キリスト教の成立と女性の関与に関する研究: 古代

奈良大学
研究助成概要報告
キ リス ト教 の成 立 と女 性 の 関与 に関 す る研 究
一 古 代 末 期 の 聖 テ ク ラ崇 敬 を 中心 と して一
Women'sInvolvementintheRiseofChristianity:
IntheCaseofTheclaCults
足 立
広 明*
HiroakiAdachi
1キ
リス ト教 と女 性
西 洋 は キ リ ス ト教 の世 界 で あ る と言 わ れ る。 もち ろ ん、 全 て の西 洋 人が キ リス ト教 徒 とい うわ
けで は ない し、 ア ジ ア や ア フ リカ の各 地 に も独 特 の キ リス ト教 伝 統 を有 す る地 域 が あ るの で、 西
洋=キ
リス ト教 と即 断す る わ け に もい か な い。 そ もそ も、 どこ ま で を西 洋 とす る のか とい う問題
も実 は我 々 が 世 界 を眺 め る 際 の 大 きな認 識 枠 組 と絡 む問 い を 内 包 して い る1。 だ が 、 古 代 の 終 末
期 に ロー マ 帝 国 が キ リス ト教 化 され て以 後 、 東 西 の ヨー ロ ッパ で千 数 百 年 に わ た っ て 国家 と教 会
の 双 方 が あ る と き は手 を携 え、 あ る と きは対 立 しつ つ も、 常 に そ の権 力 の 拠 っ て立 つ 背 景 を キ リ
ス ト教 に求 め る体 制 が 持 続 さ れ続 け て きた こ とは事 実 で あ る。 近 代 の市 民 革 命 以 後 、 王 権 と教 会
の 両 権 は勢 い を失 っ たが 、 そ れ で も ヨー ロ ッパ の 文 化 的 背 景 や 発 想 の起 点 に は無 意 識 の う ち に も
キ リス ト教 の 伝 統 が 見 出 さ れ る。 ま た、 地 中海 南 岸 の 中世 に イス ラ ー ム化 して い く地 域 にお い て
も、 キ リス ト教 社 会 は点 在 しつ つ 生 き延 び てい く し、 そ もそ もイス ラ ー ム誕 生 の 背 景 に も古 代 末
期 にキ リス ト教 化 した ロ ーマ 帝 国が 成 立 して い た こ と を見 過 ごす わ け に はい か ない 。
さて 、 この よ う に西 洋 とそ の 周 辺 地 域 の 文 化 や 歴 史 の 成 り立 ち を考 え る上 で 重 要 なキ リス ト教
で あ るが 、 そ の 淵 源 に女 性 の 関与 の 姿 を見 出 す こ と は従 来 少 なか った の で は ない だ ろ うか 。 父 な
る神 は もち ろ ん の こ と、 子 な る キ リス トも男 性 で あ り、 一 方 母 マ リ ア には 人 間 の 格 しか 与 え られ
て い な い。 ま た、 キ リス ト教 の背 景 を成 す ユ ダ ヤ教 の ヘ ブ ル語 聖 書2の
『創 世 記 』 で は、 最 初 の
女性 エ ヴ ァが 男 性 ア ダ ム よ り先 に蛇 の 誘 惑 に乗 って 禁 断 の 木 の 実 を食 べ て 楽 園 追 放 の 原 因 を作 っ
た と書 か れ て あ り、 キ リス ト教 の 原 罪 思 想 の 発 展 と と もに 女 性 は 誘 惑 に弱 い 、 も し くは誘 惑 の 源
と され 、 男性 の 指 導 と監 督 に従 うべ き もの と され て い っ た 。 聖 母 マ リ ア信 仰 が古 代 の 地母 神 崇 敬
を継 承 しつ つ 、 民 衆 レベ ル で 男 性 で あ る父 や 子 を凌 い で拡 大 した と して も、 そ れ は 一 方 で彼 女 を
用 い て 女性 の 母性 と貞 潔 を称揚 しつ つ 、 他 方 で エ ヴ ァ的 な 娼婦 性 を断 罪 す る 表 裏 一・
体 のメカニズ
2008年9月4日
受 理*文
学部史学科准教授
一83一
総
合 研
究
所
所
報
ム を有 す る独 特 の神 学 体 系 に取 り込 まれ て い っ た。
だ が 、 よ く 目を凝 らす と、古 代 の多 くの 史料 の な か に女 性 た ち が キ リス ト教 の 成 立 に関 与 し よ
う と した 姿 が うか が え る よ うに思 わ れ る の で あ る。 正 典 聖 書 か らは外 され た 外 典 文 書 な どの 形 を
と るそ れ らの 史 料 に現 れ る女 性 は、 母 や妻 、 あ る い は娼 婦 とい っ た男 性 との 関 係性 にお け る性 役
割 に類 型 化 す る こ とが で きず 、 む しろ そ う した地 上 にお け る性 役 割 か らの 脱 出 をモ チ ー フ とす る
物 語 の 主 人 公 で あ る場 合 が多 い。 報 告 者 が 注 目す る女 性 聖 人 テ ク ラは そ の代 表 的事 例 で あ る 。
彼 女 は 後2世 紀 成 立 と 目さ れ る聖 書 外 典 『パ ウ ロ とテ ク ラ の行 伝 』 の 主 人 公 で あ る 。小 ア ジア
中 部 の 町 イ コニ オ ン(現 コ ンヤ)に 生 ま れ、 禁 欲 を勧 め る使 徒 パ ウ ロ に従 っ て 婚約 者 を捨 て て旅
