Untitled

白い海で死ね
Restaurant of the dragon
三浦海岸
油屋 秀
陽子がパター・グリーンとプールが見えるリビングでテレビを見ていると渋谷駅
ハチ公前で中継している合羽にビニール傘のアナウンサーが「大変なゲリラ豪雨
だ!」といって中継していると傘は強風で一瞬にして逆さ竹箒のようになってい
た。
「わあ、凄い雨」
東横線の改札を左に進む西側出入り口に立ちすくんでいるOLは落とした定期入
れが流されて排水溝に吸い込まれて、もう嫌だわ、こんな雨。予報も出ていなか
ったのに。と嘆いている姿が映されていた。
「うわあ、ひどいなあ、明日からの海は無理かしら」と諦め気分で少し楽しみを
延期するしかないのかなあと思っていると今度は中継地点が切り替わり「あ、な
んだ、いけるじゃん」江ノ島では雲ひとつない晴天へと早変わりして夏休みに入
った小学生が「こんにちは。今からで∼す」といってカメラに向かってそれぞれ
がモグラ叩きのように飛び跳ねてピースサインを出しながら水族館に並んでいた。
その夜のニュースでは関東にも梅雨明け宣言が出されていた。
「あれ?梅雨明けだって、やったあ、お母さん、週末みんなと予定通り三浦の別
荘に行くからね」という陽子にメイドのひとみはリビングの新聞やゴミ箱のくず
を集めながら「そうでしたわね。お掃除が終わったと今日のお昼に電話がありま
したよ」と答えていた。
母は夕食の支度をしながら「あら、週末って明日からじゃない。そうだったわね。
気をつけていきなさいよ。運転手にお願いするから時間を決めてね」と忙しそう
にしていた。
テレビ中継の来ない三浦海岸を都内では海水浴場と呼びビーチとは呼称しない。
そのニュアンスの違いを外国人に伝えるのはもっと難しい。
江ノ島よりもず∼と落ち着きがあるのだが、地元民は先行きを危惧するわけでも
なく、いつもこれくらい暇なんだとそんなことは気にもせずのんびりしていた。
三浦市役所ではマリンパークを筆頭に、城ヶ島、三崎マグロ、三浦のイカ、スズ
キ、アジ、子鯛、わかめ、蛸漁が盛んで「美味いから食べにきてくれ」とホーム
ページに謳って頑張ってはいるがウエブ検索して観光地を検索する若者の間では
サイトの見栄えがいまいちでローカルさが抜けきれない案内を見ると昭和か?と
いってメジャーな施設だけのホームページを探して三浦海岸より江ノ島方面の観
光を選択してしまう。「もっと考えてホームページも頑張れよ」と詳しく閲覧し
ないうちに流されていた。
若者の観光客が云うにはマリーナが見える海岸はビーチで漁港が見える砂浜は海
水浴場だというらしい。
悔しいけれどイメージに勝る鎌倉に観光客を奪われて三浦氏の怨念を恨む日々が
続いていたが、一部の住民は少ない応援をバックにひそかに無謀な逆転を狙って
いた。
三浦海水浴場の客達が海岸から直ぐ南東に見える金田漁港の朝市を利用するまで
になるには海水浴場の中にある店舗に飽きるほど常連にならないとそこまで足を
伸ばして食材を確保してみようとなるのは難しい。
神奈川の港といえば東京では「三崎マグロ」の三崎漁港となる。
金田漁港なんて知らないのだ。
朝市で取れたての蛸を出している爺さんの蛸は河豚の刺身のように大皿の薄造り
で食べさせるのが本物だともっと人気が出てもおかしくない料理だったが、自慢
げに自分の息子が経営している料理店を客に勧めていたが三崎のマグロには到底
勝てるわけがない。と思っている観光客にアピールできる地盤がなかったことを
知る由もない。
蛸壺漁は老人でも続けていける仕事なのでやっているだけなのだが今の客にはイ
ンターネットで良く聞こえるほうが都合も良いし食材が美味くみえる。
東京都民にもあまり知られていない蛸とアジ、鯖は下関の「あれ」に負けないく
らいの脂ののった大物があがることが自慢だったが知る人は少ないのはそのせい
ではないと言う観光客も少しあるようだが。
そんな宣伝が下手な行政に不満を転嫁しながらも頑張って江ノ島に勝とうと地元
を盛り上げようと奮闘する人たちもあるのだ。
「シーサイド」はその名の通り浜辺のレストランだった。
勿論、蛸も脂ののったアジも鯖も三崎マグロも取り入れたディッシュもある。
少し人気の三崎マグロは三崎漁港の一部をゲストバースを開放していることでマ
リンレジャーを楽しむリッチマン達がクルーザーやヨットを停泊させて優越感に
浸りながら買い物が出来るようように設備もしてあった。
週末になれば一年を通して観光客が訪れるこの三崎漁港のマグロは人気の食材と
して知られてはいるが期待する伸びがいまいちだった。
海辺にあるレストランのイメージは客にわざわざ伝えなくてもインスピレーショ
ンによって訪れる客が勝手に決め付けているのだが期待に背くはずもない。
当然、浜辺にあれば毎日新鮮な食材を自分達で釣り上げて調達することも可能な
のだ。
パステルカラーのブルーと白で彩られたその佇まいは三浦の砂浜には似つかわし
くない。
いやいや、仮に江ノ島にあってもそこだけが南海のリゾートを思わせ、アラジン
がいれば魔法の絨毯に姫様を乗せて飛んでくるような佇まいだった。
「シーサイド」を訪れるとき。
藤堂龍一は20歳を過ぎてもこの店のカウンターの北端が指定席だった。
子供のころからの遊び場。
自分の居場所なのだ。
いつも同じようなデザインでとてもおしゃれとはいえないTシャツと海パンでゴ
ムぞうりといういでたちの龍一に「お、リュウちゃん!」と云うのは店の店長三
階に住む横山だった。
「はい。レモンサワー」
「あ、はい」
何も言わなくても水がわりに出てくる。
子供の頃から座っている籐の椅子。
テーブルに出てくるドリンクが代わったぐらいだ。
パステルブルーにペイントされた木造の手摺に囲まれたウッドデッキには真ん中
に重厚な布が張られたパラソルが立つラウンドテーブルが並び、濃いブルーと白
いベルトで編みこまれたアルミのパイプチェアが良く似合う。
レストランフロアにはテーブル席が8席あり、東側に厨房がある。
二階のテラスは閉店後横山たちのベッドにもなるビーチパラソルとサイドテーブ
ル・デッキチェアが4セットある。予約が詰まっているこのスペースは恋人達が
パラソルの日陰で寛ぎ語り合う姿が旅行のパンフレットによく出てくるそのもの
だった。
海側のジャグジーは水着姿で疲れを癒す場所として昼間はクールゾーンとして2
階のウエイトレスも「ザブン」と飛び込んで涼みに利用し、夜にはバスとして利
用する。三階は横山の自宅だった。
横山たちのもう一つの二階での楽しみは龍一が説明するアイフォンの星座標アプ
リを利用して観る星空だった。
装備のカレンダーを見れば何時何処に流星群が活発になるとか、天体の位置や星
座名がその方向に示せば直ぐに星座表が現れて確認できるうえ、ただ星を見るだ
けではなく画も見ながら神話の話をする。
その場で地球の裏側に位置する星座も見える。素早く北半球、南半球から確認で
きる星は全て網羅されて、海外にいたとしても使う事が出来るし星までの距離や
光度、検索機能も充実していて素人でも簡単に確認できる楽しみがあったのだ。
横山が部屋から持ち出す望遠鏡で見る星空やマンションの部屋の出来事もいい笑
い話になったりした。
一階のひさしで守られたカウンターにはハイビスカスがところどころに置いてあ
る。
冬には小さなクリスマスツリーが飾られ、カウンターの下にある荷物入れが足湯
にかわる。
「シーサイド」から砂浜へのアプローチはウッドのスロープが幼児でも安全に出
入りできるようにと段差のない坂になっている。
時折スロープに被った砂ですべって「おっととっと」と転びそうになったりする。
そういう災難にはスロープは有ったほうがいいのか悪いのかが疑問だった。
海側の手摺の直ぐ横にある数本のパームツリーの大きな葉が日差しを和らげ、海
風に揺られてさらさらと音を立てた。
波の音と風がその合間から入ってくる。
鬱陶しい夏の暑さがロケーションで相殺されるのだ。
早朝と夕日はパネル写真で見るサンタモニカのようだ。
今日は少し若者の楽しげな音響にかき消されて少し様子が違っていた。
冬には恋人達の思い出の場所に変貌するが、夏の「シーサイド」は女の子狙いの
男達がしのぎを削るアバンチュール、メインリゾートらしき一面を持つのだった。
浜に並んでいる「海の家」には家族連れも多く訪れてにぎわいを見せるのだが、
此処は南の島の楽園のような少しの高級感とリゾート感覚のあるおしゃれな雰囲
気が売りだった。
20歳になった陽子は毎年友人と海水浴に訪れ、「シーサイド」で楽しんでいた。
すぐ裏にはプールつきの別荘がある。
気取って過ごしているようにみえる別荘より、若者がわいわい楽しむ「シーサイ
ド」がいいのだ。
大人になった女達は誰もが男達に見てもらいたい欲求とナンパされるスリルを味
わうことも女としての楽しみとプライドだったりした。
今日はブルーの水着にレースのロングカーディガン、大き目の麦藁帽に白いサン
ダル姿で訪れた。
ビーチへグループでのバカンスを楽しむ女達の多くは誰から順番に声をかけられ
るのかをランチを賭けたりして遊んだりする。
通いだして15年近くになるが、親無しで訪れるのは4年目だったがシーサイド
に立ち寄り、いつかはと心が求め、期待する思いがあったりする。
高級な洋服での外見とは違い男性とは一度もデートをした経験がない事は家族も
含めて誰も知らない秘密だった。
「いらっしゃい。今年も宜しく」久し振りの客の来店は懐かしくも嬉しいもので
自然に横山の顔も笑顔になる。
「藤堂さんってあの人だよね。私を病院へ運んでくれた人」と陽子は確認するよ
うに横山に尋ねた。横山は来るたびに龍一の様子をそのように尋ねる陽子の心中
を察しながらも返事をしていた。
「またかい、陽子ちゃん、そうだよ。俺が抱っこしてね。何度も話したでしょう。
なんならリュウを呼んであげようか?」といって告白してみろよと背中を押した
い気分を伝えていた。
何年経っても成熟しない恋愛無知の陽子には親という大きなフィルターによって
触れることが無かった感情を成長させることだけが止まって子供のままだった。
自分から声をかけられない陽子はいつも少し離れた場所から龍一を見ていた。
「あ、だめだめ、話ができないもん。でも暫く観てなかったから。感じが変わっ
たなあ∼って!みてた」
「ああ、ちょっと色々あってね。それより注文はどうするの?いつものでいいの
かい?」
横山は子供のままの陽子が聞く龍一の所在は挨拶代わりに受け取って軽くあしら
うことにしていた。
「はい。店長。フラッペね」といって海開きの後、最初に注文するのはだれもが
その店で一番のお気に入りメニューが記憶からでてくる。
しかし、ここでいうフラッペはカクテルグラスに細かく砕いた氷をつめてリキュ
ールを上から注いで短いストローで飲むものでは無く日本のカキ氷だった。
どんな店にもどこかに必ず小さな期待をかなえてくれるものがあってそれを見つ
けた旅人はまた帰ってきたくなるのだ。
「イチゴでしょ」と顔を見ただけで注文の品が思い浮かぶのは横山にとっては気
に入っている客だけだ。
客の好みのメニューも数年たてばただ覚えているのではなく顔と一緒にメニュー
が記憶のカメラに写っていた。
「お友達の美人様方はなにがいいですか?」
「はい、美人のわたし、ん∼、ちょっと待ってね」
「こっちの美人の私も考え中!」
その夏、帰って来た客が注文したいのは飲み物や食事だけではない。オーダーの
ようには言葉に出さないが模様替えするインテリアのようにその部屋に溶け込ん
でいる人たちの顔を見つけることもまたうれしいのだった。
陽子はグラスを片手にカウンターの端にいる龍一を「あ、いた」とチラッと観て
いた。龍一は両肘をカウンターにつき、両手で顎を支えてボ∼としている。
あの人はインテリアではなく執事かな?
「おじさん?何がおすすめ?」
「おれ?」
横山さんは門番か爺やってとこか?へへ。
「おじさん?って」と呼んで真由美がまた横山にお勧めを催促してきた。
「やめてよ。おじさんは。陽子ちゃんに聞いたほうが速いんじゃ、ないかなあ」
「っはは。そっかあ」
「何笑ってんの?」
「っへへ。やっぱりフラッペでしょう」
「じゃ、おじさん。それにするわ」
「結局、いっしょかい?」
「へへへ」
「はい、了解です。待っててね」
成人してからも親の言いつけを守り、習い事や勉強に明け暮れ、送り迎えの生活
には殆ど他人が入る隙間はない。
見合った家系との縁組を期待する思惑の中での生活は苦しいだけだった。
習い事、親の教えは危ないことに興味を持ってはいけない。増して見知らぬ男に
近寄られることは危険極まりない。
「私っていったい誰?自分ってどういうひとなの?」そんなこと、と今更、子供
の躾にはどうかと思うこともある。何もかもが決められている環境での生活、箱
入り娘とはこういうものだった。
やっと会えたのだ。
今まで何をしていたのかしら?三年間近く姿を現さなかった。でもやっぱり同じ
席に座っているわ。よかった。
どうしていなかったのかなあ?以前のようにいつものカウンターに居るけど、ち
ょっと手伝っている姿は以前よりも格好よくなったのかなあ。「えへへ」と姿を
チラチラ見ながら考えていた。
世間知らずのお嬢様の怖いもの見たさがあった。
客がどんどん入ってくる。
「あ、いらっしゃいませ」
「店長、カキ氷、いちご。ね」
「私たちも同じのね」
「はい。了解しました」
あの子達もフラッペかあ。
忙しくなると「リュウ悪いけど、イチゴフラッペ、スリー、頼める?」と家族に
でも頼むように仕事をさせられる。
龍一はいつものように返事をしないでそっと椅子を降りるとカウンターに入って
手を洗い、フラッペをボ∼としながら無言で作る。
ぶっきら棒な人間のようにみえる作り手の見た目とは違った出来のフラッペがカ
ウンターにあがる。
冬には人気のイチゴシロップと濃いグリーンの抹茶、練乳で出来上がる通称クリ
スマスツリーが人気のメニューだった。
「できましたよ」と小声で指示して手を洗うとまたカウンターの席へ戻る。
「うわ、あれ、みて、みて、クリスマスツリーみたいだ」見ていた女の客が騒い
でしまう出来栄えだった。
「わ∼。ほんとだ。すご∼い」
店長のとは違ったデザインに仕上がる龍一のフラッペだった。
「あ、まったあ、リュウ、俺と差をつけるなって頼んだでしょう。あ∼。まいる
なあ」
陽子はストロベリーフラッペがお気に入りだった。
「あ∼、あっちのほうが美味しそうだよ。店長」
「いやあ、量は一緒くらいでしょ」
「そうそう、量よりリュウだよね。陽子」と云う真由美を見て陽子はちらっと龍
一を見て赤くなっていた。
「やめてよ。聞こえるでしょ」
「あ∼、おじさん。仕方ないわ、今度はあれでお願いしますよ」
「だからさあ、おじさんはやめてよ」
「ほんとだよね。あ、私、もうないよ」
「かんべんしてくださいよ」
「氷がなくなると暑∼いねえ。まったく」
「ねえ、海、入ろっか?」
「私、まだ氷が残ってる」
「じゃ、先に行くよ?」
「幸、どうする」
「いくいく。陽子、先に行くよ」
「うん。直ぐ行くからいいよ。先に行ってて」
陽子を置いて、真由美、幸子、弘子は遊び慣れた様子で周りにも気遣いしてから
店を出るとキャッキャと騒ぎながらバッグを掴んで浜辺へ向かって行った。とい
っても直ぐに見える距離だった。
「うわあ、アッツいわあ」デッキの客達が「どうした」と思わず見てしまうよう
な声をあげた真由美達が 直射日光と焼けた砂浜に飛び出していた。
「ヨウコ!あっつーいからね」飛び跳ねながら進んで振り返った幸子の目は一本
線だった。
「あははは、わかったぁ」
特に砂が焼けて熱いのだ。
ウッドデッキから海岸を見ると顔が暑くなるし眩しい。かといってサングラスは
しない。大きめの麦わら帽子が好きだった。
店員はショートパンツ付タンキニ&ワイヤービキニでエプロンをして運んでいた。
オヤジ達が「いいねえ」といいながら舐めるように眺めても日に焼けた顔に白い
口紅が戦闘モードの渋谷のギャル?ぽい化粧で立ち回り「そう?」といって愛想
よくポーズしてオヤジを切り捨てる姿は頼もしかった。
彼女らは汗をかけば走って海に飛び込み、シャワーを浴びたりして戻ると褐色の
肌を水滴がはじけ落ちるのを見せてはまた給仕していた。
また、オヤジたちは「おお∼」といって喜んだ。
横山が見渡すと客達の大半がフラッペを楽しんでいるのだが、何故だか水もよく
飲んでいた。それほど暑く乾いていくのか?「飲み物のお代わりはいかが?」と
聞く女の子の店員が客のグラスに水を注いで回っている。
「いらっしゃいませ。あついですね。ゆっくりしていってくださいね」オヤジた
ちの暑苦しい視線を浴びながらも颯爽と仕事をこなす黒く焼けたその姿もカッコ
イイなあ。と見ていた。
横山も落ち着くとカウンターへ戻り、洗い物をしながら客の様子に気を配る。
「よっ、リュウ水は?」横山もやはり気がつく。
「今日もひまなのか?」無言でお辞儀をする龍一は手を振っていらないと答える
と相変わらず周りを見渡すこともなくボ∼としていた。
あ∼∼。暑いなあ。日焼けが気になる。
陽子はカキ氷を食べながら日焼け止めクリームを取り出してテーブルに置いた。
時折り入ってくる海風が軽く汗をかいた顔や首筋を掠めて涼しくなった。
自然と無意識に手の平をゆらして扇子代わりに動かしてしまう。
麦わら帽子をかぶりなおした。
浜辺では皆笑っている。
みんな楽しそうだなあ。
私は・・今いち・・まあ、でも家にいるよりはいいか。
陽子は一人悩んでいた。
父親が度々持ってくる政略結婚のお見合いがあるのだった。ア∼憂鬱だなあ。断
るたびに悪いことをしている気分になる。
ガサ、ガサ、ガサ、ガサと、ウッドのスロープから足を引きずり上がってくる音
がした。気になって見てみると入口の左右にある電燈の柱の隙間から先頭の男の
横顔が見えた。
気にしてみたわけではなく風景の一部として視界に入るのだった。
日に焼けた茶髪の男、目がギラギラしている。物欲しそうに男達が店内を見回し
ながらスロープを上がってきていた。
そのものたちの立てている音が煩わしいものだった。
「あ∼、暑いなあ」と入り口付近に暑苦しい男たちの会話が飛び交う。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ!」と店員が声をかけても席に座ろうとし
ない。ウッドのスロープとデッキに薄く被っている砂がサンダルとの間に入って
ザラザラと音がする。普段は気にならない音なのだが、人によっては騒音に聞こ
えることもあると陽子は思っていた。
嫌な雰囲気の人たちだわ。と随分と減ってきたカキ氷を頬張りながら上目遣いに
音の方向を見ていた。
ビーチサンダルで肩を揺さ振り、パタパタ、ザラザラと鳴らして歩く。
黒く焼けた顔のギラギラした目が釣りあがり、短髪で茶髪のカールした髪に焼け
て黒い斑点のある曲がった唇。
テーブルで反射した光が当たるシルバーのネックレス、アメリカのストリートギ
ャングがお好きのよう。
もっと優しい感じのネックレスはできないのかしら。
入り口で店内を見渡した男は陽子と視線が合うと「あ、彼女、一人?」と云い、
肩を揺らして向かってきた。
茶髪の若者、金村康晴が声をかけた。
あ∼、大変どうしよう。いやだわ。と思いながらも仕方なく「はい。今はね。で
も友達があそこにいます」と陽子は真由美達を指差して気のない返事を返して眼
を背けていた。
ザラザラと音を立ててテーブルに近寄って来た男は椅子を引いて断りもなく陽子
の正面に座った。
テーブルに両肘をついて、まるく両手を合わせると、馴れ馴れしく「ちょっとい
いかな?」と話しだすと首を傾げて陽子の顔を覗き込んだ。
やめてよ、ことわりもなく「何ですか?」と陽子は怪訝な表情で返した。拘りた
くはない視線は直ぐにカキ氷に戻るとスプーンで氷をすくって口に運んだ。
「一緒に遊ばない?」
なんですって?どういう神経かしら?遊ぶ?ですって?失礼ねっ。
男のテーブルすれすれまで横にした顔は礼儀のかけらもない。ガチャという鈍い
音は男の銀のクロスのネックレスがテーブルに落ちた音だった。
フン!なんて長いネックレスをしているの?マイケル・ジャクソンにでもなった
つもり?NYのラッパーなら似合いそうだけど。
あなたは・・釣り合いが取れていなくてセンスがないわね。と値踏みしてから「
友達が一緒ですから結構です。あそこの3人です」と素っ気ない態度でまた真由
美たちを示していた。
「あ、そう、丁度いいじゃん。おれ達もちょうど4人だぜ」男は首を振りながら
そういうとアロハシャツの3人がその男の後ろから現れて正面にぞろぞろと陽子
の愛する真夏のロケーションの前に立ちはだかった。
男達は陽子の正面にあるテーブルにタバコやライターを置いて席を確保したよう
に見えた。アロハのボタンをかけないで立ったまま貧乏ゆすりをしている者もい
る。
なによっ、もう。陽子は男を睨んで「嫌です。結構です。そこをどいてください。
友人の席です」と断った。
男はまた顔を傾げて陽子を見つめた。何か言いたげな目をしていた。
「まあまあ、そう言わないで遊ぼうよ」と顔を近づけてきた。自然にのけぞった
背中が椅子をずらして引きずる音がした。
横山や店のスタッフたちは早く諦めて据わればいいのにと様子をうかがっていた。
騒ぎが大きくならないように願っているのだった。
「いえ、結構です」と陽子が体を起こして断ると、男が突然陽子の腕を掴んだ。
陽子がそういって咄嗟に「あっ!やめてください」と腕を強引に引っ張り、逃れ
ると「あ、ごめん、ごめん」と男は云うが、態度は全く逆だった。
騒がしい陽子のテーブルでおきている雑音が周りの客の注目を集めてきていた。
店内では様子を伺う客が耳を澄ませて男達の様子を見ていた。
まずい。沈黙を破った男がいた「ユ、ワナ、ドリンク?」オーダーを聞かれた男
はハッ!ともせずに振り向いて「何だ?お前、何か言いたいのか?このやろう」
とだけ反応して高尚な思考回路でお付き合いするアプリが決落していた。
仕方なく「すみません。お客さん。嫌がっているんですから辞めましょうよ」と
横山が痺れを切らしてカウンターから出てきて男達の横暴を阻止しようとしてい
た。
すると「何だと、お前?ウルセエんだよ」と男が近寄る横山の胸倉を掴みかかる
と後ろの三人が防御態勢で囲み始めていた。
この人たちなんなの?怖い。陽子は座ったまま怯えていた。
やめようとしない男達を止めようとまた一人の男が近寄っていた。
「おまえら、辞めろよ。お客さんは此処に楽しみに来ているんだ。邪魔をするな。
何もしていない人に迷惑をかけるなら出て行け」龍一が男の腕を握り、横山を解
放していた。
「もてたいなら格好良く楽しくやれよ」と横山が言い放った。
男は「何だと、お前には関係ねえだろ。客だぞおれは」と今度は龍一の胸倉を掴
み、のどを絞めた。
横山が男の右腕が龍一の顔面に殴りかかるのを右手で止めた。
「お前ら、喧嘩をしに海に来たのか?そんな奴は客じゃあない」龍一が睨みつけ
て言った。
さらに龍一は胸を掴まれながら「う、横山さん、ビールのオーダー入っているで
しょ。向こうへ行ってよ」と苦しみながらも横山に仕事に戻るように指示してい
た龍一は常時店に出ている横山への仕返しを恐れて横山を制止したのだった。
「何だ、お前、格好付けやがって、この野郎」と男は周囲の視線も気にもせず龍
一の胸倉を掴んだままぐいぐいと前進した。
テーブルが倒れ、パラソルが砂浜に飛び、椅子が散乱した。陽子のテーブル近く
にいた客達は席を立ったが、テーブルの上にあった食事や飲み物は飛び散り、食
器が割れて周囲の視線を釘付けにしていた。
ガッシャ∼ン・ザザザ・ガッシャ∼ン
男が龍一に殴りかかると後ろの三名も同時に参加してきた。
「このやろう!」といって男がパンチを繰り出した。龍一が右手で掴んだ。左が
飛んできた。左手で掴んだ。隆一の腕がクロスした.男の腕を下へ振り払った。
「なめやがって、この野郎、たたきのめしてやる」
男の脇にいた二人が隆一の後ろに回り、腕を伸ばしてきた。
するとどこからか現れた女が「あんた達、器物損壊だよ。立派に犯罪を犯したん
だよ」と右手を腰に当てて男を睨みつけていた。
大声で叱咤した女性客は強かった。
睨みつけられた男は「女はだまってろ」といって周囲の客達にも威嚇していた。
龍一は男二人から羽交い絞めにされ、騒ぎを引き起こした男から一方的に殴られ
て袋叩きに合った。横山は龍一なら一人でも大丈夫だと、オーダーされたビール
を運んでいたが、男達に突き飛ばされ、ビールでびしょ濡れになった。
客が慌てた顔で電話をしていた。
「キャ∼誰か助けて∼」と陽子が叫んでいると「おい、おまえ、うるさいぞ、静
かにしろ」という男達は また交互に龍一に殴りかかっていた。
龍一は抵抗していない。
ガッシャ∼∼ンと龍一が倒れてテーブルと椅子が跳ぶと「調子に乗りやがって。
ざまあみろ」と男は龍一の前に立ち周囲に優位を誇張していた。
ガッシャ∼∼ン!とまたテーブルの音がすると立ち上がろうとして掴んだテーブ
ルを男が蹴って阻止していた。
龍一の目は男を確りと捕らえていた。
「何だ、お前、口だけじゃねえか、ダラシねえ、馬鹿野郎」とウッドデッキに唾
を飛ばした。
男性の客たちは見て見ぬ振りをしていたが、口火をきった女性客が「もう止めな
さいよ、出て行きなさいよ」と男達に言葉で応戦していた。男は「うるせえ、女
は黙っていろ」と女達を脅したが、「警察がくるわよ」と言う声には反応して自
分達が座ろうとしていたテーブルのタバコやライターを掴んで店を出て行く素振
りを見せていた。
女たちは殴られっぱなしの龍一にも罵声を浴びせた。「あんたもさあ、威勢のい
いこといってさあ、格好だけでなく、やってやりなさいよ。格好つけたんでしょ。
女の前で」と言いつけた。格闘技をしている人間ならば龍一が最初に攻撃されて
放たれたダブルパンチを一瞬で見極めて阻止した能力を見て攻撃することを諦め
るはずだった。
女の顔を見ない龍一はそれでも反撃はしない。
客の女たちは「結局あんたも目立ちだけなんでしょ、カッコウわるいわね!」と
いってその場を離れていった。
男達は「それみろ、おい、やってみろよ」といいながらふと横のテーブルの上に
あった水の入っているグラスや陽子のテーブル上に視線を動かすとテーブルにあ
るグラスを手に取ると「おい、おい。ざまあみろ。調子に乗りやがって」「おう
、へなちょこ、バカやろう、色男さん」と言いながら血だらけになった龍一の顔
にグラスの水を交互に引っ掛けていた。
たらたらとコップの水が龍一の頭髪に一旦溜まってから滴り落ちた。
龍一は頭からずぶぬれになっていった。
水は顔を伝い、背中に回った。
それでもまだ浴びせられた。
店員の女達はまだ反撃を期待する視線を龍一に向けて、給仕トレイを胸に抱いて
待っていた。
男が「いい加減反撃でもしてみれば」といってまた水を引っ掛けていた。
龍一がゆっくりと立ち上がると見ている店員の女や横山は一発くらいは殴れば良
いのにと期待するのを尻目にまた「ヘボ」という男にやられて後ずさりしていた。
アロハシャツは龍一に近寄ると「頭を冷やせ、お前にはむりでしょ」といってゆ
っくりと笑いながらコップの水を頭から流していた。
龍一の着ていた長袖のTシャツに水が滴り落ちて波のように広がってゆくと重く
なって肌に張り付き始めていた。
するとその生地が首周りから下に向かって隆一の肌にある龍を映し出していた。
その画を見つけた女達は両手で口を覆いながら「あっ」と眼を開いて凝視してい
た。
「おい、こいつ、墨を背負ってやがる」
「へぼがよ、背負いたがるんだ」
男は龍一の頭を蹴った。
ゴン!っと鈍い音がして龍一は右肩からデッキに転がった。
横山がバスタオルを龍一の背中にかけようと近寄ると龍一はゆらりと起き上がっ
て「これくらいでもう帰れ」と男の正面に立ち上がった。
「この野郎」という男に横山が殴りかかろうとすると龍一が「やめろ」と腕を掴
んで阻止していた。
「なんだと」という男はまた右フックを見舞った。
「ビシッ!」という音と供に横山も殴られて倒れこんだ。
再び四名に袋叩きにされた横山と龍一は頬と唇を切り、倒れたままだった。
舞い戻って「あんたたちも情けないわね。いい加減にしなさいよ。少しは反撃で
きないの?」と云う気の強い女性客は龍一たちに言い放ったが、その言葉は男達
にも響いたようだった。
凄い女だな。龍一が横山を見てニヤリと微笑んだ。
「ははは」横山が声を出して笑った。
ピーポー、ピーポー
「おい、サツだ、逃げろ」男達はドタバタと逃げ去っていく。
アルバイトの女達は「何だ、龍一さんて最低だね。噂とぜんぜん違うじゃん。サ
イテー」
「ほんと、カッコウだけか?最悪じゃん」
「ボコボコにやられて恥ずかしくないのかね」
「あ∼あ、最低。イメージ・ブラック!」といって呆れた顔で散乱したテーブル
や食器を直し始めていた。
陽子が倒れた横山を揺すり「大丈夫ですか?」というと、横山は直ぐ横で倒れて
いる龍一に「おい、リュウ、大丈夫か?何でやっちまえばいいのに」と訴えたが
、隆一は「少しバックして当てたからそんなに効いてないよ。横山さんだって一
発も殴ってないでしょ」といって、笑顔を交わしていた。
「触らせないと喧嘩は終わらないからさ」といって龍一はゆっくり起き上がると
ふらふら、よろよろ、と
歩いて浜辺に向かい、海で仰向けになり浅瀬で浮かびながらヒリヒリする傷を癒
していた。
アルバイトのビキニギャル達は横山を見ながらまた「だらしねえ。オッサン。サ
イテ∼」といって店内に入っていった。
横山は何も言わずテーブルセットを直し始めていた。
ドタドタと音がして「どこですか?喧嘩は?」とやっと到着してきた警察官が云
った。
「遅いわ、あんたたち」女性客が警官を睨みつけて腕を組んで食いついていた。
「ああ、すみません」
「遅過ぎるわ、死人でも出たらどうするのよ。あんた?」
「はあ、申し訳ありません」警察官はひさしに手をやり何度もお辞儀して謝って
いた。
「全く、云われるとおり神奈川県警は駄目だね。腹が立つわ」
女達に恐縮していた警察は店内に入り、客から事情を聴いたが問題の男たちが退
散してしまったため、横
山から状況を聞き取ると翌日被害届を出すように伝えてから立ち去った。
いてえ、ヒリヒリ沁みるなあ。龍一は何も語らず海にあおむけで浮いていた。
その様子を暫く陽子が見ていた。
すると龍一はびしょ濡れのままでふらふらと歩き、店の北側に向かうとパームツ
リーの陰に消え去っていた。
「ほっといたほうがいいよ」という横山の意見を無視して陽子が走り寄った。
「あ∼あの!」
「あの?藤堂さん!ありがとう。また・・」
「なに?お前とは関係ない・・もう行け」という龍一はバイクに跨っていた。
シュルシュル・・・ブオン!
ババババババ
龍一はジムに戻ると軽くトレーニングした後、若いボクサーの指導をして過ごし
、その後は施設の従業員として住み込みで働いていた。
十数年前
空手道場「三浦館」には永沢則弥、梅野吉春、齋藤信治、佐藤和也が毎日、館長
神谷武志にしごかれていた。
三人は中学入学の頃から空手道場「三浦館」に通っているが、勉強は全く興味が
ないグループだった。
学校が終わると永沢の家に集合して酒を飲み、煙草を吸い、マージャン卓を囲ん
で遊んでいた。
永沢則弥の母親は自宅で遊んでいるうちは安心だと、夕食も仲良しグループに食
べさせて面倒を見ていた。
同じ南上浦中学の藤堂龍一は海岸に近い南上浦小学校、中学校の直ぐ裏にある2
億円相当の豪邸に住む裕福な家庭で育ち「鮫島ボクシングジム」に通っていた。
殴られても立ち上がり、苦しくても向かっていく。
殴り合いに勝てることが本当の強い男だと信じていた。
勉強していい大学に入れというオヤジとは中学に入ると言い争いの喧嘩ばかりだ
った。
「龍一、いい加減にしろ、喧嘩ばっかりして、勉強ぐらいしろ。お前、長男だぞ
、弟の龍也はまじめに勉強して、通知表は5が並んでいるじゃないか」と云って
は兄弟を比較していた。
「ケッ!ウルセエ、クソオヤジ、女に狂ってやがって、偉そうに言うんじゃねえ
」
「母ちゃんもいってやれ、こんな奴いらねえだろ」
「そういうこと言うんじゃありません。あなたも少しは反省しないといけません
でしょ。ね。龍ちゃん」母親律子は優しく、龍一が父親から殴られるたびに庇っ
て怪我をした。
「あなた、たまにでいいですから理由くらい聞いてあげたらいかがですか?」
「嘘を聞いても腹が立つだけだ」
「馬鹿野郎、決め付けるなアホ!働いていたらこんな家にはとっくに居ねえわ」
「親に向かってアホとは何だ。この野郎。出て行け、お前のような奴は息子じゃ
ない」
「おお、自分で働けるようになったら直ぐに出て行くから心配するな。死ねバカ
!」
ガッシャ∼∼ンと龍一が投げられた。
「何だと、この馬鹿者が!」と龍一だけを殴る蹴るが日課のような家庭だった。
「あなた、辞めてください。この子は悪くないんです。助けてあげたんですよ。
よその子を」
「嘘をつけ、言い逃れの嘘に決まっとる。財布から金を盗んでは遊びほうけて。
お前なんか息子じゃない。会社を継ぐのは龍也だ。早ように、出て行け、馬鹿者
!」と、何かあれば父親は龍一を殴り、蹴った。
「誰がお前の会社なんか継ぐか、馬鹿野郎。勝手なことばかりして、思い通りに
なんか、なるもんか、早く死にやがれ」
いくら反抗しても未だ中学生の龍一は父親にはかなわなかった。
学生時代柔道をしていたオヤジは文武両道の兵だった。叱りを受けると必ず龍一
は反抗して向かっていくから返り討ちにあうのだ。
「龍ちゃん。またオヤジと喧嘩かよ」ボクシングジムの先輩、横山は「シーサイ
ド」の一人息子で真面目な大学生だった。
「泊まるのはいいけど、学校くらいは行けよ。中学は黙っても進むからいいけど
高校くらいは出とかんと、な」横山の部屋は不良のたまり場のようになっていた。
「すみません。何時もありがとうございます。おれ、此処に住まわせてくれませ
んか?」
「そりゃ、いつでもいいけどちゃんと学校へは行けよ。両親が心配するぞ」
「はい。で、バイトもしたいですけど」
「ばか、お前、金持ちが何言い出すんだ。高校へ行ってからしか無理だよ。中坊
じゃ、新聞配達か、牛乳配達だな。お前の家は金持ちなんだからおとなしゅうし
とけば楽勝じゃないか?」
「オヤジが嫌いですから」
「そうかも知れんが、中学までは辛抱しろ。たまには此処に来ればいいからさあ
」
「仕方ないですねえ。まあ、我慢しますわ」という龍一はまだ自立できず、親の
世話を受けなくては生活できない自分を恥じてはいる。
「将来も考えんといかんでな」
「はあ」
「お前も危ない奴だけどノリもやばいからなあ。お前達二人は気が合いすぎる。
笹木も影響を受けて順調に育っているし親は心配で寝られないだろうに。則弥が
いくらオヤジがヤクザでもあいつはそれ以上にヤバイでなあ」
横山は則弥、笹木の心配もしていた。
永沢則弥、笹木健一、梅野吉春は龍一の親友だった。
永沢則弥の父親は県会議員、その長男だった。
裏家業がある。
則弥は裏では永沢一家の跡継ぎであり、表向きは将来の県議候補だった。
浜の出店も仕切っている。一帯の顔役だ。
「ははは。あいつはホンマモンですよ」
「かなり、やばい。いい奴だけど猪の化けモンだから始末に終えん」
「そうですけどいい奴ですよ」
「わかっとるけど、危ない」
「ははは」
「リュウ、ちゃんとあいつは見張っとけよ」
「はい、はい」
「じゃ、ジムへ行ってトレーニングだ」
龍一はプロボクサーを目指していた。
喧嘩が強いことが男だと信じている。
勉強はしなくてもそこそこは出来た。学校では殆どを寝てすごしたが、鮫島の娘
京子から「馬鹿では話しにならん」といわれてから、「この野郎、やってやるよ
」と最低限は学習しようと思い、教科書だけは目を通すようにしていた。
番長グループの中だけでは一番の頭脳を持っている唯一のインテリだった。
ボクシングジムでは最年少の龍一は同級生笹木光二ととともに可愛がられた。
笹木と龍一は小学校から一緒だった。
笹木は親父がサラリーマンで母親は専業主婦の普通の家庭で育った。勉強は駄目
だが、運動神経がよく体が誰よりも柔軟だった。
龍一たち二人の練習は子供のくせに負けん気が強く、二人で競い合ってトレーニ
ングするため、中学生になるとすでにデビューしたプロと同じメニューをこなす
レベルだった。ロープスキッピング、鏡前シャドウ、リング内シャドウ、サンド
バック、パンチングボール、ダブルパンチングボール、ロープスキッピング、整
理体操、というメニューで練習に励む。
プロテストの受験資格はJBCが公認した日本プロボクシング協会加盟ジムに所
属する練習生で、17歳から32歳まで男女申し込可能だったが、未成年者には
親権者の承諾書が必要となるため、龍一は父親の承諾が取れないのではないかと
不安だった。
17歳までには時間が有るのだがオヤジに頭を下げる姿を思い浮かべるだけで腹
が立つのだった。
中学生だった龍一たちも時間が経てば自然に高校生になっていく。
少子化で学校側はカネのために誰でも良いからと入学させるほど子供が少ない。
それが日本の学力が低下していることは龍一には関係ない。
まだツッパリを絞める事が男の仕事だと思い込んでいた。
連中が集まる学校で入学してすぐに番長グループを絞めたのは空手道場「三浦道
場」に通っている永沢則弥、梅野吉春、齋藤信治、佐藤和也だが校内では大きな
顔をしていたが、何故だかその後校内での暴力事件がなくなったことには教師達
にも暫くは分らない事件だった。
則弥達三人が授業後に通っている道場では毎日館長にしごかれて悲鳴をあげてい
た。
龍一は進学校に辛うじて入学していたが、その風体が校風とは合わず、風紀委員
らは毎回指摘をする札付きの不良とレッテルを貼っていた。
龍一の報告を聞いた則弥のたくらみで、学校関係者を驚かせてやろうと、龍一の
通う学校の校門の前に乗りつけた黒塗りの外車から降りてきた永沢組の舎弟達数
名が校門の両脇にずらりと並んで隆一を待ち構えて「オス、ご苦労様です」と帰
宅する先生や生徒達にまでヤクザ社会での仕来りの挨拶をした。その日をきっか
けにそれまで龍一を白い眼で見ていた者達が恐れをなして注意することを辞めて
しまったのだ。
隆一は一応入学はしたので休まず登校していたが、呼ばれても返事もせず、部活
もせず、かといって特別迷惑もかけない。変わり者だと評判だった。
しかし、学業の順位が平均の生徒であったがため、学校側も腫れ物には触らずで
放置していた。
永沢たちといる以外の場所では毎日ボクシングのジムに通って汗を流して過ごす
ことが唯一笑顔になれる場所だった。
ジムが終わり、道場での稽古が終わると永沢の家で過ごすのだった。他愛も無い
話で盛り上がるのがこの年ごろの特徴だったが16歳になると何処の少年達も話
題はバイクになるのが大人への階段のようなものだった。
そして「バイクに乗れば縄張り争いで戦争になる」というのが暴走族への入り口
で必ずぶち当たる壁だというのが永沢の持論だった。
当然「族」を結成する。
ノリは「家は関係ねえ」と突っ張っていた。
おれ達はおれ達で三浦を守るというのが旗印だった。
みんなの意見で「シャドー」が立ち上がった。
横浜市中区本牧宮原のグリーンとバンカーのある一軒家では裕福な家庭生活があ
った。
浜本和明、横浜貿易株式会社社長宅だった。妻美智子、兄博史、小学生の陽子は
幸せな生活を送っていた。家には家政婦が2名雇われて食事や洗濯掃除を任され
ていた。
陽子は私立の有名小学校に車で通っていた。
車の運転手は家族専用の運転手だった。
「陽子さん行ってらっしゃい」母親が玄関前で陽子を送り、陽子はチョコンとお
辞儀をして「お母様。行ってきます」と挨拶をする。母親は笑顔で毎日送り出し
、3時過ぎに玄関前で迎えるのが日課だった。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ピーポー、ピーポーピーポー、ピーポー
「龍ちゃん、パトが来たぜ」
「おお、暇つぶしに遊んでやれ!」
「そこのバイク、止まりなさい」
「おお∼∼」パトカーは事故をしないように心配して追いかけた。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「喧嘩ばっかりじゃ、飽きるからちょうどいいぞなあ」暴走族は捕まえられると
思って逃げ回るスリルをも楽しんでいるのだ。
「おお、いいカモだ。食らえ」
則弥がパトカーに尻を向けた。プ!
「あ、やべえ、でちまった」
「おい、リュウ、ちびった。俺、パンツ替えに帰るわ」
「あ∼。アホかお前、ははは、そう。また明日な」
「バイバアイ∼∼」
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「ヒャホ∼∼」
「捕まえてみやがれ∼」
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「おい、止まれ、ナンバー丸見えだぞ。そこのバイク、止まりなさい」
ピーポー、ピーポーピーポー、ピーポー
「オオ∼∼。アホタレ∼∼」
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「おい、事故るぞ、そこのバイク、左によって止まりなさい」
ピーポー、ピーポーピーポー、ピーポーと大きなサイレンの音が近づくと龍一は
クラッチを切るといきなりエンジンの回転を上げて前輪のブレーキをかけたまま
クラッチを話した。
ギャギャギャギャっと後輪が空転して煙を上げた。
徐々にブレーキを緩めると後輪がS字に滑り出しながら前進する。
ハンドルを右に切ると煙を上げたままスライドしてバイクはパトカーと対面した。
クラッチを切ってウオン!とまた一段と激しい排気音がすると龍一は前輪のブレ
ーキを放してクラッチを放した。
一気に前輪が空を向くとアクセルを入れたバイクはウイリーしたまま逆走してパ
トカーの真横をすり抜けていた。
「バイバアイ∼∼」
パリラ、パリラパリラー、パリラー
バイクは逆走、信号無視、速度超過を繰り返しパトカーの指示を無視した。
ピーポー、ピーポーピーポー、ピーポー
時間が出来ると走り回る。
目立ちたい、ただの憂さ晴らしだったが、世間様にはうるさくて迷惑な連中だっ
た。
「町内の皆様今日から交通安全週間です。横断歩道、交差点、学校周辺での飛び
出しに注意しましょう」と制服の警察官二名がミニパトで町内を巡回していた。
立派な一軒家の前に駐車して車から出て表札を確認すると門扉の上から庭や駐車
場を見回していた。
ピンポーン
「はい」
「藤堂さん。ごめんください」
「はい」
玄関から母親らしき人物が出てきた。
「藤堂さん。息子さんの龍一君いますか?」
「いま、出かけておりますが?なにか?」
「あの∼、バイク見当たりませんね」
「また、今日も居ないかな。龍一君ですかね」
「龍一は居りませんが。何か?」
「はい、私、三浦警察のものですが、お宅のこのナンバーのバイクが手配されて
おりますので。少し、二三お聞きしたいのですが」
「え、私どもの龍一がですの?」
「実はオタクの登録ナンバーのバイクがですねえ、困ったことに交通違反ばかり
重ねて居られまして。事情を少し、お伺いできればと」
「どういうことですか?」
「はあ、度々暴走されておりますので・・」
「え、度々暴走って、うちの子に限ってそのようなことはして居りませんわ。何
かの間違いだと思いますので・・」
「いや、しかし、・注意だけでも・・と」
「こちらでは証拠が揃っておりまして、確かに、オタクの登録ナンバーのバイク
がですねえ、いや、全く困ったことに交通違反ばかり重ねて居られまして。事情
を少し、お伺いできればと思いますが」とかたわれの警官が補足していた。
「え、度々暴走って、うちの子に限ってそのようなことはして居りませんと思い
ますので・・一度龍一に聞いてみませんと・・」
「いや、しかし、・・・困りました」
「困りましたねえ、居なくては話しになりませんし、お母さんだけではどうにも
・・・」
「・・・仕方、ありません」というと訪問した警察官たちはこそこそと玄関前で
立ち話をした。結局龍一の不在を認めたのだった。
「あ、仕方、ありません。ではまた、出直しますので」
警察は度々玄関払いを食わされて苛立っていた。
それを聞いた藤堂龍蔵は警察に電話して「捕まえるなら現行犯で逮捕しろ。いち
いち自宅に押し寄せるな現行犯逮捕が原則だろ」といって警察に苦情電話をする
ような男だった。
龍一たちは喫茶「めぐみ」でタムロしていた。
喫茶「めぐみ」は「シーサイド」の隣にある。
ガチャン、カランコロン
古めかしい乳牛のベルが鳴った。
笹木が慌てた様子で飛び込んできた。
「おい、おい、龍ちゃん、湘南の「愚連隊」が鎌倉でまっとるってよ!」
「またかよ、ほっとけ」
「これこれ、喧嘩は駄目よ。リュウちゃん」
「ママ、お遊びだって」
「喧嘩は駄目よって。龍ちゃん」
「わかっとるよ」
龍一は暴走族「シャドー」のリーダー格だった。
「あいつ等がしょっちゅう、言いがかりを付けるからたまらんのじゃ。面倒だか
らやっちゃうんだよな」
「そうそう、ハエみたいに寄ってくる」
「ここいらの不良どもがみんな狙われてやられているんだぞ」
「うざいやつらだなあ」
「そうだぞ、やっちまおうぜ」
「そうだ、行こうぜ」
「めんどうだなあ」
「やっちまおうって。リュウ。行こうぜ」
「あ∼∼、面倒だなあ。仕方ない、しょうがないなあ、全く、良し、今日で決着
を付けてやるか」
「ほんとに?行くのか?」
「おう、暇だしな」
リンリンリン
電話だった。
「ほい。メグミざんす。なに?・・」
「めぐみ」の電話を取った斉藤がうんうんとうなずいて聞いていた。
「あ?ちょっと待てよ」と言いながら受話器を取ったまま手首を回して遊んでい
る。斉藤が龍一に顎で合図すると龍一が手を伸ばしてきた。
「おう?」龍一が出た。
ふんふんというと振り返って斉藤に「ノリが来いってよ」と伝えていた。
「・・鎌倉?由比ガ浜。・・・愚連隊?」
「直ぐに行かないとノリがやられるぞ」
「なに?あいつ先に乗り込んだのか?」
「そんなこと言ってねえぞ」
「笹木とナンパだっていってたんだぜ」
「そうみたい、さっき、俺も吉春から聞いたんだ。ノリとナンパしに行くって」
斉藤信治が言った。
「出っくわしたんだぞ、多分!」
「じゃ、急げ、行くぞ和也!」
「よっしゃあ∼いくぞ∼」佐藤が叫んだ。
「おお∼」
ガチャン、カランコロン
古めかしい乳牛のベルが再び鳴った。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「あの変な音何とかならないかねえ」というママの苦言を尻目にけたたましい
音を立てる龍一たちは三崎口から葉山を通って鎌倉に向かっていた。
30台のバイクの集団だった。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
海岸沿いを暴走族が鎌倉に向かっている。レジャーシーズンの海辺には相応しく
ないサウンドを響かせるグループだった。
一方茅ヶ崎からも50台のバイクが鎌倉に向かっていた。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
それを目撃した一般人が砂浜に寝そべって県道方向に向き直って警察に通報して
訴えていた「うるさいから何とかしろ!」と。
永沢則弥は梅野吉春と二人で鎌倉を走り抜けて江ノ島に向かっていた。
江ノ島でナンパをしようとつるんでいたのだが、途中、由比ガ浜で「愚連隊」の
2台と遭遇して喧嘩になった。
由比ガ浜に近づくと反対側からも愚連隊らしきグループが爆音を鳴らして走って
きていた。到底、この砂浜に似つかわしくないグループの集団だった。
海岸で海水浴を楽しんでいる人たちは何事かと振り返り、騒ぎを探した。
ピーポー、ピーポー
龍一たちが則弥と梅野を見つけてバイクを乗り捨て、加勢すると愚連隊も到着し
て大乱闘となった。
愚連隊は金属バットを振り回している奴が目立った。
梅野と斉藤がバットを奪い、相手のバイクや体を叩いていたが、また数人に囲ま
れてバットを奪われ自分が腕で頭を庇いバットを奪おうとして応戦する。
形成は常に変化して一進一退の攻防に見えた。
警察は金属バットを振り回すものに視線が行き、チェックしていた。
コンビニの駐車場は暴走族で一杯だった。
ピーポー、ピーポーピーポー、ピーポー
「マッポだ。逃げろ」
全員がバイクに乗って散らばった。
「覚えていやがれ、お前ら、今度は殺してやるからな」則弥が後ろ向きに言い放
っていた。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「今度は乗り込んでやるから覚えとけよ」と愚連隊の大竹朋宏が則弥を睨んで叫
んだ。
「大竹、逃げろ、早く行くぞ」
「捕まるな、逃げろ。大竹!」
全員が逃げ去ったと思ったが、2名が倒れて動かなかった。
コンビニの店員が倒れている人物を腰をかがめて確認していた。
則弥と他のメンバーは全員逃げて一緒に走っていた。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
パトカーがコンビニに到着した。
警官が駆け降りて倒れているものに話しかけているようだが、どうなっているの
か則弥たちには解らない。
「だれだ、あれ?」・・・
「こっちは全員いるぞ」
「そうか、じゃあ、関係ない。いくぞ」則弥が言うと皆がアクセルを入れて合図
のエアホーンを鳴らす。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「早く逃げろ」の掛け声で則弥たちは爆音を響かせて走り去った。
反対側でもパリラ、パリラパリラー、パリラーと音がしていた。
暫くするとピーポー、ピーポーピーポーと改めてサイレンの音がした。
救急車が呼ばれていたのだったが、姿は見えない。
パリラ、パリラパリラーとエアホーンが共鳴していた。
愚連隊がコンビニに戻ってきた。
ウオンウオンとアクセルを煽って周囲の車を威圧して道路を占領して走ってくる。
海水浴場は爆音でレジャーどころではない。客達は皆山側を向いて幼児だけがお
もちゃで遊んでいた。
暴走族が音をたてているだけで事件のにおいがする。事故かな、喧嘩かなあと見
ている人たちは思いをめぐらす。
コンビニに到着した暴走族が警官につかまれて格闘が始まった。
「お前ら、何してるんだ、早く病院へ運ぶぞ、放せ、この野郎」
「こら、動かしてはイカンちょっと待て」警官は倒れたものの様子を窺って声を
かけていた。
愚連隊は倒れた二人を連れて帰ろうと警官に殴りかかっていた。
「おい、馬鹿やろう。返せ、返せよ」暴走族たちは倒れている仲間を起こして連
れ出そうと暴れている。
見物人には暴走族が警察官と格闘しているようにしか見えない。
警官は「何するんだ、お前達、けが人をそんな風に扱ったら死んでしまうぞ」と
族の特攻服を掴んでけが人から引き離そうとする。
「馬鹿やろう、直ぐに運ぶんじゃ」と言って族はけが人を引っ張って警官から引
き離そうとする。
「待て、待て、救急車を待てって」
「ウルセエ、この野郎」と暴走族が暴れる。
警官は2人しか居ないので族の動きを制止するだけで動きが取れない状態だった。
暴走族は警官の指示も聞かず、引っ張り出そうとけが人を引きずった。
警官が「何やってんだ、お前ら、こいつら、死ぬぞ、救急車が来るから待ってい
ろ」と大声で怒鳴っても落ち着くことはなく「うるせえ、お前らじゃ遅いから俺
達が運ぶんだ。邪魔すんな」といって警官を殴ったり、蹴ったりして抵抗してい
た。
ピーポー、ピーポーピーポーとサイレンがかすかに聞こえてきた。
「あかん。あかんって。動かすな」警察官は倒れて意識がない二人を案じ暴走族
の安易な行動を身を持って制止していた。
ピーポー、ピーポーピーポーと未だ、遠くに聞こえる。
けが人を保護している警察官までもが、大怪我を追う気配となっていた。
引きずられるけが人の意識はなく、体から力が抜けて、だらりと伸びた腕が死体
のように揺れていた。
「それ、見ろ、意識がないんだ、人工呼吸するから大人しく待て」警官は人工呼
吸を施した。
「おい、確りしろ。起きろ∼∼」暴走族は警官の人工呼吸をすることを見てよう
やく事の重大さに気がつき大人しくなったようだった。
バラバラバラと空中も忙しくなってきていた。
「プッ!ハウッ」「おお、戻ったぞ」呼吸が戻り警官はけが人の頭を膝に乗せて
救急隊員を待った。
バラバラバラと音がした。
空にはヘリコプターが現れ、現場の上空を旋回している。
ヘリコプターは暫くすると3機に増えていた。
ピーポー、ピーポーピーポーと救急車2台が近づいた。警官は2名居たが、けが
人が居るために措置の追われて暴走族を検挙できず、けが人の保護をしていた。
救急車が到着してひと段落するとパトカーも数台停車し、機動隊もマイクロバス
2台で現れた。
機動隊はバスを降りると円形になり、暴走族を取り囲むと一斉に円をすぼめて族
たちを確保していた。あばれて警棒で殴られた子供も数名でたが、手錠をかけら
れた者を観ると大人しくなった。
暴走族は一斉検挙されていた。
けが人は救急車に乗せられてから暫く社内で治療されてから病院へと動き出した。
神奈川県警は傷害致傷事件として、則弥達を指名手配した。
幸い、負傷した2名は重傷だったが、命には別状がなく助かっていた。
則弥と梅野は逮捕され、家庭裁判所送りとなった。
コンビニの店員の証言で、則弥達が手を出したのではなく、電話をしているとき
に襲われたということで裁判では保護観察処分で終わったが、過剰防衛が認めら
れた。
そして、此処からが湘南での本格的な抗争に発展する入り口だった。
「鮫島ボクシングジム」は貧乏ジムだった。
会長鮫島徹は元日本チャンピオンだが、アルコールの飲みすぎで引退した。
息子の賢はコーチだが、腕を買われて永沢の事務所の頭を務めていたためジムに
は殆ど顔を出さない。
その後、期待の選手は育っていなかったが、トレーナー小池建夫が教える永沢組
の若い衆のコーチ料や若手の横山、笹木、龍一の加入で汚れて臭いジムだったが
、娘の京子が友人たちを勧誘して若い女性のボクササイズが流行しはじめて何と
か食いつなげているのだった。
横山は大学生であったが、アマチュアボクシングの有名人で地元では人気ものだ
った。
「鮫島ボクシングジム」の敷地には児童養護施設「ひまわり」民宿「みうら」が
建っている。
そのどれもが赤字だった。
地元の寄付や、補助金で運営している。
民宿「みうら」は夏には利益が出るのだが、シーズンオフには全く客が来ないの
で幼稚園への転換をオーナーの吉岡光子は考えていたが金はないのだった。
「ひまわり」の食卓には夏場になると民宿「みうら」から持ち込まれる大根の味
噌汁、大根おろし、大根の煮物が毎日出る。
子供たちは飽き飽きしながらも食した。
民宿の光子は大根母ちゃんと呼ばれていた。娘の君代はボクシングジムをたまに
手伝っているが無報酬なので京子と顔を合わせるたびに「やってらんねえ」と口
を揃える。
京子も君代も隆一のファンだったのでジムの掃除や洗濯には労を惜しまなかった。
まあ子供の頃からの習慣でもある。
京子と君代はプロゴルファーを夢見ている仲間だった。中学のころから学校が終
わると山側にある三浦ゴルフクラブのゴルフ練習場でアルバイトをしながらプロ
について練習して土日はキャディーをしてチップを稼ぎ、たまに夕方からジムと
民宿を手伝っているのだった。
今日も永沢の家には龍一、梅野、齋藤、佐藤、笹木が集まり、相談していた。
永沢は金には困っていない家柄で、必要になればシマを回り、みかじめ料や競馬
の代金を回収すればいつでも金になったが、今回の金集めは「鮫島ボクシングジ
ム」と児童養護施設「ひまわり」の資金集めが目的だった。
永沢は「いい案がある」といって笑った。
「何だ、何だ」と笹木が問い詰めると、永沢は「今年は海の家の出店が少ないか
ら実入りが少ないので出店の奴らにみかじめ料の値上げを申し出るとあっさりと
店をたたんで辞めてしまうんだ」という。
「じゃ、金にならんじゃねえか」
「そこでだ。天才の俺は考えた」
「おお、そうかいいぞ、それで?」
「おお、良く聞けよ、リュウ、お前もびっくり、する名案だ」
「何だ、何だ」と笹木も聞いているが、龍一は黙って笑みを浮かべて聞いていた。
「海の家が出ていないということはだ、奴らの組み立て式店舗が空いているとい
うことだな」また調子が上がってきた。
「解った。海の家をやるのか?」
「佐藤、お前は凡人じゃのう」
「じゃ、何をやるんじゃ」
「海の家だ」
「アホか、やっぱ、同じじゃねえか」
「同じじゃあねえ」
「何処が、違うんだ」
「佐藤おまえの言う海の家は何やるんだ」
「店、ビールとか、カキ氷、焼きそばを売るんだろ」
「ほら見ろお前は凡人過ぎる。それじゃ、仕入れに金がかかるからおれ達では無
理ですね。アホ。パアーカ!」
「ウルセえ、じゃ、何やるんじゃ」
「リュウ、お前なら何やる?」
「ん∼。風俗」ふざけていった。
「おお、近い」
「なんだって∼」斉藤の目が光った。
「近いってお前、そりゃ無理だろう、女が集まるわけねえ」
「アホ、女なんていらん」
「ゲ、ホモバーか?」
「お前らは低脳だなあ。商売やったら失敗して倒産させるタイプじゃ。それじゃ
あノ∼マルじゃ!」
「ばかやろ、何を言いやがる。おまえ言ってみろ」
「お化け屋敷」
「何だそれ」
「確かに女は必要ないでよ」
「客が入りそうだな」
「まあまあじゃ、アカンから、特別な考えがある」
「なんだ」
「タッチOKお化け屋敷じゃ」
「何だそれ。やっぱり女が必要じゃないか?」
「捕まるぞ」
「アホ、女のバイトが来なければお前がブラジャーにこんにゃくを入れて化粧す
ればいいじゃんか。中は真っ暗だからな。へへへ、もしも女がバイトに来たら女
には白い着物を着せる。もしも女が確保できない場合にはアベック専用お化け屋
敷でもいいし、お前がブラジャーにこんにゃくを入れて化粧すればいいだろ。ど
うせ暗いんだ、わかりゃしねえ。それによアベックには暗闇で男が女にタッチし
やすくなるだろう。お化けなんて必要ねえんだ」
「おお、そうか、お前かしこいなあ。いいねえ。このアイデア」
「入り口の料金票は男1000円アベック2000円女子のみ500円で、女の
バイトが見つかったら男は屋敷の中で追加を1000円払えばタッチOKで、入
場できる。アルバイトの女の子には時間制でその時間に入った料金を一時間10
00円のバイト料プラス売り上げの40%を均等割りで追加で払うシステムだ」
「おお、いいねえ。おまえ、天才だな」
「女の子をナンパしてバイトさせるのが難しいでしょ」
「そういう場合は男がお化けだから普通のノータッチお化け屋敷でもいいしどっ
ちでもいいだろうが。斉藤、お前が女をやってもいいんだぞ。分け前も払うし。
へへへ∼だ」則弥はあくまでも女のお化けにこだわりがあるのだった。
「おお、そうするか?へへへ」
「まあ、やってみようぜ。楽しそうじゃ」
「おお∼∼。楽しそうじゃ」
「龍、早速民宿「みうら」から浴衣を10枚借りる手配をしろ。それから、「め
ぐみ」のママに化粧を頼めよ」
「ヨッッシャ。ママがそのまま出てもお化けが似合うぞ」
「がはは。おまえ、殺されるぞ。ハハハ!」
則弥の号令で組の息がかかった工務店が愚痴をこぼしながらも無料で空いている
海の家のセットをセッティングした。組み立て式のセットはプラモデルよりも簡
単に組みあがるのだった。回りはセットの台風対策ベニヤが張り巡らされ、真っ
暗だった。
エアコンのセットは電気屋がセッティングする。準備万端整った。
「ムード満載」
「お色気タップリ」
「誰もが驚くお化け屋敷近日オープン」の看板が眩しい。
妖しい看板が話題を呼び、地元の住民の役人までが見に来て則弥を冷やかしたが
、爺さん達もが皆興味津々だった。
「おい、ナガサワのノリ、わしもおっぱい揉んでえ∼んかい」
「オオ、当たり前じゃ、爺さんちゃんと金を払えば触っていいぞ」
「ほ∼か、ほ∼か、ええのう。たのしみじゃ。婆さんには内緒ジャで」
「ほうか、ほ∼、しといちゃるでよう」
「1000円でおっぱいは魅力じゃ。ノリ、期待しとるぞ」
「わしもくるでよ」という爺さんが大漁に網に掛かってきていた。
ノリは地元の助べえ爺さんたちには人気があった。
お化け屋敷はエアコンが取り付けられ、通路に暗幕が下げられるとエアコンの風
が微妙に幕を揺さぶり、紐にホッチキスで取り付けられた熱さましシートや、吊
るされたこんにゃくが通過する人にくっつき、ヒヤッとさせる。坂を上がり、ゴ
ム風船の上に敷かれた板に乗ると化粧をした人形が突然現れる。
中には変装した人間がいて、客にタッチする。
ところどころにゆらゆらとお揺れる電機式の赤いろうそくの光が揺らめき、幽霊
の写真を照らす。
効果音は通路の板を踏むと突然響く。
入り口には濡れたり、幽霊に触れられたり、血痕が付着しても良いという方のみ
が入場できますと表示してある。
営業中に突然閉館しても料金はお返ししませんと表示してある看板まであった。
入り口を入ると男性のみ、オプション1000円コースあり、ただし横暴は禁止
!と書かれていた。
警察らしき人物を監視していつでも逃げ出せる工夫までした。
突然の手入れには良く使う手立てがある。その場合、全員が客の振りをするとい
う具合だった。
浴衣の客は民宿「みうら」の客となり、脱出するという手はずだった。
お化け屋敷のオープン中は屋根に取り付けられたスピーカーから、特有の音楽と
屋敷内部に仕掛けられたマイクが集音する音声が響き、客の驚きの悲鳴が鳴り響
く。
ノリたちは客で訪れた女の子達に暇な時間に一時間でもいいからバイトしろと
浜辺まで追いかけて勧誘した。
説得すると以外にも女達はちょうどいい暇つぶしで面白いと水着姿で浴衣を着て
、お化けメイクをして面白がった。
2時間程度のバイトで3000円5000円と稼ぎ、連日バイトする女の子も現
れ、タッチお化け屋敷は長蛇の列をなす日が続いた。
人気スポットになり、隣に増設した海の家「待合屋敷」も浴衣お化けメイクで給
仕をする従業員と区別が出来ない老人が毎日詰め寄って売り上げが伸びるのだっ
た。
ひゅ∼∼どろどろ
「キャ∼∼、あ∼ん!だめよ。だめ∼ん」
「あ∼やめてくれ∼∼」女装したお化けに触られて喜ぶ声も同じ叫び声だった。
お化け屋敷のメガホンは集客に頑張っていた。
休憩にでてきたおカマのお化けと老人を見た客も酒を飲みながら笑いこけていた。
「キャ∼∼!ここにも!」という叫び声が集客するのだ。
一日の儲けがお化け屋敷と待合屋敷で60万円以上となっていった。
「こりゃ、やったなあ、大当たりだぜ」龍一が言うと、ノリは次にはもっといい
商売をみんなでやろうぜ。どうする?と調子に乗っていた。
「そうだなあ、夏休みはいいけどおれ達は学校があるし、毎日は無理だなあ」龍
一が言うと、斉藤が「週末だけでもいいじゃないか?」と則弥を見つめていた。
則弥は「お前、いいこと気が付くじゃん」と褒めた。
斉藤は柄にもなくもじもじして照れていた。
「後は大学生のバイトでやれるわ」
「忍者の格好をして忍者レストランはどうだ」佐藤が意見した。
「そんなのもう、東京にあるし。俺、雑誌で見たぞ」
「そうか、やっぱり海が近いので海賊レストランがいいかもね、海賊の格好も楽
しそうだし、ゲームで食事券をゲット出来る様にすれば子供連れもアベックも楽
しめそうじゃないか?」
「おお∼∼」
「お∼いいねえ」
お化け屋敷の売り上げを2ヶ月貯めて、倒産した家具屋のスレート倉庫を改造し
て、海賊レストランをオープンしようということになった。
金土日の3日間のみ限定のレストランだった。
則弥は早速オヤジの事務所へ四人を連れてゆき相談した。
親父は物件の所有者とすぐに電話で交渉して家賃たったの3万円で借り受けた。
「おお、リュウ、久し振りだのう。元気か?こいつには家業は継がせん積りじゃ
ったけどのう、勉強せんでなあ、どうもならんわ」と則弥のオヤジは愚痴をこぼ
していた。「でも、まあ、その年で商売をやるとはなかなかのモンじゃ。喧嘩は
もう金にはならんでよう」
「はあ」
「わしも12歳からコソ泥やってなあ、闇市で売り歩いて金を貯めて、土建屋を
やったんじゃ」
「はあ」こりゃ長くなりそうだと顔を見合わせた。
「盗んだ砂や、鉄くずを売ってよう。警察に捕まるわ、極道にどつかれるわで、
大きゅうなってのう」
「はあ」
「おマンらはいい根性しとるからノリを頼むでな」と笑っていうオヤジは喜んで
いるようだった。
「オス!」鮫島だった。
「オウ、サメ、おまえのとこのリュウが来とるぞ」
鮫島賢は若頭だった。
「おお、リュウ、来とったか、たまには電話番やっていけ。小遣いはやるでよ」
「いや、それはちょっと」
「こら、サメ、こいつらを引っ張り込むでないぞ。まだガキだからな」
「え、はあ、解りました。でもねえ、こいつらただのガキとちゃいまっせ、親分
」
「おい、親分はよせと言っただろう。ところでノリ、お前ら、ショバ代払ってい
るか?」
「いえ、払って無いです」
「ボン、それはいけません。払いましょう」
「うそ、払うの?」
「当たり前じゃ、商売だからな。親子もクソもない。商売ちゅうもんは親子でも
ちゃんとケジメにゃ、いかんでよ」とオヤジは笑って「利益は一日40万だった
な」といって天井を向くと真剣に計算しているふりをしていた。
「はあ」則弥が頷いた。
「じゃ、まけてやるから100万じゃ」
「え、そんなに?まだ一月経ってませんけど」龍一が言った。
「見積りじゃ、本当は月20%なんだぞ。三浦ではそう決っとるんじゃ」オヤジ
の眼が泳いでいるので適当に言っているのが目に見えて分る。
「そりゃ、高すぎますよ、だからみんな店を出さないんじゃないの?」と則弥が
オヤジにつっかかった。
オヤジは笑いながら「嘘だよ、今年から10%にしたんだ。文句が多かったから
な。ははは」と笑っている。
「何、親子でも取るのか?お願いしますよ」
「ノリ、100万!」則弥はしぶしぶ銀行の集金袋から支払った。
「身内から吸い上げるなんてヤクザはほんまに食えんのう。なあ、リュウ」
「ほんとだな」
「馬鹿やろう、商売なんだ。これも」
「はあ」
「よし、でもお前らがどういう仕組みでやるのかが出来上がったら計画書を出せ
、いいな」
「なんで?」と則弥が質問すると親父は
「失敗しそうな計画書だったら家賃は20万だ。いいな」オヤジは100万の束
を振りながら脅していた。
「うっそ∼∼」則弥たち全員が大きなため息をついていた。
「お前の親父ヤクザなのに細かいね∼」
「おお、だから県会議員も出来るのかな?」
「そんなのは違うだろう。元々セコイからさあ」
「本当かよ」
「おお、お前ら、言いたいこと言いよってからに、馬鹿者、俺はなあ、ビジネス
マンなんじゃ。解ったか、ガキ共、とにかく計画書作れよ。リュウお前が作れ、
お前がこん中で一番勉強が出来るんだからな。いい話なら俺が少しは協力するゆ
うこっちゃ」
「え?」
「そうだそうだ、それがいい」
「リュウ、それでいいだろ。早く稼いでジムと施設を何とかしないとな。お化け
屋敷もあと一ヶ月でおしまいだからな」
「解った。早くやってみる」といって龍一たちは重要な問題を解決しなければな
らなかったことを思い浮かべていた。
「では、俺は向こうに行く」といってオヤジは寝室へ向かった。
鮫島が話し出した。
「オス、おい、ジムはよう、俺も頑張って金を入れて、何とかやってきたんだけ
ど最近はサツの締め付けがきつくてよう、凌ぎが少なくて大変なんだ。出来たら
頼むぜ、この商売、頑張れよ。おれも稼いで応援するからな」鮫島賢は心配して
聞いていたのだった。
「ノリ、おい、組は大丈夫なのか?」龍一が聞いた。
則弥は「最近電話で早く払えとか、もっと稼げとか、オヤジが夜中に叫んでいる
ことが多いから大変じゃあないかと思うけど・・まあ、良くあることなんだけど
な。だけど詳しくは聞けねえからよく分らん」
「そうか、簡単に儲かるものはないってことかな。もう、全うな商売で儲けるし
かないよな」
「当たり前だ」
「頭だ、頭、おれ達も儲けようぜ」
「そうだな。やってやろうぜ」
怖いもの知らずの無鉄砲が動き出した。
ウオンウオン!キキー
龍一の音だと気がついたときには横山の部屋に入ってきていた。
「ただいまーです」
「おお、リュウちゃん何処行ってた?」
「ノリの家でさ、今度のレストランの話をしてきました」
「レストラン?」
「そうです。とんとん拍子に決まって、海辺の家具屋が使っていたスレートの倉
庫あるでしょ、あそこで、海賊レストランをやろうと思ってノリのオヤジに相談
したら3万で借りられることになってね。それで、計画書を作れって言われたん
です」
「ほ∼∼。おもしろそうだね。じゃあさ、お化け屋敷はどうするの?」
「夏場はそのまま交代で見るけど、ジムや施設の経費が出なくて潰れそうなんで
必死で考えたんです」
「どこも金が無いでしょ。だからね」
「お化け屋敷は平日20万土日は40万くらいあるので2ヶ月で経費を引いても
600万は残ると見ているんですが、平日は不安ですよね。それで、横山さんに
色々と相談したいんです」とお世辞を言うと龍一はお辞儀をして頼んでいた。
「ちょっと店で飲もうか?」
「はい」
暗くなると遠くからこの場所が目に入ると真っ暗なキャンバスにオレンジの光で
囲まれた水色の城が松明を柱にして絨毯に乗って浮かんでいるように見えた。そ
の姿を見かけたドライバーの誰もが引き込まれる。
シーサイドは夕食の時間で賑わっていた。テラスのパームツリーの脇にはガス灯
が松明の様に燃えて一段と南国情緒を生み出している。
テラスには海風が波の音と同時に流れて、心地よい。
エアコンが要らないさわやかさだった。
龍一はいつものようにカウンターの北側の端に座りレモンスカッシュを飲んだ。
横山はクラッシュ・アイスウイスキーだ。
「リュウちゃん。客は一日どれくらい入ると思う?」
「平日は家族ずれが見込めないから爺さん婆さんと若者中心で少なくても100
人かな?同じスタイルだと飽きちゃうから何か考えたイベントを毎日するよ」
「ん∼。いいね。たとえば?」
「おもしろい接待で行こうと決まったんだ。注文をとるときにも笑わせるとかね。
それと、月曜はドリンクをダーツで当てるとか、火曜はパン、水曜はメインディ
シュで、木曜はデザート、金曜は酒、土曜はランチ券、日曜は1名無料招待券と
いう具合にアトラクションのアーチェリーとか、斧投げ、ゴムのナイフ投げ、大
砲で撃つ宝物落としなんていうゲームアトラクションを置いて、サービス券をゲ
ームで取ってもらったり、1000円で魚釣りをさせたりして、海賊アミューズ
メントレストランがやってみたいかな?」
「でもね、基本、スタンダードが一番飽きられないんだよ、そこを考えておく必
要があるね。たとえば週に一度か2度、そういうイベントにするとかさ、そのと
きだけ何かプレミアをつけるとかね、飽きられないようにしたいよね」横山はさ
すが、大学生だけあって説得力があった。
「それに、設備投資に金がかかるよね」
「そうかあ、夢は金がかかるね」
「最初は衣装とくじくらいでいいんじゃないの?」
「んん∼∼」
「儲けてからいろいろやれば?」
「俺ならそうする。失敗しても怪我が小さいからね」
「そうかあ。考えますわ」
女二人がぺちゃくちゃ喋りながら店の自転車置き場に自転車を止めてカウンター
の方向へ歩いてきた。
「あ∼、リュウちゃんじゃんか」
「横山さ∼∼ン。いいな。リュウちゃんと一緒で。コーラご馳走して、私、アイ
ス・コーヒー」あつかましい二人は京子と君代だった。
「バイト終わったの?」横山が尋ねた。
「そう、今日はプロが休みだったからちょっと練習して帰ってきた」君代が元気
に答えた。明るい性格が出ているのだ。
「龍ちゃんデートしようよ」からかうように京子がいうと「何言ってんの?私が
好きなんだよね。龍ちゃんは。この前、私のおっぱい見たんだよ」とおっぱいを
強調して君代が横目で龍一を見ながら暴露した。
「ブ=!」龍一がレモンスカッシュを飛ばした。
「バカ、そんなの見てないよ」とマジに答えた龍一が赤面した。
「うそ、うちの風呂を覗きに来たんだよ」京子が口をあけたまま呆れた顔で龍一
を覗き込んでいた。
「見てないって、札が出てなくて、風呂に入ろうとしたらお前が急に出てきたん
だろうが!」あたふたとしている龍一を見て「違うよ、あんたが私を出て来るの
を狙ってたんだろ?」と君代は裸で龍一を見ても驚かずにそのときは「わっ!」
といって裸で抱きついたことを暴露していた。
裸を見た龍一は慌ててドアにぶつかりながらもその場から脱出していた。
横山が「君ちゃんのおっぱい見たって等高線が何重も引けるほど高さがないから
色気は感じねえだろうけどね」といって笑った。
君代が「失礼な、このやろう」と横山をひっぱたいた。
「きゃーはは。ざまあみろ。すけべ!」と京子も笑った。
「しかし、お前らは平和でいいねえ」と龍一が言うと二人は口を揃えて「平和が
一番!ピース!」といってピースサインをしていた。
こんな二人だったが、美人高校生ゴルファーとして雑誌に載るなど民宿やゴルフ
場の集客に少しは貢献していた。
「ところでさあ、龍ちゃん、最近茅ヶ崎の「愚連隊」の奴らが鎌倉によく来てい
るらしいよ」と君代が心配そうに言った。
龍一は「そうか、あんなことがあったからな。おれ達を探している可能性はある
よな」
「そうだよ、気をつけないと危ない気がするよ。このあたりもうるさいホーンを
鳴らしてよく見かけるようになったからね」と京子も心配そうだった。
「リュウちゃん暫くバイクは乗らないほうがいいかもね。喧嘩を吹っかけられた
ら面倒でしょ。特に単独はやばいよ」横山も心配そうに見ているのだった。
「そうだけど関係ねえよ。やっちまえばいいからさ。その辺の奴らにはやられね
えよ。おれ達は」と龍一は自信たっぷりに答えていた。
「暫くは店で忙しいからいいかもね」
「え、また何かやるの?」
「おお、お前らも手伝えよ。海賊レストラン」
「なにそれ!」京子が聞いた。
「おお、元家具屋の倉庫で海賊レストランをやるんだ」
「高校生が?」
「うそ?」
「おお、ノリのオヤジが応援してくれるかも知れねえから多分出来るよ」
「おお、そうか。でも応援はしないと思うよ。あのオヤジケチで有名じゃん」と
京子が云うと君代が頷いた。
「ヤクザの店かよ?」
「あかんか?」横山が京子に尋ねた。
「賢さんたちは出入りさせないようにしないと客が引くよ」と京子が右手を横に
何度も振った。確かに賢の風体は右頬に大きな縫い傷が残っており、普通に見て
もヤクザに見えてしまう。ブランドマークのような役割を果たしている。
「そうだけど、言えねえよ、来るな!なんて」と考えてみればそうだなと思った
龍一も心配だった。
「だけど、あんた達も格好だけでも変えないと引くよ、客はビビッて来ねえよ」
と君代が真剣な眼差しで龍一を見つめていた。
「お、俺?」
「ぴんぽーん。ノリも、斉藤も、佐藤も笹木もね。おまえら全員レストランの店
員は無理だ」
「そうか?いい男だろ」
「バカ」
「アホ」
「そりゃねえだろ」
「ん∼∼。そうかも」と首をかしげている横山も同意しているようだった。
「そうかなあ?」とまだ理解していないようなことをいう龍一に「お前もだぞ」
と思っている京子が「自覚していないところが一般的自己観察力じゃないね。君
達は無理、無理」と首を振りながら投げやりな態度で答えていた。
この際言ってやれと「カツラ被ってやれよ、お前ら」と横山がきつく見つめて閃
くとそれ見ろといわんばかりに京子が目を輝かせて「ロンゲのね、ダサいやつ」
とふざけて言うと「おお、目いっぱいダサいやつ!いいかも?」と君代が笑って
いい放ったのだが意外と的を得ていて本気で訴えているのだと龍一に伝わってい
た。
龍一は「ノリたちがやるかなあ?」と心配そうに俯くと君代が龍一の肩を叩き始
めて「やらせろ、仕事のためだ。いいな。でないと、店に来た客は二度と来ない
ぞ、リピーターが民宿でも大事なんだ。解ったか!馬鹿者!」といって何故かこ
のとき民宿の娘がいうアドバイスにシーンと静まり返り、全員が「そうかなあ」
と考えたことが容姿も大事だとガリ勉タイプを毛嫌いしている龍一の脳みそにち
ょっとした改革をもたらしていた。
「はあ!」
「まあそうかもね」と横山も笑ってはいたが納得した様子で答えていた。
「女の子の意見はさ、大事なんだよ。細かいところまで考えて、見て、食べて評
価しているんだ、男みたいに雰囲気だけでは気に入らないんだな女は」といって
横山が解説すると京子が「さすが、大学生のお兄さんはバカでもいいこと言うね
え、女を少しはわかっているような?」と京子がからかっていた。
横山は「そうだろ」というとまんざらでもないという顔でグラスを磨いていた。
シーサイドはショータイムになった。
夏の真っ盛り7月と8月の週末はファイアーダンス・チームが幻想的な炎舞を行
う。
ステージは狭かったが、一番盛り上がる時間だった。
アラビアン・ナイトのような衣装に身を包んだ美女が現れると客達が口笛で歓迎
していた。
女の両手にある黒煙をあげて燃えている松明の火が良く磨かれた板のステージを
照らして舞台が一段と輝きを増す。
ドンドン、ドドン、カンカン、カカンというハワイアン打楽器の囃子が響くと
黒く焼けた上半身が裸で腰みのを巻き付けた男が現れ、雄叫びを上げるとビキニ
姿の女が持っていた松明が回転しながら飛んでいく。
男がそれを掴むと男の両腕の中で回転する。
すると新たな松明に火がつけられて女からまた2本飛んでくる。
4本のジャグリングが始まっていた。
「キャ∼∼。いいぞ、股間も揺すりやがれ∼∼。イエイイエイ!イケー」
京子と君代は立ち上がって腰を振って踊りだしていた。
男が口に含んだガソリンを噴出して松明に向けると大きな火が黒煙とともに球体
となって夜空に浮かんでいた。
すると後ろから出てきたフラダンスショーに出てくるような四名の女達のバック
ダンスがファイアー・ショーを盛り上げていた。
横浜関内の「ブルーシャトー」は神奈川中央新聞ビルの正面にある剣崎ビル地下
一階にある高級クラブだった。
入り口はローマ建築を思わせる。フロアの床や壁も中の柱も全てが白大理石で占
められていた。
経営者のママは剣崎舞、チーママは宮元多恵だった。
横浜桜木町にある横浜剣崎会「剣崎組」が経営するクラブだ。
剣崎組はソープランド「ブルー」ラブホテル「シャトー」も福富町で経営してい
た。
剣崎組若頭船戸茂幸の所に大竹朋宏が相談に来ていた。
「大竹、お前、ここには来るなと言ってあったよなあ」大竹は正式な組員ではな
かった。船戸がボクシングジムで見かけた大竹を利用してやろうと接近して個人
的に使っていたのだった。
「頭、新聞に出ていた俺のところの伊藤と白井が鎌倉でボコボコにされたの知っ
ていますよね」大竹は血相を変えて船戸に訴えていた。
大竹に「それで、調べたら相手が三浦の永沢の小僧だって、いうじゃないか」と
いって船戸は冷静に答えていた。
「クソ頭に来て、やっちまいたいんですよ」とつばを飛ばして訴える大竹に対し
て、船戸は冷静に「お前なあ、ここには来るなといってあっただろう。お前と俺
は付き合いがあるが、組とは別なんだぞ。分ってんのかお前、子供の喧嘩に俺達
がいちいち出られんぞ」と答えていた。
大竹は「すんません、しかし、永沢がそんなに怖いんですか?」と言うと船戸は
血相を変えて「お前、なめとんかい!バカ野郎永沢の田舎ヤクザくらいいつでも
潰してやるわい」と言うと船戸の右フックが飛び、大竹は事務所の壁まですっ飛
んで足がテーブルを引っ掛け、灰皿の灰が事務所に舞っていた。
「小僧、いい加減にせいよ。大人の世界ではな、お前らバカみたいに直ぐには喧
嘩が出来んのじゃ。永沢のオヤジはなあ、イッチョ前に県会議員なんじゃ、こっ
ちも飛んで欲しいけど簡単には手が出せんのじゃ」と激怒していた。
大竹は目尻と口を切り、血を流して訴えた。「じゃ、頭、おれ達だけでやっちま
いますよ。組は関係ないんですよね」と食い下がった。
船戸は「勝手にしろ、おれ達は知らねえぞ、お前らとは関わりがないんじゃ」
「いいか、関わりがないんじゃ」
「まだ、お前らとは正式には関係ないんじゃ。分ったな」
「そうですか、そうしますわ」
「おお、でもな、大竹、上納だけは忘れるなよ、死んでも良けりゃ、逃げ出せ。
いいな」船戸は再度右フックを見舞った。
「お前らとは関係ないんじゃ。大金を自分の力で組に入れてから頼って来い。剣
崎の看板ではなあ大金が請求できるから皆サカズキを欲しがるんじゃい。いいな
」船戸は正式な組員ではない大竹を利用するだけして冷たくあしらっていた。
大竹はふらふらと事務所を出た。
事務所ビルの表には伊勢崎町にある「剣崎ボクシングジム」に行くために上原一
樹がバイクにまたがって待っていた。
「朋ちゃん、どうだ。酷いやられようだな」
「ああ、船戸さんのパンチは未だ、本物だ」
「許しは貰ったのか?」
「いや、駄目だ。今更剣崎とは関係ないとさ。あいつらからカネ取っておいてこ
れはないよな」
「やっぱりな。ガキの喧嘩はガキで収めろってか?いい加減頭に来るな」
「そういうことだ。金ばっか取りやがって、ヤクザはきたねえな。これからは剣
崎は使えねえってことだが」
「ああ、まあ、一応、挨拶しておけば関係ねえよ。組の名前を利用しているだけ
でも価値はある。おれ達だけで何とかなるさ」
「そうだな。伊藤と、白井の敵は絶対とってやる。これでおれ達は単車の時には
剣崎を名乗れなくなったな」大竹は復讐に燃えていたが組にも不満を持ったのだ
った。
「お前らとは関係ないんじゃ。だもんな」
「朋ちゃん練習に行こうぜ。気分が晴れるかもしれん」といって上原と大竹はむ
しゃくしゃした気持ちを晴らそうと伊勢崎町の「剣崎ボクシングジム」に向かっ
ていた。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
「剣崎ボクシングジム」は最新鋭の機材とスタッフを用意し、多くのチャンピオ
ンを育てている神奈川では最大手のジムだった。練習生は50人を超え、ボクサ
サイズの会員は100人を超えた。フィットネスクラブと併設し、サウナ、プー
ル、マッサージルームを備え、会員は増え続ける人気クラブだった。
「うっす!」大竹と上原はジムに到着した。
「おお、大竹、何だ、そのざまは、そんな血だらけで来られると困るんだよ。集
客に響くからそういう格好では来るなと何度も行ってあるでしょ」
トレーナーの滝川は元日本チャンピオンだった。
「そんな、俺だってちゃんと金を払ってますんでね。そんなことは聞けませんね
」
「何だとお前、礼儀ってモンがあるだろう」
「すみません、以後気をつけさせますんで」上原が頭を深く下げて謝っていた。
仕方なく滝川は練習を許した。二人はロープスキッピングを並んで始めた。パン
パンパンと音がする。
「おい、永沢ってよ、空手をやっているらしいぞ」
「ああ、聞いたけど、ボクシングには勝てねえだろう、空手は動きがにぶいから
さ」二人は飛びながら話していた。
「キックだけ封じれば楽勝だって」
「おい、お前ら、喋りながらやるんじゃねえ」
「はい」
「いちいちうるせえなあ」
「はあ、何だと」
「帰ってもいいんだぞ」
「はい」ハアハアと息が切れてくる。
シャドウ・ボクシングだ。
「ハッ、シッシッシッシッ」
「ハッ、シッシッシッシッ」
パンパンドスッ! パンパンドスッ!
