むせん会報誌第67号(カラー化版)

第
67
号
平成23年6月発行
関 東 電 友 会
東 京 無 線 支 部
渡部 律雄
平砂浦(千葉県館山市)
3月上旬、南房総に春を探しに出かけた。
南房フラワーラインの中ほどで車をとめ防風林
をぬけると、そこにはひろびろとした平砂浦が
広がっていた。
む せ ん 第 6 7 号 目 次
東日本大震災見舞金募金ご協力への御礼・・・・・・・・・・・
1
2
1
平成22年度事業報告(第1号議案)
1.実施概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2
2.平成22年度収支計算書・・・・・・・・・・・・・・・
6
3.平成22年度会計監査報告・・・・・・・・・・・・・
6
平成23年度事業計画(第2号議案)
1.活動計画(案)・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8
2.平成23年度予算書(案)・・・・・・・・・・・・・
9
3
支部運営細則の改定(第3号議案)・・・・・・・・・・・
11
4
支部役員の選任(報告事項)・・・・・・・・・・・・・・
12
5
迎寿会員および名誉会員の紹介
6
7
8
9
1.迎寿会員の紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・
13
2.名誉会員の紹介 ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・
13
平成23年度のサークル活動計画
1.サークル編成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
14
2.サークル活動計画・・・・・・・・・・・・・・・・・
15
平成22年度のサークル活動状況
1.サークル活動実施結果・・・・・・・・・・・・・・・
16
2.各サークル活動状況・・・・・・・・・・・・・・・・
17
懇談会模様
1.平成23年むせん初春の集い・・・・・・・・・・・・
44
2.地区懇談会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
46
会員の近況だより・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
52
10
11
追
憶
須賀連七さんを偲んで
栗原 喜一 ・・・
86
大先輩
木村 英之 ・・・
87
鈴木秀明さんの御霊に捧げます
内藤 敏夫 ・・・
89
小沢恒夫さんを偲んで
高橋 定三郎 ・・
91
平塚義一さんを偲んで
藤代 丞治 ・・・
92
羽石 英男 ・・・
94
昭和のすたるじー(我組合役員実体験記) 渋澤 良光 ・・・
97
随
相曽新一様を偲んで
想
野鳥に魅せられて
焼酎のルーツ
12
イラクのアラク
山下 義智 ・・・ 104
最近思うこと
安藤
巖 ・・・ 107
一昔前の小さな登山記録
内田 耕治 ・・・ 108
お知らせ
1.新入会員の紹介・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 127
2.退会者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 127
3.余栄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 127
4.役員会・常任幹事会の実施内容・・・・・・・・・・・ 127
5.物故者の職歴など ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 130
6.その他
(1)会報「むせん」への投稿のお願い ・・・・・・・・・ 131
(2)ボランティア活動に対する表彰 ・・・・・・・・・・ 131
(3)会員による出版物の紹介 ・・・・・・・・・・・・・ 132
13
無線中継所の今昔物語・・・・・・・・・・・・・・・・・ 133
編集後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 135
電友会東京無線支部会員の皆様へ
東日本大震災見舞金募金ご協力への御礼
このたびの東日本大震災は私共がこれまでに体験したことがない未曾有の
甚大な被害をもたらし、それまでの多くの人々の平穏な生活を一瞬にして過
酷な環境へと一変させてしまいました。そして今なお多くの方々が先行き不
透明な避難生活を余儀なくされておりこの中には東北・関東地方に在住の電
友会会員多数おみえになられます。
このよう状況下、電友会関東地方本部では全国地方本部に先駆けていち早
く被災会員の支援活動に乗りだし「見舞金募金活動」および「支援物資拠出」
に取り組み、東京無線支部としても会員皆様に見舞金募金、支援物資の拠出
への協力をお願いしたところであります。
その結果、大変急なお願いにもかかわらずお見舞金につきましては436
名の多数の会員の皆様から176万1千円と多額なお見舞金のご協力を得る
ことができました。また、支援物資につきましては緊急度を要請されたこと
から一部の会員に限定して協力をお願いし、毛布、タオル等の物資を調達す
ることができました。
支援物資は既に関東地方本部がNPO法人BHNテレコム支援協議会
(会長
桑原守二氏)とタイアップして東北地方の被災市へ届けていただき、
お見舞金につきましては諸準備が整い次第関東地方本部にお届けすることと
致しております。
今回の被害規模が余りにも甚大なことから、私共の支援活動は復興に向け
て必ずしも大きな力とはなりえないかもしれません。しかしながら今回、会
員皆様から頂戴しましたご支援とご厚情は必ずや被災会員の方々に暖かく伝
わることと信じております。ここに重ねて会員皆様のご協力に厚く御礼申し
上げます。
平成23年4月27日
電友会東京無線支部
支部長
- 1 -
近藤健児
1
平成22年度事業報告(第1号議案)
1.実施概要
(1)会員の動き
東京無線支部の会員は、平成22年度末には前年度より9名減の625名
となりました。新入会員は前年度より66%増の30名で、物故者は25名、
退会者は14名でした。名誉会員は113名、女性会員は7名です。
21 年度
22 年度
649 名
634 名
新入会員数
18 名
物故者数
退会者数
前期末会員数
当期末会員数
地 区 名
会 員 数
東京(関東以外を含む)
161名
30 名
神奈川
129名
21 名
25 名
千葉(茨城を含む)
213名
12 名
14 名
埼玉(栃木・群馬を含む)
122名
計
625名
634 名
625 名
(名 104)
(名 113)
(女 9)
(女
注:(
7)
)内は名誉会員数、女性会
員数の再掲
(2)東京無線支部定期総会
第42回定期総会を平成22年6月19日(土)、新宿の東京オペラシティ
24階のNTTセミナールームにて開催し111名(来賓6名、会員105
名)が出席しました。
(詳細は会報66号の2を参照)
(3)むせん初春の集い
今年から「むせん初春の集い」に改称し、平成23年1月15日(土)、新
宿のNTT東日本本社ビルの3階社員食堂で開催し112名(来賓6名、会員
106名)が出席しました。
(詳細は本号の8を参照)
(4)地区懇談会
平成22年度から秋季開催としました。平成22年で見ますと3月と秋
季の2回となり、例年より参加者が若干少なかったようです。
(詳細は本号の8を参照)
- 2 -
地 区 名
開催月日
東京
(関東以外を含む)
神奈川
開 催 場 所
NTT 東日本本社ビル
22.10.16
埼玉
(栃木・群馬を含む)
(来賓3名を含む)
NTT 東日本神奈川支店
43名
社員食堂
(来賓3名を含む)
マリアチャペル マリベール 柏
22.11. 6
(茨城を含む)
41名
3F社員食堂
22.12. 4
千葉
参加会員数
55名
(来賓2名を含む)
NTT 東日本大宮ビル
22.10.30
40名
5F社員食堂
(来賓4名を含む)
(注)神奈川地区は APEC のために12月開催となりました。
(5)慶弔・お見舞い
①
長寿のお祝い
平成22年度に米寿(1名)、喜寿(14名)を迎えられた方々に総会当
日、支部長より記念品を贈呈し、お祝い申し上げました。
(迎寿の方々は会報65号の4を参照)
②
ご逝去
平成22年度中に下記の25名の方々がお亡くなりになりました。謹ん
でご冥福をお祈りいたします。なお、告別式には支部代表が参列し、香華
をお供えいたしました。
稲葉
次夫 様
上野
富雄
様
崎田
一夫
様
野尻
俊一
様
井上
孝剛 様
鈴木
貞夫
様
中村
郁夫
様
青木
善二
様
細野
宗一 様
石田
守
様
須賀
連七
様
相曽
新一
様
鈴木
秀明 様
宮坂
武男
様
蔵並
菊雄
様
石井
清
様
佐藤千代五 様
夏目
正治
様
遠山
元
様
田中
敏夫
様
大野
嘉之 様
里見
博
様
小沢
恒夫
様
平塚
義一
様
小原
敏郎
③
様
(各故人の職歴などは本号の12-5を参照)
病気お見舞い
病気のため長期にわたり療養中の次の6名に支部からお見舞いを致しま
した。
遠山
元 様
森田
直也 様
植田
庫治 様
梶
昭三 様
- 3 -
白倉
秀嗣 様
石井
清 様
(6)支部会報の発行
会報「むせん」の第65号を平成22年6月に、66号を平成23年1月
にそれぞれ発行しました。
(7)会員名簿の配布
平成22年11月に「2010会員名簿」を全会員に配布しました。
(8)電話順送表の配布
平成22年度の電話順送表を作成し、平成22年8月に全会員に配布しま
した。
(9)サークル活動
17のサークルが活発な活動を行いました。(詳細は本号の7を参照)
(10)ICT普及施策の推進
① 新会員情報システムの導入に伴い、平成21年に支部役員(システム取扱
者)を対象に、2回のICT講習会(会員情報システムの取扱)を実施した
結果、平成22年度はシステムの円滑な運用と会員情報の維持管理が図ら
れました。
② 会報編集について、できるだけ電子化した原稿の提出をお願いし、編集・
割付まで行うことにより、経費の節減を図っています。
③ 支部ホームページについて、支部行事、サークルの活動予定、実施報告
の迅速性を高めるために、サークル活動の案内、実施報告についてはサー
クル幹事/世話役が電子データの原稿を作成するなど会員に参画してもら
っています。平成22年度の1年間の閲覧回数は 20,880 回(1日当り 57
回)となっています。
支部ホームページ閲覧回数
年度
年間閲覧回数
1日平均閲覧回数
平成22年度
20,880
57
平成21年度
19,050
52
平成20年度
16,500
45
- 4 -
④ 電話順送のメール配信への転換については、22年度のメール配信対象
者は365名(全会員の約58%)となり、前年度より約10%多くなり
ました。
(11)東日本大震災の被災者支援
①
見舞金
3月22日全会員へ呼びかけを行い、4月22日までに436名の方から
1,761口 1,761,000 円の拠出申込みをいただき関東電友会本部へ報告
しました。大勢の会員の方々のご協力にお礼申し上げます。見舞金につい
ては、年会費と合わせて振込いただき本部へ送金しました。
②
緊急物資
時間的制約から支部役員21名に呼びかけを行い、12名から提供があ
り3月24日本部へ届けました。
また、被災地女川町の特別養護老人ホーム永楽会の理事を務める、当支
部会員熊谷力夫さんへ支援物資の一部を提供しました。
(12)役員会・常任幹事会
①
②
役員会
第1回役員会
平成22年4月26日
第2回役員会
平成22年6月30日
第3回役員会
平成22年8月27日
第4回役員会
平成22年12月17日
第5回役員会
平成23年3月30日
常任幹事会
第1回常任幹事会
平成22年5月14日
第2回常任幹事会
平成22年 7 月30日
第3回常任幹事会
平成22年9月29日
第4回常任幹事会
平成22年 11 月 19 日
第5回常任幹事会
平成23年1月7日
第6回常任幹事会
平成23年2月25日
(会議の内容については本号の12を参照)
- 5 -
(13)本部会議等への出席
会
議
開 催 年 月 日
出
席
者
第1回理事会
平成22年
4月22日
近
藤
健
児
第1回常任幹事会
平成22年
5月11日
髙
尾
忠
男
関東電友会第42回総会
平成22年
5月22日
役員10名
第2回理事会
平成22年
7月27日
近
藤
健
児
第2回常任幹事会
平成22年
7月27日
木
村
英
之
第 3 回理事会・第 3 回常任
平成22年12月10日
近
藤
健
児
木
村
英
之
幹事会合同会議
2.平成22年度収支計算書
別紙の通りであります。
3.平成22年度会計監査報告
会則第14条取扱内規により、平成22年度の金銭出納簿及び関係書類並び
に現金、預金通帳を照合した結果、すべて正確であることを確認いたしました。
平成23年4月8日
監事
メ
モ
- 6 -
岩 澤
國 男
㊞
別紙
平成22年度収支計算書
平成22年4月 1日から
平成23年3月31日まで
(単位:円)
収 入 の 部
科 目
前期繰越金
金 額
支 出 の 部
記 事
科 目
612,679
事業費
金 額
記 事
1,498,324 会報費
名簿費
慶弔見舞費
福利厚生費
調査研究費
入会金収入
会費収入
会費等収入
(分担金)
45,000 新規入会者30名
2,110,500 603名
会議費
1,195,962 総会(懇親会)費
地区懇談会費
賀詞交歓会費
42,000 本部からの分担金
(むせん初春の集い)
その他の会議費
分担金収入
300,000 (NTT東日本から)
773,787 用品費
事務費
通信費
振替手数料
事務所活動費
旅費交通費
雑費
賛助会費収入
110,000 3社
総会等収入
878,000 総会(懇親会)
むせん初春の集い
(本部祝い金を含む)
広告収入
150,000 2社
76,640 本部納付会費
会費等支出
本部納付入会金
利息収入
その他の収入
388
102,500 本部から活動施策 その他の支出
や震災対策費等
積立金受入
仮受金
100,000 *注記
基金積立金
34,500 次年度分年会費
34,500
仮受金繰越
706,354
当期収支差額
合 計
*注記
4,385,567
合 計
4,385,567
平成23年3月31日現在次の積立金を有している。
特別基金積立金 800,000 円
- 7 -
2
平成23年度事業計画(第2号議案)
1.活動計画(案)
(1)会員相互の親睦と組織の活性化施策の展開
①
定期総会を開催する。(6 月)
② 「むせん初春の集い」を開催する。
③
地区別の懇談会を開催する。なお、現役参加等活発化を図る。
(各地区年 1 回
秋季開催)
④
支部会報を発行し会員に配布する。(6 月、1 月の年 2 回)
⑤
会員名簿(補正版)を会員に配布する。(11 月)
⑥
会員情報システムの円滑な運用を図り、会員情報の維持管理に
努める。
⑦
サークルへの入会を促進し、活動の活性化を図る。
⑧
電話順送表を会員に配布する。(8 月末)
⑨
迎寿会員にお祝いを贈呈する。
⑩
会員の各種表彰、叙勲に関する推薦等を行う。
⑪
会員のご不幸に際し電話順送で連絡し、弔問を行うと共に、
関東本部を通じ会長名の弔電、NTT よりの弔慰金・叙勲の
手続きを速やかに行う。
⑫
会員配偶者のご不幸に際し、弔問を行うと共に、関東本部を
通じ NTT よりの弔慰金の手続きを速やかに行う。
⑬
病気療養中の会員にお見舞いを贈呈する。
⑭
新規入会会員に会員証を発行し、会員バッチを交付する。
⑮
会員の近況把握に努める。(近況報告およびお元気コール等)
⑯
会員からの各種相談及び依頼事項について対応する。
(2)NTT 及び NTT グループ各社の施策への協力
①
NTT 及び NTT グループとの情報交換を図ると共に、業務に役立つ情報の
提供に関し協力する。
②
地球温暖化防止(CO2排出削減)への取り組みなど、本部より依頼され
た事項に協力する。また、今回の大災害に鑑み、各家庭においても工
夫を凝らしながら節電に努める。
- 8 -
(3)健全な事業運営のための会員の拡大施策の強化
①
NTT 及び NTT グループと密接に連絡を取り、会員の増加を図る。
②
首都圏無線会との関係を強化し、退職者への積極的な入会勧奨を図る。
③
未加入者に対して再勧奨を行う。
(4)ICT普及施策の推進
①
会員の要望を受け、パソコン教室等を開催し、ICTの普及を図る。
②
無線支部のホームページの速報性を高めるほか、多くの会員が参画
できるよう更なる充実を図る。
③
会報編集の電子化により編集・割付まで行うことで、経費の節減に
努める。
④
電話順送のメール配信への転換を進める。
(5)役員会等
①
役員会、常任幹事会を開催する。
②
地区幹事会を開催する。(随時)
③
本部の諸会議(総会、理事会、常任幹事会など)に出席する。
④
無線関係機関の資料を整理し保管する。
2.平成23年度予算書(案)
別紙の通りであります。
メ
モ
- 9 -
別紙
平成23年度予算書(案)
平成23年4月 1日から
平成24年3月31日まで
(単位:円)
支 出 の 部
一般会計
収 入 の 部
科 目
金 額
記 事
前期繰越金
706,354
入会金収入
30,000
会費収入
会費等収入
(分担金)
2,012,500
科 目
金 額
記 事
事業費
1,585,000 会報費
名簿費
慶弔見舞費
福利厚生費
調査研究費
会議費
1,338,000 総会(懇親会)費
地区懇談会費
賀詞交歓会費
0
0 名簿補正年度の為
(むせん初春の集い)
その他の会議費
分担金収入
342,000 NTT東日本
事務費
賛助会費収入
総会等収入
(懇親会費)
(賀詞交歓会費)
広告収入
利息収入
その他の収入
110,000 3社
924,000
(444,000) 総会
(480,000) むせん初春の集い
150,000 2社
会費等支出
80,000 本部納付会費
本部納付入会金
1,000
20,000 本部祝い金
その他の支出
積立金受入
仮受金
708,000 用品費
通信費
振替手数料
事務所活動費
旅費交通費
雑費
基金積立金
1,500 次年度分年会費
100,000 *注記
仮受金繰越
1,500
当期収支差額
合 計
*注記
4,297,354
484,854
合 計
4,297,354
平成24年3月31日現在次の積立金を有する予定。
特別基金積立金 \900,000円
特別会計
科 目
震災見舞金
収 入 の 部
金 額
記 事
科 目
申込会員:436名
1,761,000
震災見舞金
申込口数:1761口
- 10 -
支 出 の 部
金 額
記 事
1,761,000 本部へ納付
3
支部運営細則の改定(第3号議案)
改
定
現
(役員の選任)
(役員の選任)
第5条
第5条
役員の選任は次による。
行
役員の選任は次の基準によ
1.支部長・副支部長・監事は支
る。
部総会において決定する。
1.支部長・副支部長・監事は支
2.常任幹事・幹事は支部長が
部総会において決定する。
指名する。
2.常任幹事・幹事は支部長が指
3.役員を選任する場合は、原
名する。
則として前事業年度末の年
齢が75歳未満である者と
する。
付則
付則
第1項~第19項まで省
第1項~第19項まで省
略
略
20. 細則第15条 4 項は平成19年
20. 細則第15条 4 項は平成19年
6月16日開催の支部総会に
6月16日開催の支部総会に上
上程可決されたものをうけて
程可決されたものをうけて実施
実施する。
する。
21. 細則第4条、第6条、第9条、
21. 細則第4条、第6条、第9条、第
第15条4項は平成21年6
15条4項は平成21年6月20
月20日開催の支部総会に上
日開 催 の支 部総 会 に上 程可 決さ
程可決されたものをうけて実
れたものをうけて実施する。
施する。
22. 細則第 5 条は平成23年
6月25日開催の支部総会
に上程可決されたものをうけ
て実施する。
変更理由
(役員の選任)第5条
支部活動の活性化及び他支部の動向等を考慮し、一定の年齢制限を設ける
こととした。
- 11 -
4 支部役員の選任(報告事項)
支部役員の任期は2ヵ年で、今年度は非改選期ですが、健康上の理由で幹事
一名の交替があります。氏名の後に「新」の記入のある者が支部長指名で選任
されます。
支部長・副支部長・監事
役 職 名
氏 名 (役員就任年月)
支 部 長
近藤 健児 (20.6)
副 支 部 長 吉田 哲夫 ( 9.6)
〃
高尾 忠男 (16.6)
監 事
岩澤 國男 (15.6)
常任幹事・幹事
役 職 名
氏名(役員就任年月日)
常 任 幹 事 木村 英之 (20.6)
〃
阿部 新治 (19.6)
〃
渡部 律雄 (19.6)
〃
齋藤 隆 (20.6)
〃
小林 秀行 (22.6)
幹 事
藤田 克一 (19.6)
〃
石崎 佳孝 (20.6)
〃
牧 強 (21.6) 〃
原 正紀 (18.6)
〃
丸山 実 (22.6)
〃
高橋 重雄 (23.6) 新
〃
窪田 達
(17.6)
〃
谷藤 久勝 (21.6) 〃
佐野 泰司 (22.6)
〃
宮澤 正 (22.6)
〃
橋本 雅之 (18.6)
〃
萩原 正義
(22.6)
- 12 -
前 任 者
東京地区担当
神奈川地区担当
千葉地区担当
埼玉地区担当
会計担当
東京地区
〃
〃
神奈川地区
〃
〃
千葉地区
〃
〃
〃
埼玉地区
〃
植田 庫治 5 迎寿会員および名誉会員の紹介
1.迎寿会員の紹介
平成23年度に長寿の記念日を迎えられる次の方々に、今総会当日、支部長よりお祝い
状と記念品を贈呈いたします。
〇 米 寿(8名)
(生年月日順)
蔵方恒四郎 様
福島 利雄 様
岩崎
功 様
針貝 光平 様
内田
梶原
下村 健三 様
鈴木 忠男 様
光 様
明 様
〇 喜 寿(11名)
(生年月日順)
小田切金造 様
豊
義秀 様
岡部 恒雄 様
浜口 文男 様
馬場 利昭 様
多田 寛五 様
藤原知々生 様
小野 郁生 様
大内 明一 様
日野原文夫 様
松本 芳郎 様
2.名誉会員の紹介
平成23年度に次の21名の方々が名誉会員になられます。
(生年月日順)
荒井 近信 様
山口
佐藤
小林 昭男 様
星野 達也 様
東出 辰二 様
北原
学 様
中溝 金作 様
小山 和男 様
池澤
清 様
大塚 昭典 様
桜井 三夫 様
亀井 敏夫 様
山下 義智 様
水谷 典美 様
浅井 弘一 様
碓井 孝義 様
小林 二郎 様
吉永 良男 様
針生 昌次 様
栄 様
登 様
大川 文弥 様
- 13 -
6 平成23年度のサークル活動計画
1.サークル編成
サークル名
幹事/世話役
電話番号
会員数
活動概要
・小野郁生
0467囲 碁
37
年7回開催
植田庫治
046 ・岩澤國男
045麻 雀
30
年6回開催
山崎輝男
03 ・堀井清男
0467絵 画
7
年6回開催
白井靜明
046 ・藤田克一
042釣 り
16
春、秋年2回開催
佐藤修司
045 ・吉田哲夫
042旅 行
33
年1回開催
髙尾忠男
048 ・仲谷光正
049寄 席
28
年2回開催
片山克己
043 ・吉田和衛
043写 真
12
年11回開催
岡崎利勇
03 ・黒尾忠行
03園 芸
31
年5回開催
寺田文彦
03 ・朝井源一
045パソコン
14
年9回開催
乙幡 忍
042 ・都築靖明
042東 京
22
春、秋年2回開催
小林定夫
03 ・小澤文博
045神奈川
24
春、秋年2回開催
岩澤國男
045ゴ
ル 千 葉 ・岩本寿雄
0448
春、秋年2回開催
フ 茨 城 鹿嶋 孝
029 ・杉沢 稔
048埼 玉 板川凡夫
21
春、秋年2回開催
048中田隆士
048 ・木村正道
03東 京
24
春、秋年2回開催
小林定夫
03 ・白井靜明
046神奈川
20
春、秋年2回開催
岡部清一
045ハ
加藤 實
046イ
キ
・窪田 達
047ン 千 葉 増田忠雄
20
春、秋年2回開催
0475グ
内田耕治
043 ・土浦 清
04埼 玉 仲谷光正
15
春、秋年2回開催
049 髙尾忠男
048注: 幹事/世話役欄の氏名の頭にある ・印は支部との連絡責任者を示します。
- 14 -
- 15 -
支部行事
(参考)
集計
東 京
ハ
イ 神奈川
キ
ン 千 葉
グ 茨 城
埼 玉
埼 玉
ゴ 神奈川
ル
フ 千 葉
茨 城
東 京
パソコン
園 芸
写 真
寄 席
旅 行
釣 り
絵 画
麻 雀
囲 碁
サークル名
活 動 日 程 ・ 場 所 ・ 参 加
5月
6月
7、8月
9月
10月
11月
5/下
7/上・8/5
10/7~8
11/中
渋谷福祉 渋谷福祉・上野 保養所 関東大会
7/3
9/6~7
新宿メトロ
熱海
5/下
8/下 10/上~下
スケッチ・写生
スケッチ・写生 展示
6/上
10/下
金沢八景
未定
10/12~13
渋温泉
5/21
11/26
上野鈴本
上野鈴本
4/28
6/30 7/上8/25 9/上~下 10/27
撮影会・例会
例会
例会
展示
例会
4/22
6/24
8/19
10/7
堀切菖蒲園 代々木公園
根津神社
夢の島
4/26
5/24
6/28
7/26
9/27
10/25
11/22
TRC
TRC
TRC
TRC
TRC
TRC
TRC
6/14
10/中
昭和の森
昭和の森
5/16
10/下
鎌倉パブリック
未定
5/20
11/中
セントラルNEW
未定
5/中
10/下
リバーサイド・フェニクスGC
リバーサイド・フェニクスGC
6/上
11/中
未定
未定
4/5
10/中
中止
未定
5/21
11/中
弘法山
未定
6/14
11/上
未定
未定
回
回
回
回
回
回
回
人
人
人
人
人
人
人
総会
地区
NTT東日本
懇談会
4月
回
人
撮影会・展示
12/上
人 員
12月
12/3
渋谷福祉
12/6~7
熱海
12/上
例会
回
人
新春の集い
回
人
2/28
TRC
葛西臨海公園
2/23
例会
2/10
回
人
3/26
TRC
2月
3月
2/3
八重洲センタ
1/下~2/上
3/6~7
本部計画
熱海
2/上~下
展示
1月
回
人
合計
H23.10月,11月:地区懇
東京地区
未定
神奈川地区
未定
千葉地区
未定
埼玉地区
未定
(実施日:土曜日)
H24.1:初春の集い
H23.6月:総会 6/25
支部行事(参考)
予定日未定は中旬等
下段は参加人員・実施
までは場所等を記入
上段は日程を記入 記入例:
備考
2.サークル活動計画
- 16 -
埼 玉
千 葉
茨 城
神奈川
東 京
埼 玉
千 葉
茨 城
神奈川
支部行事
(参考)
集 計
ハ
イ
キ
ン
グ
ゴ
ル
フ
東 京
パソコン
園 芸
写 真
寄 席
旅 行
釣 り
絵 画
麻 雀
囲 碁
サークル名
5回
55人
4/4
11
4/27
7
4/12
10
4/22
6
4月
4/3
21
5/15
16
5/10~11
8
9回
129人
5/27
14
5/19
27
5/19
14
5/7
3
5/25
8
5/22
17
5/19
中止
5/29
22
5月
5回
47人
総会
105+6
6/12
14
6/24
9
6/25
4
6/22
7
13
5/31~6/1
6月
6回
71人
4回
42人
1/27
4
1月
3月
2/24
9
2/19
5
2/22
4
2回
28人
3/22
中止
3/下旬
中止
3/8~9
16
2/7~3/31
12
2月
2/4
20
8回
9回
3回
1回
4回
87人 111人
39人
4人
38人
地区懇談 地区懇談 地区懇談 むせん初春
41+40
55
43
112
活 動 日 程 ・ 場 所 ・ 参 加 人 員
7、8月
9月
10月
11月
12月
7/6 ・8/6
10/1~2
11/6
12/3
11・16 9
6
18
7/3
9/7~8
12/7~8
20
12
13
8/16~9/30
12
11/6
14
10/20~21
20
11/27
13
7/1~8/15 9/2
10/28 11/16~1/8 12/14
13
11
9
13
8
8/6
10/4
4
4
7/27
9/28
10/19
11/16
7
7
7
6
10/18
11
10/26
15
11/16
24
10/20
12
11/13
7
11/10
10
11/21
18
7
101
6
78
2
24
2
36
1
20
2
30
8
78
5
20
8
53
2
21
2
29
2
51
2
26
2
21
2
21
2
34
1
8
56回
651人
合計
H22.10-12:地区懇
東京地区 10/16 41人
神奈川地区 12/4 43人
千葉地区
11/6 55人
埼玉地区 10/30 40人
実施日:土曜日
H23.1.15 むせん初春
の集い(112人)
H22.6.19:総会
支部行事(参考)
下段は参加人員
上段は日程を記入 記入例:
備考
7 平成22年度サークル活動状況
1.サークル活動実施結果
2.各サークル活動状況
○ 囲碁サークル
秋季宿泊囲碁会
この碁会は、平成22年10月1日(金)~2日(土)、熱海ニューフジヤホテル
11階の囲碁・将棋専用の「飛天の間」にて、参加者が9名で行いました。開会
に際して、松本会長の挨拶と初参加の佐藤安雄氏の自己紹介を頂き、引き続いて
幹事が対戦の組み合せ等を説明、各人が8試合にわたる総当たり戦を開始した。
今回の進行方法は、抽選により第8回戦までの組み合わせを決めて、各自の持ち
点によるハンデイ戦
を展開した。3回戦
目が終了したところ
で、湯浴み。それか
らバイキング料理を
肴に酒宴となり、囲
碁談議に花を咲かせ
ました。
そして、20時頃
から第4回戦目を行
い、初日の公式戦は終了。その後は自由対局や指導碁を楽しみました。第2日目
は、午前8時30分頃から第5回戦を開始、全員が疲れも見せずに、全8回戦を
奮闘していました。
入賞者は次のとおり(敬称略)
優勝;松本英一(194)準優勝;
南
松市(135)3位;中込和
男(144)敢闘賞;吉村幸雄(1
23)、高橋洋康(111)
余談となりますが、初参加の佐
藤さんはトライアスロンの競技者
であり、早朝にはホテルの周辺を
ランニングしていたとのこと、そ
して、囲碁の方でも持久力を発揮し、粘り強く健闘していました。
関東電友会囲碁大会
本部主催の第15回囲碁大会が11月14日(土)新宿の NTT 東日本本社ビル
3階食堂で開催された。本部・関東支社他11支部から71名の選手、世話人が
- 17 -
参加、この内訳は A グループ(4段以上)1名、Bグループ(3段から初段)2
名、Cグループ(1級以下)2名の選手5名と世話人1名を各支部等がエントリ
しました。無線支部からは、松本七段、阿部三段、中込二段、南1級、関根1級
と小野三段(世話人)の6名が参加しました。
午前9時30分頃に開会、実行委員会の金澤様が大会運営の説明等を行い、世
話人から選手に対戦カードが手交され、試合を開始した。
試合はトーナメント方式で行われ、1回戦で敗者となった選手の敗者復活戦も
並行して実施された。また日本棋院から酒井猛九段が招かれ、審判員として勝敗
の判定等をされた。その結果、各グループの優勝者はA;伊藤五段(群馬)、B;
曽谷二段(山梨)、C;塙1級(茨城)でした。なお、無線支部の参加者は残念な
ことに惜敗もあり、全員が入賞できませんでした。
大会の中では日本棋院酒井九段並びに桑原会長の多面打ちの指導碁が盛会とな
りました。また、恒例の酒井九段による大盤解説は、御本人の対局棋譜を用いら
れました。その中で「次の1手」の設問があり、正解者に懸賞品が贈呈された。
大会終了後の懇親会では、本部役員・酒井先生・他支部の方々と楽しく懇談し、
和やかな雰囲気の中で交流が図られました。
年末囲碁大会
この碁会は12月3日(金)渋谷区立勤労福祉会館にて18名が参加して開催
された。この日は、低気圧が列島を移動している影響で、夜半から断続的な強風・
豪雨となりダイヤも乱れていた。師走の荒れ模様の中、参加者は次つぎと集まり
盛会となりました。11時頃に松本会長が開会の挨拶、続いて運営方法などを幹
事が説明し試合を開始した。その試合方法はAリーグ10名とBリーグ8名に分
- 18 -
けて、抽選による相手と持ち点制によるハンデイ戦を行いました。その4試合の
対戦成績により各リーグの入賞者を決めました。入賞者は次のとおり(敬称略)。
・Aリーグでは、
優勝;岡田秀夫(182)、準
優勝;久富信雄(214)3
位;松本英一(196)敢闘
賞;狩野
正夫(186)、大
井哲雄(177)。
・Bリーグでは、
優勝;倉本實(147)、準優
勝;中込和男(146)3位;
吉村幸雄(123)
敢闘賞;石井英光(145)、南
松市(139)。
17時頃には成績発表と表彰を終えて、閉会となりました。出席者には自動車
電話サービス開始(昭和54年12月3日)を記念する集いに急ぐ方もおられま
した。恒例の懇親会では、入賞者の感想が披歴され、勝因としては「相手のミス、
オーンゴールに助けられた」「ウッテ返しの手筋」等の話がありました。しばしの
間、同席のメンバーが熱戦を振り返り、囲碁談議に花を咲かせました。
新春囲碁大会
この碁会は2月4日(金)日本棋院八重洲囲碁センターにて20名が参加して
開催された。立春のこの日、
3月中旬並みの陽気と言われ
るほど、寒さも緩む日和に恵
まれて出席者は次つぎと集ま
りました。午前10時30分
過ぎに松本会長が開会の挨拶、
続いて幹事が運営方法等を説
明。この碁会も高段者のAグ
ループ10名と段級位者のB
リーグ10名に分けて、4試
合を抽選による相手と、持ち
点制によるハンデイ戦を行い
ました。また、この囲碁センターのキャッチフレーズ「くつろぎの空間でゆった
り対局」にならって、試合時間を1時間20分、休憩は10分間もとり、ゆった
- 19 -
りと対戦しました。そして4試合の成績により各グループの入賞者を決めました。
入賞者は次のとおり(敬称略)
・Aグループでは
優勝;久富信雄(216)、準優勝;松本英一(198)
3位;小野郁生(155)、敢闘賞;倉本
・Bグループでは
實(151)
優勝;植田庫治(143)、準優勝;中込和男(148)
3位;久保庄二(107)、敢闘賞;石井英光(145)
恒例の懇親会では16名が乾杯、そして入賞者の感想を肴に盛り上がり、加え
て話題が熱戦の反省やネットワーク上の囲碁対局の体験談にも広がり、談笑裏に
散会。アマ棋士の方々は、ほろ酔い気分で家路につきました。
トピックス;囲碁大会の延期について
3月11日午後2時46分に発生した東北関東大震災に伴う東京電力の計画
停電による各鉄道会社の列車ダイヤの混乱等を考慮し、4月2日に計画していた
「総会・春季囲碁大会」は延期しました。このお知らせは、囲碁同好会の皆様へ
3月15日に電子メール等で行いました。
注記:枠内の数字は当人の持ち点で囲碁の力を表わしています。従来は段級位差によ
る置き石で打っていましたが、平成18年から持ち点制による対戦に切り替えています。
ちなみに120点が初段の目安です。持ち点は勝敗の実績によって増減していきます。
参考:平成23 年度東京無線囲碁同好会活動予定
1.春季囲碁大会
H23 年4月2日(土)
東日本大震災の為中止。
2.搬送・無線親睦大会
H23 年7月上旬
同上
3.初夏囲碁大会(臨時) H23 年6月3日(金)
上野囲碁センター
4.夏季囲碁会
H23 年8月5日(金)
上野囲碁センター
5.秋季宿泊囲碁会
10 月7日
(金)
~8日
(土)
保養所など
- 20 -
6.関東電友会囲碁大会
H23 年 11 月(土)
NTT 東日本本社
7.年末囲碁大会
H23 年 12 月3日(土)
渋谷区立勤労福祉会館
8.新春囲碁会
H24 年2月3日(金)
八重洲囲碁センター
9.23年度総会・囲碁大会
H24 年4月7日(土)
渋谷区立勤労福祉会館
新規に囲碁大会の案内を希望される方は、幹事へ連絡してください。
( 幹事:小野 郁生、植田 庫治 )
〇 麻雀サークル
(1)麻雀サークル第三回例会は12月7日~8日にかけて、定例会場である
熱海ニューフジヤホテルにて実施しました。
一位:山崎輝男さん
二位:吉田哲夫さん
参加者は13名でした。結果は
三位:小林秀行さん
今年もあとわずか、参加の皆さん元気な方ばかり、2日にわたる熱戦に疲れも見
せず、頑張りぬいて和やかなうちに無事散会となりました。
(2)関東各支部(神奈川・関東・
埼玉・搬送・無線)の麻雀サーク
ル参加による、第六回関東麻雀大
会が1月27日「新宿メトロ麻雀
クラブ」にて開催されました。無
線支部から山根・山崎・小林・岩
澤の4名が代表として参加しまし
た。成績は団体で無線は三位、個人で山根さんが五位入賞を果たしました。
- 21 -
(3)第四回例会(22年度最終回)を平成23年3月8日~9日にわたり熱海
ニューフジヤホテルで実施しました。熱海の街も春の観光シーズンを迎え平日なが
ら老々男女の観光客でにぎわっておりました。今回の参加者は16名で4卓と盛
会に開催できました。
成績は
島岩蔵さん
一位:川
二位:
朝井源一さん
三
位:組村明さん
今回は川島さんが、
初回に親の役満(国
士無双)でリードし、
そのまま翌日もトッ
プを維持し、ダント
ツの一位となりまし
た。12時のチェッ
クアウトぎりぎりま
で卓を囲み時間を惜
しみながら、三々
五々無事に帰途につきました。
( 幹事:岩澤 國男 )
〇 絵画サークル
サークル活動は現在5名で続けていますが、熱心な方は地域の絵画教室や塾な
どで、それぞれ技量の向上を目指して腕を磨いて居られるようです。他の分野で
も同じですが、一つの目標を持ってその達成にむけて努力を重ねることは生きが
いの一つにもなることだと思います。特に、手先を使う絵などは鉛筆や絵筆を持
つ回数が作品の上にはっきり現れてくるので、とにかく沢山描くことが大切では
ないかと考えます。また、絵には個性によって表現された持ち味が異なります。
そのため作品を持ち寄って例会を開いたときなど各自の性格や取組み方などお互
いに大変参考になります。以前は「酔彩会」も発表の場が多かったので沢山の作
品に接することが出来ましたが、最近は関東病院での展示会が中心の状態です。
平成22年度下半期は、2月24日から3月31日まで12点の作品を展示しま
したので一部をご紹介します。
「酔彩会」で一緒に絵を楽しみたい方のご参加をお
待ちしております。
次ページに会員の作品を紹介します。
- 22 -
( 幹事:白井 靜明 )
シーバス発着所
秋の奥入瀬
花瓶
野口理彦
加藤
夕暮れ富士
リンゴとオレンジ
實
野口弘子
梅の香り
- 23 -
堀井清男
河口
白井靜明
量
〇 釣りサークル
今年の秋の釣り会は、平成22年11月6日(土)に開催しました。
今回は、ドコモ同友会が出来て始めての共催として実施しました。
天気は、透き
とおるような
青空、風もな
く、波もなく、
穏やかな釣り
日和です。
今日の参加者
は OB、現役
の方、含めて
総勢14名と
なりました。
船宿は金沢八
景、金沢漁港
の鴨下丸。船は10トン、20人乗りで余裕があります。今日の釣りものは、鯵
です。出航前に、船長から、鯵のビシ釣りの説明と注意事項を聞いて、午前8時
に出港しました。約30分で釣り場に到
着し、船長の合図で鯵のビシの仕掛けを
入れる。水深は20m から40m 位です。
すぐに当たりがあり、30cm 位の形の
良い鯵があがってきて、船の中のあちこ
ちが忙しくなっている。
しばらくすると、当たりがなくなり、
船長が船を移動させるとまた釣れ出し、
何回か場所を変えて釣る。今日は波もなく、穏やかで釣りのその合間に、遠くを
見ると、房総半島の東京湾観音や行き交う、タンカー、LPG 船、大きなコンテナ
船、潜水艦等も見えました。
船の中を見ると、鯵の外に、イシモチ、白ギス、カサゴが釣れ、中には鮫がか
かり、やっとのことで海面に姿を見たら糸を切られる人、竿とリールを海の中に
落としてしまった人といろいろありましたが、午後2時30分に納竿としました。
港に戻り、釣果を聞いてみると、竿頭は、鯵37匹、イシモチ4匹、キス1匹
でした。平均すると、鯵15匹から20匹位は皆さん釣っていました。
- 24 -
今回は天気にも、船にも恵まれ、釣
果もそこそこ、ほぼ満足の一日でした。
次回の天気と大漁を願い、秋の釣り
会を終了しました。
次回は、6月中過ぎを予定しています。
釣りに興味のある方の新規入会、参加
大歓迎です。多数の参加をお待ちして
( 幹事:藤田 克一 )
います。
〇 旅行サークル
平成22年秋のバス旅行は足を延ばして、裏磐梯の秋を楽しんで来ました。
・実施年月日
平成22年10月20日(水)~21日(木)
・場
福島県裏磐梯
所
・参加者
休暇村裏磐梯に宿泊
20名(当初23名の参加申込みがありましたが、都合で
3名がキャンセル)
・旅行業者を使わずに全て直営で実施(昨年に続いて2回目)
集合場所JR東京駅前丸ビル角に、遠出をするため例年より30分早い集合時
間の8時15分には全員が揃い予定より早く8時20分に出発できた。バスが首
都高に入ってから、出発のあいさつ、初参加者の紹介(近藤さん、小林さん)、手
作りパンフレットによる2日間のコース案内行った。
バスは川口JCTから東北道に入り一路磐梯山へ、途中パーキングエリアで2
回の小休止を取り磐梯自動車道の猪苗代磐梯ICで猪苗代町へ下りる。猪苗代湖
の白鳥の飛来地の近くにあることから名を付けた、レストラン白鳥へ12時過ぎ
に到着した。皆さん朝が早かったものですからソバではなく御飯ものとし、店の
女将さんお奨めの「特選ポークの味噌焼きセット」を用意し、みなさん舌鼓を打
ち満足した様子であっ
た。昼食を終わった頃
から日差しも出てきた
ので、当初計画になか
った猪苗代湖天神浜ま
でバスを進め磐梯山を
表側から眺めた。
次いで1日目のイベ
ント五色沼自然探勝路
- 25 -
散策へ、バスの中で①全コース歩く組と②入り口だけ見てバスで先回りする組の
希望を取ったところ半々位であったのが、殆んどの者が全コースを歩いたために
予定の70分を大きく上回り110分かかったが、五色沼の秋を堪能できた様子
でした。途中からバスに戻る人が来ないので、携帯電話で連絡を取りながら走り
回ったのは幹事だけだったようです。
続いて、四季それぞ
れに美しい磐梯高原
は、どのようにして
できたのかを勉強す
るために磐梯噴火記
念館に入り、188
8年の水蒸気爆発か
ら現在までに地形・
植物・動物・人々の暮らしなどがどう変わってきたのかを学ぶ。
4時25分に1日目の宿、休暇村裏磐梯に到着した。それぞれの部屋に落着き、
温泉に入って6時から宴会、夕食はバイキング方式であったが一室用意してもら
い中村さんの音頭で乾杯し歓談した。明朝の散歩の集合時間を決めて散会し、カ
ラオケ組と部屋での談合組にわかれて1日目を終わる。
2日目朝6時30分に14名が玄関前に集合し、大沢沼、曲沢沼を1時間散歩
した。9時に宿を出発、全員参加ですぐ眼の前のレンゲ沼から姫沼・中瀬沼・磐
梯山ビューポイントと歩く。今年は夏の暑さの影響で檜原湖周辺の紅葉は1週間
から10日遅れで、ようやく色づき始まったところでした。このため計画になか
った檜原湖よりも標高の高い磐梯吾妻レークラインの三湖パラダイス(檜原湖、
秋元湖、小野川湖
の3つの湖が一望
できることから名
付けられた)と中
津川渓谷へ行った。
中津川橋からの渓
谷の紅葉はきれい
であった。元気の
ある者は渓谷まで
下りて紅葉を楽し
んできたようです。
- 26 -
磐梯山の西側にある磐梯山ゴールドラインを通って猪苗代町へ下りたが、標高
1200mの八戸台から南は猪苗代湖から霧が吹上げていた。2日目の昼食は旧国鉄
の翁駅の駅舎を移築された駅舎亭で、会津地方でめでたい席でいただく「祝言ソ
バ」と「こづゆ」を食べる。地鶏とゴボウのだしが効いていて美味しかった。
おそばで腹を満たした後は、最後の立ち寄り所猪苗代湖畔にある野口英世記念
館へ、野口英世博士が明治9年(1876 年)に生まれ、上京するまでの19年間を
すごされた生家をはじめ、人類のために大きな貢献をした世界的な医学者となら
れた博士の数々の功績が展示せれていた。
これで会津での行程を全て終わり、2時15分猪苗代磐梯ICから磐梯自動車
道に入り一路東京へ向かう。途中郡山JCTから東北道に入った辺りから小雨が
降ったりやんだりしていた。予定より少し遅れたが、6時全員無事に東京駅前へ
帰着することができた。
昨年に続いて旅行業者を使わず、コース選定、バスの手配、旅館予約、旅行保
険契約、昼食の手配などを直接行った。直営で行うにはいろいろと細かい事があ
り気苦労も多いが、良かったのは現地の紅葉の具合に合わせてコースのマイナー
チェンジが出来たことです。今回は幹事の補充が出来ていなかったので、髙尾さ
んと小林さんに幹事サポートをお願いし、いろいろお手伝いいただきありがとう
ございました。
今後も秋に一泊バス旅行を続けていきたいと思いますので、初参加の方も幹事
までご連絡下さい。
( 幹事:吉田 哲夫 )
〇 寄席サークル
「寄席は天国、笑いの王国」
近頃世の中は変だな
~と思うことばかり
国内ではガソリンの
値上げで遠出するの
を控えたり国会では
誰々がとお金の話、
外国に目を転ずれば
暴動、テロ、反政府
運動の勃発や独裁者
の理不尽な民衆無視
と不安定な情勢が続
- 27 -
いています。
我が身を考えると、増すのは歳ばかり年金は徐々にカットされストレスの多い
この頃滅入ってばかりでは体に悪い為、半日でも憂さを忘れアッハハと大笑いで
鬱憤を解消しませんか。
寄席サークルの22年度秋季鑑賞会は小春日和を思わせるような好天に恵まれ
た11月27日(土)定席の「上野鈴本演芸場」で開催しました。
当日は奥様同伴の方々を含め13名の参加を頂き、12時に入場し指定席に落
ち着いて早速幕の内弁当を開きアルコールでのどを潤しながら楽しい食事タイム
を満喫、12時30分に開演となりますが当演芸場は飲食をしながら鑑賞できる
ので落語、漫才等々を見聞きしながら楽しめます。
新作や古典の出し
物を大笑い拍手しな
がら4時30分まで
大いに堪能しました。
寄席終了後は恒例の
懇談会の席に移動し、
約2時間にわたり1
年間の出来事や思い
出話を料理以外のつまみにし、楽しい語らいの場も盛り上がりました。
寄席サークルでは会員を募集します、会費は無しで、年2回(春季は5月下旬
に寄席鑑賞のみ、秋季は寄席鑑賞と参加任意の懇談会を開催)の興行に要する実
費を徴収いたします。
寄席サークルに参加してみたい方下記までお申し込み下さい。
( 幹事:片山 克己、仲谷 光正 )
らっしゃい!