に出 る。 と こ ろが 、 ア ンテ ィオ キ ア の 町 で暴 漢 に迫 られ てパ ウ ロ か ら も見 捨 て られ る形 に な っ た
と き、 自力 で これ を退 け た こ とか ら逆 に 闘技 場 で 野 獣 刑 に処 せ られ る こ とに な る 。刑 場 で は女 性
の 支持 者 が 彼 女 を応 援 し、 雌 ラ イ オ ンが 彼 女 の 側 に立 っ て戦 っ た。 こ の渦 中 に彼 女 は神 に祈 っ て
自 らに洗 礼 を授 け るの で あ る。 許 さ れ た彼 女 は女 性 群 衆 に歓 呼 して迎 え られ 、 人 々 を教 え た後 、
セ レ ウケ イ ア(現 シ リフ ケ)近
くで没 した とい う。
この よ うな 物 語 は教 会 の正 統 的 な性 の ヒエ ラ ル ヒー を創 出 しよ う とす る男 性 指 導 層 の立 場 か ら
す れ ば危 険 で あ り、 じっ さ い テ ル トゥリ ア ヌス は この 物 語 を厳 し く断 罪 して、 こ れ にパ ウ ロ の真
正 の教 え を見 出 そ う とす る女 性 信 者 に警 告 した 。 しか し、 この 警 告 も物 語 の流 布 を完 全 に は止 め
る こ とは で きず 、 そ れ ど こ ろか 拡 大 し、 共 感 を覚 え る女 性 を増 や す 結 果 す ら招 くこ と とな っ た。
四世 紀 の 末 、 テ ル ト ゥリ ア ヌス か ら一・
世 紀 半 以 上 も経 過 して 、 彼 の 地 盤 北 ア フ リカ よ り もさ ら
に西 方 の ヒス パ ニ ア(現 ス ペ イ ン)も
し くは ガ リ ア南 部(現
フ ラ ンス ・プ ロ ヴ ァ ンス 地 方)出 身
の女 性 巡礼 エ ゲ リ アが 小 ア ジ ア ・セ レ ウケ イア 近 郊 に 成 立 して い た テ ク ラの 聖 地 ハ ギ ア ・テ ク ラ
(現 ア ヤ ・テ ク ラ)を 訪 問 し、 そ の 感 動 を書 き記 して い る(地 図1)。
報 告 者 は この よ う な女 性 の 物 語 と して 女性 聖 人 テ ク ラの 一 連 の伝 承 と、 彼 女 の 物 語 に惹 か れ て
そ の聖 地 に巡 礼 して 旅 の 記 録 を と どめ た 女性 エ ゲ リア に つ い て 長 ら く研 究 を続 け て きた 。 昨 年 は
奈 良大 学 よ りの研 究助 成 をベ ー ス に トル コの ア ヤ ・テ ク ラ遺 跡 の 現 地 調 査 を行 な う と と も に、 ひ
とつ は愛 媛 大 学 の科 研 費 基 盤研 究(B)に
基 づ く シ ンポ ジ ウ ム ・研 究 集 会 『巡礼 と救 済一 四 国 遍
路 と世 界 の巡 礼 』 に 参加 、研 究 発 表 を行 な い 、 また ひ とつ に は 明石 書 店 よ りシ リー ズ刊 行 予 定 の
『ジ ェ ンダ ー 史叢 書 』 に お い て 初 期 キ リス ト教 と女 性 の 問題 に つ い て 執筆 した 。 また 、 古代 都 市
ア ンテ ィオ キ ア に 関 してNHK京
皿
2007年9月6日
都 文 化 セ ン ター 講 演 を行 な った 。 以 下 、 そ の 概 要 を説 明 した い。
テ ク ラ と関 係 す る トル コ諸 地 域 現 地 調 査
か ら同15日 まで私 は トル コを訪 問 し、 と くに テ ク ラ に 関連 す る諸地 域 を 回 った 。
まず シ リア との 国境 に 近 い ア ン タキ ヤ(古 代 名 ア ン テ ィ オ キ ア)を7日
に訪 れ た(写 真1)。
ア
ンテ ィ オ キ ア は古 代 に は エ ジ プ トの ア レクサ ン ドリア に並 ぶ ヘ レニ ズ ム世 界 屈 指 の大 都 市 で、 往
時 は数 十 万 の 人 口 を擁 して股 賑 を極 め た。 紀 元 前300年 に創 建 され て 以 後 、 セ レ ウ コス 朝 の 首都 、
ロー マ 帝 国 の東 方 属 州 首 府 と して 栄 え 、636年 の ヤ ル ム ー クの 合 戦 で イ ス ラ ー ムが シ リア に進 出す
る まで そ の繁 栄 は続 い た。 ア ンテ ィオ キ ア は キ リス ト教 徒 とい う言 葉 が 最 初 に 生 まれ た町 で あ り、
一84一
足 立:キ
リス ト教 の成 立 と女 性 の 関与 に 関す る研 究
ユ ダヤ教 とは 別 の 宗教 と して キ リス ト教 が 地 中 海 に拡 大 して い く上 で 最 初 の 要 と な った3。
テ ク ラ伝 承 との 関 連 で は、 パ ウ ロが こ こ を拠 点 と して 活 動 した こ と、 近 隣 の ダ フ ネの 泉 の 由縁
と して追 いす が る男 神 アポ ロ ン を拒 否 して 緑 の 木 に姿 を変 えた 娘 ダ フ ネの神 話 が テ ク ラ伝 承 に間
接 的原 型 を与 えた 可 能性 が 指摘 で きる こ と、何 よ り も伝 承 第 二 部 で テ ク ラが 野 獣 と格 闘 の さな か 、
自己洗 礼 す る の が ア ン テ ィ オ キ アの 闘技 場 で あ る こ とが 挙 げ られ る(た だ し、 外 典 の 実 際 の 舞 台
