排他的経済水域

日中産学官交流機構
第 115 回中国セミナー
日
時: 2016 年 8 月 31 日
講
師: 河野真理子氏(早稲田大学法学学術院 教授)
テーマ: 「南シナ海に関する紛争と国際裁判」
今年 7 月 12 日、フィリピン対中国の南シナ海紛争に関して、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所
の仲裁判断が出された。中国はこの仲裁裁判手続と判断を認めておらず、国際社会には仲裁判断を
強制執行する仕組みがないことは大きな問題であるが、それでもこの仲裁判断には意味がある。
(海の国際法の発展と国連海洋法条約)
従来、海に関する国際法規則は文字に書かれていない慣習国際法が規律してきた。ところが、国
家間での理解の違いなどで紛争が生ずるケースも多く、国際関係の安定化のために、慣習国際法を
文字にする試みがなされ、さらに条約によって明文化する動きが生まれた。第二次世界大戦後、国
連憲章 13 条 1 項(a)に規定される慣習国際法の法典化と漸進的発達のための作業は、海洋法の分野
でも指示され、国連国際法委員会が海洋に関する条約の草案を作成した。この草案を受けて開催さ
れた 1958 年の第一次国連海洋法会議でジュネーブ海洋法条約が採択された。同条約は、①領海およ
び接続水域に関する条約、②公海に関する条約、③漁業及び公海の生物資源の保存に関する条約、
④大陸棚に関する条約の4つに分かれる。
海洋は伝統的に公海と領海に二分されてきた。しかし、1945 年米国のトルーマン大統領が領海を
越える海域の海底について、米国がその資源開発に排他的権利を持つというトルーマン宣言を発表
し、他の諸国もこれに追随する対応をした。こうした動きによって生まれた「大陸棚」という概念
を取り込んだのが、ジュネーブ条約のうちの、大陸棚に関する条約である。大陸棚という概念は、
海域の機能に対応する区分という考え方を導入するものであったことが注目されなければならない。
その後、海洋に関する国際法規則全体を規律するための条約の必要性が認識され、1973~82 年の
第三次国連海洋法会議が開催され、その結果、1982 年に国連海洋法条約が採択された。この条約は
領海、公海、大陸棚に加え、排他的経済水域(EEZ、Exclusive Economic Zone)と深海底という二
つの海域の区分を新たに設けた。この条約では、領海は 12 海里まで、EEZ は 200 海里まで、大陸
棚については 200 海里以遠についての延長が認められる可能性があると規定されている。12 海里ま
での領海については、無害通航権は認められる以外は、原則として領土と同じように沿岸国の主権
が及ぶ。これに対し、EEZ と大陸棚については、主権的権利の行使が認められることになった。
この国連海洋法条約の大きな特色の一つとして、紛争解決手続の整備を挙げることができる。同
条約第 15 部では、国際裁判所の義務的管轄権を強化する制度が設けられている。
国際社会における裁判制度の整備は、1899 年の第一回ハーグ平和会議以降、急速に進んだ。この
会議で国際紛争平和的処理条約が採択され、常設仲裁裁判所の制度が設けられた。1913 年にハーグ
に建設された平和宮は常設仲裁裁判所のためであった。その後、国際連盟の下で、常設の司法機関
である常設国際司法裁判所が設立され、現在の国際司法裁判所は、その後継機関である。
国連の主唱による外交会議で採択された国連海洋法条約第 15 部は、海洋法に関する国際紛争の解
決について、第 1 節の規定により、国連憲章 2 条 3 項の下での国際紛争の平和的解決義務の趣旨に
活かしつつ、第 2 節で、国際裁判の義務的管轄権を強化するものとなっている。287 条で、当事国
はその宣言によって、①国際司法裁判所、②国際海洋法裁判所、③付属書 VII の仲裁裁判、④付属
書 VIII の仲裁裁判の 4 つの手続を選択したり、優先順位をつけたりする宣言を出すことが認められ
ている。また、こうした宣言の有無にかかわらず、附属書 VII の仲裁裁判の義務的管轄権が、全て
の条約当事国に及ぶ制度が設けられている。
第 15 部第 2 節の義務的裁判制度は、国連海洋法条約の解釈又は適用に関する紛争の存在が証明さ
