私の戦後史-もの作り50年 - 第1回~第100回 総目次

私の戦後史-もの作り50年-
佐伯
キーワード
朗
渦電流、渦流、位相(同期)検波、試験コイル、貫通コイル、
標準比較、自己誘導自己比較、相互誘導、リサージュ、
目
次
1.はじめに
2頁
2.日本における渦電流探傷器の黎明期に担った役割
2
1)一会一期
2)輸入された探傷器の修理
3)万能型国産探傷器第一号の誕生
3.探傷器修理と万能型国産探傷器第一号の誕生に至るまでのバックグランド
3
1)占領政策に刺激される
2)固溶体ってなに?
3)ラジオ少年時代が昭和23年から26年頃まで続いた
4)TV の黎明期
4.国産渦電流探傷器 位相(同期)検波回路の考案
10
1)佐伯君なんとかならんかね?原司の口癖
イ)田宮潤からの講義 ロ)SSB の黎明期 ハ)光シャッター
2)位相(同期)検波回路考案の背景と FD-RX 型誕生経過
3)名器FD-103型の誕生
4)社名の名付け親になる
5.渦電流探傷器から離れて無線通信関係などの製造業に専念する
14
1)アマチュア無線家との出会い
2)超短波とマイクロウエーブの送受信機
3)超短波電界強度測定器
4)高出力信号発生器
5)誘電・誘導高周波加熱機
6)超短波誘電加熱機
7)音声スタジオ用の調整卓
8)大型計算機用直流電源
9)水銀整流器の負荷試験
10)水晶制御60 Hz 電力増幅器
6.もの作り50年の集大成-昭和39年に入社してからのタスク-
16
1)探傷システムの確立
イ)試験コイル ロ)磁気飽和コイル ハ)電子回路の改善 ニ)その他
2)商品化
イ)シーム部専用探傷装置 ロ)アマ・ソノ対抗機検討 ハ)全自動 DC-MLFT
3)回転プローブ探傷器
4)定尺鋼材の走間脱磁システムの確立
5)時分割電子走査式回転プローブ探傷器の特許出願
6)交流漏洩磁束探傷機商品化
7)技術管理:特許・実用新案
8)クレーム処理
9)表彰 石井賞受賞
10)体験から得た信条
謝辞
19
参考文献
19
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1.はじめに
敗戦後上京して焼け野原の廃墟をみた。戦時中入所の民間航空を標榜した運輸逓信省の
所属だった航空機乗員養成所が GHQ の命令で閉鎖された。運輸逓信省は管轄していた日
本国有鉄道(旧国鉄)の鉄道教習所に特設中等部を新設して希望者を募った。条件は戦時
中航空機乗員養成所の官費生と同じく勉強が仕事で毎月給与を得られることであった。こ
れに筆者らが応募移籍し敗戦翌年の昭和21年夏から寮生活の傍ら勉強にいそしんだ。当
時は津田沼の旧陸軍兵舎、現千葉工業大学付近で授業が始まった。官費生ではなかったの
で義務年限はなかった。卒業後旧国鉄に勤務の傍らラジオ少年を経たのがきっかけで、も
か りゆうかい
か りゆうかい
の作りが半世紀以上過ぎた。電気通信畑から渦 流 界{花 柳 界(笑)}に入って国産化に奮
闘したつもりである。この場をかりて筆者の戦後史を披露させていただく。内容が異分野
に亘っているのに加えて、個人的偏向があるやも知れずその点はご容赦願いたい。
2.日本における渦電流探傷器の黎明期に担った役割
1)一期一会
原ラジオテレビ研究所の原司との出会いは、昭和27(1952)年12月 駒澤大学
渋谷校舎における夜間の「日本テレビ技術員養成所第一期生」(講師は日本ビクター(株)
テレビの父 高柳健次郎、NHK 放送技術研究所の城見多津一、日本コロムビア(株)技術
部長山崎など錚々たる方々)講習会においてであった。原司はたまたま筆者の隣席にいた
のであった。原司は真空管式ポケットラジオの製造販売を行っていた。それこそ不思議な
一期一会。
昭和30年頃であったろうか、ある書籍の随筆欄で当時の(株)日立製作所社長 倉田
主税が一期一会について書いておられたことを思い出す。当時は無関心であったが40年
を経てからやっとこの意味を分かるようになった。このように鈍い筆者なのである。
原司は、昭和44(1969)年8月1日に逝去された。それは雨まじり強い風が吹い
ていた台風の日であった。知り合ってから足かけ17年目であった。2代目社長には筆者
よりも付き合いが古かった白井逸郎が就任した。白井逸郎は原司が作っていたポケットラ
ジオ販売促進のため都内某デパートでの催しに参画していたようである。白井逸郎は筆者
より1年遅れて昭和40年に入社した。白井逸郎には業界で先輩格の西ドイツ フェルス
ター研究所(創立が10年早く当時の従業員は約600名)の世界的実力に対する筆者の
危機感が充分に伝達されず、追いつけ追いこせと訴えたことが記憶に残っている。
2)輸入された渦電流探傷器修理
佐伯君なんとかならんかね?/原司の口癖 (昭和29(1954)年頃)
「輸入渦電流探傷器の修理を引き受けた」原司からの連絡で面白いものがあるんだ。親