は現 トル コ 中西 部 の ピ シ デ ィア の ア ンテ ィ オ キ ア で あ っ た 可 能 性 が 強 く示 唆 され て い る)。 同 市
は現 在 も人 口12万 を超 え る中 規 模都 市 で 、 町 を流 れ るオ ロ ンテ ス 川 はエ ジプ トの ア レ クサ ン ドリ
ア に近 接 す る ナ イ ル 川 と は比 較 に な らな い ほ ど小 さい が 、 上 述 ダ フ ネの 泉 の よ う に山 地 に 地 中 海
か らの湿 っ た 空気 が 流 れ 込 ん で 雨 が 降 り、 肥 沃 な 後 背 地 を確 保 され て い た(写 真2)。
ア ンテ ィ オキ アか ら トル コ南 東 部 の海 岸 沿 い に移 動 す る とパ ウ ロの 生 まれ た町 タル ソスが あ る。
9日 に こ こ で彼 を記 念 す る教 会(写 真3)を
して9月10日
訪 問 した 後 、 地 中 海 沿 い の 景 勝 地 クズ カ レ シに 一 泊
に テ ク ラの 聖 地 の あ るセ レ ウケ イ ア(現
シ リ フケ)に 向 か っ た 。 タル ソス か らテ ク
ラ の聖 地 に 向 か うの は 古 代 の 女性 巡礼 エ ゲ リア と同 じ コー ス をた ど るた め で あ っ た 。 ア ン タキ ア
か らは知 り合 っ た ホ テ ルマ ンの 好 意 で 彼 の 車 で 送 っ て も らっ た が 、 そ れ で も一 日以 上 か か る 行 程
とな り、 往 時 の距 離 の 長 大 さが 偲 ば れ た 。
こ の途 中 イ ス ラー ム 時 代 の 民 間伝 承 で あ る が 、蛇 の 王 が 王 女 に恋 して拒 否 され 退 治 され る 話 、
蛇 に か ま れ て死 ぬ と予 言 され た 王 女 を隔離 した が 、 ブ ドウの 籠 に 潜 ん で い た蛇 に か まれ て結 局 そ
の王 女 が 死 ん だ とい うい わ れ の あ る小 島 の古 城(写 真4)、
「天 国 と地獄 」 とい っ て 、異 界 へ の 出
入 り口 を連 想 させ る 長径 数 十 メ ー トル の 陥没 地 な ど に接 し、伝 承 を育 む土 地 柄 を実 感 させ られ た。
ま た、 周 囲 の 山岳 地域 には 明 らか に古 代 末期 か ら ビザ ンテ ィ ン時代 と思 わ れ る無 数 の洞 窟 跡 が残
さ れ てお り、 あ ち こち にギ リ シア語 の碑 銘 の あ る石 棺 が放 置 され て い た(写 真5)。
ア ヤ ・テ ク ラ の あ る シ リ フケ も現 在 人 口6万5000を
超 え る都 市 で 、 民俗 祭 典 で知 られ る。 町 を
流 れ る ギ ョク ス川 は地 図 上 で は小 さい よ うで あ るが 、 じっ さ い は か な りの水 量 が あ り、 第 三 回十
字 軍 で ドイ ツ皇 帝 フ リー ドリ ヒ ・バ ルバ ロ ッサ が 溺 れ 死 ん だ の も う なず け る(写 真6)。
アヤ ・
テ ク ラ は現 在 地 上 部 分 は 瓦礫 の 山 とな っ て い る。 しか し、 五 世 紀 後 半 に テ ク ラ に帰 依 した皇 帝 ゼ
ノ ンの寄 進 に よ る と思 わ れ る 大 聖 堂 の一 部 は残 存 し、 かつ て の 巨大 さを彷 彿 とさせ た(写 真7)。
聖 地 に は地 下 の 洞 窟 教 会 が あ り、管 理 人 に頼 んで 入 れ て も らっ た。 テ ク ラ の イ コ ン画 の 前 に は赤
い花 が 捧 げ て あ り、 記 帳書 に 訪 問者 が さま ざ ま な思 い を書 き記 して い る こ とか ら、 千 数 百 年 を経
て テ ク ラ信 仰 が な お持 続 して い る こ とが わ か っ た(写 真8、9)。
シ リ フ ケか らテ ク ラ の生 地 イ コニ オ ン(現 コ ンヤ)ま で は タウ ル ス 山脈 を越 え て 中央 部 の 砂 漠
地 帯 を経 て バ ス で4時 間 を要 した。 徒 歩 か ロバ な どに乗 っ て の古 代 の移 動 を考 え る とそ の 距 離 は
長 大 で あ る。 コ ンヤ は イ ス ラ ー ム時 代 に ル ー ム ・セ ル ジ ュー ク朝 の首 都 が 置 か れ 、 忘 我状 態 で 踊
る メ ヴ ラー ナ 教 団 で有 名 で あ る。 キ リス ト教 につ い て は あ ま り知 られ て い な いが 、 近 くに 「パ ウ
ロの 教 会 」 と言 わ れ る もの が あ り、 訪 れ る と渓 谷 全 体 に わ た っ て現 在 で は無 人 と な った 石 窟 教 会
と修 道者 の居 住 跡 が 延 々 と続 い て い た(写 真10)。 近 年 、 カパ ドキ アの 石窟 寺 院 な どが観 光 名 所 と
して 脚 光 を浴 びて い るが 、 そ の一 方 で ま った く顧 み られ る こ と な く打 ち捨 て られ た 大 規模 遺 跡 も
中 東 には 多 い の で あ る。 こ れ らは古 代 末 期 か ら ビザ ンテ ィ ン時 代 の 巡 礼 、 修 道 生 活 の跡 と考 えて
一85一
