実験経済学の方法論: 「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクト

西條辰義「実験経済学の方法論:「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクトを通じて」
2006 年 8 月/改訂 9 月
実験経済学の方法論:
「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクトを通じて
I
はじめに
経済学のような社会科学においては実験は不可能であるとされてきた.現実の経済にお
いて実験の目的で経済諸変数を操作するにはあまりにも経済主体への影響が大だからであ
る.一方,被験者を用いてラボラトリにて経済実験をするのは可能である.独占的競争の
理論で著名なエドワード・チェンバリンがハーバードの大学院生を被験者として市場実験
を行ったのは 1948 年のことである.大不況を経験し市場メカニズムのパフォーマンスに疑
念を呈した彼は,被験者を用いて需要曲線と供給曲線の交点で市場均衡が決定されるのか
どうか確認しようとしたのである.この実験に院生として参加したヴァーノン・スミスは
チェンバリンの実験のデザインが市場を抽象した実験としては不完全であるとし,新たな
デザインの下で市場のパフォーマンスに関する実験を開始した.また,50 年代に入り,数
学者のアルバート・タッカーが命名した「囚人のディレンマ」について,心理学研究者や
ゲームの理論家たちが実験を開始した1.さらには,ひとりの主体の意思決定の問題におけ
る期待効用理論の妥当性を検証する実験もこの頃はじまった.
本稿は,囚人のディレンマと深い関係を持つ公共財供給に関わる理論と実験研究が中心
課題である.私たちは,1990 年代前半から公共財供給に関わる理論モデルを構築し,その
モデルに基づいた被験者実験を遂行している.この一連の研究を総称して「日本人はいじ
わるがお好き?!」プロジェクトと呼ぶことにしたい.なぜこのようなタイトルを付けた
のかは以下で自然と明らかになるであろう.本稿では,このプロジェクトの遂行途上の様々
な局面で直面せざるを得なかった事例を通じて,私たちの研究が経済学方法論や経済学史
研究と深く関わっていること示したい.
被験者をラボラトリに集め,ラボにおけるパフォーマンスに応じて被験者に謝金を支払
い,経済学における様々な命題を検証するという手法は,現在においては,実証研究の一
手段ないしは新たな事実を発見する手段としての地位をほぼ確立しつつあるといってよい2.
とはいうものの,経済学研究に実験手法を用いることが多くの研究者に認められているわ
けではない.
実験手法が正統派の経済学において長い間認知されなかった背景には,扱う対象が社会
科学である,ということのみでは説明しきれないものがあるように思われる3.19世紀終
わりに成立したとされる正統派(ないし新古典派)経済学の主導者たちは,歴史的-帰納
法的方法に対する理論的-演繹的方法の優位性を強調するあまり,諸命題が時空を超えて
1
このあたりの事情は Poundstone (1992)を参照されたい.
2
Davis and Holt (1993)の1章およびHolt (2006)の1章を参照されたい.
3
社会科学の主要な領域としての心理学は実験が主流である.
1
西條辰義「実験経済学の方法論:「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクトを通じて」
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成立する普遍的な法則であると主張せざるを得なかったのではないのか4.たとえば,ワル
ラスは,現実の経済から交換,市場などの概念を抽象し,これらを元に理念型を構築し,
それに基づいたモデルを分析する.この意味で経済学は数学と基本的に同一であるという
見解を提供した.そうだとするなら,合理的方法で得られる命題は経験的に検証される命
題であるはずがないのである.
一方,ワルラスの後継者であるパレートは,単に演繹的推論のみで経済学が構築できる
とは考えず,命題は検証せねばならないと考えたようである.効用の「可測性」を放棄す
るにあたって,「たとえば,普通のワインとライン産のワインの選択に関して,私がライン
産のワインを選択したとする場合,そうした選択の主観的動機や理由を経済学は問題にす
る必要がない.ただ,普通のワインではなくライン産のワインを選択したという「生の事
実」だけに注目すればよい」5とする.このアプローチは顕示選好の理論や積分可能性の理
論に発展するが,個々の主体の動機を問わないというスタイルは,現在の実験経済学の方
法論に重大な影響を与えている.というのは,実験研究者の多くは,実験のデータのみに
注目すればよいのであって,なぜ被験者がある選択をしたのかに関しては問わない,とい
うスタイルをとるからである.さらには,これが高じて,コンテクスト・フリーな実験の
デザインのほうが,コンテクスト・スペシフィックな実験のデザインよりもベターである,
という暗黙の了解に繋がってしまう.この種の緊張関係を私たちのプロジェクトも経験す
ることになる.
こうした経済学の実証手法は,フリードマンの『実証経済学の方法と展開』(Friedman
1953)でさらに純化する. A → B という命題を評価するにあたって,仮定 A の現実妥当性
を検証する必要はない.予測 B と経験的事実を照らし合わせ「 A → B 」全体の有効性を判
定すべきであるという立場がフリードマンの方法である.
私たちのプロジェクトにおける実験でも,理論の想定する仮定(たとえば財貨のみに基
づく効用最大化)そのものを検証することが可能になる.そのような検証をする必要がな
いとするのか,検証することによって理論を改訂することになるのか,という問題に直面
する.さらには,理論の想定する仮定は従来のままで,従来の結果とは異なる結果を説明
するために,従来通りの枠組みのなかで複雑な理論を作り予測と整合的な理論を構築する
というのがベターであるとする考え方すらある.
第2節では,公共財供給と囚人のディレンマに関する実験研究の分野では,研究者は,
フリードマンの方法とは異なって,理論の行動仮説そのものを問う,という方向に向かっ
4
メンガーが対峙せねばならなかったのはシュモラーを中心とするドイツ歴史学派であった.このことが
「限界学派」の純化に大きく影響したのではなかろうか.彼は,精密な理論を経験的手法によって検証す
ることを方法論的に不合理とした.ただ,メンガーはワルラス,ジェボンズとは異なり,数学の利用は懐
疑的であったといわれている.
