非行性の認定(Ⅰ) 文献の概観 その1 非行性の一元的理解

【個人研究】
非行性の認定(Ⅰ)
その1
文献の概観
非行性の一元的理解
進
藤
眸*
Studies on Differentiating the Delinquency (1st Report)
―Reviews of Bibliographies on the Delinquency―
Part 1 Monistic Understanding of the Delinquency
Hitomi Shindo
In the 1st report of successive studies, bibliographies on monistic understanding of
the delinquency or the delinquency proneness, are reviewed by focusing on both the
approach to basic character traits of delinquents and the approach to their degree of
readiness to delinquent behaviors. As for the former approach, Aichhorn's latent
delinquency, Friedlander's antisocial character, Glaser's differential identification, and
Mizushima's lack of tie with socialized persons, are discussed. As for the later
approach, the dimension of deviant personality which is related to the occurrence of
delinquent behaviors, and the dimension of the delinquency proneness, by utilizing the
MMPI, one of so-called structured personality tests, are also discussed. Through these
discussions, I conclude that we should attract attention to following two problems,
especially, if we intend to develop differentiating the delinquency or the delinquency
proneness.
Because of limitations in constructing the measure of the delinquency, it is essential
not only to measure the generalized delinquency, but also to make a clinical diagnosis
concretely and dynamically concerning the nature of the delinquency.
It is necessary to analyze the psychological mechanism under which delinquent
behaviors occur, by adding an analytical function to the concept of the delinquency
proneness.
In solving these two problems, we, at first, need to examine the delinquency
proneness from a viewpoint of its developing process, in order to analyze the abovementioned psychological mechanism. Secondarily, We must hold the frame of reference
in common for differentiating the delinquency, and follow the same judging process, if
we take the correctional treatment into account, and understand the delinquency
proneness in connection with it.
Key Words: delinquency, delinquency proneness, delinquent behavior, analytical
function
*しんどう
ひとみ
文教大学人間科学部臨床心理学科
― 47 ―
『人間科学研究』文教大学人間科学部
1 問題の提起
第21号
1999年
進藤
眸
ように提示することができれば、便利である。
非行性の測定、診断等(以下、この研究で