- 28 -
〇 写真サークル
サークルメンバーは12名と変わりなく、楽しく
1
やって居ります。
例会
①10月28日
②
TRC 地下会議室
2月24日
同
上
9名出席
9名出席
今期は12月に忘年会を行いますので、例会は2回だけになりました。
10月はかなりの悪天候にも関らず、出席者が減少することもなく、幹事として
は一安心でした。皆さん作品の数もたっぷり、質も向上ということで、先生にも
お褒め頂いたことでした。先生か
らは、どこかに出すのでなければ
フォトペーパーでなく安価な純白
紙または普通紙でも結構ですよ、
とお心使いを頂きました。
また、デジタルなんだから、ひ
とつの対象を何枚も撮りなさいと
ご注意を受けています。フィルム
時代の習慣でどうもいけません。
2
撮影会・忘年会
12月恒例の忘年会の前に、これも恒例の後楽園撮影会を12月14日に行い
ました。忘年会の席の予約があり、当日は小雨降る中での撮影会になって仕舞い
ましたが8名の参加がありました。でも、雨に濡れる紅葉も乙なものです。
忘年会には一人追加で9名。ここ数年お馴染みの鍋料理に一年納めの舌鼓を打
った次第であります。終
わって出る頃には雨も上
がっていました。
3
展示会
NTT 東 日 本 関 東 病 院 で
の展示は11月16日か
ら年を越して1月8日ま
での長丁場となりました。
8名による13枚の作品
を展示しました。いまま
でやっていた TelWel が
手を引いて、新年度から
-29-
は病院が計画するとのことで、このような長期に亘ったのでしょう。新年度のス
ケジュールもまだ提示されていません。この他に、例によって TRC の応接室に
飾ってある写真2枚を季節のものに取替えました。
この原稿を打っている今も地震がありました。先日の大震災では茨城・千葉の
メンバーのお宅でいささかの被害がありました。じつは、桜の撮影会も予定して
いましたが、こんな状況ではと中止と致しました。東北地方(私も出身者ですが)
の方々を思うとこんなことで愚痴を言ってる訳にはいきませんが、残念でした。
早く収まるといいですね。
( 幹事:吉田 和衛 )
○ 園芸サークル
第4回、10月12日(火)夢の島熱帯植物館のハイビスカス観賞。
JR新木場駅から徒歩15分。都
立夢の島公園の一角にあり隣接する
江東清掃工場のゴミ焼却余熱を利用
した大温室が植物館のメインの施設。
当初計画10月4日は雨天のため1
0月12日に変更したが残念休館日
でした。園内散策後昼食、ビールで
乾杯、雑談後解散としました。参加
者、針貝、吉永、寺田、黒尾
4名
第5回、2月19日(土)小石川植物園の梅、寒ざくら観賞。
小石川植物園は徳川第5代将軍綱吉が上州館林藩主だったころの江戸下屋敷で、
白山御殿と呼ばれて
いたという。綱吉の
死後御殿は取り壊さ
れて幕府の小石川薬
草園となり、8代将
軍吉宗の時代に江戸
庶民のための小石川
養生所が開かれた。
園内は約4万9千坪
と広く、台地から傾
斜面へ、そして低湿
地、池などと変化に
-30-
富んでいる。連続した池を配置した日本庭園。池の周辺に梅
林があり白梅、紅梅が咲きほこり、甘い香が漂っている。
(参加者、中村、針貝、吉永、寺田、黒尾)
( 幹事:黒尾 忠行 )
〇 パソコンクラブ
2010 年パソコンクラブ下期では10、11、2、3月と4回計画しましたが,
H23年 3月11日東北 関東大震災の発生に伴い諸般の事情により 3 月は休
会のため、3回の概要をご紹介します。
1.第88回 2010 年9月28日(第4火曜日)参加者 8名
(1)パソコンの故障・・・・・乙幡さん
使用年数が長いパソコンが故障すると、修理代が高額となり、新品に買い
換えるか要検討、また中古品を使う場合は「HDDを新品と交換すると新品
同等のパソコンになる」。
(2)クラウドコンピュウティング・・・・・乙幡さん
最近PC関係の記事で上記が話題になってるが、実際は如何かは判らない
がPCの主要な部分を「秘密の場所に設置」して一括管理し外部からの如何
なる攻撃にも対処出来、安心・安全・安価、PC本体は必要最小限の装備で
間に合いメリットがありそうですが、今後どのように展開するのかな・・・。
(3)エクスプローラの活用・・・・・乙幡さん
①
沢山あるファイルの中から必要なファイルを短
時間で開くことが出来る A スタート(右クリック
→ エクスプローラ「aii users(X)クリック、フォルダー
説明者
乙幡さん
フォルダーが開く、その中から必要なファイルを選択する。
②
表示形式を自分流にする事が出来る、A
クスプローラ「aii users(X)クリック、B
スタート(右クリック)→エ
希望ファイル(クリック)→ツ
ールバーの「ツール」クリック、→「フォルダーオプショ」→「表示」ク
リック、「全てのフォルダーに適用」クリック。
(4)パソコンのバックアップ・・・・・川船さん
パソコンのデータの保存方法は種々あるが、故障時の対策として「バッ
クアップ」を取る事をお勧めします。バックアップ用ソフトはいろいろあ
りますが、使い勝手がよく、無償で入手できる「RealSync」をご
紹介します。一度使って見ては如何でしょうか。
(5)その他。質疑応答・・・・・全員
-31-
2.第 89回2010年 10月19日(第3火曜日)参加者 7名
(1)エクスプローラの使い方
①
いろいろ「パートⅡ」・・・・・乙幡さん
ファイルの「移動」前回(3)①で開いたファイル一覧表から(移動した
いファイルにカーソルを合わせ「シフトキーを押しながら」移動先へドラ
ッグ・ドロップ)する。
②
ファイルの「コピー」前回(3)①で開いたファイル一覧表から(コピーした
いファイルを選択し「アクティブにして」カーソルを右クリックで「コピーを
選択して」コピーする場所)にカーソルを合わせ右クリックで貼り付ける。
(2)画像処理・・・・・林(憲)さん
画像処理にもいろいろあるが、ここでは「画像圧縮について」圧縮方法も
多々あるが「縮小専用フソフト」を使うと簡単に出来る。このソフトはイン
ターネットからダウンロードすれば、無料で使う事が出来る。
①
「縮専」をダウンロード・インストールする
②「縮専」を開く ③縮小す
る写真・画像を指定されてる位置に「ドラッグ・ドロップ」すればOK、
サイズ等も任意に変更出来て 大変使い勝手がよいソフトである。
(3)メールで写真等を送る・・・・・朝井
メールで画像を送る場合は可能な限りデータ量を小さくする必要があるた
め簡単に圧縮する方法もいろいろあるが、上記の「「縮専」及び、添付資料作
成時「Excel・Word」では写真等を貼り付けて
から(ツールバー「図の圧縮」)右図参照
を使うと簡単にデータ圧縮が出来る。
(4)その他。質疑応答・・・・・全員
3.第90回 2010 年 11月16日(第3火曜日)参加者 6名
(1)2011 年(H23)カレンダー作成・・・・・ 斉藤(兼)さん
毎年この時期になるとオリジナルのカレンダーを作成しご披露されていま
カレンダー
日の出入り表
年齢早見表
す、今年も大作(一般のカレンダーには記載がない「昭和の年号[S86]・歳
時記・日の出・入・月の朔望・年齢早見表・潮の干満表)等々、使い方によっ
ては大変便利な大作です。
-32-
(2)画像処理「額縁に画像を挿入」・・・・・斉藤(兼)さん
①オートシェイプ機能を使う方法
②挿入機能を使う方法
「枠の中にピタリ入る」
「枠のサイ
ズに合わせる、グループ化が必要」
説明者 齋藤 兼さん
(3)例会終了後有志による茶話会(忘年会)を
行い次回(H23年2月)の再会を約して散会
4.第91回 2011 年2月22日(第4火曜日)
参加者 4名
(1)自作パソコン塾・・林(憲)さん
茶話会(忘年会)
インターネット広告で無料の「自作パソコン塾」の記事を見つけ参加した。
場所は秋葉原で 参加者十数名で、各人毎にパソコンパーツが用意されており、
講師の説明を受けながら自分で実際にパーツを順番に組み立てて完成させ、動作
試験まで行い最後に終了証書までいただける、至れり尽くせりの塾でした、関心
のある方は参加してみては如何でしょうか、ちなみに私が使っているパソコンも
自作品ですが、もう数年使っているが何ら問題もなく、故障時などは即対処出来
メリットもある。
(2)国土地理院「地図閲覧サービス」・・・・・斉藤(兼)さん
このサイトは、各種の検索・必要部分のプリントも出来便利なサイトです
(3)サイエンスチャンネル・・・・・林(憲)さん
説明者
乙幡さん
このチャンネルは、最新の技術等が紹介されてます、関心のある方はどうぞ
この写真は、宇宙科学、日本の実験棟
「きぼう」です、動画で解説もついて
いますので、関心のある方はどうぞ
( 幹事:朝井 源一 )
-33-
○ 東京地区ゴルフサークル
第24回東京地区ゴルフコンペが平成22年10月18日月曜日に昭和の森ゴ
ルフコースで行われました。当日は、春のコンペは雨のためハーフで終わり苦い
経験をした後だったので、朝からの晴天に皆楽しくゴルフが出来る事に期待して
プレーを始める。ゴルフ場は10月桜が至るところで咲き、春にない静かな花見
を愉しむ事が出来た。
今回の参加者は11名と少なめで有ったが、特別参加で山根信義さんと岩澤國
男さんに参加して頂きました。久し振りの皆様の元気な顔ぶれに話も弾む中、IN
からスタートする。お年寄りゴルフを半年振りでプレーする人も多く、思うよう
にプレーが出来ず悪戦苦闘しながらのホールアウトの様でした。
プレーはハンディキャップ戦で、優勝は最近腕を上げてきている久保庄司さん
がグロス108、ハンデー36、ネット72で取りました。準優勝は岩澤國男さ
んが日頃の実力を出してグロス97、ハンデー22、ネット75で取りました。
3位は乙幡忍さんがベテランの実力を出して取りました。グロス93、ハンデー
14、ネット79でした。ドラコン賞は常連の林憲男さんが取り、もう一つは何
故か都築靖明が取りました。ニアピン賞は乙幡忍さんが取り、もう一つのニアピ
ン賞は該当なしでした。当日は天候に恵まれたゴルフ日和でした。
競技終了後は表彰式と共に懇談に楽しい一時を送り終了することが出来き、来
春のコンペでの再会を期して解散することが出来ました。
( 世話役:都築 靖明 )
-34-
○ 神奈川地区ゴルフサークル
第42回湘南OMG秋のゴルフコンペを、平成22年10月26日(火)鎌倉
パブリックゴルフクラブにおいて開催しました。
当日朝まで雨模様でしたが、スタート時には穏やかな薄曇で、まあまあのコン
ディションで実施できました。
結果は 優勝:島崎和男さん、 準優勝:倉本實さん、三位:阿部新治さんでした。
東京地区からも3名の応援参加を得て、15名の参加で日頃の成果を競いまし
た。ベスグロ77の小澤さんは実力どおりNPも獲得しました。
プレー終了後の表彰式、懇親パーティも和やかなうちに終了し、次回世話役幹
事は島崎さんにお願いすることとし、5時過ぎに無事帰宅の途につきました。
( 世話役:岩澤 國男 )
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○ 千葉・茨城地区ゴルフサークル
25回を数える「千葉・茨城地区秋季ゴルフコンペ」を、秋も深まり初雪や初霜
の便りが聞かれる11月16日(火)、成田国際空港に隣接する「ナリタゴルフコ
ース」で開催しました。当日の天候は、気温は低かったものの、昨日までの雨も
上がり快晴の中で6組、24名の精鋭?が腕を競い合いました。
現在「千葉・茨城地区ゴルフサークル」会員数は、今回初参加の2名(浅野正
幸さん、相澤光一さん)を含め50名に達していますが、これからも新入会員の
勧誘活動を続けサークルの活性化につなげたいと考えています。
記念写真撮影、電友会東京無線支部の渡部地区幹事のご挨拶、コンペルールの
説明のあと、アウト3組、イン3組に分かれて8時30分にティオフしました。
出だしなのに「今日一」では?と思わせるナイスショットを放つ人、「入れ込
みすぎ」なのか?チョロで照れ笑いの人。いつもながらのスタートホールでの光景。
いいです。いいです。「皆さんが、一日楽しく、怪我もなく」コンペが無事終
わってくれることを幹事は願っているのです!
このコースは前記のとおり成田空港の隣と
いう立地にあるため、目の前を世界各国の
飛行機が飛び交い、7番ホールではティシ
ョットを曲げると滑走路内に飛び込むので
は?と心配してしまいました。また、コー
スそのものもかなりトリッキーな設計とな
っているのが特徴です。
このような厳しい条件のもとで優勝した
のは池田守さん。アウト52、イン51グ
ロス103、ネット70(2アンダー)と堂々たる成績で、最高齢(85歳)優
-36-
勝記録を作ってしまいました。ホームコースという「利」があったとは言え立派
なものです。大きな拍手!
準優勝には実力派の小島道夫さん、第三位には
気合十分の船浦洋三さん、ベストグロスは指定
席?の向後正博さんという結果になりました。
また、ドラコン、ニアピンの獲得者は
DC は4番ホール:鹿嶋孝さん、小島道夫さん
14 番ホール:小野塚修二さん、船浦洋三さん
NP は 5 番 ホ ー ル : 片 貝 幸 雄 さ ん 、 中 込 和 男 さ ん 13 番 ホ ー ル : 安 井 健 さ ん
岩本壽雄 ということになり、全員怪我もなく無事「第25回千葉・茨城地区秋季
ゴルフコンペ」を終了しました。
次回は、茨城地区に会場を移し平成23年5月頃の開催に向け準備を進めてま
いります。サークルへの加入をご希望の方は(鹿嶋、岩本)まで連絡ください。
よろしくお願いします。
( 世話役:岩本 壽雄 )
○ 埼玉地区ゴルフサークル
第22回埼玉地区秋のゴルフコンペを、平成22年10月20日の水曜日、参
加者12名により、いつものリバーサイドフェニックスゴルフクラブで行いまし
た。例年にない猛暑の夏も終わり、スポーツシーズン真っ盛りの時期ということ
で、皆さん元気を取り戻して溌剌とプレイしていました。
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お天気はかなりの曇り空でしたが幸い雨の降ることもなく、風も穏やかな中で
実施できました。当コースは総延長距離がやや長めですが、近年レギュラーティ
より0~10ヤード位前方にシニァティが設けられ、75歳以上は公式試合以外
で使用しても良いとのローカルルールがあり、今回はこれもOKとしてコンペを
実施しました。ウィークディということもあってスムーズに進行し、午後2時に
は終了しました。引き続き懇親会を行いましたが、入賞者の一言と参加者の最近
のゴルフの調子等、楽しい会話が弾みました。
優勝は、ネット72で板川さん。前回は世話役の苦労もあって最下位だったけ
れど、最近は仲間に恵まれて頻繁にゴルフの機会があり、その成果が出たようだ。
ショートホールでは、最初のホールは少し外れたけれど、残る3ホールはワンオ
ン出来これが一番嬉しかったとの本人のお話でした。
準優勝は、ネット78で後藤実さんでした。後藤さんは、読売ゴルフクラブに
入りレッスンを受けながら先生と一緒にあちこちのコースに行っているとのこと
で、その成果が出たとのことでした。3位は、ネット79で岡田巌さんでした。
前回は同一スコアでハンディが少ないにもかかわらず、当会のルールが年齢優先
のため優勝を逃してしまったけれど、今回は逆に同じスコアの山口さんに年齢差
で勝ち入賞した。いろんなこともあるもんだねとご本人の言葉です。引き続き皆
様から次のような楽しいお話がありました。
年齢とともにスコアは厳しくなってきたが、15番ホールでチップインバーディ
がとれて嬉しかったと岡田秀夫さん。また松本さんは趣味の男性合唱サークルの
発表会の練習厳しく、ゴルフの機会が少なかったが、疲れてきた最終ホールでパ
ーがとれホットしたとのこと。山口さんからは当会の存在を知らない若い人もい
-38-
るようなので誘ってみますとの嬉しい話もありました。
半年ぶりの顔合わせで話が弾みましたが、来春も皆様お元気で参加されること
を願ってお開きとしました。
( 世話役:板川 凡夫 )
○ 東京地区ハイキングサークル
秋のハイキングは、11月13日(土)に世田谷公園と駒沢公園に行ってきま
した。東横線中目黒駅改札前に 10 時に集合しましたが、参加者は組村、小林(健)、
土橋、神奈川地区から参加の山根、岩澤、と世話役小林、木村の7名でした。
中目黒駅を 10 時 10 分出発、東横線ガードに沿って横浜方面に5分程歩き、蛇
崩川緑道に入ります。良く手入れがされた緑道をのんびりと30分程歩き、車道
と交差した所で右に逸れて、世田谷公園に入りました。この公園は子供を乗せて
可愛いい蒸気機関車が走り、公園の真中の大きな噴水が名物ですが、この日は幸
いなことに、世田谷の花展示会が開かれておりました。大きなテントの中にぎっ
しりと値札のついた植木や花が並び、たくさんの人がこれを鑑賞していてとても
にぎやかでした。露天にも花やさんが即売の品を並べていました。テントの中を
冷やかしたあと、ひと休みして次の目的地に向け出発し、約30分歩いて世田谷
観音に11時30分に着きました。ここは戦後に建てられて、境内に「特攻観音
堂」があります。その傍らには吉田茂元首相揮毫の「世界平和に礎」の石碑と、
神風特攻隊天山隊、神州不滅特攻隊の碑がありました。なお、境内には、本堂、
阿弥陀堂。不動堂があり世田谷区の文化財に指定されています。
ここにお参りした後駒沢公園に向かいましたが、途中は、だらだら坂の上り道
が続き非常に草臥れました。小一時間歩いて12時半に公園の中央広場にたどり
着きました。この広場では、1週間前の、11月3日から7日まで「東京ラーメ
ンショー2010」が開催され、数万人が集まって、入場券を買うのに一時間、ラー
メンを食べるのに一時間並ぶという、大騒ぎが演じられたとのことです。
少し遅い昼食となりましたが、公園の軽食堂で、ラーメン、カレーライスなど
思い思いの食事を楽しみ帰路に着きました。予定では、自由が丘駅まで歩く予定
でしたが、午前中にかなり歩いたので、最寄の都立大学駅で解散としました。
天気に恵まれて気持ちの良いハイキングが出来ましたが、元気な人は、「九品
仏」まで歩いてお参りし、帰路に付いたようです。
( 世話役:木村 正道、小林 定夫 )
○ 神奈川地区ハイキング
横浜市の北部『県立四季の森公園』『よこはま動物園ズーラシア』ウォーキング
11月10日(水)横浜線JR中山駅改札出口10時00分集合。今回、埼玉
-39-
より中村様のご参加がありまして総勢10名。
本日の行程等について白井さんより概要説明があり、10時30分中山駅出発。
南口階段を降りバスターミナルを横切り街中を少し行くと、駅南口入口の信号機
のある県道に出る。この交差点を渡り右に進み『県立四季の森公園』へ通じる遊
歩道“プロムナード”を通り、駅から15分程で公園の北口にある公園管理事務
所、ビジターセンター展示室に着く。展示室に立ち寄って展示品などを見ながら
小休憩。この公
園は横浜市の市
街地にありなが
ら、広大な里山
の風景が残され
ている貴重な公
園である。パン
フレットによる
とこの公園の一
帯はかって県が
住宅用地として
購入したが、貴
重な自然林が残っていることと、谷戸に豊富な湧き水があるので利用計画を変更
して、周囲の市街化に対し「みどりの拠点」にした。総面積 45.3ha、自然林の保
全部が多い丘陵の傾斜地で、シラカシ、ウラジロガシ、シロダモなどの常緑樹が
繁り、尾根の周辺は二次林の雑木林である。公園内には散策コースとして次の3
コースがある。①【谷戸コース】約30分、②【里山コース】約50分、③【尾
根コース】約70分。今回は①谷戸、②里山、③尾根3コースの起伏の少ない所
を選ぶ。休憩後、谷戸田の周辺を散策、★池(鯉、亀、四季を通じて多くの野鳥
が見られる)★あし原湿原(刈り入れが済まぬ葦、初夏にはホタルや多くのトン
ボが見られる)★しょうぶ園(来期への備え中、梅雨時には色とりどりのハナシ
ョウブが見られる)の3ヶ所をめぐり、常緑樹が繁る山間部紅葉の森コースへ進
む。今年の異常な気候によるものか、ニシキギ、カエデ類の紅葉の色付きには少
し早かった。コース最後にある階段を登りきり【尾根コース】ちびっこ広場に出
てコースを少し戻り、南口広場・展望広場に行く。展望台から周囲の眺望がひら
け、近郊は大きな建物等が立ち並ぶ光景、遠方は少々モヤっていたが西の稜線に
丹沢連山、富士山が望めた。南口広場の一角には休憩所・売店・噴水池があり、
写真撮影後【尾根コース】の雑木林の中を10分程歩き西口広場から市道に出る。
-40-
市道を少し歩き横浜動物の森公園整備中のフェンスに沿って杉木立の小道をズ
ーラシアへと進む。四季の森公園から約40分、12時30分によこはま動物園
ズーラシアに到着する。
【よこはま動物園ズーラシア】は山間部を利用して作られ
11年前に開園した新しい動物園で現在の面積は 40.2ha、将来全面開園すると約
53.3ha 日本最大級の動物園となる計画とのこと。動物園の愛称を市民に公募し、
【ズーラシア】に決定されたが、これは動物園の意味の ZOO と広大な自然をイ
メージした EURASIA をあわせてつくられている。
「生命の共生・自然との調和」
をメインテーマにかかげ、動物、植物、人の文化を織り交ぜながら世界の環境が
演出されている動物園である。展示場は、動物と人間との間に「オリ」がない展
示方法で、大きな「堀」で園路と仕切られている。園路は舗装され一部板橋があ
るが平坦で歩き易く、車いす等にも優しく路幅も広く動物等も見やすい。随所に
休憩ベンチがあり飲食施設も園内に2ヶ所、園外に1か所、ギフトショップも園
内外に1か所ある。園内を世界の気候帯・地域別に「アジアの熱帯林」
「亜寒帯の
森」「オセアニアの草原」「中央アシアの高地」「日本の里山」「アマゾンの密林」
「アフリカの熱帯雨林」の7つのゾーンに分けられ、珍しい動物を中心に多種類
の動物が展示されている。絶滅危惧度の大きいスマトラトラ、カンムリシロムク、
また日本でこの動物園だけで見られる動物、世界で一番おしゃれなサル(ドゥク
ラングール)などが見られた。天候や動物の体調により、展示内容が変更される
事があり、園内の動物を全て見るには相当な時間を要し急ぎ足で回ることになる
ので、昼食後は自由行動とし、各人それぞれ自分のペースで、マップの番号を見
ながらコースを回ることとした。皆さんで一緒に歩いている時インドライオン(ア
フリカライオンに比べるとやや小形)が大きな声で吠えたのには驚いた。
-41-
一日に数回大きな声で吠えるようです。ズーラシアでは日本ではじめてインドラ
イオンを導入し、繁殖にも成功して大家族となっている。園内には動物の他に多
彩なスポットでも楽しめる。寒い地域の地形や情景を体験しながら散策できるア
ラースの谷、自然体験林でのウォーキング、他にミニアスレチック等もある。
今回は午後の入園でコース全ての展示動物など見て回ることが出来ず、世界三大
珍獣の一つに数えられている人気のオカピを時間の都合で見られず退園した。退
園後バスで相鉄線鶴ヶ峰駅に行き、駅西口近くの飲食店で懇親会・お疲れさま会
を行う。豊かな自然に恵まれた里山の風景が残る貴重な公園、動物園のざわめき
が感じられる動物園ズーラシア、人との深いかかわりを持つ情愛深い動物、希少
動物との出会い、リフレッシュに絶好な小春日和に恵まれた行楽の一日を無事に
17時30分に終了する。
( 世話役:白井 靜明、岡部 清一、加藤 實 )
○ 千葉地区ハイキング
懐かしき双子無中もコメツツジも健在でした。
筑波山、円海山につづいて今回は双子山に登ってまいりました。
期日は11月21日(日)
集合場所は小涌谷駅。テレビ
や旅行誌などで箱根の紅葉の
素晴らしさが盛んに取り上げ
られておりましたから行く前
から涌く涌く?しておりまし
た。当日は文字通り秋晴れの
ハイキング日和、乗り継ぎの
箱根湯本駅に着く頃には観光
客(我々のようなハイキング
のいでたちは場違いの様子)
がいっぱいで長蛇の列。入場制限のため、箱根登山鉄道のホームにはなかなか入
れず集合場所の小涌谷駅には30分遅れでの到
着となりました。集まったのは吉村さん、小林
さん、藤平さん、渡部さん、安井さんご夫妻、
北上さん、秋山さんご夫妻、斉藤さんご夫妻、
東京から川船さん、神奈川から加藤さんご夫妻、
岡崎さん、それに幹事の内田さん、増田さん、
窪田の18名のみなさんでした。小涌谷駅前のバス停でも満員のバスを1台見送
-42-
り何とかつぎのバスに乗ることができました。芦の湯バス停で下車し、軽くスト
レッチしてから車道
沿いの箱根散策路を
歩くこと20分で双
子無線中継所の巡回
道路に出ました。巡
回道路の入り口付近
で小休止をした後、
よく整備された巡回
道路を登り始めまし
たが、ほど良い傾斜
の山道ですぐ汗ばむ
ような良い天気。辺りの山々は色とりどりの紅葉につつまれており素晴らしい眺
め、無線工事や保守業務で通ったことを思い出しながら登ること30分。
まず、イーモバイルの無線局が見えてきて、その奥に見慣れた円形の無線鉄塔
とD-4局舎が現れました。パラボラアンテナや木造の事務棟はありませんでし
たが、われらの双子無線
中継所は健在でした。コ
メつつじも楚々として、
可憐にはにかんでいるよ
うでした。
( いやほんとう
に・・・)
無線中継所前の広場で
それぞれ持ち寄った弁当
や飲み物で楽しい昼食を
とった後、中継所をバッ
クに記念写真を撮ったり、
芦ノ湖方向の景色や紅葉を楽しむこと1時間で下山。巡回道路入り口脇にある「曽
我兄弟・虎御前の墓」に参ったあと、近くのバス停から早めの帰路につきました。
(下見の際、お世話になったNTT東日本神奈川の相澤様、真庭様、地元の松井
様、どうもありがとうございました。おかげさまで楽しいハイキングができまし
た、お礼申し上げます。)
( 世話役:窪田
-43-
達 )
8
懇 談 会 模 様
1.平成23年むせん初春の集い
今年から“むせん初春の集い”に改称し、NTT 東日本本社ビル3階社員食堂に
おいて、1月15日(土)に開催しました。この日は、この冬一番の寒気の流れ
込みで日本海側の各地では大雪、東京は薄日で冷え込みの厳しい日でありました
が、112名の方々が出席され大盛会でした。
来賓には関東電友会本部桑原会長、NTT東日本総務人事部重田主査、NTT
コミニュケーションズ㈱金丸 TV 中継サービス部長、テレビジョン中継センタか
ら三木センタ長、新谷課長、首都圏無線会から㈳電波産業会中原主任研究員の計
6名の方々をお迎えすることが出来ました。
12時に開会し、近藤支部長から「①私たちの親元であります NTT 組織再編問
題について、いわゆる“光の道”構想に一定の方向性が示され、当面は光回線部
門の分社化は回避されたこと、②平成22年度は12月末までに28名の新入会
員を迎えることができたこと、③支部活動への会員の積極的参加について、先ず
は本日の会から一人でも多くの会員が参加していただけるような企画をさせてい
ただいた事」などのお話をいただ
き、続いて本部桑原会長から「無
線支部は昨年28名の新入会員を
迎えることができたのは素晴らし
ことで、役員、会員皆様の努力に
よって会員増を図っていただく事
は有難いことです。長寿で健康に
お暮しの方のお話を紹介され、会
員の皆様も元気でいつまでもこの
会に出席して下さい。」とのご挨拶をいただきました。
次に、今年の1月1日付でNTTコミニュケーションズ㈱に異動された金丸T
V中継サービス部長から「デジタルテレビ中継サービスの品質について、瞬断障
害は年間で10件程度、A級障害は1件あるかないかの、非常に安定したサービ
スを提供しております。NHKさんについては、昨年サーバーの取替えを行い安
定しておりまして、今後も5年程度ご利用いただき、そして次世代のシステムを
提案させていただく事、民放さんについては、新ネットワークのサービス開始ま
で2年を切ったところで、今年がサービス開始に向けた山場の年となります。今
年はTV局にとって、7月24日のアナログ停波があり大きな節目の年となりま
- 44 -
す。」などのご報告をいただきました。
引き続き本日お見えの来賓の方々
をご紹介したあと、今年の新しい企
画の一つ、鏡開きに移りました。鏡
開きは、桑原会長、近藤支部長、平
成22年度ボランティア活動全国本
部会長賞を受賞された藤井一明さん、
38年採用者代表岩間勝利さん、本
日 出 席 者 で 一 番 若 い 井 上 克 良 (1955
年 2 月生)さんの5名にお願いし、大きな掛け声 “よいしょ!”で鏡を開き、藤
井さんの音頭で乾杯しました。このあと一息入れてから22年度の新入会員28
名のうち、本日出席の7名の紹介を行いました。
宴会はいつもどおり4つのテー
ブルを囲んで、旧友との昔話、ス
ポーツ、趣味の自慢話などなど賑
やかで楽しい時間をお過ごしいた
だきました。楽しい時間の経つの
は早いものでやがて予定の時間と
なり、中締めは37年採用者の代
表の原邦男さんの元気な三三七拍
子でお開きとなりました。
ここで今年からの施策をまとめておきます。
①会の名前を今までの“新春懇談会”から“むせん初春の集い”とした。
②会場設営では、会名の表示と金屏風の使用、鏡開きの実施で彩を添えた。
③今年は昭和37年、38年採用
者の同窓会・同期会の開催を呼
びかけし、37採用者5名、3
8採用者14名の参加を得た。
④平成20~22年度入会の若手
会員(70名)へ参加の呼びか
けを行った結果13名の参加を
得た。
⑤会員への案内は11月に行った
ので忘れている方もおり、例年参加されている方へ役員から電話で呼びかけを
- 45 -
した。
などを行った結果、会員の参加申し込みは112名であったが当日欠席6名で、
来賓と合わせた当日参加者は
112名となりました。これ
は NTT 東日本での開催6回
目ですが、今回が最高です。
今後も工夫を凝らして楽し
い会としていきたいと思いさ
すので、よろしくお願いしま
す。
( 吉田 哲夫 )
2.地区懇談会
○ 東京地区懇談会
10月16日(土)、NTT東日本本社ビルの食堂をお借りして東京地区の懇談
会を開催しました。
天気は快晴、絶好の行楽シーズンに加え、一週間後には電電記念日のパーテイ
ーも控えていたためか、または今年2回目の地区
懇談会となったためか、出席者が当初目標(50
名)より少なく、会員38名、ご来賓3名の計4
1名でした。
開催にあたっては、地区幹事一同でご出席を促す
勧誘に力を注いだのですが、力及ばず出席率22.6%
となりました。
12時、藤田幹事の司会で開会。今年から開催時期が秋に変更になったいきさ
つや東京地区会員数の状況など
木村より説明後、吉田副支部長
より1月の新春懇談会の開催に
趣向を凝らしたいとのお話と支
部の概況等について話して頂き
ました。引き続いてご来賓のご
挨拶
NTT-comテレビジ
ョン中継センタ
三木部長から
テレビジョン中継の現状と設備
- 46 -
状況などについてお話とNTT-comネット
ワーク事業部統合ネットワーク部
小林担当課
長からNTT-comの基盤整備の状況などの
お話を戴きました。
この後、司会者から今年度東京地区の新入会
員4名の紹介と当日参加しました3名が自己紹
介を行い、みなさんの暖かい拍手で迎え入れて
頂きました。
岡部恒雄様から最近は「無線」と言う言葉が出てくることが少なくなったとの
お話のあと、乾杯の音頭をとって頂き、懇親の場となり
ました。
久方ぶりの再会で会場のあちらこちらで互いの現状
などを交わす風景が見られ、また話の花が次々に咲き、
皆さんの声もトーンが上がっていました。
特に、今回が初参加の方々は会場の和やかな雰囲気
と懐かしい顔ぶれを見て、次回も参加すると言っていま
した。
盛会のうちにたちまち時間が過ぎ、中締めの時を迎え、
前々日にお誕生日を迎えた組村
明様に中締めの音頭を
とって頂き、14 時 20 分に終了しました。
今回は、新会員3名が参加したためかいつもより話の
輪が多く、若返った雰囲気だったように見受けられました。
( 木村 英之 )
○ 神奈川地区懇談会
平成22年度神奈川地区懇談会は、長年重慶
飯店で行ってきましたが、今回から場所を一新
し、NTT 東日本神奈川支店食堂で12月4日、
会員40名来賓者3名、計43名にて盛大に開
催致しました。
前日の大雨が嘘のように冬晴れの好天候に恵