族の岩崎太郎が担当して輸入(ウエスターン トレーデング(株)扱い)した装置の調子
が悪いんだ。一度見に来ないかね!実はフランス製なんだ。これはフランス LEGPA 社製
の STRCTGRAPH であった。納入先ユーザーが関門地区であったせいもあって、地理的に
近い九州の大学で診てもらったが直らないんだと云う。
そこで早速出向いてオッシロスコープで回路各部を観測し調べた処、何処からも波形を
見いだす事ができなかった。故障箇所は試験周波数を発生させる LC 発振回路の不動作で
あった。約3時間で修理できた。英文の簡単な説明書はあったが回路配線図はなかった。
3)万能型渦電流探傷器国産第一号の誕生
原司は修理完了を機に国産化を計画し、回路配線図の設計を筆者に託した。筆者はヨー
ロッパ規格の真空管回路を入手が容易なアメリカ規格に置き換えると共に、LC 発振回路
を周波数切り替えが低周波から高周波に至るまで広範囲で容易に使えるウイーンブリッジ
RC 発振回路に変更するなど2~3アレンジした設計をした。鈑金設計、組み立て配線と
調整は原司が担当した。原司の親族宮本文夫は、渦電流 Eddy Current のエディから和文エ
ディオの表現を発案し商標登録出願をした。後日英文の EDDIO も商標登録した。
ブラウン管内蔵や記録計接続可能の渦電流探傷器にはエディオグラフ、指示メータのみ
の渦電流探傷器にはエディオメーターを付与することが原司と宮本文夫との打ち合わせで
つかさ
で決定した。そうして間もなく FE-1 型が誕生した。宮本文夫の FU、原司の 司 を JI と読
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む。両者をあわせて「ふじでんき」=フジ エレクトリック、これを変じて探傷器を FE
型と原が命名した。有名な某電機メーカーが輸入モータの修理をきっかけで起業したこと
に類似であった。因みに本家の富士電機(株)の社名の由来は古河電気工業(株)とドイ
ツのジーメンス社との合弁で両社の古河のフとジーメンスのジを組み合わせて富士電機
(株)になったという。本家をかたるのは良くないですよとの筆者助言から、後日になっ
てから社名の名付け親となった。
万能型国産探傷器第一号の FE-Ⅰ型には STRCTGRAPH と同様に25mmのブラウン管
を備え外光でも見やすくするためにに緑色のアクリル板で覆ってあった。ブラウン管の横
軸には試験周波数の発振出力、縦軸にはブリッジ増幅器出力がそれぞれ印加されたリサー
ジュのエリプス(楕円)表示であった。FE-Ⅰ型の正面下部左右にはリセプタクルを備え
材質判別用などの標準比較機能を果たすようになっていた。しかしながらkHzオーダー
では試験周波数が高すぎて磁性材の材質判別に不適合であることが判明し、自己誘導自己
比較で用いることとなった。
FE-Ⅰ型販売の前後には電線専用の渦電流探傷器 Fault Sortor が城南電気(株)から販売
されていた。FE-Ⅰ型のヌル(ゼロ)バランスブリッジが可変抵抗のみを用いた交流ブリ
ッジ方式であったのに対して、Fault Sortor にはコンデンサ(C)の切り替えと可変コンデ
ンサー(バリアブルコンデンサ/バリコン VC)が組み合わされた LC ブリッジ方式であ
った。LC ブリッジの L は試験コイルであった。
電線用渦電流探傷器 FE-Ⅲ型の場合にも可変抵抗を用いた交流ブリッジとし、ヌルバラ
ンス表示の大型片振れメーターを備えた。電線用探傷器には材質判別の必要性がないので
FE-Ⅲ型にあっては右下の自己誘導自己比較の試験コイル用レセプタクル1個のみを備え
た。試験周波数はオリジナルと同様に約5kHz程度であった。3者ともに位相(同期)
検波機能を有していなかった。バランス表示のメーターは交流ブリッジ増幅後の整流検波
電圧を表示した。万能型探傷器エディオグラフ FE-Ⅰ型と電線用探傷器エディオメーター
FE-Ⅲ型の外観を図1に示す。
図1 エディオグラフ FE-Ⅰ型(左)とエディオメーター FE-Ⅲ型(右)の外観
センサーとしての貫通コイル(試験コイル)はふじ電気の(F)、非磁性(ノンフェラス
の N)両者のイニシアルをあわせて FN 型とした。将来に備え試験体の外径が細い時を考
慮して FN-1型を見据えて温存し、当面は FN-2型から出発するように進言した。
のちにはFN-1 A から5 A 型まで試験体外径範囲に応じてシリーズ化された。
3.探傷器修理と万能型国産第1号の誕生に至るまでのバックグランド
1)占領政策に刺激される。
昭和20年11月 民間航空の禁止命令(18日)は筆者ら民間航空を標榜していた航空
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機乗員養成所の生徒各自にとっては大きな衝撃であった。
