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安価なアルカリフッ化物を用いて選択的フッ素化の新手法-アミド
と銅の相互作用を利用- を開発
【背景】
フッ素を物質に付与する重要性
炭素−フッ素結合を含む分子は、特異な化学的そして物理的性質を有することから生理活
性物質、電子材料から有機合成用反応剤に至るまで様々な場面で需要があります。例えば、
最近では農薬の約 30%、医薬品の約 20%が炭素−フッ素結合を含んでいると報告している論
文があります。そこで、この非常に大きな需要を満たすためにも、フッ素を含む複雑な物質をよ
り効率的で安価に作り出すためにも、 “革新的炭素−フッ素結合形成反応開発”という基礎
的研究に取り組む必要があります。本研究は、このような背景から有機合成的手法を用いたフ
ッ素化反応開発に着手し、今回の成果を得るに至りました。
現行のフッ素化反応には、非常に高価な特殊フッ素化剤が必要
これまでのフッ素化反応は、1)フッ素アニオンを利用する求核的反応と、2)フッ素カチオン
による求電子的反応の 2 種類に大別されますが、フッ素アニオンやカチオンの反応性制御は
容易ではなく、新しいフッ素化剤の開発が求められていました。例えば、昨今のフッ素化剤の
例を図 1 に示しました。有用なフッ素化剤は市販され広く研究者に用いられており、分子中の
有用な反応部位である炭素−ハロゲン、炭素−酸素結合及び炭素−炭素二重結合に対して
効率的にフッ素化を行うことができます。
しかし、様々な炭素−フッ素結合を持つ分子を合成できるようになった一方で、反応には
特殊なフッ素化剤を用いなければならないため、それらの調製や貯蔵が困難、又は市販され
ていても高額であることが産業プロセスへの応用を阻害する要因の一つとなっています。最も
需要のある Selectfluor でさえ、グラム当たりの価格は千円を超えてしまいます。この価格は有
機合成用試薬の中では高価な部類に入ります。
図1:代表的なフッ素化剤(市販されているもの)と価格
既存の高価な高性能フッ素化剤のアルカリフッ化物代替の課題
一方、フッ素アニオン前駆体としてのアルカリ金属フッ化物は、ルビジウムを除いて、グラム
当たりの価格は百円を大きく下回るため魅力的な反応剤です。しかしながら、これらの反応剤
は吸湿性があるため水分を吸ってしまうと水分子とフッ素アニオンとの強い水素結合により著し
く反応性が低下するという致命的な欠点があります。また、求電子的フッ素化剤の代表的なも
のはフッ素ガスもありますが、腐食性のある気体であるため扱いにくく反応剤としての魅力は極
めて低いです。このため、アルカリ金属フッ化物を用いてフッ素化反応が実現できれば、コスト
面で工業プロセスに直結可能な優れた反応になるはずです。研究グループはこの点に新しい
フッ素化研究の価値を期待しました。
図2:アルカリ金属フッ化物と価格
【研究内容】
本研究で開発されたフッ素化反応は、銅触媒を用いてα−ブロモアミド化合物の臭素とフッ
化セシウムから生じるフッ素を交換することで進行します。この際に重要となるのがフッ化銅と
呼ばれる中間体です。フッ化銅は銅触媒とフッ化セシウムとの反応から作られる化学種であり、
これがα−ブロモカルボニル化合物と銅触媒との反応から生じたラジカル種と反応することで
フッ素化反応が進行します。この反応は次の特徴を持つ点で画期的です。
1) 安価なフッ化セシウム(80 円/g:最もよく使われているフッ素化剤は 1,000 円/g)を使用可能
である。
2) アミド基の銅への配位効果を利用して、立体的に非常に大きな反応部位(C-Br 結合の緑
でハイライトした Br でのみ反応)でのみ、選択的にフッ素化が進行する。
図3:開発したフッ素化反応の概念図(Cu:銅触媒、CsF:フッ化セシウム、Br:臭素、F:フ
ッ素)
【今後の展開】
