林京子「長い時間をかけた 人間の経験 」論 野坂 昭雄 題 を 孕 ん で い る が )を 求 め ら れ る 原 爆 文 学 は 、 当 然 の こ と な が ら こ との 不 可 能 性 と 向 き合 い つ つ 、 林 は ど う「 文 学 」の 問 題 と関 わ 困 難 な 営 み とな ら ざ る を 得な い 。 言 語 を 絶す る 経 験 を 言 語 化 す る っ て い った の か 。 こ の 小 論 で は 、 そ の 点 につ い て 「 長 い 時 間 」 を 中心に考察を加える。 二 「長い時間をかけた人間の経験」が「 祭りの場」を強く意識し で あ る 。「 祭 り の 場 」 冒 頭 に は 、 ア メ リ カ の 科 学 者 が 嵯 峨 根教 授 一 林 京子 の「 長い 時 間 をかけた 人 間の経 験 」( 一九九 九、以下 「長 へ 宛 て た 降 伏勧 告書 が 引 用 さ れ てい る 。 林 は 引用 に 続 け て 「 読み に感 じ られ るの だ が 、 そ れ が あく まで 内 向き の感 情に 留 ま って い 最 後に 三 人の 科学 者の 一人、ア ルヴァレツ 博士の署 名がさ 41 て 書 か れ て い る こ と は、 一つ の エ ピソ ード を 見る だ け で も 明ら か い 時 間 」)は 、 彼 女 の 文 学 的 活 動 の 中 で も 重 要 な 意 味 を 持 つ 作 品 原 爆の 雨 が 怒 り の う ち に 」 の 件 に つ い て 、 林 は 「 当 然 の 行為 と し て 書い た 三 学 者 を 、 あ るい は書 か せ た 米 国 を、 神 の み子 だ か ら 恐 すごせない」、「ひっかかる」点を挙げるが、例えば「そのときは 図 を 持 つ と明 言 し てい る 点 から も窺 わ れよ う 。 林 が 還 暦 を 迎 えた は、当然向けられるべき相手ではなく、この作品を読む日本人へ、 れ る の だ な 、 と 敬 服 す る 」 と 記 し て い る 。 しか し こ の 痛 烈 な 皮 肉 至 る 活 動 を 「 円 環 」 と 語 り 、 後 者 が 「 円 環 」 を 閉 じ よ う とす る 意 こ と、 ま た 遍 路 開 始 の 契 機 と な っ た 友 人 カ ナ の 失 踪 な ど 、「 私 」 で ある 。 そ の こ とは 、 彼 女 自 身 「 祭 りの 場 」 か ら 「 長い 時 間 」に の 状 況 の 変 化 が 「 円 環 」 を 閉 じる 要 因 だ が 、 彼 女の 文 学 的 営 為 全 「 祭 りの 場 」で 芥 川 賞を 受 賞 し た 一 九七 五 年か ら 今に 至る ま で 引 用 さ れ、 次 の よう に記 さ れ る 。 る の で あ る 。 一 方 、「 長 い 時 間 」 に お い て は 、 再 度 降 伏 勧 告 書 が 屈 折 した 形 で 向 け ら れ て い る よ う に 見 え る 。「 私 」 の 怒 り は 充 分 原 爆 を 描 き 続 け た 林 に と っ て 、「 円 環 」 を 閉 じ る と は 、 自 身 の 活 体 を 眺め た 時 、 この 「 長 い 時 間 」 はい か な る 位 相 に あ る の か 。 動 を 振 り 返 る 行 為 を 意 味 し て お り 、「 長 い 時 間 」 に は 彼 女 の作 家 い う こ と と「 文 学 」 と の 間 で 常 に 引 き 裂 か れ て い た よ う に も 見え 根氏 へ 。 ル イ ス ・ W ・ ア ル ヴ ァ レ ツ 」 とな って い る 。 敗 戦 後 れ て い る 。 署 名 は 、「 一 九 四 九 年 十 二 月 二 十 二 日 私 の 友 嵯 峨 活 動の プロ セ ス が 描き 込 ま れて い る 。 し か も 林 は 、 原 爆 を 描 く と と同時に、文学的にも 優れたものであること (そ の判 断自 体も問 る 。 原爆の 問題 を 広く社 会に 訴えかけ た り後世 に 伝えた りする (1) へ と 向け る と い う 屈 折 の 過 程 で 生 み 出 さ れ た も の で あ る 。 例え ば 「 ニ ギ リ の 接 待 を し て い 」る 母 娘の 前 を 通 り か か った が、 自 分 に 一九 四九 年に 来日 したア ルヴ ァレ ツ博 士が 署名 したも の、 と 戦 後、 博 士 が 日 本 に や っ て き た 目 的 は 何 だ っ た の か 、 ま た 「 ご く ろう さ ま と言 って く れ な か っ た 」 こ と に「 釈然 と しな い 想 「 祭 り の 場 」 に お い て 、「 私 」 は N 高 女 の 近 く を 歩 い てい る 時 、 嵯 峨 根 教 授 に 送 った 勧 告 書 に 、 わ ざ わ ざ な ぜ 署 名 した の か 。 さ 」 を 見 て お り 、「 祭り の 場 」 で は 、 二 十 四 年 後 の 「 私」 が 過 去 い 」を 抱 く 。 一 方 、 現 在の 「 私 」は 当時 の 自 分に 「 気 持 のい や し 説明 がつ い てい る 。 は 考 え な か っ た 憶 測 を 、 湧 き 上 が ら せ る の で あ る 。( … )博 の 自 分を 回 想 ・批 評 す る と い う 形 で、 二つ の 時 間 そ れ ぞ れ の 感 情 カ ナ や 私た ち の 頭 上 に 降 っ た 一 枚の 勧 告 書 は 、 二 十 四 年 前 に 士 は 勿 論 、「 わ れ わ れ の 美 し い 発 見 」 が も た ら した 広 島、 長 が交錯さ せら れている 。 害す る 感 情 の 齟 齬 が 繰 り 返 し 描か れ る 。 そ れ は、 し ば し ば 被 爆 者 こ の よ う に 、 林 の 作 品 に は 被 爆者 の 多 様 さ と、 彼 ら の 連 帯 を 阻 崎 の 地 に も 出 か け た こ と だ ろ う 。「 全 都 市 の 壊 滅 と 生 命 の 浪 同士 に お け る 感 情の わだ か ま り と し ても 描か れる 。端 的な のが、 費 を 中 止 す る た め 」 に勧 告書 を書 き、 後日 それ に署 名 を す る 博士の表情も、想像できるのである。太平洋戦争に 〝ピリオ ミ ッシ ョン の 女学 生 さ ん が 、 教 会の 下敷 にな っ た 尼 さ 尼さ まの 服に 火の つい て …… 女学 生さ んは 、 泣 きな が ら逃 目、 い い か ら 早く 逃 げ な さ い 、 っ て 叱 りん さ っ た げ な 。 ま ば、 助 け よ う と 、 燃 え よ る 建 物 に 駆 け 寄 った ら 、 来 て は 駄 ― 「 二人の墓 標」の 例である。 ド 〟を打った自負は、大きいことだろうから。 二 十 世 紀の 前半 に 終 結 し た 戦 争 の 内 幕を 、 世 紀末 の 今 日 読 ん でみ る と 、 居 丈だ か な 勧 告書 も微 苦笑 を 誘 う 。 そ の 後 「 私 」 は 、「 二十 四 年 前 に 書 き 取 っ た と き の 、 粟 立 っ た 験 か ら 八 月 六 日 の 広 島 ま で の 日 日 は 、 二 十 一 日 間 。「 祭 り の 場 」 心 の 状 態 は い ま も 変 わ ら な い 」 と し な が ら も 、「 ト リニ テ ィ の 実 ろう か 、 年 端 も い か ん 娘 さ ん が げた と げ な で す よ、 可 哀 そか 、 ど ん げ ん 気 持ち で ご ざ ん し た 尼 さ ま の、 偉 か お 人 です ね 、 と つ ね が鼻 をす す る 。若 子 の 隣 りの 部 屋 で お ば っ ち ゃ ん が 話 して い る 。 ― や な の だ 」 と ア メ リ カ 側 の 状 況 を 記 し 、「 祭 り の 場 」 で 省 略 した で 省 略 し た 部 分 は強 迫 じ み て い て 、 大 国 ア メリ カ も、 て ん や わ ん 箇 所 も 含 め て 、 新 た に 勧 告 書 を 解 釈 す る 。 こ の 箇 所 は 、「 長い 時 ん の 話 は 、 繕 わ れ た 美 談で 、 真 実 で は な い 。 あ の 日 N 市 は、 若 子 は 秘 か に 、 つ ぶや く 。 お ば っち ゃ 蒼 い ほ お に 、 微 か な笑 い が 浮ん だ 。 間 」 が 「 祭 りの 場 」 の 反 復 で あ る こ と を 示す と 同 時 に 、 同 じ エ ピ ソ ー ド を 微 妙 に 異 な る 文 脈 に 置 き 直 す こ と で 、「 祭 り の 場 」 が 有 ― 浦 島 太郎 の お とぎ 噺の よう に 、 白 け む りに か わ る 閃 光に よ っ そ んな 話 はう そ 総 じ て 、「 祭り の 場 」 を は じ め とす る 、 初 期 作 品 が 持つ と げ と し てい た 意 味 を脱 臼さ せて い る と言 え る だ ろう 。 げ し さ や 皮 肉 は、 行 き 場 の な い 感 情を 時 に ア メ リ カ へ、 時 に 自 分 42 皮 肉 だ け ど 、 日 本の 小 説 に と って 、 被 爆 小 説 ほ ど 害 毒 を 流 す て 、 一 瞬 の 間 に 死 人 の 街 に か え ら れ て しま った 。 