左手のためのバッハの バッハのシャコンヌ シャコンヌ (舘野泉ピアノリサイタル) 6月26日、荻窪南にある衎芸館(かんげいかん)で 50 人足らずの音楽愛好家が、舘野泉さんの 左手だけのピアノ演奏に息をつめ、耳目を集め、時を忘れた。 杉並三田会の音楽同好会“Muzikverein”が創立 10 周年の記念演奏会に塾の高校ご出身でもあ る舘野泉さんをお招きして開催した特別な演奏会である。 舘野泉さんは 1964 年にヘルシンキに移り、シベリュウスなどフィンランドの作曲家の音楽の 演奏活動やミュージック・アカデミーで教鞭をとるなど、日本の音楽界とは距離を置いた存在 になってはいたが、メシアンコンクールで 2 位になったり、フィンランドの音楽家として高い 評価を受けられている その後 2002 年に同地で演奏会の途中脳溢血で倒れ、右手の機能を失う不幸に見舞われるが、 失意の中を二年で左手のみの音楽を作り上げる意欲に燃える人生を歩みだされた。 飄々と、会場に入ってこられ、終始笑顔で選ばれた曲とご自分との関わりを、説明を加えなが ら、少しの気負いもなく、鍵盤のうえを 5 本の指が舞い始めた。 先ず、バッハのシャコンヌである。 冒頭から、バッハの奥行と、深みが会場を覆っている。もう誰もそれが 5 本の指とか片手だと か思う人はないであろう。目を瞑って聴いているうちに、オーケストレーション豊かな大きな 音楽に展開していて、充足したバッハ空間がそこにある。じっと、バッハと舘野さんの技術を 超えた音楽に身を委ねて浸った。何やら未知の感動体験であった。 舘野さんの説明で判ったことだが、クララ・シューマンの右手が不具合になった時、クララを 慕っていたブラームスが、左手だけのシャコンヌを編曲してクララに献呈したのであり、その 譜面が残っていたのである。ブラームスの祈りもこもっている。 この日の曲目は、シャコンヌの外、スクリアピンの夜想曲、又内外の左手用ピアノ曲で、木島 、チェコ、ハンガリーの小曲、マグヌッセンのピアノソナタな 由美子作曲「いのちの詩(うた)」 ど 5 曲、小曲と説明があってが、3 つのペダルをも音楽の作りに微妙に参画していて、大きな 曲想を感じさせる。ピアノはこのスタジオの女主人のご自慢の 1,800 年代製のフランスのプリ エールで、交響なひびきすら感じ取れるのである。 アンコールに応えて、ご友人で作曲者、吉松隆氏の優れた編曲、カッチーニの「アベ・マリア」 を気持ちを込めて、弾いて下さった。いわば、左手で弾く”Full Range”の音楽なのである。 この段階で、もう誰しも言葉を失ってしまった。 翻って考えると、今回のリサイタルは幾つもの幸運と偶然の結果実現している。 なかんずく、舘野泉さんの感動のバッハのシャコンヌを聴けたことは奇跡の組み合わせなので ある。舘野泉さんや我々が塾員であったこと、杉並三田会が音楽同好会 Muzikverein を作っ た事がなければあり得ない事であったが、更にクララ・シューマンの右手が不具合にならなか ったなら、そしてもしブラームスがクララ・シューマンを慕っていなかったら、この度の舘野 泉さんのシャコンヌの演奏を聴くことは出来なかったのである。 (平成 23 年 6 月 30 日 久津正行)
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