バロック協奏曲

バロック協奏曲
Concerto Barroco
アレッホ・カルペンティエール*1 訳:鼓直*2
2006 年 7 月 2 日
*1
*2
c
°Siglo
XXI Editores s.a. 1974
c
°1979
i
目次
第 I 部 バロック協奏曲
1
第1章
5
第2章
11
第3章
19
第4章
23
第5章
27
第6章
33
第7章
39
第8章
49
第 II 部
選ばれた人々
61
第1章
63
第2章
67
第3章
71
第4章
75
訳者解説
81
第I部
バロック協奏曲
3
……演奏を始めよ…
詩篇八十一
5
第1章
薄い銀のナイフ。細身の銀のフォーク。銀の底に彫りつけられた銀の樹木の茂みに、ス
テーキのたれが降りそそぐ、銀の皿。銀の柘榴の実をいただいた三個の円形の台からな
る、銀の果物皿。銀細工師が丹精こめて打った、銀の酒壺。縺れ合った藻の上に大ぶりな
銀の鯛を泳がせている、銀の魚皿。銀の塩入れ。銀の胡桃割り。イニシャルで飾られた銀
のティースプーン……。これら什器のすべてが、静かに、ゆっくりと運ばれていく。銀と
銀とが触れ合わないように気を遣いながら、木箱や籠、頑丈な錠前付きの櫃などが用意さ
れている、ひっそりとした物蔭へ運ばれていく。部屋着姿で監督している主人だけが、時
折、遠慮会釈もない放尿で銀の音をあたりに響かせる。狙いを過たず、たっぷりとほとば
しる水で叩かれる銀の便器。その底に刻まれた邪悪な銀の独眼が、たちまち、銀を映して
ついにその色に染まったかのような飛沫でふたがれる……。「置いていくものは、こっち
だ」と主人が命令する。「持っていくものは、あっちだ」この持っていくもののなかには
当然、銀の什器――小人数用の食器セット、カップの一揃い、そして言うまでもなく、銀
の独眼が刻まれた便器――が含まれている。しかし、それよりいっそう人眼を惹くのは、
絹のワイシャツ、絹のズボン、絹の靴下、中国産の絹の小物、日本産の磁器――何者かは
知る由もないが、恐らく、楽しい相手と共にする朝食に使われるのであろう――、茫々た
る西の海を渡って運ばれて来たマニラ産の被りものである。フランシスキーリョは、ぼろ
包みよろしく青い布を顔に巻いていた。痛み止めに効くという木の葉を左顎に当てがい、
それを押さえているのだ。歯痛でそこが腫れ上がっている。彼も主人をまねて――銀では
なく陶器のおまるではあったが、主人に調子を合わせて小便までした――中庭から拱廊、
ホールから大広間と歩き回りながら、教会のミサのように繰り返していた。「置いていく
ものは、こっちだ……持っていくものは、あっちだ」日が沈むころには皿類も銀器も、中
国や日本産の陶磁も、被りものや絹物もすっかり片付いて、長旅へいつでも出掛けられる
状態でゆっくり休んでいられる、詰め物のなかに納まっていた。きちんとした服に着換え
ていなければならぬ時刻だというのに、まだ部屋着とキャップ姿の主人――もっとも、今
日底もう正式の見送りの客はないはずである――は、箱と櫃、袋とスーツケースなどの蓋
や口がしっかり閉められたのを見届けると、従僕を誘って壺の葡萄酒を飲んだ。そしてそ
6
第1章
のあと、部屋のなかをぶらぶらしながら、什器は箱に詰められ家具は覆いを掛けられてし
まったが、壁や媛炉の上に残されている絵を眺め始めた。こちらには、純白の僧服に長い
数珠、身も埋まるほどの宝石に花という、主との結婚の当日の――尼僧にしては眼差が情
熱的に過ぎはしないかと思われる――姪の肖像がある。そして正面には、屋敷の主人のそ
れが四角い黒の額縁に納めて掛けられている。その署名の字体がまことに見事だ。絡まり
合い、渦を巻き、開いたかと思うとふたたび閉じるその様は、絵師が太い筆を画布から上
げずに一気に書いたとしか見えなかった。しかし、高貴な人びとを描いた絵は、舞踏会や
宴会が催される大広聞、ココアやコーンミルクのパーティが開かれる大広間のほうに置
かれていた。その絵には、たまたまコヨアカン*1 に立ち寄ったヨーロッパ生まれの画家に
よって、この国の歴史始まって以来の最大の事件が描かれている。ローマ人ともアステ
カ人ともつかず、金剛いんこの羽根飾りをいただいたカエサルといった感じのモンテス
マ*2 が、二本の矛で支えられた天蓋の下の、教会的な様式とミチョアカン*3 風の様式とが
混淆した玉座に坐っている。その横に立っているのは優柔不断なクアウテモク*4 で、瞳の
形がアーモンドにやや似た、若きテーレマコスのような表情をしている。彼の前には、ビ
ロードの被りものに腰の剣といういでたちのエルナン・コルテス*5 が、豪奢な玉座のいち
ばん下の段に傲慢にも長靴の足をかけ、いかにも芝居がかった征服者のポーズで突っ立っ
ている。その背後に控えているのはメルセード教団の僧服をまとったバルトロメ・デ・オ
ルメド師*6 で、近寄りがたい恐ろしい形相で十字架を振りかざしている。一方、サンダル
を履き、ユカタン風の服を着たドニャ・マリーナ*7 は、黙劇の仲裁役よろしく腕を広げて、
スペイン人の武将の言葉をテノチティトラン*8 の君主に通訳しているように思われた。絵
の全体が非常に暗いのは、ずいぶん昔のイタリア趣味によるものだが――もっとも近頃で
は、あの土地の建物の円天井はティーターン族よろしく崩れ落ちて、天上の光がそこに射
し込み、画家たちも明るい絵具を使い始めたとか――、背景にいくつか扉が描かれてお
り、そこに垂れた緞帳の裾がインディオたちの物珍しげな顔で持ち上げられている。いず
れダッタン国見聞記の類からの借り物に違いない歴史的な事件の場に忍び込もうと、そ
の機を窺っているのだ……。もっと向こうの、床屋風の椅子が奥にある小さな広間には、
*1
*2
*3
*4
*5
*6
*7
*8
メキシコ市の南部。一五二〇年、テノチティトラン包囲のさいに征服者エルナン・コルテスが陣を張った
場所。
アステカの皇帝、モクテスマニ世 (一四六六-一五二〇)。コルテスに降伏後、部下の反乱に遭い、負傷し
て死亡。
十二世紀までトルテカ族、以後十六世紀初めまでダラスコ族が栄えたメキシコ東部の地域。
グアティモシン。アステカの最後の皇帝 (一四九五?-一五二五)。コルテスの命によって絞首刑に処せら
れる。
スペインはエストレマドゥーラ生まれの征服者 (一四八五-一五四七)。アステカ帝国の征服で有名。
スペインの修道士 (一四八一-一五二五)。コルテスのメキシコ遠征に随行。
マリンチェ。ナウアトル族の女。コルテスの愛人となり、その子マルティンを産む。
テスココ湖中の島の一つに築かれたアステカ族の首都。
7
ビ ッ ト ラ
女絵師のロザルバ*9 の筆になる三枚の人物画があった。非常に高名なこのヴェネツィア生
まれの画家の作品は、灰色、桃色、空色、海緑色などを使った渋い色調で、手の届かぬ遠
い存在だけになおのことあでやかな女性たちの美を、謳い上げたものであった。ロザルバ
のパステル画は「ヴェネツィアの三人の美姫」と題されていたが、主人は、それを眺めな
がら心で思った。あのヴェネツィアの女どもも、もはや高嶺の花ではない。名の聞こえた
旅行者たちがその本のなかで口をきわめて褒めそやしている遊女に、間もなく見参できる
のだ。幸い、それに必要な金子には事欠かない。噂によれば大勢の男があちらで夢中に
なっているという、あの猥りがわしいく《天文ごっこ》も、やはり間もなく楽しむことが
できるだろう。この遊びは、小舟の細目に開けた日除けの奥に隠れて狭い運河を往き来し
ながら、美しい女たちを覗き見するというものである。無邪気を装っているが、女たちは
覗かれていることをちゃんと心得ていて、ずれた襟元を直すさいに時折、ちらっと――た
だし、存分に眺めて楽しむ余裕がないほどではない――その薔薇色の胸のふくらみを見せ
つけるのだ……。主人は大広間に戻って、さらにもう一杯の葡萄酒を口にふくみながら、
ホラティウスの対句に眼を走らせた。
人より聞く老カトーは常住
美酒により美徳を培ったと
扉の一つの鴨居の上にこれを刻ませたのは、実は、その多くが商人である古くからの友
人たち――公証人や度量衡検査官、ラクタンティウス*10 の翻訳者である司祭をそれに加
えることを忘れてはなるまい――に対する当て付けであった。才能や地位のより優れた
人問が他に見当たら、ないために、主人は仕方なく彼らを招いて、トランプに興じたり、
ヨーロッパから届いたばかりの酒瓶のコルクを抜かせたりしているのである。
小鳥が眠っている回廊で柔らかい足音がした。それは、夜になるとショールをはおって
訪れる女の客のものであった。女はいかにも悲しげに眼に涙さえ浮べていたが、これは芝
居、お目目当ては別れの贈物だったつ宝石をちりばめた金と銀の見事な頸飾り。宝石は見
たところ上物のようだが、明日になれば勿論、そこらの細工師のもとへ持参して、どれほ
どの値打のものか確かめなければならないだろう。女は涙とくちづけの合間に、もっとま
しな葡萄酒を出したら、と言うのを忘れなかった。いま飲んでいるこの酒壺は、確かにス
ペイン産の葡萄酒かも知れない。だが、底に澱が溜っている。酒壺を揺すらないほうがい
い。この手のものの味はようく知っている。下品で、おかしな言葉を使って悪いが、はっ
・・・
きり言ってこれは、灌腸か、あそこをを洗うのにぴったりのしろもので、主人も、召使も、
*9
*10
ロザルバ・カリエラ。イタリアの女流画家 (一六七五-一七五七)
アフリカ出身のローマの護教家 (二五〇頃-?)
8
第1章
こんな安酒をがぶ飲みとは、頓馬もいいところだ。酒の目利きが聞いて呆れる……。「ご
大家の令嬢みたいなことを言うじゃあないか! そんな御託が並べられるのも、中庭の床
を磨いたり、玉蜀黍をすり潰したり、女中だったお前に、わたしの手が付いたからこそだ。
身持が良くて心も優しい家内が、終油式を済ませ、法王様の祝福まで受けて亡くなったあ
の晩、わたしが……」
フランシスキーリョが地下室の秘蔵の樽の葡萄酒をあけて来て、舌をなごませ心を暖め
るのに十分なものを飲ませたお蔭だった。夜だけ通ってくる女は臆面もなく胸をはだけ、
足を組み、主人の手はそのペチコートのレース飾りのあいだに迷いこんで、ダンテも歌っ
セグレテ・コーザ
ている、あの 隠 し 所 のぬくもりをしきりに求め始めた。その場の雰囲気に調子を合わせ
るように従僕はパラーチョ*11 産の弦楽器、ビウェーラを取り上げて、ダビデ王の朝の歌
をうたい始めた。そしてそれが終ると、美しい不実な女について語り、捨てられた悲しみ
を訴える昼の歌に移った――深く愛した女よ、去って帰らぬ女よ、深い愛ゆえの、この胸
の切なさ、切なさよ、切なさよ……。すでに夜の女客を膝に乗せていた主人は、この古く
さい歌にうんざりして、もっと新しいものを、大枚の金を払ってレッスンを受けている学
校で覚えて来たものを、歌うように注文した。火山から切り出された石を使った広い屋敷
の、薔薇色の小さな天使たちで飾られた円天井の下に積まれている箱。銀の水差しや洗面
器、銀の拍車や飾りボタン、それに銀のロケットなどがぎっしり詰まった箱。残していく
箱と持参する箱のあいだを縫うように、実は教師から前の日に習ったものだが、いかにも
この日にふさわしいイタリア民謡を歌う召使の、海岸地方特有の奇妙な訛りのある声が流
れた。
ド レ ン テ・パ ル テ ィ ー タ
ああ、悲しき旅立ちよ。
ド レ ン テ・パ ル テ ィ ー タ
ああ、悲しき旅立ちよ……。
ところがそのとき、表門のノッカーを叩く音がした。歌う声は途中で絶たれ、主人が制
音器に置いた手でビウェーラもまた沈黙させられた。「出てみてくれ……誰も内へ入れる
なよ。見送りの挨拶とやらで、三日も前から客が押しかけている。うんざりだ……」遠
くで蝶番の軋る音がした。客のひとりが連れの者を代表して、押しかけた詫びを言った。
「お手数だが」という微かな声、「わざわざお起こしすることはない」という大きな声、そ
して異口同音に叫ぶ「今夜はこれで」という声が聞こえた。やがて召使が筒に巻いた長い
紙を持って戻ってきたが、オランダから舶載のそれには、友人やクラブの仲間から旅立つ
人になされた最後の依頼の品々――いざ出立というときに、決まって他人が思いつく土産
もの――が、読みやすい丸味のある字で書きつらねられていた。ベルガモット油、娘のた
*11
メキシコのミチョアカン州の町。楽器製作で知られている。
9
めだというがクレモナ*12 風にの螺鈿の象嵌の施されたマンドリン、ザーラ*13 産の桜桃酒
の一樽などを、度量衡検査官は注文していた。そして銀細工師のイニゴは、引き馬の額革
に着けるボローニャ風のカンテラを注文していた。おそらく、それをモデルにして、当地
の人びとを喜ばせる新しいものを造るつもりなのだろう。司祭はヴァティカンの図書館長
でカルデア生まれのアッセマニ*14 』の一部を注文していたが、それでは足りないらしく、
古銭のコレクションに加えたいのでローマの貨幣を少々――「まあいいだろう、あまり
高くなければ!」――と、出来れば、裏が緋のビロードの長いケースに入っているもので
「かならずしも純金でなくてよいが金の握りの付いた、ポーランド産の琥珀のステッキを
ねだっていた。公証人の欲しがっているものは一風変わっていた。当地には知られていな
・・・・・
い種類のトランプで、ミンキアテと呼ばれ、伝えられるとこたよれば、ミケランジェロが
子供たちに算術を教えるために考案したものだった。貨幣、棍棒、洋杯、剣の伝統的な四
種の標印の代りに、群星、月、太陽、法王、悪魔、死、被絞者、零点である愚者、勝敗を
有利に決する最後の審判の喇叭などの寓意画が、それには描かれていた。
「占いや魔法に使うやつだわ」リストを読み上げる声に耳を傾けながら腕環をはずし、
ストッキングを脱いでいた女がほのめかした。しかし、とりわけ奇妙なのが元判事の依頼
だった。彼は、骨董品の部屋に飾りたいからと言って、他でもない、イタリア産の大理石
の標本一揃いをねだっていた――出来ればの話だが薄桃色の大理石、空色の大理石、モザ
イクに似て亀裂のある大理石、シェーナ*15 産の黄色い大理石などが欲しい。ギリシアは
ペンテリカス山*16 の斑入りの大理石や古代に珍重されたヌミディア*17 の赤い大理石、そ
れに小さくてもいいから、石理に貝殻のような模様の入った月長石の欠片を忘れないでも
らいたい。親切に甘えるようで申し訳ないが、ルネサンス時代のある神殿で見かけるよう
な、濃淡の緑や雑色の蛇紋石の一片も……。主人は思わず大きな声で叫んだ。「冗談じゃ
ない! アリストパネースが昔その怪力を賞めたたえているが、エジプトの沖仲仕だっ
て、これだけの荷物は運べまい。大きなトランクを背負って歩き回るのは、わたしはご免
だ。連中が腹を立てようと立てまいと、かまわん。貴重な旅の時間を、稀覯本や青い石、
珍ちくりんな香油探しに使ってたまるか。ただ、フランシスキーリョ、お前の音楽の先生
の頼みだけは聞いてやるつもりだ。慎ましくて運ぶのも楽なものしか注文していない。ソ
ナタ、コンチェルト、シンフォニー、オラトリオ……かさばらず、しかも大いに耳を楽し
ませてくれるものばかりだ……さあ、もう一度歌ってくれ……」
*12
*13
*14
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*16
*17
イタリアのロンバルディア地方の町。著名なヴァイオリン制作者の出身地。
アドリア海北部にのぞむユーゴスラビアの港市。
ジュゼッペ・シモーネ。東方学者 (一六八七-一七六八)。
イタリアのトスカナ地方の市。
アテネとマラトーンの中間に位置するアッティカ地方の山。
古代アフリカのカルタゴとモーリタニヤに挾まれた地域。現在のアルジェリア。
10
第1章
ド レ ン テ・パ ル テ ィ ー タ
ああ、悲しき旅立ちよ。
ド レ ン テ・パ ル テ ィ ー タ
ああ、悲しき旅立ちよ……。
ア・ウン・ジーロ・デイ・ベルロッキイ・ルチェンティ
このあとにうろ覚えの、妖しく光る眼に見据えられて……という歌詞が続いたが、しか
し召使がマドリガルを歌い終えてビウェーラの頸から眼を上げたときには、その場には彼
しか居なかった。主人と夜の女客は、とっくに、高い銀の燭台に建てられた大蝋燭の光に
照らされながら、銀の額縁のなかの聖者が見守る居室に退いていたのである、銀の象嵌を
施したベッドの上で暫しの別れを惜しむために。
11
第2章
主人は、小屋のなかに積み上げられた箱のあいだを歩き回りながら――一つに腰掛けた
り、別のものを動かしたり、さらに別のものの前に立ち止まったりしながら――、無念さ
に耐えかねて、腹立ちと落胆の入りまじった取りとめのない独り言を呟いていた――富
は倖せならず、とは昔の人はよく言った。いくら金を、つまり銀を持っていたところで、
運命の神が人生の茨の道にまいた苦難をよけて通る助けには少しもならない。ベラクル
ス*1 を出立してからというもの、寓意的な絵で飾られた地図のなかの、舟人を眼の敵にす
るあの魔物たちの口で煽り立てられた風が、四方から船に襲いかかった。帆はずたずた、
船体は穴だらけ、甲板の通路はめちゃめちゃ、そんなていたらくでやっと入港してみれ
ば、ハバナは猛威を振るう悪性の熱病に見舞われて、死の町と化していた。ルクレーティ
ウスの言ったとおり、そこに「あるのは混乱と狼狽へ悲嘆に暮れた人びとは仲間を埋葬
するのが精一杯であった」学問のある旅行者は、この文句を諳じながら、それが『物の本
質について』の第四巻中のものであることを思い出した……。以上のような理由で、つま
り、傷めつけられた船を修理して、もともとベラクルスの沖仲仕の積み方が悪かった荷物
をふたたび積みなおす必要があったために、そしてとりわけ、疫病に襲われている市から
出来るだけ遠く離れた場所に停泊したほうが良かろうというわけで、彼はこのビーリャ・
デ・レグラに滞在しているのだった。マングローブに囲まれた村の惨めたらしさは彼の記
憶のなかで、あとにして来た都会の華やかさをいっそうきわ立たせた。光りかがようドー
ム、壮麗な教会のたたずまい、宏壮な屋敷。この屋敷の正面で繰り広げられるフローラ
祭、祭壇にからまる葡萄の蔓、聖櫃にちりばめられた宝石、色にぎやかな明り窓。まるで
祭壇屏に描かれた驚嘆すべきエルサレムを見るようだ。それに引き換えてここは、通りは
狭く、家並は低い。窓は頑丈な鉄の格子ではなく、白ペンキの剥げた木製のそれの奥に開
いている。上の屋根もコヨアカンの町ならば鶏舎か豚小屋の差し掛け程度のものだ。豚が
ころげ回っている泥や、荒い鼻息の聞こえる馬小屋の糞などがひどく臭うが、パン焼かま
どの奥のような猛暑のなかで、一切のものがぐったりとして動かない。毎日のこの暑さの
*1
メキシコの同名の州の港市。一五一九年、スペイン人によってアメリカ大陸に最初に築かれた都市。
12
第2章
せいで、メキシコの朝の澄んだ空気がいっそう素晴しいものとして思い出される。実は錯
覚なのだが火山がすぐ眼の前に迫っていて、その頂上は、巨大なステンドグラスの青に重
なった白の鮮やかさに見惚れる者には、徒歩でたかだか半時間の距離のところにあるとし
か思えない。それなのに、傷んだ船の客たちは箱やトランク、梱や籠を抱えて、この惨め
な土地に腰を据え、ひたすら修理の済むのを待っている。港の海面からかなりの高さのと
ころに位置している対岸の市は、はやり病いを怖れて門を閉ざした館の不吉な静寂に支配
されていて、黒白混血の女が糊の利いたレースの透かしから肌を覗かせ、激しく腰を振っ
てグァラーチャ*2 を踊っていたダンスホールも、すべて閉鎖されている。通りに面した商
家や教会関係の建物、職人の仕事場などの戸も締め切られている。その界隈には、さほ
ど取り立てて言うほどのことでもないが、人形の猫の楽隊や、調子の良いコップの合奏
隊や、フルラーナ*3 が得意の七面鳥の舞踊団などが、ちょくちょく姿を現わしていたもの
だった。よく仕込まれたものまね鳥もやって来て、はやりの歌を吹いてみせるだけでな
く、客の一人ひとりの運勢が書き込まれているお札を、嘴にくわえて差し出したものだっ
た。ところが、お喋りで見栄っぱり、しかも気楽なこの市が犯したかずかずの罪を、神も
時折は罰する必要をお感じになるのか、不意に、思わぬ時に、呪うべき熱病の瘴気が市を
襲うのだった。わけ知りの言うところによれば、それは、近くの沼地に盗れている汚物か
ディエス・イラエ
ら生じるものらしい。またもや定めの神の怒りの声が轟き渡った今も、したがって、人び
とはそれを、決まりどおりに繰り返される、避けようのない死神の車の通過の音として聞
き流しているのだった。だが具合の悪いことに、フランシスキーリョが三日三晩も悪寒に
苦しんだあげく、血を吐いてあの世に旅立ってしまった。薬局の硫黄よりも黄色い顔に変
わり果てた彼は棺桶に入れられ、墓地へ運ばれていった。しかし、市中の到るところから
送られて来るものを容れるだけの土地はそこにもない。造船所の材木ではないが、棺桶は
上へ上へと重ねていかなければならなかった。たがい違いに、或いは支え合うような形
に……。こういう次第で、主人はその召使を失ってしまった。召使を持たぬ主人こそ真の
主人であるとでも言うように。しかも、召使とメキシコ流のビウェーラを失ったために、
・・・
アメリカで一旗揚げるべく――文字どおり裸一貫で――そこを去った者の孫に当たる男が
成功し、掃いて捨てるほど金のある百万長者として帰る日を夢みた華やかな郷土入り、賑
やかな顔見せはお流れになってしまった。
ところが、ハルーコ*4 ヘ向かう馬車が毎朝出発する宿屋で、どうやら自由な身分らしい
ひとりの黒人が彼の注意を惹いた。馬櫛の扱いが巧みなその洒落者は、馬の世話が済んで
暇になると不格好なギターを弾いた。さらに興が乗れば、種馬そこのけの生臭坊主と、や
*2
キューバやプエルトリコの舞踏。
北イタリアのフリウリ地方に始まった舞踏。
*4 キューバのハパナの南東に位置する町。一八一二年の黒人の反乱で有名。
*3
13
たらに転びたがる阿呆女がどうした、こうした、というやくたいもない歌をうたった。太
鼓の伴奏入りだったが、時には二本の櫓杭を打ち合わせて、槌を振るうメキシコの銀細工
師の仕事場で聞くものとそっくり同じ音で、リフレインの拍子を取った。旅行者は一刻も
早く船の旅を続けたいという心の焦りを紛らすために、午後になると騾馬の中庭に腰を据
えて、黒人の歌を聞いた。そして考えた。黒人の従者を抱えるのが流行のようになってい
る近頃のことだから――フランスやイタリアやボヘミアの首府でも、また世間に知らぬ者
がいないが、おぞましいカを秘めた音楽のように耳から体内へ入っていく毒素を用いて、
・・・・