サンドバックの音が切れている。
バタバタバタバタ!
パンチングボールを鳴らし、ブルブルバタバタブルブルバタバタとダブルパンチ
ングボールを軽快に鳴らしていく。若手では力のある二人だった。
「おい、大竹、おれ達はよ、ライセンスがあるから舎弟にやらせるしかないぞ。
やばいからな、警察に捕まれば、解ってるのか?お前」上原は捕まってライセン
スを剥奪されることを考えていた。
「そんなことは解っている。しかしだ、我慢できないこともある」大竹は歯止め
が利かなくなってきていた。
喫茶「茅ヶ崎」では永沢らにやられた伊藤伸明と白井孝幸が退院し、仲間と一緒
に相談していた。
「おい、お前、未だ痛むのか?」伊藤が白井に質問した。やられて帰ったことが
悔しくて相手の顔が忘れられない。
「ああ、肋骨がさ、なかなかくっつかないみたいでよ」伊藤も白井も未だ頭や腕
に包帯を巻いている。喧嘩からは3週間経っていた。「大竹と上原は仕返しをす
るつもりがなくなってきてるんじゃないのか?」伊藤が愚痴った。
金子は「そんなことはないと思うけど、ライセンスがなくなるのが怖いんだ」と
いって大竹らを庇っていた。
伊藤は「最悪、あの二人は除名するしかないかもな」と仲間達に訴えるほど大竹
たちの対応に不満を持っていた。
「そうだな。観ているだけのやつは仲間じゃあねえ」
「おお、そうだ。実際は怖くてビビッてんじゃあねえのか?」
「そうだろ」
「まあ、大竹と上原は様子を見て除名する方向でみんないいのか?」
「オオ、いいぞ。何もしないやつはもう必要ない。今度何もしなければそれも仕
方がないだろう」
「決定だな。じゃあよ、あいつらの家を探して火でもつけてやろうぜ。仕返しし
ねえと俺は眠れねえ。なあ、白井」という伊藤は女のようにねちっこい性格でお
礼参りしか頭に無いのだった。
「ああ、まあな。俺もだ」
「オオ、それでいいぞ」伊藤たちの会話に聞き耳をたてていた仲間は出入りがな
いことが暇でどうしようもなくエネルギーをもてあまして暴れたい一身だった。
何かが起きればそれだけで楽しいというグループだった。
「恥をかかされたままでは愚連隊の名が落ちる。なあ、おれ達だけでもあいつら
を潰しに行くしかないぞ。黙っておれるか、他から馬鹿にされるぞ」と口を揃え
ていた。
伊藤らは警察に目をつけられてからは行動を控えて目立たぬように永沢らの素性
を掴みながら襲うチャンスを窺っていた。
永沢の家がヤクザと解り永沢の行動を偵察して、一人のときに襲う計画を立てて
いたのだった。しかし、未だ、永沢以外のメンバーすべてを掴んではいなかった
ために行動に移せないのだ。
「おお、明日も、三浦の奴等の情報を集めるんだぞ」と伊藤が言った。
「単車は駄目だぞ、普通のバイクか、原チャリならいいけど、大人しい格好で帽
子を被って情報を集めるんだ。俺たちとは分からないようにするんだ。解ったな
」
「おお、絶対に叩くぞ」
「おお!」
横浜中華街「摘出楼」二階の貴賓室では横浜剣崎組会長剣崎誠と県会議員永沢音
弥が食事会をしていた。
漆塗りに貝殻の装飾で王宮の風格を持った入り口の特別室にはテーブルが2卓あ
り、手前の席ではボディーガード達が入り口を守っていた。
「永沢さん久し振りですなあ。選挙以来ですねえ」
「おお、そうでしたかな、そんなにお会いしていませんか?」
「そうですよ、まあ、何時も忙しいと噂は聞いておりますのでね、急用でも無い
とご連絡致しかねましてね」
「いやいや、いつでもどうぞ、長い付き合いですから。また、ボクシングでもう
ちのものに教えてやって頂ければ有り難いですなあ。そっちのほうは景気が宜し
いようで?」
「まあ、少しづつチャンピオンが出るようになりましたのでね」
「こっちの鮫島はさっぱりですわ」
「いや、今日は来てませんが、うちの船戸ちゅうのは結構いい腕していますんで
今度鮫島さんにコーチにでも行かせますわ。私が出るときは何時も留守番させて
ますんや、カシラやらせてますんで、お役に立てばいいですなあ、我々も凌ぎが
減りすぎて大変なんですよ。それで、前々からお願いしています病院の権利です
けどそろそろうちにも分けてもらえませんか?」
「その件はね、前々から言うように賢い役人が一人でもそちらが飼っていないと
無理ですわ」
「そこを何とか、出来ませんか?」
「そりゃ、無理ですわ、ご存知の通り、東日本臓器移植ネットワークシステムは
ね、もともと政府の機関だったでしょう、だから官僚の天下り先として非常に大
きな物件になっておりますでしょう。ですから簡単には空きが出ないんですわ。
臓器移植は独占企業みたいなモンですから、簡単には政府関係の奴らもうんとは
いいませんのでのう。一般人の入所は無理ですがね」という永沢は県会議員をし
て、国会議員とのつながりで東日本臓器移植ネットワークシステムの理事をして
いた。
臓器移植法が制定されたのは1997年で
日本臓器移植ネットワークによれば平成19年現在で移植できたのは45人であ
り、百人近い患者が移植を待たずに死亡しているということだった。
一方、アメリカ臓器分配ネットワーク試算では、日本では心臓移植を必要とする
患者数は約1600人で、待機中死亡は年間355人となっていた。
保険適用によって比較的安価に手術可能となったにもかかわらず日本の制度を安
心して待機することが出来ずに大金を支払ってでも海外での手術を希望する患者
が後を絶たない現実がある。
現地で待機する患者との差別化を図るためという理由で海外渡航心臓移植に関わ
る費用は年々増加する傾向にあって渡航前の状態、渡航先によって変動するのだ
が移動滞在費用は別として待機中・移植前後・外来の費用を含めて七千∼一億五
千万円が必要だという現実があった。
現地での待機者からの苦情や批判をかわすという狙いもあるようだがカネに動か
される病院側の思惑も大きく関係していることも問題なのだろう。
日本国内では臓器売買の疑いのある患者側と提供者の問題が後を絶たず医師も訴
えられて負けた場合には医師免許を剥奪されるという事件も頻繁に起きてきてい
た。
平成四年1992年に施行された暴対法から一気に凌ぎを失っていく組の安否を
憂いて本業からの脱出を逃れるために横浜剣崎組会長剣崎誠は金融事故の債務者
をフィリッピンへ送り現地の病院側と高額なマージンのやり取りをすることで旅
行中という短期間に臓器移植の売買をして儲けていた。
しかし、旅費や、入院費などの経費がバカにならないことから合理的に東日本臓
器移植ネットワークシステムの理事である永沢をを利用できればと交渉していた。
東日本臓器移植ネットワークシステムは2010年7月に改正臓器移植法が施行
されて年齢制限が撤廃されてからはさらに家族の承諾があれば臓器提供が可能に
なったことで増えてきた提供者から無料で仕入れた臓器を高額に販売できるよう
になり、大きな利益をあげられる日本唯一の組織となっているのだった。
臓器移植のあっせん業を日本で唯一認められている排他的独占システムだったの
である。
知的財産権の代表的なものに特許権がある。法律で謂う特許権とは、特許発明を
独占排他的に実施することができる権利である。特許法上「独占排他権」という
文言はないが天下りというこれまた「独占排他権」を翳して暗黙の了解で人事ま
でも政府が直接的に支配しているこの臓器移植のあっせん業はこれ以外にはない
というまさに独占的で排他的の見本だった。食い込むことが出来れば子孫末裔ま
で永続的に濡れ手に粟なのだ。
県会議員となってその詳細を知りえた永沢は国政に出て新たなネットワークを設
立してみたいと真剣に考えたことがあるのだが一度理事になりたいと資金援助を
している神奈川の代議士へ持ちかけると簡単にもぐりこむことが出来た。すると
分割する利益の半減を惜しんで頑なに認可許可を出さない政府関係者の思惑を肌
身で感じれば「利益を分散してしまうような新たな組織は必要がない」という側
につくのが当たり前だった。
「永沢さん、うちのソープにはねえ、客が飲み代の付けをしてバックれた客を持
った女が沢山いましてね、そいつらの借金だけで2億くらいあるんですわ、毎年
30人も40人もフィリッピンへ連れて行って一回の経費だけで200万かかり
ますので、一億近い利益が消えてしまうんでねえ此処で堅い商売に入り込めたら
と考えていますんですわ。この辺で是非ともタイアップさせてくれませんか?」
「そんな風にして型にはめて絞りとるんじゃろう。上手いこと考えて儲けてます
がね。剣崎さん。勝負してまんなあ」
「まま、儲かりませんから考えましたんですがね」
「これほど堅いお商売はありませんからな」
「そういうことですがね、商売は色々考えませんと儲かりませんのでねえ。お願
いしますよ。今後は悪いようにはしませんので」
「オタクのハッパの密輸のための横浜埠頭の保税倉庫と検疫の便宜だけでもうち
の利益の数倍の儲けがあるでしょう。噂ではメキシコの建材工場で石膏ボードや
、ブロックに薬やハッパを練りこんで輸入する計画もあると聞きましたでえ」
「そんな噂、デマですよ。ヤクはやばいですから小口でやってますからな」
「いや、なんでも簡単には儲かりませんな。剣崎さん、うちなんて、議員やるた
めに買い取った児童福祉施設もボクシングジムも赤字で資金を出している民宿も
いつまで経っても赤字でこれだけで食っとるようなもんで、大変なんですわ」
「会長、ヤクの利益を50%50%で渡しますんで東日本臓器移植ネットワーク
システムを使わせてくださいよ。たのんますわ」
「またえげつないこといいますなあ」
「お互い様ですがね」
「まああまあ、そこまで言うなら考えますけど、神奈川では横浜以外にシマを広
げるいうんでは話になりませんで。剣崎さん、それでもいいのですかな?」
「ええ、広げませんよ。サカズキを交わしてもいいですわ。うちが舎弟になって
もかまいませんよ。お互いの力で協力して儲かればいいでしょう。そこまで考え
てますんや、それさえ、共同でやれるんなら、親分、あ、失礼、先生の舎弟ちゅ
うことになりますでしょう」
「ああ、そういう気があると言うことでいいのかな?しれ、本気ですかね?」
「そうです。本気ですわ」
「じゃ、ちょっと考えて見ますので身内と相談しますわ」
「そうですか、嬉しいですねえ、この縁組はごっついカネになりますよ、永沢先
生」
「よっしゃ、剣崎さん今日は飲みましょうか。喧嘩しても金にはなりませんから
ねえ」
剣崎ほどの資金量を持たない永沢は人の金で儲けることが一番の安全策だった。
お互いの利害関係に明かりが灯ったような感覚を覚えた二人はここで急激に接近
したような気分だった。
永沢の良好な反応を感じ取ったことで気分を良くした剣崎は「うちの娘が横浜関
内の「ブルーシャトー」といいましてね、神奈川中央新聞ビルの正面にあるビル
の地下一階でクラブをしてますんで紹介しますわ、先生は一生無料で飲んでくだ
さって結構ですよ」
「いや、自分で往ったら自分で払いますよ」元々女が好きな永沢は「こら良いぞ
」とウキウキシてきた。
「そうですか、好きにしてくださって結構ですが、美味いプレゼントを用意して
ますんでね、じゃあ、向かいましょうか?」
「おお、わしゃ、そんな簡単には騙されませんで、いいですか、剣崎さん、わは
はは、じゃ、行きましょか。薬だけはいれんとってくださいよ。ハハハ」笑いな
がら剣崎を牽制していた。
「そんなことお互いにやめときましょうよ。するわけがないですわ。勘弁してく
ださいよ。たのんますわ。ははは」
「冗談ですがね」といって笑いながら席を立った。剣崎も笑いながら腰を低くし
て永沢を出口に案内していた。
「おう、いくぞ、用意せい」
「へい」と子分達は一斉に立ち上がった。
「先生、飲みに行くときは会長とお呼びしますんで」
「おお、結構ですよ。よろしく」
「へえ。じゃ、お連れします」
二人は「ブルーシャトー」へ向かった。
横山と龍一は店が終わり、横山の部屋に帰っていた。
龍一は両手を併せて頼み込んだ。
「横山さん。お願いします。おれ、難しくて出来そうにないですわ、計画書。頼
むからつくってくれないですか?」
「え∼、面倒臭いじゃないか」と横山が以外にも簡単に断ってきたので龍一は焦
って何度も「お願いしますよ」といって手を握ったり肩を掴んではお辞儀して頼
み込んでいた。
「今度稼いでご馳走しますからお願いします!お願いします!」と龍一が半ヤケ
クソで笑わせてみようと試みて昔の人気漫才師の真似をして深々とお辞儀をして
頼み込んだので特に面白くはなかったのだが仕方なく課題レポートの提出と論文
の作成に忙しくしていてそれ所ではなかったのだが横山は「まいったなあ、海賊
レストランだろ。色々イベントと、設計図だな、釣堀もやるんだろ。ン∼∼∼?
参ったねえ」と云いながらも人が良いので返事はしなかったが、すでに頭の中で
構想を練り始めて考え込んでしまっているようだった。
龍一は「返事を受ける前に有難うございます」と云ってお辞儀をするほど抜け目
がなかった。
横山は「まいったなあ」を繰り返してそしてそのまま引き受けてしまったのだっ
た。
龍一は則弥に電話した。
「おお、ノリか、横山さんが計画書を作ってくれるってよ」
「ほんとか、あの人なら賢いから上手いことやってくれるよな」
「おお、良かっただろ。今度会ったらご馳走しろよ」といって横山をみると頭を
抱えてすでに考えていた。
「任せとけ、民宿「みうら」があるでよ」
「もうちょっといい所にしろよ、頼むから」則は笑っていた。
「おお、任せとけって考えとくよ。ははは」
「たのむぞ、お前、金持ってるんだからさ」
「わかったよ。早く商売したいからさ」
お化け屋敷は順調だった。
夜遅くまで客足が絶えないほどの人気ぶりだった。相変わらず屋根の上に取り付
けられたメガホンからは「キャー、ワオー、ワッ!」という叫び声が海岸の客を
呼び込み、爺さん連中が行列を作るほど客足が耐えなかった。
高級クラブ「ブルーシャトー」に到着した永沢と剣崎はフロアの中では一番広い
席に座ると永沢は「おお、これはいい店ですなあ。品がある内装で」と眺めてい
た。
剣崎はママである娘の剣崎舞を紹介して専属だと云ってチーママの宮元多恵を永
沢に就けていた。
永沢は女が目の前で紹介されると上から下まで舐めるように物色して「ええじゃ
ないか」と満足してはエロ映像を額に映して陶酔し始めていた。
「会長、こいつがこれからは会長の女ですわ。気に入ればですがね。多恵、挨拶
せえ」多恵は能面のように無愛想だった。
一瞬能面で映像が消えかけたところで剣崎が「馬鹿野郎!」と言って平手打ちし
たことでまた映像が動き始めたのだがぼやけていた映像をはっきりとさせるため
に「これこれ、剣崎さん女に手を上げてはいけませんよ」と修正機のスイッチを
入れると「はあ、でも、あ、会長、こいつが気に入らないのでしたら気に入った
女を付けますよ」というプロデューサーの判断で配役が切り替わりそうになった
ので女優はどこかと探していると多
恵はやる気の無い態度で、剣崎にさえも眼を合わせなかった。
「いや、いや、この子が気に入りました」といってチャンネルをそのままにして
おくことにしてみた。
すると「そうですか、じや、多恵、飲み物作れ」というプロデューサーの前にあ
ったブルーのガラステーブルにはシャボー・グースとバカラのグラスセットが置
かれ、他のテーブルとは大きさがはっきりと違ったフルーツタワーが永沢の映像
を引き立てていた。
「はい」と、多恵がブランデーの水割りをやる気がなさそうに永沢のテーブルに
置いていた。
多恵は剣崎組に囲われた女だった。
カード破産寸前でサラ金の借金を返せなくなり、裏金業者で300万をつまんで
から、追い駆けられるようになり、OLを辞めさせられた後、ブルーシャトーの
ホステスとして働いていた。
「会長、こいつは誰も手を付けていませんので心配はご無用ですぜ。シャブ中で
何処にもいけませんわ。此処で稼がにゃあ、ソープ行きか決まっていますからね
」という専属女優の初主演かと永沢は多恵の顔をちらっと見てなるほどと変に納
得していた。
「顔だけはいいので部屋も借りてやっていますから、今日からでも一緒に暮らし
て結構ですよ。な、多恵!」そういわれても動じない多恵は何所か人生を諦めて
いるのか肝が据わっているのか分らない。
即答で「はい、いいです」と答える思考回路はすでに薬で犯されているのかとも
考える永沢だった。
「そうか、気に入ったか、会長が」
多恵が首を縦に振ると「まあ、そう、良かったわ」とママの剣崎舞が多恵の顔を
覗いていた。
「別に、気に入ってはいませんが、それでいいです。どうせ、断れませんですか
ら」と突然まともな返答をしたので永沢は一応脳みそは未だ大丈夫なんだと変に
安心していた。
多恵の返答に「何だと」と怒った剣崎は多恵を平手打ちしようとしたが「まあま
あ、剣崎さん。いいじゃないですか」と剣崎の腕を掴みながら永沢は多恵の体を
想像して今日からこの良い女が自分のものだと思うと胸が躍りだして幻の女優を
抱いて見ているような幻想に浸っていた。
剣崎には永沢のネットワークを利用して仲間内の誰かを政界に進出させてから、
将来はこの独占ネットワークを正に独占できると云う思惑が拡がって興奮してい
た。
永沢は投げやりな態度の多恵を見て、この女は逃げはしないと確信して虜になっ
ていった。
「ははは。いいじゃないですか、私は好きです、黙っている女よりいいです。気
に入った、はっきり言うねえ」永沢はご機嫌だった。
「会長、じゃ、東日本臓器移植ネットワークシステムで儲けましょうや」
「あらまあ、そんなに良いお話だったの?」と舞がいうと、剣崎はご機嫌で、
「まあ、そういうことやな」と笑って答えていた。
永沢は「こんないい女が・・」と隣で鼻の下を伸ばして飲んでいた。
「おお、乾杯だ∼」
「目出度い、目出度い」と剣崎はご機嫌だった。
横浜市、中区本牧のグリーンとバンカーのある一軒家では裕福な家庭生活があっ
た。
浜本和明、横浜貿易株式会社社長宅だった。妻美智子、中学生となった陽子は幸
せな生活を送っている。陽子は私立の有名中学校に車で通っていた。
車の運転手は家族専用の運転手だった。
「陽子さん行ってらっしゃい」母親が玄関前で陽子を送り、陽子は学校から帰り
、着物に着替えて直ぐ日本舞踊の教室に通うところだった。運転手は後部座席に
座ろうとする陽子を迎えてドアを閉め、運転席側から母親に一礼してから席に着
いた。
龍一は早く稼いで自宅から完全に独立することばかりを考えていた。今回のレス
トランが成功すれば部屋を借りて、一人で生活が出来ると考え、張り切っていた。
自分達で協力し合い、アイデアを出して金を稼ぐことに魅力も感じてきており、
無意識のうちに楽しんで仕事をするようになっていた。
暴走族シャドーのメンバーの大半が同じように自活することを考えだしていた。
龍一は普段横山の部屋に居候しているが、斉藤、佐藤、梅野も疲れると一緒に雑
魚寝した。毎日では流石に嫌われると考え、週に2日くらいは自宅に帰るように
してはいたのだが、その都度あの家にオヤジが居ると思うと隆一の心は荒むのだ
った。
鮫島ジムでは人一倍練習する龍一が練習生5名と最後の鮫島賢とのヘッドギアー
をつけないでしたスパーリングでボロボロだった。目尻を切り、リングに倒れて
顎にも切り傷が出来ていた。練習後ふらふらと隣の養護施設「ひまわり」に戻っ
ていくと日課である竹ぼうきで園内の掃除を始めるが、その日は酒で酔ったよう
にふらふらで竹箒が杖のように見えていた。
「京子あれ見て、あいつ、また酒飲んでふらふらだぞ」
「あ∼、バカ、ほんとだ。どうせ、しょ∼もないことばかりやっとるんでしょ」
京子と君代は子守に忙しかった。
翌朝、園内では子供達が林田優子と遊んでいた。
縄跳びや砂遊びサッカーなど皆が思い思いに楽しんでいた。
龍一は施設の入り口付近にまた水をまく前の作業である竹箒での掃除をしていた。
小さな女の子が建物から出て来て「あさごはんだよ」と龍一のジャージを握って
揺さぶっていた。
女の子は振り向いた龍一の顔を見上げて「ひどい、おけがじゃないの、りゅうち
ゃん。わたしが、ばんそうこうはってあげるね」というと「ひまわり」の庭とい
ってもジムと民宿「みうら」との境目はない空き地で遊んでいた四歳の琴乃が靴
をパタパタさせて転びそうな足取りで事務所まで絆創膏を取りに向かって走って
いた。
それを見ていた龍一がまだシッカリしていない足取りを心配そうに眺めていると
、あ、やっぱり転んだ。
ポテン!
琴乃はうつむきに倒れたままで手の平に付いた土埃をペタペタと払っていた。
施設の事務所の窓からそれを見ていた林田優子が事務室を飛び出して出てきた。
「琴ちゃんあわてて走っちゃ駄目ですよ。わかった?」といって琴乃を抱きかか
えていた。
琴乃は優子の腕の中でうんうんと頭を動かし「せんせ、バンソウコください。り
ゅうちゃんのおけがをなおします」と優子の顔を見ながら笑っていた。
「そう、リュウさんおけがしていましたか?直してあげるんだ。おりこうさんで
すね」といって走っちゃだめだと言い聞かせながら事務所に入ると救急箱から絆
創膏を取り出して手渡していた。
「じゃあ、これね」琴乃は小さくお辞儀をするとまたヘタヘタと走って龍一の許
にたどり着くと隆一の「ありがとう」と言う顔を見上げて「りゅうちゃん、いた
いですか?わたしがなおしますね」とお医者さんごっこの積りで手当てをしてい
た。
龍一が「うんうん、ありがとね」と伝えると、「これでおケガはなおりますね」
と大人ぶった顔で答えていた。
絆創膏を貼ってもらった龍一は琴乃と手をつなぎジムへ入っていった。
ジムに入ると琴乃は缶ジュースを両手で抱えて椅子に座り、龍一たちのトレーニ
ングを観察するのだ。
龍一は晴れてプロテストに参加できる年齢をクリアしていた。
なかなか父親に承諾書を提出できず、悩んでいた。
母親はオヤジには内緒で印鑑を押すことに躊躇していたのだった。
しかし、そのことがジムには都合が良かった。
隆一は練習には真面目に通い、ともすれば新人王も夢ではないとトレーナーのお
墨付きも出ていた。しかし、問題はジムにあった。
金も無く、有名選手が居ない「鮫島ボクシングジム」では対戦相手や、試合を組
む金がないのでライセンスを仮に取ったとしても試合を組むまでの余裕がないの
である。龍一は子供であったため、夢は大きく世界チャンピオンであった。
才能があることを認めていた鮫島賢はおだてて、出来るだけ長い期間、龍一から
も入会金、月会費を取ることだけが目的であった。
実際はライセンスを取らせること自体積極的ではなかったのだ。
そんなことを話すとトレーニングに来なくなるので「ライセンスがあると喧嘩も
出来なくなるぞ」と話を逸らす事が多かったのだ。
龍一は全くそんなことで運営しているとは思ってもいなかったのである。
トレーナーの小池建夫は硬く口止めされており、内情は誰にも話さなかった。
万が一プロテストを受けるものが現れた場合には全て実費で受けさせることで乗
り切っているのだった。
横山が練習にやって来た。
「おお、龍ちゃん計画書できたよ」といって横山がショルダーバックを叩いて見
せた。
「これ」パンパン!
「ほんと?やったぜ、今日練習終わったら則弥の家に一緒に行ってくれますか?
」龍一は嬉しそうに笑ってサンドバックを叩いた。
「勿論いいよ。今日は楽しみだなあ」
「よく書けました?」
「当たり前だろ、3日もかけたんだぜ」
「そうか、すいません。有難うございます。」龍一はサンドバックを打つのを辞
めてお辞儀して笑った。横山も親指を上にして、拳を上げて合図した。
「ヒュ∼ドロドロ」
「キャ∼∼」
お化け屋敷は順調に客が入っていた。
順番で笹木が当番で管理していた。
もう直ぐ終了の時間8時50分だった。
男2名が来店した。
メガホンから「ヒュードロドロ、キャー、キャー」と内部の音が響いていた。
「いらっしゃいませ。お二人ですか?」
何故だか二人は笹木の顔をじっと見ていた。
「ああ、君、永沢君ですか?」
「違うよ。どうして、あいつ、今日は休みだよ」
「ああ、そうですか?すいませんけど、あんたシャドーの人?」
「え?」
シャドーと聞いて、笹木は一瞬構えた。
「あ∼∼いやいや」と男は左手を伸ばして手の平を広げて笹木に向け、戦意はな
いことを示していた。
「すいません、おれ達単車が好きで永沢さんのシャドーに入りたいと思って探し
ていたら此処にいると聞いたんで」といった。
笹木は少し感激して警戒をほどくと「そうか、今、多分、道場か自宅に居ると思
うけど」と言うと、男がいきなり「そうか」と一言云うと、拳を振り上げて笹木
を殴った。
予期せぬ不意打ちに笹木は避ける事が出来ず「ゴン!」と重いパンチを食らって
いた。
一瞬で視界が真っ白になり何が起こったのかもわからなかった。
「あ∼∼、いてえ」砂浜に倒れたが何処なのかも分らない。
「バカやろう、おれはなあ、こないだあそこで永沢にやられた愚連隊の伊藤じゃ
あ」
「あ∼?」突然の男の暴挙に笹木は唖然として思考回路が切れて倒れていた。
考えるまもなく、「俺はなあ、一緒に居た白井じゃあ、この野郎、調子に乗りや
がって、バカやろう」と伊藤と白井は二人係で殴る蹴るを続けた。
「あ、あれ?何だ。ウッ!ゴホッ!」
やっと何が起こったのか気がついた。
このやろう、伊藤と白井の動きが見えた。
「テテテ、クッソ∼∼」
一瞬の隙を見て笹木が反撃していた。
右フックで伊藤の頬を叩くと直ぐ左ストレートで白井の頬を捉えた。
倒れた伊藤が立ち上がり、笹木が白井を殴った瞬間に笹木を羽交い絞めにした。
伊藤が立ち上がり笹木の顎に前蹴りを入れた。
砂地で足場が悪く踏ん張れない。
「オットット!」
あれれ。と足場を確認するために地面を見た。
「あ」
目の前にあった両足の一本が消えた。
ゴツン!
「この野郎、食らいやがれ、死ね!」といって蹴りを入れた白井は後方へ倒れた。
笹木が後方へ吹っ飛び、伊藤もよろけた。
笹木が再び立ち上がって伊藤に左ジャブを2回入れてから右ボディーを打った。
「うっ!おうっ!」といって伊藤が前のめりになった。
白井が笹木に回し蹴りを後頭部に入れた。
「食らえ、この野郎」後頭部にヒットした。
笹木が前のめりに倒れた。
笹木が顔を上げると伊藤が顎に蹴りを入れた。
笹木が口から血を吐き、後ろに倒れた。
砂が顔面に降りかかり視界を遮った。
笹木はふらふらで立ち上がり、ぼんやり見える伊藤に右アッパーを立ち上がりな
がら入れた。
「ゴン!」と伊藤がずり下がり、倒れた。
「クッソ∼。このヤロウ」白井もふらふらで笹木を殴った。
笹木も朦朧としながら白井を殴った。
白井が懇親の力を振り絞り、「お前らなあ、永沢かなんか、知らんが、おれ達の
バックはのう、横浜剣崎じゃ、田舎の百姓と規模が違うんじゃ、ナガサワごとき
が調子にのるんじゃねえ」といって笹木の後頭部に廻し蹴りをいれた。
笹木の目は空を見上げているようだが焦点が定まらず口は開いたまま前のめりに
なりスローモーションのように倒れていった。
周囲の見物人は声も出なかった。
笹木が倒れると白井と伊藤は肩を組みあい、ふらふらと歩いて立ち去って行った。
二人が立ち去ると「お化け屋敷」のお化け達が小走りに近寄って笹木を起こして
いた。
「おい、大丈夫か?」
「佐々木さん大丈夫?」笹木の体を仰向けに戻しお化けが声をかけた。
笹木の顔は砂まみれで口には砂を含んでいた。
笹木は「ゴホ、ゴホ」と咳をして「ああ、いててて、苦しい。ノリを呼んでくれ。
なにが横浜剣崎じゃ。くそったれ!」と砂を吐きながら話していた。
「解りましたけど、救急車呼びますか?」
「そんなモンはええ、自分で行くわい。ゲ!」っとゲロすると唾と血が混ざって
ピンク色だった。
「やっぱり駄目でしょう。呼ぶよ?」
「がわ、げ∼。ぐた、じ∼∼」
笹木は気を失った。
「お化け屋敷」はいそいで閉店した。
救急車が来るとお化け達の皆が三浦病院へ急いだ。
龍一と横山は永沢の事務所に居た。
「ノリ、これならオヤジさんもおそらく文句なしでOK出すぞ」龍一の声が弾ん
でいる。
「おお、いけるぞ、細かいところまで計算してあるからなあ。横山先生凄いザン
ス。ははは」オヤジは風呂に入っていた。
「今出たみたいだから、ビールでも飲んで待ってて頂戴ね。龍ちゃん元気そうで
良かったわ、横山君はお店で見かけるからよく分っているけど龍ちゃん達は則と
一緒で何やってんだかてんでわかんからねえ」永沢の母親が会いにでてきた。
ドスドスドスっと重い足音が響いていた。
「おお、横山、龍も一緒か」オヤジが出てきた。
「おじさん、店の件は横山さんじゃなく、俺とノリが主役だよ」龍一が笑って話
し始めた。
「わははは!そうじゃったのう」オヤジは機嫌がいい。
「どれどれ、計画書を持ってきたんじゃろ、見せろよ」
「はい、これです」龍一が手渡した。
「ほう?・・・」オヤジはじっくり読んでいる。
「なかなか面白い発想が盛り込んであるな」
「ほんとか、オヤジ、いいのか?」
「まて、あせるな、ノリ、お前はせっかちでイカン。そういうやつは絶対に失敗
しないと分らんのだ。静かにしていろ。今読んでるからな。ゲームな、うん、釣
堀、コミック接待、ふんふん」
「はあ・・なかなかのもんじやのう。お前等の考えが良くわかったぞ。面白そう
じや、のうリュウ」
「
ははは。有難うございます。将来的にはみんなでショウもやろうという事になっ
ているんですよ。そういうみんなの意見を書きましたんです」龍一が笑った。
ジャリンリンジャリンリン
電話だ。
「はい、永沢です。・・はあ。・・ちょっと待ってね」
「ノリちゃ∼ん電話」
「おお、誰じゃ」
「佐藤君だよ」ノリが席を立ち、電話に向かった。
「リュウ、これは面白い、やってみろ、金は全部俺が出してやる。けどな、最初
っから全部を設備するな、最初は何からやるかこれには書いてないからスタート
に必要な最低限の設備で始めろ、いいか、失敗してもケガを小さくするためだ。
いいな、夢だけでは金は掴めねえ。人は直ぐに飽きるからな、ヤクのように病み
付きになるものをお前等が作り出すんだ。いいな」とオヤジは何度も人差し指を
立てて龍一の目の前に翳していた。
「はい。ヤクのように病みつきにはちょっと」
「ははは。そうだったな。横山、お前、手伝ってやってくれ。少しづつ儲けて設
備するように指導しろ、いいな。内装は最初3000万でオープンできるように
考えてやらせ、自分達で出来ることは自分達で作れ、いいな。内装は早目に見積
を出させろ、幾らかかるか分らんのでな」
「はい」
「はい、おじさん有難うございます」
「おう、確りやれ、いいな。ジムや、施設の足しになるようにもな。いいか、飲
食ではアルコールが一番儲かる。それに支払いが30日間余裕があるんだそれだ
けでも結構時間の猶予がある。そこを美味く利用して経営するんだ。いいな!」
オヤジは意外と太っ腹だった。
「ちゃんと返すんだぞ。毎月な」
「分ってますよ。ちゃんと返します」
「よし、頑張れ」といってオヤジはビールを飲んで笑っていた。
ダダダダと廊下を走る音が響いた。
ノリが慌てて部屋に入って来た。
「おい、大変だ、笹木がやられた。三浦病院へ行くぞ」
「あ∼∼。何だって、どうした」
「とにかくやられたんだ、行くぞ∼」
「何だって、どうしたんだ」
「とにかく、笹木がやられたんだ」
「おお、すいませんおじさんまた来ます」
「オヤジ、ごめんちょっと行って来る」
「友達が大怪我して手術中なんだ」
「おお、そうか、はよういけ。事故すんなよ」
「おお、じゃあな。行って来る」
バイクで駆けつけると病院は「お化け屋敷」の客や、知り合いで渋滞だった。
則弥と龍一は事の経緯を「お化け屋敷」のアルバイトの女に聞いたが誰がやった
のかは聞き出せなかった。
笹木の手術が終わってから意識があれば一部始終が聞きだせるのだった。
看護婦に聞くと内臓損傷で重傷ということだったのであまりにも重大な事態と知
り、全員がショックで言葉を失っていた。
病院のスタッフは龍一達がうるさいので度々注意するために診察室や事務室から
出て来ては「いい加減静かにしてください。さもないと出て行っていただきます
よ」と青筋を立てて注意していた。皆あんたのほうがよっぼどうるさいとぼやい
ていた。
「笹木はどうだ。大丈夫か?」
「未だ分らん。何てこった」永沢則弥と龍一は言葉も出ないくらいショックだっ
た。
愚連隊の伊藤と白井は喫茶「茅ヶ崎」に戻っていた。
仲間20人くらいが待っていたが、伊藤と白井が何をしていたのかは知らされて
いなかった。
「おい、お前ら、またやられたのか?」伊藤と白井の顔を見て渡辺が言った。
伊藤は興奮気味に話し出した。
「馬鹿野郎、やられてなんていねえよ。シャドーの奴に一発かましてやったぜ、
絶対あの野郎、重傷だぜ、なあ、白井」
「ああ、目一杯やったぜ、ぶっ倒れて動けなかったからな。あいつは病院送りだ
ぜ」
伊藤と白井は一方的に笹木を袋叩きにして満足げに話していた。
勝利に酔いしれ、次のターゲットをも叩きのめすことが容易にできるという自信
が湧いてきていた。
金子は不安そうな面持ちで聞いていた。
「お前等、永沢はヤクザだぞ。いいのか?」
「今度は絶対に永沢だ。絶対殺してやる。あの野郎だけはこれくらいじゃ、おさ
まらねえ」
伊藤は今回永沢を叩くことが出来ず、悔しさに火がついて燃え上がって興奮して
いた。
「どうせ、お前らが先に手を出したんだろう。またサツがきたらどうすんだよ」
と金子が伊藤に質問していた。
「あいつが先に手を出して来たと言うさ」
金子が伊藤に何処まで痛めつけたのかを尋ねた。
「見ていた奴がいたんだろう、どうなんだ、殺しては無いだろうな、死んでたら
どうするんだ。おまえら、どうだ、考えてやったのか?」金子の質問で不安にな
った伊藤は「暗かったから顔は見られてはいないはずだ。こうなったらそこいら
中でシャドーの奴らを捕まえて、かましてやれば、捜査対象が増えまくって、捜
査にも時間がかかるだろう。もっと、もっと、やるしかねえぞ、なあ。白井!」
と質問には答えず、金子の言う死んでいたらという事に不安になり一方的に自分
の考えだけを連ねて不安から逃れるように話していた。
「そうだ、どおって事ねえよ。たかが喧嘩だぞ。殺すまではやってねえし・・」
白井も相手の状況までは冷静に観察していない様子だった。金子らの質問攻めに
合い、冷静を取り戻して思案した伊藤は「おい、金子、絶対大竹には言うなよ、
分ったな。言ったら焼き入れるからな、お前、いいな」と金子に要求したが、以
外にも良識のある金子は今後の成り行きを想像すると怖くて怯えていたが仲間と
してかかわった以上逃げることも出来ないので「・・ああ分った。でも警察の手
入れが入ったらすぐに総長達にもばれるぞ」といって伊藤にどうやって逃れるの
か言い訳をするのかと考えておくように投げていた。
「もう良い、どうのこうの言い出したらあいつらは仲間から外せばいいだろう。
そういう事だ」といって白井は黙っている伊藤を庇って開き直って答えていた。
伊藤は揺れ動く不安と復讐心の中で白井が金子に意見したことで開き直ると「い
いな、お前らもシャドーのやつらは見つけ次第焼き入れろ。永沢なんて剣崎にか
なうわけがねえ。分ったな」といってここまで来れば突き進むしかないと見栄を
張っていた。
「おお∼∼」といって金子、渡辺以外全員が伊藤たちの意見に乗っていた。直接
事件にかかわらなかったメンバーの中には独特の虚栄心を掻き立て、誇示したい
という欲望が支配して一度は経験しないと分からない馬鹿が大勢集まり、罰を受
けなければ直らないという輩が集合して成り立っている。前科や少年院帰りがス
テータスであるが、恐れを知らぬではなく一人では何も出来ない集合体という側
面もあるのだった。
三浦病院には永沢、龍一、横山が暗くなった待合室で手術が終わるのを待ってい
た。
すでに5時間が過ぎていた。
笹木の両親には連絡していなかった。
自宅はわかるが、連絡先が分らないのだった。
龍一達には凄く長い時間に感じたのだった。明け方手術が終わった。
笹木がストレッチャーで運ばれる。
「おい、笹木、おい!」龍一と永沢が動くストレッチャーの笹木に話しかけてい
た。
看護師が「落ち着いてください。静かにお願いします」と言いながら二人でベッ
ドを押していた。
龍一と則弥がベッドにしがみ付いて離れないので「すみません、静かにしてくだ
さい。今からICUに入りますので面会は暫く出来ませんのでお引取りください
」ときつい顔をした看護師は則弥の手を払いのけてストレッチャーを押し出して
いた。
「え、どういうことだよ」永沢が質問した。
「手術は成功ですが、頭部を強打していますので意識がいつ戻るのかが未だ今の
段階ではわかりませんので。麻酔が切れる頃がポイントです」看護師は冷静に答
えただけだった。
「え、大丈夫じゃないのですか?」
「はい、すみません急ぎますので失礼します」
「嘘だろ。畜生、どうなってやがる」永沢と龍一たちはその言葉を聞くと暫くそ
の場から動けなかった。
腕に力が無く揺れるストレッチャーに揺れながらまるで死んでしまっているよう
に見える笹木を見ていると子供の頃から今まで毎日のように遊び、家族のような
関係になっている笹木を置いて帰ることが出来ないでいた。
ICUの前には椅子もないので仕方なく待合室に集まっていた。
度々ICUを覗きに行くが笹木のその後に変化はなくただ静かに待っていた。
言葉も無く座って待っていると自然に疲れてくる。
仕方なく椅子を使って眠ることにした。
病院は静かだった。
待合室で寝てしまっていた龍一の目が覚めた。
午前8時が過ぎ、病院の待合室に患者達が集まり始めたからだった。
9時の診察に向けて老人達が受付を始めたのだった。
自動受付機の前には女性の案内が居て車椅子や乳母車を引きながらやってくる老
人達に丁寧に機械の取り扱い手順を教えている。
殆どをそのお姉さんがやってしまうので次から来たときにも老人達は自分ひとり
では出来ないのではないかという懸念が頭を過ぎる。何処の大病院でも見られる
ようになった光景であったが病院側にはこれが一番の対応策のように見えるのだ
ろう。
最初に待合室の椅子に寝ていた3人の中で目が覚めた龍一は痛くなった首を廻し
てほぐしたが、痛みは全く取れる気配がなかった。
則弥の寝顔を見てから右手を首に廻して揉みながら龍一は笹木の居るICUに向
かった。ドアのガラス窓にICUとある。
先端集中治療室にある設備が頼りなく見えていた。
その時代の最高の医療を施される風景がそこにはあるはずだった。
じっと笹木の姿を見ているが、設置された機械が邪魔をして、笹木の足の親指の
先しか見えない。
あとからその場にやってきた永沢と横山が龍一の両脇に立ち、笹木の姿を見てい
たが、同じように考えて見ていた。
確認できる足の先端は動いている様子は確認できなかった。
「リュウ、笹木は助かるよなあ」永沢は風帝に似合わない言葉をブツブツという。
龍一は「当たり前だ、ボクシングで鍛えている心臓があるんだ、絶対に大丈夫だ
」と自分にも言い聞かせるように呟いた。
横山は「頑張れよ、頑張れよ」と窓から笹木を見つめて祈るように両手をあわせ
て握り祈っていた。
ICUの中では心電図を見ながら看護師達が点滴や、ガーゼを取り替えていた。
看護師が龍一たちに気がつき、ドアに向かって歩いてくる。
「お早うございます。ちょっとこちらでいいですか」「はい」
「ドアの前ではと思いますのでこちらでお話します」といって、ICUのドアか
ら少し離れて壁際で看護師が話し出した。
「私は医師では在りませんので詳細については担当医師よりご家族に説明いたし
ますが、一応、状況といたしましては笹木さんの意思が重要な局面と今はなって
おります。手術の成功はすでにお耳に入っていると思いますが、頭部を強打した
ことで極度の痛みや刺激が上行性網様体賦活系を介して、意識の覚醒度をあげる
と考えられています。脳の損傷は一応発見できませんでしたので一時的なショッ
ク状態ではないかと診断されていますが、麻酔から覚めても良い時間になっても
意識が回復しませんので現在は昏睡状態といえます。心電図、脳波も通常に近い
状態まで回復しつつありますので生命の危機は脱したと考えられます。後は目覚
めるのを待つだけです」
「助かるんですね」永沢が質問した。
「はい、後は目が覚めることを待つだけです。詳しくは医師にお尋ねください」
龍一たちはひと安心した。
「そうか、良かったな。頭を蹴られたんだろうなあ、お化け屋敷の前は砂浜だか
ら堅いものはないからな。倒れた場所が柔らかいことだけが救いだった。頼むぞ
、早く起きろよ」と皆が思いながら笹木の指先を見ていた。
横山が分析した「おれ達を狙う奴らで愚連隊が一番怪しいけどな」というと龍一
が考えたことを永沢も考えていたことだった。
しかし確証はない。
「くそ、笹木が気がつくのを待つしかないのか?なにもできねえのは辛いな」と
いって永沢が何度も悔しがった。
横山が血相を変えて笹木の姿を見ている永沢の顔つきを見て「お前ら、仕返しを
考えていると思うけど、派手にやるのは辞めろよ。終わりが無くなるからな喧嘩
は」と永沢の顔を見て云うと、永沢は真っ赤になった目を吊り上げて「我慢でき
ねえ」と拳を握り、龍一も「笹木を思うと俺も我慢できねえ」と怒りを抑えきれ
ないという眼で訴えていた。
横山は「みんなを抑えるのがリーダーだぞ、ただの喧嘩集団にはなるな、欲求を
発散するだけでいいじゃないか。そのほうが格好いいぞ」と引き止めていた。
「そうだけど、笹木は絶対仕返しを考えるぞ。あいつがやられるなんてだまし討
ちくらいしかないからな」と永沢が反論していた。
「それを抑えて、違う方向へ向かわせろ、いいか、喧嘩は喧嘩しか生まない。後
で後悔してもいいことはない。死ぬまで続くぞ」
「大人ぶっても、おれ達はおさまらねえんだからしょうがないでしょう」と則弥
は怒りを抑えられないでいた。
翌日もシャドーのメンバー30人が喫茶「めぐみ」にいた。
全員が怒りが収まらず、ママのいう「喧嘩なんて何の得もないでしょうに」とい
う事場も無視して血気盛んに怒りをぶつけ合っていた。
「探し出そうぜ、このまえの仕返しで絶対愚連隊に笹木は狙われたんだ」
「オウ、おれ達の力を見せ付けて愚連隊を潰そうぜ。この際誰でもいいからやっ
ちまおうぜ。手当たり次第とっ捕まえて問い詰めるしか犯人を見つける手立ては
ないと思うけどな」
「確か、総長は大竹という奴だった」
「まずはそいつを叩くか?」
「あいつらは喫茶「茅ヶ崎」に集まるらしいからそこを潰しにいくか?」
「店を襲えば問題がでかくなるから外でやるしかない。店の前で待ち伏せしてや
っちまおうぜ」
「そうだ、クソ、やっちまおうぜ、それと、少人数では足が付きやすいから集団
で襲って集団で逃げるのが一番いい」
「警察も攪乱しないと鬱陶しいからな」
「それでな、お前らも暫くは単独で単車には乗るな。危ないからな」永沢が皆に
指示していた。
「暫くは奴らも笹木に大怪我をさせたから大人しく様子を見てくると思うけど、
同じように探りを入れてくる可能性もあるので病院に来るチンピラも注意して追
う必要がある」龍一が言った。
ガラン!とドアを開けて横山が入ってきた。
「ウッス!ウッス!
「よう」「よう」
大竹と上原だった。
「おお、久し振りだな」と突っ張った顔を無理やり笑顔に戻していた伊藤が云っ
た。
「おう、傷は大分良くなったみたいだな」
「ああ、大人しくしているからな」
「ところでお前ら、剣崎に入れる金持ってきたか?」と上原が訊いていた。
頷いて返事をしている全員が持参してきているようだった。
「愚連隊」の会費は月1万円だった。
剣崎組に上納している。
金子は風俗の女5人から毎月3万円を取って上納していた。
「お、金子、16万か、船戸さんがまた喜ぶぞ」と訊くと金子は床を見ながら後
ずさりしていた。
「おお、宜しくな。ナベ、お前は?」
「俺は今月10万しかない、女がよく風邪で店を休みやがってよ、仕方ねえよ」
「まあいい、よく言っておくよ」
「悪いな、たのむぜ、焼きだけは食らいたくねえ」
「お、分った」
「伊藤、おまえは?」
「5万しかねえ。お休みが多かったからトロールを捌く時間が無かったからな」
「そうか、仕方がねえけど、俺は船戸さんに渡すだけだから言い訳は船戸さんに
しろ」小さくチッと舌打ちをした伊藤を見て大竹は内心「こいつは一物持ってい
やがるな」と思いながら視線を投げてきている白井に視線を向け直すと「白井お
前は?」と言いながら白井の反応を窺っていた。
白井は下を向いて首を何度も横に振った。
「無いのか?」
「・・・」
「何とか言えよ!」
「すまん」
「そうか、何度も言うようで悪いが、仕方がねえな。俺は船戸さんに渡すだけだ
から言い訳は船戸さんにしろって」
いつもならばこういう態度を取らない伊藤の素振りを見ながら伊藤に釣るんで何
か悪巧みでもしているのではと疑っていた。
暴走族くらいの「押し」では金を集めるにも大きな顔でふらつくにもハッタリが
効かず剣崎の代紋で風を切っていることを分らせようと「金が払えねえ奴は愚連
隊から抜けろ、それが組との約束だからな。最低たったの1万円だぞ、どうにも
ならねえ奴はバイトでもしろ。いいな」といって大竹はハッパをかけていた。
上原は下を向き、踵を軸にして足の指先を左右に揺らしている伊藤を見ながら、
大竹の話を真面目に聞け!と思いながら見ていると伊藤は急に顎を持ち上げて大
竹を睨みつけていた。
「おい、上原、大竹」伊藤が云った。
「お前ら、なにもしねえで頭ズラするのはおかしいんじゃねえのか?」といって
大竹と上原がキョトンとして反論しないと「仲間がやられても黙ってみているだ
けで、何にもしねえじゃねえか。お前らが此処から出て行けばいいだろう」とい
って詰め寄っていた。
「なんだと、おまえ、・・」上原が伊藤に殴りかかろうとしたが、大竹が「まて
」といってその手首を掴んで阻止していた。
「じゃあ、お前はどうしたいんだ」と大竹が伊藤を問い詰めていた。
「俺は、永沢てえ野郎に仕返しをしてやるんだ。決まっているだろう。叩きのめ
すんだ。このままじゃ気がおさまらねえ」
「おまえ、年少か務所に入るのが好きか?」大竹が云った。
「別に行く事は怖くねえ」
「仕返しして何か良い事があるのか?お前、それにお前から手を出して返り討ち
にされたんだろう、それをこの組の奴らを使って鬱憤を晴らすのか?」と大竹が
いうと伊藤はまた下を向き「お前、仲間がやられても悔しくないのか?」といっ
て大竹を見上げていた。
返り討ちにされたという事実が情けないと感じている伊藤は弱かった。
大竹は情けないヤロウだこいつ。自分一人で無くどうせ自分の腰ぎんちゃくの白
井にでも命令して徒党を組んで仕返しに行こうとでも画策していたのだろうと思
いながら「悔しいさ、頭にもくる。しかし奴らは俺たちに喧嘩も売ってない、馬
鹿にもしていなかった、なのにどうして殴りあわなきゃ、いけねんだ、道理が通
らねえ」といって船戸から咎められたことが伊藤たちに知られてしまっては自分
も危ないと宥めようとしていた。
「道理が何だ、気にいらねえからやるんだ。喧嘩なんてそういうもんだ。俺は」
「俺は違う、気にいらねえからやるのはわかる、でも俺は自分が強いと信じてい
る。相手も俺を見て挑戦したいという。それなら恨みっこ無しで殴りあうそうい
う喧嘩だ。相手がやる意思がない場合、成立しない」
「俺にはそんな理屈はない、潰したいだけだ」
「おまえ、そんなことやっていたら体が幾つあっても足りねえぞ」
「じゃ、何のために族やってんだ。お前は?」
「みんなと走って楽しい。鬱憤も吹き飛ぶ、たまには道端で他の族と出っくわす
、おい、お前ら俺の道を空けろと言う。向こうも空けろという。じゃあ、どうす
る。お前ら、喧嘩で道を空けるのを決めるか?よし、やるか?よし、勝負だ。と
いう喧嘩だ。そりゃあ、話にならねえ場合もある。そういうときには何も言わず
とも始まるだろう、そういう場面もあるという事だ。警察には追いかけられたく
はないからな」と咄嗟に閃いた論法で大竹は内心やり込めた気がしてほっとして
いた。
「俺もそういう大竹が好きで愚連隊に入ったんだ」とうまいこと収めそうだと上
原が云った。上原はさらに「伊藤、お前はどうしたら気が済むんだ」と尋ねてい
た。
「永沢をギャフンといわせたい」
「じゃ、正々堂々個人でやるか、愚連隊でやるか、永沢に直接会いに行け!」
「え、俺が?」
「そうだ」
「一人で?」
「そうだ。怖いのか?」
「怖くは無い」
「じゃあ、決まりだな」
伊藤はそれでも落ち着かないでいた。
それを観た上原は「伊藤、俺達が就いているんだぞ。一人が嫌なら愚連隊でやっ
てやると言っただろう。心配するな」と伊藤を言葉では応援していた。
仲間達は大竹と上原の解答に文句のつけようが無かった。
今までの自分達を反省した者も出来たのだった。
しかし、伊藤の落ち着いた姿がなかなか見られなかった。
大竹が心配して「おい、伊藤、流石の永沢も落ち着いて話に行けば直ぐに殴り合
いなんかにはならんだろう、それに、そうなっても一対一なら望むところだろう
」
「ああ、でも・・・・」
「どうした。おれ達が付いているから。大丈夫だ。何ならお俺も付いていっても
いいぞ」
「ああ、そうするか、白井、それでいいか?」
「ああ、あの、・・」
「何だ。まだ踏ん切りがつかねえのか?」
「そうじゃないんだ」
「あ?・・なに?」
「もう、言うぞ、伊藤!」
伊藤は下を向いて言葉が出なかった。
「いや、スマン。実はお前らが煮え切らないもんでおれ達でシャドーの笹木って
やつを病院送りにしたんだ。スマン黙っていて、スマン!」
「え∼∼。どういうことだ。白井、お前ら、もう仕返ししたのか?」上原と顔を
見合わせて大竹は口を空けたまま言葉に詰まっていた。
「ああ、ちょっと前にな。そいつは三浦病院に入院していて未だ意識がもどらね
えんだ」
「嘘だろ、何てことしたんだ。バカ野郎。向こうは永沢だぞ。小僧の喧嘩に組が
絡んだらどうなるのかお前分るか?」というと脳裏に船戸との対談を思い浮かべ
て愕然としていた。
「上原、もう良い、これからどうするかだ」
「ああ、今更、組に詫びを入れても遅いかもな」
「ああ、仮に詫びてもカネか、伊藤と白井を差し出せと言うかもな」
「ああ、あっちはオヤジが極道だからな。簡単にはいかねえ。こっちは剣崎の舎
弟だからな。今度は向こうから剣崎に出向いてくる可能性があるぞ」
「ああ、そうだ、これは相当マズイぞ、お前、剣崎の名前は出してねえだろうな
」
「いや、笹木って野郎には言ってしまった」伊藤はそれを聞いて目の前が真っ白
になり大きく震えるのだった。
大竹と上原は途方に暮れていた。
「おい、剣崎を出したのなら、これはどえらい大きな戦争になるかもな。ただで
さえ、愚連隊は剣崎というバックがあるとおれ達も思っているから他の奴等も手
を出せねえと思っているしな」
「上原、おれ達どうなるのか、やばいぞ」
「そうならないようにするにはどうしたらいいのか、考えるしかない」
愚連隊の危機だった。
「笹木を殺るしかねえ」渡辺が言い放った。
「殺すのか?」白井が聞きなおした。
「当たり前だ、あいつにしか言ってないんだろう、なあ、伊藤」伊藤が頷いた。
「しかし、向こうもこっちだと必ず感づいていると考えないといけない状況だか
らな。そこが問題なんだ。笹木をやっても収まらないぞ、これは」
「やっかいだなあ」
「ああ」
ガチャン 客が2名入ってきた。
「いらっしゃいませ」ママが言う。
「いや、いや、客じゃないんでごめんなさいね」
「伊藤君と白井君はいるかね」
「あんた誰だ、オッサン」金子が言った。
こういう者だけどね。と二人は警察バッジを見せた。
全員が静かになった。
「先日ね、三浦の海岸のね「お化け屋敷」知ってる?有名だからね。今!知って
いるよねえ」
「なんだよ、オッサン」
「元気が良いねえ。僕ちゃんたち。そこでね、砂浜で転んで入院してさ、熟睡し
ている患者がいてね、そいつシャドーって言う暴走族なんだって、ボクシングも
やっている運動神経の良い奴らしいんだな」
「知らない?君、知ってる?」
「俺は知らない」
「おれは?かね?」
「伊藤って子どこ?」
「俺だ。何だ、おまえ」
「あ、ほんとだ」細川は写真を出した。京急三浦海岸駅改札口20時20分とあ
る。
「あ、こっちも君だね」
「あ、何か付いてるよ」
「あ、いてえ。何するんだ」
「いや、君の頭に蚊がいたからね」細川が伊藤の頭を軽く叩いていた。
「ごめん、ごめん」
「いやね、三浦病院では笹木君の怪我があまりにも酷くてさ、それで病院の外科
医から警察に通報があってさ、病院の手術前に実態写真を撮るんだけどこれがも
う、凄くてね、色々調べたら普段三浦駅を使わない人が結構写っていたんだけど
ね、犯行時間あたりで駅にいた人は100人くらいでさ、刑事30人で写真を持
って行って聞き込みしてやっと此処に来たんだよ」
「それがなんだよ」
「だから伊藤君は何しに行ったの?ここに?」
「お化け屋敷に行きたかったからだ」
「ふ∼∼ん白井君と?電車で?」
「電車に乗っていけば楽だからね」
「それにねえ。お前ら未青年は酒もタバコも駄目だもんね」
「そうか?今日はそれだけだよ。じゃあ、ママ、ごめんね。何か情報があったら
電話が欲しいですよ。これ、私とこいつの名刺。捨てないでね」
「じゃ、またね。伊藤君、白井君」
ガチャンという音がして刑事は出て行った。
ガチャン
細川が再度ドアを開けて覗いていた。
「ア、ごめん。伊藤君、言い忘れた」
「なんだよ」
「笹木君の拳にね、2種類の血液が付着していてさ、さっき君の頭にいた蚊のお
かげで頭髪もくっついてきたからさ、DNA検査できるから楽しみに待っててね。
バイバイ。死んじゃいけませんよ。逃げても追いかけるよ」
細川は伊藤の毛髪を入手していた。
「なんだと∼∼ふざけやがってあの野郎」伊藤は足を鳴らせて悔しがった。
「伊藤、これはいかんぞ、どうにもならん可能性が大きい。お前ら、自首するこ
とを考えろ、な白井。今日船戸さんにおれ達は剣崎とは正式には関係ないといわ
れたんだ。頭にくるけど、どうしようもないんだ。だから、笹木をやったことが
剣崎と云われるとおれ達に責任が来るんだ」
「上原、それなら、剣崎に知れたらどうするんだ。ちょっとやそっとのことでは
済まねえぞ。おい」大竹は頭を掻いて苛々し始めていた。
「総長、どうするんですか?」
「組にばれる前に逃げますか?」
「そんなこと絶対に無理だ。全国に追っ手が来る」
「指つめるだけでは済まねえ、1000万の手打ちのための現金を揃えろとか、
そういう事だ」
「え∼、そんなあ、無理でしょ」
「借金とかで作るしかない、謝って済む問題ではないからな」
「困った・・・」
トイレに入ってハイになった渡辺は「笹木を殺るしかないだろう」といって聞か
なかった。
永沢音也は「ブルーシャトー」にいた。
剣崎誠と同席していた。
席には多恵が着いて酒を作っていた。
「会長、今回は有難うございます」
「いや、いや、まずは此処からという事ですがね。剣崎さん。うちではヘリコプ
ターなんて何台も買う金がありませんのでね。これで実績が出来ますし、顔が売
れますから本命に行くときには上手く行くと踏んだんですよ」
「いやあ、ドクターヘリとは驚きました。緊急医療と血液、内臓運搬には渋滞が
大敵ですからなあ、これも独占ですわな。飛行機も必要ですよ」
「そうでしょう。これも社会貢献ですがね。暫くしたら剣崎から議員を出しなは
れ、実績と貢献で理事間違い無しですわ」
「いやあ、そうしますと2本立てを独占ですね」
「そういうこっちゃ」
「いや、会長に頭下げて大正解でした。一生頭上がりませんわ」
「いや、あんたの資金力じゃ、わしにはレストランぐらいが一杯一杯ですわ」
「え、レストランやるんですか?」
「はあ、うちのガキがね、友達と組んで事業計画書を出してきましてね。色々事
業やってますけど面白そうなことを描いて来ましたんで一度やらせてみようと思
いましたんですわ」
「若いのに事業計画書を出されたなんて凄いじゃないですか。それで、何処でさ
れるんです?」
「地元ですわ、三浦海岸です」
「おお、海で、冬が大変そうですね」
「はあ、でも色々アイデアを持っている者と組んだようでちょっと楽しみなんで
すわ」
「どういうのをやるんです?」
「アミューズメントレストランとでも言うんですかね、海賊の格好をして接待す
るレストランがやりたいようでして、中にアトラクション云うもんを作って遊ば
せるようですわ」
「面白そうですなあ。何なら、うちにも一口乗せてくれますか?」
「ああ、会社にするなら面白いですが、失敗すれば直ぐに閉店させますのでね。
金が消えてもいいのでしたら是非提携して欲しいですけどね。わ∼はは」永沢は
剣崎との会話を楽しんでいた。内心いくらカネが出てくるのか期待に胸を膨らま
せながら耳を弾簿にして冷静にもてあそぶ会話を楽しんでいたのだった。
「そんな、商売はやってみないとわかりませんから一度、よろしかったらその計
画書を見せてくれませんか?」
「いいですよ。でもね、剣崎さん、最初は会社にはしませんよ、いつでも閉めら
れるように考えていますんでな」
「いいですよ、投資ですから、私はそんなにコマイ男とちゃいまっせ」
「おお、分っとりますよ」
「お互い良くなりましょうや」
剣崎は少々のリスクを犯しても何とか永沢の議員としての立場で確保できる凌ぎ
を確保して自分のやっている臓器売買を柱に表向きの事業に切り替え、将来に備
えようと考えているのだった。
同業者である永沢は手に取るように剣崎の鬼謀が手にとるように推測できてシャ
カの気分に浸りながら誘導した話材で金を引き出すのだ。
法律の改正で暴力団として世間を渡ることがさらに厳しく、小さなことで検挙さ
れればお勤め中に組が潰れてしまう危機が迫ってきているという危機感がそうさ
せているのだった。
「いい話みたいで楽しそうですね。お父さん。永沢さんもうちの父を宜しゅうに
お願いいたします。これからは大変な時代ですから。私もお手伝いしますしね。
永沢社長」剣崎舞も度胸の据わった女だった。
「はいはい。ママさん、剣崎さんとはビジネスパートナーですからね、大事にし
ていますよ。勿論これからもね。ただ剣崎さん、この仕事は何かあったら直ぐに
返上する契約ですから良く考えて契約してくださいよ。事件事故は駄目ですよ。
利権を欲しがっている奴らは沢山いますからね。そして理事である私との約束は
絶対ですからな」
「分っていますよ、裏切りませんよ、絶対にね。勿論事件なんて絶対に起こしま
せんよ」
「それならいいですよ。今後もね。ヤクのルートだけは絶対に探られてはいけま
せんよ」
「はい、それだけは十分注意していますから大丈夫ですよ。うちのものには直接
売人は居ませんのでね」
剣崎の財力は永沢の数倍の力がある。
それに剣崎誠が通常の事業主としての能力が高いと判断して永沢が利用しようと
見込んだからだった。
しかし、最初から利権の大きい仕事に就かせれば引っ張り出せる金がどれほどの
ものか見当が付かない。そこでヘリコプターなどの費用がかさむ投資資金の出所
や、金額が把握できるドクターヘリの事業をやらせて近づきながらさらに親密に
なってから本命へ移行することにしたのだった。
「まあ、こんないい話、他には無いですから、頼みましたよ」
「はい、承知しております。有難うございます」
「有難うございます。会長、これからは永沢社長もちゃんとした仕事でしか食べ
ていけませんでしょう。父も組を維持するのに必死ですから」
「おい、舞、失礼だぞ」
「いやいや、建て前で話されるより、さっぱりしていいですわ。親子ですからな。
わははは」
「すみません永沢会長、多恵も大事にしてくださいよ。お願いしますよ」
「そりゃ、大事にしていますよ。な、多恵」
「はい、そりゃあもう、優しくしてくださいますよ」素っ気ない態度は変わらな
かった。
「ははは、良かった。良かった」剣崎はドクターヘリの専属会社を任され、上機
嫌だった。独占的に仕事が来るこの仕事の魅力は一回の輸送で500万から10
00万円の利益を見込めるからだった。
大竹は自宅にいた。
「母ちゃん、今日は随分調子がいいようだね。ちょっと体を拭くよ。明日は介護
の人が来るからお風呂も入れるからな」
「ん∼∼。ん∼∼」
「分った、分った。水か?これ?」
「・・・・・」
「トイレか?違う?ご飯はもう少し後だよ」
大竹の母親は半身不随で認知症だった。
父親は多額の借金を作り、数年前から一人で逃亡生活を送っている。大竹は中学
時代からアルバイトを掛け持ちして生活を支えて生活保護を受けながら母親の世
話をしているのだった。
母親が元気な頃はテーブルに手紙が置いてあり、小学校から帰るとそれを読んで
から冷蔵庫に冷やしてあった手作り弁当を食べ、宿題をするそれが日課だった。
小学校の6年になると父親への借金取りがアパートに押しかけ、母親が対応して
いた。
母親は強面の借金取りに玄関先や通路で何度も土下座をして謝っていた。親父は
夜中に帰り、早朝に母親の財布から金を抜き出て行く。
そのうち借金取りがアパートに24時間張り付くようになると家を出てゆき、帰
ってこなくなったのだった。
大竹の記憶は学校から帰って一人で宿題をしていると台所の上にあるガラス窓の
格子越しに人影が写り、何度も影が左右に往復して、玄関のドアの隙間から大き
なメモ用紙に金返せと書いてあるものがガサガサと音を立てて入ってくる。
台所のガラス窓に写る人影は時々止まってすりガラスには顔の輪郭がはっきりす
るほど見えるときもあり、恐ろしく感じたものだった。
その闇金融が剣崎組の配下だった。
そんなときには働きに出ている母親の笑っている顔を目をつぶって思い出しては
心の中の母親に助けてくれと叫んでいた。
眠っている母親の寝顔を見ると父親が出て行き、寂しくなったときに奥の部屋の
窓から空を見上げて泣いていた母親の弱弱しい姿を思い出して悲しくなるのだっ
た。
キンコンカンコン
龍一は学校にいた。
今日も笹木の病院へ行く。
病院のあとはジムでその後は横山のいる「シーサイド」へ行って横山が終わるま
でカウンターで、たまには手伝いながら待つのが日課だった。バスに乗り、病院
へ向かう。
自宅には今日も帰らない。
ライセンスの収得には親の承諾が必要だったが、オヤジにはどうしても頭を下げ
る気持ちには成れなかった。
自宅の窓から見る景色は海辺の町のほのぼのとした景色だが、龍一の世界は格闘
の日々だった。今日も暴力に倒れた笹木の許へ急ぎ、暴力での報復を考えてしま
う。
怒りを体で納めることでしか出来ない自分が他とは少し危険であるとは考えもし
ない。そういう世界に生きていた。
唯一、今は則弥達と進めたいレストランの開店が夢のある楽しめそうな世界だっ
た。
バスが病院前に停車し、病院へ入ってゆく。部屋の前には数人が何時も通路に座
り込み、通行するものを邪魔した。
「おい、通路は空けろって言っただろう」
「おお、龍、さっき笹木が動いたんだぞ。看護師が今、先生を呼びに行って今か
ら呼びかけるらしい」斉藤の声が弾んでいた。
「もう直ぐノリも来るぞ」
「そうか、気が付くといいな」
「おお、起きろよ、笹木」
「・・・・」
「グオ∼∼!」
「おい、いびきだ、いびき、笹木が鼾をかいたぞ。ははは、でかいなあ」
「おい、起きるんじゃないか?」
パタパタと廊下で音がすると医者が笹木の部屋に入ってきた。
「先生、こいついま、いびきをかきましたよ。起きるんじゃないですか?」
「ああ、まあ、意識があるという医者がいますが、全く関係ありませんでしょう
ね。このベッドが寝心地が悪いせいかも知れませんが、笹木君はぐっすり寝てい
ますのでそれも分りません」
「何だ、でも今までは鼾なんてしなかったから、そうかなって!」
「まず、関係は無いと言えますが、脳の障害においては科学的に立証できないこ
ともありますので一応は期待したいですね」
「いちおうかあ」
「皆さん、静粛に、錠剤を砕いてから飲ませて、その後注射をしますので静粛に
願います」
「はあ」
「長野君、粉末ゾルピデム」
「はい」
「先生それなんですか?気付薬?」
「違います。不眠症患者に処方されている一般的な睡眠導入剤です」
「え∼∼。睡眠導入剤って眠り薬じゃん?」
「そんなもん飲ませたら、余計寝ちゃうだろ」
斉藤の診断に腹を立てた医者は怪訝な顔をして「もう、君達はうるさすぎます。
いい加減素人は黙っていなさい。これはね、だんだんと覚醒して意識を取り戻す
ようにする薬でもあるのです。今日で3日目ですから、効果があれば現れる頃な
んですからね」といって自慢げだった。
「ほ∼∼。何か薬の名前が効果と逆じゃんよ」
「もう、君達はうるさすぎますって。いい加減素人は黙っていなさいって。最近
の患者と取り巻きは薬の効果を確認できるようになってからにわか知識で質問し
てくるようになりましてね煩くてかなわん。静かにして、見守ってくださいよ」
「分ったから、怒るなよ先生、頼むぜ」
「分っていますよ。仕事ですから」
コンコン!皆が振り向くと入り口の壁をノックする男がいた。
「ちょっとお邪魔しますよ」
空いている入り口の壁をノックするスーツ姿の男がいる。その後ろにも若い男が
立っていた。またコンコンと壁をノックして病室に入ってきた。
「あ、先生ですか、ちょうど良かった。私はこういう者です」細川と小池はバッ
ジを見せた。
「ああ、どうも」
「おお、警察か。たまには役に立てよ」則弥が睨みつけた。
「・・・笹木君の意識はどうですか?」
「今のところ変わりありません」
「そうですか、で、死亡する危険はどうですか?」
「それはよっぽどのことがない限りありませんが、今のところという意味でなん
とも言えません」
「そうですか。分りました。じゃ、何か分りましたら連絡をお願いします。傷害
事件の調査ですからよろしくお願いしますよ」
「はい、勿論協力しますよ」
「なかなか目が覚めないですね」
「ええ、暫くはこのままだと思いますけど」
「そうですか、変化がありましたら此処に連絡をお願いします。必ずですよ」と
細川は念を押した。
「先日来た刑事さんの名刺がありますから分っていますよ」
「いや、申し訳ありませんが私がこの件の担当ですから最初に私に連絡をお願い
したいのですよ」細川が名刺を差し出した。
「あ、細川さんですね。了解しましたよ。ちょっと忙しいのでその辺で勘弁して
くださいませんか?」
「じゃ、電話を忘れないでください。ではよろしくお願いします」
「はい」
笹木の状態を確認すると細川は「やあやあ、君達暴走はいけないねえ、実にいけ
ない。ちゃんと勉強しないとね、ろくな人生が待っていないよ」と言いながら病
室のメンバーを見回した。
「おっさん、余計なお世話だ。鬱陶しいのう」斉藤が唾を吐きながら細川に噛み
付いた。
「ほう、唾もふき取りなさい。病室は清潔にね。元気だけはあるようだが、エネ
ルギーの使い方を間違えると動物園に入れられるからね」
しぶしぶ斉藤はティッシュを取って床を拭いていた。
笑いながらそれを見ていた則弥が顔をあわせると「うるせえ、早く出て行け」と
佐藤も食いついていた。
細川たちは笹木の様子を見に来たが、眠ったままの状態に変化無し、と見て、そ
そくさと出て行った。
「長野君!点滴頼む、ちょっと、酸味刺激を試すので生のレモン水の舌縁注入や
ってみてくれ、この人たちのいう、いびきも意識回復の兆しかも知れないんだ、
見ろ、足の指が攣っているだろ、薬の効果かもしれないんだよ。これがね」
全員が確認した。
「おお∼∼」
「笹木、おい、笹木」
「笹木、おい、笹木」全員が声をかけた。
「おい、だれか足をマッサージしてくれ」
斉藤が先生の足をマッサージした。
「おいおい、私じゃあないよ」
「わははは。わかっていますって。ジョークですって」
「わははは!お前、馬鹿か」佐藤が笑いながら言った。斉藤は一生懸命笹木の足
を揉んだ。
佐藤ももう片方を揉みだした。
笹木が「ウッ、ウッ」と声を上げた。
腹筋に力が入り、膝が曲がった。
「ウッ、ウッ」
「おお∼∼」
「笹木、おい、笹木」
「少し苦しそうだからこれくらいで辞めておこう。今日は24時間体制で見ない
といけないかもなあ」
「それって気が付くということですか?」
「分りません。でも可能性がありそうだからです。今のような治療でじっくり刺
激するんです。これからは直ぐに笹木君をマッサージしてください」見舞いに来
ている者たちが笑っていた。
笹木はまた静かになった。
静かに眠っている。
ずっと観ていた龍一は変化無しと見てジムに向かった。
そのドアの前を通り過ぎた男は伊藤に指示されて笹木の様子を探りに着ていた渡
辺健司だった。
鮫島ジムでは一般会員のボクササイズが行われていた。
龍一たちも練習しているがこれが始まると影が薄くなる。
おじさんおばさん子供おねえさん達がインストラクターの「イチ、ニイ,サン、シ
イ」という号令に合わせてボクシングとダンスをミックスした運動を3分おきに
繰り返す運動で筋力アップとダイエットを目的に音楽に乗って行っている。
寂しい雰囲気だったジムでもこれが始まると窓越しに見学に来る野次馬が増えて
活気があるジムに見えるのだった。
野次馬の中には「ひまわり」の子供もいて入り口から勝手に土足のまま進入して
大人と一緒に運動してしまう子供もいるが、誰もそれを咎めることなく一緒に運
動していた。その光景を窓越しに見ていた男は龍一がその方向に顔を向けると直
ぐにそむけて帰って行くのはまた渡辺だった。
龍一は一瞬眼に入ったその風体からジムに入りたいやつが見学にでも来ていたの
だろと気にも留めないでいた。
京子と君代は三浦ゴルフクラブの練習場にいた。
カーン シュルシュルシュル
「京子、今日はハーフまわるよねえ」
「うん、いいよ。来年は二次テスト受けたいもんね。卒業したら直ぐプロなんて
夢だもんね」
「絶対一発で通りたいからさ、頑張ろうぜ」
「おお、じゃああと10球ぐらいだから待ってて」
カーン シュルシュルシュル
「やあ、京子ちゃん調子どう?」
「あ、村上由香子プロお久し振りです。調子ですか?まあまあですかね。でも時
々しかアンダーが出なくなったので練習をもっとしようと思ったんですよ」村上
はLPGAのティーチングプロだった。
「練習はサボったら駄目です。必ず毎日やることです。今日はハーフ回るんだろ
、一緒に行こうか?」
「え、いいんですか?お願いします」
「ああ、広部君も回るって云うから今日は特別にカートを使わせてあげるよ」
「え∼^、やったあ、最近バックが重くて大変なんです」
「こらこら、学生は楽しない。セルフで足腰を鍛えること。担がないとそういう
風に筋力が落ちるんです、ゴルフは下半身です。頑張りなさいよ。応援している
んですからね」
「え∼∼。でもプロになったらキャディーが担ぐでしょ、私、絶対合格しますか
ら」
「そうかそうか、分った。でも稼がないとキャディーなんて雇えませんよ。じゃ
あ、行くぞ」
「はい。お願いします」
「お∼い。君代ちゃん広部マスターもプロも回るって」
「カート使って良いよって」
「やったじゃん。可愛い女の魅力だね。」
「へへ。やったぜ」
「オ∼∼イ」
「行くぞ∼!」
「じゃ、宜しくね。京子先に行け」
「はい」
「じゃ、お願いします」京子はティーグラウンドに上がる前にコースにお辞儀し
、振り返ってメンバーに礼をした。
「お願いします」
「はい。お願いします」
京子はNO.1ホール左ドッグレッグ420ヤードPAR4に立った。コースは
220ヤード地点から25度左にドッグレッグしており、左210ヤード地点か
ら245ヤード地点まではコースなりに左に曲がっていく。
そこに幅が15ヤード、長さが20ヤードあるバンカーが有り、その直ぐ左から
は木が生い茂る地点でバンカー左10ヤード以上曲がるとOB杭がある。
右フェアウエイから5ヤード右には深いラフがあり、さらに5ヤード奥からは小
高い木が茂る。ちょうど落下地点でフェアウエイが極端に絞られているティーシ
ョットの正確さが求められるホールだった。
京子がゆっくりと左肩をスタートさせ、テークバックを始動した。トップでは体
が柔らかいので少し、オーバートップ気味になる。左肩が顎の右10センチ以上
に移動した。
左腰が少し右に回った。
クラブヘッドがトップの位置のまま、左腰は右腰のあった位置辺りまで水平移動
し回転するとクラブヘッドよりも先にシャフトの中間が上部へ盛り上がり、右ひ
じが腰にくっついて上体が回転を始める。
胸部が正面を向くとヘッドが動き出し、頭がアドレスの位置よりも少し後方へ移
動した。
カーン シュルシュルシュルー・・
ボールを胸の正面でカウンター気味に捕らえていた。
グリップエンドがティーグラウンドの真後ろを指していた。
ヘッドは狙った左バンカー右淵に向け、左腰を素早く回転してフェードボールで
フェアウエイセンターに打ち込んだ。
フィニッシュの後から飛び出してきたタイミングで飛んでいくボールは低い弾道
で飛び出すと200ヤード地点から少しづつ右へ回りだしてバンカー右上空から
フェアウエイに向かって落ちはじめ、スリーバウンドして転がり、フェアウエイ
右255ヤード地点で止まった。
「ん∼∼、プロ、私、練習しないほうがいいかも?」
「おお、なかなかやるねえ、男子の上級者並みまで行ってるよ。女子では飛ばし
屋だなあ」
「でしょ、でしょ」
「調子に乗るな、まだまだ此処からだ」
「君代、お前も同じところに行ってみなさい」
「は∼∼い、私の方が飛ぶんだよ、センセ」
「ははは、はよう打て!」
「お願いします」
「はい。お願いします」
「此処はね、先生、右からフックで行きまっせ」
カーン シュルシュルシュル
ボールは右ラフ曲がり角に向かって飛び出し、200ヤード地点から左へ曲がり
だした。ハイドローボールだった。上空で風に煽られ、曲がりが大きくなった。
「あ∼∼計算外!残れ、残れ!」君代が右腕を時計回りに大きく回してボールに
念を注入したが、ボールは曲がることを止めず、左ラフ250ヤード地点で止ま
った。
「君代、お前、風を読まずに行くのはまだまだ修業が足りないですね。どんなと
きも集中して考えることが課題です。基本ですよ。練習ラウンドも舐めてはいけ
ないです。まあでも二人ともよく飛ばすし、ここはOKとしましょう。今日は私
も気合をいれますよ」
「反省シマ∼∼ス」楽天的な君代は反省しているのか分らない反応だった。
4人は一打一打を分析しながらゆっくりとラウンドしていった。
毎日夕方6時には「ひまわり」の夕食が始まった。
「ハイみんな、頂きます」林田の娘優子が本日の料理人だった。
民宿「みうら」の女将君代の母、吉中光子がたまに手伝うのだった。
「いっただききます」
龍一も一緒に食事している。
「龍一兄ちゃん、僕もボクシング教えてね。」
「ああ、じゃあ、俺がいたらジムに入って来い。教えてやるよ」
「ほんと、わ∼い」
「私も良い?」
「いいよ。だれでもいいよ」
「やったあ、あそこ学校より楽しいもん」
「こら、学校に行かないやつは来ては駄目で∼す」
「ああ、だめか」
「お前、学校へちゃんと行けよな。遊んでやるからな」
「ほんとに?」
「本当だってば」
「ただいま∼∼」
「あ、京子ねえちゃんだ」
「わ!」
「君ちゃんもだ」
「わ∼∼」
「おお、みんなげんきか∼い」
「は∼い、げんきで∼す」
「おばちゃん、私達もごはん」
「はいはい」光子が手伝いで来ていた。
「みんなげんきですか∼」
「は∼い、げんきで∼す」
「はいどうぞ」
「いっただきま∼す」
「リュウちゃん、お水ほしいで∼す」
「おう、憲次おまえちゃんと学校行けよ」
「学校はたのしくないで∼∼す」
「そうか、どうして?」
「子供にも悩みがあるんだ」
「おい、憲次こぼすな、お前、悩みがあるのか?今日聞いてやるからまずはご飯
を食べろ。・・なって、お前、喋ってないでちゃんと食べろよ」そんな龍一を京
子と君代が観察している。普段は同じように子供達を世話して可愛がっている仲
間だった。
「ほれ、辛いけど大根おろしも食べるんだよ」
「え∼∼。からいよ。これ食べたら今日リュウの部屋で寝てもいい?」
「げ∼∼。キャ∼、男同士できもいわ∼」
「いいからたべろ、一緒に寝てやるぞ」
「わたしもいっしょでいいの?」
「誰でもいいよ、みんな来い」
「龍一君、駄目です。みんなも話しをしたら自分の部屋で寝なさい。規則でしょ
」林田は躾には厳しかった。偏った保育はだめだという決まりだった。
「わたし、ちゃんと食べてるよ。みんなも食べなさい」京子と君代は子供たちの
面倒を良く見ていた。
龍一は子供の世話を良くして、風呂にも入れてあげて施設の仕事を手伝っていた。
たまには則弥も世話をして子供達と一緒に寝ることもあるのだった。
養護施設「ひまわり」はぎりぎりの生活をしていた。
館長の林田実は毎日寄付金集めに走っている。
政府からの補助金が年々減ってゆき、苦しい中で実質責任者の永沢音弥が金を抜
いていたことが大きなマイナス要因だった。
そのことを知っている隆一は則弥と相談しては商売をしてオヤジからの援助を許
に戻そうと動いているのだった。
朝はまた忙しい。学校へ行かせるまでが戦争だった。
食事が終わり、子供達を学校へ送り出すと施設の周りを掃除するのが日課だった。
茅ヶ崎の渡辺は伊藤にやられていた。
「お前、三浦に行って何もしてこなかったのか?」という伊藤の前に立たされ
「ああ、でも様子はしっかり見てきたぞ」と返事をすると伊藤は「藤堂のジムに
行ったのなら火でもつけてくれば面白かっただろう。お前に渡しているヤクもた
だでは手に入れねえんだぞ」といわれて伊藤のチョウチンたちに「そうだ、そう
だ」とやり込められていた。
伊藤は「この役立たずめが」といって渡辺の額に軽くパンチを入れていた。
渡辺は「じゃあ、今日やってやるよ」というのだが震えて喋る姿を見ていた仲間
達が「震えていやがる情けねえ」などといって攻めなじっていた。
それを見て面白がっていた伊藤は渡辺と肩を組んで外に出ると「じゃあ、これを
やるから変身して永沢たちを潰して来い、俺は別に頼んではいないからな。お前
には出来ないと思っているからさ、まあ。これはみんなでお前をいじめたから気
晴らしのためにやるよ」といって渡辺の好物を胸ポケットに詰め込んで渡してい
た。
急に見開いて伊藤を見ていた渡辺に「ここでは食うな」といって尻を叩いて送り
出していた。
龍一は則弥と待ち合わせていた「シーサイド」へ向かった。
昼頃になるとシーサイドは週末でファミリー客も多かった。
横山は忙しそうに飲み物や簡単なデザートを作って運んだりする。
料理は厨房でシェフが作っている。
本格的なイタリアン・レストランだったが海の家のような料理も沢山出していた。
今日は店のBGMより客の話し声の音量が上回っていた。
「リュウちゃん、悪いけど、コーラ3つとアイスコーヒーとイチゴフラッペ頼む
」横山に頼まれて龍一がカウンターに入る。飲み物を作るだけの手伝いだった。
則弥の席は龍一の隣だが、あまり手伝いはしないで飲んでいるのが普段のスタイ
ルだった。
「リュウお前は良く働くなあ、カネももらってないのにさあ。あ、そうか、一宿
一飯の恩義っちゅうやつね」
「まあ、そういう事だ。たまにはお前も手伝えよ」
「おお、いいぞ。俺のほうがビジュアルいいからな。へへ」
コーラは栓を抜き、グラスにレモンスライスを一枚入れる。
アイスコーヒーは作り置きのボトルからアイスを入れたグラスに注ぎ、ミルクピ
ッチャーとガムシロピッチャーを運んでいく。
「出来たよ」といっても誰もいなかった。「よっしゃ、おれがいくで」仕方なく
則弥が伝票を見てテーブルに運んだ。
水着にカーディガン姿の女ばかりのグループだった。
「すみません。イチゴフラッペ直ぐですから少し待ってください」女はにっこり
笑ってお辞儀した。則弥は柄にもなく顔が赤くなるのだった。
手が空いた龍一が待ってもらったお詫びとしてフラッペと一緒に練乳をピッチャ
ーに入れて持っていった。
「遅かったので練乳おまけです」
「ワ∼∼すごい、これ、クリスマス・ツリーみたい。ラッキ∼」
「練乳好きだった?」
「はい、大好きです」
「良かった。また来てくださいね」
「お待たせしました」といって伝票をテーブルにおいてカウンターに座った。
落ち着いてレスカを飲んだ。
本当はウオッカが入っている。則弥は戻ってウイスキーロックをグビグビと一気
飲みするたちだった。
「ひゃ∼∼。労働の後の一杯は美味いなあ、リュウ」
「おお、いいねえ」
「あの?」いきなり女に声をかけられ、隆一がびっくりしてレモンスカッシュを
女の顔に噴出した。
「キャ∼∼」
「あ、ごめん、ごめん」といってお絞りを取って女の顔を拭くと女のマスカラが
溶け出して目尻のラインが溶けて長く下に伸びていた。
則弥はそれを見ていて両手で口を塞ぎプッと噴出すのをこらえた。
龍一は笑いを我慢して「ごめんなさい。何ですか?」と尋ねると女は「何であの
子だけサービスするの?」と練乳の女を指差していた。
「あ、じゃあ、お詫びにクッキーをあなたに差し上げます。勿論ね。サービスで
す」
「あ、ほんと有難う。やったあ、いい女はやっぱり受けがいいねえ」といって女
はウッドデッキのパラソル立てのテーブル席に戻っていった。
すると女を待っていた女達が店中に響く大きな声で「ぎゃははは」という笑い声
と同時に拍手をして、その音で店にいる全ての人の鼓膜を振動させていた。
それほど大きな笑い声だったので龍一たちがその方向を見るとほかの客達も練乳
の客のテーブルを振り返ったりして見ていた。
女達三人が先ほど龍一が噴出したレモンスカッシュシャワーを顔面に食らった女
の顔を見ると、マスカラが溶けて広がり、頬に向かって垂れ、付けまつげがはが
れて上向きになり、完全に四つ目の妖怪に変身していた。
それで客達の爆笑を取ったのだった。
キョトンとして立ったままの女は友人達に笑われて顔を指で指されたので自分の
席に座り直すとバックから鏡を取り出して顔を見るなり「ギャ∼∼∼」と驚き、
後ろに大また開きでひっくり返った。
またそれを観ていた客達も再度爆笑して拍手していた。
ひっくり返ったことで逆さまに女の福笑い顔が龍一たちにも見られたのだった。
龍一と則弥も口に含んでいた飲み物を爆発させて笑ってしまっていた。
女と逆さまに眼が合った龍一は流石に恐縮し、両手を合わせて逆さまの女に謝っ
ていた。
「なんでさっき教えてくれなかったの?」とまた逆さまで言われると直ぐに横山
と相談して、クッキーとショートケーキをサービスした。
ひっくり返った女も笑ってお腹を抱えていた。
客達もみな腹を抱えて笑っていた。
則弥がその光景を見て龍一に「こういうコミカルな演技をするウエイトレスやウ
エイターがいたら客は喜んでリピーターになりそうだ」と呟いた。
龍一はバカだと思っていた則屋をその言葉で見直して店というものの空気も人間
が演出できるのだと小さな感動を覚えていた。
「おれ、帰る」と則弥は急に思い立ったようにオヤジとの話があるといって席を
立った。「リュウ、俺は天才だ、オヤジに今思いついたことを話してくるぞ」
「おお、そうか、分った、はよういけ」
「おお、後は宜しくな。直ぐまた戻って来るからな」則弥はあわてていた。
龍一は女の福笑い事件で移動したテーブルや椅子を横山に言われて直すのを手伝
いながら女達や客にソフトドリンクをサービスして回っていた。
福笑いの女達はいまだにケラケラと笑って夜のビーチサイドを楽しんでいた。
「キキキー」 急ブレーキの音だった。
「なんだ、なんだ、事故か?」という声が道路側のカウンターに戻って座ってい
る龍一に聞こえてきた。
また、「キキキーギャン」と急ブレーキの音が聞こえてくると直ぐ「ボン!」と
いう鈍い音がして急に静かになると誰かが「おっ何か当たったぞ」といって席を
立って県道へ出て行った。
則弥じゃないだろうな?
