「障害のある弟の姉として」 桜井中学校3年 清水遥花 障害児のいる家庭って,世間には,どう思われているのだろう。 大抵の人は,「かわいそう」,「大変だなぁ」という同情。「あんまり関わりたくないな」 「聞いちゃいけないだろうな」と見て見ぬふり,「どんな躾をしているの」と思われてい るかもしれない。 私には二歳下に知的障害のある弟がいる。 小さい頃,弟は私の保育園の迎えや,行事には祖父母に預けられていた。弟は,じっと していられないから,迷惑をかけてしまうからという理由だった。 反面,母は弟の行事には必ず私を連れていった。そこには,障害児の兄弟が大勢いて, 親たちが障害のある子たちから目が離せないため,仲間意識なのか環境が似ているからか, すぐに仲良くなれた。私にとって,とても居心地のいい場所だった。 弟はほとんど言葉が話せない。意思を伝えるための絵やカードを使った訓練や,身体の 動きを訓練するため病院に通った。私も夏休みなど都合がつけば一緒に行った。遊びの中 から言葉を引き出そうとするので,見ていると楽しそうで私は弟より,やりたくなってし まって母に叱られた。外見では障害があるように見えない弟だけど,脳が身体をコントロ ールしているから,そのような身体を使う訓練が必要らしかった。 六年生の,病院の帰り道に母が言った。 「遥花を病院に連れていってるのは,言語聴覚士とか作業療法士っていう職業って,やり がいがありそうで知っておくといいかなと思って。お母さんも障害の子を育てて初めてこ んな仕事があるって知ったんだよね。」 私は,母が私の将来のことまで考えてくれてたのだと,少し嬉しくなった。今まで聞こ うとしなかった弟の障害について,いろいろ質問した。母も私を大人扱いしてくれたのか しっかりと質問に答えてくれた。今まで,なにも考えず病院に遊びに行ってたけど,次の リハビリからは先生の弟への関わりかたや,どうやったらなれるのかまで質問した。いま まで,将来の夢は『漫画家』だったけど,もう一つ候補ができた。特別支援学級の子のお 世話なども進んでやるようにしようと思った。 母は私が,弟の障害のことでいじめられないか,嫌な思いをしないかも心配していた。 私は友達に弟のことを話したことはなかった。中三で,仲良しの友達ができ,修学旅行の ホテルの部屋で弟の話をした。友達は私の話で泣いてくれた。ちゃんとわかってくれる人 はいるんだと思った。母にその話をしたら「いい友達ができたんだね」と言ってくれた。 母はその後,こんな話をしてくれた。「障害者の兄弟の会」という会で,障害者の姉妹 の方の実際の話だった。結婚式に障害のある姉を式に出席させないでほしいと相手の親に 言われて,妹である本人は大好きな姉のことを恥ずかしいと思っている親の意見を否定し ない婚約者との結婚を断ったのだという。そして,その人は,そんな結婚をしなくてよか った,と言っているという話をしてくれた。 また,この『障害者の兄弟の会』で必ずしも障害者の兄弟たちは,自分たちは不幸だと 思っている人はほとんどいないというアンケート結果もあると聞いた。将来のことを早く から考えたり,世間に対して冷静に物事を考えられる機会が多かったからだそうだ。 つい最近,悲しい,考えさせられる出来事があった。弟が障害があることで知り合った 母が一番仲の良かった友達が急に亡くなってしまった。私もたくさん遊んでもらったので, とてもショックだった。障害の子を産んでしまった親は,その子よりも一日でも永く生き たいと思っている。実際に自分が病気と知ると無理心中する親もいるそうだ。本人が一番 無念だろうね,と母は悲しんでいたが,残された家族もとても大変になってしまったと思 った。 当然,死ぬ順番からしたら,親は子よりも先に死んでいくだろう。でも障害の子を産ん だ親は,自分の死んだ後の残された子のことを考えると安心して死ねない。親だけが抱え 込まない社会になるといいなと思う。 苦労は多いが弟のおかげで笑顔いっぱいの毎日だ。普通の一般家庭では経験できないオ プションいっぱいの人生になった。 『五体不満足』の著者,乙武さんが,「障害のあることは,不便ではあるけど不幸では ない」と書いている。私もそう思う。障害のある弟をもった私は,不幸ではない。 この作文が書けたのも,友達に話したことで心を閉ざしていた私が少し成長できたから だと思う。弟のお陰でこれまで沢山の人に出会えた。弟の周りは優しい素敵な人ばかりだ。 私も,周りから「ありがとう」と言ってもらえる人間になりたい。夢に向かって頑張ろう と思う。
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