第163号 純 を取り戻した姫路城と蝶

163 号
第
平成 28 年 1⽉
純⽩を取り戻した姫路城と蝶
写真と⽂
井上
孝美
写真2
写真3
写真4
写真1
世界⽂化遺産・国宝の姫路城は、昨2015年春に平成の
⼤修理を終えた。屋根⽡を葺き替え、⿊ずんだ漆喰を塗り
直し、しゃちほこも新調された。空に向かって建ち並ぶ
天守群と純⽩を取り戻した⽩壁の広がりは、天空を舞う
⽩鷺、別名⽩鷺城の名に恥じない美しさである【写真1.
写真左上には⽩鷺が舞っている】。
1600年の関ヶ原の戦いの論功により、池⽥輝政が
姫路城主となる。徳川家康の命をうけ⻄国の外様⼤名の
監視のために、今⽇⾒られる⼤規模で本格的な城郭に
再構築した。城主が幼少・病弱・無能な場合には、牽制
任務を果たせないとして、城主となる⼤名が頻繁に交替
した。池⽥⽒に始まり譜代⼤名の本多⽒・榊原⽒・酒井⽒や、
親藩の松平⽒が配属され、池⽥輝政から明治新政府に
よる版籍奉還が⾏われた時の酒井忠邦まで約270年間、
6⽒31代が城主を務めたとある。
建物や塀の屋根に⽤いられている⻤⽡や軒丸⽡などには、
その⽡を作った時の城主の家紋が意匠に使⽤されている。
池⽥輝政の揚⽻蝶紋【写真2】、⽻柴⽒の桐紋、本多⽒の
⽴ち葵紋などである。蝶紋は脱⽪をして美しい蝶として
舞い上がるという縁起の良さから好まれたとされる。
姫路市は平成元年(1989年)に市政百年を迎え、ジャコウ
アゲハ(麝⾹揚⽻)【写真4】を「市蝶」に制定している。
理由の⼀つは姫路城の蝶紋に因むが、もう⼀つも姫路城に因む。
写真5
永正年間(1500年頃)、城主⼩寺則職の執権⻘⼭鉄⼭は主家
横領を企てていた。城主の忠⾂⾐笠元信の愛妾で、鉄⼭の屋敷に
住み込ませていたお菊が、暗殺を察知し則職の難を救う。
その後鉄⼭は浦上村宗らの加勢により則職を追放し、⼀時主家を
横領した。お菊を横恋慕する鉄⼭の家来町坪弾四郎は、家宝の
⼗枚揃い唐絵の⽫の⼀枚を隠しお菊に関係を迫るも拒否され、
責め殺して井⼾に投げ込んだ。お菊の亡霊が夜毎現れ、
「⼀枚〜、⼆枚〜、三枚〜・・・九枚。⼀枚⾜りない、うらめし
や〜」。浄瑠璃、歌舞伎の「播州⽫屋敷」である。
話が続く。300年程経って姫路城下に奇妙な形をした⾍が
⼤量に発⽣した。ジャコウアゲハの蛹である。蛹は後ろ⼿に
縛られて吊るされている和服姿の⼥性に似る。お菊が⾍に
なって帰ってきたと⾔われた。いつしかジャコウアゲハの
蛹は「お菊⾍」と呼ばれることになる【写真5】。お菊が攻め
殺され、投じられた井⼾は、城内に「お菊井」として残され
ている【写真3】。また、「於菊⼤明神」として⼗⼆所神社
(お菊神社)の境内に祀られている。姫路駅のそばにある。
姫路市をはじめ、瀬⼾内海沿岸部にはいくつかの製鉄所が
あり、会員の多くが⼀度は勤務された地域であろう。
今回の⽩壁の純⽩さは、かつて⾒慣れてきたのとは印象が
⼤きくことなる。漆喰の性質から⾬⽔によるカビは避けられず、
平成の⼤修理では防カビ剤を塗り数年はカビが⽣えないよう
に施されているが、⻑期間の維持は難しいとのこと。
早いうちの⾒学がお勧めである。
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第 163 号
新年を迎えて
理事長
新年あけましておめでとうございます。
会員の皆様におかれましては、良き新年をお迎えに
なられたことと、お慶び申し上げます。
今井
敬
このような環境下、⽇本経済は7-9⽉の実質GDP
成⻑率が対前期⽐年率+1.0%と緩やかに持ち直して
おります。企業の設備投資がプラスに転じたことは
良い傾向ですが、⽇本は依然不透明感の⾼い状況に
あります。潜在成⻑率が+0.5%程度と低迷する中、
今の⽇本に必要なのは、国全体の経済⼒を底上げしな
がらも、世界に視野を広げ、海外の需要をうまく取り
⾜元の世界経済は、全体としてみれば緩やかな
成⻑を続けているものの、新興国を中⼼に先⾏きが
懸念されております。
⽶国は、7-9⽉の実質GDP成⻑率が対前期⽐年率
+1.5%と4-6⽉の+3.9%から減速したものの、個⼈消費が
2期連続+3%超で推移するなど、内需を中⼼に景気が
底堅さを維持しております。失業率も10、11⽉の2ヶ⽉
連続で5.0%と、⾦融危機以前の⽔準にまで改善し、
込みながら成⻑を図っていく施策ではないでしょうか。
鉄鋼業界においては、過剰設備・過剰⽣産の結果、
中国からの鋼材輸出が急増しており、世界における
鋼材流通量の半分を⼀国が占める状況となりました。
海外市況も歴史的な低⽔準にまで下落しております。
輸出依存度の⾼い⾼炉を中⼼として鉄鋼各社は厳しい
経営環境に直⾯しておりますが、これは⽇本の鉄鋼
業界だけでは解決出来ない問題ですので、OECDや
WSA、そして⽇本政府とも連携を取りながら世界的な
対応を図るべきでしょう。
FRBは9年半振りに利上げを実施致しました。
欧州も個⼈消費や政府消費が牽引役となり、7-9⽉の
同成⻑率は+0.3%と低成⻑ながらも10四半期連続の
プラス成⻑となりました。しかしながらVWの排ガス
不正問題や、シリア等からの難⺠問題、パリでの
連続テロ事件により消費者マインドが悪化する可能性
が⾼く、先⾏きが懸念されております。
さて、当アイアン・クラブは、「オ-ル鉄鋼⼈の
クラブ」で「⾃⽴的運営」を⽬指して、会員皆様の
ご協⼒を得、新⼊会員の勧誘に積極的に努めてまい
中 国 は、7-9⽉ の 実 質GDP成 ⻑ 率 が 対 前 年 ⽐
+6.9%と7%を切るレベルに低下致しました。中国
経済を牽引してきた固定資産投資も対前年⽐伸び率
が10%程度にまで低下し、輸出も前年⽐マイナスに
転じました。私は⽇中経済協会訪中団の⼀員として
11⽉に北京を訪問致しましたが、この点に関する
中国の危機意識は⾼く、李克強⾸相をはじめ閣僚幹部
りました結果、昨年は56名の⽅に⼊会いただき、
現在会員数は534名となっています。
このような状況の中で、⼀昨年以来、当クラブの
中核事業である定例午餐会を年10回開催いたして
おります。また、各事業活動の充実を図り、歌舞伎・
秋の旅⾏・下町散策・⾳楽鑑賞会などご家族と⼀緒
に楽しめる事業に加え、⽂楽を新規事業として実施
いたしました。
からは、政治⾯では両国の間に敏感な歴史問題が
存在しており、まだ⼀定の困難があることを正視する
必要があると厳しく指摘されたものの、経済⾯では
お互いにWin-Winの関係を築いていこうと前向きで
協⼒的な姿勢を感じました。名⽬で既に⽇本の2倍
以上の規模となった中国経済は、世界経済とも密接
にリンクしており、設備・⽣産・債務という3つの
過剰問題が顕在化した今、国際社会との調和を図り
ながらソフトランディングすることが望まれます。
