ウイグルの女性

ウイグルの女性
ウイグル民族の文化は、中国・新疆ウイグル自治区の乾燥した沙漠地帯(タクラマカン
沙漠とジュンガル部)のオアシスや大きな山脈(アルタイ・天山・崑崙など)がある自然
環境のなかで、育まれてきました。
ウイグル族の特徴は、10 世紀末ごろよりイスラムを
受け入れはじめ、15 世紀ごろにはすべてのウイグル人
がムスリムになったことです。イスラムはとても社会
性の強い宗教ですから、地域社会の制約、家庭の中で
の女性の役割もはっきりしています。
2002 年の新疆の総人口は約 870 万人。女性は全新疆
の女性の 48.2%を占めています。また、中国では、
地位として確立されていますが、女性の幹部は 46%を
占めます。大学(大学学部)レベルの女性は5.14%、
高校レベルの女性は 12.09%、中学レベルの女性は 27.
53%、小学校レベル女性は 37.95%を占めます。
女性は今でも朝は家族の誰よりも早く起き、まず神に「今日もよい1日でありますよう
にお守りください」と家族の安全と無事を祈ります。年輩の男性はモスクに行きますが、
女性はモスクに入ることはできず、家で祈ります。彼女たちは、たとえ厳しい環境と貧し
い生活の中にあっても、夫に従い、可愛い子どもたち、また両親や兄弟たちに優しい心遣
いを示します。
子どもの良し悪しは、母親の子育ての良し悪しだと思われます。特に女の子は嫁に行く
まで非常に厳しくしつけられます。新疆が近代化される前、ウイグルの女性の結婚年齢は
15~17 歳でしたが(男は 16~18 歳)、現在、法律では男女は 18 歳にならないと結婚する
ことができません。以前は、お姑さんに選ばれ、両親が承知しての見合い結婚が主流でし
た。結婚する日まで2~3度会うだけで結婚させられ、子どもが生まれると共に、家庭の
主婦として、義理の両親の面倒をみることになります。これは当たり前のことではありま
すが、大変なことです。また、家族と共に農作業をしながら、夫に仕えることは環境が厳
しいだけに女性の立場は弱く、また貧しい状況にありながらも離婚率は低いのです。この
ような現況は、いまだに農村部では一般的な状況です。現代社会になって、恋愛結婚をす
る人が多くなって来ましたが、当然、離婚率も高くなってきています。しかし、恋愛結婚
といっても、基本的には親の意思で結婚するのが普通です。
基本的に女性が受ける教育は、イスラムの教えによるものです。それは、人生は苦しい
ものであっても、いくら貧しく厳しいことがあっても、家族を壊すことは許されないとい
うものです。ウイグル社会の現実では、女性が1人で生活するということは、ほとんど不
可能なのですが、離婚によって子どもたちを孤独にさせたくない、困らせない、苦しませ
ない、というような忍耐心も要求され、また地域社会の応援もあります。自分自身を犠牲
にしても家族を守りたいという親心が強くでて、いつか、夫婦や家族で力をあわせていけ
ば、必ずよいことがくるという希望を持つことができるのは、神に心を委ねることができ
るからです。
イスラムの教えの言葉で一番大切なことは、「子どもというのは未来の世界」、「家族
は人に精神的な栄養を与えてくれる栄養剤」、「家族は人情を育てる学園」、「家族は小
さな社会、この小さな社会が壊れると大きな人間社会が壊れる」とあります。厳しい生活
は人を鍛える渡し船でありますが、自尊心を持つことも大事なことで、子供が荒れたりす
ると母親が悪いなどと、すぐに言われますので、簡単に離婚などできないのです。
新中国成立以前は、男尊女卑の考え方が強かったため、夫は、妻が子どもを生めない場
合には、別の女性とも結婚することが可能でした。あるいは、本妻がいても、同時に2人
~3人まで妻を持つことができました。商売やほかのことで、家族と長い期間はなれる場
合では、“臨時の奥さん”を持つということもありました。それらは、父系社会の特徴で
ある、古い悪しき習慣として最近まで存続しましたが、現在は、そのような習俗はなくな
りました。
義務教育が実行されて 50 年、小中学校に通う女の子は多いのですが、農村部の田舎で
はさまざまな原因があって、高校へ進学する女子の数は低いのが現状です。ウイグル人は
農民が多いのですが、特に地方の女性の高校進学率が低いのです。しかし、一部の女性は
1980 年代になると、教育の普及に比例して、自分たちの社会的地位を認識するようになり、
社会的地位も認められるようになって、大学にまで進学する状況になってきました。海外
に留学する女性もひと握りでしたが、現れてきました。
ウイグル女性の目覚めは日本と比べて約 100 年遅れております。日本では海外に出た女
性は、津田梅子たち8歳~15 歳までの少女5人がアメリカに留学した明治4年(1872 年)
です。遅れること 100 年、ウイグルの女性は海(国境)を渡ったのです。現在、海外に留
学している 300 人ほどのウイグル人女性たちは、さまざまな分野で研究活動を行ない、見
聞を広げています。彼女たちは新彊の発展やウイグル人女性の将来のために、重要な人材
として大いに期待されています。
1980 年代までは、職場も男性優先でした。大学を卒業した女性が入社するのは大変でし
た。就職の申請をだすときには、男性か女性かが合格するかどうかの重要な問題でもあっ
たのです。今では、男女を確かめることもありますが、殆ど成績よりも実際の能力がある
かどうかが求められます。女性たちも自分をアピールし、実力を発揮することを主張する
ようになってきており、新しい技術や科学にチャレンジするようになってきました。
現在、新彊の首都であるウルムチの政府機関、会社、学校などの職場では、女性の数が
多くなってきました。昔のような「女性は家庭の道具」という封建的な考え方はだんだん
なくなってきています。逆に、女性は社会の重要な労働力になってきました。都会では女
子の高校に進学する率が高くなってきました。高校を卒業してから中国内地の大学に進学
するものが多くなってきました。あるいは、経済的余裕があれば、娘を海外に行かせたい
というお母さんも多くなってきました。最近では、海外に留学したい、見聞を広げたい、
新しい時代の先駆者になりたいと思う女性たちが増えてきました。「女性は子どもを生む
道具」というような封建的な考え方は少なくなりました。それから、日本語、英語、ロシ
ア語などを独学して、中国ではエリートといわれるガイドの仕事につく女性も増えてきま
した。
このように、ウイグル人の女性の生活はいろいろな面で変わってきましたが、変わらな
いものもあります。その1つがウイグル舞踊を楽しむことです。「男はしゃべれるように
なると歌い、女は歩けるようになると踊る」という言葉がありますが、西域・シルクロー
ドの華と呼ばれるウイグル舞踊を踊ることは、現在でも女性たちの生活の中で欠かせない
喜びの1つになっています。ウイグルの踊りや歌は、ウイグル人の日常生活のなかで、な
くてはならないものです。ウイグル踊りを踊れない女性はいません。自分たちの文化的良
風をしっかりと認識し、日本と世界の人たちに理解してもらえることができたら、こんな
嬉しいことはありません。