カルミナ・ブラーナについて

名古屋市民コーラス
カルミナ・ブラーナについて
「カルミナ・ブラーナ」、曲名こそ知らなくてもテレビのドラマやドキュメンタリー、コマーシャルのBG
Mに、また映画音楽として盛んに使われ、聞いた途端「あっ知ってる」と言われる名曲である。この曲
の持つ激的な緊迫感や抑揚感が効果音楽として重宝されるのであろう。
1803 年、ミュンヘンの南数キロに位置するベネディクトボイレン村にあるベネディクト派の修道院で、
中世の詩の手写本が発見された。それらの詩は 12~13 世紀のゴリアールと呼ばれる諸国を渡り歩く
放浪学生や若い聖職者によって書かれたものとされている。1847 年、アンドレアス・シュメラーによっ
て編纂され「カルミナ・ブラーナ」と名付けて出版された。カルミナはラテン語で詩集・歌集を意味する。
ブラーナは、発見されたボイレン村の古い時代の呼び名、ブーラの形容詞であり、「カルミナ・ブラー
ナ」はブーラの歌集、すなわちボイレンの歌集という意味である。
約 300 位の詩歌集の大部分は当時の知識階級の共通言語であるラテン語で書かれており、一部
に中世ドイツ語・古フランス語で書かれた部分もある。そのうちのいくつかは譜線を持たないネウマ譜
によって旋律が記され、当時吟遊詩人らによって歌われていたものと思われる。
この 300 位の詩のうち3分の1が真面目な歌、残りの3分の2は酒・女・博打の歌である。大別して
(ⅰ)道徳的・風刺的な詩、(ⅱ)恋愛詩、(ⅲ)酒宴の歌・遊びの歌、(ⅳ)宗教的な内容を持つ劇詩、
の四つの部分から成っている。
これらの詩を書いたのは、ゴリアールと呼ばれる中世ヨーロッパに出現した諸国遍歴の放浪学生や
若い聖職者たちであった。この時代、ヨーロッパでは寒村に人口があふれ、商業活動の勃興で都市
が栄えていくのにつれ学問的素養を身につけようとする学生の数も大きく拡大していった。学校には
多くの学生が集うようになるが、聖職者となる道は必ずしも大きく開かれておらず、その結果自ら進ん
で或いはやむを得ず学校や修道院を離れ、世俗の世界へ戻って放浪する学生たちが出現するよう
になったのである。
彼らは中世の共同社会の埒外に置かれた者で、社会の構成、既成の道徳などへの批判を展開す
る一方、飲食放蕩の狂態を各地で演じていた。
彼らは風刺と猥雑に満ちた詩歌を多く残しているが、ラテン語を自在に操れる相当な教養を持ち、
文学的知識や古典の知識を持っていたことも明らかである。春の到来を喜び、恋を謳歌する若者を
歌う詩では、ヴィーナスやバッカスなどへの言及が盛んに行われる。暗黒の中世といわれる時代にあ
って、自由奔放に歌い上げた詩はいつの世にも変わらぬ人間のたくましい命の息吹を感じさせる。
ドイツの作曲家カール・オルフ(1895~1982)は、1934 年のある日「カルミナ・ブラーナ」の本を入手
した。本を開いた途端、運命の車輪と共に描かれたフォルトゥーナ(運命の女神)の姿が目に飛びこ
み、彼は大きな衝撃を受けたという。そこには「おお、運の女神よ・・・」という言葉も添えられていた。
読み進みながら、オルフの頭には歌・踊り・合唱を用いた舞台作品のモチーフが生まれ、すぐに冒頭
の「おお、運の女神よ」の合唱のスケッチを開始し、次々と作曲を進めていった。また、テクストから 24
編の詩を選び、独自の関連を作り上げた。こうして、1曲目と終曲に「運の女神、全世界の支配者な
る」を置き、その圧倒的な運の女神の支配の中で、第1部「初春に」、第2部「酒場にて」、第3部「愛
の誘い」という3部構成の物語が展開されるという構成が確定されたのである。
名古屋市民コーラス
【第1部 初春に】
中世の人々にとって、暗く厳しく寒い冬が去り春を迎える喜びは、現代の私たちの想像を遥かに超え
た大きなものだった。牧場は緑に、森は花盛り、太陽はすべてのものを明るく照らす。恋の季節も花
開く。
【第2部 酒場にて】
いつの世も若者は悩み苦しむ。酒場ではありとあらゆる人々がありとあらゆる理由で酒を飲み騒ぐ。
【第3部 愛の誘い】
男女の恋の物語。失恋で悲しんでいた男が美しい女性を見つけ求愛する。なかなかイエスと言って
くれないがやがて二人は結ばれ高らかに歓びの歌を歌う。
運の女神の支配下で、人々は自由奔放に生き、悩み、酒を飲み、恋をする。中世の人々の根源的
な生命力は、現代の私たちが複雑な社会の中で失いつつある素直な人間的感情を呼び覚ましてく
れる。
それはオルフの独特な音楽的特徴によるものでもある。単純な和声、力強く明瞭なリズム、たたみ
かけるような繰り返し、単旋律的手法、打楽器を多用した原始的な楽器法、中世や古代の題材を用
い、オペラではないが視覚的要素を取り入れたカンタータという形式。これらには私たちが普段聞き
なれたロマン派の音楽の陶酔的なメロディー、重厚なハーモニーなどといった要素はほとんどなく、
代わりに人間の原始的な興奮を呼び起こし、めまいを覚えさせるような強いパワーに溢れている。
「器楽の伴奏を伴う舞台上演用の世俗カンタータ」という副題をもつ「カルミナ・ブラーナ」(1936 年)
は、同じスタイルの「カトゥリ・カルミナ」(1943 年)、「アフロディーテの勝利」(1952 年)と共に「トリオン
フィ(勝利)」三部作とされた。この三作はいずれも舞台での上演を意図して作られ、歌の意味をバレ
エが象徴的に表現するほか、独唱者も衣装をつけたりする。また演出によっては合唱団も衣装をつ
けて多少の演技をするなどさまざまな上演が行われているが、本日は演奏会形式での演奏で行わ
れる。
(バス 樅山 英機)