今年も、中核事業である定例午餐会をはじめ、各事業、
⾏事の更なる充実を図っていきます。引き続き経費削減
に努めてまいりますので、会員皆様の⼀層のご理解と
ご協⼒をよろしくお願いいたします。
最後に、皆様の益々のご健勝、ご多幸を祈念いたし
まして、年頭のご挨拶とさせていただきます。
2
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第 163 号
立山・黒部アルペンルート・トロッコ列車・新穂高・高山・白川郷を巡る、
4日間の旅 (2015年10月20日~23日)渡邉 徹記
旅の3⽇⽬、新穂⾼ロープウエイの乗り⼝「しらかば
平駅」に着いた途端、シンセサイザーの得も⾔われぬ
ヒーリング曲が⽣演奏中。そこで購⼊した「⼤空へ」
のCDを聴きながら執筆中?です。
(正確には、単なる旅⾏感想⽂です。)
Ⅲ
1、10⽉20⽇(⽕)北陸新幹線
「はくたか」で東京駅から⿊部・宇奈⽉
温泉駅。昼⾷後、⿊部川電気記念館⾒学。
トロッコ列⾞で宇奈⽉温泉と釣鐘駅往復。宿は、宇奈⽉
温泉:延対寺荘。
Ⅰ
結論
1、どんなにか美味しい料理を、グルメレポーターが
「⼝の中で、とろけます。」とか「⾁汁が、じゅわっと
⼝の中に広がります。」と⾔っても、どんなにか素晴
らしい景⾊を、名⽂家が「この世の物とも思えぬ世界
です。」と書いても、所詮は絵に描いた餅。旅は、
⾏ってみて・⽬で⾒て・⾃分で味わってみてなんぼの
ものと実感しました。
2、10⽉21⽇(⽔)バスで北陸⾃動⾞道経由⽴
⼭駅。ケーブルカーで美⼥平。⾼原バスで室堂。昼⾷
後、トンネルトロリーバスで⼤観峰。ロープウエイで
⿊部平駅。ケーブルカーで⿊部湖駅。徒歩で⿊部ダム
を渡り⿊部ダム駅からトンネルトロリーバスで扇沢
駅。⽴⼭駅で別れたバスで⼤町温泉:緑翠亭景⽔。
3、10⽉22⽇(⽊)
バスで新穂⾼。昼⾷後、しらかば平駅からロープウエイ
で⻄穂⾼駅往復。この⽇は、⾶騨⾼⼭温泉:⾶騨亭・
花扇。
2、秋の旅⾏・春のバス旅⾏・散策のお⼿伝いをして
いて気になるのが天気と参加⼈数。
⼀週間前頃から、現地の週間天気予報に⼀喜⼀憂します。
今回は、台⾵24・25号が少し気になりましたが、
東北・北海道を除き、いつ⾒ても☀☀☀☀☀。実際、
出発から到着まで好天続きでした。むしろ天気が良すぎ、
気温が⾼く、霞んで⼭並みが⾒えないこともありました。
4⽇間パーフェクトは「松江・出雲・⽯⾒銀⼭・萩・
津和野」の旅以来、6年ぶりの快挙でした。
Ⅱ
⼤まかな旅程
4、10⽉23⽇(⾦)
バ ス で す ぐ の ⾼ ⼭ 陣 屋・朝 市・古 い 町 並 み ⾒ 学。
バスで、⽩川郷。昼⾷後、ガイドさんの案内で⽩川郷
⾒学と⾃由散策。東海北陸⾃動⾞道経由で、富⼭駅。
北陸新幹線「かがやき」で富⼭駅から東京へ。
Ⅳ
前置き
本論
1、10⽉20⽇ ①27名の参加者とお世話頂く
阪急交通社の添乗員那須さん、お天気も良いせいか、
ニコニコ顔で集合時間前に全員集合です。午前8時、
環境性能を考慮した、流れるようなワンモーションラインの
先頭形状に、⾞体上部は「空⾊」・⾞体⾊「アイボリー
ホワイト」・⾞体中央の帯⾊「銅⾊と空⾊」の12両
編成の⾦沢⾏き、はくたか555号⼊線。8時12分
定刻通り出発しました。3泊4⽇の旅の始まりです。
当家にとっては、ちょいと贅沢旅⾏。グリーン⾞に
深々と座り、遅い朝⾷をとっているうちに、⼤宮・軽井
沢・⻑野を過ぎ、波静かな⽇本海を眺めている間に、
1、春にご案内しましたところ、ほどなく定員の
36名に達しました。ところが、業界の要⼈・超成熟
集団の⽅が多く、旅⾏が近づくにつれ不都合が⽣じ、
最終参加者は27名になりました。30名以上とそれ
以下では旅⾏代⾦が隋分違います。旅⾏会社と打ち合わせ
した結果「アイアンクラブ様にはお世話になっており、
今後もお世話になることから、旅⾏の質は落としませんが、
何とかやり繰りをして追加料⾦は、頂きません。」
業界の掟破りかもしれませんので匿名にしますが、H
交通社さん本当に有り難うございました。
2、旅 ⾏ 前 ⽇ の 午 後、重 い 荷 物 も
送ったし、事務局から何も不都合の
連絡も無いし、いよいよ明⽇の出発を
待つのみと、唾を飲み込んだら咽喉が
チクリ。医者⽈く「⾵邪です。無理を
し な い よ う に。」「い や、明 ⽇ か ら
4⽇間、どうしても抜けられない旅⾏
がありまして。」医者重ねて「それは、
貴⽅の問題です。医者として⾔えるの
は、無理の無いように。」酒と薬の⼒
で8時に就寝しました。天気と⼈様の
事を⼼配する前に、⾃分の⼼配をしろ
と⾃戒しました。皆様、ご迷惑おかけ
しました。
3
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
10時59分、⿊部・宇奈⽉温泉駅到着。出迎えて
くれたのが、4⽇間お世話になる、富⼭地⽅鉄道所属
のバス運転⼿⾼⽊さんとガイドの登⽴さん。
②先ずは、本⽇宿泊先の延対寺荘にて松花堂弁当の昼⾷。
(⾷事については後述。)その後、トロッコ列⾞始発駅
そばの、⿊部川電気記念館⾒学。
③13時11分発⿊部峡⾕鉄道のトロッコ列⾞リラックス
シート⾞で約1時間の「鐘釣駅」へ。10⽉の半ばから
暖かい⽇が続き、沿線の紅葉は、まだまだでした。
元々、作業・資材運搬⽤の狭軌の列⾞の為、乗り⼼地
良くなく、騒⾳もありましたが、暖かな⽇で、⾵も
なく⿊部川の⾵景を満喫しました。健脚の何⼈かは、
200段近い階段をものともせず河原まで⾏かれた
ようです。万年雪(何年か前に⾒ましたが、⿊く汚れ、
これ雪?)が有名ですが、今年は消えていました。
14時57分発特別客⾞で、宇奈⽉駅へ、16時過ぎ、
宇奈⽉温泉:延対寺荘に早⽬の到着です。
第 163 号
(標⾼977m)。⾼原バスで九⼗九折の坂道23km
を50分で室堂駅(今回の最⾼到達地点2,450m)
に到着。途中、⽇本⼀の落差350mの「称名滝」や
浸⾷カルデラの溶岩台地の弥陀ヶ原を眺めながら、
⾼ 地 の 1 0 ⽉ 下 旬 紅 葉 は 終 わ っ て い ま し た が、
カーブを曲がるたびに、急峻の⽴⼭連峰をはじめとして
景⾊がくるくる変わり、⾞内は歓声に包まれていました。
レストラン⽴⼭で、観光地にしてはまずまずの昼⾷後、
1時間強の⾃由散策。
閑話休題(а)観光シーズンの名だたる観光地。
バスが着くたびに⼈で溢れかえり、那須さんの旗を
⾒失わないように歩きました。(b)中々商売上⼿。
⽴⼭駅・美⼥平駅・室堂駅、ここでしか買えない駅
限定商品の宣伝につられ買い。(c)沢⼭の外国⼈
観光客(台湾の⽅が多く感じました。)、試⾷品が
本⾷になりすぐ無くなるので、無い時は、⽇本語で
試⾷したいと⾔えば出てくるとか!?
