こちら

『日本人の英語はちょっとへんかな?』
グエン
ホアン ヴィエット(ベトナム)
日本に住んで、一年ぐらいが過ぎました。日本語はだんだん上手になって、暮らしはもっと楽になりま
す。だけど、時々日本人と英語で話すと、すごく変だと思います。
アルバイトの店で働いていたとき、ぼくは一番働くベトナム人です。チーフは店では英語が上手そうな
人です。だから、ぼくがしなければならないことがわからないと、チーフはぼくに英語を使いました。と
ても困りました。
たとえば、チーフは「ホットウォーター、持って来い」と言いましたが、ぼくは、何か知らない日本の
言葉だろうかと思って、何を持ってきていいかわかりませんでした。それで間違えてしまいました。これ
は変な英語です。日本語で「お湯」のことです。
日本に来たばかりのとき、英語の番組をたくさん見ました。日本の若者は英語をたくさん使いたいよう
です。
学ぶ方法が面白いです。
「one, two, three, four, five, six, seven….」言葉を繰り返すと覚えやすいと
思っています。英語は中学校から勉強し始めます。でも発音がすごくおかしいです。日本人はよく英語を
使いますが、
「アイ ラブ ユー」とか「グッドバイ」とか「サンキュー」とか、間違って発音している
でしょう。
結局、わたしは日本人の英語を聞くのは面白いと思っているけど、たぶん他の外国人はわからないでし
ょう。
だから日本人は英語をちゃんとがんばって勉強してください。
『日本の印象』
せつ
ぶん ふ
薛 汶峰(中国)
わたしは薛汶峰です。今年の一月に中国の上海から来ました。今は青戸中学校の二年生です。
これから三つのことをお話しします。
まず、日本の第一印象は、街が清潔できれいだということです。中国の街は、ゴミ箱が多いのに、街に
はたくさんのゴミが落ちていました。わたしは初めて来たとき、ちょっとびっくりしました。これは一つ
だけの小さなことですけれど、そこから日本人のよい習慣を感じました。そんな行為を見習いたいと思
います。私もそのような習慣を身につけたいです。
次に、学校のことです。最初は日本語がぜんぜんわかりませんでした。だから授業もわからないし、友
達もつくれませんでした。でも、先生とクラスの友達みんなにたくさんのことをたすけてもらいました。
日本人は、本当にやさしい人たちだ、と思います。みなさん、ほんとうにありがとうございました。
最後は、二年生になって入部した吹奏楽部のことです。中国では部活の経験がありませんでした。私は
日本に来る前にクラリネットを習っていました。中国の学校の吹奏楽団に入っていました。でも、日本の
部活のほうが厳しいです。中国では週に三回練習しました。でも、日本では毎日練習しています。ときど
き土曜日にも練習があります。夏休みには、二週間連続で練習しました。みんなお弁当を持って来て、一
緒に食べました。その時、
「一緒に食べよう。」と私に言った人がいました。びっくりしました。そして、
うれしかったです。すぐその人と友達になりました。部活は、つかれるけど、みんなで一生懸命練習しま
した。厳しいのに、誰も文句を言いません。こんな態度はほんとうにすごいと思います。中国の吹奏楽団
の先生は、
「日本の吹奏楽部はすごいぞ。
」と言っていました。その理由が今、はっきりわかりました。
これからも、日本で勉強したいし、友達もたくさん作って暮らしたいです。だから、これから、日本語
もいろいろなことももっともっと頑張りたいです。もし、外国の人が私のクラスに来たら、わたしはきっ
と助けてあげたいと思います。みんなに助けてもらったので。そう思うのです。
以上です。ありがとうございました。
コノック・ジョリファ・イスラム(バングラデシュ)
みなさん、こんにちは。わたしの名前は、コノックです。
一年まえにバングラデシュから来ました。今は、おかあさんと一緒に金町に住んでいます。
わたしは、日本語が上手にしゃべれません。今、木曜日の日本語教室で勉強しています。
去年、日本語教室のバス旅行で、福島のハワイアンズへ行きました。そこで、おかあさんが一緒にお風
呂に入りに行きましょう、といいました。お風呂に行ってみたら、みんながはだかだったので、とてもび
っくりしました。わたしは、おかあさんの手をつかんで、いそいで逃げました。どうしてかというと、バ
ングラデシュでは、人と一緒に裸になる習慣がありません。
あともう一つ驚いたことは、日本では、女の人が結婚するのが遅いことです。バングラデシュでは、20
才で結婚するのがふつうです。
まだほかにも、驚いたことはたくさんありますが、機会があったら、そのとき、お話しします。