総
合
研
究
所
所
報
間違 い な く、 テ ク ラ信 仰 を育 ん だ 文化 的 ・社 会 的 な背 景 を物 語 っ て い る 。
皿
四 国 遍 路 と世 界 の 巡 礼
次 に 、 愛 媛 大 学 の シ ンポ ジ ウ ム 「巡 礼 と救 済:四
国遍 路 と世 界 の 巡礼 」 で の発 表 とそ の記 録 に
つ い て 要 約 した い 。 この 企 画 は 同大 学 挙 げ ての 学 部 横 断 的 な もの で、 四 国遍 路 の世 界 遺 産 登 録 を
目指 す た め の一環 とい う意 味 もあ る。 世 界 の 巡 礼 との比 較 とい うこ とで 私 に も参加 の打 診 が あ り、
た また ま前 述 の トル コ現 地 調 査 の直 後 で あ った こ と もあ り、 写 真 な ど も交 え て報 告 した。 報 告 会
は9月29日
・30日の プ レ ・シ ンポ ジ ウ ム と12月8・9日
の 公 開 シ ンポ ジ ウ ム ・研 究 集 会 の二 度 に
分 か れ 、私 は そ の 双 方 で 発 表 の 機 会 を得 た 。 プ レ ・シ ンポ ジ ウ ム は八 十 八 箇 所 の寺 の ひ とつ(仙
遊 寺)に 宿 泊 し、 朝 の 勤 行 に も参 加 す る な ど臨 場 感 の あ る もの で 、 キ リス ト教 と仏 教 の 違 い は あ
る もの の 、貴 重 な 実体 験 を得 る こ ろが で きた 。
拙 報 告 は プ レ ・シ ンポ ジ ウム(29日 夜 仙 遊 寺宿 坊 に て発 表)に お い て は、 ほ ぼ前 述 の トル コ現
地 訪 問 の紹 介 で あ り、 公 開 シ ンポ ジ ウム ・研 究 集 会 に お い て は 一・
部 現 地 の 写 真 も交 えつ つ 、 全 体
的 な古 代 末 期 の キ リス ト教 巡 礼 の 諸 相 とそ の な か で の女 性 の役 割 につ い て 話 した 。 後 者 の 公 開 シ
ンポ ジ ウ ム ・研 究 集 会 の プ ロ シー デ ィ ング ズ はす で に公 刊 され て い る が 、 そ の 報 告 者担 当 部 分 を
要 約 を以 下 に示 して お きた い4。
拙 報 告 表 題 は 「古 代 末期 の キ リス ト教 巡 礼 の諸 相 」 と し、 最 初 に キ リス ト教 巡礼 の始 ま り と古
代 末 期 にお け る そ の拡 大 につ い て論 じた。 キ リス ト教 の巡 礼 は迫 害 時代 に さか の ぼ らせ る こ と も
で き るが 、 社 会 的 実 態 と して登 場 す る の は 四世 紀 初 頭 の コ ンス タ ンテ ィヌ ス帝 に よる キ リス ト教
公 認 と帝 国再 統 一 以 後 で あ る。313年 の ミラ ノ勅 令 で キ リス ト教 を公 認 して以 降急 速 に同 宗教 に接
近 して い った コ ンス タ ンテ ィヌ ス は、324年 に 帝 国 を統 一 す る や 、 翌325年 に ニ カエ ア公 会 議 を召
集 して正 統 信 仰 確 立 に介 入 す る 意思 を見 せ 、 翌326年 に は皇 太后 ヘ レナが イ ェ ルサ レム を訪 問 、 こ
れ 以 降 帝 国 の 肝 い りで パ レス テ ィ ナ に キ リス ト生 誕 教 会 や 聖墳 墓 教 会 な どが 建 設 され 、 そ こ を詣
で よ う とす る 巡 礼 の た め に街 道 も整 備 され は じめ た5(地 図2)。
巡礼 は や が て 皇 帝 の 思 惑 を超 えて 隆 盛 を極 め る こ と にな り、 モ ー セ や ア ブ ラハ ム な どの ヘ ブル
語 聖書 の預 言 者 や イエ ス と使 徒 た ち、 そ れ に迫 害 時代 の殉 教 者 な どの ゆ か りの 地 を詣 で て 、 霊験
あ らた か な そ の 聖 遺 物 を得 よ う と、 東 方 だ け で な く遠 く西 方 の 各 地 か ら巡 礼 が 訪 れ る よ うに な っ
た。 巡 礼 を迎 えた の は正 規 の 聖職 者 だ けで な く、 砂 漠 で修 行 をす る 原初 期 の修 道 十 も数多 くい た。
こ れ らの砂 漠 の修 道士 も また 厳 しい修 行 で 高 度 な霊 的 能力 を持 つ と信 じ られ 、周 辺 の村 人 の争 い
の調 停 や 、 場 合 に よっ て は都 市 や 帝 国 の もめ事 に まで介 入 す る力 を示 した 。殉 教 者 と同 じ く彼 ら
の遺 体 や 衣 も聖 遺 物 とな っ て珍 重 され た が、 場 合 に よっ て は生 前 か ら彼 らの触 れ た物 に霊 験 を認
め る風 潮 も高 ま っ て きた。 西 方 か らの巡 礼 は こ う した過 去 や 同 時代 の聖 な る事 物 を持 ち帰 り、 あ
る い は 目 に焼 き付 け て そ の光 景 を故 郷 で語 る こ とで キ リス ト世 界 を拡 大 させ た6。
この よ う な修 道 生 活 や そ れ と連 動 す る巡 礼 熱 の 高 ま りの 中で 、 女 性 もま た大 きな役 割 を果 た し