注:⿊部峡⾕鉄道(通称トロッコ列⾞)
(а) 昭和2年、⽇本電⼒が⿊部川沿いの電源開発を
⽬的に開通させたもので、昭和12年、現在の終点駅
欅平まで延伸。(20.1km)その後、関電が引き継ぎ、
昭和46年、分社化され、現⿊部峡⾕鉄道となった。
今も、観光客とともに、沿線のダム・発電所向け資材
の運搬に利⽤されている。
(b)冬期、積雪が多く、12⽉〜4⽉中旬までは運休。
(この間に、⾞両その他の保守点検。)線路沿いに、
ほぼ全線に亘りコンクリート製のシェルター状の冬期
歩道があり、運休期間中これを利⽤して徒歩でダム・
発電所へ移動している。
室堂は、10⽉8⽇に初雪。その後、暖かい⽇が続き
雪はほとんど消えていました。外気温は8度ぐらいと
低いですが、太陽がさんさんと降り注ぎ、⾵は無いのに
空気は澄み渡り「いやはや恐れ⼊りました。」の⼀⾔
でした。(7⽉から室堂でほぼ毎⽇、観光案内してい
るボランティアの⽴⼭ガールさんも、こんな⽇は年に
何度もありませんとの事。)
④朝が早く、昼⾷が少し軽かったせいもありますが、
皆さん温泉で磨き上げたお顔とお肌で早⽬に⼣⾷会場へ。
初参加の栗川さんのご挨拶。(ゴルフ・旅⾏⼤好き・
エンタテイナーのご主⼈。奥様は、⻑く合唱団でご活躍
との事。)猪熊団⻑(第⼆事業委員会副委員⻑)から
「⾬も、⾵も、寒さも無く、上天気の良い初⽇でした。」
(これには裏がありまして、昨年の対⾺の2⽇⽬、氷⾬・
強⾵の⼀⽇、上島副理事⻑が、ご挨拶で「宮沢賢治の
⾬にも負けず…を思い出しましたが、皆さん今⽇は良く
頑張った。」をうけたもの。)ウイットに富んだご挨拶
と乾杯のご発声。⼭海の豪華料理に、ビール・⼤吟醸・
ワインの杯が⾶び交い初⽇から⼤盛り上がりでした。
2、10⽉21⽇ ①和洋バイキングの朝⾷後、8時
10分バスで出発、⿊部インターから北陸⾃動⾞道で、
⽴⼭インター経由⽴⼭駅へ。バスとはここでお別れ、
⼣⽅、扇沢駅でドッキング。(乗⽤⾞の場合、扇沢駅
までの回送料26,000円
だそうです。)
ミクリガ池のバックに、急峻の⽴⼭連峰の稜線が鋭⾓に
重なり、⿊い地肌・⽯灰岩の⽩・枯草の⻩・ハイ松の
緑が織りなす様は、とても⾃然の物とは思えません。
砂絵の名⼈が、定規で正確に測りながら作った⼈⼯の
砂絵の作品に⾒えました。③13時45分室堂発、電気
で⾛るトンネルトロリーバスで⽴⼭を10分で横断、
標⾼2,316mの⼤観峰へ。⽴⼭連峰の富⼭県側から
⻑野県側に出たわけです。(まだ富⼭県です。)⼤観峰
② い よ い よ、⽴ ⼭ ⿊ 部
アルペンルートのスタート
です。⽴⼭駅(標⾼475m)
から平均勾配24度の
ケーブルカー7分で美⼥平駅
4
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
でも⾼いのに、皆さん頑張って100段以上⾼い展望台
まで、お元気そのものです。
第 163 号
3、10⽉22⽇ ①標⾼700mのこの地、表に
出 る と、ひや っ と はする も の のすが す が しい朝 で
す。此のところ、冷え込みが弱く、今年の紅葉はも
う ⼀ 歩 と の 事 で し た。和 洋 バ イ キ ン グ の 朝 ⾷ 後、
ゆっくりの9時15分出発。
ここからロープウ
エイで1,828m
の⿊部平。更に、
ケーブルカーで
1,4 5 5 m の
⿊部湖に到着です。
雄⼤な⼭並み、澄
んだ空気の中で、
空⾊の⾊紙を張
り付けたような
⿊ 部 湖 の 湖 ⾯。
ただただ、ため息をつくだけでした。492mの⿊部
ダムの堰堤を歩き⿊部湖駅⼊り⼝に。(どれだけ
素晴らしかったかは、⾏ってみてください。)
松本⽅⾯(安曇野・穂⾼)に南下しながら新穂⾼に
向かいます。⾞窓からは、北アルプスの⼭並みが⾒
えるはずでしたが、あまりにも上天気。霞がかかり
残念でした。(⾒えません・・・)バスガイドさん
「⼀曲歌います。」と=緑の丘の⾚い屋根、とんがり
帽⼦の時計台・・・=。昭和22年、菊⽥⼀夫原作
のNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌です。
現安曇野市にあった⻘少年更⽣施設(戦災孤児たち
の共同⽣活施設)「有明⾼原寮」が、映画化された
時のモデルになったそうです。
昼前に「穂 ⾼荘⼭ のホ テル」到着。美味 しい 昼⾷
頂きました。②いよいよ、本⽇のメイン新穂⾼ロープ
ウエイです。標⾼1,308mのしらかば平駅から、
2,156mの⻄穂⾼⼝駅まで、121⼈乗り2階建ての
ロープウエイ7分で登ります。全⻑845mを3本の
⽀柱で⽀えてるだけ、⽀柱を通過するときの揺れは
相当な物。⼜、すれ違う時の相⼿のスピードに驚かされ
ました。視界良好で、北アルプス連峰の⼭並みと眼下に
広がる絶景を満喫しました。⼭頂の気温は7度。⽇差し
が少なく、今回で⼀番寒さを感じました。曇りと⾔うより
は、霞んでいるようで、南禅寺の⽯川五右衛⾨の⼼境に
はなりませんでした。でも、今宵の宿のある⾶騨⾼⼭に
向かう途中、最⾼の紅葉に出くわしました。全⻑150m・
⾼さ70mの北アルプス⼤橋からの眺めです。
注:⿊部ダム(а)三船敏郎・⽯原裕次郎主演の映画
「⿊部の太陽」で知られる⿊部ダムは、関⻄電⼒
の⿊部川第四発電所。7年の歳⽉・莫⼤な⼯費・
多数の殉職者を⽣み、昭和38年完成した⽇本屈
指のアーチ式コンクリートダム。
(b)堰堤の⾼さは⽇本⼀の186m。貯⽔量2億㎥。
年間100万⼈の観光客。ダムの放⽔は、10⽉
15⽇で終わりでした。
④⿊部アルペンルート最後の乗り物、トロリーバス
⿊部ダム駅へと思ったら、⽌めは150段以上の階段
(那須さん「皆さんに申し訳なく事前に説明できません
でした。」)階段の上を⾒ず、⾜元だけ⾒てた ど り
着きました。電気で⾛るトンネルトロリーバス、
7分で⾚沢岳を横断。1,433mの扇沢に到着。
⾞窓からでしたが、ナナカマド・紅葉の⾚とブナの⻩が、
⼣⽇に映え、それはそれは⾒事でした。休憩地の道の駅
で、⼤吟醸も仕⼊れ、⾼⼭温泉:⾶騨亭・花扇に到着。
全てに床暖房が⼊っており、スリッパなしで歩けとても
快適、ふんだんに⽊を使い重厚溢れる名旅館です。
⻑野県に⼊りました。17時頃、今宵のお宿⼤町温泉:
緑翠亭景⽔に到着。⑤今⼣のご挨拶は、上島副理事⻑。
「本当に今⽇も好天に恵まれ、素晴らしい景⾊も堪能し、
5年寿命が延びました。出来れば、来年は階段の無い
ところにしていただきたい。」(最終⽇のカラオケ会に
無理をお願いいたしました。「冷や汗をかいて、
寿命が3年縮まった。差し引き2年しか得しなかった。」
と宣われてしまいました。)2⽇⽬も、疲れをもの
ともせず、呑んで⾷べて会話が弾みました。
③今晩は、恒例の⼤宴会です。先ずは、今井理事⻑
(知識欲・好奇⼼旺盛。良く⾷べよく飲み、階段が
あれば、躊躇なく⼀番上まで上る脚⼒。敬服いたし
ました。)のご挨拶。「今回は、北陸新幹線に始まり
⾊んな乗り物に乗りました。(2⽇⽬だけで、専⽤
バスを⼊れると7種類。)景⾊・天気⾔うことなしで、
5
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
旅 を 満 喫 し て い ま す。添 乗 員 那 須 さ ん、幹 事 さ ん
ご苦労さん。」ねぎらいの⾔葉もいただきました。
コンパニオンも⼊り宴会スタートです。
第 163 号
4、10⽉23⽇ ①今⽇の朝⾷は和⾷膳。朝から
宴 会 料 理 並 み で す。「皆 さ ん ⾷ べ て・飲 ん で・
歌って・騒いで、それでいて座は決して乱れず。」⼥将
のお褒めの⾔葉を背に、ゆっくりの9時、出発です。
②バスですぐの⾼⼭陣屋跡に到着。説明員の⼥性の
語り⼝・内容が素晴らしい。厳重な⾝分制の下、⾨・
⽞関・畳の縁の飾り・厠の区別。更に下の話。(ここ
では書くのが憚れますので、ご⾃分で現地でお聞き
ください。)説明を聞いた後、三々五々に分かれ、
陣屋・宮川の朝市やら
上三之町を中⼼とする
古い町並みや伝統的建
造物、⼜、お⼟産屋さん
を覗き、ゆったりした
午前を過ごしました。
(勿 論、太 陽 燦 燦。
暑くて、仲良くソフト
クリームを⾷べておら
れるご夫婦も。)
閑話休題 鄙には稀ではなく、鄙そのもののコンパ
ニオンさん「アイアンクラブってゴルフの会。」
「違うよ。」「あ、分かった。アイアンだから鉄
よね。鉄⼯所の社⻑さんの集まり?」「違 う よ。
もっと⼤きな会社。」「私も知っている会社?」
「そう、○○会社とか。」「え、嘘!!道理で皆さん、
品の良いお顔をしておられる。」 聞いたお話です。
今宵も豪華な会席料理。道の駅で買い求めた地元の⼤
吟醸酒に、今年も⼤喜多さん寄贈のワインが花を添え、
最初から⼤盛り上がりでした。宴たけなわですが、
カ ラ オ ケ 会 の ス タ ー ト で す。ア イ ア ン ク ラ ブ 歌 姫
の⾼崎夫⼈、今年も趣向を凝らし準備万端でしたが、
直前に体調を崩され、公演は来年に持ち越しです。
トップバッターは、栗川さん。「東京尋ね⼈」を時には
歌詞を⾒ず、歌いこなしました。芸⼈です。当分カラ
オケ会は安泰です。⼤喜多さん。「五番街のマリー」
を切々と歌います。困ったときは、何でも引き受けて
くださる⾦丸さん。千昌夫の「⼣焼け雲」を⽬を細めて
歌い上げました。⼼優しい気配りの安達さん。「北の
旅⼈」を抒情豊かに、上島さんは、北京出張の折のこの
歌のエピソードを交え「くちなしの花」を表情豊かに
熱唱でした。昨年初デビユーの森脇さん。昨年の演歌
からコロッと変えて「コモエスタ⾚坂」を、持ち歌豊富と⾒
ました。取りは、中澤忠義さん。なんと、中澤夫⼈に、
安達・⼤喜多・⼭⽥・渡辺夫⼈をバックコーラスに、
お得意の「乾杯の歌」を熱唱、盛り上がりましたねー!!