一方、非行性の除去を究極の目的とする矯
は、一括して「認定」という。)は、非行少
年の鑑別・判定および審判において、二つの
正教育という観点からも、非行性の認定は、
顧みられなければならない。すなわち、矯正
観点から、重要視されている。すなわち、一
つは、非行少年を審判の対象にした場合に、
教育の分野では、非行を繰り返す危険性より
も、矯正可能性に期待が寄せられているので、
非行性があることを認定しなければ、彼らを
保護の対象にすることができないという観点
非行少年の人格の要因および彼を取り巻く環
境の要因の中から、将来において改善可能な
である。例えば、裁判官が、少年審判におい
て、保護観察を言い渡そうとする場合には、
ものを拾い出し、これらと非行性との関連を
分析し、最終的に、これらを非行性の下位概
非行事実を認定した上で、少なくとも非行を
繰り返す危険性 を予測し、かつ、その危険
念として構成することができれば、非行臨床
の実務に大いに役立てることができる。下位
性が、在宅保護の範囲内で防止ないし統制さ
れ得るものであると判定する必要がある。
概念ごとに、今の状態と矯正教育によって変
え得る将来の状態(到達点)を提示すること
二つは、初等・中等少年院送致と特別少年
院送致との間には、非行性の進度にかなりの
ができれば、審判から矯正教育(処遇)まで
の一連の流れの中で、非行少年を理解し、教
差があるので、その差が、適正かつ妥当に認
育(処遇)することができるからである。
定されなければならないという観点である。
少年院法第2条によれば、特別少年院は、心
ところで、少年鑑別所、児童相談所等にお
いて非行少年の鑑別・判定に携わっている非
身に著しい故障はないが、犯罪的傾向の進ん
だ、おおむね16歳以上23歳未満の者を収容す
行臨床の実務家はかなりの数に上るが、彼ら
の重要な業務である非行性の認定の手続面で
ることになっているので、犯罪的傾向、つま
り非行性の進度を科学的に解明する必要があ
は、必ずしも方法論的に標準化が行われてい
るとは言えない状況にある。なぜ、そうなっ
る。
昭和52(1977)年6月以降、わが国の少年
たか、その原因・背景の一つとして、かつて
の著者も含め非行臨床の実務家が、非行性の
院には一般短期処遇および交通短期処遇(平
成3(1991)年9月、交通非行に限らず、一
概念の統一に関してあまりにも消極的な態度
を取り続けてきたことが、挙げられる。
般非行をも対象とする特修短期処遇に発展的
法務省矯正局は、昭和58(1983)年に、同
に改編される。
)が導入され、従来の初等・
中等少年院送致(長期処遇)よりも、非行性
局発刊の『鑑別事例集(第11集)』の特集と
して「非行性」を取り上げているが、この事
の軽微な者を少年院教育の対象に取り込むこ
とになった。したがって、非行性がある場合
例集を編集した編集委員会(1983,p.200)は、
“非行性”なる概念を使用することには反対
には、その進度を、何段階かに分けて、しか
も客観的、操作的にかつ説得力のある形で、
であるという意見があるとし、その理由とし
て、次の4点を指摘している。
認定し、家庭裁判所に提示する必要がある。
非行性の進度から審判決定を整理すると、
① いまだあいまいで、合意された概念で
ないので、使用するのは時期尚早である。
不処分、保護観察、初等・中等少年院:特修
短期処遇、同:一般短期処遇、同:長期処遇、
② これがなくても、鑑別の作業は可能で
ある。
特別少年院の順になるので、仮に、非行性を
単一の要因による、弱から強への連続体とし
③ 一定の規範を絶対視することによって、
その個人特有の“持ち味”(規範とのか
て表すことができ、例えば、0から10までの
うち、保護観察は2、特別少年院は9という
かわり方)を殺してしまう。
④ “非行性”が内包するものをとらえ、
― 48 ―
非行性の認定(Ⅰ) 文献の概観
表記する方にウエイトを置くのがよい。
上で指摘された理由は、現在でも、そのま
その1
非行性の一元的理解
2 研究計画の概要
(1) 研究の目的
ま通用する、と考えられる。①は、合意され
た非行性の概念が準備されていないからとい
非行少年の鑑別・判定および審判において
重要な意味をもつ非行性の認定については、
う意見であるが、これは、これから、すべて
の非行臨床の実務家を満足させることができ
依然として非行性の概念の統一をめぐって意
見が対立しているため、科学的な方法論を確
ないまでも、大多数の者を納得させる概念を
準備することによって、克服できることであ
立し得ないまま今日に至っている。したがっ
て、この研究では、次の四つの作業、すなわ
る。
②は、非行性の概念を導入しなくても、非
ち、
①
非行性の認定に関する内外の文献を可
行少年の鑑別はできるという意見であるが、
確かに、そのとおりである。しかし、あえて
能な限り精査し、問題点を整理する(文
献の概観)
あいろ
非行性の概念を導入しようとするのは、さき
に述べたとおり、非行を繰り返す危険性を予
② 非行性の概念の統一において隘路とさ
れている各種の要因について非行臨床の
測したり、改善更正の手掛かりを診断的に把
実務家を対象に実態調査する(実態調査)
