on the mattresses andLIVED!Verylucky.Well,aGrade 10Englishstudentjustfinishedabook called Stranger Than Fiction. It is a collection of famous stories that are supposed to be true, but they are very difficult to believe. We talked about some of these stories in class and thought we'd share one with you. How would a bus ticket get stuck in your ear? Is it 'stranger than fiction' ... ......orsimplyfiction?Eitherway,it'sa greatlittlestory.Enjoy! True story or urban myth?! "Hit and Hear." SachikoTakeuchi SIS 10-1 to Liverpool with his mother by bus. Thebushitacar,Charliehithisleftear on the floor. So he couldn't hear anythinginhisleftear. Then one day recently, he was in a bar with his two friends. They were talkingabouttheolddays.Charliewas laughingandlaughing.Infact,hewas laughing so hard he hit his head on the table.Suddenly,somethingfelloutof hisleftear.Itwasa1930Liverpoolbus ticket. After that, Charlie could hear againinhisleftear. This story is about Charlie. In 1930 whenCharliewasasmallboy,hewent 知っていますか?公共料金 <授業より> 馬場博史 数学科 はなく、折れ線になります。 さて、これら3つの料金にはそれ 価」で若干加減され、3か月に一度 少し変動があります。ガスの従量料 先日、中等部2年生の数学「一次 ぞれ大きな特徴があります。まずガ スの従量料金は使用量が多くなると 金も、原料費の変動に応じて3か月 ごとに変わります。また、電気・ガ 関数」の授業で、各自が各家庭のガ ス・電気・水道料金を調べ、表とグ だんだん安くなります。このことは 大量に購入すると単価が安くなる商 ス料金は毎月支払いますが、水道料 金は、水自体の料金と上下水道使用 ラフで表すというレポートをしても らいました。普段子供はあまり気に 品が多いので当然かと思いますが、 電気と水道の従量料金は使用量が多 料金が合算され、2か月分ずつまと めて支払います。さらに、ガス・電 していないでしょうし、大人も何気 なく使用量と料金しか見ないレシー くなると逆に高くなるのです。これ は資源の無駄使いを減らすための方 気料金は支払い期限を過ぎると、 「早収料金」(普通の料金)に3% トですが、よく見てみると色々なこ とが分かります。 策なのでしょう。 もう一つの大きな特徴は、ガス・ 加算された「遅収料金」を支払わな くてはいけませんが、箕面市の水道 まずどれにも共通していること は、基本料金と従量料金があるとい 電気料金は関西のどこでも同じであ るのに対し、水道料金は市によって 料金の場合、「遅収料金」はありま せん。 うことです。基本料金は全く使用し なくても支払う一定額の料金を意味 異なるということです。大阪府下の 場合、府の供給する水を多くの割合 さあ、以上のこと、どのくらいご 存じでしたか。エネルギーの無駄使 し、従量料金は使用した量に比例し て支払う1単位(電気はkwh、ガス・ で使いますが、その使用料金は、市 の浄水施設や財政状況によって左右 いをなくし、限られた資源の節約に 協力しましょう。おっと、スポーツ 水道は )当たりの料金を意味しま す。さらに従量料金は使用した量に されているようです。次に引っ越す ときは、行き先の市の水道料金が高 による運動エネルギーの消費は大い にけっこうですよ。30分以上の持続 よっていくつかの段階に分かれ、少 しずつ単価が変わっていきます。 いか安いかよく調べてからにしま しょう。 的な運動でしっかり体脂肪を燃やし ましょう。「勝ちたかったら身体を 従ってどの場合も使用量と料金を表 すグラフは単純に一直線になるので 他にも面白い特徴があります。電 気の従量料金は、「燃料費調整単 しぼれ!」 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 27 話 題 ・ 情 報 ・ 連 絡 オールスクールプロダクションのご案内 『アンティゴネ...アンティゴネ?アンティゴネ!』 11月11∼13日公演 大迫奈佳江 プロデューサー、OIS日本語・音楽 今年度のオールスクールプロダク 今プロダクションは、従来の劇場 ギリシャ劇のやり方で演出しようと ションは、これまた類のないものと なります。千里国際学園のプロダク らしい劇場に一転し、キャストは一 同、舞台稽古に励んでいますし、ス している。しかし、集まった学生劇 団の団員はラッパーやブロードウェ ションはいつも逸出した人材に恵ま れ、ユニークな総合芸術を発表して タッフもそれぞれの担当の仕事に精 を出しています。さて、このオリジ イ愛好家、そして旧習に捕われたく ないものたちばかり。 きました。そして、今年度、ついに 待望のオリジナル・ミュージカル上 ナル・ミュージカルの題名ですが、 先週、ある生徒のアイディアにみな いみじくも、古代ギリシャ、テー バイの為政者クレオンと対立し権力 演が実現することとなりました。 これだけ優秀な人材が集まってい が賛成し、『アンティゴネ...ア ンティゴネ?アンティゴネ!』と決 者に立ち向かうアンティゴネの心中 や、アンティゴネの恋人でクレオン るのだから、オリジナル・ミュージ カルも可能なのではないかという話 定しました。 『アンティゴネ...アンティゴ の息子ハイモンの心中、市民を代表 する長老達コロス(コーラス)が唱 が過去に幾度かありました。しか し、それに費やされるであろう時間 ネ? アンティゴネ!』上演予定 は、以下の通りです。 える真実が、リハーサル中に学生達 が直面していく問題と重なり合って いきます。 次から次へと登場する斬新なアイ を考えると、だれも先頭を切って取 りかかることはできませんでした。 では、どうして急に! ご存じのように、プロダクショ ン・ミーティングは今年の4月に始 まり、OIS/SISの熱心な生徒達がグー ル先生の指導の下に創作活動を続け てきました。夏が終わり、新学期が 始まりました。ギリシャ悲劇『アン ティゴネ』を劇中劇に使うことが2 週目には決まったものの、まだ暗中 模索の状態が続きます。テクニカ ル・ミーティングも開かれ、少しず つ形が見え始めますが、まだ、ひと りひとりが忍耐と闘いながら、どん な劇を創りあげたいか考えていまし た。「今年は何をするのですか。」 という質問に答えられなかったので す。 「機が熟した」としか申し上げら れません。9月も終わろうとしてい ました。ついに、オリジナル・ ミュージカルに向かっての第一歩が 踏み出されたのです。グール先生が 脚本草稿を一日で仕上げられ、ファ クトーラ先生が、生徒ひとりひとり と音楽を創りあげていかれました。 驚くべき勢いで、それぞれの才能が ほとばしり出た一週間でした。 28 11月11日(木) 4時開演 11月12日(金) 6時開演 11月13日(土) 2時開演(マチネー) 6時開演(最終公演) ディアにシャーマン女史のみなら ず、観客もびっくり。さて、シャー マン女史は、この劇団を引っぱって いけるのでしょうか。 ギリシャ悲劇『アンティゴネ』のス トーリー アンティゴネは、テーバイ王オイ ディプスとイオカステの娘でした。 テーバイ伝説に取材した詩人ソポク レスの三部作のひとつである『アン ティゴネ』がよく知られています。 故国テーバイを追われたオイディ プスのふたりの息子ポリュネイケス チケットは、大人1000円、生徒お よび12歳以下の子供500円です。 とエテオクレスが王位をめぐって争 い、追放されたポリュネイケスが遠 11月12日(金)および11月13日 (土)は、開演30分前より、当日券 征軍を率いて祖国テーバイを奪った 弟を攻め、テーバイを攻略しようと の販売も予定しておりますが、でき るだけ前売りチケットをお求め下さ する。テーバイ側が勝つが、ポリュ ネイケスとエテオクレスの兄弟はた いますようお願いします。 がいに刺し違えて果てる。王位につ いた彼らの叔父クレオンは布令を出 ストーリー 舞台はあるアメリカの大学のシア す。祖国を守るために死んだエテオ クレスの遺体は手厚く葬り、反逆者 ター。若いが保守的な演出家シャー マン女史は、ギリシャ悲劇『アン ポリュネイケスの遺体は野ざらしに する。あえてその死を悼み弔う者あ ティゴネ』を、昔ながらの伝統的な らば死罪に処す。 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 話 題 ・ 情 報 ・ 連 絡 劇はアンティゴネとその妹のイス メネの対話から始まる。好ましい凡 までも、地下にお住まいの正義の女 神さまでもありませんもの。王さま ハイモンは憤り、憔悴し、絶望し て去る。 庸さを身につけ常識を生きることを よしとするイスメネは、姉に埋葬の とてしょせん、死すべき人間。なら ばそのお布令が、いつこの世に現れ 洞窟に生き埋めにされるためにア ンティゴネが引かれていく。 