お開きは、これも恒例の、全員壇上に上がり、三⽊前委員⻑
指揮の下、「⼭のロザリア」「⻘い⼭脈」「ふるさと」
を歌い、全員⼤拍⼿の中、今⽇も⼀⽇無事終了しました。
注:⾼⼭陣屋(а)1692年、⾼⼭藩主⾦森⽒を
出⽻上⼭に転封し幕府直轄領にした。⾦森⽒の下屋敷
を代官所(後に郡代役所)として治政を⾏った。
豊富な⽊材・鉱⼭資源と北の前⽥藩の情報収集が⽬的
とか。(b)約8,500坪の敷地には、治政を司る諸施設。
(お⽩洲もあります。)代官ほかの居室。年貢⽶他
を⼊れる広⼤な蔵。等が残っています。
③中部縦貫道・東海北陸⾃動⾞道を使い、約1時間で
⽩川郷に到着。例年だと、気温12〜3度ですが、今⽇は
21度。お⾁の朴葉味噌焼き等を肴に、ビールののど
越しが格別の昼⾷でした。(茅葺のお⾷事処忠兵衛で。)
④世界遺産⽩川郷の⾒学です。ガイドの蟻原さんと松古さん
の2班に分かれ、⽩川郷が⼀望できる展望台に。⼀通り
全体の説明を受け、その後、茅葺き屋根の鐘楼⾨で知
られる明善寺、和⽥家(1573年から続く旧家で、
国の重要⽂化財。現在の合掌造りの建物は江⼾後期。
代々、庄屋を勤め、⽕薬の原料となる「煙硝づくり」
で財を成した。養蚕も⼿広く⾏い、その名残が2・3・4階
に残っている。)を⾒学し、あとは⾃由散策。
暖かい⽇が続き、紅葉はまだ先。でも、のんびりとし
6
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第 163 号
18時12分発かがやき512号
(勿論、グリーン⾞)で⼀路東京へ。
軽⾷の「鱒寿司」を⾷べてお休みに
なっておられ⽅が⼤半でしたが、
幹 事 ⼆ ⼈ は、旅 の 成 功 を 祝 し 名 酒
「⽴⼭」でおだを上げました。20時
18分上野。24分東京着。全員事
故も無く・体調を崩すことも無く、
旅はお開きになりました。
Ⅴ
補筆
1、ど れ く ら い ⾛ り ま し た?
①⼀番北は、初⽇の⿊部・宇奈⽉
温泉駅。南は、三⽇⽬の⾶騨⾼⼭。
⼀番東は、⼆⽇⽬の⼤町温泉。⻄は、
四⽇⽬の⽩川郷。あくまで地図上の
直線距離ですが、北⻄の富⼭駅を
⼊れると、東⻄85km・南北45
kmの⻑⽅形を移動した感じです。
(途 中 で の ⾏ っ た り、戻 っ た り は あ り ま す。)
こ れ に 東 京 ま で ⼊ れ る と、柄 の ⻑い 北 ⽃ 七 星。
②バスの⾛⾏距離は、378kmでした。
た午後を過ごせました。
注 : ⽩ 川 郷(荻 町)(а)1 9 9 5 年、五 箇 ⼭
(相 倉・菅 沼 集 落)と と も に、世 界 遺 産 に 登 録。
(b)この荻町地区には、114軒の茅葺きの建物が
あり、うち109軒が、国の重要伝統的保存建造物
になっている。(c)茅葺き屋根の葺き替えは、囲炉裏
の煙の殺菌・殺⾍効果で5〜60年に⼀度であったが、
今は、囲炉裏を使う家も少なく30年程度しか持たない由。
(d)葺き替え費⽤は、⼤きな屋根だと3000万程度
(但し、国と村の補助が90%とか。)(e)⽇本に
は、古来から「ゆい(結い)」呼ばれる共同労働の
形態があり、⽩川郷の茅葺きの葺き替え・⽥植え等
そ の 制 度 が 残 っ て い る が、過 疎 化・少 ⼦ ⾼ 齢 化 で
「結い」の維持も難しく、屋根の葺き替えは、専⾨
の業者に頼むことが多くなっている。(f)葺き替えの
萱は、昔は、当地区で賄っていたが、今、⼤部分は静岡
御殿場産。
2、旅館・温泉・⾷事は? ①三旅館ともご当地
⼀流旅館ですが、私⾒では、⾼⼭温泉:⾶騨亭花扇に
軍配を上げます。②宇奈⽉温泉は、無⾊透明のアルカリ
温泉「美肌の湯」。⼭の神、特段の変化ありません、
ローマは⼀⽇にして成らずですか?⼤町温泉 は、
庭園⾵呂をはじめ七つの浴場がありますが、当⽇は、
団体客多くゆっくり楽しめなかったのでは?⾼⼭温泉は、
ナトリウム炭酸⽔素塩泉。1200mから湧き出る
⾃家温泉。⼤宴会が終わった後なので、余計ほっとし
て温まりました。③⾷事は全て、椅⼦・⾼座椅⼦席で、
⾮ 常 に 好 評 で し た。料 理 は、ま さ に ⼭ 海 の 珍 味。
⽇ 本 海 の 海 の 幸(勘 ⼋、⽢ 海 ⽼、イ カ、マ グ ロ、
ヒ ラ メ、蟹、ノ ド グ ロ 他)川 の 幸(鮎・岩 ⿂ 他)
野の幸?(⾶騨⽜他)⼭の幸(松茸・エリンギ他)に
そば・うどん。⼿を変え品を替えの数々、覚えておられません。
忘れてました、朴葉みそ焼きも堪能しました。
3、お世話になりました!!①添乗員の那須さん。
癒し系の声で、いつも⼼が和みました。時間配分・
各所とのネゴ等、名添乗員でした。②バスガイドの
登 ⽴ さ ん。説 明 が 終 わ る と、必 ず く す っ と 笑 っ て
いました。運転⼿の⾼⽊さん。誰もが嫌がる⽩川郷
展望台への細い急な道も⼆つ返事。最後の富⼭駅、
駐⾞違反覚悟で、階段の無い場所にバスを⽌めてく
れました。③お世話役⼭⽥さん。 いつもニコニコ
顔で、後⽅からバックアップ。
カラオケ会の裏⽅、写真班有り難うございました。
皆さんに感謝です。
④ 1 6 時 過 ぎ、
⽩川郷に別れを
告 げ、旅 の 終 点
富⼭駅に1 7 時
半ごろ到着。お
⼟産を買い求め、
次回も、楽しい旅⾏企画致します。是⾮、是⾮多数
の参加お待ちしています。
7
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第 163 号
第98回ゴルフ大会
10月15日金乃台カントリークラブ
<グランドシニア:後藤尚志氏優勝、シニア:田中政義氏優勝>
秋のゴルフ⼤会は10⽉15⽇(⽊)⾦乃台カントリー
クラブにて開催されました。当⽇は快晴・微⾵・20度
前後と、誠にスコアの⾔い訳ができない天候に恵まれ
ました。⼿⼊れのよく⾏き届いた当ゴルフ場で、23名の
参加者が和気藹々に楽しくプレイし、徒歩で全員無事
に完⾛いたしました。 諸先輩の元気もなかなかです。
優勝者の後藤⽒、⽥中⽒からもご挨拶をいただきま
したが、たまたまお⼆⼈とも前⽇から⽜久に泊まられ
(今回は6名―⼤いに盛り上がり旧交を深める。)、
次回⻘梅でも是⾮前泊の前夜祭から参加されるよう、
強く勧誘がありました。続いて、初参加の岩⾕公雄⽒
からもご挨拶をいただきました。
懇親パーティーでは、村瀬第三事業委員⻑より「本
⽇も楽しく元気にプレイできたのは、何より。次回、
4⽉の⻘梅ゴルフ倶楽部が第99回、秋が100回の
記念⼤会となるので、参加者が30名を超えるよう
メンバーに働きかけて⾏きましょう。」とのご挨拶が
ありました。
今回も当クラブの三喜理事⻑(⽇新製鋼会⻑)か
ら、1ダースもの「⽜久ワイナリー葡萄の城」を差し
⼊れいただき、懇親会も⼤いに盛り上がりました。
*このワインは1901年、「シャトウ神⾕」が
⽜久市で製造を始めた⽇本でも最古級で、防腐剤
を⼀切使⽤していない⽣ワインです。ワイナリー
の建物は国の重要⽂化財に指定されています。
中締めとして⻑⽼の浮⽥⽒から、「英国の某⼤学の
⻑寿⽇本の秘密研究レポートによると、歳をとって
楽しい交流・会合をたくさん持つことが秘訣のひとつ
との紹介をされ、次回をもっと盛会にして⾏きましょう。」
とのご挨拶でした。
次回、4⽉の⻘梅での第99回ゴルフ⼤会、前夜祭も
含め会員の皆様が誘いあってこの楽しい会にご参加
ください。
近藤裕⾏記
【成
績】HDCPは新ペリア⽅式で決定
グランド・シニアG
優
【ニアピン】
シニアG
勝
後藤
尚志⽒
⽥中
政義⽒
準優勝
⽊原
誠⽒
⽟置
明⽒
三
位
⾦丸 隆充⽒
平⼭
BB賞
⽚⼭誠⼆郎⽒
渡辺
グランド・シニアG