その 中か ら も の は ない と思 う ほ ど、 戦争 を 後 悔 して い る 日 本 人に ぴ っ た り の小 説は ない ね。 こん な に わ た し はや られ た と 。 と こ ろが や っ と ひ ろ った 命 で あ る 。 誰 が 駆 け 戻 っ て ま で 助 け た りす る 逃 げ 帰 った 女学 生 は 、 見 す て た 尼 さ ま が 目 さ き に ち ら つ い こ れ は 文 学 に な ら な い ん だ よ 。( … )林 京 子 の 「 ギ ヤ マ ン ビ や った こ と は 小 説 に な い じ ゃ な い 。 何 故 な い か と 考 え る と、 も の か 。 他 人を か ま う 余 裕 な ど 、 な か っ た は ず だ 。 善 意 を 信 じた か っ た の だ 。 繕 わ れ た 話 は 、 お ば っち ゃ ん を 感 ー ド ロ 」 で、 人は 被 害 者 の 小 説 だ か ら 身 に つ ま さ れ 、 甘 い 涙 て 、 嘘 で 繕 って 親 に打 ち 明 けた の だ ろう 。 女 学 生 は 、 自 分の 動 さ せ、 つ ね を涙 ぐま せ、 も っ と 大勢 の、 善意 の 人 々 を 涙 ぐ を 流 す よ 。「 ギ ヤ マ ン ビ ー ド ロ 」 は 手 品 で 成 り 立 っ て い る 小 ビ ー ド ロ 』 につ い て の コ メン ト だ が、 被 爆 ひた る に は 丁 度 い い 小 説 だ ね 。 説だ ね。戦争 や悪を やった親が口をぬ ぐったま ま甘い 後悔に ま せ る だ ろう 。 確か に「 女 学 生 さ ん 」は 「 繕 われ た 話 」を し た か も し れ な い 。 しか し 、 彼 女の 話を 「 繕 われ た 話 」 だ と 信 じ る こ とで 自 分 を 正 当 こ れ は 『ギ ヤ マ ン 面 を隠 蔽 し て しま い か ねな い と い う 問 題 を指 摘 して い る 点は 無 視 者 間の 感 情 の 交 錯 を 描 く 林 の 作 品 が 、 日 本 人 の 加 害 者 と して の 側 化 して い る 点に お い て、 若 子 も 異な る と こ ろ はな い 。 被 爆 者 は、 て 感 情 の 核 を 何 重 に も 包 ん で お り、 感 情 を 歪 ま せ な が ら 自 己 を 正 自 分 の 本 当 の 心 情 が わ か ら な く な る ほ ど 、「 繕 わ れ た 話 」 に よ っ る 。 彼 女 の 小 説 に は「 私 」の 個 人 的 で 強 烈 な 感 情が 描 か れ る こ と しら の 処 理 が 施さ れ、 読者 に カ タ ルシ スを 与え てい る よ う に 見 え で、読者 が大澤真幸の 言う「アイロ ニカルな没 入」 の状況に置 で きな い 。 し か も 、 林 の 場 合、 憎 し み や嫉 妬 な どの 感 情 は、 何 か 墓 を 並べ 、 原 爆 と い う 出 来 事 を 前 に し て 顕 在 化 し 得 る 嫉 妬 な ど の か れ る た め 、 過 度 な 心 理 的 負 担 か ら 解 放 さ れ る 面 が あ る 、 とい う .ね .は、若子が友人の洋子を山に 当 化 し て い る 。若 子 の 母 で ある つ 感 情 を、 丸 ご と 受け 入 れ てい る 。 そう す る こ と で 、 被 爆者 が抱 く 置 き 去 り に し た と い う 噂 を 否 定す る が 、 最 終的 に は 若 子 と洋 子 の 感 情 に ある 種の 浄化 がも た ら さ れ てい る の で ある 。 の 「 私 」 の 感 情 を い か に 配 置 し 、 ま た い か に 流 露 さ せ る か 、 とい こ こ ま で の 論 述 か ら 窺 わ れ る の は、 林 が 小 説 に お い て 、 語 り手 と も 言 え る 。い ず れ に せよ 、 こ う し た 点 は「 長い 時 間 」 へ も 引き 「 ル サ ン チ マン 」 を 原動力 に し て一種の救 済 を志向す るものだ 言 い 方 も 可 能 か も し れ な い 。 あ るい は、 林 の 小 説 はニ ーチ ェ 的 な (3) 継 が れ 、 作 品 世 界 を 構 成す る 重 要 な 要 素 と な っ て い る 。 43 (2) う操作によって被爆体験を流通させ、あるいは連帯を志向しつつ、 同時に小説的な強度も獲得しようとしていたことである 。しかし、 点 を 問 題 に し て 、 林 の 小 説 を 批 判 して い る 。 林 と 同 じ く 『 文 芸 首 都 』 の 同 人 で あ っ た 中 上健 次 は 、 次 の よ うな (4) 三 林 が 上 海 時 代 を 描い た 二 つ の 作 品 、 『ミッシェルの口紅』と『上 海 』は、昭 和十 年代、 上海 滞在時の 出来 事が回想形式 で 語ら れる 前者に 対し、後者 は上海旅 行で 訪れた 現 在の 上海 と、かつて の上 れ の 赤い 光の 中 に、 私 と 同 じ パ ン の 袋 を抱 い た 明 静が 立 っ て 明 静 を 置 い て、 走 っ て 家 に 帰 っ た 。 時 限 爆 弾 だ っ て、 と母 が い た 。 無 表 情な 目 で 、 道 の 向 こう か ら 私 を 見 て い る 。 私 は 、 と母が聞いた。通 行止めだもの、と私は言った。 言った。日本人が大勢死んだらしいよ、と言い、明静も一緒? き た 明 静 が、 や は り気 に な った 。 六時 をす ぎ て 、 明 静 が 帰 っ 私 は と き ど き 、 裏 口か ら 路 地の 入 口 をう か が っ た 。 残 し て し か し、 帝 国 に よ る 統 治 を 経 て き た 上 海 と い う 空 間 に お い て 見 ら 私 は 呼 び か け た 。 明 静が 、 チ ュ ッ と 唇 をす ぼめ て、 唾 を 吐 い て 来 た 。 パ ン を抱 い て 路 地 を 通 る 明 静 に、 ウ ェ イ、 と笑 顔 で 海とを重ね合わせるという具体に、描かれる時間が異なっている。 れる、日 本人 と中国人の感 情の屈折を 先鋭 化してい る点で 両者 は こ こに は、 無言 の ま ま自 分を 責 める 、 明 静や その 他の 中国 人 の てみ せた 。 り 、 記 憶の 中の 美 し い 上 海 を 内 側 か ら 破 壊す る 可 能 性 を 孕 ん で い 感 を 感 じ る が 、「 振 り 返 っ て 見た 」「 私」 の 目 に 映 った の は 、「 蜂 「 目 」 が 描 か れ て い る 。 初 め は 自 分 だ け が 許 さ れ て い る とい う 快 び と へ 向け る 視 線 に 限ら ず 眼 差 し は 上海 も の で は 非 常 に重 要で あ 「 私 」 が 上 海 で 鋭 敏 に 感 じ 取 っ て い る 緊 張 感 で あ る 。「 私」 が 人 可 能 性 は も ち ろ ん の こ と、 表 面 的 な 言 動 に は 回 収 さ れ な い ま ま 底 の 巣の よ う に 重 な り合 」う 「 中 国 人 た ち の 黒 い 目 」 で あ る 。 その る 。 中 国 人 の 眼 差 し が 表 象 す る の は 、 日 本 人 と中 国 人の 連 帯 の 不 流 して い る 感 情で ある 。 例 え ば 、 虹 口 マ ー ケッ ト で 明 静 と一 緒 に 目 が 想起 さ せ た 「 土 嚢 の 銃 撃 の 跡 」 と は、 第 二 次 上 海 事 変で 「 日 況 に 応 じ て 使 い 分 け て お り 、 子 供 時 代 を 上 海 で 過 ご した 「 私 」 の う に 、「 私」 は 日 本 と 中 国 の 二 つ の 文 化 的 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 状 憎 悪そ の も の は 明 確に 提 示 さ れ てい る 。 一 方、 引用 か ら わか る よ 「 私 」 が 現 在の 視 点か ら そ の 眼 差 し を 分 析す る わ け で は ない が、 て い る 中 国 人た ち が 描 か れ て い る 。『 ミ ッ シ ェ ル の 口 紅 』 で は 、 も こ こ に は 、 無 表 情 の 中 に日 本 人へ の 何 とも 言 え ぬ憎 悪を 滲 ま せ が 、 当 時 の 状況 を ど こま で 理 解 し てい た か は 不 明 だ が 、 少 な く と 変の 「 攻 防の 激 しさ 」 を 窺 わ せる も の で あ る 。 少 女だ った 「 私 」 本軍 が築 いた ら し い土 嚢 」に 向け られ た「 機関 銃」 の 弾痕 で、 事 パ ン を 買 い に 来 た 「 私 」 が 、 テロ 事件 の た め に 通 行 禁 止 とな っ た 際、日本人の子供という ことで自分だけが帰宅を許される場面 を 取 り 上 げて み よう 。 通 行 人 のい ない 道 を 、 パ ン の 袋 を抱 い て 走っ た 。 誰も い な い 広 い 道 を、 特 別 に 許 さ れ て 走る 快感 が 私 に は あ っ た 。 三 叉路 を 渡 り 終 わ っ て か ら 、 向か い 側 の 歩 道 を 振 り 返 っ て 見た 。 中 国 人た ち の 黒 い 目 が、 蜂の 巣の よ う に 重 な り合 っ て 、 私 一 人 に そ そが れ て い た 。 