心配になった隆一がカウンターから頭を動かして道路を覗くと渋滞の中で人がぞ
ろぞろと集まってきている場所があった。
事故かな?と席を立って見に行こうと歩き出した。
ざわついた集団が現場を見ようと囲み始めた場所に向かっている先に、小さな子
供が倒れていた。
「大変だ」見つけると直ぐに龍一が走った。どうして誰も何もしないんだと思い
ながら急いで到着すると小さな女の子は頬を擦りむき、意識がないようにぐった
りしていた。
「大変だ。救急車、救急車」と叫んでいた。
「電話しろ、電話」慌てて運転手はドアを空けて降りてきたが動転して両手で頭
を抱えたまま「あ∼あ∼」といっているが突っ立ってみているだけだった。
隆一が「救急車」と叫びながらシーサイドを指差すと野次馬の男が店に走りだし
て電話を探していた。
運転手は頭に手をやって狂ったように動転していた。
「馬鹿かこいつ」と野次馬だと思っているそれを見ながら龍一が耳を女の子の口
に当てると息があった。
道は渋滞している。
ふと救急車は遅くなる。そう頭を過ぎった。
子供の頭を抱えて「親御さんはいませんか?」返事がない。
「親御さんはいませんか?」と周りを探しても野次馬が見ているだけで誰も返事
をしない。
こんなときに事態も考慮せずプープーとクラクションを鳴らす不埒ものがいる。
「ちょっと観ていてください」といって龍一が店に走った。
龍一が運転手だと思っている野次馬の男はあたふたとしてシドロモドロになりな
がらも必死に電話で救急車を手配しているとみえた。龍一はカウンターにいた横
山に駆け寄ると「横山さん事故です。ちょっと一緒に来てください」といって、
店の中で「女の子が事故にあいました。両親の方いませんか?」と叫んで歩き回
った。
「ああ、あの」
慌てて親らしき2人が駆け寄った。
「娘がいないんです」母親が近寄って叫んだ。
「事故です。ちょっときてください。あそこにいます」顔面の血の気が引けて真
っ青に変貌した両親らしき2人は走って現場に向かった。
走りながら「借りるぞ」という龍一は「めぐみ」にいた斉藤のバイクのキーを持
って走った。
横山も一緒だ。
運転手はまだ電話をしている。
現場に到着して「お父さんとお母さんですか?」と聞くと「そうです、どうしま
しょう」と母親が言った。
「いま、運転手が救急車を呼びましたから待ってください。横山さん、渋滞じゃ
、遅いからバイクで三浦病院まで運びましょう。横山さんがこの子を抱いてくだ
さい」
「お母さんそれでいいですか?動かしていいものかどうかはわかりませんけど」
「はい、速いほうがいいですから、後で直ぐ三浦病院へ向かいますからお願いし
ます」
「じゃ、行きましょう」横山が子供を抱きかかえて後部座席へ乗っていく。
「三浦病院へ向います」というと龍一たちはキュンキュン!ブオ∼!とバイクを
急発進させて走り去った。
両親はその恐ろしいほど急発進して行く姿を見て子供が振り落とされるのではな
いかと心配して後姿を拝んでみていた。
周りにいた野次馬の中の一人が「あの二人ならこのあたりでは一番の乗り手だか
ら絶対に事故なんてしませんよ事故が逃げてしまうからね。安心して病院に向か
いましょう」といって励ましていた。
隆一は路肩や反対車線を走り、病院へ向かった。
子供をサンドイッチにして横山が龍一の腰に両手を回してギュッと挟んで運んで
いた。
横山が耳の後ろで「とにかく急げ」という声は風を切る音と事故はするな落ち着
いて急げと自分に言い聞かせている念が雑音として龍一に届けていた。
横山は時折向かい合わせて挟んでいる子供の閉じている目蓋の動きを確認しよう
と顔を下げようとして頭が龍一の背中を押すと背中の隙間が広がって子供が不安
定に動くので結局また強く挟んでしがみ付くのだった。
救急車は15分後に現場に到着していた。両親は事情を説明して救急車で三浦病
院へ向かった。
病院へ到着すると龍一はクラクションを鳴らして大声でスタッフを呼んだ。
「怪我人です。お願いします」
直ぐ聞きつけた救急スタッフが飛び出てきて対応した。
「ストレッチャーを!」
走ってストレッチャーが押されてきた。
子供はストレッチャーに乗せられた。
看護士たちは素早く移動した。
龍一たちはバイクをエントランスの脇に放置して処置室前で待機した。
横山はバイクの後部座席で龍一の暴走運転に対応しながら女の子を保護する形で
抱いてから運ばれて出てくるストレッチャーまで少し走ったので息が切れていた。
ハアハアと前かがみで座り、下向きで息を整えていた。
龍一が「横山さんやっぱりおじさんかなあ。ロードワークやっているのに息がき
れるなんてね」といって労をねぎらっていた。
事故現場はパトカーが2台到着して現場検証が始まっていた。
渋滞に腹を立てた輩が窓から顔を出して叫びクラクションをブーブーピーピーと
鳴らして三浦海岸の品位を落として渋滞に拍車をかけていた。
反対車線の運転手も応戦し始めると収拾が着かなくなり、現場の整理を行う警官
が完全に不足してきていた。
また警察官との現場検証で警官の質問に対して意味不明の返答をしてくる運転手
は質問の最中にクラクションを鳴らしてくる運転手を見渡して「うるせえ。静か
にしろ。殺すぞ」などといって埒が明かない状態で警官を困らせていた。
渋滞にはまったドライバーはシーサイドで休憩しようと車を止める。
こんな渋滞になるといつも客が増える。
時間稼ぎで満員の客は注文がばらばらでスタッフには重労働の時間が長くなるの
だった。
隣の喫茶「めぐみ」も満員になっていて「毎日事故があればいいのにね」という
斉藤に「あんたが道路に立って通行止めにしてくれればいいがね。子供の事故は
嫌だね」といっているママがいた。
やっと「おかしいぞ」と気がついた警官は大声を上げているものたちの収拾に負
われながらも応援を呼び、到着した警官たちが路肩を利用して渋滞を回避すると
運転手から聞き出せなかった免許証の在り処を聞き出して探し出すと渡辺健司と
確認して社内で薬物検査をして現行犯逮捕していた。
渡辺は事を起こす前に錯乱状態で事故を起こしていたのだった。
一旦処置室から出てきた女の子は小さな体で、ストレッチャーに乗り、点滴酸素
マスクで移動していった。
看護師が出て来て「打撲が酷いようです。脳の検査とレントゲンに向かいました
が、心臓は確りしてきました。少しお待ちください」
「はい。・・・・」
30分くらい過ぎて両親が到着した。
「陽子はあの子はどこですか?」
「いま、検査に行きました。心臓は確りしてきたといっていました。今はそれだ
けしか聞けませんでした」
「そうですか、有難うございました」というと父親は単独でナースセンターに急
いだ。
母親は泣きながら「有難うございます」を連発していた。
父親が戻ると母親も待合室の椅子に腰掛けた。
うつむいたまま泣いている。
父親は隆一たちに「有難うございました。足の骨折があるという事で手術室に移
ったそうです」と報告し、「もう、お引取り頂いて結構ですよ」と頭を下げてう
つむいた。
帰れといわれても隆一たちも心配で動けなかった。
一時間を越えると看護師が両親に報告に来た。
「もう、大丈夫ですよ、右足骨折と胸部打撲、頭部は擦り傷がありま
養護施設「ひまわり」館長の林田実は毎日寄付金集めをしている。
今日の仕事の締めは藤堂商事の藤堂龍蔵の事務所訪問だった。
「どうもどうも、今日も暑いですなあ」
「ほんとね。この季節は儲からなくて困りますよ。館長も暑くて大変でしょう」
「はあ、仕事ですから毎月ぎりぎりで必死ですわ。かといって養護施設に来る子
供が増えるのも悲しいですしねえ」
「そうですなあ。このところ施設は忙しそうにやってるようですなあ。夏休みは
大変でしょう。うちのバカもそこでは一生懸命やっているようで」
「はあ。龍一はいい子ですよ.子供の面倒を良く見てくれます」
「はあ、困ったもんです、バカじゃないのに勉強しないでふらふらしている」
「ご家庭のことは良くわかりませんが龍一は大丈夫ですよ。曲がったことはしま
せんからね。基本真面目な奴です」
「そんなのが警察に目を付けられますか?」
「はは、まあそうですが、警察も心配してみていますよ」
「館長、笑い事じゃ、無いですよ。龍也よりも出来が良かったのにねえ、私の浮
気で女房と喧嘩しているところを見られたからマズイんだけど」
「まあ、若いときにはね色々感じ方が違いますし、親父の浮気を格好いいとおも
う奴もいれば色々ですよ。大きくなれば分りますよ。男なんだから」
「そうですかねえ。早く全うな生活をして欲しいですな。あ、ところで今月は少
し多めに寄付しますよ。あいつ家にはあまり帰ってきませんでして、館長や横山
君のところで世話になっているようで、申し訳ありません。では50万出します
わ。宜しくお願いします」
「いやあ、助かります。夏休みは出費が多いんですわ。じゃ、これ、領収書です
」
「では失礼いたします」
「頑張ってください」龍蔵は龍一の知らないところで「ひまわり」を援助してい
たのだった。
永沢則弥は自宅にいた。
「ノリお前、こないだのレストランな、話は途中だったが、内装は進んでいるの
か?」
「ああ、内装屋に安く頼んだからあいつら夜中にやってるもんで工事が遅いんだ
、値切っているから仕方ないけど俺もペンキ塗りとかやって大変だよ。龍たちは
笹木の事件からさっぱり手伝いにこねえからさ」
「まあ、慌てると金もかかるからゆっくりやれ、年末に間に合えばいいだろう」
「そんなに待っていられねえよ。金も稼がないと鮫島も厳しいんだろ」
「アホ、別にジムも施設も本当は厳しくはない、あいつらが俺を頼ってばかりい
るから締め付けているんだ。補助金や、寄付金でやってはいけるけど設備を良く
するには自分達で稼がなければいかん。儲けがないのにどうして設備できるんだ
、鮫島はなあ、オヤジの徹は酒飲んで遊んでいるだけで事務も営業も掃除もしな
いぐうたらだ。トレーナーの小池だけが頑張っとる。賢も少なくても金を入れて
いる。親父の使う分でも回せば小池の給料だってまともに上げられるんだぞ、俺
はケチじゃねえ、考えてやってるんだ」
「そうか、俺達が稼いだらあっちも応援するぞ、いいよな」
「投資した金を返せば後は自由でいいんだ。それとなあ、あの計画書を他に見せ
たんだが、面白いといってきたところがあるから頑張ってみろ、大きくなる可能
性があるぞ。暴力団じゃ、食って行けねえ時代だからな」
「ああ、頑張る。それでね。接待方法もいろいろ考えてあるんでリーピーターも
増やせるようにウエイトレスやボーイも面白いことを垂らせるし、みんな頑張る
と思うからよ」
「おお、仲間を大事にしろ、いいな。でも失敗したら、親子でも金は返すんだぞ
、商売は別だ、男としてやりきる覚悟が必要だぞ。甘えるな、いいか」
「わかったぜ、俺は絶対良い仕事をする。良い仲間がいるからな」
「よし、頼んだぞ」
「はい、有難うございます」則弥は深々とオヤジに礼をした。
ジャリンリンジャリンリン電話だ。
「はい、永沢です。・・・ちょっと待ってね。」
「ノリちゃ∼ん電話」
「おお、誰じゃ」
「佐藤君だよ」則弥が席を立ち、電話に向かった。
「おお、ノリ、笹木が目を覚ましたぞ、えらいこと喋っているから早く来い、リ
ュウにも連絡をしてくれ、いいな」
「そうか、やったぜ。ああ、分った、龍はシーサイドにいるだろう?」
「いいから早くつれて来い。わかったな」
「分った。直ぐ行くからまっとれ」
永沢はバイクでシーサイドに向かった。おお、やった、やった、笹木、まっとれ
よ、よう頑張った。男じゃのう。俺はうれしいぜ。
パリラパリラパリラリ∼∼∼
「おい、ふざけたラッパの馬鹿がきたぞ」横山が単車のラッパの音で則弥だと気
が付いた。
隆一はカウンターでレモンスカッシュを飲んでいた。
パリラパリラパリラリ∼∼∼
「お∼い、リュウ早く来い!」
「リュウ、呼んでるぞ」
龍一は席を立って永沢に近寄った。
「リュウ、笹木が蘇ったぞ。早く来い」
「おお∼∼∼∼」隆一は則の単車に飛び乗って後ろから則弥に話しかけていた。
「おい、元気そうか?」
「分らん佐藤が慌てて電話してきて笹木が何か喋っているらしい」
「あ∼∼寝言じゃあないのか?」
「何か喋っているんだってよ」
排気音がうるさくて聞き取れなかった。
「あ∼なんて?」
「もう良い、後で、だ」
パリラパリラパリラリ∼∼∼
「どけ、この野郎、ぶっとばすぞ∼∼」
パリラパリラパリラリ∼∼∼
パリラパリラパリラリ∼∼∼則弥は路肩、歩道、反対車線を縦横無尽に走りぬけ
た。
パリラパリラパリラリ∼∼∼
「うるさいなあ」と則弥が鳴らすエアホーンの音を聞いていた名古屋出身の車の
運転手は名鉄電車のパノラマ特急の警笛音を思い浮かべていた。
キキキー
永沢と龍一はバイクを降りた。則弥はスタンドも立てずにバイクをそのまま放っ
て走った。
病院の自動ドアが開くと笹木の部屋へまっしぐらだ。入り口の近くにいた患者の
受付を助けるスタッフから「走らないでください」といわれても無視して、階段
でこけても這いつくばっては起き、部屋にたどり着いた。
「おお、笹木は?」笹木は寝ていた。
「おい、佐藤、起きてねえじゃねえか」
佐藤も疲れてボーとしていた。
「また今、寝ちまった。お前らが遅いんだ」眼が覚めた佐藤は身震いして言い訳
した。
「バカやろう、お前、信号無視で150キロで来たんだぞ、お前、遅い訳がねえ
」
「そんなこといったって寝ちまったもんはしょうがねえだろうに」
「さっきお前、笹木が何か喋ったって言ってただろう」
「あ、そうそう、笹木をやった野郎はおまえともめてた愚連隊の伊藤と白井でよ
、愚連隊のバックは横浜の剣崎だから田舎もんはひっこんどれ」と云ったらしい
ぞ。
「何だと、剣崎っちゃあ、極道じゃねえか、なあ、リュウ、バカ野郎なめやがっ
て、よし、オヤジに許しを貰って愚連隊なんか叩き潰してやる。大体、族に本物
が本気で付くはずねえ、金目当てに利用されとるだけじゃ。あの、アホウども、
バカやろう、なめやがって」則弥は脳天に血が上り、顔が真っ赤になって怒って
いた。
頭に血が昇った永沢は「おまえら、ここでまっとれ、今からオヤジに許可を貰っ
てくる。いいな」といって誰の意見も聞かなかった。出て行こうとする則弥の袖
を龍一が掴んで放さなかった。
「いいけど、もう遅いぞ、ノリ、明日でいいじゃないか、直ぐに茅ヶ崎に行って
も奴らはいないぞ」と斉藤も落ち着かせようとした。
「気が治まらねえんだ」
「そうかも知れねえけど、今日は我慢しろ、な、ノリ」とまた斉藤がなだめてい
た。
「笹木がまた起きるかも知れねえからさ、折角来たんだから待ってみろよ」とい
って背中を叩く龍一を見て「あ・・ん」という永沢の怒りがおさまり、少しは冷
静になったようだった。
斉藤が笹木のベッドの脇に近寄り「早く良くなればいいけど。なあ、則弥レスト
ランにはこういう働き者がいないとなあ」というと則弥はしみじみと笹木の顔を
見ながら「そうだな。あ、そうそう、海賊レストランの名前を考えろ」と永沢が
冷静になって切り出した。
「おお、工事は何処まで行ったんだ?」梅野が聞いていた。
「内装はほぼ出来上がって後はアトラクションを設置して、池の塗装が終わった
ら浄化槽と料理運搬用のエレベーターを入れる。ただなあ、アトラクションは全
部いっぺんには出来そうもない、金が足りねえから儲けてから追加するんだな」
「おお、いいねえ、今度から空いた時間に見に行って監督してただで注文つけて
やらせようぜ。おれもバイトできるぜ。うれしいねえ」
「おお、楽しみだなあ」
「最初は給料なんて出ないぞ、メシとガソリン代でやっていくんだ」
「あ∼分ってるって。いうなよ。がっくりくるからさあ。な、儲かったらみんな
で分けようぜ」
「おお、金なんて後でいいからなあ」
「馬鹿、ちゃんと必要なものは払うから安心しろ」
「おお、ノリちゃん、本当か、お前、太っ腹ですねえ」
「あたりまえだ」
「ははは、しかし、おれ達ほど海賊の衣装が似合う奴はいねえだろうなあ」
「本物だからな。わははは」則弥が笑った。
まだ笹木は気持ち良さそうに眠っていた。
藤堂龍蔵は中国上海にいた。
横浜中華街の料理屋との契約で紹興酒の輸入と日本の菓子を輸出する商談に来て
いた。
中国側は金払いが悪く、それをスムースに行えるように弁護士を通じて高額預託
金を相互に預託し、決済するL/C口座を開設に訪れた。
中国側は輸入時の支払いは6ヶ月後からとか、期限切れになって売れ残った商品
は全品目買い取れ、とか、輸出する商品は現金払いでとか、一方的に契約も変更
したりして、信用できないグループが多いために顔の効く藤堂に頼み込む企業が
多かったのだ。
藤堂は契約のたび、10%の仲介料と決済ごとに10%のマージンを受け取る安
全な仕事がメインだった。
そのために多額の裏金を中国京湾党の役人に渡していたのだった。
次男の龍也は優秀で横浜北高と云う神奈川県第一位の進学校に入学し、東大医学
部、法学部に進む実力があった。
趣味も勉強で外出もしない根っからの勉強好きだった。
父親は兄の龍一を勘当すれすれで育てていたが、龍也は兄の龍一が世界で一番好
きな男だった。
小学生になってからいじめにあうことが多かった龍也は何時も龍一にくっつき、
助けてもらっていた。
龍一が入学した高校の教科書も中学から帰ると直ぐに龍一の机から取り出して読
みふけった。
龍一は分らないことがあると家庭教師の龍也に教えて貰っていたのだった。
そんなに父親に好かれている龍也も父親の貿易会社ではなく医者になる夢を持っ
ていた。
それを知っているのは龍一だけで、親には内緒で法学部を受けるといって医学部
に入学して、合格証書は何とか偽造する作戦を企てていたのだった。
永沢則弥は空手道場を出て自宅に向かっていた。
海賊レストランには隆一、梅野、斉藤、佐藤、京子、君代が現場の進行具合とイ
メージとのギャップを埋めるためのチェックに来ていた。
店内の出来栄えと形をチェックして回った。
京子と君代はレストランの売り上げ次第では我が家の改築や、改善の資金が出来
る可能性があると聞いて自分達も応援するんだと集まったのだった。
京子と君代の発想では女は誕生日にお姫様になりたいという欲望があるので海賊
レストランでは顧客の名簿を作成し、誕生日月の女子はドレスとティアラをつけ
て海賊に歌と踊りで祝ってもらうという事でその写真をプレゼントするというア
イデアだった。則弥のコミックウエイトレス、ウエイター案が好評だった。
斉藤は衣装などは金がかかるし、大変なのは歌と踊りを練習させられることが
「超∼嫌だ」と言い張った。だが、面白いという事でまさか自分もやらされると
は思っていなかったので龍一たちは安易に受け入れて組み込むことを決めたのだ
った。斉藤は「超∼嫌だ」といい続けていた。
永沢は空手の稽古を終えて自宅に戻り、外出することを止めて風呂に浸り、オヤ
ジの帰宅を待っていた。
帰りがけに母親に連絡してオヤジの帰宅時間が以外に早い予定だったがため、笹
木の一見に付いての対応を相談したかったのだった。
ピンポーン「は∼い」おふくろが玄関へ向かった。
「おう。只今」則弥がリビングから出てきた。
「あ、お帰りなさい。ちょと時間有りますか?」
「おう、風呂に入ったら出かけるけど、何かあるのか?」
「はい。少しだけ」
「30分でもいいかな」
「全然いいです。5分でもいいです」
「おお、じやあ、まっとれ」
「すみません。お願いします」
「気持ち悪いなあ、ノリ、ヘンだぞ?ははは」
「いや、変な話じゃないですって」
「おう、じゃあとで」オヤジはスーツを脱いで風呂に向かった。
お袋が部屋にやってきた。
「ノリちゃんどうしたの?」
「ああ、三浦病院に入院していた笹木がさあ、気が付いたんだ」
「ああ、笹木君のこと、ほう、良かったねえノリちゃん」
「そう。良かったんだけどちょっと問題が出て来てね。相談したかったんだ」
「なんかねえ、おとうさん、最近忙しそうでね、あまり帰って来ないでしょう。
私も話したいこと山ほどあるのにねえ、お父さんさ、逃げてるみたいで感じ悪い
んだよ、ノリちゃんも何とか言ってよ」
「何言ってるの?俺がそんなこと言えるわけねえじゃん」
「そうだわねえ。どうしよう?」
「そんなこと知らねえよ、勘弁して」
「かあちゃん、自分で言えよな強いんだからさ」
「あ、のりちゃんお父さん出てきたわ」
オヤジがバスタオルで頭を拭きながらでて来た。
「おう、どうした、何かあったのか?」
「いや、三浦病院に入院している笹木がやっと目が覚めたんだ」
「おお、そうか、良かったな。おいビールくれ」「は∼い」
「はい、それで、あいつ愚連隊の伊藤と白井って奴にやられてさ、そんで、愚連
隊のバックは浜の剣崎だって啖呵切りやがったって言うんです。だから俺、切り
込んでいいでしょうか」
「なに?剣崎?」
「はい」
「間違いなく剣崎か?」
「はい、そう聞きました」
「本当に、間違いなく剣崎か?」
おやじは考え込んだ。
「ノリ・・・ん∼。これは金になるぞ、笹木に1000万くれてやるか。慰謝料
でな」というとオヤジは不敵な面構えになっていた。
「はあ?なんでそうなるの?剣崎ですよ。やばく無いですか?」
「今まではうちよりも向こうが相当でかい組織だったが、今はなあ、あいつの凌
ぎをわしが仲介してやってのう、向こうはわしに義理があるんじゃ。ドクターヘ
リと臓器移植の仕事でなあ。あいつらと永沢組はいわばサカズキ交わした兄弟分
でなあ、大きな凌ぎを譲ったわしには頭が上がらんのじゃ」
「仕事を譲ったの?」
「そうなんだ。大きな仕事の依頼があってな、わしには借金せん限り何億もの金
は出来なかったからちょうど良かったんじゃ、剣崎の金で商売できるからな。そ
れであいつらと組んだんじゃ」
「そんな関係にいつからなったの?」
「つい最近じゃ。わしと喧嘩になったら剣崎は今後の事業計画が大きく変わるか
らな。でもなあ、ノリ、死人が出るかも分らんぞ、その伊藤か、白井というガキ
は危ないぞ、おそらく剣崎はお前のダチが剣崎を名乗った奴にやられたと知った
ら剣崎は慌てて金とけじめをわしに持ってくるだろうな」
「やばいですけどこっちに非は無いですからね」
「ノリこれはこっちから言わなくても剣崎に知れるだけでいい話じゃ、示談金が
3000万5000万チュウ話じゃ、これは。わははは。笹木に1000万くれ
てやれ」
「じゃ、仕返しは駄目ですか?」
「そんなもん、してもいいけど痛いだけ損だろう。大人になれ、大馬鹿者!」
「お前が仕返しすればもっと大きな問題になって笹木をやった奴は剣崎に八つ裂
きにされるわい。ビジネスの邪魔をしたんだからな」
「ああ、そういうことですか」
「おまえ、やっと理解できたのか、馬鹿だなあ、まだまだアホやった。しょうも
ないガキじゃ」
「そうだ、いいことを思いついたぞ、刑事を使って剣崎に知らせるわい。新聞社
がいいかな?おお、新聞社がいいな」といってオヤジは楽しそうに電話に向かっ
ていた。則弥はこのオヤジはやることが早いなあと見ていた。
「南神奈川新聞かね、記者の木戸はいるか、おお、代わってくれ、・・・おお、
わしじゃ、実はなあ・・・・・」
電話を切るとオヤジは戻ってきた。
「いいか、ノリ、ちょうど剣崎のところへ今から行くから楽しみにまっとれや」
という音弥はやはりニヤニヤしていた。
「はあ、わかりました。気をつけていって下さい。相手は剣崎ですからね」
「言われんでもわかっとる。いいな。要らん事するなよ。わしゃ、楽しいわい」
「おい、いくぞ」
「は∼い。行ってらっしゃいませ」永沢のお袋は何時も明るかった。
音弥は時間を遅らせるため、多恵の部屋に寄ってからゆっくり店に行くことにし
ていた。
面白がってワクワクしている音弥は車に乗ると多恵に連絡して部屋に行ってから
ゆっくり店に行くと伝えて剣崎にも自然に伝わるように指示していた。
則弥は三浦病院へ向かった。
剣崎の件をメンバーに話さなければならなかった。
ちょうど隆一達が笹木の部屋に集まっているからだった。
笹木はレモン汁と薬の効果で度々目が覚めるようになったようだったが、則弥自
身が話をしていないので笹木と話すことを期待して通っている。レストランの名
称も一応決めたというのでその件もあり、病院へ向かったのだ。
シーサイドにはいつものように客が押し寄せてきており、盛況だった。
横山はアルバイトの店員達を小気味よく動かして乗り切っていた。忙しいさなか
に上品な夫婦が訪れた。
「すみません、先日は有難うございました」
「え、どちらさまでしたっけ?」横山は洗い物と飲み物のオーダーを交互に片付
けながら話をしていた。
「はい、お忙しい中すみません、先日子供を病院まで送ってくださった方ですよ
ね」
「あ∼、あの?もう大丈夫なんですか?」
「はい、私、浜本と申します。事故にあった娘の陽子が今日退院しますので先に
ご挨拶と思いまして、本当に有難うございました」
「いえ、当たり前のことですから気にしないでください」
「これ、お礼です」と菓子折りを持参した。女性はあたりを見回して「もう一人
の方は?」といわれて龍一のことだと感じて
「いや、参ったなあ、すみません、あ、あのときの藤堂は今日、病院へ行ってい
ますよ。ちょうど、友人があそこに入院していますんで。たしか、部屋は外科病
棟の503です。笹木と言う患者の部屋です」と答えていた。
「そうですか。有難うございました」
「では、向こうでご挨拶させていただきます。済みませんでした。あの方は藤堂
さんって言う方なんですね」
「そうです。お大事に」
「ではまた、お邪魔します」と隆一の所在を確認すると娘の退院する病院へと向
かっていった。
横山はブルジュア風の浜本が、もしも特攻服を着て笹木を見舞いに来ている者が
いたり、本人の龍一がそんな格好で見舞っていたら驚くだろうとは気にもかけず
に案内していた。
浜本夫妻は運転手が運転する黒塗りの高級車で病院へ向かった。
病院の入り口に差し掛かると対向するバイクが病院側へウインカーを出して向か
ってきた。
運転手が減速して病院前でブレーキをかけると対向するバイクは
パリラパリラパリラリ∼∼∼
パリラパリラパリラリ∼∼∼とクラクションを鳴らして運転手に警告して病院へ
入っていった。
Tシャツ、海パン、ゴムぞうりでタオルの鉢巻で咥えタバコだった。
「まあ、うるさいわね。このあたりであのような人よく見かけますけど本当に迷
惑ですわね」
「まあ、若気の至りだろうが、うるさいね。迷惑だな」
「本当です」と車中では一般的な会話を夫婦で交わしていた。
「到着です。駐車場でお待ちします」
「はい、宜しくね」
浜本夫婦は陽子の病室へ入ると退院するために陽子を着替えさせていた。着替え
が終わると看護師に連絡して退院の手続きを願い出て3人で事務局へ向かった。
事務局で支払いを済ませ、3人で隆一のいる笹木の病室に向かって礼をするつも
りだった。
エレベーターで五階に上がり、看護士に503はどこかと尋ねて部屋に向かって
いた。五階のフロアでは笑い声が響いていて、時折静かにしなさいと注意する声
も聞かれた。
浜本たちは子供達が看護師に叱られているものだと想像をしていたが、その注意
を受けている部屋が503号室だった。
浜本夫婦は部屋を覗いて一番最初に視界に入った若者が先ほどラッパを鳴らして
病院へ入ってきたTシャツ、海パン、サンダル、タオルの鉢巻、咥えタバコの男
だった。
「まあ」というその顔を見た則弥は首を傾げていた。
その隣の男は特攻服だったので、ご夫人は目を丸くして声が一瞬出なかった。
ご夫人はもう一度入り口のルームナンバーを確認して「あのう、藤堂さんはいら
っしゃいますか?」と落ち着かない素振りで則弥に顔を向けていた。
「はい、僕です、あ、あのときの?」龍一はTシャツ、ビーチサンダルで見舞い
に来ていた。
「はあ、あの時は有難うございました。この子を助けてくださって、そのお礼で
参りましたの」とそわそわするご婦人とは違い落ち着いて見舞い客全員を見回し
た父親もお辞儀していた。陽子は大きな目を開けて龍一を見ていた。
「気にしないでください。大丈夫?」といって龍一はしゃがんで陽子の頭を撫で
ていた。陽子は指を咥えてお辞儀していた。
「おお、良かったな」と永沢が言うと母親は慌てた様子で陽子の後ろに回ると庇
うように抱っこして「有難うございました。これ、お礼です」というと、またそ
わそわしながら、紙袋に入ったお礼の品を龍一に渡して「失礼します」といって
娘の手を引き、立ち去っていった。
残った父親も気まずい様子で「無作法で、済みませんでした、ありがとうござい
ました」といってお辞儀をして立ち去っていた。
「おい、ノリ、お前を見てビビッたんだぞ、可愛そうに、人相変えろ、お前」と
梅野が永沢をからかっていた。
「ばかやろう、恥ずかしかったんだ、いい男の俺に緊張して」と則弥はご婦人の
行動を気にした様子も無く笑っていた。
「ほんと目出度い野郎だぜ」と斉藤も笑った。
永沢は剣崎の件を話さなければならなかった。
犬猿の仲だった剣崎とオヤジの急な接近が意外だったために想定外の展開に心の
整理が必要で、思いもよらぬことが起こるものだと大人の世界を勉強しなければ
と反省もしていたのだった。
笹木の部屋では龍一達が眠っている笹木のそばで店の話や、店のシフトの話で盛
り上がっていた。
「おう、ノリ、また寝ちまったぜ。今日は目が覚めても直ぐに寝てしまって話し
になってないんだ」梅野が笹木を見ながら話していた。
「そうか、まあ良くなっているなら良い」
「そうだな」龍一は笹木の顔を見ている。
「ノリ、レストランの料理人は大丈夫か?」
斉藤も店のことが気になるようだった。
「おお、親父が帝国の料理長に話をしてくれて、おおよそOKを貰ったみたいだ。
後はおれ達で教えてもらってやるんだ。横山さんも最初は簡単なメニューを教え
てくれるようだし、京子と君代も強い味方だ」
「おお、順調だな。それで、俺達が決めた店名だけど「海賊島」だ、どうだ?」
「海賊島か、簡単でいいんじゃないか?リュウ。誰の案だ?」
「おう、実は京子と君代だ」
「結局女の案か?ははは。じゃあ決定か?」
「おれ達はそれでいいけど、お前はいいのか?」
「おお、いいに決まっている。文句なく良い」
「よし、決定」梅野が軽く拍手した。
「ところでよう、オヤジからの伝言でもあるんだが。・・・」
「何だ」斉藤が則弥に近寄った。
則弥は真剣な面持ちでオヤジとのやり取りを細かく説明した。
龍一たちは節々で驚きの表情を見せていた。
自分達が棲んでいる世界が考えていたものとは全く正反対の世界になっており、
剣崎組との関係が愚連隊と逆転していることが何よりも衝撃的でショックだった。
永沢音弥は多恵の部屋にいた。
多恵にはまだ仕事の話は出来ない。
まだまだ信用できない間柄だったが、音弥はシャブ中の若い女はこれほど楽しい
ものだとは知らず、完全にのめりこんでいた。
「ねえパパ、そのうち私にもお店を買ってね。剣崎とはもう関係ないんでしょ」
「おお、いいぞ、もう少しお前が信用できれば買ってやるから待っていろ。それ
とシャブを止めないと駄目だ」
「え∼。難しいかも」
「じゃあ駄目だ、俺はヤクはやらねえからな。絶対辞めるまで駄目だ。店が欲し
かったらそれなりに努力しないとな。それに剣崎からはお前が稼がないと逃げら
れないだろう。俺の仕事で儲かるまで待っていろ。もう直ぐだからな」
「はい。そうだよね。簡単じゃ、無いってことはバカでも分るから。じゃあもう
少し頑張ってみる」
「よしよし」永沢は剣崎がおそらく支払う示談金は最低3000万で早く手付け
を打ってでも臓器移植のシステムを手に入れる考えならばこの示談金は5000
万円だと踏んでいた。したがって多恵が無罪放免になるのは自然と延期されるこ
とになりそうだったのだ。
剣崎組のベルが鳴るとインターホンに男が出た。
「あの∼南神奈川新聞の木戸文治といいますが剣崎会長お願いします」
事務所の入り口に取り付けらた複数のモニターにはスーツ姿で現れた木戸の左右
の横顔と頭の先から足元の映像が写っていた。
「なんだ、何の用だ?」
「会長に緊急のニュースがありましてね。別に金をせびりに来たのではないです
よ。でっかい情報は要らないですかね。永沢の情報は要りませんか?」
「なんだと、永沢だと?」
「そうですけど、このまま記事になればオタクが大変じゃないですかね。戦争に
もなりかねないですよ」
「なんだと?おい、入れろ、会長を呼べ」若頭補佐の三品正輝が命令した。
木戸はゆっくりと階段を上がり、パチンコ屋の景品交換所の小窓の形をした覗き
窓がある壁を左に曲がり、エレベータに乗った。
ガーンという音がして通過したエレベーターの隠し扉となっている防弾扉が閉ま
った。
エレベータで5階へ上がると入り口前に男が手を前に組んで立っている。
ドアを開けて入ると男が立って出迎えた。
部屋の中には度々週刊誌にも出ている三品が立派な机の横に立っていた。
壁には代紋が掲げてあり、その下には日本刀の大小がシカの角に掛けてあった。
「そこで座って待て」と三品が指示した。木戸はゆっくり座ってタバコをふかし
た。
机の脇にあるドアが開き、剣崎が専用のエレベータで上がってきた。
「おう、剣崎だ。何だね。用件は?大変な情報だっていうじゃないか」
「はい、私、南神奈川新聞の木戸といいますが、これからは私も商売ですから覚
悟を決めて来てますんでね。小さな話ではありませんよ。剣崎さんに窺うには決
死というか覚悟が必要でしてね、わかりますよね。でも私の命は外の警察が守っ
ていますのでどうかご勘弁を」という木戸は剣崎ビルの前に止まっている車を見
て警察の偵察だと判断して咄嗟にそれを利用したのだった。
「ちょっと見ろ」三品がビルの屋上にあるカメラの外部モニターを確認させてい
た。
「・・・・・・」男は三品に耳打ちしていた。
「そうか、お前には護衛がいるという事だな。そして此処の話は警察にも漏れる
と」
「いや、私も馬鹿じゃないから全部は話しませんよ」木戸は足を組んでみた。
「おお、それが懸命だな」三品は不敵な笑みを浮かべた。剣崎が話し出した。
「では用件を聞こう」
「はい、実は先日鎌倉で暴走族の争いがありましてね、警察や報道のヘリも上空
から撮影までした事件になったのですが、その後、三浦のシャドーという族のメ
ンバーの笹木という子供を正体不明の2名が襲いましてね。病院送りにしたんで
すわ」
「ほう、それが、うちにどういう関係が在るのかね?」
「え、関係無いんですか?」
「族なんて関係があるわけがない。うちには全く関わりが無い。そいつらは未だ
ガキでしょう」
「そうですか?そのときその笹木を襲ったのが茅ヶ崎の愚連隊という族という噂
が立ちましてね、以前の喧嘩の報復ではないかと?」
「剣崎はガキは相手にしねえ」と入り口に立って手を後ろに組んでいる組員がい
きがって話しだした。すると三品がそいつを抑えて木戸に問いかけた。
「おまえ、笹木というガキを剣崎がやったとでも言いたいのか?馬鹿にしやがっ
て」といいながら三品は船戸が勝手に子分として利用して小銭を吸い上げている
大竹を思い出していた。
「おう、もう帰ったらどうだ」組員が云った。剣崎が制止した。
「ですからね、その笹木という奴は病院送りになったので病院側の不審な怪我と
いう連絡で県警の調査が入りまして、我々も病院に取材に行っていましてねえ、
そこへ三浦の永沢先生の息子がね、現れたんですわ」
「ほう、永沢先生?それで?」と剣崎は身を乗り出して質問した。
お∼来た来た反応ありだなと思いながら木戸は続けた。「はい。永沢の息子はシ
ャドーという暴走族で横浜を狙っているようでして、永沢が横浜で問題を起こせ
ばですが、因縁がつけられますよね。これは剣崎さんの永沢攻めの材料になるん
ではと思いましてお邪魔したんですわ」と意図的に筋違いの思惑を提供していた。
「永沢の息子が何で攻めの材料になると?」
「ですから会長、神奈川を制覇するためには目の上のタンコブの永沢を潰したい
でしょう?」
「あほう、今どきそんな事はしなくても極道は消滅するわい」と剣崎は永沢との
関係を木戸に悟られないようにしていた。
しめしめといい形で情報提供できて満足していた木戸はガッカリした芝居をして
「そうですか、良い情報だと思ったんですがねえ、残念、これじゃ、記事にも金
にもなりそうにありませんな」と木戸はとぼけた顔でそういうとカバンを置いた
テーブルの脇を見回して帰る素振りを見せていた。
「残念だったな」三品が答えた。
「じゃあ、失礼しますわ」と木戸は席を立とうとした。
「まあまあ、折角だからさっきの子供の話の続きを聞かせてくれないかね。ちょ
うど少し時間もあるのでね。話のネタに」と剣崎は気になって引きとめていた。
「いや、そんな小さな話もういいんでしょう」
「まあ、今後も良い事は記事にはして欲しいからな。ビシネスとしては始まる可
能性はあると思わないかね」
「え、会長、少しは私を懇意にして頂ける可能性が有るんですか?」
「君の態度次第だがね」
「それなら何でも話しますよ。何がいいですか、知っていることなら何でも話し
ますよ」
「そうか、色々聞きたいが警察の成り行きとかもそうだが、さっきのまずは続き
だね」
「え∼と何処まで話しましたっけ」
「おい、三品、何処までだった?」
「はい、三浦の病院に取材に行って、そこへ三浦の永沢先生の息子が現れたとこ
ろですね」
「おお、そこだよ」
「はい。族の話でいいのです?」
「おお、いいぞ」剣崎の顔が真剣になった。
一本釣りに成功したと思うと気持ちが高ぶって楽しくなっていた木戸は「はあ、
で、ですね、永沢の息子が仕返しをするといって激怒してましてね。でも、最近
までその笹木という奴が意識不明で事件から寝たきりだったんです。で、病院も
警察も報道も事件の経緯が分らないので、ずっと報道を控えていたんです。です
が、私も病院には秘密で笹木を監視していたのです。最近目を覚ましたことがあ
った様で自分が茅ヶ崎の愚連隊という奴らにやられたといったそうでして。神奈
川県警も動いていますからそのうちここにも聞き込みに来るのではないかと?表
の車も最近張り付いているんでしょ?」
「おまえ、警察に何かを直接聞いたのか?」剣崎は他の悪事を捜査しているので
はと心配になっていた。木戸は何かあるぞと剣崎の顔色を見て感じたがそういう
世界なのでとあまり気にはしなかった。
「いや、病室から出てきた永沢のシャドーのメンバーが愚連隊の伊藤、と白井を
叩くといって話していたのを笹木の病室の外で聞いたんです」
「ばかばかしい、たかがガキの喧嘩じゃないか、永沢のガキだろう、どうでもい
いことだ。ガキが浜を狙おうが東京で喧嘩しようが組には全く関係ないことだか
らな」剣崎は他の情報を期待していた。
「どうでもいいことだ」三品も云う。
「そうですか、でも笹木の目が覚めて起きたときに笹木をやった伊藤か、白井の
どちらかがおれ達のバックは浜の剣崎と云ったそうですよ。それが警察に入って
いなければいいですけどね。仮に関係が無かったとしても何らかの調査が入るか
も知れませんので他のことも心配でしたら警戒が必要ではと思いましたので窺っ
たんですよ」
「剣崎と言った!なんだと!おまえ、もっと早くそれを言え、とんでもない事だ
ぞ、愚連隊なんてガキは関係ねえが、ガサは面倒だ。別件捜査なんてな」剣崎は
突然反応していた。
三品が剣崎に耳打ちした。
「愚連隊から上納金を船戸が取っており、勝手に剣崎とのサカズキを交わして、
自分が面倒な仕事を愚連隊の大竹にさせて遊びまわっています。それに船戸が勝
手に大竹に関内の集金もさせています。一部ですが・・・」と三品が愚連隊との
つながりを説明していた。
「三品、それ、本当か?バカ野郎」
「すいません」
「ん、何!なんだと∼。お前もどうし俺に黙っていた!」剣崎は三品を殴った。
三品は米神を殴られて後退するとデスクに手を突いて踏ん張っていた。
「申し訳ありません。たいしたことではないと思っていましたので」
「バカ野郎、今頃謝っても遅いわい。昔からチンピラの小さな喧嘩から大事件に
なっとるだろうが、教育をしっかりせい!」
「はあ、まさかこんなことになるとは思わなかったので」とありきたりの三品は
言い訳をしていた。
「とんでもねえ事しやがって、あのバカ、おい、お前、誰だった。お前だ」鬼の
形相で木戸を指差した。
「木戸です」
「おまえもう良い、帰れ、直ぐに帰れ、おい、三品、そいつに100万くれてや
れ」
「はあ?」
「直ぐに帰せ、船戸を呼べ、バカ野郎、船戸を呼べ、あのアホが」
木戸は予定通り剣崎に火をつけて100万円を手にして帰って行った。
船戸はボクシングジムで暇つぶしをしていた。
三品の連絡で「何なんだ今忙しいんだけどよう」と電話を受けていたが、会長が
大至急戻れというので仕方なく事務所に戻ってきた。
タクシーを降りるとポケットに手を突っ込み、大きな顔をして階段を上がり、エ
レベータに乗って五階へ上ると事務所に入った。
剣崎がソファーに座り、三品が横に立っている。
「おお、座れ!」船戸が剣崎の正面に座った。
「おい、船戸、ほれ」
ガシャン
三品がドスをテーブルに投げた。
「お前、詰めろ」
「どうして」
「お前、愚連隊って解るか?分るよな」
「・どうして」
「解っているだろ、事務所で大竹と遣り合っていたらしいじゃないか。三品から
聞いたんだ」と剣崎も問い詰めていた。
「・・」船戸は声も出ない。
「はあ、そいつらのな、仲間で、おい、そこのメモをよこせ」三品がデスクのメ
モを剣崎に手渡した。
「伊藤か、白井ってのが永沢のガキのメンバーに焼きを入れて病院送りにしたん
だとよ」
「はあ、知りませんが。そんなことは」
「バカやろう、嘘をつけ、そいつらのどっちかが愚連隊って族のバックは剣崎と
言ったらしいじゃねえか」
「そんな、ガキが言ったってうちは関係ないですよ」
「アホウ、その、うちの大竹かあ?関内のシマで集金しとるのがお前が勝手にサ
カズキを交わしたうちの、・・お前の組員だろうが。お前、此処で永沢のガキと
オヤジを敵に回したらうちは将来潰れるぞ」
「潰れる前に永沢を潰せばいいじゃないですか?前から狙ってますよね」
「お前はバカか、最近の話をよく聞いておけ、アホウ、永沢が死んでみろ、今、
目の前のでっかい利権が全部パーだぞ」剣崎の怒りがどんどん膨らんでいく。
「そんなことは全く聞いておりませんよ。最近は三品が仕切っているようですか
らね」と嘯く船戸はドスを三品に投げ返していた。
それを見ていながら咎めない剣崎は「永沢は小さな組だが、会長は仮にも県会議
員なんだぞ、表の看板は向こうのほうが大きいんじゃ。そんな当たり前のことも
分らんのか」と怒りを静めていたが、船戸には詳しく説明していないことを思い
ながら悔いていた。
船戸が直接は聞いていない永沢との関係を自分なりに決着をつけようと動いてい
たことならばと自分の非を考慮して仕方なく収めようとしていた。
「分っていますが、会長も永沢が早く死なねえかと願っていましたでしょう」と
いう船戸に返せなくなっていた。
自分の不甲斐なさにも悔いてはいたが今回の問題は簡単に子供を使っている船戸
にも問題があった。
剣崎はそう思い直すと「今は違うんじゃ」といって船戸を力いっぱい蹴った。船
戸は蹴られた顔を抑えながら「そんな、聞いていないことは分りませんよ、それ
なりに教えてもらえなければ受けた指示のままで進んでいきますよ」と訴えた。
剣崎は船戸を野放しにしておいた自分にも非がある。とは思った。
「順番があるんじゃ、ボケ!」三品が船戸の胸倉を掴んでつばを飛ばしながら叫
んだ。
「おまえ、族から金を入れさているんだろう。大竹がそいつらの頭だってな、目
出てえ奴らだ、いずれはそれも永沢の耳に入る。仮にもあいつは議員だぞ、国会
にも顔がある。簡単には潰せんのじゃ。お前もわかっとろうが」剣崎は拳を握り
ながら訴えていた。
「それは・・」
「おい、船戸、ここは永沢に侘びをいれねえと何十億の利権がすっ飛ぶんだ。お
前の舎弟の不始末でな。バカもん。お前はとんでもネエ野郎だ。金を作って来い
、金を。まあ、暴走族ちゅうだけに暴走するわな」三品は冷たく言い放った。
「すんません」
「おまえ、ジムばかり行って遊んでいるから、組の状況を理解していなかったん
だな。ちゃんと聞いていればこんなことにはなっていないんだぞ」と剣崎が睨ん
で言った。
「大竹というガキが愚連隊の総長らしいな。けじめは二人で考えろ、まずは永沢
へ詫びを入れる。今日はまたブルーシャトーに永沢が来るんだ。この大事な時に
良くやってくれるぜ、もうすでに永沢は知っているかもな。バカを飼っていると
、とんでもない出費を抱える危険があると、よく解ったぜ。先に侘びを入れない
とえらいことになるでな」という剣崎は問題の大きさに頭を抱えていた。
「申し訳ないです」
「いや、参ったな。いい具合にすすんでいたんだが、今日は何から切り出そうか
?」
「おい、速いとこやれ」三品が船戸をせかした。
剣崎は突然の問題にぶち当たり、困り果てていた。頭の中を様々な案が交錯する。
「ちょっと待て、永沢の前で詰めさせろ」
「会長、そんなことすれば永沢は止めさせますよ。そうなるとそれだけじゃあ済
まんでしょう」
「そうだな。こいつらの処分はいつでもできるからな。仕方ねえ、あいつがどう
出てくるか今日のところは様子を見るか」
「いや、向こうから策を練ってくることもあるしな。そうか・・・今日は多恵の
ところから店に来るんだな」
「はい。今日は姉さんからの連絡で9時頃にという話ですわ」
「そうか、多恵のところだな。・・」
「はい、この所、入り浸りですわ」
「いい薬を与えたんだがなあ、未だカネがかかりよる。バカ共のおかげで大変だ
」三品が船戸の顔面に蹴りを入れた。
船戸は後頭部を蹴られ、顔面をテーブルに強打して、椅子から転げ落ちた。飛び
上がった灰皿が割れて吸殻がテーブルを覆った。
「あかん。いい策が浮かばねえ。カネで話を付けるしかないんか」
「船戸、お前、死ね!」
船戸は黙っていて肩が落ちたままだった。
「いかんそろそろ時間だ」
「三品、お前今日は残って大竹という奴を呼んでケジメをつけろ、でも、わしが
サカズキを交わしたわけではないので、事務所には呼ばずに場所を変えてやるん
だ。俺は9時に店に行って永沢にこいつの顔を見せて土下座させてから戻すから
処分は任せるが、・・やっぱり駄目だ。俺ひとりで行く。こいつらには詫び料の
3000万を月内に作らせろ、処分はその後だ。いいな」
「はい。解りました」
「後で連絡する。船戸、お前、直ぐにカネを作って来い今から直ぐ動け、500
0万だ。いいな」
「はい。行ってらっしゃいませ」船戸は口から血を垂らして土下座していた。
「くそ、今日は最悪の日だ。船戸、お前、頭を冷やして来い、詫びはカネでしろ。
5000万だ。いいな」剣崎は船戸のわき腹を蹴ってから出て行った。
船戸はじわじわと怒りがこみ上げてきていた。
「くそ、カネはいつも全部持って行きやがって、分が悪くてやっておれんわ。ク
ソ野郎」
船戸はわき腹を押さえ、不貞腐れて事務所を出た。
破門されることが浮かんだ。
そうなれば力があるうちに機会があれば組を出て、よその組に入りたいと考えて
いた。しかし、今すぐでは力不足だった。
剣崎洋が出てくれば話は別だった。
剣崎洋だけは敵に回したくない存在なのだった。
同じ関東圏内では凌ぎをめぐって争うことが面倒だったが出来れば剣崎を潰して
乗っ取りが出来る組織が希望だった。
船戸は渡辺組の金村剛と組んでの企みがあった。
金村は剣崎ジムでの後輩だった。
渡辺の言う分の悪い凌ぎと組長の金払いの悪さに腹を立てていた金村も時を見て
剣崎に寝返る事も考えて船戸との付き合いを続けていた。
トゥルルトゥルル三品が電話した。
「おお、滝川か?ちょっと大竹をそこに呼び出せ。いいな。それと、大竹の仲間
の白井と伊藤てえ奴も9時までに待たせておけ。あ、上原もだ。そこにいるのか
?」
「まだ来ていません。上原も大竹も呼び出します?白井と伊藤って?」
「ああ、大竹の仲間らしい。頼むぞ」といって電話を切った。
「おい、船戸、行くぞ。おい、お前らこいつを乗せて下で待ってろ」
「へい」
船戸は事務所を出ると「俺はいい、親分の命令で金を都合する。三品に関内に行
ったといっておけ」といって上納する金をつくりに動きだした。「くそ」と自分
が知らぬところで進んでいた状況に腹を立て、いまだ自立できぬ自分にも腹を立
てていた。
剣崎の運転手と三品の舎弟は一応若頭である船戸には服従しているような態度で
接していた。船戸の伝言を受けた組員は「へい。分りました。言ってらっしゃい
ませ」と返事をしたが、考え事をしながら階段を降りた船戸は返事をせず、金を
集めるために関内方面へタクシーで向かっていた。
剣崎ジムの滝川は三品の指示に従って大竹に電話した。
トゥルルトゥルル
「ああ、滝川さん、どうしました」
「大竹か?剣崎の三品さんがお前とお前の仲間の伊藤と白井を9時までにジムに
呼んでおけってよ。上原もだ」
「え、やっぱり、・・解りました」
「おまえら、何をやらかした?」
「いや、ちょっと。直ぐ行きます」
「冷酷そうな声で話していたからななにかやったんだろう。おまえら」滝川は大
竹を心配していたが大竹は何も話さなかった。
「とにかく、向かうといってください」
大竹たちは「茅ヶ崎」に集まっていた。メンバーで相談していたが、恐ろしくな
って幾ら考えても両者に謝ることしか浮かばないでいた。
「おい、誰だ」伊藤が言うと大竹は「三品さんがお前等もジムへ来いといってい
るらしい」と答えたが、考え事をしている大竹の視線は定まらなかった。
「どうしよう」と考えて店のカウンターの前を落ち着かないでうろうろしている
と「大竹、やばいぞ、なあ、これは」伊藤がビビッて話した。
「おお、指を詰めろとか、金を都合するとか掟があるからな」上原も大竹と同じ
心境だった。
「伊藤どうするお前行くのか?」と上原が聞くと伊藤は心配そうな顔つきで
「行きたくはないけど、お前は行かないのか?」と上原を見ていた。
もう逃げられはしないと策を練っていた上原は「俺と大竹は自宅も割れているし
、大竹だけに被せられんから行くけどな」と答えて視線の定まらない大竹に向い
ていた。
「金を作ることとケジメだよな」と大竹が呟いた。伊藤は心配そうに「指詰めろ
ってか?」と大竹を見た。
大竹はまだ視線に覇気がない。弱い口調で「それで済めばいいけど、どうなるの
か、分らねえ」という大竹の言葉を愚連隊の他のメンバーは黙って聞いていた。
「やばいぞ、絶対にジムに行けばやられる」メンバーは策が浮かばずに動揺する
だけだった。
「逃げるのか?直ぐ追っ手が来るぞ」他のメンバーも同じだった。
「じゃあ、おまえら、全員が極道と戦争する勇気があるか?」上原がメンバーを
見渡していった。
伊藤が「逃げようか」というと大竹は「逃げても追いかけられるし俺はおふくろ
がいるので逃げられないから行くしかない」と決めているようだった。上原は
「そうだろ、おれ達は逃げられんのだ」それを聞いた白井は「じゃあ、やられる
ためにいくのか?」と大竹を見た。上原が「だから言っただろう伊藤おまえ、戦
争する勇気があるか?」と伊藤に詰め寄った。
「俺はあるぞ、みんなと一緒なら恐くねえ」と酒井が勢いで言った。
上原が酒井の顔を振り向くと伊藤も俺もやってやると胸を掴まれながら弱弱しく
呟いた。掴んだ手を離して上原は伊藤の顔を見ると視線が弱弱しくSOSを求め
ているように感じた。
なんだ、だらしのないやつめ、一人では何も出来ねえ根性無しが。
「やってやろうじゃねえか、極道を潰してやろうぜ」どこからか威勢のいい意見
が飛び出した。
すると血色のいい酒井と他のメンバー達も全員でやるならやってやると言い出し
た。
上原は「大竹、どうする?」と大竹に振った。
大竹は組に自宅を知られ、逃げ出せばおふくろの介護をする人間がいなくなる。
それが心配だった。
「俺もやってもいいけど、家に母ちゃんが寝たきりだから絶対に家に帰らないと
いけねえから、踏ん切りがつかん。そんなことを考えたことが無いから」と迷っ
ていた。
「お前達はどうだ。追っ手が来ても大丈夫か?」上原が質問した。
「俺はいいけど」
「俺も良いぞ」
「おい、その後も問題だぞ。潜伏できる場所があればいいけど。暫くは追っ手か
ら逃れるようにしたい」
雲行きが変わってきていた。
「それに、大竹もやるんだったら、やる前に救急車を呼んで母ちゃんを病院へ行
かせておけば当分はほっといても大丈夫だぜ」
「おお∼∼。お前、よく考えたな」
「その手があったか!」
「じゃあ、みんなどうする?」
「多数決で、・・やる奴、手を上げろ」
「おお∼∼。全員じゃねえか。すげえ」
「やるのか?」
「俺はいいけど」
「俺も良い」
集団連鎖だった。
「じゃあ、仲間全部に連絡して人数を揃えよう」全員が電話をし始めた。バイク
で出かけたものも数人いる。
茅ヶ崎は意外と元気だった。
「大竹、何でか知らんけど、暴走族になった気分がするぞ」
「後のことを考えると恐ろしいけどな」
「そうなったら剣崎の敵の組員になるしか生きてはいけなくなりそうで嫌だし、
ボクシングも諦めることになりそうでさびしい気がするよ」と上原が寂しそうに
大竹に訴えていた。
ブルーシャトーには永沢が多恵と二人で楽しそうに飲んでいた。
後から来た剣崎は一人だった。
「あ、どうもどうも。会長、どうも、ドクターヘリは順調ですよ。今度は伊豆方
面の島に対応するためにヘリポートを増設する申請で忙しくなりそうですわ。臓
器を運ぶだけでしたら安いヘリで対応できますけどドクターヘリは最低1億円で
すよ中古を改造してもですよ。いや、参りますわ」
「でも、儲かりますやろ、足りないくらいと聞いていますよ」
「ははは、そうですけど、金が大変ですわ」
「いいじゃないですか、噂では離島に住んでいる奴等にドナーカードを書かせた
そうですね。やることが速いですねえ。条件は大丈夫なんですか?」
臓器移植でのドナーの上限は、対応年数が必用である心臓は50歳以下、肺70
歳以下、腎臓70歳以下、膵臓60歳以下、小腸60歳以下とされ、高年齢でも
可能だった。
肝臓の適応基準には年齢に関する条件はない。年齢制限ではなく、この年齢を超
えていても健康な者と判断できる者は臓器提供できることとなっている。
脳死で臓器提供するためには本人の文書による意思表示が必要であり、併せて家
族の承諾も必要とされているため家族といえども他人が関与することで非常に時
間と労力がかかる。
法律的に意思表示できる年齢として15歳以上ということになっている。
心臓、肝臓など脳死での臓器提供は15歳以上だが、心停止後の腎臓提供におい
ては本人の意思表示がない場合でも家族の承諾で可能とされたうえ14歳以下で
も可能とされている。
最終的には臓器移植ネットワークの派遣する担当医師の判断により判断されるこ
とになっていた。
また、骨髄ドナーになれる条件は骨髄・末梢血幹細胞の提供の内容を十分に理解
している者。年齢が18歳以上、54歳以下で健康な者。体重が男45kg以上
、女性40kg以上の者だった。
「まあ、それはあたりでしたわ、わははは。大島のおっさんがいましてね、一人
暮らしなんですけど少しボケてましたんですわ、家族の長男がこっちで面倒見ま
すからいうと直ぐにサインしましてね、まあ、いつでもOK言う感じですね。島
医者もグルですわ」
「いや∼、剣崎さん、やっぱり商売では勝てませんねえ」
「いや、先生のおかげですわ。有難うございます。まだまだ国内には島が沢山あ
りますから今からが本番ですよ」
「そうですか、私はこの子だけで幸せですよ」と多恵を抱き寄せて永沢はにやけ
ていた。
「そりゃ良かったですわ」剣崎が女の子を呼び、騒がしいテーブルになった。
永沢はいつ剣崎が切り出すのか様子を窺っていたが、自分からは切り出す積りは
無かった。
日を改めて電話でも済ませることができるのだった。
新聞記者を送り込み、剣崎の動揺した態度の報告は受けていたので何ら心配の無
い軽い気分で飲んでいた。
「先生、実はですね、実際にはうちの会社のものでは無いんですがね、オタクの
坊ちゃんの友人の方で笹木君と言う方が三浦病院に入院されたそうですが?」と
剣崎に切り出されて永沢は知らん振りをすることがこんなに難しいとは思わなか
った。
ちょっとドキドキしながら「え」ッと云う顔をしたつもりだったが剣崎がどう受
け取ったのかは知る由もない。
「はあ、暫く寝たきりだったようで、息子がしょっちゅう見舞いに行ってました
よ。良くご存知で」
「はあ、前に失礼ですけど調べさせてもらいましたと申し上げましたでしょう」
という剣崎も探りを入れる話法だった。
「ハハ、そうでしたね」と永沢も上手いこと言ってくれてありがたいわと思って
いた。
「それが、こちらで調べましたところ、その笹木君をやったのが内の頭が小遣い
稼ぎで面倒を見ていた奴らのようでして」
「え!何ですと?剣崎さんとこの身内ですと?そりゃえらいこっちゃ、うちのバ
カ息子に直ぐ云って止めさせますわ。仕返しするって狂ってましたから、すんま
せんね」
「いやいや、うちの船戸を懲らしめますから、見舞金で勘弁して頂けませんか?