なお,実験の結果を「生の事実」として認めない研究者もいないわけではない.たとえば,
「私はウォー
ル・ストリートのデータを見たいのであって,人工的なラボのデータには興味がない」と言い切る研究者
も存在する.
5
2
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たことに注目する.第3節では,公共財を供給するにあたって,どのような行動原理に基
づいて行動しているのかに焦点をあて,実験室における被験者の経済行動は,どうも利他
性によるものではないことを検証する.その際,自己の利得最大化と他者の足を引っ張る
こととの間で被験者の心が揺れていること(スパイト・ディレンマ)を示す.また,パレ
ート流の「生の事実」のみで実験研究を進めた方がよいのか,選択の動機まで溯るほうが
よいのか,という問題も検討する.第4節では,公共財における非排除性を考慮に入れる
と,公共財供給ゲームは囚人のディレンマ型ではなく,タカハトゲームになることを示す.
このゲームを実験する際,被験者の利得構造をどのように知らせるべきなのか,という問
題を検討する.第5節では,非排除性を考慮に入れた公共財供給において,日本人の被験
者のほうがアメリカ人の被験者よりも互いの足を引っ張り合うという実験結果を確認する.
足の引っ張り合いを経験をすることによって,フリーライドの便益が確保されないため,
それをやめることにより,あたかも「協力」が維持されているように見えるのである.さ
らには,この実験の途中で,被験者に意思決定の理由を尋ねることの是非を検討する.最
後の節では,このプロジェクトのミクロ経済学における含意を考えるとともに,経済学方
法論および経済学史研究に与える影響について示唆したい.
II
公共財供給と囚人のディレンマ
あなたと相手がお互いに10ドルずつ持っているとしよう.この10ドルから幾らかお
金を出し合うと,手元に残ったお金に加えて,<出したお金の合計額×0.7>分のお金を二
人とも受け取れるという状況を考えてみたい.つまり,一人ではなく,二人に利得が返っ
てくることで公共財の非競合性を示すのである.話を簡単にするために,お互いに出せる
お金は0ドルか10ドルに限る.そうすると,表1の右下のセルのように,二人が共に1
0ドル出せば,合計額は20ドルなので,お互いに14ドル(=20×0.7)のお金を受け
取れる.ただし,セルの中では,右上があなた,左下が相手の受け取る金額である.もち
ろん,二人とも出さなければ,左上のセルのように,手元に10ドルが残る.相手が出し
て,あなたが出さなければ,あなたの場合,17ドル(=相手の出した10ドル×0.7+手
元の10ドル)もらえることになる.相手は手元に残るお金がないので7ドルしかもらえ
ない.
あなた
0ドル
10ドル
7
あ 0ドル 10 10 17
い
て 10ドル 7 17 14 14
表1
公共財供給ゲーム
3
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相手が出さないとするなら,あなたが出さないならあなたの利得は10ドル,出すなら
7ドルなので,出さないほうがよい.相手が出すとしても,あなたが出さないなら17ド
ル,出すなら14ドルなので,やはり出さないほうがよいことになる.どっちにしても出
さないほうがよいのである.二人ともそう考えるなら,二人とも出せばお互いに14ドル
もらえるのにもかかわらず,結局,二人とも出さずにもとの10ドルのままになる.
このゲームは囚人のディレンマとよばれている.ここでは公共財供給の文脈で考えてみ
よう.お互いにお金を出しあって公共財(たとえば金額の大きさに応じて長くなる道路)
を作るのだが,それはみんなで使うことができるので,あなたも相手も道路を使うことに
よって得をする.この例だと,一人だけで道路をつくると損をしてしまうものの,二人で
つくると互いに得をする,という設定になっている.
ただ,この種の公共財供給のほとんどの実験のインストラクションでは,「公共」という
言葉をいっさい使わない.あなたと相手が「投資」をするというゲームに参加している,
という具合である.つまり,公共という言葉から連想されるであろう効果,たとえば,公
共のためだからお金を出せねばならない,という反応をできるだけ除去し,コンテクスト・
フリーな実験にしようとする.さらには,お金に関する言葉である「投資」という用語を
用いて,被験者が損得のみで動ける環境を作るのである6.実験に参加している被験者はよ
ほどのことがない限り,公共財供給の実験であることに気づかないであろう.このように
損得のみでしか動けない環境のもとでも投資をするのなら,公共という言葉を使う実験よ
りも,より強力な結果を得ることができる,という訳である.
1988 年の頃である.カルフォルニア大学サンタバーバラ校の図書館で Issac and Walker
(1981)の公共財供給に関する実験論文を眺めていた.公共経済学の授業で学生諸君が興味を
持つような教材を探していたのである.表1のゲームで,0と10ドルの間の整数で,出
すお金を自由に選べるとしよう.そうすると,被験者は結構お金を出すのである.同じ実
験を毎回ご破算で10回繰り返すのだが,1回目あたりは約半分,最終回でも2~3割出
すのである.表1の場合,相手がどのような戦略をとっても,自分にとってはベストな戦
略があるという特徴がある.このような戦略を支配戦略とよぶ.経済学ないしはゲームの
理論において,かなり強力な均衡概念である.非協力ゲームでこれをとらない理由をみつ
けるのはかなり難しい課題である.当時,新古典派流の考え方に慣れていたせいか,天真
爛漫に,被験者が支配戦略をとらないなんておかしい,と思ったものである.
そこで,公共経済学の授業で,Issac and Walker の実験とほぼ同じものを受講生と一緒に
やってみた.結果は彼らとほぼ同じになる.実験研究では被験者に謝金を払わねばならな
い,という話を聞き,給料から500ドルほどさいて,謝金を支払う実験をしたのもこの
一方で,コンテクスト・スペシフィックな実験の重要性を説く経済学研究者もいる.とりわけ,複数の
選択肢の中から具体的にどのような政策を採用すべきか,という研究においては,コンテクストからフリ
ーな実験をデザインすることそのものがほぼ不可能になる.Bohm (1997)は,排出権取引実験において,北
欧4カ国の官僚を被験者とし,排出権という言葉を用い,非常に興味深い結果を導いている.ただ,その
ようなコンテクスト・スペシフィックな実験を冷ややかに眺める研究者がいるのも事実である.