握したりすることが、非行臨床の実務におい
て強く要請されているからである。当該少年
③ 以上の結果を踏まえ、非行性をその予
測機能および分析機能から検討し、可能
を非行少年の母集団の中に位置づけ、彼がど
のような次元ないし領域において、どれだけ
であれば、非行性の概念について統一化
を試みる(概念の統一化)
逸脱しているかを判定した上で、準備された
共通の要因について矯正教育の手掛かりを見
④ ③による非行性を認定する方法を多角
的、総合的に検討し、その標準化を図る
いだすことが、必要とされている。
③は、非行性を操作的ないし数量的に取り
(認定方法の標準化)
を通して、非行性を適正かつ効果的に認定す
扱う限り、避けて通れない問題である。しか
し、この問題も、事例記述的な方法を併用す
るための基礎的資料を提供する。
(2) 研究の年次計画
ることによって、解決することができる。
④は、非行性を一元的にとらえることを前
この研究では、上述の四つの作業を予定し
ているが、各年次の作業予定は、次のとおり
提にした意見であるが、非行性は、多元的に
である。
とらえることもできるので、そのようにすれ
ば、非行性が内包するものも、取り込むこと
第一年次:上述の①の文献の概観のうち、
非行性の一元的理解に関するもの
ができるはずである。
非行性の概念の統一をはじめ、非行性の認
第二年次:上述の①の文献の概観のうち、
非行性の多元的理解に関するもの
定手続の標準化が遅れている原因・背景には、
水島(1963,p.15)が指摘しているように、
第三年次:上述の②の実態調査
第四年次:上述の③の概念の統一化
「非行」そのものが必ずしも臨床的な単位で
はないという根元的な問題がかかわっている
第五年次:上述の④の認定方法の標準化
ことも、考えられる。すなわち、非行性とい
う概念の下に、非行症状を伴うすべてのもの
3 非行性の一元的理解
に例外なく妥当する本質を盛り込むことは、
もともと、不可能であるという意見である。
らに、非行少年の可能な限り大多数に適用さ
れる本質から一つの中心的な要因を取り上げ
非行性の一元的理解に関する文献には、さ
て記述したものと、そうした特定の要因を抽
出せず、価値態度の全体的な偏りとして記述
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『人間科学研究』文教大学人間科学部
第21号
1999年
進藤
眸
したものとがある。
(1) 中心的な要因からの接近
述べ、非行性の原因を発見するには、潜在的
な非行性を顕在的なものにする刺激を探し求
非行少年の可能な限り大多数に適用される
本質は、非行および非行少年を非行臨床的に
めなければならないばかりでなく、潜在的な
非行性を生ぜしめたのは何であるかを、はっ
観察することによってとらえることができる
が、この、いわば中心的な要因から接近した
きりさせなければならない、と説いている。
“手におえない子供”の特徴は、本能的な
ものとし ては、 アイヒホ ルン (Aichhorn,
A.)の潜在的非行性(latent delinquency)
、
衝動を抑制し、エネルギーを原始的な目標か
ら他へそらす能力に欠けていることである。
フリ−ドランダー(Friedlander, K.)の反社
会的性格(antisocial character)
、グレーサー
したがって、こういった子供は、社会が正常
な倫理規範と考えているところのものを、や
(Glaser, D.) の分化的同一化(differential
association) 、水島の社会的人間関係からの
り遂げることができない。再訓練を必要とす
る子供の大部分は、幼少の時分に優しさと愛
あつ
自 己 疎 外 (lack of tie with socialized
persons)などが、その代表として挙げられ
情の欲求が満たされないために、社会との軋
れき
轢が起こるのである。しかも、愛情の欠乏と
る。
比例して、彼らは、快楽とか本能的喜悦の原
ア 潜在的非行性
アイヒホルンは、1918年から1922年までの
始的形態に対しても、ますます渇望するよう
になってくるのである(Aichhorn,三澤訳,
間、オーストリアのウィーンの郊外にある非
行児の収容施設において、応差的小集団の処
1953, p.188)
。
アイヒホルンは、 非行の発現をフロイト
遇実験を 行った人であ るが、 その 著“ Die
Verwahrloste Jugend ”(1925)の中で、
(Freud, S.)の神経症人格の形成と同様の機
制としてとらえ、これを重視している。この
非行的社会不適応の原因が自我と超自我の発
達の障害にあることを強調した。すなわち、
ようなアイヒホルンの考え方は、急速に世界
各国に広がり、その後継者が続々と現れた。
非行者の自我は、内的、外的原因によって現
実適応が困難なようにでき上がってしまって
イギリスのフリードランダー、アメリカ合衆
国のヒーリー(Healy, W.)、レドル(Readle,
いる。これは、幼児期の人間関係に基礎を置
くものであって、これが、後の社会生活の基
F.)
、ペッテルハイム(Pettelheim, B.) な