王妃がその夫を暗殺させる遠いデンマークでも、ムーア人たちの姿が見られるという話
だ――、この馬丁を供に連れていくのも悪くはなかろう。勿論、わきまえているとは思え
ない礼儀を少々教えた上でのことだが、と。正直者かどうか、また、信仰や素行はどうか
と宿屋の亭主に尋ねてみると、村中を探しても彼に優るものはいない、おまけに字が読
め、あまり難しいものでなければ手紙も書ける、という返事だった。楽譜を読むことが
出来る、とも教えられた。そこで早速、フィロメーノ――これが馬丁の名前である――と
話をし、彼が黒人のサルバドールの曾孫に当たることを知った。これは、おおよそ百年
ほど前に大変な手柄を立てた男で、シルベストセ・デ・バルボア*5 というこの土地の詩人
が、『忍従の鑑』と題した、見事な出来映えの長ながしい頌歌のなかで褒めたたえている
とか……。「ある日……」と若い馬丁は語った。果てしなく長いカーテンのように渚を埋
めた樹木が、海上から襲う災悪を人眼から隠してしまいがちだが、あのマンサニーリョの
港に、一隻の二本マストの帆船が錨を下ろした。その指揮を取るジルベール・ジロンとい
う男は、聖母も聖者も信じないフランス生まれの異端者で、大勢のルター派の信徒やあら
ゆる種類の山師の頭目であった。襲撃、密輸、略奪をほしいままにし、カリブ海やフロリ
ダ半島の到るところに出没して善からぬ所業を働く者のひとりだった。この冷酷無残な
ジロンが、海岸から数マイル離れたヤーラ*6 の農園に、有徳で聞こえたこの島の司教、フ
アン・デ・ラス・カベサス・アルダミラノ師が教区巡回の目的で滞留していることを知っ
たのである。ちなみに、この島はかつてはフェルナンディナと呼ばれていた……「なんの
ことはない、あの偉いドン・クリストバル・コロン提督が初めて島を見つけたとき、スペ
インを治めていた王様の名前が、フェルナンド*7 だったんですよ。なんでも昔の人の話
じゃ、この王様と女王様とは、上下なしの仲だったそうです。王様のお勤めは女王様の上
に乗っかることでしょうが、こういう閨のことになっちゃあ、どっちがどっちの上に乗る
か、結局、他人には分かりません。それできっと、あんなことを言い出したんでしょう、
*5
スペイン生まれの詩人 (一五七〇?-一六四〇?)。
キューバのオリエンテ州の町マンサニーリョの一画。一八六八年の最初の独立宣書が発せられた場所。
*7 カスティーリャ王イサベル一世とともにカトリック両王と呼ばれたアラゴン王フェルナンドニ世 (一四五
二-一五一六)。
*6
14
第2章
男が上になるか、それとも男が下になるか、こいつの決め手になるのは……」旅行者は相
手を遮って言った。
「傍道に逸れないで、まっすぐ話を進めてくれ。真実を明らかにするには、たくさんの
証拠、面倒なほどの証拠が必要だということを忘れちゃいかん」若い馬丁は、「旦那の言
うとおりだ」と答えた。そして、まるで操り人形のように腕を上げ、手を振り、小さな腕
よろしく親指や小指まで動かして物語を続けたが、その熱演ぶりは、背中に隠した人形を
取り出しては肩から吊した舞台にのせる、器用な旅芸人のそれと変らなかった (メキシコ
の市で見かける芸人のなかにも、モンテスマやエルナン・コルテスの物語を、こんな調子
でやる奴がいたな、と旅行者は思った)。話が戻って、件のユグノー教徒は、フェルナン
ディナ島の有徳の僧侶がヤーラでその夜を送ると知ると、彼を押さえて多額の身代金をせ
しめようという善からぬ魂胆で、配下の荒くれ男たちを率いて出発した。夜明けに村に着
き、住民がまだ眠っている隙に、情け容赦のあらばこそ、手荒に高僧を引っ立てた。そし
てその自由と引き換えに、二百ドゥカードの金貨、百アローバの生肉とべーコン、千頭分
の牛皮という、そこの貧しい住民にとっては過大な貢物と、さらに他に、海賊にふさわし
い悪習と獣欲とが要求するこまごました品物を差し出せと迫った。住民たちは悲嘆に暮れ
ながらも途方もない要求を満たすだけのものを集めた。お陰で司教は教区へ送り返され、
お祭のように賑やかな歓声で迎えられた。「この騒ぎの話は、いつかまた、ゆっくりやり
ましょう」と言ってから、若い馬丁は重々しい声を作り、眉間に皺を寄せて、はるかに劇
的な物語の第二部へと入っていった……。「騎士ローランの豪勇あり」と謳われる隊長、
不敵なグレゴリオ・ラモスはこの事件を知って怒り心頭に発した。フランス野郎め、いつ
まで貴様をのさばらせておくものか、悪計めぐらして易々と手に入れた獲物を、喜んでい
る暇はないぞ、と心中に期して、胸毛ざわざわ、前のものは凛々という男たちを早速狩り
集めた。そしてその先頭に立ち、海賊ジロンに闘いを挑むべくマンサニーリョに向かって
進発した。斬れ味のよい剣や矛、火縄や短銃を携えた者もなかにはいた。しかし大半は、
戦さが本業ではないから当たり前だが、殴り込みにでも行くために手当たり次第、そこら
で見つけて来たような得物を担いでいた。先を尖らせた鉄の棒を持った男の傍に、苦労し
て手に入れた銹槍を抱えている男がいた。盾がないので海牛の皮をかまえ、牛追い棒か土
掘り棒としか思えないものを下げた男がいた。その種族の巧妙な戦いぶりを披露する気で
いる、数名のインディオの召使の姿もあった。しかし、壮挙のために呼び集められた一隊
のなかでひときわ目立つ男、とりわけ人眼を惹く者がひとりいた (語り手はここで、縁の
・・・
ぼろぼろになった麦藁帽子を恭々しく取った)。この者だけは詩人シルベストレ・デ・バ
ルボアも別扱いして、やがて次のように歌うことになる。
われわれの軍勢のなかに、その動きの
15
まさに賞讃に値するエチオピア人がいた。
勇猛果敢な黒人の名は、サルバドール、
かの賢明な長老ゴロモンの血を引き、
ヤーラで畑仕事にいそしむ者のひとりであったが、
山刀と槍を身に帯びているだけの彼は、
ジロンの傲慢な姿を見るや否や、
怒れる獅子のごとく襲いかかった。
激しい闘いが長く続いた、ノルマン風の作りの鎖帷子で身を固めたルター教徒が勢い凄
まじく振るう剣に切りつけられて、黒人は次第に裸同然の姿となって行った。しかし、暴
れ馬を群から分けるさいの遣り口をまねて相手を翻弄し、苦しめ、疲れさせ、追い詰めた
後、なお余力を残したサルバドールは、
いったん退いてから、狙いすまして
相手の胸板に深ぶかと槍を突き立てた。
……………………
おお、アメリカ生まれのサルバドール、正直な黒人よ、
お前の功名は長く伝えられ、忘れられることはあるまい。
かほどの勇士を讃えるためである、
舌も筆も休むことがあってはならない。
海賊の首はその場で切り落とされ、槍の先に掲げられた。道中で迎えるすべての者に、
彼の惨めな末路を知らせるためである。しかし、やがて首は下に降ろされて、柄も隠れる
ほど咽喉に深く短剣を突き立てられ、この戦利品を土産に、一行は意気揚々と古都バヤー
モ*8 に凱旋した。黒人のサルバドールに自由を与えよ、抜群の働きからして当然である、
という声が住民のあいだから起こり、当局もそれを認めた。司教を迎えて市中は喜びに
沸き返った。老人たちは満足し、女たちは狂喜した。子供たちは喚き立てた。あまりの騒
ぎに、大勢のサチュロスやファウヌス、シルウァーヌスやセミカペル、ケンタウロスや
ナーイアス、そして「下着姿の」ハマドリュアスまでが――フィロメーノは身振りを交え
て、彼らの衣裳、角の形、性質などを説明した――祝いに招かれなかったことを恨みなが
ら、バンジローや砂糖黍の茂みの奥から様子を窺った。(レグラ生まれの黒人がはるか昔
の多神教に由来する多くの名前を口にすることには、正直、驚かずにはいられなかった
が、キューバのバンジローの林にセミカペルやケンタウロスが現われるというのは、詩人
バルボアの想像も度が過ぎている、と旅行者は思った。ところが、その血筋を誇りにして
*8
キューバのオリエンテ州の都市。一五二二年に総督ベラスケスによって建設された。
16
第2章
いる――曾祖父がこのような栄誉を授かったことを自慢に思っている――馬丁は、古代の
神話から生まれた超自然的な生き物の姿がこの島々で見られることを、少しも疑わなかっ
た。その多数の同類が今なおこの土地の森や泉、洞窟に棲んでいる。これらはかつて、名
だたる勇者サルバドールの先祖があとにして来た、今ではいずことも突き止めがたい、遠
い王国の同じような場所に棲みついていたものである。さらにこのサルパドールだが、彼
をアキレウスに擬することは出来ないだろうか、確かに、ここはトロイアではない。けれ
ども、バヤーモにも分相応のアキレウスが、コヨアカンにも有名な歴史的事件にふさわし
いアキレウスが、いてもおかしくはないのだから……)。そこまで話が進んだとき、フィ
ロメーノは懸命に、記念すべき祝いの席の賑やかな音楽を再現しようとした。忙しく声色
を使い、擬音を発した、高い声で、低い声で歌った。手拍子を取った。そこらのものを手
当たり次第に叩いた。箱や瓶、手桶や飼い葉桶を打ち鳴らした。中庭の叉木に細枝を飛ば
した。大きな声を上げ、踵を踏み鳴らした。お祭騒ぎは二日二晩も続いたが、詩人のバル
ボアはいかにも音楽好きらしく、そこで用いられた楽器の名前を挙げているという。横
笛。牧笛。百の三絃琴 (子韻に窮した三文詩人の小細工だ、と旅行者は思った。百の三絃
琴の演奏のことなど聞いたことがない。音楽を非常に愛好し、伝えられるところでは、旅
行にもかならずオルガンを持参して、休息の折に盲目のアントニオ・デ・カベソン*9 にそ
れを弾かせたというフェリーペ王*10 の宮廷でも)。小型の喇叭。アラビア太鼓。大小のタ
・・・・・・
ンバリン。大太鼓。そして、インディオがヒョウタンでこしらえる楽器、ティピナグア。
あの万人の演奏には、カスティーリャやカナリア諸島生まれの楽士、アメリカ生まれの白
人や混血児の楽士、インディオや黒人の楽士がすべて加わっていたのである。しかし旅行
者は思った。「白人も黒人も、一緒になって楽しんでいただと? それで調子が合ったら
おかしい! そんな馬鹿げた場面を見た者は恐らくいないだろう。由緒ある高尚なスペイ
ン語のメロディー、また腕の良い楽士たちの演奏の微妙な変化が、シンバルやマラカスや
大太鼓を使う黒人たちのけたたましい音楽と、うまく噛み合うはずはない!……とんでも
ない合奏になる! 大変なイカサマ師だな、バルボアという男は!」しかし同時に――そ
れまで以上に強くゴロモンの曾孫に当たるこの男ほど、死んだフランシスキーリョの衣裳
を引き継ぐのにふさわしい男はいない、という印象を抱いた。そこである朝、自分に仕え
る気はないかと持ちかけてから、よそ者の旅行者は、フィロメーノに赤い燕尾服を着せて
みた。実際に良く似合った。さらに白い髪をかぶらせてみたが、これは彼の肌の色をいっ
そう黒く感じさせた。半ズボンと明るい色の長靴下は、ほぼぴったりだった。尾錠付きの
靴は親指の骨が少々痛かったが、そのうちに馴れて……。打ち合わせておくべきことを打
*9
*10
スペインの作曲家、オルガン奏者 (一五一〇ー一五六六)。
カール五世の子で賢明王と呼ばれたスペインのフェリーペニ世 (一五二七-一五九八)。
17
ち合わせ、宿屋の亭主とも話をつけてから、主人はフェルトの帽子をかぶって、九月のあ
る日の朝、レグラの波止場へと向かった。銀色の房飾りの付いた青い布地の小さな帽子を
頭にのせて、黒人がそのあとを追った。いずれも銀の大小のカップを含む朝食用の食器。
同じく銀の洗面器、便器、灌腸器。書き物の道具と剃刀のケース。聖母像を納めたロケッ
トと、陸路や海上の旅人を守護する聖クリストフォロス像を納めたロケット。そうした品
物が入った箱のさらにあとに、フィロメーノの大太鼓やギターの箱が奴隷に担がれて続い
た。召使はエナメルの三角帽子の下から覗いている顔をしかめ、土地の言葉で口汚く罵り
ながら奴隷たちをせき立てた。
19
第3章
コルメナル・デ・オレハ*1 とビリャマンリケ・デル・タホ*2 に挾まれた村の出で、遠く
離れた在所を口をきわめて賞めそやしていた者たちの孫である主人は、マドリードがこん
な風だとは想像もしていなかった。メキシコの銀と石造りの建物のなかで育った彼の眼に
は、ここはいかにも陰気で、貧相で、栄えなかった。大広場を除くと、どこもかしこも狭
苦しくて、不潔で、生気がなかった。あちらの街路の広さや美しさをつい思い出してしま
う。化粧タイルを張った玄関。天使の翼で支えられたバルコニー。それらを取り囲むかた
ちの、石の果実がこぼれそうな豊饒の角と、上質の絵具を用いたデザインのなかで宝石の
ような見事さを誇示している、葡萄蔓や蔦かずらのからんだ文字。ところが当地の旅館は
汚くて、古い油の臭いが部屋のなかまで入り込んで来る。多くの宿屋は、役者たちが中
庭で演じる騒ぎで、ゆっくり休息も取れない。連中は前口上をがなり立てるかと思えば、
ローマの皇帝よろしく絶叫する。敷布とカーテンの寛衣を道化やビスカヤ人の服装に換え
て、幕間狂言を演じる。これには音楽が付きものだが、物珍しいので黒人は大喜びでも、
主人のほうは、その調子っぱずれな節が不愉快で仕方がない。料理がまた話にならない。
相も変らぬミートボールや鱈料理を見るたびに、旅行者はメキシコの魚料理の美味を懐し
んだ。ココアの香りがし、たっぷり使った胡椒がひりひりする、黒っぽいソースのかかっ
た七面鳥の豪華を思い出した。毎日出されるアカザ、まずい隠元豆、キャベツなどを眼の
前にして、黒人は、首が太くて果肉の軟らかいローレル梨や、故郷では酢とパセリとニン
ニクを振りかけて食卓に供されるマランガ芋の味の良さを口にした。これには蟹が添えら
れるのが決まりだが、その朽葉色の肉はこちらのサーロインよりもはるかに締まってい
る。昼間、二人は旨い酒の飲める酒場を、とくに本屋を探して歩いた。主人はここで、表
紙の美しい古書、ただ書斎を飾るだけの神学書を手当たり次第に買い込んだ。そしてある
晩、二人は女を漁りに娼家へ出掛けた。出迎えた店のおかみは鼻が低くて、眇で、兎口で、
あばただらけで、おまけに甲状腺腫でも患っているように頸の太い、肥満した女であっ
た。床すれすれのところにお尻があって、巨体を持てあます侏儒、とでも言った感じがし
*1
*2
スペインのマドリード県の町。
スペインのシウダ・レアル県の町。
20
第3章
た。盲人たちの楽隊がラガルテーラ*3 風のメニュエットの演奏を始め、各自の名前を呼ば
れて、羊飼いのなりをしたフィリスやクロリス、ルシンダが現われた。そのあとからさら
にイシドラにカタラーナという女が現われたが、この両名は、パンにオリーブ油に玉ネギ
という夜食を大あわてで掻き込んで来たらしく、咽喉につかえた最後の一口を下へさげる
ために、バルデペーニャ*4 産の葡萄酒の皮袋を互いに遣ったり取ったりしていた、その夜
は、みんな大いに飲んだ。主人は山師として渡り歩いたテキサスの話をし、黒人のフィロ
メーノは、炬火のような眼と剣のような歯をした蛇がリフレインに繰り返し出てくる歌を
自分でうたって、おくに振りのダンスを披露した。この他国者たちを存分に楽しませるた
めに店は締め切られ、二人が宿に戻ったときはすでにお午を回っていた。勿論、昼食は娼
婦たちを相手に楽しく済ませていた。しかし、フィロメーノが初めて味わった白い肌の饗
宴を思い出して舌なめずりしていたのにたいして、主人のほうは、銀の縫取りの帽子とい
う粋な姿がすでに評判になっていて、表へ出るや否や大勢の乞食に追い回される始末、人
びとの褒めそやすこの都会の惨めたらしさを、絶えず毒づいた。実際、大西洋の向こうに
あるものに比べると、まことに貧相なものだ。金も力もある彼ほどの色男が、寝室のカー
テンを開いて迎えてくれる高貴な婦人に行き当たらぬばっかりに、娼婦を相手に気を晴ら
さなければならない。当地で立つ市は、コヨアカンのそれほど華やかでも賑やかでもな
い。商店の品物の数が少なく、職人の姿もごく僅かである。何軒かの店で売っている家具
も、良質の材木と型打ちした皮革が使われているにもかかわらず、流行遅れとは言わぬ
が、野暮で貧弱である。葦投げの競技にしても騎手に大胆さが不足していて面白くない。
試合開始のパレードのさい、乗り馬をきちんと側対歩に保とうとしない。貴賓席の桟敷に
向かって全速力で駿馬を飛ばし、あわや衡突というその瞬間にぴたっと停める技の心得が
ない。街の小屋で行われている秘蹟劇だが、さびれ切っていて、登場する悪魔の角はぐ
にゃり、ピラトの声はしゃがれ、聖者の後光は鼠に齧られたままである。日はいたずらに
過ぎ、主人は有りあまるほどの金を懐中にしながら退屈を持てあまし始めた。ある朝、つ
いに耐え切れなくなり、マドリード滞留の日程を縮めて早々にイタリアヘ旅立つ決心をし
た、あそこでは謝肉祭が早ばやと降誕祭のころから始まり、ヨーロッパじゅうの人びとを
集めるという話だ。フィロメーノは、巨体を持てあます侏儒の店の、鏡をめぐらしたベッ
ドの上で狂態を繰り広げるフィリスやルシングにうつつを抜かしていたので、出立を告げ
られたとたんに仏頂面になった。しかし、当地のこの手合いは、法王様の知ろしめす市で
出合う女に比べれば物の数ではないと、さんざん主人に言いさとされて、やっとその気に
なり、箱の蓋を閉めて、買ったばかりの御者用のマントを肩にはおった。海へ向かって下
*3
*4
スペインのトレード県の村。
スペインのシウダ・レアル県の町。
21
る旅の途中、仮寝の夢を結んだタランコン*5 やミングラニーリャ*6 の白壁の――その白さ
が日増しに強烈なものになる――宿屋で、メキシコ生まれの旅行者は召使を喜ばせるため
に、この地方一帯を遍歴し、あるとき、
「あそこに見えるあれと同じ」風車を巨人と思い込
んだ、気の触れた郷士の物語をして聞かせた。するとフィロメーノは、あの風車が巨人に
見えるわけがない、本物の巨人にお目に掛かりたければ、アフリカヘ行くがいい、稲妻や
地震も思いのままになるほど大きくて腕っぷしの強いのがいて、と答えた。やがてクエン
カ*7 に着いたが、主人は、丘の上を大通りが走っているこの町もグアナファート*8 には及
ぱない、あそこにも同じような通りがあるが、その行き止まりは堂々たる教会の建物だ、
と思った。バレンシアは彼の気に入った。コーンミルクや唐辛子ソースの煮込みで知られ
た郷里の「明後日できることは、明日するな」という諺を思い出させられたが、時計の針
のことなどいっこうに気にしない生活のリズムを、その町でふたたび見出したからだっ
た。ともあれ、つねに海の見える街道を旅し続けて、やがて二人はバルセローナに辿り
着いた。数知れぬチャルメラや太鼓の音、賑やかな鈴の音、町から出ていく飛脚の「どい
た、どいた!」という声などが、耳に快かった。岸に船が繋がれていたが、それらはいず
れも天幕を畳んで、風にはためき波を掃く無数の長旗や三角旗を掲げていた。明るい海。
陽気な陸の上。澄んだ空気。そうしたものが、否応なしにすべての人の心に喜びを吹き込
み、それを掻き立てているかのように思われた。「まるで蟻だ」と明日はイタリアヘ向け
て出港する船の甲板から波止場を眺めながら、主人は言った。「造れと言えば、天まで届
くような、高い建物だって造るだろうな」だが、その傍に控えたフィロメーノは、漁師や
船乗りを守護されるという黒顔の聖母に、海路つつがなくローマの港に辿り着けるように
と、そればかり祈っていた。彼の想像によれば、ローマも大きな都市だから広い海の岸に
あり、暴風雨から身を守る岩礁で取り巻かれているはずだった。ハバナのサン・フランシ
スコ教会やエスピリトゥ・サント教会の場合がそうだが、ほぼ十年ごとに、聖ピエトロの
鐘も風で飛ばされているはずだった。
*5
スペインのクエンカ県の町。
スペインのクエンカ県の町。
*7 スペイン中部の同名の県の首府。
*8 メキシコ中部の同名の州の首府。金銀その他の鉱山で有名。
*6
23
第4章
比較的穏やかな冬だというのに、灰色の海と暗い空。墨色の雲。それに染まったとしか
思えない、穏やかでゆったりとした、大きな波のうねり。白い波頭も立てず、ゆったりと
うねる波。開いて遠のくかと思えば寄り合い、岸から岸へと行き返るうねり。教会や館の
輪郭をぼやけさせている、ひどく色槌せた水彩画のようなぼかし。石段や船着き場の上で
海藻のとりどりの色をなぞっている湿気。あちこちの広場で雨に濡れたように光っている
石畳み。小さな波が音もなく寄せる岸壁の、到るところに見られる不鮮明なしみ。穏やか
な運河に架かる橋の下で見え隠れするもの。黄色っぽい灯火。陰気な徽の臭い。あっさり
したスケッチ風の色彩。濃淡さまざまな灰色。乳白色。夕景めいた色彩。かすれた朱墨。
青いパステルで描いた煙。こうしたもののなかで、馬鹿騒ぎが、主顕節の盛大なお祝いが
始まった。オレシジの黄、蜜柑の蹟、カナリアの黄。雨蛙の緑。石榴石の赤、駒鳥の赤、
陶器の筺の赤。藍色とサフラン色の一抹模様の服、髭と花形の帽章。カルメラ色の縞木綿
と床屋の棒。二角帽子と羽毛飾り。編子とリボンの群集のなかに立ちまじる絹の玉虫色。
トルコ人と道化師。シンバルとガラガラ、大太鼓とタンパリン、そしてコルネットの音
楽。この音のあまりの凄まじさに町じゅうの鳩がいっせいに舞い上がり、暫くは空も暗く
なるほどだったが、そのまま遠い河岸へと飛び去った。突然、幟や旗の交響の仲間入りを
するように、乗組員たちのすべてが仮装した戦艦、フリゲート艦、ガレー船、物売りの小
舟、漁船などのランタンやカンテラに火が入った。そして同時に、ちぐはぐな厚板や樽板
で到るところ修理され、ひどく傷んではいるが、それでもまだまだ豪華で誇り高いヴェネ
ツィア総督の最後の座乗船が、まるで水上に浮かぶパーゴラのような姿を現わした。特別
の祭日だというので、旋回花火と彗星花火を加えた仕掛けから、花火とともにロケット、
ベンガル花火を打ち上げるために、小屋から引き出されたのだ……。それを合図に、人び
とは顔を変えた。似たりよったりの白い仮面が、エナメルの帽子とケープのカラーとのあ
いだに挾まれたお歴々の顔を石化させた、黒っぽいビロードの仮面が、襟を立てている脚
のきれいな女性たちの、ただ唇と歯だけが表情ゆたかな顔を見えなくしてしまった。一般
の庶民だが、船乗りも、野菜売りやドーナッツ売りや魚売りも、刀工や舟大工も、船頭や
御者も、みんな姿を変えた。蒙古人の仮面。死者の仮面。鹿王の仮面。或いは赤鼻や、ベ
24
第4章
ルベル族めいた口髭や、カルト派の僧侶のような顎髪や、山羊の角などが目立った別の仮
面。それらの仮面の極彩色の厚紙の下に、なめらかな肌や搬寄った肌は、女に蕩された男
の悲しい顔や女蕩しのはやる心は、尻撫でまわす男の淫欲は隠されてしまう。清楚な貴婦
人が作り声で、何ケ月ものあいだその胸にしまい込んでいた下品で狼らな言葉を吐き散ら