6
4
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ころである.やがて,囚人のディレンマのゲームには,経済学に限らず,心理学,社会学
などの分野で膨大な実験がなされており,被験者がなぜ支配戦略をとらないのかが大きな
トピックになっているのを知った.
公共財供給実験の論文を読み進むにつれて,社会学研究者と経済学研究者の間で,けっ
こうな「せめぎあい」があるのがわかった.社会学者の Marwell and Ames (1979, 1980)は,
1970 年代後半頃から公共財供給実験を実施し,手持ちのお金のうち4割から6割を出すの
が普通で,フリーライドする被験者はまれだ,と結論づけたのである.さらに彼らは,「フ
リーライドをするのは経済学研究者だけ?」という挑発的なタイトルの論文を Journal of
Public Economics という専門誌に発表した(Marwell and Ames 1981).ウィスコンシン大学
の経済学専攻の院生を被験者にすると2割程度しか出さなかったからである.
ただ,社会学者と経済学者は同じ実験の繰り返しをするのかどうかで異なっていた.社
会学者たちは,基本的に1回のみしか実験をしない.一方,経済学者は同じ実験を繰り返
し実施し,学習の効果を眺めるというのが主流を占めていた.社会学者のほうからみると,
同じ意思決定を繰り返し行うことには現実妥当性がない,と考えるのであろう.ところが,
経済学を科学であると考える限りにおいて,同じ実験を繰り返すことには,経済学者は違
和感がなかったのである.
公共財があると人々はフリーライドするんだ,と教室で教えていた先生方にとっては,
マーウェルたちの研究が経済学研究者への「挑戦」と映ったようだ.社会学者の実験はど
こかがおかしいのであって,経済理論が間違っているはずがない,という反応である.多
くの経済学研究者たちが,公共財供給実験を始めた.1回目あたりは社会学者のいうよう
に被験者は半分程度のお金を出すものの,10回目あたりだと1-2割になる,というの
である.両陣営,引き分けといったところだろうか.
これらの研究は,Andreoni (1995)らの研究にみられるように,人々には,親切心や他人
を思いやる心があり,それで出さなくてもよい時に出すんだ,という方向にむかった.つ
まり,金銭的な利得のみに人々は反応するのではない,という方向である.これは,自然
といえば自然だが,フリードマンとは異なったやり方で,仮定そのものを問うているので
ある.つまり,仮定の真偽を問わずに理論体系を検証するという方法から,実験結果にも
とづいて理論の変更をおこなうという,より自然な方法への転換を意味したのである.
III
スパイト・ディレンマ
ただ,私はこの欧米流の方向に違和感を持った.そこで,次のような実験を考えたので
ある.表1の場合の係数は 0.7 で1以下である.この係数を1よりも大きくする.表2では,
係数が 1.5 の場合を示している.この場合だと,相手が出そうが出すまいが,10ドル出す
のがベストとなる.実験をすると,どの被験者も10ドル出すに違いない.
5
西條辰義「実験経済学の方法論:「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクトを通じて」
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あなた
0ドル
10ドル
あ 0ドル 10 10 25 15
い
25
30
て 10ドル
30
15
表2
すべて出すのがベストなゲーム
カルフォルニア大学から筑波大学に移籍した頃,このタイプの実験を実施した.2人で
はなく,7人の被験者は各々0から10の間の整数を選べる.しかも,表1の実験(係数
=0.7)を10回した後,表2の実験(実際の実験の係数=1/0.7=1.43 を使用)を10回行
う実験(セッションA)と,その順序を逆にした実験(セッションB)も実施した.表1
の場合,被験者はどちらの場合でも約2割程度のお金を出した.ところが,表2の場合,
かなり出す被験者もいればそうでない被験者もいたのである.
出さない被験者の理屈は次の通り.相手が出し自分が出さねば,相手の取り分は15,
自分は25となり,両方で出し合う場合の取り分の30よりも少なくなるものの,相手よ
りも取り分が多くなる.そのように考えるなら,出さなければ相手を出し抜くことができ
る.自己の取り分を減らしてまで相手の取り分をよけいに減らす行為を「スパイト(いじ
わる)」行動と名付けた.表2において,自分の取り分から相手の取り分を引いた差の表を
作成してみると,表3のように,0ドル出すのがベストとなる.つまり,できるだけ多く
のお金を求めるなら「出す」のがベスト,相手を出し抜くのなら「出さない」のがベスト
となり,被験者はこの間で心が揺れ動いていると考え,この現象を西條・中村(1995)は「ス
パイト・ディレンマ」と名付けた.このディレンマは表1では起こらない.多くのお金を
求める場合も,出し抜く場合でも,
「出さない」のがベストだからである.
あなた
0ドル 10ドル
-10
あ 0ドル 0 0 10
い
て 10ドル -10 10 0 0
表3
相手と自分の利得の差
この様子をみるために,図1のような正方形を作成した.横軸は係数が 0.7 の時の平均投
資数である.縦軸は係数が 1/0.7 の時の平均投資数である.係数が 0.7 の時,全く投資をし
ないことを示しているのが正方形の左の辺である.この辺を<フリー・ライディングの辺
>と呼ぶ.一方,係数が 0.7 でも10ドルをすべて投資するのが正方形の右の辺である.こ
れを<利他の辺>とする.今度は係数が 1/0.7 の時,すべて投資するのが正方形の上側の辺
である.これを<ペイ・ライディングの辺>とする.一方,全く投資をしないのが正方形
6
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の下側の辺で,これを<スパイトの辺>と呼ぶことにする.