まれ、会員の出足も良く11時前に到着する会
員も多数おられました。
懇談会は、阿部常任幹事の司会で始まり、関
東電友会東京無線支部近藤支部長より懇談会が秋になった経緯等の説明を受けま
- 47 -
した。
続いて NTT 東日本神奈川支店上野
設備部長より APEC の警備体制等の
話を伺いました。
NTT ドコモ神奈川支店ネットワー
ク部半田部長からは、新製品「ドコモ
スマートフオン」の紹介などを交えた
話を頂きました。
最長老の山根会員の元気な乾杯で、一気に酒宴となり
歓談の輪が広がり、熱気が満ち溢れる中、恒例のお楽し
み抽選会も行い、予定の時間が
経過した次第です。
最後は、
「若さの37」甘粕会員
の「関東一本締め」でお開きと
なりました。
今回、都合により参加できませ
んでした会員の皆様、来年は是
非ご参加くださるよう幹事一同
お待ちしております。
( 丸山
実 )
○ 千葉・茨城地区懇談会
11月6日(土)千葉・茨城地区歓談会を開催しました。昨年の総武線津田沼
から場所を変え、常磐線柏で2回目の開催となりました。朝から雲ひとつない晴
天にめぐまれ出足も好調で、実施時期を3月から11月へ変更したことへの影響
も少なく、53名の会員が参集しました。ご来賓としてドコモ茨城支店ネットワ
ーク部長児玉進様、無線支部支部長近藤健児様のご出席をいただき開会しました。
まず、司会から本日の進行について
の案内のあと、常任幹事から開会の挨
拶のあと今年度、お亡くなりになった
3名の方へ黙祷を捧げ開会となりまし
た。最初にご来賓としてドコモ茨城支
店ネットワーク部長児玉進様からドコ
モの現状や近くサービスが開始される新方式への取組みなどについてのお話を頂
- 48 -
きました。つづいて電友会東京無線支部支部長近藤健児様から、懇談会が秋の実
施となった経緯や新規会員の加入に
対する千葉・茨城地区への期待など
についての話がありました。つづい
て常任幹事から今年度の新会員の紹
介があり、当日
出席の5名の
方々からそれぞれ自己紹介がありました。例年懇親会の終盤
で集合写真を撮っていましたが、酔いの回ったあとではまと
めるのに一苦労するため、今回は乾杯の前に集合写真を撮る
こととしました。前段のセレモニー
は終わり、ここでダンスで鍛えた元気一杯の松本昭一様
による乾杯のご発声で懇親会が開始されました。会場一
杯に懇談の輪が広がる中で、恒例の浅野孝一様のハーモ
ニカ演奏、ハイキング、ゴルフ、写真クラブの各サーク
ルの紹介をいただきました。懇談で盛り上がった楽しい
時間は時が経つのも早く、予定の2時間も目前に迫り、出
席者のなかで最年長の吉永良夫様の中締めでお開きとなり
ました。盛り上がった会場の雰囲気も徐々に落ち着き、出
席者も三々五々秋の街へ散ってゆき終わりました。当地区
は総武線、常磐線沿線に大きく分かれており、両方向の便
宜を確保するのが難しく平成 20 年から両方向で交互に開
催しております。次回は総武線津田沼で秋の開催となりま
すので、皆様のご出席をお待ちしております。
( 渡
部 律雄 )
○ 埼玉地区懇談会
埼玉地区懇談会は、平成22年10月30日(土)大宮のNTT大宮下町ビル
(旧大宮電話局5F)社員食堂で開催されました。
永年、恒例にしてきた北浦和の埼玉県労働会館(老朽化)に別れを告げ、NTT
食堂での開催を望む声と、集合し易さから大宮
を選定し新たな門出を迎えました。
当日は、台風14号が接近中で大荒れの天候
が心配されましたが、大勢の会員各位と来賓4
- 49 -
名のご臨席を賜り、当日欠席は6名を数えましたが、総勢40名の大台に達し盛況
となりました。
式典は、齋藤が開会宣言、開催時期と場所変えの理由説明、会員数の推移(120
名前後で横ばい・現在員 122 名)、新入会員5名の氏名紹介。永年、電友会業務
に尽力頂いた地区幹事の仲谷さんが交代、後任は、元気一杯の萩原正義さんが着
任したことを紹介。
うれしいニュースとして、3月に中村恒男様が、高齢
者叙勲で「瑞宝単光章」授章、更に春の叙勲で、岡田秀
夫様が「瑞宝小綬章」を授章し栄誉に輝いたことを紹介。
続いて、今年度亡くなった上野富雄様と中村郁夫様の
ご冥福を祈り、全員で1分間の黙祷を捧げました。
ここで、司会を新任幹事の萩原さんに交代。
先ずは喉を潤すべく、叙勲の栄誉に輝いた岡田秀夫様の
挨拶と発声で乾杯。
来賓挨拶は、新任副支部長・髙尾様から、支部の動
向、会員数の推移や地区懇談会を秋にして参加者増を
狙ったこと等の挨拶を頂きました。
続いて、ドコモモバイル㈱埼
玉 テクノセンタ遠 藤 所 長 か
ら、コア業務のドコモショッ
プとの物流の話、会社創立
15周年のこと、今や携帯
機はパソコン端末で、研修
が必要なこと等の紹介がありました。
NTT ドコモ㈱埼玉支店の河野NW部長からは、宮崎
部長の後任として7月に着任。県内のお客様(契約数)
が 300 万に達し神奈川に続く
規模に成長したこと。
シエア争いでは、ソフトバンクが「I-Phone」で先行した
が、ドコモも「スマートフォン」を投入。エリクソン sony
等の端末で追い上げ中。機能が高度化して、使いこなす
のが難しいが人気は高いとの紹介があり、家族・友人・
親戚等に勧めてほしいとの話がありました。また、師岡
課長から、道の駅で宣伝している支店のパンフレット
- 50 -
「FOMA と巡ろう道の駅18(in 埼玉)」が提供され、持帰りました。
次に新入会員の中
で、ただ 1 人ご出席
の五十嵐信行さんの
自己紹介に続き、サ
ークル活動の紹介へ
と進み、ゴルフサー
クル杉沢さん、寄席
サークル仲谷さん、
ハイキングサークル土浦さんから、夫々今年度の活動状況等の紹介がありました。
パーティは、半年ぶりの再会で盛上がり、久しぶり
に出席の笠井様・宮崎様の回りには、話の輪が出来ま
した。また、遠方から参加の群馬代表落合さん、栃木
代表の岡田巌さん・林さんの挨拶。最後は、司会の萩原
さんの余興(柳亭痴楽綴り方教室=山の手線)まで飛
び出し拍手喝采に包まれました。
締めは、米寿を過ぎても益々元気な中村恒男様の三
三・四拍子で、定刻の14時にお開きとなりました。
帰りは、台風の関東上陸は無く、暴風雨にはならず
何とか、全員無事に帰れて、役員一同胸を撫で下ろしました。
(語源)
( 齋藤
隆 )
【 醍 醐 味 】
古代のチーズと言われる“蘇”という食べ物が再現されているそうです。
蘇は、奈良時代唯一の酪農食品で、新鮮な牛乳を何時間もかけて煮詰めたキャ
ラメル色の結晶だ。しっとりとした食感で、ほのかな乳糖の甘味。滋養強壮や美
容、不良長寿の効果が期待され、天皇や貴族が食した。この蘇を素に“醍醐”を
作る。
醍醐は仏教の経典「涅槃経」に登場する五味の一つだ。五味とはまず、搾った
乳(にゅう)、それをヨーグルトにした酪(らく)、さらに生蘇(しょうそ)、塾蘇と変
化させ、最後に蘇を素にした最上の味「醍醐」を作る。ここから、最上の真実、
物事の神髄、本当の面白さのことを、「醍醐味」と言うようになった。
残念ながら、蘇から醍醐を作る製法は古くに失われ、いまだ再現されてはいな
い。最上の真実に辿り着くのは、そうそう容易な事ではない証とも言える。
- 51 -
9
会員の近況だより
平成23年1月現在の会員 631 名に対し、近況だよりの投稿をお願いしたとこ
ろ 160 名の方から投稿をいただきましたので、紹介させていただきました。例年
地区懇談会の出欠連絡とあわせてのはがきで 300 名以上の方から投稿がありまし
たが、今年は地区懇談会の実施時期が秋となり案内のハガキが別となったためか、
投稿数が例年の半分となりました。
次回にはまた多くのお便りをお寄せくださ
いますようお願いいたします。
相曽
新一
湯を使う、キッチンのガスレンジを「I
お世話様になります。主人も皆様に
Hに替え」給湯器は「エコジヨーズに
お会いしたいことでしょうが、現在毎
替え」(C O2削減と 電気代・ガ ス代
日ベッドでの生活です。皆様によろし
3%割引)で2度おいしい・・・こん
くお伝えください。
な所が私のエコ生活です。
(相曽新一様は平成22年11月8日、
呼吸不全のためご逝去されました。こ
浅井
こにご冥福をお祈り致します。編集責
任者)
重男
小生、2011 年は正月早々、肺の手術
をしたため「新春の集い」に出席する
ことが出来ませんでした。これも、禁
朝井
源一
煙してから12年になりましたが「そ
歳を重ねる事78歳、今のところ体
れまでの付け」が来たんだよと言われ
調は歳相応と言うところですが脳細胞
ました。皆さんも健康には十分気をつ
の減少に伴い「物忘れがどんどん進行
けてください。6月の総会には出席し
し」このままではアルツハイマーにな
ます。
るのではと心配の種です。
私のエコ生活・・・不用な照明はこ
まめにSW
阿部
OFF,使わない時期の
新治
エコの取り組み:不要な照明はSW
エアコンのプラグはコンセントから抜
OFFに努めています。
く、見ない TV はメイン SW を切る(待
健康:1日1万歩目標に1駅~2駅前
機電力の削減)、買い物は「重いもの・
より歩いています。
量が多い時」以外はマイカーを使わず
地域活動:
「神奈川県公認審判員」の免
「テクシーで行く」お茶用のお湯は電
許を取得し連盟よりお呼びがあれば、
気ポツトを使わず「IHで沸かし、ハ
学童部の指導にあたっています。
ンドポツトで保温」、洗濯は風呂の残り
- 52 -
阿部
治男
境に一段とその厳しさが感じられます。
私は、この3月で横浜市の弓道協会
特に加令による体力劣化の高令者は、
会長と横浜市立武道館建設推進協議会
それなりの健康維持管理が一層重要課
の幹事長を退任しましたので、今は市
題であると思われます。今年は特に昨
立弓道場の館長のみとなり、少し楽を
年夏の猛暑の体験などを生かして、下
させてもらってます。まだまだ頑張り
記項目など重点的に取組み、健康生活
ます。
の一層の充実を図りたいと思っており
ます。①適切な食事の励行と日々1万
安藤
巌
歩を目指してのウオーキング。②社会
自分だけはと健康には自信があっ
との接点を大切にした交流の充実。③
たつもりですが、胆のう症を患い1カ
自分で出来る事は自分での習慣。④く
月余り入院生活をおくりました。今は
よくよせず日々を前向きに。
体力の快復に努力するのみです。
等のポイントを主に、自分に合った適
度な運動(ゴルフ他)と遊びを含め、
池澤
清
体調を見ながら、将来私達の誰もが迎
平成20年度に持ち回りの町会役
員1年間勤め、22年度は災害活動員
える老化に対して、更なる努力により、
快適な生活をあるがままにしたい。
になっています。昨年の癌再発に対す
る治療を契機に飲酒は控えて居ります
石井
英光
が日常の生活は行動範囲さえ注意すれ
「ダンスをする事」が私の健康法と
ば支障なく生活しています。電友会の
思っています。広々とした会場でリズ
皆様から元気を戴き感謝申し上げます。
ムに乗って悠々と踊っているとストレ
スなどスーっと無くなっていきます。
石塚
春夫
無心になれるのです。休憩を入れなが
健康については足腰の老化防止の
ら2時間余り踊っても疲れを感じませ
ため、出来るだけ近郊の散策に努めて
ん。室内なのでお天気に左右されない
おります。また薬の服用はなるべく避
のも良いところと思っています。
けるようにしております。薬の服用を
こ数年1日平均1万歩を割ったことは
日課にすることは避けておりますが、
ありません。ダンスで足りない分はジ
いつまで続くかは疑問です。
ョギングして一万歩を守っています。
こ
最近、障害者のための「車椅子ダンス」
石原
勇
の勉強を始めました。
昨年夏の百年ぶりの猛暑と、今年希
に見る冬の厳しさに、自然を取巻く環
- 53 -
石川
国雄
もあるかな?と考えてみましたが思い
昨年6月に郷里山梨に自宅を建て
浮かばず、今回は「協和エクシオ東京
替え、休暇にはそちらに出掛けており
総合エンジニアリングセンタ」につい
ます。
て簡単に紹介します。最寄駅は京浜急
行平和島駅。そこから競艇場方向に徒
板川
凡夫
歩10分の立地にあり一昨年の春にオ
喜寿も近づいた年齢となりましたが、
ープンしました。協和エクシオグルー
幸い大きな病も無く妻と二人でのんび
プのエンジニアリンググループが多く
りした日々を過ごしています。周りの
入っているビルなのですが、実はここ
皆様のご支援でここまで来られたと深
で働いている旧東京無線の仲間は現在
く感謝しています。昨年、元気なうち
約35名を数えています。ひとつの建
にとトルコ観光に行ってきました。ト
物でここ以上に無線の仲間が多くいる
ルコと言う国のことは何も知らなかっ
ビルは無いのでは?と思います。ドコ
たのですが、古い歴史を有する国なの
モOB、NTTOB が月日を越えて又この
ですね。紀元前1800年頃にはヒッ
ビルで集結し、東京無線の再結集です。
タイト王国が誕生し、以後いろんな民
皆で意識をあわせながら、東京無線魂
族の都市が栄えたそうで、大変古い遺
を引き継いでいきたいものです。
跡の多いところであり楽しい観光を味
わうことが出来た次第でした。これか
植田
らも海外旅行を楽しみたいものです。
庫治
22年5月に畑で怪我して119日
も入院しました。この体験のお陰で、
岩澤
國男
以前より「人様の痛み」も分かるよう
地域貢献活動として、民生委員・児
童委員をやっております。体調は年齢
になりました。
・右下腿部の開放型骨折創傷のケア、
相応で、ゴルフ・ハイキングなどに参
加し体調維持に努めています
破傷風の防止、リハビリ。
・囲碁はヘボなりに続けております。
・エコ生活の実践例.・・・クーラー、
冷蔵庫の取替え購入。
植田
公康
・地域における活動・・民生委員、児
相変わらずの腰痛と最近は足のし
童委員、国勢調査の調査員、自冶会の
びれもあり、地域やボランティアの活
班長。
動などは何もやれません。庭の植木の
手入れもやれなくて残念ですが、エコ
岩本
壽雄
生活などはそれなりに心掛けてはいま
何か、ご紹介するようなニュースで
す。
- 54 -
碓井
孝義
来、読書、散歩、ネット、TV、時々
「雑感:私のひとり言」
のゴルフ、囲碁といったことで時間を
ある病院で、
“まちあい室”という、
過ごしていますが、読書については、
パンフレットがあった。その中に次の
歩いてすぐの所に区立の図書館がある
ような文章が載っていた。見知らぬ年
ので、極めて重宝しています。
配の外国のご婦人から声をかけられた。
散歩は万歩計を常時身につけ、家内
アジヤ諸国の中で、日本人しか持っ
共々日1万歩を目標にしているのです
ていなかった文化がありますが、何だ
が、残念ながら波があり、ここのとこ
と思いますか“という質問を受けた。
ろは平均7千歩といったところでしょ
その人は直ぐに答えられず。返答に窮
うか。ゴルフのプレーは年に6回程度
しているとそのご婦人は、それは“人
ですが、練習場には週1回以上通って
情”ですと言ったそうです
います。とは言え、練習では実力の低
そのご婦人は、日本に十数年生活さ
下を減速しているだけに過ぎませんが。
れていて、日本のことをよくご存知の
同居の家族は家内と長男及び要介
方だそうです。人情が日本特有の文化
護の義母共々の4人、長男は30歳を
とは、私は知らなかった。そう言えば、
過ぎて未だに独身、長女は結婚・独立
人情という言葉を最近あまり聞かなく
したものの、未だ孫の誕生に至らず、
なったような気がする。死語になりつ
いずれも気がかりの状況です。私自身
つあるのかなと思い、考えこんだ。最
については、3月に満68歳となり、
近「自己虫」
(自分さえ良ければという
年齢相応に高血圧症や腰椎症など体に
考え)と言う言葉があるそうですが、
ガタも来ているのですが、そのこと以
この言葉が人情を死語にしたのかなと
上に日本の政治・経済の先行きを心配
も思った。
している昨今です。
て
「自己虫に
世は無情」
情が食われ
そんな事を考えてい
ると、フト、遠い遠い昔、よく聞かさ
大熊
れた言葉、「滅私奉公」を思い出した。
○地域貢献活動:①南会津町前沢曲家
これは、もう死語かな、死語でもよい
景観保存会の活動
のかなと思う。とにかく、人に迷惑を
生体験学習の受入れで、活動していま
かけない、世話を掛けないで、元気で
す。○近況だより:歳相応に健康的に、
頑張らなきゃと、自分に言い聞かせて、
低農薬・有機栽培で野菜作りを楽しん
待合室を出た。
でいます。
大井
大久保 友一
哲雄
小生3年程前に自由の身となり、以
幸一
②小・中・高の学
○社会貢献活動:
「日本善行会」より表
- 55 -
彰される。昨年、11月20日に(社)
また嘗ての同窓会なども出来得るかぎ
日本善行会から永年にわたる社会貢献
り参加することとしております。
に対し、表彰を頂きました。今回、北
は北海道から南は鹿児島に至る 353 人
大竹
が表彰されました。
將雄
NTT を退職して早20年を過ぎ上司
の勧め計らいにより第二の人生に生か
大島
紀光
せる業界へと十数年間働かせて頂きま
月日が経つのは早いもので、今年9
したが、今の住所から通勤時間(片道二
月で85歳。天気が良ければ庭いじり、
時間半)を 考えると長 い人生でも ない
野菜作りも健康の為。サークル参加の
余生をいかに楽しく過ごせるかと、退
気持ちはあるが、遠出の行事は控え気
職後陶芸、ハイキングクラブ等励んで
味。散歩で眺める季節の花、カメラに
きましたが、今は写真に凝ってアマチ
収めて癒される。趣味で育てた盆栽・
ュアカメラマンとして地域の写真クラ
庭木、今が整理の時と、こじんまりと
ブの会長を、日々撮影会、勉強会等企
身繕い。元気なうちに挑戦と、今年の
画して過ごしております。
目標「断・捨・離」志向。御無沙汰で
術(平成15年)後は何の併発もなく元
すが、皆様益々お元気で。
気で過ごしております。昨年の茨城県
胃がん手
内の写真コンテストは、12入賞・入
大滝
映夫
選し、今年は茨城県芸術祭美術展に入
7年前、自治会長として2年間地域
賞、石岡市フォトコンテストに市長賞
の清掃活動(ごみ、雑草、迷惑駐車の
と頑張っております。動く事はボケ防
ゼロ)を主導したが、以後「03会」
止、体力増進と言われますが、是非動
と称し毎月2回続けられており、高齢
く事に極力努力して楽しい人生をお送
ながらも参加しております。60年前
り下さい。
の逓信講習所退出時の荷で起こしたギ
ックリ腰が、現在は前屈状態のままに
大橋
賢三
なり、整形病院で週1~2回通院して
残念ですが、歩行に多少不自由な点
いるが、気休め程度でこの腰痛は生涯
があります。本会のご繁栄、皆様のご
つづくと覚悟させられているところで
健勝を祈念いたします。
す。ただ、他には老齢で難聴になった
以外、特別な問題箇所は無いようで、
岡田
巌
庭の草とり作業や家中の整理作業のほ
新築時に「ハナミズキ」の実生の苗
か、車は廃車したがちょっとした買物
木を植樹して10年、漸くたくさんの
など外出に自転車で出かけています。
蕾が付いて4月の開花が待たれます。
- 56 -
今回は、地デジ化に伴うサテ局誕生の
加しています。その内の一つは、10
話題です。足利市の名草地区はここか
年以上前に自分が設立したクラブです
ら6Km北の山あいにある源氏蛍の名
が、今でもその運営の支援をしていま
勝地です。不感視聴地域解消のため、
す。・地元地域活動の役員としての務め
我が家から2Km先の東の丘にテレビ
は完了して、現在は出来るだけ多くの
放送のサテライト名草局が開局(2010.
会合等に参加することとしています。
12.29)したのです。送信出力は 1W(保
○健康・感想・等:夫婦とも健康なお
守は栃木テレビ放送)ながら室内で山
陰で、それぞれ地域活動に忙しく取り
の手線なみにワンセグ放送が楽しめま
組んでいます。これも毎朝のラジオ体
す。現在、我が家では渡良瀬ケーブル
操と自己流ストレッチで、脊柱管狭症
テレビを利用しテレビ放送を受信して
を克服出来ているからだと感謝してい
います。春にはUHFアンテナを取り
ます。また、ゴルフにも時々参加して
付けてケーブルテレビを解約、家計負
います。
担のエコ化を図りたいと考えています。
高所作業は年寄りの冷や水と言われな
岡部
恒雄
NTT グル ープの後援を受けている
いように慎重に行いたいと思います。
NGO「BHN テレコム支援協議会」で、
岡田
武夫
途上国を支援する諸活動に関与してい
毎日1万歩を目標に市内を歩いて
ます。この NGO では会長の桑原守ニ
さんを始め無線の NTT-OB が大勢い
います。
ることが特徴として挙げられます。
岡田
この BHN の主催で2月にチャリテ
秀夫
○地域貢献活動:川柳の普及;三つ
ィコンサートが開かれましたが、出演
の川柳クラブに所属して、月3回の例
は宮谷理香さんというショパンコンク
会を楽しんでいます。その内二つのク
ールに入賞したピアニスト、それにア
ラブでは世話役を務め、クラブ活動の
マチュア楽団としては評価の高い
運営支援をしています。囲碁の指導;
NTT オーケストラでした。宮谷さん
地元囲碁愛好会に初心者対応の勉強会
はお父さんが NTT の建築屋、オーケ
を設立して、現在の体制の基礎作りを
ストラは指揮者こそその道の専門の方
しました。そして、愛好会の世話役を
でしたが、楽団員は NTT の関係者で
務め、その運営の支援をしています。
構成されているという、NTT カラーの
ほかに、女性囲碁会の初心者指導をし
強いコンサートでした。お陰様で客席
ています。・社交ダンスの普及;二つの
は一杯になり、立ち見(立ち聴き?)
クラブに所属して、週2回の例会に参
のお客さんが出るのではないかと心配
- 57 -
するほどでした。
肺炎のためご逝去されました。ここに
リハーサルから確りと聴いていま
ご冥福をお祈り致します。編集責任者)
したが、本番はもとよりリハーサルも
十分迫力のあるものでした。ことに宮
梶
昭三
谷さんには演奏曲目はすでにお馴染み
今年の夏の暑さで体調をくずして
のはずなのに、僅かの時間も惜しんで
しまい、当分外出の時は注意をしてく
練習を繰り返しておられるあたり、プ
ださいと医者に言われています。
ロたるものはかくあるかという強い印
象を受けました。
(梶昭三様は平成23年4月4日、
脳出血のためご逝去されました。ここ
この宮谷さんといい、オリンピック
のゴールドメダリストとなった荒川静
にご冥福をお祈り致します。編集責任
者)
香さんといい、NTT の関係者が国際的
に高く評価される活動をしておられる
加藤
のは、誇らしいことです。こうした方々
の一層の活躍に期待しています。
正一
中秋の名月を眺める余裕もなく、病
院通いが続いています。今の市の病院
では紹介状が必要で、それを貰うのに
尾形
勝郎
苦労します。その後、年末に白内障の
役員の方々本当にご苦労様です。何
手術を受けました。手術後の感想:セ
も出来なくて申訳ございません。宜し
ピア色から純白でブルーの世界へと変
くお願い致します。
わりました。
小倉 建志
加藤
元気に毎日を過しております。
實
“男の料理教室”市で企画した「教室」
に学び6年余りが過ぎた。一年目は無
小高
正夫
料だったが、次年度から予算が切られ
知人の介護をしながら地域の行事
て市側と交渉、食器費のみ負担するこ
には出来るだけ参加するよう心掛けて
とで継続している。美人の先生に指導
います。何時もお世話になり有り難う
お受け、メニューの選択、買い物、調
ございます。
理、盛り付けそして会食となる。会食
は献立の感想、世情の話等談笑しなが
小原
敏郎
ら親睦を深めている。数多くの料理を
只今、入院中ですが元気になってま
試行したが、尽きるところ私は“綿豆
いりました。
腐に生醤油”で食するのが最高の御馳
(小原敏郎様は平成23年3月5日、
走と思っている。帰するところ料理も
- 58 -
人生も“素に還る”ことだと感じるこ
やっています。なお、絵画クラブ(酔
のごろである。
彩会)の活動ですが、新規の会員がな
いため、先行きが心配です。絵を趣味
鎌田
靖彦
として描いておられる方は沢山おられ
持病があるため、2カ月毎の主治医
るとおもいます。私達と一諸にスケッ
の診断、1年毎の人間ドック受診、毎
チをして楽しみましょう。関東病院の
日のウォーキング、食事の管理(カロ
ギャラリーで年に3回展示を行ってお
リーコントロール)等を健康上行って
ります。
いることです。おかげ様でそこそこの
体調が維持されています。メンタルな
川城
面では、放送大学の選科7年生となり
安夫
腰痛のため動きがとれません。
ました。新しいことを知ることが喜び
となっています。自分のこと、家族の
川船
ことで精一杯なのが現状です。
武則
年金生活3年目となりましたが、や
らなければならないこと、やりたいこ
神沢
等
とが沢山あって、それなりに充実した
私は自分の出来る範囲で今はデーサ
日々を過しています。
ービスを受けていますが、手足が不自
体の方は今のところ特段問題なし。昨
由で車椅子でのカラオケ室の出入り、
年暮れに胆石の手術をし、20年以上
歌詞の見出しに手伝ってもらっていま
前からの懸案をひとつ解消しました。
す。カラオケは楽しい憩いとコミュニ
ケーションの場所です。歩行はやゝ困
木村
難で遠出は控え、趣味の園芸も縮小し
ております。
友也
何時もお世話になっております。体
調も勝れず市の文化協会理事も引退し
隠居暮らしです。今後とも宜しくお願
河口
量
いいたします。
○地域貢献活動:自冶会活動として、
旅行の計画とか「老人つどいの会報」
木村
英之
(1).家でゴロゴロしながらテレビを
等作成したりしております。
○近況だより:日頃は健康なのか時間
2時間ほど見ていると腰が痛くなる。
潰しなのか分かりませんが、なるべく
寝不足が2~3日続くと腰が痛くなる。
家の中に居ないで、絵が好きなのでス
そこで歩数にして 5,000~6,000 歩の
ケッチに行ったり、社交ダンス、詩吟
散歩をすると腰に痛みがなくなる。こ
の会で旅行したりして、晩年を楽しく
れが判っていながら毎日散歩ができな
- 59 -
い。家の雑用にかまけてつい散歩をし
工藤安雄
ない。そして腰が痛くなり、又散歩を
今年は、八十寿を迎えることができ
繰り返す。こんな毎日を送っています。
ました。これからも健康に留意して米
(2).東北関東大震災が発生して4日目
寿まで頑張りたいと思います。
の朝、散歩でスーパーマーケットの前
を9時半ごろ通ると3箇所ある入り口
窪田
それぞれに長蛇の列で開店待ちである。
達
1.地域貢献活動:①町会の役員と
ガソリンスタンドも売り切れで閉店と
して平成 12 年から地域活動に従事、今
なっていた。午後、行きつけのスーパ
回の総会で副会長に選出されたのでま
ーへ行ってみるとカップラーメン類及
だやめられそうにない。
びレトルト食品類の棚には全く商品が
れる桜まつりの実行委員として総務を
無く、根菜の売り棚にも何も無い。こ
担当し、実行計画、招待者の選定やハ
れから起こる食料危機あるいは高騰に
ッピを着て20万人の人出のイベント
備えての買占めか、あるいは被災地の
をサポートしている。
親類縁者へ送るためか、又は、早い者
域防災リーダーに任命され、防災訓練、
勝ちの日本人気質か、とにかく凄い状
歳末パトロール等に参加。 2.健康・
況が被災地から遠く離れた此処町田の
感想・エコ取組み等々:①野菜づくり
有様であった。
には年季が入っており、無農薬で美味
②毎年開か
③松戸市の地
しいと自画自賛しているが、妻には店
木村
正道
先にでている色とりどりの野菜と味比
○社会貢献活動:地元町内会の役員
べされている。
②孫が幼稚園に入園
を8年間勤めています。会計を担当し
し運動会や発表会など、ビデオカメラ
ています。
の被写体には不自由しないがデジタル
○近況だより:健康状態はまあまあで
カメラで撮るか、ビデオに収めるかが
すが、昨年1月末に家の中で転倒して、
悩ましい。
左足大腿部骨折で2ケ月入院し、現在
人会)に入会したらカラオケサークル、
は杖を突いて歩いております。
ゴルフサークル、ダンスサークル、囲
なるべく歩くこととして、近所でリハ
碁将棋サークル、ちょいと一杯サーク
ビリをしていますが、人並みに歩ける
ル?などからの勧誘が多く、身体と財
ようになるにはあと1年かかるそうで
布がもたなくなりそうです。
す。平地のハイキングにはなるべく参
面では病院のお世話にはなっていない
加しています。
が、昨年妻が脳内出血で倒れてからは、
③今年はじめ楽寿会(老
④健康
ふたりとも血圧に気をつけるようにし
ている。幸い妻は1年後の3月、定期
- 60 -
健診で異常なしと言われたようである。
年目にはいりましたが、加令と共に最
近急速に体力が減少する始末です。長
倉井 正治
い間やって来た近隣の道路清掃もだん
先に報告ご採用の上「むせん」誌に
だん辛くなって来ました。皆さん私の
も掲載された大戦前の東京無線通信部
轍を踏まない様、PSAの検査は、是
の機構中大切なキャップの記入を洩ら
非とも行なって下さい。血液検査を受
していたのが、ひどく気になっていま
ける時、「 PSAの検 査もお願い しま
すので、機会をみて追加頂ければと存
す」の一言で良いのでから。
知ました。
次の通り追加賜り度、お願い申上げま
榑林
敬一
す。追加は、「部長」野口 謙也です。
会報「むせん」を愉しみにしていま
(編集担当:
「むせん」66号のページ
す。皆さんのサークル活動の記録や写
94の組織図に追加して下さい)
真を見て元気を貰っています。
ここ数年体力が衰え東京方面の集ま
蔵並
菊雄
りに出席できなくなりました。相変わ
加齢に伴い歩行が不自由になり、苦
らず月1回慢性病の薬を貰いに医者通
労しております。
いをしていますが、何とか元気に過し
(蔵並菊雄様は平成22年12月20
ています。健康維持のため1日30分
日、溺死のためご逝去されました。こ
程度の散歩を心掛けています。
こにご冥福をお祈り致します。編集責
任者)
黒田
和夫
会の情報をメールでいただいており
栗本 侃爾
ありがとうございます。住所は茨城県
相変わらず田舎(御蔵島)の家と東
古河市で、宇都宮線沿線のため、千葉・
京の家を行ったり来たりしながら過し
茨城の懇親会へ足を運べず申し訳あり
ています。体の方も今は安定して、ず
ません。埼玉への勤務が20数年で退
っとこの状況が続くよう頑張っていま
職までいたものですから、つい埼玉へ
す。
足が向いてしまいます。また
埼玉地
区の、齋藤さんのご厚意により埼玉の
栗原
喜一
懇親会に参加させてもらっています。
○地域貢献活動:地域活動は、ガン
今後とも、会の情報をお願いします。
の宣告を受けた年度に総て辞しました。
○近況だより:いつもお世話になって
後藤
います。お蔭様でガンとの共生も10
- 61 -
茂男
以前にも書いた記憶がありますが、
町 会 活 動 に 入 っ た き っ か け は 、 2001
もでるようになりました。民有地から
年 NTT-ME 在籍中にパソコン等を売
伸びてきた竹も綺麗に竹林として整備
り込んだ所、当時の町会長から、ホー
した結果、孟宗竹や真竹のタケノコも
ムページの立ち上げ、パソコン講習会
たくさん取れ、皆で楽しいひと時を過
の開催、一般開放用パソコンの設置、
ごしています。ボランティアというと、
Web に よ る 監 視 カ メ ラ の 設 置 を 相 談
大変なように感じる方もいらっしゃる
され、商売になるならと軽い気持ちで
かもしませんが、健康と地域のつなが
引き受けたのがきっかけでした。2年
りは私にとって、無くてはならないも
間に亘り、Web カメラやパソコンを初
のになっています。
めプロジェクター等の受注をいただき
ましたが、ホームページの維持・運用
後藤
を理由にどっぷり浸かってしまい、現
実
○地域貢献活動:一千所帯の団地で、
在まで役員をやっています。現役と東
自治会の事務局長をやっています。そ
京勤務を理由に会長だけは、断り続け
ろそろ足を洗わないと、自治会長をな
ておりますが、昨年度(22年度)か
んて言われかねません。35年前に出
らは会長代行として地元企業勤務の会
来た団地ですから、こちらもご多分に
長と二人三脚でやっています。地元町
もれず高齢化が進み自治会活動もまま
会長会(連合町会)のメンバからも、
なりません。今は、輪番で回ってくる
いつになったら町会長をやるんだ!!