す。神話風の服装をしたりスペイン風のスカートをはいたりしているホモの男が黄色い声
で誘いをかけ、それに乗る者が時に現われる。みんなが喋り、叫び、歌う。何事かを触れ
まわり、嘲り、ののしり合う。巧みに話を持ちかけ、言い寄り、ほのめかす。彼らのもの
ではない声遣い。そして彼らを取り巻いている操り人形の舞台。道化役者の戯台、占星術
師の机、或いは媚薬の草や、腹痛止めの妙薬や、老人向きの回春剤などを売る男の見本箱。
これから四十日間は、どの店も真夜中まで開いている。昼間は勿論、夜もその扉を下ろさ
ない店がたくさんある。手回しオルガンの猿は踊り続けるだろう。芸を仕込まれたオース
トラリア産のおうむは、精巧な細工のブランコを揺すり続けるだろう。綱渡り師は針金を
たよりに広場を渡り続けるだろう。易者や賭博師、乞食や淫売は、めいめいの仕事に励み
続けるだろう。ただ淫売だけがこの時期も仮面を着けず、素顔をそのまま人眼にさらす。
いちように身分や年齢を偽り、心や姿を変えていながら、みんなが取引きに臨んで、近く
の宿に連れ込む相手み正体を確かめたがるためだ。市中の大小の運河の水面は灯火にあか
あかと映えて、沈んだカンテラの光がその底で瞬いているかとさえ思われる。
押し合いへし合いの雑踏、右往左往する群集、胸の悪くなる色彩の氾濫などから逃がれ
ボッテゲ・ディ・カフェ
るために、モンテスマの扮装をした主人はヴィクトリア・アルドゥイノの 珈 琲 の 店 に
入っていった。それを着ける者になかば彫像めいた表情を与える無数の仮面のなかでは自
分の生まれながらの顔もお面としか見えないことを考えて、仮装の必要を認めなかった黒
人もそのあとにしたがった。店の奥のテーブルの一つにはすでに、極上の服地で仕立てら
れた僧服をまとい、生まれ付きなのだが鬘のそれと見まがう縮れ毛のあいだから、大きな
鉤鼻がぬうっと突き出た《赤毛の法師》が坐っていた。「こんなご面相で生まれたお陰だ
な。仮面を買わずに済む」と言って笑い、アステカの皇帝が身に着けた南京玉をいじりな
がら、《赤毛の法師》は訊ねた。「インカかね?」「いや、メキシコだ」主人はそう答えて
から、長ながと説明を始めた。すでにかなり酒が入った僧侶は、巨大な黄金虫を身に着け
た王――緑色で、うろこを重ねたようで、よく光る語り手の胸飾りは、事実、黄金虫を思
わせた――の物語をじっと聞いた。よくよく考えればさほど遠い昔のことではない、ひと
りの王がいて、火山と神殿、湖とピラミッドに囲まれながら暮らしていた。広大なその王
国は、しかし、一握りのスペイン人によって奪われてしまった。あるインディオの女が侵
略者たちの隊長に恋をし、彼を援けたためである……。「いける! オペラにもってこい
マキナ
の話だ……」僧侶は眩きながら早速、落とし、吊るし、回りなどの仕掛けのある舞台のこ
25
とを考えた。この種の舞台ならば、山から立ちのぼる噴煙や妖怪の出現、地震による建物
の崩壊などもいい見せ場になるに違いない。ここの道具方は腕のいいのが揃っていて、あ
らゆる自然の驚異を模倣する術を心得ている。ごく最近、ある大がかりな奇術の舞台を見
たが、生きた巨象に空中を遊泳させることさえ出来るのだ……。眼の前の相手がなおもテ
ウル族*1 の呪法、生身の人間の供犠、陰気な夜の合唱について語っているところへ、僧侶
の友人である機知に富んだサクソン人が、普段のままのなりで現われた。彼の後ろに一人
の若者がついていたが、ガスパリー二の弟子だというこのナポリ生まれの男は、ひどい汗
だとこぼしながら仮面をとって、いつも陽気に笑っている顔をむき出しにし、フィロメー
ノの真っ黒なご面相を眺めながら言った。「よう、ユグルタ*2 ……」しかし、サクソン人は
いかにも不機嫌であった。怒りのために――勿論、それだけではなく、飲み過ぎた酒のせ
いもあって――顔を真っ赤にしていた。鈴を体じゅうにぶら下げた妙な男に靴下に小便を
ひっかけられた上、まんまと逃げられてしまった。しかも横面へ飛んでかわされた手がホ
モの男の尻に当たり、気があると勘違いした相手が頬を寄せて来たのだ。「まあまあ落着
いて」と《赤毛の法師》が言った。「わたしの聞いた話では、今晩の『アグリッピナ』は
大層受けたそうだが……」コーヒーのなかにブランデーを一杯入れながら、ナポリ生まれ
の若者が答えた。「大成功です! グリマニ劇場は大入り満員でした」終った後の拍手喝
采を思い合わせると、確かに大成功だったが、しかしサクソン人は、どうにもこの土地の
観客には馴染めなかった。「ここの人間は、まことに不真面目だ」ソプラノの女性歌手や
カストラート
去勢歌手が歌っているあいだも、観客たちはやたらと動き回り、オレンジを貧り、嗅ぎタ
バコを用いてくしゃみを連発し、冷たいものを飲み、酒瓶のコルクを抜いた。或いは悲劇
も最高潮というところで、トランプを始めた。しかし、これなどはまだましなほうで、な
かには桟敷席で――柔らかなクッションが余分に積まれた桟敷席で――抱き合う者さえい
る。ある晩などは、ネロの悲愴なレシタティヴのさなかに、踝まで靴下のずり下がった女
の脚が手摺りの赤いビロードの上に現われ、脱げた片方の靴が平土間の真ん中へ落ちると
いう騒ぎがあった。観客たちは大喜び、とたんに舞台の上のことは忘れてしまった……。
思い出してナポリ生まれの男はげらげら笑ったが、ゲオルク・フリードリッヒはそれを
無視して、まるでミサに列しているような態度で音楽を聴き、アリアの崇高さに感動し、
フーガの見事な展開を確かな理解力によって鑑賞することの出来る、母国の人びとを賞讃
し始めた……。軽口や噂話のなかで愉快な時間が過ぎていった。誰彼なしに味噌くそに
ビ ッ ト ラ
やっつけた。女絵師のロザルバ――「昨夜、わたしは彼女と寝た」とモンテスマは言った
・・・・
――の知合いのひとりの娼婦が、懐が暖かいあるフランスの判事をさんざんむしって、そ
*1
*2
メキシコのインディオが超自然的なカを持つと考えたスペインの征服者たちに与えた名前。
ヌミディアの王 (前一六〇-前一〇四)。
26
第4章
のまま追っぽり出したという話も披露された。そして話の合間に、染めた藁でくるまれた
胴の太い瓶がすでに何本もテーブルの上を渡っていった。その中身は薄い赤で、唇に紫色
の滓が残るようなことはない。口当たりが実に良くて、たちまち五臓六腑にしみ渡り、頭
にのぼって浮かれた気分にしてくれる。「この葡萄酒は、デンマークの国王も飲んでおら
れる。国王はオレンボルグ伯爵を名乗って、お忍びでこの馬鹿騒ぎを楽しんでおられるそ
うだ」と《赤毛の法師》が言った。
「いや、デンマークに王様がいるはずはない」と、かな
り酔いの回り姶めていたモンテスマが応じた。「王様がいるはずがない、あのデンマーク
に。あそこは腐敗しきっていて、王様たちは耳に毒を注がれて死に、王子たちは、のべつ
お城に現われる亡霊に悩まされて気が触れ、万霊節の日のメキシコの子供たちのように、
しゃりこうべを玩具にしているそうだ」……およそつまらない話題へと会話は移っていっ
たが、広場の騒々しい物音のために大声で喋らねばならず、これにはうんざりさせられ
た。白や緑、黒や黄の仮面がひっきりなしに傍を通り、お蔭で気が散った。そこで身軽な
僧侶と赤ら顔のサクソン人、そして陽気なナポリ生まれの若者は、このお祭騒ぎから離れ
て、どこか音楽を楽しめそうな場所へ移る相談を始めた。やがて彼らは一列になり、モン
テスマの前の頑丈なドイツ人を波除けか舳先のように押し立てながら、波打つ雑踏のなか
を進んでいった。時折足を止めたが、それはもっぱら、カルト派の僧侶たちの手になるリ
キュールを詰めた瓶を、お互いに遣ったり取ったりするためであった。酒瓶を持たされて
いるフィロメーノは、それを首からぶら下げるのに繻子のリボンを使っていた。このリボ
ンは実は、すれ違いざま魚屋のおかみの体からむしり取ったもので、かんかんになった女
コリョーネ
が彼に浴びせた悪口雑言の、いや凄まじかったこと、間抜け、売女の小せがれ、といった
言葉も、まだまだお上品な部類に属していた。
27
第5章
受付の尼僧は疑い深げな表情で格子の外を覗いたが、赤毛の男の顔をそこに認めると、
とたんに喜色満面、
「おやまあ! ほんとうによく来て下さいました、マエストロ!」耳触
りな音とともに潜り戸が開き、一行の五人はピエタ救貧院のなかへ通された。救貧院の内
部は薄暗かったが、気まぐれな風に運ばれて来るのか、その長い回廊で時折、遠いお祭騒
ぎの物音が反響していた。「ほんとうによく来て下さいました!」と、尼僧は広い音楽の
間の灯をともしながら繰り返した。大理石、玉縁、花冠。多数の椅子、鍛帳、金具、絨綴。
聖書に題材を求めた絵。それらのものを備えた音楽の間は、その雰囲気に同時に僧院的な
ものと俗界的なもの、華やかなところと神秘なところがあって、舞台の取り払われた劇場
か、祭壇の数の慎ましい教会を思わせた。円天井が盛す上がっている暗い奥のほうで、蝋
燭とランプが、妙なる音の細いパイプをしたがえた高いオルガンのパイプの反射を、遠く
まで送っていた。楽しみを求めて女と酒のあるところへ行かずに、こんな場所に何をしに
来たのだろう? モンテスマとフィロメーノが訝しんでいたときである。二つ、五つ、い
や十、二十の人影が右手の闇のなかから、また左手の暗がりのなかから現われて、白の美
しい木綿のスモック、ガウン、耳飾り、レース編みのキャップという姿でアントニオ師の
僧服を取り巻いた。人影はなおも後から後から現われた。入って来たばかりのときはまだ
眠気が残っていて、もそもそしていたが、すぐに陽気なお喋りを始めた。夜の訪問者たち
の回りをうろうろして、モンテスマの頸飾りを手に取って重さを計った。とくに黒人をじ
ろじろ眺めてその頬をつねり、仮面でないことを確かめた。人影はなおも後から後から現
われた。髪に振った香水、胸元に挿した花、縫取りされた上履き。やがて広間は若々しい
顔――ようやく出会えた仮面を被っていない顔!――で濫れた。喜びに輝く笑顔は、葡萄
酒の赤を水で割ったサングリアや蜂蜜をやはり水で溶いたアグアミエルの壺、スペイン産
の葡萄酒、木苺や李のリキュールなどが食料部屋から運び込まれ出すと、なおいっそう明
るくなった。マエストロ――娘たちはみんな、彼をそう呼んだ――は一人ひとりの紹介を
始めた。ヴィオリーノのピエリーナ……コルネットのカタリーナ……ヴィオラのベッティ
ナ……オルガンのビアンカ・マリア……アルパ・ドッピアのマルゲリーター……キタロー
ネのジュゼッピーナ……フラウティーノのクラウディア……トロンバのルチェータ……。
28
第5章
何しろ七十人もいる上に、酒が入っているせいでマエストロ・アントニオも少しずつ怪し
くなり、孤児の娘たちの名前は、各自が受け持っている楽器のそれにまでつづめられた、
若い娘たちはただ音のなかに生きていて、それ以外の個性など持ち合わせていないかのよ
うに、マエストロは指差しながら呼んだ。クラヴィチェンバロ……ヴィオラ・ダ・ブラッ
ツォ……クラリーノ……オーボエ:…バッソ・ディ・ガンバ……フラウトサンtねオルガ
ノ・ディ・レー二ョ……レガーレ……ヴィオリーノ・ア・ラ・フランチェーゼ……トロン
バ・マリーナ……トロンボーネ……。譜面台が置かれ、サクソン人はオルガンの鍵盤の前
にどっしりと腰を下ろし、ナポリ生まれの男はクラヴィチェンバロの音を試した。マエス
ポディウム
トロは指揮台に昇った。ヴァイオリンをつかみ、弓を振り上げ、二つの力強い動作ととも
に、この世の者が聞いた最も素晴しいコンチェルト・グロッソ――それを記憶している者
はいないが、まことの聞きもの、見ものであっただけに残念である――の演奏を開始し
た。何度もリハーサルをやって譜面を暗記している七十人の娘の熱狂的なアレグロが始ま
り、アントニオ・ヴィヴァルディは驚くべき力強さで合奏し、独奏した。一方、ドメニコ・
スカルラッティ――ナポリの男というのは、実は彼であった――はクラヴィチェンバロを
目まぐるしいほどの勢いで弾いた。ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルは、通奏低音の
あらゆる規則を無視した、目くらむような変奏に熱中した。「しようがないサクソン野郎
だ!」とアントニオが叫び、「まあ見ておれ、この助平坊主!」と、驚くべき独創性に自
ら酔いながら相手が応じた。アントニオは、激しく動いてアルペジオを奏でるドメニコの
手から眼を離さず、ジプシーの威勢の良さで空中から取り出してみせるように、高い位置
から弓を引き下ろし、弦をこすった。女弟子たちが良く心得ている見事な技巧を駆使しな
がら、オクターヴや二重カノンのなかでじゃれ回った、こうして、テンポがいちだんと速
まったとき、ゲオルク・フリードリッヒはにわかにオルガンの大きな音栓から足を放して、
フル・ストップ、ミューティション・ストップ、フル・オーガンを用いた。クラリーノや
トランペットやボンバルダもカいっぱい演奏され、ためにその場に最後の審判の呼び出し
が響き渡った。
「みんな、サクソン人に食われてしまうぞ!」とアントニオは叫び、フォル
ティシモをさらに強めた。「わたしのも、これでは聞こえない!」とドメニコも叫び、音
をいっそう大きくした。しかし、その間にフィロメーノは調理場へ駆け込み、あらゆる大
きさの銅鍋を持ち出して来て、スプーンや穴あきしゃもじ、泡立てや麺棒、薪の燃えさし
や羽根ぼうきの柄などでそれを叩き始めた。ところがそのリズム、シンコペーション、ア
クセントの素晴しいこと、三十二小節ものあいだ、みんなは彼ひとりにアドリブさせる結
果になった。「いや見事、見事だ!」とゲオルク・フリードリッヒは叫んだ。「いや見事、
見事!」とドメニコも叫び、興奮のあまりクラヴィチェンバロの鍵盤を肘でがたがた鳴ら
した。二十八小節。二十九小節。三十小節。三十一小節。三十二小節。「それ!」とアン
29
トニオ・ヴィヴァルディが叫んだのを合図に、一同は凄まじい勢いでダ・カーポの指示ど
おりに始めた。ヴィオリーノ、オーボエ、トロンボン、オルガノ・ディ・レー二ョ、
・ヴィ
オラ・ダ・ガンバなどからその魂を引き出した。広間いっぱいに音が反響し、高いところ
にあるガラスは天上の異変に怯えたかのように震えた。
最後のコード。アントニオは弓を投げ出した。ドメニコは鍵盤の蓋を閉めた。その広い
額には小さすぎるレースのハンカチをポケットから取り出して、サクソン人は汗を拭い
た。救貧院の生徒たちが笑いころげているあいだに、モンテスマは壺や瓶の中身を忙しく
移し換え、すべてを少しずつ混ぜ合わせて作った飲物のグラスを回した……。みんながい
い気分になったころ、フィロメーノは、位置が変った枝付き燭台によって不意に照らし出
された、一枚の絵に気づいた。そこには蛇に誘惑されるイヴが描かれていた。しかし、そ
の画面を支配しているのは、痩せて肌の黄色っぽい――悪しき肉欲をまだ知らない時代に
は存在しなかった余計な羞恥心から、長い髪で体を蔽った――イヴではなくて、樹の幹を
三回り巻いた、緑色の縞がある巨大な蛇であった。その大きな眼は邪意に満ちあふれてい
て、腹を裂かれる苦痛の源となるものを受けるのを踏躇している――彼女の同意がわれわ
れにもたらしたものを考えれば、納得がいくが――犠牲者にではなく、その絵を眺める者
に林檎を与えようとしているかのようであった。フィロメーノは、蛇が額縁の外へ這い出
して来るのを恐れるように、ゆっくりと絵に近づいた。そして、耳障りな音を立てるお盆
を叩きながら、また異様な儀式を執り行おうとでもするように、その場に居合わせる者の
顔を見つめながら歌い始めた。
――マミータ、マミータ、
ベン、ベン、ベン。
助けて、蛇に呑まれちゃう。
ベン、ベン、ベン。
――あの眼を見てよ。
まるで火みたい。
あの歯を見てよ、
まるで串みたい。
――嘘だよ、お前、
ベン、ベン、ベン。
風で覚えた遊びだよ、
ベン、・ベン、ベン。
30
第5章
大きな包丁で絵の中の蛇を仕止めるしぐさをしながら、彼は叫んだ。
――蛇は死んだよ、
力=ラ=バ=ソン、
ソン=ソン。
力=ラ=バ=ソン、
ソン=ソン。
「カバラ=スム=スム=スム」僧職にある身の習慣で、思いもよらぬ讃美歌のラテン語
の屈折をリフレインに与えながら、アントニオ・ヴィヴァルディが唱和した。「カバラ=
スム=スム=スム」とドメニコ・スカルラッティも唱和した。「カバラ=スム=スム=ス
ム」とゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルも唱和した。救貧院の七十の声が笑いと拍手
のなかで、カバラ=スム=スム=スム、と繰り返した。そして一同は、今度は乳鉢の捧で
お盆を叩き始めた黒人の後ろに一列に並んだ。前の者の腰をかかえ、尻を振り立てながら
進んだ。思いもよらぬこ目の奇妙な行列を先導することになったモンテスマは、百万遍も
繰り返されるあの文句に合わせて、ほうきの柄の先の大きなカンテラを振った。カバラ=
スム=スム=スム。互いの後ろについて踊りながら、蛇のようにくねりながら、一同は広
間のなかを何度もぐるぐる回った。やがて礼拝堂へ移って合唱の間を三度回り、そのあ
と、歩廊や廊下を通り、階段を登ったり降りたりしながら回廊を抜けた。しまいには門番
の尼僧や受付の尼僧、料理女や皿洗いまでがベッドから起き出して一同に加わり、暫くす
るうちに、会計係、菜園係、庭師、鐘つき番、船頭などもその後ろについた。また、歌う
ことだけは達者な屋根裏の白痴の女までが仲間に加わった。いわば音曲に棒げられたこの
館では、二日前にも、オランダ国王を迎えて盛大かつ神聖な演奏会が行われ……。「カ=
ラ=バ=ソン=ソン=ソン」いっそう調子をつけてフィロメーノは歌った。「カバラ=ス
ム=スム=スム」とヴェネツィアの男、サクソン人、ナポリ生まれの男が応じた。「カバ
ラ=スム=スム=スム」と他の者も繰り返したが、さんざん回ったり、登ったり、降りた
り、入ったり、出たりして疲れ切った一同は、やがて演奏席まで引き返して、真紅の絨織
の上に置かれたグラスや酒瓶の回りに腰を下ろした。扇子を使ってゆっくり休息した後、
有りふれた曲だがドメニコがクラヴィチェンバロで弾き、効果的なモルデントやトレモロ
で飾るはやり歌に乗って、これもはやりのダンスが始まった。アントニオは踊れず、他の
連中は安楽椅子に深ぶかと腰かけていて男の数が不足なので、オーボエはトロンバ、クラ
リーノはレガーレ、コルネットはヴィオラ、フラウティーノはキタローネと組んだ。ま
た、ヴィオリトノ・ピッコロ・アラ・フランチェーゼはトロンボンと四人ずつ組んだ。「あ
31
らゆる楽器がここに集まっている」とゲオルク・フリードリッヒが言った。「まさに幻想
交響曲だ」しかし、フィロメーノは今では鍵盤の傍に立って、共鳴箱の上にグラスを置き、
ダンスに合わせて下ろし金を鍵で引っ掻いていた。「いまいましい黒んぼめ!」とナポリ
生まれの男は叫んだ。「わたしが拍子を取ろうとすると、奴が自分の拍子を押しつけて来
る。しまいには、人食い土人の音楽を弾かされるぞ、この調子では」ドメニコは鍵盤を叩
くのをやめた。最後の一杯を咽喉の奥に流し込んでがら、アルパ・ドッピアのマルゲリー
タの腰を抱いて、迷宮のように独房の連なるピエタ救貧院の奥へと消えた……。しかし、
大窓の外の空はすでに白み始めていた。白い人影もようやく落着いた。普段の仕事に戻る
のが億劫なのだろう、気のない手付きで楽器をケースや戸棚のなかにしまった。急に酔い
が醒めて朝課の鐘を鳴らし始めた鐘つき番に見送られて、陽気な夜は立ち去った。白い人
影は、芝居のなかの亡霊のように、左右のドアから消えていった。受付の尼僧が、ロール
ケーキ、チーズ、クロワサン、ロールパン、マルメロの砂糖煮、つやつやした栗、ピンク
色の仔豚のような形をしたアーモンド入りのパンなどで溢れ、その上にロマー二ア*1 がい
くつか覗いている、二つの籠を持って現われた。「途中で召し上がって下さい」
「この舟に
積みましょう」と船頭が言った。「眠くて仕方がない」とモンテスマが言い、
「わたしは腹
が減った」とサクソン人は応じた。「しかし、同じ食事をするなら、静かな場所がいい。
樹があって、鳥がいて……。ただし、ロザルバの使うモデルよりも胸の張った、あの広場
のがつがつした鳩だけはごめんだ。ちょいと気を抜くと、朝飯をかっさらわれてしまう」
「眠くて仕方がない」と仮装した男が繰り返した。「舟に揺られながら眠るといい」とアン
トニオ師がすすめた。「その外套の下に何を隠している?」とサクソン人がフィロメーノ
に尋ねた。「別に。コルネットのカタリーナからの、ちょっとした贈物です」黒人はそう
返事をして、遺物箱のなかの聖者の手にでも触れるような敬度な面持で、形のはっきりし
ないその贈物とやらを撫でた。
*1
イタリアのエミリア地方の古名。
33
第6章
静かな夜明けの灰色の雲の下でまだ闇に沈んでいる市内から、はるばる微風に運ばれ
て、賑やかなコルネットやマラカスの音がそこまで届いていた。居酒屋や屋台ではまだ騒
ぎが続いている.. 灯はそろそろ消えようとしているのに、夜を徹した仮面の人びとは、次
第に明るさを増していく光線のなかで、美しさや華やかさを失いつつあるその衣裳を換え
ようとはしなかった。小舟はかなり長い時間、ゆっくりと進んで、墓地の糸杉の森に近
づいた。「ここなら静かに朝飯が食べられます」岸に小舟を泊めながら船頭が言った。丸
籠、手提げ籠、酒瓶などが岸に運び上げられた。墓石が、人気のない広いカフェの卓布の
掛かっていないテーブルのように見えた。すでに飲んでいたものにロマーニア産の葡萄酒
が加わって、みんなの声がふたたび活気を取り戻した。眠気の消えたメキシコ人はもう一
度、モンテスマの話をせよ、とすすめられた。アントニオの言うには、昨夜は仮装した連
中の声がうるさ過ぎて、よく聞き取れなかったらしい。「オペラにもってこいだ!」語り
手の話にますます引き入れられながら、赤毛の男は叫んだ。一方、語り手は言葉に引きず
られて、芝居がかった声を出し、盛んに身振りをまじえ、最後には物語の登場人物が乗り
移ったように、即興の会話のなかで声色まで使った。「オペラにもってこいだ! まさに
ぴったりだ。道具方は苦労するかもしれないが。ソプラノは、キリスト教徒の男に恋する
そのインディオの女は、得な役だな。こいつは、あの美人の歌い手のひとりにやらせれ
ば……」
「美人が多すぎて、困るのではないか?……」とゲオルク・フリードリッヒが茶々
を入れた。「それから」とアントニオは続けた、「惨めな末路を嘆くあの破れた皇帝、不幸
な国王という役がある…….「ペルシア人』を思い出すな。クシャヤルシャ王*1 を……」
ああ、何と悲しいことだ!