ふ と 私 は、 ワ ン ポ ゥツ ォ で 通 り 抜け た 日 の 、 土 嚢 の 銃 撃 の 跡 を 思 い 出 した 。 私 は 、 明 静 を 見 た 。 夕 暮 44 共通してい る。それらの中で林が丹念に描き出しているのは、 (5) ア イ デ ン ティ テ ィ は 、 生 き て い く た め に 連 帯 を 結 ぼう とす る 老 太 ネルギーは発散されない まま、今日まで体内に籠 り続けている 。 に と っ て の 原 爆 の 記 憶 は 、「 何 さ ん 」 ら 中 国 人 の 被 支 配の 経 験 と それが機会あるごとに、出口を求めてうごめいてくるのだ 」。 「私」 『 上 海 』で は、 明 確 な 憎 悪で は な い が、 中 国 人 の 持 つ 複 雑な 感 加 害の 歴 史 を組 み 込 み 、 単 に 被 爆の 体 験 の み を 描 く 以 上 の 原 爆文 重 ね合 わ せ ら れ る 。 その 時 に 見 え て く る の は 、 見 過ご さ れ が ち な 婆 と 「 私 」 の母 よ り も、 はる か に 流動 的 、 可 変的 で あ る 。 情 が、 特 に 上 海 旅 行 中 の ガ イ ド で あ る 「 何 さ ん 」 と「 阮 さ ん 」 に ど の 通 り で だ った か 、 阮 さ ん が 、 日 本 帝国 主 義 ノ 侵 略、 と が 目 指 さ れ て い る 点 は 変 わ ら な い 。「 私 」 が 原 爆 の 記 憶を 抑 え 込 とい う 形 式 を 借 り な が ら、 抑 圧 さ れた 記 憶 や感 情 を 描き 出 す こ と 考 え て み れ ば 、 上 海 も の に し ろ 原 爆 を 描い た 作 品 に し ろ 、 回 想 学 を 目 指 そ う とす る 林 の 意 図 で は な い だ ろ う か 。 よ って 描き 出さ れ る 。 に打 ちつ けて ある 板 は、 中国 の 人たち の 過 去へ の 感 情 を、 つ しまっ」ている。林は「ありのままに子供の目で 」 で、 「『上海』 んで い る よ う に 、 中 国 人 も 侵 略さ れた 記 憶 や 感 情 を「 封 じ 込 ん で い っ た 。 一 回 き り だ っ た が 、 私 は 、 は っ と した 。 陸 戦 隊 の 窓 ラス の 代 り に、 板を 張 っ た だ け の こ とか も し れな い 。 しか し ぶさ に 現 し てい る よ う に 、 私 に は 思え た 。 あ るい は 割 れた ガ ん た ち の 気 持 は、 ど れ ほ ど 晴 々 して い る だ ろ う 。 ち つ け て 、 日 本 帝国 主 義 ノ 侵 略 、 を 封 じ 込 ん で し ま った 何 さ 上 海 神 社 を 壊 し 、 菊 の 紋 章 を 取 り、 陸 戦 隊 本 部 の 窓 に 板 を 打 供 の 目 で 、 あ り の ま ま 書 く こ と に し ま し た 」「 路 地 の 中 国 人 と 我 げ ま ど って い る ] と き の、 眺め る日 本 人 、 君 臨す る 日 本 人を 、 子 『 ミ ッ シ ェ ル の 口 紅 』 で は、 そ の [ 中国 人 が 戦 火 の 中 で 母 国 を 逃 我が 家に 限ら ず、 ほ と んど の 日 本 人が 、 中 国の 人と仲 好 く 暮 ら し が 家は 、 日 本 の 近 所 付 き合 い と 変 わ ら ない 、 平 穏な 生活 で し た 。 ていました」と述べている 。だが、実際の作品に目を通すと、 「日 「 日 本 帝 国 主 義 ノ 侵 略、 を封 じ込 んで しま った 何さ んた ちの気 「ありのままに子供の目で」は、 『上海』や『ミッシェルの口紅』 持 は 、 ど れ ほ ど 晴 々 し て い る だ ろ う 」 とい う 反 語 的 な 表 現 が 示 し を 書い た 七 〇年 代末 か ら 八 〇年 代初 め に か け ての 林の 想 い で はな 本の 近所 付き 合 い と 変わ らな い、 平穏 な 生 活 」 が 描か れて い る と と は、 ほ と ん ど 原 爆 につ い て 触 れ て い な い こ の 作 品 で 唯一 原 爆 に い の だ ろう 。 中 国 人の あ の 無 表 情 な 眼差 し を 描い た 当 時 の 林 に、 は 思 え ない 。 触れた、次のような箇所と対応しているように見える 。 「私に は 、 屈 し た 感 情 は 何 か を 契 機 に 噴 出す る 可 能 性 を 孕 ん で い る 。 こ の こ 強 烈 な 力 で 地 面 に 叩 き つ け ら れ る 恐 怖 観 念 が あ る 。 体 験 した 覚 え む し ろ、 「ありのままに子供の目で」がその二十年後、つまり「長 「侵略者の反省」という視点が欠如していることなどあり得ない。 て い る よ う に 、 中国 人の 感 情 は単 に抑 圧 さ れ て い る に 過 ぎ ず 、 鬱 は ない が 、 想 像 す る と 痛 さ が ひ し ひ し と 迫 って 、 臓 器 が 泡立 って い 時 間 」 とほ ぼ同 時 期 に書 か れ て い る 点に 注 意 す べ きか も しれ な く る 。 多 分 無 意 識 に 、 原子 爆 弾 が 炸 裂 した 瞬 時 の 、 閃 光 と烈 風 と 高 熱 を、 八月 九日 の 私 の脳 は 覚え てい るの だ ろ う 。 覚え 込 んだ エ 45 (6) い 。 恐 ら く 、『 上海 』 や 『 ミ ッ シ ェ ル の 口 紅 』 を 書 いた 頃 と は 異 とす る 力 も 働い て い る だ ろ う 。 の だ が、 そ こ に は 原 爆文 学 を 、 文 学 が 消 費 さ れ る 場 に 組 み 込 も う 林 が 芥 川 賞 作 家 と し て 一 定 の 評 価 を 得て 、 長 崎の 原 爆 を テ ー マ なる林の認識が、「長い時間」の基盤に存するはずである。 原 爆 文 学 に 関す る 論 争 や 批 評 を 通 し て 、 こ の ジャ ン ル が 文 壇 に 組 に 作 品 を 発 表 し 始 め る 一 九 七 〇 年 代 半 ば は、 中 上 の 批 判 も含 めた み 込 ま れ 、 馴 致 さ れ て い く プ ロ セ ス の 一 部 だ と 言 え る だ ろう 。 一 四 一 九五 四 年に 第 五 福 竜 丸 事 件 が 起 こ る と 、 ア メ リ カ の 水 爆実 験 「テレビなどの 九 七 六 年 八 月 五 日 付 夕 刊 )で 指 摘 し て い る よう に 、 九 七 六 年 に は 、 林 京 子 が 「 三 十 一 年 目 の こ わ さ 」(『 毎 日 新 聞 』 一 報 道 関 係 者 の 間 で も 、 三 十 一 年目 の 八 月 六 日 、 九日 を 取 り 上 げ る に よ っ て 日 本 人 の 犠 牲 者 が 出た と い う 衝 撃 と、 放 射 能 を 浴 び た 原 の 不 安が 掻き 立て ら れ、 それ が契 機 とな っ て 平 和 運 動 への 市民 の して は 、 と い う 意 見 が あ 」 っ た 。 原 爆を め ぐ る 言 説 は 、 あ る 大 き か 、 ど う か が 問 題 に な っ て い 」 て 、「 三 十 年 目 で 一 応 の区 切 り に 爆 マ グ ロ が 市 場 に 流 通 した と い う 報 道 か ら 、 核 に 対 す る 一 般 市 民 浪 」(『 新 潮 』 一 九 五 六 ・ 三 )に お い て 「 ざ ま を 見 ろ 」 と い う 「 引 参 加 が 促 進 さ れ て い く 。 こ う した 状況 の 中 で 、 大 田 洋 子 は 「 半 放 し よ う とす る 報 道 関 係 者 の 意 識 と、 原 爆 文 学 が 正 当 な ジ ャ ン ル と な 転 回 点 に 来 て い た とい う 意 識 が あ り、 原 爆 の 取 り 扱 い を 再 検 討 し て 認 知 さ れ る こ と と の 間 に は 、 実 は 密 接 な つ な が りが ある の で き返し不能の言葉 を吐いてしま った 」 わけだが、このルサンチ 貌 」は 、 自 ら の 切 実 な 問 題 と な ら な け れ ば 被 爆 者 へ の共 感 を 育み マンは確かに「突然の変貌」なのかもしれない。もちろんその「変 ある。 ル サ ン チ マ ン は 組 織 化 さ れ る 可能 性 を 多 分 に孕 む も の と な っ て い 林 の 小 説 が 評 価 さ れ る の と 対 応す る よ う に 、 林 が 作 品 中 に 描 く 得 ない 一 般 市 民の 、 想 像 力 の 貧 困 さ や 身 勝 手 さ に 向 け ら れた も の ばな らな い ジ ャン ルで あ る よ う に 見え る 。 大 田 洋子 に 対す る 栗 原 る 。 栗 原 貞 子 が 大 田 洋子 の「 ざま を 見 ろ 」 を「 引 き 返 し 不 能 の 言 で あ ろう が、 原爆 文学 は、 こ の ル サン チ マ ン を 作品 に抱 え込 ま ね 葉 」 だ と述 べ た の は 、 大 田が 非 被 爆者 と の 連 帯の 可能 性 を 完全 に 放 棄 し た か に 見 えた か ら だ ろ う 。 栗 原は 、 被 害者 で あ る 日 本 人 の こ と が 暗 黙 のう ち に 禁 じ ら れ てい た こ と が 窺 わ れ る 。 