みなさん、最後まで聞いていただき、ありがとうございました。
『I love Japan
大好きな日本』
千葉
雄貴(フィリピン)
皆さん、こんにちは。僕は千葉雄貴と申します。今は都内の大学でグローバル・コミュニケーション
学部を専攻しています。
僕は 8 年前の小学校 6 年生のときに、フィリピンから来ました。本日は、僕がどのようにして日本
語を学んできたかをお伝えします。
僕は日本人の父とフィリピン人の母の子として日本で生まれ、6 歳まで日本で過ごしていました。し
かし母は、幼稚園を卒業したばかりの僕と、3 歳の妹をフィリピンの実家に預けました。母は、一人日
本に戻り、一生懸命仕事をして、生活費を送ってくれていました。フィリピンの親戚は僕と妹をよく世
話してくれたので、少しも寂しくありませんでした。そして現地で過ごし、日常生活や学校では英語で
会話していました。
5 年後、母は僕と妹を日本に呼び戻してくれました。僕は小学 6 年生、妹は小学 2 年生として、日
本の小学校に編入できたのです。しかし、フィリピンで長く生活していたせいか、僕と妹は日本語をほ
とんど忘れていました。
小学校の担任だった先生が少し英語を話せたので、先生とは話せたのですが、みんなとどう付き合っ
ていいのか、日本語が話せないから友達ができないのではないかと、僕は不安になりました。しかし程
なくして通訳の櫻井先生が来てくれました。校長先生が教育委員会に要請してくれたのです。桜井先生
は、僕と妹を教室から呼び出し、図書室で日本語を教えてくれました。ひらがなやカタカナ、漢字の音
読練習、なかなかすぐには覚えられませんでした。
それでも櫻井先生は、僕と妹を励ましてくれたり、教科書に読み仮名を振って読みやすいようにして
くれました。そしていつの間にか、学校の行事や決まりごとなど、いろんなことがわかって、クラスメー
トたちと楽しく話せるようになりました。
それから、せっかく英語圏から来たのだから、英語を忘れないように英検を受験するように言われま
した。そして小学 6 年生のときに準 2 級、中学 1 年生のときに 2 級を取得しました。英語力のおかげ
で僕は、高校受験、大学受験を突破することができました。
桜井先生が来てくれなかったら、僕は、日本語は難しい、フィリピンに帰りたいと母に言っていたかも
しれません。
今の日本では、外国から転校生が多く来ています。最近では外国籍の児童、生徒たちのための日本語を
指導するボランティアがあることを知り、とても素晴らしいことだと僕は思いました。今後も日本語を
教えてくれる施設がたくさんできたらいいなと考えますし、グローバル化が進んでいる今、日本は外国
人をたくさん受け入れるべきだと強く考えます。そして、いつか僕も、日本のことや日本語を教えるボラ
ンティアに参加したいと思っています。
以上でスピーチを終わります。ご清聴ありがとうございました。
タフィフィエット
モハメッド
(アルジェリア)
みなさん、こんにちは。
わたしはモハメッドと申します。アルジェリアからきました。
アルジェリアは、アフリカの北にあります。残念ながらほとんどの日本人はアルジェリアについてよ
く知りません。アルジェリアの料理はすごくおいしいので、みなさん、アルジェリアのことをもっと良
く知ってください。
今日のわたしのスピーチは、日本での出来事です。
はじめて日本に来たのは 3 年前で、6 ヶ月間のインターンシップでした。そのときのわたしの目的
は、たんにインターンシップを終わらせることでした。そして、わたしが大学で勉強しているフランス
に戻ることでした。しかし、2、3 ヶ月たったら、気持ちが変わって、また日本にもどって仕事をしよ
うと決めました。
それで、フランスに帰ったあと、日本で働く準備をしました。
今は、日本で働いています。東京では代々木上原、後楽園、亀戸など、いろいろな場所に住みまし
た。
外国では誰でも失敗することがあります。
わたしの一つの失敗を聞いてください。
あるとき会社に向かうとき、電車の中でたくさんの女性がわたしを見ています。わたしは(今日はラッ
キー!) と思いました。しばらくすると、一人の女性が来て、「この車両は女性専用車」といいまし
た。
日本でたくさんの場所に行きましたけど、つぎは、旅行について話します。
ある日、友達と日立海浜公園に花を見にいきました。しかし、その時期 花はほとんど咲いて言いま
せんでした。けれどジェットコースターにのったり、ピクニックしたり、泳いだりして、すごく楽しか
ったです。
今ではすべて楽しい思い出です。
これで、わたしのスピーチを終わります。
『日本と韓国の文化の差について』
り
李
こうしょう
光 鍾 (韓国)
皆さん こんにちは!
