平成 19 年度新入生歓迎式での「お祝いの言葉」 世界のナンバーワンを 目指してほしい なか がわ やす ひこ 中川 康彦 ㈱関電工 特別顧問 ㈳日本 CATV 技術協会理事長 昭和36年 電気工学科卒業 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございま 時、関電工はまだ小さな会社だったのですが、建 す。心からお祝い申し上げます。理工学部の先輩 設関連の工事会社を選んだわけです。 として、また社会を長い間経験した先輩として新 私は高校生の時、 「社会に出たら何にしろナン 入生の皆さんにお伝えしたいのは、 「多くのチャレ バーワンになろう」という目標を設定していまし ンジと経験をして、いろいろな部門の人々と付き た。将来の方向性、方針をどうたてるかというこ 合い、多くの友人をつくってほしい。そして、世 とで、先輩にお話をうかがう機会があったのです 界のナンバーワンになってほしい」ということで が、その時に「君たちナンバーワンを目指せ。タ す。そのことについて、私自身の経験をまじえて クシードライバーでもいい。和菓子屋さんでもい お話しいたします。 いよ。新しい、おいしい、ちょっと隠し味のある ■ 和菓子をつくって日本一になったらどうだ」とい 社会や集団、さらには世界のナンバーワンを 目指してほしい うようなお話があったのです。 電設業界に入ってナンバーワンになるには、 皆さんはまだ若いですから、将来のことが本当 自分の会社をナンバーワンにしなければいけませ に分かって学科を選んだかというと疑問だと思い ん。みんなと一緒に、仕事を増やして業績を上げ ます。私の場合も同じでした。私は、実は建築家 ようと努力しました。 志望だったのです。ただ、小学生の時から鉱石ラ 折しも東京オリンピックのころ、建築基準法が ジオの組み立てをしたりと、電気にも興味をもっ 変わって超高層の建築物を建てられるようになり ていました。親も「将来は電気だよ」と。当時、 ました。高いものを建てる時には、電源をどのよ これから半導体の時代が来るだろうといわれてい うに供給したらいいかという問題があります。そ て、それには電気工学科を卒業しておいたほうが こで私たちは、今まで日本にあった炭坑の技術を 有利ではないか、ということで電気工学科を希望 ヒントとして検討しました。また、超高層の建築 したわけです。 に大型造船の技術を応用し、そこに新しい技術を ところが、入学して勉強しているうちに、どう 組み入れました。そうして、浜松町にある世界貿 しても建築のことをやりたいという気持ちがはっ 易センタービル、池袋のサンシャイン60など多く きりしてきました。同時に、学んでいる電気をつ の高層建築の電気設備に携わり、当社はその後、 かって建築にかかわる仕事として、建築関連の電 電設工業協会でナンバーワンの会社になりまし 気工事、電設工業の仕事があるということも分か た。 ってきました。そこで関電工に入社しました。当 また、私自身もその技術で、技術士電気電子部 18 理工 Circular College of Science and Technology, Nihon University VOL.37 2007. SUMMER No.133 門の資格を取りました。これは自分の技術をつく だく結果になったのです。技術系の人間は自分の っていく、ということであり、エンジニアにとっ 考えを企画提案できる立場にあるわけですから、 て必要なことだと思います。 学生時代からそういう訓練をして、ぜひチャレン 皆さんには、高い目標をもって社会集団の、そ ジしていただきたいと思っています。 して世界のナンバーワンになってほしいと思いま カ人、イギリス人はもちろん、インド人、中国人、 ■ 韓国人が非常に活躍しています。とくに日本人の 私が学生だったころ、一般教育は世田谷の校舎 一番弱いところは語学力です。インドでも、中国 で行われていました。2年生から御茶ノ水の校舎 でも、韓国でも、彼らは本当に英語が上手です。 に移ったので、どこかクラブ活動へ入ろうと友人 ですから語学も、しっかりと勉強していただきた と2人でいろいろなクラブを回り、自動車部に入 いと思います。 りました。 す。私は海外へ行く機会もあるのですが、アメリ ■ チャレンジが成功の種になる いろいろな部門の人と付き合い、多くの友人 をつくる その自動車部で、日本一周をして車の耐久試験 をし、また、当時は道路などほとんど舗装もされ 人生には、転機が必ずあります。私は今からち ていなかったため、道路事情の調査をしようとい ょうど20年ぐらい前に、その転機がありました。 うことになりました。東京を8月1日に出発し、 花形の仕事である電設部門から、新しい情報通信 8月31日に帰ってくる。トラック1台と乗用車1 部門に初代部長として異動したのです。大変ショ 台、オートバイ2台。計17人で大遠征をしました。 ックでした。同期入社の仲間が、社員500∼1,000 お金がありませんから、あらゆるものについて 人という大部隊の支店長になるなか、自分が率い 先輩を頼り、調達して出発しました。乗用車、オ るのは小さな部門。異動前は150人の部下がいたの ートバイ、ガソリンもいただきましたし、缶詰、 ですが、新しい部門だということで、急きょ集め フィルム、宿泊先もです。ここが日大のいいとこ ることができた部下は20人でした。しかし、この ろです。全県に支部があります。その支部の方々 人数で何とか頑張らなければいけない。目標はナ にご連絡をし、 「こういう団体で行くから、何しろ ンバーワンですから。最終的に、情報通信で500億 金がないので安く泊めてください。学校でもお寺 円規模のビジネスができるようになりました。そ でもどこでもいいです」。ほとんど学校やお寺に泊 の業績があって、後に副社長という仕事も頂きま めていただいて、6,000km の道のりを無事に帰っ した。 てまいりました。 実は、なぜ私が初代の部長になったかという この時いろいろな方々にお願いをした交渉能力 と、その15年前に提出していた企画書がきっかけ が、社会に出て役に立ちましたし、困難を克服す だったのです。 ることにより自信もつきました。そして土木とか、 当時、いよいよ日本にもケーブルテレビの時代 建築とか、応用化学とか、いろいろな学科の人た が来るということで、当時の郵政省や東京電力に ちが一緒に団体活動をするということで、いろい 行っていろいろ調べました。その結果を、ビジネ ろな考えをもった他部門の友人もできました。皆 スチャンスとして企画書にまとめ、役員に提出し さん方にも、ぜひそういう経験を学生時代にして ていたのです。最終的にそれが社長の耳に入り、 いただきたいと思っております。 新しい部門をつくる場合には中川しかいない、と いう経緯で選ばれたのだと後から聞きました。企 以上3点についてお話をさせていただきまし 画書から新規ビジネスの責任者に任命され、最終 た。ぜひ体に気を付けて学生生活をエンジョイし 的には日本 CATV 技術協会の理事長をも拝命いた てください。 特集:知らなきゃ損! CST キャンパスライフ活用事典 理工 Circular 19
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