($1の投資で$1/0.7
$1の投資で$1/0.7
得る場合,全額投資)
得る場合,いくら
投資をするのか
P (ペイラィディングの辺)
10
理論予想
F
6
(フリー
ライディングの辺)
($1の投資で
$0.7得る場合,
投資はゼロ)
FP AP
A (利他の辺)
($1の投資で$0.7
得る場合,全額投資)
FS AS
$1の投資で$0.7
0
S
4
10 得る場合,いくら
(スパイトの辺)
($1の投資で$1/0.7
得る場合,投資ゼロ)
図1
投資をするのか
行動原理の4つの辺
各々の被験者は二つの係数の実験に参加するので,係数に応じてその平均投資数を求め
ることができる.つまり,その被験者の行動は図1の正方形のどこかの点として示すこと
ができる.係数が 0.7 ならフリーライド,それが 1/0.7 ならペイライドというのが理論の予
測である.つまり,正方形の左上の頂点である.この頂点からみて縦軸にも横軸にも4離
れている小さな正方形(FP の部分)をほぼ理論予測の領域とみなそう7.
セッションA,Bともに異なった被験者を用いて4回リピートしている.つまり,ひと
つの実験参加者が7名だから,各々の実験で28個の点を図1の正方形にプロットするこ
とができる.これを示したのが図2である.左図は係数が大きい方を先にして,小さい方
を後にした実験で,右図はその逆である.
どちらも場合も,ほぼ AP および AS の領域(つまり,利他の辺あたり)にはデータがな
い.図の上側でみるなら,「ペイライダーはフリーライダーである」という結果である.下
側なら,「スパイト・プレイヤーはフリーライダーである」ということになる.
係数が1よりも大きい場合,あまり投資をしないのをなぜ「スパイト」行為であるとい
うことができるだろうか.実は,この実験の終了後,出せば出すほどさらに得をする状況
なのに出さないのはなぜか,という大きな疑問に直面していた.そこで,7名の学生を集
めて,実験データ通りに投資をして貰い,何か感じることがあれば言ってほしい,とお願
いした.この作業をして程なく,ある学生が,
「わかりました!」といって「スパイト」動
機を説明しはじめたのである.
FP の領域を4×4の正方形にした根拠は特にない.恣意的に,そのあたりがまずまず経済合理性を満た
す領域とした.
7
7
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$1の投資で$1/0.7
得る場合,いくら
投資をするのか ペイラィディングの辺
ペイラィディングの辺
10
10
9
FP
7
5
4
3
2
FS
1
AS
AP
8
7
FP
6
5
4
3
2
FS
1
0
利他の辺
6
フリーライディングの辺
8
AP
利他の辺
フリーライディングの辺
9
AS
0
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
0
スパイトの辺
1/0.7先,0.7後のセッション
図2
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
$1の投資で
$0.7得る場合,
いくら投資をす
るのか
スパイトの辺
0.7先,1/0.7後のセッション
被験者の平均投資数の分布図
学生による説明だけでは,あまり投資をしなかった被験者がスパイト動機を持っていた
ことの証明にはならない.次のステップは,スパイト動機とそうでない動機を明らかに選
別する実験のデザインをすることである.パレート流の「生の事実」だけで語らせる,と
いう考え方が実験経済学の手法にも入っていたのである.私はこの手法に疑問を感じざる
を得なかった.被験者が意思決定をするたびになぜそうしたのかを聞けばわかることだか
らである.
実験研究者は実験終了後,アンケートをとることはするが,実験の途中で被験者に尋ね
る,ということを極度に嫌う.というのは,なにがしかのことを「被験者に尋ねる」こと
そのものが実験結果に影響する,つまり,本来得たいデータにバイアスがかかってしまう,
というのである.もう一つは,被験者に尋ねたところで,本当のことをいうのだろうか,
という疑問もある.そのため,戦略の選択の結果(この実験の場合は投資数)という生の
事実のみに固執する手法がメインストリームとなったのである.
私はスパイト動機かどうかを判別する新たなデザインをすべきなのか,実験の途中で被
験者に被験者の聞くのがよいのかで苦悶した.それまでの経験で,実験の途中で被験者に
聞いた方が少なくとも「うそ」は言いにくいことを実感していた.というのは,実験終了
後のアンケートでは,被験者は自己の選択を事後的に合理化することを知っていたからで
ある.つまり,何らかの理由で間違った選択をしても,それは単に試しにそのような選択
をした,などと答えるからである.一方,実験の途中の短い時間で質問をする場合には,
ある意味で被験者に余裕がないため自己の選択に対する合理化ができにくいと考えたので
ある.いずれにせよ,当時,研究資金の余裕がなかったため,この実験は被験者に聞くと
8
西條辰義「実験経済学の方法論:「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクトを通じて」
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いう作業をすることなく,論文としてまとめることになった(Saijo and Nakamura 1995).
私は,この実験結果から,公共財供給実験において被験者は親切心や利他心でお金を出
しているのではない,と確信するようになった.表1の場合,お金を出す被験者の心根が
親切心や利他心で,同じ被験者が表2の場合スパイト行動をとる,という説明では納得で
きない.ただ,欧米の研究者は,フリーライドがよいのにもかかわらずそうしない理由を
親切心や利他心に頼る,という路線をとり,私たちの研究は,欧米の研究の路線からはず
れてしまったのである.
だいぶ後になってからだが,私たちの研究をみたメステルマンたちのグループが,スパ
イト・ディレンマ実験とほぼ同じ実験を実施し,カナダ人はほとんどスパイト行為をしな
い,という結果を公表した(Brunton, Hasan and Mestelman 2001)8.