班長さんの仕事の軽減に取り組んでい
と期待されているようですが、今年度
るところです。
限りで引退したいと考えていますが。
○近況だより:最近、禁煙外来に行っ
どうなることか。また、町会業務の傍
てタバコを止めました。タバコを吸う
ら、住宅団地斜面の草刈り活動にも力
と美味しいと言う信号が、脳に行かな
を入れてやっています。入居当時は綺
いようにする薬を朝晩飲み続けます。
麗な斜面だったものの、雑草・ススキ
意外と簡単に止めることが出来ました。
の原そして竹も生え出して葛がからみ
百薬の長は相変わらずです。
どうしようもない藪になっていました。
そんな中、1名の人が一部ではありま
小林
昭男
すが一生懸命に草刈りをやっているの
○地域貢献活動:当地に越して以来
を見て自分もやろう!と一緒に草刈り
8年間地域活動に参加、3年前に引退
を始め、今では22名が登録し、毎週
しました。おかげで地域の人達との交
14~15人が活動するようになり、
流も図られ、この地に溶け込むことが
市からも公園として位置づけてもらい、
できました。
公園愛護団体としていくらかの補助金
○近況だより:健康状態は、あまり良
- 62 -
くはなく現在通院加療中です。電友会
職者の会」の、地区協連絡員として会
ハイキングクラブに参加していたので
員へ情報誌の手配りやサークル計画等
すが、体調の関係から休止中です。
のお手伝いをしています。 2.健康・
感想・エコ取組み等々:古稀を迎え、
小林
健一
残す人生も少しづつ先が見え出しまし
今世紀最大の地震が太平洋沿岸を広
た。元気な内に、遣りたい事を整理し
範囲に津波が襲い、私たちの記憶に深
ながら楽しみたいと思っています。ま
く刻みつけられる日だ。日本観測史上
た、支部役員定年制の導入が話題にな
の超大災害となり、その3月に85歳
っていますが、私にはまだ暫らく先の
を迎えました。顧みると、NTTに入
ことの様ですので、微力ですがガンバ
り半世紀以上を過ぎ、大半を無線に関
ってお手伝いさせて頂きます。
わる仕事に携わることが出来たことを
感謝しております。そしてフリー生活
小山
和男
15年になり、未だに関東病院通い。
現役時代は、健康の事など考えるこ
お陰で健康維持が保たれ、老化生活の
ともなくすぎてきましたが、退職して
一助になります。しかし加齢による劣
初めて自分の病気や体力、人生など考
化は種々に出て、経済情報等の外来語
えが及ぶようになりました。具体的に
に、新しい熟語に解らない事があり、
は70歳を過ぎて体育館に通い健康造
また体力は高尾山行がバロメーター、
り、体力、筋力の強化に毎日2~3時
能力維持とぼけ防止にPC、囲碁、カ
間の努力をしております。その結果、
ラオケを楽しんでおります。この度の
ここ数年は風邪を引くこともなく、医
地震後、TV画面で余震情報が出ると
者や薬局を訪ねることもなく、元気に
ピクリとし、指定の場所に身をすくめ
過ごしております。今後どのくらい続
ることが日常の中に入り込んだようで
くかわかりませんが、頑張ってみたい
す。これからも、一日一日を大事に楽
と思っております。
しく過ごしてゆきます。
近藤
小林美奈子
健児
○エコ生活
皆様にお逢い出来るのを楽しみに
(1)ウオシュレツト
に外部タイマーを設置、
しております。どうぞ宜しくお願い致
PM10:00~AM6:00 SW OFF
します。
20wh×8H×30(日)×12(月)
=57.6KW/年。
小林
年間 57.6kwhの節減
秀行
1.地域貢献活動 :「NTT労組退
(電気代
- 63 -
57.6×23 円=1325 円)
(2)TV 等家電製品の主電源を OFF.
ら、月一回は、30年以上お世話にな
っている医者の検診を受けていますが、
斉藤
兼雄
特に異常もなく、日課となっている江
今年4月1日付で、なんと名誉会員
戸川での朝のウォーキング、趣味の釣
の称号を頂きました。
「え!」
「私が?」
りに行く土手の登り下り、また、NH
と一瞬戸惑いましたが、付帯事項に「あ
K朝 9°55′から5分間ですが、テレ
と3年は会費を納めろ」とあり納得、
ビを見ながら(みんなの体操で)、体を
つまり「仮免許」ということです。数
ほぐして足腰を鍛え頑張っております。
年前、かかりつけの医師から心疾患の
宣告を受け、それ以来「あれも駄目、
齋藤
隆
これも駄目」との駄目づくしで、生き
謹んで3.11大震災のお見舞を申
ている意味を失ったような時期もあり
上げます。とにかくビックリしました。
ましたが、周囲の方々からの経験談や
死者 7,000 人、行方不明 19,000 人、避
ご忠告などにより、このところ、体調
難 40 万人超の報道(3.18 現在)を目
は少し落ち着いてきました。しかしな
の当りにしたとき、言葉も無く失意と
がら寄る年波、そこら中に「ガタ」が
悲痛に満ちた被災地からのTV報道に
きて何時リタイヤするか見当も付きま
接し、タダタダ呆然とし、時には涙が
せん。まず此処までこられたのが奇跡
にじみ心が痛みます。
だと思っているところです。
私に は何 も 出来 ませ ん 。「節 電 」 と
そんなわけで地域貢献など思いも
よらず、周りの方々に余計な心配をか
「募金」と日々の生活での「我慢」し
か思い浮かびません。
けないよう気を配っています。平成2
計画停電では、ハイテク家電の弱点
4年は私の干支、
「辰年」です。これま
を思い知らされました。電気が無いだ
では、この7回目の干支を目標に何と
けで ・お風呂が沸かせない。
・ガスス
か持ちこたえてきましたが、予想もし
トーブが点 火しない。・多機能電 話機
なかった仮免を頂いたのでもう一度目
(FAX)が使えない。
(古い電話機を
標を切り替え、本免取得を目指して一
引張り出しました。)・テレビが見られ
踏ん張り頑張って見ようと思っていま
ない。・コタツに入っても寒い。・便座
す。
が冷たい。
・暗くて、余震の揺れが一層
不安。等を経験しましたが、日頃如何
斎藤
隆房
に贅沢な生活をしているか思い知らさ
私は、今年干支で84歳になりまし
たが、老いても元気で日々楽しく過ご
れました。しかし、停電はたった3時
間です。
しておりますが、とは言え年令ですか
- 64 -
このことは笑い話にして、これから
も我慢しましょう。
役員、菩提寺(焼失)建立の建設委員、
それ にし て も米・水 ・ パン 等の 食 料
その間に付合い程度のゴルフと一寸欲
品・ガソリンの買い溜めの動きには、
張りに忙しく過ごしております。でも、
ビックリです。冷静に対応したいもの
人間、適度な心配事、ストレスと刺激
です。被災した方々を思えば、何でも
が必要なのかも知れません。あったほ
我慢出来るはずなのに。
うが良いのかも知れません。脳ミソが
福島第一原発事故の命を賭けた自
退化していくよう気がしてなりません。
衛隊・東京 消防庁レス キュウ隊等 の懸
命な注水作業や大きな余震が続く等、
佐藤
栄
不安もありますが一人ひとりが苦しみ
年々、月日の過ぎるのを早く感じる
を共有し、譲り合い・助け合って、力
と、歳をとったと云われ季節の移り変
を合わせて一日も早い復旧を祈るばか
わりが目につくようになるようですね。
りです。そして、長い長い道のりとな
春になったら何かしよう、秋にはと計
るでしょうが、官民協力して全員で、
画を立てても思うようにできず、ただ
復興を成し遂げたいものです。私事で
季節のみ先に行く感じです。近年は気
は、電友会役員4年目です。
候の温度変化の異常が続き、個人の反
身体は、大分ガタが来ていますが、ま
応も鈍くなり、冬の寒い間は動かない
ずまず健康なので肩に力を入れずに自
のがベストと考え家にこもっています。
然体で、もう少し頑張りたいと思って
無理せず、ほんの少し頑張っています。
います。
佐藤千代五
坂井
博
色々とお世話様になります。大変お
孫とWORDで花やアニメを書い
ています。
知らせが遅くなりまして申し訳御座い
ません。主人は平成22年6月10日
に他界致しました。皆様方には大変長
桜井
浩
い間お世話様になりました。有難うご
私もサンデー毎日となり、早いもの
ざいました。大変簡単で申し訳御座い
でもう少しで2年になります。当初は、
ません。皆様方の御健康をお祈り致し
情報に疎くなるような気がして孤独感
て居ります。(佐藤千代五内)
に苛まれました。誰もが経験するんだ
と言い聞かせながら、週1のパソコン
塩沢
惇隆
講座、週2の健康センターでの健康維
永年の脳梗塞の余病のため困って
持、農園での野菜つくり、月2のステ
おります.右脚痛、排便不良あり、脳
ンドグラス研修等々、その他自治会の
血栓再発で只今入院中です。
- 65 -
市東
峻茂
る方には、資料を提供します。②古代
近所の6人で農家から畑を借りて野
天皇陵の聖定(出版)神武―桓武(5
菜作りを始めました。今年は天候が悪
0代)まで完結していますが、出版不
く、夏は雨が降らず、雨が降り出した
況で足踏みしています。寿命との競争
ら中々止まず、畑で野菜が泳いでいま
です。
した。スーパーで野菜が高くなってい
るときは我が家も出来が悪く、中々う
白井
静明
まく行きません。素人集団であり、あ
○地域貢献活動:地区社会福祉協議
れが良い、これが良いと言いながら楽
会会長を引き受けて、地域の要授護者
しんでいます。でも「じいじ」と「ば
(独居高齢者、身体障害者、母子等)
あば」の二人では食べ切れませんので、
世帯の支援活動のため、多くのスタッ
隣近所や、子供のところに配っている
フ(民生委員、推進委員、町内会長他)
此の頃です。
と共に福祉事業・企画運営のボランテ
ィア活動を行っています。○近況報
澁澤
良光
告:年齢相応の体力だと思います。多
○地域貢献活動:環境衛生委員の任を
くの方々との交流で頭と身体を動かし
解かれたが、今度は自治会長に地区
ているためか医者不要の生活です。
「病
連合会も担当するため、約 500 戸に
は気から」で「気」を大事にしていま
ついての地域活動に参画。
す。中々時間の余裕がなくて皆様と顔
○健康その他:相変わらず足腰は不調
だが、日常活動には支障なし。
を逢わせることが少なく申し訳ありま
せん。
3.11 東北・関東大震災の被災者とし
て、福島県双葉町のご家族が自治会
新海
一
内のコミュニティセンターに一時
地域の自冶会活動を多少行ってい
避難。何とかリラックスして暮らし
ます。社会保険労務士事務所を細々と
ていただければと努力中。1~2ヵ
経営しています。
月の滞在らしいが、厳しい状況下で
の住居であり、不慣れで反省が無い
新藤
よう努めたい。
元章
○地域貢献活動:在職中は、会社の
為に知恵と体力を精一杯使い、以後は
渋谷
茂一
家庭と地域の為に生きたいと考えて来
本業と余技の総まとめ中です。①地
ました。子供も独立し妻と2人で肩寄
デジTV用 ITアンテ ナ実用化。(特
せあっています。小山市中央公民館を
許・意匠取得)事業化の起業意志のあ
拠点にして、趣味のビデオを軸に行政
- 66 -
TV・小学生などへの指導・地域公民
員等いろいろなボランティア活動を行
館支援等に取り組んでおります。
っていましたが、いまは社会の邪魔に
本年2月に行はれた中央公民館祭り
ならない様静かに生きたいと思ってい
(参加84グループ・観客動員数 4 千
ます。
人超)では、実行委員長の責を負いま
(鈴木秀明様は平成22年11月14
した。昨年は副実行委員長でしたから、
日、肺炎のためご逝去されました。こ
双六なら上がりですね。自治会活動で
こにご冥福をお祈り致します。編集責
は、以前広報担当をしておりましたが、
任者)
今年度から理事と地域公園愛護会会長
を担当する事となり、趣味の時間減小
巣山
に苦慮しています。
昭二郎
自覚症状は全くありませんが、高血
圧と糖尿病で毎月1回病院通いです。
杉浦
鈴男
また最近は足の古傷のため長く歩くこ
健康維持は一生の取組、栄養、運動
とはできません。
に心掛けることが大切。
最近は薬学の進歩により病になにがし
関
政雄
○地 域貢 献 活動 : (1).高齢 者の 給 食
の効果を持つ薬は有ると言われる。
しかしおそろしい副作用を伴うことも
サービスは、ボランティアからスター
忘れてはならない。そこで治療より予
ト(S30~)したが、社会的要請の変化か
防に心する毎日を送っています。
ら区の依託となり、内容も調理配食か
ら配食のみとなり、更に業者の弁当へ
須田
泰右
と変換したが、ボランティアとしてこ
お陰様で元気にやっています。我が
のサークルに参加、週2回のサービス
家のエコ対策としては白熱電球から電
を提供(H8年~)。(2).高齢者福祉対策
球形蛍光灯に取替えつつありますが、
として新しく発足した「見守り訪問員」
皆様のエコ対策を参考に色々省エネに
(区)の依託を受け、月3~4回の巡回
つなげていきたいと思います。仕事を
訪問を続けている(H20~)。(3).社会福
離れ時間の余裕もできましたので自分
祉協議会の活動資金の一部として、区
流に楽しくやっています。
民が蒐集した使用済み切手を整理する
サークルを主催している(H7~)。(4).
鈴木
秀明
マジックサークルのメンバーとして幼
老齢のうえ坐骨神経痛もあり1日
稚園、学童クラブ、高齢者福祉施設を
の大半をベッドの上で過ごしています。
慰問する交流活動に参加(H8~)、昨年、
80歳までは、町内会等や神社等の役
念願の100回を突破、高齢者センタ
- 67 -
ーに新しくクラブを発足(H19~)させ、
んでした。会報「むせん」に目を通し
生き甲斐づくりと合せて慰問ボランテ
ますと入社当時の先輩、同僚、後輩の
ィアを活発 化している 。(5).花 い っぱ
名前が目に止まり、当時の職場を懐か
い 運 動 (S30~ )の 一 環 と し て 高 齢 者 セ
しく思い出されました。2人の息子は、
ンターの局舎まわりの除草、草花の植
社会に自立し一安心です。孫が2人お
え付けから手入れ全般にわたり、月2
りますので成長が楽しみです。
回の作業を実施している(H21~)。
約9年前に胃癌を患い再発はありま
○近況だより:懸命の努力をしていた
せんが体重が減りました。毎日、体力
歩行も次第に短縮、万歩計も要らない
の現状維持を努めております。
状態だが、自転車の運転に不安はない
ので、体調に合せながらも趣味を活か
髙尾
して、いくつかのサークルに入り、ボ
ランティア活動に参加している。
忠男
○地域貢献活動:同居している長男
夫婦の子供(孫)が、長男の通った小
学校に通学し始めたのを機に、登校時、
関川
欣治
家近くの変形6叉路に立ち、交通整理
7度目の千支の歳になりました。お
を始めて3年目となりました。始めの
陰様で元気に独り暮らしを楽しんでお
頃の登校列は暗ら~い、まるで葬列へ
ります。出来るだけ毎日歩くことを心
参加の印象でしたが、私の方から大き
掛けています。6~8千歩を目標にし
な声で挨拶を仕向け、最近では多くの
ていますが、なかなか常に達成という
子供達から大きな声で挨拶が返ってく
訳にはいきません。又、新しい事への
るこの頃です。中にはハイタッチを楽
挑戦も忘れず心掛けています。
しんでくる子供もいるようになりまし
た。節分には鬼のお面を冠ったり、ひ
関根
敏明
な祭りには雛人形の鉢巻、ハロウイー
○地域貢献活動:杉並区シルバー人
ンにはかぼちゃの大きな帽子を、また
材センターの会員となり、区の児童館
クリスマス時には髭をつけたサンタに
管理業務を行っております。子供たち
変身して子供たちを楽しませておりま
を見ておりますと孫の行く末を見てい
す。昨年は都合の悪い日を除き180
るようで楽しく思います。○近況だよ
日余交叉点に立ちました。下の孫が幼
り:H22年12月無線同期生から「電
稚園の年長さんなので、彼が小学を卒
友会」の入会案内あり、入会しました。
業するまでは頑張りたいと思っており
NTT ネットワークの組織が無くなり、
ます。
これまで NTT 所沢営業におりました
め始めたジョギングが嵩じて、最近は
ので、
「電友会」の有無さえわかりませ
マラソンに嵌っております。近年は海
- 68 -
○近況だより:登山訓練のた
外での観光マラソンを楽しんでおりま
見えられ、一段と緊張感が高まりまし
す。これまでホノルル、ゴールドコー
た。私は古市監督より吊上げ中の鉄塔
スト、バンクーバ、ローマ、近くでは
の撓みを監視するよう指示され、トラ
慶州、香港などを楽しんできました。
ンシットの焦点を鉄塔柱に合わせ終始
今年は、スイス山麓のマラソンを走り
監視を続けました。幹部の方も何人か
たいと思っております。
トランシットを覗きに見えられたのを
記憶しています。作業は無事終了しま
高岡
泰資
したが、三菱作業員の統制のとれた仕
○地域貢献活動:体調不良のため2
2年7月から「いきがい大学」理事、
事振りと厳しい指示は今でも忘れられ
ません。もう半世紀以上前の昔話です。
ハイキング部長を辞退致しました。○
近況だより:原因不明、自覚症状無い
高橋
まま、診察の結果「すい臓が悪い」と
要
趣味で家庭菜園をやっていますが、
のことです。皆さんも平素健康だと思
昨年、新聞で「ミラクル
っていても、十分注意してお過ごしく
ワーリーフ」の記事を見つけ、エコに
ださい。旧友会の皆さんには、大変お
も良く栄養もあるとの内容だったので
世話になりました。感謝申上げます。
苗を取り寄せ栽培してみましたので紹
エコ野菜
パ
介します。
高木
邦寛
・エコの面:二酸化炭素の吸収性が極
平穏に過ごしています。2-3Kmの
ウオーキングと家事手伝いの毎日です。
めて高く、地球の温暖化防止に役立つ。
・栄養面:カルシウム、銅、マグネシ
ウム、亜鉛、鉄等を含み健康に 良 い。
高波
昇
・栽培:つる性で日が良く当たる場所に
「今昔物語」東端の局舎全景写真、
懐かしく拝見しました。
鉄塔上のアンテナ群のうち
植えればどんどん伸び虫もつかない。
・収穫&食べ方:葉が5~6cm になっ
円海方向
たら収穫し、おひたしや味噌汁、天ぷ
のパスレングスアンテナにはこんな想
ら等にして食べる。つるがどんどん伸
い出があります。昭和28年夏炎天下
びるので人の背丈以上にしない様芽を
の中、三菱の作業員によってアンテナ
つんだ方が良さようです。収穫時期も
の組立、設置工事が行われました。開
夏から秋まで楽しめます。
口面4m×3m重量4トンの大きなア
今年の冬は寒さが厳しかったので春
ンテナです。特に鉄塔への吊上げ作業
に芽が出るか気にしているところです。
は慎重の上にも慎重に進められました。
当日は本社の幹部の方々も多数視察に
興味のある方は一度試してみてはい
かがでしょうか。
- 69 -
高橋
袈裟義
近隣の道路掃除を実施しています。
最近、テレビで見る各地の里山の原
○近況だより:お蔭様で元気に過ごし
風景に心が癒されます。昨年より町内
ております。相変わらず、ジャガイモ、
会の生活環境部で頑張っています。
ねぎ、大根、ブロッコリー、菜の花、
エシャレット、明日葉など、野菜作り
高橋
重雄
をしています。河川敷でのゴルフは飛
健康維持を目的として、朝の通勤時
距離が年毎に落ちてスコアアップは期
は地下鉄を二駅前に降りて、速足で歩
待薄です。公民館の寿学級や近くの高
くよう心がけております。休日も同様
校などの開放講座にも参加してリフレ
に、用事のある時はなるべく乗り物を
ッシュしています。
利用しないで歩くようにしております。
趣味は現在「セツコク」を中心として
高山
尚
手間のかからない着生ラン系を栽培し
本年3月31日に45年間の勤めが
ておりまた秋は野山の散策も兼ね相変
終了できます事は、大勢の諸先輩のお
わらず「キノコ」採取にも継続して出
陰です。感謝申上げます。有難うござ
かけております。
いました。
今後は実家での農作業と昨年7月に生
高橋
民雄
れた待望の初孫の世話など、のんびり
○地域貢献活動:総選挙の投票立会
した生活を楽しみたいと思います。東
人や小学校の学習支援の依頼があり、
京にも年1~2回行きたいものです。
楽しんで参加しております。○近況だ
より:退職時に家族から自転車のプレゼ
滝沢貞男
ントがあり安全走行で楽しみ、又、友人
達と山に登ったり電車を使った一筆旅
狭心症と足が悪く歩行困難です。皆
様方の健康をお祈りいたします。
行も楽しんでいます。
田口
高橋
洋康
農雄
森林インストラクター東京会は、林
ゴルフも楽し、囲碁も楽し。講師で
野庁(窓口:高尾山森林センター)か
は人が育つのも楽し。健康であること
ら高尾山森林ふれあい推進事業を受託
に感謝しながら、日々楽しくやってい
して、年間約24イベントを実施して
ます。
います。自然観察会、森のハイキング、
クラフトなど多様なイベントに参加し
高柳
義雄
ています。また、インストラクター仲
○地域貢献活動:月一回、自治会で
間で登山の経験が少ない人が多く、毎
- 70 -
月第4木曜日に「低山はいかい倶楽部」
電化が功を奏して電気代は余り増えず
と称し、東京近郊の山を案内していま
にガス、灯油代が0円となり年間トー
す。
タル約14万円の削減となりました。
武井
清六
蔦
耕一
昨年、家族からの要望もこれあり車
○地域貢献活動:近隣の介護老人施
を手放し運転を止めたこと、電友会か
設に毎月日舞の踊りのサービス訪問を
らは名誉会員として頂いたこと。今春、
行っています。○近況だより:日舞を
後輩からドコモ同友会入会の勧めがあ
習って7年になりボランティア活動の
り、事務局に問い合せたところ80代
ため、憶えた踊りの披露に介護施設に
は僅少とのことから遠慮させて頂いた。
行き、老人達に楽しんで貰っています。
市の雀友会では最高齢者となったこと
私の仲間は総勢8名で、内7名は女性
など後期高齢者であることが実感させ
であり男冥利な状況になっています。
られている。これからはせめて気だけ
要介護の老人達に訪問の日を期待して
は若く、頑張っていきたいと念じてい
待って戴ける喜びに仲間共々うれしく
る。
思っています。益々芸を研き、より大
きい事業イベントに参加して行くつも
田中
潤一
りです。
血糖値 150、体重が10%多いほか
入れ歯が殖えましたが、あまり支障は
都築 靖明
ありません。ゴルフはほどほどにやっ
○地域貢献活動:朝の通学生の交通
ていますが、問題はネットの囲碁で、
指導を行っております。一年生のハン
のめりこんでいます。世界中の人とや
ドタッチは若いエネルギーを頂いてお
っていますが、国によって気質が違う
ります。○近況だより:いつの間にか
ようで、ついつい対局数多くなり運動
八十路の山を登り始めました。時の流
不足になりがちです。10年程前から
れの速さを感じております。先日、一
始めて現在、22.000 局ほどになってい
番身近の友 細野宗一君 が亡くなり何
ます。段級位は下がる一方で言わぬが
かポックリ穴があいた様です。思えば
花です。
中学生からの60数年来の友であった。
年と共に淋しくなる事が多くなってき
千野
里
ました。今は健康第一に過しておりま
古民家を耐震対策と絡めリホーム
す。朝夕、自然の多い近場の丘や川辺
して二重サッシと家電機器を思い切っ
を歩いております。体を動かした後の
て省エネタイプに代えました。オール
晩酌が楽しみの第一です。皆様の健康
- 71 -
をお祈り致します。
飽きもせず、ざっと10年あまりその
積算距離は約2万キロで、地球の約半
露木
利一
分を歩いたと自分に言い聞かせており
○健康:禁煙して1年やはり体重が
ます。
増加してメタボ状態となりました。
食改善とウォーキングを含めた適度な
長尾
運動をして体重をおさえています。
利一
比較的体は丈夫だと思っております
継続するのは難しく、なかなか目標の
が、最近は脳機能の低下で自笑する事
結果は出てきません。頑張ります。
が多くなりました。いろいろなグルー
○近況:毎日が平凡な日々で、月2回
プに参加して楽しんでおります。
程老人福祉施設に入居したおふくろの
訪問、近辺に移住してきた娘・孫の世
長岡
話、朝夕の少々のウオーキングで過ご
しています。
富男
1.地域貢献活動・残念ながら今の
ところ何の 活動も有り ません。・ 来る
H23.5.1 に(財)社会通信教育協会認
寺田
文彦
定の「生涯学習コーディネ-ター」資
最近は家にいるのも大変です。電話
格を取得予定ですので、その後本資格
応対めったに返事は出来ません。ボケ
を活かした何らかの活動ができるもの
度を調べているのでしょうか。体調は
と期待しています。2.健康・感想・
眼から始まり気になるところが段々多
エコ取り組み等々・昨年末、癌により
くなりましたが、通院、家事をこなし
胃腸と胆嚢の全摘出手術を受けました。
元気でおります。
昨年度 4 月から始めた「ウォーキング」
のおかげか、順調な回復です。毎朝 1
富田
千之助
時間程度の自主トレと週一回のクラブ
地域活動は、特にやっていません。
主催のウォーキング行事に参加してい
今秋の地区懇談会は、私事都合で欠席
ます。H23.1.1 に下記ホームページを
させて頂きます。健康は前回と同じで、
開設しました。
「東葛飾物語(ひがしか
高血圧症で(宇都宮)市内の病院に通院
つしかものがたり)」
しております。
URL:http://www9.plala.or.jp/yumeko
bo-nt 東葛飾の地域情報と少々の趣味
富田
文夫
を掲載したホームページです。
ほとんど毎日早朝ウオーキングをや
っております。何をやっても飽きっぽ
中嶋
い私ですが、早朝ウォーキングだけは
- 72 -
長重
昨年、6月右耳が突発性難聴となり
ましたが、4KHz以上の高域を除い
体調であろうと自負しています。昨年、
て大分回復したようです相変わらず、
70歳となり運転免許の高齢者講習を
野菜作りに汗を流しています。持地、
約2時間にわたり座講で改正された法
借地あわせて200坪余となりますの
令学習、視野測定や夜間視力測定、シ
で結構テマヒマがかかり、いい運動に
ュミレーション装備の擬似運転席でブ
なっています。特に、夏場汗をかいた
レーキ操作反応測定等を終え続いて教
後の風呂あがりの一杯がたまりません。
習場のコースで走行実技を受け何とか
年1回家族小旅行を行っています。昨
講習合格をもらい、今年1月に無事免
年は、松山道後温泉、和歌山白浜温泉、
許更新が出来ましたが実に腑に落ちな
高野山等廻ってきましたが、ネットワ
いのは免許の有効期間が4年とされ1
-ク化された高速道路、山々の残り桜
年短縮の意味がわかりません。家庭菜
の見事さに感嘆しました。
なお、昨
園を始めて9年目となりましたが、な
年6月電友会無線支部千葉・茨城地区
かなか頻繁に様子を見に行けませんが
の役員を退きました。3期6年、余り
これは歳のせいでしょうか。
役に立ちませんでしたが、皆様には大
いま少し暖かくなったら次の作物の為
変御世話になりました。世界の動きが
の土作りに邁進しようと思っています。
速くなり、日本もなかなか大変ですが、
ゆるやかに過ごしたいものです。
長瀬
日出夫
健康に過ごしております。
仲谷
光正
○地域貢献活動:地元公民館の行事
中村修二
である、健康ウオーキングの実行スタ
週末に自宅近くの海岸でサイクリ
ッフとなり10年目を迎えました年間
ングロードをジョギングしていますが、
7コースを設定し、1コース当たり下
年々遅くなるばかりで体力の衰えを痛
調べ等で3回歩き本番時には参加者が
感します。
100 名前後集まるので14名のスタッ
フで引率し12~13㎞を安全第一に
中村
快い空気を吸いながら楽しんでいます。
恒男
昨年は、高齢者叙勲の栄に浴したの
他には、公民館運営協力委員に選出さ
で、本年は感謝の気持ちを高齢者グル
れており定期的な会議等に出席し地域
ープの活動に集中したいと思っており
の発展に寄与しようと頑張っています。
ます。幸いにも我が家は一同無病息災
○近況だより:健康状況は可も無く不
にて、小生は目下、県生きがい大学O
可も無く毎日を過ごしています。毎日
Bに属しているので、過去20年の歩
晩酌を味わっていますのでごく普通の
みを振り返り「米寿の揃い踏み」を唱
- 73 -
え、専らその活性化に努力したいと思
いなかったことに気が付きました。み
っております。幹事の皆さんご苦労様
ーんなが長生きしたらどうなるか。年
です。電友会の益々の発展を祈ってお
寄りばかりになってどうしようもなく
ります。
なる。この宇宙も星が生れたり消えた
り、地球上の生物も同じような生態系
西坂
でバランスを保っている。このような
敏治
「年年歳歳花相似」「歳歳年年人不同」
バランスした大宇宙に生を受けた人間
体調は確実に劣化しています。しかし
だからバランスすることが必要なので
まだ手拭は絞れます。
す。自然のままに自然に任せて、自然
な心で過ごすことなんだと感じている
野口
ところです。悟りを開いたようなこと
理彦
昨年新聞の一節にアンチエージン
を言いましたが「言うは易く行うは難
グ(抗加齢)と云う言葉がはやり高齢
し」です。今の私は健康を害してOB
者間で、いつまでも豊かな高齢期を過
会にも出られないのはバランスを崩し
ごそうと云う趣旨で活動している事を
ているからです。心しなくっちゃー。
知りましたが、84歳しかも五体不満
足な我身が今更アンチエージングでもな
橋本
雅之
いだろうかと反問しつつ、何か年寄に
○地域貢献活動:冬季の生ゴミを自
しか出来るものはないかと模索した結
宅の庭へ埋設処理することにより地域
果、せいぜいボケ防止のため頭の体操
のゴミ収集費のコストダウンに若干貢
ぐらいしかないと思い昨年横浜シニア
献しているつもりです。
大学一般部へ半年間通い、頭の体操を
り:4月より完全リタイヤ、自適な身
してきました。
分となりました。家庭菜園の農園確保
今年 は卯 年 飛躍 の年 で もあ るの で 、
○近況だよ
からと忙しくなればなによりですが、
更に特別講座に挑戦し、残り少ない人
女房より買ったほうが安いと言われな
生を時の流れに逆らわず趣味と合わせ
いように励みたいと思います。
楽しみながらアンチエージングを心掛け
花田
ようかと考えています。
善春
郷里北海道の「ふるさと会」
(400 名)
橋本
応
の役員をやり10年になります。
【フィリピンの子ども達に生活向上、
年一回の総会と毎年10月の「産直
保健、教育ボランティア。印旛沼浄化
フエア」
(代々木公園B地区)を仕切っ
ボランティア。】長生きの方法を勉強し
ております。これらの準備等で月2回
ていたら、自分だけのことしか考えて
程度東京に出ています。案内状、資料
- 74 -
作りからまとめまで結構時間をとられ
〇地域貢献活動:地域貢献活動は遺憾
ております。
ながらほとんどありません。ただ、町
内会の文化祭には積極的に参加してい
羽石
英男
る程度です。今後は他の面でも色々貢
〇被災された方々へのメッセー
献したいなといつも思っている段階で
ジ:極寒の中津波で家を流され、原発
す。
事故など二重三重の苦労を重ねておら
〇近況だより:趣味の写真であちこち
れる被災者の方たちへ、ただ頑張って
野鳥を追って歩き回っているせいか 5
としか言えないもどかしさ。家を失い
年以上風邪も引かずに趣味に打ち込ん
家族も失った方が、自分の悲しみ・苦
でおります。歩くのは最大の健康法と
しみを顧みず避難所のリーダーとして、