協力を求められて驚く。姉を憐れ み、女だてらに国法に逆らえば身の たのか知る人もない永遠に生きつづ ける神々の掟にまさるとは、とても 「祖国の人々よ、ご覧下さい、お 日さまの輝きを見るのもこれが最後 破滅、どうかよく考えて、犯行より 従順をとさとす。しかし、アンティ 考えられません。人間の掟を恐れる あまり、神々の掟を破って神々から の私を。悲しんでくれる者も、心が 通う友もなく、死に向かって引かれ ゴネにとって、そのような従順は卑 怯以外の何ものでもない。にべもな 罰せられるなんてまっぴらです。た とえ王さまのお布令がなくとも、早 てまいります。婚礼の祝いも知ら ず、夫もなく、子を育てる運にも恵 く妹を拒絶し、埋葬はひとりで実行 することにする。 晩、死なねばならぬ身です。寿命が 尽きる前に死ぬことができれば、数 まれなかった哀れな娘。ああ、なん という惨め! 生きながら死ぬため テーバイの長老たちからなるコロ スが戦勝と新王のもと再び訪れた平 知れぬ難儀を生きる私には、もうけ ものです。」 に、地下にある岩屋へと歩むので す。ご照覧あれ、祖国の人よ! 私 和を喜び歌う。クレオンが禁令を犯 す者がなきよう、布令の目付役に 「一方は祖国を攻め、他方は祖国 を守ったのだ。悪人と勇者をおなじ がどのような罪を犯したというので しょう。神の道に従ったばかりに、 なってほしいとコロスに頼む。 番人登場。困惑しながら報告す ように埋葬することはできぬ。」 「そんな理屈が死の国でも通用す これほどに酷い仕打ちを受けると は!」 る。亡骸にうすく土をかけて埋葬を 執り行った者がいる。犯人の手がか るでしょうか。」 「敵は、死んでも敵だ。」 さて、予言者テイレシアスが登場 し、神の掟を拒んだこの国に対して りはなく、野犬が荒らした跡もな い。 「私は憎しみあうために生まれた のではありません。愛し合うために 神の怒りはかならずやあるとクレオ ンを諭す。アンティゴネの正義を説 コロスが口をはさむ。神さまが手 を貸されたのだろうか? 生まれたのです。」 「ならば、あの世で死者たちを愛 き、人間誰しも過ちを犯す者であ る、しかしその過誤を償えば愚か者 クレオンは激昂する。神々の神殿 に火をつけ国を荒らした男に、神々 するがいい。」 イスメネが連れ出される。自分も と侮られることはないと説く。長い 問答の末、ついにクレオンは予言者 が心をかけられるはずがない! 王が退くと、コロスは「不可思議 姉といっしょに兄を埋葬しようとし たと証言し、アンティゴネと運命を の言に屈する。 しかし、アンティゴネは岩屋の中 なるもの数多あるなか、人間にまさ る不可思議はなし」(「人間賛歌」 ともにしたいと望むが、アンティゴ ネはそれを許さない。埋葬は私ひと で自害しすでに息絶えていた。亡骸 を抱きしめていたハイモンは父に気 として有名な合唱)と歌い出す。 「波頭砕ける海原をわたり、大地 りでやったこと。あなたはいやだと 言った。私といっしょに死ぬことは づくと、その顔に唾を吐き、自刃す る。王妃も息子の後を追って命を絶 を耕し、鳥を撃ち、魚を漁り、獣を 狩り、牛馬を飼いならす人間。こと なりません。あなたは生を選び、私 は死を選んだのです。 つ。クレオンはことばを失ってその 場にくずおれる。 ばを持ち、思考をめぐらし、自然の 暴威をしのぎ、病をいやす術を知る アンティゴネの許嫁でクレオンの 子ハイモンが登場。愛するアンティ 心驕る者は恐ろしい神罰を受け る、人は老いながら思慮を学ぶ、と 人間。あらゆる困難を処する道を見 いだした人間。 ゴネのために父王に必死の取りなし を図り、抗弁する。しかし王はそれ コロスが締めくくる。 しかし、精巧をきわめる技術はと きには善に、ときには悪にも至る。 を王権への侮辱、挑戦ととる。街に はアンティゴネは立派な行いをした 心驕る者の行いが、国を滅ぼすこと がある。」 と讃える者たちがたくさんおりま す、父上は正道を踏みはずしておい 今度は亡骸に土をかけ供養の水を かけている現場を見つけられたアン でです。 「他人の考えに従って、国を治め ティゴネが、捕らえられて登場す る。クレオンは、アンティゴネが禁 ろというか。」 「国はただひとりのものではあり 令を知らなかったと答えるのを、な かば期待しながら審問する。しかし ません。」 「国は長のものだ。」 アンティゴネは、 「お布令を出されたのはゼウスさ 「ならば、無人の国を治められる がいいでしょう。」 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 29 話 題 ・ 情 報 ・ 連 絡 APACテニス・バレーボール健闘 10/27-31 テニス・於カナディアンアカデミー(神戸) バレーボール・於ソウルフォーリンスクール(韓国) APAC Tennis team award, they combined the girls and the boys results and decided the winner first boys to chalk up a win for OIS/SIS at APAC. It was their final game against Mark Avery. according to the number of games (not sets or matches) each team had won. Had the Brent, and it was a huge relief for the whole team, and me. girls and boys been treated separately, the girl's team would have finished in second Well Done Tennis Coach, SIS English This year the APAC tennis was held down at Canadian Academy, Kobe, between October 28th and 30th. Six schools place behind Beijing. The team all supported each other and demonstrated good sportsmanship participated: Canadian Academy (CA), Brent School-Manila, Shanghai American Our Performance As I explained, the girls performed very throughout the tournament. I want to congratulate them on their performances, School (SAS), Seoul Foreign School (SFS), International Schhol-Beijing (ISB) and us. well in all their matches leading up to the finals. They had only one loss and that was both individually and as a team. I think we can look forward to more good results next The Team to Beijing. Shoko played really consistent tennis again this year and reached the semi Singles Girls: Shoko Masago (SIS 9), Yuko finals of the girls singles. She had two very close matches against her old rival from Shimizu (SIS 11) Boys: Daisuke Inoue (SIS 12), Neerav Beijing, the eventual runner up. Yuko's results improved steadily throughout the Mathur (OIS 11) Doubles tournament. She had two early losses but bounced back with a vengeance and won her Girls: Sayoko Nakamura (OIS 10), Kumi Kiriyama (SIS 10) next three matches. She played her best tennis against Shanghai and won the match Boys: Naoki Sato (OIS 11), Matthew Waterhouse (OIS 10) 8-3. The girls doubles pair also had a lot of success and won four out of their five Terry Sumida (OIS 12) was selected to play No.1 Boy's Singles but was unable to matches to finish 2nd. They had a very exciting match against Shanghai. After participate due to injury. Thank you to Daisuke and Neerav for agreeing to move coming back from 6-3 down, they won a nerve-racking tie-breaker. They put up a up a place to cover Terry's absence. good battle in the semi finals but CA were on a bit of