惨めなことだ! わたしは
一族を、国を滅亡に追いやるために
この世に生を享けたのか……。
*1
ギリシア名はクセルクセス。ペルシアのグレイオス王と王妃アトッサの子で、在位前四八六ー四六五年。
34
第6章
「クシャヤルシャ王は、わたしに任せてもらいたい」と不機嫌な面持でゲオルク・フリー
ドリッヒが言った。「わたしひとりで十分だろう」
「それはそうだ」赤毛の男はモンテスマ
を指差し、ながら続けた。「これは実に目新しい登場人物だ。近いうちにかならず、どこ
かの劇場の舞台で歌わせてみせる」「オペラの舞台に夢中だな、この坊主は!」とサクソ
ン人は叫んだ。「この町は、今にひどいことになるぞ」
「しかし、わたしはアルミーラやア
・・・・
グリッパと寝るようなことはしない。他の連中とは違ってな」鉤鼻を突き出しながらアン
トニオが応じた。「幸い、わたしは……」
「……うんざりし始めているところだ。手垢のつ
いた古い題材には。誰も彼もが、オルペウス、アポローン、イーピゲネイア、ディードー、
ガラテイアだ。新しい題材を、違った雰囲気を、別の国を求めるべきだ。たとえば……
ポーランド、スコットランド、アルメニア、ダッタンといった土地を選ぶべきだ。ギネヴ
ラやクネグンダ、グリセルダやタメルラン、そして呪うべきトルコ人たちを大いに苦しめ
たアルバニアの英雄、スカンデルベルクを選ぶべきだ。彼らは、新風を吹き込んでくれ
るに違いない。大衆も間もなく、恋する羊飼い、忠実な水の精、勿体ぶった山羊飼い、女
街まがいの神々、月桂冠、虫に喰われた上衣、昔使われた紫などに飽いてしまうだろう」
「だったら、なぜ、わたしの祖父のサルバドール・ゴロモンを主人公にしたオペラを作ら
ないんです?」とフィロメーノが口を挾んだ。「これなら間違いなく、新しい題材ですよ。
背景は船と椰子の樹がいいでしょう」サクソン人とヴェネツィアの男の二人があまりおか
しそうに笑うので、モンテスマは従者の味方をして言った。「別におかしくはないな。サ
ルバドール・ゴロモンは、スカンデルベルクがしたように、彼の信仰にとって敵であるユ
グノー教徒と戦った。われわれアメリカ生まれの人間が野蛮だと言うなら、あの海の向こ
うのスラヴ人だって、やはり野蛮人だということになる」彼は、夜のうちに飲んだ赤で相
当に調子の狂った判断力の磁石の針にしたがって、アドリア海があると思われる方角を指
差しながら、噛みついた。「しかしだ……主役が黒人というオペラを観た者がいるかな?」
とサクソン人が応じた。「黒人は、あくまで仮装行列や幕合狂言向きだ」
「それに、濡れ場
のないオペラは、これはオペラとは言えない」アントニオが助勢した。「黒人の男と女の
恋物語なんて滑稽だし、黒人の男と白人の女のそれは考えられない。少なくともオペラで
は」「ちょっと……ちょっと待って下さい」ロマーニア産の葡萄酉のせいで声が次第に大
きくなったが、フィロメーノは言った。「ヴェネツィアの上院議員の娘に惚れた偉い黒人
の将軍の芝居が、イギリスで大当たりだと聞きました……恋仇は幸運を妬んで、黒い牡山
羊が白い牝山羊にのっかった、なんて科白を吐くそうです。ついでだから言わしてもらい
ますが、可愛らしいぶちの仔山羊が生れるのが普通です、この取り合わせだと」「イギリ
スの芝居の話はしないでもらいたい」とアントニオが言った。「イギリス大使が……」
35
「……彼はわたしの親友だ」とサクソン人が口を挾んだ。「イギリス大使がロンドンで上
演されている芝居の話をしてくれたが、いやもう、ひどいものだ。香具師の小屋や、覗き
からくりや、盲人の絵巻でも、あんなものは見かけなかった」墓地を浸していく夜明けの
蒼自い光のなかで・背筋の寒くなるような大量殺害や、殺された子供の幽霊の話が、きり
もなく続いた。コーンウォールのある公爵は衆人環視のなかでひとりの子供の眼玉をえぐ
り、その後、スペインのファンダンゴの踊り子ではないが、それを床に投げて踵で踏みに
じったという。ローマのある将軍の娘は、辱しめられた上に舌を抜かれ、両手を断たれた
という。最後に、妻の愛入の斧によって片腕をそぎ落とされた父親は料理人に化けて、村
の結婚式の前夜の豚のように、たった今血抜きした二人の息子の肉を読めたパイを、宴会
の席でゴートの王妃に食わせたという……。「まったく胸が悪くなる!」とサクソン人が
叫んだ。「おまけにそのパイには、狩猟の獲物について庖丁さばきの本がすすめていると
おり、顔の肉が、鼻や耳や咽喉の肉が使われたそうだ……」「ゴートの王妃は、そいつを
食ったんですかね?」フィロメーノはわざと訊ねた。「食べたそうだ、このロールケーキ
と同じように」尼僧たちが用意した籠から取り出したもう一つのパンに歯を立てながら、
アントニオが答えた。「黒人たちのあいだでは当たり前のことだ、と言う者もいるぞ!」
黒人が考え込んでいるのをよぞに、ヴェネツィアの男は、酢と薄荷と唐辛子に漬けた猪の
頭の肉の一切れを噛みながら歩き出した。そして、この土地ではあまり聞き馴れない響き
を持った名前が刻まれているので、最前から眼を凝らしていた近くの墓の前で、ぴたりと
足を止めた。「イゴール・ストラヴィンスキー」彼はゆっくりと読んだ。
「確かに、そうだ」
同じようにゆっくり読んで、サクソン人が言った。「彼は、この墓地に葬られることを望
んだらしい」アントニオが応じて、
「優れた音楽家だが、時折、その楽想に非常に古めかし
いものが感じられる。彼は有りふれた題材に想を求めた。たとえばアポローン、オルペウ
ス、ペルセポネー……。こんなことが、いつまで続くのだ?」「彼の『オイディプース王』
を知っている」とサクソン人が言った。「第一幕の終りの、グローリア、グローリア、グ
ローリア、オイディプース・ウクソル! という個所はわたしの音楽にそっくりだと聞い
た」「それにしても、ラテン語のテキストに基づいて異教的なカンタータを作るという妙
なことを、なぜ思いついたのだろう?」とアントニオが言った。ゲオルク・フリードリッ
ヒが、「当地のサン・マルコ寺院でも彼の『聖歌』が歌われたとか。つまり、われわれが
とっくに捨てた中世風のメロディーが、いまだに聞かれているわけだ」「前衛と呼ばれて
いる音楽家が、過去の楽匠たちがやったことに強い関心を示しているということだな。時
にはそのスタイルを甦みせようとさえしている。そういう意味では、われわれのほうがモ
ダンでもある、わたし自身は、百年前のオペラや協奏曲がどんなものだったか、そんなこ
とは、これっぽちも気にならない。自分の才能プと感覚にしたがって、わたし自身の音楽
36
第6章
を作る。これで十分だと思っている」サクソン人は言った。「わたしの考えも同じだ……
ただし、忘れてはならないことが……」「つまらん話は、それくらいにして下さい」栓を
抜いたばかりの新しい葡萄酒の瓶から一杯目を注ぎながら、フィロメーノが言った。そし
て四人は、ピエタ救貧院から運んできた籠に、神話の豊饒の角のように決して空になるこ
とのない籠に、ふたたび手を伸ばした。しかし、尼僧たちが手作りのマルメロの砂糖漬や
ビスケットを食べ始めたときであった。まだ空に残っていた朝方の雲が割れて、太陽の光
線が墓石の上に燦々と降りそそぎ、緑の濃い糸杉の茂みの蔭にも白くきららかなはだらを
敷きつめた。豊かな光を浴びてふくらんだように、ロシア人の名前がすぐ眼の前に浮かび
上がった。モンテスマは葡萄酒のせいでふたたび睡魔の虜となった。ところが、安っぽい
赤よりはビールに馴染みのあるサクソン人はつい飲み過ごして、しつこくからみ始めた。
「ストラヴィンスキーが言っている」突然、思い出したのだろう、彼は鉾を転じて、
「あん
・・・・・・
たは似たようなコンチェルトを六百も書いた、と」アントニオは答えた。「書いたかもし
「モン
れない。しかし、バーナム*2 のサーカスの象のためにポルカを作曲したことはない」
テスマを扱うあんたのオペラにも、象は出て来るはずだ」とゲオルク・フリードリッヒが
やり返した。「メキシコには象はいないぞ」あまりにもでたらめな話に驚き、眠気も消え
た仮面の男が口を挾んだ。「しかし、アメリカ大陸のさまざまな驚異を見ることの出来る
ローマのクィリナーレ宮殿のタピスリーには、豹や、ペリカンや、おうむと一緒に、その
種の動物が織り込まれている」酒に酔ってくだ巻く人間のしつこさで、ゲオルク・フリー
ドリッヒがそう答えた。「その話はともかく、昨夜の音楽は良かった」と、しつこくてつ
まらない話から他の者の注意を逸らすために、モンテスマが言った。打てば響くようにゲ
オルク・フリードリッヒが、「下らん! 甘ったるいマーマレード以下だ、あんなもの!」
・・・・・・・・・
「いや、ジャム・セッションといった感じでしたよ、どちらかと言えば」とフィロメーノ
が応じたが、いかにも聞き馴れない言葉なので、酔っ払いのたわごととしか受け取られな
かった。しかし彼は、急に思い出したように、ご馳走の傍に丸めて置かれている外套の下
・・
がら、コルネットの力タリーナが形見として――本人の話によれば――贈ってくれたとい
う秘密の品物を取り出した。それは、真新しいトランペットであった。「かなりのものだ」
と、楽器のことに詳しいサクソン人がそれを指差しながら言った。フィロメーノは早速、
唇に当てて歌口の具合を調べてから、楽器を吹き始めた。絶叫するような音、トレモロ。
グリッサンド。訴えるような鋭い音。他の連中は抗議の声を上げた。カーニバルの流しの
楽隊から逃れ、静けさを求めてここへやって来たはずである。それに、これは到底、音楽
と呼べるしろものではなかった。仮に音楽だとしても、眼の前のいかめしい墓石の下で
静かに眠っている死者のことを思えば、墓地にはまったくふさわしくないものであった。
*2
フィニアス・テイラー・バーナム。サーカスを創始したアメリカの興業師 (一八一〇-一八九一)。
37
フィロメーノは――咎められて大いに恥入りながら――気まぐれな音で小島の鳥たちを脅
かすのを止め、お蔭でふたたびこの場所の主となった鳥たちは、前よりいっそう賑やかに
マドリガルや聖歌を歌い始めた。しかし、十分に飲み食いし、今では議論にも飽いたゲオ
ルク・フリードリッヒとアントニオは、あくびを連発した。その対位法の見事なこと、そ
のつもりはないのに出来上がった二重唱がおかしくて、二人は何度か吹き出した。「まる
カストラート
カストラート
でオペラ・ブッファの去勢歌手だ」と仮面の男が言った。「去勢歌手だと? なにを吐か
す、売女の小せがれが」と僧侶は答えたが、これは、剃髪し戒律を守らねばならぬ人間と
しては――お香の煙に会うと眼と鼻をやられることが分かっているので、ミサを執り行っ
たことは一度もないそうだが――いかにも不謹慎な言葉であった……。やがて、樹々や霊
廟の影が伸び始めた。今は一年で最も日の短い季節である。陽がかげるのも間もない。夕
闇のなかの墓地はいかにも陰気で、身の行く末について、ついつい考え込んでしまう。万
霊節の日のメキシコの子供たちでないが、この刻限になると、しゃりこうべの相手をする
のが好きなデンマークの王子のように……。小舟の右左でかすかに細波立っている静かな
水面を擢で漕いで、一行はゆっくりと大広場へ進んでいった。サクソン人とヴェネツィア
の男は房飾り付きの日除けの下で丸くなり、見ているほうも楽しくなるような満足げな顔
で、乱痴気騒ぎの疲れを癒していた。よく聞き取れなかったが、寝言を喋るように、時折
唇が動いた……。ヴェンドラミン=カレルジ宮殿の前に差しかかったとき、モンテスマと
フィロメーノは、数個の黒い影――燕尾服の紳士と、昔の泣き女のようにヴェールで顔を
隠した女たち――が、青銅が冷たく光る枢を黒いゴンドラのほうへ運んでいるのに気づい
た。「昨日、卒中で死んだドイツ人の音楽家のものですよ」櫂を漕ぐ手を休めて、船頭が
教えた。「遺体を国へ運ぶところです。なんでも、ドラゴンや、ぺーガソスや、地の精や、
ティーターンや、海の底で歌うセイレーンまで飛び出す、大がかりな、不思議なオペラを
書いていたそうですよ。驚いたでしょう――水の底で歌うんですよ! そんなものがやれ
る道具や仕掛けは、ここのフェニチェ座にもありませんや」薄い紗やクレープで身を包ん
だ黒い影は、葬儀用のゴンドラに枢をのせた。静かにあやつる棹のまにまにゴンドラは、
キュクロープスのように欄々たる眼をしたターナー型の機関車が、荒い息を吐きながら霧
のなかで待っている停車場へと進み始めた。「眠くて仕方がない」急に激しい疲労感を覚
えて、モンテスマが言った。「もうじきです」と船頭が応じた。
「お客さんの宿屋は運河の
ほうから入れます」「あそこは、ごみ集めの川舟の寄るところだ」赤をもう一杯引っかけ
たために、墓地で怒られたあの一件を思い出してむしゃくしゃしていたフィロメーノが、
そう言った。「いや、どうも有難う」とアメリカ生まれの男は礼を言ったが、眼瞼の垂れ
る睡魔をこらえかねて眼を閉じていたので、舟から降ろされ、階段を担ぎ上げられ、裸に
され、横にされ、毛布をかぶせられ、頭の下にいくつも枕を押し込まれたことも、ほとん
38
第6章
ど気がつかなかった。それでも彼は眩いた。「眠くて仕方がない。お前も退って、寝ると
いい」「いいえ、まだ寝ません」とフィロメーノは答えた。
「トランペットを持って、思い
モーリ
きり吹けるところへ行ってきます」外ではお祭騒ぎが続いていた。時計台の《黒人》が青
銅の槌を振り下ろして、時を告げていた。
39
第7章
モーリ
時計台の《黒人》がふたたび時を告げた。今日は夜明けからその青銅の声を湿らせる霧
モーリ
雨に包まれ、秋の灰色の空の下で槌を振るわなければならなかったが、《黒人》は、時を
測るという遠い昔から任された仕事を疎かにはしなかった。主人はフィロメーノの声で、
長い――何年も続いたとさえ思われる――眠りから覚めた。昨夜のモンテスマの姿はどこ
にもなかった。身に着けているものはビロードの寝巻にナイトキャップ、寝床用の靴下だ
けで、前夜の衣裳は安楽椅子の上になかった。あれほど様子を引き立ててくれた頸飾り
や羽毛飾り、金色の紐で結ぶサンダルと一緒に、そこに置いたはずなのに。つまり、置か
せたはずなのに。「実は、シニョーレ・マッシミリアノ・ミレルがご入用だとかで、仮面
を取りに来ました」戸棚から服を出しながら黒人が言った。「それはともかく、急いで下
さい。ライトや仕掛けも全部使って、最後のリハーサルをやるそうです」……「ああ、そ
うだ! 確かその予定だった!」モネムウァシア*1 の葡萄酒に浸したビスケットを食べて
やっと頭がすっきりした主人は、召使に手早く髭を当たらせ、紳士らしさを取り戻したと
ころで、レースのカフスのボタンを掛けるのももどかしりく、宿屋の階段を駆け下りた、
モーリ
《黒人》――「わたしの兄弟ですよ」とフィロメーノは言った――の振り下ろす槌の音が
ふたたび聞こえたが、今ではそれに、赤いビロードの緞帳の背後で第一幕の大掛かりな装
置の飾り付けを終えようとしている、サンタンジェロの道具方の慌しい槌の音が重なっ
た。オーケストラの楽士たちが弦や喇叭の音合わせを始めたころ、アメリカ生まれの男と
その従者は桟敷の薄暗い席に腰を落着けた。そして突然、槌の音や楽器の音合わせがやん
であたりが静まり返つたとき、黒い服に身をつつみ、手にヴァイオリンを提げたアントニ
オ師が指揮台の上に現われた。アントニオ師は普段より痩せて見え、鉤鼻が目立った。背
がいっそう大きく感じられた。それは気難しい表情にも窺える緊張のせいで、彼は、さて
これからというときはいつも堅くなり、動作が物々しく控え目になるのだった。楽節の合
奏の部分で、優れた技巧から生まれる大胆で軽業めいた弓使いをことさら引き立たせるこ
とを狙った、わざとらしい控え目な動きではあったが。劇場の内部に忍び込んだ二、三の
*1
ギリシアのラコニア地方の半島で、良酒の産地として知られている。
40
第7章
人影には眼もくれず、ひたすら瞑想していたアントニオ師は、やがて、おもむろに手書き
・・・
の楽譜を開き、あの晩のように、高く弓を振り上げた。そして、指揮者と並ぶものなき演
奏家の二重の役目を担いつつ、テンポの緩やかな他の自作の交響曲よりも――恐らく――
激しくリズミカルな曲の演奏を開始した。幕が上がり、けばけばしい色彩であふれた舞台
が現われた。アメリカ生まれの男は、とたんに、ある日バルセロナの港で眺めた色あでや
かな槍旗や三角旗を思い出した。燃えさかる森を思わせる帆や幟が船首に立ち並んで、舞
台の右手を鮮やかに彩り、一方、左手には紫と赤紫の標旗と小旗がはためいて、宮殿らし
きものの堅固な塀を飾っていた。また、メキシコの湖から流れ出た河に架けられている、
しなやかなアーチの――ヴェネツィァのある橋に多少似過ぎた感じのする――橋が、スペ
イン兵のたむろする船着き場とモンテスマの宏壮な宮殿とをへだてていた。しかし、この
ような華麗な光景のなかにも、果てたばかりの戦いの跡はまざまざと見て取ることが出来
た。槍、矢、楯、軍鼓などが床一面に散乱していたのである。メキシコ人の皇帝が剣を手
に登場して、マエストロ・アントニオの弓の動きを追いながら、歌い出した。
ソ ン・ヴ ィ ン ト・エ テ ル ニ・デ イ・ト ウ ッ ト・イ ン・ウ ン・ジ ョ ル ノ
不滅の神々はついに勝つた。一日にして、
ロ・ス プ レ ン ド ー ル・デ ミ エ イ・フ ァ ステ イ・エ・ラルダ・グロ ーリア
わが歴史の栄光とメキシコ人の勇武の
デ ル・ヴ ァ ロ ー ル・メ シ カ ン・カ ー デ・ズ ヴ ェ ナ ー タ
誇りは、もろくも崩れ去った……。
祈請も、儀式も、天帝への祈願も、打ち寄せる悲運の波浪の前には無力であった。
この日ばかりは一切が愁嘆と哀傷、消えゆく栄耀への痛惜に塗りこめられ、まさに
ウン・ダルド・ヴィブラート・ネル・ミオ・セン
「わが胸板は槍に貫かれて……」という言葉が……しかしこのとき、ペルシアの女王セミー
ラミスとも、ティツィアーノ描くところの貴婦人ともつかぬ皇妃が登場した。妖艶にし
てしかも凛々たるこの女性は、かかる悲運の裡にありながら、「不実なイベリア人」のた
めに無残な敗北を喫した夫を励ましてやまなかった。「あの女が出ないと、芝居にならな
・・
いんですよ」とフィロメーノが主人の耳許に囁いた。「アントニオ師のこれ、アンナ・ジ
ローです。主役はみんな、あの女に持っていくという噂を聞きました」「少しは口を慎し
め!」アメリカ生まれの男は厳しく従僕を叱った。しかしこのとき、舞台に垂れ下がった
アステカ族の標旗を掻いくぐって、西インドの最も優れた歴史家とも言われるモセン・ア
ントニオ・デ・ソリス*2 の『メキシコ征服史』にその名の挙げられている、テウティーレ
が登場した。「冗談じゃない! あれは女じゃないか!」アメリカ生まれの男は、雷文模
様の寛衣の下の胸のふくらみに気づいて、思わず声を上げた。「綽名は《ドイツ女》だそ
うですが、なるほどと思いますね」と黒人が言った。「よくご存知のとおり、おっぱいに
かけては、ドイツの女は……」「それにしても、このオペラはでたらめ過ぎる」と主人は
*2
スペインの歴史家、詩人、劇作家 (一六一〇 1 一六八六)。
41
言った。
「モセン・アントニオ・デ・ソリスによれば、テウティーレはモンテスマの軍勢を
・・
率いる大将だ」
「あの女です。ジュゼッパ・ピルケルという名前で、わた t の聞いだところ
では、ダルムシュタット公とか、アルメシュタット公とかいう人の囲い者だそうです。こ
れも噂ですが、この王様は雪にうんざりして、それでこの市に館をかまえているのだと聞
きました」「しかし、テウティーレは男だ。女ではない」
「どうでもいいことではありませ
んか?」と黒人は言った。「ここの住民は堕落しきっていますから……。まさかと思うの
なら、あれを見て下さい」まさに彼の言うとおり、テウティーレは征服者のドン・エルナ
ン・コルテスの弟、ラミーロと契りを結ぼうとしていた。しかも、このコルテスという男
役を勤めているのが、シニョーラ・アンジョーラ・ザヌーキという者で……。「これもダ
ルムシュタット公とひとつ寝の……」と黒人にほのめかされて主人は驚き、「なになに?
