神奈川支部ニュース「魁」2016年8月号

2016 年 9月 (第 40 号)
NPO 日本住宅管理組合協議会
神奈川県支部ニュース
魁
NPO 日本住宅管理組合協議会
神奈川県支部
さきがけ
発行責任 支部長
川上 湛永
横浜市青葉区すすき野
1-4-7-104
電話 045-902-4494
わ
UR「都市再生機構・技術研究所」見学
5月6日、神奈川県支部理事 6 名と横浜市緑区にある「霧が丘グリーンタウン第一住宅
管理組合」の長期管理計画検討委員会の 2 名の計 8 名で研修勉強会の一環として、八王子
にある UR「都市再生機構・技術研究所」の施設を見学してきました。参加メンバー8 名は
全員が旧日本住宅公団の分譲団地に居住しており、かねてより関心があった施設です。
UR「都市再生機構・技術研究所」は広大な敷地内にあり、テーマ別に 15 の棟に区分され
ています。女性職員の案内で希望した棟を説明を受けながら見学できました。1 回の見学
では膨大な施設のすべてを回ることは無理で、あらかじめ目的を絞り、テーマに合わせた
個所を選択しての見学でした。今回は特に関心がある 4 棟「KIS 住宅実験棟」
「地震防災館」
「居住性能館」「集合住宅歴史館」の 4 か所にしました。
1.「KIS 住宅実験棟」ではスケルトン・インフィルでリフォームする要件として、時代に
合ったプランを実施するには水回りを自由に動かせる必要があり、その可能性の検証が
行われていました。また、従来の電灯線を”テープケーブル“に変えて貼り付けること
で臨機応変な工事が可能になることがわかりました。
2.「地震防災館」では、
“偏心ローラ支
承”による免震装置が展示されてい
ました。阪神淡路震災を受けて開発
された装置ですが、コスト高で普及
はわずかで公的な場所のみのことで
す。家具転倒防止金具の展示もあり
ました。
3.「居住性能館」では“楽隠居の間”
という高齢化に対処した 1 部屋での
生活が可能な間取りが展示されてい
ました。また、住宅のユニバーサル
説明を聞く参加者
デザインの検証として車椅子で台所仕事が出来るキッチンも見られました。
4.「集合住宅歴史館」は旧日本住宅公団の発足当時の蓮根団地(板橋区)の構造・間取り・
-1-
諸設備が再現されており時代の流れが実感できました。また、公団最初の高層住宅であ
る晴海住宅が“前川國男”の設計で時代を象徴する建物であることが分かります。残念
ですが建て直して現在では見られません。
日本の集合住宅では忘れることのできない同潤会住宅のパネル展示もあり、関東大震災
からスタートした日本の集合住宅の歴史が理解できます。
見学を終えて
UR 都市再生機構・技術研究所の見学で何より集合住宅歴史館に興味がありました。旧
日本住宅公団が昭和 33 年に中央区晴海に建設した初の高層住宅(10 階建)
“晴海高層ア
パート”のモデルルームが再現されており、当時の先端気鋭の雰囲気が感じられました。
それはエレベーターが設置され、メガ・ストラクチャー構造で 3 層 6 住戸を 1 ブロック
として将来部屋を拡張することも可能としたことでも分かります。
平成 8 年に老朽化を理由に取り壊され 38 年の寿命を終えました。前川國男がル・コルビ
ュジェに師事しマルセイユのユニテ・ダビタシオンを模した記念的な住宅でした。
老朽化が原因とする取り壊しが、適切な判断だったかは分かりませんが鉄筋コンクリー
トの建物が 38 年で壊されるとは思いもよりません。ニューヨークにあるエンパイヤ―・
ステイトビルは昭和 6 年に竣工して今、築 85 年ですが取り壊すとは聞いていません。
適切な時期に適切な補修・改修工事をして 100 年位は持たせようという概念を、新たに
認識したところです。(永田康幸支部理事)
理事長 29 年
小澤 忠二
回想録連載 -40
(続)悪夢の不動産バブル
昭和 40 年代頃は、都市近郊の農家が土地を売って億万長者に
なり、一坪の売却代金分でキャバレーの一夜を豪遊する坪遊びが
話題になり、農協さんはツアー旅行で世界の観光地を荒し廻って
いるとの噂で賑わったが、昭和 50 年代になると、日本列島改造論
で煽られたのか、都会にはほど遠い山林・原野を二束三文で仕入
小澤忠二さん
