名和会長のシリーズインタヴュー≪≪この人に聞く≫ ⑫ 大学生協 OB 小見 弘さん 「生協人生を振りかえって」 今回は小見さんにインタビューをお願いした。京都に帰られてからは、生協史 研究会のメンバーになり、大学生協の基本的なことを教えてもらった。大学生協の 知恵袋というべき方である。このインタビューのなかでも、幅広い体験のなかから 大学生協人の交流の大切さや時代に相応しい大学生協運営のありかたなどにふれて もらった。最近はローマの古典に没頭し、ヨーロッパ旅行を計画されているそうだ。 大学生協には勉強好きの職員さんが多いように思われる。 (小見弘さんは O、名和は N と略) N 早速ですが、小見さんのご出身についてお尋ねします。 O 出身は新潟県上越地方で現在は十日町市松之山という 温泉街です。1947 年 7 月 30 日生まれで今年 65 歳になり ます。高校まで新潟で過ごしその後東京で浪人生活をおく り、67 年に同志社大学文学部に入学、社会学科社会学専攻 でした。 N 上越というと「郵政の父」ともいわれる前島密が高田郊外の出身で当時北越鉄道の社 長をしていたと伝えられています。ところで高校時代はどう過ごされていましたか? O 高校生の頃から政治に興味を持つなど早熟なところがありました。大学入学後の 68-69 年ころ東大闘争の際には赤門あたりで 3 か月間くらい活動していました。 N 東大闘争といえばシャンソン歌手の加藤登紀子さんの夫が知られていますね。 O 当時から知っていました。といっても向こう側でしたけれど。 N そういえば京大生協専務理事や事業連合常務理事を歴任された平信行さんも高校生の ころから政治問題に関心があったとのことでした。 国内外を放浪して O その後政治活動から遠ざかって海外を放浪したり、返還前の琉球政府時代の沖縄に 1 年くらい住んでいたこともありました。当時沖縄には戦後の映画に出てくるような所謂 『パンパン』という娼婦がいて戦後の風景を彷彿とさせるものでした。私自身は英語の勉 強のつもりもあって外人バーで働いていました。 香港には 3 か月、台湾にも行きましたが、本音は日本を脱出したいという思いがありま した。鬱病の再発で帰国せざるを得なくなりました。 N 文化大革命のさなかの中国大陸には行けませんでしたね。 O 大学に入り過激な学生運動の影響でしょうか、 1 年おきに躁鬱症を発症し、鬱の時には言葉がしゃべ れない状態に陥っていましたが、そうした状況はその 後も続いていました。71 年に海外から帰ってきて京都 駅で偶然大学の友人に会い、その下宿に転がり込みま した。大学に復帰した後も京都で夜の仕事をしていま した。大学では「水曜会」という資本論研究会のメン バーとつきあっていて、下宿に後輩がよく遊びにきて いました。生協の活動は 68 年(?)の「民主化総代 会」の時に総代として活動した以外、在学時代はもっ ぱら学生運動ばかりでした。 N 海外を体験して、本気で勉強しようと考えたわけですね。 O よる働き、昼間、もう一度初期マルクスの学習などを独学でぼちぼちやりはじました ね。当時は左京区に住んでいて、そのころ安井病院(現在の第二中央病院)の薬剤師をし ていた現在の妻と知り合うことになりました。 同志社生協に入る N 大学生協に入協されたのはいつですか? O 1975 年に同志社生協に入りました。実はその前に現在コープしがの副理事長をされて いる千葉さん―彼は大学当時の先輩でしたが―から就職先として紹介してもらった京都生 協の面接を受けました。そこには内原さんや横関さんらがおられました。結果は不合格で した。当時の私は躁状態でかなりはね上がった発言をしたと思います。 同志社生協に入協したら飯村さんや川本さんら学生時代に一緒に活動していた仲間がす でに活躍していました。入協の 1 年目に再び鬱になったが幸いそれが最後となりました。 同志社生協時代の思い出は昨年発行された『大学生協京都事業連合の歩み』にも書いてい ます。 N その後数年を経て、新たな部署に移られますね。 O 1981 年に京都事業連合に移籍しました。最初食堂部に配属されましたが、当時の大学 生協の食堂事業はどこも赤字状態で『食堂がなけれは黒字になる』と揶揄されるほどでし た。そしてそのころの食堂部門で私以外にチェーンストア理論を知っている者はいない状 態でした。