どが、そうである。
本となるものであり、この現実適応の型がつ
イ
反社会的性格
くられなければ、その後の適応は常に困難を
来す。正常な同一化(著者注、水島は「同一
フリードランダーは、アイヒホルンの影響
を強く受け、同様に、フロイトの精神分析学
視」と訳している。
)も形成されず、したがっ
て、正常な超自我も形成されず、本能的衝動
の立場から、非行少年の本質をとらえようと
し、 そ の著“ The Psycho-analytical Ap-
を統制することもできなくなる。このような
現実適応の基本的な型の形成失敗が、いわゆ
proach to Juvenile Delinquency ”(1947)
の中で、反社会的性格という考え方を打ち出
る潜在的非行性の形成に連なるものである
(水島, 1964, p.29)。
し、非行少年の治療に当たった。この反社会
的性格は、アイヒホルンの潜在的非行性とほ
アイヒホルン(Aichhorn, 三澤訳, 1953,
pp.53,54)は、今初めて外部に現れている、
ぼ等しく、やはり、自我の発達障害としてと
らえられている。
良くない行為を“顕在的”非行性(著者注、
三澤は「反社会性」と訳している。
)
、そして
生後数年間には、子供は、母親に対して絶
対的な依存関係にあり、このような密接な情
また、同一の状態が存在しても、まだ外部に
緒的なきずなを通じて、二つの重要な学習が
現れないときは、“潜在的”非行性というと
なされる。一つは、本能的衝動の満足を引き
― 50 ―
非行性の認定(Ⅰ) 文献の概観
その1
非行性の一元的理解
延ばして、しばらく待つことであり、他の一
つは、社会的に認められるように変容するこ
と子供との関係を妨げるという意味で、5、
6歳ころまでの子供の生活に間接的に影響を
とである。このようにして、すなわち、母親
とのつながりを前提にして、現実原則に従う
与える。したがって、経済的悪条件が影響し
なくても、親の、殊に母親のパーソナリティ
ような自我が形成されていくのであるが、も
し、この時期に親子関係があまりに疎遠であっ
に支障があれば、それは、環境的悪条件のた
めに、母親が子供に最も広い意味での注意を
たり、あるいは、親子関係に重大なフラスト
レーションがあるときには、このような基本
十分に与えることができないのと同じ程度に、
子供の心の構成の発達に影響を与えるし、ま
的な自我の形成ができず、自我は本能的衝動
の奴 隷に なっ てし まう ので ある (水 島,
た一方に、立派な母・子関係は環境的悪条件
を克服することができるのは当然である。非
1964, p.30)
。
フリードランダー(Friedlander, 懸田訳,
常な経済的悪条件の下にあっても、不良少年
になるのは一部の子供にすぎないことも、こ
1953, p.117) は、取り扱った事例、ビリイ
の性格を形づくる最も顕著なものとして、ま
れ で 説 明 で き る (Friedlander, 懸 田 訳 ,
1953, p.123)
。
ず第一に、結果がどうであろうと、また、何
ウ
分化的同一化
事によらず、欲求を直ちに満足させたいとい
うことが挙げられる、と述べているが、この、
グレーサーは、サザーランド(Sutherland,
E. H.)の分化的接触理論(differential as-
結果のいかんを問わず、欲求を通そうとする
ことに抵抗し得ないような性格が、すなわち、
sociation theory) の接触(association) と
いう概念を同一化 (identification)という
反社会的性格である。この反社会的性格が形
成されるには、三つの要素、すなわち、未発
概念に置き換えたが、この分化的同一化理論
というのは、「人は、自分の犯罪行動を容認
達の本能的欲求の力、自我の弱さおよび独立
していない超自我がある。そして、これらの
してくれると思われる実在の人間、もしくは
観念上の人間に対する同一化の程度に応じて、
3要素は、互いに関連し合っていて、幼少の
時期に本能のエネルギーが変容を受けないこ
犯罪を遂行する」というものである。すなわ
ち、この理論は、モデルを選択する際に生じ
とは、自我の弱さのもととなり、あるいは、
超自我の形成における障害をつくる上に大き
る相互作用(自分の行為を合理化する際に生
じる各個人の自分自身との相互作用をも含む。
)
な力をもっている(同前, p.119)。後に非行
に焦点を当てたものであるが、そこに、この
を犯すようになるであろう少年は、その心の
構造上に、反社会的性格形成として説明して
理論が統合的といわれるゆえんがある。同一
化の範囲を決定するのは、各個人の個体的要
きたような障害をもったままで潜在期を迎え
るが、この特殊な性格を発達させる要因を一
因、つまり経済的条件、以前のフラストレー
ション、学んできた道徳的信条、集団参加な
次的要因、反社会的性格形成を固定させる傾
向をもち、なお、潜在している一次的要因に
ど さ ま ざ ま な 個 人 的 経 験 で あ る (Glaser,
1956, p.440)
。
加工するものを二次的要因、と呼ぶことにし
ている(同前, p.121,122)。
どのような人においても、非行者的同一化