信じ、昨年夏までは一日おきに約8Km
同じ被災者のとりまとめや介護などに
を歩いておりましたが、あまりの酷暑
尽くされている映像を見るたびに頭が
に家内からストップがかかり、途中で
下がります。募金活動準備中とのこと
行き倒れになったら困るとやめさせら
ですので、
「貧者の一灯」をと思ってお
れました。いずれ再開予定です。
ります。遠方の県からも大勢の支援者
が駆けつけ献身的な活動をされており
馬場
ます。こういう悲惨な状況で人は何か
利昭
○地域貢献活動:町会の役員として、
してあげたい。と考えるものと思って
地域活動を行っています。○近況だよ
おりましたが、どこかの知事が「天罰」
り:最近は寒さが厳しく感じられる様
と放言したそうですが、言語道断いっ
になり、健康維持のため暖かい日には
たいこの男は人の心を持っているの
30分~1時間程度の散歩で体調を整
か?と怒り心頭に発するというところ
えています。
です。そんな中20日の OCN のニュ
ースで、石巻で80歳のおばあちゃん
林
憲男
と孫の15歳の少年が、瓦礫の中から
お陰様で健康に恵まれ、元気に過し
救助されたとありました。本当にうれ
ていましたが、80歳の声を聞こうと
しいことです。まだまだ望みを捨てて
したら、途端にあちこち不具合が出て
はいけないと言うことですね。極度の
きました。まあ、歳を取るとはこうゆ
物資不足の中、少しでも協力をと車を
う物かと楽観しています。新しくエコ
使うのは一切やめており省エネに真剣
取組みの項目がありましたので簡単に、
に取り組んでおります。被災地が一日
住宅用の太陽光発電が昨年7月中旬か
も早く復興実現できるよう祈っており
ら稼動しました。
ます。
カ ナ デ イア ン ソ ー ラ ー の 単 結 晶 (190W
- 75 -
×18 枚=3.42KW
1ケ月最大出力予
ております。
定 = 366KWH)で す 。 約 半 年 の デ ー タ
しかし、今回は健康だ!なん
ですが電気料金を総合して月額約1万
て・・・・・3月11日に起きた、東
円の節約になっています。10年間で
北関東大地震、1000 年に1度とも言わ
120 万円の節約では、10年で設備費
れ、誰もが経験したことのない、また、
を賄うには不足しそうです。しかし、
味わった事のない大災害!!被災され
気分的には非常によい設備です。昼間
た皆様方には心よりお見舞い申し上げ
の発電量は使用量より多いので1ケ月
ます。また、関東電友会でも支援物資、
約 100KW(4,800 円相当)の電気
募金活動を準備中とのことで是非とも
平均
を東京電力に買取って貰っています。
協力させていただきます。
退職後も支部の催しを通じて元気な
皆さんとお会い出来たり、会報で近況
原
が分かるのは有難い事です。支部幹事
邦男
退職後、余暇で始めた陶芸も二年が
皆様のご努力に感謝しています。
過ぎましたが、器の形や釉薬の色合い
○地域貢献活動:新中野町会の環境部
が思うように出ず、あらためて陶芸の
長と分区長を仰せ付かり、町内のクリ
難しさを感じた一年間でした。
ーンキャンペーン活動及び町内公園の
今年は、今までの経験を生かし納得の
フラワーメイクを担当しています。
ゆく作品が出来るようにもう少し頑張
りたいと思っています。
林
義昭
最近家内の病状が進んで、殆んど毎
針貝
日行っている食事介助とおやつ迄の付
光平
前号に続いてまた自転車で恐縮です。
き添いが、段々と難しくなってきまし
去年の暮れに自転車で転倒し肋骨を痛
た。そんな事情で昼間の会合に出られ
め接骨院に通っています。冬季の乾燥
なくなってしまい、ご無沙汰を続けて
と患部への貼り薬の相乗作用でしょう
います。私自身は元気でないといけな
か背中が痒くて困っています。適度の
いので努めて明るく頑張っています。
湿度の春が待たれます。症状は大分よ
くなりました。東端(TRC を含めて)
萩原
正義
には以前約20年通勤しました。その
○近況だより:相変わらず元気でお
後、転勤を機に30年程ご無沙汰にな
ります萩原です。今年3月で日本コム
ってしまいました。その間に退職があ
シスを完全退職になります。土曜日・
りましたが、東端(無線)の跡あたり
水泳、日曜日・ソフトボールを楽しみ
に建ったといわれる六本木ヒルズ森タ
にして、いたって健康で毎日を過ごし
ワービルの展望台に3年ほど前に行っ
- 76 -
たときのことです。六本木は大きく様
夫々社会人となり、東京に住んでいま
変わりしていて地下鉄を出ると今様浦
す。年に1,2度は孫たちの顔を見に
島太郎さながらでした。何人かに聞い
行きます。与えられた余生、いつまで
たりしてやっと展望台にたどり着きま
持つかわかりませんが、自分なりに楽
した。展望台から東端の跡を探しまし
しく過して行きたいと考えています。
たが、判りませんでした。
「むせん66
号」に東端跡地の記念碑の写真が載っ
平島
一郎
ていますが、また同タワーに行く機会
81歳になり年齢相応に体にガタが
があったときには記念碑が見られたら
来ました。病院通いが多くなり、若い
良いなと思いました。
時には思いもよらない程になりました。
現在ペースメーカを取り付けておりま
東出
辰二
す。人間の生き方に対しても体の様子
年齢に相応して元気です。
姫野
により変わってきましたこの頃です。
清一
広瀬
九州の温暖な地方も昨年以来の異常
包
サッカーJリーグも発足19年目、
気象とあわせて家畜伝染病(口蹄疫)、
今年は、柏レイソルもJ1に復帰、私
渡り鳥による鳥インフルエンザ発生、
ども夫婦もサポーターとして指定席を
加えて今冬の霧島連山(新燃岳)爆発
購入して観戦するのが唯一の楽しみ、
噴火等々続いています。私の住んでい
発散しています。
る大分市では直接的には殆んど被害等
なかったことを報告します。健康状態
府川
金次郎
は、年齢なりの健康か?毎月定期的通
どうやら息災に過ごしています。懐
院(循環器科、泌尿器科)投薬、検査
かしい方々の近況だよりを楽しみに待
等を受けています。日常生活には全く
っています。
支障なく、趣味の園芸(果樹栽培、野
菜作り)、ウオーキング、週2回のグラ
福島
利雄
ウンドゴルフ等の軽い運動で体調維持
私の近況:2010 年 11 月を迎え少し
を図っています。少しばかり気がかり
寒くなりましたが、何とか元気に過ご
なことは前立腺癌の疑いがあり(PSA
しております。一人暮らしで朝夕アル
値高い)いずれは何とかしなくてはと
コール飲物に親しんでおります。妻が
考えています。同年輩や自分より若い
亡くなって9年半、息子(筑波大教授)
方の訃報に接するたびに順番が刻々と
と娘(横浜市)は、毎月一回やって来て
近づいているのを感じます。孫3人が
仏壇の前に行きます。私は、最近読書
- 77 -
を殆どしないようになりましたが、囲
○近況だより:健康維持のため軽くて
碁だけは続けております。また、日常
も継続した運動と近くの「ジム」で泳
自転車で外出して買物等を行っており
いでいます。週に2~3回、1回に7
ます。太田窪23夜の沼を中心とした、
~800m泳いで、一年で7万mにな
広々とした風景の中にある公園のよう
りました。無理をしないで、ゆるゆる
な所へ行き、好天の日は午後は良く代
と人生を楽しみたいものです。
山町野田記念公園へ行きます。浦和の
常盤町から国道 463 号線・草加行へ入
藤平
ります。国鉄の上から産業道路・花月
幸子
この一年、伝統文化子供教室(茶道)
通りを横切り、中尾陸橋(下は幅広の新
のお手伝いをいたしております。対象
道)を越えて、原山から芝原の広い通り
は概ね小学生です。皆さん覚えが早く
を行き、新見沼通りを東進して、広い
て一年で堂々とお手前ができるように
風景を眺め乍ら進みます。安行のよう
なりました。嬉しい限りです。これを
な村の中を走り、旧日光街道を浦和学
機に是非とも茶道を継いで欲しいと念
院高校の近くを通って野田公園に入り
願するところです。日頃、健康優良児
ます。大体、午後3時頃に着きます。
の如く思っておりましたら、風邪から
コーラを飲み 10 分程居て帰ってきま
肺炎を患ってしまいまして、冬ごもり
す。帰路は、3通り程ありますが、風
の日々を送ってしまいました。暖かに
が出て少し向い気味に西空を眺めて進
なりましたら、あれもこれもと計画だ
むことがあります。帰宅は、16時少
けは山積で、4月末に東北地方へ1週
し過ぎて、酒の肴を準備して入浴し、
間花めぐりを予定していましたところ
出てから缶ビール1本と日本酒を少し
今回の地震です。余震は続きますし、
飲みます。五反田の(関東逓信)病院へ
テレビは毎日状況を伝えて来ます。私
は、3か月毎に行き、眼科と皮膚科で
に出来ることがあれば、何でもお手伝
診断します。米寿は、5月です。私は、
いしたい気持ちです。災害にあわれた
内臓が丈夫で心臓は強い血統です。寒
皆様に心よりお見舞い申し上げます。
さに向う折柄、諸君も健康に留意して
そして希望を失わず、頑張って欲しい
下さい。
と願っております。
「公園の青草上に広げたる
藤井 一明
座敷飾るか散りゆく桜」さち子
○地域貢献活動:10年来のおもち
ゃドクター活動に対して、昨秋電友会
藤巻
より「第20回ボランテイア活動賞」を
頂きました。
実
東北地方太平洋沖地震によって日本
が大変なことになり、事態が落ち着く
- 78 -
には、まだ相当な期間かかるような状
星野 達也
況で、大変痛ましく悲しいことです。
おかげさまで83歳近くになりまし
私の居住エリアでは液状化現象が発生
た。幸いワイフも何とか無事ですが2
したところもあり、大きな被害が発生
人合せて1人前位のレベルの暮らしに
しています。私的な影響は、水道が3
なりました。このところ従来の生活習
~4日出なくなり、また当初対象外と
慣病に加えて、難聴気味となり不自由
された計画停電がありました。今度の
さが増して来ました。ご迷惑をお掛け
経験から、水の大切さ・節電の必要性
するかも知れませんが、もう暫らく頑
など、あらためてエコな生活を心がけ
張りたいと思っています。
ようと家族共々取組んでいます。
本多
二木
冶成
郁朗
ロードバイクとテニスで、健康管理
2012年4月のマルチメデア放
してます。健康貯金と名付けています。
送のサービス開始に向け準備を進めて
年をとって多額の失費の医療費を考え
います。ゼロからのスタートで苦労も
てのことです。ただし、冬の群馬は寒
多いですが頑張ります。
いばかりではなく、強風の為、ロード
バイクの活動が少なくなり、運動不足
堀内
武
がちになり、ストレスがたまり気味で
○地域貢献活動:老人会の役員も二
す。前回も書きましたが、最近多くな
年目に入り、市主催の高齢者スポーツ
ってきた前立腺癌防止には、効果があ
大会に出場したり、地区主催の演芸会
ると信じています。
にカラオケ出演、公民館対抗の囲碁大
会に参加する等、地域に溶け込んでい
丹羽
ます。
幹憲
今年 も健 康 第一 で頑 張 って いま す 。
○近況だより:無農薬野菜作りも3年
エコへの取り組みは、転居して15年
位前から、従来の半分に減らしました
目を迎え家電製品等が老朽化し、国の
が、季節の野菜は市販のものを買わず
支援を期待して冷蔵庫、エアコン、T
に何とか間に合っています。
V、車を更改しました。本当に省エネ
今年は、10年程前に植えた夏蜜柑
になるか不明ですが、懐はしっかりエ
が90個収穫できました。昨年は、10
コ化して、この先に大きな不安が残っ
個程だったので大豊作でした。昨年夏
てしまいました。
の異常気候のせいか、この辺の柑橘類
は、大豊作でした。
松橋
昭一
昨年6月から完全フリーとなりま
- 79 -
した。今は旅行やゴルフに行くのが楽
三品
光雄
しみで、あとは家でブラブラしていま
現在のところ元気に頑張っており
す。金沢区の「生涯学習の歴史講座」
ます。健康には特に気をつけて、手を
に入り、運営メンバーの一員として、
打っています。町内の70歳以上の老
講座の実施等に当っています。
人に色々の「チエ」をプリントして配
り説明して喜ばれています。今後も続
松本
芳郎
けたいと思います。
持病の腰痛とは仲良くしながら暮ら
す毎日ですが、今年はそれに新しいお
南
松市
付き合いが増えそうです。と言います
毎日、テレビや新聞で東日本巨大地
のは、友人の勧めで PSA を計ってきま
震のニュースを見るたび、巨大地震と
したが、昨年末、数値が5台となり、
大津波による被害の甚大さに驚かされ
新年早々に生検(細胞採取検査)を行
ます。被害者の皆さま、そのご家族に、
ったところ、ごく初期の段階のようで
心よりお見舞いを申し上げます。今回
すがガン細胞が検出されました。
の地震被害状況(3月20日現在)に
このあとの処置について担当医と
よると、死者と行方不明者は合わせて
相談中ですが、これも一度は通過しな
21,000 人に達しており、建物損壊は1
ければならない関所であると覚悟して
17,000 戸を超えています。
おります。
また、福島第一原発事故で放射能被
害への不安が広がっています。
松山
右次
緊急炉心冷却装置が運転不能のた
名誉会員の年齢になりました。介護
め、原子炉圧力容器内及び原子炉建屋
保険のお世話になっておりますが、元
内の使用済み燃料一時貯蔵プールの冷
気に独り暮らしの生活を続けておりま
却水が減ったことにより燃料棒が過熱
す。戦災や大地震にも直接の遭遇を免
し水蒸気が発生した。これによる放射
れて、今日があることを感謝しており
線物質の拡散を防止するため水の補充
ます。
が必要となり、海水を注入することに
なった。東京消防庁消防隊員や自衛隊、
丸山
実
発電所員が被曝量をにらみながら消防
元気に働いております。今年の暑さ
車両による放水作業を続ける一方、こ
にはまいりました。少しでも涼しくと
れと並行して外部から電源を引き込む
思い緑のカーテン(ゴーヤ)を家の周
工事も行われた。しかし、これだけで
り(1ヶ所)に育てましたが、水やり
は抜本的な対策にはならないので、多
が大変でした。
くの専門家が事態打開に向けて奮闘し
- 80 -
ているところだと思います。電源の回
かと思います。
復による状況の好転が望まれます。
また、これらの事故を受け、3月20
宮崎
武次郎
日の時点で少なくとも34都道府県が
二年前家の中で転倒し、背骨を傷め
15,800 人 余り の 被 災 者を 県 外 に 用意
杖を頼りの歩行です。現在、週一回リ
した避難所などに受け入れた。これは
ハビリセンターへ通って、回復に努め
被災者の生活再建を促す大きな力にな
ています。電車にも乗れず行動範囲が
ると考えられます。
限られ、少々気になっております。地
通信関係では、災害発生後携帯電話
利用者の発信急増などが重なり、東日
区懇談会が、近隣の電話局で開催され
ることになり、大変感謝しております。
本全域で通信規制が広がった。通信各
社は過去の災害を教訓に対策の充実に
宮代
努めてきたが、今回はその想定を上回
ったようです。
勝弘
現在 膝を 痛 め歩 行が 不 自由 です が 、
当日迄には快復すると思っています。
長時間停電を考慮した電源充実の
問題もありますが、今回実施した伝言
村上
芳昭
サービスは、過去最高で安否確認に大
○地域貢献活動:昭和58年以来25
変貢献したようです。今回の被害は未
年地元の江戸川区老人学校で書道教師
曾有のものであり、政府の震災対応は、
をしています。本年2月7日には統計
原子力発電所の事故・被災者の救援や
調査員として感謝状を受けます。
生活支援・電力不足・物流など危機が
○近況だより:小学校入学以来高低差
多岐に亘っており、しかも迅速な処理
100mくらいの峠を上下して通学し、
が求められています。
酒と煙草のやらない人生なので健康で
私達は、今回の被害状況や救難復旧
過しています。もの忘れはどうにもな
体制などから、いろいろな教訓を得ま
らないので困っています。明けて昨年
した。特に原子力発電については、設
5月に順天堂高齢者治療センターで検
備面や運用上他の発電方式とは異なる
診してもらったが、悪いところがない
高度な技術や問題点(電源・放射線等)
と言われました。
があることの理解を深めることが出来
たと思います。
森本
私達 が今 回 の被 災者 救 援に 対し て 、
正市
生涯 現役 。 大腸 癌手 術 後5 年経 過 、
少しでもお役に立てるものがあるとす
手術後の定期検診異状なし。今年から
れば、ボランティア精神を生かして募
登山に向けトレーニングを開始する予定。
金や節電などに協力することではない
- 81 -
矢尾板
和夫
簗瀬
妻の介護のため、いろいろの行事に
晴之
エコ取組:駅まで片道はバスに乗ら
も出席出来ず申し訳ありません。私自
ず歩いております。
身は年齢相応以上に元気で頑張ってお
ボランティア:
「2002ワールドカッ
ります。
プ横浜市ボランティア」に入って以前
は活躍しておりましたが、今は年一回
安井
健
の総会に行くばかりで暇がありません。
2010年の暮れに二人の娘を、一人
は結婚、二人目は婚約させ、妻と30
山口
孝久
数年ぶりに二人になりました。安堵し
昨年10月に禁煙に取り組み早や4
た気持ちと寂しさとで、何とも言えな
ヶ月を経過、特段の禁断症状もなく何
い気持です。これから何年続くか判り
十年もの喫煙習慣はなんだったのかと
ませんが仲良くやって行きたいと思い
自分でも驚いています。とはいえ、ご
ます。趣味のゴルフは中々思うように
他聞に漏れず体重が増加、今は体重が
は行かず、悪戦苦闘しています。今年
減るならタバコにもすがりつきたい心
も皆様に声をかけていただき精一杯頑
境です。
張りたいと思いますので、よろしくご
指導下さいますようお願いします。
山﨑
寛
「落葉散るこの人生の並木道」
安池
透
今年より入会させていただき1年
山崎
輝男
生であります。現役の頃から日曜百姓
昨年10月「喜寿」を迎えましたが、
をしており、今年もお米が 1600kg ほ
お陰で元気にやっています。この年齢
ど収穫出来ました。まだ当分は東京へ
になるまで生きられたことに感謝して
の通勤が続きますが、心身共に健康に
います。しかし、現在の日本社会には
他人貢献・社会貢献をしたいものです。
失望しています。このままの状態では
将来の希望もなく、長く生きることが
安田
義明
幸せなのか疑問をもっています。益々
就業中の駐輪場管理作業が満期と
悪くなる世の中を見たくないですね。
なり、人生2度目の定年を迎えました。
とは言え、今を生きなくてはならない
今後は家庭菜園とウオーキング(山、
ので、毎日を精一杯生きようと思って
名所)を中心に日々を送ることになり
います。
ます。
- 82 -
山下
義智
横川
忠雄
ここ数年来、焼き物作りに熱中して
相変わらず千葉県、海匝地区、銚子
いる。釉の掛け方が難しく、なかなか
市の老人クラブ役員で結構忙しく務め
満足するものは出来ない。しかし、窯
ております。当面の悩みは会員の減少
変に助けられてたまには素晴らしいモ
と、増加傾向の詐欺や交通事故に逢わ
ノが現れる。それが楽しみで今日も又、
ず、住みよい環境を確保して楽しく過
ロクロを回している。
ごす為に微力ながら仲間作りに精をだ
しております。体調は、血糖値と高血
山田
勝利
圧のため薬の力を借りて一進一退の継
地域活動では自治会役員として活動
続で奮闘中です。
(昨年10月に開
中です。健康面では農作業をして体力
催された「椎柴会」の模様を近況だよ
増強。エコでは野菜作りで自給自足を
りの末尾に掲載しました:編集部)
しています。
吉賀
山田
廣幸
敏達
圧迫骨折のため歩行困難、15分位
持病の高血圧・高脂血症や肺気腫で
しか歩けなくて情けない状況です。昨
薬の世話になりながら、日常生活では
年2週間入院しましたが、今は何とか
特に支障はなかったのですが、最近旅
健在です。新聞などルーペで読んでい
行中に左膝を傷め、カバーをしていた
る状況です。好きな本を見つけると買
右膝も悪くなり坂の多い横浜では杖の
いますが、殆ど半分ぐらい読んでは、
世話になりそうです。
放り出す始末。読まない本が重なるだ
冬になるとインフルエンザの予防
注射はありますが、ここで特にお勧め
けで、情けない。あまり気張らないで、
なるようにしかなりません。
したいのは肺炎の予防接種です(余り
知られていませんが)。1回の接種で5
吉田
年間有効です。是非どうぞ!
哲夫
○地 域貢 献 活動 :「 清 瀬自 然を 守 る
会」の会員として、都・市の緑地保全
山根
信義
地域の雑木林管理作業及び早春の雑木
80歳を過ぎると体の各部の機能
林に咲くカタクリの保護活動に参加し
が次第に低下したり、故障したりして
ている。
きます。毎日これらと気長に付き合い
○近況だより:75歳にして禁煙なる
ながらやっています。
か。昨年4月市内の病院で人間ドック
を受診した際に、この病院にも禁煙外
来がありますと紹介された。
- 83 -
禁煙外来は保健診療の対象であり、
んと一緒に和気藹藹と出来ることは有
12週に5回の通院で、診察時には息
り難いことです。昼食後はカラオケで
に含まれる一酸化炭素濃度の測定と医
腹筋運動?。
師の問診、アドバイスを受けることが
できます。禁煙するための薬「チャン
四ツ島
ピック」を7月11日から呑みはじめ、
光康
昔は健康だけには自信があったが、
7月18日から禁煙開始、10月1日
年を重ねるにつれて色々なところにほ
の最終診察で『卒煙証明書』を貰うこ
ころびが出て、とうとう一昨年は「首
とが出来ました。60歳の時に半年間
(頚椎)」、昨年は「脳動脈溜」と二年
禁煙した後に人間ドックを受けた結果、
続けて大手術を受ける破目になった。
どこも悪くないと言うことで、又タバ
特に「首」は“将来ゴルフができなく
コを吸いだした苦い経験があります。
なる可能性があるますよ”と医者に言
この原稿を書いている時(23年2月)
われ手術を決断したのにもかかわらず、
で、やっと禁煙7ケ月間でありますが、
術後の経過が思わしくなく、皮肉にも
今回は25歳から50年間の長き付き
手術によりゴルフが出来なくなった感
合いのあったタバコとの縁を切りたい
じで、すっかり健康に自信をなくして
と考えています。
しまった。今は『これまでの不摂生や
運動不足がよくなかったのかな?』と
吉田
清三
反省し、
『 再びゴルフが出来るようにな
5時半起床、パンパンに張った膀胱
る日』を目指して、
「首」のリハビリも
を空にさせてすっきりしたところで水
兼ねて一日一万歩のウオーキングにチ
を1カップ飲み胃腸の活発化を促す。
ャレンジしている。
軽くストレッチなどし、仏前に手を合
わせ(読経)昨夜の残り物で朝食、今
米岡
泰
日は毎日1回行われるグランドゴルフ
〇地域貢献活動:男性コーラス四人
の競技会、徒歩30分ほどのグランド
組「ハーバーカルテツト」で地域コン
に行く。日頃の練習成果を発揮、と同
サートや慰問を行っています。インタ
年代の男女30数名でプレイ開始、石
ーネツトのユーチューブで是非「ハー
ころだらけのグランドのため思わぬ方
バーカルテツト」をご覧ください。現
向へ打球が飛んだり、はたまた飛び跳
在パート1からパート4までアツプし
ねた球が幸運にもホールインして大喝
ていますが、全世界からアクセス数が、
采、この齢になると足腰の不自由なか
5000 を超えています。
たたちも居り共に助け合いながら楽し
く終了。成績は?兎も角地域のみなさ
- 84 -
渡辺 益次(万寿治)
た。23日17時30分には全員揃っ
○地域貢献活動:高層ビルに囲まれた
たので、予定より早く懇談会に移る。
町会の再開発に取組んでいます。
今回は解散大会ということで40年ぶ
りという方も居り、最初は自己紹介形
(横川忠雄様からいただきました
式で椎柴時代と現況を発表、一巡する
【椎柴会】についての記事を掲載しま
のに30分以上かかり、予定時間をオ
した。(編集担当)
ーバーして松本さんの音頭で乾杯とな
【第18回椎柴会模様】
り宴は始まった。積る話に花が咲き、
昨年10月23日~24日、銚子市
初めて聞くエピソードも飛び出して会
野尻のかしや旅館に17名が参集し第
は盛会裏に、終ったのは21時を過ぎ
18回椎柴会を開催しましたのでその
ておりました。翌朝は7時半朝食。
「解
状況をお知らせします。当会は、大場
散はしたけれどチャンスを作り何所か
清次所長、幹事:浪川庶務係長で昭和
で再会しましょう」と言い合ってそれ
54年9月8日に波崎町民宿清助で参
ぞれ自宅へ・・・・(出席者:写真参照)
加者12名で発足しましたが、去る8
上段左から:向後、鹿島、石田、家田
月28日、元青木受信課長の他界によ
浪川、鈴木、道下、安井、下谷
り発足時の12名全員が現世を卒業さ
中段左から:福岡、古徳
れました。よって今18回を解散大会
下段左から:武村、横川、宮内、松本、
ということで幕を閉じる事になりまし
宮澤、佐藤
幹事:横川 忠雄、道下
- 52 -
勉、鈴木
忠
10
追
憶
須賀連七さんを偲んで
栗原
喜一
昨年10月4日須賀さんの訃報を戴いた。早速奥様に電話し取り込みのお忙し
い中お悔やみを申し上げると共に病状等を伺いました。私に取ってまた一人親し
かった岩槻無線受信所のメンバーを失った、の思いが走りました。須賀さんと私
の出会いは昭和22年中秋、須賀さんが逓信省に入局し岩槻勤務となり赴任して
来たのと、私が2年有余のサナトリューム生活からやっと抜け出し職場に復帰し
たのが丁度重なり、同い年でもあり同期の新入所者の様にすぐ親しくなりました。
当時の岩槻無線受信所は戦時中の官営無線業務の役所として「立入禁止」の地
域からは近寄り難い場所に見られて来たが、戦後は当時の所長柳内栄蔵氏の方針
で地域との交流を重視する政策を取りその手段として、ダンスパーティやレコー
ドコンサートの開催、テニスコートの開放等の施策が盛んに行われました。須賀
さんはレコードコンサートで積極的に活動され、上司の佐藤好二様指導の元に曲
目や曲の解説資料を時間を惜しまず精力的に作成して下さいました。当時の記録
を見るとコンサートは大成功だったと有りました。
ダンスパーティを開くにしても、レコードコンサートを催すにも再生機(アン
プ)が必要です。当時の私達は如何に良い音質が得られるか、高出力が出せるか
無線屋のプライドを懸けてアンプ造りに励みました。出力も42PPとか807
PPなんて考える者も居り、須賀さんも私もその仲間でした。須賀さんのアンプ
は素晴らしい音質でメンバーから高い評価を獲得されました。昭和26年佐藤先
輩の転出と須賀さんの八丈転勤でレコードコンサートも終わりました。
須賀さんには音大出身の妹さんがおられ、八丈転勤にあたりその妹さんの親友
宅に入魂のアンプを預けられました。その親友の従妹が後に須賀さんの奥様にな
られる方でした。そして私は須賀さんから預けられたアンプのメンテを依頼され
何回か奥様の居られたお宅に故障の修理に伺った事も有りました。
昭和29年マイクロウェーブの時代を迎え岩槻からも多数のメンバーが東端に
転じ、須賀さんも八丈から戻って来られまた一緒になりました。東端に戻られた
須賀さんはその年の秋、古市所長のご媒酌で相愛の奥様と結婚されました。新居
は高円寺に新しく竣工した東端荘に入居され、そして預けられたアンプも新婚世
帯の一員として戻り以後幸せなアンプは須賀さんが大阪転勤となった奈良のお宅
までご一緒だったと伺いました。
アンプの話が先になりましたが昭和37年マイクロ無線部の監督として転出さ
れ、本土沖縄のマイクロ回線建設にご尽力されました。その後マイクロ無線部の
- 86 -
資材係長に栄進され無線機の調達等に敏腕を振るわれたと伺っております。
昭和42年大阪無線通信部施設建設課長としてご栄転され近畿管内のマイクロ
網拡大に活躍されました。その時のお住まいが奈良だったそうで、時間を見つけ
て古都を巡ったとか。
その頃富士通(株)でマイクロ無線関係の業務拡大の計画から公社に人材を求め
る要請があり、一旦技術局調査員として本社に戻り請われて昭和44年、22年
間の逓信省から電気通信省そして電電公社と変わった電気通信技官からの無線屋
からメーカーの無線屋として富士通に入社されました。
富士通におかれては無線方式部長として国内外のマイクロ無線部門に於ける富
士通のシェア拡大にご尽力され大きな成果を挙げられた事は特筆すべき功績と思
っております。
昭和60年58歳で富士通を定年退職され関連会社の富士通インターナショナ
ルに移り約12年間主に海外のマイクロ無線関係の業務でご活躍されました。
平成9年70歳を契機に約50年の無線屋から決別し富士通時代の住居町田か
ら翌年息子さんたちの住む松戸に新居をかまえられ、その昔楽しんだクラシック
音楽を聴き、また千代田会の油絵グループに入り絵を学んでおられ、また先年井
代さんや小林さん達が企画した「29会残党の集い」に参加された模様の連絡を
戴いたりしたのですが。昨年春頃より体調に異変を感じ以来6月になっても咳が
止まらず、国立ガンセンターでの検査で肺ガンの宣告を受け、手術を選択肢とし
たが患部が肺動脈に近くて手術の手段が無くてやむなく手術途中での中止となり
ました。誠に残念な経過で以後ご家族の献身的な看病のなかご逝去なされました。
思い返すまでも無く須賀さんは温厚で粘り強く思った事は必ずやり通す信念の
方で礼儀にも厚い人柄で最高の友人であったと思っております。ガンの先輩の私
より先に逝くなんて。
アンプの取り持つ縁が今私の脳裏を走馬灯の様に駆け巡っております。
須賀さん安らかにお眠り下さい。ご冥福をお祈り申し上げます。
大先輩
大先輩
相曽新一様を偲んで
合掌
木村
英之
相曽新一 様は、平成22年11月8日に享年94歳で永眠されました。
大変穏やかなお顔での旅立ちでした。深くご冥福をお祈り致します。
相曽大先輩と初めてお会いしたのは、今から40年前の館山統無中に所長で赴
任されて来られた時です。当時の館山統無中は採用間もない若い社員が多く、そ
の一部の社員が会社を、管理者を困らせれば組合運動だと間違った思想で職場が
ギクシャクしていました。この頃の館山統無中には課制がなく、管理者は所長、
- 87 -
巡回保全長だけで、工事係長だった私以外の4人の係長は非組合員でした。輪番
保守や定期試験は工事係長の所管で、毎日が凄いストレスだった記憶があります。
このストレスを解消したく夜になると所長の社宅に押しかけて議論を吹っかけて
いました。相曽所長は私の激烈な意見をいつもニコニコと温和な顔で聞いてくだ
さり、穏やかな人柄から滲み出る言葉で根気よく諭してくださったのが今でも目
に浮かびます。
この相曽所長時代の秋、台風が房総半島を襲い、鹿野山無中(無人)が停電し
た。急遽、巡回保全長と試験係長が現地に急行、停電は復旧したものの巡回道路
が決壊して帰れなくなった。その翌日に大多喜町が大洪水で通信孤立が発生、無
線通信部から TZ-403 の出動命令が出された。しかし相曽所長は前日から東京に出
張中であり、内房線、外房線とも台風で運休している。
館山に居た係長は回線係長の小高正夫さんと私だけ、巡回保全長と試験係長は鹿
野山に缶詰状態であった。従って、TZ-403 出動の組合説明ができない。
とにかく出動準備だけはと機材を揃えていると所長が帰ってきた。エツどうして?