そういうなかで食堂事業の再構築が求められ、私が第一次中計策定にむけた食 堂事業部門政策を担当することになりました。 N 1983 年には「立命生協事件」がありましたね。 O 事件当時、事業連合専務理事であった長さんが『事業連合全体の改革が必要』と考え 当初課長代理として赴任した私が理事会室長の任にあたることとなりました。その時に 50 年代から京大生協職員として活躍しておられた坂尾さんのもとで半年間一緒に人事、教育、 政策に関わる仕事をしました。この頃京都の大学生協は、すでに全国的には確立した「学 園に広く深く」という総路線とはまったく別の活動をやっていました。この関係で策定さ れた事業連合の第 1 次中計の用語が生協職員に理解されないという状況があり、中計の巻 末に「用語集」を添付するようなことをしていました。当時京大以外はすべて事業剰余で 赤字状況でしたが、そこには過去の学園紛争で受けた被害の影響が色濃くありました。 N 同志社生協の赤字のはじまりが学園紛争時に受けた被害にあるということを、私も大 学生協史研究会で知りました。その後大学生協は地域生協支援のとりくみをすすめたわけ ですね。 O 私が入協した 75 年以降は夏休みの時期に手弁当で洛南生協づくりの支援をしていまし た。また物販や書籍担当の若い職員が入協後 3~4 年で地域生協に移籍していきました。 もっとも私は食堂に配属されたので地域生協に異動することはありませんでした。 N 小見さんが東京へ行かれたのはいつ頃ですか。 全国大学生協連へ O 1992 年に全国大学生協連合会に移りました。その当時連合会はアップル社のマッキン トッシュというパソコンを販売していました。その頃にはまだ現在のアップルジャパンが 存在せず、アジア全体を統括する会社が東京にあった時代に、連合会が日本で独占的に販 売していました。岡安さんが連合会専務理事の時です。S&R(スタディ・リサーチ)事業 部長として大久保さんのあとをついで仕事をしましたが、その後 3 年ほどで解散しました。 そのときの経験から『連合会というところは事業をするところではない』という実感をも ちましたね。 N その頃の大学生協は外から見ると拡大路線を走ってい たんですね。その少し後に私も大久保さんと組んで HSK 水平考試という中国語検定講座に関わりました。その後 はなにをされましたか。 O 当時はまだ現在のようなインターネット環境がなく、 パソコンでインターネットできるのは当時マックだけと いう状況でした。今のウェブサイトでなくゴーファーと いうものを世界の研究者たちが使っていた時代でした。 その後は大学自身が大きく変化し LAN 環境もすさまじい勢いで進展していった結果、大 学生協も変化しなくてはならないということで政策立案に迫られていきました。それが、 私が政策立案の仕事を始めたきっかけでした。 N かつて事業連合の大原さんが、学生生活実態調査の報告のなかで『90 年代、学生のパ ソコン保有者はたった数%、現在では非保有者が数%』と言っていたのを思い出しました。 その後劇的に変化していったわけですね。 O 京都事業連合に赴任した当初パソコンをもっていたのは私だけでした。個人で買った 88 という 8 ビットパソコンで連合の 2 次中計やら職員のベアー計算などをやっていました。 アップル社が京都の国際会議場で環太平洋諸国の研究者をあつめてカンファレンスをやり ました。 連合会がMacを取り扱う関係でそのカンファレンスと関わりをもちました。 そのプレカンファレンスということで PC カンファレンスが始まったのが 93 年でした。 N 私が同志社生協理事長としてかかわっていたときに、第 4 回 PC カンファレンスが同志 社田辺キャンパスで開催されました。そのときに PC カンファレンスの事務局メンバーと して同志社に来ておられたわけですね。 O その頃の大学生協連合会はちょうど事業部制からチーム制に移行する段階で、その起 案にかかわっていました。 N つまり大学生協連合会のシンクタンク的なところに小見さんは関わっておられたとい うことになりますね。 O 私が東京に移ったころには京都の食堂事業はすで に黒字となっていました。そのとき今岡さんらが中心 になって大幅な事業改善をすすめたわけです。その結 果京大生協の中央食堂のネット率はなんと 10%にも 達する勢いでした。 