a roll and managed to win the match. The Results Singles The boys had a bit more trouble with their opponents than the girls but they all Girls: 1st SAS, 2nd ISB Boys: 1st SAS, 2nd Brent demonstrated their ability to hang in there and battle until the end. Daisuke and Neerav Doubles Girls: 1st CA, 2nd ISB in particular did a very good job in higher positions than they were originally going to Boys: 1st CA, 2nd SFS Team Award: BEIJING play. Both of them improved their results steadily throughout the competition and This year, the tournament was organized a little differently. They had individual were getting more games against the better players in the end. Matthew and Naoki awards and then one team award. For the joined forces to make history by being the 30 千里国際学園のチームスポー ツは千里国際学園中等部・高等 部 (SIS) と大阪インターナショ ナルスクール(OIS)の2校で1 チームを編成しており、この形 態での参加を認めるAPAC(Asia Pacific Activities Conference)の 公式試合や、近隣のインターナ ショナルスクール、日本の中 学・高校との交流試合等に参加 しています。 <A P A C 参加校> C参加校> 北京インターナショナルス クール(中国)、上海インター ナショナルスクール(中国)、 ブレントインターナショナルス クール(フィリピン)、ソウル フォーリンスクール(韓国)、 カナディアンアカデミー(神 戸)、千里国際学園(大阪) (注) )「大阪セイバース(The Osaka Sabers)」は千里国際学園 スポーツチームの愛称です。 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 話 題 ・ 情 報 ・ 連 絡 男 女 バ レ ー ボ ー ル チ ー ム year in Beijing where we can be sure Shoko a great experience for the students and the the tournament. will be looking for revenge on her number one rival. We also have at least two very standard of play was very good from all competing teams. Please remember to register your name at the information centre if you can homestay a strong players in the middle school waiting for a position on the team. So if you're Results: Girls team finished in Third place visiting athlete(s) for the April APAC Boy's Soccer tournament that we are hosting. interested, please mark tennis on your calendar for next year!! defeating Beijing in five sets. Boys team finished in fifth place defeating CA in four sets and was also successful in winning the sportsmanship trophy. APAC Volley Ball Mark Pekin Athletic Director, P.E. The APAC tournament held in Korea was APAC All Star team members: Boys: Takuto Okada(SIS 12) Girls: Yooah Chung (SIS 11) Thank you very much to Ms. Kano, Mr. Okada and Ms Hirai for their hard work coaching and supervising the teams during ホストファミリー募集 マーク・ピーキン アスレチック・ディレクター 前号でもお知らせしましたが、千里国際学園は、 2000年4月 年4月13 13日 15日(土) 日(土)に開かれるAPAC 2000 年4月 13 日( 木) ∼15 日(土) APAC 男子サッカー・トーナメント 男子サッカー・トーナメントの主催校になります。 そこで、約80名の選手とコーチを4泊(水曜日から土曜 日)ホームステイさせて下さるご家庭を募集していま す。ホストファミリーの役割は次の通りです。 * 水曜日の午後、学校までゲストを迎えに行く。 * ゲストの夕食を1∼2回用意する。(チームのスケ ジュールによるので今のところ未定) * 寝る場所を提供する。(布団、ベッド、あるいは床 にマットを敷く。) * 毎朝、朝食を用意する。(洋食が好ましい。フルー I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 ツ、コーンフレーク、トースト、ジュース等でもよい。) * ゲストを毎朝、学校のすぐ近くのサッカーグランド に連れて行く。(バス停への行き方を教えるか、車で連 れて行く。) * 日曜日の朝、関空行きのバスに乗せるため、ゲスト を学校に連れて行く。 APACのホストファミリーになって頂ける方は、イン フォメーション・センターまでご連絡下さい。お申し出 頂いたご家庭の名簿を作成し、後日、詳細をお知らせし ます。トーナメントに関して質問のある方、あるいは ホームステイは無理でも何かお手伝いして頂ける方もご 連絡お願いします。 31 話 題 ・ 情 報 ・ 連 絡 ホームステイ先の友達が来日 MS生徒会から 福田玲子 松島 勇 高等部1年 MS生徒会担当、国語科 9月17日∼10月6日 の約3週間、Australia の Brisbane から私の家 10月27日に中等部生徒会長選 挙が行われました。最初に立候 にホームステイに来て いた Lana Ribinsky を紹 補者の三人、藤本卓君、新見眞 史君、安藤ゆかりさんの演説が 介します。 彼女は去年の98年 あり、その後三人に抱負や立候 補の動機などといった質問に答 オーストラリアホーム ステイで私がお世話に えてもらい、投票を行いまし た。 なった家の子です。私は日本に帰っ てからも彼女と文通などを続けてい て、今回彼女の強い希望(?)によ り、日本に来る事が決まりました。 特別に許可をいただいて、学校にも 一緒に来て授業を受けさせてもらい ました。彼女にとってこれが始めて の海外だったので、毎日が驚きで3 週間という短い時間では日本を理解 しきれなかったようにも見られまし 候補者全員がやる気にあふ れ、自分の考えを持っており選 ムステイを受け入れる側の大変さが わかりました。会話は去年よりだい ぶ楽(学校の友達などたくさんの人 挙も接戦となりましたが、生徒 会長に安藤ゆかりさん、副会長 が助けてくれたので)でしたが、確 実に勉強になったと思います。今回 に新見眞史君が選ばれました。 藤本卓君は、議長として彼らを 協力してくださった先生方、学校に いるあいだいろいろ助けてくれたみ サポートしてくれます。 2000年に向かって、中等部生 なさん、本当にありがとうございま した。 徒会が発展することを期待しま す。 たが、彼女にとっても私にとって も、充実した3週間でした。 前生徒会長諸正義彦より一言 「中等部生徒会をこれからも 私がオーストラリアに行った時に は感じることのできなかった、ホー ︵ 青 山 比 呂 乃 ・ 図 書 館 ︶ 32 ﹃ 在 り し 日 の 歌 ︱ 永 訣 の 秋 ﹄ よ り ⋮ さ 今 ⋮ ら 迄 さ 流 ら れ と て 、 ゐ さ な ら か さ つ ら た と 川 流 床 れ に て 、 ゐ 水 る は の で あ り ま し た や が て そ の 蝶 が み え な く な る と 、 い つ の ま に か 、 よろしくお願いします。」 影 を 落 と し て ゐ る の で し た 。 淡 い 、 そ れ で ゐ て く つ き り と し た さ て 小 石 の 上 に 、 今 し も 一 つ の 蝶 が と ま り 、 か す か な 音 を 立 て て も ゐ る の で し た 。 さ れ ば こ そ 、 さ ら さ ら と 非 常 な 個 体 の 粉 末 の や う で 、 陽 と い っ て も 、 ま る で 硅 石 か 何 か の や う で 、 さ ら さ ら と 射 し て ゐ る の で あ り ま し た 。 