命令(24日)にも衝撃。
また、サイクロトロン破壊の
図2 GHQ からの命令1)
GHQ からの命令等を図2に示す。航空の全面禁止(航空機の研究開発、設計製造、民
間航空の気象観測や魚群探知などの飛行も禁止)の記事を図3に示す。
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図3航空の全面禁止2)
廣島、長崎への原子爆弾投下の悲惨さに加えてサイクロトロン破壊命令にもとずいて、
理化学研究所仁科研究室のサイクロトロンが東京湾に投げ捨てられたことに憤慨した。
昭和16年発行の大阪大学教授菊池正士著「物質の構造」を昭和20年暮れか21年春
頃かに読んだ。(筆者が14才)表紙を図4、目次の一部を図5に示す。
)
図4物質の構造 表紙3
図5同左 目次の一部4)
当時は核外電子と KLM 順位及び原子価との関係など全く分からなかった。
2)固溶体ってなに? 昭和21(1946)年夏休みの宿題
15才でわかるわけがない。金属のことは難しいということがわかった。
夏休みの宿題は各自個別のテーマで残念!同級生の他人から見せてもらえない。与えられ
たテーマ固溶体と状態図を調べるように指示された。「合金状態図の解説」の概要につい
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て「お茶の水図書館」で訳もわからずに要点を丸写しした。表紙を図6、目次の一部を図
7に示す。
図6合金状態図の解説 表紙5)
図7同左 目次の一部6)
なぜか知らないが学校の授業と関係ないテーマであった。ここで金属の難しさを知って
しまった。そうして金属には関係したくない想いがした。しかし皮肉なことに後には、金
属の検査関係に巻き込まれることとなるのであった。
この時に知った予備知識が、奇しくも10年を経ずして金属を対象とした非破壊検査の
役に立つとは夢想だにしなかった。
3)ラジオ少年の時代が昭和23~26(1948~1951)年頃まで続いた。
時代の寵児だったスーパーヘテロダイン方式ラジオ(通称5球スーパー)や、電蓄(電
気蓄音機)などの組み立てキット雑誌広告記事の例を図8に示す。後半では友人や知人か
ら頼まれて、ラジオや電蓄の組み立て配線調整をした。
図8ラジオ組み立てキット7)
4)TV の黎明期
無線と実験誌昭和27(1952)年1月号の記事にしたがってテレビ音声用超再生受
信機を製作・調整した。東京都世田谷区砧の NHK 放送技術研究所(NHK 技研)からの
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テレビ試験電波の音声を、川崎市内の木造2階で受信に成功した。ステンレス管を用いて
ダイポールアンテナを作りこれを砧に向けて天井からぶら下げ、AC 100ボルト用の塩
ビ電源コードを75Ωフィーダー(給電線)の代用とした。半田ごてとテスターのみで作
った。参考になった記事を図9に、用いた超短波用真空管 UN-955 の原寸大画像を図10
に示す。
図9テレビ音声用超再生受信機の製作解説記事8)
図10エーコン管-955の外観9)
(原寸大)
テレビ試験電波の音声受信成功を機に、日本
アマチュア TV 研究会(JAT)の会員になる。
JAT NEWS を図11に示す。
翌月の昭和27年2月にはテレビジョン学会
に入会した。
図11 JAT NEWS 27年3月号 10)
旧国鉄から転身してすぐの昭和27年初秋には RCA ビクター社製の17インチ(形)
テレビのチャンネル及び同期信号回路の改造を行って東京都目黒区内の勤務先(株)義昌
電気研究所で NHK 技研からの試験電波受像に成功した。試験電波を受像し、NHK 技研
から NHK テレビ便りやアンケート調査などの郵便物を入手するようになった。これを図
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12に示す。図は音声受信成功後の夏に入手した NHK テレビたより(第1号)である。
他には GE 社、ウェスチングハウス社やエマーソン社製などの TV 受像機の改造を手が
けた。この頃は美空ひばりのりんご追分が歌われていたように記憶している。
図12 NHK テレビたより(第1号)
図13もく星号事故11)
昭和27(1952)年4月にはもく星号が大島三原山で事故を起こした。これを図1
3に示す。戦時中の運輸逓信省管轄の古河地方航空機乗員養成所では授業時間外に、“低
空飛行と雲の中は危険”と諭されていた。
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渋谷恋文横町の古本屋で時々購入して読ん
だ QST 誌の表紙の例を図14に示す。
図14 QST 誌
Jan.1954年表紙12)