日本で長年生活しながら感じたことで、日本と韓国の文化の差がたくさんある中で、いくつか面白い
部分がありますので、ご紹介したいと思います。
その一つが、日本の花はさくらですが、毎年各地で「さくらまつり」が開催されます。実ににぎやか
で春の陽気に相応しい楽しい祭りであります。
一方、韓国の花は「むくげ・ムグンファ」ですが、ムグンファ祭りを開くこともないゆえに、もしか
してムグンファがどのような形をしているか分からない人もいるかもしれません。
あと二つ目は、皆さんが駅のホームで電車を待つ際に、流れる放送の内容をよく聞いてみると、ここ
でも違いが微妙にあり面白いと思います。
日本では「ただいま、電車が入ってきます。危険ですので、安全線の内側に立ってお待ちくださ
い。
」と電車より人のためのような放送とわかります。
韓国の場合には、
「ただいま、電車が入ってきます。危険ですので、安全線の外側に立ってお待ちく
ださい。
」となぜか「人より電車のためのような内容」のように感じることを発見しました。
最後に三つ目は、日本の「君が代」の歌詞を聞いてみると、「小さい石が大きな岩になるまで・・・」と
いう内容になっています。
一方、韓国の「愛国歌」の歌詞には、
「東海の水が涸れてなくなるまで、あと一番高い山が削れなく
なるほど小さくなるまで」という内容になっています。
このように日本は、大きくなっていくことを表現しているし、韓国は、なくなっていくことをあらわ
す意味の歌詞で構成されております。
ムリイカ
アーネスティ(ウガンダ)
みなさん、こんにちは。お元気ですか?
はじめまして。
わたしの名前はムリイカ・アーネスティです。ウガンダから来ました。
ウガンダについて皆さん知っていますか?
ウガンダは小さな国です。アフリカ大陸のケニアの隣にあります。ウガンダでは、日本だと動物園で
しか見られない動物たちをとても近くで見ることができます。たとえば、ゴリラやキリン、動かないこ
とで有名なハシビロコウという鳥などです。他の動物も見られます。
そして、ウガンダには寒い冬がありません。寒いのが苦手な人は、ぜひ遊びに来てください!
日本に来て 14 年になりました。
日本に来た時、一番面白かったのはタクシーに乗る時ドアに触らなくても開いたこと、運転手さんが
白い手袋をつけていたことです。ウガンダでは、見たことがありませんでした。
そして、箱根で見つけた黒い卵には驚きました。1 つ食べると 7 年長生きできると聞いて、わたしは
4 つ食べました。
日本で驚いたこともあります。
それはみんなマナーを守るということです。
例えば、バスを待つ間、最初に並んだ人が最初に乗ります。他の人もちゃんと並んでいます。これは
うらやましいです。
日本に来て驚いたスポーツもあります。
それは相撲です。大きな人が洋服なしで、びっくりしました。
あと、わたしの経験は、日本では仕事の時間とプライベートの時間がはっきりと分かれていること。
わたしの社長は仕事の間はとても厳しいのに、5 時(定時)になると仲良くなります。
このようは経験を活かし、私はいつか自分の国ウガンダで、困っている日本時がいたら通訳として助
けられるように、そのために日本語をもっと一生懸命勉強しようと思います。
継続は力です。
皆さんも目指していることを諦めずに、毎日少しずつがんばりましょう!