IV
公共財供給とタカハトゲーム
スパイト・ディレンマ研究が一段落した頃,私たちの関心事は,公共財供給の理論,な
いしは公共財を効率的に供給する制度の設計にむかった.メカニズム・デザインと呼ばれ
る分野である.ここでメカニズム・デザインという分野がなぜ登場したのか,振り返って
みよう.話はケインズまでさかのぼる.非自発的失業など,当時の主流派経済学の人々が
説明できなかった経済事象をケインズはマクロ分析を用いることによって成功した.同時
に失業を減らし,経済成長を促進する経済政策の処方箋も示したのである.20世紀前半
の頃である.一方,20世紀半ば以降,新古典派によるミクロ分析は,競争市場の特質を
分析することに成功したものの,公共財や不確実性など外部性が顕著な環境においては市
場は失敗することを示した.この市場の失敗を克服するために,20世紀後半,新たな制
度をデザインするという視点が生まれたのである9,10.
表1が示すように,公共財がある場合,パレート効率な配分を達成することはできない.
しかし,上手に社会の仕組み(メカニズム)を作るとパレート効率な配分を達成すること
ができるかもしれない.Groves and Ledyard (1977)はこの難問に挑戦し,実際にそのメカ
ニズムをデザインし,そのメカニズムにおけるナッシュ均衡がパレート効率になることを
初めて示した.その後,効率性のみならず,個人合理性(初期保有点よりも少なくともよ
い配分)などの要求を満たす様々なメカニズムが開発されてきた.つまり,フリーライダ
ー問題は少なくとも理論的に解決済み,という訳である.
ただ,彼らは,全員がメカニズムに参加することを暗黙のうちに仮定している.たとえ
ば,ウォーカー・メカニズムの場合だと,各々の個人は実数をアナウンスせねばならない
(Walker 1981).アナウンスせよといってもアナウンスしたくない,ということができない
少し環境は異なるが,Brandts, Saijo and Schram (2004) の公共財供給実験では,国際間(スペイン,ド
イツ,アメリカ,日本)の差はほとんど観察されなかった.
8
9
Hurwicz (1959)がこの分野の出発点である.
10 ケインズ経済学とは異なって,メカニズム・デザインは抽象的な数理モデルにとどまるのみで,デザイ
ンされた仕組みがほんとうに使われる,というところまで発展していないのが現状である.
9
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のである.アナウンスしない人が公共財を使えないようにできる場合ならそれでもよいの
だが,地球温暖化の問題のように京都議定書を批准しないアメリカのような国も他国の温
室効果ガスの削減からの便益を享受できる.空気に国境はないのだから.つまり,グロブ
ズ・レッジャード以降のメカニズム・デザイナーたちは,いわば,排除できる公共財の問
題を暗黙のうちに扱ったのである.私たちは本来公共財の持つ「非排除性」の問題が残さ
れたままだということに気づいたのである.
そこで,参加しなくても公共財からの便益を享受できると想定し,お金を出し合うゲー
ムの前に,そのゲームに参加するのかしないのかという意思決定のステージを付け加える11.
参加の意味を考えよう.たとえば,表1のゲームの場合,相手が参加しないのならお金を
出さないと考えるなら,相手が参加せず,あなたが参加する場合,あなたは迷わず0ドル
を出すであろう.一方,相手もあなたも参加するのなら,あなたは相手がどちらの戦略を
とるのかわからなくなる.あなたにとって,相手が参加しないことと参加して0ドル出す
のとは全く異なっているのである.
Saijo and Yamato (1999)は,このような公共財供給の参加ゲームにおいては,全員が参加
する仕組みをデザインするのは不可能であることを示した.この意味で,非排除性を有す
る公共財供給に関する制度設計の理論は振り出しに戻ることになったのである.
1
参
加
ス
テ
不参加
参加
ー
2
ジ
参加
不参加
1
0
8
24
2
参加 不参加
2
1
(706,706)
11
11
(2658,827 8)
(827 8,2658)
8
お金を
出す
ステージ
(7345,7345)
図3
参加を含む公共財供給ゲーム
西條・大和(1999)は,お金を出し合うゲームのみではなく,参加者の間でパレート効率な配分を達成す
る任意のメカニズムも考えている.
11
10
西條辰義「実験経済学の方法論:「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクトを通じて」
2006 年 8 月/改訂 9 月
地球温暖化のように公共財の「非排除性」を認めると,そんなに簡単には公共財が供給
できないことを知り,落胆してしまった私たちは,実験室の中で何事が起こるのか,検討
しようということになったのである.図3のように参加・不参加が選べるゲームを考えよ
う.まず二人が同時に参加するかどうかの意思決定をする.楕円形で示しているのは情報
集合で,たとえば,上から二段目の情報集合では,プレイヤー2は,プレイヤー1がどち
らの選択をしたのかがわからないのである.これが<同時>の意味である.次に,互いの
参加に関する意思決定を知った上で,公共財を作るのにどれぐらいお金を出すのかを同時
に決める.
あなたの投資数
利得
0
あいての投資数
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
706
871 1072 1297 1536 1775 2003 2210 2386 2523 2615
905 1127 1379 1647 1919 2183 2427 2641 2816 2944 3019
1186 1465 1764 2072 2374 2658 2913 3129 3297 3411 3465
1554 1888 2232 2575 2902 3202 3463 3675 3831 3925 3952
2017 2401 2787 3160 3508 3817 4078 4281 4420 4488 4483
2578 3010 3432 3831 4193 4507 4762 4950 5064 5101 5057
3244 3718 4171 4590 4960 5272 5515 5681 5766 5765 5677
4018 4529 5008 5440 5812 6115 6339 6478 6526 6481 6343
4904 5447 5944 6383 6751 7038 7237 7340 7345 7250 7056
5907 6475 6984 7422 7779 8043 8209 8271 8225 8073 7816
7031 7616 8130 8561 8897 9132 9257 9270 9168 8951 8624
8278 8873 9384 9800 10109 10306 10384 10339 10173 9886 9482
9653 10250 10750 11142 11416 11567 11589 11480 11242 10877 10390
表4
11
12
2658
3039
3456
3911
4403
4934
5504
6114
6765
7458
8193
8970
9791
2648
3001
3385
3801
4250
4733
5249
5800
6385
7007
7664
8359
9090
利得表
被験者の評価関数(効用関数)を決めねばならないが,表1などとは異なって,二人の
評価関数はコブ・ダグラス型で全く同じとしよう.つまり,非線形の効用関数を使うので
ある.効用関数が非線形なので,表4のような利得表を用いる.実際の実験では,お互い
に0から24までの間の数値を選べるが,ここではスペースの都合で0から12までの範
囲の利得を示している.