と無非行者的同一化が存在しているが、これ
ここで重要なのは、もちろん、一次的要因
であるが、これは、母と子との関係、後には
が、非行集団への所属、非行的文化への接触、
でんぱ
さらには非行的観念を伝播させるマスコミニュ
父・子関係など、幼少時の家庭生活を構成す
る情緒的要因の中に認められる。貧困、失業、
ケーションへの接触、無非行者との関係の悪
化、非行抑制的な環境力の欠如などによって、
劣悪な住居、さらには、ある程度は家族が大
無非行者的同一化が弱められ、非行者的同一
勢であるということなどの環境的要因も、母
化が強まったときに実際の非行者になると見
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『人間科学研究』文教大学人間科学部
るのである。このようにして、非行者あるい
は非行的観念への同一化が強まった場合には、
第21号
1999年
図1
進藤
眸
非行性の現象的図式
┐
├ 情緒障害
│
│
│
│
具体的人格力動 ├ 文化的感染
│
│ (感応)
│
│
├ 高次発展機制
┘
価値基準が転倒され、非行的価値規範が取り
入れられ、かくして非行性が固定化すると見
られる。このように、だれにでもある同一化
の現象をとらえ、しかも非行的同一化の発生
┐
│
│
│
│
│
├ 一元的要因
│
│
│
│
│
┘
の原因として、単に非行的集団や非行者との
接触のみならず、一般に存在している非行的
水島の一元的非行性としての「社会的人間
文化や非行的観念の影響、さらには一般社会
におけるフラストレーションなどを計算して
関係からの自己疎外」は、具体的には、社会
的役割意識や同一化の欠如、価値観や自己規
へん い
いることは、この理論の進歩を示すものであ
り、このように考えるならば、多くの単独の
定の偏 倚、社会不信、社会的超自我の欠如な
ど として とら えら れるも ので ある ( 水島 ,
非行や田舎の非行をも理解することは可能で
ある(水島, 1964, pp.26,27)
。
1971, p.70)
。
水島ほか(1971)は、水島(1963)の非行
グレーサーの分化的同一化理論は、単なる
性理論の枠組みに従って、非行性に関係があ
接触の経験でなく、価値体系や価値基準に自
らを巻き込ませる程度を取り上げた点に特色
る広義のパーソナリティの諸次元をとらえる
ため、目録検査、すなわち、非行性診断スケー
を見いだすことができる。しかし、この考え
も、犯罪的役割モデルへの同一化のみでは説
ル (Diagnostic Scale for Delinquency
Proneness :DSDP)の開発を試みた。
明できない犯罪があるために、分化的接触理
論の域を出ないものと批判されている(遠藤、
水島ほか (1971, p.70)は、「何かにつけて
非行を発生させやすい継続的心理状態」を、
1974, p.21)
。
エ 社会的人間関係からの自己疎外
個人心理力動的情緒障害と、社会心理力動的
文化感染の両面(およびその相互作用する面)
水島(1964, p.54)は、非行性は、形式的
には広義の抑制欠如、すなわち、「衝動が反
からとらえ、その各の典型的現れを明らかに
するとともに、非行性が発展していくときに
社会的に流出するような状態」として把握さ
れるが、実質的には、
「社会的人間関係から
は、
「社会的人間関係からの自己疎外」とい
う面で一元的に把握し得るとの見地に立ち、
の自己疎外」として把握される、と述べてい
この面をもとらえようとした。ただし、水島
る。また、水島(同前, p.52)は、非行少年
の臨床的理解においては、
「一元的、二元的、
ほかが準備した一元的非行性(
「社会的人間
関係からの自己疎外」
)の質問項目は7個に
多元的要因が、具体的要因の全体的把握であ
るケース研究の中に消化されなければならな
すぎず、いずれの質問項目も、第二次調査に
おいて非行者群と無非行者群との間にχ 2検
い」としている。逆に言うならば、ケースの
具体的理解は、非行性を問題とする限り、本
定で5パーセント以下の水準で有意差が認め
られたものの、尺度化のための正規の統計的
質的な着眼点として、一元的、二元的、多元
す
的諸要因をその中核に据えるものでなければ
な手続は、省略されている。
オ 考 察
ならない。この場合、要因を一元的にとらえ
るほど、非行性にとって本質的なものに触れ
このほか、非行性を一元的にとらえる学者
いとま
や実務家は、枚挙に遑が無いほどであるが、
はするが、その内容は抽象的となり、多元的
にとらえようとするほど、内容は具体化する
彼らのとらえ方の特徴は、概念の分かりやす
さ、思考の経済性などであろう。特定の接近
わけであって、この関係は、現象的に図1の
法や次元から単純化して非行性をとらえれば、
ように図式化することができる。
非行少年が、非行性の側面で、どのように逸
― 52 ―
非行性の認定(Ⅰ) 文献の概観
その1
非行性の一元的理解
脱しているかを認定することは、比較的容易
である。とりわけ、非行臨床の実務において
こうしたジレンマから脱却するためには、
水島(1971, p.70)が以下に指摘しているよ