QST 誌はアメリカアマチュア無線連盟
ARRL(AMERICAN RADIO RELAY LEAGUE )
から発行されている。
因みに日本に於いては日本アマチュア無線連
盟 JARL がある
昭和30(1955)年当時の渋谷恋文横町
などの世相を示す資料を図15に示す。
図15昭和30年の世相13)
昭和30年9月アメリカから受け取った航空便の縮尺コピーを図16に示す。21イン
チ TV 受像機のサービスデータおよび技術情報が同封してあると書かれてあった。航空便
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を手書きして何回となく RCA 社から TV セットの配線図などを入手した。アメリカのシ
ルバニア社やレイセオン社からも資料を入手した。イギリスの EMI 社からはヨーロッパ
方式TVの配線図を入手した。外国には礼儀として国際返信券を毎回同封して送った。
図16 RCA からのレター
国内では、新日本電気(株)から真空管に関する資料を入手した。(株)東芝 管球技
術部の漆原健からは興味あるお話を講演会で沢山聴かせてもらった。
4.国産渦電流探傷器 位相(同期)検波回路の考案
1)佐伯君なんとかならんかね?原司の口癖 昭和31(1956)年
各社に持ち回っただけどね、きずがないのに警報が鳴りっぱなしで困ったよ。なんとか
ならんかね。この当時は日雇い労働者の日給が240円で「ニコヨン」(註:一コ=¥1
00、大一コ=¥1,000)と呼ばれていた。
高価な探傷器で検査するよりも人海戦術の目視検査の方が良いと客先から云われたそう
である。当時の対象きずは大きく、高速で且つ精度良く自動検査をしなくても充分という
時代であった。
原ラジオテレビ研究所変じて富士電気(後に原電子測器(株))の原司からきずがない
のにやたらに疑似指示が発生し、全くといってよいほどに役立たずである。きずだけに反
応する探傷器を考えてくれんかね。この依頼で渦電流探傷器の見直し設計を行った。
これに関しては次のようなバックグラウンドが筆者にヒントを与え、渦電流探傷器の設
計に大きく影響を与え且つ元気付けられた。
イ)東京大学助教授田宮潤からの講義で、搬送電話の周波数分割変調・復調技術
ロ)アメリカのラジオアマチュア向け製作解説記事主体の月刊誌 QST や月刊ラジオ技
術誌などで当時喧伝されていた SSB の黎明期。
ハ)光シャッターと同期検波復調が掲載されていた Journal of Applied Pysics 誌などがヒ
ントになっていた。
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昭和29年からシングルサイドバンド(搬送波抑圧 SSB)方式がアマチュア無線の世
界で脚光をあび始め、これにリング変調器が用いられていた。解説記事を図17に示す。
JOURNAL of APPLIED PHYSICS 誌を昭和31(1956)年東京大学理工学研究所(東
大理工研)の図書室で見る機会があった。これで光シャッターと同期検波の概念を知らさ
れた。この記事を図18に示す。
図17 SSB 受信付加装置回路図14)
図18 APPLIED PHYSICS
p29915)
2)位相(同期)検波回路考案の背景と FD-RX 型誕生経過
リング変調器を渦電流探傷器の位相(同期)検波へ活用設計することの如何を東京大学
助教授田宮潤に伺った処、いいんじゃないか簡易型もあるよと賛同して下さった。田宮潤
は電気通信が専門で「受信機の雑音」のテーマで博士号をお取りになられた。東京大学教
授田宮潤は昭和42(1967)年5月26日午後零時に逝去されてしまわれた。ときに
41才であった。
(合掌)
無線通信の搬送波抑圧 SSB 方式用リング変調回路がヒントになって位相(同期)検波
回路を考案した。
探傷器でブリッジバランスをとり、バランスがずれたときに側波帯が発生する現象がと
りもなおさず無線工学でいう搬送波抑圧両側波帯(BSB/Both Side Band)方式に該当する
ことに気がついた。
図19において、上の場合左から変調波下から搬送波をそれぞれ入力し、右に被変調波
出力が得られている既存の変調技術。下の場合は左から参照(基準)となる移相器からの
出力、右からきず信号で変調されたブリッジ増幅出力をそれぞれ印加し、中央下に位相(同
期)検波出力を得るように復調技術回路を考案した。こうすることによって直流成分も出
力できるようになった。これにより後述の保守検査用渦電流探傷器TD-200型を用い
た探傷試験において、ハイパスフイルタを用いないアブソリュートペン書き記録に威力を
発揮することとなった。特許は出願しなかった。
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図19渦電流探傷器に用いた位相(同期)検波回路16)