その小僧達は正式にはうちの身内じゃないんですよ。わしはサカズキをやってい
ませんから、船戸ちゅうバカが勝手に子供を遣っていましたんですよ」
剣崎は言い訳をしている自分が今までは何時か機会を見て潰そうと考えていた田
舎のヤクザに表面的にでもひれ伏した姿を見せる自分が誇らしくも悔しくもあり
、複雑な気持ちで接しているのだった。
「いや、いや、気にせんでいいですわ、そちらで処分もしないほうがいいですよ。
うちの坊主には殴りこみは辞めさせますから。大丈夫ですよ」
永沢は剣崎とは逆に何時、力の差を持って大きく将来に立ちふさがるか分らなか
った近隣の大物に対して堂々とその策略で立ち向かった上に将来を嘱望されてい
る自分が誇らしかったが、自分の死後、単細胞の息子がその基盤を継げる能力に
欠けることが一番の心配事になっていた。
「いや、そうですか、申し訳ありませんでした。以後、気をつけますんでこれか
らもよろしく願います。申し訳ない」と云って剣崎は深々と頭を下げていた。永
沢は心の中で笑っていた。
案の定、剣崎は「まず、最低限最初にお見舞金として病院の費用全額と週末に1
000万円見舞金を現金で笹木君の病院へ届けさせますのでよろしくお伝えくだ
さい」と、永沢とのトラブルを早急に解決する意志を伝えてきたのだった。
その提案に対して一瞬芝居して驚きの表情を見せていた永沢は恐縮したような態
度を見せながら「おお、笹木君は怪我でバイトも出来なくなって親に入れる金に
困るようなことを坊主が言うてましたから喜びますよ。いやあ、ありがたいこと
です。わしは50万しかやってませんのにねえ。有難うございます。明日早速子
供に伝えますわ。今日はすんません、こっちに泊りますんで」とカネなんて笹木
には一円も手渡していないのにそう答えていた。
「いいですなあ、多恵、頼むぞ。いやあ、とりあえずこれで勘弁したってくださ
い。宜しくですわ。あ∼よかった。気が晴れて飲めますわ」
「商売で儲けましょう、剣崎さん。もっと確り、応援しますから」
「はあ、お願いしますわ」
「ははは」永沢は剣崎から来るカネはまた恩を売る形で少し戻せばと良いと考え
て思惑通りに進んでいく状況を思うと上機嫌だった。
大竹達は助っ人も加わり、60人で押しかけることになった。ジムには本物が運
転手を含めて4∼5人で大竹を待っていると予測し、事務所が常時10人くらい
なのでジムには20人事務所襲撃には40人で向かうことになった。愚連隊の初
陣のような気分で皆が張り切っていた。集団のエネルギーの恐ろしいところが此
処に見えた。
大竹は119番して自宅の住所を告げ、母親を救急車で運ばせた。全員がバイク
を手押しして出発した。住宅街で通報されないように歩いて移動するのだ。
大竹たちは「茅ヶ崎」から300メートル離れてからエンジンをかけて最初は静
かに走った。
1キロくらい離れた国道一号線に出ると「いくぞ∼∼」と大竹が号令した。
「終わったら静かに円蔵緑地、集合∼」
「お∼∼!」
一斉に単車のラッパを鳴らし、アクセルを入れた。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
静かな街が騒音に包まれた。
永沢則弥たちはレストラン工事現場で働いていた。壁のペイントや釣堀のペイン
トは自分達でやることにしていたからだった。
レストランの内部構造は1階2階とも逆U字型にゲームコーナーを置き、アーチ
ェリーやゴムのナイフ投げ、コルクライフル射撃、エアー大砲、などのゲームを
置き、商品は食事券やドリンク券などのサービス券をプレゼントする。
一階の真ん中には池があり、魚を釣って料理したり、捌いた魚を持ち帰る。
1階奥がキッチンで2階への料理は専用エレベーターが運ぶ仕組みでバーは1階
2階にそれぞれある。
駐車場の奥にはプレハブ住宅と2階建てコンテナがあり、プレハブ住宅は更衣室
兼宿泊室、隣のコンテナにはシャワーと風呂があり、簡易宿泊室が2階にある。
泊り込みで働けるようにして交通費を抑える。ケチな永沢音弥の考えが大きく反
映されたのだった。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
派手な単車集団は保土ヶ谷橋で二手に分かれ、伊勢崎町方面と関内方面へと向か
った。分かれてからはラッパの音が消えて、騒音だけが移動していた。
「剣崎ボクシングジム」の前には黒塗りの高級車があった。影をみると数人乗っ
ている。
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
20台の単車がヘッドライトとエンジンをかけたまま並んでジム前の車ごと囲ん
だ。大竹がガラス越しにジムの中を観察したが、三品の顔が無い。大竹は車だけ
を襲撃した。
「あの車だ。やっちまえ!」
「おお∼∼」金槌や金属バットが車を襲った。
襲われた車が動き出すと隊員が割れた窓から手を入れてハンドルを回してガード
レールに突っ込んだ。ガン!っと車が静止した。
3人係りでドアを開けるとキーを抜いて運転手を引きずり出して「おい、出て来
い」といって金属バットで窓を叩くと後部座席から三品が頭を肘で防御しながら
出てきた。
「やっちまえ∼」の号令で三品は反撃できるチャンスも無くバットやチェーンで
滅多打ちにされ、頭を殴られて血だらけで倒れたが、攻撃は止められなかった。
暫くして騒ぎをかぎつけたジムからの練習生達が様子を見に出たが、大竹たちの
躍動する姿に圧倒されて手も足も出せず、その場に立ち尽くしてみていた。
その中には滝川の顔もあった。
剣崎組のスーツたち四名はサイレンが聞こえるまで叩かれて四名の頭からは血が
流れて顔が確認できないほど潰れていた。
ピーポー、ピーポーピーポー
サイレンが聞こえてきた。
野次馬が増えてきた。
野次馬の中には件崎組のジムだと知るものがあって「いつかはこうなると思って
いたんだ」などと話しながら騒ぎを見ていた。
「引け∼∼」の号令で単車20台は爆発音を響かせて消えて行った。
ピーポー、ピーポーピーポー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
剣崎事務所前には40台のバイクが集結した。パリラ、パリラパリラー、パリラ
ー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!という音に事務所の中では「うるさい族ども
が」などといって窓から覗いているものがあったがその数と金属バットなどの武
器を見ても何処に襲撃に来たのかと他人事のように思っていた。
「行け∼∼」という上原の号令で事務所内に侵入した40名は一階のエレベータ
ーでてこずったが、一階を制圧すると一気に各階を制圧して不意打ちに驚く留守
番たちを叩きのめしていた。
上原はポリタンクのガソリンを一階にまいて火をつけた。
「ボン」という軽い爆発音の後にはゆらゆらと青い火が揺らめくとまた「ボン」
といって二階に充満したガスが爆発して2階の窓からガラスが飛び散り、青とオ
レンジの火が窓から飛び出してきていた。
暫くすると火災報知機のベルが鳴り響き近所の住民が観客になって家を飛び出し
てきていた。
見物人が出てきたので上原は「退避∼」と号令していた。
「おお∼∼」という勝ち鬨とウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラーという騒音の中で回り近所はヤクザもここま
でやられれば少しは大人しくなるのではと僅かな期待を持ってみているものが静
かに眺めていた。
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
ピーポー、ピーポーピーポー
ラッパの音が付近を勝ち鬨のように響くとサイレンが聞こえてきた。
野次馬のほとんどが仕方ないと思いながらこれで剣崎が引越しでもしてくれれば
ありがたいなどと話し合っていた。
事務所ビルの中ではスプリンクラーが作動して全階がシャワーの水で覆われるこ
とになる。ビルからは水蒸気と煙でいぶされて力を失ってヤクザのくせに奇声や
悲鳴を上げて逃げ出した男が出て来て滑稽だった。
ピーポー、ピーポーピーポーという救急車と消防車パトカーが数え切れないほど
現場に向かってきていることが想像できるほど周囲に響き渡っていた。
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
大竹班と上原班は興奮してパリラ、パリラパリラー、パリラー、
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!とけたたましく騒ぎまわりながら来た道を戻
っていた。
「茅ヶ崎」は閉まっている。
円蔵緑地には60台以上の単車が集合してきた。
「よし、おそらく死人も出ている。おれ達はお前達の分も背負って警察へ出頭す
る。その前に伊藤と白井がやった三浦病院の笹木に詫びを入れる。いいか!」
「おお∼!今日はまだ警察には行くな、逃げろ!」
「よし、今日はもう遅い、各自とにかく今日だけは逃げろ。近くには隠れてはい
けない。逆におれ達は今から三浦海岸に行く。そして永沢のお化け屋敷に隠れる
ことにした。そこのオープンは13時だが、隣の海の家は11時にオープンする。
だから二手に分かれて隠れる。そして10時に病院へ行って駐車場に整列して1
0時10分に笹木の部屋の前で全員で詫びを入れる。三浦に来ない者と他に泊ま
る者は10時10分に三浦病院に必ず集合しろ、いいか?」
「今日はこれから、目立って走るな」
「おお∼∼」
「では、解散!」
ブオ∼∼∼∼と少しだけ静かに走り出した。
大竹と上原ら50名は三浦海岸に向かって、コンビニによると店員は恐怖に震え
ながらレジで対応していた。
何人もレジで対応していると以外に礼儀正しい素振りに首をかしげながらも袋詰
めしていた。
海岸沿いの裏道の空き地である草むらに単車を止めて海岸に向かい、お化け屋敷
をこじ開けて進入し、コンビ二で買った弁当を中で食べていた。
こそこそと襲撃したヤクザへの自分が行った方法などの話をしながら日本酒をラ
ッパ飲みして寝酒にしていた。
こそこそ話すのは疲れるものだと思っていると23時を回っていた。
知らぬ間に酔って寝ていくという状態だった。
明け方になると散歩をする人たちがだんだんと増えてくる。
砂浜での足音は無いといえるくらいのものだったがお化け屋敷の中では鼾がスピ
ーカーの役割をして反響しており意外と外にも聞こえてくるようだった。
散歩にでている犬がお化け屋敷に向かって吼えたりしたが、地元の人間は永沢の
縄張りであって、貸し物の建物は組の所有物と理解しているので訳ありの様子で
も、見て、見ぬ振りをして通りすぎるのが常習化していた。
中からたまに出て来て立ち小便をしていても永沢の仲間と見ては観ぬ振りをして
やはり、通りすぎるのだった。
午前10時に「お化け屋敷」から続々と出てくる厳つい特攻服の集団を見ても則
弥の仲間が随分と増えたんだなあと観ているだけだった。
大竹一行は全員が起き上がると単車のある空き地へ到着して病院へ向かった。
「今日は派手に行け」大竹が号令した。
「いいか、いくぞ∼∼」
「おお∼∼」
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
大竹が到着すると病院にはすでに10人が集合して、看護師から聞きつけて建物
の外観から笹木の部屋を特定して待機していた。
「10台の並列駐車で詫びを入れる」大竹が号令すると単車を綺麗に6列駐車し
た。
「ラッパを鳴らせ」
「おお∼∼∼」
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
驚いた病院にいた人々が「何事だ」などといって騒ぎ出していた。
笹木の体が単車の排気音と12連エアホーンの騒音に反応した。
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
慌てた病院の看護師が永沢に電話連絡していた。
「永沢さん、暴走族の襲撃みたいです。凄いことになってます。どうしましょう。
ノリちゃんに病院に来てといってください。大至急です」と聞いた母ちゃんは走
って朝ごはん中の則弥に伝えると則弥「うっそ」といってはそのまま家を飛び出
した。
ご飯を口に入れたままでバイクにまたがり飛び出していた。
大竹が「侘び」を始めた。
病院の窓から駐車場を除き見る職員や患者達が続々と増えてくる。
待合室でも「何だ、何だ。」と騒がしくなってくる。
「俺は、愚連隊の大竹である。この度、此処に入院の笹木君に侘びを入れに来た。
本当に申し訳ない。許してくれ」
「全員整列、土下座、初め!」
ササササササササ
「謝罪、はじめ」
「済みませんでした」という声が駐車場で反響していた。
全員が土下座して手を付き頭を土につけたまま動かなかった。
窓ガラスが動いた。笹木がベッドから立ち上がって窓から駐車場を覗いた。
大竹が叫んだ。
「俺は、愚連隊の大竹である。この度、此処に入院の笹木君に侘びを入れに来た。
本当に申し訳ない。許してくれ」
「隣が、伊藤、その向こうが白井だ」
「申し訳ない。許してくれ」
「申し訳ない。許してくれ。すまん」
笹木が叫んだ。
「俺は、蘇った。よっしゃ、許してやる」
笹木は一段と声を上げて
「今度は順番にタイマンだぞ∼∼。いいか∼」
伊藤と、白井が返した。
「おお∼∼∼」
ピーポー、ピーポーピーポー
単車で病院に駆けつけた則弥と龍一が傍で見ていた。
他の全員が土下座して手を付き頭を土につけたまま動かなかった。
病院の窓からはその場所を確認で切る患者たちまでもが覗き込んでその信じられ
ない光景に目を奪われている中で海岸沿いに走り来るパトカーを見つけた笹木が
叫んだ。
「おまえら、早く消えろ、マッポが来るぞ∼」
「わかった。笹木、すまん」
「では、消えるぞ∼」
「おお∼∼」
ピーポー、ピーポーピーポー
「申し訳ない。許してくれ」
笹木が叫んだ。
「俺は、お前らの声で蘇ったから許してやる」
笹木は一段と声を上げて、
「今度は順番にタイマンだぞ∼。いいか∼∼」
伊藤と、白井が返した。
「おお∼∼∼」
ピーポー、ピーポーピーポー
「ラッパを鳴らせ」
「おお∼∼∼」
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
ピーポー、ピーポーピーポー
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
病室では寝たきりだった患者の数人が目を覚ましていた。
驚いた看護師が慌てて主治医を呼びに走る姿が見られた。
ピーポー、ピーポーピーポー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
ピーポー、ピーポーピーポー
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
大竹らは病院から消えていった。
剣崎はブルーシャトーにいて事務所襲撃を知り、事務所に戻っていた。
ガソリンに火をつけて燃やされた一階は煤で黒こげ状態となっており、入り口か
ら飛び出ていた火によって黒くなった部分の外壁が燃焼温度の高さを物語ってい
た。
事務所と併設された剣崎の自宅は裏側にあり、全く被害は無かったが、事務所番
の10人が短時間に襲撃されて病院送りになっていた。剣崎は子供になめられて
やられたことが悔しかった。
この事件で剣崎は改めて出費が増え、商売に力を入れるために国内の企業舎弟数
社に対して収益を上げるように指示を出していた。
新日本貿易の中村鉄夫は多額債務者の臓器売買を秘密裏に行う業務を行っていた
が、表向きは食料品、建材、機械の輸出入業者だった。
食料品の売買でルートを開拓しては日本人の債務者を中国、フィリピン、韓国、
ベトナムなどに送り込んで臓器を摘出しては高額の食料輸出代金として受け取り
、時には取引先国の人間を出張させて日本国内で臓器を売買していた。
全ての商談は剣崎の命を受けて行っていた。中村は食料品輸出入業では信用のあ
る中堅企業だった。
剣崎は偽の中国人バイヤーを装い、国内の企業から金を騙し取る計画を立ててい
た。
日本国内での送金では足が付くため、中村が中国政府要人と結託して設立した中
国籍企業、レストラングループ上海有限公司を利用して詐欺をする計画だった。
中村は通常の取引もこの上海有限公司を利用し、多額の利益を上げていたが、金
の流れが掴めない様に日本から中国、中国から香港、香港からシンガポール、シ
ンガポールからスイスと洗浄して金を受け取っていた。
ボクシングジム前で襲撃された三品たち四名は横浜南病院で治療を受けていた。
神奈川県警刑事課の細川と小池は忙しく今日も聞き込みをしていた。
「暫く大人しかったが、今度はアホなガキの喧嘩で剣崎が暴れだすと忙しくなる
ぞ。まあ、今回の件がなくても剣崎のガキが出所したらひと悶着ありそうだがな
」
「そうですね。平和なヤクザも変ですけど」
「まあね」と細川はぼやきながら歩いていた。
テレビでは昨晩の抗争事件で持ちきりだった。
「暴走族VS暴力団、軍配は暴走族」
報道は剣崎のボクシングジムの画像を写す時間はほんの僅かで、組事務所ビルの
放火現場を度々テレビ画面に登場させて剣崎の関連した事件などを人物写真を含
めて報道していた。
三品達幹部がやられたことで府中刑務所に殺人で服役している剣崎洋の出所が近
くなり、抗争が激化するのではないかという報道もするようになってきていた。
刑事、細川と小池は「茅ヶ崎」に到着した。
「茅ヶ崎」には族らしき人物は何処にも座っていない。
「ママ、あの小僧たちは?」
「ああ、最近は全然見かけないですよ」とママはとぼけて答えている。
「本当か?お客さん、お客さんは最近暴走族のような客は見ていないかい?」
「みてないねえ。」と客までとぼけている。
「くそ、このあたりの家の住人もとぼけやがって、口を揃えて知らねえと言いや
がる。なんかおかしいんだ」
「コーヒー飲むの?飲まないの?客じゃないんなら商売の邪魔だよ、帰ってくれ
ないかね?」
「ああ、悪かったな。帰るよ」
客達は大竹達が表向きには売り上げの要だったし、時間があるときは表のゴミ拾
いや掃除をしたり、水をまいて埃の巻上げを防いだりしていたので誰もが庇うよ
うになっていた。
このときから大竹の仲間たちは全国に散らばり、逃げていた。
大竹と上原は翌日には横浜に戻っていた。
スーツ姿に着替えて剣崎の混乱を利用して逃走資金集めに奔走していたのだ。
集金をしていた組員は病院送りになっていたため、案の定思惑通り簡単にみかじ
め料を集金できたのだ。
わずか20件の挨拶回りで200万を手にして逃走資金に当てるのだった。
警察の追っ手は茅ヶ崎方面での聞き込みに重点を置いていたので関内ががら空き
だったのだ。二人は仲間数人で北海道の牧場に隠れることにしていたのだった。
剣崎は数名の幹部とともに病院の死体安置質にいた。
三品たち4名は死亡し、安置されて解剖後には火葬場の予約時間を待っているの
だった。
剣崎の重要な幹部は死んでしまい、船戸など、剣崎の云う能無しの幹部しか残っ
ていないので剣崎は暫くゆっくり出来なくなると困り果てていた。
テレビ新聞ではまだ剣崎組幹部達襲撃実行犯の氏名までは公表していなかった。
容疑者愚連隊は未成年者が結成したグループだった。
警察は容疑者として愚連隊隊員を全て手配していた。
あらゆる防犯カメラの映像を分析して登録ナンバーから足取りを掴むのだった。
襲撃現場の映像は事前に場所を記憶していたため、ナンバーも顔も移っていない。
十分な証拠として利用するには鮮明な画像に処理しなければいけなかった。
「ブルーシャトー」では剣崎と永沢が会っていた。
「剣崎さん大変でしたなあ」
「もう、あんなガキどもにやられて、世間の恥ですわ」
「どうするんです?」
「いや、ほっときますよ」
「え、そうですか?」
「はい、そんな、ガキどもは警察で十分でしょう。そろそろ洋が出てきますんで
、全うな仕事をさせたいんですわ。舎弟が務所に行くのはかまわんが息子が実行
犯ではみっともないですからね。あいつも少しは大人になったでしょう」
「そうですね、洋さんはそのほうがいい」
「はい。恥の上塗りはもう結構ですわ」
「懸命な判断と思います」
「まあ、丁度いい機会ですから永沢先生のおかげで全うな商売が軌道に乗ればそ
のほうが気も楽ですからな。幹部もアホではどうにもこれから不安ですしね、極
道も商売ですけど人よりも儲からないのではやる意味がないですわ」
「そうでしょう、これだけ締め付けられてはどうにもなりませんからね。うちは
小さいからいいようなもんで、剣崎さんほど大きいと大変だと思いますよ」
「いやね、今だから云えますが、実際そうですよ。だけどね、今回だけは三品と
か死んだ奴らは一応子会社の役員保険に入っとりましたから、保険屋と揉めてい
ましたが、保険金が会社に入りますんや」
「ほう!良かったじゃないですか!」
「はい、葬式代に500万かかりましたが、1億5000万のプラスですわ。わ
ははは」
「ほう。いい幹部でしたな」
「はいはい。だから此処からは方向転換しますわ。表向きはそのままでね。です
から今日は小切手で3000万用意しました。見舞金ですわ。笹木君には100
0万届けましたで、病院へ、現金で持って行かせましたよ」
「そうですか。有難うございます。驚いてよろこびますわ。もう直ぐうちのガキ
の店もオープンしますんで招待しますよ」
「おお、それは良かったですねえ」剣崎には極道の威厳が消えかかっていた。
横浜貿易の浜本は神奈川畜産の坂本賢次と商談していた。
中国上海のレストラングループ「上海有限公司」夏遊楽からの依頼で牛肉輸入の
大型契約だった。坂本は中国企業とのCIF契約を不安で拒んでいた。中国に進
出した中小企業の殆どが中国国内の内部事情を十分に調査せず、あるいは十分時
間と金をかけて成功しても日本への送金が出来ず、日本国内の本体が倒産するな
どの情報を得ていて現金でFOBの取引ならばと浜本の再三にわたる要請を断っ
ていたのであった。
「海賊島」が完成した。
汚らしかったスレートの倉庫は外観が石膏やコンクリートでデコレーションされ
て島のようにペイントされて頂上には髑髏の旗がなびいている。入り口はオート
ドアだが「ひらけ∼ごま」で反応し、混雑時は開いたままでエアーカーテンにな
っていた。
完全に工事は出来なかったが、永沢音弥が出した3000万円を使い切ったので
則弥の手元には「お化け屋」敷で稼いだがアルバイトの女達に配当を配ったので
2か月分の利益の残りが200万円しか残っていない。
酒やジュースは翌月払いなのでオープンしなければ途中でストップすることにな
るからオープンするしか道がなかったのだった。
「よし、今から徹底的に掃除して、2日後の9月10日がオープンだぜい」
「おお∼∼」今日はシャドーのメンバー30人と京子と君代、横山が手伝い終了
後に記念パーティーをするのだった。途中で「お化け屋敷」メンバーも加わるの
だった。
龍一が音楽をかけて掃除を始めた。
タンクローリーで運んだ海水が水色に何重も手塗りされたプールに注水され満タ
ンになると排水溝から地下に設置された浄化槽に流れ込む。海水を浄化しながら
酸素も取り入れる仕組みで、殺菌灯で照らされたプールの2倍もある地下に設置
された浄化槽を通過させる。
浄化槽にはポンプが何本も据えつけられており故障に備えた。
ポンプが綺麗になった海水を上の階へと送り込む。
プールの中心のパイプから殺菌されて温度管理され流れ出てくる海水はザザザー
と心地よい音を立て、ちょっとした海の雰囲気をかもし出した。
使い古された廃材で建造した半体の海賊船が真横に建造され、幅は1メートルし
かないが、マストが2階のフロアを突き破り、1階でも2階でも本物の海賊船の
ような迫力があった。
エアコンの風はマストに取り付けれた白い帆を伝い、各テーブルに行き渡り、帆
船がいつも帆走している姿を見せる。
電動で動く帆船の乗組員達は斧や剣を振りかざして敵を追い掛け回す仕掛けにな
っていて、どこかコミカルな海賊の戦いを表現していた。
海賊船の姿は波を超えている姿で船の先端が二階に突き出しており、逃げ回る敵
海賊と追い掛け回す海賊を描いたプレートは1階から2階へと突き抜けていくた
めに少し見ていても飽きない仕掛けとなっていた。
二回のフロアにある海賊船のある大きな穴はアクリル板で囲われ子供達が近づい
ても安全だった。
各テーブルは海賊船の船内をイメージして作られ、廃材がマッチした風合いを見
せていて食事を楽しめる雰囲気だった。
客に貸し出す衣装は200セット用意して販売用にも200セットがあり、各フ
ロアに販売するディスプレイが雰囲気を盛り上げていた。
1階と2階の脱衣場では販売した衣装に着替えて食事も出来るようになっている。
全員が掃除を終了するとパーティーが始まった。アトラクションのチェックや洗
い場の具合も終わるまでには一通りできる予定でシェフの料理の説明も実食して
客に説明する勉強会でもあった。
「ところでさ、愚連隊の奴ら、凄かったな。ニュースでやっていただろ?見たか
?」
「おお、毎日やってるからな。あいつら、全国に逃げたってよ」
「未成年なんだから早いとこ捕まったほうが楽なんじゃねえのかな?」
「そうだよなあ」
「どうしてるんだろ?興味ない?」
「なかなかやるねえ」
「なかなかどころじゃねえよ」
「今じゃ、全国の暴走族が恐れる族の中の族だぜ」
「そうだけど、ヤクザに狙われるんだぞ」
「そうだ、おそらくな。殺される」
「おお、本物に狙われてるからな」
「お∼∼∼い」笹木が現れた。
「お∼∼笹木、退院か?」
「おう、退院した。ノリ、俺の腹を殴ってみろ」
「バカ、突然なんなんだ、おまえ、そんなことできるか」
「いいからやれ、病院で鍛えたんだ。でもここだぞ」笹木がみぞおちを手で示し
ていた。
「よし」
「あ、ちょっと待った」
「思いっきりは駄目だぞ」
「わかっとるよ。いくぞ」
ボスッ「あれ?」笹木が笑った。
Tシャツのすそから万札が滝のように落ちた。
「きゃ∼∼」京子が叫んだ。
「おお∼∼∼」全員が叫んだ。
「なんだ、それ?どうした。おまえ、病院強盗でもしたのか?」
「さっきさ、剣崎の奴が来て会長からの見舞金だって」
「おお∼∼すげ∼」
「おお∼。本当に親父の言うとおりだったな」
「なんで?お前知っていたのか?」
「ああ、お前らに仕返しをするなって言ったのも親父からの指示だ。剣崎から笹
木の見舞金を1000万取ってやるからまっとれってオヤジからの指示だ」
「ほ∼∼。大人の考えることは違うな。仕返しじゃ、金にならねえもんなあ」
「おれ、これを海賊島に寄付する」
「ばか、お前が持っていけ。痛い思いをしたんだからな」
「ばか、受け取ってみんなで使え」
「おまえ、太っ腹だな」
「じゃあ、母ちゃんに半分やって、半分ここと施設で使おうぜ、まだ、工事も全
部済んでないじゃないか」
「お前は見かけによらず、いい野郎だぜ」
「お前は嘘泣きでわらわせるぜ」
「ハハハ、おう、じゃ、笹木いいのか?」
「いいに決まってる」
「よし、頑張るぞ∼∼」
「お∼∼」
藤堂龍蔵は会社にいた。
来日した中国人バイヤー上海有限公司の夏遊楽と商談していた。
日本の牛肉を中国に輸出する商談だった。夏遊楽は藤堂に対して、中国側が資金
を出して輸入するのであれば日本側にリスクが無く巨大市場で取引が可能になる。
藤堂が仕入れ代金を一回目だけでも拠出するならば信用して小さい藤堂の会社と
取引し、巨大商社との契約は見送り、2回目以降はL/Cのパフォーマンスボン
ド、預託金を50%に押さえ毎月取引量を増やして行くという内容だった。
中国では牛肉および加工品などはBSEの問題が発覚して以来基本的に国内の畜
産業を保護するために和牛の輸入は禁止されていた。
藤堂はそれを逃れるためにオーストラリアで作られた和牛を加工して冷凍し、中
国国内へ輸出する仲介をして利益を上げたていたのだが、オーストラリアでは中
国同様、国内の畜産業を守るために日本からの精子輸入にも規制がかかり、同様
に日本政府も精子の輸出に制限をかけた。
海外では日本の牛肉の人気が高またことで研究にまで規制がかかったのだった。
中国ではGDPの上昇によって高級品思考が高まり、日本製品の安全性が富裕層
から支持を受けて消費が伸びてきていたが、政府の国内産牛肉保護対策によって
法外な関税がかけられ、または意図的に支払い遅延や、契約違反の返品によって
日本製品や進出企業を締め出す対策を政府黙認で銀行も企業と結託して行ってき
ていた。
実質的に世界レベルの貿易が履行されないことが問題となっていた。
藤堂はこれまでに事故なく取引の仲介を行ってきていたが、中国の所得上昇と人
口の増加によって自然と取引金額が増大してきていた。
一方、中国国内でも競争激化により中国側の大企業が契約を守らない案件が出て
来て苦情を受けるようになってきていた。
このままではおかしくなる。
当然のように契約解除する企業が増える。貿易で中国に進出する新規事業者を開
拓しなければ悪化の一方だ。
問題が大きくなり、藤堂の主力であった中国貿易に新規開拓以外、安全性を見出
せなくなってきたときに大量の和牛肉を政府関係者に賄賂を支払い、保税倉庫か
ら出荷時に支払う関税を脱税して密輸するという方法でしか輸出できない危険を
冒さなければならないほど資金繰りも悪化してきていたのだった。
政府の内部改革により、賄賂を受け取るといううまみが激減してきた政府関係者
は関係する上層部全員が承諾しなければすぐに明るみに出て大きな罰則が待って
いる。
そのために賄賂の金額も増大してきたのだった。
それでも日本企業が進出するのはその市場規模が日本の10倍以上ある国だから
であった。日本の人口に等しい富裕層を有する中国で成功することが事実上の成
功といわれるのだ。
しかし藤堂には賄賂にする金がないのだった。
中国人バイヤーは月間6トンの契約を4000万円の賄賂を含めて1億円の取引
をしたいというのだった。
早急に輸入するという事で、通常、リスクを相手側に全てを押し付ける中国側が
今回の取引に限り、売主が通関を済ませ貨物が船に乗った段階で現物の代金を支
払い、輸出者の所有権は輸入者に移る。
費用負担も船に載せた段階で終わり、危険負担も費用と同じで船に載せた段階で
終了し、当然、中国側に負担が移る。
FOBで契約するという事であったので藤堂はどうしても契約をしたかったの
だった。仲介者は横浜貿易の浜本だった。
浜本は危険を犯してまでは取引をしたくは無かった。
中国バイヤーはCIFでの取引を願い出ているが、仕入先である神奈川畜産の坂
本賢次は現金決済を要求して強硬姿勢を崩さなかったからである。現金決済で受
け取れるのは坂本だけで、必ず畜産業者から運び出し、船に積むまでの間にタイ
ムラグがあり、その間支払い金受け取りのリスクがあるのだった。
保険は船に積み込んだ時点から発生する契約だった。そこで浜本は中国での取引
に実績があった藤堂を探し出し、紹介料だけでもせしめようと振ったのだった。
取引商品には保険がかけられるが金にはかけられないのだ。
浜本が仲介し、始めようとしたが結局、中村の指図で上海有限公司が指定したこ
とにして藤堂と中国企業だけでの商品の代金受け渡しをすることになるのだった。
仲介として間に入った新日本貿易の中村は当時NCNDA契約を交わし、バイヤ
ー、セラーとの直接交渉を禁止した契約を考えていたが中村は銀行送金履歴から
足が付くのを恐れて直接契約させることにしたのだった。
府中刑務所は再犯者が集合する刑務所だった。海千山千の懲役たちが集まるとこ
ろで剣崎洋は過ごしていた。
刑務所内は犯罪者の急増で独房にも2人が入れられていたが、剣崎は一人だった。
不景気になると自然に犯罪者が増える。
剣崎洋は食事も今日はふかひれスープと中華飯という豪華なメニューだ。
有名人だったがため、他の組員との接触を避けさせるために軽作業もすることな
くタバコも看守から入手しては独房で楽しみながらマジックインキで処理をされ
ていない週刊誌も来る。正にVIP待遇だった。
当然のように服役中の剣崎洋にも娑婆の様子が耳に入る。
25歳の剣崎洋には取り巻きが数多くいた。
カリスマ剣崎の舎弟を名乗るだけで若い連中の中にはまたそのカリスマを崇拝す
る仲間がいてどんどん大きな組織となっているのだった。
船戸の傘下である大竹の愚連隊もその一部だった。
三品か居なくなった今では煩わしい組のいざこざはオヤジ不在で全てを剣崎洋の
指示で秘密裏に処理されることになってきていた。
大竹たちは関内の飲み屋から受け取った組の金を持ち逃げし、逃走している。
剣崎洋は徹底して愚連隊の仲間を虱潰しに追い、行き先を捜索させていた。
5年前、剣崎洋はシャブとハッパの縄張りでもめていた品川のコンテナ埠頭を所
有する渡辺興業、渡辺一家を襲撃した。
東京と神奈川の県境での取引で武蔵小杉に住む売り子にブツを渡すため、羽田空
港から来た運び屋がたまたま蒲田のスナックでブツのやり取りをしていた現場を
渡辺のチンピラが目撃して店内でゲロした売り子が剣崎の売り子と話したために
喧嘩になり、剣崎の舎弟が渡辺の組員を蒲田の駅前に呼び出し、口論の末、殺害
した。
その場にいた渡辺の組員数人での乱闘となり数人が死亡した。
駆けつけた警官達に逮捕されてその現場にいた洋も実行犯との教唆犯として正犯
に準じて処罰されて実刑5年を食らったのだった。
剣崎洋は度々船戸の面会を受けていた。
船戸は若頭だったにも拘らず、親分である剣崎誠から嫌われてきたのは息子洋が
務所入りしてからだった。
血の気の多い洋は船戸の静止を振り切って品川との戦争に出向き、逮捕されたの
だが、オヤジは船戸が私用で外出して他で遊んでいて事の成り行きも知らずに洋
のためには何もしなかったと思い込んだことから徐々に三品への権限委譲に切り
替えていたのだった。
剣崎洋は出所後、船戸と協力して品川の渡辺組を叩き潰して東京進出を考えてい
た。
すでにオヤジは将来を見越して縄張り拡大には興味を示さなくなっており、船戸
らが集めてきた資金の殆どを使っていた。
剣崎洋はその資金源を握って資金繰りを行って大金を組に残したが、これからの
資金需要を考えると小さな金では回らなくなることをオヤジよりも危惧していた
のだった。
そこで法律で排除される前に金を作るには自分達で幾らでも市場規模を拡大でき
るというシャブが一番儲かると思っている二人は品川のコンテナ埠頭を保有する
渡辺を襲撃することを企んでおり、船戸は洋の出所を待ち望み、親父から虐げら
れながらも我慢して奉公していたのだった。
剣崎洋も組の名を利用して品川を独占できれば独立できると夢を見ていたのであ
った。しかも自分達の手を汚さずにである。
茅ヶ崎、藤沢、平塚では船戸の号令で愚連隊狩りとヤクのばら撒き作戦が行われ
ていた。
横浜の暴走族「殺陣鬼」が50人で走り回っていた。
族らしき単車は所かまわず停車させられ、暴行を受けた。
殺陣鬼はのぼりを立てて走り回っていた。
そこには愚連隊消滅と書かれていた。
鎌倉から三浦に進入すると度々シャドーとも小競り合いが起きるようになったが
、海賊島をオープンしてからのシャドーの走りは深夜に極、短時間の中、少人数
で行われていたので見物人がいないところで騒いでも仕方ないとシャドーのメン
バーは少しばかり暴走には興味がなくなりつつあったのだ。
海賊レストランで働くシャドーのメンバーは京子と君代の言いつけを守り、カツ
ラで接客し、とてもやんちゃ坊主には見えない風貌だった。
京子の発案によって決定された芝居型接客方式の一つであるオーダーの取り方で
はアルバイトの海賊店員が客のテーブル前に立ち、オーバー・アクションで動く
貧乏ゆすりで注文を受けると、京子と君代ら、女子店員がいるときには「張り扇
子」で大きな音を立てて「こら、貧乏揺すりはいけません」と殴られる。
女子店員と二人でオーダーを取りに行く。メニューを客に渡すと「よう、お客さ
ん、何を狙ってる?」と聞く。
「こら、言葉遣いをちゃんとしなさい、貧乏揺すりもいけません」バシッ!
「すみません、お嬢様。以後、気をつけます。」といって客の前で芝居をして注
文を取るのでそれも客の笑いを誘い、評判になった。
ゴミや落し物を見つけると
「ここ、ゴミです。拾いなさい」
バシッ!
「いてててて。はい。承知しました」
子供達は「キャッキャわははは」と笑った。
テーブルの水が減ってなくなっていると
「ここのお客様、お水、お持ちしなさい。」
バシッ!
「いてててて。はい。承知しました」
という具合だった。
特に家族連れの子供たちに受けるのだ。
暫くすると「ひまわり」には中古のサッカーゴールがワンセット購入され、サッ
カーをする子供が近所からも集まり、ボランティアのコーチが教えた。
外部から練習に来ている子供の親は「ひまわり」に毎月5000円を寄付した。
民宿「みうら」は送迎用の軽ワゴン車を購入した。
吉中光子は民宿で使う野菜をその軽ワゴン車で運ぶことが出来るようになり、輸
送費の出費が減り喜んでいた。
大竹と上原は結局近場の御殿場の乗馬クラブ「ブリティッシュ」に流れ着き住み
込みで働いていた。
馬小屋の掃除や寝床の交換。クラブのシャワールームの掃除が主な仕事だった。
とてもヤクザが来る様な場所ではないと踏んで決めたのだった。
クラブのオーナーは競馬好きで日曜日になると有志で馬券を買う。
大竹と上原は若いのに異常に燃えるので気にはなったが話し相手が増えて喜んで
いた。馬には乗れなかった二人だったが、隣接するテニスコートのメンバーや乗
馬クラブに来る金持ちのメンバーのお嬢様らの言葉遣いや世界観、外国人のメン
バーと普通に英語で話す姿などを垣間見て自分達の世界の狭さと知識の無さに劣
等感を感じ、どこかで何かを変えねばという意識が生まれたのだ。
馬の世話をしているうちにお嬢様らとも仲良くなり、乗馬のライセンスも収得し
た。
なんとなく上流階級に触れて、暴走族は下品だったと思うようにもなった。
大竹は母親の安否を心配して居所を突き止めたが動けなかった。
藤堂龍蔵は銀行、取引先を回り、牛肉の仕入れ代金6000万円と新日本貿易に
支払う手数料1200万円を上乗せした金額を用意するため奔走していた。
藤堂が商談した上海有限公司の夏遊楽の契約を飲めば新日本貿易の口座には入金
履歴が一切残らない契約だった。自宅を担保にして7200万円を三浦中央信金
から融資を受けた。妻の律子は次男龍也の東大受験に神経を使ってはいるものの
平和な毎日を過ごしていた。次男達也も変化のない勉強の日々を過ごしているの
だった。
暴走族、殺陣鬼の総長竹山和彦は安藤佳文と行動していた。茅ヶ崎界隈で見つけ
たバイク乗りを無理やり引き止めて尋問し、全滅作戦を実施していた。愚連隊の
メンバーらしきものをつけ回して袋叩きにして情報を収集し、売り子に育て上げ
ながら大竹たちのメンバーを探し出していた。大竹捜索が遅くなれば金も帰らず
、報復も出来ない可能性が有るからだった。
神奈川県警の細川の追及がすでに殺陣鬼にまで及んできていた。
細川は剣崎洋の存在にも注意を払っており、刑務所の看守にも情報提供を求めて
訪問を繰り返しているのだった。永沢たちの動きは海賊島のオープン以来目だっ
た動きが無く、事件が起こる気配が無いので剣崎に目を向けていたのだった。
病院の一見以来大竹たち愚連隊の動きは剣崎とのいざこざに注意が必要で、剣崎
洋の動きが重要な鍵となることを予想しているのだった。
秋になり冬になる。
シーサイドは徐々に客足が途絶える季節になる。
暴走族も走り回る時間が減る季節だった。
大竹の乗馬クラブにも追求の手が伸びてきていた。
クラブの買い物にはバイクしか免許がないのでバイクで行くことになる。
品の良いバイクならば目立つことはないがとにかく暴走族仕様のカウリングと以
上に高い背もたれが目立つのだった。
クラブの駐車場は全く県道からは見えない場所にあるので見つかる可能性は極度
に低かったが、コンビ二やスーパーがある場所は何故だか交番が近かった。
テレビ新聞などで報道された事件は全国区で知れ渡っていた。
田舎の風景に似つかわしくないサイケデリックなバイクはとにかく目立つので外
出は特に危険だった。
たまたまコンビ二の前を通りかかった警官が単車のナンバーの照会をする。
当然地元警察の巡査が照会したナンバーが一致し、暫く内偵していた巡査の撮っ
た顔写真識別で大竹、上原が確保された。
警察は三品襲撃犯の殺人に至った経緯を分析したが、あまりにも人数が多い集団
殺人事件のため犯人を特定できず被害者4名に手を出したとされる全員を教唆犯
として処罰した。首謀者と見られた18歳の大竹と上原はビデオ映像からも実行
したことが特定出来なかったが、殺人教唆犯として家裁から検察に逆送され川越
少年刑務所へ送られ懲役3年となった。
暴力団関係者と見られ、府中行きとなる可能性もあったが、報復されそうになっ
た組に対して行ったことで若干の考慮が反映されたのだった。
船戸は剣崎洋の出所を迎えるため、そして再度、基盤を固める準備にかかり、若
手の導入に必死だった。
それには殺人を犯した愚連隊メンバーは出所後の仕事が見つかる筈も無い絶好の
カモだった。
三品を葬った大竹たちはジムで世話になった船戸を裏切ることが出来ないのだっ
た。
船戸は大竹の母親が入院している横浜中央病院の費用を支払い、大竹が帰って来
るのを待っているのだ。大竹が確保され、船戸は殺陣鬼竹山の利用価値がなくな
ると一旦放置しておくことにした。
いずれは大竹たちと合流させる積りだった。
暴走族、殺陣鬼の総長竹山和彦と安藤佳文は愚連隊メンバーが確保され行動の目
的を失うと同時に行き場を失い近隣の暴走族との無益な争いに明け暮れる毎日に
戻った。
藤堂は契約どおり金を工面して上海有限公司に金を振り込んだ。
海外送金が終了し、藤堂は新日本貿易の中村に面会していた。
「いや、やっと本日上海有限公司に振込みを終えましたよ。これからが楽しみで
すね」
「はい。ご苦労でしたね」藤堂は銀行で記入した海外送金依頼書を中村に提示し
た。
中村は書類を確認すると「じゃあ、ちょっとコピーを取らせてくださいね。2∼
3日すれば上海有限公司からまた商品の発注が来るでしょう。それまでは暫く待
っているしか無いですね」中村は冷静に答えていた。
藤堂は「商品の準備は大丈夫なんでしょうか?」と質問すると「勿論6トンは加
工して準備していると確認が取れていますので大丈夫ですよ。心配は無用でしょ
う。中国の和牛需要は伸びる一方ですからうまく運べば大儲けできますよ」
「そうですね、私も期待していますよ、しかし、上海有限公司さんとは始めてで
すからね、早く決済を受けないと心配なんです」
「分っていますよ、しかし、今回以降、L/Cのパフォーマンスボンド、預託金
を300%で決済出来るようになるのですから言い話ですよ。相手は売れること
が解っていますしね」
「はあ、大丈夫ですよね」
「大丈夫でしょう、相手は和牛が欲しいのですから」
「そうですか、分りました」
「そんなに心配しなくてもいいでしょう」
「そうですね。また、連絡をお待ちします。」藤堂は中村から具体的な進行状況
を聞き出せなかったことに不安を感じ始めていたが、振込先が中国企業の上海有
限公司だったので言われるとおり待つしかなかったのだった。
しかし、一週間経っても連絡は無かった。
二週間が過ぎた。藤堂の不安は精神にも及んだ。
待てど暮らせど上海有限公司からも新日本貿易からも連絡が無い。何度も連絡を
したが、中村は出張で不在だった。訪問しても会えず、不安が募った。上海有限
公司も同様に不在を告げるのみで連絡が取れなかった。
藤堂は不安になり、上海へ飛んだ。通常の食品の輸出は毎月順調に進んでおり、
決済もされる。生活には困らないはずだったが翌月には融資を受けた7200万
の返済が迫ってくる。
もし事故を起こせば事業がストップする。また借金をしなくてはならなかった。
藤堂の頭の中は個人で仕事を始めて苦労したときのことを思い浮かべるようにな
っていたが、借金の大きさはその頃の10倍に膨れ上がり、最悪の事態を想像す
ると震えて寝られないまでに心労が膨れていた。
グランド・ハイアットホテルに到着し、窓越しに見える上海タワー、東方明珠電
視塔が倒れてくるような感覚に襲われた。
不安になり、じっとできない藤堂は日本の取引先へ連絡し、自ら上海の企業を訪
問して取引量を増加するよう営業して良いかと申し出て、上海の契約企業へ出向
き、取り引き量を増やしてもらう商談に出かけたのだった。何もせず、ホテルの
部屋にいて、考え込んでしまうと悪いことばかりが浮かんでしまう。今までも苦
しいときには必死で動き回り、営業して支援者を見つけてきた。苦しいときには
会社を始めたときのこと思い出す。
「目先の儲けに目がくらんでしまった。いつもの自分の開拓したルートで地道に
行けばよかった」と反省し、目先の儲けに走った自分が悪いと考えを改めた。
何もしないでいれば解決しない。少しでも仲介料を増やすための行動だった。
その合間にも上海有限公司へアポイントを取るための電話連絡を頻繁にしたが、
夏遊楽は不在だった。
「やっぱり。居留守か?」藤堂は営業活動にエネルギーを費やすとだんだんと怒
りがこみ上げてきて一瞬逆に元気になった。
「負けてたまるか!」と女房と子供たちの顔を思い浮かべて上海のビル街を闊歩
した。やるだけやってみようと初心を振り返るのだった。
剣崎は三品を失い、仕方なく船戸を使うしかなかった。
船戸は組の重要な案件も拘る様になり、ようやく頭としての仕事をして満足だっ
た。
剣崎も船戸の報告する息子洋の現状を逐次知らされ、出所を期待していた。若手
に押さえの効く洋が戻れば本来のドスの利いた仕事もこなし、引き締まった運営
が出来ると期待したのだった。
ブルーシャトーでは新日本の中村と横浜貿易の浜本が飲んでいた。
中村は上海有限公司の夏遊楽へ命令し、横浜の貿易商浜本の事業内容と資産を調
査し、牛肉の貿易で金をせしめようとしたが、浜本の用心深い思慮によってふと
沸いた藤堂との取引で金をせしめたが、浜本が今後何かの機会に藤堂が直面して
いる貿易事故にたどり着くと今後浜本を利用することが出来なくなる可能性があ
るのでここで剣崎を利用して釘をさすことにしたのだった。
浜本は上海有限公司が中村の息のかかった会社だとは知らないことが今後の付き
合いには好都合だった。
勿論浜本はブルーシャトーが剣崎の店だとは思ってはいなかった。
「浜本さん始めまして。今日は突然のご連絡にもかかわらずお越しくださり、有
難うございます」
「いえ、このご時勢良いお話も色んな方々にお会いしておかないと商売が拡がり
ませんので逆に勉強の機会を頂いて、有難うございます」
「いや、神奈川では浜本さんほど堅い仕事をなさっている方はなかなかいらっし
ゃらないと評判ですよ」
「いや、臆病なだけですよ」
「私は失敗ばかりでね。やっと気がついたところで」
「いやいや、大きな仕事をなさっていると聞いていますよ」
掴みどころの無いやつだなあと中村は感じた。
「ゆっくり、飲みましょう。ママ、女の子お願いしますよ」
「はい、お仕事のお話はもう、宜しいので?」
「はいはい、そんな話はいつでも出来ますから。ねえ、浜本さん」
「そうですね」
「まあ、リラックスしてください」
「はあ、有難うございます」
「いらっしゃ∼∼い。」ホステス来襲。予定通り、女達は浜本に抱きつき、胸を
押し付け迫っている。中村の観察ではまだまだ浜本はバリケードを張っているの
だ。
女達は濃い目の酒を進めて酔わせる作戦だった。中村は浜本のバリヤーを取り外
そうとして徐々に酔っ払った振りをして女達に接した。
ママも参戦し、浜本に酒を勧めた。
「浜本さん、あと半年くらいでオーストラリアのワインを輸入して販売しようと
考えているのでよろしくお願いしますよ」中村は女ではリラックスはしないと見
て仕事の話で打ち解けようと考えた。
「え∼、そうなんですか?そうですよね、でないと私と会っても意味が無いです
からね」浜本の顔が赤くなり、少しは口が緩んだようだった。
「ええ、浜本さんの噂をお聞きしてご連絡しましたが、こちらとしてはお人柄を
知らないと信用できませんので、本日お越し、頂いたのですよ」浜本が始めて中
村の眼を直視し、一瞬真剣な眼差しを向けた。
「そうですか。急なお話だったのでなぜかと考えていたんです。実は最近中国の
大手百貨店企業がメルボルンのワインセラーを40億で買い取りましてね、日本
の販売会社を探しているんですよ」一段と真剣になっている。
「そうですか、丁度良いタイミングですね。いや、じっくりお付き合いしてから
仕事ですよ、お互い」中村はじらす作戦を選択して、浜本から接近してくるよう
に考えた。
「解りました、中国ではワインブームですから良く売れているようですし、宜し
かったら今後の仕事としてよろしくお願いします」
浜本は手ごたえを感じた様子だった。それからはリラックスして楽しんでいるよ
うに見えるのだった。
「じゃあ、楽しんでください」
「はい、よろしくお願いします」浜本は酔いも回りだした様でやっと陽気に飲み
だした。
12月のゴルフ場は客足が鈍く暇だった。
京子と君代は練習場にいた。
カーン シュルシュルシュル
「京子、曲がらなくなったね」
「ね、やるでしょう。でもね、あと20ヤード飛ばしたいんだ。一次テストは楽
勝だったけど練習をしておかないとねえ」
「やばいんじゃない?男じゃん」
カーン シュルシュルシュル
「日本を見ていては駄目だよ、君代」
「ア∼∼・・何言ってんのこの子は!二次テストは4月だからゆっくり調整すれ
ばいいでしょ」
「そうだけど、はは、いう事だけは大きいほうがいいよ」
「あ、そう、あ、時間だよ海賊行くでしょう?」
「いくよ、きょうさあ、龍一に告ろっかなあと思ってんだ。どう思う?」
「あ∼∼、私が先に言うからあんたが後で」
「うそ、お前本当に好きか?」京子が聞くと君代は「うそ」と答えてはぐらかし
た。
「わたし、最近好きなのかどうか解らなくなってきた。いつも一緒だからおかし
くなる。」京子がそういうと「私も、あんたと同じだわ。則弥が気になるときの
ほうが多いようなきもするんだなあ」と答えていた。
「やっぱり、これは恋ではなく愛ね!おばさんになったんだよ。あんた」という
と君代が「げ、ははは母の愛!」といって笑った。
京子も「ははは。やっぱり」といってさっぱりしていた。
二人はクラブをバックに入れて従業員のシャワー室に向かった。
「わたしたちって、バカだよねえ、親とヤクザの息子にタダでこき使われてさあ
、他にはもっと頭がよくて育ちのいい坊ちゃまが一杯いると思うけど。ここにい
たらバカしか居なくてあいつらと結婚することを考えたこともあってさあ、ほん
と駄目だなあって感じ」
「やっぱり、あんたもか、私も全く同じ悩み、あいつらがゴルフなんて感じじゃ
あないしね。かっこわるいバイク乗ってさあ」
「そうそう、低次元だよね」
「でも手伝うってバカみたいと思わない?」
「思う、思う」といいながらバイトにいくのだ。
横山は真剣に悩んでいた。
客が海賊島に取られて売り上げが落ちてきているのだった。
海賊島が出来る以前は冬でもそこそこ売り上げがあり、何とかやってこれたが、
平日の客が一組だけという日もあり、何とかしないと従業員の給料が危なくなる
という危機だった。
店の預金が有るので一年間は売り上げがゼロでも食べてはいけるが、海辺のレス
トランは痛みが激しい上にシェフ達が仕入れに利用する軽自動車の傷みも早く維
持費をストックしておくことが毎年の課題だったが、この年末の売り上げで対策
を考えねばと思うようになっていた。
メキシコの麻薬カルテルは大小10以上の組織が麻薬の販売権をめぐってしば
しば抗争が起こった。
この私設軍隊を擁したマフィアをメキシコの陸軍、海軍、空軍、連邦警察、州警
察、地方警察はこれを壊滅せんと動くが次々に現れる貧民から逃れようと組に参
加する若者でいまだに終結できないでいたのだった。
サン・ミゲル・ガストンはメキシコ有数の油田のオーナーであり、実業家でホテ
ルや数々の施設を建設し、名士として君臨していた。
日本政府もエネルギーを狙って技術供与すると中国企業と凌ぎを削りだしていた。
コーネル・サントスはガストン・コーポレーションのCEOだった。
ガストン・コーポレーションには米国建材メーカーの石膏ボード工場があった。
ガストンは麻薬で得た資金を使い、企業を幾つも運営していた。
こういったルートを利用して各国に製品を輸出しているメキシコの政府も操る大
企業だった。時には芸能人トップモデル、プロスポーツ選手も運び屋として世界
を駆け巡っている。
メキシコ、ガストン・コーポレーションのコーネル・サントスは日本向けの鉄鉱
石の輸出を行う際、取引に使う旅行鞄を改造し、中にはコカインを45キロ入れ
、3組をロープで縛りつけて準備していた。
メキシコ輸送船の作業員が寝静まる頃日本時間午前1時浦賀水道沖でスピードを
落とした輸送船に小型ボートで接近し、横付けして乗り込んだ渡辺の組員4名が
ブツを確認して現金を船上で手渡し、ガストンの部下が50億円を時間をかけて
確認した。
組員は入港審査前に浦賀水道の北緯35.0486東経139.7534で3個
のバックに大型電気浮きを取り付けて海面へ投下させた。
午前3時ころ組員はボートに戻り、熱海の沖で魚釣りをして一泊した後熱海港へ
寄港して民宿で釣った魚を刺身などの料理にして楽しんでいた。
135キロのコカインの末端価格は150億円であった。
暴走族、殺陣鬼の総長竹山和彦と安藤佳文は仲間とともに浮浪者狩りも行ってい
た。
剣崎の命を受けた新日本貿易の中村の指示で浮浪者を集め、寿町の事務所にある
宿泊施設に寝泊りさせて港湾の荷役労働をさせる60歳以上の者を多く雇ってい
た。
労働者全員がドナーの登録をしてある免許証と健康保険証を携帯していた。
体調が悪いという者、働く気力のないもの住所不定のものは絶好のドナーだった。
竹山と安藤は宿と食事を提供するという条件で人を入れて金を受け取っていたの
だった。
午前2時冬の朝は暗かった。
千葉県富津三崎沖でつりをしていたボートが海上保安庁に停止を求められ臨検を
受けていた。
浦賀水道内で釣りをするなと注意され、内部を点検されたのだった。
渡辺組の3名は回収するブツを積み込む前に臨検を受けたことで内心はほっとし
ていた。
午前2時30分に臨検が終わり保安庁の巡視艇は東京湾に消えていった。
釣り船は改めて釣具をそのままにして館山方面へ舵を切って保安庁に止められな
いようゆっくりと浦賀水道を航行した。
館山湾大房岬沖4キロ地点に到着するとそこを中心に釣竿を出してつりを始めて
いた。
ボートのメンバーは釣りをしながら双眼鏡で浮きを探していた。
波に揺られて電気浮きは確認が難しい。「おい、どうだ。ないか?」井上が指示
していた。「まだ見つかりません」皆、波に揺られて足元がふらついている。
「巡視艇も見張れよ」踏ん張っている足も一箇所には留まることができない。
「わかっていますよ」
「ここでまちがいはないか」
「GPSで何度も確認しています」
「おお、あれじゃないか?」
「おお、赤く光っていますね」
「あそこに寄せろ」
「はい」
「おお、間違いない、袋がある」ボートは浮遊物に到達すると「おい、バックが
一個たりねえぞ。2個しかない」
「もっと探せ」3人は双眼鏡で再び探索した。
「げ∼、双眼鏡で見ると酔いますね」
「おお、気持ち悪いな」
「あ、やばいです、保安庁がきます。動かないと止められますから動きますよ」
「おお、来るぞ、早く動かせ、やばいぞ」慌ててエンジンをかけて巡視艇の方向
へ向かった。一応逃げるより向かったほうが安全だと判断したのだった。「今日
は初めて臨検もされてまた巡視艇に会うなんてちょっと多すぎませんかね?」
「おお、そうだな、止められるよりはましだから明るくなる前に品川に戻ろう」
「あ、このロープ何かに絡んで切れたんですよ」
「そうか、スクリューか?」
「仕方ない。探すのはやめて戻ろう。ただし海面は注意してみてくれ。大金が浮
いているからな。湾内に入ったら少しスピードを上げ」
井上は焦りながらもなくなったカバンを探すように指示したが、電気浮きのない
カバンが見つかるのは奇跡に近い状況だった。
「さがせよ」
「はい分りました」
返事はしているが子分たちは曖昧な態度で答えていた。すべて波に見える。船舶
の灯火と陸の民家の電灯が見えるが、カバンは見つからない。
暫くすると千葉県鋸南町、金谷漁港沖に到達するとモーターボートは少しスピー
ドを上げて大型船舶や、海上保安庁警戒船の間をすり抜け東京湾方面へ向けて進
んでいた。
ボートには魚釣り用らしきジャンバーと長靴姿の男が数人乗って、後ろのロッド
ホルダーには釣竿が左右に差し込んであり、ボートのゆれで前後に揺られて進ん
でいた。
その西、三浦半島城ヶ島沖3キロ地点には海上保安庁警戒船がぐるぐると海上を
回っていた。
品川コンテナ埠頭には海外へ輸出するためのコンテナが何段にも積まれていた。
埠頭の事務所内ではモーターボートの帰りを待っている井尾の姿があった。
「遅いな。何やっているんだ」井尾は井上に電話した。
トゥルル、トゥルル
「おい、お前、何やっているんだ。遅いぞ」
「すいません。バックが全部は回収できないんで」
「なんだと?」
「いや、3つあるはずでしたよね」井上は焦っているようだった。
「いくつあった?」
「2つです。2つはロープで繋がっていたんですが、一本引きちぎれたようにな
っていて周りを探したんですが、空が明るくなってくると保安庁の船が出て来ま
して、停められたらやばいと思ったんで移動したんですよ」
「おまえ、バック一つで45億だぞ」
「そんなこと云われても捕まったら終わりですよ。一度現地に向かう途中で海保
に止められて臨検を受けたんですよ。空でよかったですよ。全くどきどきでした
よ。わかります?保安庁がいる海上でこそこそやっていることを考えてみてくだ
さいよ。やばかったんですよ。それでも今まで探したんです。本当に」
「くそ。まあ仕方ない、早く来い。45億パァかやべえな」
海上保安庁は外国船船舶の臨検を行っていたのだった。沖に停泊して横須賀、横
浜に入港し、上陸する船舶の検査を行うと大麻所持の船員を見つけていたために
入港待ちの船舶に対して事前検査と称して緊急乗船していたのだった。
翌日、南神奈川新聞、神奈川中央新聞の夕刊には横須賀の海に浮遊していたバッ
クを帰港する漁師が拾い上げ、神奈川県警に持参したという記事が載り、コカイ
ン45キロが入ったバックの写真にはロープが縛り付けられ、ロープの先端は引
きちぎれていた。その夜のニュースでも報じられ、それを見ていた渡辺正一は事
務所のテーブルを蹴飛ばして怒っていた。
「くっそ!45億だぜ。てめえら、売り子にグラム15万で売れといえ」
「親分倍じゃあ売れませんよ」
「アホ、シャブ中は泥棒してでも買うわい。あほんだら。ハッカの結晶でも混ぜ
てやれ」
横山は暇だった。
「シーサイド」の売り上げは少しづつ落ち続けている。
仕方なくアルバイトとシェフに店を任せて海賊島に行って様子を見ることにした。
店は横断歩道を渡れば直ぐ前にある。駐車場は一杯で店の中からは笑い声が聞こ
える。
横山が入ると斉藤が「いらっしゃいませ∼」と元気に挨拶した。
「お、横山さん店はいいの?」横山は苦笑いで「まあまあだよ。今はね暇だから
来たんだ。」と答えてキッチンへと進んだ。
キッチンでは永沢と龍一が忙しそうに海賊の衣装で大量にたまった皿洗いをして
いた。
「あ、横山さんお疲れ様です」
「疲れてないんだなあ、それが」
「あ∼、どうかしたんですか?」龍一が質問した。手を休めると横山は「俺も手
伝うよ」といってコップを洗い出した。
永沢は「そんなことしないでいいですよ」と気を遣ったが、横山は「ちょっと今
日は相談があって来たから、終わったら三人でシーサイドで飲まないか?」と永
沢を見た。
永沢は「いいよ。なあ、リュウ!」と答えて、龍一も首を縦に振って笑った。そ
の笑顔を見た横山は笑ってコップ洗いを手伝った。
元気になって海賊島でコミックウエイターをしている笹木がキッチンを覗くと横
山に、「横山さん最近店で見ると元気ないからさあ、俺が慰めてあげようか?」
とからかうと横山は「お願いしようかなあ」と元気が無かった。笹木は「あ、す
みません、冗談で言ったんですけど。」といってキッチンに入り、深々と頭を下
げた。
横山は「そんなに謝らなくてもいいよ」といって、笹木の肩に手を置いた。
「ささき∼∼。おみずだよ∼∼」京子が笹木を呼ぶと笹木は「はい∼、お姫様∼
∼」といってピッチャーを手にして小走りでテーブルに水を運んだ。
「おそいぞ、笹木」名札は「ささき」とひらがなでぶら下がっていた。
「はい申し訳ありません。失礼いたします。」と挨拶して笹木は客のコップに水
を注いだ。
客は「すいません。サーロインステーキ200グラム2つください」とステーを
注文した。
「はい、キャプテン、サーロインステーキ200グラム2つですね。了解しまし
た。他にはよろしいですか?」
「はい、お願いします」
「あ、僕アイスクリーム」
「はい、キャプテンキッズ!バニラアイスクリームですね」
「うん」
「はい、キャプテン・キッズ!バニラアイスクリームもお持ちします。有難うご
ざいました」追加の注文を聞き取り、伝票に記入すると、笹木はおかしなポーズ
をとって子供を笑わせてからキッチンへ向かった。
「じゃんけんポン!」
「ア∼∼。負けた」隣のテーブルの海賊は正座をして子供に駄菓子屋のくじを引
かせていた。
見ている横山も笑っていた。
海賊が料理や飲み物を運ぶとテーブルごとに笑いが起きてその売り上げも上がっ
ていきそうなことが想像できるのだった。
冬のシーサイドは暇だった。
ウォン!ウォン!ウォン!ウォン!
パリラ、パリラパリラー、パリラー
暴走族殺陣鬼の竹山は茅ヶ崎の愚連隊を統一し、メンバーを増強した。
コカイン、大麻、MDMAの販売員として平塚、藤沢、茅ヶ崎、江ノ島、鎌倉を
重点的に販売していたが、龍一たちシャドーの動きが鎮静化して活動の拠点を三
浦半島にまで伸ばしてきた。
「シーサイド」の客として訪れた竹山と安藤はビールを飲みながら店の中を見渡
し、ターゲットを物色したが、客の入りが少なかったことで目的を果たすことを
諦めていた。シーサイドの冬はオープンテラスにいる客も無く、落ち着いた雰囲
気を持つ店舗に変わるのだった。
横浜貿易浜本和明はブルーシャトーにいた。
新日本貿易中村鉄夫はオーストラリアワイン輸出入とアメリカ系メキシコ企業で
生産する石膏ボードを日本国内ではほぼ独占企業となっている村野石膏に対抗し
て安価に輸入し、シェアを崩そうという計画だった。
日本国内では東京オリンピック需要と併せて築地市場の移転先となる豊洲開発で
大手ゼネコンに販売する石膏ボードを大量に輸入するという計画だ。
2020年の東京オリンピックでは、そのステージの中心となる豊洲界隈では様
々な企業が凌ぎを削っていた。
中村は浜本を信用させるために大手製鉄会社東京製鐵役員の君津隆史を同伴させ
てガストン・コーポレーションとの鉄鉱石、銅鉱石の輸入契約エビデンスを持参
させ、今後の取引を匂わせて利用しようとした。
勿論君津は利用されているとは思ってもいない。東京製鐵の鉄鉱石輸入先はオー
ストラリアが主力だったが、金銀輸入の合間にスポットでメキシコ鉄鉱石を輸入
することがあると耳にしたからだった。
君津隆史は経理担当役員で企業からの接待を受けて銀座で遊ぶことが唯一の楽し
みだった。
中村は普段のゴルフ、飲食関係の知人を利用して新規営業することが主流だった。
中村は「君津さん今回ガストン・コーポレーションと石膏ボードの取引をするの
ですが、仲介に参加させる横浜貿易は始めての取引になるのでガストンの日本で
の実績を証明するために鉄鉱石、銅鉱石の輸入資料を一部でいいので横浜の浜本
氏に見せてやってくれませんかな?お礼は横浜にある高級クラブで接待と三浦ゴ
ルフクラブでラウンドで、どうでしょう。勿論こっちもね」と小指を立てた。
それをにやけて確認する君津は自分が管理する経理上の機密資料を見せるだけで
楽しい思いができると喜んで引き受けていた。暫く女達と会話して週末のゴルフ
談義を楽しんでいると横浜貿易の浜本が入店した。
「あ、いらっしゃいませ」ママが入り口へ向かい、多恵が席へ案内した。
「どうも、お久し振りです」浜本はニコニコ作り笑いをして挨拶した。
中村が「こちらが東京製鐵役員君津隆史さんです」と浜本に君津を紹介した。君
津は名刺を取り出し、浜本に手渡した。浜本は君津の顔を見つめて笑顔でお辞儀
し、名刺を渡した。
「どうも、始めまして、浜本です。東京製鐵の君津さんですか。光栄です。宜し
くお願いします」中村は今回の貿易の予定を話し出した。浜本は機嫌よく女と接
し、君津はアフターの成り行きに期待を膨らませた。
浜本と君津の二人は店の閉店間際になると女達にアフターを要請した。女と一緒
に中村とママを同伴し、カラオケスナックに入店した。
カラオケを楽しむと浜本も同席した女から受けたセクシータッチに欲望を止める
ことが出来なくなりそうな雰囲気だったが案の定、その女達と一夜を過ごすこと
になった。
女達は命令を受けていたのだった。
店を出ると剣崎舞は浜本と君津に対して「ちゃんと女子を部屋まで送ってくださ
いね」と念を押したが、浜本と君津の二人は女達とくっついてはなれず、舞の声
も耳には入っていないような素振りだった。
その様子を見ていた舞は中村と顔を合わせて不敵な笑みを浮かべていた。
海賊島の閉店時間が来た。
キッチンは消毒液がまかれ、掃除が始まった。店内では椅子がテーブルに逆さに
載せられ、床磨きが始まる。消毒液の臭いには殺菌しているぞと働いている時間
には刺激臭が漂った。
アルバイトやキッチンのメンバーが全員で一斉に始めるのだ。横山と龍一、永沢
の三名はみんなに「悪いけどミーティングでシーサイドにいるからね」と伝えて
から着替えてシーサイドに向かった。
冬のシーサイドは客足が鈍る。それにしても平日は寂しすぎたこのごろ顕著に現
れていた。横断歩道を渡り、入店すると人相の悪い品の無い2名の男を除くと3
組の男女が深夜の海辺を眺めて楽しんでいた。
サッシのしまった海岸はベランダの松明の届かない空間に月明かりが差し込んで
波打ち際の泡を白く光らせて見える。
換気のためにサッシを時折空けると刺すように吹き込む冷風が心地よく感じると
きもある。
「ノリ、こんだけ暇だと来年からやばいんだ。何とかしたいんだけど協力してく
れんか?」
「はあ、金ですか?」
「そういえば簡単だけど金だけではいずれ駄目になる」
「そうですよね、海賊島が出来てから落ち込んでいるのは間違い無いですよね。
気にはしていたんですけど」龍一が申し訳なさそうに言った。
横山も申し訳なさそうに「そうなんだけど、お前達のおかげで三浦に来る客はど
う見ても増えて来ているんだからはっきり云ってシーサイドの努力不足だと分っ
ているんだ」といって頭を下げた。
永沢は「僕も気になっているんですよ、実際、客の流れがそうなっているとね、
気が付いてはいましたから。そんなこと見ていれば分りますよ」といって頭を下
げた。
「横山さんはどう考えているんですか?おれ達は仲間ですから一緒に良くならな
いといけませんからね」
「そうか、有難う。ごめん、力が無くて」
「先輩、そんなに詫びないでくださいよ。共食いして潰れるわけにはいきません
からね」と永沢は力を入れて答えていた。そして「一緒に考えましょう。幸い、
ジムは未だ良くないけどオヤジは少しづつ金を入れて、梃入れしていますし、ひ
まわりは寄付が増えてきて明るくなっていますから少しならお金も協力できます
よ」というと横山は元気の無い面持から少し笑顔が戻りそうだった。
龍一が意見を話し始めた。
「ノリ、今後さ、シーサイドと一緒にやったら?横山さんの意見が大事だけど」
「おお、いいねえ、だけど、どうやって一緒にやるの?そこだよなあ」永沢が考
え込んだ。
横山は「俺はお前達に頼ってみっともないと思うんだけど、本当に強力してくれ
るのか?」
「当たり前でしょう」龍一の声が大きくなった。
「そうか、有難う。感謝するよ」
「そんな当たり前のことで感謝はいらねえよ、横山さん。世話になったのはおれ
達だよ。」永沢は本心でそう思っていた。
「そうだよ、それでさあ、海賊島があってもマックや、うどん屋、牛丼屋は普通
に客が入っているわけだからコンビ二の経営者の本で読んだけど飲み物が一番の
売れ行き商品でそれが一番奥にセットされているから奥に進んで戻る間に衝動買
いさせるセッティングなんだろ、だから海賊島で売っている以外のものをセレク
トして増やせばいんじゃないか?」
「お、さすが、バカインテリ、良い事言うねえ。でもシーサイドと離れているか
らそこが重大でさあ、流れてこっちにも繰ればいいけど、なかなかあそこを歩い
て渡る気にはならんのだわ。それから何を増やすのかが問題なんだ」永沢が茶化
しながら龍一を褒めていた。
「そこからだな」
「おれは、家族連れやアベックがめしの後に軽く寄るようにするか、海賊に行く
前に寄るかで大きく違うと思うよ」永沢が考えを述べると横山は「悪いけどいい
か、儲かったらでいいから、今のテラスの反対側に自動開閉式のバーベキューハ
ウスが欲しいんだ。それと、俺のところと海賊島をトンネルかレールで繫いで電
車かゴーカートで繫いで欲しいんだ」それを聞いて永沢も龍一も大きく眼が開い
て一日の疲れが飛んだ気分がした。
「おお∼∼∼∼。それいい。それいい。オープン式なら雨の日も冬場もいけるか
らな。いいんでないの?乗り物で繫ぐのも楽しそうだぜ」永沢が驚いた。龍一も
「いいねえ、横山さんそれで行きましょうよ。なあ、ノリ、お前の親父が議員の
うちにトンネル工事の許可と道路の上に橋をかけれるように頼んでおけばいいん
じゃないか?」と興奮気味だった。
「おお∼∼、オヤジもビックらするぞ。いいねえ。どうなるか明日話してみる。
俺はさあ、早く船で食べる店じゃ、海賊船ディナークルーズがやりたい。赤字覚
悟でやれればいいけど、無理かなあ?」
「維持費が大変だもんな」龍一が答えた。
「そうだよな。でも横山さんには賛成だ。まずは共同戦線だぜ。夏場の客も両方
で狙うことになるけど、赤字の原因はおれ達にも責任があるからね」
「お前バカじゃなかったんだな?」と龍一が永沢をからかった。永沢は満足そう
に「当たり前だ。いずれは県会か国会議員だからな」と笑った。
「それで良かったら面白い建物になるぞ。なあそう思うだろ」横山は満足そうだ
った。
客として訪れた竹山と安藤はビールを飲みながらその様子を見ていた。
「あいつが海賊島の永沢かな?」
「ああ、悪そうな顔してやがる。隣の奴が藤堂だろうな。また今度は向こうに行
って様子を見るか?」二人は偵察に来ていた。
「海賊島は俺らには似合わねえから女と来るしかないな」
「おお、くそ、あいつらなんとなく見ているだけで腹が立つな、幸せそうに喋り
やがって、殴ってやりたくなる顔しとるぜ。店も燃やしてやりたくなるな。伊藤
が云うように見ているとむかつくぜ!」竹山は血の気の多い男だった。
「まあ、ヤクを売るならこっちがいいけどな。おまえ、燃やしちまったらヤクは
売れねえぜ」竹山はルート拡大を狙ってシーサイドを狙っていたのだった。
浜本と君津は中村たちと別れて別々にタクシーで移動していた。
浜本も君津もカラオケスナックでは女達から勧められて気分良く酒を飲んでいた
が、その中には粉末のMDMAが溶かされて入っていた。
気分が良くなるのは当たり前だった。
ホテルに到着して風呂に入る頃には酒とMDMAで完全に酩酊状態となっている。
風呂上りに勧めたお茶には睡眠薬が溶けている。
ベッドに入るとそのまま気分良く寝てしまう。
寝顔を見ながらコカインを歯茎に塗り込んだ。
女達は男の横で裸になり、抱き合って寝ている姿を携帯で写真を撮ってから浅い
眠りに付いた。
朝になると目を覚ました男達は完全に記憶が無い状態だった。
隣には裸の女が寝ている。
飲みすぎで頭痛がする。
二日酔いだ。
ベッドで上体を起こしてもふらふらしていた。
女達は男の前で服を着て「また会いに来てね」と言って立ち去っていくのだった。
うつらうつらとしてそれを見送った男達はまたブルーシャトーへ飲みに行こうと
考えて別れる。
龍一と笹木は鮫島ボクシングジムにいた。
パンパンッパンと小気味良い音がジム内に響き、その音の重さに練習生達の手が
思わず止まり、音のするリングへと視線が移るのだった。鮫島賢とのスパーリン
グだった。
パンパンッパン
「ワンツースリー」鮫島の声が響く。
「リュウ、そろそろプロテストを受けるか?」鮫島は龍一のパンチを受けるたび
手の平に儘ならぬ衝撃を受けていた。
笹木はそれを見ていて「おれ、龍ちゃんとのスパーリングはパスです」といって
逃げていた。
普段から龍一のパンチを受けたりサンドバックの音を聞いている笹木は龍一の腰
の入ったパンチの威力を知っているから絶対に受けたくは無いと思っていたから
だった。
龍一は「いや、受けたいですが、親父と会っていませんので話しして許しを貰っ
てからですね」といまだに許可を得ていないと答えて元気を失うのだった。
民宿「みうら」の売りは大根おろし風呂だった。
大根おろしには、酵素がたくさん含まれていて、その酵素が老廃物を排出するた
め、夏場には特に老廃物が溜まりやすい時期なので効果がある。
冬には確り体温を保つといわれる。知っているものは少ないお風呂だった。
吉中光子は畑にいた。
「おじさん。この年になると腰が駄目になるねえ」光子は腰を拳骨で叩きながら
大根を抜いていた。手伝いに来ている隣の爺さんは75歳だった。
「みっちゃん君代に手伝ってもらえよ。年なんだから。若いもんなら早く収穫で
きるだろうに」他の農家は抜きやすい青首大根に切り替えていた。すっと抜ける
形だからだ。
「そうなんだけどあの子はゴルフとバイトとか云って家にいないんだよ」
「この大根もさあ、今が一番の売り時なんだけどねえ」三浦大根は冬のみの収穫
で効率も悪い。
「そうだろ、三浦大根はあんたがやっとるだけだからねえ、良くやるよ、青首に
変えなさいよ、楽だよ。年寄りには」三浦大根の生産は全体の1%にまで減って
いる。
「私しゃ、未だ若いよ。爺さんには負けん。今週末にはひまわりの子供たちが畑
に来るから大丈夫だよ」養護施設の子供たちの唯一の仕事は光子の畑の収穫と施
設の掃除だった。
首の部分が細くて尻に向って太くなる中ぶくら型大根だった。このために収穫時
には抜き難く、力が必要で、高齢化が進む農家から敬遠されるのだった。それも
民宿「みうら」の売り上げ減少の要因だった。収穫が大変で時期も限られる三浦
大根に執着している光子のこだわりを理解しているものは誰もいなかった。
藤堂龍蔵は関東圏で営業していた。
中国への新規輸出企業を開拓していた。
上海ではホテルから毎日のように上海有限公司へ訪問しては夏遊楽への面会を求
めたが、相手側は不在の一点張りで面会には応じる気配が無かった。
藤堂は長い付き合いの契約時に利用する弁護士唐分別を通じて内容証明を送り裁
判に向けて動き出したのだが、唐分別は上海有限公司の企業情報では政府機関の
色彩が濃く如何様にも進行を調整できる可能性が高く裁判を起しても無駄だとい
われ、肩を落として帰国することにしたのだった。
多額の債務は営業して返済するしか方法が無かった。
今後の事業では銀行からの融資は受けがたく毎月の利益でのみ返済していくとい
う苦しい展開が待っていた。
龍一たちは高校卒業の時期に入っていた。
海賊島は順調に売り上げを伸ばし、連日好調な売り上げを上げていた。
横山は永沢らと協議してシーサイドが暇な時間帯を利用して海賊島を手伝いなが
らレジでシーサイドの割引券や海賊ボーイがじゃんけんで負けて客に手渡す割引
券の利用を勧めていた。
シーサイドは僅かながら新規の客が足を運ぶようになってきていたが繁盛してい
るような雰囲気までは遠かった。
客の反応が「あ、あそこか?横断歩道で渡ればすぐですね」といいながら車に乗
って帰ってしまう客が殆どだった。満腹で歩道を渡るまでしてハシゴする店の内
容ではないという事が分ってきている横山だった。横山は横断歩道がバリケード
に見えていた。「渡りたくなる何かをやっぱり作りたい」と思うのだった。
船戸は月一度のお参りをしていた。
大竹と上原は別々の刑務所に服役して勢力を増強していた。
殺人事件に関与した二人はライセンスを剥奪され、その上大竹は船戸にお袋の医
療費を支払ってもらい、剣崎からの報復をブロックしてもらっていた。
船戸は横浜の殺陣鬼が愚連隊を支配したと報告し、大竹が出所後正式に全員で剣
崎洋の支配下に入るように勧めていた。
大竹は少なからず組には不満があったが、前科のある身を生かすためにはそれし
かないと考えるようになってきていたのだった。
上原も同様に手なづける事ができそうな状況になっていた。
剣崎洋は出所を控え、新日本貿易の中村に上質のコカインを密輸するように指示
した。剣崎洋の指示を受けた船戸は新日本貿易の中村に連絡し、伝えた。
横浜貿易の浜本はブルーシャトーに通っていた。
浜本の係りは根本ゆり30歳だった。
浜本は毎日のようにブルーシャトーに通いだし、ゆりとの交際を願ったが、ゆり
は浜本をじらしてじっくり料理する作戦だった。
浜本は2回に一回はニューボトルを下ろすほど酔って楽しんだが、ボトルを下ろ
して開封すると浜本が席を立ってトイレに行くと粉末MDMAやコカインを溶か
して浜本の欲望を掻きたてた。
ママはヤク中の女達にも飲ませたが、自分はカクテルを飲んで売り上げに貢献し
ていた。数週間たつと浜本はゆりの部屋で過ごすようになり、部屋ではゆりの持
っているコカインを効果の早い注射にして夜を楽しむような生活をするようにな
っていた。
新日本貿易の中村は浜本に連絡するとブルーシャトーで貿易の商談の打ち合わせ
をしようと持ちかけて呼び出した。
数回の打ち合わせで打ち解けていた中村との待ち合わせは気楽なものだった。中
村がブルーシャトーに到着すると浜本はすでにゆりと同伴して飲んでいた。
「ああ、どうも中村さん。久し振りですねえ」赤くなった顔が気分の良さをアピ
ールしていた。中村は機嫌を伺うように「ハイ、忙しくてねえ、なかなか遊ぶ時
間が無かったんですよ。それにしても浜本さんはゆりちゃんにぞっこんのようで
すなあ」と仕事の話ではなく砕けた会話で接していた。
「はい。そうですよ」すでに数回ゆりと同伴している浜本は照れることもなくス
トレートに答えていた。
「あら、中村さん。久し振りですねえ。もっと浜本さんのように通ってください
よ」ママはわざと他人行儀にした。浜本は回りには興味がないと言う感じで遊ん
でいた。
中村の「浜本さん。今日はまた、ご機嫌良いですなあ」という挨拶代わりの会話
にも「はい、ゆりちゃんが最高ですわ。まあ、ぞっこんという奴ですかね」とお
惚気しか言わない常態だった。
「どうなっているか知りませんが、ゆりちゃんを大事にしてくださいよ」ママが
横目で浜本を見た。浜本は上機嫌で「いやあ、売り上げには協力している積りで
すよ」とごきげんだ。
ママは「はいはい」と受け流したが浜本は気にもせず笑っていた。中村はこれだ
け砕けていれば逆に仕事の話が真剣さをますであろうと考え、浜本に「浜本さん。
仕事なんですが、今度メキシコの石膏ボードを輸入するのですが、私は事業で少
し金が足りませんので半々で輸入しませんか?」と問いかけた。浜本は「どれく
らいの金額ですかね?」と質問した。
「ボードは通常の12.5ミリx3尺x8尺なんですが、最初は10万枚で35
00万輸送費込みですわ。その後は50万から100万枚ですけど」
「はあ、トライアルが10万枚ですか?一枚350円なら国産の半額近いですね
え。製品のサンプル検査は国内で輸入許可も取れていますか?」若干だが真剣に
受け答えした。
「勿論ですよ。最初の3500万なら私でも大丈夫ですが、その後の輸入は他の
商売での入金がはっきりしないと都合できない可能性が有りましてね、不安なん
ですわ。半々の出資でどうですか?販売先は決まっていますし、保税倉庫は自前
ですから心配ないですからね」といって中村は浜本の顔色を窺った。浜本は上機
嫌で「中村さん、では、最初のトライアルの3500万は私が出しますよ、利益
は折半でいいです。その後は半々の出資でその輸入からご一緒に仕事を始めませ
んか?」と女の前で格好をつけてしまったのかは不明だったが乗ってきた。中村
は両手を刺しだして「じゃあ、早急に業務提携の契約をしましょう」といって握
手していた。
浜本は何の疑いも無く中村との仕事を約束して上機嫌だった。浜本のヤク中毒は
すでに根本ゆりから情報を得ていたママが棚から下ろしてテーブルに出してきた
ニューボトルからは根本ゆりの「活躍」で細工をする必要がなくなっていたのだ
った。
中村も上機嫌でママと浜本との飲食を楽しんだのだった。
翌日中村はメキシコ、バハ・カリフォルニアのガストンへ連絡すると石膏ボード
10万枚コカイン30キロ大麻50キロを発注していた。
石膏ボードは正規品10万枚が無料で発送される手はずだった。インサートされ
たボードは
「大竹に会いに行かないか」と提案したのは龍一だった。
きっと組からの圧力で出所後の身の振り方には悩んでいるのではないかと考えて
の行動だった。
埼玉県川越市南大塚に位置する川越少年刑務所で一部の若者に有名なこの場所で
大竹は更生に向けて毎日職業訓練を受けていた。
久里浜の少年院には数名の友人が入所していたが、刑務所の入居者たる知り合い
は則弥にしかいない。
刑務所事情をよく心得ていた家業が「それ」の永沢や龍一は親族や関係者ではな
いために簡単には大竹面会の許可が出るとは思っていなかった。
永沢は父親のルートを通じで所長に連絡しさせるといつでも面会できるように手
筈を整えていた。
刑務所の面会は監獄法の緩和で身内以外の知人、友人でも面会できるようになっ
たが面会理由の記入欄に「安否、気遣い」「知人、友人」「重大事情」とあり、
身内以外は弁護士に依頼したりして、何らかの書類などを持参しない場合には簡
単には面会が出来ないのだった。
何度も剣崎洋と面会している船戸は大竹の母親の治療費を肩代わりして面倒を見
ているため、弁護士を通じて実質大竹の保護者となっていた。
永沢は龍一には聞き慣れていた「別荘」という言葉でここを示していた。そんな
則弥の会話が自然に聞こえるのはやはり則弥がいずれは何かのトラブルでこうい
う場所にお世話になることを覚悟しているという事を示唆しているように聞こえ
ていたが、決して人の道からは外れて起こす問題ではないであろうと想像しなが
ら聞いていた。
永沢は面会室に向かって歩きながらブツブツと喋っていた。
「あいつ、何考えて過ごしているんだろうなあ?ぶっ潰してやろうと思っていた
奴と面会なんて考えられんかったよなあ。出所したら何やるんかな?今まではよ
う?リュウお前はどうして会おうと思ったんだ?」と不思議そうな顔で龍一を見
ていた。
龍一は「分らん。なんとなく気になっていたんだ。出所後は何かと大変だろうけ
ど誰か引き取り手はいるんじゃないか?」と会いに来ようと思った理由は話せな
かった。
永沢はそれを咎めることなく自分が不思議に感じたことの解答に思いを語った。
「そうか、いるんだろうけどろくな奴じゃないだろうなあ」と自分達を棚に上げ
て話していた。
受付で面会票に氏名と住所を記入し、龍一と永沢は面会室に入った。大竹はロー
プで縛られて入室した。丸刈りでうつむき加減の姿は何処となく凛々しく感じた。
「すわれ」と所員が指示すると大竹がガラスの向こう側で腰掛けて正面を見てい
た。
「おれ、永沢だ。こっちは藤堂だ。わかるか?」大竹は無言でマネキンのように
永沢の顔を見てから龍一を見ていた。無言で再び永沢の顔を見ると首を傾げたが
「おお、ああ、三浦の?」と第一声を発していた。
「病院の駐車場でお前がみんなと土下座して笹木に侘びを入れたとき、俺とこい
つは病院の壁側にいてみていたんだ」というと大竹は、「おお、そうか、あの時
は悪かった」と小声で答えていた。
龍一は「出所後はどうするんだ?」と顔をガラス窓に近づけて話した。
大竹は「組には戻りたくはなかったが母親が組のカシラに面倒を見てもらってい
るので・・」と剣崎に入ることをほのめかした。
永沢は「おまえ、それでいいのか?」と尋ねると大竹は「おまえも親父が極道じ
ゃねえか」と反論していた。
龍一は「お前らは気にくわねえ野郎達だったが、あの日以来気になっていたんだ
」というと大竹は「剣崎と永沢は一緒に仕事をしているけどこの先どうなるか分
らん。な」といって口を閉じた。龍一がどうしてだ?と尋ねたが大竹は下を向い
て答えなかった。
永沢は「剣崎と組んでいることは俺も親父から聞いて知っている。何か問題が有
ったときに助けられるかどうかは分らんが、俺のレストランが儲かっていればと
りあえず働く場所は出来るぞ」と手を結ぶような提案をした。
大竹は下を向いていたが、顔を上げて則弥を見て云った。「今度、剣崎洋が出所
して船戸がどういう形で動くのかがその先を左右するんだ」と答えて続けた。
「剣崎洋。組長の息子だ。今府中にいる。俺は船戸という剣崎のカシラに仕方な
く飼われている。お袋の件があるから逃げられないんだ。剣崎洋は時期会長、組
長だ。オヤジが今はやっていないと公言しているヤクを取り仕切っていて品川の
渡辺に殴りこみをかけた人だ。恐ろしいぞ、ヤクと殺しが大好きだからな。お前
らもせいぜい気をつけろ」
「そうか。お前、こっちに来るつもりはないか?」永沢はじっと大竹を見つめて
いた。
「むりだよ。金が幾ら要るか分らん。船戸さんから3000万つくれといわれた
んだ。笹木に払った1000万と組に2000万、あと細かいけど母ちゃんの入
院費があるんだ。だから当分抜けられん。そういう事だ」
龍一は「そうかもわからんけど、一応何かあったら応援するから相談には来いよ。
なあ、ノリ、なあ」と大竹に手を差し伸べたが、大竹は「ああ」と気のない返事
で答えたのだった。
永沢が「みんなにも宜しくな」といって面会が終了した。
龍一と永沢は面会室を出た。
出口までの通路を歩くときには二人ともなんとなく心がもやもやしてすっきりし
なかった。
何とかここから大竹とは良い関係になり、実も心も軽くなって、弾んだ気持ちで
退所することを願っていたのだが、期待通りに進まない人間関係の複雑を体験し
たのだった。
永沢は刑務所を振り返って言う。
「あいつ多分、いいやつだな。何でも喋っちゃうもんな。あいつが剣崎のねえ。
やばい奴にならなければいいけど、駄目だろうな」
「ああ、惜しいな。おそらく母ちゃんの入院費もふっかけらるぞ。そうなると剣
崎で飼い殺しだ。殺しをやらされると最悪だ」
「ア∼、怖!」永沢は龍一を見て顔の横で両手を広げた。
藤堂龍蔵は金策に明け暮れ思案に暮れていた。
中国での貿易に上乗せをして収入は少しだけアップしたのだが、上海有限公司の
夏遊楽の尻尾を掴みたいと考えていた。
取引先の応援が望める状況にはなってはいたが、相手の規模が完全に味方を凌駕
しており、力関係で負けるのが落ちで中国側が上海有限公司の核心に触れること
を躊躇し、諦めざるを得ない環境になったことが藤堂の闘争心を萎えさせたのだ
った。
毎月末日前には金策に時間を要するため1週間が費やされた。
新日本貿易の中村はまったく姿を現さなくなっていた。「やっぱり私は,騙され
たんだ。」営業をして新規の契約をとっても資金がないので決済銀行に預託する
パフォーマンス・ボンドに入れる金がない。そのため大きな契約が難しくなって
きていた。
弁護士の報酬を払えなければ直ぐに訴訟となり、中国政府の下っ端役人でも相手
にすれば100パーセント負けが決まっている。
結局仲介料10%での取引で交渉することになる。成果は大きく上昇することは
難しかった。
藤堂はじわじわと金に追い込まれていた。
三浦中央信金融資担当菅野金平は藤堂商事の口座の金の出入りを見ていた。
毎月ぎりぎりで金利分を落としているが、売上金の大きな変化がない状況だった。
もちろん他行の口座内容は把握することはできなかったが、藤堂が話していた2
か月以内に一括返済するということは実行されていなかった。
あの取引は大丈夫だったのかな?