は、非行性の進度を認定し、司法的処遇選択
に関する判定意見を提示する必要があるので、
うに、非行性について、質問紙等による一元
的理解に加えて、具体的、力動的な臨床診断
非行性を単純化して表現すれば、裁判官の理
解を容易にし、より説得力を増すことができ
を行っていくことが、不可欠である。
非行者の診断は、臨床心理学的診断とし
る。
しかし、このように単純化すると、既に述
て、具体的、力動的なものでなければなら
ず、したがって、安易に目録検査でスケー
べたとおり、非行性の概念の抽象性がますま
す高まるというジレンマに陥る。実際、「反
ル得点を出し、その得点を固定的に考える
ことは慎まなければならない。しかし、そ
社会的性格」といわれても、非行臨床の実務
家が、その概念を当を得て理解することは難
のような基本を踏まえた上で、現実には、
非行性のおおまかな態様をふるいにかけて
しく、たとえ理解できたとしても、これを評
定することは、決して容易ではない。特に、
見分ける必要があり、そのためには従来用
いられているような単純な(一次元的な)
実務家にとって、反社会的性格を、どのよう
非行性質問紙や、非行予測目録では不十分
に操作可能な、あるいは測定できる形に分解
して理解するかは、とても難しい作業である。
である。特に、非行が精神力学的な単位概
念でない以上、特に、不適応性と感染性の
言い換えれば、中心的な要因からの接近では、
この要因をどのようにとらえるのか、客観的
両極で相当の相違を示す以上、「一般的な
非行性を測定しつつも、それが、どのよう
かつ妥当な、つまり科学的な手続を提示する
ことは、容易ではない。
な」非行性なのかをとらえることが必要で
ある。
こうした背景から、水島ほかは、中心的な
要因を認定する科学的な手続として、尺度化
(2) 全体的な偏りからの接近
価値的態度の全体的な偏りから接近したも
を考え、目録検査の作成を試みた。しかし、
この尺度化にも、また、限界があることを銘
のとしては、例えば、非行少年を対象に人格
目録を実施し、その結果を平均的な人格像か
記しておかなければならない。尺度化のため
の統計的な手続が煩雑であるばかりか、一つ
らの逸脱として見ていくものが、挙げられる。
このような統計的な見方は、数多く存するの
の尺度として統括することによって、新たに、
で、ここでは、構造性パーソナリティ・テス
別の過ちを犯すことにもなりかねないからで
ある。例えば、上述したとおり、水島は、彼
ト (structured personality test) の 代表
とされているMMPI(ミネソタ多面的人格
の、一元的非行性としての「社会的人間関係
からの自己疎外」に、社会的役割意識や同一
目録)を利用して、非行性を分析した研究に
限定して、概観する。
化の欠如、価値観や自己規定の偏倚などの、
いわば下位概念を準備し、その定義づけを行っ
MMPIでは、非行性の概念は、二つの次
元から理解されてきた。一つは、問題行動を
ているが、水島ほかの目録検査では、これら
の下位概念のそれぞれに対応する質問項目は、
生じやすい「ひずみをもった人格」という次
元、他の一つは、 非行の発現を決定づける
最初から準備されていない 。
ところが、非行性の下位概念を設定し、統
「非行傾性(delinquency proneness)」とい
う次元である(進藤, 1971, p.203)
。
計的に十分な質問項目を準備して尺度化に成
功したとすると、今度は、非行性を多元的に
ア ひずみをもった人格という次元
この次元は、MMPIの臨床尺度の一つで
とらえることになるので、再びジレンマに陥
あるPd (精神病質的偏倚性尺度)の作成過
ることになりかねないのである。
程を見ると、より明確に理解することができ
― 53 ―
『人間科学研究』文教大学人間科学部
第21号
1999年
進藤
眸
よう。Pd は、もともと、精神病院の性格異
常者(非道徳・非社会型)と少年院の精神病
する機能が十分でないばかりか、非行性の予
測に使用されるコード(2高点コードなど)
質者とを基準として構成されており、「社会
的良俗からの逸脱」の測定をねらったもので
を利用することによって提供される非行性の
分析に関する情報を準備することもできない
ある。したがって、そこでは、
「平均的な人
間像からの逸脱」が問題とされており、「平
こと、このコードを使用すれば、非行少年で
あると推定される群を、異なった人格特性を
均から逸脱した人格」が「反社会的行動」を
生起せしめるという一つの図式が、準備され
もつ、より小さいサンプルに細分することが
できること、さらに、単一の尺度では、この
ている。
このように、ひずみをもった人格という次
ような分析に関する情報を伝えることができ
ないことを、それぞれ指摘している。
元でとらえていく場合には、非行群と非非行
群とを有意に識別する質問項目によって構成
ウ 考 察
上述のア、イの二つの次元から非行性に接
される尺度が測定するものが、すなわち、非
行性であるという考え方が成り立つ。阿部ほ
近する立場は、いずれも非行性を単一の連続
変数としてとらえ、量的側面を取り上げてい
か(1967,1969)は、このような考え方に基づ
るにすぎない。換言すれば、そこでは、