実験では特定のセルに色を付けたりはしない.この実験でもお金を出すことを「投資」
とよぶことにした.斜めの灰色のセルがベスト・リスポンスである.たとえば,相手が出
さないとき,あなたは11を投資するのがベストである.読者の皆さんは,ここで数分,
利得表とにらめっこしていただきたい.たぶん,相手が8のときに,自分も8を選ぶのが
ナッシュ均衡であることに気付くであろう.
実は,このような利得表を使うことに関してコンセンサスがあるわけではない.前節の
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線形の効用関数を用いる実験の多くは,利得の計算式と簡単な利得表を用いることが多い
のである.これに反して,私たちは,前節の線形の効用関数の場合にでも,表4のような
利得表を用いた.第一に,理論とは異なる変な結果が出たのは,被験者が利得の構造をよ
くわかっていなかったのか,それともほんとうに別の動機で動いたのかがわからないから
である.第二に,非線形の効用関数を数式以外の方法で被験者に知らせるには,表4のよ
うな利得表を用いる以外に方法がない12.利得情報をできるだけ完全なものにしても,変な
結果がでる,ということであれば,変な結果がでることをさらにサポートすることになる.
一方,人々は利得表などを用いて経済的な意思決定をするはずがないということを根拠に
利得表を用いることを嫌う研究者もいる.
ここで図3に戻ってみよう.二人とも参加を選ぶと,(8,8)の戦略を選び,お互いの
利得は7345となる.相手が参加しないときは,11を選び,自分の利得は2658で
相手の利得は8278となる.相手はフリーライディングの利得を享受する.両者ともに
参加しなければ,お互いに706の利得をえる.これをもとに,参加・不参加を戦略とす
るときの利得表を作ると,表5のようになる.
あなた
参加 p1
不参加
1-p1
参加
7345
8278
あ
2658
p2 7345
い
706
て 不参加 8278 2658 706
1-p2
表5
参加を含む公共財供給ゲームはタカハトゲーム
相手が参加するときには不参加,不参加の時には参加がナッシュ均衡となる.つまり,
相手が強気(タカないしは不参加)でくるなら,こちらは弱気(ハトないしは参加)でい
くのがナッシュ均衡である.相手も自分も参加するのは均衡ではない.このようなゲーム
はタカハトゲームとよばれている.つまり,公共財の非排除性を考慮に入れるなら,ゲー
ムの構造は囚人のディレンマ型ではなく,タカハト型になるのである.タカハトゲームに
は,混合戦略のナッシュ均衡があり,これは,互いに 0.68 の確率で参加することである.
さらには,この確率が数理生物学者のジョン・メイナード・スミスの開発した概念である
進化論的に安定な均衡となる13.この意味で,この実験は,進化論的に安定的な均衡が実現
するのかどうかを検証することとも深く関係している.
V
日本人は「いじわる」がお好き?
以上の枠組みで,最初の予備実験をしたのは 1995 年のことである.当時,住宅金融公庫か
12 この実験では,実は,表4のような利得表以外に,等利得曲線など,様々な利得情報を用いた.ただ,
被験者全員が主に使った利得情報は表4だった.
13 スミス(1982)を参照されたい.
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ら筑波大学大学院への派遣院生であった横谷好氏が中心となって実験を実施した.1996 年
秋,ツーソンにて,エコノミック・サイエンス・アソシエーション(実験研究を中心とす
る学会)の会合でこの研究を報告した.私たちの報告に強い関心を示してくれたのがティ
モシー・ケイソン(現在,学術雑誌 Experimental Economics の編集長)であった.ここから
彼との共同研究が始まることになる.
実験は,日本では筑波大学と都立大学,アメリカでは南カルフォルニア大学(USC)
とパーデュー大学で実施された.特定の場所に依存することを排除するために同じ国で複
数の大学を選択したのである.今回の実験の場合,同じ国の中ではデータに差がでなかっ
たものの,国の比較になると差がでる,という結果となった.なお,これまでのほとんど
の国際比較研究では各々の国の一カ所でしか実験がなされていなかった.同じ国の中の複
数の場所で実験をする,というのはケイソンのアイデアだった.今後,国際比較実験のス
タンダードになると思われる.
まず,比較のために,全員が参加せねばならない実験をデザインする.図3の左下の部
分である.20人の被験者を同じ教室に集め,2人一組で10組のペアを作る.ただ,ペ
アとなった相手が教室のなかでどこにいるのかはわからないようにしている.教室内での
話し合いは不可である.全く同じ実験を15回繰り返した.回ごとに相手を変え,同じ相
手とは2度と対戦しないようにし,これを全員に伝えた.さらには,全員が同じ利得表を
持っていることも全員に伝えた.意思決定の結果だが,ペアになった相手の決定はわかる
ものの,他の被験者にはそれを知らせないようにした.以上のデザインをトリートメント
Aとし,これに加えて,参加の意思決定のできる実験をトリートメントBとした.
この実験では,毎回,なぜそのような意思決定をしたのかを被験者に書いて貰うことに
した.書くための時間は1,2分程度である.こうすることによって,なぜそのような意
思決定をしたのかが明白になった.一方で,専門雑誌のレフリーたちは私たちの実験デザ
インに異議を唱えることになったのである.