そ れ に 陽 は 、 さ ら さ ら と 小 石 ば か り の 、 河 原 が あ っ て 、 秋 の 夜 は 、 は る か の 彼 方 に 、 一 つ の メ ル ヘ ン ■ 今 月 の 詩 中 原 中 也 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 A selection from OIS weekly "Educator" The School's Purpose Stephen Middlebrook OIS Headmaster In our work on the WASC/School ImprovementProcessreport,wenoticed thatparentsexpressedconfusionaboutthe clarityoftheschool'spurpose.TheWASC Criteria included a question about the school'sstatementofpurpose,andoneof theconfusions,perhaps,iswedonothave somethingcalledthestatementofpurpose. I thought today it might be beneficial to clarify for our parent community our philosophicalstatementsthattheschoolhas written over the years. One thing that all parentsshouldrememberisthatmostof thesestatementsarealsowrittenforandby oursisterschool,SIS. Committeeoftheschoolin1995toclarify whytheschoolwasfoundedfortheHankyu leadershipandtheschoolcommunity.It wasdoneinresponsetotheeconomiccrisis which followed the Great Hanshin Earthquake.Itwasanattemptalsotoclarify thevisionoftheschool.Animportantpartof a strategic planning processes is the clarificationofwhereaschoolthinksitis heading,andsoitwasfeltthatatatimewhen the school's financial situation was precarious,thepublicationofourvision might be an important step in the right direction. Again, this was done by both schools'leadershipanddoneinbothEnglish andJapanese. The School's Mission Amissionisashortstatementthatspells outwhatweasaschoolaretryingtocreate oraccomplishinourschools.Thismission statement has always been published prominentlyinourpublications. Informed, caring, creative individuals contributingtoaglobalcommunity. Thistextwaswrittenandadoptedin1990by bothschools. The School Philosophy In1990,whentheschoolswerefounded, ateamofeducatorsworkedouttheschools' philosophy.Philosophystatementsfor schoolscanbeunderstoodasexplanations ofhowthemissionistobecarriedout,or clarifywhatstudentsshouldbecomeatthe endoftheireducationintheschools.Our philosophystatementcanbefoundonpage 4 of the Elementary Handbook and the MiddleSchool/HighSchoolHandbook,as wellasontheinsidecoverofourOISandSIS schoolbrochures. The Statement of Beliefs which Inform our Vision This text was written by the Executive The Founding Purpose: The Senri International Schools were foundedtobringtogether,forthebenefitof returnee, National, and international residentsoftheKansairegion,thebestof Japaneseandnon-Japaneseeducational ideas, systems, and techniques into two schoolswhichshareabuilding,programs, curricula,philosophies,experiences,and dreams.Iincludethesestatementshere, becauseIamnotsuretheywereprintedin theEducator. They are to be found on page 2 of our brochure. TheVisionforourschoolsisbestrevealed bystatementsofbelief.Eachstatementis intendedforallofourschools'divisionsfrom elementarythroughourtwinnedsecondary schools. B Exchange of Ideas Webelievethatourschoolsshouldbea placewhereideas,particularlyeducational ideas,arefreelyexchangedamongfaculty, parents, and students. We believe the diversity of experiences of our faculty, parents,andstudentsshouldbecelebrated andthefreeexchangeofideaswillenhance thiscelebration. C Understanding of Cultures We believe that our schools should be deeplyinvolvedwiththecultureofourhost country in study, appreciation, and understanding.Webelievethatourschools shouldalsobeinvolvedwiththerelationship between the culture of Japan and the surroundingculturesofAsiaandtherestof the world. We believe that since our community is composed of so many cultures, our schools should be a place where intercultural understanding is modeled,studied,andcelebrated. D How We Learn Webelievethatthespecialnatureofour schoolsshouldencouragestudentstobe well-rounded,individualistic,responsible thinkers and doers, and this is why we believe our programs should be full of choices,specialprograms,andinnovative structures.Webelievethatoneofthekey responsibilities of our schools is to encouragestudentstolearnhowtolearn and to carry this kind of learning into adulthood. A Two Schools Together E Common Ground Webelievethatitisimportantforthetwo schoolstocontinuallyexplorewaystocome together,becausethisbringsgreatbenefitto ourstudents.Webelievethatthecloseness oftheschoolsissoimportantthatitisthe centralpartofourvision. We believe that our schools should represent a common ground between Japaneseandnon-Japaneseideas,practices, beliefs,andtraditions. I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 