「非
き、MMPIを非行群と非非行群を対象に実
施し、両群の間で有意差が見られた46個の質
行への危険性がどの程度あるか」が量的に問
われている(予測の機能)だけで、非行がど
問項目から非行性尺度(Dテスト)を作成し
た。
のような心理的機制の下で発現するか、何も
語ることができない。したがって、この非行
イ 非行傾性という次元
ハサ ウェイほ か (1963, pp.77,78)は 、 さ
性の概念に「分析の機能」を付加していく必
要がある。
きに紹介した人格の次元とは異なった次元、
すなわち、非行の発現を決定づける「傾性
この分析の機能としては、ハサウェイほか
(1963, pp.87,88)は、例えば、2高点コード
(proneness)
」 を重視し、 それを非行性と
同義語的に使用している。彼らによれば、非
による分析を挙げている。ハサウェイほかに
よると、尺度4(Pd)は非行発生率を高める
行傾性とは、弱から強への連続性をもった、
がいぜん
つまり単一の連続変数としての「非行の蓋然
刺激尺度(excitatory scale)であるが、こ
れと尺度 2 (D:抑うつ性尺 度)、 尺度6
性に寄与する多くの個人・環境因子の平均的
(Pa :偏執性尺度)、尺度8(Sc:精神分
けい そう
複合」ということである。こうした考え方に
基づき、ハサウェイほか(1957)は、MMP
裂性尺度)および尺度9(Ma:軽躁 性尺度)
との組合せである42、
46、
48および49
Iをあらかじめミネソタ州ミネアポリスの全
公立中学校の3年生男子の約9割に実施して
の各高点コードにおいて50パーセント以上の
非行発生率を示し、これらの尺度が示すパー
おき、それらの中からほぼ無作為に1,958 人
を抽出し、2度にわたって非行性評定を行い、
ソナリティ特性が非行の発現と密接にかかわっ
ていることを指摘している。例えば、48の
テスト実施から4年後に追跡調査を実施し、
非行の有無と非行性評定の得点との間で、二
高点コードを示す少年は、通常の統制や社会
の要請に適合することができず、反復的で奇
重交差確認(double cross-validation) によ
り有意差のあった33個の質問項目をもって非
異な非行に陥りやすいとされている 。
しかし、このMMPIの2高点コードによ
行性尺度(Delinquency Scale:De 尺度)を
構成した。
る分析は、パーソナリティ特性という一元的
要因に基づいて実施されているかに見受けら
しかし、ハサウェイほか(1963, p.90)は、
このDe 尺度は、非行群と非非行群とを識別
れるが、それぞれ独立したパーソナリティの
下位概念が複数使用されていることから、厳
― 54 ―
非行性の認定(Ⅰ) 文献の概観
その1
非行性の一元的理解
密に言えば、一元的理解とは言えない。
して、その人格、文化、あるいは社会とのか
かわり合いの中から形成されるものである。
4 総括と今後の課題
このため、非行性は、特に身体、知能、情動、
社会性等の発達過程における遅滞・障害の立
非行性の一元的理解に関する文献を、二つ
の接近、すなわち、(1) 中心的な要因からの
接近、(2) 全体的な偏りからの接近から、後
場から理解されなければならない。そうなる
と、そのような発達過程をすべて網羅し、し
者については、さらに、「ひずみをもった人
格」と「非行傾性」という二つの次元に分け
かも非行性の形成過程を説明することができ
る人格理論の導入を図る必要が生じる 。
て、それぞれ概観した。その結果、次のよう
な所見が得られた。
矯正処遇を全面に出し、それとのかかわり
において非行性をとらえようとするときは、
① 非行性を一元的にとらえる学者や実務
家は多いが、彼らのとらえ方の特徴は、
どうしても、非行性の認定の枠組みを共通に
もち合わせ、同一の判断過程をたどっていく
概念の分かりやすさ、思考の経済性など
であり、単純化して非行性をとらえるこ
ことが必要である。非行性の認定に当たって
は、個々の非行少年をどのように処遇すべき
とによって、非行少年が、非行性の側面
であるか、矯正処遇の究極の目標と処遇方法
で、どのように逸脱しているかを、比較
的容易に認定することができる。
についても、十分に理解しておく必要がある。
具体的に言えば、
② しかし、このように単純化すると、非
行性の概念の抽象性がますます高まると
① その行為(非行)は、彼(非行者)に
とってどういう意味をもっているか
いうジレンマに陥る。
③ このジレンマを克服するために、非行
② その行為は、社会的にどういう意味を
もっているか
性の尺度化が試みられている。
④ しかし、この尺度化にも限界があるの
③ 彼は、上述の②をどこまで認識してい
るか(理解しているか)
で、一般的な非行性を測定すると同時に、
非行性の特質についても具体的かつ力動
④ 彼は、上述の②に従って今後の行動を
修正していく力をどの程度もっているか
的に臨床診断を行う必要がある。
⑤ 全体的な偏りから非行性に接近する立
(期待できるか)
といった一連の図式に沿って理解を深めてい
場では、いずれも非行性を単一の連続変
かなければならない(編集委員会, 1983, p.