他方、当時の東京事業連合傘下の食堂事業は、やれ ばやるほど赤字状態で、70 年代の京都と同じ状況を 呈していました。そこで 96、97 年ころに理工学部の 大井理事長がおられる早稲田大生協の秋山専務から食 堂事業改革のため呼ばれました。そこに 2,3 年出向で いたあと 2000 年に連合会に戻りました。当時秋山さんも東京事業連合専務になっていて、 東京全体の活性化のために奮闘されていたころですが、東京全体の食堂改革のため『小見、 来てくれ』ということでした。結局東京事業連合には 9 年間ほど在籍しました。 N 同志社生協にはじまり京都事業連合、全国大学生協連、早稲田大生協、東京事業連合 とたくさんの大学生協組織を経験されたということになりますね。 大学生協運動の節目に O 最後の段階で企画政策部の責任者になっていたころ、東大生協改革が課題となり、当 時の役員室長だった大本さんが東大にいくことになり、穴があいた役員室長を兼任せよと いうことになったわけです。 私は 2008 年で定年退職したわけですが、その 8 ヶ月前の 5 月に当時連合会常務だった 秋山さんにまた呼ばれて再び連合会に戻りました。生協法の改正(改悪かな?)、あらた に全国共済連合会を設立する必要があり、その政策作りが仕事でした。単に全国共済連設 立だけでなく、連合会機能もふくめた全国の事業連帯のあり方を改革する必要が叫ばれて いました。当時全国に 10 の事業連帯組織が 10 億のコストをかけて運営していましたが、 それをなんとかしなくてはならないということで、「連帯の在り方答申」の原案づくりに 携わりました。その後、私の後任ということで、当時東大生協の常務理事だった米田さん に来ていただきました。彼は答申の具体化で全国を奔走していた関係で、当時の京都に深 く関わることになりました。そのあと彼は京都の事業改革のため自ら手を挙げてやって来 たということになります。 N 小見さんは長い間、赤字状態の東京事業連合などの事業を改革していくため奮闘され たわけですが、大学生協が変革を遂げる時の生協の強さ、弱さについてどのように感じら れましたか? 小見さんは大学生協史研究会のときに、会員生協と事業連合との関係や運 動体と経営体の二つの側面についても述べられていましたが。 O 最初に入った同志社生協では食堂部門なので長靴をはいて現場の仕事に専念していま したし、京都事業連合に移った後に政策立案、デスクワークに入っても、やる内容は事業 政策が中心でした。東京事業連合にいって第 10 期中期計画策定の議論に加わり、国立大 学の法人化やコンビニが大学に入ってくるような状況のなかでようやく本格的に「生協と は何か」を考え始めたと思います。 N いわゆる「98 年問題」について、わたしは京滋・奈良地域センターの会長として全国 の方々のご意見を伺うことがありましたが、そのとき『京都の大学生協は特異な存在か』 と考えることがありました。小見さんは当時どのように思われましたか。 O 98 の半年前には早稲田大学生協にいましたが、当時の京都事業連合の知り合いからた くさんのファクスが私のアパートに送られてくる状況がありました。そのあと、京都の大 学生協は生まれ変わるかと思いましたが、結局変わらなかったと感じました。京都の問題 は決して「よそごと」ではないと感じました。東京事業連合の 10 期中期計画をつくるう えでもそのことを考えました。また連合会をはじめ大学生協関係者に大きな影響や衝撃を 与えたのは事実です。大学生協で役員があのようなかたちで 3 人も辞めることはかつてな かったことですから。 N 生協関係者にとってやはり大きな出来事でしたね。全国の方々と話す中でその雰囲気 は私にも伝わってきました。 生協人同士の学び合いを O 98 年以降京都の大学生協の経営立て直しのため、米田さんなど多くの支援人事が進め られた結果、事業面では連合機能を活かして軌道に乗ってきた感があります。しかしまだ 後遺症が存在するのではないかと思います。わたしは 92 年から京都を離れずっと東京で 仕事をしてあらためて思ったことは、外から見ると京都の組織には「先輩がいない」とい うことです。具体的にいうと、たとえば京都で大学生協の「40 年史」がまとめられました が、発刊を契機に大学生協の多くの先輩たちを呼んで 交流したり、その智恵を生かすとい うような発想がありません。