33 A selection F Model Webelievethatourtwoschoolsshould existasamodelforothers.Webelievethat one of our goals is to demonstrate new ideas,practices,techniques,andsystemsto otherschoolsaroundJapanandtheworld. Two Schools Together... The Parent Survey revealed some confusionaboutourrelationshipwithSIS, andthePAC(ParentsAdvisoryCouncil) recommendedthatwebesomewhatmore explicitabouthowweareseparateandhow weworktogether. At the PAC discussion past week, we highlightedthebenefitsandwaysinwhich wecurrentlyworktogether: *Theprogramsandtheirfacilitieslikemusic, technology,athletics,theater,art,library,and swimmingwhichwouldnotbeavailableto us on the scale that they are, if we were a single,smallschool. *Ourcommoncalendarwhichbeginsthis autumnisadirectexampleofourschools workingtogethertogainbenefitfromour closeness.Oursharedclassesnowdonot from OIS weekly sufferfromoneschoolbeinginschoolwhile theotherisnot:SISentranceexams,OIS summervacationwhileSISrunsasummer program,forexample. *Commonschedule,againbeginningthis termwhichallowsevenmorecross-overof studentsfromoneschooltotheother. *Sharedclassesinmusic,art,andPE(which havebeenahallmarkoftheschoolsinceits foundation). *Exchangeoflanguagestudents:someOIS studentstakeKokugoinSIS,andsomeSIS studentstakehighschoolEnglishinOIS. *Commonathleticteams,beginningin grade7. *TheAll-Schoolproduction(whichbecame evenmore“two-school”lastyearwiththe bilingualproductionofTheBaldSoprano). *Teacherswhoteachinbothschools:there isanincreasingnumberofteacherswho teacheithermixedclassesorteachinboth schools. *OISstudentshavefromtimetotimelived intheSISAkebonodormitory.Thisyearfive OISstudentsliveinthedorm. * The Student Councils are joint and sponsoredbyoneOISteacherandoneSIS "Educator" teacher. *Ourclubsandathleticteamsareopento studentsfrombothschools. *TheUndokaiandtheGakuensaiarejointly plannedbystudentsfrombothschools. *OurMulti-mediaclasswhichproducesa bilingualTVnewsshowalsoproducesour bilingual yearbook. There are still areas where the schools operate independently. Our parent associationsareseparate,thoughtheydo workcloselytogetherontheInternational Fair.Ouradministrationsarealsoseparate, butmeetweeklytodiscusscommonissues, problems,andinitiatives.Thefacultiesofthe twoschools,thoughseparateinsomeways (wehaveseparateOISandSISmeetings,for example), also work together, and are difficulttodefineasseparateentitiesbecause of all the teachers who teach shared or mixed classes, or teach classes in both schools. Ihopethisexplanationmakesclearerour relationshipwithSIS. Middle/High School Update JulieWagner OIS Middle and High School Principal Grading Aswereviewtheconcernsraisedinthe parent survey with the Parent Advisory Council,Iwillattempttoexplainareasthat havebeencalledtomyattention.Onearea which was a concern for students and parentslastyearisgrading. The students should have received informationfromalloftheirteachersonthe particulargradingsystemusedinaclass. Likewise, the teachers shared this informationwithparentsatBacktoSchool night.Thesegradingsystemsvaryintheway percentages are assigned to a particular lettergradeandwhatistakenintoaccount whenmakingupagrade.Thisshouldnotbe 34 surprising as the courses of study themselves,andhowtheyareassessed,vary widely.Inaddition,thebackgroundsofthe teachersvarywidelyasdotheirphilosophies aboutassessment. Now, does this confuse the students? Shouldeverythingbegradedexactlythe same?Dowewanttoattachpercentage gradestoart,PEandwriting?Howisthat done?Inaninternationalsettingtherewillbe manyapproachestoeverythingthatisdone andgradingisnoexception.Justasevery boss I have ever had has asked different thingsofme,sodoteachersaskdifferent thingsofthestudents.Thatislife.However,I haveaskedtheteacherstocarefullyexplain theirsystemtostudents.Idonotthinkthat studentsshouldbeconfusedabouthow theyareassessed.AndIhavealsoaskedthat, rather than forcing teachers to adopt a uniformsystemofpercentages,theyusethe followingsystemindeterminingwhatletter gradesmean: A indicates an advanced level of understanding and ability to use information; Bindicatesaproficientleveloftheabove; Cindicatesabasicleveloftheabove; D indicates a deficient level of understandingandthestudentisindanger ofnotpassingthecourse;and I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 A selection Findicatesanunacceptableleveland