芳香族フッ化物合成分野においては、Ritter, Hartwig, Buchwald, Sanford らにより構築が困
難な芳香族−フッ素結合形成に近年目覚ましい進歩がありました。しかし、本研究対象である
脂肪族フッ化物合成分野では、フッ素アニオンを用いた求核的な反応を中心として 100 年以
上前から知られているにもかかわらず、近年のフッ素化物の高い需要に応えうる効率的なプロ
セスに直結する研究は少ないのが現状です。もちろん、この点に着目し最近では Richmond,
Bergman, Togni, Lalic, Doyle, Boger らの脂肪族フッ素化物合成研究に焦点が当てられていま
すが、新しいコンセプトの提案というよりは、新しいフッ素化剤開発に重点が置かれており、フ
ッ素化反応のコスト問題は依然として未解決でありました。
これに対して本研究で開発した反応を用いると次の3つの事項が実現します。
1)低コストで簡便な新規ラジカル的フッ素化反応の確立:
安価なアルカリ金属フッ化物(フッ化セシウム)をフッ素源として用いることが可能。
2)従来の求核及び求電子的フッ素化反応では適用が難しかった基質のフッ素化:
立体的に非常に込み合った部位で選択的にフッ素化が可能。
3)化学選択的フッ素化の実現:
ラジカル反応を利用することで狙った炭素−臭素結合を選択的にフッ素化可能。
本成果は自然科学の基礎的な現象を発見したものであり、フッ素化研究分野に大きなブレ
ークスルーを与えました。実用化には乗り越えるべきいくつもの壁がありますが、将来のフッ素
を含む有用物質を作る多くの工業プロセスに組み込まれることを期待しています。
なお、本研究は、文部科学省テニュアトラック普及定着事業・個人選抜型及び有機合成化
学協会・東ソー研究企画賞の助成を受けて実施したものです。
【用語解説】
触媒反応
触媒はそれ自身は反応の前後で変化しないが、反応の最中には物質に様々な反応性を付与
する機能を有する。触媒を用いると、反応に必要なエネルギーを著しく低下できることから、近
年では省エネルギープロセス確立に欠かせない方法論である。触媒には、酸(H+)のような単純
なものや、金属、そして、複雑な有機分子など多岐にわたる。
アルカリ金属フッ化物/フッ化セシウム
アルカリ金属は、リチウム、ナトリウム、カリウムなどミネラルを形成する身近な元素である。その
中にはセシウムも含まれる。これらとフッ素が結合したものをアルカリ金属フッ化物と呼ぶ。
銅
原子番号 29 の遷移金属元素であり、硬貨にも使われている身近な元素。Cu と表記される。
1,2,そして 3 価の酸化数をとり、電子状態によって金属中の電子移動の方向がきまる。今回は
1 価銅を反応に使うことで銅から 1 個の電子をα−ブロモカルボニル化合物に移動させて反
応を開始している。
α−ブロモカルボニル化合物/α−ブロモアミド
非常に大きな炭素官能基を持つ臭素化物であり、α−ブロモカルボニル化合物群に属する
化学物質。この物質の特徴は2つあり、一つは、銅触媒を反応させると炭素ラジカル種という反
応性の高い化学種を生成することが可能で、反応性の高い化学種は様々な分子合成に不可
欠である。もう一つの特徴は、カルボニル基という官能基を持つため、反応後の官能基変換が
容易で、これにより、望みの機能を分子に付与することが可能である。このような特徴を持つ化
学種を用いて今回のフッ素化は行われている。
ラジカル
物質にはプラス、マイナス、そして中性の状態がある。それぞれの状態によってどのような有機
反応が進行するのかが決まってくる。その中でもラジカルは中性物質に属するが、エネルギー
の非常に高い状態を維持しており、あらゆる物質への反応性を有するため、その制御は難し
い。近年では、光やある種の元素を用いたラジカルの制御法が開発されてきており、重要な最
先端研究課題の対象である。身近なラジカル反応としては、食品などの酸化やオゾン層の破
壊プロセスがある。