東京でも大学生協から地 域生協や日本生協連に移っていく人たちがいますが、 そうした人たちや他生協のみんなとも絶えず交流があ ります。京都ではそれがない。それは組織にとって何 か物足りないと思いますし、長く深い大学生協の歴史 を持つ京都としても、もったいないことです。もう一 つ、大事なことだと経験から学んだことですが、事業 に関する学習重視です。生協は運動体ですから組合員 活動などは運動内部から新しい活動方法・スタイルが でてきます。最近では読書マラソンのように。生協は 民主的な組織です。民主的な組織は組織内部に目がゆきますが、外部にはなかなかゆきま せん。これは、事業活動にとってマイナスです。事業はたえず競争関係にあります。競争 に負けないためにはたえず外部に目をやること。生協外から様々な学習は注意をもってお こなう必要があります。 N この間京阪神北陸の機能統合がすすんでいますが、小見さんから見たアドバイスをお 聞かせいただきますか。 O 京阪神北陸を見たばあい、重要な問題はそれぞれの組織体質が違うことでしょう。米 田さんは、圧倒的に規模の大きい京都のしくみは東京といっしょなのでやりやすかった、 と言っていました。京阪神北陸全体がこれから事業政策をまとめるにあたって、マネジメ ントのしくみを標準化していくことがカギだと思っています。それは、連帯組織の意思形 成と決定の仕組みの標準化だけでなく、会員においても専務を中心とした日常的な意思形 成と決定の仕組みをも標準化していくことです。 N 大学生協の今後の課題は何であるとお考えですか? O 競争の激化や傾向の変化が真っ先にあらわれる東京が一番厳しいと思います。今年、 京都の会員の決算は連結で 2 億 2 千万(税引前剰余)の黒字とのことですが、東京はその ままの規模で赤字となったようです。 長期にわたるデフレだけでなく、特にリーマンショック以降学生の変化や大学自身の変 化が顕著となっています。たとえば大学 3 年生は就活で忙しくて生協食堂を使うどころで はなく、食堂は赤字です。しかし大学生協はそうした学生に対応したビジネスモデルを持 ちきれていない現状があるわけです。京都の大学生協は現状では一見順調に見えますが、 それは今までやるべきことをやってこなかったからなのであって、今後は厳しくなってい くのではないかと思います。特に京都は都市型大学が多いので東京の傾向に近いのではな いかと思います。 東京とは対称的に中国・四国地域の大学生協の食堂事業は比較的順調です。10 年くらい 前から言っているのですが 1 県 1 国立大学を基本とするそれらの地域では、国家、地方公 務員の子弟である学生が多く、大学近辺に下宿して卒業後も公務員などになって県内に残 ることが多いようです。そういう地域ではミールカードシステムは有効です。かつてそれ らの地域では東京をはじめとする大都市圏に進学することが多数見られましたが、今では 様変わりしたわけです。しかし今後は公務員削減の傾向が強まっていくことが予想されま す。そうすれば再び新たな見通しの元に新しい事業展開をしていかなければなりません。 そのように絶えず現状を分析して新しい事業政策確立をめざしていくことが重要だと思い ます。 N 情勢の変化に対応する戦略がない、遅れている現状をどう変えるかという問題提起で すね。本日はお忙しいなかお付き合いいただきありがとうございました。 (2012.3.26 実施) 2011 2011 1 ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ● ○ ● ○ 147 ● ● 2 ○ ● ○ ● ○ 4 ○ ● ○ ● 9 ○ ● ○ ● ○ ● 4 ○ ● ● ● 3 ○ ● ● 4 2011 42 1 2 6 ○ ● ○ p139 ● ● 3 3500 ● 4 5000 ○ ● 6000 P2K 700 2600 2 6 ○ ○ ● 2020 3 ● 2020 1 ○ ICT ● 6 ○ ○ 6 ● 2 ● ○ ○ 6 ● 2012 6 ○ ● 228 4 DM 500 10 iPad iPad ● ● ○ ● ○ iTune ● PC 5 6 2012 CL ○ ○ ● US ● ○ ● ○ PC 4 DM ○ ● 3 ● 17 56 2011 ○ ○ ● ○ ○ ● 2 ● PC ○ ● PC 1 5 ● 2 PC 1 50 7 ○ PC 5 1 ● PC ○ PC ● PC ● 98 