creditisnotrewarded. Ifyouhaveanyquestionsaboutgrading, pleasecontactmeortheteacherconcerned. Homework Since the beginning of school, I have asked the students in middle and high schooltorecordtheamountoftimethatit takesthemtodothehomeworkinspecific subjects.Theyturnthisinformationinona weekly basis, so that now I have data on threeweeksofhomework.Ihavepassed this on to the teachers for their own knowledge and I will develop a student committeetolookovertheresults.Thedata from OIS weekly willalsobereviewedbyafacultyHomework CommitteethatwesetuplastJunetolookat thisissue. Althoughitisobviouslytooearlytoreport theresultsofthosereviews,Iaminterested in sharing some of the information that standsoutfromthecompilationofdata. Someinterestingfactsarethat:studentsin the same class vary in the amount of homework they do in an evening by sometimes as much as two hours; good studentsoftenspendlongeronassignments thanaveragestudents;ifthereisaholiday, students in general do not use it to study; thereisasmuchasonehourdifferencein the time taken on a single assignment in "Educator" middleschool. As we continue to collect data, more patternswillemerge.Whatisevidentisthat homework time varies from student to studentevenwithinthesameclass.From gradesixon,theactualclassesthatstudents takevarysothatnotallstudentsgohome with the same actual assignments each night. Thisisespeciallytrueofour11thand12th gradestudentswherenearlyeverystudent hasauniqueschedule.Wewillhavemany considerationswhenlookingatthewhole homeworkpictureinthenextmonth. Elementary Update KarinCaffin OIS Elementary School Principal Studentshavesettledintoclassroutines andareworkingquitewell.Thereareafew studentswhoarenotrememberingtodo theirhomework,or,iftheyhavedoneitthey leaveitathome.Onereasontheygiveis;"my momforgottoputitinmybag".Wewould like parents to help their students be responsible for putting their own homeworkintheirbag,soifyoucantalkto themaboutdevelopingaroutinethatthey followthemselves,itwouldbehelpful. Someparentshaveapproachedteachers andaskedhowtheycanhelptheirchildren "advance"academically.Itisimportantthat parentslistentowhatteacherssayabout theirchild'sprogress,becauseputtingtoo muchpressureonchildrenwillhindertheir developmentratherthanhelp.Children move through different stages of developmentandhurryingthemcanresult inthemmissingimportantbasicconcepts. Also, we are very concerned about emotional and social development and knowthattheyneedtobebalancedwiththe academic development. Another concern at our school is that manystudentsliketospeakJapanese.Of courseweexpectstudentstospeakEnglish inclass,buteventhere,someofthemlapse intoJapanese.Whenanewnon-English speakingstudentbeginsatourschool,and they do not speak Japanese, they learn Englishmuchfasterthanthestudentwho doesspeakJapanese.Thatisbecausethey have to learn English in order to communicateandlearn.Theycannotrelax andrelyonJapanesetocommunicate.The teachers and I constantly remind the studentstospeakEnglishandIwouldask thatyoutellyourchildrentodosoaswell.If theydonotdevelopareasonablelevelof English, they are going to find the work moreandmoredifficultastheinformation they are expected to learn is going to be presentedmoreandmoreinwrittenform. Theywillhavetroublecomprehendingthe informationasitbecomesmorecomplex, andwillnotbeabletoexpresswhatthey havelearntinEnglish.Ifstudentsdonot becomeproficientinEnglishbythetime they move to middle school, then their optionsforthefuturemaybelimited,asit would not be easy for them to transfer to Japaneseschool.Parentshaveobviously I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 madeachoiceaboutwantinganeducation inEnglish,andIwouldlikethoseparents whosechildrenarebilingualtostressthat their children have a responsibility to becomeproficientinEnglish.Teacherscan onlydosomuch;therecomesapointwhere studentshavetotakeresponsibilityfortheir ownlearning.Pleasesupportusinthis;insist thatyourchildrenspeakEnglishatschool. 千里国際学園中等部・高等 部(SIS)ではこの広報誌"イン ターカルチュア"が発行されて いますが、併設の大阪イン ターナショナルスクール(OIS) では毎週金曜日に"Educator"が 発行されています。 このページでは"Educator"の 記事の中で、OISの様子がよく 分かるものやSISと関連する話 題等をセレクトして掲載して います。 35 保護者会だより P A R E N TOIA S 保護者会だより 【第4回定例会報告】 定例会に先立ち、9月30日(木)、各委員会のあり方 等の理解を深めるため、各委員会の委員長、副委員長に 世界の名歌とイタリアオペラ・ハイ ライトに参加して よる臨時の話し合いを致しました。 去る10月12日(火)15:45からシアターにて、 10月12日(火)定例会 (1) 執行部からの報告 オペラコンサートが開かれました。