と こ ろ で 、 林 が 「 祭 りの 場 」 で 芥 川 賞 を 受 賞 した 一 九 七 五 年 頃 て 、 同 じ 被 害 者 の 連 帯 を 平 和 の 基 盤 に 据 え る こ と を 目 指 した 詩 人 感情を 他の戦争被害者のルサンチマンと調和させる道を模索し 貞 子 の 反 応 か ら は、 被 爆 作 家 が 直 接 的 に ル サ ン チ マ ン を 提 示す る が 高 等 学 校 の 国 語 教 科 書 に 相次 い で 採 録 さ れ 、 原 爆 文 学 の 正 典 化 には、川口隆行 が指摘しているように、『黒い雨』と『夏の花』 一 九 七 〇 年 代 半 ば に は 為 さ れ る よ う に な っ た の で あ る 。 こ う した が行われている。大田洋子の時代にはなかった原爆文学の評価が、 その結果、後述のように、林は被爆者のルサンチマンを内面化し、 れがもたらす効果、積極的意義を常に計測していたように見える。 で ある 。 そ し て林 も、 被 爆 者 が 当然 の よ う に抱 く感 情を 描き 、 そ 46 (7) 評 価 は 、 も ち ろ ん 原 爆 文 学 作 家の 地道 な 創 作 活 動 の 結 果 で も あ る (8) た 。 潰 さ ない よ う に 「 聖 観 世 音 菩 薩 」 とあ る 黒 い ス タ ン プ の っ てい る 。 蟻は 、 火 炎 の 印 の ま んな か で 、 黒 褐色 の 腰 を ま る 文 字 の 上 に 、 お い た 。 六 文 字 を囲 んで 、 朱 肉 の 光 背が 燃え 盛 作品 内に 組み 込 んでい ったの である。 一九 九九 年 に 発表さ れた 「 長い時 間 」 は 、 被 爆者 個人の感 情を め てい る 。 つ ま んだ とき に 、 蟻 の 体 を痛 めた よう だ っ た 。 私 ど の よ う に 提 示 し、 ま た い か に 連 帯 の 可 能 性 を 見 出す か 、 とい う 原 爆 文 学 の 重 要 な テ ー マ を 描い た 作 品 と して 、 一 つ の メ ル ク マ ー 足 を 震 わ せ て い る 。 動 く 小 さ な 影 が 、 飾 り の な い 舞 台で 一 人 は 蟻 が 動 く の を 待 った 。 蟻 は 体 を く の 字 に 曲 げ、 と き ど き 手 芝 居 を演 ずる 女役 者 を 、 私 に 連 想 さ せ た 。 私は 一度 、小 舎で ぶ 、 私 の 作 品 の な か で の 二 本 の 柱 で あ る 。『 祭り の 場 』 を 書 い て 八 月 九 日 を 終 わ り に した い と 考 え 、『 長 い 時 間 を か け た 人 間 の 経 にして、芝居に入ろうとする役者の、ひと呼吸の沈黙の間は、 演 じ る 一 人 芝 居を 、 観 た こ と が あ る 。 百 人 ばか りの 観 客 を 前 ルとなる作品である。林はこの作品について、「『祭りの場』と並 と 述 べ て お り 、「 祭り の 場 」 を 出 発 点 とす る 原 爆 作 品 が 、 一 つ の っ て、 生 き て きた 。 そ れ で も と き ど き、 一 人 芝 居を 演 じ てい い た ら 、 幾 千 人 にな っ てい る だ ろう 。 私 も 沢 山の 人 とか か わ 頭 を さ げた り、 親 し く 打 ち 解 け た 人 た ち を 丹 念 に 書 き 留 め て こ の 世 で 目 礼 を 交 わ した り、 紹 介 さ れ て 、 ご 機 嫌 よ う 、 と 孤 独 を 漲 ら せて い た 。 験』 を書 き 終 わっ て、 ああ 終 わ っ た 、 と書 き 尽 く した 気 が した 」 完 結 を 迎 え た と 見て い る 。も ち ろ ん、 これ は 新 た な 段 階 へ の ス テ ッ プ で も あ ろう が、 少 な く と も 「 長 い 時 間 」 が 何 ら か の 到 達 点 を 示 して い る こ と は 間 違い な い 。 こ の 作 品 の 意 味 が明 確 に 現 れ て い る の は 、 例 え ば 次 の、 お遍 路 の 過 程 で手 拭 い の 上に 一匹 の 蟻 が這 って い る 箇 所 で ある 。 の 出 方 を 窺 う 蟻の 姿 に は、 私 とか か わ りな が ら 、 孤 立 し て 生 る の で は ない か と 、 身 がす く む こ と が ある 。 じ っ と 蹲 っ て 私 の 今 を演 じる 、 一 人 芝 居 の 孤 独が あ っ た 。 小 さ な 世 界 で手 足 広げた手 拭い の上 に、 蟻が 一匹は って い る 。夏 の道 端で み か け る 、 黒 褐 色 の 蟻 で あ る 。 蟻は 左の 端 に 捺 さ れた 、 朱 印 の 雲 が 出 て き た 。 グ ラ ウ ン ド の 端 か ら、 影 が寄 せて く る 。 雲 を震 わせ てい る 蟻の 影 は 、 私 の 想 像 を 膨 ら ま せ て い っ た 。 げて 感 触 を 試 し てい る 。 朱 肉 の 匂 い と 、 朱 肉 の 脂 で 硬 く な っ 文 字 ま で は っ て く る と、 脚 を 止 め た 。 触 手 を あ げ て 、 首 を 傾 っ て ゆ く 影 の 内 か ら 、 闇 の な か で 語 り ま し ょ う 、 とい う 女 の 声 が した 。 蟻は 私 の内 部で 、 一 人芝 居を 演 じ る 女 役 者 に 変わ の 影 は 、 目 の 前 の手 拭い の 上 を おお う 。 幕を 引く よう に 広 が っ てい た 。さ ら に 、 私 の 人 生 の な か の、 一 時 間 にも 満た ない た 布 地 を 確 か め る と 、 急 ぎ 足 で 歩き 出し た 。 行く 手 に 、 私 は な い で い る と、 歩 き は じ め る 。 そ の 先 に 指 を 立 て る 。 蟻 は 歩 時 を 共 有 した 一 人 の 女 を 、 引 き 出 し て い た 。 指 をた てた 。振 動 を 感 じ て 、 蟻 が 脚 を 止 め る 。 指 先 を 動 か さ く の を 止 め る 。 睨 み 合 い が 続 く と、 蟻 は 方 向 転 換 し て 、 指 を る 。 策 を 弄 し て 逃 げ道 を 探 す 蟻を 、 ゆ っく り 私 はつ ま み 上 げ か わ そ う とす る 。 私 と 蟻 の 位置 も 力 関 係 も 、 天 と 地 の 差 が あ 47 コブ ソンの言葉 を 借 りれ ば、 ス ト ー リ ー を 形 成す る 小 説の換 喩 が 読者 と作 家 ( = 蟻 )との 関係の メタフ ァ ーにもな ってい る 。 ヤ め てい る 」 蟻の 姿 と して 刻 印 さ れ て い る 。さ ら に 、 こ の 記 述 全 体 と被 爆者 との関 係が「火 炎の 印の まん な かで 、黒 褐色 の腰 をま る 引用が長くなってしまったが、この箇所には、原爆(アメリカ ) 間 」の 「 一時 間に も満 た な い 時 を共 有 し た 一 人 の 女 」へ と繋 が っ の 中で 排 除 さ れ た 存 在 へ の 共 感 を 育 んで きた が、 そ れ が 「 長 い 時 っ て、 今も 私の 内 に ある 」 と記 さ れ てい る よ う に 、 林 は 上海 生活 消 え か け た 想い 出だ が、 お 清 さ ん は 哀 し さ の 核の よ う な も の に な 婦「 お 清 さ ん 」 が 描 か れ て い る 。「 だ て ま き 」 で 「 子 供 の 日の 、 が ら 上 海 で 中 国 人た ち と 同 じ よ う に 生 活 し 、 最 後 に は 自 殺 す る 娼 清さ ん」 とは 違い 、 原 爆 に 対する 「 私 」の 考え を揺 り 動か す よ う だが 、 「長い時間」の「女」は、娼婦でありながらも優しい「お ている。 的 な 流 れ に 対 して 、 こ こは 明ら か に 隠 喩 的 で あ る と 言え る し 、 ま た 自 然 の 事 物 や 出 来 事 を 利 用 し て 、 俯 瞰 的 な 視 点レ ベ ル が獲 得さ とも 、 こ こに は そ れ ま で の 自 分の 創 作 に 対 す る 強 い 反 省 意 識が 働 れ て い る この 作 品 の 構 造 自 体 を 提 示 し てい る と も 言 え る 。 少 な く の 女 」 と の 邂 逅 に よ っ て 、「 私 」 は 自 分 が 「 一 人 芝 居 を演 じ て い 待 っとかん ね 。そ んときは、お おち もも らゆ る さ 」 と語る。 「あんまり羨しがんなる人には、そのうち原爆の落っちゃゆるさ、 とです」と、被爆者への嫉妬という歪んだ感情の存在を示した後、 ( ず る い よ )手 当 を も ろ う て 、 羨 し か あ っ て 、 い い な る 人 の お っ な 他 者 性 を 備 え て い る 。 こ の 「 女 」 は 、「 お お ち た ち は こす か よ るのではないか 」と感じる。 「朱印 」を求めて歩き回る「私」が、 さ ら に 、 後 に 登 場 す る 「 一 時 間 に も 満 た な い 時 を 共 有 した 一 人 いている 。 「 私 と 蟻の 位 置 も 力 関 係 も 、 天 と 地 の 差 が あ る 」 と 思い 、 手 拭 い 力 さ を 痛 感 せ ざ る を 得 な い 。