た 。 女 性 の 場 合 、 高 位 で富 裕 な場 合 で もロ ーマ や コ ンス タ ン テ ィ ノ ー プ ル の元 老 院 や 、 あ るい は
地 方 都 市 の 参 事 会 な どで公 的 な立 場 か ら発 言 す る権 利 は なか っ た。 財 産 の 行 使 に も親 族 男 性 の 介
一86一
足 立:キ
リス ト教 の 成 立 と女 性 の 関 与 に 関 す る研 究
入 が あ った し、 遠 方 を旅 し、 意 見 を交 換 す る機 会 も制 限 さ れ て い た。 だが 、 教 会 や 修 道 院へ の寄
進 や 貧 民 救 済 事 業 、 そ れ に巡 礼 の旅 は 「私 的」 な スペ ー スで あ り、 そ こ に女 性 た ち の 「自由 な」
活 動 の 余 地 が 残 され て い た の で あ る。 大 メ ラ ニ ア とそ の孫 娘 小 メ ラ ニ ア な どの 事 例 は と くに 目を
引 くが 、 そ れ 以 外 に も古 代 末 期 に巡 礼 と修 道 生活 を通 じて名 声 を博 した女 性 は数 多 い。 身分 の低
い女 性 の 場 合 で も、 親 族 の支 配 を離 れ て旅 し、学 習 す る機 会 が 得 られ る こ とは大 きな魅 力 で あ っ
た だ ろ う。 彼 女 た ちが じっ さ い に実 利 的 な計 算 を した か ど うか は不 明 で あ り、 お そ ら くは多 くの
場 合 信 仰 が 先 行 して い た と推 測 され る が 、結 果 と して こ の よ うな 「自由」 の場 を押 し広 げ た 。
テ ク ラの 聖 地 を訪 問 した女 性 巡礼 エ ゲ リア は この よ うな風 潮 を背 景 に して旅 した。 彼 女 は 四世
紀 末 、381-4年 に イ ェ ルサ レ ム を基 点 に モ ーセ や ヨブ 、 ア ブ ラハ ム、 そ れ に イエ ス 自身 に関係 す る
東 方 の聖 地 を巡 り歩 い た が 、 そ の 旅 の終 わ りに 上述 シ リア の首 府 ア ンテ ィオ キ ア か ら タル ソ ス を
経 て セ レウ ケ イ ア の テ ク ラの 聖 地 まで 詣 で るの で あ る。 報 告 者 が注 目す る の は、 彼 女 が ほ か の 聖
地 で は お の れ を空 し くす る 巡礼 の気 持 ち か らか 、 あ ま り一 人称 単 数 の 主語 「私 」 を用 いず 、 また
会 見 した男 性 主 教 や修 道士 の 名 も意 図 的 に か 落 と して い る の に対 し、 なぜ か ハ ギ ア ・テ ク ラ に お
い て は 自 らの喜 び を 隠 す こ とな く 「私」 とい う主語 で表 現 し、 そ の 「私」 が 現 地 で女 性 修 行 者 を
監督 す る 同性 の友 人 マ ル タナ と会 見 す る 感 激 を相 手 の実 名 を交 え て 書 き残 して い る。 報 告 者 は そ
こに古 代 に お け る女 性 の 自己 表 現 の ひ とつ を見 出 し、 そ れ を可 能 と した のが テ ク ラ の信 仰 で あ っ
た と考 え 、 そ の よ うに 報 告 した の で あ る7。
N古
代 キ リス ト教 とジ ェン ダ ー
テ ク ラ信 仰 一越 境 と 自立 の 神 話
さて 、 昨年 度 後 半 に 報 告 者 は 明 石 書 店 よ り今 秋 公刊 予 定 の 『ジ ェ ン ダー史 叢 書 』 第7巻
『人 の
移 動 と文化 の交 差 』 に お い て 本 章 章 題 と同 じ 「古代 キ リス ト教 とジ ェ ンダ ー:テ ク ラ信 仰 一越 境
と 自立 の神 話 」 と題 して そ の 第 一 章 を担 当 した 。 内容 に つ い て は 以 下 要約 す る。
本稿 で は叢 書 の性 格 を考 慮 して 、 古 代 末 期 の テ ク ラ信 仰 に 先行 す るキ リス ト教 の 出発 点 に お け
る 女性 の役 割 に か な りの 比 重 を置 い て 論 述 し、既 存 の フェ ミニ ス ト神 学 で共 有 され て い る知 見 を
集約 した 。 そ の 上 で新 約 聖 書 学 の 視 界 か らは 遠 ざか る が 、 地 中 海世 界 が じっ さ い に キ リス ト教 に
転 換 す る 重 要 な 時 期 で あ る古 代 末 期 にお い て 女性 の 自立 的 メ ッセ ー ジ を発 信 す る テ ク ラ の物 語 と
女性 の信 仰 に つ い て 論 じた 。
冒頭 で も指 摘 した よ う に、 キ リス ト教 は父 と息子 の 二 つ の現 れ 方 をす る一 つ の神 とい う概 念 を
中核 とす る極 め て 男性 中 心 的 な宗 教 で あ る。 そ れ は た また まそ うな っ た の で は な い。 キ リス ト教
が ユ ダヤ 教 や ロー マ社 会 の 父 権 制 を背 景 と して 誕 生 して きた とい う歴 史が 背 景 に存 在 して い る 。
この 歴 史 の刻 印 を無視 せ ず 、 そ れ を現 実 と して 受 け 容 れ る こ とか ら歴 史学 の、 ま た ジ ェ ン ダー の