そろそろ内部調査に動かないと危ないかもしれない。
菅野は融資担当課長高田六郎に相談した。高田はバブル崩壊後の1990年代半
ば以降に貸し渋りや貸し剥がしを積極的に行った経験がある。
銀行の危険回避の判断の一翼を担っていた。これによって資金繰りの悪化による
企業の連鎖倒産が相次ぎ、業務を行った行員は転勤、転勤で地元企業の批判や追
求から逃れて大きな社会問題となった。
高田は毎月返済予定をチェックしていた。
高田の中ではすでに藤堂商事はグレーリストに入っていた。菅野が内線電話をし
て「あの∼藤堂商事の件で相談がありまして」と話すと話の途中で「回収の件か
ね?」と即答だった。菅野が「はあ?」と抜けた返事をすると「ちょっと来なさ
い」と逆に呼ばれることになった。
菅野が高田のいる融資管理室へ赴くと高田の机はコの字型で左右の机の上には書
類が山積みになっていて融資の案件の多さを物語っていた。
正面の机の上には赤いファイルが一つだけ置かれていた。
その前には椅子が2セットある。菅野が現れると、おお、そこに座りたまえと言
って高田は菅野を正面に座らせ、「これだ」と言って机上の赤ファイルを指差し
た。
あ、もう用意してあるんだ。
素早い対応だな。仕事が早い。と菅野は感じた。
「これは藤堂商事の書類ですか?」と質問すると「そうです。あそこはすでに返
済予定を3か月以上経過していますからね。すでに企業情報調査をしています。
金融事故情報はありませんがいつ起こってもおかしくはない状況にあります。大
体、7000万円以上の融資をしたことがない企業であったため、自社の体力以
上の仕事を受けるということはある意味賭けに出るということですから予定期限
を過ぎた時点で危険対象となります。おそらく訪問して追求すれば具体的な返答
はできない可能性が大きいという予想です。赤いファイルは危険という意味で私
が区別するために色分けしています。現在進行形のレッドゾーンという意味です
」と冷静に判断していた。
菅野は「どうしましょう」と質問すると高田は「貸し剥がしで自宅を押さえます。
弁護士はすでにひと月前から準備していますよ」と冷たく言い放った。
菅野は「しかし、金利を払っている以上押さえられませんよね」
高田は「そうですが、それは銀行が譲歩しているからでね、裏で藤堂の自宅が高
く売れるようにすでに動いていまして、高く売れれば銀行も融資して利益が上げ
られますからね、早いとこ資産価値が高いうちに売るほうが融資額も大きくなり
ますので金利が稼げますからね、剥がすしかないでしょう。銀行のためです」と
冷たい目で菅野を見た。
貸し剥がしは銀行などの金融機関が自己の経営安定を最優先して返済の滞ったこ
とのない企業等に対して、融資を突然減額したり中止して、返済期限の到来前に
返済を迫ったりするなど、相手先の事情をまったく考慮せずに資金を強引に回収
することをいう。
菅野は長い付き合いで藤堂と接していたため、心を痛めた。
藤堂は神奈川県警に相談していた。
新日本貿易の中村を詐欺で訴えることにしたのだった。
同時に弁護士に相談したが中村との契約書も何もないことだということでけんも
ほろろに断られ仕方なく警察へ出向いたのだった。
担当の刑事はやる気がなさそうに対応していた。担当者はカウンター越しの対応
で聞く気がない対応だった。「中国の事件は中国で訴訟を起こさないと決着しな
いので意味がないでしょう」という。藤堂はそれでも中村の実態を申告すること
で数件の案件が届けられれば警察も動き出すのではないかと僅かな期待をして駆
け込んだのだ。
しかたなく肩を落として車に乗り、自宅へ向かった。
元気がない態度で接すると妻が心配するのであえて平静を装い玄関のドアを開け
る。
「まいったなあ」と心の中でつぶやくことが癖になっているようだった。
「お帰りなさい。今日はいいクロマグロがあったからお父さんビールでいいかな
?」と言われても気分が滅入って気のない返事になる。
「そうか。じゃ、ビールでいっぱいやるか」
「はいはい」といって妻律子は普段どおりの受け答えで出迎えていた。
「今日ね、龍也の学校の先生から電話が来てね、龍也の東大法学部は間違いなく
トップクラスで合格します。と言われたんですよ」と聞き、「そうか、それは嬉
しいなあ」と答えるのだが、気のない返事をしてしまう自分の状況に情けなくな
るのだった。
そんなことをまったく知らない隆一は鮫島ジムと海賊島、シーサイドを行ったり
来たりして忙しく過ごした。横山の部屋に泊まれば将来のシーサイドと海賊島の
ドッキング構想に話が弾み、「ひまわり」に泊まれば子供たちとの触れ合いに京
子、君代が参加して家族のように楽しく過ごせた。
金子康弘は大竹との面会に来ていた。
渡辺健司も同行していた。
殺陣鬼竹山らの台頭によって事実上吸収された愚連隊は竹山に命令されて使われ
ていた。大竹は船戸の行っていることを批判するものの事実上崩壊していた愚連
隊を一つにまとめたことを評価していた。
「そんな、お前が出て来ても俺たちはあいつらの言いなりなら意味がない」と嘆
いていた。
大竹は「剣崎に殺されていないだけでも儲けものだ」というと金子と渡辺に上原
との接触も怠るなと指摘してとにかく分裂しないように固めておいてくれと言っ
て席を立った。
翌週の日曜日9時30分三浦ゴルフクラブマスター室前に藤堂の姿があった。
「あ、おじ様おはようございます」京子がキャディーについたのだった。
「あ、おはよう。久しぶりだね、頑張ってる?」
「はい。一次は通りましたから4月の二次に向けて君代と練習に励んでいますよ。
今日は私がキャディーだからリラックスできるからね、頑張ってくださいよ」と
明るく接する。
三浦ゴルフクラブは地元のメンバーがほとんど会員として出資してオープンして
いた。
従業員たちも当然地元がほとんどだった。顔見知りではないキャディーであって
も素性を聞けば必ずと言っていいほど育ちが分かった。
「おお、そうか、受かるよ。京子ちゃんたちは。抜群にうまいと評判だからね」
「いやあ∼∼それほどでも、へへへ!」と照れながらも京子は少しだけ謙遜して
いた。
「あ∼、おはようございます」
「おお、君ちゃんもいたか」
「はい、稼がないとね。貧乏ですから。龍一はいいよねえ、おじさま、金持ちだ
から」と君代が言うと藤堂は少し悲しそうに「いや、今は儲からないよ、大変だ
よ商売は」と言って目をそらしていた。
君代は「またあ!」といって藤堂の背中を軽くたたいていた。
藤堂は明るく笑顔で答える京子と君代が眩しく見えていた。仕方なく作り笑いで
答えていたのだが京子は「じゃ、おじさま今日はがんばってね」と明るく笑いな
がらアウトスタートを指差していた。
藤堂は「京子ちゃん、今日の3人は私が接待する人たちだからお願いね」とゴル
フカートのフロントに並んで座り、任せといて、と笑いながら話す京子の運転で
ティーグラウンドに向かった。藤堂は接待プレイラウンドの重要人物のプロフィ
ールを京子に説明しながら進めていった。
練習グリーンの横で京子から同伴者が呼ばれ、スタートホールへと進むのだった。
「高田さん、菅野さん、牧野さんスタートですよ∼」京子の呼び出しに答えて三
人がカートに乗り、スタートホールに到着した。
藤堂が「じゃ、支店長、今日はお手柔らかにお願いします」と牧野にお辞儀する
と牧野は「いやあ、ホームコースの藤堂さんには負けますでしょう。私はこの二
人をやっつけることに決めていますよ」と言って笑った。
「は∼い、わたしはキャディーの鮫島で∼す。今日は頑張ってくださ∼い。前は
グリーンに乗っていますからスタートお願いしますね」と元気にいう京子に圧倒
され藤堂の接待ゴルフがスタートした。
順番を決めるのも全部藤堂が指名して仕切っていた。
京子はすごく気の利くおじさんだなあと感心して藤堂を見ていた。
藤堂が一番飛んでいたので二人でカートに乗り、ボールまで向かっているときに
「おじさまってすごく気を使ってすごくやさしいですね。」というと藤堂は「い
や、仕事でね、断られ続けている人たちだから私が一生懸命なだけでうまくいか
ないんだよ」と愚痴をこぼした。
藤堂がゴルフカートを降り、クラブを選択してボールの前に立ちアドレスに入っ
た。
カーン!
藤堂がスイングしてボールの行方を確認すると「おお、ナイスショット」と京子
は声をかけた。手を振っている藤堂を確認すると京子は次の客のところに向かっ
てゆっくり走りだした。
シュルシュルシュル
電動カートは芝生の上を静かに滑るように走った。
接待されている客二人がぼそぼそと次の打球を打つ場所まで話しながら歩いてい
た。もう一人は先にいる。京子は二人組のところに向かった。
シュルシュルシュル
後方から接近すると二人は「・・融資するような話だけしろよ、接待ゴルフなん
だからさ。いい話をしておけばいいんだ。・・・」と話しているのが聞こえてた。
「なんて奴らだ!」と藤堂を思うと気分が悪くなった京子だったが、二人に追い
つくと「は∼い、このボールはグリーン・センターまで65ヤードですね。何番
にしますか?・・・おねがいしま∼す」と二人の会話が聞こえていない振りをし
たが、心の中では・・付き合う気がまったくないのなら接待なんか受けないで自
分でカネ払えよと思っていた。おじさまかわいそうにと思いながら。
・・なるほどねえ、大人になると本心とは全く違っても笑ってゴルフをするんだ。
にこにこと笑って接待している藤堂を眺めては「もう、おじさま、気が付けよ!
」と心で叫んでいた。
ハワイ・オアフ島モカブのハワイ・マリーンに停泊した大型クルーザー、「ドリ
ーム号」は燃料補給していた。
デッキでは数人がワイングラスやシャンパングラスを持って水着姿の女達と音楽
に合わせて踊っている姿があった。
コーネル・サントスの命令で部下たち5名売春婦10名が乗っていた。
売人の男達は入れ替わりマリーナを出入りして食料や飲み物を運び、忙しく動い
ていた。アロハシャツの男やアジア人らしき男の姿もある。暗くなってくるとど
んどん人の出入りが激しくなっていた。ここで得た金を女たちに支払い、女たち
は日本での当面の資金にする。
密入国させる予定でハワイからの客も乗船させて横浜に向かうとブツの代金を集
金する手筈だ。
小口のユーザーに海上で麻薬を売り捌きながらオアフ島を出るという抜け目のな
い航海をして稼ぎながら到着させる予定だったのだ。
龍一たちの卒業式となった。
親には報告などしない。
大学に行く考えは全くなかった。
ひまわりに帰ると優子が卒業おめでとうといって新しいトレーニングウエアをプ
レゼントした。
「親父さんに見せて来いよ」と奥の机で仕事をしていた林田を見てそばに行き卒
業証書を林田に見せていた。
優子が「そうよ、そうしなさいよ」というが龍一はそのままジムに入っていった。
林田と優子は顔を見合わせて首を傾げていた。
新日本貿易の中村は中国にいた。
上海有限公司の夏遊楽は藤堂の送金した金で日本の家を買う相談をしていた。
中村は夏遊楽の作った偽の契約書にサインしている。
日本へ送金するための契約書だった。
夏遊楽は政府高官と通じているのでどんな内容の契約書でも契約書さえあればど
こにでも送金が可能だった。
中村は中国の地下資金ブラックマネーと夏遊楽を通じて上層部と繋がっているが
、実際は直接高官とつながっており、夏遊楽は組織上中村の手下という立場だっ
た。
夏は笑いながらサインして印鑑を押しサインもした。社名は中華食品有限公司と
なっている。笑いながら夏遊楽は「騙した人から取り上げた金で日本の不動産を
買い戻すとは悪い人だね」と言って握手していた。
夏遊楽は「全部あなたのお金ですね」といって「わたしはあなたに名前を貸すか
ら中国製品を日本でたくさん売ってください」といってお辞儀をした。
中村は、よしよしと握手して約束していた。夏遊楽の応接室から国際電話をかけ
た。
「融資担当の高田さんをお願いします」・・「ああ、中村です。例の物件800
0万で掘山が買いますから、その予定でお願いしますわ。・・はい、金は来週以
降いつでもいいですよ。・・・では、よろしく。名義人の書類はあとで連絡して
送りますのでね。その予定で」三浦中央信金融資担当課長高田六郎に電話連絡し
ていたのだった。
中村は中国政府高官が貸し切ったホテルの中にあるサウナ&バスでひと息いれる
のだが、脱衣所、洗い場、風呂、サウナ、マッサージとすべてが女性スタッフの
サービスで行われていた。
高田は藤堂を訪問して追加融資の打ち止めを通知し、返済遅延の損害金を請求し
た。藤堂は突然の成り行きに愕然とし、終始無言だった。
藤堂宅に訪問した高田は弁護士同伴だった。返済計画書を3日以内に提出しろと
いうものだったが、表面上藤堂の心に多少の希望とゆとりを持たせるような行為
に見えるが心の中ではいつ一括返済を迫ろうかという段階だった。
剣崎洋の出所日になった。出口には船戸と運転手が待ち構えていた。
「おう、久しぶりだね。わはは」
「はあ、ご苦労様でした。今日は中華街の編珍楼を予約してありますけどいかが
でしょう」
「おお、いいねえ、いい老酒とシャンパンで乾杯しようぜ、親父はどう?」剣崎
洋は組がどうなっているのか逐一情報を得ていたので最近の事業に変化があった
のかどうかが知りたかった。「はい、特にないですが、臓器売買の事業に積極的
なのは変わりないですが、ドクターヘリの事業から次のステップへ行くのに永沢
の動きに頼るしか手がないようでしてゆっくりやっておりますよ」
「そうか、で、中村は何してる?」
「はい、コカ30、葉っぱ50はもうすぐ到着です。あいつは中国にいます。そ
ろそろ帰ってきますよ」
「そうか、海上でカネを渡すんだろ」
「はい、船と船で渡します。が、行くのはやめてくださいよ。手下に任せてくだ
さい。危ないですから。私が今回は渡す役目です」
「そうか、ムショは暇でつまらんからな、ブツさえ間違いなければいいよ、ガス
トンは裏切ることはないからな」
「はい、しかし、問題の品川の渡辺はどうしましょうかね。神奈川では売り上げ
は知れてますよ。東京のシマが欲しいですね。あいつらさえいなければこっちの
もんなんですけどねえ」
「おお、それは計画通り若いもんに始末させる方法を考えさせるしかないだろう
、あいつらが一番邪魔だからな。俺たちの数倍の取引量らしいから分捕ってやり
てえよ。兵隊に潰させるよ。バカが沢山出来たんだろ。それには金が要るからな。
早くブツを捌けよ」
「はい、そうしましょう。若いもんは用意してありますから即売しましょう。ま
ずは安売りで市場開拓ですわ。高齢者の見込み客が茅ヶ崎あたりには沢山おりま
すからそいつらの金を根こそぎ分捕りますよ。わははは!」船戸は殺陣鬼竹山ら
の勢いを利用してすでに動いていた。
竹山たちは船戸の指示により、金を持っていて時間のある高齢者をまずは狙えと
いわれ、手当たり次第に声をかけて自宅にまで押しかけ、年金生活者までにも「
元気が出る薬」と言って最初は無料で飲ませて常習化するまでまき散らした。元
気のなかった高齢者は「元気になった、調子がいい」と言って薬を好んで飲むよ
うになっていた。
「また明日ここに来ればまた薬をあげるから」といえば必ず待っていた。
常習者は薬売りの到着を自宅で今か今かと首を長くして待つようになるのだった。
今度の取引で到着するヤクを高く売りつけるにはちょうどいい時期にあたる。
竹山らは爺さん婆さんの自宅に訪問し薬を飲ませたあと、お茶を入れたりマッサ
ージをしたり、食事をしたりして薬を与えた。同じように入り込んでいる仲間が
大勢できてきていた。世話をされれば「いいひと」と感じるのは自然の成り行き
だった。
無料配布で常習者を作り出した結果、高齢者たちのおおよその財産を把握しつつ
あり、ともすれば預金通帳をも預けるような発言をする者や、家屋を売り払うま
でに接近しているものもあり、大量に売りつける基盤を確立しつつあるのだった。
剣崎洋は品川進出を諦めずに狙っているのだった。
エンセナーダを出航した輸送船は横浜港に到着していた。
新日本貿易の中村が横浜貿易の浜本を通じて発注した石膏ボード20万枚が入港
し、保税倉庫へ運ばれ、検疫を受けた。建材の成分分析は簡素なため下部に詰ま
れた一部の商品の採取が行われ、麻薬犬が倉庫内を嗅ぎ回ったが塩酸で洗われた
ボードは一度も吼えられることなく検査が終了した。
中村との共同出資によって運ばれた20万枚のボードは倉荷証券が発行され、中
村が指定した倉庫へと保税倉庫から運び出された。中村は売却が終了する前にも
拘らず浜本に一枚500円で売却できたと伝えて5400万円を横浜貿易へ振り
込んだ。
中村の倉庫へ運ばれたボードは半分が粉々に処分され、コカイン30キロと大麻
50キロが分別されて検査されていた。
ハワイ・オアフ島モカブのハワイ・マリーンに停泊していた大型クルーザー、「
ドリーム号」は房総半島館山沖に接近していた。
レーダーによって付近に展開している船舶がないことを確認すると船員の一人が
衛星電話で中村の部下に連絡した。
コーネル・サントスの命令で部下たち5名売春婦10名が乗船しているが、女た
ちを密入国させてブツの代金を受け取る手筈となっている。
日本沿海200海里は海上保安庁の巡視艇が常時監視し、領海を侵犯すれば即座
に臨検を受けることになるため公海上での交換が必須条件だった。
公海上の指定位置ではサントスの命令で事前に入国していた者が金を確認して館
山から出航した中村の漁船に同乗し同行した。
「ドリーム号」から離脱した小型ボートは漁船とコンタクトするために予定海域
へと潜水機材を身につけた女達と現金回収要員が乗り込んで到着するとボートか
ら飛び降りて水中を進み、接近して漁船へと進入する。
船同士を横付けしない作戦だった。
金を回収したダイバーは船に戻り、女達もスキューバダイビングで接近し乗り移
る。
終了後「ドリーム号」は観光船の特例措置申請によって上陸期間寄港地上陸許可
最大72時間の許可申請をしており、海上で日本側から乗船してくる入管職員が
確認する簡単な入国手続きをしてから観光目的で葉山マリーナへ入港して着岸後
に対面式入国審査を実施するが顔写真撮影を省略する申請が認められていた。
その後燃料補給する予定となっている。
これが一番発見されにくい作戦だった。
日本側の船舶は館山から出航した漁船が数隻で漁業を営む作業を演出して回収す
る手筈となっていた。
漁船の船底は分割されており、最後部の生け簀の奥の壁をよじ登ることでその下
にある空洞に忍び込み蓋をしてロックすれば臨検にあっても水槽の下に空洞があ
るとは見えない構造となっていた。
漁船は館山に帰って来ると合羽を着て漁師に変装した女達をワゴン車に乗せ、横
浜へ移動した。館山自動車道に入り、東京湾アクアラインを抜け、湾岸線から横
浜に入り黒金町に到着した。女達の住まいは線路下の居酒屋だった。
「おい、ちゃんと働いてくれよ。金がかかっているんだからな。それから昼間は
店のドアに鍵をかけておけ。ここでは絶対に寝るな、寮に必ず帰るんだぞ、いい
な。捕まったら強制送還だからな」船戸が通訳の女と竹山和彦を同伴して待ち構
えていたのだった。
「俺が竹山だ、宜しくな。チョコレートは寮にいて仕事をよくこなしたものにあ
げるから頑張るんだぞ。いいな」女達は「約束は守るよここに来た女達は皆ティ
ファナで大きなホテル・ボスになっているから絶対に守るよ。OKね」といって
笑って握手していた。
「船戸さん、洋さんに会わせて下さいよ。お願いします」竹山は深々と船戸にお
辞儀した。船戸は見下した態度で「お前なあ、大きな仕事をしないとサカズキは
貰えないんだ。売人くらい誰でもいいんだ。幹部になりたかったらそれなりに組
に貢献しないと駄目なんだな」
「そんなことは分っていますよ。じゃあ、どうすればサカズキが貰えるんですか
?」
「組を支える仕事をするんだな。でっかい金を自分で献上するとか、まあ、ヤク
は組の金で仕入れているから誰でも良いというこっちゃ。お前はただの売人じゃ。
自分で何か凌ぎを組みに持ってくることが一番じゃ。シマを広げたりな。自分だ
けでだ。組の代紋をつかわずにだ!」
「はあ・・・・・」竹山は考え込んだ。船戸の思惑を知らず、ただ言われたこと
をこなし、幹部になる道を進んでいるのだった。
女達は日本で金を稼ぐために自分達の意志で密入国してきたのだ。強制されて来
ている訳ではない。帰るためには渡航費用と帰国後の開業資金が欲しくて僅かな
金とヤクがもらえれば喜んで働く。
中村は契約期間が過ぎれば必ず帰国させ本国で女達に現金を支給した。
ガストンはそういう中村を信頼して付き合っているのだ。
船戸の命により竹山は元締めとしてヤクを管理し、女達のいる居酒屋から歩いて
2分の日之出町にある水路沿いの長屋に住んでいた。船戸の雑用をこなしている
だけで数人の人間をコントロールできるためこの一帯の許締め気分に浸っている
し、取り巻きの少年達も竹山を剣崎の黒金町の元締めとしてみているのだった。
安藤佳文は鶴見に住んでいた。
鶴見駅西には日本で始めて立てられたマンションがあった。
一人住まいを始めるときそのマンションを建てた沖縄出身経営者のサクセススト
ーリーに感銘を受けて近くに住もうと決めたのだった。
その南側の道路を登っていくと古いトタン屋根の2階建てアパートがある。
そこの1階101は安藤の借りている部屋だった。
横浜では大手の電気部品工場の作業員として夜勤勤務をしていた。
安藤は中卒で就職も出来ないでいた。
新聞広告や雑誌を見てやっと就職できた工場だった。
高校を中退してから中卒で入社して安い月給でラインの組み立てをしているのだ
が、昇給したり、製造ラインの班長として出世するためには400人以上の社員
を抜いていかなければ達成できない。
ただ、毎日同じ部品を半田付けする作業では糸口を見つけることが全く出来ない
でいた。
「安藤君、ご苦労さん。今日は3時間くらい残業頼めないかなあ。君は真面目だ
し、作業も綺麗だから君のラインからはやり直しが出ていないので評判がいいん
だな」
「いや、やり直しといわれると嫌だからそうならないようにしているだけです。
用事があるので残業はちょっと」
「そうか。仕方ないなあ、当てにしていたんだがなあ。18歳になったらと、班
長になれば正社員にも推薦するよ。給料も19万の基本給になるしさ。保険も半
分会社が持つんだよ」
「また、考えます。今日はちょっと」
「そうか、分った。また頼むよ」班長は安藤の身なりやバイクを見ても批判しな
いで年齢が解決すると思いながら勤務態度を見て班長の職を安藤にしようかと考
えていた。
夜勤が終わると午前8時だった。
毎日単純作業をしている仕事とは違い、自分の頭で考えて行動してともすれば高
値で売りつけて儲けることもできる。麻薬捜査官の監視をすり抜け、大金を掴む
ことができるスリルがたまらなかった。
工場での着替えが終わると単車で黒金町に向かい、水路の東側にあるホテル街の
駐輪場に単車を止めて道路をゆっくり歩きながらたまには足を止めてタバコを吸
い、後方を振り返りながら最短距離を選択せず麻薬捜査官の餌食にならぬよう気
を配りながら竹山の部屋に向かうのだ。
そしてヤクを受け取り、「茅ヶ崎」に向かうのが日課だった。
「お早うございます」
竹山は寝ていた。
「あ∼。おう、安藤か」
「はあ、どうでした?船戸さんは?」
「ああ、相変わらず、大きな仕事をしろと言ってるさ、やるしかないな。」
「そうですか。で、今日は?」
「お前に1キロ渡すから捌いてくれ」
「え∼∼、1キロですか?」
「おお、5000万分だ」
「凄い量だな」
「おお、一箇所には保管するなよ。分散しろ。5000万以上で売れば認められ
るからな。経費は5000万以上で売れた分から使えという事だ。グラム6万で
売れば1000万使えるが、半分は船戸さんに渡すつもりだ。車も買えるぞ、ベ
ンツがいいな」
「おお、グラム7万で売って新車を買って船戸さんに乗ってもらおうぜ」
「おお、それがいいかもな」安藤は今まで見たことも触ったこともない大金が直
ぐに手に入るという興奮に酔いしれていた。
安藤は「茅ヶ崎」に走った。腹には1キロのコカインが晒しに巻いてあった。
リンリンリンリン「茅ヶ崎」の電話が鳴った。
「はい茅ヶ崎」ママが出た。
「伊藤、あんたに電話だよ」
「おお、安藤。・・おお、分った。コンビ二な!」伊藤は受け渡し場所に向かっ
た。
伊藤は「茅ヶ崎」を出るときにメンバーに連絡していた。
茅ヶ崎のママを始め、客と老人会のメンバーその友人達、女の友人紹介者を客と
して大量に捌くためだった。
メンバー70人は元愚連隊メンバーと竹山率いる殺陣鬼の構成員が開拓したコカ
イン常習者を温存していた。
すべての客を合わせると300人に拡大していた。
竹山は常習者の大量摂取による死亡事故での検挙を恐れ、1グラムパックでの受
け渡しの際、0.3グラム以上の摂取を禁じていた。受け渡し前には必ず0.3
グラムに小分けして一度に0.3グラム以上の摂取をしないように言い渡した。
安藤は販売する客達の年齢が65歳を過ぎたものが多いために特に注意して注射
器での摂取を教えないように指示して極力死者を出さぬように構成員へ伝えたの
だった。
茅ヶ崎西久保のコンビ二店長は常習者だった。
コンビ二の客を装い、訪れる竹山、安藤の構成員たちは自分の客から金を受け取
り、順にコンビ二を訪れた。
受け渡し場所は毎回安藤が指定することになっている。
70人の構成員は1キロのコカインを一日で販売した。
コンビ二の店内にある冷蔵庫の飲み物の裏側では現金を輪ゴムで止める作業が安
藤の手によって行われていた。
事務所の固定電話で竹山に連絡すると竹山は「嘘だろ、全部一日で売れたのか?
凄いじゃねえか、船戸さんに連絡するぜ。直ぐに帰って来い、いいな」やったぜ
と喜んだ。
店長にマージンを渡して大金をカバンに詰めてタクシーを呼んだ。
安藤は7000万の現金を手にして興奮し、暫くは恐ろしくもあり、普段どおり
に動けなかったが、自分の棲む世界が大きく変貌する期待と興奮でどうにもなら
ない心臓の鼓動を味わっていた。
タクシーを降り、竹山の自宅に入ると竹山も同じように興奮していた。
船戸から貰い受けた携帯電話で連絡すると船戸は追加のブツ2キロを渡すといっ
て電話を切った。
竹山は900万を残して6000万を渡すことにした。
竹山は500万を手にして安藤は400万を受け取った。
安藤と竹山は初めて手にした大金を何度も数えて興奮していた。
電話が鳴り、竹山と安藤はタクシーで船戸の指定した横浜のホテルに向かった。
中華街の北側のホテルは一階が有名な中華レストランだった。予約された部屋に
入ると船戸が笑って出迎えた。
「おお、竹山、よくやったなあ、おまえは?」船戸は安藤と始めて会うのだった。
「こいつが安藤です。俺の一番の舎弟です。宜しくお願いします。こいつが今回
全部捌きましたんで」船戸は安藤に歩み寄り、肩を叩きながら「おう、これから
も頼むぞ」と顔を覗き込んで笑った。
「おお、6000万かようやったな」
「はい、ベンツでも買ってもらえるかなあと思いまして」
「おお、車はもうあるからな。ホレ、お前らも小遣い欲しいだろ」と200万を
竹山に渡そうとした。竹山は船戸に対して両手の平を見せて下を向きながら「い
や、爺さんを脅して小遣いはありますからいらねえです」と金を受け取ることを
断った。船戸は思わず口をあけて「ほう、お前、なかなか見所があるな、そうか
、では今度の2キロを上手く捌いたら洋さんにサカズキをもらえるように頼んで
みるからシッカリやれ。いいな」といって船戸は現金をカバンに入れながら竹山
を横目で見ていた。
かばん持ちの男はじっと竹山たちを見ていた。
竹山が「安藤もお願いします。なあ、安藤。お前も頼め」と安藤の背中を押して
船戸に仲間として認めるように願いでていた。
安藤は「お願いします」と両手を足につけてお辞儀した。
船戸は安藤に「おい、組に入るっていう事は命を預けるという事だぞ」と値踏み
するような眼で睨みながら伝えていた。
安藤は「何でもやります。これからは船戸さんについていくと決めたんです」と
地雷を踏みつけた感覚が背中を走り、無意識に震えながらも答えていた。
船戸は「そうか、しっかりやって来い、いいか、今日は一応、洋さんに今回の事
を伝えておくからな。それと今度の2キロは1億3000万でいいからな。好き
にやれ」といって10万円を竹山に手渡して「メシでも食え」といって部屋を出
て行った。
かばん持ちは思いカバンを背中へ抱えあげて後に続いた。
緊張が解かれほっとした竹山は「あ∼、たまらんなあ、金を稼ぐと世界が変わる
な、おい、1億3000万でいいという事はそれ以上の金は自由に出来るという
事だろう。なあ、やったぜ、上手くやろうぜ、な、安藤。く∼。やった、やった。
この世は金だ」とベッドに飛んで背中から落ちて喜んだ。
「おお、そうだな、カネだ、カネ。売り子もそうやって稼がせればいいじゃない
か」と安藤もリラックスしてきた。
「おう、あいつらにもそう伝えようぜ。分け前も渡そうぜ。それで、もっと働く
だろう」
「おお、それがいい、金が入るとなれば奴らは、もっと沢山売ってくるだろうし
、誰でもカネだ、カネで動くんだ。これからも上手いことやろうぜ。楽しみが増
えるぞなあ。たまらんぜ」
竹山と安藤は目の前の景色がどこか違って見えてきたことに興奮していた。
竹山は安藤にお前、ヤクはやったことがあるのかを尋ねた。安藤はないと答えた。
「なに、お前やったこともねえの?ははは。笑えるぜ、俺は一回だけあるぞ、で
もよう、あわなくてよう、かっこ悪いけど気持ち悪くなって死にそうになってさ
、それからは一度もやってないんだ」
「そうか、お前、やってないんだ」
「そうだ、そのときによう、みんなには言うなよ、笑える話なんだけど、鼻から
吸い込んでみたけど全然効いてこないんで2度目を吸い込んだんだそれで5分経
っても全然効かなかったんで飲み屋でウイスキーをストレートで飲んだらさ、酔
いが回ってきてさ飲み屋の天井の角からよう、飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔
から作られる人形、お前知ってるか?「さるぼぼ」がさ、100匹以上俺に向か
って飛びついてくるんだなあ、さるぼぼなんて見たことがなかったんだが、週刊
誌の岐阜旅行特集で人気のお土産「さるぼぼ」ってその人形を見たときには驚い
たねえ!それがはじめての幻覚だったんだ。予知夢だろ。こんなものやる奴の気
が知れないんだけど売れりゃあ良いんだ。ははは。お前、経験だ、一回だけやれ
、でもジャンキーには成るな」といって小分けした袋の粉を出した。安藤は恐る
恐る受け取り袋を開けた。
「おい、別にやらなくてもいいんだぞ。バカかお前」という竹山の言葉には反応
したが、安藤はどんなものかと右手の人差し指を舐めて濡らし、袋に差し入れる
と鼻の穴に差し入れて吸い込んだ。
通常一番効果があるのは注射と喫煙による摂取だった。
常習者は注射か吸引で摂取し、極上の幸福感、いわゆる多幸感が支配する感覚で
はじまり、そして全能感や誇大観が台頭して何事にも負けない自信が漲る興奮状
態を求めるのだった。
vコカイン粉末を経鼻吸引する方法では効き目は薄かった。安藤は竹山の言うと
おり、5分が経過しても効果が現れなかった。そこでまた指を舐めて粉をつけて
鼻の穴に差し入れた。まだ効き目がない。またやろうとすると「おい、ちょっと
待て、やばいから」と竹山が安藤の腕を掴んで三度目を阻止していた。しかし安
藤は暫くすると無意識に指を舐めていた。竹山が安藤を観察していると安藤の脳
天が小刻みにリズムを打っていた。
竹山には「あ、効いてきたんだな」と分った。
心臓の鼓動のリズムに乗って反応していたのだった。
「おい、安藤!」と竹山が声をかけると安藤は「おお!」といって右手で拳を握
り、「何だ」と答えた。安藤は知らぬうちに興奮していたのだった。
「おい、竹山、女を呼んでくれ、俺、やりたくなった。この部屋使っていいんだ
ろ、金もあるし、このままでは我慢できねえ」竹山は「お前、やばいよ、バカか
?即効、効いたのか?やべえ、やべえ、今日限りで絶対やるなよ。おまえは確実
にジャンキー一直線野郎になりそうだ」といわれても今、それしか考えられない
安藤にはそんなことはもうどうでも良かった。とにかく一度そういう思いが頭に
浮かぶとそうしなければ収まりが付かないのだ。
「おお、分った、今日だけだ。絶対にそうするから、早くホテトル譲を呼んでく
れ」竹山は笑いながら「分った、分った」といって仲間に電話していた。
「おう、良い女一人回してくれ、ホテルは中華街のXOだ、いいな、直ぐだぞ」
「竹山、おれ、幻覚はないけどこれ、指先まで血が流れている感覚が分るし元気
になるな」竹山が見た安藤は顎を突き出し、見開いた眼は竹山の動作する体の部
品へサッと移動しては刺す様に観察する。大きく開き閉じることのない眼球が体
を流れる血のリズムを打っていた。
何が幻覚はないだ、それがそうだろと思いながら「おまえ、絶対やばいよ」と竹
山は無意識にリズムを打ちながら話を続ける安藤を見ながら心配していた。
「おお、研ぎ澄まされた五感というのがこれだと実感できたぞ」
「おまえ、本当に初めてか?」
「スマン。コンビ二で少し吸った」
「バカやろう、おまえ、アホか!いい加減にしろ」竹山は安藤の頭を引っぱたい
た。
コンコン ドアを叩く音がした。
「おお、入れ」竹山が向かってドアを開けると派手な女が立っていた。
「おお、ケイコか?」
「そうだけど」
「そうか、じゃ、入れ」
女はハンドバックを抱えて入室するとソファーに座っている安藤に目をやった。
「え∼2人は嫌だよ」
「アホ、違う、俺は出るからこいつとやってくれ」
「は∼い。6万ね」
安藤は金を渡した。
「あんた達、薬やってんの?そうでしょ?」
「おお、少しな」
「私も頂戴よ」
「おお、7万だ」
「じゃあ、チャラでいいじゃん」
「竹山どうする?」
「しらん、勝手にやれ!俺はもう行くぞ」
「よし、じゃあ商談成立じゃん」
女は金を安藤に返すと右手を差し出した。
「あほ、今から盛り上がろうよ」安藤は女に袋を渡すと女は慣れた手つきでテー
ブルあったメモ用紙を剥がすとその上に粉を乗せてシュッと鼻から吸い込んだ。
「お前、慣れてるな」と言う間に女は洋服を脱ぎ始めていた。
「あんた、風呂入れなさいよ」
「あ、おお」安藤は慌ててバスルームに駆け込んだ。
バスタブの栓をして部屋に戻ると女は2度目の吸引をしていた。
フッ!「はあ∼∼っ!」吸引した女は「あんた、ちょっと、これ、引っ張って」
とソファーにだらりと座り、足を投げ出してストッキングを引っ張れと両足を床
からあげて見せていた。
「あ∼∼、自分でやれ」
「あっそう」女はゆっくり足を下ろすとタバコに火をつけた。あ∼、かったるい
女だ。女っぽく出来ねえのか、色気が全くないじゃねえかよ。
「くそっ!」といってシャツをソファーに投げた。
咥えタバコでストッキングを脱いでいる女を見ていた安藤はふと興奮状態が覚め
たかのような波が胸から湧き上がるとその波は心臓が送り出している事に気づい
ていた。
「ドキドキしなくなったな?」感覚は心臓の一点に集中していた。
ドクドクという音は胸から両手を伝って指の先へ進み、そこから逆流して首を駆
け上がりズキズキと米神を昇っていくと眼球の裏側でズンズンと鼓動した。
眼球の裏側で衝突した流れは行き場を失い頭痛を引き起こしてきた。
「あ∼」切れかけた効果は思考回路を破壊し絶望を呼び戻したあとかるい幻覚が
恐怖に陥れる。
「あ∼」ふと我に帰ると首筋にしこりを感じ、ぐったりした。
「くそっ!なんだ、これは?あ∼かったるい」焦燥感に捕らわれてとてつもなく
苛々した。
「あ∼∼おい、お前、早く裸になれ」
「あ∼、うるさいわね。あんた、なによ」
「うるさい。言うとおりにしろ。女らしく色気くらい見せてみたらどうなんだ」
「なに、注文多いわね。いいわよ。見てなさい」といって女は下着姿になった。
「おお、いいじゃないか」
脳が執拗に粉を要求して再度袋から先ほどよりも多目の粉を指を舐めて着けると
鼻の穴に塗りこんだ。
ツッ!
「あ∼∼」
「おお、いいじゃないか。あ∼」
この部屋での最初の吸引から30分が経過していた。女がその姿を咥えタバコを
して下着姿で見ていた。
「なんだ、だっせ∼の。あんた素人か?」
「バカやろう、これが一番効くんだ」
「は∼ん。まあ、いいや、風呂行こうぜ。ラララ、ラン!」女はくるくる回りな
がら動いていた。
突如微電流が突き抜けた
あっっ・安藤は眼底と脊髄の中にいた。
女は薬犯された回路で恍惚に浸ると安藤にゆっくりと覆いかぶさるように抱きつ
いてきていた。
そのままバスルームへと誘われ進むと円形のジャグジーバスはバブル球が山のよ
うに浮遊してバスタブの底から噴出すバブルはブルーにオレンジに変色して動い
ていた。湯船の中で温まった体が交換する欲求はしだいに触覚と血のドクドクと
いうリズムを脳で増幅して下半身で受け取り続けるようになる。さらに相手の下
半身へと脳が移乗して受け取る。他人の鼓動は変則リズムに支配された幻想の世
界だった。どれだけ支配されていたのかは時おり脳と体が分離するので分らなく
なる。
「お前、名前は?」
「ケイコ、K子だよ。じゃ、またネ」
「送ろうか?」
「結構です。じゃね∼∼」
バタンとドアが閉まると急に落ち込んだ。
安藤は妙に疲れていた。
アパートに帰り、また風呂に入った。
粉を吸いたくなる衝動に駆られたがタバコと酒で何とか我慢した。
「あ∼頭が痛い」またパンツを脱ぎ、風呂に入る。
風呂を出るとソファーに座りながらタオルで頭を拭う。
また風呂に入る。
何やってんだおれ?とまた立ち上がる。
くそ、吸いてえ。ん∼∼我慢だ。我慢!
数時間前の精神浮遊を思い浮かべるとついつい、粉の袋に手が伸びるがテーブル
の上に置き、我慢する。
酒で我慢しようと何時間ウイスキーを飲んでいたのかは記憶にない。
袋を見て我慢するとき唾液がどんどん口の中にたまって気を抜くとテーブルに落
ちた。
「あっ!」っと気がつき、雑巾でテーブルの涎を拭き取った。
「あ∼きたねえ、ボケたじいさんみたいだ。」
「あ∼やめよう、やめよう」
夢の中から目が覚めると昼だった。
ふと目をやるとチャブ台の「だるま」は空になっていた。
テーブルには空けないで我慢した袋が存在感を誇示していた。
おお、我慢できてよかった。と感激した。
あ、と、昨日の出来事が夢のような気がして慌ててショルダーバックを探した。
どこだ、どこだ。おお、あった、あった。400万だ。よかった。夢ではなくて
よかった。金がちゃんと入っているか確かめると安堵した。
ふと無意識に浸っていると工場を無断欠勤してしまった罪悪感が襲ってきた。
どうしよう、ドラッグに手を出し、売人として手を染めた。
我慢できた達成感が台頭し、コカインが効いているとは思えなかったが、生まれ
てはじめて一日で400万を稼いだことで自信が沸き、気を大きくした。
よし、もう工場はいかない。立ちっぱなしで働いて一ヶ月15万残業しても20
万くらいじゃばかばかしくてやっとれん。
も∼う辞めだ、辞めだ。
ヤクと売り子さえいれば何億もの金が数日で出来ると思うとばかばかしくなって
「辞めだ」ともう一人の自分が囁いていた。酒、女、車、何でも来い。この野郎。
おれは竹山と組んで一日で400万稼ぐ男なんだと、こうなれば剣崎に入って大
金を稼ぐぞ、そう決めていた。
竹山は数日前に入店してきた女達10人に10万を輪ゴムで止めて一人ひとりに
「もっと頑張れ」といいながら、気前よく0.3gの袋も渡し、虎視眈々とヤク
も買ってくれよと願っていた。
女たちは「あなた、いいひと。やさしいね」といって竹山を気に入った様子だっ
た。
竹山はこれで大金を掴む下準備が整ったと満足していた。
藤堂の自宅に裁判所から銀行が起こした民事訴訟の呼び出し通知が来ていた。
藤堂は会社宛に届いた書類を持って帰宅し、その書面が送られてきた経緯につい
て妻律子に事業の行き詰まりからのすべてを打ち明けていた。
「すまん。失敗して自宅を売り払う羽目になりそうだ」
「何があったの?」
「騙されてすでに1億円の借金があるんだ。何とか数ヶ月間金利だけで待ってい
てはもらえていたんだが。銀行が貸し渋りと剥がしにはいりそうなんだ」
「そう、最近元気がないからどうしたのかなあって思っていましたけど、仕方が
無いでしょう。私ではどうにも出来ませんし、私はあなたの失敗を咎めはしませ
んわ。会社が残せるならいいじゃないですか?」
「そうか。自宅を売ってアパート住まいでもいいのか?」
「はい、平気ですよ。頑張っているのはあなたですから。いいから、あなたは
そんなことは心配しないで、でも龍也の学校だけは行かせてあげてくださいね。
大丈夫。龍一には私が話しておきますから気にしないで仕事頑張ってね」律子は
何か心配事があるのだろうと毎日藤堂の様子を見ていたのだった。藤堂は冷静に
返答をする律子を見て少し安堵した。
「ああ、少しローンは残るが、会社が何とか残せればこれまでと同じように出来
るから大丈夫だ」
「いいわ、私もパートにでますよ。心配しませんから頑張っていきましょうね」
「お前が、パートには出なくても大丈夫だ。すまん」
藤堂は自宅を売却することを決めたのだった。
茅ヶ崎の伊藤と白井は腐っていた。
「おい、白井、竹山と安藤はでかい面してむかつくだろ。あいつらおれ達のリー
ダーだと思っていやがる」
「ああ、そうだ。それはむかつく。大竹がいなくなるとあいつら大きい顔しやが
ってよう。だけど大竹より剣崎とは深く付き合っているから逆らうと恐ろしいし
な。ヤクも売ってしまったし、おれ達は完全にあいつらの売人だ。もう抜けられ
ないなら組に入るしかないぞ。なあ」
「おお、もう駄目だぞ、抜けるときは指がなくなるだけでは済みそうもないし、
しかし、ヤクって奴は稼げるからな。そうなるしかない気もする」
「おお、まあ、金回りが良くなったのはいいけどな。なあ、金子、お前もそう思
うだろ」
「ああ、俺の女達は皆、前よりも働いて稼ぐし、薬で俺も儲かるからな。女が売
ってくれる分、お前達より稼げるから幹部になるのが早そうだしよ。儲けた金で
商売が出来るまではやると決めたんだ俺はよう。な、ママ」
「ほんと、私も組員になりたいくらいだよ。ここの客はほぼ100パーセント客
になったしね。店の名前も「ムジナ」に変えたいくらいだよ」
「わはは。ほんとだ。でもサツには気をつけろよ」
「当たり前だろ。基本だよ。基本。私は大丈夫、用心深いからねえ。今度の配給
は何時だろうねえ。皆がほしがってさ。困ってるよ。私も若返って大変だよ」
「げ、ほんとかよ。参るね。おお、いいねえ、でもよう、ここでは渡すなよ。サ
ツが来たら大変だ」
「当たり前だろ。爺さん婆さんには宅配給食のときに渡すんだよ。私が渡してい
ることはみんな知らないからね。大丈夫さ」
「おお、そいつも売人になったのか?」
「当たり前だろ」
「おお、やるねえ。ママも」
「茅ヶ崎」のメニューはターゲットによってサービスされていた。ママはコーラ
の初期成分を知っていた親から聞かされていたことを自分の店で実践してみたの
だった。
「そうか。コカイン・コーラの話ね。なんか昔聞いた新橋の屋台のラーメン屋み
たいな話だな」
「おれ達には入れるなよ」
「当たり前だろ。それは勿体無いしね」
「そうか。ははは」
渡辺興業の渡辺は新宿一帯と渋谷を仕切っていた。今回の受け渡しで大きな損害
を出していたために取引する価格を引き上げて渡していた。
「よう、井尾さん。グラム8万は高いですよ」
「仕方ないだろう。でも純度は少し上がっているから勘弁しろ。次の荷物までは
これで行ってくれ。何とかするからよう」渡辺の売り子達は大幅な値上げに不満
をぶつけていたが、外国人たちが売りさばく代物とは純度が違っていた。渋谷新
宿での商売には欠かせないアイテムだった。
剣崎は新日本貿易の中村と会っていた。
築地の「たむろ」は常連だった。
「どうも。久し振りですなあ」
「おう、中村、忙しく儲かっていいなあ」
「何をおっしゃいます。会長。これからは安定事業で本物の実業家に転身ですが
ね。羨ましい仕事が出来ていいですなあ」
「おお、まあ、永沢のおかげでね。仕方なく頭を下げた結果だわ」
「はあ、よくやりました。頭が下がります。ところで会長、その新しい提案です
が、ガストンの船を改造して太平洋上で手術できるようにしようとあいつに相談
したらOKといっていますが、どうします?」
「はあ?臓器の仕事をか?」
「はい、勝手に考えて先日メキシコに行ったときに相談したらあいつの仕事でも
あるようでしてね。医者もメキシコに腕のいいのがいるそうで上手く行きそうで
すがどうします?」
「おお、いいじゃないか、面白そうだな。海の上でやっちまうのか?」
「はあ、旅行に出て、港に着いたらそのまま元気にグッドバイですわ」
「おお、それもいいね。しかし、個人の船ではやばいんじゃないのか?」
「いや、いや、あいつもバカじゃありませんぜ、あいつの船はメキシコで旅客船
登録してますんで大丈夫。ですよ。抜かりないでしょう」
「おお、それはいいじゃないか。しかし毎回同じ客ではばれないかね?」
「そんなことは心配ご無用ですわ」
「そんなら、一回トライアルしてみるか?」
「はいはい。そうこなくっちゃ。ははは」
「わかった。新しいメンバーでやらせてみようじゃないか」
「はい。じゃ、メキシコの患者とこっちの患者のデータを交換しましょう」
「おお、じゃあ、頼むよ。それとうちの小僧が出てきたんでよろしく頼むぞ。暴
走は止めてくれ。特に問題は曰くつきの品川だな」
「分っていますよ。渡辺ですね。すでに洋さんとコンタクトしてセーブさせてい
ますから大丈夫ですよ。大抵は船戸にやらせるようにしていますので大丈夫です
」
「その船戸が心配なんだ、何かあってからでは遅いからな」
「わかっています。身代わりも大勢できておりますから。心配ないですって」
「そうか、何かあればお前の命はないと思えよ」
「はい。わかっていますよ」
剣崎の心配は息子洋の暴走だった。
剣崎はヤクザ社会の将来を見越して商売の転換を真剣に考えていたが、設備投資
にかかる資金が当面不足しているためにやばい仕事に手を出して地盤を固めるし
か手がなかったのだった。
手先として付き合いの長い中村は渡辺の情報を開示せず剣崎と付き合っているの
だが、中村も同様に将来を危惧して新たにメキシコを臓器売買の新ルートとして
開拓したのだった。
藤堂は裁判の準備をしていた。
弁護士は誰に依頼しても証拠がないので負ける覚悟を決めて、示談に持ち込むと
いうものだった。借金とはそういうものだった。
証拠書類が全くないために中村を理由に逃れることは出来ないのだった。
結局結審までに全額を用意するだけの時間が出来たことが不幸中の幸いだった。
弁護士が代理人となったことでカード会社や銀行関係者からの追求が来なくなっ
て時間が出来た。
しかし何処に相談しても借金を返済するだけの資本家にめぐり合うという事は出
来ないでいた。
龍一はそんな家庭の事情を母律子から説明を受けたが一言「そう。仕方ないね」
といって自宅から少しづつ荷物を運び出しては養護施設「ひまわり」の屋根裏部
屋へ運んだのだった。
施設の林田は毎日のように子供達を世話して泊まっている龍一を何も聴くことな
く普通に受け入れて住まわせたが、龍一は母親が訪れ、林田に挨拶をしていると
きも顔を出さず、普段どおり子供達と遊んでいるのだった。
「あら、おば様こんにちは。どうしたの?めずらしいですねえ」外を竹箒で掃除
していた京子が事務所にいる律子を見つけて駆けつけた。
「ああ、京子ちゃん久し振りねえ、お元気?」龍一が心配で様子を見に来たのだ
った。
「はい、何とかやってますよ。先日はおじ様がクラブにお客さんとゴルフにいら
して、私がキャディーで付いたんですよ」
「あら、まあ、あの人、京子ちゃんで喜んだでしょう」
京子はそのときの様子を律子に説明して「元気がなかったんですよ。おじさん大
丈夫ですかねえ」
「そうだったの?実は龍一がここに荷物を持ってきたのもそのことが一因で家を
売ることになりそうですので、・・あの子、元々父親とはそりが合わないみたい
で出て行ってしまったんですよ」
「え∼∼」と京子は驚いてゴルフ場での銀行マンの話していた内容を律子に説明
して、「そのときおじ様に直ぐに話せばよかったわ」といった。
律子は「でもそのときはすでに融資は駄目と決まっていたんでしょうね」といっ
てしょんぼりしながら「龍一が心配だから宜しくね」と京子を見てお辞儀した。
その姿が悲しそうで同情した林田は「うちはなんとか寄付金が増えて来ています
のでご主人には頑張ってくださいと、何か協力できることがあれば何でも言って
ください」と律子の肩を掴んで元気付けようとしていた。
重い雰囲気の中で「はい、私もパートに出て気晴らしをしながら支えていこうと
思っていますの」と律子が笑った。
律子の目の前で竹箒を片手に立ちながら話を聞いていた京子は「私も協力します
からね。おば様」といって律子の手を取った。
律子は震えながら笑って京子を見ながらお辞儀していた。
「あ、そういえば鎌倉のスーパーがレジ係を募集していましたよ」京子がスーパ
ーの張り紙を見ていたことを思い出していった。
律子は「あら、そう、明日にでも窺ってみようかしら、早いほうが気が楽になり
そうですからね」
「そうですよ、おば様は品があるから人気の社員になりそうだから直ぐに入店で
きそうですよ」
「こうなったら恥も何も無いですから頑張りますよ、私も」といって律子の顔が
赤くなりいつもの明るさを取り戻したのではないかと京子は感じていた。
海賊島は変わらず順調に進んでいた。
横山は生活ぎりぎりで凌いでいたが、近い将来の計画があり、苦境にめげず、頑
張っていた。
「はい、いらっしゃいませ∼四名さま入店で∼す」
「はい、じゃんけん、ぽん」
「あ∼、まけた∼。サービス券です。有難うございます」
「いらっしゃいませ∼」と威勢のよい掛け声が何度も響き客たちの笑い声が響き
渡っていた。
「おい、相変わらず客が入っているなあ」
「そんなに前から知っているの?」
「ああ、オープンから知っているさ」
「ああ、ここの連中ともめて大喧嘩して病院で団体土下座して謝ったからな。忘
れるものか。バカ野郎」
「ふ∼ん、あんた達が謝ることがあるんだ」
「ねえ、おかしいでしょ、芝居じゃないの?」
伊藤と白井は則弥たちのその後を偵察していた。
ヤクの販売網を広げていくことも含めて三浦海岸まで度々足を広げていた。連れ
立った女達にはコカインや大麻を売りつけて売春もさせる女達は常習する覚せい
剤で犯された思考回路で善悪の区別がつかない状態までになっていた。
「当たり前だ、俺はまだここの永沢が気にくわねえ。大竹という前の総長に言わ
れて仕方なくやったんだ。バカやろう土下座だぞ」
「はあ?それもあんた、今更、情けないわ」
「なんだと∼、おまえもう一回言ってみろ」
「おい、もうやめろ、大人しくしておけ、あいつらに会ったら仲良くしている振
りしていろよ。このあたりも少しづつヤクの客を増やせるようにしてからだ。カ
ネにならねえ事はやらねえんだろ」
「ああ、そうだったな。でもよ、白井、あいつ等おれ達の顔を何度も見てるけど
気付いていないよな。そうだろ?」
「ああ、暫く顔を出していないからな。そのほうが都合がいいじゃん」
「ああ、そうだな。じゃ、もう一杯飲んだら帰るか?偵察に来ただけだからな」
「そうしよう」
「お前は気にくわねえことを言ったからここから勝手に帰れよ。もう二度と俺の
前に顔を出すな」伊藤は女に腹を立てていた。
「なに?いいよ、じゃあ、ここでこいつはヤクの売人です。と大声で叫ぶよ」
「なに?」といって伊藤は女を平手打ちした。
バッシ!
「あ∼∼」女が大声を上あげようとすると伊藤は右手で女の口を塞ぎ「分った、
分ったから大声はやめろ」といって女の目を見た。女はうんうんと頭を動かして
返事していた。
「伊藤、ここではやめろって、頼むから」
「ああ、おまえ、いいか、これからおれ達のいう事が聞けないなら海に沈めるぞ。
舐めたこといいやがるとどうなるか今から教えてやるがどうする?」と伊藤が女
の首を鷲掴みにして持ち上げた。
女は伊藤の眼光から真剣な殺気を感じ取り、無言で再度頭を縦に振っていた。
伊藤の切れた顔つきを見ているとこの場で問題を起こしそうで落ち着かなくなっ
てきていた。
警察を呼ばれるような事態になってはと「会計∼お願いします」と白井が店員を
呼んで店を出ることにしたのだった。
白井が会計を済ますと店外の車に向かった。白井が見ると伊藤は建物の周りを舐
めるように見ていた。車の真横に到着すると伊藤は女二人に白い粉を渡して吸引
させると力いっぱい殴り尻を蹴って車に乗せると「走り出せ」と白井に命令して
いた。
女たちは「あ∼全然痛くも痒くもないね。快感だよ∼」といって飛んでいる。
三浦海岸から油壺公園に向かい、公園の駐車場に到着すると伊藤は女を降ろせと
命令した。
伊藤はトランクから出したゴム手袋をして女たちに袋と皿を手に取らせて「どう
だ?」と聴くと女は「もっと頂戴。いいわあ」と伊藤の肩を揺らしていた。白井
は女達を車から降ろすと袋に小分けした少量のヤクを二人に渡した。女達はベン
チに座り、袋を開いて鼻から吸引していた。
伊藤はゆっくりと街路灯の光から遠ざかって近づくと「どうだ、食ったか?痛み
は取れたか?」といって女達の頭髪を鷲掴みにして空に向かわせると焦点の定ま
らない顔をみて「クソめが」と悪態をついていた。
「本当は全然痛くなかったんだよ∼。ねえ∼∼」
「私達は飛んでるからね∼」
「ちょっと煙草でも吸ってまっとれ、いま、極上品を食わしてやるからな」とい
う伊藤は小分けする前の袋をトランクから取り出して白い粉を皿の上に取り出し
ていた。
女たちは抱き合いながら薄暗い外灯の下で抱き合いダンスを始めた。
振り向いた伊藤は「クソッたれ女が。死にやがれ!」と云って作業していた。
直ぐに切れる伊藤は女にバカにされて頭に血が昇り納まりがつかない怒りに圧倒
されていた。
車の中では金属皿に粉を大量に取り出してライターで下から炙り溶かしていた。
「ちょっとこい」といわれて「これ」といって合図をされた白井が車に戻るとコ
ンソールボックスから注射器を2本取り出してそれぞれに皿から液体を吸引した。
白井が注射器の胴に触れて「おお、熱くない。人肌だ」といって外に出た。
車を出た伊藤が「おおい、出来たぞ。食うか?」と注射器を見せると女達が振り
向きざま「あ∼、頂戴。頂戴」といって伊藤から注射器を奪い取ると互いに肘を
左手親指で押さえあって注射していた。
「あ∼∼」
「おい、行くぞ」
伊藤と白井が女達を振り向いて見ると二人は抱き合いながらベンチに寝て震えて
いた。
注射したところを確認してから二人のバックを後部座席から持ち出して金属皿と
袋をベンチに残して車に乗るとその場を立ち去った。
「あいつら直ぐに大きな痙攣をしなかったけど大丈夫かな?」
「ああ、あれだけの量だ普通死んでしまうだろう」
女達はベンチで横になり暫くは星空を見上げて大人しくしていたのだが一人が立
ち上がるともう一人が攣られるように追いかけてベンチから立ち上がり突然何か
に呼ばれているかのように何かを話しながら二手に分かれて「このやろう∼∼。
誰だ、お前、死にやがれ。寄るな、離れろ。ガ、ゲ」
「お∼い、オッサン、カネよこせ、こっちを見るな」女達は意味不明な言葉を交
わし始めてていた。
二人は魑魅魍魎と戦っているはずだった。
「バカやろう。じろじろ見るんじゃねえ。あ∼、虫が私の腕を食ってやがる。!
おい、助けろ、あ∼、じゃまだろそこをどけ、噛み付くな!バカヤロウ、痛くは
ないぞ∼△○×死にやがれ!だれだ、おめえは!おい。ゴホ、ゲホ」と意味不明
な言葉を空に向かって叫び続け、暴れて泳ぐように腕を振り乍らふらふらと歩き
出していた。
回りは暗く民家もない藪蚊の大量発生地帯だったが、感覚が飛んでしまった二人
には全く問題ない。
草が覆い茂った暗闇で草が触れてふくらはぎが切れても気にならない。
雑草でつまずき、うつ伏せで倒れて叫んでいたが、草で塞がれた声は苦しくて次
第に小さくなる。
そして誰にも聞き取られることなく息絶えるのだった。
「舐めやがってジャンキーが」
街路灯に照らされた伊藤の目は蒼く燃えて光っていた。
「クソッ、蚊に刺されて痒すぎるぜ」白井は足と腕を掻きながら心の中であいつ
らは自分で注射を打ったのだから殺人じゃあねえ、自殺だ。と自分に言い聞かせ
ていた。
走る車のフロントガラスにはヘッドライトに吸い寄せられる蛾や蜉蝣の死骸が大
量に張り付いていた。
大竹は腐ったような臭いのする夕食を食べていた。
入所当時は「先輩」方に仕組まれた小便や痰の入れられている飯を「食え!」と
いわれて殴り合いが絶えず、独房へと転居されたが、近頃は「オス!どうぞ」と
いって作業までも気楽に出来る立場になっていた。
噂を聞いて接近するものもいれば偏った情報で気軽に近寄ってくるものもいる。
「大竹の兄貴、ボクシングを教えてくださいよ」
「嫌だ、お前らのようなアホに教えればどうなるか先が見えている」
「いえ、純粋に覚えたいです」
「顔を見れば分るお前はだめだ。教えていい人間と悪い人間がいるんだ」
「フン!バカやろう気取りやがって覚えとけよお前」
「
おお、いつでも来い。死にたかったらリングで叩きのめしてやるぜ。務所暮らし
はこれで最後にするからな」
「あ、どうも、兄貴、あいつは兄貴が殺人で服役していることを知らないもんで。
後でよく言っときますよ。びっくりして腰を抜かしますよ。しょ∼もないヤロウ
ですから」という島崎誠次は剣崎の構成員だった。
船戸に命令されて出所後は大竹の舎弟として働くように言われて大竹に接近して
いた。大竹は「俺はまだ剣崎に戻る事は決めていないんだ。まだ時間も有る」と
いって島崎を相手にしていなかった。
「そんなあ、俺と一緒にやりましょうよ。前科もんで船戸さんにお袋さんが世話
になっているんでしょう、もう逃げられませんよ。それにあんたの愚連隊は分解
して今は殺陣鬼の竹山と安藤が仕切って、応援部隊まで剣崎の足になっています
からね。裏切れば下の者からの報復もありますぜ。そんなことより船戸さんの言
うとおり幹部になったほうがいいですよ。上原も出所後はサカズキを洋さんから
貰うと言って決めたそうですぜ」
「そうか。・・・・母ちゃんが心配だから早く出たいけど3000万を作らされ
るのがきついなあ。参ったぜ」と大竹は悩んでいた。
藤堂律子は面接に挑んでいた。
京子の情報どおり、鎌倉スーパー稲村ヶ崎店がレジ係を数名募集していた。
夫はパートの必要はないというが何か起きた時のためにと家事だけに専念するこ
とが出来ない精神状態だった。
生まれてこの方働いたことがないので新鮮で楽しかった。
スーパーの店長は深瀬和久という35歳の男だった。
世間ずれした律子の清楚明眸皓歯な姿を見て一瞬にしてほれ込んでいた。
「始めまして。深瀬です。宜しくお願いします。レジは初めてですよね。働いた
ことがないんですからね」
「はい、その通りです。毎日何時間でも働きますから宜しくお願いします」
「はい、藤堂さんなら是非お願いしたいですよ、美人で品があるのでこちらから
お願いしたいくらいです」
「え∼、そうですの?嬉しいですわ」
「レジは大丈夫ですか?なんでしたら今から経験されますか?」
経験の無い律子だったが家庭を出て始めての仕事に就く好奇心に心が弾み無意識
に笑顔で「はい、是非お願いします」と目を輝かせて答えていた。
「じゃ、店内の開いているレジでやってみましょう」
深瀬は品のある美人の律子を人目で気に入り、時にはあたふたとして普段には使
用しない言葉を発してばつが悪くなって赤くなり、それを笑って誤魔化しながら
も仕事の楽しさを説明してなんとしても入店させたいという態度が見え見えだっ
た。
200円、300円、計、チーン!