といぶかっていると無線通信部の災害担当調査員1名も一緒だった。
聞けばヘリコプターで木更津まで飛び、タクシーで駆けつけたとのことだった。
一家の主(所長)在席と不在では社員の安心感が大違い、また、対外的な業務も
止まってしまう。この時ほど所長の存在を大きく感じたことはなかった。電電公
社、NTT に在職中には幾人もの所長にお仕えしたが、一番父親的な親しみと信頼
感を感じた人柄で、長く忘れることがない大先輩です。
この稿を書くにあたって、相曽さんが自署した経歴を見てビックリ、今から63
年前の昭和23年1月
国府津無線所長、電気通信省から電電公社となった昭和
28年に筑波無線中継所長、以後、双子無線中継所長、東京無線電信調整所長、
水戸電話局次長を歴任され、最後の職場が館山統制無線中継所長でした。現在7
4歳の私が昭和23年は小学校6年生ですから、その年から所長を務めておられ
たので、大変長い所長暦だったと思われます。
館山を最後に確か電気通信共済会にお勤めになり、数年して退職されたと聞き
及んでいました。電電公社退職後は相模原市南区相模台にお住まいになり、1~
2度お宅を尋ねたこともありましたが、近年はご無沙汰のしっぱなしでした。一
昨年だったと記憶していますが、久しぶりにお電話しましたら奥様から相曽さん
は呼吸が困難になり酸素吸入をしておられるとのことでした。気になりお伺いし
ょうかと迷いながらご自宅近くまで車を走らせたが、突然の訪問では、ご家族に
迷惑だろうと U ターンしてしまったことがありました。
突然の訃報に接し、やっぱりあの時お伺いすればよかったと悔やんでいます。
- 88 -
脳裏にある相曽先輩はいつもニコニコで、東京っ子の私にはまどろっこしいほど
のゆっくりした話しぶり、人情味あるあのお顔が浮かんできます。
あちらの世界でゆっくり大きく息を吸って、あの大きい目で彼岸の花々に囲ま
れながらゆったりとなさっておられることでしょう。ご冥福をお祈り致します。
鈴木秀明さんの御霊に捧げます
内藤
敏夫
鈴木秀明さんのご逝去は誠に痛恨哀惜の極めであります。
ちょうろ
「人生は朝露 の如し」と申しますが、鈴木さんの訃報に接し、私は驚きかつ嘆き
ました。天命とは申うせ余りにも卒然たるご逝去であります。
来し方に思いを馳せましては、時には厳しく叱り励まし、時には優しく勇気づ
けて下さいました人生の師に唯々涙するばかりであります。
思えば鈴木さんとの出会いは、昭和47年2月関東電気通信局の施設部に、短
さかのぼ
波プロジェクトチームが発足したその期に 遡 ります。これは既設の短波無線局
周辺の都市化に伴う、
(関東では検見川・臼井・銚子、九州では長崎)施設の統合・
移送に関する基本設計と新技術の開発を主体とするプロジェクトで、人員構成は
鈴木秀明調査役を出頭に、下川・菊池・早川・若菜・新開・宮澤・山浦・内藤の
諸氏でありまして、私と山浦氏は空中線系を担当することになりました。リーダ
ーの鈴木さんは常に飄々としていて、その昔映画で一世を風靡した東京物語等の
父親役で好評をはくした、俳優の笠智衆を思わせる温厚で人情味の厚い人と、私
は心底信じておりました。また技術的には堪能で無機・制御・電力そして空中線
と全て面に優れ、チームリーダーとして多くの人から信頼と尊敬を仰がれており
ました。
鈴木さん、覚えておいででしょうか。チーム発足当時には、移設予定先のKD
Dが所有する名崎送信所が未だ運用中だったため、諸般の状況から公表出来なか
ったので、空中線担当者にとつては空中線用地の掌握は設計上不可欠であるため、
名崎送信所の職員に刺激を与えないよう、忍びの状態で送信所周辺の敷地調査に
度々ご一緒した時のことを。長閑な早春の草むらの中で手弁当を頬張りながら、
大きな地形図を開いてはこの方向に鉄塔が何基建設することが出来るかとか、予
備機用空中線の敷地の位置は、また同軸ケーブルの埋設ルートは等々、広大な敷
地を隈無く歩き回り林立する建設後の空中線施設を想像して、真剣に検討し合い
ました。そして帰途は必ず古河発十六時三十分の上野行きの列車に乗車し、一合
瓶の清酒を嗜みながら、暮れゆく車窓を眺めては人生談義に花を咲かせました。
あの時、鈴木さんから「読書は人の心を豊かにし、人と人の絆を深めるものだ」
と諭されましたことが今でも強く印象に残っています。その後私は努めて書物を
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読むこととし、多くの書籍から未熟な私の人生に、貴重な示晙を与えて頂きまし
よぎり
た。今を遡る三十数年前の遠い遠い昔のことですが、走馬灯の如く 過 ます。
プロジェクトチームには、それぞれ無機・制御・電力・局舎・空中線と各専門部
門に分かれていて、時折り本社で部会が開かれて同席させて頂きました。その時
いささ
議事録の整理には現場育ちの私は 些 か苦慮しておりましたが、鈴木さんの手帳に
は細かい字で、要領よく正確に纏められているのを拝見し、恐縮ながら議事録を纏
める時は、その手帳を拝借することが通例になってしまいました。思うに読書を
こよなく愛した鈴木さんの信条と受け止めております。
あれは何時の頃だったでしょうか。共にチームを去った秋日和のある日、親睦
を兼ねて東京都下の檜原村へ一泊旅行したことがありました。多摩川のせせらぎ
ひな
が間近に聞こえる、赴きのある鄙 びた一軒家の宿でチーム発足当時の面々が一同
かい
に交 して、楽しい一夜を過ごしました。夕餉時には地元の名酒を味わい飲むほど
に酔うほどに、気分爽快となって得意の歌の競演が始まりました。その時鈴木さ
んは千昌夫が歌ってヒットした望郷酒場を歌われました。
「おやじみたいなヨ
ならぬつもりが
酒飲みなどに
なっていた‥‥‥。
」
手拍子に乗せて、切々と哀愁を込めて歌う鈴木さんの味のある演歌をその時始め
て拝聴しました。永い歳月を過ぎた今でも聞くたびに歌うたびに、当時の記憶が
甦り、それからは私の愛唱歌として歌い継いでおります。
あれから数十年、退職当時は時々お会いする機会もありましたが、最近は専ら
年賀状と暑中見舞いの年二回の文通が主体となってしまいました。
三年前私は米寿を迎え、自分の生い立ちを子供や孫に、それから親族や身近の
人に読んでほしいと、手作りの文集「つれづれなるままに」を作成しました。そ
して文筆の師と仰ぐ鈴木さんにご批判を頂きました処、くま無く読んで頂き便箋
五枚に渡る懇切丁寧な所感を頂きました。私はこの時、鈴木さんの持論でありま
す「読書は人の心を豊かにし、人との絆を深める」と云うお言葉を改めて実感し
たのであります。
私の本箱の片隅に「短波再編成計画に伴う名崎無線送信所の空中線設計資料」
と題した、厚さ12センチ程のファイルがあります。中を開けばセピヤ色に変色
したコピー用紙五百数枚に及ぶ空中線の設計資料ですが、既に短波通信はその使
命を果たし全ての施設が撤去されて、この資料も単なる過去の遺物に過ぎません
あかし
が、私にとりましては青春の血を惜しみなく燃やして研究収集した「参加の 証 」
であると同時に、鈴木さんとの堅い絆が結ばれた「掛け替えの無い宝物」でもあ
ると信じております。そしてこれを紐解きますと、共に切磋琢磨した同志の半数
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は、既に今生の人ではありませんが、このプロジェクトに没頭した一人一人の鼓
動が聞こえて来るような気がするのです。
鈴木さんから頂いた最後のお手紙は、平成二十二年七月二十九日付けの暑中見
舞い状で、
「今年は暑い日が毎日続きますね。新聞で報じられているような熱中症
になってはいけないと気をつけています。くれぐれもお元気で‥‥‥。」という内
容でしたので、まだまだお元気にお過ごしのことと存じておりましたから、鈴木
さんの突然のご逝去は誠に痛恨の極みであります。
鈴木さんは九十二歳の天寿を全うされ、千の風となって最愛の奥様の待つ天空
に(同年十一月十四日)旅立たれたのです。
ここに在りし日のお人柄を偲びつつ、生きる勇気と希望を与えてくれた鈴木秀
明さんに、感謝と敬意を表し謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
小沢恒夫さんを偲んで
高橋
合掌
定三郎
私と小沢さんとの出会いは東端無線中継部の頃でした。当時の中継部は廃部を
控え穏やかならざる日常でした。労組の日夜にわたる攻勢と緊張の中にあって、
各方面のきびしい注目を浴びていました。その激動の渦中に小沢さんは着任され
ましたが、もって生れた物静かな性格と冷静な対応力は際だったものがありまし
た。職員との信頼も厚く課内をよくまとめ、中継部のその後の成果に大きな原動
力となったことを覚えています。
愛着のある設備と別れ、仲間も散り散りとなるなどさみしい思いがいっぱいで
した。今でも当時の人達のことに思いを馳せることはしばしばです。その大黒柱
であった小沢さん忽然と天国へ旅立たれたとの報に言葉もありませんでした。私
よりいくつも若いのに残念でたまりません。唯々、ご冥福を祈るばかりです。
ここで小沢さんの経歴にふれてみると、小沢さんは久我山高専を卒業され、昭
和25年岩槻受信所に入所、電信調整所を経て昭和41年に札幌統無中へ、その
あと保全局、潮来の所長、鈴鹿の教官、関通建設部、監査部調査役を歴任されま
した。何れの職場においても無線人としての誇りをベースとした闘志は、きっと
立派な成果を挙げ得たものと信じています。
NTTを退職された昭和49年に、当時のエース日本自動車電話㈱に入社され
ました。勤務はたしか羽田だったとおもいますが、すぐれた技術力を駆使してお
客様のサービス向上に努力されています。小沢さんは絵画の嗜みもあり自分でも
時折描いていたようです。中継部の部長室に小沢さんの絵が飾られていたことを
思いだします。たしか赤いバラの花だったと思います。小沢さんの詳しい日常生
活はわかりませんが、もう一つ日本刀にまつわる思い出があります。ある日友人
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と小沢さん宅に訪問した際、家宝と云うべき白木の鞘に収まった日本刀を見せて
いただきました。刀身の輝きの中に目に見えぬ静かさ、あふれる闘志、小沢さん
はじっと眺めていました。小沢さんの冷静なる魂の根元を見つけたような気がし
ました。小沢さんは心の冷静を日本刀に求めていたのでしょうか。背筋の凍るよ
うなおもいをして退散した次第です。日本刀の輝きに心を養い、絵画の美しさに
身を育んだ小沢さん、ほんとうに幸せだったと思います。重ねてご冥福を祈りお
別れの言葉とします。
平塚義一さんを偲んで
藤代
丞冶
「義一(愛称ギッチョン)」との出会いは、昭和39年4月でした。
今は懐かしい千代田統無中に新規採用で入社してきました。仕事は、当時普及し
始めた移動無線機(TZ403等)による災害復旧やイベント等での臨時回線作
成が主な任務で、普段は伝播調査が多く、出張が多い職場でした。又、当時は1
号PBS(国内最初のポケットベル)の1号機が導入され、工事の連続でした。
その中で、彼はリーダーシップを発揮し職場のリーダーとして、付帯工事の作
業主任等で活躍、信頼も厚く仕事も遊びも精力的でした。
ハイキング・ボーリング・ビリヤード、時には神田のガード下、更には中山競
馬場まで足を運び、一緒にギャンブルに興じた楽しい思い出が一杯です。
仕事での一番の思い出は、昭和43年5月16日の十勝沖地震[注]の時の災
害出動です。TZ-403と機材一式を積んで国道4号を、夜を徹して北上した
と聞いています。隊長は、整備課長の小林茂さん(故人)隊員の義一達、若手が
大活躍しました。又、入社間もない頃、先輩との賭けで負け、コーラ1本をスト
ローで一気飲みし、真っ青になってトイレに駆込み周りを慌てさせるなど、お茶
目で「ひょうきん」な一面もありました。
その後、時が流れて転勤等で仲間が散り散りになりましたが、当時のことが
懐かしく、旧整備課のメンバーを中心に千代田統無中OB会(33会と命名)を立
ち上げ今日に至っています。その中心に居たのがギッチョンで、年に一度は集ま
り一杯飲みながら、近況を語り合い旧交を温めてきました。
私が第二の人生を大明に厄介になり、数年後には今度は、義一が大明に入社し
てきました。旧友との再会でしたが何年経っても、何も変わっていません。
大きな話し声・笑い声、そして元気一杯の仕事ぶりは昔のままでした。
しかし、近年は体調を崩し持病の痛風はまずまずだったが、薬の副作用で呼吸
器系が不調とのことでした。そのため、大明を辞めることになりましたが、少し
元気が無く心配でした。
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そして3月3日の突然の訃報です。66歳は若すぎます。もっと長生きして、
33会(OB会)で、毎年集まり酒を酌み交わし最後の締めには「移動無線工事
隊の歌」を合唱したかった。
明るく元気な平塚さん、仲間の誰もが忘れません。
沢山の楽しかった思い出をありがとう安らかにお眠り下さい。
合掌
〔編集担当から一言〕
十勝沖地震(M7.9、震度6、震源青森県東方沖)では、前日までの大雨もあり
崖崩れ地すべりが多発。青森県東部の被害が甚大で、家屋の倒壊・半壊・一部損壊
が計1万8千棟に達し、死者は52名でした。又、このとき東仙札マイクロルートの甲地
無中も被災しています。
一方、この地震を契機に、孤立化防止の無線方式(TZ-60)が各地に導入
され、災害復旧用移動無線電話TZ-41方式(自動車電話の前身)も開発され
ました。
移動無線工事隊の歌は、作詞作曲は庭野国太郎さん(千代田OB・故人)です。
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11
随
想
野鳥に魅せられて
羽石
英男
私が電電に入社したのは昭和33年でした。入社後3日目にして早くも「毎日
毎日目覚ましに強制的に叩き起こされるのは嫌だ。毎日が日曜日になったらさぞ
や楽しいだろうなあ・・」と切望しつつ日々を送っていました。
そして平成5年ついに渇仰してやまなかった退職の日を迎えました。
今その環境のただ中で日々を送っております。若い頃は一年が長くて仕方がなか
ったものですが、後期高齢者予備軍となった今は一年歳をとるごとに時の流れの
スピードが増すような気がしてならない今日この頃ではあります。日本人の平均
寿命からすると「私に残された時間はあまりないなあ・・」と、そう考えると夜
眠る時間がもったいないような気分になってしまう今日この頃ではあります。
マラソンで言えば、息も絶え絶えに41km をやっと走って、遠くにゴールのス
タジアムがかすかにみえてきたマラソン選手のような気分です。
イントロが長くなりましたが本題です。
私の若い頃からの趣味の一つにカメラがあります。私の二代目の愛機は一眼レ
フカメラブームの草分け的存在アサヒペンタックスSVです。小型軽量,高機能
(当時としては)で機動性に富み非常に使い易いカメラでした(ちなみに初代の
カメラは,電電入社後五年目に購入したマミヤのスプリングカメラ。これは,カ
メラ本体とレンズが蛇腹でつながっている一風変わったカメラでした。)
その後キャノンAE1、ニコンF801S(ここまではフィルムカメラ)と続
き現在愛用中のデジタル一眼レフNikonD200に。
デジタル一眼レフの良いところは、連写などで失敗しても撮り直しが出来るこ
とでしょう。フィルムカメラの場合そうはいきません。フィルムの消費量増大を
気にしながらも敢えて連写などをして失敗したら、目も当てられない状態に。
フィルム代が家計を圧迫し、ひいては家庭不和の原因になる恐れも。
デジタル一眼レフは、予測駆動フォーカス、トリミングの容易さ、RAW 画像・
J-PEG 選択などの便利な機能が盛り沢山。
野鳥を撮影するには望遠レンズが必要と、三度の食事を二度にして倹約しまく
り購入資金を貯め、遂に栄養不良でフラフラしながらもサードパーティ社の望遠
ズームを購入しました。
畑の中を裸足で走り回っていた子供の頃から、鳥や昆虫が大好きでしたので、
これでたっぷり写せると満足感に浸りました。
ちょうど市内の図書館で写真クラブの年一度の写真展をやっていたので、見に
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行きカワセミなどの写真を見て素晴らしさに迷わず即入会申し込み。
以後カワセミの撮影に熱中しました。寒風吹きすさぶ一・二月、心も凍りそう
な寒風の中、カワセミの習性や雌雄の相違点などを手持ちの図鑑と首っ引きで撮
影に熱中しました。カワセミの他にもアオサギ、ダイサギ、コサギ、コハクチョ
ウなども熱心に観察しました。今回はカワセミについてです。
以前は、カワセミは山の方の鳥というイメージがありましたが、最近では都市
部の公園などでも見られるようになりました。ただ、水面近くを相当早いスピー
ドで低空飛行するので中々見つけにくい鳥ではあります。
カワセミを見た人は皆「美しい鳥だ」と言いますが、その通り実に綺麗です。
そして小魚を狙って空中でホバリングし、狙いをつけると一気に急降下ダイビン
グ、そして小魚をくわえて大抵の場合止まっていた枝に戻ります。その成功率は
高く、以前見たNHKのドキュメンタリー番組では成功率70パーセントと言っ
ておりましたが、実際に観察してみてその通りだと思いました。
捕らえられる小魚には気の毒ですが、まさにプロ・職人芸と言うべきか、カワ
セミにふつふつと尊敬の念がわき起こるのを禁じ得ませんでした。
また、これは個人差(?)があるのでしょうが、一度に二匹をくわえて戻ってく
る器用な奴も結構います。ダブルプレーを演じて誇らしげな表情で枝に戻り、気
が緩むのでしょうか、カワセミにくわえられた小魚が、激しく体をくねらせて抵
抗、幸運な一匹がクチバシからの脱出に成功することがあります。
写真①
【逃げられた!】
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その時のカワセミの表情は秀逸です。無念やるかたない顔で水面をじっと見つ
め、あきらめきれない表情がものすごく可愛いです。なおこの写真①は、平成22
年さいたま市美術展写真の部で入選、カメラ雑誌では特選になりました。
やがて二月下旬になると、この雄のところに美鳥(人?)の雌がやってくる様
になります。カワセミの雌雄はほぼ同一色ですが、雌のクチバシは下が赤いので
区別が付きます。雄は照れくさいのか同じ枝に雌とは離れて止まります。何とも
素っ気ない態度をとります。
平成22年に私の観察したカワセミの雌雄は、雌が積極的な性格らしく、大胆
な態度で訪問してきます。一方雄は気弱な性格らしく、初めのうちはせっかく雌
が訪問してきたのに、慌てて逃げ出す始末でした。
同性として「どうした.しっかりしろよ」と心の中で応援しました。
やがて何日かすると二人(?)の間に親密さが増してきて徐々に間隔を詰め接近
します(比翼連理?)。
写真②
【三角関係】
熱々ムードが徐々に熱を帯びてきてついには猛烈なキスシーンへと発展。なお
この写真②は、平成23年さいたま市美術展写真の部で入選しました。
いよいよプロポーズの時期になると、雄はくわえてきた小魚を雌にプレゼント
します。この時雄は魚の頭の方を先にして、雌に与えます。
これは、しっぽの方から雌が飲み込むとエラなどがひっかかるのを防ぐためと言
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われています。優しい彼です。これは哺乳類の雄としては、見習うべきことと痛
感しました。
本当に美しい鳥ですが、百年の恋も冷めてしまう場面もあります。小魚を丸呑
みしますが、しばらくすると未消化の骨などを丸い形(ペレット)にしてペッとは
き出すのです。糞をする時もあまり上品とは言いにくい場面です。また、身分不
相応に相当大きな魚をくわえて戻ってくることがあります。
カワセミのクチバシは、左右の端が広がるようになっていて、結構大きな魚も
飲み込めますが、この時は約5分間悪戦苦闘の末飲み込みました。
「頑張れっ!」撮影仲間がみな声援を送ります。やっと飲み込めた時は、こちら
の方が疲労困憊の極みに。
結納(プレゼント)が無事に済むと、いよいよ子育て体勢に入ります。
カワセミの住居は、川の土手に横穴を掘って作ります。水面からの横穴の高さが
不足すると、水が入ってしまうので子育てが出来なくなります。
通常は賢くも水面からはなるべく高い位置に穴を掘るようですが、秋の台風によ
る増水で全滅(親鳥はもちろん逃げられますが)の憂き目に遭うこともあります。
雛が無事誕生し、飛行可能になると母鳥は思い出の場所に雛を連れて来る様に
なります。しばらくは親が餌を与えます。
そして餌の取り方などの実習教科に入ります。
カワセミは観察すればするほど興味の尽きない野鳥です。まだまだ紹介したいこ
とはありますが字数が超過する恐れがありますのでこの辺で。
カワセミの他にもアオサギ、コサギ、バン、オオバン、カイツブリなど観察を
続けている野鳥がおります。
これらもいつか紹介できたらいいなと思っております。
昭和のすたるじー(我組合役員実体験記)
渋澤
良光
三丁目の夕日の頃
つい先頃のことと言っても、もう4,5年前になろうか、「西岸良平氏」の「夕日
町三丁目」なる漫画と映画「ALWAYS三丁目の夕日」が話題になった。
自分が「東京無線通信部」
(大手統無中)に所属することになったが、丁度その昭
和30年代の初め(S33年)である。
まだ、東京には都電が道路の中央を闊歩し、関東通信局が大手町に木造 2 階建
ての庁舎を構え、中央電報局や旧市外電話局が威容を持って立ち並んでいた。そ
の旧市外ビルの8階が勤務場所であった。周囲を取り巻く街は、丸の内、大手町
界隈を除けば、戦後のドサクサに紛れて生まれた新宿、渋谷、池袋、新橋界隈の
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酒場(立ち飲み&屋台)や歓楽街が健在で、サラリーマンの休息と活力復活の主
役の座を維持していたのも、またこの頃である。
東京無線通信部は、後に排気ガス公害で有名になる「牛込柳町」にあり、赤レ
ンガ造りの重層な趣のある庁舎だったと記憶する。
時は高度経済成長への入り口付近にあって、経済の活性化に電気通信の重要性
が日増しに高まりつつあって、戦前からの短波、超短波通信から駐留軍の可搬型
無線機などに倣い、超短波多重化通信と極超短波通信の発展期にさしかかってい
たのかと思う。しかし、強電系出身者にとっては、見るもの・触るもの・聞くも
の全てが斬新どころかむしろ、脅威(驚異)にさえ覚え、先行きを憂慮したことを
憶えている。それは、医学の基礎知識無しに、しかも循環器系を少しかじった程
度の医師が、脳神経の治療に携わるが如き極めて危ういものだった。
幸い、諸々の技術やSYSが拡大、発展期にあり「調」と名の付くSYSが多
く、意欲あるものにとっては、学ぶ条件は十分に整っていたが、どちらかと言え
ば最低限の努力で切り抜けたい方に属していた者にとっては、溢れるような技術
にアップアップの態を曝していた。幸い、発展期にあったマイクロ回線の建設や、
島嶼回線の建設の「現場」で手足から学ぶ機会も用意されていたことで、何とか同
期の諸氏に追従して行くことが出来た。
世情は政府の「総合経済六カ年計画」をベースに、無理も承知の「完全雇用の
ための高度成長」を目指し、果ては所得倍増計画まで、ひたすら先進国への仲間
入りを果たすために「それ行けドンドン」で突き進む元気の良い時だった。
しかし、その歪みは「チッソ・水俣病」問題などを惹起する。「日教組・勤務
評定問題」や警察官の職務の拡大を図る「警職法改正」などの政治課題もあって、所
謂「55年体制」(S30年)直後の不安定な真っ只中にあり、S34年には「日
米安全保障条約」の改定問題を巡って「60年安保闘争」が組織され、S34年だ
けで10次にわたる統一行動が行われ「10万人請願デモ」を始め、連日のデモ行
動が行われた。埼玉の片田舎から急に、政治、経済、そして世の中の中心である
「東京」、しかも、世情騒乱の中に放り出され、考える余裕も無く「動員」やら「デ
モ」の洗礼を受け、嘘でも分かったような振りをして、先輩諸兄に「ウロウロ」
と付き従い行動するのが、目一杯の有様だった。
この頃(S34年)労働組合は、公社の組織改革に合わせて「東京搬送部会」
と「東京無線部会」を発展的に解消して「東京伝送支部」を結成している。
このとき、17分会、組合員870名激動の中の船出、初の「ストライキ批准一
票投票」を67.9%でクリヤーし、安保反対で「時間内職場大会」を決行してい
る。翌S35年には、「ゼロ号闘争」(本社への集団交渉)に参加、この年の3.16
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ストライキでは解雇16名を含む8,000名に処分が発令された。
ケネデイ暗殺・東京オリンピックの頃
筑波無線中継所への貸借役で、十王~東京の衛星中継回線(臨時)の作成に携わ
る機会を得たS38年11月の寒い夜だった。臨時回線故に可搬型のTVリンク
を使ってのテスト中継中、相変わらず不鮮明でフリッカーだらけのアメリカ発の
テストパターンが、突然、何やらオープンカーが大写しになり、何事かと思いな
がら庁舎内に戻ると「ケネデイ大統領が暗殺された」ことを知る。
後継のジョンソン大統領は、僅かな時を経てベトナムでの北爆を拡大し、軍事介
入を拡大する。
翌S39年東京オリンピックが開催され、そのため東京を中心にして新幹線の
建設、首都高速道路網の整備、競技関連施設の建設、全国TV中継網の整備など
公共事業投資が、高水準で続き「オリンピック景気」と呼ばれた。
公社は、全国都道府県県庁所在地ダイヤル市外通話実現とテレビ中継網整備や駐
留軍施設の整備、縮退を進め、渋谷統無中(S36年)、TRC(S38年)、蔵
前統無中(S39年)が開設され、大手無中が廃止(S39年)となる。
S39年大手統無中廃止に伴い筑波無中へ。初めての「山上へき地」勤務とな
る。当時の筑波は、今の「筑波研究学園都市」の欠片も無いが「電波銀座」の神
域で、東京の動きを少し遠くに感じる機会を得る。
故に、例の65年春闘に於ける「四・八声明」、東端分会の執行権停止、東京伝
送支部の正式発足や、蔵前統無中(S39年)の開設などの動静は、都の話であり、
茨城県支部傘下で懸命に奮闘する分会役員に敬意を感じつつ、過ごす日々となる。
特に65春闘の「大幅賃上げ」の取組みは大いに共感し、動向を注視していたが、
本社への集団陳情で「渡辺伝送支部委員長が逮捕される」の報に驚く。そして、
全ての組合員が何らかの形で参画した「四・二〇、四・二三スト」(全員半日スト)
は、スト参加者に対し、停職や減給の実害を伴うもの含む、16万人の大量処分
が出され、これは、やはり戦いなのだの感を強める。
筑波にあっては、伝送の職域の特殊性は配慮されつつも、県域の活動が優先さ
れ、必ずしも「伝送の職場」のニーズが旨く反映されることは難しかった。
全電通組織が地域割で形成され、ある意味で現実の職域・職場と異なった枠組み
で、物事の解決策が示されることは、多くの点で矛盾を感じたのは当然かも知れ
ない。(各県支部は、かなり個性豊かであり、NTT労組として再編されるまで、
その都度、悩まされることになる。)
今日、NTT東日本、データ通信、コミュニケーションズやドコモなど、夫々
の独自の立場で活動を進めているのを見ると、正に昔日の感がする。
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S40年8月関東地本を関東地本と東京地本に分割。
伝送支部は「東京伝送支部」として新関東地本の傘下に所属することになる。
この秋、先の「16万人処分」に対し、処分撤回闘争としてパルチザン闘争・マ
ンモス訴訟で闘う。これらの戦いを踏まえ「6・25了解事項」を締結する。
これを機に、企業から独立した組合組織の確立の機運が生じ、後の(S44年)
企業離籍体制確立へ発展する。
〖岩田委員長(S43年)島崎書記長(S44年)企業離籍〗
この頃、激化する「ベトナム戦争」は、あくまで武力による解決を追及するア
メリカの姿勢に対し、日本は、一貫してアメリカの政策を支持し続け、日米安保
条約を前提に、アメリカの統治下にあった沖縄だけでなく横須賀などの国内基地
をも提供する事態に至り、日本でも市民レベルの反戦運動が展開されるようにな
る。
(ベ平連)同時に学生紛争や成田新国際空港建設をめぐる闘争も加わり、移民
運動も活発化することになった。
全電通は、ベトナム戦争に反対する4,000万署名活動や「全職場反対集会を
開催」するなど連日のデモ活動などを展開する。
「反戦平和」と言えば、反対する人はいなかったが、ことは政治課題であり、し
かも、あの頃のデモ参加と動員要請は、昼夜を問わず、否、深夜に亘る「座り込
み行動」など、今からすれば常識外れの行動であり、一日の仕事の後の苦役故、
役員は別にしても(失礼)相当負担となったのではなかろうか。
今にして本当に頭が下がる思いである。
沖縄返還・スト権ストの頃
「ベトナム戦争」は、国内と世界中の批判の中で、北爆停止を余儀なくされ、
100万を超える戦死者と数千万の負傷者を出す大きな代償を支払うとともに枯
葉剤による遺伝子異常や環境汚染という問題を残して、S48年1月ベトナムと
の「和平協定」締結、アメリカは完全敗北し撤退する。
この頃、中国では文化大革命が、東欧の社会主義国でも「プラハの春」チェコ
の自由化、民主化への動きをはじめ、ポーランドとドイツの条約締結など、ヨー
ロッパ和平への道が模索された。
沖縄返還闘争は、当時の佐藤首相が政策課題として「極東の安全保障のため琉
球のアメリカ軍事施設の重要性を認める」という返還方針に対し、「核抜き・本土
並み」返還を求め「沖縄返還協定反対」を掲げ、S46年「11.19スト」(77
万人余参加)で闘うなど、全国民的取組みを展開する。
米国の体制変革もあり、一部曖昧(核も基地も・これが未だに不透明さを残し
ているが)なところを残しながら、S46年沖縄返還協定が締結される。
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同時に日米安保条約の自動延長に対する闘い(70年安保闘争)も連日に亘る
デモ活動を展開した。
S41年、筑波からTRCへ移る。S43年秋、考える間もなく分会役員に選
出される。当時TRCは、TV回線切替の「EDPS」化(現SYSの5代?く
らい前か)、商用試験開始時期にあって、S45年から本実施までの長丁場の取組
みの検討段階にあった。
当時としては、最新の電算機SYSであり、分からないだらけの手探り交渉の
末に、幾つかの新しいルールを結んでS49年本実施となる。
また、
「伝送施設の保守について」の提示(S42年)を受け、労使協議に入っ
ている。これを受け(?)、中央本部は、全国大会議案書で「搬送・無線通信部の
廃止」の方向を提起したが、支部傘下各職場とも議論の末、これの撤回を図るた
め関東地本とも相談しつつ、本部との徹底した意見交換を経て、何とか本部方針
を撤回させる。続いて、「新保全体制」が提示される。
確かに数次に亘る合理化計画は、搬送・無線部門にあっては双方の伝送路獲得合
戦の狭間で、いくつかの悩み多き決断を迫られることもあった。
勿論、20年程先にその頃研究開発段階にあった「光通信」が、全てとって代る
とは、夢想だにしなかった。
同時期、「第五次合理化計画」とマイクロ回線の関門中継所構想推進によって、
唐ケ崎統無中(S41年)、十条統無中開設(S47年)、東京統無中・中継部廃
止(S48年)、気象無線電信調整所も廃止(S43年)される。また、東京地方
支部傘下の無線搬送組織が伝送支部へ編入(S41年)される。
この間、S46年春「沖縄反戦スト」、S47年秋「五次合反対決選スト」、S
48年春「 7 3 春 闘 連 続 7 2 時 間 決 選 ス ト 」S 4 8 年 秋「 不 当 処 分 撤 回 ス ト 」、
S 4 9 年 春 「74春闘第一波、第二波スト」、S49年秋「田中内閣打倒、生活
一時金確保スト」と連続して闘う。
何故この時期に、かくも多くの事象が重複して生じ、かくも闘い、何とかこれ
を 乗 り 切 れ る 驚 く べ き エ ネ ル ギ ー を 作 り 出 し 得 た の か 。高 度 経 済 成 長 に よ っ て
所謂「戦後」体制から脱し、先進国の仲間入りを果たすべく遮二無二活動してい
た時ではあったが、その源泉を探るにも、今更、尋ねるべき方策を浮かばない。
スト権スト~「公社制度改革」の頃
S50年代に入ると世界では中国で「天安門事件」
(S51年)が発生、文革が
終了。アフガニスタン・クーデター(S53年)、イラン革命(S54年)、スリーマ
イル島原発事故(S54年)、韓国光州事件(S55年)、G7プラザ合意(S60年)、
など激動が続き、国内では、S51年ロッキード事件問題化、田中元首相逮捕、
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S53年日中平和友好条約調印、そしてS60年NTT民営化「日本電信電話株
式会社」が発足する。
NTTは、「第六次合理化計画」のもと、加入電話の積滞解消(S53年)、全国
ダイヤル自動化達成(S54年)、番号案内業務の全国分散化(S55年)、カー
ド式公衆電話導入(S57年)、D70運用開始(S58年)、TXAS導入(S
61年)、携帯電話サービス開始(S62年)、INSネットサービス開始(S63
年)など、矢継ぎ早に新技術と新SYSを導入するなど、電々公社から民営化「日
本電信電話株式会社」発足(S60年)に向けて、体制固めを進めた。NTT発
足後、
「33支店体制」や「タスク制」導入など新たなサービス体制を提示し、
「仕
事のあり方等について検討」が行われた。
伝送部門にあっては、S47年から論議を進めてきた「伝送新保全体制」につ
いて、S51年春の組合要求に対し「公社見解」が提示され、S52年秋、中央
交渉にて決着する。
翌年からは、「新保全体制に基づく年次ごとの取組み」を強化することになる。
この間、中野統無中開設(S51年)江古田統無中無人化(S53年)が行われる。
労使関係は、S50年代もS40年代に引き続いて厳しい闘いが続き、毎年、
春・秋とも「ストライキ体制」を背景にした闘いの連続であった。
特に75秋闘では、公務員のスト権を認めさせるため「全分会48時間拠点スト」
で闘い192時間のストを敢行する。(スト権スト)
これに対し報復処分として、66,000余名の処分が発令される。(S51年
春・支部内1,418名)この秋、仲裁裁定完全実施を求め、再びストライキで闘
う。翌年77春闘直前の4月、76春闘スト参加者に対し135,369名の大量処
分が発令される。これに対し「4.20スト」で闘う。
78春闘までは、スト:処分、スト:処分の繰り返しであり、民営化に向けて
「自主交渉・自主決着」の取組みなど、自主権を確立するための取組みも進めら
れてきたが、全て(?)が 解 決 す る の は S 6 0 年 の 「 日 本 電 信 電 話 株 式 会 社 」
が発足し、S63年「労働関係調整法改正案」の可決成立による「全電通のスト
権全面回復する」のを待つことになる。機を合わせたように、S62年長い歴史
を持つ「総評」は、
「全日本民間労働組合連合会」(連合)を発足させる。そしてS
64年に官民統一した「日本労働組合総連合会」結成、中央・地方組織を確立する。
S40年代に引き続く、スト権をめぐる闘いなど公社企業労働組合最後の闘い
に、各職場にあって万全のストライキ体制で臨み、賃金の引き上げを始め、合理
化計画の修正や保全体制の確立など前進的に確立することを得た。
この時期(S45年)からは伝送支部役員として、各職場の支援と協力で激し
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い時節を何とか経過する中、
「企業から独立した労働組合を」の方針に沿ってS52
年9月企業離籍し、電電公社を退職する。S60年関東地本へ。丁度、S58年
第二次臨調答申「電電公社分離、分割、民営化」の方針が示された直後であり、
民営化に向けて「公社制度改革」に向けた「800万請願署名の取組み」等、忙
しい取組みに追われた。
S59年「電々改革三法案」が成立し、翌S60年「日本電信電話株式会社」
が発足すると、新生全電通もスタート。
同時に労使関係も、公労法から脱し、民間労組としての体制を確立するため「民
間公営企業の調査プロジェクト」を立上げ、東京電力や日本鋼管などの実態調査
を行い今後の運動に資するとともに、会社経営に係わる協議の場として「地方経
営協議会」を発足させる。
それ以降、「DDI・JT・TWJ」などが市内電話事業に参入するなどの新
たな動きが生まれることになる。当時、四囲の方々に相当無理なお願いや要請を
してきたが、快く応じて汗を流してくれたことが、今の姿の礎になっていること
をして、今更ながらその際のご協力に対して、感謝せねばならない。
企業離籍を持って無線の業務から決別したが、無線部暦は、僅か19年5ケ月、
然もその過半近くは、労働組合運動に身をおいたことを思えば、正味10年其処
そこぐらいが残るが、引き算でいけばこれとてまた怪しい。
当時の労働組合運動は、知力・体力に自信のない者にとって、「喧騒の多く、争