トリートメントAの実験結果をみよう.ここでは,筑波とUSCを比較しよう.被験者
たちは,もちろんナッシュ均衡なる概念を知らないが,(8,8)あたりに落ち着くことを
なんとなく理解する.ただ,相手が8を選ぶとするなら,自分が8を選ばずに7を選ぶと,
自分の利得は7345から7340に5単位減るものの,相手は7345から6526に
減ることに気づき,そのようにする.まさにスパイト行動である.このことを詳しく述べ
る被験者もかなりいた.
10組のペアで15回繰り返すので,150個のデータがある.このうち,筑波の場合,
ナッシュ均衡の(8,8)は36個,(8,7)は35個,USCの場合,(8,8)は2
9個,(8,7)は26個である.筑波の平均投資数は7.24,USCのそれは7.75
で,それほどの差ではないものの,有意に筑波のそれがUSCに比して低い.
参加の意思決定ができるトリートメントBの筑波とUSCの実験結果をみよう.もし進
化論的に安定的な均衡の予測する0.68が正しいとするなら,両者ともに参加するのは,
13
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46%(=0.68×0.68×100),片方のみ参加するのは44%,両者ともに参加
しないのは10%となる.150個のデータのうち,たとえば,(8,7)も(7,8)も
同じデータとして扱う.つまり,(大きい投資数,小さい投資数)とするのである.こうし
て150個のデータの分布を示したのが図4である.
筑波の場合,両者ともに参加した場合,一番頻度の多いのは(8,8)ではなく,(8,
7)である.一方,片方のみが参加した場合,一番多いのは最適反応の11ではなく,な
んと7である.両者ともに参加しなかった場合のデータ数は18だった.相手が参加しな
いことを知った後で,11ではなくなぜ7を選んだのだろうか.表4をみればわかるよう
に,11を選べば,自分の利得は2658,相手の利得は8278となる.一方,7を選
べば,自分の利得は2210となり448減少するものの,相手の利得は4018となり
4260減少する.つまり,自己の利得を犠牲にしてまでも,参加をしない相手の利得が
大幅に下がるような戦略を選択したのである.このことを詳細に述べた被験者がかなりい
た.
USCの場合には,相手が参加しなかった場合の行動が筑波と異なっている.その場合
にでも,参加をした被験者は自己の利得を最大にする11を選んでいる.もちろん,7を
選んでいる被験者も若干名いる.「相手は相手,私は私」といったところだろうか.
(8,8)
頻度
(8,8)
頻度
30
25
20
15
10
5
12
10
8
小さい 6
投資数
4
2
0 0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
大きい
投資数
10
11
12
0
13
相手が参加
しなかった
ときの最適反応
16
14
12
10
小さい
投資数
8
6
4
2
00
1
2
3
筑波
4
5
6
7
8
大きい
投資数
9
40
35
30
25
20
15
10
5
0
16
15
14
13
12
11
10
相手が参加
しなかった
ときの最適反応
USC
図4
参加を含む公共財供給ゲーム:筑波とUSC
トリートメントBの場合のスパイトはAの場合のスパイトとは少し異なってる.Aの場
合は,相手がどのような行動をとるのかがわからずにスパイト行動をしているので,いわ
ば,純粋なスパイト行動である.一方,Bの場合は,相手が参加しないことに腹を立て,
14
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懲罰的にスパイト行動をすると考えることができる.経済環境で数多くの国際比較実験が
あるが,この研究のように,明白に差がでたのはめずらしいといってよい.
話はここにとどまらない.USCの参加率は最初から最後まで68%の周辺で推移した
ものの,筑波の場合,それが最初は4割だったが,最後の5回では85-95%となった
のである.公共財をみんなで作ろうとすると,日本人は「ただ乗り」をめざすものの成功
しない.というのは,参加をした人が,参加をしなかった人の足を引っ張るからである.
これを経験してしまうと,後で参加せざるをえなくなるのである.日本の社会ではみんな
で仲良く協力してコトにあたってるのではなく,協力しないと後が怖い,というところだ
ろうか.
あなた
参加 あなた
不参加
参加 6494
5315
あ 参加 6494
2349
い
706
て 不参加 5315 2349
706
筑波
表6
不参加
7167
7279
あ 参加 7167
2400
い
706
2400
て 不参加
7279
706
USC
最初の5回までのデータで作成した利得表
表6は実験の1回から5回における実際の平均利得を示している.筑波の場合,もとも
とはタカハトゲームであったのにもかかわらず,被験者のスパイト行動を通じて,両者と
も参加するのがベストというゲームに変容している.一方,USCの場合,平均利得は変
化するもののタカハトゲームの構造自体は変化していない.
他者からの選好の独立性を仮定する理論は,新古典派の伝統の中にどっぷりつかってい
ると,ごく自然に見えてしまうのだが,18世紀に経済学を創成した人たちの人間観には,
それとは異なったものもあった.たとえば,哲学者デイビッド・ヒュームは人間の本性を
論じた『人性論』において,次のように述べている14.
我々は事物をその固有の価値に基づいて判定することがほとんどなく,他の事物との比
較において事物を思念する.そえゆえに我々は,他人のうちに観察される幸福または不
孝の分量の大小に応じて我々自身を評価するに相違なく,従ってその結果の快苦も感じ
るに相違ない道理になる.他人の不孝は我々に自己の幸福の(事実)以上に生気ある観
念を与えるし,他人の幸福は我々の不孝の同様な観念を与える.従って,前者は歓喜を
産むし,後者は不快を産む.(Hume 1739, 訳
巻数と頁を入れて下さい)
他者との相対的なポジションによって幸福か不幸かという視点は何ら新鮮ではないが,
14
このパッセジの指摘は猪木武徳教授に負っている.
15
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新古典派流の経済学は,このような他者との相対的な関係で選好を考えることを長い間拒
否してきたのである.この実験結果を受けて,協力(ないしは参加)の新たな理論を構築
するとしよう.効用関数に自身の利得のみならず他者の利得を入れるとすると,なぜ協力
が生まれたのかは簡単に説明できる.ただ,そうすると,モデルそのものが恣意的である
との批判を受けるだろう.そこで,他者の利得とは独立な効用関数をもとに複雑な理論を
構築して,結果を説明せねばならないのである.