れ、都市住民に坪当たり数千円で売りい付ける原野商法や、山奥
の山林を買い或いは借り上げて、ゴルフ場を造成し、会員権として 500 万円~1,000 万
円で売りさばき、日本中、至る所をゴルフ場化した上に、土地全体の価格高騰を招いて
しまいました。
又、土地を売っては買い戻し、再び転売を続ける土地ころがしがはやり、不動産業者の
儲かる時代が続きました。そんな中で、都市労働者は、住宅不不足に悩み、やっと手に
出来た分譲マンションの中でも、年額 6~8%の利息を伴う分割支払いに追われて、厳し
-2-
い生活を続け、大部分の方はその支払いが丁度終わる頃の定年まで営々と働く、まあそ
れが尤も無難な老後を迎える仕法でしょうが、団地内には、そんな生活には飽き足らず、
職を転々としたり、事業に手を出して失敗し、或いは家庭崩壊をする人も出ました。
5. やっと手に入れた分譲マンションは不備だらけ
官・民を問わず分譲マンションは何処も抽選。運良く手に入れた公団分譲は、遠・狭
の上に雨漏れもするものが可成り多い。殊に昭和40年代の団地は、駅からは遠く、通
勤に不便な上に、都市郊外のため日常食品の買出しから幼稚園への子どもの送迎にも車
が不可欠なのに駐車場が全戸の 30%以下が大部分でした。
そのため、団地内にも団地外にも駐車場が無いので、仕方なく路上駐車や団地内のアプ
ローチに不法駐車する。すると、車を使わない人が警察に苦情を云うことから、管理組
合も警察から早く秩序をお立てるよう迫られる。そこで組合も敷地内に駐車場を増設し
ようと組合員の説得にかかると、「緑を守れ」と反対する者があって進めない。
このようなことは、何処の分譲団地でも極く普通の出来事でしたが、住民の中にはこれ
ではどうにもならんと思い、或いはストレスとなって永住志向を諦め、転出する人が出
始めました。
尚、住宅公団が分譲の際に「いろいろ不備な点はあっても、皆様も努力して戸建てに移
る方法もあり、入居後の不備は管理組合に云うように」との指導をした経緯もあって、
永住志向はだんだんに減っていました。しかし、永住志向がなければ、各自はその場限
りの考え方をするし、組合の運営方針もその場限りとなってしまいます。
しかし、入居後 10 年を過ぎると、子どもが中学・高校となるため住居の狭さは深刻で常
に話題になり、日曜や祭日には、必ず引越し用のトラックを見かける状況にもなってし
まいました。
6. 分譲団地内で行われた迷惑行為や錬金術
永住志向が減り、遠い、狭い、
・更にエレベーターが無いとなれば早く脱出したい。そ
れには少しでも金を貯めなければならないと思う人が出てくるのは当然で、幼児を残し
て夫婦で働きに出てしまう。その結果は同じ階段の人に迷惑をかけることになったり、
住戸価格の値上がりで資産家になったと思い込み、慣れない事業に手を出して失敗する
者もいて、結局は住み慣れた団地に戻り、今度は賃借人になって、住むことになってし
まった人も出て来ました。
又、趣味の面でも、危険なゴルフの素振りが多くなり、危険な動物や大きな犬を飼い、
その唸り声で近隣が迷惑する。野良猫を多く集めて餌を撒くので、駐車する車が汚れて
困るといった苦情から、これを止めさせるために大騒動になってしまったこともありま
した。
最後に最も悪質なのが、本紙 36 号でも述べた破産事件でした。これは石油製品を売る商
売の傍ら、当団地の住戸の値上がりに目をつけ 20 戸位を買上げたが、平成 2 年のバブル
経済の破綻で終わってしまいました。
これを良く調べると、永年に亘り管理組合が使ってきた金融機関がよく調査もしないま
ま、大正団地の住戸価格は上がると云って貸し出してしまい、当時失業していた当団地
-3-
の住民も何人かを雇用して管理組合の情報を探るなどしていたことが分かり、大変腹立
たしい思いをしました。
7. 管理組合運営上の大きな共通項は何か
何をしようとしても反対者があって進めな
い中で、少しでも転出する人を防ぎ、永住志
向を高めるには、より高い居住環境を作る必
要があるが、それにはどのような運営方針を
立てれば良いかについて常に考え続けました。
そして、考えついたのは、交通安全、防災、
美しい芝生育成などで、これは反対する人は
まず無いでしょう。従ってこれを重点施策とし、或いは絡めて推進しようとの考えに到