(No 3)⽊原
誠⽒
シニアG
⽥中
政義⽒
(No 7)東垣内英哉⽒
該当者なし
喜三⽒
(No11) 該当者なし
該当者なし
⾏雄⽒
(No17) 該当者なし
中村
8
正俊⽒
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第 163 号
シニア優勝記
グランドシニア優勝記
田中政義
後藤尚志
優勝は前泊のお蔭
です。 伝統あるアイアン
クラブのゴルフ会で
優勝させて頂き有難
うございました。 まず⾦乃台カントリ-クラブ
を今回もご利⽤頂きましたこ
と、⾦乃台の理事の⼀員とし
て厚く御礼申し上げます。
この度、図らずもグランドシ
ニアグル-プで優勝できまし
て嬉しく存じております。
同伴頂きました村瀬委員⻑、内⽥様、相⽥様と和気藹々と
プレイができましたお蔭です。
当⽇、アウトスタ-トで38がでましたので、昼からのインは
40で回ればエイジシュ-トと意気込んでスタ-トいた
しました。
ところが急に腰が重くなり、スライスばかりで、ついに46も
たたき、がっかりしていましたら、優勝が転がり込んできまして、
新ペリア⽅式に感謝しております。
⾦乃台では2年前に初エイジシュ-トを達成、その後他ゴルフ
クラブで2回成就いたしました。来年、秋のアイアン・クラブ
100回記念ゴルフ⼤会が⾦乃台カントリ-クラブの予定との
事ですので、その折にエイジシュ-トができる事を⽬標に頑張り
たいと存じます。
今後共、ご厚誼の程宜しくお願い申し上げます。
アイアンクラブには
2015年4月に
入会させて頂き、ゴルフ会も今回二回目になります。
前泊して皆様と夕食を共にしながら旧交を温める
楽しみは格別です。 二回とも前泊しましたが今回効果覿面で優勝させて
いただきました。 グランドシニアの優勝者も前泊の後藤尚志様でした。
前泊のご利益はありそうです。 同伴競技者の渡辺徹様、渡辺行雄様、服部英則様
とは難しいグリーンに悩まされながら楽しくプレー
させて頂きました。本当に楽しい一日でした。有難う
ございました。 次回4月20日の青梅ゴルフ倶楽部でのゴルフ会で
皆さんと前泊してお会いできることを楽しみにして
います。有難うございました。 第56回関西・中部地区ゴルフ大会
第56回関⻄・中部地区ゴルフ⼤会は10⽉30⽇
プレイ後の懇親会では関⻄圏と⾸都⼀極集中や
(⾦)例年通り芦屋カンツリ-倶楽部にて⾏われま
中国と業界の問題などなど談論⾵発、楽しいひと時
した。今回は増⽥委員⻑、昨年優勝の松村さん、
を過ごしました。
今回初参加の栗川さんと私の4⼈だけという寂しい
最後に毎度のことながら
⼈数ではありましたが、薄⼿のベストも途中で要ら
本会の設定でお世話に
なくなる絶好のゴルフ⽇和の中、関⻄⾵味満点の
なった増⽥委員⻑にお礼
名⾨ゴルフ場を攻略すべくティ-オフ。
申し上げます。
毎回このコ-スに悩まされるのですが、特に初参加
平沼重⺒記
の栗川さんは久しぶりのコ-スに当惑される場⾯も
あり苦労しておられました。
とはいえOBと思ったのが跳ね返ってワンオン
のバ-ディになり、特設ティ-からのショットが
ホ-ルインワン(?)になるといった賑やかな
珍プレ-好プレ-が出て和気藹々のラウンドで
無事終了。
ダブルペリアの結果は私がハンディホ-ルに
恵まれて優勝となりました。
9
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第126回
第 163 号
麻雀大会
—金丸隆充氏が2回目の優勝—
第126回⿇雀⼤会が、去る10⽉16⽇(⾦)12時より、
鉄鋼会館近くの雀荘「利⼀」で開催されました。
の優勝の挨拶が⾏われました。⾦丸⽒は雀荘「利⼀」
に度々通われ、アイアン・クラブ会員との交流⿇雀を
今⼤会は4卓16名の参加者で半荘4回戦の熱戦が
展 開 さ れ ま し た。そ の 結 果、平 成25年7⽉ 開 催 の
第119回に続き⾦丸隆充⽒(元・⽇新製鋼)が2回⽬の
優勝の栄誉に輝きました。⼤会後表彰式があり⾦丸⽒
さ れ て い ま す。次 回 開 催 は、平 成28年3⽉ 17⽇
(⽊)に決まりました。半荘4回を1時間毎に場を
変わり、和気藹々の楽しい雰囲気の⿇雀⼤会です。
初参加の⽅も⼤歓迎ですので是⾮皆様ご参加ください。
柳島章也記
【成 績】
優
勝
⾦丸
隆充⽒
(元・⽇新製鋼)
⼆
位
君嶋
英彦⽒
(元・川崎製鉄)
三
位
⼤和屋隆喜⽒
(元・新⽇本製鉄)
平⼭
(⼭九)
BB賞
喜三⽒
麻雀大会優勝記
金丸隆充
2年前、⼤会初参加で
図らずも優勝を遂げ些か
気負ってしまいました。
爾 来、「柳 の 下 に 何 時
も泥鰌は居ない」との
諺に学び、⼤会では必
ず斬新な⼿法、⼿段を放ち続けるぞと意気込み、⾃在
に果敢に⽴ち回ったのですが、悉く阻まれては潰され
散散でありました。
さすがに気負いも委え「為る様に為る」と気楽に
臨んだ今⼤会でしたが、真逆の⼤変重苦しい展開と
なるのです。
⼿短に振り返りますと、⼀貫して配牌は良くない、
⾃摸はすこぶる悪く和了回数も⾮常に少なく、めぼしい
役での和了は皆無。⼀⽅放銃などの⽀払回数、⽀払額
もまた極少で推移し呆気なく終戦となるのです。
終始、⼀触即発の緊迫感の中で流局も頻発する地味
な神経戦が続いては、さながら忍耐くらべの様相で
ありました。
私はこの間の殆ど痺れまくっていて動きたくも動く
こと叶わずが真相であります。
闘わずして勝は有でも、戦えずして勝つはあるまい
と不思議な感覚でありました。
ともあれ3年⽬にして漸く「⼆匹⽬の泥鰌」を仕留
めることが出来た「幸運」を素直に喜んでおります。
扨て「ツキ」とか⾔う得体の知れぬ代物に少なからず
翻弄されながら、お互いが「知性」「理性」「品性」の
限りを交錯させ鎬を削るのが⿇雀ゲームですから⼀筋縄
で⾏く苦もなく、ハラハラ、ドキドキの⾼揚感がタマ
ランのです。離れ難き由縁でもあります。
ところで「2度あることは3度ある」との格⾔も
あれば⼼強く気分も弾もうというもの、また⾟抱強く
「三匹⽬の泥鰌」を追い求めるつもりです。
有難うございました。
10
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第 163 号
関西地区・文楽観劇会「錦秋文楽公演」
関⻄地区の⽂楽観劇会は10年ぶりに11⽉19⽇
国⽴⽂楽劇場にて実施した。
⾦⽬当に放り出そう
とする⼥房・お妻の
演 ⽬ は 三 題。第 ⼀ の 演 ⽬ は「碁 太 平 記 ⽩ ⽯ 噺
(ごたいへいきしらいしばなし)」。これは⻑編、
2時間25分の⼤作で⾒ごたえがあった。吉原を舞台
に姉妹が親の敵討を⽬指す物語である。最初は「⽥植
の段」。奥州ののどかな農村が舞台。百姓・与茂作は
代官の秘密を知った
ばかりに殺されて
しまう。与茂作の
娘・おのぶは⺟と
も死に別れ、途⽅
にくれるところか
ら物語は始まる。
愛想づかしの場⾯
か ら 始 ま り、逆 上
した⼋郎兵衛が
お妻と義⺟を斬り捨てるという展開になる。届かない
⼼が⾏き違いとなり悲劇となってしまう。全体に淋し
気な雰囲気で舞台は進⾏して⾏くが、殺傷の場⾯で⼀気
にト-ン・アップする。お妻の⼈間国宝・吉⽥簑助、
⼋郎兵衛の吉⽥和⽣、娘お半の吉⽥簑次が複雑な⼼情を
渋く描き出している。三味線は⼈間国宝・鶴澤清治他。
この演⽬では殺傷場⾯のリアリティ-感、義太夫語りの
⼤胆なせりふ等⽂楽の持つ魅⼒を改めて感じた次第である。
第三の演⽬は「団⼦売(だんごうり)」。締めくくり
⼆ 段 ⽬ は「浅 草 雷 ⾨ の 段」。お の ぶ が 巡 礼 姿 と
は賑やかでおめでたい舞踊劇。団 ⼦ 売 の 夫 婦 が ⾅ と