観 点 か らキ リス ト教 成 立 史 を点 検 す る こ と は始 まる の で あ る。 問 題 は この歴 史 的制 約 の な か で 、
女性 は どの よ うに キ リス ト教 の 成 立 にか か わ って きた か とい う点 で あ る8。
この 点 に関 して は 、 幸 い この 四 半 世 紀 に女性 学 へ の 関 心 の 高 ま りと と もに邦 語 文 献 も増 加 し、
邦 語 で現 段 階 の知 見 にか な り接 近 した 共 通 見 解 を得 る こ とが で き る。 エ リザ ベ ス ・フ ィ オ レ ン
ツ ァの 大 著 や 、 そ の 翻 訳 者 で あ る 山 口里 子 氏 の モ ノ グ ラ フ、 また 荒 井献 氏 や 山形 孝 夫 氏 の業 績 な
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総
合
研
究
所
所
報
どが そ の 主 な もの で あ る9。 拙 稿 で は これ らの 先 行 研 究 に導 か れ つ つ 、 また 一 部 邦 訳 の な い ユ ダ
ヤ ・フ ェ ミニ ス ト研 究 者 に も拠 りつ つ10、福 音 書 に描 か れ る女 性 た ちの 主体 的 な歴 史 参 加 へ の 道 筋
を 明 らか に しよ う と した 。
四福 音 書 で共 通 して い る の は 、 一 番 弟 子 ペ テ ロ を 中 心 に 男性 弟 子 た ち を称揚 し よ う とす る方 向
で進 も う とす る 方 向性 で あ る が 、 注 目す べ きは そ れ で もな お イ エ ス の事 跡 の 重 要 な 証 人 と して の
女性 の姿 を消 し去 る こ とが で きな い とい う こ とで あ る 。 と くに マ グ ダ ラの マ リア に 関 して は、 逃
亡 した ペ テ ロ に代 わ っ て 、 イ エ ス の 十 字 架 に お け る 死 か ら復 活 に 至 る まで の 、 い わ ば 救 済 宗 教 と
して の キ リス ト教 の奥 義 を 開示 す る核 心 部分 での 証 人 の役 割 を担 っ て い る'1。また、 彼 女 以 外 に も
カ ナ ンの女 、 も し くは フ ェニ キ アの 女 と され る女性 は 神 の 救 済 の対 象 をイ ス ラエ ル 人 の み に限 定
し よ う とす る イ エ ス の 姿 勢 そ の も の を批 判 し て改 め さ せ て い る12。福 音 書 以 外 で も、 た と え ば
『ロ ー マ の信 徒 へ の 手 紙 』 で は パ ウ ロは フ ェベ や トリ フ ァイ ナ な ど女性 の 指 導 者 ・監 督 に信 頼 を
寄せ 、彼 女 た ち の家 の教 会 を頼 っ て 男 性 た ち も迫 害 下 に は 布教 を進 め ざる をえ な か っ た 実 情 が う
か が え る13。
この トリフ ァイ ナ は テ ク ラの 行伝 で もテ ク ラ を救 い 、 そ の伝 道事 業 を手 助 け す る重 要 な役 目 を
果 た す 。パ ウ ロ の 弟 子 の系 統 が 書 い た と思 わ れ る 正 典 聖 書 の 牧 会 書 簡 で は テ ク ラの 行 伝 と記 述 が
重 な りつ つ も、 テ ク ラ行伝 とは 逆 に激 し く女 性 の 服 従 と沈 黙 を命 じて い る の だ が 、 新 約 聖 書 学 者
の デ ニ ス ・マ ク ドナ ル ドは こ こか ら類 推 して 、 お そ ら くパ ウ ロに権 威 を認 め られ た 女 性 た ちの 口
頭伝 承 に よる キ リス ト教伝 統 が あ って 、 そ の な か で 女 性 使徒 テ ク ラの 物 語 が 形 成 され た の だ が 、
これ に危 険 を 感 じた パ ウ ロの 男 性 弟 子 た ちが この伝 統 を抑 圧 す る た め に 激 しい 言 葉 で 女 性 を押 さ
え込 も う と したの が 牧 会書 簡 で あ る と結 論 づ け て い る14。史料 操 作 は綿 密 で 無理 は な く、 報 告 者 も
基 本 的 に この 見解 に 賛 同 す る もの で あ る。
た だ 、 こ う した80年 代 の フ ェ ミニ ス ト神 学研 究 者 は 古代 末 期へ の 関心 が 弱 い こ と と、 そ の 楽 観
的 な 見取 り図 に対 して は 、 最 近 言 語 論 的 転 回 を経 た テ キ ス ト分析 の理 論 を用 い る研 究 者 か ら異 論
が 出 始 め て い る 。 そ の 論 陣 の 一 角 には なん とか つ て 古 代 末期 の 女性 の 「自由 」 の 場 の 拡 大 を提 唱
した フ ェ ミニ ス ト歴 史家 自身 も加 わ って お り、 看 過 で き ない'5。そ の 論 点 を ご く簡 略 に記 す と、 テ
ク ラ行伝 も含 め 、 古 代 末 期 の 女 性 聖 人 伝 は基 本 的 に 男 性作 家 の 手 に な る もの で あ り、 そ の プ ロパ
ガ ン ダ的色 彩 を逃 れ る こ とは で き ない とい う もの で あ る。 同 時代 に な お 強 勢 を誇 っ た 「異 教 」 の