「 私 」 が 「 沢 山 の 人 と か か わ っ て、 の レ ベ ル )か ら 「 蟻 」 が 無 力 に 見 え る よ う に 、「 私 」 も 自 分 の 無 世界の情勢も人の心の奥底も、みるべきものは見取っている 。 と、彼女の内面とには、かなり落差があった 。頭脳は冴えて 、 る 。 本気 な の か 皮 肉 で 言 って い る の か 。 私 が 観 察 し て い る 女 背筋 が 凍 る 言 葉 を 吐 き な が ら 、 女 は、 平静 な 表 情を して い の 上 で 「 蟻 」 を 弄 ぶ 時 、「 蟻 」 に は 到 達 不 可 能 な レ ベ ル ( 客 観 化 こ れ ま で に 「 私 」 が 抱 い て い た に 違い な い 連 帯 も 、 結 局 は 幻 想 に 生 き て き た 」 こ とが 「 蟻 」の よう な「 一 人 芝 居 」 な の で あ れ ば 、 そ して 同 じ 思い が、 私の 内 に も あ る の で あ る 。 ― 何 と空 疎 な 響 きだ ろう 地 球か ら が 生 き て い く た め に 体 を 売 っ てい た と い う 告白 の直 後に 置 か れ る 核 兵 器 を な く す こ とに あ っ た 」 と 語る が、 長 崎 で 被 爆 し た 「 女 」 戦 争の な い 平 和な 世 界 と ― 語り手「私」は、 「被爆者がもとめてきたのは、金銭ではない。 過 ぎな い と い う こ と にな る 。 引 用 の 「 一 時 間 にも 満た な い 時 を共 有 し た 一 人の 女 」 は 、 生 き て い く た め に 体 を 売 っ て き た 点 で、 上海 生活 を 描 い た 林 の小 説 ・ エ ッセ イ で 触 れ ら れ る 、 外 地で 差 別 を 受 け てい る 日 本 人 娼 婦 や 中 ビ ー ド ロ 』 所 収 の「 黄 砂」 や『自然 を恋う』 所収の 「だ てま き」 には、日 本人で ありな 国 人 を 想 起 さ せ る 。 例 え ば 、『 ギ ヤ マ ン 48 (9) この 言葉 は、 告 白 と は 明 ら か に矛 盾 し てい る 。 ま た 、 女の 言葉 を のである。」と述べている点には、「女」に共感しながらも一線を を述べた後、「内緒です」と付け加えることで、「思い」を表明し して「私」が賛同しても自然だが、しかし「私」は「率直な思い」 「 思い な さ る で し ょ う 」 とい う 「 女 」 の 言 葉 に 、 同 じ 被 爆者 と しょ う、 と女 が い っ た 。 画 して い る 「 私 」の 複雑 な 立 場 が 垣 間 見 ら れ よう 。 被 爆 者 同 士の な がら、自らそれを禁じていることも合わせて提示している。 「 背 筋 が 凍 る 」 と 評 し な が ら も 、「 同 じ 思い が 、 私 の 内 に も あ る 連 帯、 体 験 の 共 有 を 目 指 し な が ら も 、 こ こ に は 二 人 の 微 妙な 差 異 な い 者 と の 差 異 化 に よ っ て 構 成 し よ う と は し な い の で ある 。「 長 「 女 」 に 賛意 を表 す こ とな く、 被 爆者 同 士 の 連 帯 を 、 被 爆 し てい が 顕 在 化 して い る の で ある 。 こ の 記 述 に 続 く 、 あ る 芸 術 家 と 語 る 場 面 で は 、「 私」 は 「 女 」 い 時 間 」 は、 連 帯 の 無力 さ が 示唆 さ れ てい る の で は な い が 、 連 帯 と 同 じ く 被 爆 し て い な い 者 へ の 恨 み を 発す る が 、 そ の 態 度 は か な で あ っ た 原 爆 投 下 国 ア メ リ カ を、 抽 象的 な 「 人 間 」 と い う レベ ル り異なってい る。 (… )被 爆 者 は人 類 の 被 害 者 だ と 私 は 考 え て い ま す、 で も を 設 定 して 、 自 分 と の 共 通 点 を 抽 出 す る 。 そ の 例 が、 一 九 四 八 年 を構成す ることには失 敗している 。 その一方 で、憎 しみの 対象 世 界 は 逆 行 して い る 、 あ と一 度 原子 爆 弾 が 落 ち な け れ ば 人 は と した の は 誰 、 と 問い た く な る 箇 所 も あ る 。 ま た 死 ん で 逝 っ た 被 爆者は、世界に警告を与える為に、犠牲になったのでもない。が、 八 月 九 日 の 米 国 陸 軍 中 佐 の メ ッ セ ー ジ に つ い て 、「 高 飛 車 な、 落 人間 として言 わん としてい る、戦 争の 無益、 原子力 を手 に入 れ た 目 覚め ない で し ょ う 、 率直 な 思 い を 私は い っ た 。 芸 術 家 は、 を して そ の 言 葉 を い わ しめ る か 、 と い った 。 内 緒 で す 、 百 叩 人 類 の 悲 劇 は 、 真 実 の 吐 露 と 思う 」 と 述 べ てい る 箇 所 で あ る 。 国 天 を向 い て 、 か っ か と 笑 っ た 。 笑い 声 に 勝 る 大 声 で 、 あ なた に 向 け る と、 殴 る 資 格 が 誰か に あ る ん で す か 、 少 な く と も 核 き の 刑 を 受け ます 、 と 私 は い った 。 体 に 負 け な い 大 目 玉 を 私 で 前 景 化 し てい る 。 それ 以 前 に も 、 ア メ リ カ 生 活 を 『 ヴァ ー ジ ニ 籍 を 越 え た 「 人 間 」 と い う 位 相 が 、「 長 い 時 間 」 で は こう した 形 ア の 蒼 い 空 』 な ど で 描い て は い る が 、「 ト リ ニ テ ィ か らト リ ニ テ 私の 言 葉 は 、 戦 争 放 棄の 憲 法 をも ち、 被 爆国 で あ りな がら 兵 器 を 認 め て い る 連 中 に は な い 、 とい った 。 核 軍 備 に 加 担 し て ゆ く 母 国 と 、 核 化 をす す め る 世 界 の 国 国 に で 生 み 出さ れた 作 品 だ と言 え る 。 総 じ て 、「 祭り の 場 」 で 比 較 的 明 確 で あ っ た 「 敵 / 味 方 」 の 対 ィ へ 」 は 、「 長 い 時 間 」 と 同 じ く 、 二 〇 〇 〇 年 頃 の 林 の 変 化の 中 ん でい る 友 人 た ち をみ てい る 私 が、 口 に す る 言 葉 で はな い 。 な も の と な っ て い る 。「 女」 と 「 私」 に つ い て 上 に 見て き た が 、 立 は 、 上 海 も の な ど を 経 て 、「 長 い 時 間 」 辺 り で は か な り 流動 的 腹 を 立 て て 、 ミ サ イ ル を 撃 ち 込 ん だ よ う な も の だ った 。 殴る 私 は 女 に 、 そ れ を 口 に し て は い け ま せ ん、 被 爆 者 は 私た ち 資 格 が 誰に なく と も、 被爆 者 で あ り、 未 だ に 、 原 爆 症に 苦 し だ け で 十 分の は ず で す 、 と い った 。 ば っ て ん、 思い な さ る で 49 (10) 「 女 」 の 語 り が 長 崎 弁 で 語 ら れ る の に 対 し 、「 私 」 が 一 貫 して 標 準 語 を 用 い て い る 点 に は 注 意 が 必 要 で あ る 。「 口 に し て は い けま 絓秀実は「学生消費者主義」に触れながら、次のように述べて ム や 部 落問 題も 、 学 生 サ ー ク ル にお い て 論 じ ら れ 、 闘争 す べ た とえ ば、 か つ て の 大 学 に お い て は 、 公 害も 、 フ ェ ミ ニ ズ いる 。 が ら も 本 音 を 抑 圧 し て い る よ う に 、「 私 」 は 方 言 の 持 つ 豊 か さ を き 課 題 と して 練 り 上 げ ら れ て い った 。 と こ ろ が 現 在 で は 、 そ せ ん 」 と「 女 」 を 諭 す 「 私 」 が 、 実 際 に は 「 同 じ 思い 」 を 抱 き な 発 話モ ー ド を 使 う 「 私 」 と 、 方 言 を 使 う 「 女 」 との 対 比 は、 その 抑圧 して標準語 を用いている 。 標準語という、正しい とされる ― カリキュ ラムのな かに組み も ち ろ ん 、 そ れ は 消 費 者 の 欲 望 を 汲 み 取る とい う タテ マエ でな されたも のだ が れらは ― ま ま 二 人 の 態 度 と 重 な り 合 う 。「 ば っ て ん 、 思い な さ るで し ょ 」 入 れ ら れ る こ と で 、 あら か じ め 「 合 意 」さ れて お り 、 係 争 へ も う と す れ ば、 それ は 合 意 を 破 る 者 で あ る が ゆ え に 監 視 / 管 の プ ロ セ ス は禁 じら れ て い る 。 あ る い は、 係 争 = 闘 争 を 目 論 差 別を 許さ な い と い う 国 民 的「 合 意 」に おい て 成 り 立 っ てい そ れ は 、 今 日の 国 家 や 資 本 が、 公害 を、 女性 差 別 を 、 人 種 理 のも とに 置か れる こと にな る 。 