出演者は、斎 藤(安田)言子さん(ソプラノ)、山本裕之さん 各委員会の引き継ぎノートを作り、次年度に引き継い で欲しい。 (テノール)、橋野豊子さん(ピアノ)のお三方 で、現在大学で教鞭をとるかたわらプロの演奏家 (2) フォーラム委員会からの報告 10月12日(火)「デュオコンサート」を開催した。 としても御活躍中で、いずれも本校の保護者の 方々でもあります。シアターはほぼ満席状態の (3) ネットワーク委員会からの報告 ・ 8月末現在 転出転入の名簿作成。 中、まずはソプラノのソロから始まりました。耳 になじみ ・ コンピュータ購入の要望を定例会にはかる。 ・ 9月22日 地区リーダーの親睦会を行った。 のあるド イ ツ 名 (4)ボランティア委員会からの報告 9月14日(火)教科説明会においてティーサービスの 歌 、 テ ノールソ 実施。 (5)広報委員会からの報告 ロの日本 歌曲と続 インターカルチュア11月号の特集、インターナショナ ルフェアに関してのインタビュー記事など準備中。 く内に、 オペラと (6)インターナショナルフェア委員会からの報告 ・ 10月7日(木)OISとの合同ミーティングを持った。 いう高い 垣根がすっと取り払われてゆくのを感じました。 ・ 出店予定SIS28店、OIS14店(昨年とほぼ同じ)。 ・ 収益金より学校への寄付は、生徒の為に還元されると お二人の歌声は透明感あふれ、その素晴らしい声 量にはただただ感激でした。 いうことを再度確認。 ・ 2台のスクールバスをシャトルバスとして運行する。 続く第2部は、イタリアオペラ・ハイライトと して、プッチーニの「ラ・ボエーム」の一部分を ・ ラッフルチケットをたくさんの方に購入していただく ため事前に手紙配布する。 お二人で共演されました。前もって場面設定の説 明があったので、若い二人の恋の芽生えのシーン (7)各学年委員からの報告 高1:10月2日(土)16:00∼保護者懇親会開催。 を、まるで演劇を見るかのような感覚で楽しむこ とができました。またローソクやワインといった 小道具がとても粋でした。 そして鳴り止まぬ拍手の中でのアンコール曲、 36 6月号の役員紹介訂正 ベルディの「椿姫」の中から“乾杯の歌”を聴く 頃には、すっかりオペラというお酒に心地よく インターナショナル委員会 酔っていました。本当に「芸術の秋」を飾るにふ さわしいコンサートでした。 中3 今田恭子 中3 秦 健萍 最近のオペラ上演では、日本語の字幕スーパー が出るとのことで、今回のコンサートをきっかけ 中1 西名貞子 中1 藤田典子 に人々がもっと気軽にオペラを楽しめるようにな るのではと思いました。素晴らしい心の栄養を与 以上4名のお名前が抜けておりました。 えていただきありがとうございました。 (広報委員 南出純子) I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 保護者会だより P A R E N T S SISのぞき見探検隊─インターナショナルフェア特集─ 11月27日インターナショナルフェ アが開催されます。委員のみなさん に委員会からの出店もあります。ま た、台湾地震支援のために韓国焼肉 りますし、各種ボランティア団体、 生徒たちのクラブ、“フェアを同窓 に今年の見どころなどお聞きしまし た。 店を保護者の有志が出されます。 「エンターテイメント」としては 会のような場にしたい”と保護者O Bの方の参加も予定されています。 ◇ まず目的について教えてください。 “ぜひ本物のジャズに触れる機会 を”と蓑輪裕之トリオの皆さんがボ 当日のゴミ分別ポスターは、環境問 題に取り組むクラブが協力してくれ SISとOISの保護者の共同の行 事で、何より保護者同志の交流 ました。 最後に保護者の皆さんに一言。 を深めるためのフェアです。ま た収益金は学校へ寄付し、教育 当日ラッフルの抽選会がシア ターで行われます。素晴らしい 充実のために使用されていま す。昨年はSISでは、コンピュー 景品が用意されていますのでご 期待下さい。景品はすべて寄付 ターやデジタルカメラ、楽器や 理科・国語の教材用機器、図書 されたものです。お買い上げ頂 いたチケットの売り上げはフェ の購入など、OISでも教育施設 費として役立てられました。 アの収益金として子供達のため に使われます。今後共ご協力を 今年の“目玉”は何ですか? SIS、OISの保護者が時間と手間と ランティアで出演してくださいま す。お昼頃演奏予定、プロのジャズ お願い致します。 今年はスクールバスが「千里中 “心”をこめて制作した手作りの 「クラフトコーナー」を、今年はエ の熱いサウンドに酔いしれてくださ い。 央」「箕面」からシャトル運行され ます。駐車スペースが限られていま ントランスに持ってきました。大き なクリスマスツリーに飾られたオー OISの出店も見どころ満載です。イ ンドのサモサ、中華春巻き、イラン すので当日はぜひ、バスのご利用を お願いします。 ナメント、鮮やかなトールペイン ト、とにかくほしいものばかりで 料理、クレープ、ケーキ、ホット ドッグなど、また校庭でのフェイス ◇ どうもありがとうございました。 す。10時30分から販売、売り切れる 前に"GET"してくださいね。 ペインティングやビンゴ、エントラ ンスでのサンタとの記念撮影にガ 昨年は、英語が苦手な私でも色々な 国の保護者の方と交流が持てて楽し 「フード」は今年は各学年すべて 出そろいました。ポップコーン(中 レージセールと、楽しい企画がいっ ぱいです。 いひとときを過ごせました。皆さん 今年のインターナショナルフェアも 1)綿菓子・焼き鳥・台湾丼・桜餅 (中2)韓国ちぢみ(中3)大阪名 他にも恒例の山東水ぎょうざやバ ラの販売、農業キャンプでお世話に ご家族やお友達をお誘いして、大い に親睦を深めましょう。 物いか焼き(高1)みたらし団子・ ドリンク(高2)喫茶店(高3)他 なっているアジア学院の手作り菓子 に各国のいろいろな小物の販売もあ (インターナショナルフェア委員 会・ 広報委員山田恵子) 《ただ今、制作中》 今日は、インターナショナルフェア 委員会のクラフト制作の現場におじゃ 中に漂い、皆さん仲良くワ イワイ楽しく過ごされてい ましました。毎週2∼3回、10∼20人 ほどの方が参加し、11月27日に迫った ました。 去年のクラフト制作を フェアに備えて40種類以上の作品を仕 上げていらっしゃいます。 きっかけに今年2月から手 芸サークルが発足し週1回 トールペイント、クリスマスリー ス、チューリップのブーケ、ビーズ 活動を続けてきました。 「知らない人でも参加する アクセサリーなど。私がおじゃまし た時はレモングラスの葉でリースを だけで芸達者(手芸の)になれる」 をキャッチフレーズに、SIS、OISの を、たくさんの人に見て頂くため、 今年はエントランスで“開店”しま 制作中、ハーブの素敵な香りが部屋 保護者ボランティアの努力の結集 す。 (広報委員 別所直子) I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 37 保護者会だより P A R E N T S SISのぞき見探検隊(番外編) ─海外のインターナショナルフェア・ミニ紹介─ SISには、海外のインターナショナ ・シンガポール(Sさん) デーやハロウィンに着ました。 ルスクールに子供を在籍させた経験 を持つ保護者の方が大勢いらっしゃ 規模は小さ目でしたが、フードが 豊富でした。日本の色あざやかなち ・アラブ首長国連邦(Nさん) います。そこで、番外編では12カ 国、14名の保護者の方々に、「海外 らし寿司は好評、行列ができるほど でした。イギリスの手作りクッキー 近くのアメリカンスクールでは あったようですが、フェアも運動会 でのインターナショナルフェアで印 象に残ったことは?」と直撃インタ がとてもおいしかったです。民族衣 装では韓国やタイのもが特に美し も行事はまったくありませんでし た。 ビューしました。 かったのを覚えています。 ・サウジアラビア(Sさん) ・中華人民共和国(Tさん) 各国の自慢料理、物産店、民族舞 ・インドネシア(Aさん・Bさん) 「他の国の文化をお互い学ぼう」 飲食はなく、折り紙などのパ フォーマンスをしました。イギリス 踊も楽しかったけど、特に子供たち に民族衣装を着せ、お化粧までして という目的で、1週間フェア期間と してさまざまな角度から各国の紹介 系の学校だったので、先生や親が民 族衣装を着てスコティッシュダンス くれて写真撮影できるコーナーが人 気でした。うちの子供はインドの衣 が行われました。日本のブースで は、かぶと・おひな様・生花を飾 を踊ったのが特に面白かったです。 装で写真を撮りました。日本のブー スではもちつきなどもありました り、折り紙やこまで一緒に遊びまし た。最終日にはゆかたで日本の歌を ・パナマ(Mさん) 料理のみで日本では焼き鳥が人気 が、巻き寿司のデモンストレーショ ンが大盛況でした。 歌ったり、振り袖や留袖でのファッ ションショーをしました。和太鼓を でした。南米料理・韓国料理が豊富 でおいしかったです。子供達は民族 ・台湾(Nさん) 囲んで「河内音頭」を踊ったことも いい思い出として残っています。 衣装か国旗の色の服装をしていまし た。日本の子供達は赤と白の服を着 ていました。 1日だけでしたがお祭りという感 じでした。各国の料理の他、台湾の ・イタリア(Aさん) 業者がポニーを連れてきたりあめ細 工を売ったりしていました。隣接し フードはバザーの時出すので、 フェアでは飲食はありませんでし ・アルゼンチン(Iさん) 日本人学校の人も参加し、大規模 ている日本人学校の子供達が、和太 鼓の演奏をしてくれたのも印象に た。中学生以上が参加し、子供達が 主体でそれぞれの国旗を持って歩い で派手で楽しかったです。日本の ブースでは、ふろしきや旗、大きな 残っています。 たのを覚えています。民族衣装は着 なかったと思います。 