「こうですね。では交代で」
「はい」という律子はきびきびと動き、飲み込みが早かった。
「おお、早いですね。どうですか?感触は?」律子は初めて触れたレジスター操
作が新鮮で「楽しいです。でも間違えないようにしないとね」と答えていた。
深瀬は「明日からでもお願いできますか?」と訊ねたが律子は「今日からでもい
いですよ」と積極的に笑って答えていた。
深瀬は「明日の9時からスタートで準備がありますので8時半にはきてください
」と手を差し伸べて握手を求めた。
嬉しくてたまらない様子の律子は「わ、お願いいたします」と深々とお辞儀をし
ていた。初体験の就職活動をしたことでうきうきして嬉しかった律子は鎌倉を出
ると京子に友人にでも連絡している気分で電話すると「京ちゃん私パート決まっ
たわよ」と声が自然に弾んでいた。「あら、そうですか。良かったです。私もこ
れからはおば様のところで買い物しますよ。楽しみが増えました。おめでとうご
ざいます∼」と京子が答えて就職を喜び合うのだった。
スーパーの深瀬は律子入店が売り上げに貢献できると勝手に思い込んで社長にま
で履歴書をファックスして喜んでいた。
自宅に帰ると藤堂が「おまえ、何かいいことでもあったのか?」と訊ねるほど律
子の感情が出ていた。
「はい、明日から私、スーパー鎌倉で働きます」と嬉しそうに答える律子を眺め
ていて藤堂は結審までは時間が有るし、収入も多少は努力して増やしたので何も
急に働かなくてもいいじゃないかと複雑な気分に浸っていた。
翌日からパートに出る律子は朝早くから食事の用意と龍也と自分の弁当作りが日
課になった。楽しげに台所に立つ律子を見て藤堂は「なんだか楽しそうだねえ。
何も働かなくても住む家が変わるだけだからいいのに」と新聞を開きながら話し
出した。
律子は「いいえ、あなたはどう感じるのかは理解出来ませんけど私はもしものた
めに自立しなければと思ったんです。それが楽しいんです」とフライパンを片手
に振り返る姿を見た藤堂は少しの安らぎを覚えるのだ。「悪いなあ、有難う。そ
ういってくれて」
「何をおっしゃるの?これまでも頑張っているじゃありませんか」
「そうだね」藤堂は今回の失敗を吹っ切れた気がして元気になる。
スーパー鎌倉は茅ヶ崎にも支店を構えていたが、律子は通勤が楽な稲村ヶ崎店を
希望していた。
「お早うございます」
「あ、お早うございます。藤堂さん。今日は着替えたら1時間くらいレジの練習
とロールペーパーの交換を覚えていただいて私が見てOKなら今日からでもレジ
に入っていただきますよ。まあ、最初は私が付き添いますけどね」
「はい。宜しくお願いします」
律子は仕事の飲み込みが早く品物の袋詰めにも気配りがあり、深瀬は「藤堂さん
、凄いですね、安心してお任せできますよ」と律子のレジの操作を手をたたいて
褒め称えていた。
律子は少し照れながらも喜びを隠さずまた手を叩いて「有難うございます」と喜
んだ。売り場の配置図を受け取ると何回も巡回して記憶した。
お昼時にはパートの先輩達から「また、どうして藤堂さんはパートなんか始める
の?」と質問されたが躊躇せず、主人が事業に失敗して暫くすると自宅も売却し
てしまい、今後の不安を解消するのにも人任せでは駄目だと思った。と伝えてへ
んな噂でやっと得た自立の機会を失うことのない様に気を配って洗いざらいを打
ち明けたのだった。
先輩達は皆、同じ境遇だといって律子を気持ちよく受け入れていた。
律子はこれで、同情を買ったわ。いじめはないぞ、よし、掴みはオッケー。と心
で叫び、午後からは人生初のレジ係としてスタートを切った。
「いらっしゃいませ」
「あら、藤堂さんじゃないですか」
「あら、どうもこんにちわ」
「どうなさったんですか?こんなところで」
「はい。パートで働いていますの」
「え∼。あらまあ。暇つぶしですか?」
「いえ、生活のためですわ」
スタートした最初の客が近所の奥さんだった。
これがまた話し好きな人で律子は商品のバーコードをスキャンしながらいちいち
返答することが面倒だった。
「すみません、ちょっとここでは困りますので」と断ると「何さ、お高く留まっ
て返事くらいしなさいよ。私は客だよ」と怒り出した。
あまりにも声が大きかったので深瀬の耳にも届き、深瀬が仲裁に入った。
「申し訳ありません。注意しますので今日のところはレジを済ませたらお引取り
願えませんか?」深瀬が何回もお辞儀をして謝ると客は「返答も出来ない店員を
置きなさんな」と舌打ちをして出て行った。
深瀬は「どうしたんですか?接客は気をつけないと客が減りますので注意してく
ださいね」と律子に念を押した。
言い訳をしても無駄だと考えた律子はひたすら「申し訳ありません。以後、気を
つけます」と謝って逃れたが、6時の定時までに客から話しかけられて困り果て
ている姿を数回目撃した深瀬は定時になって着替えを終えた律子を呼び止めて事
務所の応接セットに座り理由を聞いたのだった。
「どうしたのですか?」下を向いて聴いている律子は返答をするときにも顔を上
げることなく「結構ご近所さまが来店されまして、どうしてこんなところで働い
ているのか?と質問されたんです」と答えていた。
深瀬は「はあ、私も遠くから見ていましたが、あれだけちょっかいを出されると
は想定していませんでしたのでちょっと考えないと仕事になりませんね」と右手
で頭を掻いていた。
律子は「仕方ありません。私、やめたくはありませんがお店にご迷惑をおかけし
ますので辞めることにいたします」と姿勢を正して深瀬を見上げていた。
「いや、ここで雇ったのは私ですから私にも責任があります。どうでしょう、結
果は分りませんが茅ヶ崎店でよければ店長の村山に相談してみますが?」深瀬の
意外な発言で少し明るくなった律子は「え、本当ですか?私は折角就職できまし
たのでそのほうがありがたいのですが」と深瀬の顔を真剣な表情で見つめていた。
深瀬はその場で茅ヶ崎店の店長村山に電話すると茅ヶ崎では鎌倉と同様に募集を
しており、同じ時間帯で勤めてくれるならばという事で直ぐに鎌倉へ村山が来店
して面接するという事になった。
5∼6キロの距離を軽トラックで飛ばしてきた村山は深瀬と同年代の男だったが
体格もよくスポーツマンタイプの独身だった。
数分の面接で茅ヶ崎には知人が一人も存在しないという事実確認をしただけで村
山も美人で品のある律子を気に入り一日で転勤が決まったのだ。
「有難うございます。お世話になります」と深瀬と村山に対して何度も頭を下げ
る姿を見て二人は「がんばりましょう」といって握手を求めていた。
村山は挨拶を終えるとそそくさと店に戻り、律子は事務所でお茶を飲みながら深
瀬に対して感謝の気持ちを伝えてから家路に着いた。
京急線、横須賀線、東海道本線と電車を乗り継ぐことも楽しい。毎日仕事をする
んだという期待感が新鮮で、少し距離が伸びたことも嬉しく感じる律子だった。
船戸は銀座のクラブ「ルミルミ」の常連だった。
「いらっしゃいませ。船戸さん元気?」
「ああ、ぼちぼちだな。ひとみは?いる?」
「いますよ。ひとみちゃ∼ん」
「は∼い」
「あ、しげちゃん。どうも」
花月ひとみは船戸の愛人だった。店が終わると築地のすし屋か、新宿のおカマバ
ーに行くのがいつものパターンだった。ひとみのマンションは新宿富久町の交差
点南東角にあった。
船戸は口癖のようにお前にも億単位の別荘を買ってやるからな。というのだった。
茅ヶ崎店では何も問題なく業務を遂行できた。鎌倉とは違った都会観がある。客
も無言でレジを通過していくことも三浦地区とは違って自分も洗練されていくよ
うな気がした。
「藤堂さん」店長の村山が呼んだ。
「はい」丁度客が途切れたときだった。、
「休憩してください。事務所にケーキがありますので選んで食べてください。そ
れと、今日ですけど、昨日お話しするのを忘れていたのですが、歓迎会を従業員
とパートの有志でやりたいのですが、ご都合はいかですか?」
「あ、え、ちょっと」
「あ、そうですよね、突然は駄目ですよね」
律子は突然の申し出に戸惑ったのだが、なにせ歓迎会というものに参加をしたこ
とがなかったので参加をしたいのだが言葉に詰まってしまったのだ。
「あ、いえ、主人がいいといえばいいです」と緊張して返事をすると村山は「藤
堂さん、何を緊張されてるんですか?じゃあ、良かったらご主人に事務所から電
話で聞いていただけませんか?」と笑って答えた。
律子は慌てて「は、はい」といって休憩に入った。
藤堂に連絡すると笑って「楽しんで来い」と一つ返事で許可がでた。
律子は少々ワインもいける口だったので初めて参加する歓迎会を想像して仕事を
するとあっという間に時間となっていた。
律子は駅前の居酒屋に向かったが、夜の駅前は鎌倉よりもずいぶん都会的な雰囲
気だったのでなぜだか若返っている気がしていた。
鎌倉は古都という雰囲気だが茅ヶ崎は東京風という印象を持ったのだった。
宴会の始まりは律子の自己紹介で始まったのだが、律子の話し方が堅いのでそれ
を和らげようとレジ係のおばさん連中が「まあ、お上品ねえ」
「イェ∼、マダム」
「微妙にエロい。熟女パワー」
「お持ち帰り、OKですかあ」などという砕けた会話が飛び交い、若返った気分
で過ごせて大満足の律子だった。
宴会の終盤に村山が明日の宴会には残りの従業員がシフトを交代して顔見世をす
るという事でまたまた期待が膨らむ律子だったが、家路に着く足取りは微妙にふ
らついていた。
真夜中の「シーサイド」の2階デッキの明かりが星空の中に輝く月明かりのよう
に調整されて灯されていた。
ジャグジーをお湯にしてジェットのスイッチを押すとデッキの明かりが泡に反射
して光り、龍一と横山が一升瓶を氷入りのバケツに差し込んでマス酒を楽しみな
がら湯に浸っている姿が浮かんで美しく見えた。
「バケツに差し込んでマス酒飲んでてダサいけどシャンパン飲んでるみたいで
いい映だぞ」
「そうでしょ、いい男はなあ、リュウ」
「のぼせるな」
「リュウ、お前、卒業だな。どうするの?」
「レストランも順調だし、ボクシングに打ち込む積りですよ」
「そうか、大学は行かないのか?優秀なのに」
「全然駄目ですよ、勉強は好きではないです。別に研究したいものもないし。横
山さんはどうですか?」
「ああ、俺はお前等と一緒にここで仕事が出来たらそれでいいよ。海賊島が頑張
って客を呼び込んでいるからさ、冬場も人がどんどん遊びに来るような町にした
いよな」
「はあ、一大リゾート計画のようなものですか?」
「ああ、そうだ、ここと海賊島が繋がるとそれだけで雰囲気が変わるよな」
「はいはい、出来たら橋もトンネルも欲しいですよね」
「おお、いいねえ。さすが、則弥のオヤジはえらいねえ、直ぐに許可を取ったか
らな。後はおれ達の力だ」
「はい、頑張りましょう」龍一たちは希望に燃えていた。
「わ!」っと突然大声がした。
「お∼、びっくりした」
「あ、君ちゃん。お、京子もか?」
「はあい、元気?私達も入れてよ」
「水着は?」
「あるよ。電気がついてたから持ってきた」京子と君代は海賊島でのバイトの帰
りだった。
「私達もたまに夜中に来て入っているもんねえ」横山が龍一を見てうんうんと頭
を揺らした。
「へ∼。助べえチームはそういう関係か?」
「あほ!」京子は龍一の頭に拳骨を食らわわせた。
「あ∼いてて」
「おお、今日はどうだった?」
「相変わらず客は入るね。笑いを取っているのがいいのかな?」
「そうそう、料理も美味しいって言うよ」
「そうか、良かったな。また何か面白いことを考えろよ。お前らも頼むぜ。」
「おお、任せとけ」京子は威勢がよい。
おまえら、何飲む?といって横山が聴くと京子らは同じ日本酒はきついからレモ
ンサワーと答えてため息をつきながら首まで湯に浸かった。横山がレモンサワー
をつくりに出た。
「はいはい、何でも来いだ」
「あ∼∼。いいねえ。お湯は」
「ああ、疲れが取れるよなあ」
「はい。温泉宿もやりたいね。私ノリが好きなんだ」
「え∼。ホントかよ。君ちゃんがねえ」
「おまたせ∼∼。何だって温泉宿もやるって?ほんで、ノリが好きなんだって?
」
「あ∼∼、ねえ、リュウ、京子はリュウが好きなんだよ」君代は恥ずかしくて横
山を無視した。
「ちょっと、ちょっと、あんた突然作り話をするんじゃねえよ」京子は顔を赤く
して慌てて否定し君代の顔にジャブジャブと湯をかけた。
「はは。女なんだねえ。一応」
「いちおうってなに?おい、オッサン」
「ごめん、ごめん。ほら、でも赤くなってるじゃん」横山はくすくすと笑いなが
らふざけていた。
「バカ、酒で赤いんだよ」
「ははは。分ってるよ、からかうのが好きだからな。バカいってんじゃねえよ。
おまえ、アホか?」龍一が冷静で何の変化もない表情をしていたので少し腹を立
てた京子は「何だと、てめえ、本当だよ。し方ねえ。君代の馬鹿は口が軽いから
なあ」といって龍一に軽く告白したのだった。
「おまえら、そんなことよりゴルフに集中しないと最後にどんでん返しで落第と
いう憂き目にあう事になりかねないと思うよ。今はやらなきゃいけないことに集
中するんだろ」と軽く流されても京子と君代は言い返せなかった。
君代は酔いが醒めたように「そうだね。うちも金が無いのに母ちゃんが頑張って
応援してくれてるからね。京子のところも一緒だもんね。そうするしかないと分
っていますよ∼だ。」と急にしんみりしてきたので龍一は気をつかって「ノリが
居れば明るくなるから今度はノリも呼んでゆっくり飲もうぜ。な、君ちゃん」と
フォローしたが、京子と君代は暗いままだった。
「あ∼、参ったなあ。何でもお金だよね、この世の中、さもしくなるよ」
「おい、おい、しんみりするなよ、若いんだからさ、ノー天気にいこうぜ。おお
、それもいいなあ。今度ノリも呼んでジャグジーに入りながらくっちゃべろうぜ。
な、美人ゴルファーさんたちよう。プロになって稼いでくれよな」
「ん∼∼そうだね。はいはい、頑張りま∼す。温泉はいいねえ∼。これは真水だ
けど。それでも気持ちいいもんね」4人は寒い中明るくなるまで酒とジャグジー
で将来の夢を語ってリラックスしていた。龍一は途中眠気が襲い、暖房の効いて
いるレストランで仮眠を取っていた。
目が覚めるとまたジャグジーへ入り、温泉気分で過ごすのだった。
自宅は小さな一軒家になった。
自宅を売り払い残った金で買った中古の一軒家だが龍一は住んだ事はなかった。
藤堂家は自宅を売却してからは律子ペースで進むようになっていた。
「お早うございます」
「あ、龍也、これお弁当ね」
「有難う」
「お父さん、私、今日も歓迎会なんだって、だから遅くなるから夕飯食べてきて
ね。お願いします」
「ああ、分った。今日も楽しそうだね」
「はい。毎日が新鮮で楽しいですわ」
「そうか、良かったね。今日も歓迎会なんだ」
「はい、スーパーは2交代制になっているので全員と会うのに2日かかるんだっ
て。でもお酒を飲んで皆楽しそうに愚痴をこぼして店長さんがいじめられたりし
て面白いのよ。それに毎日少しおしゃれして電車に乗って通勤するのも楽しいん
です」
「そうか、それなら良かった。でもさ、辛かったら直ぐにやめていいんだよ」
「大丈夫です。レジなんてそんなに辛いことがなさそうで楽しいわ」
「じゃ、行ってきます」
「はいはい、いってらっしゃ∼い。じゃ、お父さん私ももう行くわね。食器は流
しに置いといて頂ければいいですからね」
妙に明るくなった律子を見ている藤堂は新婚の頃にはなかった一面を発見してこ
れからどんなに変わっていくのかと考えていた。
「お早うございま∼す」
「あ、藤堂さん今日も6時半から駅前で歓迎会ですからね」村山は着替えてフロ
アに出てきた律子の肩をたたいて挨拶していた。
「キャッ、あ、村山さん。あ、はい」
あ∼、びっくりした。今日もかあ、流石に連日ではお父さんには悪いけど仕事の
ようなものだし、楽しいからね。そう、これも仕事という事でごめんなさいね。
今日も一日頑張るぞ。とレジに向かうのだった。
お昼の休憩に入るとき律子には交代要員が無く、レジは休止となる。また、暇な
ときにはレジを一部休止して店内の商品の在庫や売れている商品のディスプレイ
を見回り、補給や発注を行う。休憩室で弁当を食べていると一番遅く休憩を取っ
た律子だけが残っていた。
「お疲れ様」と村山が入ってきた。
「あ、お疲れです」と村山は律子を見た。
「あ、藤堂さん、コーヒーとお茶どっちがいいですか?僕後馳走しますよ、入社
祝いです」
「え、あ、いいんんですか?じゃあ、お茶はあるから、コーヒーを!」
「はい、小さな気持ちです」と村山が笑った。律子はがっしりして精悍な感じの
村山が何故スーパーなんだろうと考えていると村山から話しを切り出した。
「あ、僕は綺麗な人に仕事のパートナーになっていただきたいのですよ。勿論、
心がね。藤堂さんは絶対に心が美しいかただと思ったんですよ。一目でね」村山
はこの言葉で気に入った熟女を射止めることが趣味であり、仕事だった。付き合
った女以外ではその手口を知る者はいない。若い女を射止めるときには少し強引
になる。
「い、いえ、そんなことはないです」
「僕、両親が早くに亡くなって二部の高校しか出れなくて、でも地元の食材や人
と触れ合うのが好きでこの業界に入っていいものを安く提供できれば地元の役に
立つのかなあと思ったんですよ」という村山は思ってもいない真逆の人生観を話
していた。
「はあ、凄いじゃないですか。そういう人好きです。応援しますよ。私」律子は
村山の考え方を始めて聴き、思いもよらず昼休みに感激していた。
村山は律子が何の抵抗も無く自分の話を受け入れてくれた感触を律子の表情から
察知して「そうですか、有難うございます」と深々と礼をして誠実さをアピール
しながら、まだ口説いてはだめだ、我慢しろと逸る気持ちを押さえながら「本当
ですか、嬉しいなあ」といいながら抽出仕立てのコーヒーを差し出していた。
律子は「有難う」と村山を見つめながらコーヒーを受け取り、指先がかすかに触
れて姉にでもなったような親近感を感じていた。
村山は他愛も無い会話を交えて律子と打ち解けようと懸命に努力して今夜の飲み
会ではもっと親密になって奴隷に仕上げるんだ。と意気込んでいた。
中村はご機嫌だった。
労せず藤堂の自宅を買い取り、転売して一億円近い利益を上げていた。
メキシコの粉売買でも30億円近い利益がある。同席している剣崎は笑いが止ま
らないのだった。
「おう、まだまだカネは入ってくるのだろう。中村」
「はい、勿論ですよ。年内には50億くらいですかね」
「そうか、やばい仕事は早くやめて全うに儲かる仕事に移すのも大変な金がかか
りそうでな」
「はい、分ってますよ。飛行機でしょ、ヘリでしょ。病院と。内臓はメキシコも
開拓したでしょう。これからはもっと港湾労働者を雇いますから供給は増やせま
すのでDNA検査をする病院も買い取りましょうよ、永沢の会長に頼みますかね
」
「そうだ、それもすでに相談しているんだ。三浦病院でね。問題はヘリが高いか
らね。改造費も馬鹿にならねえんだ。50億でも不足くらいだと考えている。ま
あ、収入もあるのでやっていけないことはないが全国からの供給に対応するには
100億あれば文句はない数字なんだが」
「そんなもの10回やれば元が取れる仕事をやっているんですからそれ以上欲張
ったらバチがあたりますよ」
「それもそうだが金が本当に大変なんだ。設備すればパイロットの給料も医師並
み以上の時もあるので頭が痛いんだ。これは永沢でも分っていないことだよ」
剣崎は相変わらず臓器売買の設備投資に明け暮れていたが、息子の洋とは逆に企
業舎弟を増やし、剣崎組は表向きには廃業したいと考えていた。
テレビ新聞紙上では油壺公園の草むらで発見された女性二人の変死体事件を報道
していた。解剖の結果薬物中毒での一過性脳虚血症、急性心不全、呼吸困難であ
ろうと発表されていた。
剣崎洋は作戦第二弾のヤクを販売して得た金で渡辺組を叩き潰す作戦に突入して
いた。
「船戸、おい、三浦の中毒女の死体はやばいんじゃないか?あのあたりはうちの
やつらが売りまくっているからなあ。これからサツがうろちょろするぞ」
「そうですね。あのあたりは伊藤、白井、ですかね。そんなこといちいち気にし
ていたら駄目ですよ。それに今度、伊藤は渡辺潰しに使いますから一番大事なヒ
ットマンなんですよ、おだてれば何でもやりますからね」
「そうか、じゃあよ、伊藤で早くやっちまおうぜ。なあ、お前、早急に渡辺の組
長らを始末しろよ」
「はい、準備は整えていますよ。あいつ等が品川の倉庫に集結する日取りを調べ
上げていますのでもう少しお待ちください」
「そうか、順調なんだな、それで俺の指示通り薬殺で絞めるんだぞ。その方法が
一番見つかりにくいからな」
「はい、もう楽しんでストーリーを描いていますよ。渡辺正一、井尾義人、井上
雄次の三人をやっちまえば後はこっちのもんですわ。倉庫にブツもありますから
ね」
「おお、三人とも殺せよ。シッカリな」
「はい、もう、ガキ共をスタンバイさせておりますから待っててくださいよ。5
0億以上のブツも取り上げて見せますよ。それが出来れば新宿も渋谷も買収でき
ますからね」
船戸は竹山たちを利用して三人を拉致してブツを奪うとそれぞれの自宅へ侵入し
てヤク中の女や情婦の女のマンションで大量の麻薬を注射して殺すことにしてい
た。
日にちをずらす事で事が発覚するのを少しは遅らせるようには計画したのだった。
実行犯には終了後に2000万円の報奨金を支払うことにしていた。
倉庫で拉致した後は麻酔薬などで眠らせ、醒めるころを見計らって薬を注射して
中毒死させる計画だった。
夜の茅ヶ崎駅は相変わらず通行人が多く出歩いていた。
大学生のコンパにでも行くような気分で心が弾む律子は歩くスピードも自然に早
くなっていた。
「あら?もう着いちゃった」時間よりも10分早く到着したがすることが無いの
で店に入っていった。
「いらっしゃいませ」という店員の声の向こうにはすでに数人の同僚達の顔がテ
ーブルにあった。
「あ∼∼、藤堂さん、こっち、こっち!」とレジ係のおばさんが律子を見つけて
手を振って呼び込んだ。
「あ、は∼い。お疲れ様でした」
「早かったですね。ここにどうぞ。あと三人で揃うのですが、待っているのもな
んですから少し始めましょうか?」村山が席を準備していた。
「ええ、私はどちらでも、ようございますわ」
「よし、じゃあ、はじめましょうか?」
「は∼い。最初はビールでいいですか?」
頷いて返事をしたのは律子だけではなかった。「はいは∼い、私ももうないから
ねえ」
「はい、こちらが新しく入社された藤堂さんです宜しくね。カンパ∼イ」
「はい、藤堂律子です宜しくお願いします」
「はい、藤堂さん美人で良いねえ」
「はい、よく言われます」
律子は村山の淹れるコーヒーを飲むようになってから口数が多くなっていること
に気がついてはいないのだった。
「きゃ∼。図々しいわね。面白いお方!気に入ったわ、私、仲良くしてね、山本
静子57歳で∼す」
「私は一番若くて可愛い前園はるか25歳で∼す」
律子は立ち上がってきょろきょろしながら「はい、宜しくお願いします」といっ
て要領をわきまえた様子で笑われながらも受け入れられたのだった。
「わ∼、楽しいと酔うのも早いですわね」
「そうでしょ、藤堂さん、私なんかこうやって店の人たちと飲むことだけが楽し
みなのよ、ねえ、店長」
「あ∼、参ったなあ」山本婦人は村山に抱きついて頬にキスをしていた。
「わああ、山本さん積極的ですわね」
「そうよ、私、店長と浮気をしたくてお願いしてるんですけど、いつもこの人逃
げちゃうのよ」
「きゃ∼はは。そうそう、店長、一回くらいお持ち帰りしてあげなさいよ。その
次はわ、た、し」という本多由美子は56歳だった。
「勘弁してくださいよ」
「勘弁しないわ、でないと私達明日から全員来ないわよ。わははは」といって村
山を軽く平手打ちしていた。
「キャ∼大変」律子が言うと「お願いしますよ。そんな事いわないでくださいよ
」と困り果てて村山は逃げ出しそうだった。
「こら、店長、参ったか、じゃ、今日ね、ん」
「山本さん、勘弁してくださいよ」
「あんた、藤堂さんなら行っちゃうんでしょ」村山がチラッと律子の顔を見ると
「あ∼∼、いま見た、見た、あ∼、そういう奴なんだ」と本多由美子が言うと女
たち三人で村山を取り囲み軽い平手打ち攻撃に出ていた。
「すみません。他のお客様の迷惑になりますのでもう少し静かにお願い出来ませ
んか?」あまりの騒ぎに店員が注意しにやってきた。
「あ∼、すみません。ごめんなさい。おばさんは節操がないから勘弁してあげて
ね」とはるかが言うと「あんた、ちょっと若いと思って生意気だわね。まあ、う
るさいのは本当だから仕方ないけどさ。わははは」とおばさんらしく機関銃のよ
うな口調で山本が仕切りなおして全員が大人しく席についた。
一息ついたと思って見ていると「ほれ、村山、お前のせいだぞ」とおばさんたち
は笑いながら村山をからかって遊んでいた。
「いつもこんなふう、なんですか?」律子が問うと山本静子が「そうよ、ここく
らいでしかストレスを発散できないのよねえ」
「そうそう、若くは無いしね」
「そんなこと無いですよ。はるかさん。皆さん仕事をしているときは颯爽として
格好いいですよ」
「おい、村山、お前本当にそう思っているのか?」本多由美子がいうと村山はま
た蒸し返してくると予想していたので終わらせるために「本当ですよ」とやけく
そで目を合わせないで答えるのだった。
それでも「おい、目を見ていえ」と攻撃されて話の収拾がつかなくなるのがいつ
ものパターンだった。
「まあ、こうやって気晴らしさせてくれるから頑張るんだけどね」と山本が村山
を見ていうと村山が「もうちょっと可愛くいびってくださいよ」と愚痴ったりす
るので余計に長くなることが村山には分っていない様だった。
世の中のおばさんたちはここまでしつこいのかと辟易したが、「はははは」と笑
って締めくくる本多由美子がリーダー格ではないかと律子は見ていた。
「じゃ、飲みましょう、私もこれからは参加希望です。よろしいでしょうか?」
と律子が話の焦点を変更して事なきを得たのだった。
村山の電話が鳴った。
ルルル
「はい、村山です。・・・は、了解です。・・ちょっとすみませんレジが合わな
いそうなので私は戻りますので本田さん領収書をもらってきてください」
「はあ、分った。またなの?」
「はい、では藤堂さんお先に失礼しますね」といって村山は席を立つと急いでみ
せに向かった。
「分りました。ご苦労様です」
「また、レジが合わないって絶対金子さんだわよ。あんなボケた人やめさせれば
いいのにねえ。あの人絶対におかしいでしょ」
「ほんとにそう思うわ。店長は庇ってばかりで絶対に辞めさせないでしょ、へん
だわねえ。出来ていたりして。へへへ」
「あ∼、そうかも?まあまあ、飲んでスカッとしましょう」本多由美子が暗い話
を断ち切って奥様連合の旦那の悪口攻撃で笑いが戻ってきたのだった。
翌日の昼、休憩に入った律子は休憩室で弁当を食べていた。
村山は商品の在庫管理のために売り場で商品チェックをしながら律子の様子を窺
っていた。休憩室に向かっていく律子を見つけて自分も自然に休憩室に入ってい
く口実を見つけて時間を見計らって入室していた。
「あ、お疲れです。藤堂さん、これ、オリジナルの卵スープの試供品ですけど味
見しませんか?感想文がまだ沢山必要なんですよ」といってポットから試作品の
カップの中にお湯を注ぎながら村山が律子を見つけて試食に誘っていた。
「あ、頂きます。ここのスーパーのオリジナル商品ですか?」
「そうです。僕達正社員の中の製造部がつくっているんですよ。病み付きになっ
てやめられない、止まらないになっちゃいますけどいいですか?」
「そんなに美味しいの?」
「そりゃもう。やめられなくなるほどですから。ハイどうぞ」といって律子の前
にカップを置くときにそっと肩に手を添えて首筋から耳元で囁くようにして接近
することを忘れなかった。
少しぞくっときていた律子は「ん∼∼。美味しいです。でも普通かな?」と村山
の接近した圧力を隠すような答えを発していた。
「え∼、だんだん良さが分りますから。これだって随分お金と時間をかけてつく
りましたんでね。寝ないで試作したりですよ」
「へ∼、よく時間が有りますね」
「自宅で考えたものやここで気がついたものを本部にメールで送ってサンプルの
味見をして開発しているんです」
前園はるかはその様子をこっそりと柱の影から見ていたが「何処の本部だ?」と
笑っていた。
「はあ、頑張っているんですねえ」
「以外でしょ。藤堂さん料理お好きですか?」
「はい、大好きですよ」
「じゃ、時間が有るときは協力してくれませんか?皆さんにお願いしているんで
す」
「はい、いいですとも」
村山はなんだかんだと接近する材料を見つけだしていた。
律子は料理には自信があった。
村山とは数日間のあいだに料理開発の話で昼休みも有意義に過ごせるようになり
、業務が終了した後にも殆ど毎日のように事務所や喫茶店での情報交換のために
会うようになってきていた。
カラン、コロン
喫茶「茅ヶ崎」だった。
「いらっしゃいませ。何にします?」
瞬きした村山はブレンド・コーヒーを飲んでいた。
「わたしもブレンド・コーヒーね」
ママは「はい。いつもので、どうも」と言いながらカウンターへと戻っていた。
「はい。今日は何かしら」
「はい、今日はオリジナルのお好み焼きの素とレシピを考えろという要望がお客
様から沢山ありますのでそれをちょっと検討というか」
「はい、お待たせ、ブレンドね」
「はい、どうも。ここのコーヒー美味しいです」
「それは、それは、ありがとう」
お好み焼きを追求している律子は自分の出番だと気分が高揚し楽しかった。
「お好み焼きでしょ。わ∼それって、得意分野だわ」とすぐにでも腕まくりする
勢いがあった。その律子の様子を顔色や言葉のニュアンスまで細かく観察してい
た村山も波長を合わせるように楽しさを表現しようと軽くテーブルにあった律子
の手に自分の手を添えて即答してくれるように努力していた。
「じゃ、新商品開発で盛り上がりますか?いつも自宅で商品開発しているのです
よ。ちょっと言いにくいのですが。・・すいません良かったら僕のアパートで一
度作っていただけませんか?」と意を決して村山は自宅へ誘っていた。
「え」と一瞬戸惑った律子はコーヒーをまた一口飲んでカップを皿に置くと村山
を見つめて「え∼∼。危なくないかな?」と言うと上目遣いに妖しく村山を見上
げていた。少し添えられていた村山の手の平に力を感じていた律子は危険だとは
思ってはいなかったが、軽い女にも見られたくは無かったので軽く牽制していた。
村山は断られたらどうしようかと思っていたのだが少し前までは青空に浮かんで
いる真っ白い小さな丸い雲のような性格の律子の可愛らしい返答と態度に自信を
もらっていた村山は自分がこっそり手を加えて思いのままに出来るぞという素振
りを全く出さずに「何をおっしゃいます、危ないに決まってますよ。冗談ですけ
ど」と手の平をギュッと握って勝負に出ていた。
「きゃ∼、じゃあ注意して伺いますわ」という律子の眼はすでに興奮して濡れて
いた。
よし、もう俺のものだ。と村山は高鳴る鼓動を抑えながら心の奥へと潜入するこ
とにした。
「あ、たとえば律子さんのお好み焼きって何ベースですか?」律子は飲み終えた
コーヒーカップを置いて水を飲むところだったが、右手にコップを持ったままで
「山芋、自然薯だけで小麦粉は使わないのよ」というと「ママ、お水いただけま
す?」といって一息つくと「箱崎のドレミファって言うところのお好み焼きが日
本一と私は思っていますからそこに近い味を追求しているんですよ。まだ及びま
せんがね」と水を一気に飲み干していた。
村山は水を一気飲みする律子を観察しながら「そうですか、そこはそんなに美味
しいの?今度ご馳走しますから連れて行ってくれませんか?後学のために」とい
って律子が考えている自分との距離感を確かめようとしていた。
「はい、勿論いいですよ、お店のためですもん。わ∼、やっぱり仕事って楽しい
ですわね。もう、張り切っちゃうわ」
「律子さん、喉が渇いていらっしゃるならジュースでもいかがですか?」
「そうね。レモン・スカッシュ戴こうかしら、うちの息子も大好きですのよ」
村山は茅ヶ崎のママの顔を振り返り見て「じゃあ、ママ、レモン・スカッシュ2
つね」とオーダーした。
ママは村山にウインクで「了解!」と答えていた。
「後、ポイントはないですか?」
「あります、あります、そこでね、焼くときに一口サイズに切ってくれるんです
けど、切った所は焼けてないから柔らかいでしょう、そこを全部立てて焼いてい
って袋焼きにしてくれるんです。外は少しパリッとして中は本当にふわふわで始
めて食べたときにはもうびっくりですよ」と好きな店の様子を楽しそうに語る律
子に合わせて村山も律子の説明に感銘を受けた様子を見せながら訊いているのだ
が律子のハイテンションは村山も体裁が悪くなるくらいの勢いになってきていた。
律子は得意げにレシピを話し終えるとテーブルに出てきたレモン・スカッシュを
一気に飲み干して「さあ、村山さん私のお好み焼きのデモンストレーションを早
くやりましょう」と元気一杯だった。
二人はスーパーに戻る時間を惜しんで村山の部屋に向かう道中にある他店で食材
を買うことにした。村山は律子が書いた食材を買い込むと律子は車の中で随分疲
れているように大人しく待っていた。
「わあ、良い自然薯だこと」
「これ、本物ですから高かったんです。うちの提携している工場でこれの粉末は
出来ないと思いますよ」
「そうでしょう、安いのでなくっちゃ、主婦は買いませんよ」
「そうですよね、まあ、でも今日は再現しなくてはいけませんから特別にいいで
しょう」村山は運転しながら律子を舐めるように見ていた。村山がホテル・カル
フォルニアのCDを入れると律子はなまめかしくゆっくりとリズムを取り始めた。
「わたし、お酒も飲んでいないのにハイテンションよねえ。恥ずかしいわ。ごめ
んなさい」という律子の膝にポンポンと大丈夫だと合図を送る振りをして村山は
そのまま膝に触れた手を離さないでいた。
「全然、大丈夫ですよ」
「最近、村山さんと良くお会いしていますけど、それで元気が出るのかなあ」
「え、それって嬉しい発言です。僕、律子さんが好きですから。あ、でもどうこ
うしようって云うことはないから安心してください。ははは」という村山は律子
に始めて会ってから思いを寄せていたのは本当だった。
「はい、安心していますよ。わたしも村山さんが好きですから大丈夫です。信用
していますので」といってリズムに乗って歌っていた。
「到着しました」
村山のマンションに到着すると村山は後部座席に乗せてある食材の袋を持ち上げ
、腰に手を回してエスコートしていた。
マンションのエントランスはオートロックでセキュリティーが確りしているマン
ションだった。
それを見るだけで村山の収入が良くセンスも良いのではないかと想像させていた。
村山はエレベーターが空くと律子を先に乗せて303を押した。
自然に伸びた左手は律子の手の平を優しく探り当てて握っていた。
律子の目は村山の横顔を見ていた。
ゆっくり倒れた体は律子の右肩を支点にして村山の左脇辺りを軽く圧迫していた。
村山が感じた律子のヘアーはシャンプーの香りだった。
エレベーターが止まり三階の通路を何かを期待し合いながら無言で進むと直ぐに
部屋の前に到着した。スーパーの袋を持った右手は重かったが、袋を手首にぶら
下げ、何とかキーをポケットから取り出してドアを開けた。きつく握ったままだ
った左手は拘束を逃れると互いが要求する部位を滑りながら探し当て、知り得る
まで止まる事はなかった。
食材は入り口に置き去りになってしまっていた。
目を閉じたまま空に浮かんでいる律子の鼻腔にサイドテーブルの皿の上に盛られ
た少量のパウダーを右手の小指を口に含み濡らして付着させた。水を含み唇を濡
らした。薄く目を開けている律子は村山のしたい行為を待っていた。また小指を
濡らして備えた。目蓋をゆっくり動かしながら待っている律子の鼻腔へ最初は浅
く、激しく動きだした瞬間に奥へと挿入して引き抜くと律子の視界が濃い霧に包
まれて痙攣しながらさまよっていた。
「あうっ!」と突然大声をあげた律子は背骨を曲げて失神して気を失い、数時間
寝たままだった。
律子を駅まで送り自宅に戻ると村山はあまりにも上手く行き過ぎるので怖くなり
、パソコンの電源を入れて姓名判断をした。
するとあなたの頭は精液で出来ていると出ていた。
結局、村山の自宅でお好み焼きの実演を行うまでには一週間ほどの時間が必要に
なってしまっていた。
「本当だ、これは上手い、僕の家で食べたのと同じ味だ」律子と村山は数日後に
は箱崎のお好み焼き屋で楽しんでいた。
「これがインスタントで再現できるには相当研究が必要だよね。食品研究所に持
っていくからもう一枚焼いてもらって持ち帰りするよ。勿論あなたもね」
「まあ」という律子は若返ってスリムになっていた。その姿が覚醒と同時に進行
して作り上げられたものだとはまだ本人は知らないでいた。
村山はスーパーの店長にも拘らず豪勢な生活をしていた。律子の前ではスーパー
の軽自動車で移動していたが、休日の移動ではメルセデスベンツを走らせていた。
決して他人には見せない代物だった。
剣崎洋は横浜ロイヤルホテルのスイートルームに船戸といた。
午後7時にはメンバーが勢ぞろいする。
実行チームは7時から、売人は8時からの約束だった。
船戸は剣崎洋に伊藤の危険度を訴えて利用した後はどうしてしまおうかと相談し
てまずは伊藤の虚栄心を刺激して先頭に立たせて仕事をさせると決め込んでリー
ダー格だと伝えることを決めていた。
リンリンとベルが鳴った。
滝川が最初に入室してきた。
伊藤、白井、金子、坂本と順に入室して実行グループが勢ぞろいした。船戸が話
を始めた。
「リーダーは伊藤だ、いいな。伊藤。今日からお前等は正式に剣崎だ。シマは茅
ヶ崎、鎌倉だ」と船戸が伊藤を見ていうと伊藤は昂然とした態度へとスイッチし
て「はい。三浦はどうします?」と白井たちを見回していた。
その急変した態度を見ていた船戸は簡単なバカだなあと思いつつ「三浦は永沢に
任せておけ、オヤジがうるさいからな。あまり永沢には接近するな。三浦地区は
ヤバイからヤクは秘密裏にやればいいだろう」といって三浦の永沢には接近しな
いように触れていた。
不満げな態度で船戸を見ていた伊藤を尻目に金子らを見渡しながら「で、本命の
渡辺をやるのは金子の組だ。金子が兄貴分だな。小僧どもは最低5人用意しろ。
それで、渡辺を意識不明で拘束しろ。井尾は伊藤がやれ、井上は白井だ。全員ま
ずは田舎のモーテルかモニターのない地域のアパートを見つけるか仲間の部屋を
利用しろ。絶対に運ぶ姿がビデオに録画されないところで監禁して順番に殺せ。
時間的間隔を置く方がいいと考えたがどっちに転んでも疑われるのは同じだから
お前等が考えていいと思うならばそれでいい。どこかのホテルか、そいつ等の自
宅で全員女と一緒に裸で薬殺したほうがバカなヤクザがヤク中で死んだと思うか
も知れねえからそういう方法もあるが、まあ任せる。とにかく倉庫のヤクを全部
奪い取り、殺すことだ。やつ等のボートで殺してスキューバで逃げ帰るのも面白
いし、薬でラリッたやつ等をスキューバ・ダイビングの装備をつけて車ごと港に
飛び込んでお前等だけ脱出して逃げてもいいぞ。勿論運転席にちゃんと女か男を
座らせてシートベルトをしないといけねえがな」と完全犯罪を目指すように指示
していたが使い捨てにでも出来る人材を当てにはしていなかった。
「面白いじゃないですか、まあ、その案貰いますわ」
「そうか、滝川、お前がいまから伊藤たちと相談して決行する日にちと時間、方
法を俺に知らせろ」
「それから伊藤、お前等全員今回だけ成功した時点で2000万報酬をくれてや
る。それとシマで上げた凌ぎの20%はお前が取ってお前の舎弟に分けることを
許可する。滝川はお前の兄貴だ、いいな」
「勿論いいです。しかし、俺も皆と同じ2000万ですか?」と目を吊り上げて
いう伊藤は船戸と剣崎を斜に構えて訴えていた。
「何?」と船戸が伊藤を睨みつけると「おい待て」といって剣崎洋が口を開いた。
「伊藤、お前だけちょっと来い」といって隣の寝室へ入っていった。
隣の部屋に入ると剣崎は小声で「伊藤、お前、黙って待つことも覚えろ、兄貴分
と言うのは黙っていても収入は下っ端とは大きく違うんじゃ、分ったな。お前は
絶対に幹部にするから。ホレ、当面の資金1000万じゃ、カバンごと持って行
け。それと注射器と皿が入っているだろこれでやらせろゴム手袋は明日渡すから
事務所に来い。いいな。それと、おまえ、・・まあいい。先頭に立ってやるリー
ダーになったんだからな。心配するな俺が就いているんだ」といって伊藤の肩を
ポンポンと叩くと伊藤はニヤリと笑って頷いていた。
途中、剣崎は三浦の変死体事件についての情報を伊藤から聞き出す積りだったが
、船戸と共謀しいて考えている処遇を思い出して必要ないと判断してやめたのだ
った。
「すんません。有難うございます」と伊藤は剣崎洋と握手してからはこれで俺も
幹部の仲間入りだと想像して感激していた。
「じゃ、ちょっとシャンパンでも飲んでいけ」というと剣崎洋は笑っていた。
酒で酔いだした剣崎は「おい、お前等、剣崎組はこれからはこの七人で盛り上げ
ていくぞ。いいか、この戦争で勝てば関東一の組織だ。オヤジはもう年だから直
ぐに俺が組と会社を継ぐからな、ムショに行って帰って来たら5億でも10億で
もくれてやるから絶対に失敗するなよ。失敗した奴も殺すぞ、いいな」という。
そんな大盤振る舞いをも持ち出して簡単に信用させる恐怖のカリスマ性が剣崎洋
の持ち味だった。
将来を約束されて剣崎から直接金を受け取った伊藤がその場にいる小僧どもに対
して命令口調で指示を出している姿に呆れてみていた船戸は失敗をさせないため
にその場を締めるつもりで酒に酔い始めている舎弟たちに「いいか、絶対に足の
つくことだけはやるんじゃねえ。いずれは自分からパクられたとしても、はっき
りした証拠が出なければそんなに長くは別荘に行かなくて済むからな。いいな」
といって確実に務所送りに耐えられるようにと今後の計画の一部分を発信して牽
制していた。
「おお∼∼。ヤクで殺すんなら経緯の全部が見つかるとは考えられませんからね
」
「やつ等の女が手の内にあればやりやすいんだがな」
「まあ、時間もかかるし、今回は無理だろう」
「そうだ、しかし、これの後は遊んで一生暮らせるくらいの金になるぞ。渡辺の
ブツは150億分はあるという話だからよ」
「おお、俺達が売れば300億にはなる」
「おお、そういう事だ」
「おお∼∼」
リンリン ベルが鳴った。
竹山と安藤が入ってきた。
「おう、久し振りだな」竹山が伊藤に寄って握手していた。
「竹山、こいつ等は今、正式に組に入ったぞ。今日はお前等も洋さんからサカズ
キを受け取れ」といって船戸は競争意識をかき立てることを忘れてはいない。
「はあ、有難うございます。がんばりますわ。おれ等も。なあ」
「おお、安藤宜しくな」伊藤が安藤と握手した。
「竹山、これからは伊藤と同等だ、お前は安藤たちの兄貴分だ。いいな」
「はい、分ってます。異論はないですよ」
リンリン ベルが鳴った。
村山が入室した。
「おう」竹山が村山と肩を叩き合って握手していた。
「よし、これで揃ったな」船戸が話し始めた。
「竹山、伊藤、みんなよく聞けよ、シャンパンを持て。よし、カンパーイ!今日
はこれが洋さんからの正式なサカズキだ。これから渡辺を潰して剣崎が関東を乗
っ取る。竹山、お前はこれから大変だぞ、伊藤たちは渡辺を命がけで殺りにいく。
もし、捕まったら10年は食らうだろう。そいつ等は帰ってきたら幹部になって
2億から5億の金を受け取るんだ。遣り甲斐があるだろう。ムショへ行かない奴
には出所祝い金はねえ。三下の奴らにも今回2000万を支払うが、やばくなっ
たらムショ行きの替え玉にも億の金を払うんだ。だからいいな、金を作ってくる
んだ。これから暫く伊藤たちは売人ではなくなるからな」
「いいか、金を渡すのは一人につき5人の助っ人だ。それ以上呼べば分け前は減
るぞ、しかし、失敗は許さねえ。いいな。絶対に間違いなく実行しろ」
「はい、分りました。いま、村山も随分売り出しましたし、女どもにもやらせま
すから大丈夫です。それにおれ達もやばい橋を渡ってますからね。引き下がれま
せんよ」
「よし、そうだが、こいつ等は殺しをやるんだ。おまえ等とは格が違ってくると
いう事だ。お前等には2000万は渡さないぞ、いいな」
「はあ。分りました」
「それで、お前等は明日から5キロを早く捌くように動くんだ。これにかかる費
用が5億必用だから、いいな。売って、七億よこせ。それ以上はお前等の自由な
金だ。それでいい」
「はい、分りました。まあ、直ぐに捌きますよ」
「竹山、こっちへ来い。これを持っていけ、売人を雇う資金だ。500万ある。
上手く使うんだ、いいな」といってカネで釣る作戦を実行して、竹山が「はい」
と返事をすると剣崎洋が握手を求めてきていた。竹山はお辞儀をしてから剣崎と
握手をして感激していた。剣崎は「頼むぞ」といいながら全員に酌をして回って
いた。
「二度と俺がお前等に酌をすることはないからな。しっかり今日は飲んで楽しん
でいけ。この後は関内で飲ませてやるからな。船戸、ブルー・シャトーに予約電
話を入れておいてくれ」
「よかったなあ、お前等。もう直ぐ100億円の組の幹部だからな」
「よし、今日は打ち上げだ。今からブルーシャトーに行って飲むぞ、いいな」船
戸も機嫌が良かった。
ブルーシャトーには剣崎と永沢がいた。
洋たち七名は機嫌よく入店していた。
入店すると洋は妹、舞に呼び止められ、オヤジと永沢に謁見していた。
「おお、洋、こちらが永沢先生だ。これからは世話になるから大切にするんだぞ
」
「はい、心得ております。先生、どうぞ宜しくご指導ください」
「おお、洋さん、いい男ですなあ。こちらこそ父上にはお世話になりっぱなしで
ありがたくお付き合いさせていただいておりますので宜しくお願いしますわ」と
いって永沢は剣崎洋の容姿に見とれていた。
「はい、ちょっとうちのカシラを紹介しときますわ」洋は船戸を連れ戻ると挨拶
させた。永沢は剣崎から聞かされていたので軽く挨拶した。
「まあ、兄弟分ですから宜しく頼みますわ。今度うちの小僧にも会ってやってく
ださいな」というと両手を差し出して剣崎洋の手を握りマジマジと顔を見ながら
拝んでいた。
「はい、勿論よろしく願います。じゃ、向こうで大人しく飲みますんで失礼しま
す。また次回ゆっくりお世話させてください」
「おお、じゃあ宜しく」洋は席に戻った。
「ああやって挨拶は出来るんですが、頭の中がヤッパですので危なくてしょうが
ないんですわ」という剣崎は笑っていた。
「まあ、そのうち落ち着くでしょう」
「いや、品川の渡辺を潰すいうて、まあ、大変ですわ」
「え∼!渡辺をあの?」
「参っとりますわ、戦争になると困るんですが、2∼3日で終わる云うて大きい
こといいますんで、まあ、やけくそで放置していますよ。そんなに簡単ではない
と思ってはいますけど、成功すればでかいシマが手に入りますからね」
「いや、それは大変ですわな、しかし、問題が大きくなったらセンターの仕事が
パーですよ」
「そうなんですけど臓器移植も金が要るでしょう先生。あんたも正念場でしょう。
そんなこと云わんで、応援頼みますよ。一蓮托生ですがな」
「そうか、何とかせんといけませんなあ。それにしても渡辺をねえ」
「洋が今日来たのも先生に丁度挨拶が出来ましていいタイミングだったのかも知
れませんで」
「わかりましたよ、まあ、一緒に乗った船ですからなあ。剣崎さん渡辺潰しには
幾らかかりそうですかな?」
「ざっと10億くらいですけど10年後に兵隊には出所祝いに20億くらいは払
わんといかんでしょうねえ」
「おお、そうか、出所祝い金ですか。じゃあ、東日本臓器移植ネットワークシス
テムの乗っ取りも成功しとかな、いけませんなあ」
「そうでしょう、たのんますわ、先生ももう仲間でしょう、本当に頼りにしてま
すんで頼みますよ」
「分りましたがな。早急にやりましょう」
「わはは。まあ、後は天下る奴らを脅して買収すればいいだけですからね」
剣崎洋たちはシャンパンパーティーで盛り上がっていた。
「ちょっと、失礼」というと剣崎は永沢の席を中座して洋たちの席へと向かった。
「おう、わしが剣崎じゃ、お前ら、組に入ったんじゃろ、順に名前を言え」とい
うと剣崎は立たせた新入りから順に名前を聞き取り、シャンパンをグラスに注い
で形ばかりの仮サカズキを交わしていた。
「ここは娘の店だ。客がいるときはこれからは俺も無視するが、お前等も無視し
ろ。いいな。用事以外の来店は禁止じゃ、今日だけだぞ、これからは呼ばれたと
きだけだ。凌ぎの話は漏れると多売から仲間以外には絶対に聞かれることがない
ように注意せい。いいな。それから伊藤、竹山はどいつだ、おお、お前らで組が
大きく転換できるきっかけを作るんだ。命がけの仕事の報酬はでっかく払ってや
るから確りやれよ。失敗は死ぬことで償うのだぞ」といって永沢の席に戻ってい
た。
伊藤、竹山らは剣崎に会ったことで幹部になろうと完全にその気になっていた。
翌日から早速渡辺組幹部たちの追跡が始まった。
自宅や女達を特定しては確実に実行するために行動パターンを掴む。特にブツが
あるという情報で得ていた倉庫の場所と鍵をどうやって手に入れるかが成功の決
め手だった。
探偵気分でいう滝川は「金子、今日はお前が追跡しろ。村山お前はヤクを売れ、
時間を有効に使うんだ。お前等だけが二人組みだからな。後のメンバーは仲間で
間に合うだろう」といってはその気分に浸っていた。
金子は女を使って大量のヤクを売るメンバーとして知れ渡っていた。
「滝川さん任せといてくださいよ。最近は三浦まで足を伸ばしてますよ、へへ女
がね」
「おい、村山、お前、俺の分も売って来い。
いいな」
伊藤は村山よりも5歳年下だったが、数ヶ月前、仕事の帰り道で信号待ちをして
いた伊藤のバイクが信号が青に変わっても動かなかった。後方で停止した村山は
痺れを切らしてスーパーの軽トラックでクラクションを鳴らして発進を催促して
いた。軽トラの前にいた伊藤は信号が青にもかかわらず単車のサイドスタンドを
立てて単車を置いて村山の運転席の横に立ち「おい、バカ野郎。うるせえんだよ。
てめえ、誰にプープー鳴らしてんだよ」といって運転席のガラスの隙間に手を入
れて村山の胸倉を掴んで殴り、村山を車から引きずり出してやろうと窓から腕を
抜くときに窓枠の腕を擦り傷がつくと「おい、怪我したじゃないか、お前、治療
費を直ぐに100万払え」といって脅していた。
金が無いという村山を散々脅して払えないなら仲間になれとスーパーまで付いて
行き、しぶとく閉店まで待って自宅で借用書を書かせた上に売人なることと知り
合いの女に薬を使って売春をさせろと迫っていた。
そのときに始めてコカインを吸引させられた村山は病み付きになっていった。そ
うして伊藤の傘下に入り売春の元締めを金子にして手下として利用されている。
伊藤のカネで買ったベンツを乗り回し、時には伊藤、白井の運転手をやらされて
いるのだった。売人として金を稼ぎ自らも吸引して楽しむために今となっては罪
悪感はとうに消えているのだった。
村山は翌日前園はるかと喫茶茅ヶ崎にいた。
「今日は疲れたね。これからはここで会うのはやめたほうが良さそうだわ。私も
車があるからこれからは店で受け渡しはやめましょう。はい、21万ね。3つ分。
じゃ」何故かブツの受け渡しには無口になる。
誰にも常習者とは知られたくはないという心理だけは働くのだがいずれそういっ
た自制心も溶けていくことが分らないのが恐ろしい。
そういう村山の部屋では律子がぐったりとして寝ている。
「ただいま。良く寝ていたから、今ちょっと仕事の話で出ていたんだ。大丈夫な
ら今から駅まで送るよ」村山は金を洋服ダンスにしまうと律子を抱き起こした。
「あ∼ん。帰りたくないわあ」
「駄目だよ。また明日ね。これをあげるから」村山は粉と一緒にリモコン・ボー
イを渡していた。
律子は袋を受け取り、「これなあに?」という。村山はおもちゃを箱から取り出
して寝ている律子に挿入した。
「あ∼ん、なにするの?」
ブルッ、ブルッ
「あぅ」
ブルッ、ブルッというかすかな振動音がするのを村山は楽しんでいた。律子は足
を絡めて目を瞑り天井を向いて腰を振動させていた。村山がスイッチから親指を
離して「下着をそのまま穿きなさい。帰る支度を始めなさい」と命令すると律子
はおもちゃを挿入したまま身支度を始めた。村山が立って身支度をしている律子
の胸に顔をうずめてスイッチを押した。
ブルッ、ブルッ
「あぅ。ちょっと」
「律子さん、もう僕には買う金がなくなってきたからこれから自分の分は自分で
買ってね。高いんだ、これ、グラム10万円する純度が98%の極上品だからさ
」
ブルッ、ブルッ
「あ、・・そうね、・・じゃあ、これ」律子は財布をバックから取り出し、10
万円を村山に渡した。
ブルッ、ブルッ
「あぅ。また・明日・に・するわね」という律子はそれから毎日のように村山の
部屋に来て抱き合うことが日課になっていた。
村山は律子からは金を取らずに使っていたために負担も大きかったのだ。
また剣崎の計画を実行しなければならない村山は大量のブツを捌く時間が律子に
よって制限されることが売り上げの妨げになることを懸念していた。律子を引き
離す策を練る必要が出てきたのだが、何とかしてここまでに育てた律子を利用で
きないものかと考えながら駅に向かっていた。
ブルッ、ブルッ
「あぅ」
歩きながら律子の表情を見て楽しむと暗闇でしたくなる。途中まで電車で送るこ
とにした。律子と電車に乗って遊んでみることにしたのだった。普段でも情事の
感覚が体に残り、痺れたまま立って乗車すると自然に足をくねらせてしまうのに。
ブルッ、ブルッ
「あぅ」
線路のつなぎ目の振動や停車駅でのアナウンス、音楽が聞こえれば周囲の眼を気
にすることなく異常に反応してしまうのに。
ブルッ、ブルッ
「あぅ」
挙動不審の律子を乗客たちが見て、薬でラリッていることが悟られず自宅まで到
着できていることが幸いだとはまるでわかっていなかった。
「じゃあ、また明日ね。バイバイ」村山はリモコン・ボーイのスイッチを手渡し
て耳元で「これを押すと振動するんだ。自分で押して楽しみながら帰りなさい。
僕と会うときは必ず装着してくるんだ」と命令していた。
うなずく律子に手を振りながら見送ったのだがきっぱりと律子との関係を切れな
い自分に腹を立てるのだった。
自宅に到着すると毎日9時過ぎになる事はスーパー自体が9時までの営業だった
ためだと、かろうじて言い訳が通用していたはずだった。
不信感を募らせながらも心配してやさしく藤堂が「遅かったね。何していたの?
」などと質問すると「どうして、仕事って言っているでしょ」と喧嘩腰な態度で
対応してしまう律子に「そんなに苛々するなら別に仕事なんかしなくてもいいの
だから辞めたらどうなんだ」という具合に云い争いが日常化してしまうのは自然
の成り行きというものだ。
律子には仕事なんてどうでもいいのだが、それよりももっと体に必要不可欠なも
のが出来てしまっていた。しかし未経験の他人には理解しがたい世界だった。
「仕事して疲れて帰ったのですからそっとしておいてくださいよ。仕事はやめま
せんよ。引越しして別居してでも続けますよ。私は絶対に自立できるようになる
んですから」としか返事が出来ないのだった
「何を苛々しているの?」とやさしくいわれても効果が切れて来たのだからとは
いえないし何故そうなるのかも理解できないでいた。そして次第にイライラが最
強調を迎えると、テレビのリモコンを手に取り、テレビをつけたり消したりを繰
り返し、ソファーとキッチンの往復を繰り返して眠れなくなってくる。我慢でき
ないときにはとっておいた精神安定剤のストックをトイレで吸引するが、ないと
きには冷蔵庫の水やビールを深夜にも飲むようになってアルコール依存も併発し
てくる。
藤堂と龍也には働き始めてから律子の性格が変わってしまい、近づきがたい存在
へと変貌してきているように思えていた。
「おとうさん。母さん病院へ連れて行ったほうがいいのかな?」
「そうか、随分痩せてきているし、お前の意見が正しいかも知れないな。どんな
仕事でもいじめがあるというからなあ。もしかしてうつ病?それも考えておこう
か。・・・・」
龍一は仲間と一緒にいた。
シーサイドの二階で夜空を見ながら寛いでいた。
「おい、星空はいいなあ、なあ、ノリお前ウルトラマンの星知っているか?」
「あ∼、おお、M78星雲だろ」
「あれ、本当にあるんだぞ」
「当たり前だ。知っているに決まっているだろ。お前、俺を舐めてるだろ」
「おお、舐めてる」
「この野郎。」則弥が龍一の顔に湯をかけた。
「う∼プップははは。そうか知ってたか?」
「あんた達、何やってんの?仲良いわね」
君代と京子、横山も一緒にウッドデッキにあるステンレス・ジャグジー・バスに
水着を着て入っていた。
「キミ、お前はウルトラマンの星って知っているか?」
「知らない、だいたい女の子がウルトラマンなんて視ないし」
「そうか、ノリ、説明してやれ」
「必要ないってば」
「よし、博士が説明してやる。いいか?M78はオリオン座にある反射星雲であ
るぞ。あそこに見えるオリオン座だ。真ん中の三ツ星の上に固まって見えるのが
M78だ。下に丸く固まって見えるのがM42カニ星雲だ。地球からの距離は1
600光年もあるんだよな。ちなみにアンドロメダは300万光年あるんだぞ。
たしか?」
「おお、ノリちゃん以外に素敵。チュウしてあげる」君代は則弥に抱きついて頬
にキスした。
「おお、いいねえ。今見ているのは100光年前ってことだ」
「なあ」
「ああ」
「ふ∼ん。ちょっと面白くなってきた」
龍一は「ウルトラマンの星はさあ、最初はM87で作者は原稿を書いたらしいけ
ど台本を印刷するときに間違えてM78になっちゃったんだって」と雑学を披露
しはじめていた。
「へえ、おもしろいね」
「だろ、オリオン座はカシオペア座、おおぐま座北斗七世星と並んで簡単に見つ
かる星座だな。オリオンは、海の神ポセイドンの子で、ギリシャ一の力持ちなん
だよ。狙った獲物は逃さない狩人で、ポセイドンの血を受け継ぎ、海の上を自由
に歩き回ることができたんだ」
「あ、なんだ、聞いてねえのかよ」
君代と京子は酒を飲みすぎてウィー、ウィーといいながら酔って互いを見つめあ
っていた。
「なんだよ。折角いい話だったのによう」
それを見ていた横山の「飲み過ぎで風呂に入りっぱなしは危ないよ、相当心臓に
負担がかかるらしいからな」という警告にも全く反応しない二人だった。
「おお、初めてのキスは口にしてくれ」という則弥の言葉には反応した君代は「
バカ言ってんじゃないよ。あんたにそんなことしたら舌を入れられて直ぐにチン
チンもよろしくとか言ってくることが眼に見えているからね。私は大事にバージ
ンを取っとくんだから」と下ネタには強く反応するのだった。
「あほか?お前のようなじゃじゃ馬は誰も好きになんかなるもんか」
「へえ、あ、そうなんだ。キミちゃんがノリのことスキッて、言ってたんだけど
な。ねえ、キミ、脈は無いみたいよ」京子が軽く暴露すると君代は赤くなって「
あれは冗談だから、信じないでよ」とうろたえながら下向き加減で則弥を見つめ
ていた。
則弥はそれを突然聞きとめると目をシロクロさせて本当かよ?と驚き、風呂の中
でぽかんと大口を開けて固まっていた。
「ははは。すげえ、かたまってるぅ」京子はそれを見て「キャッキャ!」と笑い
則弥の顔に向かって湯をかけた。
則弥は息の続く限り潜った。
「おい、ノリ、大丈夫か?お前」と横山が笑いながら声をかけると則弥は「あぁ
、う、俺は生まれたときから君代が好きだ」といって冗談のように泣いた。
「おい、ノリ、ははは。それって本当にやってんの?」と京子が笑いを力いっぱ
いこらえて質問すると則弥は「おう、本当だべ、ズ∼ット好きだった。だけどよ
う∼、お前らは直ぐに殴るし、ホント、怖いから言えんかったんだぞ。あ∼、グ
ェ!」とゲップして絶句した。
京子は笑いをこらえきれず「がははは。ノリ、お前、酔ってんねえ∼」と大声で
笑った。君代が口を開けっ放しで則弥を視ていた。
京子は、がははと笑いながら君代の鼻水を見つけて「あんた、風呂に鼻水が落ち
るじゃん」と君代の鼻を指差すと則弥がそれを見て「おお、キミが嬉しくて鼻で
泣いている。あ∼∼きたねえ!」と叫んで鼻水を右手でつまんで風呂の外に放り
投げた。
龍一が大声で笑いながら「おお、成立か?」と叫んだが則弥と君代はすでに人目
をはばからず鼻を垂らして抱き合っていた。
横山は笑いながら「鼻垂れどうしの青春の新しい一ページが始まった」と良いコ
メントをしながら笑っていた。
君代も則弥もべろべろに酔っていた。
横山が「お前等酔ったら長風呂は危ないから中に入って寝袋で寝ろよ」というと
則弥と君代は「へえ、そういたしますだ」と顔を見合わせ、肩を組んで風呂から
出て、ふらふらと千鳥足で店内に入っていった。
「あぶない、あぶない」といいながら京子は酔っている君代の着替えを手伝い寝
袋の中に押し込んでチャックをするとまた店内のストッカーからビール瓶を取り
出してラッパ飲みして出てきた。
「おまえ、本当にツワモノだなあ」と横山が指摘すると「私達はゴルフ場で鍛え
られているからねえ。ちょっとやそっとじゃ酔わねえよ」といって湯船に「ああ
∼∼」といいながら浸かった。
龍一が「全くババアか?色気のねえ奴だぜ。」といっても「うるせえ。ほっとけ。
パンチドランカー!」といってラッパ飲みをやめなかった。
空が白んできた頃、龍一たちも店内で寝ることにしたが京子は恥じらいも無く龍
一の目の前で一気に全裸になると「おい、リュウこれで背中を拭け、へんなこと
するなよ、私がこんなに美人だからやりたいのはわかるが決して手を出すでない
」といってバスタオルをバックトスした。龍一は唖然としてタオルを受け取ると
京子の背中を縦に一直線に下へ向かって拭き下ろし、「アホか、お前」といって
寝袋に入っていた。
横山は「京子、ちゃんと寝袋に入って寝るんだぞ」といって直ぐにイビキを掻い
て寝ていた。よくもまあ、こんなうるさい中で眠られるものだと感心していた京
子もすぐに埴輪のような形の口をあけて大イビキで寝ていた。
「おいおい、シェフがもう来ているよ」という君代は横山の寝袋を足先で揺すり
目覚めさせると「ご飯できたよ」と京子にも足蹴りをかましていた。
「いててて。痛ってえよ」京子はぼさぼさの頭を掻きながら「起きろー」と大声
で隣の龍一を蹴飛ばしていた。
「あ∼。もうそんな時間?」横山も寝ぼけた顔で京子を見ていた。
「おい、ノリ、朝飯だっってよ」横山が則弥を揺すったのだが則弥のイビキは止
まらなかった。
「キミちゃん、今日は何?」
「トーストも出来るしご飯もチンすればあるよ。ハムエッグとスープ、ワカメし
か見当たらなかったから卵わかめスープ」
「いいじゃん、私トーストね」
「俺は、フレンチ・トースト」
「ハイな、任せて。頑張るから」
「頑張る?」
「フレンチ・トーストは2回目だから大丈夫だよ」
「あ∼、じゃあ、自分でやる」横山がいうと君代はすでにボールに卵を割って牛
乳を入れてしまっていた。肩で横山を阻止してかき混ぜた。龍一はスウェットの
中に手を入れて尻を掻きながらだらだらとトイレに向かっていた。
「尻を掻くな」と京子が叫ぶが無視して掻きまくっていた。
「おお∼」といって則弥が起きた。
「おお、お前良く寝ただろう」
「はい、熟睡ですよ。昨日は良く働きましたんでね。疲れましたよ。あれ?リュ
ウは?」
「帰ったよ」
「嘘、いつ?」
「嘘だよ、今トイレに行った」君代が言うと「そうか、俺も行こうっと」と則弥
が立ち上がると振りチンだった。
「ぎゃ∼」
「あ、おっとっと」
「あんたさあ、ちゃんとしなさいよ。ね、そんなことじゃ、キミちゃんに振られ
ちゃうよ」
「あ、なんで?」
「あんた、昨日キミちゃんスキッって言ったじゃないの?」
「はあ?うそ?俺が?冗談でしょ」則弥がいうと京子が君代を見て「ねえ、あん
たあいつ昨日そういったよね?好きって。ねえ」君代は「えっ?」といって口を
あけたままケーキターナーを持つ手が止まっていた。
「え?あんた達、昨日のこと覚えていないの?」
「あ∼、なにを?」
「うっそでしょ?」
「わははは。もういいじゃないか、またゆっくり進めばいいじゃないの?」
「呆れた酔っ払いのバカップルだわ」
「あ∼、何笑ってんの?」龍一もボケていた。
「お∼∼。めしめし」則弥は普通に元気だった。
視ていた京子は「呆れて笑うのも勿体無い感じ」と投げやりな態度で朝食を作っ
ていた。
横山は朝食をとりながら笑い続けていた。
ピーポー・ピーポー
「あ、また誰か溺れたんじゃないか?」
「最近事故多いからね」
「ああ、子供には子供用のライフジャケットを必ず付けさせるようにしないと駄
目だよな」
「おお、リュウ、それ戴き、直ぐオヤジにいうて三浦海岸はライフジャケット装
着のお触れを出させるぞ。有料レンタルもやればいいぞなあ」
「へえ、お前って、直ぐに何でも商売に結び付けるよな。親父に似て金には目ざ
といな」
「ある意味凄いなあと思うけど」横山が言うと京子は「調子に乗るからおだてる
のはやめてください」といってピシャリと閉めた。
横山は京子の迫力に押されて姿勢を正し「はい」と答えて食事を再開していた。
自然と龍一達がそれに習い姿勢を正す姿を見て君代は「あんた達別荘に行ったら
ちゃんと生活出来そうね」と茶化した。
ピーポー・ピーポー、ピーポー・ピーポー
「なんだ、あれ?」横山が外を指さした。
則弥が「煙じゃねえか?」と席を立った。
デッキを見渡せる席に座っているノリと横山がデッキの上を通過していく黒煙を
見ていた。
ピーポー・ピーポー、ピーポー・ピーポー
「おい、サイレンが止まらないぞ。事故じゃないか?」
全員がデッキに出て道路方面を覗いた。黙々と黒煙が上がり消防車が数台止まっ
て消防隊員があわただしく動いている。
「海賊島だ!」
「あ∼∼やべえ」
「うそでしょ∼」
全員があわてて階段を下りて道路に出ると海賊島の2階窓から黒煙が「シュー」
と音を立ててジェット噴射のように噴出していた。
「近づかないでください、爆発の危険があります。決して近づかないでください
」という隊員の声は興奮気味だった。
「あ∼∼。どうしよう」龍一たちは黒煙に包まれながら立ち尽くした。
「バン!」といって二階の窓ガラスが枠ごと吹き飛んで道路に落ちた。
壁にはひびが入り黒煙を噴出している。
またバン!という音がすると屋根の上から青白い炎とともに黒煙が噴出して真っ
青な炎が黒煙の中心に噴出しジェット戦闘機のアフターバーナーのような形にな
っていた。
「ここは飲食店だからアルコールがありますよ、おそらく今のもそれではないで
しょうか?油も大量にあるともっと爆発の危険があります」と若い消防隊員がは
しご車の隊員に伝えていた。
消防車の注水にも全く衰えない炎が全焼を予想させるのだった。
「壁が割れたらもう一発くるぞ」
「窓から放水しろ」
「ノリ、火災保険って入っているの?」と君代が聞くと則弥は力なく「ない」と
答えて無言のまま立ち尽くしていた。
顔に黒いススが付いても気にならない光景だった。
「また、初めからか・・・」
「おお、まいったな・・・」
「ああ、なんでじゃ。・・」
「金、少しはあるか?・・」
「ああ、少しはあるぞ・・」
「ま、やるしかないけど・」
「前進あるのみでな・・・」
「ああ、それしかない・・」
「お前等ならなんとかなる」
「おお、そうだ、そうだぞ」
「これを乗り切れば一人前」
「くそ、そうだ、頑張るぞ」
「よし七転八起、七転八起」
「もう、我には七難八苦を与えるなよ」
「ほんとだぞ、頼みます。ははは」
「わははは!笑ってやれ」
「よし、わはははは」
「なんとなく気が晴れるな」
「あんた達バカでよかったわ」
「ほんとにそうおもうわ」
「そうか、わははは」
「いい仲間が大勢いるからな」
「わははは!笑ってやれ」
「よし、わはははは」
龍一たちは会話することで落ち込む気持ちを奮い立たせようとしているのだった。
「お早うございます」と云うのは龍也だった。
「あれ?お母さんは?」
「帰っていないみたいだな」
「うそ、どうしたの?最近遅かったし、何かあったのかな?」
「まあ、ちょっと酒かなあ?」
「最近多いね。毎日お酒飲んでたしね。連絡は無いの?喧嘩してたんじゃないの
?」
「ああ、イライラするなら辞めろとね」
「先日も母さん言ってたしね。引越しして別居してでも続けますよ。私は絶対に
自立できるようになる。なんてね。どうしたんだろう。やっぱりいじめでヤケ酒
でも飲んでホテルにでも泊まって父さんにアテツケなのかな?」
「まあ、それくらいなら逆に心配ないけどね」
「最近母さん妙にけんか腰だから以前とは違った力は感じるけど絶対におかしい
のは事実だよ」
「そうだな、ちょっと様子を見てくるかな」
「スーパーにいくの?」
「ああ、心配だからな」
「そんなことしてもしも元気ならまた喧嘩になるんじゃないの?」
「そうだけど、・・そうだな。今日は様子を見るか」
「じゃ、おれ、学校行くね」
藤堂は龍也を見送り仕事に向かうため車に乗った。家をでると直ぐに県道215
だった。
あれ?めずらしく混んでるな?
渋滞の先を確認しようと並んでいる車の先を辿った。
あー。火事だ。ヘリが上空をバタバタと飛んでいる音が聞こえてきている。
黒煙が立ち上り、火事の大きさを想像させた。
シーサイド方向だな。
なかなか進まないので取引先に連絡した。
ツーツー「あ、藤堂ですが、すみません今日の打ち合わせずらせませんか?火事
の様で海岸線が渋滞なんです。・・そうですか、有難うございます。・・・では
夕方はいかがでしょう。・・・はあ、では18時に。済みませんでした」
目前の定期バスが停留所に入ると視界が開けて煙の位置が確認できた。
「龍一の海賊島じゃあないか?大変だ」といってもなかなか進まない。龍一は携
帯電話は持っていなかった。
「シーサイド」に電話した。
ツーツーツーツーツーツー
なかなか出ないなあ、「あ、藤堂ですが、横山君はいませんか?」
横山さ∼ん!という声が遠くに聞こえていた。
〈藤堂さんってかたですけど・・・きっと現場を心配してみているんだろう〉
「はい、よこやまです」声が枯れていた。
「藤堂です。大丈夫ですか?龍一は大丈夫でしょうか?」
「はい、怪我はしていません、昨晩はここで寝ていましたから。京ちゃん、キミ
ちゃん,則弥も来ています」
「そうですか、良かった。これからまた大変だね」
「はい、でもみんな吹っ切れて笑っていますよ」
「笑ってる?」
「はい。また強い絆が出来そうですよ。これで。うちがまた頑張って応援できそ
うです。僕も悪いけど喜んじゃっています」
「そうですか、宜しくお願いします。もう直ぐそちらの前に着きますので裏道に
車を止めて伺います」
「はい、お待ちしています」
龍一たちは現場の前まで出て状況を見守っていた。
警察官が交通整理をしているが片側の交互通行では渋滞は解消されそうには無い。
藤堂は住宅地内の地元民ならではの裏道を進んだがここもやはり渋滞だった。県
道よりは少しばかり進むのでそのまま裏道を抜けて国道134へ出て海賊島の北
裏の駐車場に止めた。また現場のある県道へ戻ると龍一たち一団の姿を見つけて
安堵していた。
京子が藤堂を見つけて手を振っていた。
「リュウ、おじ様が来てるよ。ほれ、あそこ」
「いいよ、あんな奴おれには関係ねえ」
「そうかもしれないけど心配して見に来たんじゃないの?」
「いいよ。関係ない」
「こっちにくるよ」
龍一は藤堂を見つけると一団を離れて「シーサイド」に向かった。
「おれ、二階に行くから」と言っていた。
海賊島はスレート造りだったので暫くすると鉄骨が残って屋根から崩れ落ちた。
周囲は火事場独特の鼻を突く塩っぱいような涙が出てくる異臭が漂う最悪の空気
になっていたが、幸い周辺の建物には飛び火せず単体が被害を受けたのみで収拾
しそうだった。
「京ちゃん大変だね。おお、則弥君、大変だね」
「あ、おじさん、大丈夫ですよ、何とかなりますよ。落ち込んでもなんともなり
ませんからね」
「おお、そうか、みんな、元気そうで良かった、則弥君リュウのこといつもあり
がとう。世話になって悪いね」
「いえ、リュウがいるからみんなも頑張れるんで」
「いや、私もだらしなくてね」
「おじ様、大丈夫ですよ。あ、おば様は元気ですか?」
「元気だけどね、仕事を始めてから喧嘩が絶えなくてね」
「え∼、それはいけませんね、私があんなこと言わなければ良かったかなあ?」
「そんなことは無いよ、元気にはなったし活発になってね、毎日酒飲んで帰って
くるよ。困ったことに昨日は無断外泊だよ」藤堂は小声で京子に耳打ちしていた。
「えっ!」思わず口を両手で押さえた京子は「おじ様、私今日買い物ついでに鎌
倉を見に行って様子を窺いますよ」といってなんだか元気がなさそうだという印
象を受けていた龍を訊いて心配でどうしようもないのだが納得していた。
「そう?ありがたいね、何かあったら大変だからさ、お願いしますよ。リュウに
は黙っていてね。あいつに知れるとまた厄介だからさ」というと藤堂は方目を瞑
って手を合わせていた。
「はい、解りましたよ」京子に「じゃあ」、といって藤堂は則弥の肩に触れてか
ら「宜しくね」といって立ち去っていた。
京子は少し落ち着かなくなってきていた。
藤堂から律子の不在を聞かされて女の心理を分析したからだった。
「まさか、男ではないでしょうね。主婦は、ましてあまり遊んでいないような律
子がそういう事には不慣れでどろどろの関係に落ちいって男に溺れるようなこと
になっていたら自分の責任だわ。どうしよう」と居ても立っても居られない。こ
うなったら早くスーパーを見に行くしかない。と思った。
「ノリ、キミちゃんちょっと悪い、私、出かけるから」
「え∼、あんた、練習どうすんの?」
「後でいけたら行くからあんた先にやっていればいいからさあ」
「ちょっと、何処行くの?」
「鎌倉のスーパー」
「はあ?スーパー?」
「そう、じゃ、また後でね、ノリ」
「おお、じゃあな」
則弥は海賊島で働いている従業員のことを考えていた。
「どうしよう。再建するには相当の金が必要だという事はわかるが具体的に必要
な金額は考えるだけで気が遠くなる数字で、金が無くなれば人は離れていくとい
う自然の原理まで理解しようとしていた。
親父にはすでに3000万円は返金して横山との連携を考えて5000万円の
現金は税理士が管理して銀行にはある。
従業員はコック5名フロア4名アルバイト15名のシフトであった。
月間の経費はすでに500万円を越える。10ヶ月で消えてしまう金しかない保
険にも入ってはいない。かろうじて設備品だけは保険でまかなえるようになって
いるが、建物の修理までは程遠いのだった。
「あ、ちょっと、永沢君かね?」という突然の声に背中が少し跳ねていた。
「はあ、あんた誰?」振り向いた則弥が云った。
「神奈川県警の細川です。一度病院で会ったがねえ。覚えてないかね?」
「・・・ああ、笹木の?それで?」
「あ∼、昨晩は何処にいました?」
「なに?これって、俺を疑っているのか?」
「まあね、参考までにさ」
「店が終わってからこいつ等とあそこの二階でさっきまでメシ食って寝ていまし
たが。なあ」
「あ、そう。じゃあ、ちょっと一緒に行きましょか、あそこ。あなたもいいです
か?」細川はシーサイドで話さないかと指差して示していた。
「はあ、じゃあ、君代いい?」
「うん、行くわ」
細川はバディーの小池と一緒だった。
「大変だねえ、跡形もなくなる火事なんてそうないからなあ、まあ、でもオヤジ
さんが出してくれるでしょう、随分流行っていた様ですし、オヤジさんが実質オ
ーナーみたいだしさあ。金持ちにはこれしきどうってことないでしょ」
「おい、それ、どういう意味だよ、お前、いい加減にさらせ。燃えたんだぞ、バ
カ野郎」則弥は腹を立てて細川の胸倉を掴んで押していた。
「おおっとと、悪い、悪い、スマン、穏やかに行こうよな。それは駄目でしょう
」
「ノリ、やめなさいって」
「くだらねえ事言うなら帰れ、おまえ。舐めてんじゃネエぞ、ガキと思うなよ」
「まあまあ、おれは喧嘩しに来たんじゃないからさ。でも悪さばかりしているか
ら警察を良く思わないのは事実だろ。おれも昔は悪さをしたからよ」
「お前、何言っていやがるんだ」
三人はシーサイドに到着して二階へと進んだ。
「良いネエ、ここは雰囲気あるよなあ、小池!」
「はあ、なかなか良い雰囲気ですね、異国情緒というか」
細川は到着すると「じゃ、ここで」とデッキの席に座ると店内を見回しながら話
し出していた。
「あ、あれは?」細川が店内でコーラを飲んでいた龍一を見つけた。
「藤堂ですけど」則弥がいうと「あの子もいたの?」と聞くので「はい」と則弥
が答えた。細川は龍一と眼が合うと手招きして呼んだ。龍一はコーラを持ってと
ぼとぼと歩いてやってきた。
「なんですか?」と答えると細川は「このたびは大変だね。ちょっと聞きたいこ
とがあってね」というと胸ポケットからタバコを取り出して火をつけていた。
「なんです?」
「最近だけど油壺で女の子の死体があがってさあ、ヤク中で死んだと診断されて
いるんだが、キミ達何か情報を持ってはいないかなあと思ってね、参考までにと
窺ったら火事が起きてて大変だとは思ったんだけど色々参考までに何か知ってい
ることはないかなあ?とね」
「俺たちそういう事はしないし関わりがないから全く情報なんてありませんよ。
残念ですね」
「おう、そういう事だ、ヤクはご法度でね。なあ」
「そうか、まったくないかね?」
「ありませんよ、私達仕事で忙しくしていますからそんな馬鹿なことに首を突っ
込むなんてありえないんです」
「あ、そう、最近三浦海岸でヤクを売っている奴をうちの生活安全課が数人逮捕
してね、剣崎組の関連ではないかと謂う事まではわかったんだが。まだ、確証が
取れないで困っているんだが、ちょっと協力はしてくれないかネエ」
「あ∼∼、おまえ、誰に言ってんの?」とまた則弥が怒り出した。
「永沢君と藤堂君だけど?」
「解っててよく言うよ、俺は警察が大ッ嫌いなんだ」
「いいよ」龍一が言った。
「お前、何言ってんの?警察だぞ、こいつ」
「いいじゃん。別に俺たち悪い事は一つもしていないし。あ、やっているか?」
「ははは。藤堂君いいねえ」
「その代わり、オッサンたちの情報も教えてくれないと協力はしないぞ」
「おお、ある程度なら教えてやるよ」
「細川さんそれはまずいでしょ」
「いいや、まあ、俺なりにキミ達を暫く調べてはいたんだがね。藤堂龍一は道交
法違反数十件あるが現行犯逮捕していない、永沢則弥は暴行傷害容疑と道交法違
反容疑が同じく数十件あるが現行犯逮捕していないだけで色々手を打てば俺たち
だっていつでもキミ達をしょっ引くことが出来ると思っていて構わんからね」
「オッサン、脅すのか?」
「まあまあ、脅しじゃないでしょ、キミ達のVTRも沢山あるってこと覚えとい
てね」
「まいったなあ、まあ仕方ネエ。解ったよ」
「あ、どうも、だれ?」
「県警の細川さんと小池さんだって」
「あ、そう、わたし吉中です」
「知っているよ。何度も見ているから」
「え、あ、そうですか」
「永沢君、やっとお父さんのように使い分けられるのかね?」
「うるせえ、オヤジは関係ねえだろ」
「はい、キミ達に頼んでいるんだからさ」
「もういい、わかった協力するよ」
「あんた達、本当に協力できるの?」
「おお、別にできるだろ、なんでもよう」
「ああ、できるさ」
「よし、決まった」細川は握手を求めてきた。龍一と則弥は「なんか変な気分だ
なあ」といいながらしぶしぶ握手していた。
「ところで、最近此のあたりでもヤク中で自分から幻覚で恐ろしくなって署に自
首して保護を求める子供が増えてきてね。調べているんだがそういう類の若者は
知らないかね」
「全く解らん、だいたい俺たち酒は飲んでもシャブはやったこともないし見たこ
とも無いからなあ」
「おお、これだけは本当だ」
「ノリちゃん。これだけはって無いでしょう」といって君代は笑っていた。
「はははは、そうだな」
「ははは。本当にか?」
「うそじゃねえ、なあ、リュウ?」
「ああ、本当だ、俺たちアホでもそこまでは堕落してはいねえ」
「ほう、そうか。じゃあ真剣に信じるよ」
「何だと、オッサン。いい加減にしろよ」
「解ったって、ごめん、ごめん、撤回するから許してくれよ」
「だから警察は嫌いなんだ。俺は」
「すまんスマン。許せ、信じるからさ」
「二度と言うんじゃネエ」
「わかったって。ごめん。じゃあ、これからはそういう奴等らしき、でもいいか
ら見かけたら24時間いつでも電話くれよ」といって細川は三人に名刺を渡して
「あ、ここの横山君にも宜しく」といって帰って行った。
「何だ、あいつ。結局殆ど何も聞いていかなかったじゃないか。なあ」
「ホントだな。他に大きなヤマがあるんじゃあないのか?」
「そうかも知れねえけど、警察はやっかいだな」
「でも、役に立つかも知れねえからいいじゃん」君代がいうと龍一と則弥はうん
うんとうなずいてまた海賊島へ向かった。
放水された煙と蒸気がミックスされて悪臭が周囲を取り巻いていた。
京子は自転車で鎌倉に向かっていた。
どうしちゃったんだろう、外泊なんてすごいことやっちゃって、おじさんと上手
くやってないのだろうか?浮気でもしちゃってどろどろにならなければいいけど。
などと考えて走っていた。
女の欲求不満はまだ理解できないと考えていたが、いろんな場所で聞く話でも主
婦の行動は突然大胆になるとかいう。だいじょうぶかなあ。という想いは消える
ことが無かった。
スーパー鎌倉は暇だった。
自転車は駐輪場へ置いて店内に入るがレジにはおばさんが2名立っていて律子の
顔は無い。
「すみません藤堂さんはいらっしゃいますか?」
「え∼。藤堂さん?そんな方うちにはいらっしゃいませんよ」
「え∼ほんとうですか?」
「はい、店長に聞いてみれば?」
「店長さんいます?」
「奥に行けばいますよ」
「有難うございます」
京子は店の奥に進んで鮮魚コーナーの横にあったビニールカーテンを持ち上げ「
すみません。店長さんっていませんか?」と叫んだ。奥で「店長」と叫ぶ声が響
き、何ですかという返事があったので「すみません、ちょっとお尋ねしたいこと
があるのですが」と声を上げた。
「はい、私が店長の深瀬です」といって出てきた。
京子が律子の所在を確認すると茅ヶ崎店へ配属となったことがわかったのだが深
瀬の好意による電話での確認は断っていた。変に律子に余分な心配をかけないよ
うにした京子なりの配慮だった。
茅ヶ崎か、まずいなあ。ちょっと自転車じゃ無理だ。そうだ偽名電話で確認だけ
してみよう。と思いつき、スーパーの外にあった公衆電話で確認した。
ツーツー
「はいスーパー鎌倉茅ヶ崎店です」
「あのぅ、私神奈川生命の山田ですけど藤堂律子さんはいらっしゃいますか」
「今日はお休みを戴いておりますが」
「え∼?そうですか、どうも」どうしたんだろう。と心配になった。休みかあ。
どうしよう。仕方ない一旦撤収だな。
もう、色々最近は事件が起きると思っていた。ふと昨日のアルバイトを忘れてい
たことに気がついた。
「あ、そういえばバイト・・お金がないから仕事ないかなあ」京子はもう一件電
話した。
ツーツー
「あのう、わたし。今日はバイト無いかしら」
「あーなんだ、昨日忙しかったんだよ。人が足りなくてさあ。新しい子が来なか
ったら大変だったよ。仕事とられちゃうよ。毎日何回も連絡してよ」
「そう。じゃあ、また連絡するわ」
「はい、はい。じゃあね」なんだ、昨日か、海賊島に行かないほうが金になった
なあ。仕方ない、帰りますか。京子は仕方なく帰る事にした。おじ様心配してる
だろうけどいないんじゃ仕方ないわね。と思った。
龍一はジムにいた。
海賊島の火事を見てからはボクシング以外にやることもなく、どうしようもない
気分に襲われて動かずにはいられなかったところに偶然鮫島賢が練習に来ていて
スパーリングをすることになったのだった。
龍一は時間が空けば毎日1分でも練習をしていたのだが、海賊島が出来てからは
それ以外にも忙しくすることがあり、短時間でも集中する練習に充実感があった。
笹木も同様に海賊島のバイト以外自宅を出ると鮫島ジムにいて練習するかランニ
ングで汗を流す。
鮫島賢は龍一とスパーを軽く始めていたのだが龍一に押されて手が出なくなるま
で疲れていた。
「小池、ゴング!リュウ、本気で来い、もう疲れてきたからさ、おしまいにしよ
うぜ」
その掛け声が聞こえていた笹木はやめとけばいいのにと思ってみていた。
カーン!