自 身 の ルサ ン チ マ ン を う ま く 処 理 し てい る 。 先 に触 れた よう に、 資 本 が 潤 沢 に 助成金 を 提 供 し て いる こ と は 周 知 の と おり で あ り 、 るのと同様だろう (カウンターカルチャーについても、国家や ヨ ー ロ ッ パ の 運動 を承 け る 形 で 「 核戦 争 の 危 機 を 訴 え る 文 学 者 の がら考える上で参考になる。既に学生運動が沈静化した八二年に、 で ある が、 その 頃 の 反 戦 平 和 運 動 を 、 そ れ 以 前の 運 動 と 比較 しな 「 学 生 消 費者 主 義 」 は、 八 〇 年 代の ア メリ カ で 顕 在 化 した 発想 別も … …存 在 し てい る こ とは 言う まで も ない 。 も ち ろ ん 、 現 実 に は 公害 問 題 も あ れ ば 、 女 性差 別 も 人 種 差 そこでも国民的なコンセン サスが成立している )。 大 田 洋 子 が 自 身 の ル サ ン チ マ ン を 直 接 的 に 表 明 した の と は 全 く 違 漫 画 で あれ ピエ ロ で あれ 誰か が何 か を 感 じて く れ る 。 三 〇 年経 っ の場 」で、 「被爆者の怪獣マンガ 」について「これはこれでいい。 た い ま は 原 爆を あ り の ま ま 伝 え る の は む ず か しく な っ てい る 」 と (13) 々 に 知 っ て も ら い た い と い う 思い が あ る と 見て よ い 。 既 に 「 祭 り う 方 法 を 林 は 採 っ て い る の だ 。 そ こに は、 原 爆 につ い て 多く の 人 と 一度 原子 爆 弾 が 落 ち な け れ ば 人は 目 覚 めな い で し ょ う 」 と い う 中にそれを押し込め、内面の葛藤それ自体を描き込むことで、 「あ さ て 、「 私 」 は 意 見 の 直 接 的 表 明 で は な く 、 芸 術 家 と の 対 話 の いる よう だ 。 爆者 の 抑 圧 さ れた ル サ ン チ マ ン を 解 き 放 と う と す る 意 図 に 満 ち て と 「 私 」 の 本 心 を 引 き 出 そ う とす る 「 女 」 の 語 り は 、 あ た か も 被 (11) 語 って い た 林 に と っ て 、 大 田の よ う に 読 者 を 突 き 放す 感 情の 直 接 的 な 表 明 は 困 難 だ った の で ある 。 五 声 明 」 の 署 名 活 動 が 行 わ れ る が 、 絓の 見 解 を 参 照 す る と、 そ れ (14) 50 (12) に は 結 びつ くも ので はな い 。 ま た、 逆 に 極 め て政 治的 な 偏 りを 内 多く の 市 町 村が 反 核 平和 都 市 宣 言 を 行 う が、 それ も実 質的 な 活 動 は 平 和 運 動の 実 質的 な 無 力 化 の よ う に も 見 える 。 八〇 年代 以降 に せ な い 者の 勝 手 な感 情で 、 創 造 され た 芸 術 と か 美 術 と か を 、 う か 、 と も 思う 。だ が こ の 思 い は 、 被 爆 者 の 体 験 か ら 脱 け 出 し、 美 し す ぎ る 。 八 月 九 日 が こ ん な に 美 し く て も い い の だ ろ 人 加え て 欲 しか っ た 、 と 望 む 先 生 の 、 意 識的 な 恍 惚 度 に 似 て いる。そして大多数の私たち被爆者は、体験から脱け出せず、 鑑 賞す る 者 の 目 で は な い 。 充 分 に 承 知 し な が ら 、 女 学 生 を 一 体 験 を 超 える こと も 出 来ず 、 体 験 を 超 越 し て創 造さ れた 精神 に 含 ん でい る た め に 、 公 正 さ を 欠い た 運 動 と 化 し てい る 場 合 も あ 実 践さ れ て は い る が、 個 々 の 活 動 は 小 規 模 の も の へ と 分 化さ せら 的な 創作 の域にま で、 六日 と 九日 を重 ねて み よ う とする 。 ろ う 。 この 時期 、 確か に 平 和 運 動 は 盛 ん で、 数 多 く の 署 名運 動 が れ 、 一つ ひ と つ が 弱 体 化 さ せら れ てい る 。 それ は、 実 質 的 に 労 働 余 り あ った 」 と 記 さ れ 、 運 動 が 何 の 成 果 も も た ら さ な か っ た の で だ ろ う か 。 手 弁 当 で 運 動 を 持 続 し て き た 人た ち の 絶 望 は、 思 っ て 実 験 に つ い て 触 れ た 後 で 、「 本 当 に 、 何 の た め の 半 世 紀 だ っ た の と 考 え て お り 、 引 用 の 後 に は「 それ で も 六日 や 九日 とは 違う 、 と の中で林は、被爆の体験を伝えるには美的なものは相応しくない、 の ギ ャ ッ プ を 常 に 抱 え 込 ま な け れ ば な ら な い ジャ ン ル で あ る 。 こ の 間 に 横た わる ギ ャ ップ につ い て 思 考 し て い る 。 原 爆 文 学 は、 こ こ こ で 林 は 、 自 分が 持 っ てい る 被 爆 体 験 と 、 芸術 的 な 創 作 物 と 実 は 「 長 い 時 間 」 で も、 一 九 九 八 年の イ ン ド、 パ キ ス タン の 核 運 動 解 体 、 組 合 弱 体 化 の 過 程 と重 な る も の で あ ろう 。 返る意味を持つこの小説は、タイトルが示唆するように、 「人間」 思 う 思 い は何 だ ろ う 。 事実 の 現 場 が 訴 え て く る 真 実 性か ら 受 け る は な い か 、 とい う 絶 望 感 が 提 示 さ れ て い る 。 被 爆 後 の 人 生 を 振 り と い う 点 に 連 帯 の 可能 性 を 見 出 し て い る の で あ る が 、 そ れ は よ り 的充足などとの差異ぐらいは、区別出来るつもりでいる 。しかし、 感 動 と、 精 神 的 に 昇 華 さ れ た 創 造 物か ら 受 け る 美 の 感 動 や 、 精 神 八 〇 年 代 前 半 、 林 は 「 岩 石 が 語 る も の 」(『 群 像 』 一 九 八 二 ・ 一 大 き な 理 念を 媒介 に し て 作 ら れ る も の で あ る よ う に 見え る 。 私の 内 で ご っ ち ゃ に な っ て 模 索 し てい る の も、 こ の 部 分で ある 。 て 青 銅 色 に 変 わ っ た と き、 い っ そう 味 わ い を 深 め て い く の だ 線 がき れ い だ 。 真 新 し い 五 人の 像 は 金 色 に 輝 い て 、 年月 を経 だ ろう 。小 さい 写 真 で は 、 彫 り の 深 さ は わか ら な い 。 し か し 「 殉職 教師 と生 徒 児 童の 碑 」 は 、 芸 術 的 にす ぐれ た も の な の ある 。 実 の 伝達 を 基 底 に 据え る 原 爆の 表 象 と の 間 で 揺 れ 動 い て い る の で 続く。 ここで林 は、 美的な 創造物である芸術作品 ( 文 学 )と 、 事 る 。 仮 に こ れ を 認 め れ ば、 人 は 人 を 放 棄 しな け れ ば な ら な い 」 と は、しかし決して美ではない。 人の魂はなく、あくない 破壊であ 爆 ド ー ム し か な い 。 い っ さ い の 人 間 性 を そ ぎ 落 と して 建つ ド ー ム 事実 が 訴え る 真 実 と 感 動 を、 六日 と九 日 に求 める なら 、 広 島の 原 ろ う 。 四 人の 子 供 の な か に 女学 生 を 加 え れ ば、 構図 の バ ラン 二)の中で次のように述べていた。 スは 崩れ て し まう 。見た目 の 美は なく なる に違いな い 。 しか 51 あ った 若 い 人 た ち の 顔 を 眺 めた 。 街 も 人 も 、 い つ も は 不 恰 好 だ と た が、 五 月 二十 三日 の 東 京 行動 で は 四十 万の 人が 集ま っ た と さ れ 第 二回 国 連 軍 縮 総 会 を目 前に 控 え、 全 国 各 地 で 反 核 集 会 が 行 わ れ で、八二年五月二十三日の反核集会の様子を描いている。この頃、 一方、林はエッセイ「身のまわりのもの」(『瞬間の記憶 』所収 ) ず し も 政 治 的 で は な く 、 む し ろ 関 心 ( イ ン タ レ ス ト )を 欠 い た も は 政 治 的活 動の 場 な の だ が 、 し か し そ こ で感 じら れ る「 美」 は 必 点 化さ れ、 前述 の ご とき 「 美 」 が 繰 り 返 さ れ る 。 も ち ろ ん、 それ の 文 章 が 続 く が 、 そ こで も「 人 び と 」の 「 冷 静」 な「 行動 」に 焦 の で あ る 。 さ ら に こ の 後 、 五 月 二 十 三 日 の 東 京 行 動 に 参 加 した 際 て い る 。「 争う こ と さ え 拒 絶 す る 」 よ う な 境 地 が 目 指 さ せて い る の の よう に 見 える 。 そ れ は 、 原 爆 と同 じよ う に 主体 を支 配 し てい る 。