2010 2 2 2 ○ ● 2 ● ● ○ PC ● ○ A WEB ● ○ ○ 6 ● 16 35 ○ ● ○ 13 ● ○ ● ● ○ ○ ● 2012 ○ 5000 ● ○ ICOCA ● ● ● ● IC ○ IC IC ● ○ ● ● 1 A B ● ● ● CL FS CS ● ○ 10 IC ● ● 17 47 1 2012 2012 年 5 月大学生協京都事業連合 FS 事業部門店長会議報告 事業部門店長会議報告 2012/05/17 FS 2012 5 17 14 18 00 2F ○ × ○ ○ ○ × △ △ × △ × × ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ △ ○ ○ ○ × × ○ × × × ○ ○ △ ○ ○ 24 × × ○ × △ △ △ △ ○ × × ○ 1 1)4 月事業概況報告 2)機能統合関連報告 2012 US 3)業務支援課・ 業務支援課・ケータリング課 ケータリング課 4 月報告 4)商品計画 ○ ○ 7 8 7 4 13 5)食材情報・ 食材情報・計画 1 6)食生活提案衛生関連 7)8 月事業運営の 月事業運営のポイント 8)店長会議連続学習会 2 FS 4 4 5 4 2 16 9) その他 その他 2 Univ.CO-OP Kyoto Business Assoc. Business Support 2012 2012 5 5 18 14 00 18 30 : b) 4 ………………………………………………………………………………… % 4 6 7 ……………………………………………………………………………………………………… NB 2012/06/12 Univ.CO-OP Kyoto Business Assoc. Business Support ……………………………………………………………………………………………………… ……………………………………………………………………………………………………… CS ………………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………… 2012/06/12 Univ.CO-OP Kyoto Business Assoc. Business Support ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ ⇒ 2012/06/12 Univ.CO-OP Kyoto Business Assoc. Business Support ⇒ ( ( ) ( ) ) ⇒ ⇒ ⇒ Web ……………………………………………………………………………… …………………………………………………………………………………………… …………… or ……………………………………………………………………………… ……………………………………………………………………………………… ……………… 2012/06/12 Univ.CO-OP Kyoto Business Assoc. Business Support ⇒ …………………………………………………… ………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………… e 6 …………………………………………………………… 5 17 X ⇒ 2012/06/12 Univ.CO-OP Kyoto Business Assoc. Business Support ……………………………………………………………… ………………………………………………………………………………… …………………………… ……………………… 7) …………………………………………………………………………… ……………………………………………………………………………………… ……………… 8) ⇒ ………………………………………………………………………………… ( ⇒ …………………………………………………………………………………………… 2012 6 22 14 00 18 00 2012/06/12 2012 1 2012 2012 1 2 5 17 2012 3 10 6 30 30 11 30 4 3 2012 4 5 6 2011 5 2012 4 7 2 4 1 15 2012 14,140 36,418 12,999 31,922 2 20 4 4 731,020 1,380,310 10 697,815 108.8% 1,118,788 104.8% 114.1% 123.4% 115,881 339,018 50,496 5 15 117,040 229.5% 171 #DIV/0! 