ここでは誰彼の見境なしに、寝るのか?」と訊いた。「ここの人間は神様とだって寝る
んじゃありませんか?……でも、その話はまたにして、あの音楽を聴きましょう。わたし
の大好きなトランペットの楽章に、やっと移りました」黒人のこの言葉を聞きながら、目
まぐるしい舞台の変化に当惑気味のアメリカ生まれの男は、纏れては解け、解けては纏れ
る筋の迷路のなかにさまよい入った。モンテスマは皇妃ミトレーナ――人びとは彼女をそ
う呼んでいた――にたいして、娘のテウティーレ――「冗談じゃない! テウティーレは
メキシコ軍の大将だ!」――を、侵入者の恐るべき淫欲によって辱しめられぬ裡に犠牲と
して神に捧げることをすすめた。しかし――このあたりから、しかし、しかし、が際限も
なく繰り返される――王女はむしろ、コルテスの面前で自ら命を絶つことを望み、あのリ
アルト橋を彷彿させる橋を渡って征服者の前に立ち、清らかな威厳に満ちた声で叫んだ。
ラ・フ ィ リ ア・ド ゥ ン・モ ナ ル カ
モナルカ王の娘たる者が、
イ ン・オ ス
タ
ジ
オ・ア・フ
ェ
ル
ナ
ン
ド
イ ル・イ ス ト レ
フェルナンドの人質となるのか? あまたの
サ ン グ ェ・デ ィ・タ ン テ イ・セ ミ デ ィ
神人を産んだ高貴の一族が、
マ ー ジ・イ ン グ ラ ー ト・ア ッ ヴ ィ リ ル シ
かかる辱しめを受けるとは。
これを聞いて、モンテスマはコルテスに向かって矢を射放ち、それをきっかけに、アメ
リカ生まれの男もその筋をたぐり兼ねるほど錯雑した物語が舞台で繰り広げられた。彼が
その把然自失の状態から脱し得たのは、舞台装置が一変して、われわれ観客が突然、あ
る宮殿の奥に導き入れられたときであった。宮殿の壁はさまざまな太陽のシンボルで飾
られていたが、そこヘスペイン風の衣裳をまとったメキシコの皇帝が登場したのである。
「こんな馬鹿な!」とアメリカ生まれの男は眩いた。この桟敷に陣取っている彼、金満家
の彼、非常に裕福な銀商人の彼が、前の晩に、いやその前の晩に、いやそのまた前の前
の……前の晩に着けていた折角の仮装を、シニョーレ・マッシミリアノ・ミレルは脱ぎ捨
42
第7章
てて、ローマの上流紳士のような扮装をしていることに気づいたからだ。当然のこととは
言え植民地の富裕な紳士たちが昔からして来たように、ローマの貴顕紳士も市民の放縦な
風儀にたいしてことさらに簡素を気取り、現在ではマドリードやアランフェス*3 の流行を
取り入れているのである。しかし、スペイン風の扮装をしたこのモンテスマはいかにも異
様で、すんなりとは受け入れにくい。芝居の筋は観客の意識のなかでまたもや纏れた。ね
じ曲がり、絡み合った。この悲劇的なオペラの主人公、敗北したクシャヤルシャ王の新し
い衣裳を見ている裡に、彼はその歌い手を、前の晩、いやその前の晩、いやそのまた前の
晩にカーニバルで出会った、あの人柄まで変ったような大勢の人間と混同してしまった。
が、やがて、ベルナル・ディアス・デル・カスティーリョ*4 やアントニオ・デ・ソリスが
彼らの評判の年代記のなかで一言も触れていない別の「メキシコ軍の大将」、アスプラー
ノという者の口から発した力強い船いくさの合図の声とともに、赤いビロードの幕が下り
モーリ
た……。ふたたび時計塔の《黒人》によって時が告げられた。それに合わせて道具方の槌
の音が慌しく響いたが、ヴィヴァルディ師はオーケストラの席から離れようとしなかっ
た。楽士たちがオレンジの皮を剥いたり、赤葡萄酒の瓶を傾けたりしているのをよそに、
腰掛けにじっと坐って、次の幕の楽譜に熱心に眼を走らせ、時折、不機嫌そうな面持でペ
ンを取り上げて訂正を加えた。痩せた背中を微動だにさせずに譜面を繰って一心不乱に読
カ ブ
ラ
み耽るその姿には、他人を寄せつけぬものがあった。
「まるで牝山羊学士*5 だ」アメリカ大
陸にも広く流布している小説に登場する有名なラテン語教師を思い出して、アメリカ生ま
カ ブ ロ
れの男は咳いた。「いや、牡山羊学士でしょう……」とフィロメーノが茶々を入れた。ア
ンナ・ジローのふくよかな腰とピンクの胸元が眼に焼きついていたのである……。しかし
このとき、名手の弓は新しい曲の演奏に入った。今度は、前打音を伴った緩やかなテンポ
のものであったが。幕が開いて、アメリカ生ぽれの男がミチョアカンの屋敷に持っている
絵――そこにも征服にまつわる一つの挿話が描かれていたが、それも、ここで眼にしたも
のに比べれば、はるかに史実に則していた――で見馴れたものによく似た、広い接見の間
が現われた。そしてテウティーレ――これが男ではなくて女であることを、ここまで来れ
ば、思い切って認めるべきであろうか?――は、背信的な行動に出たスペイン兵の手に落
ちた父の悲運を嘆いた。しかし、アスプラーノの下には皇帝の救出を志願する者が揃って
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いた、「部下の戦士たちは、それぞれの丸木舟、刳り舟を一刻も早く漕ぎ出して、約束を
・・・・・ドゥーチェ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反古にした 統 領 (原文のまま)を、その手で懲らしめたがっております」ここでエルナン・
コルテスと皇妃が登場し、このメキシコの女性は、アイスキュロスの王妃アトッサを偲ば
*3
スペインのマドリード県の町。フェリーペニ世の造営した離宮で有名。
スペインの年代記作者 (一四九二-一五八一?)。メキシコ征服に兵士として加わり、『ヌエバ・エスパー
ニャ征服史』を書いた。
*5 スペインの作家フランシスコ・ケベードの有名な悪者小説『大悪党』に登場する、吝箇そのものの学士。
*4
43
せる調子にマリンチェの敗北主義が入りまじったレ少なくとも、現に聞いているこの出だ
しでは無残な悲嘆の声を上げた。マリンチェ的なミトレーナは、この土地の人問が偶像崇
拝の迷妄のなかに生きており、アステカ族の敗北はすでに不吉な前兆によって予告されて
いたことを認めた。
ペル・セコロ・シ・ルンギ
実に長い年月、
フ ー ロ・イ・ポ ポ リ・コ タ ン ト・デ ィ オ テ ィ
人びとはいかにも愚かで、
ケアンケ・イ・プロビ・テゾール・リエラノ・イグノティ
己れの宝にも気づかなかった。
人びとは突如として、この地で礼拝されているのは邪神に過ぎないことを悟った。コス
メルの島*6 を経てだが、臼砲その他の大砲の轟くなか、火薬や馬や福音書の言葉とともに
ようやく真の宗教が伝えられたことを悟った。より優れた人間の文明が、理性と力とい
う劇的な真実によって勝利を収めたのだ……。しかし、まさにその理由で――そしてここ
で、凛然と玉座に近づいたミトレーナのマリンチェ的性格は薄れるのだが――モンテスマ
・
に加えられた屈辱は、そのような人間の文化と権威にふさわしいものではなかった.「ヨ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ーロッパの天から西方のこの地へ来られたのであれば、僣主ではなく、神の代理人であっ
・・・・
て欲しい」鎖で縛められたモンテスマが現われた. 激しい口論が始まった。マエストロ・
アントニオの楽士たちは、にわかに忙しくなった彼の指揮棒の下で激しく動いた。さまざ
マ キ
ナ
まな仕掛けの操作によってヴェネツィアの道具方だけがなし得る舞台の転換が行われた。
火山を後ろに背負いインディオの小舟の行きかう広やかなテスココ湖*7 の明るい湖面が現
われ、凄まじい船いくさが始まった。スペイン兵とメキシコ兵の血膿い戦闘. 憎悪の叫び。
飛びかう矢。刃物の打ち合う音。転がる冑。振り下ろす剣の一撃。水中に落ちる兵士。正
面奥から唐突に躍り出て、大勢の敵兵を蹴散らす騎馬の一隊。上で、下で、吹き鳴らされ
る喇叭。けたたましい横笛と喇叭の音。火箭、噴火装置、火の粉、黒煙、高く飛びかう花
火などを使った、アステカ族の軍船の炎上。阿鼻叫喚。「ブラーボ! ブラーボ!」とア
メリカ生まれの男は思わず叫んでいた。「このとおり! まさにこのとおりだった!」
「ま
さか、見たわけではないでしょう?」とフィロメーノが皮肉っぽく訊いた。「もちろん見
てはいない。だが、このとおりだったのだ」……。敗れた者たちは逃げ散った。騎馬の軍
勢も引き退って、屍体と負傷者に満ちあふれた舞台があとに残った。いわば棄てられた
ディードーであるテウティーレは、なお燃えさかっている火のなかに身を投じて、潔い最
期を遂げようと心に決めた。ところがそのとき、アスプラーノが、天上から生者の運命を
支配される方々の怒りを鎮めるために、今の世のイーピゲネイアではないが、古代の神々
*6
*7
メキシコのユカタン半島の東海上にある島。マヤの遺跡で知られている。
メキシコ市の東に位置する湖。その周辺には、コルテスの征服までチチメカ族の王国が栄えていた。
44
第7章
の祭壇に犠牲として供されるという至上の運命が、その父によって彼女に与えられた、と
告げた。「なるほど。古典に想を得た思いつきとして、これはこれでいいだろう」ふたた
び赤い幕が下りるのを見て、ためらいながらだがアメリカ生まれの男は咳いた。しかし、
新しい舞台装置の出現を教える調子の良い槌の音が間をおかず響き、楽士たちも席に戻っ
た。悲痛な調子から判断して不吉な出来事を予告すると思われる短い曲が終って、ふたた
び舞台が開くと、テノチティトランの大都の目くるめく全景を背にした、堅固な塔が現わ
れた。アメリカ生まれの男にはよく納得がいかなかったが、地面に屍体が折り重なってい
た。筋がまたもや複雑になり、改めてモンテスマの扮装をしたモンテスマ――「あれは、
わたしのものだ。わたしの服だ……」――囚われのテウティーレ、彼女に自由を与える決
心をしたと思われる人びと、建物に火を放とうとするミトレーナなどが、つぎつぎに登場
した。「また火事ですか?」眼を見張るほど素晴しかった最前の炎上がふたたび繰り返さ
れることを願いながら、フィロメーノが訊いた。しかし、まるで魔法を使ったように塔は
神殿に姿を変えていた。そしてその入口に、背はねじ曲がって耳ばかり大きい、見るも恐
ろしい、一体の神像が立っているのが眼に映った。神像はボッスが想像した悪魔にそっ
くりであった。ちなみに、この画家の作品はいたくフェリーペニ世の気に入り、まがま
がしい屍体安置所に似たエスコリアル宮殿の奥に、今なお保存されているというが、そ
れはともかく、白装束の神官たちはその神を、ウチリボス――「いったい何から思いつい
たんだろう、あんな名前を?」とアメリカ生まれの男は咳いた――と呼んだ。両手を縛め
られたテウティーレが引き出され、残酷きわまりない供犠が行われようとしたそのとき、
シニョーレ・マッシミリアノ・ミレルが、アントニオ・ヴィヴァルディの奔放な楽想に振
り回されて弱り果てた声を振りしぼり、悲愴かつ陰気な調子で、『ペルシア人』の敗残の
・・・・・・
王にいかにもふさわしい嵯嘆の歌をうたった。「星よ、お前たちは勝った/わたしこそは
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
、お前たちの無節操の、世間の者への証しだ/わたしは、神聖な権威を与えられた王であ
・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
り、そのことを誇りに思っていた/それが今、嘲罵を浴び、捕えられて鎖に繋がれ、他人
・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
の勝利の卑むべぎ記念碑となった/わたしの名は、ただ、後の世の青史がこれを伝えるだ
・・
ろう」この荘重な悲嘆の声に動かされて泣いたアメリカ生まれの男が、その涙を拭ってい
たときである。舞台の幕が一瞬のうちに上がり下がりして、ローマ風の凱旋門で飾り立て
られたメキシコの大広場が眼の前に出現した。海戦記念柱。見覚えのある槍旗や三角旗、
軍旗や標旗、国旗などがはためく空。首を鎖で繋がれたメキシコ人の捕虜が、敗北を嘆き
ながら登場した。新たな殺戮の場面を見るこどになるだろうと思ったそのとき、予期しな
いことが、信じ難いようなことが、事実にまったく反する、驚嘆すべき馬鹿げたことが起
こった。エルナン・コルテスが敵を赦し、アステカ族とスペイン人とのあいだの友好の礎
を固めるために、歓びの拍手と喝采の裡にテウティーレとラミーロの婚儀が執り行われた
45
のである。そして、敗れた皇帝はスペイン王にたいして永遠に変らぬ忠誠を誓ったのであ
る。マエストロ・ヴィヴァルディが指揮する弦楽器や金管楽器の華麗でしかも力強い音に
乗せて、コーラスは幸運にも甦った平和を、真の信仰の勝利を、ヒュメナイオスの幸福を
歌った。マーチ、祝婚歌、賑やかな舞踏。ダ・カーポ、ふたたびダ・カーポ、そしてふた
たびダ・カーポ。それからやっと、憤激のあまり顔を朱に染めたアメリカ生まれの男の眼
の前で赤い幕は下りた。彼は喚いた。「でたらめだ! でたらめだ! でたらめだ! 何
もかもでたらめだ!」彼はなおも、でたらめだ、でたらめだ、でたらめだ、何もかもでた
らめだ、と喚き立てながら、総譜を閉じて格子縞の大きなハンカチで汗を拭いている、赤
毛の僧侶の傍に駆け寄った。「でたらめ?……どこが?」と音楽家は驚いて訊いた。
「全部
だ。とくに、結末は馬鹿げている。歴史によれば……」「オペラは、歴史家の書くものと
は関係ない」「しかしあんなメキシコの皇妃はいない。またモンテスマには、スペイン人
と結婚した娘などいなかった」「ちょっと、ちょっと待ってくれ」急に不愉快そうな顔に
なり、アントニオは言った。「詩人のアルヴィーゼ・ジュスティがこの《音楽劇》の作者
だが、彼はソリスの年代記を十分に研究した。サン・マルコの図書館長も、資料に基づい
た信頼し得る書物として、それを大いに評価している。そのなかにちゃんと、威厳と気魄
と胆力を兼ねそなえた皇妃についての記述がある」「わたしは見た記憶がない」
「第五部の
・・・・・・・・・・
二十五章だ。また第四部にも、モンテスマの二人もしくは三人の娘がスペイン人に嫁し
た、と書かれている。というわけだから、人数が合わないくらいは……」「では、あのウ
チリボスという神は?」「考えられんような名前の神様を持っているのは、そっちだ。わ
たしの知ったことじゃない。征服者たち自身がメキシコの言葉をまねて、そのひとりをウ
チロボスと呼んだ。或いは、これに近い名前で呼んだのだ」「分かった! ウイツィロポ
・・・・・
チトリ*8 のことだ」「そんな名前が歌詞のなかに入れられると思うかね? ソリスの年代
記に出て来るのは、どれもこれも舌を噛みそうな名前ばかりだ。イストラパラルパ、ゴア
ソコアルコ、シカランゴ、トラスカーラ、マヒスカツィン、クアルポポカ、シコテンカト
ル……わたしは、発音の練習のために覚えたが。それにしてもだ……いったい誰が、あん
な言葉を創り出したんだろう?」「では、テウティーレは? 女ということになっていた
が……」「あれは発音しやすい名前だ。女に与えたって、ちっともおかしくない」
「それで
は、この物語の真の主人公であるグアテモシン、あれはどうなった?」「あれを入れたら、
筋の統一が乱れてしまったろう……別の芝居を書いて、それに登場させればいい」「しか
し……モンテスマは実際には、石責めに合って殺されたんだ」「オペラのフィナーレには
向かないな。芝居を殺人、虐殺、葬式、墓掘りなどで締めくくるイギリス人が相手なら、
*8
アステカの太陽神。戦争と勝利の神でもあり、捕虜の心臓を犠牲として要求した。名前は「左手の蜂雀」
の意味。後出するものもすべて、アステカ族の崇拝する神々。
46
第7章
まあいいだろう。しかし、ここの人間は楽しみを求めて劇場へ集まるのだ」「では、メキ
シコを舞台にしたこの道化芝居のどこに、ドニャ・マリーナがいた?」「そのマリンチェ
という女は、とんでもない裏切り者だ。大衆は裏切り者を好まない。ここの歌手なら誰
だって、そんな役は引き受けまい。音楽にふさわしく、喝采を受けるに足る偉大な人物で
あるためには、そのインディオの女は、経外典中のユーディットがホロフェルネスにした
ことをなすべきだった」「しかし、あなたのミトレーナは征服者が自分たちより優れてい
ることを認めた」「だが最後の最後まで、彼女は必死の抵抗を試みている」多少声が小さ
くなったが、アメリカ生まれの男はなおも言い張った。「歴史の伝えるところでは……」
「芝居の話だ。歴史、歴史とうるさく言わんでくれ。ここで大事なのは詩的な幻想であっ
て……いいかね、ムッシュー・ヴォルテールがごく最近、パリで悲劇を上演したそうだ。
これはオロスマンという男とザイールという女の恋愛を扱ったものだが、ともに実在の人
物で、仮にその芝居の展開する時代に生きていたら、男は八十歳を超え、女はとっくに九
十歳を過ぎて……」「たいまいの甲羅の粉をブランデーに混ぜて飲んでも、無理だな」と
フィロメーノが眩いた。「……またその芝居には、サラディン王*9 によるイェルサレムの
焼打ちの話が出て来るが、これは、まったくのでたらめ。実際にこの都で略奪を働き、住
民を刃に掛けたのは、われわれの十字軍だった。聖地にまつわることだけだよ、歴史と呼
べるのは! 偉大な尊い歴史と呼べるのは!」「ではあなたは、アメリカの歴史は偉大で
・・
はない、尊いものではないと?」楽僧は紅色の繻子で裏張りされたケースにヴァイオリン
をしまいながら、
「アメリカでは、すべてこれ伝説、神話だ。エル・ドラード、ポトシ*10 、
幻の都、人語を解する海綿、紅羊毛、乳房の一方を欠いたアマゾーン、イエズス会士を喰
うというオレホン族*11 などの話は……」アメリカ生まれの男はふたたび昂奮して言った。
「それほど伝説が好きならば『狂乱のオルランド』に曲をつけたら?」「すでに出来てい
る、初演は六年前だ」「まさか、裸で、素裸で、金玉まる出しで、フランスからスペイン
を駆け回ったあげく、泳いで地中海を渡り、そのままの格好で月へ旅立ったというオルラ
ンドを、舞台に出したのでは?」……。「下らない話はやめて下さいよ」とフィロメーノ
が口を出した。道具方のいなくなった舞台で、すでに化粧を落とし外へ出る支度をしたシ
ニョーラ・ピルケル (テウティーレ) とシニョーラ・ザヌーキ (ラミーロ) が固く抱き合っ
ているのに気を取られながら。二人は、今日の歌の出来の良かったこと――これは事実で
ある――を祝って、度が過ぎはしないかと思われるくらいキッスを繰り返していた。「い
トリバディズム
わゆる 同 性 愛かな?」この種の疑念を口にするのに最も品のいい言葉を用いて、アメリ
*9
エジプトおよびシリア王 (三三八-一一九三)。回教徒側の英雄。
首府の南東、四干メートルの高地に位置するポリビアの都市。十五世紀半ばの銀鉱の発見によって、新大
陸の富を象徴するに至った。
*11 アメ刀力征服の時代に、いくつかのインディオの部族に与えられた名前。
「大きな耳」の意味である。
*10
47
カ生まれの男が訊いた。「放っておけ!」いやが上にも姿を引き立てるライトや道具はす
でに消えていたが、舞台の奥に現われた美女、アンナ・ジローの焦れた声に応えて、僧侶
はにわかに、この場を一刻も早く離れたそうな素振りを見せながら言った。「わたしのオ
ペラが気に入らなくて、残念だった……今度は、もっとローマ的な主題を考えることにし
モーリ
よう」……。外で時計塔の《黒人》がちょうど六時を打ち終わった。すでに鳩は眠り、再
び運河から湧き上がった霧のような雨が、その時計の七宝と黄金を煙らせていた。
49
第8章
やがて喇叭が鳴り響いて……。
コリント書、一・五二
アメリカ生まれの男は、外套に馬小屋の臭気めいたものをふくませる静かな小雨のなか
を、街灯の青い光で照らされた舗道の石を数えるようにうつむき、小難しい顔で考え込み
ながら歩いた。彼の思考は観念と、言葉の中途をうろついて、小さな呟きというかたちで
唇から外へ出るのがやっとであった。そんな彼にフィロメーノが尋ねた。「どうしてそん
なに沈んでいるんです? さっき観たオペラの芝居のせいですか?」「さあ……」訳の分
からぬ独語に声を浪費するのをやめて、相手は答えた。「実は、アントニオ師の、メキシ
コを舞台にした突拍子もないオペラを観て、大いに考えさせられたんだ。わたしは、コル
メナル・デ・オレハとビリャマンリーケ・デル・タホで生まれた者の子で、エルナン・コ
ルテスと同様、メデリン*1 で洗礼を受けたエストレマドゥーラ出身の男の孫だ。ところが
今日の午後、それもつい今し方、非常に妙なことを経験した。ヴィヴァルディの音楽が流
れ、いわばその絵解きである波瀾万丈の物語に身を任せている裡に、メキシコ兵に勝って
もらいたいという気持が、だんだん強くなったのだ。こんな結末を望んだところで、それ
は不可能だということは分かっている。また向こうで生れた人間だから、事実がどうで
あったか、誰よりもよく心得ている。ところが気がついてみたら、わたしは、モンテスマ
がスペインの将軍の高慢の鼻をくじき、その娘があの聖書のなかの主人公のように、ラ
ミーロとかいう男の首を刎ねてしまうのを、おかしな話だが望んでいたのだ。わたしは突
然、自分がアメリカの人間たちに味方して、同じ弓を引きしぼり、自分に血と苗字を授け
てくれた者の破滅を願っているこどに気づいたのだ。ペドロ親方の人形芝居のドン・キ
ホーテだったら、わたしも槍と楯をかまえて、鎖帷子と冑で身を固めた同胞に襲いかかっ
たに違いない」「現にいる場所から、自分の意志ではとても行けない場所へ運んでくれる。
これ以外のことは、芝居に求めても仕方ないんじゃないですか?」とフィロメーノが言っ
た。「芝居のお蔭ですよ。時間を遡って、今ここにいる人間には不可能なはずですが、永
*1
スペインの西部、エストレマドウラ地方のバハドス県の町。
50
第8章
久に消えてしまった時代に生きることが出来るのも」「昔の哲学者も書物のなかで言って
いる。芝居はまた、わたしたちという存在の最も奥深いところに隠れている不安を、きれ
いさっぱり消してくれると……へぼ詩人のジュウスティのでたらめなアメリカを眼の前に
しで、わたしは観客ではなく、役者になりたいと思った。不意にわたしのものに思われた
のだが、あのモンテスマの衣裳を着ているマッシミリアノ・ミレルに嫉妬を感じた。この
歌手が演じている役は、本来ならばわたしに振り当てられるべきものだ。ところが、卑劣
で無能なために、わたしはそれを着ることが出来なかったと、そんな風に思ったのだ。そ
して突然、自分は場違いなところにいる、ここでは、あくまでよそ者だ、根無し草みたい
なものだ、つまりは、わたし自身や、真実わたしのものである一切のものに無縁なところ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
にいると感じた……物を間近に見るためには、その物から遠ざかることが、海をへだてる
モーリ
・・・・・・・・
ことが、時には必要らしい」このとき、何百年も前と同じように時計台の《黒人》が槌を
振り下ろした。「この市には、運河やゴンドラの船頭には、もううんざりした。アンチー
ラ、カミーラ、ズリエッタ、アンジェレッタ、カティーナ、ファウストーラ、スピーナ、
アガティーナその他、名前も覚えていないが、大勢の女と寝た……しかし、もうたくさん
だ! 今晩、国へ発つことにする。わたしを包み、わたしを刻み、ねたしに形を与えてく
・・・
れるのは、別の空気なのだ」「アントニオ師の話では、あちらではすべてが幻想だそうで
すよ」「偉大な歴史は幻想から生まれる。このことを忘れてはいかん。わたしたちのもの
・・・
は一切、こちらの人間には幻想的に思えるのだ。幻想というものについて感覚を失ってし
まっているから。彼らは遠いもの、不合理なもの、過去のなかにあるもの、それら一切を
・・・
幻想的と呼ぶのだ」アメリカ生まれの男はそこで息をついで、「幻想的なものは未来のな
かにあることを、彼らは理解しようとしない。未来こそ幻想的なのだ」……二人は小間物
屋の並んでいる通りに差しかかっていた。いっこうにやまなくて、帽子のひさしから滴の
落ち始めた小雨のぜいで、通りに普段の活気はなかった。アメリカ生まれの男は、出発の
前夜のミチョアカンで、友人やクラブの仲間から頼まれた土産のことを思い出した。依頼
された大理石の見本やポーランド産の琥珀のステッキ、カルデアの書肆の稀襯本などを蒐
める気は、もとよりなかった. また、小さな桜桃酒の樽やローマの貨幣でその荷をさらに
重くする気もなかった。螺釦をちりばめたマンドリンだが……度量衡検査官の娘の注文で
あった、これは。しかしマンドリンなら、自分の体のあそこについているだろう。そいつ
を弾けばいい! そのために十分に音合わせはしてあるはずだ。しかし、向こうに見える
あの楽器店には、気の毒なフランシスキーリョの歌と楽器の先生が慎ましく依頼した、ソ
ナタやコンチェルト、オラトリオがあるに違いない。二人は店に入った。売り子はまずド
メニコ・スカルラッティのソナタをいくつか出して来た。「大した男ですね」あの晩のこ
とを思い出しながらフィロメーノが言った。「なんでも噂では、あの色男、スペインにい
51
るそうだ。気前が良くて惚れっぽい王女のマリア・バルバラを蕩し込んで、賭博の借りま
で払わせたらしい。もっとも、賭場のテーブルにトランプがある裡は、あの男の借金は増
え続けるだろう」「人間だれでも欠点はありますよ. たとえばこの男は、いつも女の尻を
追っかけ回しています」フィロメーノはそう返事をしながら、それぞれ美しいソネットで
始まる――説明されている――『春』
『夏』
『秋』
「冬』と題されたヴィヴァルディの協奏曲
を指差した。「この男は、たとえ冬を迎えても、いつまでも春の気分で生きていくさ」と
アメリカ生まれの男は応じた。しかしこのとき、売り子は非常に優れたオラトリオを客た
ちにすすめた。「
『メサイア』という曲です」
「やっぱり!」とフィロメーノが叫んだ。
「あ
のサクソン人も負けてはいませんね」さらに楽譜を開いて、「こいつは驚いた! トラン
ペットにぴったりの曲だ。これならわたしにも吹けますよ」
フィロメーノは、
『コリント書』の二つの節に基づいてゲオルク・フリードリッヒが書い
たバスのアリアを、感嘆しながら何度か読み返した、「一流の演奏者だけでしょうね、楽
・・・・・・・
器からこんな曲が引き出せるのは。それにしても、この文句はスピリチュアルそのもので
すよ。たとえば、これです」
ザ・ト ラ ン ペ ッ ト・シ ャ ル・サ ウ ン ド
喇叭は鳴り渡るだろう
ア ン ド・ザ・デ ッ ド・シ ャ ル ビ ー・レ イ ズ ド
そして死者は甦るだろう、
インコラプタプル
インコラプタプル
朽ちずに、朽ちずに、
ア ン ド・ウ ィ ー・シ ャ ル・ビ ー・チ ェ ン ジ ド
そしてわれらは変わるだろう、
ア ン ド・ウ ィ ー・シ ャ ル・ビ ー・チ ェ ン ジ ド
そしてわれらは変わるだろう!