林 は こ の 文 章 を「 私は 立 ち 止ま って 、 空 や ビ ル や、 肩 を 抱 き 思 う モ ン ペ ス タイ ル の 少 女 た ち さ え も 、 美 しか った 」 と 終え て い が、しか しそれは (破壊さ れた ) 「 ふる さ と 」の 喪失 を 埋 め合 わ せ る「 自然 」で もあ る。 この 自 然 は 風景 と言 い 換 え て も よ い もの だ 「長い時間」になると、雑然と共存していたさまざまな要素が、 る カ タル シ スの 装置 の よ う に も 見 え る 。 政 党 、 国 を 超 え 」 た も の で あ ろう が、 それ は「 岩 石 が 語る も の 」 での美と原爆とを峻拒する態度と共存している。この「美」は「自 る 。この、平和運動を通して見た世界の「美」は、確かに「思想、 然 」 へ も通 じて お り 、 井 上靖 の詩 「 訣 別 」 に つ い て 、 林 は 次 の よ 非 常に 強 い 理 念 に よ って 統合 さ れ て い る よ う に 見 え る 。 自 然 や 美 例 え ば 、 遍 路 の 過 程で 見 出 さ れ た 自 然 の 風 景 は 、 次 の よ う に 記 述 限 り、 「私」はそれに身を任せようとしているように感じられる 。 う に述 べ て いる 。 も う そ れ は 、 美 と い う 言 葉 で は 表 現 不 可 能 な 、 美を 超え た され る。 は 、 そ れ が 全 体 主義 的 な 美 の 理 念 に 繋 が ら ぬ 個 人 的 な も の で ある も の な の だ ろ う 。 大 ア ルカ リ 地 帯の 、 ひび 割れ た 白 土 の 風景 境 内 を 横 切 った 左手 の 山 の 下 が、 海 で あ る 。 植 込 み の 間 か ら 御堂の前は、さっき私たちが横風を受けた、広い境内である。 絶 す る 、 美 の 範 疇 か ら 踏 み 出 した 白 土 の 大 地 に 立 っ た と き 、 は、 自 然 と生 命 の 、 相 克 の 風 景 な の だ ろう 。争 う こ とさ え 拒 り方 法 は あ る ま い 。 しか し高 く 高 く 手 を 挙 げ て 去 る 訣 別 は 、 光った海がみえる。私たちは、境内の端に立った。山一つが、 人は 、 黙 す る よ り仕 方 が ない 。高 く 高 く 手 を挙 げ て、 去る よ 寺 の 敷 地の よ う だ っ た 。 小 さ な 波 頭 が 立 つ 入 り 江 を 、 ヨ ット い 毎 日 を 送っ てい るの で、 自 然 に 目 を 向け る暇 はな い の だ ろ 社 の 、 社 会 部 の 記 者 で ある 。都 会 の ま んな か で 、 夜 も昼 もな 忘 れ て い た な あ、 と F が、 海 を み て い っ た 。 F と T は 新 聞 が 出て い く 。 呵 責 な い 自 然 へ 、 生 き て る ぞ 、 と叫 ぶ、 生 命 あ る 者 の 抵 抗 の 自 然 が 自 然 をさ い な み 、 愛 撫 し て造 り上 げる 風 物 の 美は 、 よ う に 、 私 に は 思え る 。 私たち を 絶望させ、希 望に導き、沈黙さす 。 当然 な が ら、 こ こ で 林 は「 美 」を 超え る「 自 然 」の 前で 沈 黙 し 52 だ。 う 。 そ し て、 こ の 無 音 の 世 界 。 人 工的 な 物 音 に 囲 まれ て 働 く の 実 の 、 小 さい が力 強い 音 が 聞 きた か っ た 。 蟻 地 獄 を 滑 り 落ち て 鳴 り を 静 め た 荒 野 に 耳 を 澄 ま した 。 陽 に あた た め ら れ て は ぜ る 草 ティへ」でも、 「私」は同じような感覚を感じ取っている 。 「私は 、 こ う し た 自 然 を 描 く 林 は、 自 ら にカ タル シ スを 与え てい る 自 然 がたてる物音を、私は聞きたかったのである」。 い く 虫 がた て る 、 あ が き の 砂の 音 で も よ か っ た 。 生 き て い る も の 者に とっ て 、 無声 映画の よう な 風 景は、 忘れ てい た世 界な の し か し 妙な んだ よ ね 、 こ の 景色 、 み た こ とが ある んだ 、 う とG パ ン を はい た T が、 ん 、 確 か に 、 と 丸 首の T シ ャ ツ を 着 た F が、 い っ た 。 青 年た ち は、 東 京 育 ち で ある 。 遠 足で ? て い る よ う にも 見え る が 、 実 際 に は そ れ を 否 認 し 、 そ の 代 償 と し が 、 ある 種の 倒 錯 の 中 で も た ら さ れ る フ ェ ティ ッシ ュ な も の で あ て美的な 自然をフェ ティッシュに求めている と考えられる。 つ る こ と を は っ き り と 理 解 し て い る よ う だ 。「 長 い 時 間 」 に お け る (… )振 り 返 っ て 数 え て み る と、 そ の 時 か ら 年 の数 だ け 、 静 か な 声 で 聞 く 。 近く の 都 市の 小 学 生 た ち は五 、 六 年生 にな 年月 は 経 っ てい る 。 そ し て そ の 時 そ の 時 の 思 い は 、 ス プ レ ー ま り 、「 長 い 時 間 」 に お い て 「 私 」 が 見 出 した 自 然 で あ れ 美 で あ 「 私 」は 、 原 爆に よ る身 体的 な 被 害を 自 分 の も の と し て 引 き 受 け で 押し 固め られ た よ う に 凝縮 し て、 一 人 の 人 間の 内 に 、 仕 舞 わ せる も の と して 要 請 さ れ てい る の で は ない か 。 れ、原爆がもた らした欠損 (身体の・生活の・風景の…)を埋め合 遠足にもきたな、だけどそれとは違う、とFが首を傾げた 。 わ れ て い る 。記 憶の 粒 子 に 、 過 去に 似た 香 り や湿 っ た 風 が触 る と 電車 に 乗 って 、 半 島の 海 岸 ま で 遠 足に く る の だ そう だ 。 れ る と 、 記 憶 は 忽 ち ふ く ら ん で 甦 っ て く る 。 年 月 は 長い よう 一 世 紀 の 三 分 の 二 の 時 間 を生 きて い る 。百 歳を 越え て な お 元 で 、 短 く も あ る 。 十 七 世 紀 十 八 世 紀 と い え ば、 暗 黒 の 彼 方 の し、 また 被 爆 者 の 複雑 な 感 情 を作 品 内 に 組 み 込 み な が ら 処 理 し て こ と の よ う に 感 じ ら れ る 。 被 爆者 の 身 体 と 自 然 との 関係 を 先 鋭 化 原 爆の 風 化 と の 闘 い と は、 さ ま ざま な 事柄 をう まく 調和 さ せ る 林 が 「 長い 時 間 」へ と至 る 道 筋 で 試 行 錯 誤 し て き た 点 で あ る と 思 いくこと。これは原爆文学が抱え込んでいる問題であると同時に、 世 界 、 と 私 は 思う が、 た か だ か 百 年 前 、 二 百 年 前。 私だ って き ら れ る 一 世 紀 な ど 、 他 愛な い 時 の 流 れ で も ある 。 き の う も 気 な 人も い る 。 凄い こ と だ 。 凄 く は あ る が 、 一 人 の 人 間が 生 や 意 見 を 積 極 的 に 刻み 込 ん でい く 。 六 〇 年代 以降 、 社 会 的な 問 題 験 や 被 爆者 の 生 活 を 描く の で は な く 、 む し ろ 作 品 に「 私 」の 感 情 わ れ る 。 先 にも 述べ た よ う に 、 林 は 純 粋 な 観 察者 と し て 被 爆の 体 自 然 の 中 に 「 無 声 映画 の よ う な 風 景 」 を 発 見 した 「 私 」 は 、 時 テ ム が作 られ た よ う に 、 確 か に そ う した 林 の作 品 は 被爆 者の 抱え が あら か じめ 「 合 意 」 の 中 に 組 み 込 ま れ て い る よ う な 社 会的 シ ス 今 日 も 、 た い し た 差 はな い の で ある 。 間 の 流 れ に 対 す る 人 間 の 卑 小 さ を 思 う 。 だ が、 それ は 映 画 の 比 喩 る感情を組み込んでいくことで体験を馴致しているように見え で 語 ら れ て い る よ う に 、 映 像 的 な 光 景 で あ り、 ま た 眼 前 の 光 景 と 身 体 的 感 覚 と が 分 断 した 状 態 で も あ る 。「 ト リ ニ テ ィ か ら ト リニ 53 (15) る 。 そ の 結 果 、「 長い 時 間 」 で は 、 失 わ れ た も の の 代 償 と し て 環 察す べ き 点 も 数 多く 残 さ れ て い る 。 また 「 長 い 時 間 」以 後の 林の 活 動 はい か に 評 価 す べ き か、 など 考 が 要 請 さ れ て い った 。 注 ) 参照 と関 ( を 厳し く糾 弾 する が 、 ト リ ー ト はそ う し た 批 判 、 論 争 の問 題 点 が、 き得ると思っていることのユルフン状態 、精神の緊張を欠いた状態 」 トレート にこういう 形で文学 になり得る 、あるいは 、文芸雑誌に書 連 し て い る こ と を 指 摘 す る 。 特 に 中 上 は 林 の 、「 原 爆 を 書 け ば 、 ス が 八 二 年 の 「 核 戦 争 の危 機 を 訴 え る 文 学 者 の 声 明 」 注 ートは、林に対する中上 健次、柄谷 行人 らの批 判 を引 き 、そ の批判 の 中 で 、ト リ ー ト は 七 〇 年 代後 半 か ら 八 〇 年 代 初 Chicago Press, 1995 めにかけての「 第 三次原 爆文学論争 」 に言及し ている。