なって江⼾にいる姉を捜しに旅に出、やっと浅草に
杵 を 夫 婦 に な ぞ ら え、⼦ 孫 の 繁 栄 を 願 っ て 軽 や か
辿りついたところ、危うく遊⼥として売り⾶ばされそう
に踊って幕となった。
になるが、吉原の揚屋の主⼈、⼤⿊屋惣六に助けられる。
この場⾯では⼤道芸⼈のコミカルなしぐさや、無頼漢の
たぶらかしの演技が挿⼊され、⼈形劇独得の⾯⽩さや
今回の参加者は東京より来訪者1名を加えて12名、
座席は舞台下⼿前⽅、舞台の様⼦が⼿近に⾒える絶好
の場所であった。
おかしさが観客の⽿⽬を引きつける。
観劇はイヤホンガイド付だが、現在、⽂楽 舞台の
三段⽬は「新吉原揚屋の段」。惣六に助けられた
おのぶが⼤⿊屋にやって
来る。そこで傾城宮城野
となった姉と再会して、
⽗のこと等を物語るうちに
姉妹は涙ながらに敵討を
決 意 す る が、そ の 短 慮
を惣六に諌められ時節を
待つこととなる。この段の
⾒どころは宮城野のクドキ
と後振りと⾔われており、
最 も ⽂ 楽 ら し い場⾯で
ある。
⼈形使いは⼤道芸⼈の吉⽥勘市、傾城宮城野の豊松
清⼗郎、浄瑠璃は豊⽵英⼤夫、三味線は⼈間国宝の
鶴澤寛治の芸が印象深い。
第⼆の演⽬は「桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみの
さめざや)」。物語は⼦までなした夫・⼋郎兵衛を
11
上部に義太夫の語りが字幕で同時に表⽰されるので、
イヤホンと浄瑠璃を⽿にしながら字幕⽂字を⽬にし
て舞台をながめると視覚的、聴覚的に舞台が⽴体的に
楽しめる。更 に オ ペ ラ グ ラ ス を 持 参 し た の で 、 状
況 に 応 じ て ⼈ 形 の ⽬ や ⼿の詳細な動きまで観察する
ことができ、⼀層興味が深まった。昼⾷は評判の劇場
内「⽂楽茶寮」の芝居弁当。客席やロビ-でおいしく
いただいた。
実に素晴らしい⽂楽漬の⼀⽇であった。
関⻄・中部地区運営委員⻑
増⽥光⼀記
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第15回
音楽鑑賞会
5⽇の午後、晩秋の爽やかな空気を⼼地よく感じな
がら、落ち葉を踏みしめ上智⼤学の前を通り紀尾井
ホールへと向かった。
今回の⾳楽鑑賞会は、紀尾井シンフォニエッタ東京の
第102回定期演奏会。両⽇で29名の会員・ご家族が
参加された。演奏会は「マエストロ・阪、ドイツの⾵
とともに再び登場」と銘打っている。「マエストロ・
阪」とは欧州を中⼼に世界的に活躍している若⼿指揮者・
阪哲朗(ばん・てつろう)である。現在、ドイツ・
バイエルン州のレーゲンスブルク歌劇場の⾳楽総監督
を務める。
⼿渡されたプログラムを開くと⾳楽に関する知識が
R.シューマン
第 163 号
2015年12月4日(金)・5日(土)
紀尾井ホール
乏しい筆者にも「ドイツの⾵」が「なるほど」と何と
なく納得される。ドイツ・ロマン派の作曲家として知
ら れ る ロ ベ ル ト・シ ュ ー マ ン(Robert Schumann,
1810 – 1856)の交響曲が2つ演奏され、その間にやや
時代が下るがやはりドイツ(後期)ロマン派の作曲
家、リ ヒ ア ル ト・シ ュ ト ラ ウ ス(Richard Strauss,
1864 – 1949) の歌曲が⼊るという趣向である。なお
蛇⾜であろうが、このシュトラウスは「美しく⻘きド
ナウ」(1867年)を作曲しウイーンで活躍したシュト
ラウス(Johann Strauss II, 1825 – 1899)⼀族とは
⾎縁関係はない。
⾳楽に造詣の深い⽅のために、当⽇の演⽬を記しておく。
序曲、スケルツォとフィナーレ
Op.52
R.シュトラウス 献呈Op.10-1、万霊節Op.10-8、あしたOp.27-4
クレメンス・ブレンターノの詩による6つの歌曲Op.68より
第2曲「私は⼀本の花束を作りたかったの」
第4曲「私にあなたの歌が響くとき」
R.シューマン
交響曲第4番ニ短調Op.120(1851年版)
演奏は⼗分に楽しめるもの
夢想に耽らせる⾳⾊であった。
だった。まず指揮者の阪哲朗が
シューマンに挟さまれたシュトラ
兎に⾓「カッコイイ」のである。
ウスの歌曲は澤畑恵美(さわはた・
イケメンだしスタイルもいい。
えみ)によって歌われた。
⾒ た と こ ろ 贅 ⾁ も な い。ま た
作品の作曲年は1880・90年代、
指揮ぶりに抑えた迫⼒がある。
いわば世紀末に近い。そんなことを
シ ュ ー マ ン の 交 響 曲 で は、
紀尾井シンフォニエッタ東京の実⼒を強く感じさせる
安定感と劇的な⾼揚感が実に巧みなバランスで聴く者
に迫ってくる。これらの作品が作られた19世紀中盤の
未だ統⼀を果たしていないドイツ、⼀⽅で産業⾰命の
波はひたひたと押し寄せてくる、そんな時代の諸侯国
の宮廷はどのようなものであったのだろうか。そんな
考えながら澤畑の歌唱を聴くと、
その深みのある落ち着きを感じさせる歌声にそこはか
となく蠱惑的な魅⼒が隠されているようにも思えて
きた。
演奏が終り、「ドイツの⾵」のなかで暫く席を⽴ち
難い思いでいた。
歌舞伎鑑賞記
今回は鑑賞した歌舞伎の
⼀ つ、「若 き ⽇ の 信 ⻑」に
ついて記してみたい。この
⼤仏次郎の書き下ろしは
⼗⼀世団⼗郎から今⽇の
海⽼蔵まで数多く上演された歌舞伎屈指の名作である。
ここでは現代に通じる数多くの名⾔が披露される。
12
保倉
裕
記
歌舞伎座 11月10日
元来⽇本には、戦国の世以来名将とうたわれる⼈物が
多数⽣まれている。
秀吉、家康は元より忠⾂の名をほしいままに⾚穂浪⼠を
率いた⼤⽯内蔵助など、劇や芝居には⽋かせない逸材
が多い。中でも信⻑は”うつけ“と⾺⿅にされながら
独⾃の哲学をもち、攻めに徹した覚悟の武将である。
そして硬軟おり交ぜた⼈間味のある⼈物でもある。
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
第 163 号
守役の平⼿中努が死をもって
舞台を観ながら思った。別に戦いを挑めという意味で
信⻑の放蕩をいましめる
は な く、⾃ 分 に 覚 悟 と 勇 気 と ⼤ 義 が あ る な ら 誰 に
と、その書き置きを読んだ
向かっても遠慮せず堂々と主張を貫くことが⼈間にも
信⻑は遺体にそっと⼿を置き、
国にも⼤切なことと実感した舞台であった。海⽼蔵の
その死を無駄にしないと誓う
熱演に拍⼿を送りたい。
場⾯をしんみりと鑑賞させ
てもらった。今川の⼤軍が
尾張を攻め込んだ時和議を
進⾔するとこれを敢然と
拒み、桶狭間への出陣を命
井⽥憲之記
閑話休題:鎌倉の⼤仏さまの裏⼿に
住んでいたので⼤仏次郎(おさらぎじろう)
をペンネームにしたことをはじめてこの
演題の解説で知った。
ずる信⻑。この辺りを今の⽇本も⼿本にして欲しいと
平成27年忘年会
12月3日(木)鉄鋼会館
恒例のアイアン・クラブの「忘年会」は平成27年12⽉3⽇(⽊)17時30分より、120名の参加者を
得て、鉄鋼会館9階ホールで開催された。当⽇は、本年10回⽬の講演会が15時より開催され、「2016年の
世界と⽇本」についての有意義なお話を⻘⼭学院⼤学院教授の榊原英資⽒からご講演頂きました。
忘年会は、今井理事⻑のご挨拶に引き続き、⽇頃の当クラブ⾏事のおなじみの顔ぶれの⽅々に加え、普段なかなか
⾏事や会合には参加できない⽅々も年に⼀度ということでの、賑やかな談笑⾵景が繰り広げられました。歓談の後、
村瀬副理事⻑の発声に合わせ、⼀本締めによる中締めがあった。その後も歓談が続いた後、19時前、盛況裡に