ご清聴ありがとうございました。
『化粧文化の違い』
げい
倪
しゅくらん
淑 蘭(中国)
今日は化粧についてお話しします。
国によっていろいろな文化があります。それぞれの文化いろいろな特色があります。例えば、皆さんが
ご存知のように、中国と日本と韓国は化粧文化が違います。韓国は整形がすごくうまいし、日本人も化粧
が上手ですが、中国人はあまり化粧しない人もいるし、厚く化粧する人もいます。
外国では化粧しないことがマナーに反すると思っている人もいます。日本では年を取った人も化粧し
ています。化粧している人が多いみたいで、いろいろな場所に化粧室があるし、時々電車の中で化粧して
いる人も見かけます。韓国にも多いです。でも中国では少ないです。多くの人はその分の時間を睡眠にあ
てたいと思っています。写真を撮るときとかパーティーをするとき、少し化粧します。
アメリカの実験によると、化粧した人のほうがまったくしない人より仕事の能率が上がったそうです。
うれしい気分になるからです。でも、厚く化粧すると気分が悪くなります。中国でスッピンが多いのは、
そういう文化じゃないからなのでしょう。
化粧にはうれしい気分にさせたり、悪い気分にさせたりするという効果があることがわかりました。で
も私自身は面倒くさいことが嫌いだし、化粧のために朝早起きするのもいやなので、化粧はあまりしな
くてもいいと思っています。
に
ほ
ん
は は
『日本で母になる』
かわの
河野 キムサ
わたし
し しゅっしん
か わの
さくねん
にほんじん
ど うじ
ふ あん
みなさん、こんにちは。 私 は、ベトナムのホーチミン市 出 身 の河野キムサです。昨年、私は、日本人
だんせい
けっこん
げんざい に ほ ん
す
の男性と結婚をして、現在日本に住んでいます。
こ とし
はじ
にんしん
し
うれ
今年、私は初めて妊娠をしました。私は、妊娠を知ったとき、とても嬉しかったと同時に、とても不安
しゅじん
か ぞく
す
な
になりました。それは、主人や主人の家族もいますが、私の家族はベトナムに住んでおり、まだ慣れない
に んぷ
ふ あん
かん
日本で妊婦として生活することに不安を感じたからです。
き ょう
せいかつ
はな
まいつき
びょういん
い
今日は、妊娠をしてからの私の生活について話します。妊娠をしてから、毎月、病 院 へ行っています。
ま
おどろ
よ やく
ま
しんさつ
う
先ず 驚 いたことは、インターネットで予約をして、あまり待たずに診察を受けることができることです。
ば しょ
い
し
はたら
ひと
それから、病院がきれいで、場所もわかりやすいことです。そして、医師や病院で 働 く人たちが、とて
しんせつ
い
かえ
なか
すわ
しんせつ
せき
ゆず
も親切にしてくれました。また、行き帰りのバスの中でも、座っていた人が親切に私に席を譲ってくれま
あらた
べ んり
した。妊婦になって、 改 めて日本の便利さと日本人の親切さを知ることができました。そして、私は不
き
も
あか
安な気持ちもだいぶなくなり、明るい気持ちになれました。
ぶ んか
し
むかし
か げつ
いぬ
ひ
妊娠をしてから、日本の文化も知りました。日本には 昔 から、妊娠5カ月の最初の「戌の日*」に妊婦
はらおび
し
じ ぶん
あか
けんこう
き がん
とうきょう
すい てんぐう
が腹帯を締めて自分と赤ちゃんの健康を祈願する文化があります。私は「戌の日」に、東 京 の水天宮へ
き
あたた
くに
はらおび
行って来ました。ベトナムでは、そういう文化がありません。また、ベトナムは 暖 かい国なので、腹帯
なか
ひ
こ
おお
す
をすることもありません。しかし、腹帯をするのはお腹を冷やさないためと、お腹の子が大きくなり過ぎ
い
み
りょうしん
おし
ないようにする意味もあると、主人の両 親 が教えてくれました。最初、私は腹帯をすることに慣れませ
たいせつ
んでした。でも、お腹が大きくなってくると、腹帯をする大切さがわかってきました。今日もしています。
かたがた
でんとう
たいけん
なか
私は、日本に住む多くの方々に親切にしていただき、日本の伝統文化を体験していく中で、日本で母に
じ しん
も
げ んき
う
いっしょ
ご
べんきょう
なる自信を持てるようになりました。元気な赤ちゃんを産んで、
一緒に日本語や日本のことをもっと勉 強
たの
せいちょう
して、日本の生活を楽しんでいきたいです。ご清 聴 ありがとうございました。
た さん
さん
かる
ちな
*イヌは多産でお産が軽いことに因んでいるといわれている
『面白い重なることば』
そん
孫
ぎょくせい
玉 清(中国)
こんにちは。孫と申します。7 年前に、中国から来ました。今回初めてスピーチしますので、ここに立
っていて、とてもどきどきしています。
最初、日本に来たときは、日本がぜんぜん通じないので、日常生活や仕事をするときにまごまごしてい