図20テクトロニクス社製品500シリーズと筆者
図21FD-103 B 型17)
デザインの参考になったテクトロニクス社製品と筆者の写真を図20、後述のFD-1
03B型を図21に示す。
テクトロニクス製品500シリーズなどの国産版は、電波研究所(現在は(独)情報通
信総合研究所)から移籍された関英男博士やその他の方が尽力され、イオン焼けしない高
輝度後段加速ブラウン管の新作を初めとして岩崎通信機(株)岩通のシンクロスコープと
して世に出ることとなった。関英男は平成13年12月16日に眠るようにして94才で
逝去された旨喪中のお手紙をご子息様からいただいた。
従来の直線検波出力を実数の R 軸、位相(同期)検波出力を虚数の X 軸と勝手に呼称
し2チャンネル記録可能な渦電流探傷器を設計した。そうして従来指示記録との2チャン
ネル記録で比較評価を容易にすることの役に立った。富士電気 FE の別名 FUJI DENKI の
イニシャアルをとってFD-100型を改良してFD-RX型が誕生した。
因みにFD-100型は従来 FE-Ⅰ型を大幅に設計変更したものであった。主な変更点
は、エリプスリサージュ表示用ブラウン管を25mmから75mm、ブラウン管の配置を
従来の正面中央上部から左上とし、主操作つまみを右側と左下に配置した。この配置デザ
インの本家は計測業界を風靡していたテクトロニクス社製品500シリーズのオッシロス
コープを東大理工研の田宮研究室で使わせてもらっていたことが幸いした。また試験周波
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数切り替えを新設し4、8及び16kHzの3周波とした。上限の周波数を16kHzと
したのは当時のコンベンショナルな低周波増幅器の周波数上限に歩を合わせた。また試験
周波数を4、8及び16kHzとしたのは対数目盛でほぼ等間隔となる倍数系列をねらっ
たことによる。当時の月刊誌写真工業の記事で35mmカメラのシャッター速度が倍数系
列を思考していたことも影響した。FD-RX型で位相(同期)検波が有用である事が分
かってからの103型から右側に新設したゼロセンタ両ぶれメータを位相検波出力指示と
した。左側のメータは従来と同じ片振れヌルバランス指示とした。
3)名器FD-103型器の誕生
FD-RX型評価の結果が良かったので位相検波のみに集約したFD-102型を経て
103型に発展しベストセラーになったようである。また倍数系列の試験周波数切り替え
は国内の渦電流探傷器メーカ各社で採用されデファクトスタンダードとなった。試験体の
多様化に伴い試験周波数切り替えは4,8,16,32,及び64kHzが標準装備とな
った。
内挿コイルと組み合わせる保守検査用渦電流探傷器TD-200型の試験周波数は5,
10及び15kHzで原司が設計製作した。エリプス表示ブラウン管は装備していなかっ
た。この渦電流探傷器は九州在住の原司親族に販売され、後に保守検査の会社が設立され
たようである。
現在でも渦電流探傷器に位相検波器を用いることは欠かせなく、現場での使用にも必須
の手法になっている。位相検波に伴う移相器は原司が設計した。最近では乗算器を用いた
位相検波機能が普及している。位相(同期)検波回路と検波特性曲線を図22に示す。
図22位相(同期)検波回路と検波特性曲線18)
図22の左側において左から移相器出力の参照電圧、右からブリッジ増幅出力電圧の信
号電圧がそれぞれ加えられ中央下に出力電圧が得られている。非破壊検査便覧の執筆者宮
入宮人(鉄道技術研究所→職業訓練校)からの要請で、上記引用の図2・60の資料は筆
者が原電子測器(株)入社後の昭和41~42(1966~1967)年頃に提供した。
図に於いて右側の曲線はコサイン(余弦)関数であることが分かった。
日本に於いて位相(同期)検波器は、何時かは誰かが渦電流探傷器に用いる設計をしな
ければならなかったのである。偶々筆者がその役目を担ったことになる。
位相(同期)検波付き探傷器の設計が昭和31年頃であったが、位相検波付きアメリカ
製探傷器 RADAC(バッド社製ラダック)が輸入されたのはそれから何年か後のことであ
った。ラダックのことが JSNDI で発表されたのは昭和41年であった。(原:NDI 3分科
資料3256 渦流探傷器ラダックについて)当時の発表内容をみると、位相検波無しと
位相検波付きとの2機種が用意されていた。即ち日本における昭和31年頃を彷彿させる
ものがある。この時点でアメリカよりも表面的には進んでいたことになるが、舶来崇拝の
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強い日本の渦電流探傷器ユーザにあっては相変わらず外国製品に注目が集まっていたので
ある。