ザ・ト ラ ン ペ ッ ト・シ ャ ル・サ ウ ン ド
喇叭は鳴り渡るだろう、
ザ・ト ラ ン ペ ッ ト・シ ャ ル・サ ウ ン ド
喇叭は鳴り渡るだろう!
荷物をまとめ、アステカの暦が装飾に使われている堅い革のスーツケースに楽譜をし
まってから、アメリカ生まれの男と黒人は鉄道の駅へ向かった。急行の発車時間までには
ワ
ゴ
ン・リ・ク
ッ
ク
まだ間があった。旅行者は食堂付き寝台車の客室の窓から顔を出して、湿っぽい風に震え
ながらプラットフォームに立っているフィロメーノに言った。「一緒でなくて残念だ」
「も
う一日だけ、ここに残ります。今夜は一生に一度の機会ですから」「それもそうだ……で、
いつ国へ帰る?」「分かりません。差し当たり、パリヘ行くつもりです」「女か? それ
ともエッフェル塔を見にか?」「いいえ、女ならどこにでもいます。エッフェル塔も、も
うずいぶん前から珍しくなくなりました。文鎮ぐらいじゃないですか、使い道は」「する
と……」
「パリヘ行ったら、ムッシュー・フィロメーヌと名乗ります。Ph の綴りを使って、
e にアクサン・グラーヴを置いて、Monsieur Philomène とするわけですよ。しかしハバ
ナではまた、黒んぼのフィロメーノ、に戻ります。綴りも Filomeno に」
「そのうち変る。
52
第8章
黒んぼ、などとは言わなくなる」
「革命が必要でしょうね、それには」
「わたしは、革命を信
じない」「それはそうでしょう。向こうのミチョアカンでは大金持なんですから。お金持
・・・・
が革命を愛するわけはありません……一方、すでに多数であって、日毎により多数になっ
・・・・・・・・・・
て行くわたしのような人間は……」ふたたび――何百年もの歳月である、これでいったい
モーリ
何度目なのだろう?――時計台の《黒人》が槌を振り下ろした。「あれを聞くのも、恐ら
く、これが最後だろうな」とアメリカ生まれの男が言った。「この旅行はずいぶん勉強に
なった」「可愛い子には旅をさせよ、とも言いますからね」「偉大なカパドキアの神学者、
聖バシリウスはある珍しい書物のなかで言っている。モーゼはエジプトの生活で大いに学
ぶところがあった。ダニエルが夢占い――近頃またはやっているらしい、こいつが!――
に長じていたのは、カルデアの魔術師からしっかり教え込まれたからだと」「せいぜい頑
張って下さい」とフィロメーノが言った。「わたしはこのトランペットを大事にして……」
「仲間があって結構だ。トランペットは威勢がいい。怒りっぽくて、なかなか口の悪い楽
・・
器だ」「ですから最後の審判に、碌でもない人間どもに最後のかたをつけさせるときに、
使われるんですよ」と黒人が言った。「碌でもない人間が消えるには、時の終わりを待た
なければいけない」とアメリカ生まれの男が応じると、黒人は、「不思議ですね。時の終
わり、の話ばかりですよ。なぜ、時の始まり、について言わないんでしょう?」「キリス
ト復活の日がそれだ」アメリカ生まれの男の言葉に黒人が応じた。「それまで待てません
よ」……。駅の時計の長い針が、午後八時とそれをへだてる最後の一秒をまたいだ。汽車
がゆっくりと闇に向かって走り出した。「達者でな!」
「今度は、いつでしょう?」
「明日か
な?」
「それとも昨日かも……」と黒人は言ったが、しかし《昨日》というその言葉は、機
関車の長い汽笛の音に掻き消されてしまった……、フィロメーノは灯火のほうを振り返っ
た。急に、町全体が老け込んでしまったように感じた。到るところに亀裂の走る壁。人間
以前に存在していて、物が造られるや否やそれに寄食し始めたヘルペスや茸で汚れた壁。
それらの表面に雛が寄り始めた。鐘楼、ギリシア風の馬、シリア風の角柱、モザイク、円
・・・・・・・・・・・
蓋、紋章。トラベラーズ・チェックを使う人間を惹きつけるために世界じゅうにばら撒か
れたポスターでよく見かけるそれらも、この映像の増殖のなかで、眺める者に苦難の旅
の証しを要求する聖地としての威厳を失っていた。水面が上昇しているように思われた。
モーターボートが通過するたびに波が立った。小さいが根気よく着実に押し寄せる波は、
左官屋の手入れや現代的な建築家の補修のお蔭であちこちでつかの間の豪華さを誇ってい
る館を支える、杭や棒や支柱に当たって砕けた。ヴェネツィアは刻々と、その濁った波の
底に沈みつつあるかのように思われた。土台を洗い崩された病んだ都会の上を、その夜は
深い悲哀が蔽っていた。しかし、フィロメーノは悲しんではいなかった。悲しんでいるど
ころではなかった。今夜、三十分後に、あの演奏会が始まるのだ。ザカリアスの神やイザ
53
ヤの主のように、或いは聖書のなかの最も喜びに満ちた詩篇が要求するようにトランペッ
トが吹ける人間の、あの期待された演奏会が始まるのだ……。音楽が長短の拍節の形を取
るためには、果たされねばならぬことがまだ無数にある。そこでフィロメーノは、ルイ・
アームストロングの類まれな金管楽器が間もなく鳴り渡ることを告げるポスターで飾られ
たホールヘ向かって、いとも軽やかな足取りで歩き始めた。彼の考えるところ、この水上
都市にただ一つ残されている生気に満ちたもの、現実的なもの、未来に向けられているも
のは、結局、この下のほうに存在する原始的で同時にピュタゴラス的なリズム、さまざま
なリズムであった。これらのリズムは他の場所には存在しないのだ。人類は、ごくごく最
近のことだが、彼ら自身の世界の音楽、循環的な幾何学の単調きわまりない対位法を除い
ては、この世界には音楽は存在しないことを確認した。この地球の憂欝な住民たちは、エ
ジプトやシュメールやバビロニアの聖なる月に登ってみたが、そこにただ、役に立たぬ岩
石の転がった天体の塵芥処理場を、石ころと塵の古物市を見出しただけであった。それら
の古物市こそは、しかし、さらに遠い軌道で開かれている他の古物市の存在を教えるもの
である。そして、すでに映像という形で示されたこの存在は、堕落しきったと思うことが
間々あるこの地球も、よくよく考えれば、ある連中が主張するほど忌まわしいものでも、
感謝に値しないものでもないことを示唆している。誰がなんと言おうと、それは宇宙で最
も住みやすい家なのだ。またあの存在は、われわれの知るかぎりその種のなかでもとりわ
け極悪非道、太陽を動力とするルーレットで勝負を争う相手のいない――恐らくそれ故
に、選ばれた者であるのだ。これを否定する事実はどこにもない――人間は、まず自分の
パぞことをしっかりやる以外に道はないことを示唆している。オグン河*2 の砂鉄やエレグ
アの道に、契約の箱や商人の追放に、思想と商品のプラトン的な大市場やパスカル保険会
社の有名な投機に、或いは言葉やたいまつに、その問題の解決を求めるか否かは、これは
各人が決めることだ。差し当たりフィロメーノは、地上の音楽にかまけていれば良かっ
た。天上の音楽などは彼の知るところではない。そのフィロメーノが劇場の入口でチケッ
トを渡すと、尻の馬鹿でかい――黒人は一切のものを、手で触れることの出来る直接的な
ものとして知覚する、特異な能力に恵まれていた――客席係の女が座席まで案内してくれ
た。やがて雷鳴のような拍手喝采が轟く熱狂の渦のなかで、天才ルイスが姿を現わした。
彼はトランペットに口を当て、他の者にはまねの出来ない『ゴー・ダウン・モーザス』を
演奏し始めた。やがて『ジョウナ・アンド・ザ・ホエイル』に移ったが、この曲が真鍮の朝
顔を伝いながら昇っていく劇場の天井には、恐らく明るいティエポロの筆になる、妙なる
歌を唱する薔薇色の肌の楽人たちが飛んでいる姿が描かれていた。
『イジキアル・アンド・
ザ・ホイール』とともに聖書はふたたびリズムと化し、やがてそれは『ハレルヤ、ハレル
*2
ナイジェリアの河で全長三百キロ。ヨルバ地方を経てラゴス湖に注ぐ。
54
第8章
ヤ』へと移っていった。この曲はそれを聞いているフィロメーノの脳裡に、不意に、あの
・・・
人物の姿を、あの夜のゲオルク・フリードリッヒの姿を浮かび上がらせた。今は、ウエス
トミンスター寺院の大理石の間のルヴィリャック*3 作のバロック的な彫像の下に、やはり
神秘的で華麗なトランペットの曲によく通じたパーセルと並んで、眠っているはずだった
が。曲はさらに新しいものに移り、名手のあとについて、舞台に集まったすべての楽器が
合奏し始めた。サキソフォン、クラリネット、コントラバス、電気ギター、キューバンド
・・・・・・・
ラム、マラカス――詩人のバルボアがある個所で歌っているあのティピナグアスは、これ
ではなかろうか?――、シンバル、銀細工師の槌のような音を立てる拍子木、音の鈍いド
ラム、ワイヤー・ブラッシュ、トライアングル、かつては《音色の良いクラーベ》といっ
た意味の言葉で呼ばれたことを忘れた、蓋の上がったピアノ。「カルデアで大いに学んだ
というあの予言者のダニエルが、金属楽器や、プサルテリウムや、キタラや、ハープや、
サンブカなどの楽器による演奏のことを語っているが、きっとこれにそっくりだったろう
な」とフィロメーノは思った……。しかし今は、あらゆる楽器がルイ・アームストロング
のトランペットのあとについて、
『アイ・キャント・ギヴ・ユー・エニシング・バット・ラ
・・・・・ ・・・
ヴ・ベイビー』のテーマの目くるめくような変奏を力強くストライク・アップし始めた。
そしてこの新しいバロック協奏曲に、あたかも思いもうけぬ奇跡のように、あの時計塔の
モーリ
《黒人》が時を告げる鐘の音が明り窓から降り込み、まじり合って一つのものとなった。
一九七四年、ハバナおよびパリにて。
*3
ルイ・フランソワ。フランスの彫刻家 (一六九五-一七六二)。一七二〇年以後はイギリスで活躍した。
55
原註
ヴィヴァルディの『モンテスマ』――ラモーがインカ的な雰囲気を装った「華やかなイ
ンディアス』を書く二年前に、アメリカ的な主題が舞台化された作品目がよほど気に入っ
たらしく、アルヴィーゼ (ジロラーモと呼ぶ者もいる)・ジュウズテイの脚本から想を得
て、イタリアの二人の著名な作曲家、ザェネツィア出身のバルダッサーレ・ガルッピ (一
七〇六-一七八五) とフィレンツェ出身のアントニオ・サッキー二 (一七三〇-一七八六) が、
メキシコ征服の挿話に基づいた新しいオペラを書いている。
アントニオ師の『モンテスマ』のその後についてご教示をいただいた、優れた音楽史家
であり熱心な・ヴィヴァルディ研究者であるロラン・ド・カンデー氏には、深く感謝しな
ければならない。
ピエタ救貧院の滑稽な雰囲気――コルネットの力タリーナ、ヴィオリーノのピエリー
ナ、ヴィオラのルチェッタ等々の存在を含めて――についてであるが、当時の数名の旅行
者が、そしてとくに、名うての蕩児でありヴィヴァルディの友人でもある愉快な院長デ・
ブロッセスが、その淫狽な『イタリア便り』のなかでそれに触れている。
しかし、ここで言う建物は、現在見ることの出来るもの――一七四五年に改築されたも
の――ではなくて、リーヴァ・デリ・スキアヴォー二の同じ場所にあった、それ以前のも
のである。しかしながら、現在のピエタの礼拝堂が、音楽と結ばれたその宿命に忠実に、
劇場のそれによく似た豪奢な屋内バルコニーや、著名な聴衆もしくは身分の高い音楽愛好
者のための広い貴賓席などがある演奏室めいた、特異な布置を残しているのは興味深いこ
とである。
57
付録
『モテスマ』
一七三三年の秋
サンタンジェロ劇場にて
上演予定の
音楽劇
* * *
ヴェネツィアの
マリノ・ロセッティから程遠からぬ
メルセリアの
インセーニャ・デラ・パーチェにて
当局より許可済み
梗概
その英逸と剛気の驚くべき証しとなったが、勇敢この上ないエルナン・コルテスの指揮
下に遂行された、メキシコ征服の歴史は世に知られている。ソリスの著作はあらゆる著述
家のそれに比してはるかに自信を持って書かれている。かの英雄の栄誉に関しては公平を
欠くと見る向きもあるが、しかし余は、ソリスはきわめて誠実であったと信じている。多
くのいきさつがあり、あの首領によって、憧れの土地を訪れるようにとの誘いもあったと
か。しかし、事件を出来るかぎり簡単に語るために、作者は時間をつづめて、コルテスと
その一行が、メキシコのモテスマによって都に迎え入れられたところから物語を始みる。
この交誼は見せかけのものであったと思われる。あの二つの国のあいだにそれは実在せ
ず、さまざまな口実の下に、平和は破れる結果になったからである。作者がこの劇で取り
上げるものは、偉大な王が捕えられ、その王国が征服された最後の災厄の一日に他ならな
58
第 8 章 付録
い。しかし、作者は、舞台に掛けられるものにする目的で、それらに含まれた事実を捨て、
まことしやかな場面を加えた。完壁さにおいては劣るが、しかしお陰で、『モテスマ』と
題するこの劇の上演が可能になったのである。
表現、宿命、神々、神意その他は、あくまで詩的なものに仕上げられており、力トリッ
ク信者たる作者の信仰にいささかも背くものではない。
’
舞台装置の変化
第一幕
宮殿とスペイン軍の幕舎を分ける、メキシコ湖の一部。大きな橋が架けられていて、ぐ。
多くの陸上の部屋に通じる扉のある広間。
第二幕
謁見の間野営地に隣り合って、マリーナの寛大な心にふさわしい広々とした野原。二つ
の陸地をつな、
第三幕
塔と城門のある都市の遠景。正門は閉ざされているが、奥に神殿。横にメキシコの最
高神ウチリボスの像と、犠牲で血塗られた祭壇。勝利を祝って飾られたメキシコ市の大
広場。
配役
メキシコ王モテスマ
王妃ミトレナ
マツシミリアノ・ミセル氏三
アンナ・ジロー夫人
王女テウティーレ
ダルメシュタット殿下によってドイツの名歌手に匹敵すると賞讃さ
れた、ジュゼッパ・ピルケル夫人
スペイン軍の総大将エルナン
トレッレ殿下ご贔負の名歌手、フランチェスコ・ビラツ
ゾー二
総大将の弟ラミーロ
ダルメシュタット殿下ご贔負の名歌手、アンジォラ・ザヌーキ
夫人
メキシコ軍の総大将アスプラーノ
ノ・ニコリーニ
ダルメシュタット殿下ご贔負の名歌手、マリアニ
59
スペインの兵士多数
メキシコの兵士多数
作曲 ヴィヴァルディ
振付 ジョヴァンニ・ガッロ氏
舞台装置 アントニオ・マウロ氏
第 II 部
選ばれた人々
63
第1章
夜明けから無数の丸木舟が集まった。その源を知る者のいない《上手の河》と《右手の
河》が人眼につかぬところで合流して生じた湖、もしくは内海の広い水面に、船脚の速い、
細身の丸木舟が派手に滑り込んでくる。舟子が擢をあやつり、小舟をぴたりと停める。そ
こにはすでに別の丸木舟が集まっている。道化きどゆで舳先から艦へと飛び、余計なむだ
口や軽口をたたいたりしている多勢の人間を乗せて、押し合いへし合い、船べりを接して
停まっている。連中のなかには仲のわるい――女の略奪や食物の奪い合いが原因で、昔か
ら仲のわるい――部族の者も混じっているが、今はいがみ合う気配を見せない。争いなど
忘れたかのように――さすがに言葉は交さないが――うつけた笑いを浮かべて、ただ相手
を眺めている。ワピシャン族とシリシャン族の姿が見えるが、彼らは昔――二百年か三百
年、いや四百年ほど前――蛮刀を振るって闘い、双方に多数の死者を出したものである。
闘いの凄絶なこと、時には、生き延びてその模様を伝える者さえいなかった。しかし、草
木の汁で顔を彩った道化たちは、相変らず丸木舟から丸木舟へと飛び移っていた。鹿の角
をかむった大きな陽根が目立ち、睾丸から垂れ下がった貝殻がタンバリンやカスタネット
のように鳴った。この泰平ぶり、あたりに満ちあふれたこの平穏さは、あとからやって来
る男たちを驚かした。彼らは、手早く解けるように紐でからげた用意の武器を取り出しか
ねて、丸木舟の底の手の届くところにそれを隠した。ところで、このように小舟が集ま
り、敵対する人びとのあいだに平和が生まれ、道化たちが騒ぎ回るという事態が生じたの
には然るべき理由があった。あらゆる部族の者に――急流を越えたところに住む部族や土
地なき部族、火を知らぬ部族や健脚で聞こえた部族、白く雪化粧した峰々に住む部族や
《流れの合わさる遠い土地》の部族の許に――長者が大がかりな仕事を計画し、助けを求
めているという報せが伝えられたのである。敵味方の別なく、部族の者たちは長老アマリ
ワクを尊敬していた。その知慧や博識、長寿や良き助言の故であり、またあの遠い山の頂
きに一枚岩を三つも運び上げた、その怪力の故でもあった。ちなみに、人びとは雷鳴の轟
くのを聞くたびに、あのアマリワクの太鼓が鳴っている、と囁いたものである。勿論、ア
マリワクは神ではなかった。しかし、まことの叡智をそなえた人物で、通常の人間の近づ
きがたい多くの事柄を心得ていた。恐らく昔、《万物を産んだおろち》と言葉を交えたこ
64
第1章
とがあるのだ。これこそは、片方の手でもう一方の手の指先をなぞるように峰々の上に横
・・・・
たわりながら、人間の運命を支配する恐るべき神々を産み、虹にまがうおおはしの美々し
い嘴というかたちで彼らに善を、また、小さく細い頭に猛毒を秘めた珊瑚蛇というかたち
で悪を授けた大蛇なのである。人びとのあいだでは、アマリワクも耄碌してよく独り言を
いい、自分で自分に愚かしい返事をし、まるで人間が相手であるかのように壺や籠、迫持
の材木にものを訊いたりしている、という噂がもっぱらだった。しかし、この《三つの太
鼓の長老》がわざわざ人を呼び集めたとすれば、それは、何らかの変事が迫っているから
に相違なかった。だからこそ、《上手の河》と《右手の河》が合流して出来上がった穏や
かな水面は、その朝、丸木舟で満ちあふれ、埋まったのだ。
広い演壇のように水面に顔を出している平らな岩の上に、長老アマリワクが姿を現わ
し、あたりが静まり返った. 道化たちはめいめいの丸木舟に戻った。呪術師たちはよく聞
こえるほうの耳を彼に向けた。女たちは臼の上で円い石を動かす手を休めた。後方の遠い
小舟からでは、長老が老いさらばえたか否かを見定めることは不可能だった. 平らな岩の
上に立った長老は、芥子粒のように小さいが活発な、轟く虫としか見えなかった。やが
て、長老は手を挙げて語り始めた。《大変事》が人間の身に迫っている、と告げ、今年は
蛇が樹上に卵を産んだ、と教えた。そして、今は理由を説明することは出来ぬが、この大
きな災禍を避ける最善の策は、丘へ、山へ、峰続きへ逃れることだ、と語った。「あんな
ところには草一本、生えていないぞ」意地のわるい笑いを浮かべて長老の話を聞いている
シリシャン族のひとりに、ワピシャン族の男がそう囁いた。ところが、上流からやって来
たカヌーが集まっている遠い左手のほうで、叫び声が上がった。一人の男が喚いた。「こ
んな話を聞かされるために、俺たちは二日と二晩、舟を漕いできたのか?」右手にいた連
中も騒いだ。「いったい何事だ?」左手の連中が喚いた。
「苦しむのは、いつも、カのない
者たちだ!」右手の連中が叫んだ。「ともかく話を聞こう! 彼の話を聞こう!」長老が
ふたたび手を挙げた。道化たちはふたたび沈黙した。長老は、神の啓示によって知ったこ
とを、ここで明かすわけにはいかぬ、と繰り返した。そして差し当たり、出来るだけ短時
日のあいだに大量の材木を伐り出す人手が必要であると言った。玉蜀黍――彼の畑は非常
に広かった――と、彼の庫にあふれているタピオカの粉が代償に与えられるだろう。子供
や、呪術師や、道化を引き連れてやって来た者には、必要なものがすべて、いや、後日わ
が家へ持ち帰ることが出来るものさえ与えられるだろう。今年は――と言ったときの長老
の声は妙に榎れていて、彼をよく知る者たちをいぶからせた――雨季が訪れても、皆が飢
えに苦しむことはない。地中の虫を貧ることもない。何はともあれ、まず、樹をすべて伐
り倒さねばならぬ。樹の根元を焼いて地上に倒し、大小の枝に火を放って、あの向こうに
聳える――と長老は指差した――《三つの太鼓》のように傷のない、滑らかな丸太を切り
65
出さねばならぬ。坂を転がし、水に浮かべて運び出された丸太は、あの空地にと言いなが
ら長老は、自然に出来た広々とした平地を指さした積み上げるがよい。そこで小石を使っ
て、ここに集まった部族のそれぞれが運び出した丸太の数を計算することにしよう……。
長老の話が終った。人びとの喝采もおさまり、ただちに仕事が始まった。
67
第2章
「長老は狂ってしまっだ」とワピシャン族の者が言い、シリシャン族の者がそれを繰り
返した。グアヒボ族やピアロア族の者も同じことを言った。長老が引き渡された丸太で、
人間が想像したこともない巨大な船――少なくともそのとき、それは船の形をなしつつ
あった――を建造し始めたのを見て、伐採に従事していたすべての者がそう咳いた。《三
つの太鼓の丘》の断崖の下から水際までの長さがあり、とうてい水に浮くとは思えない馬
鹿げた船には、これも全く説明のつかない内部の仕切り――動く壁――がいくつか設けら
れていた。さらにこの三層の船の上に、椰子の葉を四段に重ね, て屋根を葺き、四方に窓
を開けた、家と思われるものが築かれつつあった。吃水もまた非常に深くて、砂の浅瀬
や、わずかに頭を覗かせた岩の多いここの水面では、とうてい浮くとは考えられなかっ
た。したがって、それが船の形をし、竜骨、肋材、その他の航海にふさわしいものを備え
ているのは、実に馬鹿げた、理解に苦しむことであった。これが海を渡る船であるはずが
ない。また、神殿であるはずもない。神々の礼拝が行われるのは、《祖先》によって動物
やき狩猟の情景や、異様に乳房の大きな女の姿などが描かれた山頂の洞窟の奥と決められ
ている。長老はついに狂った。しかし、長老はその狂気を糧に生きていると思われた。タ
ピオカや玉蜀黍は十分にあった。壺でかもして酒を造る玉蜀黍さえあり、日毎に巨大なも
のになっていく《大船》の蔭で賑やかな酒盛りが行われた。やがて長老は、艶やかな葉を
した樹の幹から白い樹脂を採取するように命令し、丸太の接ぎ合わせの狂いから生じた隙
間にそれを詰めさせた。夜になると人びとは焚き火のまわりで踊り狂った。呪術師たちは
大きな《島の仮面》や《心の仮面》を取り出した。道化たちは鹿や蛙の動作をまねた。部
族のあいだで争いや仕返し、残忍な決闘などが行われた。新しい人びとがやって来て労役
に加わった。まさに祭礼の賑いだったが、ある旧アマリワクは、《大船》の上に載せられ
た家の屋根に花の付いた小枝を一本立てて、ついに仕事の終ったことを告げた. 人びとは
タピオカの粉と玉蜀黍の報酬を十分に与えられ、多少の淋しさを感じながら、それぞれの