ただ,このような状況は少しずつ変化してきている.数多くの実験研究者が,利他性,
親切心,互恵性などをキーワードとする実験結果を数多く示すにつれて,新古典派の伝統
とは異なった心理学的な効用関数を用いることによって,新たな理論を構築する,という
方向に向かっている.
なお,上記の日本の実験は Cason, Saijo, Yamato and Yokotani (2004),日米比較実験は
Cason, Saijo and Yamato (2002)として公刊されている.
VI
終わりに
経済学における限界革命の担い手の一人であったとされるジェボンズは,人間の「ここ
ろ」から派生する「感情」を直接計測することはできないとして,計測できる数量情報の
みに頼って理論を構築するという方法論を採用した.この手法では,人々の評価をブラッ
クボックスとして扱い,人々が「合理」的に行動すると仮定するのである.つまり,人々
がどのように評価を形成したのかを問うことなく理論構築を行ったのが20世紀の新古典
派経済学の方法だった.研究者は,利己的な個人を仮定し評価を与件とするという大胆な
<簡便法>で理論を構築し一定の成功を納めるものの,なんとこれが<伝統>になってし
まったのである.少し極端かもしれないが,時や場所にかかわらず,他人との関係ではな
く自分のことだけを考える利己的な個人から構成されるモデルで経済活動はほぼ説明でき
る,と暗黙のうちに仮定してきたのが新古典派を中心とする20世紀型の経済学である.
他方,20世紀半ばから,様々な実験研究がなされてきた.ここで明らかになったこと
は,たとえ,経済的な意思決定の局面でも,経済外的な感情や他者との関係が,結果に影
響するということである.厚生経済学の第一命題が成立するような環境における市場の実
験なら,テキストに述べられていることとさほど変わらない実験結果だが,少しでもこの
ような環境から離れてしまうと,新古典派的な理論とは異なった実験結果になってしまう
のである.
このことは,たとえば,制度設計の理論として登場したメカニズム・デザインと呼ばれ
る分野を不幸にした.市場の失敗に対処するために,様々な制度が設計されたのにもかか
わらず,実際の社会で使用された試しがない,ということを経験するのである.その原因
のひとつは,設計された制度があまりにも抽象的すぎた点である.理論と実際の社会とを
つなぐ工学が発達しなかったのである.もうひとつは,たとえ実際の社会で使い勝手がよ
い制度となるとしても,効能書き通りに機能するのかどうか保証がないという点である.
16
西條辰義「実験経済学の方法論:「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクトを通じて」
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たとえば,公共財供給のメカニズムで最も性能がよいとされるピボタル・メカニズムや,
セカンド・プライス・オークションは,実験室の環境では全くといってよいぐらい機能し
ない15.メカニズム・デザインの失敗は,もちろんうまくいっている分野もあるだろうが,
他のミクロ経済学の様々な分野に共通するものである.
一方,18世紀の研究者,たとえばスミスやヒュームは,他者との関係をもっと重視し
ていた.ある意味で,実験研究者は,人間は他者との微妙な関係でさまざまな評価をして
いることを再発見しているといってよいのかもしれない16.
さらには,ニューロエコノミストとよばれる先鋭集団は,fMRIなどを用い,脳をス
キャンすることによって,ブラックボックスをこじ開けようとしている17.様々な経済的な
刺激に対し,脳の反応する部位が異なっていることがわかってきている.たとえば,金銭
的に「スパイト」されている脳はあまり反応を示さないものの,金銭的に「善意」を受け
ている脳は様々な箇所で反応する.いわば,脳の「スパイト・アバージョン」というべき
現象も観察されはじめている18.さらには,「スパイト」をする遺伝子の発見につながる研
究もありえるはずである.
現在,人類学者,進化論の研究者,さらには認知科学者の間で「マキャベリ的知性仮説」
とよばれる仮説が支持されている.この仮説によれば,ヒトは,相手を騙し,欺き,出し
抜くことによって知性を進化させてきた.私たちのいう「スパイト」行動もこの仮説につ
ながりを持つはずである.今後,実験経済学は,伝統的な経済学との交流にとどまらず,
他分野との交流をもつことによって,経済的な人間行動の解明を進めるに違いない.人間
は経済的な刺激にどのような反応を示すのか,という実験研究を通じて,新たな経済行動
理論が構築されるだろう.それを用いる新たなミクロ理論はその有効性を発揮し,再生す
ると期待される.
実験経済学の成果に注目することによって,経済学は実験できない科学であるという従
来の経済学方法論を見直さなくてはならなくなるし,20世紀における新古典派経済学の
意義と限界も明らかになるだろう.そして,18世紀におけるヒュームやスミスといった,
人間行動に関心をもった経済学の創設者を再評価することができるかもしれない.本論文
が,経済学方法論研究者,経済学史研究者の方々に有益な示唆を与えることができるので
あれば幸いである.
&& && and Yamato (2005)参照.
Cason, Saijo, Sjostrom,
Ashraf, Camerer and Loewenstein (2005)参照.
17 私自身,この1年あまり,fMRI (functional Magnetic Resonance Imaging)を用いて,人の心を覗くよう
な研究をジェボンズやパレートは認めないだろうと思い,悲観的な気分になっていた.最近はそうでもな
く,もし彼らが fMRI(つまり,感情に関わる数量情報を計測できる装置)が使える環境を入手するならき
っと使ったに違いないと思うようになってきた.
18 阪大ニューロ・エコノミックス・チームによる研究だが,未完.
15
16
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謝辞:『経済学史研究』編集委員会の皆さん,特に堂目卓生氏,山崎好裕氏にはドラフト
の段階で膨大なコメントをいただいた.記して感謝したい.
西條辰義
大阪大学サステイナビリティサイエンス研究機構
東京工業品取引所市場構造研究所
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