4)社名の名付け親になる 昭和31(1956)年
ア イ 電 子 測 器 株 式 会 社 は P D P シ リ ー ズ の ミ ニ コ ン ピ ュ ー タ メ ー カ DEC( Digital
Equipment Corp.)製と同様なマザーボード作製を狙っていたように思われた。これにあや
かって後半の~電子測器株式会社を借用した。そうして原電子測器株式会社の命名を助言
した。
当時はPDP-9(ナイン)が持てはやされていたが、昭和45年頃住友金属工業(株)
尼崎工場でPDP-11(イレブン)に出会った。なぜかアメリカの中堅ミニコンメーカ
の DEC 社への思い入れがあった。
5.渦電流探傷器から離れて無線通信関係などの製造業に専念する
(~昭和31(1956)年東大理工研から(株)近藤製作所にて昭和32~39(19
57~1964)年までの主な業務経験)
1)アマチュア無線家との出会い
東大理工研にてアマチュア無線家 JA1AA 敗戦後のアマチュア無線局第一号の庄野久男、
JA1DX(遠距離通信)の安倍賢一、JA1GP(グランドプレーン)の川村勇生および JA1TV(テ
レビ)の増永清一など。(かっこ内はアマチュア無線家のコールサインをもじったもの。)
2)超短波とマイクロウエーブの送受信機
東大理工研にてレッヘル平行線同調の超短波460 MHz 帯、立体回路を必要とし長方
形断面の導波管とホーン型アンテナを自作した極超短波(マイクロウエーブ)のXバンド
(9000MHz帯 9GHz帯)の同時通話工業高校実習用送受信機の設計・組み立て
配線と調整。前者は ARRL ハンドブックと QST 誌、後者は電気通信学会編の立体回路上
下と Electronics 誌が参考になった。送信用に用いたマイクロウエーブ用反射型クライスト
ロン2K25に関してはアメリカのレイセオン社から入手した Tentative Data などが役に
立った。参考にした立体回路の表紙を図23、ARRL ハンドブックの広告例を図24に示
す。昭和30年に購入した書籍立体回路によると、導波管内の位相速度は光よりも早く群
速度は光よりも遅いことがわかった。上記送受信機の製作は昭和30年田宮潤からの指示
であった。Xバンドのレーダーは翌年の昭和31(1956)年頃に三菱電機(株)が商
品として初めて展示会に出展した。(株)東芝は翌々年頃に羽田空港に GCA レーダーを
納入したようである。次の3)~10)項はすべて(株)近藤製作所での活動実績例であ
る。
図23立体回路 表紙19)
図24 ARRL ハンドブックの広告20)
3)超短波電界強度測定器
アンテナ入力1μ V 入力の超短波電界強度測定器の設計と調整。0dB=1μ V、
120dB=1 V 負荷50Ω。調整中の時に世界初人工衛星スプートニク1号が地球を
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周回した。この時にはアメリカ コリンズ社製通信型受信機75 A で電信音受信傍受に参
加させてもらった。打ち上げが昭和32(1957)年10月4日。傍受に参加させても
らったのが10月5日または6日午後国際電気(株)社内においてのことであった。
4)高出力信号発生器
3~30MHz全域で出力が10 W の特注大出力信号発生器設計と調整。海外向け国
際放送送信用アンテナの特性測定用に用いたようである。なお市販品の標準信号発生器
(SSG)は、50Ω負荷で1 V rms、出力電力は0.02 W と小電力である。今なら
ネットワークアナライザーなどで瞬時に測定可能となり時代の変遷を深く感じられる。
5)誘電・誘導高周波加熱機
出力500 W ~10KWの渦電流損失応用の誘導加熱機と誘電体損失応用の誘電加熱
機の調整。前者は励磁コイルに取り囲まれた銑鉄の炭素含有量測定のガスクロマトグラフ
ィー用、後者は電極間に配置された成形直前の樹脂ペレットのガス抜きや合板の接着乾燥
などに用いられ、オルガンやピアノやスピーカーボックス或いは厨房用合板に用いられた。
その後には有名だったサンウエーブ工業(株)が整理会社になった。
6)超短波誘電加熱機
80MHz超短波の3KW誘電加熱機プリヒーターの機構(鈑金)と全回路設計と調整
を行った。輸入された24時間フル稼働中の装置を休止時間の合間を縫って模写し、発振
に用いた送信管を除いてすべて国産化した。会話が困難な程に騒音が甚だしく動作が遅か
ったセレクター電話交換機に取って代わりクロスバー交換機が出現した。これの一部には
ワイヤースプリングリレーが多用されたが、この組み立てに用いられていた部材は電気的
絶縁性が良好で且つ誘電体損失が少なかった。リレーの歩留まり向上のために他の樹脂成
型直前のペレットプリヒートと同様に加熱ガス抜きが必要であった。誘電体損失が少ない