土地へ小舟で去っていっだ。満月の下に馬鹿げた船、何人も未だかつて見たことのない船
が取り残された。地上に築かれたぞれは、上に家を載せた船のような形をしてはいても、
水に浮くとはとても思えなかったが、アマリワクはその四角い椰子の屋根の上を歩き回り
68
第2章
ながら、奇妙な身振りを繰り返していた。《すべてを造りし者の大いなる声》が彼に話し
かけているのだった。長老は未来の境を越えて、この神秘の声に耳かたむけた。「ふたた
び地上に人間を住まわせ、女にその肩越しに椰子の種子を投げさせるがよい」時折、それ
自身が秘めた死の甘美さに戦きながら、響きのよい言葉で人の血を凍らせる《万物を産む
おろち》の声がした。「なぜ、このわしに」と長老のアマリワクは考え込んだ。
「人間には
禁じられた《大いなる秘密》が託されたのだろう? なぜ、わしが選ばれて恐ろしい呪文
を唱え、このような大仕事を引き受けるはめになったのだろう?」好奇心に富んだひとり
の道化があとに残った一艘の小舟に潜んで、これから《大船の居据わる妖しい場所》で起
こることを見ていた。月が近くの山々の背後に隠れたとき、アマリワクのものとは思えぬ
大音声で、かつて人間が聞いたこどもなく想像しだこともない《呪文》が響きわたった。
そして同時に、伐採のあとに残されていた草や木、小枝や土の入りまじったものが動き出
した。跳ね上がったり、宙を飛んだり、地を這ったり、忙がしく駆けたり、仲間を突きと
ばしたり、大変な騒ぎを演じながら《大船》に向かって移動した。夜明け前の空は鷺の大
群で白くなった。猛々しく砲障し、恐ろしい爪を剥き沸長い鼻や円い頭を振りたて、跳ね
回り、棒立ちになり、角を振り回すけものの大群が、あらゆるものを巻き込む凄まじい勢
いで奇妙な船に押し入った。そしてこの大群の振り立てる角や、蹴り上げる脚や、剥き出
した牙などを避けながら、船の上を蔽っていた鳥たちが慌しく船内に飛び込んでいった。
さらに、大きな蜥蜴やカメレオンや種々の小型の蛇――尾の先で音を出したり、パイナッ
プルを装ったり、全身に號珀や珊瑚色の輪を巻いたりしている蛇――を含めて、水と陸の
あらゆる爬虫類で床が埋まった。正午をかなり回ったころ、赤鹿の場合もそうだったが報
せを受けるのが遅れた人間や、もともと苦手なのに産卵期のせいでいっそう辛い長旅を強
いられた亀などが、やっと到着した。長老のアマリワクは最後の亀が船内に入ったのを見
届けると、《大戸》を閉めて溝家族の女たち――彼らのあいだでは十三歳で結婚するのが
ならわしだから、すなわち部族の女たち全員――が唄を歌いながら石臼を礁いている、家
のいちばん高いところへ昇っていった。その日の正午、空が真っ暗になった。黒土地帯の
黒っぽい土が、地平線のあちこちから舞い上がったかのように思われた。そしてそのと
き、《すべてを造りし者の大いなる声》が響きわたった。
「耳をふさげ!」アマリワクがそ
の声にしたがったのとほどんど同時に、《大船》の動物たちがしばらく聾になったほど凄
まじく、長い雷鳴が轟き、雨が落ち始めた。しかしこの雨は、読者らが知っているものと
はおよそ違っていた。それは《神々の怒りの雨》であった。天から下りた厚みの知れぬ水
の壁であり、絶え間なく崩れる水の天井であった。この雨の下では息をすることさえまま
ならないので、長老は家のなかへ引づ込んだ。あちこちで雨漏りが始まり、女たちが泣
き、子供たちがしゃくり上げていた。もはや昼と夜の別も明らかではなかった。夜ばかり
69
が続いているかのようであった。実はアマリワクは蝋燭を用意していたが、それを点して
も一日か一晩もつのがやっと、やがてこの灯火も尽きて日数の計算が混乱し始めた。昼を
夜と、夜を昼ととり違えるようになった。そして突然――長老はこの瞬間を生涯忘れない
だろう――船の舳先が大きく横に揺れ始めた。あるカが、《峰々と天の神々》のお告げに
よって造られた船を浮かし、高だかと持ち上げ、ゆさぶったのである。アマリワクは緊張
と動揺、そして不安で居たたまれなくなり、玉蜀黍をかもした壺の酒を飲んだが、やがて、
どすんという鈍い音が聞こえた。《大船》と大地との最後の絆が断ち切られたのだ。《大
船》は動き出した。そして峰々のあいだに生じた奔流、絶え間ない怒号によって人間や動
物を脅かす奔流へと突進していった。こうして《大船》の漂流が始まった。、
71
第3章
最初、アマリワクは息子や曽孫、玄孫たちと一緒に甲板に出て、足を踏んばり声を掛け
合って舵を操作しようと試みたが、無駄な努力に終った。峰々に囲まれた《大船》は雷に
打たれ、独楽のように旋回しながら奔流から奔流へと押し流されていった。暗礁に乗り上
げず、何かにぶつかるという不運もなかったが、それはむしろ、荒れ狂う水の流れに身を
まかせるしかない、船自体の頼りなさのお蔭だった。長老は船ばたから外を覗いた。真北
から逸れて――果たして星が見えたのだろうか?――、完全に方角を失った《大船》がか
なりの速さで、峰々も火口も小さく見える泥の海を突進しているのが眼に映った。かつて
は火焔を噴いていた火口も間近で見れば、小さな穴でしかなかった。流れ出した溶岩もさ
ほどの恐怖を感じさせない。山腹が徐々に水に呑まれていくために、峰もしだいに小さく
なっていく。《大船》は当てどなく漂流し、時折旋回しながら危険な浅瀬に向かって進ん
だがと思うと、下の穏やかな水面に滝となって流れ落ちる急流に身をおどらせた。このよ
うに未知の難所を漂っていたある日、あやふやだがアマリワクの計算によれば二十日以上
も、流然と降り続いた雨がついにやんだ。水面から頭を出し、高さ数千尺のところに泥深
い浜の延びる峰々のあいだに、大きな湖が、穏やかで広い海が出現し、《大船》の揺れは
止まった。《すべてを造りし者の大いなる声》に休息を命じられたかのように。女たちは
石臼の前に戻った。下の動物たちも落着いた。実はあの《お告げ》の日から、肉食獣も含
めてすべての動物が玉蜀黍とタピオカという毎日の餌で満足していたのだ。疲れ切ったア
マリワクは酒を思い切りあおって、ハンモックに横たわった。
眠ってから三日後、彼は船が何かとぶつかった衝撃で目が覚めた。それは、岩でもなけ
れば石でもなかった。また、化石となって森の奥の空地に転がっている、あの古木の幹で
もなかった。衝突のあおりで壺や什器、武器などが倒れていた。しかし衝突そのものは、
水を含んだ材木、或いは浮いている丸太と丸太がぶつかり合って、双方が夫婦のように連
れ立って流されていくといった、きわめて穏やかなものであった。アマリワクは上に昇っ
てみた。彼の船は斜め方向から非常に奇妙なものに衝突していた。別に損傷を蒙っている
ようでもなかったが、それは、肋材が剥き出しになった、竹と灯心草で造られた大きな船
だった。さらに奇妙なことにその船には、微風――すでに大風はやんでいた――を受けて
72
第3章
四つの面を持った長方形の帆がくるくる回る、一本の柱が立てられていた。小屋の煙出し
ではないが、下から吹き上げる風をつかまえる仕掛けになっているのだろう。生きものの
気配の全くないこの陰気な船を眺めながら、長老のアマリワクは壺――言うまでもなく、
玉蜀黍をかもした酒の入った壺――の上手な買い手のような眼付きで船体の大きさを計
算した。それは長さ三百尺、幅五十尺、高さ三十尺ほどの船だった。「わしの船と似たり
寄ったりだな」と長老は眩いた。「もっともわしは、お告げで示された寸法より多少、大き
目にこしらえた。神々は空ばかり飛んでおられるので、海のこと目はあまりご存知ない」
そのとき奇妙な船の戸口が開いて、赤い帽子をかぶった非常に小柄な老人が現われ、ひ
どく興奮したようすで叫んだ。「どうした、綱をよこさんのかね?」 老人の言葉は抑揚
の激しい奇妙なものであったが、アマリワクに、は理解できた。あの時代の賢者たちは人
類のあらゆる言語、方言、隠語を解したのである。アマリワクはその異様な船に綱を投げ
るよう命令した。二艘の船は近づき、長老は顔のかなり黄がかった老人と抱き合った。老
人はシンの国の者だと名のった。その土地の動物をやはり《巨船》に積んでおり、戸口を
開いてアマリワクにそれを示した。自由に動き回れぬように木の囲いに入れられた未知の
動物たちの姿は、アマリワクの想像したことのないものだった。アマリワクは、ひどく醜
い黒熊が這い上がってくるのを見てうろたえた。下のほうには、背中に瘤のある大型の鹿
らしいものがいだ。《豹》と呼ばれていたが、落着きなく動き回る猫科の動物もいた。「こ
こで何をしておられる?」とシンの老人がアマリワクに尋ねた。「あんたは?」とアマリ
ワクが言うと、シンの老人は答えた。「わしは人間や動物を救おうとしておる」それを聞
いてアマリワクは言った。「わしも人間や動物を救おうとしておる」シンの老人の女たち
が米をかもした酒を運んできたので、その夜はもはや、明らかにすべき大事は話題になら
なかった。シンの老人と長老のアマリワクの二人がかなり酒に酔い、夜明けも近づいたこ
ろ、凄まじい衝撃で二艘の船が揺れた。四方に窓のある居住用の建物を上に載せた一艘の
長方形の船長さが三百尺、幅がほぼ五十尺、高さが三十尺から五十尺の船が、綱で繋がれ
た二艘の船に衝突したのだ。まずい舵さばきに苦情をいう暇を与えず、非常に年老いた長
髯の男が舳先に現れて、けものの皮に書かれたものを読み上げ始めた。すべての者に聞こ
えるように、また舵さばきのまずさを責める者が現われないように、男は大きな声で読み
上げた。「ヤハウェは言われた、ゴーフェルの木で方舟を造り、方舟のなかに部屋をこし
らえ、方舟の内と外を土渥青で塗れ。方舟に一階、二階、三階をしつらえよ」
「この船も三階だ」とアマリワクが言ったが、相手はかまわず続けた。
「わたしは、生命
の息のある、肉そなえたもののすべてを空の下から滅ぼすために、地上に洪水をもたらす
ことにした。地上にあるものはすべて死に絶えるであろう。しかし、わたしはそなたと契
約を結ぼう。そなたはそなたの息子たちや、そなたの妻や、そなたの息子たちの妻ととも
73
に方舟に入るがよい……」「わしも同じことをしたはずだが……」と長老のアマリワクが
言ったが、相手はかまわず続けた。「そしてすべての生きもの、すべての肉そなえたもの
のなかの、それぞれの種の二匹を、そなたとともに生かすために、方舟に入れよ。それら
は雄と雌でなければならぬ。鳥もその種にしたがって、また地を這うものもすべてその種
にしたがって、それぞれ二匹ずつ、そなたとともに方舟に入り、生き延びるようにせよ」
「わしもそうしなかったかな?」と長老のアマリワクは、似たり寄ったりの《お告げ》を鼻
にかけた異土の男のようすに驚きながら、そう眩いた。しかし船から船へと往き来してい
るうちに、友情の絆が生まれた。シンの老人も、長老のアマリワクも、新たにやって来た
ノアも大の酒好きであった。ノアの葡萄酒と長老の玉蜀黍の酒、それにシンの老人の米の
酒のお蔭で一同は和やかな気分になった。最初は遠慮がちだったが、それぞれの人間の暮
らしぶり、とりわけ女や食べものについて尋ね合った。今では雨は時折ぱらつくだけで、
しかもその度に、少しずつ空が明るくなっていった。頑丈な方舟の主であるノアが、すべ
ての植物が死に絶えたか否かを探るために、何か手を打っては、と提案した。そして形容
に窮するほど濁ってはいるが静かに凪いだ海に、一羽の鳩を放った。かなりの時間がたっ
てから、鳩は嘴にオリーブの小枝をくわえて戻ってきた。それを見て長老のアマリワクは
一匹の鼠を水面に投げた。かなりの時間がたってから、鼠は脚で玉蜀黍の穂を抱いて戻っ
てきた。それを見てシンの国の老人が一羽の鵬鵡を放つと、鵬鵡は翼の下に稲の穂をかか
えて戻ってきた。生命が蘇りつつあるこどは間違いがなかった。あとはただ、神殿や洞窟
の奥から人間の営みを見そなわす《神々のお告げ》を待つばかりであった。水位も次第に
下がり始めた。
75
第4章
日が過ぎたが、《すべてを造りし者の大いなる声》は、またヤハウェ――ノアはこの神
と長ながと語り、アマリワクが得たものよりはるかに明確な指示を与えられたかに見えた
――の声は沈黙していた。シンの国の老人が聞いたという、水泡のように軽やかに空を漂
う《万物を造り給すた者》の声も同様であった。船べりを接した船の主たちは困惑し、手
をこまぬいていた心水が減って、山の姿がしだいに大きくなった。霧の晴れた水平線にふ
たたび山波が浮かび上がった。そしてある日の午後、船主たちがそれぞれ不安や懸念をま
ぎらすために酒を飲んでいると、第四の船が現われたことが報された。それはほとんど純
白に近い、実に優美な船体をしていた。舷側はよく磨かれ、これまで見かけたことのない
帆が張られていた。舟脚も軽く近づいてきたその船から、黒い毛織のケープをはおった船
主が現われて、言った,「わしはデウカリオーンだ。オリュムポスと呼ばれる山が讐える土
地から来た。《天と光の神》によつて」この恐るべき大洪水が終ったとき、ふたたび地上
に人間を住まわせるよう命ぜられたのだ」「ひどく小さい船のようだが、動物たちはどこ
にいる?」とアマリワクが訊くと、新たにやって来た男は答えた。「動物のことは聞かな
かった、この大洪水が終ったら、わしは大地の骨である石を拾い、わしの妻のピューラー
が肩越しにそれを投げる。それぞれの石から人間が生まれるはずだ」「わしも椰子の種子
で同じことをしなければならぬ」とアマリワクは言った。そしてそのとき、次第に近くな
る岸に立ちこめた霧のなかから、ノアの船にそっくりな一艘の大きな船が現われ、敵に襲
撃をかけるような勢いで進んできた。しかし、乗り組んでいる男たちの巧みな舵さばきで
向きを変え、ぴたりと停まった。「わしはウト=ナピシュティムという者だ」と新しい船
主がデウカリオーンの船に飛び移りながら言った。
「わしは《流れの主》を通して、やがて
起こることを知った。そこでわしは方舟を造り、家族の者ばかりでなく、あらゆる種類の
動物の選びぬかれたものを乗せた。最悪の状態は過ぎたように思う。まず、わしは一羽の
鳩を空に放ってみた。ところが鳩は、生命の証拠となるものを何も見つけることが出来ず
に、戻ってきた。燕の場合も同じことだった。しかし烏は戻らなかった。食べるものを見
つけた証拠だろう。わしの信じるところでは、わしの国の《河の入口》と呼ばれている土
地には、同胞が残っている。水は減り続けており、それぞれの土地へと戻るときが来たよ
76
第4章
うだ。あちらこちらから畑まで運ばれてきた大量の土のお蔭で、これから暫くは豊作が続
くに違いない」それを聞いてシンの老人が言った。「すぐに戸口を開いて、泥の溜った牧
場く動物たちを放してやろう。ふたたび彼らのあいだで闘いが始まり、互いを貧りくらう
ようになるのは眼に見えているが。ただ、わしは竜を救うという幸運に恵まれなかった。
残念しごくだ。今やこの動物は死に絶えようとしでいる。牙の曲がった象が草をはみ、大
きな蜥蜴が胡麻の袋にそっくりな卵を産む北の土地で、雌にはぐれた一頭の雄の竜しか見
つからなかったのだ」「問題は、人間がこの危機をくぐり抜けて、多少とも利口になった
か否かだ」とノアが言った。「山頂に逃れて助かった人間も多勢いるはずだが」
船主たちは静かにタ食を取った、胸の奥に秘めて表には出さなかったが、彼らは泣きた
いほどの深い苦悩に苛まれていた。神々によって選ばれた――聖別された――という誇り
は跡形もなく消えていた。要するに、多くの神々が存在し、それぞれの人間に同じお告げ
を授けたのだ。
「わしらのものに似た別の船が、きっと、その辺を漂っているのだろう」と
悲しげな声でウト=ナピシュティムが言った。「水平線の彼方に、いや、そのはるか彼方
に、やはりお告げを受けた人間がいて、動物たちを積んだ船で漂流しているに違いない。
《火と雲を崇める国》の人間もいるはずだ」「話に聞けば、非常に勤勉な《北方の国々》の
人間もいることだろう」その瞬間、《すべてを造りし者の声》がアマリワクの耳許で轟い
た。「他の船から離れ、流れのままに進め!」
長老以外の誰の耳にもこの恐ろしい命令は聞こえなかった。しかし、すべての者に何か
が起こったことは確かだった。別れの挨拶もそこそこに、慌しく各自の船に戻っていった
からである。それぞれの船が、ようやく河のかたちをなし始めた水面に適当な流れを見
出した。そして程なく、長老のアマリワクのそばには家族や動物たちしか残らなかった。
「神々の数は多いのだ」と長老は思った。「種族の数だけ神々があるところに平和が生まれ
るはずはない。この《世界》に存在するものをめぐって、恐らく、人びとは闘いに明け暮
れることだろう」神々の存在がひどく卑小なものに感じられたが、しかし長老にはまだ果
たすべき仕事があった。長老は《大船》を岸に近づけた。妻妾の一人のあとについて船を
下りながら、彼女に命じて、袋に入っていた椰子の種子を後ろに投げさせた。種子は立ち
どころに――奇跡のように――人間の男に姿を変えた。そして見る間に大きくなり赤子か
ら幼児、幼児から少年、少年から一人前の大人の背丈まで伸びていった。女の種を秘めた
種子についても同じことが起こった。一夜明けると、岸は無数の人間で埋まった。しかし
そのとき、ひとりの女がさらわれたという噂が広まり、人間たちは二手に分かれて闘い始
めた。アマリワクは急いで《大船》に戻り、救われたばかりの、造られたばかりの人間た
ちの殺し合いをじっと跳めた。復活のために選ばれた岸で占めるその場所に応じて、どう
やら《小山の党》と《谷口の党》が生まれたようであった。飛び出した眼球が顔面に垂れ
77
ている者がいた。臓物がはみ出している者がいた。石で頭を割られた者がいた。「時間を
無駄にしただけのことだったか」とアマリワクは呟き、《大船》を水に押し出した。
訳者解説
81
鼓直
六〇年以降のラテン. アメリカ現代小説に対する関心の高まりのなかで、ボルヘス程で
はないけれども、アレッホ・カルペンティエールの作品もかなりの数のものが邦訳され
た。例えば、彼の初期の代表作である『この世の王国』(創土社) や『失われた足跡』(集英
社) を初めとして、短篇集『時との戦い』(国書刊行会)、
「大使閣下」(時事通信社・『現代
キューバ短篇小説集』)、「犬と逃亡奴隷」(新日本出版社・『世界短篇名作選』ラテン・ア
メリカ篇) などが挙げられる。とくに『この世の王国』
『失われた足跡』
『時との戦い』は、
カルペンティエールの世界をもっともよく示すものとして関心を呼んだ。
「キューバのプルースト」などとも言われ、傑作『楽園』によってカルペンティエール
と並んでキューバの前衛的な文学を代表しながら、わが国には全く紹介されぬまま先年物
故したホセ・レサマ・リマに比較すれば、カルペンティエールのこの持てはやされ方は幸
運としか言いようがない。
スペイン系らしからぬ姓を持つアレッホ・カルペンティエールは一九〇四年、フランス
人を父に、白系ロシア人を母に、首都のハバナで生まれた。父のジョルジュ・ジュリアン
は、その祖先に仏領ギアナの探険者の一人を有する人物。二年前にキューバの土を踏んだ
フランス人の建築家であり、一時はパブロ・カザルスに師事したこともある音楽の愛好家
であった。また、母のリナ・ヴァルモントはロシア革命のために故国を去り、スイスで医
学を修めた人で、文学少女的な側面を残した語学教師であった。この両親の性癖、嗜好が
カルペンティエールの音楽と建築についての、また、スペインのみならずヨーロッパ全体
の文学に対する関心を決定づけたことは疑えない。
ハバナで初等教育を受けた後、カルペンティエールはパリの親戚をたよってリセ・ジャ
ンソン・ド・サイイに入学、とりわけ音楽理論に興味を示した。二〇年代初めに帰国、ハ
バナ大学で建築を専攻することになったが、誰よりもそのことを期待した父ジョルジュが
家族を捨てて出奔するという、思いもかけぬ事態に直面させられた。そのために大学を中
退、ジャーナリズムの世界に飛び込んで、母や弟妹の面倒を見るはめに陥った。当時の
キューバを牛耳っていたのはサヤス独裁政権で、カルペンティエールはこの政権を激しく
糾弾する「十三人の抗議」運動に参加しながら、徐々にジャーナリズムで頭角を現わして
いった。二三年に『イスパア』誌の編集者、翌二四年には、ラテン・アメリカ前衛主義の
本拠の一つとなった『カルテレス』の編集長となり、大戦後のヨーロッパの新思潮の紹介
に努力した。ジャーナリストの会議が開催されたメキシコで多くの詩人、芸術家を知る機
会を与えられたが、その直後の二七年、ホルヘ・マモック、フアン・マリネーリョと共同
して『レビスタ・アバンセ』誌を創刊した。別の独裁者ヘラルド・マチャードの暴政を攻
撃した文書に名をつらねたことが理由で、八月から翌年三月まで政治犯として投獄された
82
第4章
が、出獄後はただちに、有名な作曲家マアデオ・ロルダンと協力してストラヴィンスキー、
プーランク、サティなどの新しい音楽をキューバの聴衆に紹介した。この間も政府の弾圧
は続いていたが、幸いなことに、ハバナで開かれたジャーナリストの会議でロベール・デ
スノスに出会い、そのパスポートを借りて、無事パリに脱出することができた。パリでは
放送の仕事に関係したり、キューバの雑誌に寄稿することで糊口をしのいでいた。詩作も
し、小説にも手を染めた。十余年間の長きにわたるパリ滞在でもっとも意味深い出来事
は、例のデスノスを通じてシュルレアリスムのグループに接近できたことである。アラゴ
ン、ツァラ、エリュアール、サドゥール、ペレ、キリコ、タンギー、ピカソ・ブルトンら
の知遇を得て、一三年に『イマン』という雑誌を発刊、シュルレァリズム関係の翻訳やラ
テン・アメリカ作家の作品を掲載した。残念なことに一号で終ったけれども。
三三年、ハバナの獄中で書いたと伝えられるアフロ・キューバ的な雰囲気の横溢した小
説『エクエ・ヤンバ=オー!』がマドリードで出版され、これを機にスペインを訪れてロ
ルカらを知った。三六年に一時帰国、再度訪れたパリでスペイン内戦勃発の報を耳にし
た。三七年に、マドリードとバレンシアで開催された反ファシスト作家会議には、黒人詩
人ニコラス・ギジェンとともにキューバを代表して出席している。ちなみに、この会議に
はネルーダ、バジェッホ、ウイドブロ、パスといづたラテン・アメリカの代表的な詩人が
顔をつらねていた。カルペンティエールがマルローやラングストン・ヒューズに会ったの
も、同じマドリード滞在中のことだと伝えられている。
内戦が共和派の敗北に終った三九年、カルペンティエールはキューバにもどった。教育