0.0% 289.7% 3 20 69,529 203,411 44,622 60 6 1 1 2 1 81,148 155.8% 2 100.0% 250.7% 100.0% ~学びから実践へ~ リア充のための3つの方法 “大学生のためのドラッガー“ 著者 松本健太郎氏 講演会レポート 今全国の大学生協で静かなブームを起こしつつある「大学生のためのドラッガー」は研究 書でも流行の自己啓発本でもありません。この書籍の発行にいたる物語は、龍谷大学の松谷 先生が主宰する「みどり勉強会」に集う学生さんたちの学びからスタートしました。 2011年5月に始まった「大学生のためのドラッガー」出版プロジェクトは、2011 年12月に出版にこぎつけることができました。そして「私たちが学んだことを他の学生に も伝えたい」思いから、講演会を実施することができました。本レポートでは、イベントの 様子と実行委員会メンバーの発刊にいたる軌跡をお伝えします。 イベントの様子 イベントの様子 ●あいさつ:小林桃子さん(同女3年生) 冒頭、この企画の元になった「大学生のためのドラッガー」出 版に至る経緯と、今日の講演会の趣旨についての説明が、実行 委員の小林さんからありました。 <第一部>講演:松本健太郎さん 自己紹介のあと、「リア充になる3つの方法」と題した講 演の中で、以下の3点について、ドラッガーの言葉を引用し ながら、説明をおこないました。 (1) 強みを持つ 「何事かを成し遂げられるのは、強みによってである。弱み によって何かを行うことはできない。」 「大きな強みをもつ者はほとんど常に大きな弱みをもつ。山のあるところに、谷がある。し かもあらゆる分野で強みをもつ人はいない。人の知識、経験、能力の全領域からすれば、偉 大な天才も落第生である。」 「未来は明日つくるものではない。今日つくるものである。今日の仕事との関係のもとに行 う意思決定と行動によって、今日つくるものである。逆に明日をつくるために行うことが、 直接、今日に影響を及ぼす。」 (2) → 強みを活かし”今”をどう生きるかが大切である。 勉強癖をつける 「人に教えることほど、勉強になることはない。人の成長の助けとなろうとすることほど自 らの成長になることはない。」 「自己啓発とは、能力を修得するだけでなく、人間として大きくなることである。責任に重 点を置くことによってより大きな自分を見るようになる。」 「知識は急速に陳腐化する。そのため定期的に教室に戻ることが不可欠となる。」 「学ぶことの目的は修養である。今行っている仕事を、より高度のビジョン、能力、期待値 をもって行うためのものである。」 「知識労働者には2つのものが不可欠である。その1つが知識労働者としての知識を身に付 けるための学校教育である。もう1つがその知識労働者としての知識を最新に保つための継 続教育である。これまで学校は、仕事に就けば終わりだった。しかし知識社会では、学校に 終わりはない。」 (3) 夢や志をもつ 「万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成 功と失敗の併存する社会となる。」 「知識労働者は、自らに課される要求に応じて成長する。自らが成果や業績とみなすものに 従って成長する。」 → こういう時代だからこそ“夢”や“志”が大事なのだ。 「社会は一人ひとりの人間に対し、自分は何か、何になりた いか、何を投じて何を得たいかを問うことを求める。」 (4) 最後に 「専門家が増える中で、彼らの言い分を理解し、かつ同じ職 場の同僚に説明する役割それが今、大卒に求められている」 ●参加した学生さんの感想 3年男子:ドラッガーを事前に読んでいたので関心があった。自分自身の強みを見つけ、志 を持つことの大切さなど、再確認することができた。 2年男子:松本さんのお話しを聞いて、目的と手段をはき違えていたのではないかと感じた。 あらためて就職はあくまで手段だと思った。 <第二部>グループワーク:経営者ゲーム 講演会の後半は学生実行委員会による「経営者ゲーム」と いう社会参加のシミュレーションゲームを行ないました。 このゲームは、最初に自分が「起業側」としてゲームに参 加するか、「就職側」として参加するかを決めます。そして 「起業側」として参加する人は、事業を通して何を実現した いのか、理念についての考えを書き出します。「就職側」として参加する人は、自分はどの ような強みがあって、その力を発揮することができるのか、を書き出します。 参加者がお互いの思いを出し合う中で、「就職側」の人は、 「起業側」に対して目指したいことについての質問をするこ とができ、その理念に共感できたらその会社に入る、そうで なければそこを立ち去ることができます。また、一旦会社に 入っても、ゲームが進む中で「ちょっとちがうな」と思った ら立ち去ることができます。逆に「起業側」は、 「就職側」の 人に得意分野を聞くことができ、会社の理念にあえば雇うことができ、そうでなければ就職 を断ることができます。また雇った後でも、就職を断ることができます。こうして最後に一 番大きな人の輪を作った人が優勝となります。 ゲームが始まると「起業側」に立った学生さんからは、 「合 コンで人と人を結ぶ会社をつくりたい」「クラウドで中小企 業をサポートする会社を立ち上げる」など個性的なアイデア が飛び出します。そして「就職側」の学生さんの鋭い質問に 応えられない場面もあれば、ディスカッションの中で「就職 側」学生の意外な特技が語られたりして、社会への巣立ちの 疑似体験ができるゲームでした。 最後の感想インタビューでは、自分がどういう立場でゲー ムに関わったかを語ってもらい、その中で感じたことを今後 の就活や生き方に活かしてもらいたいとのことでした。参加 者一人ひとりが自分の立ち位置を確認できたようで晴れやか な笑顔が印象的でした。 “大ドラ” ドラ”出版プロジェクトでの 出版プロジェクトでの学 プロジェクトでの学び “大学生のためのドラッガー”出版プロジェクト とは みどり勉強会での松本さんの学習会レジメがこのプロジェクトのスタートでした。昨年5月に「本をつくろう」という話 をスタートに、紆余曲折のなか、昨年12月に完成。関東で2回、関西では同志社大学EVEでの講演会を皮切りに、キ ャンパスプラザ京都→ひとまち交流館と講演会を開催し、今日の講演会で都合4回目となりました。 これを多くの学生に知らせて講演会に足を運んでもらうことは大変苦労の多いことでした。 「大学生のためのドラッガー」 公式ブログや facebook ページをベースに、twitter や mixi を駆使して友達やつながった人たちに伝えていくことからは じめました。講演会の前にはキャンパスでチラシを配布するなど、一所懸命告知を行なってきました。 ●実行委員会のみなさんからお話しをお聞きしました 阿部充志さん(同志社大学2回生) 森泉裕貴さん(同志社大学2回生) 小林桃子さん(同志社女子大学3回生) 田中重吉さん(龍谷大学3回生) 新町冴子さん(龍谷大学2回生) 乾 小川 和広さん(龍谷大学3回生) 遥さん(同志社大学3回生) Q:このとりくみをすすめる中で一番大変だったことは? A:松本さんに怒られ続けたことです。「決めた期限を守れな いとはどういうことか。やりも出来ないことを『やると言う な』」とよく言われました。でもこうしたやり取りを経て出版 までこぎつけたことで、自分自身の成長にもつながり、自信に もなったと感じています。 A:一番学んだのは「継続することの大切さ」でした。一番大事なことなのですが、これが 一番むつかしいことだと強く実感しています。このことを、「大ドラ」出版プロジェクトを 通じて学ぶことができました。そして、ここまでやってこれたのは、誰か一人だけの力では なく、「大ドラ」出版プロジェクトのメンバーの強みや長所を活かして、力を合わせてやっ てこれたからだと思います。また本の販売や講演会の準備に協力してくださった武田店長や 龍大生協の宇田さんには大変感謝をしています。 ●同志社生協京田辺書籍部 武田店長のお話し この企画は同志社女子大学の小林さんが「本を作ったので店 舗に置いて欲しい」と来られたことがスタートでした。取り組 んでみて思ったのは、この本で言っていることは、大学生協が 取り組んでいる「キャリアビジョンセミナー」が目指している ことといっしょだなということでした。