達しました。又、私自身は、公務員労働者として毎日忙しく働く中で、管理組合役員の
奉仕活動をするにも限界もあり、形式にとらわれず、組合員の実のある方向で尽くせば
良いことで、集合住宅を取り巻く法規制には実情に合わないものも多く、余りそれには
拘わらず、全体の利益を考える方向で処理しようと思うに至りました。
(その具体的行動は・・・・次回に続く)
※ 右上の写真(ゲート)説明
:
今は通り抜け皆無になった大正団地三街区方面入口。しかし、このゲートは多くの
人命と財産を守っています。
震災の傷跡、生々しく
熊本地震のマンション被災地
4月30日から2日まで、駆け足で熊本の被災地を見た。市内中心部のマンションに絞
った。関東、特に首都圏には、マンション被災の状況はほとんど伝えられない。南阿蘇町
などがけ崩れや土砂とともに流された住宅の被災が過半だからだ。2日に、地元の新聞社
の熊本日日新聞本社を訪ね、マンション被災も本格的に報道していただきたいと、要望し
たほどだ。2週間たって、ようやくマンションの取材を始めた、と正直に聞かされた。
マンションは燃えない、倒れない、だから救援は二の次とある行政の防災担当者から、以
前に聞かされたが、熊本でもそうなのかもしれない。
タクシーを借り上げ、市内を午前10時から午後4時まで回った。それでも、市内の半分
だ。いきなり、西区の倒壊マンションにつく。車の行き来の多い道路に面したマンション
は、7階建ての1階がつぶれていた。ピロティ形式で、1階は、駐車場になっていて、6、
7台の車がつぶれていた。2階部分が、弓なりにゆがんでいる。ちょうど、2階の住戸の
-4-
住人が、ベランダによじ登り、家財を出していた。扇風機など家電製品、家財は真新しい。
7カ月前に、入居した。家具はそろえたばかりのようだ。4月16日の2回目の震度7の
本震で、部屋が傾いたと話す。
マンションの反対側、開放廊
下側は、柱の鉄筋が露出し、
コンクリートが砕けている。
上階の圧力が一挙にのしか
かったのだ。これから復旧か
建替え、あるいは敷地売却な
どの選択を迫られる。もう一
人の住民は、まだ管理組合で
何も話していない、どうすれ
ばいいのか、と戸惑いを口に
していた。
中央区の14階建てのマン
本震で、ピロティ形式のマンションは、
ション。まだ入居して10年
1階の駐車場がつぶれた = 熊本市西区で
もたっていない。1号棟と2
号棟の間のエキスパンションジョイントが、1階から12階まで、離れ、応急措置の板で
覆っている。近づくと20~30センチも離れている部分もある。開発業者が、「すぐに
応急工事をやってくれて、助かったが」とある住民は言葉少なだった。開放廊下に面した
壁にⅩ状のせん断亀裂が走っていて、被災の生々しさがわかる。1階の玄関まわりに、家
具や生活用品などが2メートルほどの高さに積み上げられている。箪笥などもそのままだ。
揺れで箪笥が倒れるが、扉が開いたまま倒れるから、扉が壊れ使えない。そのまま、ごみ
集積所入りだ。
熊本市は、収集に手が回らず、どのマンションもごみの山だ。マンションの設備の損傷
も著しい。高置水槽が壊れたマンションが目立つ。高置水槽ではなく、敷地内の水槽方式
で、そこからパイプで引き、1階に蛇口を並べ、住民の給水場にしたところもある。
市内には、850件のマンションがあるとされるが、ざっと3、4割のマンションは、
大小何らかの損傷を受けたとみる改修関係者もある。ここ数年、開発された新しい分譲マ
ンションが多く、これから復旧に向け進むが、管理組合がまとまって、対応しないと復旧
が遅れることになる。マンション住民に市から出される罹災証明の発行が、当面、最も大
事になる。
5月14、15日に、熊本管理組合連合会が主催して、熊管連本部で、全管連、マンシ
ョン学会などが共催して、開いた被災マンション相談会には、300名を超える住民が参
加しました。5年前、東日本大震災で被災した仙台市内のマンションの支援に全力投入し
た東北マンション管理組合連合会からも、2名の理事が相談に加わっていただきました。
いわば先輩の経験は、貴重なアドバイスになったはずです。
[ 川上 湛永 ]
お詫び :
第40号魁発行が、大変遅れてしまったことをお詫びいたします。
-5-