そ こでトリ John W. Treat, Writing Ground Zero, Chicago, The University of 境としての自然や自然な生死など、さまざまなレベルでの「自然 」 こ う し た 点 を、 単 純 に 原 爆 文 学 の 衰 退 と 見な す べ き で は ない だ ろ う 。 とい う の も 、 被 爆 経 験 の 風 化 が 叫 ば れ る 中 、 ど う い っ た 形 で 体 験 の 伝承 が あ り 得 る の か 、 とい う 問 い に 対 す る 林 の 真 摯 な 答 え が そこ に あ る と 思わ れる か ら で ある 。 六 「長い時間」が、「祭りの場」からの林の歩みを総括する重要な 意 味 を 持つ 作 品 で あ る こ と は 明 ら か で あ る 。 そ れ は、 被 爆 者 が さ そ れ ま で の原 爆 文 学 論 争 で も 繰 り 返 さ れ て き た も の だと 述 べ て い る 。 談会 「われら の文学的立 場 一 挙 に 解 消 で き る も の と し て の 自 然 、 人 間 の 発 見で あ っ た 。 その ま ざま な 方 向に 向け 、 時 に は逆 に自 ら に 向け ら れ る 感 情 の 流 れ を 位 相に お い て は、 被 爆 者 と 非 被 爆者 、 日 本 とア メリ カ と い っ た 対 九七八・一〇) ― 世代 論 を超 え て ― 」(『 文 学 界 』 一 中上健次 ・津島佑 子・ 三田誠広・高橋三千綱・高城修三による座 立 は ほ ぼ 解 消 さ れ て し ま う 。 こ う した 位 相 は 、 上 海 も の で 描 か れ 中 で 、 次 の よ う に 述 べ て い る 。「 だ が 、 文 化 的 差 異 に 立 脚 す る 『 人 … … 』『 本 気 で な い よ 、 し か し … … 』 と い う 言 い 方 に 代 表 さ れ る よ と が あ る 。 ア イ ロ ニ カ ル な 没 入 と は 、『 よ く わ か っ て い る 、 し か し 私は 、か つて 、 こ うした 態 度 を『 ア イ ロニカ ル な没入』と 呼 んだこ ほとんど必然のように裏切り 、文化的差異を本質化するからである 。 をえな い。という のも、彼等 の行動が、こうした 批判的な意 識を、 種なき人種主義者 』は、そ れでも人種主 義者である と、見なさざ る 大澤真幸は『 ナシ ョナリズ ムの由来 』(講談社、二〇〇七・ 六)の て 徐 々 に 形 成 さ れ て い っ た も の と 見て よい だ ろ う 。 し か も 「 長 い た 日 本 の 植 民 地支 配 へ の 眼差 し や 、 ア メリ カ で の 生 活 な ど を 通 し 10 時 間 」 に は 、 い わ ば その プ ロ セ ス 自 体 も 丁寧 に記 述 さ れ て い る と 考えられる 。芥川賞を受賞した「祭りの場」との関係はもちろん、 ル サン チ マ ン を 作 品 内 に 組 み 込 む方 法、 また 「 自 然 」 の 発見 とで も 言う べ き 新た な 位相の獲 得な どが、 こ の作 品で 描かれ てい る 。 も ち ろ ん 、 拙 論 で の 考 察 は 甚 だ 不 充 分 で あ り、 今 後 、 林 の 歩 み を 再 び 辿 り 直 し て 詳 し く 検 証 し て い く 必 要 が あ ろ う 。 また 、「 自 然 」 や「 人 間 」 に 回 収 して し ま う こ と で 見 失 わ れた も の は 何 か 、 54 1 2 3 講 談 社 文 芸文 庫版『 上 海 う な 『 意 識 と 行 動 の 間 の 逆 立 関 係 』 に 基 づ く 態 度 で あ る 。」 原 爆 文 後書き い う 発 想 は重 要 な も の と な る よ う に 思 わ れ る 。 ミッシ ェルの口紅 』(二〇〇一・ 一)の 栗 原 貞 子 「 原 爆 文 学 論 争 史 」(『 核 ・ 天 皇 ・ 被 爆 者 』 所 収 、 三 一 書 学 の読 者 と の関 わ り 方 を考 えた 時 、この「ア イロニカ ルな没入」と 房 、 一 九 七八 ・ 七 ) 「ルサン チマン 」という語については 、ニーチェの『道徳の系譜 』 ( 動 》、 す な わ ち 行 動 上 の そ れ が 禁 じ ら れ て い る の で 、 単 に アジールの幻想 ) 真赤な嘘の悪臭で鼻がつまりそうに思われます」と記され 「 想 像 上 の 復 讐 」 が 行 わ れ る 。 し か し 、「 理 想 が 製 造 さ れ る こ の 工 自 ら を 「 善 い 人 」「 幸 福 」 と 定 義 し 、 強 者 を 「 悪 」 と 見 な す こ と で ― るように 、自己欺瞞 に満ちて いる。被爆 体験をめぐ る ルサン チマン 場は として は、例えば 被爆者をある種の価値観の中に押し込める こと、 する こと、など が考えられる。大江健 三郎の『ヒ ロシマ・ノ ー ト』 人間的 に優れた被 爆者を称 揚すること で、他の被 爆者の感情 を抑圧 は、そ の意味で ルサン チマ ン を利用した作品で あ ろう。永 井隆「長 を 抑 圧 し て い る と 言 え な く も な い。 ち な み に 、 こ う の 史 代『 夕 凪 の 崎の 鐘」も、 キリスト教的な価値観 を通して、 被爆者の率直な感情 湯で入浴 している主人公・皆実 の「ぜんたいこの街 の人は不自然だ 街 ・ 桜 の 国 』( 双 葉 社 、 二 〇 〇 四 ・ 一 〇 ) の 「 夕 凪 の 街 」 に は 、 銭 /誰もあの事を言わない」と いうモノローグが挿入されているが、 ― これなどはルサン チマン の構造に対する 違和感の表明と見る ことが 場面を取り上げて詳しく論じている。 」(『立 命 館 言 語 文 化 研 究 』 一 九 巻 三 号 、 二 〇 〇 八 ・ 二 ) が こ の 既に菅聡子「林京子の上海・女たちの路地 で き る か もし れ な い 。 ― 「長 い時 間」 に は、長 崎 で 発足 さ せた 「 さ さや か な 会」 の解 散の ロ ー マン・ ヤ コブ ソン 「言 語の二つ のメン ト失 語 症 の二 つのタイ の《反 (木場 ) を参照した。ニー チェによれば 、ルサン チマンとは「本来 プ」(『一般言語学』所収、みすず書房、一九七三・三)を参照。 8 レ ア ク シヨ ン 想像上の復讐によってのみそ の埋め合わせをつける 」ことであるが、 川 口 隆 行『 原 爆 文学 と い う 問 題 領 域 』 創 言社 、二 〇 〇 八 ・ 四 7 9 「 二人 の墓 標」 には 、若 子 と 洋 子が 通っ て い た 女 学校 で方 言の 使 を印 象づけるエピ ソー ドであ ろう。 いること 、心的 にも 肉体的 にも一つの区切れ 目を迎 えつ つあること ことが記されている 。被 爆から半世紀を経て 、連帯が困難になって 10 」と言い 、「若 「女」は 、「なわの切れと 女はすた るものなし 」とい う母親から の わ れ て い る の は 、 大 変示 唆 的 で あ る 。 子は 、怪我しなかったのね 」と恨み がましく洩 らす箇所で 方言が使 若 子 に 見 せて 「 こ ん げ ん な っ て 、し も う た と よ お ― 用が禁じられていたことが記されている。洋子が自分の受けた傷を 11 『朝日新聞』の「在る。」を参照。 ションであることを、林自身が語っている。二〇〇二年七月二九日 み に 、「 女 」 と の 出 会 い は あ る 医 師 か ら 聞 い た 話 を 基 に し た フ ィ ク の造 形 が林 の 母 親 の 話 を も と に為 さ れ た 可能 性 は 充 分 にある 。 ちな すたりものはないそ うよ 、といった。」とあり 、 「長い時間 」の「女」 八 三 年 一 二 月 一 二 日 付 ) で は 、「 私 の 母 は む か し よ く 、 女 と 縄 端 の た の だ と 感 じ て い る 。 エ ッ セ イ 「 ご は ん つぶ 」(『神 奈川 新 聞 』 一 九 言葉を教訓と して生 き、自分は 女だから体を 売ってでも生きていけ 12 55 6 4 5 絓秀実『1968年 』(筑摩書房、二〇〇六・一〇) 後 類 を 見 ない作 家 に よ る 運 動 で あっ た と 述 べ て い る 。 ― 渡 邊 澄 子 が『 林 京 子 人と文学 』(長崎新聞社 、二〇〇五・七) 否 認 し た 時 に 立 ち 現 れ る の が 自 然 だ と 考 え て よ い か もし れ な い 。 で語っているように 、「長い時間」が放射能によって形成された「内 部の敵 」を問題にしているこ とは間違い ない。この「内部の敵」を 「核戦争 の危機 を訴 える 文 学者の声 明」は 、 中野 孝次 が発起人 と なって 、一九八二 年二月に公 にされたも のである。 最終的には五〇 15 〇 人 強 の文 学 者 が 署 名 し 、 例 えば 大 江 健 三 郎 は 、 こ の署 名 運 動 が戦 56 14 13
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