数としてとらえ、量的側面を取り上げて
いるにすぎない(予測の機能)
。
204)。
⑥ したがって、この非行性の概念に分析
の機能を付加し、非行がどのような心理
注
的機制の下で発現するかについて、分析
する必要がある。
これらの所見のうち、④と⑥は、まだ十分
に解決されておらず、今後の課題として残さ
この非行を繰り返す危険性は、保護処分による矯正
可能性および保護処分によることが最も有効適切であ
るという意味での保護相当性とともに、要保護性、す
なわち、家庭裁判所が少年の処遇に関する判断をする
について考慮される少年のもつ問題性の内容とされて
れる。以下、この残された課題のうち、特に
⑥について、若干の考察を試みる。
いる。
非行がどのような心理的機制の下で発現す
るかを分析するためには、最初に、非行性を
の自己疎外」
)の質問項目とその下位概念との対応は、
必ずしも明確ではない。下位概念は、他とは重複しな
その形成過程から吟味していかなければなら
い、独立的なものでなければならず、それぞれを代表
ない。非行性は、個人の生活史の全過程を通
する質問項目が統計的な検討に耐えられるだけ準備さ
― 55 ―
水島が準備した一元的非行性(
「社会的人間関係から
『人間科学研究』文教大学人間科学部
第21号
1999年
進藤
眸
Friedlander, K., The Psycho-analytical Ap-
れていなければならない、と考える。
この2高点コードについては、われわれも、わが国
proach to Juvenile Delinquency. Theory: Case-
の非行少年を対象にノーマティブ・データを収集し、
Studies : Treatment. Routledge & Kegan Paul
非行少年群には34・43型、46・64型、13・
Ltd., 1947. (懸田克躬訳、少年不良化の精神分析、みす
31型、24・42型および49・94型、すなわち、
ず書房、1953年。
)
尺度4との組合せ型がよく出現することを見いだして
Glaser, D., Criminality Theories and Behavioral
Images. American Journal of Sociology, 61(5), pp.
いる(進藤ほか、1970, p.15)
。
このような人格理論として、例えば、クロッパー
433-444,1956.
(Klopher, B.)の「自我機能発達の図式」を挙げるこ
Hathaway, S.R., and Monachesi, E.D., The
とができる。この図式は、もともと、ロールシャッハ
Personalities of Predelinquent Boys. Journal of
法の解釈のための理論として考え出されたものである
Criminal Law, Criminology, and Political Science,
が、自我(ego)を基本的安全感(basic security)
48, pp.149-163, 1957.
Hathaway, S.R., and Monachesi, E.D., Ado-
から自己実現(self realization)ないし能動的支配
性(active mastery)までその形成過程に沿ってとら
lescent Personality and Behavior. MMPI
えようとしたものである。
terns of Normal, Delinquent, Dropout, and Other
しかし、このような図式を採用した場合でも、それ
Pat-
Outcomes. University of Minnesota Press, 1963.
に、どのような価値、道徳律、モーレス(mores)
、態
編集委員会、まとめ―非行性をめぐって―、法務
度、イデオロギー、あるいは文化、社会などを重ねて
省矯正局、 鑑別事例集(第11集)、同局、199ー213
いくか、それは、容易なことではない。
ページ、1983年。
なお、クロッパーの「自我機能発達の図式」につい
平尾靖、非行心理の探求、大成出版社、1979年。
ては、クロッパーおよび河合の次の文献を参照された
い。
水島恵一、非行の臨床的理解の基準、犯罪心理学研究、
第1巻第1号、14ー23ページ、1963年。
Klopfer, B., Rorschach Hypotheses and Ego
水島恵一、非行少年の解明、新書館、1964年。
Psychology.(In Klopfer, B., et al.,Developments
in
the
Rorschach
Technique.
Volume
Ⅰ
水島恵一・宮崎清・屋久孝夫、非行性診断スケール
(DSDP)の作製と検討、科学警察研究所報告防犯少年
Technique and Theory. Harcourt, Brace &
編、第12卷第1号、70ー76ページ、1971年。
World, Inc., pp.561-568,1954.)
小野直広・片岡義登・進藤眸、MMPIプロフィル分
河合隼雄、臨床場面におけるロールシャッハ法、岩
崎学術出版社、21ー32ページ、1969年。
析に関する基礎調査 その1 ノーマティブ・データ、
犯罪心理学研究、第6巻第2号、60ー66ページ、1969年。
小野直広・進藤眸・片岡義登、日本版青少年編
引用文献
MMPIアトラス―プロフィール分析の手引き―、
Abe, M., The Japanese MMPI and its delin-
三京房、1970年。
quency scale. Tohoku Psychologica Folia, 28 (1-2),
pp.54-68, 1969.
進藤眸・小野直広・片岡義登、MMPIプロフィール
分析に関する基礎調査―その2. プロフィール・コード
阿部満州・斎藤正昭、日本版非行性尺度、三京房、
1967年。
型とパーソナリティ特性との関連性、犯罪心理学研究、
第7巻第1・2号、14ー20ページ、1970年。
Aichhorn, A., Die Verwahrloste Jugend. Die
Psychoanalyse in der Fu rsorgeerziehung.
・・
Inter-
nationale Psychoanalytische Bibliothek No. ⅩⅨ,
進藤眸、非行性診断における心理検査のありかたの検
討(Ⅰ)
、 日本心理学会第35回大会発表論文集、 203・
204ページ、1971年。
Internationaler Psychoanalytischer Verl., 1925.
(三澤泰太郎訳、手におえない子供、日本教文社、1953年。
)
遠藤辰雄、非行心理学、朝倉書店、1974年。
― 56 ―