て本当に困ったんです。わたしには、日本語の助詞を使うことと、動詞のいろいろな変化は、すごく難し
いです。頭がごちゃごちゃになって、毎日いらいらしました。
最近、勉強していて重なる言葉がたくさんあることを発見しました。
重なる言葉は、擬音語と擬態語などです。例えば、わざわざ、ぴかぴか、さらさら、すやすや、ごろご
ろ、などいっぱいあります。
わたしが面白いと思った重なる言葉を使って、文章をこれからお話します。
重なる言葉は、日常会話の中では、なかなか多いんです。例えば、
「今年の夏休み前は、仕事がどんどん入っていました。その間、ずいぶん忙しくて、一日中ばたばた走り
回りました。家に帰ったとき、もうくたくたになりました。お腹もペコペコになったから、すぐにおいし
いものをがつがつ食べます。
」
「日本語の発音を間違ったとき、友達に陰でくすくす笑われた。
」
「わたしのスピーチ担当講師の高島先生は、いつもニコニコしている。やさしいですね。
」
「日本語を学べば学ぶほど、ますます面白くなりました。いまはまだまだですので、今後、もっとこつこ
つ勉強して、ぺらぺら話せるようにします。
」
そろそろ終わりますが、だんだん寒くなってきましたので、皆様は風邪など引かないようにしてくだ
さい。くれぐれもお体を胎児になさってください。
ありがとうございました。
『日本と韓国の食文化』
な
羅
じょんみん
正 珉 (韓国)
私は今日、日本と韓国の食文化についてスピーチしようと思います。
皆さんは、韓国と日本の食文化のどこが似ていると思いますか。われわれが良く知っているのは、米を
主食として汁やおかずと一緒に食べる、キムチや味噌、納豆のような発酵食品が多い、箸を使う、などが
挙げられます。
私は韓国の大学で日本語と日本文化を専門として勉強しました。ある日、茶道について勉強していた
とき、私は妙なところで日本の茶道と似ている文化があることに気づきました。それはなんと、韓国の
「お酒文化」です。おかしいと思うかもしれませんが、実際に少し似ています。
まず、茶道では一つの茶碗で正客から順番に回して飲みますが、それは韓国の飲み会にもあります。会
社の飲み会で社長や部長など、その飲み会で偉い人から 1 つの杯にソジュ(日本語でいうと焼酎)を注
いで、飲んだら次の肩書きの人が同じ杯で飲みます。その順番で平社員まで飲んで、本格的な飲み会が始
まります。韓国ではこういう行為を「杯回し」と呼びます。一回だけでなく、飲み会中何回も繰り返しま
す。最近は、お酒が飲めない人のためや衛生上の問題などで、杯回しをしない会社も増えていますが、今
でも活発に行われています。大学の飲み会でも、一番上の先輩から一番下の後輩までこの杯回しをする
こともあります。
次に、茶道では濃い茶から飲み始めて、薄い茶で終えます。韓国のお酒も同じで、始めは普段焼酎みた
いな度数が強いお酒から飲み始めて、ビールなどの弱いお酒で飲み会を終えます。
これまで日本の茶道と韓国のお酒文化の似ているところについて話してみました。わたしの大学の教
授もそうでしたが、ただバカみたいな仮説だと考える人もいると思います。しかし私はこの文化はきっ
と昔のどこかで同じルーツから始まったと思います。これからも機会があれば、この文化について研究
してみるつもりです。
以上で私のスピーチを終わらせていただきます。ありがとうございました。
ラビア・アヘヤ(モーリタニア)
みなさん こんにちは。わたしの名前はラビアです。アフリカのモーリタニアから来ました。東京理
科大学の学生です。去年の四月に日本へ来ました。
日本に来た理由は、日本の科学が進んでいるのでぜひ日本で研究をしたいと思ったからです。
私の専門は、通信工学です。その中でもアンテナの研究をしています。
アンテナは携帯電話とか、テレビなどの、いろいろなところで使われていますが、アンテナの技術の
研究では日本はトップレベルです。だから、私はアンテナを研究しようと思って、日本へ来たのです。
国にいたときは、日本語を勉強していませんでした。ですから、日本へきた時は日本語がぜんぜん分
かりませんでした。そのせいで失敗もしました。
砂糖を買いに行ったとき、一回目は片栗粉を買ってしまいました。二回目に買ったのは、塩でした。
三回目でやっと砂糖が買えました。
日本に来て始めて、東京外国語大学で日本語を勉強しました。文法や日常会話、そしてひらがなやカ
タカナ、漢字も 300 語ぐらい勉強しました。東京外国語大学の先生は、教え方がとても上手なので、
4 ヶ月の勉強で、もう、日常生活の日本語が話せるようになりました。
東京外国語大学の後で、日本語の勉強を続けて、日本のいろいろなところへ旅行したり、日本の文化
についていろいろなことを習ったりしています。これからも、日本の文化を学んで行きたいと思ってい
ます。
これで私のスピーチを終わります。
ご清聴ありがとうございました。
<以 上>