パンパン、パンパン
鮫島が龍一のパンチを米神に一発食らって眼が白くなったのを小池が見ていた。
「あ、危ない」
パン!という音がして直ぐにドンという音がして、凄い音だ!と笹木が見ると鮫
島がダウンしていた。
ゴングが鳴って5秒。
小池がリングに上がり、鮫島の胸を押して腰のゴムを吊り上げて揺さ振ると鮫島
が「ふう」といって腰を上げて目覚めた。
龍一のサイドボディーと右フックでダウンして一瞬意識が飛んでいたのだった。
「リュウ、お前のパンチをまともに一発食らうと誰でもダウンして起き上がれな
い。素手で食らうとお前の骨も砕けるが相手の骨も割れてしまうぞ。なあ、小池
」
「ああ、俺はリュウとやるときは全身にガードをつけるといったでしょう。ヘッ
ドギアなんて二枚重ねにするけど。あんたが舐めてヘッドギアーだけでやるから
こうなるんだよ」
龍一はそのまま一人でリング・シャドーボクシングをしていた。
笹木は鏡の前で同じようにシャドーをしていて「俺はやんねえよ。死にたくない
もんね」とシャドーをやめなかった。
「たまにはやっとけ」と小池が言うと「全身ガードつけてやるならいいよ」と笹
木は笑っていた。
「あ、ただいまあ」と京子が帰ってきた。
「おお、今日は早いなあ」
「今からキャバクラのバイトに行くよ」
「キャバクラ?」
「おお、カネがいいからさ」
「そうか、女は怖いね。メシは?」
「バイト先で食べるからいいよ」
京子は練習場の奥にある階段を急いで昇るとこぎれいな洋服に着替えて出て行く
のだった。
京急久里浜線に乗り、上大岡で地下鉄に乗り換え日の出町で降りてバイトに向か
うのだった。
地下鉄を降りた京子は福富町方面へ向かっていた。
年の割りに派手な格好の女や、おカマらしき顔つきの女が客を待っている姿を目
撃するとこの関内とは違った雰囲気の町はなんとなく危ない感じのする場所だと
思っていた。
バックに入れてあったティッシュケースを取り出してみた。
「あれ?もうないわ。ムカつくなあ」
京子はバイト先に電話した。
「あ∼、今向かっているだけど。金子いる?」
「俺だ。あ、私。後払いで頂戴よ」
「何でいつも後払いなんだよ」
「何いってんの?ちゃんと払ってるでしょ」
「解ったよ。今どこ?」
「日の出町、歩いてる」
「おお、川沿いを歩け」
「わかった」
京子は日の出町駅と福富町の間にある川沿いを歩いていた。
バイト先へ向かう歩きなれた道路だ。
北側から来る男が手を振ると京子も手を振って答えていた。無言で合図する。
目の前に来ると歩くスピードが落ちて相対すると二人はハイタッチした。
無言のハイタッチは見るものが視ればおかしなものだったが、習慣化していた。
京子はそのまま進んでホテル・シャトーの直ぐ手前で立ち止まった。
「わ?」
「あ、律子さん。な、どうして?」衝撃で思わず声が出た。
「あ、京ちゃん」
「どうしてこんなところで?」同時に同じ言葉で驚いていた。
律子の隣にいる男は無言で立ち尽くした。
「ちょっとあんた誰?場所を変えましょう」京子が律子の手を取り、来た道を引
き返した。
「あの、この人関係ないから」律子が言うと男は「俺はただの客だ」といって逃
げ去った。
「え?客って?」
「あ、私、あの・・・」
「どうして?」
律子は泣き崩れた。
「大丈夫?」律子はうんうんと泣きながら返事をしていた。
「帰りましょう」という京子に凭れて律子も歩き出した。
「わたくし、村山に頼まれて仕事の話に行ってくれといわれて昨日、日の出町の
駅でクライアントを待っていたの。そしたらあの人が来て・・・薬を打たれて今
まで部屋にいて・・・・」
「わかった。解ったからもういいです」
京子はゆっくり律子と歩いた。ちょっと待ってて、といって公衆電話から金子に
電話した。
「ごめんちょっと時間をずらして」
「何言ってんの?だめだよ」
「駄目だよじゃ、駄目だって。とにかく駄目なんだから」といって電話を切った。
歩いていると金子が走ってやってきた。
「K子さん。駄目だよ。バックレちゃ」
「バックレじゃあねえよ。この人私の知り合いの奥さんなんだよ」
「え∼、律子さん?」
「なに?あんたが仲介人か?ちょっと、いま、色々考えを巡らせていたんだけど
、ここでこの人に会うなんてと?そんな気はほんのちょっとだけしたけどね」
「おい、金子この人を連れて来たのは誰だ」
「それはちょっと」
「馬鹿やろ。てめえ、舐めてんじゃねえぞ、警察に駆け込めばお前ら全員逮捕だ
ろ」
「あ∼、解った。俺が喋ったというなよ。その人から聞いたといえばいいもんな
」
「おお、早く言え」
「茅ヶ崎の村山だ」
「何処の?」
「それはその人に聞けばいいだろう。俺たちは喋ったら殺されるからな。そうな
ればお前の命もないぞ」
「そんなことは百も承知だわ。わかった。さっきの分はこれでチャラだぞ」
「ああ、いいから絶対に喋るなよ。その人から聞いたことにしておけよ。俺たち
は今大変なんだ。そんなことには拘っておれんから頼む」
「解ったからもう行け」
金子は大変なことになったと考えていた。
剣崎の命令で渡辺の組長を暗殺する寸前での偶然だった。
京子が金子を知ったのはスーパー鎌倉の茅ヶ崎店でゴルフの研修会に行く前、氷
結したお茶と水を買うときにレジのおばさんが金子の母親とは知らず、自分の目
の前で金子の代金を半分しか取らずにレジを済ませたことを見ていて、京子が睨
んでいることに気付いたおばさんがそれを黙っていてくれと京子に頼んだが、そ
れは駄目だと言い聞かせ、京子は走って金子を追いかけて捕まえた上、スーパー
に戻らせて残りの代金を支払わせ、謝る金子が途中で逃げ出したのでとっ捕まえ
てスパーリングの要領で叩きのめしたのだった。
またゴルフの練習ラウンドの後、スーパーで偶然再会したとき、金子は「茅ヶ崎
」へ誘い、京子を手なずけようとしてトイレに行った隙を見て京子のタバコとコ
ーラにコカインを仕込んだことが長い付き合いの始まりだった。
金子はその後の付き合いで京子が鮫島の娘で永沢の友人とわかっているためにこ
れ以上は手が出せず言いなりになるしか手がない位置におかれていた。
京子がアルバイトでホテトル譲を始めたのはシャブを簡単に手に入れるために金
子がアドバイスしたのだが、伊藤から永沢と剣崎の関係を幾度となく聴かされて
いたので京子の素性は伊藤らには黙っていた。
京子は律子からことの経緯を聞いていた。
京子は自分が鎌倉を勧めたことが原因で律子が売春にまで手を染めたことを後悔
したが、律子の「京ちゃん。私、薬が欲しいの」と腕を掻きながら訴える律子を
見てからは抵抗もなくティッシュケースから袋を取り出して指で鼻に与えてから
自分も吸い込み、これは二人だけの秘密にするしかないと考えていた。
京子は近くにあったビジネスホテルを予約すると藤堂には喧嘩して家を出てから
一人でビジネスホテルに泊まっていたことを伝えた。一言だけ謝れば?と律子を
促して受話器を渡すと「ごめんなさい」と藤堂に伝えさせた。
電話を代わると明日には一緒に戻ることを伝えたのだった。
藤堂は京子に「有難う」と一言だけ伝えて電話を切っていた。
安心した京子はまた金子に連絡してホテル「シャトー」に向かうのだった。
金子は再び連絡してきた京子の電話に驚き、伊藤たちには絶対に知らせないほう
がいいと判断していた。
それほど剣崎、永沢に知れる恐怖と京子のボクシング技術が並外れていたという
事だった。
京子は「おばさま、これからは量を減らすように二人で頑張りましょう。このま
までは私より先に死んじゃいますよ」といって金を稼ぐためにアルバイトに出て
行くのだった。
翌朝、二人はビジネスホテルの朝食をゆっくり取ると金子に連絡して送りを頼ん
だのだが、金子は忙しく他のものが送るという事で「シャトー」の近くで黒いワ
ンボックス・カーを待っていた。
合図のハンドバックを右手に持ち二回真上に持ち上げるとハザードランプが点灯
して消える。
二人はサイドドアーから乗り込み三浦海岸菊名海水浴場近くまでと伝えた。
運転手は「遠くから来ているんだね。タクシー代を自分で払ったら赤字だね」と
いって笑っていた。
滝川一派は拠点を新宿西口のホテルにしていた。
伊藤は伊豆、白井は熱海へ逃げて数週間外出しないで様子を見る計画だった。
組長の渡辺は本日午前1時に倉庫の在庫確認をする予定と内部情報を漏らした金
村剛という組員を滝川が買収して引き込んでいた。
井尾、井上両人の行動も把握し明日決行することが決定されていた。
品川の倉庫は金子、坂本で襲うのだが、総勢20名で相手側組員は運転手とボデ
ィーガードの計3名の情報だった。
井尾と井上は毎日調べ上げた情婦のマンションに入り浸りだった。
各マンションはオートロックだったが、帰宅する手前で拉致する予定だった。念
入りに捜索された道の防犯カメラは細工したり位置を把握して追跡不可能と思わ
れた。
滝川一派は行動に出た。
伊藤は5人の手下を従えて井尾のマンションに向かい、白井は井上の女のマンシ
ョンへ、金子と坂本は品川埠頭の倉庫に侵入して15名の手下を従えて待ち伏せ
していた。
実行グループはクロロフォルムで実験したが嗅がせるだけでは全く効果がなく、
眠らないのでコカインを大量注射して拉致することになっていた。
その後死を確認してから車中、マンションで放置する手筈だった。眠ったままで
死んでしまえば楽だった。
滝川は拉致する際に怪我をさせれば後で捜査が入った場合必ず追求が来るため、
策を練ったが、結局乱闘にならずに殺せる場面は女との情事を終えて寝ていると
きが最高の場面だった。
しかし女達を引き込むことが難しいと判断して別荘行きを覚悟した作戦となって
いた。
滝川は出来るだけ対象の体に格闘の痕跡を残さず実行するために実行犯の訓練を
場所を変えて指導してきた。
実行犯にはサイドボディー連打技術を叩き込んだのだ。
実行犯数人がターゲットを羽交い絞めにして1発目でわざと軽くたたき相手の腹
筋を収縮させ、その後緩むタイミングで2発目、3発目を出してボディーを効か
せるのだ。
相手が苦しみ、空気を吸い込めるまでの動きが取れない状態で注射器の出番とな
る訓練だった。
翌日京子は律子とともに藤堂宅へと戻っていた。
律子は平静を装って藤堂と対面するとパート勤めのスーパーへと向かったのだが
、京子は律子に同行して、村山に対面して追及すると決めていた。
律子はその場で村山との交際を断固として決別すると約束を交わしていたが京子
の心は全く信用してはいなかった。ただ、きっぱりと自分の意思で関係を断ち切
って欲しいと芯から願っていた。
京急久里浜線の平日は通勤ラッシュで混んでいた。
サラリーマンのおじさんは遠慮なく電車の揺れに身を任せて京子や律子にもたれ
かかってくる。
眼の下は黒く腫れていた。
睡眠不足や疲労、ストレスによるうっ血で血液が黒ずんでいる。皮膚にメラニン
色素が沈着した状態では、その部分が黒ずんで見える。真っ黒な律子の眼の下は
昨晩の格闘を物語っていた。
車窓に映る自分のクマをみても「やめなければ」という発想が浮かばない京子も
中毒だった。電車を降りタクシーで向かう間にも会話はなくスーパーに到着して
いた。
「お早うございます。店長は?」
「先ほど不幸があって3日から4日休むそうですよ」
京子は律子にちゃんと仕事をして待っていて、と告げると律子が書いた住所と地
図を持って村山の自宅へと向かっていた。
タクシーを降りてマンションに到着すると303を押してベルを鳴らせたが応答
はない。またオートロックで入れない。仕方なく管理人へ妹だと告げて鍵を開け
てもらうことにした。
管理人は爺さんで簡単だった。
鍵を開けてもらい中に入るとテーブルにあるボールペンで「お前の仕事を警察に
通報した」とメモを残し、テーブルに置くと管理人の爺さんに伝えて鍵を閉め「
いないからメモを残した」といってその場を離れていた。
覗いたスーパーでは律子が元気はないがレジをこなしていた。
入店して律子のレジに向かい「帰る」と伝えると律子は「大丈夫。一人でちゃん
と帰るから」というので京子は帰ることにした。
店外の公衆電話を見つけて金子に電話した。
留守番電話が応答した。
「クソッ。野郎、逃げていやがる」と思ったが仕方なく自宅へと戻るのだった。
渡辺は情報どおり3人で倉庫にやってきた。金子と坂本のチームは渡辺の組員ら
が一緒に倉庫に入ると急襲した。
驚いて抵抗するまもなく3人は直ぐに羽交い絞めされ注射されると直ぐに朦朧と
して大人しくなった。
運転手のポケットにある鍵も戻して倉庫内で監禁しておくことにした。
打撲痕があれば解剖で殺人だと疑われることを享受されていたことが幸いしたと
考えていた。
3日間の監禁でたまった大小便は「くせえくせえ」と言いながらも港に投げて処
分した。三人がともに元気になった時点で大量投与して衣服などを着替えさせて
現場工作すると放置して逃げ去った。80キロのブツを押収したのは初日だった。
井上、井尾らは女とともに用意した監禁場所で同じように処理され山中やマンシ
ョンで放置された。
こと細かく報告を受けていた船戸は剣崎の事務所にいて洋と二人で笑っていた。
「おう、後は渡辺の組員の残党を引き入れる作業だけだな」と剣崎洋はご機嫌だ
った。
「は、金も5億用意できましたからあいつ等は簡単になびいてきますよ。これで
もう、いただきですわ」
「まあ、組もそのまま残すんであいつ等も大きい顔して働けますから喜んでいま
すよ」
「そりゃ、世の中、金だからな」
「で、ブツは?」
「はい。80キロくらいあるそうです」
「おお、軽く100億だな。わははは」
「渡辺はさすが、でっかいのう」
「じゃ、伊藤と金子を別荘に行かせる準備をしておけ」
「解っていますよ」
竹山、安藤、村山は実行部隊に食料や金を受け渡す役目を命ぜられ、新宿の京王
ホテルを拠点に動いていた。
「あと何日隠れているんですか?」
村山が竹山に尋ねた。
「わからん。連絡が来るまでここで待機だ。当分はこの三人で運び屋と売りを交
代でやるんだ」
「そうですか、解りました」
「おい、お前、頼りないなあ。確りやれよ。売れねえとおれたちまでとばっちり
が来るからよ。チマチマ売ってると殺すぞお前」
「はい、解っていますよ」
「早く金を作ってこないとやられるぞ、おまえ、解っているのか?」
「解っていますよ。そんな事は」
「解っているなら準備して、今から売って来い。200グラムあるから2000
万で売ってこい」
「え∼。2000万って大変ですよ」
「うるさい、金が要るんだ。とにかく2000万だ。文句あるのか?」村山はそ
れ以上何もいえなかった。売らなければ何が待っているかわからないのだった。
村山は電話を始めた。
茅ヶ崎では中毒の客達が今か今かと待っていた。200グラムならば直ぐに売れ
る数字だが金額がグラム10万では高すぎると考え、ママに尋ねると客が待って
いるので早く回れという事だった。
茅ヶ崎では売人が出入りし情報交換を行う習慣が出来ていた。店内では飲食を楽
しみ、注意深く歩きながらヒト気のなくなる頃を見計らっては情報やブツの交換
をするという具合だ。
村山は剣崎での立ち位置が今回の作戦から深くなってきたことでスーパーの店長
を辞めて住所を特定できないようにすることを考えていた。
売りで儲けた金を大家に支払い、大きな家具を残してトンズラするつもりだった。
そのためにも今回は金を作らなければならないのだが、予想外に高値の付けられ
たブツを渡され困っていた。売人達は入り値の高さに閉口したが村山の「じゃ、
やめとけ」の強気の一言に負けて仕方なく金を支払い、受け取っていった。
数時間のやり取りで2000万をつくったが、袋から微量の粉を抜き取る作業を
して5つの袋を隠し持っていた村山は前園はるかを呼び出して売ることにした。
スーパーの業務を終えた前園はるかは自転車で現れた。
バス停近くに自転車を止めて停留所にあるベンチに座っている。あたりは何もな
い場所だった。はるかは20万円を都合し待っていた。交換するとはるかは自分
も売人をやると言い出した。少しづつ客を作っていたのだ。
「こんなに簡単に売れるとは思わなかった」といって村山の売人を自ら申し出た。
持参した20万円も全額他人から引っ張ってきたのだといった。
村山は一旦自宅に戻り荷物を整理することにした。
家賃は払ってあるので20万も渡せば大家は箪笥などの大物を残しても十分見合
った以上の金を手にすることになると考え、直ぐにトンズらしようと焦っている
のだった。
公衆電話で大家に伝えると快諾し、竹山も満足した返事だった。
500グラムを直ぐに売ってやると意気込む村山だった。
金子と坂本一派は80キロのブツを運び出し、潜伏先のマンションで暮らし始め
ている。
食料を運んできた竹山はその量を見て驚いた。竹山は金子と渡辺を抱きこんで1
キロ末端価格1億円分を確保しておくことにした。金子と坂本がその案に反対す
る理由はない。
竹山はブツを受け取ると船戸に連絡して保管場所を指定され船戸と接触すること
になった。
「藤堂さん何してるの?」
律子の前に立っている常連客は同じ商品を何度もレジに通す律子に問いかけた。
「あっ」といって立ち直るかと思いきや、また同じことを繰り返した。
「ちょっと休憩してください」金子友子が律子の手を取り休憩室へとエスコート
した。
午前中は遅くても顧客対応していたが昼の休憩を終わり、仲間に促されレジに戻
ると異常な行動を取った。
前園がその姿を目撃して律子の不審な行動から警察にでも通報されたり、その場
で不可解な行動や客にでも乱暴を働かれては自分にも災いが降りかかるのではな
いかと不安になり、金子に見張るように伝えていたのだった。
律子は休憩中に少量のコカインを吸引するようになっていたのだった。
京子は海賊島の現場にいた。龍一たちもそろって現場の有様を見てがっかりして
いた。
現場を離れると京子は律子を迎えに行くため駅に向かい、龍一たちはシーサイド
で則弥たちと今後の対策を練ることになっていた。
シェフたちは仲間で相談してシーサイドと知り合いのレストランでアルバイトを
しながら腕を落とさぬよう店舗が出来上がるまで給料を受け取りながら待つこと
になった。
「参ったなあ」と誰もが愚痴を言った。
則弥は親父と相談して再度、新築でオープンする相談をしていたが、親父は剣崎
の投資も受け入れてはどうかという意見を出してきたので全員で相談することに
なったのだった。
「ノリ、剣崎はやめたほうがいいだろう」
龍一がいうと笹木も「俺もそう思う」と同調した。君代は「私はこの際、銀行で
借金もいいけど出来れば借金はしないほうがいいので、則弥のオヤジが心配ない
というなら出してもらうのも良いんじゃないの?」と金に対しての安全策だとも
っともな意見を言った。
梅野は「今回はお化け屋敷で儲けたのがきっかけで始めた商売だったが、これか
らはおれ達が高校を卒業してからも働くのか、そうでなく有志だけでも残って本
格的にやっていくのかを決めたほうが好いんじゃないか?」という意見が出ると
則弥は「俺はこれがシーサイドとの連携でやっていけるのであれば永久に三浦に
残るレストランとしてやっていきたい」と思いを語った。
龍一も横山と一緒に考えていたトンネルや橋を架けて遊園地的要素のある一角と
して土地の名物になることを目指して行きたいと語った。君代は「これまでのみ
んなの努力と三浦の水産業、農業の発展を望んで考えてきたことが少しは実りだ
してきた気がするからもう一度小さくてもいいから復活したい。」と女から視た
意見を出してきたのだった。
横山は海賊島が燃えたことで悲しむ客も絶対にいて、暫くはシーサイドが忙がし
くなるので残った金の一部で東側に簡単なバーベキューハウスを立てて少しは売
り上げを上げられるようにするのはどうかと案を出していた。則弥はそうだ一度
また自分達で出来ることから始めてそれから考えようかと皆の意見を求めた。
龍一は燃えた事は皆が知っているわけだから頑張っていれば向こうからいい事は
やってくるはずだ。というと全員が納得して簡単なつくりのバーベキューハウス
を始めることにしたのだった。
京子がスーパーに到着すると律子は休憩室で椅子に座り両足で貧乏ゆすりをして
テーブルの一点を見つめていた。
「もう、仕事はやめようか?」京子がいうと律子は突然「あ∼。怖い、村山さん
が助けてくれるから大丈夫。」と意味不明なことをいって立ち上がろうとしなか
った。
そこへ前園はるかが割り込んできた。
「あんた、ほかに人がいないから今言うけどシャブ中でしょ、同じ商品を何回も
何回もレジを通してさ、客の苦情は迷惑なんだよ。レジなんて簡単な作業で失敗
なんてありえないでしょ」と強い口調でいうと律子は突然起立して「ごめんなさ
い、ごめんなさい」と膝を曲げながら連発した。
京子は前園に一礼すると「すみません。店長に藤堂さんは今日で辞めたと云って
ください」というと発注用のパソコンらしきものの横にあったプリンターからA
4用紙を一枚取り出し、退職届けを書くと律子の手をとりサインさせて拇印を押
させ「これでいいですか?」と興奮気味に前園に差し出した。
前園は「迷惑だったんだよ」と声を荒げて京子に詰め寄った。そして、「こんな
弱っちい奴にヤクをやらせたのはお前か?」といって自分達のしている許しがた
い所業を隠すのだった。
前園の言葉を聴いて察した京子は「あいつも」と想像したが言葉には出せない自
分も情けないと思い、そう思えることが自分はまだ中毒ではない、まともだ、自
制心がある。と妙な自負心に満足して立ち去るのだった。
スーパーを後にしてからも律子は手間がかかった。電車の中でもブツブツと独り
言を云い、周りの乗客に白い眼で見られている。
天井に釣ってある広告や、車窓に写った妖怪が落ちてきて律子を襲うと「あ∼、
ごめんなさい。ごめんなさい」という。
次第に自分にも聞こえているような気がしてくる。
あいつ等悪口を言っている。
うるさい。こっちへ来い。という囁きに自分だけはと、狂いそうになるのを必死
でこらえて次の駅は?と確認して乗換えを行い、自宅まで送り届けるのは戦いだ
った。
京子は律子の症状を鑑みてこれはもう藤堂に助けてもらうより、方法はないと結
論を出したのだった。
律子の帰宅を待っていた様子の藤堂は玄関先での京子の説明を耳にしてさほど驚
かないのだった。
パートに出て一ヶ月もしないうちから妙にハイテンションで踊りだし、小さなこ
とで争いとなる様子や、真夜中まで大きな眼をしてテレビを見ていたり、水やジ
ュース酒をガブ飲みする姿を見ていてうつ病ではないかと心配していたことを語
った。
律子は藤堂の話を胸に抱かれて聴いていた。小さな声で「ごめんなさい」を繰り
返ししくしくと泣いている姿は以前のしとやかな律子にすこしは戻っているのだ
った。
京子は藤堂に留守にでも心配だから勝手に自宅に入り、面倒を見ると伝え、藤堂
は龍一が持っていたキーを渡すと深々とお辞儀をして奥へと入っていくのだった。
玄関のドアを閉めて立ち去る京子の胸は締め付けられていた。
鮫島ジムは少し潤ってきていた。
ダイエットトレーニングの会員や永沢の若い衆が入会し、会員が増えてきており
、少しの余裕が生まれてきたようだった。
鮫島賢は父親の誠に対して怒りをぶつけて「お前のような奴の面倒は働かなけれ
ば一切見ない」と言いつけて掃除、洗濯などを京子が不在の時には首根っこを捕
まえてやらせた。
酒を与えず、食事を取り上げる。
を繰り返し、しつけた後、保険の一部を解約して小さな鳥かごのようなゴルフの
ネットを張った僅かな打席の練習施設を建造して若者や施設の子供達を育てると
決めて動いたのだった。
工事が始まると近所にいる爺さんや婆さん達が孫を連れてゴルフの真似事を始め
ると人が集まるようになったのだった。
鮫島誠は少しでも仕事をするようになり顔が知られるようになっていった。
賢は客に用務員と伝えていた。
藤堂龍蔵は律子の世話に苦労していた。顔を合わせるたびに落ち着くまでは外に
出かけてはいけないと説得することが習慣になっていた。龍也は龍蔵から説明を
受けて外出を控えるようになり、律子と一緒に過ごすように心がけるのだった。
渡辺興業、渡辺組は荒れていた。
新聞紙上に渡辺正一、井尾義人、井上雄次の麻薬中毒死が報じられアナウンサー
は不審な点を述べていた。渡辺以外の死亡は女と一緒にいたことで複雑な因果関
係を説明していた。倉庫で死んでいた3名の死亡については殺人事件ではないか
と説明していたが、連続して起きていることが最大の不審点だった。
剣崎洋は想定していた捜査の進展状況を知り、予定通り伊藤、金子に自首させて
あと三人くらいをピックアップして別荘に送り込め。と船戸に命令していた。
「船戸、渡辺興業の金村に連絡しろ、とにかくことを知らないやつらが変に動き
出すと厄介だからな。その後、中華街で金村と飯だ」
金村剛は剣崎洋の命によって表向き渡辺の組長になる予定だった。
剣崎洋の恐ろしさと金になびき、命乞いして組員を説得する役目を負った。
渡辺の事務所では混乱した構成員を金村が抑えていた。
他、数人の靡いた構成員は剣崎の金と条件を受け取っていた。
金村は警察の訪問にも「早く犯人を見つけて来い」と命令口調で対応していた。
金村は資金繰りに困った時の対応策があるので任せておけと、組員を金で説得し
ていく準備を怠らなかった。
伊藤、白井は茅ヶ崎にいた。
喫茶「茅ヶ崎」には入店しないようにしていた。潜伏先から外出して金を作り、
後に備える準備だった。
2キロのブツを受け取り、動き回っていた。
「村山、お前、俺たちのシマを利用できそうでいいなあ。お前、おれ達が帰って
きたら竹山や安藤の上になるんだからな。覚えておけよ。とにかく早く売って来
い。いいな。売れたら直ぐに滝川さんのところへ金を持っていくんだ。直ぐだぞ
」
「はあ、でも俺もまたブツを受け取るんでそんなに急には売れませんよ」
「バカ野郎、おれ達がいいと言っても組からまたやれといわれるんだから一緒だ
」
「そうか、そうだよな」
村山は実行犯チームが潜伏先から動かないようにしているために売人へのつなぎ
が減って任される物の量が急に増え、捌くのに大変な思いをしているのだった。
伊藤は自分の売人のリストを白井へ託したが、状況によっては白井も井上殺人の
実行犯として捕らえられる可能性があり、村山を呼び出して今後のためにすべて
のリストを託したのだった。
神奈川県警の細川は伊藤、金子を追っていた。
喫茶茅ヶ崎のママは伊藤、金子を最近は全く見ていないと答えていた。細川は何
も得られずに帰るのは悔しかったが、張り込みも出来るような時間が無いことに
腹を立てているのだった。
三浦警察署は海賊島の火事についての捜査をしていた。
消防の実況見分の結果、海賊島の裏側にあった酒などの保管場所はキッチンの隣
にあり、キッチンの天井近くの壁に取り付けられた換気扇の下側の燃焼箇所が火
事の原因箇所と特定された。
ガソリンなど石油類で発火した炎が揚げ物を料理するフライヤーなどの油に引火
し強力な炎が中心につくられた海賊船のモチーフに燃え移り、ストックのアルコ
ール類とストーブ用の灯油に引火し爆発を起こしたという事だった。
空き瓶などの種類から特定された発火箇所に散乱していた大量のガラスの破片は
海賊島では取り扱いのないガラス類という鑑定結果によって数本のガラスビンに
ガソリンを詰めて投入した放火による火災という鑑識の結果報告で特定されたの
だ。
消防の報告を受けて警察が現場検証を実施し、捜査することになっていたのだっ
た。
警察は現場周辺の防犯カメラや周囲の店舗や家庭の聞き込み調査を開始していた。
三浦警察の回収した防犯カメラ映像を見ていた捜査員が海賊島の入り口付近から
建物に接近する人物を発見した。
左の手には紙袋を持っている。
店舗前の道路までは2名で歩いて来ていた。
他の方向からは西側に設置されたカメラの映像が確認され、タクシーを降りた2
人組は一人は女でスカートをはいているロングヘアーの女だと映像からは判断さ
れた。もう一人は先に降りて紙袋を持っているジャージ姿の人物だった。
ジャージの人物は紺色か黒の野球帽を被っていた。
顔は確認できない。
店舗の裏側を移していた狭い交差点の防犯カメラはジャージの人物が店舗の裏側
の狭い塀との間に入り込むと紙袋を地面に置き、中からビンを取り出すとビンを
換気口から3回投げ入れた。
その後もう一本を袋から取り出すと口から出ている布にライターで火をつけると
少し慌てた様子でビンを換気口から投げ入れた。
瞬間明るくなったのは換気口の口だけではなく、ジャージの人物の手元が投げ入
れるときに口から吹き出した液体にでも引火したのであろうか右手首あたりが明
るく写っていた。
そこには燃えている火を振り払って消そうとしている姿があった。
戻りながら慌てて左手で引火箇所を叩きながら走る顔は少しボケてはいるが右腕
が燃えたことで明るさを増し、画像修正作業によって有力な手がかりとなりそう
であったが、手前で待っている女は全く顔は確認できない角度だった。
三浦警察では早朝捜査会議が行われた。
画像処理によって少しは鮮明になった顔の帽子の人物と後姿の女らしきスカート
の人物写真が捜査員に配られ聞き込み捜査が開始された。偶然現場に居合わせて
いた県警の細川と小池も参加していた。
「これか?女のようだが、女なら結構年が行っているなあ。おカマに見えるけど
、こっちは女だろうけど最近は解らないからなあ苦労するぞ、おそらく」細川は
写真を受け取り、鮮明さにかける画像に不満だった。小池も同様に「そうですけ
ど、田舎でビデオがあっただけでもましですよ」といった。
「そうだなあ、これもって、今日はお坊ちゃま達の店にでも行ってみますか?火
事は愚連隊の伊藤たちの仕業と見ているんだが、女らしき写真を見せられるとな
おさら怪しく思うんだなあ」
「はあ、シーサイドですよね。あいつ等目立ちすぎで恨まれることが多いでしょ
うに、子供で金儲けも上手いし、族でちょっと周りの奴らを絞めたりしていたん
でしょうからねえ」
「そうだな、でもなんとなくナガサワってガキも憎めねえんだよなあ」
「そうですか?僕的には結構頭にくるタイプですよ。生意気だし」
「そうではあるな、一般的にはそう見える。」
細川と小池はシーサイドに到着すると横山を見つけてカウンターに向かっていた。
「よう」
「あ、どうも。ちょっと待って、掃除したら中にいきますから中で待ってくださ
い」
細川たちはテーブル席で待っていた。
「どうも、今日は何ですか?」
「ちょっとねえ、火事の件でして」
「はあ、なにか?」
「これ見て」
「どこかでこの二人を見た記憶ないですか?」
「ん∼。見たことないですねえ」
「あ、そう、今日はナガサワ君たちは?」
「夜には来ると思いますよ。今度この横でバーベキューハウスをやるんで打ち合
わせに毎日来てますから」
「そうか、じゃあ、出直すんで宜しくね。」
「ええ、いいですよ」
細川は少々がっかりしたが、仕方なく出直すことにした。
車に乗って移動するが、成果がないのでだらだら動いている。退屈で仕方がない
様子だった。
「こんにちは∼。鮫島さんですか?」
「は∼い」京子がエプロン姿で出てきた。
「はい、どちらさまですか?」
「神奈川県警の細川というもんですけど賢さんいます?」
「はい、ちょっと待ってください」京子は一瞬ドキッとしたが、直ぐに刑事が賢
の名前を出したのでほっとした。おかしな顔をして変に不信感を凭れてはと不安
だったが平静を装った。
「お兄ちゃん。お客さんだよ」
「おお、まっとれ直ぐ行く」
「あ、妹さんですか?」
「はい、そうです。何か?」
「いえ、あなたには用はないです。ちょっとね、お聞きしたいことがね。お兄さ
んに」
「おう、だれ?」
「神奈川県警の細川というもんです」
細川はまたバッジを見せた。
「なに?」
「あの、最近ですけどこのあたりでシャブで殺された事件があったのをご存知で
すか?」
「ああ、知っとるよ。それが何だ。お前、俺が何かやったちゅううんかい?え」
「いえ、何か情報でもいただければとお願しとるんです」
「バカ野郎、お前、幾ら払うんじゃ。情報料もってこい、1時間100万じゃ。
帰れ。帰れ」
「はあ、済みませんでした」
「お兄ちゃんやめてよ」
「うるさいわい。バカたれ」
細川は「ありゃ、どうにもならんのう。小池、あそこのジムはなあ県会の永沢、
先日の海賊島の永沢則弥のオヤジの出資しているジムなんだよ」といって言葉で
は諦めていた。
小池は「なんとなく怪しい感じですね」というと「おまえ、県会だよ、そんな奴
は簡単には犯罪には手を出さないよ。臓器移植の理事やら色々やってて、安定し
た収入があるし、前科はないんじゃ。一応参考までにな。シッポは出さんで他人
が尻を拭く、そういう人種やで。最近は全く大人しくしているけど、鮫島は永沢
組のカシラなんじゃ、永沢は表向きには県会議員なんで鮫島は実質組長というわ
けさ。ヤクザなら必ず裏の情報を持っているはずなんだがね」といって細川は茅
ヶ崎に向かった。
茅ヶ崎の喫茶店は暇だった。老夫婦が一組からになったコーヒーカップをテーブ
ルに置いたまま顔を天井に向けてもたれかかった上体で涎をたらしながら仲良く
寝ていた。店での薬のやり取りは命取りだったからだ。
ママは喫茶の売り上げよりも儲かる仕事を得たため、落ち込んでも苦にならない
のだった。
「やあ、久し振りだね。最近坊主どもは来ないみたいだねえ」
「ご覧の通りでさっぱりです」
「そうか、伊藤と白井はどうだね」
「全くみないねえ」
「あ、そう。まあ、何かあったら連絡を頼むよ」
細川は空振りには慣れていたが、茅ヶ崎のママの堂々とした態度が不満だった。
細川らが立ち去るとママは受話器を取り上げ連絡網を発信していた。
「刑事が嗅ぎ回っているよ。気をつけろ」
金子、坂本は新宿の滝川のいるホテルにいた。
「おい、お前等パクられない様に売り子たちにブツを渡して来い、今は金が必要
だからな。それと指示があれば2人で自首することを忘れるな。1億円の祝い金
が出所後に出るからな、その前にもう一仕事やれば2億だ。剣崎は約束は必ず守
るからな。伊藤、白井を始末するように命令だ。伊藤と白井は問題が多いし、直
ぐにつるんで勝手なことをして直ぐに切れて仲間も大切にしない、どうする?逃
げるか?」
「確かに伊藤は必要ないと思うけど殺しはやりたくはない」金子は恐る恐る本音
を語り、渡辺は「俺も殺すのはちょっと。」と答えた。
「そうか?どうする?」滝川は強要はしなかった。
「とにかく伊藤は何とかしろ」
「はあ、どうやって?」金子が不安そうに滝川に問うと滝川は仕方なさそうに「
そんなことはお前等が考えるんだ。それにお前等がやらなければ売り子か舎弟に
やらせるしかないだろう。そうなればどうなるか、解かっとろうが」と脅して自
分達で考えてやれと指示をした。
やるならば確実にしとめなければ自分が危ない相手だった。
「白井を引き入れてもいいでしょうか?」坂本が聞くと「白井は残すのか?」と
怪訝な表情を見せたので低姿勢で「はい、駄目でしょうか?あいつは伊藤にブレ
ーキをかけていたのに伊藤が意見も聞かずに暴走して断りきれないで付き合って
いるんですよ」と金子が申し訳なさそうに見えるような態度で再度聞いた。
「残してもいいが、様子を見て使えない奴ならおまえらの判断でヤク中に仕立て
るならそのうち死んでくれるだろうがな」
「おお、ナベ、それで行こう。それしかないぞ」金子はその場で確実に殺せとい
われなかったことで安堵した。どっち道俺もすでに殺人犯だから。
「仕方ないな。じゃ、相談してやります。伊藤は注射処分します。仲間で考えま
すわ」
「白井もヤクで駄目にするんだな。解っていると思うが、お前らやらなければ体
も金も消えるぞ」
「解ってますよ。ここまで来たんですよ」
「わはっは。それもそうだ」
金子は京子と律子の存在を気にしていたが、結局永沢との関係を知った上で夜の
仕事に引き入れたことが発覚することを恐れ、秘密にした。
京子はゴルフ場に出勤していた。
更衣室を出てマスター室前に出て見回すと視たことのある客がカートからパター
を抜いて練習グリーンに向かって歩いていくところだった。
マスター室で指示伝票を確認すると先ほどパターを抜いて練習グリーンに出て行
った客の45番カートだった。高田さん、菅野さん、牧野さん?堀山さん。かあ
、マスター室の広部は「京ちゃんどうした?」と京子がスタート票を確認して準
備をしていると考え込んだ京子を見て声をかけた。
京子がこの人たちなんとなく聞き覚えのある名前だったからさあ誰だったかなあ
と考えていたんだよ。と答えた。
広部は確か三浦中央信金の人だと思うんだけど。といわれてああ、おじ様のお客
様だった。と気がついた。クラブを数えてキャディーバックのネームプレートを
確認して記入する時間もその日の会話がうっすらと記憶に残っているが、よい印
象がなかった。
「仕方ない、仕事だからな」
カートに乗り込み、スタートホールに向かった。「高田さん、菅野さん、牧野さ
ん?堀山さん。行きますよ」練習をしていたメンバーはぞろぞろと乗り込んでき
た。
「宜しくお願いします。スタートします。気をつけてくださいね」といって走り
出した。
スタートホールのティーグラウンドに到着してカートの後ろに回り、クラブ確認
をして名前を確認して識別のために服装のチェックをして色分けをして氏名を間
違えないようにするのだった。
「高田さん、ウッド3本、アイアン10本パターはキャメロンでいいですか?」
「ハイ、」順番に確認してスタートをお願いするのだった。
「あれ?確か以前にも付いてくれたかな?」と菅野が京子の顔を覗き込んだ。キ
ャディーの帽子はひさしが長く幅が広いので覗き視なければ確認しにくい形とな
っている。
「え∼∼。初めてじゃないですか?」
「そうかなあ?」
「あ、一度付いたことがあったかも?」とあまり記憶にないような態度で接する
ことにした。どんな人たちなのかを観察することにしたからだった。
「おい、菅さん早く打てよ、後ろが来たぞ」
「あ∼∼、はいはい」といって菅野がしつこく聞かないでティーグラウンドに向
かってほっとした。今日はあまり喋らないでラウンドしようと決めたのだった。
順調に進んでいた。メンバーはカートに乗っている時間が長かった。
ゴルフの腕がまあまあだったので乗車時間が長いのだった。
銀行マンのグループなので融資の話が殆どだった。
物件情報と金額の話が多かったが聞いていて腹が立つほど簡単に不動産を横流し
して金を簡単に稼いでいるのだなあと銀行マンにも不動産業であるらしい堀山の
口ぶりに腹を立てていたのだった。
「堀山さん。今度の三崎の漁師の作業場は広いですよ。RC200坪4000で
どうです?」
「2000なら買ってやる。あんなところいらねえからな。スルーだ」
「まったくよく言いますね。ははは」
京子は全く面白い話が聞けないので退屈していた。午後のラウンドもスタートし
たが、ネタがなくなったのか会話が弾まなかった。よく聞いていると銀行マンの
チームが握りで大きく堀山に勝っているようで、遠慮なく良いスコアへと突き進
む銀行チームは客でありそうな堀山に随分儲けさせているのではないかという事
を想像させた。
「堀山さん頑張ってくださいよ」
「おう、だけどさ、あいつらは三人で一番良いスコアでホールとトータルで勝負
なんだが、俺は一人だぞそれに俺はハンデ10だけどあいつらはみんなシングル
なんだ。クソ」
「じゃあ、握らなければ良かったのに」
「いや、いつもやっているんでね」
「ふ∼ん。で、幾ら負けてるの?」
「あ、今のところ300万だ」
「え∼∼∼。なんと言う」
「そうか、まあ、いつも勝つと500万は戴くんだが、今日は1000万くらい
負けそうでちょっと熱いんだ」
「凄いですね。そんな賭け聴いたことないです」
「あ、お前、人にもあいつらにもこのことを言うんじゃないぞ、ほれ、チップや
るからな」堀山は1万円を京子に渡した。
「わ∼∼。有難うございます。1年ぶりにチップもらったわ。それも1万円なん
て。やったあ」
「おお、大人しくしておけよ、いいな」
「はい、解りました」京子は金をくれたからではなく話をして堀山はやばい仕事
をしてはいるが、根っからの悪ではないと思った。
また堀山と二人になったときに「私が代打ちで取り返しますか?」と提案した。
堀山は「えっ」といってちょっと驚きながらも「お前うまいのか?」と聞くので
「はい。プロの卵だよ。ここの研修生、一次は通って今度二次テストだよ」と答
えた。堀山は決心するとカートを降りてティーグラウンドまで歩き、「ここから
3ホールは俺はパターだけやる。ショットはこの子が打つけどいいかな?」と三
人に提案した。
何を言い出すんだという表情が相談している場面でもう一度堀山が聞くと三人は
京子のいる方向に顔を向けて「大丈夫か?大金がかかっているんだが。聞いたら
動けなくなるかもよ」と脅してきた。
京子は逃げるのではないかと考えていたが、「そんなこと気にしないでやります
よ」と平然と言い放った。堀山に接近して三人に背を向けて、あの人たち大金を
賭けているっていっちゃいましたよ。と堀山にいうと堀山は笑って、もうオープ
ンだから関係ねえよ。といって笑っていた。
堀山のバックからおもむろにドライバーを抜き、ポケットにあったロストボール
を軽くスカーフで拭き、ティーを指してボールの文字を狙う方向へ向けた。
ヒュン、ヒュンと素振りをして「では行きまぁす」というと三人は「ビビッてチ
ョロしないでね∼」と冷やかしていたが、想定外の破裂音のする京子のティーシ
ョットを見て声を失っていた。
「お前等、OKしたんだからな」という京子のティーショットを観て眼を開いて
しまってから呟いた堀山の言葉にも無言だった。三人はそれから京子を視ても無
言で視線を逸らしてプレーしていった。
堀山は京子と笑いながら会話していた。
「堀山さんって不動産業?」
「ああ、色々やっているけどここに来るときは不動産の仕事だな」
「儲かります?」
「ああ、この前、海岸沿いの家を8000万で買って一億で売ったよ3日で20
00万の儲けだ」
「え∼、そんなに儲かるんだぁ」
「おお、あのあたりでは一番いい家だったからな。目をつけていたんだあいつら
がよ。」
「え∼∼。銀行って不動産もやるの?」
「馬鹿だなお前、銀行はそんなことばっかりやっているんだよ」
京子はその話で龍一の家が売られた経緯の一部分を掴んだのだった。
「一番良い家って小学校の裏?」
「ああ、そ・・・・」といって堀山は口を噤んだ。京子もちょっと拙かったかな
あと思い、「いいなあ、あそこの近くに友達がいるんだけど私は鎌倉のボロ屋で
さあ」とごまかした。堀山は「そうか、ゴルフで頑張って儲けろよ」といって流
した。京子はプレー中、元気に声を上げるようにして堀山に悟られないよう注意
しながらコースを回った。
最終ホールで100万円の負けになった堀山の袖を掴んで「残念でした∼」とい
って明るく振舞い、仕事を終えたのだった。
帰り際に「また来るから頼むぞ」といった堀山は疑いを持ったようには思えなか
った。京子はラウンド終了後、メンバー票をコピーして4名の連絡先を調べるの
だった。
予約を取った菅沼の携帯電話番号が記入されていた。
「京子、電話。3番」
「だれ?」
「あ、聞いてない。フロントから回ってきたんだ」マスター室に入り、赤く点滅
した保留ボタンを押した。
「鮫島です」
「あ∼、京子ちゃん、良かった。苦しいよ、助けて、部屋中に警察官がいます。
私を見張っている、捕まるから。早くこの缶から出たい・・・」律子は自宅で恐
怖と戦っていた。
警察が数人で自分を捕らえに来ていた。
部屋の隅に隠れてじっとした。
喉が渇き冷蔵庫から缶ジュースを出して飲んだが、それはビールだった。
飲み干してしまうと缶の中味が気になり、飲み口を覗いた。
飲み口を覗くと缶の中に吸い込まれた。
助けて∼と叫ぶ声が缶の中を木霊のように響き渡って、おかしくなりそうだった。
どうしても助けて欲しくなり、缶の中にある電話を掴みメモを見て必死で京子に
電話したのだ。
「はい、待って、直ぐ行くから。おじ様は?」
「だれ?警察だけだよ。早く助けて」
「とにかく待ってて」
京子はマスター室の広部に「わたし、今日はこれで上がるから」といって急いで
更衣室に向かった。
律子は寝室にいた。
残りの薬はとうに使いきり、ウイスキーを飲んでいた。
キッチンのテーブルに残された食器を見ると藤堂は朝食のトーストとコーヒーを
自分で作り、食事を終えて慌てて出かけているのが解った。
律子にもメモで伝えて仕事に出かけていた。律子がメモを読んだかどうかは聞い
てみないと解らない。
律子は正午を過ぎた頃から自宅を警官に囲まれ、逃げ場を失っていた。
警官の捕獲行動を阻止するためにキッチンにあった包丁を握り締めて戦っていた。
壁に衝突して頬骨部を擦りむき、衝突の際には壁に報復の攻撃を仕掛けて壁紙が
切り裂かれた。
静止して待機するプログラムは律子の回路からは消え去り、部屋中を歩き回って
いた。
鍵を開けて進入した京子に律子は「わ∼∼」と叫びながら包丁を振りかざした。
しゃがみながら右に避けた京子はベッドの枕を掴み、律子の背後へ回りこんで「
私だよ。京子だよ」と律子の耳元で数回叫んで律子の識別能力を引き出し落ち着
かせようとした。
「私は何もしていません」という律子の包丁を持った手から包丁が落ちると「京
子ちゃん」といいながら京子の腕を掴んでしゃがみ込んだ。律子はカーペットに
落ちた包丁を拾い上げて、「ちょっと待っててね」といって律子の肩に触れ、キ
ッチンへと向かった。包丁をしまう位置をキッチン上部の棚に切り替え、水をコ
ップに注ぎ律子に手渡した。律子は両手で支えながら一気に飲んだ。白眼から焦
点が合ってきたような眼差しで京子を見つめた律子は「京ちゃん。助けて。警察
が捕まえにくる」といいながら京子のシャツにある胸ポケットに手を入れるのだ
った。
抱き合っていると「トイレ!」という。
京子は律子に「このままではおかしくなってしまうから、警察が来ないようにし
ましょう」といって安心させた律子をトイレに連れて行った。
ドアを閉めて待っている時間にはゴソゴソ、カタカタという音がトイレ内で鳴り
響き、律子が動いていると気になってもじっと出てくるのを待つことにしていた。
何時間立ったのかわからない。
水を流す音が聞こえて静かになったときにそっとドアを開けると律子は便器に後
ろ向きに座り、タンクの上部から出てくる水を直接口を当てて飲んでいた。
見ていない不利をしてそっとドアを閉めて「出てくる?」と声をかけると「はい
」と聞こえた。自ら出てきた律子は落ち着いていた。
「寝ましょう」といって寝室へ向かわせ、ベッドに寝かせた。
「おじ様が来るまで寝ていてね」というとゆっくり目蓋を閉じたので「一旦帰り
ますね」といって藤堂の家を出るのだった。
シーサイドは繁盛してきた。
やはり海賊島への流出が大きかったことがわかった。東側に建設するバーベキュ
ーハウスは廃材を使用してガラスのサッシを雨戸を格納するよう左右に移動すれ
ば屋根付きのオープンテラスのように楽しめるうえに排気が良くなる。
完成までは時間の空いた順番に手伝うのだ。
海賊島に訪れていた客は「頑張って」といってシーサイドに訪れ応援してくれて
いるのだった。
張り紙をしている効果が如実に現れていた。
神奈川県警の細川は小池を連れ添い、改めてシーサイドを訪れた。
「こんばんは。横山君。忙しくて良いネエ」
「いや、向こうの火事の穴埋めまでは出来るような状態ではありませんから大変
ですよ」
「そうだったな、悪い、悪い」
「お、藤堂君。久し振りだね。顔色悪いネエ。ちょっと良いかね。シャブ食って
ネエだろうな。」
「はあ、なんです?そんなもん食うわけねネエだろ。バカ!」
「ああ、冗談、冗談。これなんだよ」
細川はおもむろに2枚の写真を内ポケットから取り出し、龍一に見せた。龍一は
首を傾げて「知らないし、見たこともない」と答えていた。
細川は残念そうに「そうか」といって小池と一緒に龍一の隣に座ってアイスコー
ヒーを注文した。
「売り上げに協力してくれよ」
「あ、そう、じゃあ、ハムサンドとサラミピザ追加ね」
「しょぼいなあ。横山さん俺、手長えびのパスタ。こっちの伝票で」
「あ∼、高っかいの頼んじゃって、少しは遠慮してくれよな。頼むよ安月給なん
だ。あ∼あ、それはそうと、何か情報はないかなあ?」
「いや、こっちが欲しい状態ですけどねえ」
「そうか、待っててくれ。頑張ってはいるんだからさ。なかなか核心に触れるよ
うな情報が得られなくてね。困るよ」
「はあ。忙しくてボケてんじゃねえの?」
「ははは、云ってくれるネエ」
「藤堂君、ボクシングやるんだって?」
「はあ、色々聞きまわっても俺に関しては逮捕できるようなネタはないよ」
「悪なのになあ。不思議とない?ははは」
「へえ∼小池さんも言うもんだね」
「まあ、一応刑事だかんね」
「一応レベルで」
龍一達が細川と小池を交えて歓談していると京子がやってきた。龍一が何も知ら
ずやってきた京子の方向へ顔を向けると細川も釣られるように振り向いた。
ふと細川を確認した京子は「はっ?」として背筋が凍りつくという感覚を始めて
味わった。
京子は「しまった」平静を装わねばと落ち着かせ「こんばんは」とかるく会釈す
ると細川は京子をじっくり見てから「誰だっけ?どこかで会ったよね」という返
答だった。
京子はそれを聞き、安心すると、すう∼っと頭上から血が下がって行くのを感じ
た。これも薬をやっている感覚なのかと思ったが、細川を直視できない自分には
気付かないでいた。
細川は上からつま先まで京子をマジマジと見てから龍一に顔を向けた。
「幼なじみの京子です」という龍一の言葉を聞くと目を細め、口を尖らせて見せ
た。
京子が「ジムで会いませんでしたっけ」と普通を装い細川を見つめた。
「あ∼∼。鮫島の?なんだ、藤堂君、幼ナジミなんだ」
京子は頭にまで響いてきているドキドキが細川に聞き取られるのではないかと緊
張していた。
「あ、これ、ちょっと観て?」
京子は写真の野球帽の女を見て思わず「ぁ!」と口から出てしまい、自分の柔な
神経を悔やんでいたが、その一言で「おっ!」と感じた細川は「どっちが知って
いる奴?」と京子を睨む眼は鋭い刑事の眼力に変わっていた。
一瞬思案し、誤魔化そうと考えた京子の口調は弱弱しかった。
帽子の女を指差して「金子?ではないかと?」という回答に細川は「知っている
のか?」と興奮した。
その細川の要望にはドキドキを悟られているのではという感覚が邪魔をして仕方
なく金子との経緯を話すのだが、律子が着用していたデザインと良く似た洋服を
着ているもう一人の女性の写真については「もしや?」というひらめきが回答を
阻止した。
細川の説明不足により、撮影場所が海賊島とは判断できなかったのだった。
京子は金子とはゴルフ場への通過点で飲み物を購入する際にレジで不正をする金
子を見て注意したとだけ伝えた。金子の息子との関係は知られたくなかったのだ
った。
京子は尾行されて身辺調査されればいずれ発覚すると逮捕されてしまうと予想で
きる自分の闇の部分を自分のオドオドした様子から目の前にいる細川が見抜いて
しまっているのでは?という不安が過ぎるのだった。
それほど他人が見ると体中が振動しているように見えるのではないかというほど
異常に激しく動く胸の音を感じて、早くやめようとする回路がやっと復活するの
だった。
「有難う」と一言いうとサッと上着を取り、立ち去る姿は刑事という職業が対面
する人の言葉意外にでも発信している情報を収集して解決までこぎつける分析力
をつけるものなんだと感じたのだった。
金村剛は渋谷センター街にいた。
ステーキハウスで食事をしているのだが、15分おきの来客は日本人だけではな
くインターナショナルだった。
店のオーナー小早川は金村の言いなりだった。
店の奥の席に座っているときには周りの席には客をエスコートしないルールが出
来上がっている。
11時から居座る金村は25人以上の人間と会い、夕食で忙しくなる5時を過ぎ
ると立ち去るのだが、帰りに持ち去るカバンは来たときよりも膨らんでいた。
金村から小早川が受け取った封筒には200万円が入っていた。
細川は茅ヶ崎に到着しスーパー鎌倉茅ヶ崎店に入った。レジのおばさんは客が数
人並んでいるところと一人だけのところがあった。そこへ向かって歩くとスーパ
ーのユニフォームを着てレジ方向へと小銭入れらしきレジの皿を持って歩いてく
るおばさんを確認して接近すると「すみません。金子さんっていませんか?」と
尋ねた。
おばさんは奥の休憩室にいますよと答えたので場所を聞き取り、休憩室に向かっ
た。
鮮魚コーナー横にあるビニールの暖簾をくぐりドアを少し開けて「金子さんいま
すか?」というと目の前のおばさんが「私」とだけ答えた。
「ちょっと話はできますか?」
「仕事なんだけど。なにあんた?」と愛想がない。
細川は写真を内ポケットから取り出して「これ、あんただろう?」というと金子
は「そんなの私じゃあないわ。何処よこれ?」と席を立った。
「どう見てもあんたなんだけど。」といっても金子は「知らんわ。帰って。仕事
の邪魔だよ」の一点張りだった。細川はぼやけた画像の写真だったが、ふてぶて
しい態度で半端揺する金子と対面し、写真の人物が明らかに金村だとわかり、逮
捕状を取ってから来れば良かったと反省した。
金子が席を立ち、小銭のケースとレジのロールペーパーを持って出ようとしたと
き、細川は「あんた、仕事が終わったら三浦署に来てもらうからな」と伝えたが
聞いていないのか金子は無言でレジに向かっていった。
細川は小池に逮捕状を請求しろと伝えて金子に続き、スーパーの駐車場で張り込
みを開始した。
小池は事務員にバッジを提示し、金子の履歴書を提出させて、住所を確認すると
県警本部に連絡した。
休憩所の出入り口に到着していた前園は小池と背中が見えていた細川を見つけて
隠れて監視していた。「ちょっとマズイぞ」今日は早めに切り上げたい気分にな
っていた。
村山が突然やめたことで事務員がレジに借り出されるほどスーパーは人員不足と
なっていた。
数時間後スーパーの駐車場にパトカーがやってきた。小池が金子友子の逮捕状を
受け取り、細川と供にスーパー内へ突入した。入り口で見回すと金子の姿がない。
細川がガラス越しに見張っていたのは前園だった。
「金子は?」
「時間になったので帰りましたが。」
「なんだって?」慌てて細川は駐車場に戻った。
前園の指示で金子は裏口から逃げたのだった。スーパーの店員達は同色の三角巾
を頭につけていたのだった。
リン・リン
「はい、藤堂です」律子は落ち着いていた。
「深瀬です、あの、藤堂律子さんですか?うちを辞めたのに申し訳ないのですが
、ちょっといいですか?」
「はあ、・・」
「バイト代少し高くしますからまたうちで働いてくれませんかネエ。鎌倉の方で
したら近いでしょう。店長の村山とあなたがいなくなって夕方のラッシュが間に
合わないので何とかなりませんでしょうか?」
「はあ、・・・」
「なんとか、お願いしますよ。藤堂さんしかお願いできないんです。他にお願い
できる人がいないので、出来たら今日でも明日でもお願いしたいくらい大変なん
です」
「え、でも、・・一日考えます」
「はあ、ではお願いします。明日また電話しますのでね」
数日前、トイレには何時間入っていたのかも記憶にない。京子は律子が落ち着く
まで何時間もトイレの前で待機した。
また心配で律子の様子を見に京子が訪れたときには藤堂が帰宅して律子の様子を
京子に報告していた。
京子も二人の時間に体験したことや感じたことを話した。
二人は幻覚や禁断症状についての情報をインターネットで検索して常習者の体験
談を参考に落ち着かせようとした。
律子は時間が経つごとに落ち着きを取り戻すと自らトイレから出て来た。
すると恐怖から警察に出頭するといって苦しみから逃れたいと訴えた。
藤堂律子の顔つきなど様子をみてはそれも仕方ないと考えていた。
律子の様子が落ち着いてきていて返答もまともであったため、禁断症状ではない
と考え、警察のお世話にはなりたくないという考えが浮かぶ。
自宅で療養させることが良いと判断したのだった。
寝るときには両手両足を拘束しても良いとまで言うのでそうしたのだった。
藤堂と一緒に自宅で寛いでいるときには時折「あそこから虫が出てきたから捕ま
えて。殺して」といって掃除機のパイプを天井に向けているかと思うと急にパイ
プを突き上げて天井の石膏ボードが傷つき穴が開いたりしていた。
藤堂は女の力なので制止することが可能だったが、これが成人の男の異常者の制
圧ならば大変な体力が必要だろうと想像していた。
刑務所や、拘置所の必要性を自分の家庭で知ることになろうとは夢にも思ってい
なかった。
騒々しくなる両親の寝室の物音を最初は「よくやるよ」と思って聞いていた龍也
も流石に大きな物音を耳にすると大ごとの喧嘩ではないかと想像してしまい、両
親の寝室の前まで移動して「大丈夫?」と声をかけるようになった。
そして藤堂は龍也に律子の症状のすべてを語るのだった。
予備情報で受け取っていた龍也は症状の好転を聞いて逆に安心したのだったが律
子が覚せい剤に手を出してしまったことを不思議に思っていた。
龍也は東大医学部に合格していたのだが、期待に添えない父親には法学部に入学
したと思わせていた。
いずれ打ち明ける積りだったが、家を売る羽目になったことで金のかかる医学部
に道を選んでいたことが父親を刺激してしまうというもしものときを考えると気
が重い。そこで律子の様子を窺いながら調子が良さそうなときを見計らい告白し
た。
「おかあさん。実は僕、医学部に入ったんだ。ごめん。嘘をついていたんだ。お
父さんにいえなくて」律子はあまりにも突然の告白に驚いたが、一呼吸おいてか
ら冷静になって考えた上で返事をした。
「いいのよ、そんなことあなたの人生はあなたがやりたいことをやればいいので
す。心配しないで頑張りなさい。私が仕事をしてお金を稼ぐから大丈夫。そうだ
わ、だから私が働くようになったのよ。凄いでしょ、龍也、心配しないで、私か
らそのうちお父さんに打ち明ければいいでしょう」と龍也には気力を振り絞って
考えながら話をした。それで優しく全うに対応できたのだった。
龍也は「かあさん、なんか、楽しそうだね。最近妙に明るいよ」と感じるままに
答えていた。
伊藤は永沢則弥への復讐心断ち切れなかった。
時間が空くと気になって三浦海岸に足が向く。永沢則弥の様子を窺い、姿を見て
は叩き潰してやるという衝動に駆られる。
海賊島で食事をしているときに思い出していた笹木が入院していた病院で大竹の
命令によって不本意に土下座をして謝ったときには特に屈辱だったこと。
茅ヶ崎に戻り、愚連隊としてあたりを走り回っている連中をシメていた頃は大き
な顔をしていたが、殺陣鬼の大竹、安藤にやられてからは大竹の下にいた金子に
まで馬鹿にされているような気がしていた伊藤は金子への報復として金子の母親
がスーパーにいると聞きつけ、接近して麻薬中毒にして自分の売人として、また
手足にして使って気晴らしをしていたのだった。
伊藤は白井と供に海賊島を視察して繁盛していることを目の当たりにしてからは
嫉妬心が重なり、どうしても自分が計画していた焼き討ちを実行したかった。渡
辺を利用して失敗してからも収まりが付かない衝動をまた、薬漬けにした金子友
子を利用して実行したのだった。
伊藤から失敗のないようにといわれていた村山が薬で洗脳されやすくなった律子
を案内役にして海賊島を金子に襲撃させてから律子と金子を横浜まで移動させた
のだった。
渡辺健司、藤堂律子、金子友子は村山に薬を使用されて洗脳された奴隷だった。
金子友子はラブホテルを転々としていた。そうやってカネを稼ぎながら逃げ回る
予定だ。ダサいスーパーの制服を脱ぎ捨てた金子は見違えるほど派手だった。注
射してパワーアップした金子が歩行する姿は正に別人だ。大通公園のレストラン
街や、伊勢崎町を闊歩すれば面白いように男達が声をかけた。
海賊島は瓦礫処理が行われていた。
現場は大家の資金不足が露呈した。
永沢音弥の支払いが家賃3万円で交渉してそのままの家賃で借り受けしていたた
めに大家は全く利益がなく復元する資金がなかったのだった。
買ってくれといわれても龍一達には厳しい。
借金できるような環境を持っているのは則弥だけだった。
営業努力で売り上げは順調だったが、十代の経営者では銀行も貸さない。かとい
って則弥のオヤジからの出資では駄目だという意見もでたことで則弥の親父が全
額を負担するとはならなかったのだ。
自分達で頑張ろうとシーサイドの横で始めたバーベキューハウスの売り上げを貯
めながら営業成績の実績を数年上げてからのスタートになりそうだった。
シーサイドの看板には金をかけた。
ルーフ・トップに電飾で「海賊島復活作戦実施中」と掲げた。永沢音弥は少しば
かりの宣伝として南神奈川新聞記者の木戸文治を呼びつけ、三浦と三崎マグロの
宣伝と火事にあっってしまった人気スポットの美味い物特集を毎月出せと脅した
のだった。龍一たちの生活ギリギリの挑戦がまたスタートした。
ゴールデンウイークは刈り入れ時だというのはどの観光地にも言えることだが、
海水浴シーズンがメインの商売ではそれ以外の季節には客足が落ちるのは当たり
前だった。お祭り小屋的要素で季節を通じて集客することに挑戦してきた海賊島
が火事によって消失してしまえば客足が落ちて行くのは仕方がないことだった。
三浦海岸をこよなく愛する龍一たちは江ノ島界隈の人気スポットが直線的に配置
するロケーションで海水浴をしながらでも見渡せばその日のうちに覗きたくなる
建物や看板が一望でき、客の移動距離がゼロでも次の刺激を喚起できるという地
形と配置に負けていることに気がつき、マリンパークとマリーナ、城跡、城ヶ島
などが三浦海岸沿いにあればと悔やんでいた。
三戸海水浴場にはそういった三浦の集客スポットが近くにあるにもかかわらず大
きな集客が望めないのはなんとなく薄汚れた雰囲気が拭いきれない地域の住民の
結束不足と資金難があるようにおもえた。
楽しみながら希望が持てていた海賊島が消滅して小さなバーベキューハウスで奮
闘してはいるが、流石に売り上げは大きくはない。
就職難にあえぐ都会の若者が多い中で田舎の若者やオッサンが頑張ったとしても
と、諦めて過ごせばそれ以下にしかならないと思った。金が無い連中には時間と
いう最も必要な条件をもっていることに気がつかぬまま過ごしていた者達が情熱
を注ぎ込むには夢と希望があれば十分だった。
現実は厳しい。
梅雨の季節にはもっと落ち込む。
冷房が効いて煙が出ない焼肉ハウスは何処にでもあるのだ。
実現まで我慢することは若いときにしか出来ないものだった。
全員が出勤しても客が来なければそれだけ経営に負担がかかる。
笹木は「俺は落ち着くまで負担になりたくない、他でアルバイトをして食いつな
ぐよ」という。梅野吉春、斉藤信治、佐藤和也も続いた。
則弥は仕方なく受け入れた。皆時間が有るときには無料でバーベキューハウスを
手伝うのだった。
「厳しいなあ」
「こっちは全然だ」
「この分では夏場にしか儲けはないぞ」
「そうだな。人口が少ない田舎の弱点だ」
「集客する何かを考えないと生活できねえぜ。小さな店でもやれることはやる」
「そうだな、ノリ、何でも金が必要だから、今の俺たちでは地道にやるしかない
んだな」
龍一たちは梅雨の時期には心配で眠れなくなるほど落ち込むのだった。
龍一は「ひまわり」に帰っていた。子供達は元気に遊んでいる。ジムではエクサ
サイズのかけ声が聞こえ、何とか繁盛している様子が伝わってくる。
「リュウちゃん。家に帰らなくて良いのかい?」
「ああ、帰っても喧嘩ばかりだし、狭い家になったから帰ったら邪魔だったりし
てさ」
「そんなことはあるもんか?母親って云うのは子供が一番大切さね」
「はい、お袋はそうかもね」
民宿みうらの吉中光子は「ひまわり」で夕飯作りをしていた。
「優子、京子は?」
「アルバイトに忙しいみたいでさ、最近はゴルフ場から戻るとご飯食べて、直ぐ
に出て行ってね。朝まで帰らないこともあるらしいよ。」
「あ、そう、あのバカ、キャバ譲やっているって云うからな」
「まあねえ、ジムも会員が増えたって云ってもゴルフの費用まではなかなか出な
いんでしょう。直ぐテストもあるらしいからね」
「あ、そうだったね。あいつも大変だ」
「そうだよ。うちだって大根が売れたから今はいいけどこれから収入が減るから
客を取るための苦労をするんだよ」と光子は漏らした。
「俺たちはみんな貧乏だな。ははは」
「笑っちゃおれないんだけどね。はは」
君代は鳥かごで子供たちにゴルフを教えていた。
「お∼い。リュウちょっと来て」龍一は君代に呼ばれて鳥かごに向かった。
あいつ人使いあらいからな。
子供たちは龍一を見つけるとわ∼っと走りより、足元に抱きついてくる。
「あのさ、今日ゴルフ場でご祝儀もらったからカレー食べにいかない?美味しい
って所聞いてたんだ。何処にもないすごいカレーらしいよ」
「本当かよ?何処でも似たようなものばっかで、カレーなんて代わり映えしない
ところが多いけどなあ。だいたいは期待はずれだったけどね」
「それが絶対食べたことないと思うよって自信たっぷりに横浜に住んでる人が言
うからさ、今から行こうよ」
「お前のおごりなら行くよ」
「よっしゃ∼」
初心者マークの龍一がめぐみの軽自動車を運転して横浜に向かった。
「なんていう店だ?」
「アルペン・ジロー、大通り公園にあるらしいよ。ちょっとおしゃれになったん
だって」
「そうか、美味かったら真似したいけどなあ」
「おお、新メニューか?そうだねえ」
首都高速阪東橋を降りて緑の多い大通り公園に入ると、マンションの一階にその
店はあった。コインパーキングが交差点の直ぐ左にあった。
「いらっしゃいませ」スタイルのよい美人のママさんらしき女性が出迎える。
「2人です」
左はU字型のおしゃれなカウンター席で、右側の部屋はテーブル席だった。君代
はカウンターが良いというが龍一は気楽に座れるテーブルにしてくれと君代に頼
んでいた。ママらしき人物は笑ってみていた。龍一が頼むと両手を合わせるので
君代はテーブル席を許してくれた。
「初めてなんです」という君代にママさんらしき美人はメニューを二人に渡して
、辛さは山の名前で決めるんですよ。天国が一番辛いです。でもね、涙が出るほ
どではありませんよ、エベレストは辛くて少し気持ちのよい甘さが売りです。と
優しく教えてくれる。
常連さんには串に刺したパンも出してくれるようだが龍一たちは初めてなので期
待できなかった。
龍一はステーキ・カレー、エベレスト、君代は野菜カレー、キリマンジャロを注
文した。メニューには特上天国、上級エベレスト、中級アイガー、初級キリマン
ジャロ、スタンダード富士山、マイルド野毛山はお子様用蜂蜜入りとなっている。
お待たせしましたという声に続き、赤いハンゴウのご飯に揚げた?玉ねぎが乗っ
ていて良い香り、そしてカレーのお出まし、「おっと!」可愛らしいフライパン
が登場してびっくり。おお、またまた香ばしい香りが目の前に。あまり待っては
いないけど「お待たせしました。」といわれると期待している人にはその言葉が
ぴったりだった。
「いただきます」という。言葉の後に出る驚愕に匹敵する「美味い」という脳の
反応。美味すぎる。世界中にここでしか味わえないと思う。スープカレーという
と、髪の毛を後ろで縛ったマスターは怒るらしい。そのマスターは今日はいない
らしいが味を受け継いでいる調理のプロ店長はそこまで凄い。以前関内にも支店
を出したようだが味が違い、マスターが評判を落とすと閉めたらしい。感激して
握手をママに求めて店長に「凄いです」といって店を出ると丁稚奉公してでもレ
シピを教えて欲しいと思った。
「あれ?あ、あれ?」君代が店のまん前で信号待ちをしている車を指差した。龍
一が指の方向を見ると店を出て左には信号があり、先頭から三番目の白い車の助
手席に女が乗っていた。
「あ、京子じゃね?」
「だよね。キョウコ∼」君代が手を口に添えて叫んだが振り向く事はなかった。
「追っかける?」
「バカ、野暮だろ?」
「そうだよね。キャバクラの客かな?」
「そうだろ、きっと」
「あんまり気分のいいもんじゃねえな」
「ふ∼ん。やっぱ、好き?」
「アホ!帰るぞ」といっても美味かったカレーの味を忘れるほど気になっていた。
店を出て左に進み、交差点の手前で左に入れる隙間があり、コインパーキングに
停めた車に乗り込んだ。
「美味かったなあ」とついつい顔を見合わせて言葉に出る。「ねえ、ホント!ち
ょっとない味だったね」
「色々店を回ってみたけどこんな味ないもんなぁ。」と何回も感激していた。
次はさあ、中華街の肉まん食べたいね。とう君代にまだ食うのかという眼で見る
と「今日じゃあないよ」といわれて安心した。「ノリと京子と笹木たちだよ」
「おお、良いネエ、シェフにも来てもらって研究して欲しいよなあ。あんなのが
海にあれば人気が出るんだけど、今までのメニューの再開発も評判の店に沢山行
って研究したいな」
「そうだよ。研究だよ」という君代の目は楽しそうに輝いていた。
「あ、さっきの?京子の車?」
「あ、ホントだ、間違いない」店を出て車に乗り、16号に出てあけぼの町で信
号待ちした。目の前を西に向かう白い乗用車の助手席がはっきり見えた。目に前
を通りすぎてゆく京子は笑ってはいなかった。
「追いかけてみる?」
「なんか、嫌な気分がする」
「偵察じゃ、どういうオッサンか見ようよ。内緒にしておけばいいでしょ。行っ
て、行って」
君代に背中を叩かれて気が乗らないが仕方なく追うことにした。信号が変わり急
いで追跡すると吉野町で追いついた。左折のウインカーが出たのでこっちも出し
た。「何処にいくんだ?」お店の前を通過したんだからまたここを通るのはなん
となく変だった。どこかで戻ってきたのだと思った。
横須賀街道を進んでいる。このままだと磯子の方にいくのか?探偵気分だね。と
いう君代は京子はキャバクラで稼いでいるから凄いよね。私なんか母さんのつく
った大根でゴルフをさせてもらっていて後ろめたいんだ。と母親への感謝の気持
ちを話していた。
「あ、左」
「八幡橋を左かぁ、本牧のほうだね」
君代は京子の行動を読もうと探偵気分を楽しんでいるようだったが、顔つきが真
剣そのもので龍一がはじめて見る物事に打ち込む姿だった。
「でもへんな展開になったらどうする?」
「おまえ、男みたいだな。ガキだけど」というと「あんただって真剣にハンドル
切ってさ、ず∼とウインカーに指を置いていつでも方向を変えてもいいぞって体
制じゃん」といわれ、ハッとして、そうか、俺も知らぬ間に入り込んでいたと自
覚した。
「あ、そうか」といって笑って誤魔化した。
でもへんな展開になったらどうする?と君代に言われてすぐに答えなかったのは
「そういう場面を想像したくはない」と答えてしまえば心の中ではそうなる可能
性があることを否定できない場面だという事態を君代とは共有したくはないと考
えていたからだった。
運転しながらそのことばかりを考えてしまうのだが、君代は京子と幼馴染で同姓
だから興味本位で追いかけているのだろうが、もし、京子たちの車がホテルにで
も入る場面に直面した場合、君代は「わ∼。凄い、やるじゃん」とか、「わ∼、
そんなことまでするのか?」とか、「そこまでやらねばキャバ譲は勤まらんのか
?」といって怒るのか?想像もつかない。
自分はダチたちにはとっくに童貞を失ったと見栄を張っているが、実際は経験が
なく馬鹿にされたうえに取り残されているような気もする。君代が隣にいてその
場面を一緒に目撃したとしてもショックを受けることなく大人の発言でいとも簡
単にやり過ごすことが出来るような経験があるとすれば一大事だった。突然いつ
も一緒だった京子と君代が自分とはかけ離れた大人に見えた。
「もうやめようか?」龍一がいうと君代は「あんた怖いんでしょ。そう、京子を
好きとかじゃなくて嫌なことを目撃したくないんでしょ。」といわれて楽になっ
た。
「ああ、もう帰ろう」というと君代は「やっぱり知らないほうが良いこともある
もんね」といって龍一を見るとテールランプからも眼を背けた。
ハンドルを切り、離れていく帰り道は暗かった。
金子康弘と坂本賢一は伊藤から白井を引き離す工作をどうやって実行するかを悩
んでいた。
伊藤と白井は剣崎から指示があれば自首する実行犯グループの主犯格だった。
伊藤を始末することは伊藤には殺した渡辺一派の後始末になるべく多くの罪を背
負わせて始末したかった。
剣崎は金村剛と相談して組長等三名は内部抗争で殺されたことにして内部から数
名の自首する組員を選別していたのだが事の事情が知れ渡る危険性を懸念して悩
んでいたのだった。
内部抗争で収められれば剣崎が渡辺興業を支援する形で入り込めるという具合だ
った。
剣崎と船戸は渡辺を堂々と支配する筋書きを念入りに考えていたのだ。
新宿区富久町の花月ひとみが住むマンションに呼ばれた滝川は竹山と安藤を引き
連れて現金を船戸に届けていた。
5億円の現金はアルミのアタッシュケースでは目立つので引越し屋のダンボール
に入れられ、竹山と安藤は引越し屋のつなぎを着て台車で運んできた。
渡辺興業潰しの実行グループに現金を配分する儀式を行うためだった。
24名に支払う金額は合計4億8000万円だった。
実行グループのリーダーはそれぞれに配分された金額を振り分けるのだが、助っ
人に呼んだものには自分から支払うことになっている。
時間ごとに振り分けられたメンバー達が順番に取りにくるのを滝川、伊藤、白井
、金子、坂本で確認して手渡し、最後に伊藤達が受け取って解散する手筈で船戸
は席を外して助っ人達には顔を見せないことにしていた。
滝川と金子、坂本、白井は伊藤と供に分配終了後にブルーシャトーで乾杯するこ
とになっていた。
メンバー達がマンションに到着すると細工を施したカメラのあるマンションの地
下駐車場から入り非常階段で部屋に入室する。
その都度伊藤らが地下に降りてロックを外した。カメラに写らないように工夫し
た行動だった。
京子は金子を捕まえようとしていた。
金子の母親の写真を見たことで細川と連絡を取り、海賊島の放火犯人が金子の母
親と知ると細川には悟られないように村山を捕まえて律子の仕返しを考えていた。
金子は京子の周りには永沢の側近がいてそれを知った上で母親が律子らしき女と
供に放火させたとは考えられず、金子の母親と律子に海賊島の放火を命令したも
のを聞きだすことが目的だった。
律子には村山が関連していることは金子の証言で解ってはいるのだが、バックに
必ず誰かが関与していると考えていた。
細川は笹木の一見以来愚連隊の伊藤と白井を追っていることは知っていたが根本
を知ろうと動いていたのだった。
金子との連絡が密にできない状況で焦っていたのだった。まだ時折電話に出る金
子は京子のバックに控えている永沢を恐れていることを感じているからできる無
謀だった。
一方金子は刑務所行きが刻一刻と迫る中で2000万円という大金を受け取る日
となり、感激と諦念を繰り返す日々を送っていた。
刑務所に入るという事はもらったカネを誰かに預けて入所するという事になる。
実刑は免れないという覚悟はとうに出来ていたが、母親に連絡がつかないことが
想定外の出来事だった。
藤堂は自宅に戻ってきたのだが、また律子の不在に不安になっていた。
居ても経っても居れず律子の仕事先へ車で向かうことにした。
それ以外に律子が向かう場所を知らないからだ。
龍也には当然律子の所在を確認していたが、龍也が帰宅したときにはすでに不在
だった。時刻が10時を回り、11時ともなれば何か問題があったとしか考えら
れない状態だと考えるしかないのだった。
リンリン・リンリン
「はい、藤堂です」龍也が電話に出た。
「ああ、俺」
「おお、兄貴、元気?」
「ああ、元気だぞ、お前は?」
「まあまあだね。今日はなに?久し振りだね」
「おお、ライセンスを取るのに親の承諾書が必要でね。お袋は?」
「出かけていないよ」
「そうか、じゃあ、ライセンスの件おふくろにつたえといて。今度ポストに入れ
ておくからな。最悪お前がオヤジの名前で記入して印鑑押してくれ」
「ははは。いいよ、一応お袋に云うけど、一度帰ってきてよ。話もしたいことも
あるんだ」
「おお、学校のことか?まだ医学部ってオヤジには内緒か?」
「うん。それもあるけど、一度帰れよな」
「ああ、考えとくよ。じゃあ」
龍也は龍一に律子の件を話したかったのだが、親父との揉め事になる可能性があ
るので龍一の攻撃的正確をなだめながらでなければマズイと考えて話さなかった
のだった。
電話で話してしまえば簡単だが、突然自宅に殴り込みをかけると思うからだった。
藤堂はスーパー鎌倉茅ヶ崎店に到着した。
店に入り、店員に律子の所在を確認すると同伴した女性と一緒にすでに辞表を提
出してやめたという。前園はるかは冷たく言い放っていた。
「申し訳ありませんが、あんなヤク中の女房は野放しにしないでください。店に
出られると客に迷惑がかかりますので」と藤堂を睨むのだった。
こんな程度の女に言われてと情けなく感じていた藤堂は行く先不明の律子にメモ
くらい残して外出すればいいのにと苛立っていた。
仕方なく自宅へと戻るのだが、京子に会って行き先の情報を得たかった。
しかしジムに直接会いに行くというシュチュエーションは過去にない。
要らぬ疑いを持たれたくないために躊躇した。仕方なく偽名を使ってジムに電話
した。すみません京子さんはいらっしゃいます?田中ですけど、ちょっとゴルフ
のレッスンの件で、と慌てて話してしまう自分が情けなく感じるのだった。
おそらく賢ではないかと思われる人物は「出かけている」と一言言うと受話器を
置いてしまった。
京子が不在と聞き余計に不安が頭を過ぎるのだった。
すぐにシーサイドに向かったが店に居た横山は京子の不在を告げ、藤堂の周章狼
狽する様子を不思議そうに見ていた。
金子はなかなか電話に出てこなかった。
若しかしたらと、村山と情報交換されていれば村山は逃げて捕まらない可能性が
あった。金子が出ないときには渡辺が客を用意したのだが坂本もまた出てこない。
仕方なく川沿いを歩き、日の出町駅に向かうことにした。
大金を始めて受け取った金子と坂本は白井を横浜の竹山の住処に呼び出していた。
竹山は大量のブツを抜き取り、組の資金作りのための売却も命令され、寝る時間
をも惜しんで動き回っているのだった。
この際、と、販売するエリアを拡大して回っているのだった。
「おい、安藤、今何処だ」
「俺は新宿二丁目だ。今からそば食ってから店を回る」
「そうか、朝まで捌いたら船戸さんに金を持っていくからな。俺は今からセンタ
ー街へ行く。」
「おお、分った。村山から連絡は行っているか?」
「ああ、あいつは女どもを使ってもう1キロ売って一億円を届けたらしいぞ」
「どこで?」
「相模原と横浜らしい」
金子、坂本は金を掴んだうえ、伊藤の殺害を命令されて京子の電話は相手にして
いる暇がない。2000万の現金を掴み、一万二万の金は必要がない身分に成り
上がっていた。
「白井、お前、死にたいか?」金子がいう。
「どうして?お前等どういうことだ」
「お前、ムショ行きを覚悟してやったと思うが、おそらく洋さんの命令だと思う
けど伊藤とお前を殺せといわれたんだ。」
「な、なんだって?」白井はショックで一気に血の気が引き、怯え始めていた。
「おまえ、殺しをやったくせに震えるのか?それで良く井上を殺れたなあ。」
「金のためだからな。それに仲間も呼んで襲ったから勢いって云うやつだ。おい
、それで俺を今からやるのか?」というと白井はそわそわして逃げ出しそうな始
点が定まらない目の動きをした。
金子は白井の袖をきつく握り締めながら「殺るつもりならとっくにやっているさ。
おまえ逃げるのか?」と睨みつけた。
「おい、待て、しかし、何で俺を殺せというんだ?」白井は青い顔をして金子の
顔を見ながら震えた声で迫った。
「茅ヶ崎の殺陣鬼の奴らのところに刑事が聞きこみに来ていると言うし、どうせ
伊藤のことだから船戸さんや洋さんに気に触ることでもやったんだろ。それでお
前はいつも伊藤とつるんでいるから邪魔になったんだろうな」
「そうか、やばいなあ。俺?伊藤は思い込んだら考えずに動くから駄目だとは思
う。実は、刑事は神奈川の女の殺しの件だと思うんだ。頼む、逃がしてくれ」
「なんだと、何だ、それは?」
「伊藤が俺らと一緒にメシ食っているときに伊藤を駄目なやつだとけなした女を
シャブで殺したんだ。自滅を装ってな。俺も一緒にいたんだけどよお」
「何だと、ニュースで観たような気がする。お前等が殺したのか?本当にそんな
ことやっていたのか?アホウだな」
「ああ、伊藤の怒りが収まらなかったようでいきなりなんだよ。油壺の公園でヤ
クを大量に渡して注射器も渡したら二人とも自分で注射して死んだ」
「なに?・・・」坂本は絶句して「じゃあ、お前等これで2回目じゃないかとい
って呆れていた。
「そうなるな、ばれれば?それに伊藤は女に指図して三浦の永沢のレストランも
燃やしたんだ」
「なに?あの三浦の永沢の?海賊島ってレストランの火事もか?あれは永沢の店
だぞ。良くやるな。そんなの滅茶だって普通分るだろ。いまや、兄弟分だぞ。そ
れでまた、刑事が来たんだろ。どっちもすぐに足がつくぞ。馬鹿かお前ら」
「ああ。俺から聞いたとは云わないでくれ」
「伊藤はアホだな。こんなことばれたら大変だ。火事だけはお前、関わっていな
いんだな。まあいい、どっち道、見つかれば別荘行きは確定だし、お前らは斥候
で指名されていたからな。俺たちにもいつ来るかって話しだしよお」
「俺は火事には関わっていないが、伊藤に言われて脅された村山が用意したヤク
中女にやらせたって話だ。覚悟は出来ているし、そのつもりだ。金をもらうため
にやったんだからな」
「村山?また、あいつも関わっているのか?解った。それでだ、俺はお前を助け
てくれと船戸さんに頼んだんだ。後で尻拭くのは大変だと思ったけどよ。しかし
だ、返事次第では殺らなきゃならんでよ」
「伊藤には今から近付いても一切このことは話さないで付き合えるか?俺達が殺
るまでだ。足がつくような事件を起こせば起こすほどやばいって解ってないんだ
なあいつは」
「解っていても自分の感情を抑えられないんだ。どう説得してもあいつは変わら
ん。俺は助かるんならそうするから頼む」
「それで、お前もそのときが来たら手伝うんだぞ。こうなったら早いほうがいい。
あのバカがまた何かやらかしたら終わりだからな」
「解った」
金子は白井の告白によって警察の追及がすぐそこに迫って来ていると感じたのだ
った。携帯電話の着信履歴には京子の着信が何件も入っており、白井の告白を聞
き、京子がいう脅しの恐怖が脳裏を駆け巡り、居ても立ってもいられなくなって
いた。
トゥルル、トゥルル
呼び出し音が鳴り、K子とモニターに出ていた。金子は坂本に小指を立てて合図
してその場を離れた。
「はい。あ、K子さん」
「やっと出たか。あんた、大変なことになってるよ」
金子は白井の告白で動転していたので何から解決できるのかと考えてはいたが、
事が大きすぎて手がつかないことばかりだった。とはいえシッポを握られている
京子の連絡をきっぱりとは切れなかったのだった。
「なんだ?」と金子に言われて切れた強固は「何だ、だと、てめえ、殺すぞ、舐
めてんじゃネエ。おまえ、母ちゃんが海賊島の放火犯でなあ、警察に追われてい
ることを知ってていっているのか?」と大声でまくし立てていた。
「はあ?何だって?母ちゃん?」白井から聞いたばかりの情報だった。焦った。
すでに警察の捜査が入っているだと。
「そうだよ、お前の母ちゃんスーパーの」
京子の云う放火犯がお袋だと聞いても信じられないし受け入れられなかった金子
は意外と冷静に「なんで?そんなこと知ってんだ?」と問いかけていた。
「警察がシーサイドに来て私達に写真を見せてスーパーにもとっくに調べに行っ
ているみたいだよ。新聞には出ていないからまだ捕まっていないんだろ」
「はあ?ほんとにかよ?まじで?まいったな。ほんとにかよ?」
「ほんとにかよ?ほんとにかよ?って、うるせえんだよ。嘘なんか言えるか。バ
カ。お前が母ちゃんを逃がしたんだろ」
「しらねえよ。母ちゃんが逃げているのか?・・それで電話しても出ないのか・
・・」
「本当に知らないの?じゃあさ、聞きたいことがあるからすぐに来い。ホテルの
近くに行くからさ」
「サツと一緒か?」
「バカ、私がどうしてサツと一緒に居られるんだよ」
「ああ、そうだったな。ああ、仲間だもんな。あんたは」
金子は母親の情報を得るために仕方なく部屋を出た。
「おい、金子、こっち」京子は路地に金子を引き入れた。
「ここで誰かを連れてくるかと思って監視していたんだ。金子、あそこのマンシ
ョンから永沢の見張りから監視されているからな」
「嘘だろ、勘弁しろよ」
「仕方ないだろ、こっちは女なんだからさ」ハッタリが通用した。
「見た目だけじゃねえかよ」
「まあいい、母ちゃんの居所を教えろ」
「本当に知らねえんだよ。勘弁しろよ」
「じゃあ、村山は何処だ」
「そんなこと知ってても教えらんネエよ」
「そうか、じゃ、村山にブツ渡しているのは誰だ?」
「だから、知ってても教えらんネエよ」
「なんだと?・・・わかった、じゃ、永沢則弥を呼ぶわ。大っぴらにしてやるぞ。
おい」
ボッスッ!ゲホッツ!