世 俗 世 界 の継 続 を是 とす る恋 愛 小 説 に対 して 、 禁 欲 とあ の 世 の救 済 の優 越 を説 くた め に創 作 され
た 物 語 で あ る とい う読 み 方 は 、 た しか にテ ク ラ行 伝 の 一 面 の性 格 を言 い 当 て て い る16。
しか し、 この よ う なペ シ ミス テ ィ ッ ク な見 取 り図 は 全 面 的 に 従 来 の フ ェ ミニ ス ト研 究 者 の構 築
して きた視 点 と入 れ 替 わ る もの で は ない だ ろ う。 な に よ り、 この 説 明 方 法 で は 、 な ぜ テ ク ラの 物
語 が テ ル トゥ リア ヌ ス な ど教 父 に危 険 視 され た の か が 説 明 で きな い 。 テ ク ラの 自己 洗礼 や彼 女 を
応 援 す る 女性 集 団 は 男 性 指 導 層 の 禁 欲 的 プ ロパ ガ ン ダに は不 必 要 な場 面 で あ り、 じっ さい 後世 に
は 削 られ 、 改作 され る こ と に な る。 なぜ この よ うな 場 面 が 描 か れ た の だ ろ うか 。 また 、 単 な る テ
キ ス ト理 論 で は な く、 女 性 が 使 用 した と思 わ れ る櫛 や テ ク ラ とい う名 の 女性 の 墓碑 、 そ して彼 女
の 苦 難 に 思 い を重 ね た ら しい 、 流 刑 に され た 女 性 た ち の壁 画 、 また前 述 の エ ゲ リア の 記 述 な どの
実 態 的 な 証拠 か らは 、 巡 礼 や 修 道 生 活 で 旅 す る女 性 た ち の 実 在 と、 そ の模 範 と して の テ ク ラへ の
一88-一
足立
キ リス ト教 の 成 立 と女 性 の 関 与 に関 す る研 究
崇 敬 が あ っ た こ と が 確 か め ら れ る の で あ る17。
ま とめ と展 望
さ て、 奈 良 大 学 助 成 を得 て 、前 年 度 は 以 上 の よ うに多 忙 な な か に も充 実 した研 究 生 活 を 送 る こ
とが で き た。 女 性 聖 人 テ ク ラ と巡礼 エ ゲ リア に 関 す る研 究 は、 古 代 末 期 の キ リ ス ト教 とモ ラ ル観
の変 化 、 家 族 生 活 と女 性 の地 位 の 変動 、古 代 末期 の言 説 と社 会 実 態 の 関係 な ど多 方 面 の研 究 に転
化 しう る可 能 性 を有 して い る。 そ の よ うな研 究 を通 じて、 やが て 「西 洋 」 と称 せ られ る世 界 の基
層 部 分 が 形 成 され た古 代 末期 の社 会 変 容 の姿 の一 端 な り と も明 らか に で きれ ば、 と考 え て い る。
今 後 もい っそ う各 方 面 の ご理 解 とご助 力 を賜 れ ば幸 甚 で あ る。
注
1さ
し ず め 、 次 の 書 な ど が 参 考 と な ろ う 。 エ ド ワ ー ド ・サ イ ー ド著 、 板 垣 雄 三 ・杉 田 英 明 監 修 、 今 沢 紀 子
訳
『オ リ エ ン タ リ ズ ム 』 上 ・下 、 平 凡 社 ラ イ ブ ラ リ ー11お
よ び12(単
行 本 と し て は1986年
翻 訳 刊 行 、1993
年 に 文 庫 化)。
2「
旧 約 」 聖 書 と い う 言 い 方 は キ リ ス ト教 を 中 心 に 据 え た 言 葉 で あ る た め 、 こ こ で は 「ヘ ブ ル 語 聖 書 」 と い
う用 語 を採 用 した 。
3古
代 ア ン テ ィ オ キ ア に 関 し て は 、 年 度 末2008年3月31日
にNHK京
都 で 通 年 講座
「遺 跡 に み る 地 中 海 世 界
の 歴 史 」(同 志 社 大 学 教 授 中 井 義 明 ・同 講 師 坂 井 聡 ・立 命 館 大 学 教 授 大 戸 千 之 と 共 同)の
した 。 演 題 は
「ア ン テ ィ オ キ ア:聖
最 終 回 と して 講 演
人 た ち の交 錯 す る 町」 で あ る 。 講演 で は 同 市 の モ ザ イ ク博 物 館 で 撮 影
した 同 館 所 蔵 の コ レ ク シ ョン な ど を適 時 紹 介 の上 解 説 した 。
4足
立広明
行委員会編
「古 代 末 期 の キ リ ス ト教 巡 礼 の 諸 相 」:愛 媛 大 学
『巡 礼 と救 済 一 四 国 遍 路 と 世 界 の 巡 礼:公
媛 大 学 、2008)22-33頁
5キ
「四 国 遍 路 と 世 界 の 巡 礼 」 公 開 シ ン ポ ジ ウ ム 実
開 シ ン ポ ジ ウ ム ・研 究 集 会 プ ロ シ ー デ ィ ン グ ズ 』(愛
。
リ ス ト教 巡 礼 全 般 に つ い て はHunt,E.D.,Ho!yLandPi7grimageintheLaterRomallEmpire∴AD312・-
460,0xford,1984に
6キ
詳 しい 。
リ ス ト教 巡 礼 と 記 憶 に つ い て は 近 年 次 の 研 究 を 得 た 。Frank,Georgia,TheMemoryOftheEyes
PilgrimstoLivingSaintsinChristian、LatθAnti(1uity,Berkeley,2000.