鶴やかぶとの折り紙などをディスプ レイして飾っていたので、他の国の ・タイ(Hさん) 日本のブースでは、おにぎりを出 ・ドイツ(Mさん) 方々にほしいと言われました。各国 の民族舞踊も素晴らしかったです。 したりゆかたでお茶のサービスをし たりしました。子供達の民族衣装で 企業の参加も多く、規模も大きく 派手に行われていました。ラッフル 突然のインタビューに快く応じて の行進やスタッフのパフォーマンス やフリーマーケットもありました。 やくじも額の大きなものが多かった です。保護者による各国料理の他、 くださいました保護者の皆様、本当 にご協力ありがとうございました。 ・シンガポール(Kさん) 子供達のピアノやバイオリン演奏な どもありました。 今回お聞きできなかった方で、海外 でのフェアの紹介をしていただける フードは日本のブースでは出しま せんでしたが、国によっては出して ・スウェーデン(Sさん) 場合は「チャットコーナー」まで投 稿してください。お待ちしていま いたところもありました。折り紙や 紙でっぽうの作り方を教えたり、ゆ 各国の料理(日本食は寿司、コ ロッケなど)持ち寄り、ブースは作 す。 (別所直子・南出純子・山田恵子) かたの着付けをしました。子供達は パスポートなるものをもらい、入っ らず、ラッフルやダンスなどみんな でワイワイ楽しみました。各国の紹 た国でスタンプを押してもらうのが 楽しみだったようです。 介は授業の時に保護者が行いまし た。民族衣装は夏休み前のラスト 38 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 保護者会だより P A R E N T S 夏休みの心模様 「完全週休2日、夏季休暇2ヶ 付けをほぼ毎日担当してくれた。そ 月、その他に冬季・春季の休暇あ り。」 して、勉強は夏季講習などには行か なかったが、苦手な英語を本人なり こんな企業があれば就職したいと 思う程の休みの多さだが、これは他 に復習していた。又、普段は週1回 通っている音楽や美術の教室に週2 ならぬSISの生徒の休みの実態だ。こ んなに沢山休みがあるんだから、自 回通い、密度を上げて練習している ようであった。 由になる時間を有意義に使って欲し いと思うのが親心である。ところが 欲を言えば、もう少し早寝早起き をして・・・。などとキリが無い 親の思う有意義と子の思う有意義と の認識のズレが、いつも我家の親子 が、そろそろ自分のやらねばならな いことはちゃんとわかってきている バトルの原因になる。 特に毎年、夏休みをめぐっては親 んだなと、少しだけホッとした次第 である。そういえば、中学生の時は 子共に火花を散らしてきた。親は毎 年、今年こそは早寝早起きで適度に カナヅチを克服しようとスイミング スクールの夏季訓練に通って、どう 運動もして規則正しい生活を送り、 普段の学習の不充分なところを勉強 にか泳げるようになった年もあった し、又ホームステイですばらしい体 しなおして、趣味の楽器のレッスン なども力を入れて、なおかつ家事も 験を沢山した年もあったし、今思え ば、それなりに何かをつかむ夏休み 分担して欲しいなどと、欲ばりで絵 に描いた様な理想を思い描き、6月 を過ごして来ているように思える。 親は効率的に、有意義になどと欲 頃になると、「今年は⃝⃝塾の夏季 講習に行ってみたら・・・?」「今 ばってしまうが普段、通学、学校生 活と結構ハードな生活をしているん 年はこんな本を読んでみた ら・・・?」「自然と親しんで体力 だから、チョッと無駄な時間をボ ケッと過ごすことも大切な事かもし もつけるために山歩きでもしよう か・・・?」などとあの手この手の れない。張りつめた糸はいつかプツ ンと切れるように、いつもいつもが 誘いを試みるが、にべもなく 「NO!!」という返事。 むしゃらに走らせては心が切れてし まうかもしれない。 しかしSISに入学して数回目の夏休 みともなると無駄なことを言っても こんな風に思いつつも、心の一方 では親がもっと厳しく、毅然とした 仕方がないと親の方もわかってきて (あきらめて?)今年はただひとつ 態度でいろいろやらせる方が子供の 為になるのでは・・・? 少し甘い 「家族の朝食の後かたづけを毎日す ること」それだけを夏休みの始めに かな・・・? などと親自信も、自 問自答する日々でした。来年はどん 申し渡して、あとは本人の自覚に任 せた。すると今年は毎日、家族より な夏休みになるのかな・・・。 (F.S.) はゆっくり起きてではあるけれど、 自分で朝食をとり、残してある後片 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 チャットコーナーカット保護者会広報委員 みなさんもこの"チャット コーナー"にどしどし投稿して 見ませんか。日々の暮らしの こと、旅のこと、最近出会っ たいい話、こわい話など何で も結構です。広報委員か、イ ンフォメーションセンター横 の投稿ボックスまでどうぞ。 39 行 事 予 定 ・ 編 集 後 記 1 1∼ 2 月 行 事 予 定 月 日 曜 11 11 木 オールスクールプロダクション(13日まで) 24 水 編入選考 27 土 インターナショナルフェア 29 月 秋学期終了 30 火 冬学期開始 12 14 火 冬季リサイタル(15日まで) 18 土 冬季休業開始 1 11 火 授業再開 17 月 中等部第一次入学選考(生徒休校) 21 金 中等部第二次入学選考(生徒休校) 31 月 HS冬季コンサート(梅田ドラマシティ) 下校時刻は6時です 千里国際学園の下校時刻は中等部・高等部共に6 時です。クラブ活動をしていても、5時45分には終 了して着替えをし、6時には校舎を出ることになっ ています。 この文章が皆様の目に留まる頃には、生徒諸君の 自覚も十分できているはずですが、ご家庭の方でも 生徒は必ず6時には学校を出る事になっているとご 承知おき下さい。もしあまりに帰宅が遅い場合には お子様と話をして下さるようお願いいたします。 (教頭 平尾公美洋) 2 04 金 高等部入学選考(平常授業) 編集後記 英語科旧職員田浦秀幸さんからの寄稿の中に、「"インターカルチュア"誌上で課外活動ばかりでなく、教科 内で行われている地道な教育実践報告もどんどんなされることを個人的に希望します。」とありました。同感 A A A A です。各教科に依頼してどんどん報告していこうと思います。今号では連載中の保健に加えて、英語と数学の 授業からの報告を掲載しました。 インターカルチュアへの記事、短信、感想など、E-mailで [email protected](@sisf.minoh.osaka.jp でも可) までお送り下さい。バックナンバーの抜粋も本学園ホームページでご覧いただけます。 URL http://www.senri.ed.jp/ 編集:馬場博史(数学科) 保護者会だより記事:保護者会広報委員 カット:イラストレーションクラブ生徒 Edited by Hiroshi Baba(Math.) Cooperation of the Public Information Committee of SIS Parents Association Drawn by the students of Illustration Club Senri International School Foundation (SISF) Senri International School (SIS) Osaka International School (OIS) 4-4-16, Onohara-Nish, Minoh-shi, Osaka 562-0032, JAPAN TEL 0727-27-5050 FAX 0727-27-5055 年間発行予定と主な内容 ( )は発行時期 5月号 5月号(上旬) 卒業式、入学式、大学等合格状況、APAC 6月号 6月号(中旬) 学園祭、スポーツ表彰式 10 月号 10月 号(上旬) 夏の宿泊行事、夏の諸活動報告 学校法人千里国際学園(SISF) 11 月号 11月 号(中旬) 運動会、APAC、玄関コンサート 千里国際学園中等部・高等部(SIS) 大阪インターナショナルスクール(OIS) 2月号 2月号(上旬) オールスクールプロダクション 〒562-0032 大阪府箕面市小野原西4丁目4番16号 電話0727-27-5050 FAX 0727-27-5055 3月号 3月号(中旬) APAC、入試結果、卒業生へ贈る言葉 [注] "APAC" はスポーツ公式試合 千里国際学園は、帰国生徒を中心に一般日本人生徒や日本の教育を希望する外国人生徒も受け入れて日本の普通教育を行う千 里国際学園中等部・高等部 Senri International School (SIS) と、4歳から18歳までの主に外国人児童生徒を対象とする大阪インター ナショナルスクール Osaka International School (OIS) とを、同一敷地・校舎内に併設しています。 両校は一部の授業や学校行事・クラブ活動・生徒会活動等を合同で行っています。チームスポーツはこの2校で1チームを編成 しており、この形態での参加を認めるAPAC(Asia Pacific Activities Conference)の公式試合や、近隣のインターナショナルスクー ル、日本の中学・高校との交流試合等に参加しています。このため、校内ではインターナショナルスクールの学校系統に合わせ て、6年生∼8年生(日本の小学6年生∼中学3年生春学期)をミドルスクール(MS)、9年生∼12年生(日本の中学3年生秋学期 ∼高校3年生)をハイスクール(HS)と呼んでいます。 40 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 I N T E R C U L T U R E ・ N O V E M B E R 1 9 9 9 41
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