だから大学生協で学び 成長支援活動や書籍事業に携わっている全ての職員さんにこの 本を読んで欲しいし、学生さんに読んで欲しいと思いました。 読書駅伝 ■ ■ ■ ■ 9784532196349 ■ ■ 7 13 連帯編集部からの紹介 ■ ■ ■ ■ ■ 978-4-87332-310-7 「大学生協」を考える図書 人事情報 - 2012 5 25 2012 5 25 2012 5 29 2012 5 25 2012 5 25 2012 6 1 2012 6 1 2012 6 1 2012 6 1 2012 6 1 2012 6 1 2012 5 31 001 002 1 1 2 003 1 2 3 004 2 3 2 1 1 9 005 006 007 1 100 1 1 3 008 009 010 011 012 3 1 1 5 013 014 015 016 017 018 100 019 100 020 021 022 023 024 025 026 027 028 1 1 029 030 031 032 033 1 1 034 035 2 036 3 037 2 2 108 1 1 109 1 1 111 1 115 8 1 8 4 1 2 1 1 1 1 5 30 ◆ 通信教育受講修了者のお知らせ 2012 5 25 2012/04/10 2012/05/10 2012/0515 ◆ 2012年度『学びのガイド』 情報 『学びのガイド びのガイド』、 ガイド』、お 』、お手元に 手元に届いたでしょうか? いたでしょうか? 一年間 ートする びのサポ あなたの学 1冊 で す ! きます。 が受講で 職員の方 ト 全ての役 のWebサイ 教育研修関係 覧ください でご ゃん” .o abi/ r.jp/man “学びち o-bauc cpt.kyot http://r 「学びのガイド」を開 いて見ていただけまし たでしょうか?知りた い情報をお知らせしま す! 詳しくは . Q:職場で「学びのガイド」を活用する のに良い方法はありますか? 職場のみなさん3名以上で通信教育を受 講してみませんか? 一緒に学習したり、それぞれに学習して、 わからないところの出し合い、一緒に考え てみる という学習方法を提案しています。 Q:秋に資格試験を受けます。 事前申請っているんですか? 受験前には、必ず申請をお願いします。 記入用紙がありますので、所属店長、専務理事に 確認を受けてください。 詳しくは、「学びのガイド」6ページ、或いは を見てください。 通信教育の受講申込は、 会員生協本部へお申込みください。m(_ _)m 1/2 400 1 800 みなさんの投稿をお待ちしています 読者アンケート ? ? ♪ Mail ♪ ♪ [email protected] ♪ ♪ (1000 ) ♪ 2012 12 6 1 6 2 6 3 6 4 6 5 6 6 6 7 6 8 6 9 6 10 6 11 6 12 6 13 6 14 6 15 6 16 6 17 6 18 6 19 6 20 6 21 6 22 6 23 6 24 6 25 6 26 6 27 6 28 6 29 6 30 2012 14 00 16 00 9 30 3 10 00 13 00 2012 12 7 1 7 2 7 3 7 4 7 5 7 6 7 7 7 8 7 9 7 10 7 11 7 12 7 13 7 14 7 15 7 16 7 17 7 18 7 19 7 20 7 21 7 22 7 23 7 24 7 25 7 26 7 27 7 28 7 29 7 30 7 31 2012 14 00 16 00 9 30 3 10 00 13 00 心 の相 談ネッ トワ ーク 01200120-7373-6060 03 3234 0899 電 話 健 康相 談 もご 利 用く ださ い 24 01200120-8686-1128 0303-3234 3234-1599 1599 許しません! セクハラ、パワハラ! 21 0120 2136 21 12 00 17 30 ★ 12 00 19 00 3 21 ★ 連 < > 2012 < < > > 帯 TEL075-711-1115
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