7報
告 者 の こ の 考 え を 最 初 に 示 し た 論 考 は 、 「古 代 末 期 の キ リ ス ト教 巡 礼 と 女 性 一 エ ゲ リ ア の 場 合 」 歴 史 学
研 究 会編 集
8キ
『地 中 海 世 界 史 』 第4巻
『巡 礼 と 民 衆 信 仰 』(青 木 書 店 、1999)63-93頁
。
リ ス ト教 の 歴 史 的 制 約 と 女 性 の 役 割 に 関 し て の 問 題 設 定 に つ い て は エ リ ザ ベ ス ・S・
著
山 口里 子 訳
『彼 女 を 記 念 し て:フ
局 、1990)17-33頁
9山
口里 子 著
「序
女 性 の 歴 史 遺 産 を探 し求 め て」 参照 。
『マ ル タ と マ リ ア:イ
性 観 』 岩 波 セ ミ ナ ー ブ ッ ク ス27、(岩
『ア ダ ム と エ バ と 蛇:「
夫 ・新 免 貢 訳
フ ィ オ レ ンツ ァ
ェ ミ ニ ス ト神 学 に よ る キ リ ス ト教 起 源 の 再 構 築 』(日 本 基 督 教 団 出 版
エ ス の 世 界 の 女 性 た ち 』 新 教 出 版 会 、2002)、
波 書 店 、1988)、
エ レ ー ヌ ・ペ イ ゲ ル ス 著
楽 園 神 話 」 解 釈 の 変 遷 』(ヨ ル ダ ン社 、1993年)、
『マ グ ダ ラ の マ リ ア に よ る 福 音 書 』(河 出 書 房 新 社 、2006)な
荒井献著
『新 約 聖 書 の 女
絹 川 久 子 ・出 村 み や 子 訳
カ レ ン ・L・
キ ング著
山形孝
ど。
10Kraemer,RossS.,」UerShareoftheBlessings'J7Vomen'sRθligionsamong」Pagans,lews,an(1αhristians
inthe(詠
11荒
12「
θco-RomanW()rld,NY.,1992.
井 、 前 掲 書89-95頁
に よ る 福 音 書 』7章19-30節
13『
、付 録
「イ エ ス と マ グ ダ ラ の マ リ ア 」 同371-394頁
カ ナ ン の 女 の 信 仰 」 『マ タ イ に よ る 福 音 書 』15章21-28節;「
。
ロ ー マ の 信 徒 へ の 手 紙 』16章1-16節
。
14MacDonald,DennisR,TheLegendafldtheAρostie:TheBattiefor、PaulinStoryandCanon,
一89一
。
シ リ ア ・フ ェ ニ キ ア の 女 の 信 仰 」 『マ ル コ
総
合 研
究 所
所
報
Philadelphia,1983,pp.55-77.
15Clark,ElizabethA.,"TheLadyVanishes:DilemmasofaFeministHistorianafterthe"LinguisticTurn"",
ChurchHistory67-1,1998,pp.1-31;"Women,Gender,andtheStudyofChristianHistory",ChurchHistory
70-3,2000,PP.395-426;」Uistory,Theory,Tθxた
」Uistoriansan(1theLinguisticTurn,Harvard,2004.
16Cooper,Kate,TheVirginandthe、Bri'de:11ealized'Momanhoo(1inLateAntiquity,Cambridge,1996,
esp.pp.62-65.
17Davis,StephanD.,TheCultofSt.Thecla:ATraditionOfl7Vomen'sPietyin、
(PP.150-172で
、 と く に エ ジ プ ト、 カ ル ガ
す も の と さ れ る 壁 画 に つ い て 詳
乙ate/4ntiquity,Oxford,2001.
・オ ア シ ス に 追 放 さ れ た 女 性 修 道 者 た ち に よ る テ ク ラ 崇 敬 を 表
し く 書 か れ て い る).
,
一90一
足 立:キ
リス ト教 の 成 立 と女 性 の 関与 に 関す る研 究
ノ
※地 図 はそ れ ぞ れ 『巡 礼 と救 済 一四 国 通路 と
世 界 の 巡 礼 』 の26頁 に地 図1を 、 同23頁 に
地 図2を 掲 載 。
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一 「
巡礼記」記載以前の旅
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巡礼記1の旅
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ゲ リアの 巡礼 ル ー ト
歴 史 学研 究会 編 『巡 礼 と民 衆 信 仰 』 青 木 書 店 、1999、 拙 稿 「
古代
末 期 の キ リス ト教 巡 礼 と女 性 一 エ ゲ リア の場 合 」p.70よ り引 用。
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(Pt'lgrimageintheRomanEmpire,AI)312-460,0xford,1984,P.53よ
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