省のラジオのディレクターとなり、ハバナ大学では音楽史を講じた。四年後にフランスの
俳優ルイ・ジュヴェと連れ立ってハイチを訪れ、この地での見聞を素材にして、黒人奴隷
の反乱のなかから浮かび上がった新たな僣主、アンリ・クリストフの恐怖政治を描く『こ
の世の王国』の執筆に取りかかった。翌年、短篇「種への旅」を発表してからメキシコに
旅行、著名な出版社 F・D・C・E からキューバ音楽の通史執筆を依頼された。メキシコ
旅行は、最初のフランス人の妻エヴァ・フレジャヴィーユと離婚後に結ばれた、リリアと
のハネムーンであったとも聞く。
四五年にベネズエラの首都カラカスに移って放送局の開設に協力し、ディレクターとな
る。また、美術学校で文化史の講座を担当した。翌年、短篇「逃亡者たち」で『エル・ナ
ショナル』紙の賞を得た。メキシコで『キューバの音楽』を出版。四七年から四八年にか
けてオリノコ河流域その他の各地を旅行して回り、壮大で狂暴な新大陸の自然を体験す
る。四九年『この世の王国』
、五二年「夜の如くに」
、五三年『失われた足跡』
、五六年『追
跡』を失つぎばやに長篇、中篇、或いは短篇を発表した。『この世の王国』の仏訳 (五四
年) と『失われた足跡』のそれ (五六年) は、読者協会選定の最優秀外国図書となり、やが
83
て、ロンドンやニューヨークでも評判となった。初めに書いたようにラテン・アメリカ小
説が聞きなりの良くない〈ブーム〉の渦中に巻き込まれるのは六〇年代の初めなのだが、
カルペンティエールはすでに五〇年代半ばに、その先鞭をつけたわけである。
五八年に短篇集『時との戦い』を発表したカルペンティエールは、「キューバ革命の勝
利によって、余りにも長く祖国を留守にしたことを痛感し、翌年七月にハバナヘ帰った。
六一年に全国文化会議副議長、六二年に国立出版局長の重職を歴任、革命後のキューバの
文化政策に大いに貢献した。
海外での高い評価に比して、ラテン・アメリカの内部では余り知られていなかったカル
ペンティーエルは、六二年、その状態を改めると同時に、<ブーム>のきっかけの一つと
なった長篇を発表した。カリブ海域にまで及んだフランス大革命の余波を、ヴィクトル・
ユーグという実在の人物と、このフランス人革命家に使嗾された三人の若者の運命を描い
た『光の世紀』がそれだった。
エッセー集『意見と異見』を発表した六四年から四年後、革命政府とのある種の確執が
噂されるなかで、パリのキューバ大使館の文化担当官に任命され、第二の故郷と言っても
よいフランスに赴いた。ストックホルムのラッセル法廷への出席など、公的な活動に追わ
れながら、
『カサ・デ・ラス・アメリカス』
『ウニオン』
『ポエシア』その他のキューバの新
聞雑誌に稿を寄せた。
七二年に、『光の世紀』からじつに十年ぶりに、中米の小国の政変をユーモラスに描い
た中篇『大使閣下』(原題は『免罪特権』) を発表。二年後の七四年には、この『バロッ
ク励奏曲』と、デカルトの有名な本の表題をもじった独裁者小説『方法再説』を世に送っ
た。この年は七十回目の誕生の年に当たっており、ホセ・マルティ図書館における手稿の
展示、ジャーナリスト組合からのメダル贈呈、ハバナ大学名誉博士号の授与、キューバ共
産党入党の承認、等々の行事があった。
七五年にチノ・デル・ドゥカ国際賞、七八年にはセルバンテス賞を受けるといった按配
で、ようやく残り少なくなったラテン・アメリカ現代小説の第一世代に属する者にふさわ
しい、さまざまな栄典熔し、その長い文業を讃えられてている今日のカルペンティエール
であるが、し
かし彼の創作意欲はまだ涸れていない。七八年十一月に待望の長篇『春の祭典』をつい
に完成、六百ページに近い大作にもかかわらず、今年に入ってすでに四刷を重ねている模
様である。ロシア革命でカスピ海岸の故郷を追われた母の放浪、スペイン市民戦争に参加
したラテン・アメリカの義勇兵の行動、二〇年代におけるメキシコの反革命、そして五九
年のキューバ革命における有名無名の戦士の活躍といった複雑な挿話が、四十年という変
転常ない時間のなかで語られていく、いわばラテン・アメリカの『戦争と平和』である「春
84
第4章
の祭典』は、恐らく、カルペンティエールの代表作の一つに将来かぞえられるに違いない。
カルペンティエールは寡作の作家だと言ってよいだろう。筆がただ遅いというのではな
い。あらゆる作品が緻密な構成を誇っており、とくに歴史小説としての分類が可能なもの
に顕著だが、稀語、雅語、廃語、新語、造語などが至るところにちりばめられて、古典的
バロックという矛盾した呼称を与える批評家さえ出ている、カルペンティエール一流の
凝った措辞、文体が使われている。寡作の原因はこれ以外にはないはずである。
ここに翻訳された二篇、『バロック協奏曲』と『選ばれた人びと』がよくそのことを示
している。まず、『バロック協奏曲』だが、原文でも六〇ページ足らずのもので中篇とも
短篇ともつかないけれども、じつに綿密に構成され、物語にふさわしい擬古的な文体が駆
使されている。きわめて周密な作品空問は、長大な作品を読んだのと同じ圧倒的な印象を
読者に与えずにはおかないだろう。
上に述べたとおり、カルペンティエールは建築家の子として生まれ、彼自身も一時、そ
の道を志した。『意見と異見』のなかに「柱の都市」という一文があり、「最近、パオロ・
ガスパリーニという人の写真を付した豪華本が、バルセロナのルーメン社から出ている
が、植民地時代から旧市街に残るバロック的建造物を論じた文章には、カルペンティエー
ルが失っていない建築への強い関心が窺われる。
カルペンティエールはまた、音楽的教養の深い家庭に育って、音楽理論を学び、音楽学
者、音楽作者としても認められている。前者としては、すでに古典となった『キューバの
音楽』という著作があることを述べた。後者としては、二〇年代のキューバ時代に、バレ
エ用の台本を四つ、ミュージカルのための詞を二篇書いているのである。十九世紀も初葉
の首都の主顕節を描いた版画から想を得たと言われている『レバンバランバ――ニ幕の植
民地ふうのバレエ』や、キューバの砂糖工場を舞台にえらんだ一幕のミュージカル『アナ
キリェの奇跡』などがそうだ。カルペンティエールの全作品に建築と音楽が何らかのかた
ちで係わり合っている、という批評家たちの声があるが、それには説得的なものがある。
建築と音楽という、共に空間的・時間的に緻密な構成を基本に据えた芸術へのカルペン
テイエールの関心と造詣の深さは、事実、彼の長篇、短篇の内容と形式に大きく影響して
いる。上———————[End of Page 36]——————— 記のカルペンティエールの
最初の成功作『失われた足跡』の主人公は、挫折した音楽家であり、旧師に再会して原始
楽器の探索という重大な使命を託され、苦しい旅を続けてついにオリノコ上流のインディ
オ部落に辿り着き、目指すものを発見する。同時に、音楽への激しい情熱の蘇りを経験
し、シェリーの『解縛されたプロメテウス』に想を求めた四大への讃歌たるカンタータの
作曲を思い立つ。原始楽器をたずさえて帰国、五線紙その他を持ってふたたび現地入りを
志すが、洪水のために前回の旅の足跡は失われてしまっていた。作中で、カルペンティ
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エールの音楽理論が展開されるのも興味深いが、こうした内容と同時に読者の関心を惹く
のは、ニューヨークらしき大都会から南米の沿岸の小都市を経て、ジャングルのなかのオ
リノコ河遡行、インディオ部落への到着、という長い道行きそのものが、現代から石器時
代へという気の遠くなるような時間上の遡行に他ならないことである。
中篇の『追跡』だが、報復を意図する仲間たちに追われたひとりの密告者たるテロリス
トがホールに身を潜めるが、折からそこではべートーヴェンの『英雄』が鳴り響いており、
・・・・・・・・・
この四十六分の演奏が終わると同時に、追い詰められた惨めなアンティ・ヒーローの回想
は断ち切られ、その命もまた刺客たちのピストルの発射音によって、全き沈黙の世界に押
し出されるという、内容・形式の両面で、やはり音楽に深くつながった作品に仕立て上げ
られている。
さて、末尾に添えられた原注が述べているとおり、十八世紀のイタリアの音楽家、アン
トニオ・ヴィヴァルディが遺し、最近ようやく発見された音楽劇『モテスマ』から想を得
たという、カルペンティエールの最近作の一つ、『バロック協奏曲』も、文字というより
は音符によって書きつづられたと言いたくなるような作品である。冒頭の、主従ふたりの
堂々たる放尿のたびに鳴る銀の便器の音から始まって、メキシコ生まれのインディオと途
中で彼に替ったキューバ生まれの黒人のギター弾奏、それに合わせて口ずさまれる歌曲、
フランスの海賊から無事救われた司祭を迎えた町に鳴り響いた音曲、ヴエネツィアの謝肉
祭の街頭を吹き抜ける喧騒この上ない奏楽、名手ルイ・アームストロングのトランペット
が終章において奏でるスピリチュアル、等々。さらに、メキシコ生まれの銀鉱主の嫌悪を
まじえた感想どおり、一切の出来事がでたらめで、無知と曲解、ご都合主義の生んだ不可
解なしろもの、問題のオペラ『モテスマ』の上演場面で、ヴィヴァルディの棒の下から湧
き上がり、劇場を圧倒する楽器の音と去勢歌手たちの声。この『モテスマ』上演の場と同
じ程度の比重を作品のなかで占めていると思われるのだが、ヴィヴァルディ、ヘンデル、
スカルラッティらの巨匠に、従者フィロメーノとヴィヴァルディの七十人の女弟子たちが
一堂に会して合奏し、彼らのなかの一人ヘンデルをして「あらゆる楽器がここに集まっ
ている……まさに幻想交響曲だ」と叫ばしめた、ピエタ救貧院におけるコンチェルト・グ
ロッソの響き……。これらの雑多な楽音が全篇に満ちあふれていて、この作品は、その表
題が直戯に謳っているとおり、まさに〈バロック協奏曲〉なのである (ただし、そこには必
ずしも不快ではない喚音がいくつか交っているように思われる。評粉砂女好ぎだったと伝
えられているヴィヴァルディが中心になって演奏されるコンチェルト・グロッソと・フィ
ロメーノの音頭によって繰り返される乱舞の場面がそれである。だだ楽器の名前だけで呼
・・
・・・・・・・
ばれる若い娘たちは、巧者ヴィヴァルディの絶妙な弓さばきに引き回されて狂奏する。客
人と救貧院の者すべてを先導して踊りながらフィロメーノが唱する<ソン>は、イヴとア
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第4章
ダムを堕落へと誘ったあの邪悪な蛇の歌に他ならない。若い娘の腰を抱いて消えたのはド
メニコ・スカルラッティだけでは恐らくないだろう。いちいち例を挙げるまでもなく、こ
の作品には快いエロチシズムの喚音が絶えず鳴り渡っているのである)。
音楽は、時間の芸術である。カルペンティエールの作品のなかでは、音楽が重要な挿話
的要素であることに応じて、時間が決定的な役割を果たしている。
『追跡』の場合、物語の
展開は四十六分という交響曲の演奏時間の枠に限定され、回想を含む別の時間的逆行もそ
の枠の中でのみ許されるという結構が採られていた。スペインの黄金世紀を代表する劇作
家ローペ・デ・ベーガの劇詩に表題を求めた短篇集『時との戦い』中でももっとも有名な
一篇「種への旅」は、カペリャニアス侯爵家の当主であるドン・マルシアルの生涯を描い
たものである。ただし、そ・れは、侯爵の死から、いや死後の数時間から誕生までを、いや
生温い渾沌の母胎の奥における種の状態までを辿っている。映画のフィルムの駒の逆落と
し、音楽における逆行に比べられる、この叙述の時間の逆転という形式こそ、これといっ
て波乱のない自堕落で無能な黒人の侯爵の生涯を語った短篇を、読むに耐えるものにして
いると言っても過言ではない (成り上がったメキシコの銀鉱主が、十六世紀以来の新大陸
からの銀もしくは金の莫大な流入にも係わらず疲弊し、頽廃しきった父祖の地、スペイン
の惨状に落胆し、ローマをへて訪れたヴェネツィアで、新世界に対する歪曲と誤解にみち
た旧世界の人士の先入主に失望して帰国するという『バロック協奏曲』のストーリーも、
後述する特異な時間形式がそこになければ、きわめてありふれたものに過ぎないだろう)。
『時との戦い』における別の短篇『夜の如くに』の場合も、叙述の時間的形式が作品を
興味深いものにしている。トロイアの戦いに赴こうとするギリシアの戦士→新大陸の征服
に参加しようとするスペインの兵士→アメリカの領土の鎮圧に出発しようとするフランス
の兵隊→トロイアの戦いに赴こうとするギリシアの戦士、という円環的な物語の推移のな
かで、彼ら自身のものであると同時に、一切の人間のものでもある運命――義の戦いへの
盛んな闘志、父母や恋人たちの不安や悲嘆、出征前夜の放坪、いざという段に襲われる意
気の阻喪――が提示されるのだ、円環的な時間形式を用いながらカルペンティエールは、
本来彼が個人の運命よりも集団的運命に対して抱いている関心を、完壁に造形してみせて
いる。
短篇集のなかでもっとも長い「聖ヤコブの道」も『夜の如くに』と同じ形式による物語
である。イタリアからフランダースへ転戦させられたスペインの兵士フアンが、いわゆる
フランス病に罹ったと信じ、前非を悔いて、聖ヤコブが祀られたガリシアの聖地サンティ
アゴ・デ・コンポステラヘの巡礼に赴くが、道中で新大陸発見と征服に夢中になった人々
の熱狂に捲き込まれ、セビーリャヘと道を変える。そしてここで、アメリカ帰りのフアン
と名のる男から景気のよい新世界の奇跡を教えられ、ついに意を決して船出をする。だ
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が、この世の王国は幻滅の地に他ならない。さんざんな目に会って帰国するが、とたんに
彼自身がアメリカ帰りのフアンとなり、無知な別のフアンという男を誘惑するという話
で、ここにも円環的な時間がはっきりと認められる。
ところで、『バロック協奏曲』という物語の枠を形づくっている時間は、上述の『時と
の戦い』に含まれた短篇の場合のように、単に進行的な形式や、円環的に回帰する形式と
は多少趣が異なっている。『バロック協奏曲』では一応、全体の叙述の時間は過去から現
在へと直線的に流れている。しかし、この直線的時間の進行は、当初の数章でこそ連続し
た緩やかな流れを形づくっているが、終章に近づくにつれ圧縮され、テンポを早める。こ
の急速なチッチェレランドが始まるのは、改めて指摘するまでもないが、八章から成る作
品が半ばを越えた第六章あたりからである。バロックの巨匠たちが優雅な野遊びをする墓
地で起こった、二十世紀の音楽家イゴール・ストラヴィンスキーの墓の発見。それがきっ
かけで始まった音楽談議のなかでフィロメーノが口走る〈ジャム・セッション〉という言
葉。宴遊の傍らをドイツ人の音楽家の陰気な枢がゴンドラで運ばれていくが、それは、一
八八三年に事実このヴェネツィアで死んだワグナーの遺体だという示唆。水上の都市ヴェ
ネツィアに材を求めた詩作品があり、光線と大気の画家として知られた十九世紀前半のイ
ギリスのジョセフ・M・W・ターナーの代表作「雨、スティームとスピード」を想起させ
ずにはいないのだが、鉄道駅の〈ターナー式機関車〉の唐突な出現……こうしたものが暗
示せずにはいない時間の急転、慌しいアッチェレランドをいやが上にも意識させるよう
モーリ
に、第六章の末尾から、時計塔の上の〈黒人〉の槌が打ち鳴らす鐘の音が、ひんぱんに響
き渡ることを見逃すわけにはいかない。やはりその鐘の鳴る最終章でふたたび鉄道駅が出
現し、旧世界とその人間に失望しきった主人が食堂付き寝台車で帰国の途につくのはいい
が、プラットフォームで彼を見送る黒人の召使フィロメーノがふと背後を振り向くとき、
時間はもっとも劇的な推移、変転の相を露わにする。ヴェネツィアの古都は今日その危機
にあるように、一気に老化し、沈下の不安に怯えるのだ。そして、この怯えに急き立てら
れるかのように、フィロメーノは、期待される新しいバロック協奏曲の演奏される会場へ
と走る。ちなみに、サッチモの訪欧は第一回目はイギリスに限られ、それ以外の土地に足
跡を印したのは二回目の訪欧、一九三四年から三五年にかけてのことだった。
ヴィヴァルディ、ヘンデル、スカルラッティの三巨匠が実際にヴェネツィアで会ったの
は一七〇九年であったことが確められている。してみると、第六章から第八章までで、ほ
とんど二世紀半に近い時間が驚くべきアッチェレランドによって一気に経過するわけであ
る。しかも、この急速な時間の流れのなかに、フィロメーノの祖先のサルバドールのあの
物語が第六章以前に挿入されていたように、オペラ「モテスマ」上演の場面が挿み込まれ
て、新大陸征服という大航海時代最大の事件が生じた十六世紀初葉が蘇えさせられるので
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第4章
ある。さらに、汽車で出発する主人の提げたスーツケースの飾り文様が〈アステカの暦〉
だという一句で、征服以前のアメリカの文明の運行を司っていた無窮の時間さえ呼び醒ま
される。
カルペンティエール自身の言葉に、音楽こそは「時間についてのめくるめく観想」だと
いうのがある。この『バロック協奏曲』は、円環的、摺曲的、加速的、或いは直線的といっ
た、カルペンティエールの物語を構成する叙述の時間形式がすべて実現させられていると
いう意味で、彼のスンマ・ポエティカと呼ぶにふさわしい傑作であると考える。
『選ばれた人びと』もカルペンティエールらしい作品の一つである。彼は、
「第一に現実
と空想の混渚であり、第二に現実的なものの非現実的なものへの転換であり、第三に時間
と空間のデフォルメされた観念を創造するものである」(E・D・カーター) と定義される
ラテン・アメリカの魔術的レアリスムの第一人者だが、『選ばれた人びと』はそのことを
まざまざと実感させてくれる。地上の生きものをすべて滅ぼして、選ばれた人間と動物だ
けを救うというお告げがあって間もなく、〈神々の怒りの雨〉によって世界各地で同時に
生じた大洪水の結果、長老アマリワク、シンの老人、ノア、デウカリオーン、ウト”ナピ
シュティムらを主とする五つの大船が海上で遭遇する。やがて雨が上がり、水が引いて、
それぞれの仕方で陸地の再現を確かめた後、彼らはそれぞれの郷国に向けて去っていく
が、甦った生きもの、人間のあいだで、たちまち昔どおりの争いが始まる、という物語は、
恐らく、J・G・フレーザーの『旧約聖書のフォークロア』の第四章に無数に記録されてい
る、世界中の多くの種族の有する洪水伝説あたりに想を得たもののように思われる。
言うまでもなく、もっとも有名なノアはヘブライ伝説中の、デウカリオーンは古代ギリ
シアの神話中の、ウトーナピシュティムはバビロニアの名高い叙事詩中の、アマリワクは
多数のインディオ間の伝説中の、そしてシンの老人は中国の神話中の人物である。種族の
異なる彼らが、闇の海上の一個所で和やかに集い、友情すら抱き合うという場面は美し
い。しかし「種族の数だけ神のあるところに平和が生まれるはずがない」というアマリワ
クの不安のとおり、石や椰子の種子から再生した人間のあいだでは、大洪水が去ると同時
に、醜い争闘が復活する。『選ばれた人びと』(一九七〇年版の『時との戦い』に初めて組
み入れられた短篇) は、
〈大洪水〉から永い時をへながら現在もなお愚かしくも無益な争闘
に明け暮れている、人間的現実への痛烈な調刺にみちた、きわめて寓意的な作品のように
思われる。
カルペンティエールの今日までの作品を簡略に挙げておこう。
• 一九三三年『エクエ・ヤンバ=オー!』
• 一九四六年『キューバの音楽』
• 一九四九年『この世の王国』(創士社)
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• 一九五三年『失われた足跡』(集英社)
• 一九五六年『追跡』
• 一九五八年『時との戦い』(国書刊行会)
• 一九六二年「光の世紀』
• 一九六四年『意見と異見』
• 一九七二年『免罪特権』ハ広葎、汐訴 4
• 一九七四年『バロック協奏曲』(本書)
• 一九七四年『方法再説』(サンリオ SF 文庫刊行予定)
• 一九七八年『春の祭典』(サンリオ SF 文庫刊行予定)
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第4章
訳者紹介:1930 年、馬山に生まれる。東京外国語大学卒業。現在は法政大学教授、ラ
テン・アメリカ文学専攻。訳書には、アストゥリアス『緑の法王』(新日本出版社〉
、
『大統
領閣下』(主婦の友社〉、ボルヘス『ブロディーの報告書』(白水社)、
『創造者』(国書刊行
会)、マルケス『百年の孤独』(新潮社)などがある。
サンリオ SF 文庫
バロック協奏曲
著者 アレッホ・カルペンティエール
c
訳者 鼓直°
印刷 1979 年 5 月 10 日
発行 1979 年 5 月 15 日
発行者 辻信太郎
発行所 株式会社サンリオ
東京都品川区西五反田 7 の 22 の 17
電話 03-494-5353
印刷・製本 凸版印刷株式会社
21-A
定価 280 円
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銀鉱で巨富を得た鉱山主が従者と様々な品々を伴ってマドリッド詣でに出立しよ
うとしている――この素朴にさえみえる物語は、放尿で鳴る銀の便器、ヴィヴァル
ディのオペラ『モンテスマ』の上演場面で劇場を圧する楽器の音、泥の中を転げま
・
わる豚、フランスの海賊の手から救われた司教を迎える町中に轟く音曲、灌腸かあ
・・
そこを洗うのにぴったりの安酒が喉を通る音、インディオと黒人の二人の従者が弾
くギター、鉄道駅のターナー式機関車の唐突な出現――など多元的に傍道へ逸れて
いく。物語の秩序は、音、光、色、匂い、時間の氾濫と錯綜に溺死し、香具師の口
上よろしく物たちの名が呼ばれるや、物たちは輝きを帯び夢遊病のように起きあが
る。まさに小説の本質は、ルクレティウスの『物の本質について』の秩序に換骨奪
胎され、魔術的リアリズムの杖の一振りによってラディカルなフェテシズムの極み
スンマ・ポエティカ
に奏された野生の幻想曲ともいうベき 詩 学 大 全と化している。