樹脂を成型するに先立ってガス抜き加熱するためには、周波数の高い超短波が必要であっ
た。アメリカの Eimac 製送信管が優れていた。現在はロシアに移管されて製造されてい
る。評判が良く何回にも亘ってリピートオーダーに恵まれた。カシオ計算機(株)はこのリ
レーを用いた計算機を製造した。この計算機は田無にあった電気試験所で見学した。囁く
ように動作音が静かだったクロスバー交換機は、その後電子式にとって替わられた。
7)音声スタジオ用の調整卓
音声スタジオ調整卓などの設計と調整及び現地据え付け。レベルダイヤグラムの作製や
SN 比実測に習熟した。洋画吹き替えスタジオや放送局などが顧客で真空管式およびトラ
ンジスタ式(電力増幅用ゲルマニュームトランジスタは適用周波数の上昇に伴って発熱が
甚だしかった。後日になるが、渦電流探傷器の早期トランジスタ化に際してはブレーキに
なった。)。大阪 TV フイルム(株)、朝日放送(株)、茨城放送(株)、ラジオ栃木(株)
及び静岡放送(株)殿などに納入した。0dB=1mW、負荷600Ω、0.775V rms
、2.2V P-P、高周波と低周波とでのデシベル表示の差異と成り立ちの違いを実感し
た。渦電流探傷器にあってはこの0dB=1mW、負荷600Ω、2.2V P-P の測定手
法を採用した。茨城放送(株)の水戸とラジオ栃木(株)の宇都宮とでは夜半にまでかか
った現地据え付け立ち上げ追い込み作業に関し、午後8時過ぎるとどこの店も閉まってお
り夜食の買い出しに不便を感じた。
8)大型計算機用直流電源
大型計算機 HITAC シリーズ用直流電源の調整。計算機のトランジスタ用として正負電
源の立ち上がり時間特性に特徴があり大型計算機のトランジスタ保護に役立った。
9)水銀整流器の負荷試験
中圧大電流水銀整流器(たこ)の調整と負荷試験。某社茂原工場の真空管エージングコ
ンベアー用。防火用水槽に塩を入れて電気分解を行い何十アンペアかの疑似負荷試験立ち
会い方法を提案して採用された。
10)水晶制御60 Hz 電力増幅器
東芝レコード(株)には水晶制御60 Hz の電力増幅器を東京の作業所に納入した。これ
は関西で録音されたレコードの再生用としてレコードプレイヤのモータ駆動に役立った。
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6.もの作り50年の集大成-昭和39(1964)年に入社してからのタスク-
1)探傷システムの確立
イ)試験コイル(主に貫通コイル)昭和39~60(1964~1985)年
〇最適試験周波数の策定:理論計算値と探傷実験結果との照合の繰り返し
〇最適コイルインピーダンスの模索:既存ブリッジ回路との整合・調和・標準化
〇試験コイル型番の策定:適用外径範囲とその区分、用途別形式型番の策定
〇捲き線作業の標準化:用途別、穴径別捲き線径や捲き数の標準化
〇相互誘導形試験コイルの実験・研究
ロ)SN 比改善のための直流磁気飽和コイル SM 型の考案(特許や意匠登録せず。)
〇磁気飽和コイルの構造設計(同業各社が模倣し、某ユーザは特許を取得した。
早速特許法の先使用権を主張して長年実績のある SM 型の製造販売を継続した。)
〇磁化効率の検討のための磁化特性評価方法確立と各種形式の直線近似回帰評価
〇用途別、適用外径範囲別の各種形式・型番の策定と決定
ハ)探傷器電子回路の改善
〇発振出力トランスの縦電流不平衡特性の吟味と改善(特に32 KHz 以上でのブ
リッジバランス改善)
〇真空管からトランジスタ化へ移行(接合型シリコントランジスタ出現がきっかけ)
〇信号増幅回路の保護対策。トランジスタ化1号機の客先現場立ち会い時に対処。
〇試験周波数源を水晶発振に統一(昭和44(1969)年以降)
〇トランジスタから IC 化への移行
〇 MTBF(Mean Time Between Failure,平均故障間隔)向上指向の社内啓蒙
〇きず信号波形の分析と SN 比改善のためのフイルタ活用など(きず信号のスペク
トラムは連続性を持っていること。貫通コイルに於いて試験体外径20~100
mmに亘り実測から求めた人工きず信号のピークを示す値を試験速度で正規化し
たきず信号係数値は、筆者が考案した仮称のコイル構造係数値との相関係数が0.
991であったことを発見した。)
ニ)その他
〇 ISO 化に伴う ISO ねじへの移行、貫通コイルを用いたときの不感帯短縮対策
〇フィジビリティスタデイとシステムアプローチ指向
2)商品化
イ)電縫鋼管造管オンライン シーム部探傷専用装置(昭和42(1967)年)
ロ)アマログ・ソノスコープ対抗機種の商品化検討(昭和44~47(1969~
1972)年)のちに商品化検討中止
ハ)直流漏洩磁束探傷(DC-MLFT) 短尺鋼管内外面線状きず探傷用として試験
体回転の全自動選別探傷システム(内表面管軸方向人工スリットきず深さ0.