いの絶えない」世界に映り、「争いに自信なし・争いは好まず」の自分には「遵う
はよし・近よるは難し」と考えていたのだが。
S46年から平成8年まで、無線部門にあった期間と殆んど同じ時間を組合運
動で過ごすことになった。どこにあったときも、先輩、同輩、後輩各位に対し、
随所でご迷惑ばかりかけてきた身としては、これ以上は「懺悔録」になりかねない。
事後、テルウエルなどに籍を置き、少し共済活動などの仕事をさせていただき、
今、地元に帰りささやかに地域の活動に参加させて頂いている。
「昭和のすたるじー」故、振り返ろうとすれば、既に半世紀も前の話であり、際
限もなく広がってしまうのだが、記憶もおぼろげの中、辿り辿って繋げてはみたが、
確証はなく全く自信なし。どなたか記憶が定かな方に修正を頂ければ幸甚である。
思えば、「三丁目の夕日の頃」は、貧しさの中にも一定のモラルがあった。(様
に思う)未だに訳の解らない”バブル景気“によって得た「泡富」と泡沫によっ
て、次第にモラルが剥ぎ取られ(異論もあるでしょうが)、今、あらゆるところ(政・
経・教・マスメディア等)で剥ぎ出しのモラル欠乏の姿を曝しているようで、妙
に気になるのは、年嵩のせいだろうか。
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蛇足
これを記している時(3月20日)、「3.11東北・関東大震災」の惨状が、
新聞、テレビで報じられる。科学技術は得てして何らかの歪みを伴って発達する。
科学技術は自然界の生物と事象の模倣がその成り立ちだが、決して同じ位置には
至らないことも覚えておかねばならないだろう。以前経験した地震と違い、以前
経験した津波とも違う、そして、以前経験した原発事故とも違うのが今回の震災
だ。災害は常に「未曾有」なものと考えねばなるまい。火も、水も、風も、まし
てや原子力など、人間が意のままに操れるが如き傲慢さは捨てて係らねばならな
いと思う。
自分の属する自治会に、福島県双葉町の被災者の方が、一時避難してこられた。
今、自治会長を仰せつかっており、何とかリラックスした日々を過ごしてほしい
と思っている。
焼酎のルーツ
イラクのアラク
山下
義智
1.イラクのアラク
1970 年代、中東のイラクへ出張した。フセインが台
頭してくる前で、バグダードは花の都であった。NATO
(北大西洋条約機構)の通信網の一環で、トルコから
イラクを縦貫してクウェートまでのマイクロルート建
設工事だった。
ところで、イスラムの国々では一般には禁酒の筈だ
が、当時のイラクではビールやアルコールも造られて
いて、大っぴらで飲まれていた。そのアルコールの名
はARAK(アラク)で、50度。そのまゝではきつ
いので、水で薄めるのが常道だが、
水を注いだ途端カルピスの様な白
濁色に変わる(泡盛でも度数の強
いものは同じ現象が起きる)。これ
にはアニス(ANIZ)の甘味と
香りがついているので、日本人は
子供の時の水薬の様だと、拒否す
る人が多い。このアニスの実(萎びた籾米の様な)は、インドカレー屋の店先に
置いてあり、勘定を払って外へ出る時、何粒かムシャムシャ噛んで匂いを消してい
る。アニスは辞典によるとウイキョウセリ科の1年草、地中海地方原産。芳香と
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甘味があり、その実はクッキーやケーキに用いられるとある。
さて、このアラクは砂漠の中のオアシスに茂るナツメヤシの実からつくる。ナ
ツメヤシは秋の終りに直径3センチ位の実をビッシリつける。熟すと丁度日本の
干柿と同じ味になる。砂漠の民は、このナツメヤシの実と水さえあれば何日でも
暮らせるらしく、
「これこそアッラーが恵んでくれたもの」と感謝して、イラクの
すべてのコインにはこのナツメヤシが描かれている。この干柿の様な甘い実(デ
ーツと言う)は日本に
輸入されて、ソースの
原料にもなっているが、
これを発酵して造った
のがアラクである。なお、お隣のヨルダンではブドウから造られている。又この
名称は国によってさまざまで、トルコでは「ラク」、ギリシャでは「ウゾ」、スリ
ランカやバリ島では椰子酒を蒸留して「アラック」、ブータンでは「アラ」と呼ば
れ、そして日本では「アラキザケ」として登場してくる。又、南米のコロンビア
にはアグアルディンテ(スペイン語で焼酎の意)という名で、同じ味と香りの蒸
留酒がある。ポルトガルにもアニスの実を草ごと漬け込んだリキュールがあり、
この様にアラビアの文化がイベリア半島に広がり、それが又南アメリカにまで伝
わったことは大変興味深い。
2.邪宗門秘曲
明治41年北原白秋作の詩集「邪宗門秘曲」の第1節は
われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、色赤きびいどろを、
匂鋭きあんじゃべいいる、南蛮の桟留縞を、はた、阿刺吉、珍酡の酒を。
これが第5節まで続くのだが、24歳の作だと言うから、当時の文人のレベル
には脱帽せざるを得ない。切支丹に寄せる不思議な情緒への憧れをうたった当時
の南蛮趣味であろうが、こゝにある「阿刺吉」こそイラクがルーツの「アラク」
である。また珍酡(チンタ)とは赤ブドウ酒(スペイン語でティント)のこと。
この詩は明治41年作だから、当時は蒸留酒のことを阿刺吉酒又は荒木酒と呼
んでいたわけで、蒸留するための道具 アランビック(アラビア語)は、日本では蘭
引(ランビキ)と呼ばれ、今でも陶器製のものが地方の古道具屋で見受けられる。
3.沖縄の泡盛
沖縄の焼酎は泡盛。いいえ「焼酎は泡盛ではありません。」と沖縄の人は泡盛に
大変プライドを持っており、焼酎とはハッキリ区別している。この泡盛は500
年前、シャム(現在のタイ)から南蛮甕と共に伝わった。
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イラクのアラクはアラビア商人によってインドへ、東南アジアへ、そして日本
に伝わった。まさに「海のシルクロード」ならぬ「海のアラクロード」であった。
沖縄では、現在でもタイ米を使って泡盛をつくっており、沖縄で焼いた荒焼(釉
をかけない固い焼き物)の甕に貯蔵している。
沖縄の本土復帰の頃、彼の地に滞在していたが、こちらの三味線に当たる三線
を習いに師匠のお宅へ通った。悪石島にいる時、宿の御主人の演奏に魅せられた
のと、また「沖縄の人の心を理解するには三線だ」と考えたからだ。先生は大山
一雄さん、当時沖縄の新聞社「沖縄タイムス」の役員をやっていられたが、
「出張
期間が4ヶ月しかないなら、毎日来なさい。私が週一回、外の日は奥様が教える
から。」と言われ、実際には週4回位通って、4ヶ月で古典の曲(易しい方だが)
を4曲弾ける様になった。稽古が済むと、泡盛の飲み方を教えてくれた。小さな
盃で、薄めずに、水は大きいコップに注いでおき、交互に飲むのだ。ジョニ黒よ
り旨いだろうと先生に言われ、こちらも次第にその気になって行った。
先生は若い時から新聞記者をやっておられたので、沖縄の文化万端について詳
しく、色々なことを教えて頂いた。しかし、戦争のことは日本軍の残虐行為を思
うと、怖くて聞くことが出来なかった。
10年程前、テレビで「首里城特集」をやっていたが、そこにこの先生が登場
された。現在の再建された首里城の場所には、戦前までは首里王朝時代の宮殿が
あったが、その地下一帯に日本軍は壕を掘って司令部とし、最高司令官の牛島中
将もここに居った。先生はこの首里城の濠の中で新聞を作っていられたとのこと。
今でも「守礼之門」のすぐそばに、壕の入口を見ることが出来るが、ガイドは何
故かそこを案内してはくれない。
さて、先生から色々お話を聞きながら泡盛を御馳走になっているうちに、泡盛
が好きになって行った。その頃は、沖縄ではアメリカの影響でスカッチの全盛時
代で、泡盛はおじいさん(現在の我々ぐらい?)位しか見向きもしなかったもの
だが、今では「幻のナントカです」とか言って1升 8000 円で売っているのには、
驚いてしまった。
4.薩摩の芋焼酎
40年前、沖縄へのカラーテレビ回線工事のため、悪石島に渡った。鹿児島港
から船で24時間かかるのだが、天候次第で何日も出航見合せ、市内の旅館に何
日も居続け、鹿児島の人と一緒に、キビナゴの刺身で芋焼酎を飲む。はじめは気
になった、あの芋の腐った様な匂いも段々好い方に変わってくる(クサヤの場合
と同じ?)。飲み屋のガラスのコップには、4:6とか7:3とかの目安の線が付
いており、又お湯は先が良いとか、後が良いとか色々講釈を語っていた。
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悪石島には8ヶ月いたが、ビールは余りなく(あっても停電で冷やせない)、殆
ど芋焼酎だ。
「白波」という銘柄ばかりで、島ではどこへ行っても「白波」の空ビ
ンがゴロゴロ。「だから毎日沖は白波、今日も船は来ないよ。」と悲しいダジャレ
を飛ばしていた。島の仕事が終わって久し振りに銀座へ出たら、都バスが「白波」
の看板を背中につけて走っていた。あの頃は、いくら宣伝しても東京では売れな
かっただろう。悪石島では民宿の御主人が、芋焼酎を飲みながら三線を弾き、沖
縄の古典の曲「上り口説」をよく歌ってくれた。
「道の島々見渡せば
七島渡中も灘安く」はその一節だが、首里から薩摩へ上
る途中の情景を歌い込んでおり、この御主人の影響が私の沖縄での三線練習につ
ながった様だ。
5.奄美の黒糖焼酎
昭和20年の敗戦により、沖縄、奄美の島々すべてとトカラ列島(悪石島も含
む現在の十島村の全部)、すなわち北緯30度以南が日本から切り離されて、米軍
の施政権下に入った。昭和28年12月には沖縄を除いて奄美の島々とトカラは
本土復帰となったが、この間、奄美の人々は本土との往来は出来ず、島産の黒糖
を使って焼酎を作っていた。復帰により本土の税法を適用すると、黒糖を使った
蒸留酒は「ラム酒」に認定され、税金が高くなってしまう。しかし、その歴史的
事情を考慮し、米コウジを使うことで「焼酎」として扱うこととなった。したが
って、黒糖焼酎は奄美でしか作ってはいないし、また島津以来外部の力に翻弄さ
れた奄美の歴史を思いながら、味わいたいと思う。
写真
P104
上:バグダードの北西 120Km、サーマッラ市にある塔。現代に残るバベルの
塔?。1970 年代。
中:アラクの瓶のラベル。見ているだけでも楽しくなるデザインである。
P105
下:イラクのコインの裏面。すべてナツメヤシが描かれている。1970 年代
最近思うこと
安藤
巖
近所にとても流行っている小児科医院があります。年中無休のため、日祭日と
もなれば子供を抱えた若夫婦が押しかけて、大盛況です。核家族化した家庭では
愛児のちょっとした体調不良でも、すぐ医者となるようです。
少子高齢化が進み老人の医療費が増えその財源に困窮しているのに、老人達は
老人達で病院の待合室をサロン代わりにして、常連さんが休むと「〇〇さんは今
日は具合でも悪いのかしら」等と言う笑い話さえあります。
何の関係も無い他人をいきなり刺したり、親が愛児を、子が親を殺害すると言
った暗いニュースが毎日のように報道され、この国は気違い列島になってしまっ
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たのではないか、とさえ思えます。
若い女性が電車の中で化粧したり、往来を歩きながら物を食べたり、電車の入
口に大きなかばんを投げ出して乗降客の迷惑等一向に気にせず、優先席では狸寝
入りの若者。個人の権利ばかりを主張する人が増え、他人への気遣いが薄れてし
まったようです。
当然家庭で行うべき子供の躾まで学校に押し付けて、何かあればすぐ学校へ怒
鳴り込むモンスターママ。政治資金で問題を起こし「順法に処理しています」等
と言って済ましている政治家。法を犯さねばそれで良いと言う考え自体が問題で
はないでしょうか。世の中近所同士が気持ちよく暮らすには法律以前の問題で、
お互い「江戸のしぐさ」に見られるような他人に迷惑を掛けない気遣いをして、
少しでも明るい世の中にしたいものですね。
一昔前の小さな登山記録
内田
耕治
1998 年晩夏、中国の西域ムスターグ・アタ峯(7546m)登山45日を終了し、
カシュガル・ウルムチ・北京を経由しての帰路のつれづれの話題は次のヒマラヤ
登山であった。国内で1年間の訓練・準備をして臨んだ。隊員6名でCⅠ(5400
m)CⅡ(6200m)への荷揚げ設営に苦しむ中で、隊員2名が高山病にやられカ
シュガルの中国軍病院に入院治療のため下山、残った4名中の元気な2名でCⅢ
(6800m)を設営し、アタックしたが 7200m付近で天候悪化のため断念、再度
のアタックは出来ないまま登山活動は終わり、折角荷揚げした装備の荷下げに苦
しめられた。あれやこれやの苦労も忘れた懲りない面々の次の夢の形は、今回よ
り費用は安く、期間短く確実に登頂すること、時期は 2000 年かなであつた。
2000 年10月2日(月)
ネパールの首都カトマンズのトリブバン国際空港に定刻12時30分到着。タイ
航空TG319 から降り、指呼の先にあるターミナルまでバスで運ばれる。この時
間30秒、乗客から笑い声がわきおこるが乗客安全のためなら仕方がない。だが
帰国便ではターミナルから 200m程滑走路を歩かされたのには驚いた。まあこれ
がネパール、これがネパール旅の始まりと納得する。こんな出来事が次々と経験
出来るから海外の山旅はやめられない。5回目のカトマンズではどんなワクワク
が待っているのだろうか。
バスを降り乗客のながれにのってゆくと床一面に粗悪な紙質のビザ申請用紙が
散乱している。ここで入国審査、係員の英語かネパール語か分からない質問に「ナ
マステ」と答えると形式的な審査は無事終了、笑顔でサイン付き記念スタンプを
捺印してくれた。次は係員がいるだけの税関ゾーンを通過して手続き完了、無事
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ネパール入国となる。以前経験した手荷物チェック済み確認チョークのマークも
ない。このチェック済みマークをもらわずにいてペナルテイを払わされた人もいる
そうなので簡略すぎて心配になるがサッサと次の閑散としたホールに移動する。
ホールには両替所・観光案内所がある。ウロウロして日本語版ネパール案内と
カトマンズ観光地図をもらい決心して空港出口に向かう。外は出迎人、「ホテル」
「タクシー」の客引き、ポーターの売り込み人、警官で大変な騒ぎだ。
我々一行4名は予約していたエージェントの出迎えにすんなり車に案内されたが
それでもどさくさにまぎれ頼んでもいないポーターに荷物を運ばれチップ5Rs
を払う。少なかったのか不満顔だが無視して出発。車は市街地中心のダルバール
マグに向かう。お馴染みの埃っぽい暑い風とネパール独特の匂い、道端をひたす
ら歩く人の群れ、未完成のまま放置された掘立小屋のような屋並みの間の人々、
中古車の洪水、細々とした日用品と食品販売と食堂を兼ねた黒っぽく暗い小さな
店、何回来ても変わらない風景、程なくダルバーグ
に到着。このホテルの道向こうには老舗ホテル
マグ通りのホテルシェルパ
アンナプルナがあり立地はよい
し建物はシェルパの民族色が反映され、チベット族のさまざまな衣装を着たドア
マンが出迎えてくれる。居心地のよさそうなホテルだが案内された部屋は眺めが
悪い。語学・交渉力があれば部屋の変更をするのだが一泊だけなので我慢する。
一行4名グループが今回ネパールでお世話になる現地「シーガルトラベル&ツ
アーズ」社長と日本「テイ・エッチ・アイ」佐々木慶正氏にビールを御馳走にな
りながらラヒマラヤ高所登山の現地情報を聞き夢の膨らむ午後の一時を過ごし、
明日からスタートする登山装備運搬用バックを渡され現実の世界に戻る。
ネパール国内山岳航空便の手荷物重量制限は一人分15Kg だがフライト後は
ポーターが装備を運んでくれるので、予めオーバー気味に用意してきた装備をパ
ッキングする。過去の経験で重量超過トラブルはなかったので今回も多分大丈夫
だろう。登山の結果は個人の能力が全て、体力・気力・技量がなければ登頂出来
ない。体力・技量不足をカバーしてくれそうな装備があれば、持ち込めたら持ち
込みたい、となると重量制限いっぱいまで荷物は増えてゆくのは必然のなりゆき
だし、これが許されるのがネパールの特徴だ。
重量オーバー気味にパッキングを終え、カトマンズの原点アッサントーレにバ
ザール散策にでかける。狭い通りの両側の商店は、石造り泥壁を基本に正面は彫
刻を施した木製の建具、強度が気になる3階4階建てのバザール、カトマンズで
年中最も活気のある通りである。この通りが好きになれないとネパールとの相性
も悪いことになるだろう。
本当の早朝、道端に、路上に近在から持ち込まれた野菜が所狭しと山積みされる。
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青菜、玉葱、大蒜、馬鈴薯、小振りな果物、豆腐、淡水魚、各種香辛料等の買い
物客目当てのミルクティ売りが開店前の店先を利用して露天商売し、午前7~8
時の商店の店開きに合わせ店仕舞いする。朝市の買い物客は住人、昼間は住人と
各国の観光客、トレッカーがひしめき合う混雑の中でツアー客を引率するガイド
が“迷子になるな・スリに注意・釣銭誤魔化されるな”と大声をあげて買い物を
させない速さで通過してゆく。商う商品は衣類、帽子、鍋釜壺台所用品、香辛料、
線香類、穀物、岩塩、紅茶等いわゆる日用雑貨食料全般から観光客向け土産品ま
で全て並べられている。以前早朝から夕方まで見物したことがあるがいつ来ても
興味深い面白いバザールだ。店の奥の黒い木組みの通路を抜けると店の裏側の通
りに出られ、住民専用の商店が並びタイムスリップした気分になったことがある。
構造は京都の街づくりをほうふつさせられた。奥が深い。後ろ髪を引かれたがバ
ザール探索は登山終了後のお楽しみに残した。
夕食は中華レストラン「ナングロ」にでかけ FIXED DINNER4人分とビール
2本で請求 1626.90Rs、チップ込 1700Rsを支払う。中華料理なので細菌の心
配はなかったが明日からの登山開始に備え腹六分に抑えた。不味かったのだ。
ホテルに戻り早朝の出発に備え目覚ましを早めにセットした。
10月3日(火)
03 時 00 分ALM鳴動、起床。ルームサービスの朝食がなかなか届かない。
朝食券よく見ると「03.10
「03.10
04.30」⇒
04.30」を 10 月 3 日
10 月 3 日
04 時 30 分
間違えた!
03 時 10 分と読み違えてALMを設定したのだ。
届くはずはない。同室隊長に謝り消灯・就寝したが、以後隊長と部屋・テントが
一緒の組み合わせは
なかった。ちょっと
粗忽なのと外国語に
弱いのと早呑み込み
なところありますけ
れど……。 正しい定
刻 04 時 30 分にルー
ムサービスの朝食が
届く。2部屋分のチ
ップ 20Rsを渡す。
コーヒーポット、カ
ップ、トースト、バター、ジャム、卵焼きが小さなテーブルに並びきらなくなり、
物凄い贅沢をしている気分になる。トレッキング中、美味しいコーヒーは期待で
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きないので時間をかけて楽しむ。それでも気がはやり早めに部屋を出てしまう。
4人分の荷物をロビーに運んでもらい、チップ50Rs。
早めに到着した送迎車に乗りトリブバン空港国内線ターミナルに 06 時過ぎに
到着。国内便各社の窓口は人と荷物が群がり大混雑。なにはともあれ4人分440
Rs の空港使用料券を購入する。手続き一切はシーガルトラベル等に任せたので思
いの外早くチェックインを終え、曲者のセキュリティチェックへ進む。ここは空
港待合室へつづく廊下をカーテンで仕切った個室、機内持ち込み手荷物の検査を
受ける。しばしばライター・マツチ等の小物類を没収されるとか良くない評判を
耳にする。無事通過。待合室で手荷物の重量を軽くするため身に付けた装備を外
しザックに収めきれないうちに Yeti Air Lines の搭乗案内が放送された。ルクラ
へは 19 名乗ツインオッター双発プロペラ機、乗客は日本人16人とシェルパ2
人の14人。07 時 02 分離陸、東方向に飛ぶ。北に白いヒマラヤの峰々、南は赤
茶けた山並み、足下は尾根沿いに延々と延びる山道と谷間と小さな集落キョロキ
ョロと落ち着かぬまに谷間のルクラ飛行場に着陸、07 時 33 分。乗客と荷物を投
げ降ろしカトマンズへの乗客を乗せて離陸していっ
た。山岳地帯の飛行は天候と視界に影響され、天候
が安定している早朝が適しているようで、午後から
の便は皆無となるらしい。1996 年 6 月のフライト
は雨季のため滑走路(無舗装)がぬかるみヘリ便の
み、ヘリ便も視界不良で一週間待たされ、やっと飛
んだがルクラ空港視界不良で着陸できず、手前のパ
プウ空港(無舗装)に避難して待機3時間後離陸し
てやっとルクラについたこたがある。直行便は早い。
機内持ち込みザックを背負い、出入り自由な空港
フエンスに沿ってメイン石畳道をエベレスト街道に
向かうと工事中の「ホリデイロッジ」売店兼食堂兼
宿泊所と兼兼づくしの今夜の宿に着く。スントの腕
時計の高度計は 3,840mを示す。
ここで今回のスタッフ、若いサーダー・シェルパダ
ワヌルブ、高々年ハイポーター・アンパサ達を紹介
される。ハイポーターアンパサ
Ang Pasang Sherpa 住居は Chame で61歳。
1996 年 6 月 初 め て の 単 独 海 外 山 旅 、 雨 季 の ル ク ラ か ら エ ベ レ ス ト 街 道 を 歩 き
5545mのカラパタール登頂後ルクラ~カトマンズ間フライト30分をもひたす
らカトマンズまで1カ月かけて歩き続けた物好きトレッカーのガイド兼ポーター
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を誠実に努めてくれたシェルパだ。トレッキング前半ナムチェバザールからカラ
パタール往復はアンパサと16歳の娘、後半ナムチェ~ジリ~カトマンズは19
歳の息子がポーターとして同行してくれた。アンパサ父子とは日常は危ない日本
語、確認が必要な時は双方が危ない英語、息子はネパール語以外ダメだから弥次
喜多道中記さながらのトレッキングであったが旅の終わる頃にはジョークも分か
り合えて3人同時に笑い合うこともできるようになったのだから不思議だった。
復路はルクラまでの航空運賃2名分を加算して支払い帰ってもらっていた。なに
はともあれ気心の知れたアンパサがハイポーターとして参加してくれているのは
心強い。
トレッキングの時ポーターをした息子アンツェリンは結婚し6ヶ月前初孫生
まれたと得意気に話したので、我が家の2人の自慢をして対抗した。とんだ爺々
合戦となり、当方は2人数で勝った。前回初孫の話をしたのが羨ましくてしか
たがなかったのだろう。今回も孫自慢では勝ったが子供の数と子供達の自慢話で
はかなわない。アンパサは12人の子持ち。長男はナムチェバザール近くの発電
所の技師、ポーターをした娘とアンツエリンはロッジで働いているそうだが、驚
いたのは子供の一人が活仏として認められてインドに住み、200人からの側用
人にかしづかれ、敬われている話だった。仏教には、生き物は全て生きかわり死
にかわるという「輪廻転生」という思想があり、修行によって高い徳を得たラマ
僧は死後に転生する。転生者は、そのラマ僧が持っていたものをすべて引き継ぐ
のだそうだ。活仏はチベット解放前には千人もいたそうであり、転生活仏の最高
位がダライ・ラマであり、次がパンチェン・ラマだそうだ。転生ラマをどうやっ
て探すのか、アンパサの子供がどのようにして活仏「リンボチェ」として選ばれ
たのかわわからなかった。アンパサは以前も熱心な仏教徒であったが、今は子供
がリンボチェに選ばれていることもあり、何倍もの敬虔な信者になっているよう
だ。活仏などチベット仏教のTV番組の世界であったのが、袖すり合うも他生の
縁、えんあった人の身内の現実となると何やらうれしいような、誇らしいような
気がしてくるし、ネパールチベット、ヒマラヤの山々がぐっと身近に感じられて
くる。ありがたい仏縁だろうか。
待つこと3時間、登山隊コックが調理した昼食は、柔らかすぎる白米飯を海苔
で巻いたオニギリ(旨くない)、魚肉ソーセイジ、サラダ等5品。昨夕の中華料理
と同じく外れ、折角の日本食だが残念。敬虔な仏教徒は不平を表さない。御馳走
様と手を合わせ食卓を離れ外に出る。若いポーターに運ばせる荷物を指示してい
るアンパサの采配を見たり、これから越える東南のザトワラ 4500mの黒い急峻な
山並を見ていると出発の合図がかかる。
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11 時 30 分メラ ピークベースキャンプ設営予定地カーレまで5日間のキャラバ
ンのスタートだ。ポーターは三々五々連れだって出立していてスタッフ総数は分
からない。強い日差しの畑の中をゆっくりのつもりで歩くが、結構ハイペースに
なっている。1時間ほど歩いた高度 3050mで藤原が持参したパルスオキシメータ
ーで測定する。内田 PO 値 88・心拍数 117
荷物を背負って追いついてきたアン
パサの測定値はそれぞれ 90 と 70、内田がルクラで安静時測定値とほぼ同じなの
に驚く。3回沢を渡ると雨が降り出す。雨期はあけたはずなのだが。今回のため
購入した新品の寒雨防風兼用フード付きゴアテックスのジャンバーを着ると暑い、
汗が出る、不快感、兼用は専用に劣るのを実感。不快感のまま幕営予定地チュタ
ンガ(3475m)に 14 時 30 分到着したが個人用荷物は未着。
幕営場所は狭い斜面の牛の放牧場、雨でぬかるんだ土と牛糞が流れ出し不潔、
悪臭で不快このうえなく、過去4回のキャラバンでも最悪の環境だ。キャラバン
の幕営は1人1張を手配してあったのだが、この雨と環境と時間とシェルパの苦
労を思い、テント2張のテントに2人づつ入ることにした。若い木村が雨の中シ
ェルパと一緒になって指図をしながらテントを設営している。ご苦労なことだが
ここは雇用者と使用人と割り切り、支払い額に応じて契約したサービスの提供を
受け、客として要望を明確に伝えていれば、かなり快適な登山を楽しめるのだが、
貧乏性と日本での山の慣習から抜け出せないのだろうか。それともシェルパ達の
設営技術を体得しようとしているのだろうか。いずれ高所ではシェルパ一任にな
らざるをえないのだが、ご苦労なことだ。
雨の影響大、ポーター達の到着が遅れ夕食は遅めの18時30分。献立は限ら
れた素材の調理法、味付け、香辛料の使用法とコックの腕と食する客の好みによ
り評価されるので難しいが、個人的には塩分控えるように要望しておいた。
キャラバンで提供された献立と材料を並べてみる。
プラーム
酒のツマミによい塩味の揚げたスナック
ポプコーン
日本で食べているのと同じ塩味
スープ
各種インスタントスープ
ブロッコリー
保存のきく野菜なのか。ボイル、揚げ物にして良く出された。
ジャガイモ
準主食。高地産ほど小粒で美味。
カルビー風味
油の質が良くない
ジャガイモの栽培出来る高度が、人間の常住高度のようだ。
大根
小振り、サラダ風につかわれた。
大蒜
唐辛子・大蒜・塩・油が味付けの基本らしい。
大蒜スープは高山病予防と治療に効くとか、高所ではよく提供
されたが飲みにくかった。
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他野菜類
茄子・人参・胡瓜・玉葱・隠元・キャベツ・ピーマン・セロリ
オクラ等
果物
小さなリンゴ
米
ご飯:多めの水で茹で、米が柔らかくなると余分なお湯を取り除
き蒸す。
モモ
シェルパ達は日本の餃子と呼ぶが、餃子タイプの肉マン
卵
チャボの卵くらい小粒。
肉
鶏
日本で見慣れている鶏より小振りで、肉が少ししか付いていない
ヤク
牛肉に近い味と匂いがして美味。トレッカーが多くなると
屠殺
販売されることがある。青空市場で売られている。
缶詰
副菜
昼食のオカズとしてイワシ・カツオ
デザート
桃
酒類
登山活動中は完全禁酒、修了後はフリードリンク
チャン
白濁した醸造酒
梨
マンゴー
パイナップル
飲みやすくアルコール度は低い
シェルパと一緒に楽しめる
ヤカン1杯で 100Rs
ロキシー
透明な醸造酒
トンバ
ストローで飲む酒らしいが、経験なし
ビール
銘柄
10月4日(水)
ビール感覚で
ネパールの焼酎?アルコール度数は高い
サンミゲル
旨い
ツボルグ等瓶・缶ともにある
晴れ→ガス
6時起床、手足の指先に軽い痺れがある。昨夜飲んだダイヤモックスの影響だ。
ダイヤモックスは高山病の予防に服用する利尿効果のある薬品、今回は現地でイ
ンド製を入手し昨夜から服用を始めた。以前ムスターグ・アタ登攀時でも同様な
症状がでたので服用を止めたままで登山活動に支障がなかったので今回も服用を
止めることにした。服用すると夜間小用処理に何回も起き出さねばならず、熟睡
できなく、疲れがたまり高山病の原因になる。どちらにしても悩ましい選択だ。
さて、テントでの起床からキャラバン出発までのパターンは毎日規則正しい。
06 時 00 分
モーニングティ(甘いミルクティ)+ビスケット+洗顔用のお湯入
洗面器が声かけと共に置かれる。素早く洗顔歯磨き、紅茶をのみきる。
使用した寝袋一式収納+個人装備をパッキング+トイレを済ませる。
トイレテントも毎日移動する。遅れたらアトは野となり藪陰でとなる。
07 時 00 分
食堂テントで朝食⇒行動中の飲み物
ティかお湯をテルモスに詰め
生水は飲まない、うがいもしない。湧水・きれいな谷川の水も全て沸騰させて口
にする。手を抜くと 100%下痢。⇒出発準備完了
07 時 45 分
テルモス、防寒具、雨具とおやつを入れたザックで出発。頼めば
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個人用ザックも運んでくれるので空身でも歩けるが、宿泊地までザックを使用で
きない。自分と関係なく運ばれてゆく。
不潔な幕営地の影響か腹の調子が今いちなのと、高度順化を意識してとにかく
ゆっくり木村と急な登りに向かう。佐々木と藤原もゆっくりと云いながらぐんぐ
ん登って行ってしまつた。西方ルクラのさらに西にアンパサがガリヤリと教えて
くれた雪の頂きを尖らせていた山もいつかガスに隠れた頃、本日の幕営地テンカ
ルカに到着。11 時 15 分
11 時 30 分
4015m
PO 値 97
健康管理
心拍数 66
体調良好
昼食はご飯とかき玉子のスープ。佐々木、藤原、木村のテントはお昼寝タイムら
しく静かなので、高度順化のため独りで踏み跡をたどり 4200m まで登ってみた。
ガス濃くなり視界がない、話題の少ない一日だった。就寝時テント内温度8℃
10月5日(木)
晴→ガス→晴
6時を待って起床。毎朝恒例のセレモニーを済ます。
今日はアプローチの難所ザトルワラの二つの峠を越える日。早めに準備を整えた
佐々木藤原組は 7 時 30 分に出立してゆく。シェルパ達も気合が入っているよう
でキビキビしているが、自分は倦怠感がある。体調管理
出発は定刻となった 07 時 45 分
PO 値 84
心拍数 104
木村内田組。黒い壁が覆い被さるようにたちは
だかる岩峯の鋭い稜線に向かってのぼってゆく。この斜面に一昨日の雨が雪とな
って残っていたら苦労する場所だ。昨年この斜面で雪崩によりポーターが 5 人死
亡している。今朝はアンパサが背後に張り付いていて、死者を弔う経を陰々と唱
えながらガードしてくれている。慰霊のケルンに着くと読経の声は地面にしみ込
むがごとく低く低く続き背筋が冷たくなる。高度 4300m では氷河の先端が近く、
峠直下の急峻な斜面を慎重に登りきると 5 色のタルチョがはためくザトルワラ
4400m 09 時 45 分着。先行していた佐々木組とポーター達がせまい峠で休んでい
る。サーダーダワヌルブに峠の名前を聞くと「ツェトラパス」だと教えてくれた。
北西には八千米峯チョオオユー、南東はカトマンズ盆地へと三千~二千米の低い
山々が続いている。この辺りは北アルプスを彷彿させる。さらに岩稜帯を通過し
て本当のザトワラに向かう。
30 分程で大きなケルンが積まれたザトルワラ峠 11 時 20 分着
サーダーダワヌルブに再度聞く「峠の名は?」
4590m
答えは「ツエトラゾーン」サー
ダーはメラピークルートの経験は浅いのだろう、峠にガスがかかり視界が急激に
効かなくなる。枯草の斜面を蛇行しながら下りきると大岩の間にテント、人影が
見える。やっと今夜の幕営地ツエトラ着。佐々木組に遅れること1時間、12 時
25 分ツェトラ着
4280m。
12 時 30 分健康管理 PO 値 84
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心拍数 110
疲れが取れないので午後は休養、ビタミン剤を飲むが行動記録、私物の片づけが
面倒になり投げやりになる。佐々木さんは小まめにメモをとり、スケッチを描き
情報を集めていて元気だ。若い木村も本調子ではない。藤原は毎日頑張りすぎで
心配だ。隊員4名はそれぞれ平穏な日常から無理を重ねて抜け出してきて、登山
にうつつを抜かしているのだから平常ではない。自分も会社に制度のない「特別
休暇届」と「退職届」の二通を提出して参加しているのだから他3名も無理をし
てきたのだろう。昼食・夕食共に食欲不振、スープを飲み水分摂取には努力する。
夕食後健康管理
19 時 00 分
PO 値 84
心拍数 100
深夜、小用にテントを出ると満天星空、寒い。3日の雨で雨期は明けたのだろう
か。テント内8℃。
10月6日(金)
07 時 00 分
晴
PO 値 91
心拍数 83
数値的には好調のはずだが……
隊員の起床時間、キャラバン出発時間が毎朝早くなり、佐々木組 07 時 20 分には
出立したのにつられ木村組も 07 時 25 分に発つ。幕営地ツエトラの険しい岩稜帯
の裾を巻いていると、はるか上部の高巻きルートをポーター達が続々通過してゆ
く。自分が背負うザックの中身は雨具・テルモス・カメラオリンパスμのみで難
渋しているのだから気恥ずかしい。昨日は最高到達高度 4600mを通過してきた影
響か尿量減少・食欲不振・倦怠感があるので陽気にふるまう。前日同様な岩稜帯
をのぼりつめると絵葉書を見るようなメラピークが真正面にある。南西からのメ
ラはヒマラヤ襞の岩に雪をつけドーンと大きく立派なものだ。居合わせたサーダ
ー
ダワヌルブに昨日に続き 3 度目の質問をする「この峠の名は?」「ツェトラ
エリア」。以後ダワヌルブに地名・山名を聞かぬことにしだが、禅問答をしている
間に肝心のメラピークにガスがかかり、写真を撮りそこなう。災難はどこにある
か分からない。キャラバンのルートはメラの西から北に大きく廻り込み、尾根す
じから急坂をヒンクコーラへと下る。昼食地に 10 時 00 分着。水量豊富な沢の近
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くの大岩の前にブルーシートの食堂が準備され、佐々木組が休んでいる。40 分前
に到着したそうだ。地名はタシデンマとか。まもなくアツアツ揚げたてコロッケ
が出されたが、食欲不振で受け付けない、スープだけはと我慢して摂る。ここの
コロッケはうまそうだった、コンガリと香りよく出来栄えもよかった。今でも思
いだすたびに食べれば旨かっただろうなあと悔しい思いになる。この後何度かの
ヒマラヤ登山でもこれほどに旨そうな料理に出会ったことはない。
午後はジリからのルートと一緒になる一部を除き歩きにくい上り下りの連続、
やっと下りたったヒンクコーラの河原は岩石累々でこれまた歩きにくい。聞いて
いた氷河湖決壊の痕跡である。川の両岸ははるか上まで削り取られ、大木がたお
れたまま枯れずに葉をつけている。温暖化の被害跡を初めて体験したようだ。
疲れきってコテに着く。本日の幕営地、到着時間のメモをとりそこなう。
竹で編んだ壁で囲まれた小屋に倒れ込み暖かいミルクティを飲み、荷物の到着を
待つ。今朝ポーターが通常ルートより高度の高いルートを歩いていたのは氷河湖
決壊ルートを避ける意味があったことは理解できたが装備が届かないと寒い。
プロポーターもう回路に手間取りテント設営が終了したのは 17 時を過ぎていた。
16 時 00 分
PO 値 85
心拍数 148
頭痛あり
18 時 46 分
PO 値 92
心拍数 99
高度 3650m
10月7日(水)
07 時 00 分
新グレラン3錠服用
晴→曇
健康管理
PO 値
92
心拍数 77
07 時 45 分出発
今日はタナまで 8 時間の行程。ヒンクコラの荒れた河原で休んでいると、右足を
引きずる浅黄色の衣の若い僧侶がひとりで歩み去っていった。荷物は無い。地図
にはこの先人家は無い。キャラバンしてきた三幕営地に人は定住していなかった
し、この先はさらに厳しい山岳地帯のはずだが……。ルートが河原から山裾の上
り草原歩きにかわり謎が解けた。草原の奥山際にタルチョがはためいている。地
図に記載のないゴンパだ。高度の高い山中のゴンパは、出入り口は小さいが内部
は縦横に掘られたトンネルでつながる仏間が沢山あり、灯明程度の暖房でも暖か
く驚くほど広い。以前訪れた時、喜捨をして見学した「マナン」
「ランタン」のゴ
ンパと同様な構えなら先程の僧の身軽さも納得である。
小春日和の気持ち良い草原で昼食をとり、再度河原を下ると中年日本人パーテ
イとすれ違う。
「 積雪に悩まされたが、シェルパのラッセルに助けられ登頂できた」