京子のサイドボディーを食らった。
「俺が・・ゴホッ、殺される」
「なに?それ。それは本当かぁ?お前の事は実はもう則弥だけには話したんだ」
「何だって?永沢は俺を狙うのか?」
「あたりまえだろ。こんなこと一人じゃ、怖くて出来ないよ。お前の母ちゃんが
あいつの海賊島に火をつけたんだぞ。私は本当に細川っていう刑事が持ってきた
犯人の写真を見たからここに来たんだからさ。永沢の反撃は私の返事次第だね」
「わかったよ、勘弁してくれよ。あんたの事は立てているだろうが。そっちに永
沢の後ろ盾を出されりゃ、言うしかないだろうがよ。ヤクのボスは竹山って奴で
その下はあんたがこの前中華街で寝た安藤だ。伊藤は愚連隊だったから今は愚連
隊を潰した殺陣鬼の総長竹山の下で村山を使っていたんだ。これで良いか?」
「そうか、それじゃ、お前の母ちゃんもジャンキーだな。村山はかあちゃんの働
いているスーパーの店長だったんだぞ。考えれば分るでしょう」
「そんなわけない」
「おまえ、村山と会ったことある?村山がお前の母ちゃんの上司って事知ってい
るのか?」
「分らない?皆が知っていることだろ」
「言わなきゃ、知っている訳がないだろう。金子なんて苗字結構いるでしょ。じ
ゃあ、海賊島に火をつけるなんて事できるの?普通で」
「出来る人じゃあない。・・と思う」
「村山がお前の母ちゃんとは知らないで漬物にしたんだよ。たぶんねえ。出なき
ゃあんなことしないでしょうに。こないだの律子さんみたいにされたんだよ」
「そうだったら許せネエ。殺してやる。くそ、白井の言う村山が用意したヤク中
女ってか?」
「白井?そいつが言ったのか?・・・じゃあ、こっちで村山をやってやるからあ
んたは伊藤の居所を教えろ」
「ああ、」・・「もうこうなったら言うが、俺たちは渡辺を殺ったんだ。だから
計画でよ、俺はよう、伊藤は本物の馬鹿だから始末してから俺たちは自首する予
定なんだ。大金もらってな。出所後は剣崎の幹部という約束なんだ」
「はあ?それって本当か、あんた、馬鹿じゃないの?」
「ああ、金と力を取りに行ったんだ。永沢だってヤクザだろ。中に入れば怖くは
ネエからな。もう、俺はあんた達の仲間みてえなもんだろ、親分が兄弟なんだか
らよ。怖かったんだよ。だからやるしかなかったんだ」
「私も怖かったからさ、女で。だけどあいつは、永沢ね、伊藤に対して怒ってい
るだけだからさ、本当にお前が目的なら今、やられてるよ。だろ?で、竹山って
奴はどこにいるの?」
「いつもはここの事務所だが、今は薬を売るやつらが隠れているんで奴らは売人
周りで金集めに忙しいよ。今は居ないし、いついるかなんて分らない。ああ、そ
れより、俺には剣崎も永沢も同じだからよ。まあ永沢にも伝えろよ」
「そう、それならさ、永沢達に助けてもらえるように頼んでやるから伊藤の居所
だけでも教えろ」
「バカ云うな。殺されるって言っただろう」
ボッスッ!ゲホッツ!
また京子のサイドボディーを食らった。
「う∼・・・・わ、わかった、わ、わかったから、絶対に俺って言うなよ」
「約束するよ。あんたはハマでは私のボスでしょ。何処よ?」
「でも追っても無駄だぞ。あいつはもうすぐ死ぬ運命だ。お前等がやってくれれ
ばそのほうが俺は助かるけどな」
「はあ?なんで?」
「俺達が殺るからさ」
「はあ?どういうことだ」
「剣崎の命令だ。これ以上は話さん。村山に聞けって」
「居所が分らなければ探すのに時間がかかるでしょう。いいわ。それが本当なら
ね。・・・わかった。約束するよ。あんたいい奴だったわ」
「はあ?いい奴だったはねえだろ」
「ごめん、ごめん」
「お∼、金子!」誰かが呼んでいるが暗くて確認できなかった。
「やっべ、おい、殴ってにげろ」
「あ、あ、」
ボッスッ!ゲホッツ!
また京子のサイドボディーを食らった。今回は軽かったが、金子は大げさに殴ら
れた振りをして道路に倒れこんで転げまわった。金子が芝居をしている隙に京子
は街路灯の無い方向へ走って逃げた。
「お∼、金子!」靴音が激しくなった。
「お∼、金子!どうした。」
坂本が出て来て金子を見つけたのだった。金子は電話が終わって、ハイヒールの
足音がするのでその女を見たらいい女だったので声かけて引っ張り込もうと思っ
たらお前が声をかけるからだろ。いきなり殴られてしまったじゃやないか。とい
って疑われないようにしていた。
京子は驚いた。警察に通報するかしないかと迷ったが、結局のところ自分のやっ
ていることが公になることが一番の問題だった。とにかく金子のバックと村山の
位置を確認できたことが大収穫だった。人を追いかけるためには資金が必要だっ
た。京子はまた金子に電話した。
「おい、客を紹介しろ」と。
藤堂は帰ってこない律子が心配で京子に会おうと鮫島ジムを訪れたが、ジムの電
気は消されていてベルを押したが誰も応答しなかった。
鮫島徹は雑用をこなして熟睡していたのだった。
金子は京子に話しをして体がす∼と軽くなったような安堵感を覚えた。
本当に何でも話せる信用できる親友のような気分に浸っているのだった。
ふと我に返ると村山のことが頭から離れなかった。
なんとしても村山を見つけて母親との関係を白状させねばならぬと考えるように
なっていた。
あの野郎、それが本当ならばついでに殺してやる。と唾を飲み込んだ。
金子はどうしても拳を握っていないと落ち着かないという状態になっていた。
京子はホテルシャトーに居た。金を稼いで移動資金を蓄え、このあたりで村山に
遭遇できればという考えもあったのだった。
客がしつこく泊まろうと言うがそんな気分ではない。
ホテルを出入りしながら村山、金子、坂本が移動するような場面があれば尾行す
るという手もあったのだ。
客からは部屋に入ってすぐに金を受け取っている。仕事が終わるとすぐに身支度
をして帰ることにしていた。
期待とは裏腹に思惑通りには遭遇せず、ただ、怪しくビルの陰に立ち尽くすだけ
の時間が過ぎる。私は立ちんぼう?と情けなく思いながら過ぎてゆく。午前3時
だった。
手ぶらで帰るには勿体無いと悩んだ末に金子を送りにつかって永沢の家に連れて
行き、全部を則弥に話させようと考えた。送りの運転を金子にさせて家の中に引
き込めばいいのだ。
よし、と思うと早速迷惑を顧みず永沢に電話するとなかなか受話器が上がらなか
った。
意味もなく足踏みして待った。早く出ろ、早く出ろと願った。呼び出し音の響き
がイライラしたが偶然にも則弥が出た。
おふくろさんが出れば電話の理由を説明する事態を招きかねないのだ。
「あ、ごめん、こんな時間に。わたし、京子」
「あ∼∼なんだよ?おまえ、こんな時間に?酒でも飲んだのか?おい、何かあっ
たのか?」
「うん。海賊島の犯人グループが分りそうな奴が居たんでさ、私のバイトの送り
の運転手なんだけど今から騙して則弥の家に連れて行くから捕まえて情報を取ろ
うよ」
「何だと、本当にか?お前、やばくないの?」
「相当やばいよ。でもさ、これがチャンスなんだと思うから。いま、関内だから
高速でも4∼50分かかるけど」
「分った30分後から表に隠れて蚊に刺されながら待っているよ」
「ちゃんとそいつを捕まえてよ」
「わかった。気をつけろよ」
則弥に電話をして話をすると京子は急に心臓が高鳴り、熱くなった。金子に電話
をするともう一人の男が出た。渡辺だった。
「あ、K子さんまだ仕事するの?」
「いや、もう帰るけど」というといつものように「あれから二人だから2万な」
と請求されて送りの運転手が上納金を車中で受け取り、三浦まで送るのだが、今
日は人手が無いので坂本が送るというのだった。
「悪いわね」
「いいよ。今日はもうK子さんだけですから。まあ送りも仕事だし。あんた達か
ら金を取っているからな」
「あんた達悪い奴なのに女にだけは礼儀正しいね」
「そりゃそうでしょ、この商売はそうでなきゃ女の子が集まらないからネエ」
「そうか、それでなんだ」
「そうだよ」
道順を京子が案内して進んでいた。坂本はやっぱり田舎は空いているねえ。とい
いながら音楽を聴きながら気分良さそうに運転していた。
「あ、もうすぐだよ」ほんの100メートル手前だった。
急にスピードが上がった。
「おっと」
上半身を運転席側に乗り出して坂本と会話をしていた京子の上体が加速Gで背も
たれに張り付いた。おお、どうした。
「ああ、だいたい覚えているからさ、一度送っているでしょ?任せておいて。俺
って意外と道路だけは良く覚えているんだ。一度通った道はだいたい記憶できる
んだよ。なかなか凄いでしょ。運転は好きなんだ。特にシーサイドラインは夜で
もいいねえ。K子さんはいいロケーションのところで住めて幸せだよ」坂本は聞
いてもいないことを喋りだし、自分の記憶力を自慢すると止まらなくなるみたい
だった。
「え?」一度送っているでしょ?って?
脳天をいきなり叩かれ吃驚仰天したのだった。突然の坂本の発言で動転した京子
は「ストップ」という回路が飛んでしまっていた。坂本の顔を何度もまじまじと
見た。
「うそ、そうだった?」
しまった。不覚だった。
坂本の予期せぬ情報に驚いて聞き入り、通りすぎてしまっていた。
「先月に来たでしょ。あの養護施設の前でいいからって」と坂本は陸側の丘陵地
を指差していた。
「ああ、そうだったねえ」と言いながらやっと現在乗っている黒い車だったこと
を思い出して肩を落としていた。
ああ、あのときの運転?と車の内装も思い出したが、そのときは後部座席に乗っ
ていたのだった。
京子を運転しながらルームミラーで確認できる坂本とは違い、記憶に残るような
回数の顔面映像が得られる場所には居なかったことを思い出すだけだった。
はっとして我に返ると永沢の家をスピードが速いせいもあって通りすぎてしまっ
ていたのだった。
しまった。
「あ∼。この辺でいいんだけど」
「いいや、近くまで行くよ」
坂本は京子に「もうすぐだよ」といわれて記憶に残っていることを証明すること
に燃えてしまっていたのだ。
まだまだスピードが落ちない。
記憶を証明したい坂本はスピードを上げることで自信度をも体感させる趣味があ
るのだと悟り、京子は何度もしまった!と思っていた。
そんなぁ、一度送ってもらっていたなんて全く記憶がなかった。
仕方なく金子らの居所だけでも聞いておこうと思ったので「事務所って日之出町
なんでしょ」と聞いた。
「あれ?知らないの?そう、近くの長屋だよ」
「そうなんだ。今度時間つぶしにコーヒーでも出してよ。外で待つと危ないしさ
」
「どうぞ、他にも待ちの女子も居るしね」
「あ、そうかあ」と話しているうちにまた、施設のすぐ近くまで進んでしまって
いた。
「ここでいいわ。見つかると嫌だから」
「あっそう、じゃあまた」
あ∼∼失敗した。どっと疲れが来た。
ジムに入り則弥に連絡すると則弥は道路に出て電柱に隠れて待っていたのだが凄
いスピードで通り過ぎただろうといって心配していた。
「疑われてないか?」と聞かれて「あいつ、話が長くてさあそれはない」と伝え
ていた。
則弥にシーサイドで集まろうと伝えると則弥も興奮して眼が醒めたといって寝ら
れないから行くぞ。といって張り切っていた。
京子は経緯を全部話したくて興奮していた。
坂本はUターンして自動販売機でコーヒーを買い、また停止するとタバコを買っ
ていた。車に乗り込みスタートすると対向車線からノーヘルで髪をなびかせ、膝
を開いて走ってくるバイクがあった。
ウィーン、ブオオオオー
「あれ?このあたりはシャドーのメンバーか?」行き交う二人は視線を合わせて
交差していた。
則弥はターンして捕まえてやろうかと一瞬考えたが京子に聞けばいつでもやれる
とアクセルを開いた。
「ひまわり」で龍一の寝ている屋根裏部屋に入り込み、足で蹴って龍一を起こし
た。
「リュウ、放火の犯人グループが分りそうだからシーサイドに集まろう」といっ
て外で待った。
龍一はよだれを枕にたらして眠っていた。
腕でよだれを拭いてからゆっくりと正座をしてボケた顔がお辞儀をしていた。
龍一はジャージの上下に、ゴムのスリッパで出てきた。
「あんた、それ、便所のぞうりじゃない?」
「そうだよ。だめ?」
「まあいいけど。めっちゃダサいわ」
京子はジムの軽自動車のキーを龍一に渡すと助手席に乗り込んだ。
「シーサイド」
「はい、しーさいどね。メーター入れますね」
京子は「バカ。」寝ぼけてぶつけるなよといってシーサイドに到着するまでの
数分間龍一の頬を平手打ちしていた。自分がしてきたことをどういうふうに話す
のかが気がかりだった。シーサイドに到着すると2階へ上がった。
誰も居ない。
横山を起こそうかと京子が言うと則弥が上がってきて、まあ、とりあえず三人で
話そうとなった。
京子は自分の仕事はキャバクラで通すことにした。
その仕事で客引きと女をスカウトしているのが竹山、安藤、伊藤、坂本、金子と
いう設定だった。話をすれば絶対にその現場へ押しかけるという予測が出来る二
人に話す以上自分がホテトル譲とシャブ食いはバレないようにしなければならな
かった。
それならばもし、龍一達が奴等の事務所に押しかけてもそのまま黙っていて大丈
夫だと考えていた。
興味津々で京子の情報を待っている二人は真剣な眼差しで京子を見ていた。
嘘で固めるのは疲れるなあと思いながらも京子は海賊島の放火犯人は金子という
スーパー鎌倉の女店員でそこの店長村山が食い物にして育て上げ、伊藤が命令し
て金子が放火したと伝えた。
龍一と則弥は激怒して殴りこむと息巻いたが、京子はそんなに衝動的に雷を落と
せば海賊島のように跡形もなくなり、分ることも消滅してしまうからじっくり構
えて根本の悪玉を探そうと落ち着かせた。
伊藤は今後剣崎洋の命令で金子らによって殺される運命だと伝えた。
「どうしてだ?」という則弥の返答には伊藤は則弥も相対した経験で少しは分る
のだろうが、非常に単純で思考能力に欠けていてすぐに切れる性格で執念深い人
間だという事が剣崎の二代目にも伝わって渡辺興業を襲わせた後の責任を取らせ
るのだと金子から聞き出したと説明した。
「なるほど。事はでかい犯罪に関わっていそうだな」
「そう、でも金子は大竹の率いた愚連隊のメンバーで京子は永沢の身内だと理解
しているので仲間だと思っているようでこの話を打ち明けたんだ」
「そうか。リュウ、大竹に会いに行ったのは正解だったかもな」
「ああ、また会いに行って情報を聞き出そうか?あいつは悪い奴ではなさそうだ
ったしな。やっぱり伊藤がガンだったんだ。」
そして金子らは剣崎洋の命令で動いていると伝えたのだった。
則弥は「またオヤジにお伺いを立てないといけないなあ」とぼやいていた。
渡辺興業の主要人物三名の死亡事件は様々な憶測を基にした記事がテレビ新聞以
外でも報道された。
週刊誌、ゴシップ雑誌では闇に流れる資金と臓器売買の実態などという記事が女
性週刊誌にまで掲載されるまでになっていた。
警察密着麻薬密売組織壊滅作戦の全容などという番組が国民の麻薬常用への警告
を発信するなど前代未聞の密輸量の実態を報告し、警察組織の儘ならぬ絶滅への
執念を映像を通して報道するようになっていた。
事件後数日は渡辺興業の様々な疑惑がニュース番組を独占したため、龍一と則弥
にも当然記憶に新しい。
ニュースの中で数年前に麻薬取引のトラブルで渡辺の構成員を殺害したグループ
の剣崎洋が出所して時を待たずに起きた事件である。
当然疑われる剣崎洋はテレビ局アナの突撃インタビューにも度々登場して「いま
どき、そんなことやるわけがない。思惑で記事にすればひどい恥をかきますよ」
というニヒルで二枚目の顔を画面上で見たヤンキー娘達の間では結婚したいやく
ざナンバーワンとネット上でも話題になっていた。
龍一と則弥は「なるほど、そうすると麻薬がらみの騒動に巻き込まれてこういう
事態になっている可能性があるな」と刑事気取りで納得していた。その言葉を聴
きとめ、後ろめたさを隠して京子は続けた。
金子と知り合った経緯も説明すると龍一は金子という奴も知らぬ間に母親を食わ
れて利用された可愛そうな奴ではないかと気の毒に思ったようだった。
則弥は伊藤が処分されるのならば慌ててことを起こす必用がないので伊藤らの周
囲を調査してはというのだった。
京子も同感だった。いや、それ以上に踏み込まれて大事にでもなれば警察の捜査
が入り、自分も事情聴取される可能性がある。
時間を置いてかかる火の子を遠くに見物して居たかったのだ。
京子は龍一にゴルフ場で小耳に挟んだ堀山が三浦中央信金の三人が結託して藤堂
の実家売却までに至った何らかの情報を持っていそうだと感じた僅かな情報を伝
えると「俺には関係ないことだ」といって話を切断して一瞬目蓋を大きく開いて
怒りを表しそうなオーラを出したがそれ以上を聞かないのだった。
「リュウ、俺たちも独自に調べようぜ」則弥は海賊島に火をつけた犯人金子の母
親から事情を聞くこと、伊藤の状況を把握することが当面の目標になっていた。
龍一も全く同感だった。
空いた時間は横浜の伊藤、竹山一派の尾行を行うことに決まっていた。
夜が明けてきて「腹が減った」という京子は三階で寝ている横山を起こしに向か
った。
三階の部屋から見る景色はシーサイドでは一番だった。
西側から東側まですべてがガラスサッシで囲まれカーテンを開けるだけでスーパ
ー・パノラマになる。
こんないい部屋に住みやがってこのやろうと足で蹴りながら睡眠を邪魔する。
「ん∼∼∼。なに?」
「めし」
「あ∼∼また早いねえ∼∼」
「ゆっくり寝たかったら鍵くらいすれば?」
「じゃあ、リュウが来れなくなるじゃん」
「あんたら、ホモか?」
「ああ、・・・・そうだな」
「寝かせてよ。好きに何でも食べていいからさ」
横山のシーサイドは海賊島が出来る前の1.5倍以上の売り上げになっていた。
横山は疲れているのだった。
藤堂は心配で眠れなかった。テレビの音も聞こえない、どの部屋にいるのかさえ
分らない。
空想が意識を高めるのだが数分前にも何を考えていたのかは記憶にないくらいだ。
律子の肉体が犯され汚れていく幻影を何度も観た。それは過去に観た恐怖映画の
ワンシーンで被害に遭う律子だった。
記憶から作り出された恐怖によって刺激され「はっ」と意識が戻り蛍光灯の明か
りがきつく刺して来る。待つことしか出来ないくらい律子のことを分っていなか
った自分に腹が立つ。頭を抱えても何も出てこない。
知らぬ間にウインドウが白んで来ていた。
「ああ、朝か?」早く皆が起きる時間になれ。何かあったに違いない。警察の世
話になっていなければいいが。・・・
「京子ちゃん。助けてくれ」
ソファーに座り、ニュースを見ながら両手を合わせて額をつけた。
窓の明かりがオレンジ色に変わるのを確認すると座ってはいられないと藤堂は外
出して律子捜索を始めることにしていた。とても仕事どころではない。まずジム
に向かった。
所在を確かめるために、朝から鮫島ジムを訪れ、京子に会って相談したかったの
だ。
呼び鈴を押しても返事がない。何度呼んでも応答しない。
「こんなときに京子ちゃんもいないなんてなあ」と仕方なくシーサイドに向かっ
た。
鮫島ボクシングジムの軽トラックをシーサイドの駐車場で見つけた藤堂は何故だ
かぬくもりを感じてゆっくりと二階へ上がっていた。
サッシの奥で繭のようになって並んで寝ているなかに龍一を見つけた。
京子の顔も見つけたが、龍一に見つかるとどういう反応で対応するのかが不安に
なり一旦階段を下りようとしてターンしたが、律子のことが心配でまた店内へ入
ろうと決心してサッシに手をかけた。
そう∼っと、サッシをあけて京子の寝袋まで進み、ベランダで伝えようと寝袋を
軽く揺すった。
京子が目を覚まし、細くなった眼で藤堂を確認すると何が起こったのかを察して
寝袋から慌てて手を出しベランダを指差した。藤堂はゆっくりと忍び足でベラン
ダに出た。京子も音を立てないように寝袋を出ると裸足でベランダに出てきた。
小さな声で「京子ちゃん律子がまた帰ってないんだよ」と伝えると京子は驚いて
「またですか?こまったなあ。どうしましょう。」と下を向き返事に困っていた。
京子は仕方なく「おじ様は仕事をしてください。私が探しますから。何か分った
ら連絡しますから。すぐに来てください。みんなと一緒ではお互いに困りますで
しょう」というと藤堂は「心配でどうしようもないんだよ。仕事なんて手につか
ないよ」と訴えた。京子は龍一たちに知られたくはないと切実に訴えていた。
藤堂は京子に押されしぶしぶ階段を降りて行くのだった。
「お前、どうして親父とこそこそ話をしてるんだ?」
「わ!」京子は驚いて立ちすくんだ。一瞬にして硬直し言葉が出ない。
「おい、なんなんだよ?」
「あ、あ、あ、あのう、ちょっと」
「ちょっとじゃない。何を話したのか言えよ。こそこそするな。何を探りに来た
?」
「あ、女の秘密で。いえ、ゴルフの事と」
「隠すな。お前、怒るぞ?おまえ、俺のことをこうやって報告していたのか?で
もこんな早朝になんて変だろ?何なんだ。え?」
「ん・・・リュウうるせえぞ、おまえ」
「うるさい、ノリ、お前は黙ってろ」
「はい、すんません。お∼こわ」といって則弥は寝袋に収まった。京子は仕方な
く龍一をベランダに連れ出して話すことにした。
「リュウ、怒らないで聞いてね。頼むから、ここから話すことはおじ様と私の秘
密だったの。あんたに知れると逆上して何するか分らないから話さないで解決し
ようと思っていたんだけどここまで来るとそうは行かないみたいだから。・・・
」
「なんなんだって?」
「おじ様は悪くないからね。どっちかといえば私が悪いんだけど」京子は終始謝
りながらことの経緯を龍一に説明していた。
龍一は幾度となく耳にする驚愕の展開に耳を傾けながら涙していた。京子は何度
も「ごめんなさい」とテーブルに額を擦りつけた。
度々うなるような声を発した龍一の唸り出る涙声がデッキを振動して伝わり則弥
も無意識に袋を抜け出して立ち尽くして唸りながら聞き入っていた。
永沢はサッシを空けると「すまん。リュウ、聞くつもりはなかったが、気超えて
しまった」と目を真っ赤にして鼻水を垂らし、両手を広げ、「ウオ∼∼」と泣き
叫んで空気を切り裂いた。
「ノリ、お前はここに居ろ。俺はお袋を探す」
「リュウ、おじ様は悪くないんだよ。絶対に売られた事は内緒だよ」
青天の霹靂、三浦のドラゴンが動き出した。
「京、バイクで行くぞ。案内しろ。まず、村山を探す」
「俺も行く」
「駄目だ。お前はじっとしていろ、親父に知られたら新聞沙汰くらいでは済まん
だろう」
「あほ、関係ねえ」
「駄目だ。お前はこれからレストランから初めて県会議員になるんだろう。絶対
に駄目だ。行くというなら俺を殺ってから行け」
「お前、バカ野郎、俺がお前に勝てないこと分っていていうのか?」
「じゃあ、待ってろ、いいな。みんなに言うな。あいつ等もお前がいなくなると
働く場所がなくなってまたただのバカになってしまうから」
「ああ、じゃ、お前が何かあったら京子が俺に連絡しろ。それならいいだろ」
「駄目だ。お前は絶対捕まってはいかん。絶対にな。法律で勝つようになるんだ
ろ」というと龍一と京子はさっさと着替えを追えて軽自動車に乗り、ジムへ向か
った。
龍一と京子はジムでバイクに乗り換え、横浜に向かった。
KAWASAKI・NINJA・ZX10Rだった。
「シッカリ掴まれよ。吹っ飛ぶぞ」
京子は両手を龍一の腰に巻き付けシッカリと両手を合わせて捕まった。
「いいよ」
シュルシュル、ウォン、ウォン
「京子、お前もシャブ中か?」
ウィーン、オオオオー
「え∼、聞こえないよ。なに?」
ウィーン、オオオオー
「あ∼、もういい」
信号待ち?と思ったが、違った。
信号はまだ赤だ。
龍一は左右を確認した素振りを見せた。
FWO∼nn
ウオン!ウオン!と、バイクはゆっくりと動き出すと一気に爆音を上げた。前輪
が地面から離れ、宙に浮いた。
キャー
そのまま加速して50mほど進むとアクセルを戻しウイリーした前輪を地面へ戻
して加速した。風を切り涙を吹き飛ばした。大通公園は混んでいたが全く関係な
い隙間があればすり抜ける。京子が背中をたたいて合図する。
「あ∼?」
「行き過ぎ。」「左」「左」「右」「左」
「停めて」
京子が電話して金子を呼び出した。
「あ、私。今からコーヒーいいかな?・・・・場所は?・・・・・」
バイクを止めて事務所に向かった。
「ちょっと待って、金子が迎えに来るって。リュウは隠れて」
龍一は路地に隠れて待った。京子は両手を後ろに回してこちらに向かってやって
くる人数を龍一に知らせるのだった。おっ一人か?
「はい、こんにちわ」
「早いね、今日は」
「おい」
「あっ」
龍一は金子のサイドボディーを軽く打った。
「おい、俺は藤堂ってんだ。シャドーのメンバーだ。金子か?ちゃんと話すなら
何もしない。永沢もここに俺が来ていることも知っている。どうだ」
「K子さん。全部話したのか?」
「そう。あんたのためでしょ。私は嘘は言わない」
「そうか。分った。何でも話すが秘密にしろよ」
「ああ、俺のお袋は何処だ」
「知らねえ。俺も村山を探しているんだ。お袋が行方不明なんだよっ」
「お前もか?」京子から聞いてはいたのだが記憶になかったのだった。
「そうだ。それに伊藤を殺る準備で色々あって大変なんだ。こんなことやってい
る暇はないんだが、電話が来るからし方がないんだ」
「スーパーの女が知っているかも?」
「そんなの聞きに行った時点で逃げてしまうよ」
「そうだなあ」
「こうなったら奥の手だな。しかし、伊藤の上は竹山って奴なんだったな」
「そうだ」
「今何処にいる?」
「事務所にいるぞ、さっき帰ってきたんだ。メキシコの女達の金を集金するため
さ」
「そいつが女を仕切っているのか?」
「ああ、メキシコ・マフィアが送り込んだ密入国者のな。居酒屋ちょいの間でよ
」
「それも剣崎が?」
「いや、表向きは違うやつらが入国させているんだ。けど間違いなく剣崎だな」
「そっちは俺には関係ないから、伊藤の処分は竹山は知っているのか?」
「知らないはずだ。俺と坂本、白井、滝川さんだけだ。上以外ではな」
「そうか、剣崎に迷惑もかけられないけどこの件は俺が目茶目茶にしても大丈夫
と踏んで来たんだ。俺のお袋だぞ。真面目に生きてきた世間知らずのおばさんを
、絶対に村山と伊藤は許さねえ。よし、竹山を締め上げるけど事務所には何人い
るんだ?」
「3人だ」
「お前も戻れ、声を出して軽くパンチを当てたら吹っ飛んで暫く大人しく寝た振
りしろ。いいな」
「分ったけど、竹山は空手とボクシング相当強いぞ。大丈夫か?」
「わからん」
「わからんって?まあ良いや。じゃ。あそこの橋を渡って向こうの交差点から二
つ目の家のドアから入れ、俺が入るところを観ていたほうが安心だろ」
「分った、じゃあな」
金子は不安そうに歩いて戻っていった。
龍一は「さて、行くか?」といって歩き出した。京子は一歩下がって不安そうに
ついてくる。「大丈夫?」振り返った蒼い緑青の首を直視できなかった。「すみ
ません」それから京子は話しかけられなくなった。
ガシャン
「竹山っているか?」
「なんだ、お前は?」
「お前が竹山か?」
「俺は坂本だ」
龍一が見渡すと無言で頭を動かし、ソファーで金を輪ゴムで止めている男に向か
っていた。
龍一が一歩踏み出すと金子が「なんだ、お前は?」といって向かってきた。
龍一は軽く右フックを当て、右サイドボディーを2発見舞った。
大げさに後方へ飛び、壁に激突する金子をなかなか上手いじゃないかと見送り、
竹山に接近すると竹山はカネを置いて立ち上がり、右フックを繰り出した。
右利きか?龍一は右足を踏み出し頭を右に振り避けると額を竹山の鼻の下に回し
て左フックを2発連打して左サイドボディーを軽く当てた。
風を感じ、振り向くと坂本が右ストレートを放っていた。
鼻の頭をかすめてよろめいた。
接近してきたその右米神には龍一の左フックが直撃して霞んだ眼のまま坂本はソ
ファーで失神していた。
電話の前に座った男は目を開いて固まっていた。
「お前は?」
「安藤だ」
「安藤?ちょっと寝ていろ」龍一が軽く米神を叩くと意識を失った。
龍一は竹山の頬を平手打ちした。
両手でパンパンするとゆっくりと眼を覚ました。
「おい、お前、竹山なんだな」竹山はうなづいた。
「村山って野郎は何処だ」
「しらねえ」
「なんだととぼけるな。立て」竹山を掴んで持ち上げ、立たせて暫く様子を見て
いた。
竹山は首を振り、頭を抱えて龍一を見ると両肩を回してファイティングポーズで
威嚇した。龍一は目の前にあるテーブルとソファーを足で蹴ってスペースを空け
た。
竹山も椅子をけって前進スペースを確保した。
「覚悟しろ」と竹山はステップした。
ローリングした上体から左ジャブで接近してきた。
龍一がすっと動くと顔面が竹山の鼻にタッチした。
竹山は金子の上に吹っ飛んで失神した。
金子が竹山を持ち上げて脱出すると坂本と安藤の視線が龍一に集中していた。
「俺は三浦の藤堂だ。村山の居所と伊藤の居所を教えろ。お前等、剣崎と永沢の
兄弟関係は分っているな」
三人はうんうんと頷いた。
「居所はわからネエ」
「俺も知らん」
「じゃあ、こいつの上は誰だ?」竹山を見下ろした。
「滝沢って言います。その上は船戸さんというカシラです。剣崎の」
「あっ」京子が叫んだ。
背後で起き上がってきた竹山がテーブルにあったガラスの灰皿で龍一の後頭部を
強打した。
瞬時に頭を振ったが灰皿は龍一の左側頭部をヒットしていた。
一瞬視界を失い竹山の強打を顔面に浴びて床に倒れた。
竹山が蹴りを繰り出すと左手で掴み、跳ね上げて竹山を倒した。
龍一の側頭部から流れてきた血が左目尻から涙のように流れて頬を濡らしていた。
後退して尻餅をつき起き上がってくる竹山はブルブルと頭を振って立ち上がった。
龍一の赤いしずくが京子の頬に数的張り付いた。
竹山がステップして接近すると血が垂れている龍一の眼光が竹山を刺してファイ
ティングポーズの中から飛び出した龍一の強握した鉄球が後頭部に直撃した。
「パシャッ!」という音と供に竹山は口を空けたまま床に沈んだ。
「うお、一発かよ」
「頭蓋骨、いったんじゃないか?」
「救急車を呼べ。死ぬぞ。まあ、死んでもいいけどな」
坂本は骨折音を聞いて慌てて救急車を要請していた。
「うるせえ」といった龍一は坂本にもストレートを顎に放っていた。
「おい、金子、伊藤と村山の居所は本当に知らないんだな?」
「ああ、ここで知っているのは竹山だけだ。いつも向こうから連絡が来るのを待
っているだけだからな」
竹山は蟹のようになって痙攣していた。
「おまえら、藤堂律子は知っているか?」
「ああ、知っている」金子が答えた。
「今は分らん」
「そうか、じゃあな。じゃあ、滝川って奴は?」
「新宿の隠れ家だ。それか、伊勢崎のジムだ。剣崎ジム」
「剣崎ジム?近いな。面白いねえ。隠れ家の住所を書け」
「滝川さんはミドル級元日本チャンピオンだぞ。あんたスーパーライトぐらいだ
ろ?」
「・・・じゃあな。早く救急車を呼べ。いくぞ。」
ピーポー・ピーポー・ピーポー
そのまま事務所を立ち去り、剣崎ジムに向かった。
龍一は伊勢崎町の剣崎ジムには入った事はなかったが、遊びに来てふらふらして
いるときに綺麗なビルの一階でガラス張りの入り口から見えるスポーツジムのよ
うな佇まいに鮫島ジムとはかけ離れた客層と設備に驚いて立ち止まって観察した
記憶があった。
シュルシュル、ウォン、ウォン
剣崎ジムへは3分もかからず到着した。
ウイーン 自動ドアだ。
「滝川はいるか?」
「いないですが。なにか?」
「じゃあいい」
ジムで掃除をしていた若い従業員は龍一の顔面に張り付いていた血痕の涙を見て
ハッとしたりKISSかと首を傾げて見送っていた。
シュルシュル、ウォン、ウォン
「新宿へ行くぞ」京子は腰に手を回して頷いた。
ウィーン、オオオオー
金子と安藤は失神して眠っている坂本の横で「おい、藤堂ってお前、恐ろしいな。
俺たちあんな奴がいるシャドーを本気で潰そうとしていたんだぞ。あいついずれ
永沢の殺し屋になるんじゃネエか?やっべえぞ」
「ああ、仲良くしたほうが良さそうだ」
「竹山が死んだら1キロのブツは入るし、藤堂様さまだ。早く売って10年後の
出所に備えるか?」
「藤堂に感謝しねえとな。K子は一度お手合わせしたけどもう諦めるしかないの
が残念だ」
「それもお前、藤堂に知られたらお前、やばいんじゃないのか?」
「バカ野郎、お前が寄こしたんじゃねえか」
「あ、そうだった。どっちもやばいじゃねえか」
国道1号線はトラックやバスで渋滞だった。路肩やセンターラインをまたぐ龍一
には渋滞はない。信号で停止するとエンジンからの熱気が吹き上がってくる。前
方は自動車の排気ガスや熱風で蜃気楼のように歪んで見える。
「京子、お前達やお袋にはいつもあの先のように歪んでみえるのか?」
ウォン、ウォン、ブオー、ウォン、ウォン
「あ∼、なに?」
ウィーン、オオオオー
「も○△×う、いい」
ウィーン、オオオオー
新宿区役所に到着した。
龍一は区役所の駐車場にバイクを止めて歩き出した。
新宿MMビル東京都新宿区歌舞伎町1丁目10−3だ303号だぞ。京子が宅急
便を装い「303を押してエントランスで待った。
「剣崎さんから宅急便です」
「はいな」
カタン、ジーとドアが開き、エレベーター・ホールに入って303を押した。
厳重で高級感のあるマンションだとマジマジと見た。
3階に降り立ち正面を見ると306だった。
右は307左へ進んだ。303の表札はない。
ベルを押した。
「宅急便です」中から男が「はい、はい」といっているようだ。
龍一はドアの左に張り付き、開くのを待っていた。
ガチャガチャとロックとチェーンを外す音が聞こえると京子の心臓はドクドクと
鳴ってくる。カチャという音でドアが少し開くと龍一がノブを掴んで力いっぱい
引っ張った。男が少し玄関から顔を出していた。龍一のストレートが鼻を直撃す
ると男は後退し仰向けに倒れて動かなくなった。
ドタ、バッターン。
「どうした。誰だお前は?」龍一は土足のまま進入した。
京子はドアを閉めて玄関で立ち尽くしていた。
龍一を直視して進んでくる男はファイティング・ポーズをとってくる。
滝川か?龍一はそのまま進み、左を延ばしてすぐに右ジャブを打って来るのを交
わして頭を左に傾け、右ストレートを顔面に打ち込んだ。
「バッスッ!」
男は鼻が潰れて血を噴出し、後退してこらえた。
「お、ま」パスン!という音がして京子が見ると男は腕を上げて左に倒れて腹を
抱えてうずくまった。
「京子、玄関の奴を引きずって来い」京子は男のシャツの首の部分を掴んで引っ
張ってきた。
プッ、プッといってボタンが千切れ飛んだ。
「おい、お前が滝川か?」龍一は目の前に倒れて原を抱えて吸引することに必死
の男に声をかけた。
「答えろ。俺は永沢と一緒に遊んでいる藤堂だ」といってわき腹を蹴った。
倒れている男は声にもならない声で「お∼」と首を縦にした。
「村山はお前か?」と京子の引っ張った男を見た。
男は倒れたままで首を横に振った。
「滝川。村山は何処にいる?おまえら、剣崎と永沢の関係は知っているな」
滝川はうんうんと首を振った。
ん∼、ん∼という音が滝川の鼻を通過して吸い込まれていく空気の音がした。
「もう、話せるだろう」
「ああ」滝川は苦しそうに話した。
「村山はここのすぐ裏だ。歌舞伎町のホテル・リステンだ。お前、なんで村山だ。
あいつはスケコマシの三下野朗だぞ」
「ああ、そのアホが俺のお袋を薬漬けにして売りやがったんだ」
「はあ?お前のお袋?おばさんじゃないか?」
「なんだと」龍一は滝川を蹴飛ばした。後頭部を蹴られ滝川は失神した。
「京子、水かけろ」京子はキッチンに入りコップに水を入れて滝川に引っ掛けた。
龍一が軽く足で頭を蹴り滝川を揺さ振った。
「おい、滝川、剣崎の親分に永沢の藤堂が今日事務所に行くと伝えておけ。いい
な」
「どうしてだ?」
「落とし前を付けに行くんだ。いいから電話しておけよ。いくぞ。ホテル・リス
テンだな?俺のお袋を村山ってえ野郎が薬漬けにしたってな。分ったか」
「ああ」
「行くぞ」
マンションを出て通行人の若者を引きとめた。若者は龍一の左目に流れている赤
い涙を見て驚きの表情で固まっていた。
京子が「ごめんなさい。驚かせて」と平謝りした。
龍一は「すみません。ホテル・リステンって?知りませんか?」と尋ねるとその
方向を指差して示した。
ホテルの屋上にある看板が見えた。
何度もお辞儀をして謝ると若者は不思議そうに何度も振り返り龍一たちを見送っ
ていた。
そのまま歩きながらホテル・リステンに向かった。
花崗岩の城壁のようなその佇まいはラブホテルではないような高級感があった。
京子と龍一は入り口に到着すると恥ずかしさがこみ上げてきたが、京子が龍一の
袖を引っ張りエントランスへ進んだ。
中に入ると一般ルームとスイートルームとの分割エントランスになっており、エ
レベーターも分離していた。
部屋数が多いと探すのにも苦労する。
仕方なく事務所に入り込んで村山を探すことにするしかない。
部屋の周りを見たがエントランスからは事務所の場所が分らない。
京子が部屋の選択ボードの呼びベルを押していた。あいつ良く知っているな。慣
れたもんだぜ。
「はい」ホテルの従業員らしい・
「ちょっとこれ、やり方がわからないし、ここに何か落ちているから見に来てく
れませんか?」と従業員を呼び出した。
「はいはい」というとミラーの壁が動き、おばさんが出てきた。
「あそこか!」
「悪いけどちょっとごめんね」といって龍一がおばさんの腕を掴んで放さない。
「俺、藤堂って云います。うちのお袋が村山っていうヤクザにここで監禁されて
いるって情報があって来たんで。何処の部屋か教えてくれませんか?警察を呼ん
でもいいんだよ。あんたも監禁教唆で逮捕されても良ければね」
「嫌だよそんなの。でも私じゃ、わかんないよ店長なら知っているんじゃないの
?」
「そいつはいるのか?」
「もうすぐ来るんじゃない、金庫の金を銀行に渡すから金を数えに来るからさ」
「じゃあ、事務所で待たせてもらうよ」
「私には何もしないでよ」
「ははは、おばさん私が保証するよ」京子の言葉に安心した様子だった。
事務所のモニターは出入り口2箇所のものと駐車場の4箇所、各階通路の14の
モニター、設置されていた。
入室している部屋の赤色ランプが100個以上あった。
相当大きいホテルだと龍一は思っていた。昼間から入店するカップルにはおカマ
らしき怪しげなものもいれば案外年寄りもいてキスして抱き合う姿が滑稽で面白
かった。
部屋ごとの電話に仕掛けられた防犯用のマイクの録音機があることが興味をそそ
った。
滝川は考えた。
伊藤を始末するように画策していたのだが渡辺から奪い取ったブツを捌くために
は潜伏していた数日間のブランクが大きく客を持っている伊藤を十分に使ってか
ら処理しようと考えていたのだが、龍一が乗り込んで少しでも伊藤を叩けば後は
簡単に処理して龍一に罪を擦り付けることが出来ると考え、意図的にホテル・リ
ステ902へ伊藤を差し向けたのだった。
そのためには自分もホテルへ向かい、龍一を」確保するしか手はないと考えてい
た。
龍一はホテルの事務所で待ち伏せをしていた。
「そうか、防犯でね?」
「そうだよ、昔は覗きが出来たんだって。オーナーが言っていたよ。」
「そうか、ここのオーナーは誰だ」
「内緒だけどね、名義は会社になってはいるけど、絶対内緒だよ。裏では品川に
ある渡辺興業って話だよ」
「はあ、なるほどね。じゃあ、監禁部屋があるかもな」
「そうだね。あ!」
「やっぱり、おばさん知っているんでしょう」京子がおばさんに詰め寄った。お
ばさんは下を向き両手で口を塞いでいた。
「ァ∼来た、来た。金村だよ。店長の」
「金村ね?おばさん、俺に殴られた振りしてそこで寝ていてくれよ。眼の下ちょ
っと擦るよ。赤くなっていれば殴られたみたいだろ」
「ハイよ。分った。ゆうこと聞かないと殺すんだろ?」
「ばか、そんなことしないよ」
龍一と京子は入り口のドアを挟んで左右の壁に張りついた。「おばさん。寝たふ
りしろ」
音もなくドアが開くと入室した金村は留守番のおばさんを見て「おい、どうした
?」といって方膝を床につけておばさんを揺すった。龍一が後方から金村を羽交
い絞めにして問い詰めた。
「ウッ!だ、誰だ」
「俺は三浦の藤堂だ。村山は何処だ。女を連れているだろう。律子という」
「うう」
「お前、死にたいか?こんなことでよう」
「ああ、それがどうした」少し緩めた隙に金村はしゃがみ込んで拘束を抜けて殴
りかかった。
「くっそ、死ね!」
龍一は反射的に金村の右フックを避けて右アッパーを放った。
カチャという音がした。
龍一のアッパーを食らい、上下の歯が衝突していた。
「ッ!」金村の舌の先が切れて鮮血が飛び散り、龍一の首下のTシャツに染み付
いて金村はひざまずいた。
「何処だ。村山は?」
また龍一が軽く左フックを見舞った。
金村の舌から流れる血が一直線に龍一の腹部に張り付いた。
「何処だ。言え、殺すぞ」
「わ、わ・か・っ・た。902・だ・スイートの」という金村の舌が僅かに切れ
て腫れていた。
「キーをよこせ」
「キー・は・ない、その・ボード・の902を・押せ、入室・する・ま・で・ロ
ックはかからん」
902を押すと「いくぞ」といって龍一と京子は走った。
エントランスに出てエレベーターホールに出ると三段下がっていく隣のVIP専
用エレベーターが902にも行き着く表示になっていた。エレベーターのスピー
ドがもどかしい。
扉が開き、正面にある部屋の番号と矢印の方向へと進むにつれ、龍一も京子も
心臓が大きくなったのではないかと思った。
「角を右」
壁伝いに歩くと点滅した902が視界に入った。
ドアノブが冷たかった。
入り口には男性用の革靴が3セット真っ赤なハイヒールが一組無造作にあった。
中のドアを開けると照明が消え、薄暗い部屋だった。ホテルのBGMが小さく流
れていた。
「う∼。う∼」と声がする。
壁のスイッチを入れるとベッドルームがあった。
男が横向きで大イビキで寝ていた。
テーブルにはステンレスの皿があり、ビニールの袋と注射器が5本あった。
「くっそ、シャブ中が」奥にあるドアを開けると大きなバスルームだった。
誰もいない。
バスルームを背にすると左にもガラス張りのドアがあり、外が見えた。
白いガーデンテーブルと椅子が見えた。
その左に白い螺旋階段があって日光が差し込んでいた。
ドアを開けると見知らぬ女が裸で抱きついてきた。
「お兄さんもやる?」完璧に飛んでいる。
白いガーデンチェアには裸の男が座ってテーブルに顔を横向きにして寝ていた。
螺旋階段に接近して見上げると太陽が眩しかった。
階段を上り始めた。
「きゃー」という声がした。
龍一は入り口に近い部屋に慌てて戻り入り口を見ると京子が金村に拘束されてい
た。
「やめろ、そいつを放せ」
しまった、もっと痛めつけて寝かせておけばよかった。と先を急いで失敗だ。と
反省した。
「ウルセえ、お前そこで両手を上げてひざまずけ」
龍一は仕方なくその場に座り込んだ。
バン!という音がした。
誰かが入ってきたのだった。
金村は驚いて一瞬拘束を緩めた。
京子はその隙に金村に左右のフックと蹴りを急所に入れて龍一に走って寄り添っ
た。
「なんだお前、何しに来た」金村が男にいうと男は「滝川さんに902に行けと
いわれたんだ。どういうことだ。これはなんだ、藤堂何しに来た?」
「お前、俺を知っているのか?」
「おお、忘れるものか、永沢とお前はずっと狙っていたからな。どうだ店が燃え
た気分は。わははは。ざまあみろ」
「お前、伊藤か?」
「そうだ」というと伊藤はテーブルの注射器を手に持ち、内ポケットから小分け
したコカインを取り出して皿に載せてライターで溶かしだした。
誰が使っていたのか分らない注射器でそれを吸い取り「これで二人とも眠らせて
やるから大人しくしろ」といって金村に顎で合図した。
ドンという音がしてまた誰かが入ってきた。
龍一が覗くと滝川の部屋にいた男だった。
「お前、起きたか?良かったな死ななくて。」と龍一がいうと「ウルセエバカ野
郎今度はお前の番だ」といって悔しがった。
「はは、そうか、一度でいいから殴られてのびてみたいよ」と龍一がいうと三人
は一緒に接近してきた。
金村が「この女も少しはやるから注意しろ」というと伊藤は「面白いじゃない
か、後で可愛がってやればいいだろう」といって不敵に笑った。
「京子、風呂からタオルもってこい」
京子は慌てて走り、洗面台の下にある籐のバスケットからタオルを取り出してか
ら走りよって龍一に手渡していた。
龍一は動物的に計算してまずは注射器を持っている伊藤を倒して金村に行き、最
後によわっちい男を仕留めると決めていた。
伊藤にはフェイントでフックを打つと見せかけ、しゃがんで回転して足をすくい
倒れてくる顔面を右フックで戻し、左足で後頭部をキックする。そして金村のサ
イドボディーを右で叩くという距離を計算していた。
「京子、俺が伊藤に行ったらすぐに金村のサイドボディーを狙え、いいな、外れ
てもいいから金村を立たせたままにするんだ。いいな」といって「行くぞ」と叫
んだ。
一瞬怯んだ伊藤は足を龍一の右足にすくわれて左に倒れた。
龍一は一回転してから右フックを伊藤の側頭部に思いっきりタオルを巻いた拳で
腰を入れて叩いた。
60キロの体重がまるで干したさらしが風で飛ぶようにして壁まで吹っ飛びベッ
ドルームの石膏ボードを突き破り頭部が壁にめり込んで刺さった。
京子がサイドボディーを狙った金村は左へ状態を揺らして逃げたが龍一の方へと
倒れた上半身を戻そうとしたときには左に振っていた龍一が反動で左ストレート
を金村のサイドボディーに放っていた。
ズン!という肉の反発音が聞こえると左に倒れかけた金村に京子が左フックを見
舞っていた。その瞬間意識がなくなった金村は前のめりに床に倒れていった。
男を凝視する龍一が接近するとまたドアが開く音がした。
滝川だった。もう一人あとから入ってきた。
「藤堂、こいつが村山だ」
「なんだと」といって龍一は京子を見た。京子は村山じっくり見て間違いなく見
たことがあると確信して「あいつだと思う」と龍一に伝えていた。
「おい、お前、村山か?」
「・・・・」
滝川が「お前、返事しろ」
オドオドした村山は震えながら「はい」と小声で返事した。
「お前俺のお袋を何処にやった」というと村山は「お袋?ですか?」と震えだし
た。
「そうだ、律子って言うんだ」
「はあ」
「どこだ!」と大声で叫んだ龍一の顔面の血管は隆起して破裂しそうだった。
「ここにいると思います」
「いないじゃないか。嘘を言うと殺すぞ」
「いやあ。ここでずっと飼って・・あ」
「飼ってだと」龍一は頭に血が昇り村山に詰め寄ると軽いパンチの嵐を浴びせて
いた。
「何処だ。滝川、お前も知っているんだろう」
「俺は知らない、村山の仕事だ」
「なんだと」
龍一は切れた。
滝川と村山は意識が飛んでいても殴られていた。
「やめて、やめてって、死んじゃうよ」
もう誰も起きていなかった。
「ん∼∼」誰だ?ベッドで寝ている裸の男だった。
こっちを見ているようだが焦点が定まらず頭部がラウンドしていた。
龍一ははっとしてバスルームに向かい、外に出た。白い螺旋階段に日光が差し込
んでいた。
また見知らぬ女が裸で抱きついてきた。
「お兄さんもやる?」まだ飛んでいる。
白いガーデンチェアには裸の男が座ってテーブルに顔を横向きにして寝ていた。
螺旋階段に接近して見上げると太陽が眩しかった。
そのまま階段を上がった。
ゴボ、ゴボと音がする。
また風呂があるのか?また?外にも風呂?透明の円形ジャグジーバスの泡が山の
ようになって動いていた。
「誰かいるのか?」泡で見えない。
龍一が泡を救っていると京子が上がってきた。
「リュウ、私がやってあげる」といって京子が狭い階段を上がってきたのだった。
龍一が下に下りるとすぐ「リュウ、お母さんだよ。来て!裸だけど意識がない」
「なんだと?」つまずいて膝から血が出てもそのまま駆け上がった。
律子の顔は晴れ上がり、京子が口に頬を寄せるとかすかに息があるという。
龍一は階段を下りてベッドのシーツを剥ぎ取って戻るとジェットバスの中に入り
母親を抱き上げていた。
京子がサポートしながら螺旋階段を下りてベッドへ運んだ。
バスタオルを持ち寄り京子が体を拭いてシーツを被せた。
龍一が顔を寄せると律子は「死・ぬ、も・う・だ・め、警・察・が・襲・っ・て
・き・た。・・・」といっているようだったがはっきりとは聞こえない。
体はミイラのように痩せ細り、頬だけがはれ上がっていた。
誰かが殴ったに違いなかった。
確かめようと顔に触れると顎がカクンと外れてずれた。
唇から少し血が出ていたのでシーツで拭くと唇がへこんでしまう。
龍一は律子の下唇を触ると唇が指に張り付いてきた。
「あ∼∼∼∼∼」歯が一本もなく真っ黒い血がゼリー状に歯茎に連なって見えた。
「かあさん。うお∼∼∼。誰だ、誰が抜いた」
「全員起こせ、叩き起こせ。くそ∼」
「起こせ∼∼」龍一は風呂場に行き洗面器に水を入れて順番にかけて回った。
「京子、起こしてならばせろ。正座でも何でもいい」
壁に刺さっていた伊藤は失神したまま起きなかった。
ベランダの男と女は薬で犯され状況を判断出来るとは思わなかったが並ばせた。
則弥はオヤジに龍一の家に起こった事件の一部始終を話していた。
親父はいつになく激怒して剣崎に電話した。剣崎はうろたえてしまい、慌てて車
で永沢の事務所に訪問して則弥の話に聞き入っていた。剣崎は永沢に決して自分
が指示したのではないと弁解することに必死だった。
そして藤堂に関わったものを必ず探し出して処分すると誓うのだった。
最初に眼を覚ましたのは滝川だった。
「おい、俺の母親の歯を抜いたのは誰だ」
「俺は知らない。本当だ。この場所は組で借りているから知ってはいるがそこま
では知らないんだ」
「嘘じゃないな?」
「おい。村山お前か?」
「・・・・」村山は目を覚ましていたが震えて答えられなかった。
「リュウ。大変お母さんが痙攣してひどくなってる。苦しそう。ここ出血してる
」
龍一は直視できなかった。
村山と滝川が這いつくばって逃げようとした。
「おい、待て」
「うるさい」といって村山が灰皿を投げた。龍一の胸に当たった。
「ウッ」一瞬怯んだがドアに接近した滝川が龍一の後頭部を回し蹴りした。
龍一が入り口の柱に額を打ち付けると村山がボディーを蹴飛ばした。
「ウッ」と龍一が苦しそうに前のめりになると滝川は振り返って右フックを打っ
て来た。フェイクだった。
龍一はフッと避けて腰の入ったボディーを見舞った。
滝川は前のめりに倒れた。
村山に左フックを見舞った。
ゴン!という音が響いた。
龍一の脳天を金村が灰皿で叩いた。
金村の血だらけの口は唇が3倍にも晴れ上がって見えた。
龍一もよろけて立ってはいたが意識が薄れてくる気がしていた。
「リュウ、大変だよ、また。お母さん」
よろけながらもベッドに寄り添った。
「あ∼。くるしい。・・・」虫の息だった。
「リュウ、お母さん苦しそう。薬が効いているはずなのにね。どうしよう。苦し
いんだよ」
「京子、伊藤が持っている注射器をもってこい」
「え?何するの?救急車は?」
「バカ、もう死んでるよ、死体見たいだろ。見ろよこんなに痩せちゃって全部骨
に皮がくっついているだけじゃないか。ミイラだ。こんなの。早くもってこい」
京子は動かなかった。
龍一は伊藤の持っている注射器を掴み取ると中味を確認して律子の横に正座する
と律子の膨れ上がった注射痕に全部を打ち込んで絶句していた。
「うお∼∼」と叫んだ龍一は裸の男を平手打ちして京子に命令して水を何度もか
けさせた。
京子は泣きながら水を運んできていた。
「おい、この女の歯を抜いた奴は誰だ」と
金村お前か、滝川、伊藤、村山、手当たり次第に殴る。
龍一の拳からは骨が飛び出していた。
龍一は金村の切れた舌を両手で広げた口に足を突っ込んで潰した。
「ガ∼∼あああ」
「お前か?殺すぞ、この野郎」
「ああ、こいつが抑えて俺がペンチで抜いたんだ」
「なんだとペンチでだ?村山、金村立て。お前も立て。三人で来い」
滝川がふらふらでファイティングポーズを撮ると金村も中腰になった。
二人で向かってきた。
龍一は加減せず左の滝川の側頭部に右フックを入れた。
「ヤー!」すぐさま左フックを金村に入れた二人の側頭部からパシッッ、パシッ
ッと音がしていた。
村山は怯えて立ち尽くしたが、龍一は「死ね」といって右ストレートを鼻に入れ
て腰を目一杯回転した。
村山はドアまで吹っ飛びフロアに倒れた。
「母さん」と呼んだ律子は目玉が飛び出し皮膚が波のように皺が寄り、面影のな
い姿で息絶えていた。
「京子。帰れ。俺は今から警察を呼ぶ。早く出て行ってノリに伝えろ。いいな。
早く出て行かないと殺すぞ。おばさんに礼だけしろ」
京子は泣きながら必死で走った。
龍一は警察に電話すると正座して母の横に座り待つのだった。
数分後ホテルの周りは封鎖され、パトカーと救急車の行列になった。
テレビカメラが並びヘリが飛び回った。
アナウンサーは「少年による母親殺し」「暴力団関係者も殺害」と報じていた。
新宿のホテル、龍一の自宅、シーサイド、海賊島の焼け跡が後日画面に登場して
いた。
横山と永沢はシーサイドの今後について話し合っていた。
これだけの大事件で世間が黙っている筈がなかった。ネットでは龍一の顔写真が
流失し流されていた。
様々な噂が流れていたが剣崎の麻薬密売までは追及が及ばずにいた。
警察病院に入っている者たちは皆口を割らなかったのだ。
いや、ほとんどの患者は龍一に頭蓋骨を割られて植物状態を脱出できないでいた。
剣崎はそれをたいそう喜んでいたのだった。
剣崎は永沢に藤堂君はようやってくれた。ガンを掃除してくれた恩人ですわ。と
いって永沢に擦り寄り剣崎洋が船戸を使って用意していた10億円を永沢に渡し
たのだった。
則弥はそれを見て「どうもならんわ」と横山と話していた。
龍一の事件で一旦落ち込みを見せていたシーサイドは何故だか3日後からは客が
押し寄せ、超満員が続き大盛況となっていた。
バーベキューハウスまで予約が殺到してくる客はヤンキーが大半になっていた。
則弥の相談を受けていたオヤジは事件での客離れを想定して南神奈川新聞の木戸
文治に連絡すると「藤堂龍一の記事を書け」と大金を支払っていたのだった。
「母を救ったドラゴン」という記事だった。
収監されて尋問されている新宿警察署ではバイクの若者がたむろして「藤堂を釈
放しろ」と集団でラッパを鳴らし、周回するブームを呼び起こしていた。
話題に事欠かない日々が続いたのだった。
海賊島の放火問題は暴走族の戦争ではないかと面白おかしく記事にされ、金子の
母親は自宅に戻り、息子と再会していた。
事態の収拾に取り掛からねば警察も批判を受けそうな世論が巻き起こり、早期に
開催された裁判では求刑5年が言い渡された。
藤堂は押し寄せるマスコミに閉口してまた自宅を売却し、横浜へと転居すること
にしたのだった。
龍一は府中刑務所にいた。
有名人であったため剣崎洋と同等の処遇だった。
服役中の態度が良好であったことで三年で出所した。
龍一は自宅にも帰らず永沢音弥の計らいで暫くはひっそりと暮らしていた。
剣崎誠も同様だった。
剣崎は龍一をスカウトしようと執拗に迫り、永沢も同様だった。
龍一は則弥には将来に備えて勉強しろといって永沢の基盤を引き継ぐよう説得し
て鮫島賢の要望を聞き入れ永沢を引き継ぐ覚悟をしていた。
龍一は地元にはすぐに帰らず新宿の引き締めに奔走していた。
鮫島に言われて横浜日本の伝統刺青の巨匠・四代目彫元宅で「お前、日本の刺青
は隠す文化だ。今の若い奴らのようにちゃらちゃらと見せるでないぞ」といわれ
ながら背中を見せていた。
「リュウ彫ってみるか。竜を背負え」といわれて墨を入れているのだった。
鮫島は「これでお前が風呂に入っていても襲う野郎はいなくなるからな。余分な
喧嘩をしなくて済むから入れるんだ」と云っていた。
シーサイドは繁盛していた。
バーベキューハウスも同様だった。
永沢も龍一が戻ってきて一緒に仕事をすることを願って待っていた。
永沢から追求を受けていた新日本貿易の中村は当時の龍一の犯した事件をきっか
けに周囲から集められた情報から「こりゃまずい」と思った中村が藤堂の自宅を
取り上げていたことを永沢音弥に白状していた。
永沢は時期を見て中村と堀山に謝罪させることにしていた。
龍一は則弥から藤堂の自宅を売却するまでの経緯を聞き驚いていた。
京子のゴルフ場での情報を基にして永沢が堀山を辿り、堀山から中村に行き着く
までオヤジが調べ上げて解決したのだと聞くと騙された親父がバカなのだと笑っ
ていた。
龍一は律子の死後親父が仕事もしなくなっているという報告を面会に来る仲間か
ら受けて大きな家があっても宝の持ち腐れで小さな家のほうが人の温かみを感じ
て生活が出来ると思うのでそんなことは必要がないと則弥に伝えていた。
そういった経緯で龍一と則弥がその気になれば当時龍一達が望んでいた海賊島復
活はいつでもスタートできる環境へと進んでいたのだった。
龍一に会いに来る仲間は「早く一緒にやろう。元気を出せ」とそれを望んでいた
が、自分が殺した母の許しが出てからだと断り続けていた。
君代が手紙に琴乃が心臓病で入院して高校進学が危ないと知った。
同時に琴乃の入院した三浦病院へと配属が決まった龍也は心臓外科の医者として
就職すると最初の患者が琴乃に決まっていた。
龍一は龍也の要望もあってようやく養護施設へ戻り生活を始めることにしたのだ
った。
ようやく生活パターンだけは元に戻ったのだがまだ心の傷は癒えないでいた。
完