れ、第 1 節に規定される手続によって当該紛争が解決されず、第 3 節に規定される制限や除外の対
象とならないことの 3 つの条件が満たされている場合に、機能することになる。
(南シナ海に関する紛争事件(フィリピン対中国の仲裁裁判))
フィリピンは、2013 年 1 月 22 日に、国連海洋法条約第 15 部に基づき、南シナ海に関する紛争の
解決のための仲裁裁判手続を開始した。中国はこの手続に応ずることを拒否したものの、2014 年 12
月にポジションペーパーと呼ばれる文書を送付し、その理由を示した。
附属書 VII 第 9 条は、一方の当事者が仲裁に応じない場合でも、仲裁裁判所が管轄権の行使を妨
げられない旨を規定している。
2006年に中国は 298条に規定されるすべての種類の紛争を第 2節の義務的裁判の対象から除外す
るとの宣言を行った。この宣言のため、フィリピン対中国の紛争では、海洋の境界画定、歴史的権
原、軍事活動に関する紛争については、義務的管轄権の行使の対象から除外されることになった。
仲裁裁判所は、ポジションペーパー等で示された管轄権と受理可能性に関する中国の議論を先決
的であると判断し、仲裁手続を管轄権と受理可能性に関するものと本案に関するものに分けること
を決定した。2015 年 7 月に管轄権と受理可能性に関する口頭手続が中国の欠席のなかで行われ、同
年 10 月 29 日に管轄権と受理可能性に関する仲裁判断が出された。この仲裁判断では、フィリピン
が提出した 15 の申立のうち、7 点について管轄権あり、7 点についてもっぱら先決的ではないため、
本案の審理段階まで管轄権の判断を留保、1 点について内容の明確化を求めるという判断が示され
た。
その後同年 11 月に、本案に関する口頭審理が行われ、2016 年 7 月 12 日に最終的な仲裁判断が出
された。仲裁判断の主要な内容は以下の通りである。①中国が主張する九段線は国連海洋法条約が
中国に対して発効した以降は、国連海洋法条約に違反する限り、認められないし、中国が主張する
「歴史的権利」を証明する根拠はない。②フィリピンが国連海洋法条約の下での法的地位の判断を
求めた海洋地形物について、島と低潮高地のどちらにあたるかの判断が示された。また、島と判断
されたものはいずれも、排他的経済水域や大陸棚に対する権原を生じさせるものはなく、領海に対
する権原のみを生じさせる岩である。低潮高地については海洋に対する権原を何ら生じさせない。
これらの海洋地形物の法的地位について、裁判所が、中国の埋立や人工島、施設及び構築物(以下、
人工島等)の建設によって人工的な手が加えられる以前の形状によって判断がなされるべきである
と述べている点は注目される。また、南沙諸島の島に排他的経済水域や大陸棚に対する権原を生じ
させるものは存在しないとの判断も示された②中国がフィリピンの排他的経済水域内で行っている
様々な活動は国連海洋法条約の関連規定に違反し、フィリピンの排他的経済水域に対する権利を侵
害するものである。③中国の漁民と漁船による絶滅危惧種の採取とその方法を十分に規制していな
いことと、埋立や人工島等の建設は、海洋環境の保護及び保全の義務に違反する。④仲裁裁判手続
の開始以降中国が埋立や人工島等の建設工事を加速させたことは、紛争の悪化や拡大を回避するこ
とについての国連海洋法条約と一般国際法の義務に違反する。
以上のような判断は、一部の例外を除いてほぼ、フィリピンの主張を認めるものであると考え
られる。国連海洋法条約及び一般国際法では、仲裁判断には法的な拘束力はあるとされている。し
かし、国際社会には国際裁判所の判決や判断を強制的に執行する権限を持つ機関がないため、仲裁
判断の法的意味を否定している中国に、強制的にこの仲裁判断を守らせることはできない。しかし、
名誉や評判が重要な意味を持つ国際社会において、国際裁判所の判断や判決の法的効力を否定する
ことは外交上、望ましいことではない。それだけに、国際裁判の判決や判断の後の交渉を誠実に行
うことは重要な意味を持つ。仲裁判断の履行やこれに基づく交渉について国際社会がどれだけ中国
に働きかけを行い、これを活かした紛争解決を実現するかがポイントである。南シナ海問題は中国・
フィリピン間の紛争に留まらず、近接諸国や地域外の諸国の利益にも関わるため、同仲裁判断に基
づく交渉の行方が注目される。