と慌ただしくしゃべり笑顔でルクラに帰っていった。
14 時 25 分
4360mタナ着。
PO 値 85
心拍数 110
19 時 00 分
夕食時
PO 値 89
心拍数
10月8日(日)
晴
- 117 -
90
07 時 00 分
健康管理
PO 値 85
心拍数 105
今朝は朝食のおかゆがおいしい。ここ2~3日の倦怠感が抜けた。
荒れた河原に下りベースキャンプ設営地カーレへ4人揃って向かう。
決壊した氷河湖の下の河原を抜け高度を上げると白濁した底を見せる浅い氷河湖
が濃紺の水をたたえて想像以上に広がっている。決壊した氷河湖か別なのか判然
としない。カーレへのルートは流れとも氷河湖とつかない水辺を緩やかに登る。
アンパサはノンビリ薬草を採取しながら歩いている。ここはきれいで穏やか気持
ち良い谷間だ。流れを離れ左へ大きく円を描くとひと登りでブルーの屋根が目立
つカーレ到着。ベースキャンプ 4930m
14 時 30 分
13 時 30 分
ゆっくり昼食。
高度順化のため、モレーンを 5150mまで登ると前方にメラ氷河末端
が見える。その末端に大きなテントが設営されている。左は雪の付いた山、右は
黒い岩石がもりあがる。氷河右にトレースが薄く見える。
18 時 00 分
恒例健康管理
風邪気味
PO 値 87
心拍数 100
鼻水、声が嗄れる。風邪薬・ビタミン剤・整腸剤・エビ
オスを同時に服用。ダイヤモックスは飲まない。
10月9日(月)
06 時 00 分
夜間小雨小雪雷鳴二夜連続
08 時 30 分
起床
朝食後
PO 値 88
心拍数 100
本日は休養日。6時に起きることはないのだが目覚めが早い。テントに薄く雪が
ついている。夜半の雨が雪になったようだ。3日の雨、8日の小雨これで雨期明
けか昨夜の大量薬が効いたのか体調「ヨシ」。食欲大。持参の秘副食「やじむのせ
んべい」を日本茶をたっぷりいれて食べる。寝袋を干し、ひねもす昼寝。時折ズ
シンと響きわたる雪崩が不気味だ。
外がザワついているいるので起き出す。日本人がスノーボウで滑走中クレパス
に落ちたらしい。救難ヘリは飛来したが着陸しないで帰ってゆく。ベースキャン
プの高度では収容できない、カーレまで人力で下ろさないと無理とのことだ。人
手、ヘリの手配はついたとのこと安心する。
自分のカメラのフイルムが巻き戻せなくなる。電池交換してもNG.持参のダ
ークバックフイルム交換してOK。
夕食は「ヤク肉のステーキ」との話だったが「ヤクのハンバーグ」になり、や
や失望。牛肉のように乳くさいハンバーグをいただいた。
夕食後健康管理
10月10日(火)
06 時 20 分起床
PO 値 87
心拍数 97
滞在高度 4930m
晴
07 時 30 分
PO値 87
心拍数 90
本日は高度順化と上部偵察を兼ねて 5415mのメララを往復する。
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08 時 00 分出発8日と同じルートで 5150mのケルンを越えてメラ氷河舌端に一旦
下ってから再び岩稜帯を登る。岩稜帯は氷河にクサビのように食い込んで氷河に
呑み込まれている。雪の急斜面にフィックスが張られ外人のグループが雪訓をし
ていた。1時間ほどで東の雪壁が近づき雪原が狭く感じ始めるとメララだった。
東の岩雪壁の切れた先がメララのハイキャンプ幕営地、南はメラピークへのルー
ト、タルチョがはためいていた。11 時 30 分
5415m着。まもなく冷たい風とと
もにガスが立ち込め何も見えなくなる。ベースキャンプから見ていたとおり朝は
晴れても昼頃には雲がかかり午後は曇りのパターンだ。
テルモスの暖かいお茶を飲む。弁当ランチは寒く食べる気がおきない。
11 時 45 分下山開始、下りは楽だ。ラスト 10 分ほど若いシェルパ達と氷河駆け
下り遊びをする。
12 時 30 分
氷河とり付き点
13 時 25 分
カーレベースキャンプ着
夕食
食欲不振
夕食後測定
5200m
夕食まで熟睡
ご飯に味噌汁をかけ、テンプラ風ポテト5ケを食べる。
PO 値
10月11日(土)
81
心拍数97
晴
06 時 00 分
空腹で目が覚める。気分良好。
06 時 15 分
モーニングティ
07 時 30 分
最後の計測
08 時 10 分
昼食弁当を持つて出発。佐々木組は 15 分前に出発した。
10 時 17 分
メラ氷河取り付き 5280m
12 時 00 分
メララ(メラ峠)5545m
13 時 30 分
晴れ北方ヒマラヤ高峰の眺望あり
15 時 00 分
ハイキャンプ着
PO 値 94
心拍数 100
体調良好だ
5800m
今朝はメラ峠経由でハイキャンプ入り5時間の行程だ。昨日同様氷河取り付き
5285mにてアイゼンを装着し、10 時 30 分行動開始。急ぐな、急ぐなゆっく
り持ち時間が一杯になるまで使って、体力を温存・消耗を少なくしながら高度を
稼ぐ。昨日は下山時駆け下りた影響がなければいいのだが気にはなる。佐々木組・
木村組の2組で行動する。次々に追い抜かれ我々の後には誰もいなくなつたので
持参したランチを開く。パンケーキ・茹で卵・おにぎり・チーズ・漬物だ。食欲
が減退させる中身だが明日のアタック時の非常食になりそうな茹で卵とチーズヲ
キープしてアンパサに譲った。メララからの単調できつい登りにげんなりしてい
ると雪面から黒い岩峰が近づいてくる。ハイキャンプが近い。サーダーダワヌル
ブがマルー・エベレストと声をあげる。確かにはるか北方に高峰が横一列に連な
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っているが峰峰を識別出来ないし、余力もない。ダワも当てにできないし…
午後の陽ざしを右にあびながら雪原を左に回り込むと岩峰の切れ目に幕営地が近
い。前方 20m下った窪地がハイキャンプ 5775mだった。
東西 20m×南北 40mくらい。瓦礫と段差、岩の割れ目が多い。南は岩壁と氷
の滝、北と西は黒い岩峰がせまっている。南西にメララへのトレースがついている。
東は岩壁の上部に位置し足下はスパット切れ落ちていて下部は見えない。
食堂兼シェルパ宿泊用 1 張 2 人用2張りのテントが雪の上と雪のない岩の上に設
営されている。木村組は雪上、佐々木組は岩の上の天幕をつかうことにした。
大型食堂天幕にはガモウバックが用意されている。かなりの速さで先行していた
他のグループメンバーの調子が悪いらしい。シェルパが交代で送風しながら様子
をみている。高山病の症状が改善されるときいていたが、使用されているのは初
めて見た。シェルパモ疲れるらしい。
アイゼンを外しテントで待つが個人装備バックが届かない。仕方なくマットを
セットしシュラフにもぐりまった。やっと届いた荷を広げていると、アンパサが
何度も荷物の確認にくる。嫌な予感がする。なにかあったらしい。佐々木組2人
の個人バックがBCから荷揚げされていない。明日のアタック装備と今夜寝る寝
袋マットがない。ヘッドランプも無し。すぐ暗くなる。
3年前中国タクマラカン砂漠西域ムスターグ
アタへの登山中、ベースキャン
プ滞在時、パキスタンからカラコルムハイウエイ経由で到着した欧州の登山隊が、
イスラマバードに燃料ガスボンベを積み残してきてしまい往路を引き返した光景
が目に浮かんだ。我々の隊にも燃料を譲ってとの打診があったが、バス1台で乗
り込んできた登山隊に役立つ量の余裕はなく役にたつことは出来なかった。彼ら
の無念さがひしひしと伝わってきてやるせなかった。
前途が暗くなる。まず今晩どうする……明日は……
16 時 30 分サーダーとハイポーター2人が残してきた荷をとりにベースキャンプ
に下る。22 時頃には戻れそうなので明日のアタックは予定通り変更無しとなった。
装備のつく深夜の準備は大変だ。明日に備え早めに就寝、早朝に起き出し用意す
るとなると休めるのか気が重くなる。自分の荷は何回もポーター、アンパサに確
認させていたのでトラブル無しだが、余分はない。
夕食は、おかゆ
スープ
恒例になった健康管理
赤飯等黙々と済ませ早めに寝袋にもぐりこむ。
PO 値心拍数測定はパルスオキシメターが届いていない
ので中止。高度 5775mで就寝。
10月12日(木)
01 時 30 分 起床
アタック日
02 時 00 分
闇夜
星も見えない
モーニングティ
- 120 -
月無し
02 時 30 分
朝食
01 時 30 分
木村に声をかけ起き出す。眠いが体調は最高の状態だ。昨日の天気、
気温を考慮してオーバーシューズは使わないで、手早く準備をする。残した荷物
は予定通り届いたので一応心配はない。
律儀な 02 時のモーニングティ、朝食のおかゆを口にしていると外が騒がしい。
何処から出てきたのかかなりの人数が動いている。
暗黙の組み合わせサーダーと佐々木、アンパサと木村の2組に分かれる。
クライミングシェルパを先導に 03 時 30 分出発して1時間位過ぎたころクレパ
ス帯に踏み込んだらしくアンザイレンで行動する。トップ木村、内田、アンパサ
の順。この1時間は突然の強風、気温低下、ヒドンクレパスと続く。アルカリ電
池使用のヘッドランプは点灯しなくなり、リチュウム電池のヘッドランプ1ケの
み使用できる。アルカリ電池は低温では機能しないことを実体験する。暗闇の中
低く呟くが如く隠々と唱えるアンパサの読経を背に、一筋のヘツテンの灯りを頼
りに夜明けを待ちつつ一歩づつ高度を稼ぐ。
純毛未脱脂の手袋+ダウン入りオーバーグローブの中の指先が痛む。プラブー
ツの指先もチリチリ痛む。手足の指先が凍傷にやられないように意識して動かす。
外人のグループが強風を理由に下山してゆく。東の空が赤く染まり周囲が見えて
くる。北方の高峰に黒
雲が流れている。天候
悪化が気になる。
計画では2名にクラ
イミングシェルパ1名
の3名ずつでアタック
の予定であったが、藤
原が遅れ気味となり、
木村組に佐々木が加わ
り、4名2名の組み合
わせに変更する。4名
組が先行となるが時間がどんどん過ぎてゆく。
登りがきついわけではない、雪が悪いわけではない、呼吸が苦しいわけではな
い、体調が悪いわけではない、脚が重いわけではない、喉が渇いた、腹が減った、
鼻が詰まった、ザックが重い等々不調の原因は何も無いのにスピードが上がらな
いのがもどかしい。それでも周囲に高いところがなくなりアイゼンが気持ちよく
きくピークをのぼりきる。メラセントラル 6461mだ。右方向に下った先の一段高
いピークが本当の頂上なので登り返す。なだらかな丸みをおびて易しそうに見え
- 121 -
たが、直下は1ピッチ強の垂直な雪壁。4名共無言で登りきり頂上の手前で顔を
見合わせ最後の一歩を譲り合いほぼ同時に山頂に立った。09 時 45 分 6654m
2mに8mほどの雪の頂きの周囲の山々はみな眼下、メラ北西峯 6255mが一段
と低い。この2年間登ると決めながら、悩み、計画、決断し成田を飛び立ってき
た成果だ。遠く北方の八千米の峰々には相変わらず黒い雲がまといついている。
佐々木がカメラの調子が悪いので写るかどうか分からないと言いながら記念写真
を撮る。滞在3分で山頂をあとにする。直下でザイルを外す。メラセントラルの
取り付きで遅れた藤原がシェルパと登ってくる。アンパサもサポートにまわり、
再度山頂に赴く。激励の声をかけスピードを上げひたすら下る。
11 時 20 分
ハイキャンプに戻る。サーダー浮かぬ顔で待っていた。佐々木組
のテントが強風に飛ばされてしまつた。飛ばされた方向は東、スパッと切れた絶
壁方面、見えたとしても回収は望めない。損害はテント一張り、佐々木・藤原の
私物、寝袋5ケ、マット2ケ、サーダーの私物その他。幕営場に下りて雪原をの
ぞいてみたが怖いだけだった。木村組の私物は運び下ろされていた。自分のザッ
クを持ったままアンパサは藤原のサポートに廻り分かれたので行動食も飲むお湯
もない。ハイキャン
プで用意してくれた
昼食はララスープ
(ネパールのインス
タントラーメン)は
パスしてチャイはお
いしくいただき藤原
を待った。
藤原達の下山姿を
確認してガスのかか
りだした長いメラ氷
河をべースキャンプへと下りはじめた。氷河末端5285mでアイゼンを外した
が収納するザックがない。アイゼンをさげてベースキャンプに下るのも面倒なの
でクライミングシェルパに預ける。報酬は新品同様の純毛の手袋、佐々木・木村
もアイゼンを預けた。2人も元気、余裕ありそうだが結構疲れたようだ。記念に
ほんのりピンクかかつた小石を1個ポケットに戴く。藤原とアンパサの姿が見え
たので、また下り始める。まもなくアンパサが追いつきあれこれと世話をやいて
くれながらルートの岩陰からピッケルコッヘル等十分使用できる登山用品を回収
してくる。人一倍働き、客に気お使い、若いシェルパの面倒をみながら落し物を
- 122 -
見つけ保管しておきクライミングシェルパの働きをこなしているのだからアンパ
サはすごい。ベースキャンプからヤカンのチャイをさげたキッチンボーイが出迎
えに来てくれたので、バテ気味の藤原に早く持ってゆくように指示してベースキ
ャンプを目指した。
17 時 00 分
ベースキャンプ無事帰還。飲まず食わず長時間活動した一日だっ
た。食欲はまずまずだが疲労感、眠気が強い。
食後恒例になった健康検査測定中止。パルスオキシメーター飛散のため。
早暁からの天候の変化:暗闇
突風
強風
晴れ
ガス
曇り
晴れ
就寝高度 4900m
10月13日(金)
晴
朝から食欲が無い。昨日の水分摂取不足の影響だろう。
今日はベースキャンプ撤収だ。カーレ→タナ→コテまで下る。
08 時 30 分帰路のキャラバン開始。メラピークが綺麗に見える。おだやかに眺め
られる。3 日間とりついた我々の痕跡は無い。スタスタ登っても、フラフラ下っ
たのも一時の出来ごと、登り登頂下山みな同じ、のーえ節の歌詞が口の端に出て
くる。ふっと無常感に浸る。終わっちまったんだ。タナの昼食地の右手にゴンパ
を眺めヒンクコラの河原をコテに下る。急峻な峰々を背景に高山植物の花がドラ
イフラワーになって残っている。雨期にはフラワートレッキングが楽しめるので
あろうが、高度と難路がトレッカーを寄せ付けないのだろう。16 時 30 分コテ着。
往路と同じ幕営地にテントが設営された。ここは夜間盗難が多いとか。装備類は
全てテント内に収め、夜間は徹夜で警戒するそうだ。盗人は何処から来て、何処
へ盗んだ品を運ぶのか大変な稼業になるだろうに。夕食も食が進まない。就寝高
度 3720m
10月14日(土)
晴→曇→小雪
寒い
今朝も食欲無し、08 時 00 分出発、行程はコテ 3720m→ツェトラ 4300mまで
長い。アタック3日間に比べ下山路の体調は最悪だ。疲れか、遅れて出てきた高
山病か歩くのがつらい。右足がつりそうで、ゆっくりしか歩けない。情けない。
やっと昼食地に着く。えらく寒い。自分で右足をさすっているとアンパサがきて
30 分位マッサージをしてくれた後薪を集めてきて焚火をしてくれる。痛む足を温
めると痛みが治まり楽になる。午後はサーダーとアンパサの二人でサポートして
くれた。雲行きが怪しい時に歩きが遅く迷惑をかけてしまう。
16 時 30 分
やっとツェトラ到着
つらい一日だった。食欲は無いが無理をし
て陽気に振るまい夕食を食べる。今夜が最後のテント泊となる。睡眠高度 4310m
10月15日(土)
晴→小雪・雨→晴
- 123 -
07 時 45 分出発ザトワラを越えルクラまで一気に下る。右足の痛みはゆっくり
歩けば問題なさそうだが注意して足を運ぶ。難所ザトワラ 4590m越えにはサーダ
ーとアンパサが付き添ってくれるので心強くアッサリ通過でき、無事昼食地ツリ
カルカに着く。この調子ならルクラまで心配はなさそうだ。
折角 10 月 1 日から禁煙していた藤原がバッテイで煙草を買いこみ旨そうに吸い
はじめた。高所喫煙時高山病促進恐怖症は下山と共に解消してしまった。
昼食後往路の幕営地チュタンガで休憩してから一気にルクラに下る。
午後の陽ざしが暑いルクラ飛行場経由宿泊所「ホリデイロツジ」に 16 時 00 分
に着く。ロツジは増築工事中で木の香のすがすがしい部屋が割り当てられた。喜
んだが残念、立て付けが悪くドアの開閉に苦労する。大工さんらしい作業員にノ
ミで削ってもらう。部屋の窓から越えてきたザトワラが一望できる。
13 日間の「メラピーク登山隊2000」は無事終わった。メラピーク6654m
に登頂してきた喜びが湧き上がってくる。
隊員4名は高所滞在中「飲酒にによる高山病進行恐怖症候群」の呪縛から解放さ
れたが新たに「急性開放型無差別飲酒症候群」に侵されビール9本、ウイスキー
ボトル1本、チャンやかん5杯を服用し治療に努めた。
10月16日(月)
06 時 00 分
晴
増築工事が開始される。飛行場からヘリコプターのエンジン始動
音が響きわたる。06 時 40 分始発ヘリが飛び立つ。07 時 00 分カトマンズからの
1便2便が続けて到着し素早く騒音と共に飛び立ってゆく。間を空けることなく
3 便 4 便が飛来し、狭い空港はすぐに満機状態、晴天早朝のラッシュアワーだ。
働き者の大工さんと早起き双発プロペラ機のにぎわいに朝寝をしていられない。
予備日を使わず登頂し2日早く下山してきたのでキャラバン中、恒例のモーニン
グテイ+ビスケット+洗顔用お湯のサービスが提供される。早すぎる朝食を済ま
せても歩きだす必要はない。今日は予備日、休養日、散策観光日とお好み次第。
午前、衛星中継電話で回報 10/12 登頂 10/15 無事下山と妻と話す。通話料 500Rp
知人への絵葉書を書きながらビールを飲む。ツマミに頼んだ香辛料のきいた肉の
揚げ物が旨い。ビールがすすむ。すすめばトイレが近くなる。ロッジのトイレは
水洗になっていてロータンクも設置されているが水が出ない。だが困らない。
元祖ネパール式ウォシュレットが準備されている。個室には満水のポリバケツと
手桶が置いてある。この三点セットが簡易水洗兼ウォシュレット。慣れれば簡単
快適省エネだ。まず右手で手桶を持って水をくみ出しやすい易い姿勢をとる。次
は終了時、右手の手桶の水と左手で汚れを洗い流しペーパーレスで締めくくる。
慣れると快適で、環境にやさしい。よって、食事は右手で食べる。間違っても左
- 124 -
手を使ってはならない。左手は不浄なのだ。握手はもちろん右手。水切れの時は
ロッジのお母さんに知らせるのがエチケットだ。
夕食はメラ登頂祝賀会。シェルパのコックが洗面器でお祝いのケーキを用意し
てくれ、同行したシェルパも一緒に加わり大賑わいとなる。アンパサがターメの
自宅に泊りにこいと誘ってくれる。サーダーが字の書けないアンパサの代筆で住
所を書いてくれる。仕事を辞めて来年にでもと気持ちが熱くなる。
10月17日(火)
晴
カトマンズへ戻る朝。チョオーユーなら登れる、一緒に目指そう、その前に泊
りに来い、何時来ると話の尽きないアンパサと再会を約束して別れた。
07 時 30 分チェックインを済ませ
Yeti Airlines を 滑 走 路 の 脇 で 待 つ 。
次々飛来し折り返す小型双発プロペラ機の主翼が我々の頭上を回転し土埃をあげ
て舞いあげる。09 時 20 分やっと搭乗便飛来、09 時 25 分離陸、09 時 55 分カト
マンズ着。藤原は空港から腫瘍の治療のため直接病院へむかう。3名はホテルシ
ェルパへ。部屋は1階、窓には頑丈な鉄格子付きで留置場に収容されたようで警
備は万全と割り切る。藤原が治療から帰ってくるが具合はいまいちらしい。それ
でも昼食は日本食をとダルバールマグにある「古都 KOTO」へ歩いてゆく。メニ
ューはカツ丼、古都弁当、肉のしょうが焼、ハンバーグ定食にミソ汁漬物がつく
かなり日本の味と素材が使われていて食べやすい。調理人は日本で修行したネパ
ール人。帰りに高級そうなスーパーマーケットで晩酌用ビールを買い込む。夕食
は 4 人揃ってネパール料理「ダルバート
タルカリ」を右手指を使い皿のカレー
とライスを混ぜ合わせて食べる。結構さまになってきたようだ。支払い 3,300Rs
10月18日(水)
晴
藤原の具合が悪化し午前医師の往診を受けるが午後病院に行くことになる。ホ
テルからお見舞いの花が部屋に届けられる。ホテルのメイドたちも部屋の様子を
伺うような気配がある。当人はネパールで体にメスを入れるのは嫌だと云い張っ
ている。肛門付近に化膿したデキモノが大きく腫れあがり痛むらしい。我々と同
じ行動をしていたグループの日本人の一人はカトマンズで入院し当分治療を受け
るらしい。助言は難しい。どうにか帰国出来る程度の状態になることがベストな
のだ。木村と次のネライ「チョー・オユー」の地図や各国登山隊が帰国時残した
登山用品を探しにタメル地区に出かけ、藤原に頼まれた品を買いホテルに戻る時
に 10 月 7 日タナで追い抜いていった足の不自由な若い僧侶に出会う。相変わら
ず何も持たず独り、僧衣も同じオレンジ、一瞥を与えてすれ違っていった。ただ
それだけだが謎の僧侶?記憶に残った。午後はパタン見物に行き鋳造したシーガ
の置物を買いホテルに戻ると、藤原が歩けるようになり佐々木と韓国料理店へ木
- 125 -
村組はネパール料理店へと二手に分かれ夕食を食べに行く。
10月19日(木)
05 時 00 分、暗く寒いがひるまず起床。アッサントーレ探索に出かける。
道端のあちこちの八百万の神様に灯明とお供物と花を供える人々が行き交い、供
えられた灯明の小さな炎がゆれ、商いの品を広げる黒く寡黙に動く人影を薄くつ
くる。空が明るくなり商いの品が見えるようになると買い物客でにぎわいだしア
ッサントーレのにぎわいが始まる。人手が多くなったところでホテルに戻る。朝
食はホテルの食堂、4人揃ってとる。朝食後は4人でアッサントーレ見物にでか
けて土産物を見てまわる。小さな
ガラクタが目につくので絵葉書を
買う。本当の土産品?は佐々木組
お気に入りの「ルートネパール」
でまとめ買いをした。高級品カシ
ミヤショールからTシャツ、お線
香と何でもありの店。日本円で支
払いお釣りに日本円硬貨が用意さ
れている。
ネパール登山協会から「MERA
PEAK 6654M
登頂証明書」が各
人宛てに届きNEPALでの成功
した登山がおわった感動と淋しさ
が交差する。
「メラピーク登山隊2000」の
最後の夕食は他の日本隊と一緒に
「レストラン VAN VAN」で野生
の猪のシャブシャブを楽しむ。登
山中に比べれば何でも旨くなる。付け合わせのネパール産フキの煮つけもうまい。
日本で食べている気分だ。締めくくりはホテルのバー、ウイスキーMOUNTE
VERESTで決まり。
10月20日(金)晴
~21日(土)
カトマンズ発 TG320 13 時 40 分⇒18 時 10 分バンコック着
ぎ 5 時間待ち TG642 23 時 10 分発⇒成田到着 10 月 21 日
空港内で乗り継
07 時 00 分
到着ゲートで妻の出迎えを受けホットし佐々木、藤原、木村と別れ 21 日間の山
旅は終わった。次は八千米級が夢、夢は見続けていると形になるらしい。
- 126 -
12
お知らせ
1.新入会員の紹介
平成22年度の新入会員は30名で、会報66号発行後に入会された方は下記
の4名です。
沖
田
兼
男
様
自宅
053-
関
根
敏
明
様
自宅
03-
四ツ島
光
康
様
自宅
042-
谷
淮
二
様
自宅
049-
口
2.退会者
平成22年度下半期に退会された方は下記の7名です。
丹
野
相
場
吉
冨
龍
昭
三
様
柴
清
様
関
男
様
田
正
路
様
田
中
さ
だ
様
小野寺
3. 余 栄
次の方が生前のご功績により、余栄を授けられました。
相曽
新一
様
平成23年1月
6日
*
瑞宝単光章
鈴木
秀明
様
平成23年1月
6日
従六
瑞宝単光章
蔵並
菊雄
様
平成23年2月
4日
*
瑞宝単光章
石井
清
様
平成23年2月14日
*
瑞宝単光章
大野
嘉之
様
平成23年3月28日
*
瑞宝単光章
小沢
恒夫
様
平成23年3月28日
従六
瑞宝双光章
小原
敏郎
様
平成23年3月28日
*
瑞宝単光章
4.役員会・常任幹事会の実施内容
(1)役員会
開催年月日
主
要
議
題
22.4.26
1.第1回理事会報告
(第1回)
2.平成21年度収支について、監査報告
3.平成22年度(予算案)について
- 127 -
常
雄
様
悟
様
(第1回つづき) 4.平成22年度支部総会準備、議案等について
5.迎寿記念品の選定について
6.平成 21 年度のサークル幹事・世話役について
7.レク・サークル活動計画について
22.6.30
1.支部定期総会実施報告
(第2回)
2.会報発送について
3.平成22年度支部役員業務分担について
4.平成22年度支部活動スケジュール<案)について
5.支部役員の連絡体制について
6.レク・サークル活動状況について
22.8.27
1.地区懇談会の実施計画について
(第3回)
2.電話順送表等の発送について
3.会員名簿の補正作業について
4.会報66号の進捗状況について
5.レク・サークル活動実施状況について
22.12.17
1.理事会・常任幹事会合同会議報告
(第4回)
2.「むせん初春の集い」の準備について
3.会報66号の発送について
4.平成23年1月~6月の支部活動スケジュールについて
5.レク・サークル活動状況について
6.事務所内資料の整理状況について
23.3.30
1.東北関東大震災の被害者支援について
(第5回)
2.支部定期総会議案について
3.平成23年度の迎寿会員・名誉会員について
4.会報67号の進捗状況について
5.平成23年度サークル幹事/世話役について
6.レク・サークル活動状況について
(2)常任幹事会
開催年月日
主
22.5.14
1.本部常任幹事会報告
(第1回)
2.支部総会準備
要
3.レク・サークル活動状況
- 128 -
議
題
22.7.30
1.本部理事会報告
(第2回)
2.第1/4半期収支報告
3.地区懇談会の準備状況について
4.首都圏無線会報告
5.会報66号の編集方針について
6.支部顧問・参与の一部変更について
7.レク・サークル活動状況について
8.電話順送表の準備について
22.9.29
1.新春懇談会の準備
(第3回)
2.各種資料の保存期間
3.会報66号の進捗状況
4.レク・サークルの活動状況
5.2010 版会員名簿の最終点検・修正
22.11.19
1.本部常任幹事会報告
(第4回)
2.第2/4半期収支状況
3.会員名簿の発送について
4.地区懇談会の実施状況について
5.退職者との交流会状況
6.「むせん初春の集い」の準備について
7.会報66号の進捗状況について
8.レク・サークル活動状況について
23.1.7
1.第3/4半期の収支状況
(第5回)
2.「むせん初春の集い」の準備
23.2.25
1.平成22年度末収支見込について
(第6回)
2.むせん初春の集いの実施状況について
3.平成22年度施策の実施状況
4.第2回ボランティア活動関東電友会会長賞候補者推薦
5.会員情報システムのデータベース取り扱いについて
6.支部総会議案について
7.会報67号の進捗状況
8.レク・サークル活動状況について
9.支部役員を選任する場合の年齢ガイドラインについて
- 129 -
5.物故者の職歴など
平成22年度中に亡くなられた方々は25名で、会報66号発行後に亡くなられ
た15名の方の職歴などを掲載いたします。
氏 名
( 年令 )
死亡日
須賀
昭和22年11月
(84 歳)
略歴
東京統無中、臨時極超短波部、大阪無線通信部
平成 22 年 10 月 3 日
退社
昭和44年4月
入社
昭和9年4月
(94 歳)
略歴
国府津送受信所、双子無中、電信調整所
平成 22 年 11 月 8 日
退社
昭和47年2月
入社
昭和20年11月
(92 歳)
略歴
戸塚特別送信所、千代田統無中
平成 22 年 11 月 14 日
退社
昭和50年3月
関東通信局
入社
昭和33年4月
筑波無線中継所
(72 歳)
略歴
東京統無中、検査部、唐ヶ崎統無中
平成 22 年 11 月 30 日
退社
平成11年3月
入社
昭和20年10月
(92 歳)
略歴
東京無線通信部、江古田統無中、関東通信局
平成 22 年 12 月 20 日
退社
昭和52年3月
神奈川電気通信部
入社
昭和17年4月
電気試験所第四部
(83 歳)
略歴
資材局、塩原報話局、吹上報話局
平成 22 年 12 月 28 日
退社
昭和58年3月
関東通信局建築部
入社
昭和25年9月
新潟統無中
(78 歳)
略歴
東京統無中、臼井無線送信所、茂原統無中
平成 22 年 10 月 31 日
退社
平成1年4月
入社
昭和20年11月
(90 歳)
略歴
江古田統無中、銚子無線送受信所
平成 22 年 6 月 10 日
退社
昭和51年2月
渋谷統無中
入社
昭和19年7月
岩槻無線受信所
(84 歳)
略歴
東京電気通信学園、東京無線通信部
平成 23 年 1 月 31 日
退社
昭和60年3月
鈴木
宮坂
蔵並
石井
夏目
佐藤
遠山
新一
秀明
武男
菊雄
清
正治
千代五
元
様
歴
入社
相曽
連七
略
様
様
様
様
様
様
様
様
- 130 -
岩槻無線受信所
技術局
東京逓信講習所
館山統無中
東京逓信局
衛星通信センタ
東京無線電気通信工事局
中央ネットワーク支社
戸塚分局
宇都宮統無中
大野
嘉之
入社
昭和13年3月
(92 歳)
略歴
江子田統無中、川越統無中
平成 23 年 2 月 3 日
退社
昭和46年4月
東京無線通信部
入社
昭和25年8月
岩槻無線受信所
(81 歳)
略歴
東京統無中、札幌統無中、保全局
平成 23 年 2 月 6 日
退社
昭和59年11月
関東通信局
入社
昭和15年10月
東京都市逓信局
(85 歳)
略歴
検見川送信所、無線電信調整所、筑波無中、
平成 23 年 1 月 9 日
退社
昭和45年3月
入社
昭和14年12月
(89 歳)
略歴
水戸統無中、マイクロ無線部、宇都宮統無中
平成 23 年 2 月 4 日
退社
昭和53年1月
本社技術局
入社
昭和40年4月
東京無線電信調整所
(66 歳)
略歴
千葉ネットワークセンタ、ドコモ山梨支店
平成 23 年 3 月 3 日
退社
平成12年3月
ドコモ東京設備SC
入社
昭和22年9月
関東電気通信工事局
(84 歳)
略歴
東京統無中、熊谷統無中、銚子無線送受信所
平成 23 年 3 月 5 日
退社
昭和58年3月
小沢
恒夫
田中
敏夫
里見
博
平塚
義一
小原
敏郎
様
様
様
様
様
様
東京都市逓信局岩槻受信係
関東通信局
検見川無線送信所
銚子統無中
6.その他
(1)会報「むせん」への投稿のお願い
会報「むせん」は会員の皆様からの原稿を募集しております。内容は、「随想」
としての扱いで紀行、趣味、社会貢献、ボランティア、エコ生活の工夫等自由で
す。ページ数は会報のページで写真を含め3枚前後です。
また、年度内にお亡くなりになった方への追悼文を毎回掲載しておりますが、
原稿の執筆をお願いできる方を探すのが一苦労で、なかなか投稿まで進めないの
が現状です。是非、故人への追悼文の投稿を希望される方は申し出ください。
(2)ボランティア活動に対する表彰
①藤井一明様は平成22年11月18日、
「おもちゃドクター」としての活動に
より電友会全国本部主催による「ボランティア活動全国本部会長賞」を受賞表
彰されました。
②関政雄様は平成23年5月28日、永年に亘る地域でのボランティア活動に
対し「ボランティア活動関東電友会会長賞」を受賞されました。
- 131 -
(3)会員による出版物の紹介
埼玉県朝霞市にお住まいの当支部名誉会員井上五郎様(大正7年2月生まれ93
歳)が、ご自身の生涯を集大成した『風景の決断(A5版 490 頁)』を出版され
ました。この本が東京無線支部元支部長田中潤一様に贈呈されましたので紹介し
ます。
- 132 -
13
無線中継所の今昔物語
第2話
銚子無線送受信所
明治41年(1908)5月16日に日本初の無線電信局として、現在の銚子ポー
トタワー周辺(川口町:夫婦ケ鼻)に開設されたのが銚子無線(送受信所、電報
局)の始まりです。その後、受信所は昭和4年(1929)に現在の君ヶ浜に近い小
畑新町へ、また送信所は昭和 14 年(1939)に利根川河口に近い野尻町へ、それぞ
れ移転しました。
昭和30~40代は、世界の七つ
の海を航海する貨物船、客船、捕鯨
船団、大型タンカー等との交信、ま
た南極の昭和基地、小笠原など、年
間電報取扱総数は 130 万通を越えた
こともあり、名実ともに世界のJCS
(銚子無線のコールサイン)と称さ
れました。しかしながら、その後、通信手段は船舶電話や衛星通信へと発展、中
波、短波を主体とするモールスによるJCSの無線電報業務は、平成8年(1996)
3月31日に廃止となりました。
この間、88年、無線電報局に 843
名、送信所(受信課含)には 576 名
の職員が在職しました。廃止から既
に15年の月日が流れました。あの
頃のJCSは今、どうなっているの
でしょうか。訪ねてみました。
①
第1送信所:JR椎柴駅より送
信所に向かうトロトロ坂は完全舗装の二車線でした。また、途中にあったデンプ
ンの干し場は思い当たりもしません。坂道途中、左に折れると送信所の入口です。
反対の右側には銚子市立西高等学校があ
ったのですが、数年前に春日台の銚子市
立銚子高等学校に統合され、今は空施設
のようです。
敷地、建物は一時期、NTT-MEが使
用していたと聞いていましたが、今では
別の企業が入っております。送信棟、事務棟、電力棟などの建物はそのまま使用
されております。屋外の空中線系設備、また社宅は全て撤去されておりました。
- 133 -
②
第2送信所:対小笠原、南極などの送
信機が設置されていた第2送信局舎は、使
用されていない模様で、隣接の対小畑受信
所向けのエントランス用鉄塔に携帯電話の
アンテナが搭載され、鉄塔基部付近に無線
機を収容したNTTドコモの中継函が置かれておりました。周辺に張り巡らされ
たロンビックアンテナ・鉄塔も全て撤去され、代わって今は大きな発電用風車が
何基も立っており、鈍い音を響かせながら回っておりました。
③
銚子無線受信所(無線電報局)
:受信課があった小畑新町の銚子無線電報局は
閉局後、銚子市役所に移管、通信室の局舎外
観は全くそのままで内部改装後、平成13年
10月に銚子市新生町の公正市民館の公民館
機能が移転され、今では銚子市民の生涯学習
のメッカとする「銚子市市民センター」とし
て生まれ変わっています。市民の多様な要望
に応え、誰もが気軽に利用できる施設を目指して、主催講座の充実、学習機会の
提供、地域活動やサークル活動など生涯学習
の場として利用されております。館内の一部
に銚子無線電報局だったことを記念する
「Here's JCS跡地」のタイトルで電鍵、受
信機などの展示物を含め88年間の輝かしい
歴史がパネルに集約され紹介されておりました。局舎周辺にあった平屋、アパー
トの社宅は撤去されておりますが、玄関前に残された(無線電報局事務棟前にあ
った)一本のケヤキの木は健在でした。
④
「無線電信創業之地」碑:
明治41年に開
設された無線電信局跡に設置されていた碑は、銚
子漁港の大改修に伴い、現在は銚子ポートタワー
の駐車場の一角に「銚子無線電信局発祥の地」の
説明看板と共に移設されております。また、ポー
トタワー内の一角にもその歴史を説明するパネルが展示されておりました。
⑤
椎柴苑の鉄管柱:大場所長時代に職員の皆さんで造りあげた椎柴苑に置かれ
ていた、創業当時の鉄管柱(ノルウエー製)は、現在、千葉県立銚子商業高等学
校海洋校舎(旧、銚子水産高校)の校庭に、アクリルのケースに収められ、由来
書のプレートと共に、大変丁重に保管されています。
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( 髙尾
忠男 記 )
編 集 後 記
○
桜、つつじと花のシーズンはいつもと同じように移り変わって行き、新緑の
シーズンを迎えました。しかし、3月11日の大震災の悲劇は被災者へはもと
より、日本中に重くのしかかってきており、行楽:自粛という雰囲気に包まれ
ております。
○
「むせん」67号では会員の被害状況など、震災との関連記事の掲載は時間
的な制約もあり取り組めませんでした。唯一関東電友会としての見舞金拠出の
御協力に対する支部長からの御礼の記事を掲載しました。震災関連記事は6
8号の干支だより、随想のなかで扱ってゆきたいと考えております。
○
例年会員の近況だよりは会員の約半数の方からは葉書、メール等でいただき
ましたが、本年は 160 名に留まりました。68号では干支を迎える会員へ郵便
やメールで投稿のお願いを致しますので、是非お寄せください。「元気です」
の一言も大きな便りです。よろしくお願い致します。
○
これから暑い季節を迎えますが、会員の皆様には、健康に留意され、この夏
を元気に過ごされますようお祈りいたします。
( 渡部
発行年月日
平成23年6月25日
発
行
所
関東電友会 東京無線支部
事
務
局
〒107-0052
東京都港区赤坂8-4-23
NTT-COMテレビジョン中継センタ内
電
話
03-3408-4259
FAX
03-3408-4216
ホーム
ページ
http://www2.ocn.ne.jp/~musensb
Eメール
[email protected]
編集者
渡 部 律 雄
齋 藤
隆
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律雄
記 )