散会となった。
理事長挨拶
みなさん、こんばんは。本⽇の
講演会には出席できませんでした
が、寒い中にも関わらず、このよう
に多くの皆さんにお集まりいただき
⼤変喜ばしく思います。恒例に
よりましてこの1年間を簡単に
振り返ってみたいと思います。
私は、第⼆次安倍政権は結構頑張っているのでは
ないかと思います。外交⾯では、4⽉にアメリカの
両院でスピーチを致しました。8⽉の戦後70周年談話も
危なげなく乗り切りました。11⽉などはトルコへ
⾏き、それからフィリピン、マレーシアを訪問、
さらにそれからフランスへ⾏くといった強⾏⽇程を
こなしており、総理のいう地球俯瞰外交を実践して
おりまして、⽇本の存在感もかなり上がっているの
ではないかと思います。国内の国会を⾒ましても、
前半の殆どが集団的⾃衛権に費やされ、夏休みもなく
9⽉まで延⻑国会を開きましたが、安保関連の⼗幾つ
の法案が通りました。これは当⾯どうということは
ありませんが、やはり⽇本の将来のためには良いことを
していただいたと思っています。
その後、臨時国会は開かずに内閣の改造を⾏い、
⼀億総活躍社会という、これは中⾝が未だはっきり
しませんが、これから少⼦⾼齢化社会に⼊る中で、
やはり⼥性も⾼齢者ももっと頑張っていかなければ
ならないということで、⾔っていることは間違って
いないと思います。
それから経済最優先とも⾔っており、これもその通り
13
だと思いますが、今⽇も榊原さんのお話しにもあったと
思いますが、世界がこれだけグローバル化しますと
⼀国だけで何かしようとしてもどうにもならない
わけです。
今われわれは⼤変な問題に直⾯しておりますが、
それは中国であります。特にこのアイアン・クラブの
メンバーである会社は、酷い⽬にあっているわけです。
鉄で⾔いますとリーマンショックの後、中国は4兆元と
いう当時のお⾦でほぼ5〜60兆円のお⾦を出して
インフラの整備を⾏いましたが、これに鉄が必要だ
ということで、⾬後の⽵の⼦の如く⾼炉がどんどん
建ちました。それが今や完全に余ってしまいまして、
年間11〜12億トンの能⼒に対して内需は7億トン、
そこでキャッシュが少しでもプラスになるものは輸出
しようということで、年間の輸出数量が1億トンを
超えました。
世界の鋼材流通量の約半分と⾔われておりますが、
ホットコイルが300ドルを⼤きく割り込んでおり、
これはさすがにいくら円安であっても⼤⾚字であり
ます。現在⽇本の⾼炉メーカーは50%近くを輸出して
いますから、発表するごとに減益と⾔わざるを得ず、
⼤変なことになっています。
1年か2年前にはこの場で「⾼炉メーカーの業績は
いいが、電炉メーカーは原⼦⼒の問題で電⼒料⾦が
上がって⼤変だ」と申し上げたのですが、今や⽴場が
全く逆になりました。電炉メーカーは国内で売る
のが⼤半で、中国材もそれほど⽇本に⼊ってきて
おらず、あまり販売⾯での影響を受けません。また
スクラップが市場最安値レベルにまで下がっており、
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
従って⾼炉に⽐べると業績が良いわけです。まあ
「禍福はあざなえる縄のごとし」というように巡り
巡っていくわけです。鉄鋼メーカーだけでなく商社
さんも船会社さんも、やはり中国の影響で資源価格が
暴 落 し、ま た 資 源 の 動 き も 鈍 い と い う こ と で、
やはり迷惑を被っているところでありまして、中国の
動向はこれからも注意しなければならないと思って
います。
中国の話をもう少ししたいと思いますが、私は
49年前の1966年、当時はまだ国交が回復しており
ませんでしたが、LT貿易の初めの頃でございまして、
⽂化⼤⾰命の最中に、2週間ほど中国に⾏きました。
紅衛兵で北京の街中があふれかえっていたのを記憶
しております。それから⽂化⼤⾰命の間を除き、35年前の
1980年からほとんど毎年1回か2回⾏っており、
中国の発展ぶりを⾃分の⽬で⾒てきたのですが、
今年も⽇中経済協会のミッションに参加して中国の
現状を⾒ることができました。
今年は国家指導者会⾒に李克強が登場しまして、
彼は副総理の時にも2回出てきたのですが、総理に
なってからは今年が初めてでした。李克強が出て
くるかどうかは⽇本を重視するかしないかの⼀つの
記 し と し て 注 ⽬ を 集 め て い た の で す。李 総 理 は
「⼀定の困難もあることを正視する必要がある」
と、要するに政治問題は解決していないということ
を⾔っておりましたが、今回のミ ッ シ ョ ン は 商 ⼯
会議所も参加しましたので⼤ミッションとなって
⼤変な歓迎を受けました。これは昨年、中国への
投資が⽇本全体で半分になったことに危機感を持って
いることに加え、環境問題についても⽇本の応援を
得たいといいうことが背景にあると思います。
今 の 中 国 が ど う な っ て い る か と い い ま す と、
10⽉末の五中全会で第13次五カ年計画が採択され
ました。李克強が⾔っていたのは、この最終ター
ゲットは全⾯的な⼩康社会の完成だということです。
⼩康とは何かというと、四書五経の⼀つである「詩経」に
出てくると解説しておりましたが、要するにゆとりを
持った⽣活ができるということなのです。そのため
には、2010年から2020年までの間、つまり習近平が
政権を取っている間に、経済つまりGDPを倍にしな
ければならない、ということなのです。既に半分の
期間が過ぎていますが、この⽬標を達成するためには
今後6.5%のGDP成⻑を達成しないとダメだと⾔って
います。
⼀⽅で、中国はGDPの数字にはこだわらないとも
⾔っています。そして産業界も変わらないといけない、
要するに⾼級品を製造する産業界にならなければ
いけないと⾔っており、イノベーションという⾔葉が
盛んに使われておりますが、中国は今、⼤きく3つの
課題に直⾯していると⾔えましょう。
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まずは安全⾯の確保です。空気がひどいですね、
それに⽔、⾷料もひどいわけです。こうした安全を
まず確保しなければいけない。
次に社会保障の整備です。現在の中国は、ほとんど
無いに等しい状況です。⽇本は、年⾦や医療など、
かなり良い時に社会保障制度を作り、財源がかなり
溜まっていたので、⾼齢者に配分出来るのですが、
中国ではそれほど伸びないうちに⾼齢者社会に⼊って
いくわけです。これは⼤変なことでして、多⼤な
お⾦が必要となります。
それからあと⼀つは農村問題の解決です。中国の
農⺠は⼾籍上都市住⺠と区別されており、都市住⺠に
提供される社会保障が⼀切受けられません。農⺠の
⼾籍が外れないと社会保障が受けられないということ、
そのため農⺠の⼾籍を外すこと、それから農⺠の
所得を今から残り5年で倍増させること、これらを
達成させないと本当に⼤変だ、と⾔っております。
要するにGDPにはそれほどこだわらずに国⺠の不満を
解 消 し て、今 ま で の 共 産 党 が 政 権 を も っ て い る
レジティマシー(=政治的な正統性)、すな わち
「共産党だからこれまで成⻑ができた。これからは
成⻑が鈍化しても、共産党だからみんなが⼩康社会で
ゆとりある⽣活ができる。」というように、⽅向転換を
しなければならないのです。今でも年間20万件の
デモが起こっておりますので、このような⽅向に
転換しつつあると思います。
しかし、中国のGDP総額は既に10兆ドルに達して
おります。10兆ドルということは、1ドル120円と