3mmを SN 比3~5以上で検出)
3)回転プローブ探傷器
〇回転プローブ方式のきず検出優位性社内啓蒙
〇非接触回転トランスの特許出願(昭和47(1972)年)
〇専用プローブの規格標準化(原電子測器(株)国分章雄の考案 FXプローブ)
〇ダイナミックバランスの向上
〇 DN 値向上と潤滑問題の対処(DN 値と粘度、オイルバス、オイルミストなど)
〇割れない回転トランスコアの開発(昭和52~61(1977~1986)年)
4)定尺鋼材の走間脱磁コイルシステムの確立(昭和42~61(1967~198
6)年)
〇連続通電交流脱磁装置
〇直流転極減磁併用の交流脱磁装置
〇適用試験体外径範囲別毎の各種形式・型番の策定と決定
5)時分割電子走査式高速回転プローブ探傷器の特許出願
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〇システム設計プロポーズとアレイ ECT 特許共同出願(昭和56(1981)年)
6)交流漏洩磁束探傷(AC-MFLT)機商品化
〇無線送信機並の実験用広帯域大電力増幅器(無線送信用真空管使用)の設置
〇コア入りセンサーのキューリポイント調査
〇スリップリングとブラシの問題点調査
7)技術管理:特許・実用新案(昭和42年~平成6年)
〇共同研究契約
〇共同出願
〇単独出願明細書作成から年金納付
8)クレーム処理
〇問題点の抽出分析と対策
〇要因分析手法としての魚の骨(Fish Bone)を客先に提出
〇原因と対策と期限設定
〇誠心誠意
〇次回他の技術検討時への活用
9)表彰 石井賞受賞 一将功なって万骨枯れる
〇「一将功なって~」は戦時中に運輸逓信省航空機乗員養成所で教えられた文言。
〇ひとえに皆さんのお陰である。皆さんを代表していただいた。
石井賞の賞状を図25、金メダルの原寸大を図26に示す。
図25石井賞
賞状
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裏の表示
第8回 佐伯 朗君
1983.3.25
図26金メダル
原寸大
仕事の上で参考にした鉄鋼便覧の表紙を図27に、序を図28に示す。昭和31~平成
6(1956~1994)年まで ITT 出版の REFERENCE DATA for RADIO ENGINEERS
を38年の長きに亘って愛用した。
図27鉄鋼便覧
表紙21)
図28鉄鋼便覧
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序22)
図29回転探傷機
10)体験から得た信条
〇当初は一緒になってやって見せて(率先垂範)納得させて、安心させて。(昭和5
0年中期頃まで)
〇ことがうまくいった場合は皆さんのお陰、うまくいかないのはこちらの責任。
〇一回の説明で理解してもらえるのは、全体の約15%程度と心得る。
〇社内の機が熟すまでじーっと我慢して。(ボトムアップ提案型の体制になって欲し
かったがなり得なかった。)
〇今までお世話になった多くの方々およびそのご縁に感謝
謝辞
本稿をウェブに公開することを実行してくださった東京大学名誉教授尾上先生に厚く御
礼申し上げる。また本稿は平成17年9月20日(社)日本非破壊検査協会(JSNDI)の
平成17年度第2回渦電流探傷研究委員会資料を約2時間に亘って発表のものに加筆し、
JSNDI の厚意により外部発表をさせていただくことになったものである。ここに紙上を借
りて日本非破壊検査協会関係者の皆様に厚くお礼申し上げる。
参考文献
1)昭和2万日の全記録第7巻 廃墟からの出発昭和20年-21年(株)講談社
平成元年2月 p172
2)飯野: 証言 航空の全面禁止 協会75年の歩み昭和63年8月
(財)日本航空協会 p58
3)菊池:物質の構造 表紙 創元科学叢書 創元社 昭和16年10月
4)菊池:物質の構造 目次の一部 創元科学叢書 創元社 昭和16年10月
5)清水:合金状態図の解説 金属社 昭和18年8月20日二版 表紙
6)清水:合金状態図の解説 金属社 昭和18年8月20日二版 目次の一部
7)広告 誰にでも作れる教材社のスーパーキット 無線と実験27年9月号 p3
8)正木:テレビ音声用超再生受信機の製作 無線と実験昭和27年1月号 p91
9)ウェブ:エーコン管 http://menbers3.jcomhome.ne.jp/atg/acorn.htm
p1
10)JAT NEWS 12号 日本アマチュアテレビジョン研究会機関誌
昭和27年3月号
11)1952年 もく星号事故 戦後50年 毎日ムック 1995年3月 p52
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12)QST Jan.1954 ARRL 表紙
13)1955年 世相 戦後50年 毎日ムック 1995年3月 p78
14)ジャック・N・ブラウン:シングル・サイドバンドの理論と実際 ラジオ技術
Vol 8 No 1 Jan.1954 p135
15)C.G.B.Garrett et al,:Some Experiments on,and a Theory of, Surface Breakdown JOURNAL
of APPLIED PHYSICS March 1956 p 299
16)佐伯:我が国における渦電流探傷の歴史 非破壊検査 Vol57,No.1 Jan. 2008
28 図2
17)佐伯:我が国における渦電流探傷の歴史 非破壊検査 Vol57,No.2 Feb. 2008
p 88 図8
18)佐伯:我が国における渦電流探傷の歴史 非破壊検査 Vol57,No.1 Jan. 2008
p 29 図3
19)電気通信学会編:立体回路上 1951年 コロナ社 表紙
20)広告:ARRL ハンドブック QST 1956 Feb.
ARRL
p 146
21)日本鉄鋼協会編:鉄鋼便覧第3版 基礎 昭和56年6月 表紙
22)日本鉄鋼協会編:鉄鋼便覧第3版 基礎 昭和56年6月 序
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