すると1200兆円になり、⽇本のGDP総額は約500兆円
ですから、既に⽇本の2.4倍の経済規模になっている
わけです。それだけ⼤規模のGDPになっているので、
中 国 が 仮 に6%に せ よ、成 ⻑ す る と い う こ と は
世界に多⼤な影響があるということなのです。彼らは
世界の成⻑の30%は中国が担っているのだと⾃慢
しておりましたけれども、やはり中国に成⻑して
もらわないと我々も困るわけです。ただ⼀⼈当たりに
直しますと、⼈⼝が13億⼈いますから8000ドルを
少し下回っている程度なのですね。これは農⺠の
所得が極めて低いからです。沿岸部の1〜2億⼈は、
そのうち2万ドル3万ドルという所得が得られるかも
しれないけれども、中国全体が1万ドルを超えて1万
5000ドルや2万ドルになるのは⼤変なことだと思う
のです。
ひところBRICSと⾔って騒がれましたが、中国も
その⼀員であるBRICS諸国の中で、今までそのレベルを
超 え ら れ た 国 は な い わ け で す。ブ ラ ジ ル な ど は
⼀時期⼤変良かったのですが、この7-9⽉期では5%
程度のマイナス成⻑となっており、国の危機に直⾯
しています。従って、中国が全体として成⻑できるか
どうかはわかりません。鉄鋼の過剰問題については、
「要請があったので設備を作りましたが、過剰問題が
⽣じました。この問題の解決には⽇本も⼤変苦労
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アイアン・クラブ
したでしょうから、中国は期限を切ってやります。」
と⾔っていますが、期限と⾔っても3年か5年か10年か
わからないわけで、今後も鉄鋼関連業界はかなりの
苦労があるでしょう。この問題は⽇本鉄鋼業界だけで
解 決 し よ う と し て も 難 し い の で、OECDや
WSA、そ し て ⽇ 本 政 府 と も ⼀ 緒 に 世 界 的 に 対 応
しなければなりませんが、相当な困難が継続すると
思います。
こ こ で も う ひ と つ 別 の 話 題 で す が、今「中 国
2049」という本が今ずいぶん売れ始めております。
これは何かというと、アメリカのニクソンやキッシン
ジャーの訪中を仕組んだ敏腕の外交官であり学者で
あるマイケル・ピルズベリーという⼈が、中国に
騙されたとして最近書いた本です。共産党ができた
のは1949年ですね。ですから2049年というのは
共産党ができてから100年、今から35年後のことに
なるわけですが、「中国は⼤変貧しい顔をしながら
先進国の援助を受けて⼤きくなったが、今や世界の
覇権を握ろうとしている。すっかり騙された。中国は
策動したり、⼈をだましたりすることが美徳なのだ。」
とまで⾔っているのです。
⾚壁の戦いなんかを持ち出して「劉備は相⼿を
だまして勝利を得た」ということも勉強して⾔って
いるわけですが、やはりアメリカは建国以来まだ
250年 で す か ら、と て も4000年 の歴史は理解で
きなかったのだろうと思います。私も中国をずっと
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⾒てきておりますが、本当に貧しい歩⾏社会から
⾃ 転 ⾞ に な り、⾃ 動 ⾞ と な っ て、こ の 間 の 軍 事
パレードまで⾏くわけです。
これは⼤変な発展でして、35年後に世界の覇権を
握れるかどうか、これは握れるかもしれないですね。
ただ最近習近平が偉くなって、アメリカと対等の
⼤国なのだから、⼤国同⼠で話をしようとか、⼀帯
⼀路と⾔ってヨーロッパまでの陸路と海路を作ると
⾔っている訳です。これに対してヨーロッパはイギ
リスもドイツも中国に協調的な姿勢を⾒せていますが、
理念の違う国家が本当に覇権を握ってしまうとどう
なるのでしょうか。
またアメリカの⼤統領選挙を⾒ても、どうも⾵変
わりな⼈が出てきて、⼼配になる⾯もあるわけです。
そのようなことで、この本によるとあと35年ですが、
中国がどうなるかは我々も⼤変⼼配するところ
で し て、残 念 な が ら ⾒ 届 け ら れ ま せ ん け れ ど、
私⾃⾝の⽬で⾒られるところまで⾒ていきたい
ものです。何しろ⼤変な国と隣あっているなと思う
感覚でいるわけです。
⻑話になりましたが、来年もアイアン・クラブ
また皆さま⽅にとって良い年でありますように、
また皆さま⽅がますますご多幸ご健勝であります
ように祈念して乾杯したいと思います。乾杯!
平成28年1⽉
アイアン・クラブ
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村瀬副理事⻑の⼀本締め
新⼊会のご案内(敬称略 平成27年10-12⽉⼊会)
会員の皆様
新入会員勧誘のお願い
現在、アイアン・クラブの会員数は
会員皆様方のご 尽 力 の 結 果、現 役・
OB の皆様に入会して頂き534名と
なりました
引き続き、会員一人ひとりの皆様方が、
親しい 知人の方々にお声を掛けて
い た だ き、ア イ ア ン ・ ク ラ ブ へ の 入 会 を
勧誘して下さるようお願いします。
松野良⼀
共栄製鋼㈱
顧問
この新入会勧誘のお願いのお役に
立つように
『アイアン・クラブへ「ご入会」のお誘い』
『アイアン・クラブのご案内』『入会申込書』
などを事務局に準備しております。
また、ホームページにはアイアン・クラブ
の諸活動状況も掲載しております。
ご利用ください。
インフォメーション
鉄鋼連盟新年賀詞交換会
歌舞伎観劇会(関⻄)
2⽉度午餐会 岸井成格⽒
⾳楽鑑賞会
⾃然観察
囲碁⼤会
歌舞伎観劇会
3⽉度午餐会 野⽥佳彦⽒
⿇雀⼤会
4⽉度午餐会 柯 隆⽒
昼⾷講演会(関⻄)
ゴルフ⼤会
下町散策
5⽉度午餐会 平⽥ 直⽒
⾳楽鑑賞会
6⽉度午餐会 柳澤協⼆⽒
秋の旅⾏
1⽉ 5⽇(⽕)12:00
ホテルニューオータニ 芙蓉の間
1⽉12⽇(⽕)11:00
⼤阪 松⽵座
2⽉ 5⽇(⾦)12:30
鉄鋼会館 801号室
2⽉12⽇(⾦)19:00、13⽇(⼟)14:00 紀尾井ホール
3⽉3⽇(⽊)予備⽇4⽇(⾦) 湯河原梅林(時間未定)
3⽉ 7⽇(⽉)12:30
アイアン・クラブ会議室
3⽉ 8⽇(⽕)11:00
歌舞伎座
3⽉ 9⽇(⽔)11:30
鉄鋼会館 701号室
3⽉17⽇(⽊)12:00
利⼀(雀荘:鉄鋼会館裏⼊⼝近く)
4⽉ 8⽇(⾦)12:00
鉄鋼会館 701号室
4⽉14⽇(⽊)12:00
ホテルグランヴィア⼤阪
4⽉20⽇(⽔) 9:24〜
⻘梅ゴルフ倶楽部
5⽉ 9⽇(⽉)
葛飾柴⼜界隈(時間未定)
5⽉ 吉⽇( )12:00
鉄鋼会館 701号室
6⽉17⽇(⾦)19:00、18⽇(⼟)14:00 紀尾井ホール
6⽉21⽇(⽕)12:00
鉄鋼会館 701号室
(1案)10⽉10⽇(⽉)〜13⽇(⽊)、(2案)10⽉11⽇(⽕)〜14⽇(⾦)
(1案、2案の何れも) 3泊4⽇ 中四国、瀬⼾内海(島巡り)の予定
訃
報
(敬称略)
⼆神幸市
岩野正彦
下妻
博
元・津⽥鋼材㈱
元・住友商事㈱
新⽇鐵住⾦㈱
平成27年10⽉6⽇
平成27年11⽉1⽇
平成27年11⽉15⽇
享年91歳
享年90歳
享年78歳
発 ⾏:アイアン・クラブ 〒103-0025 東京都中央区⽇本橋茅場町3-2-10(鉄鋼会館) ☎(03)-3669-4825 編集⼈:服部英則
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URL:h p.//www.ironclub.jp