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-4-「ぽ~れぽ~れ」通巻 401 号
2013 年 12 月 25 日発行
〈第3種郵便物許可〉-
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「認知症の人と家族の会」顧問・老年科医
三宅貴夫
2008 年 7 月、当時 56 歳の妻が稀な脳炎の「非ヘルペス性辺縁系脳炎」を発症し、その後遺症として認知症に
なりました。5 か月間の入院の後、変わってしまった妻と仕事を辞めて介護に専念する私との二人の生活が始ま
りました。幸い、認知症に関わって 30 年ほどになる医者の私ですが、戸惑うこと、教えられることがいろいろ
あったこの 5 年間です。
【病気を知る】
ようなった初めての日はとてもよく眠れたのを覚え
「非ヘルペス性辺縁系脳炎」は、医者の私が知らなか
ています。
「家族の会」を設立させた 1980 年頃、認知
った脳炎の一種で、記憶や感情などを司る脳の一部で
症の人のデイサービスは皆無でした。この頃、在宅で
ある「辺縁系」が選択的に炎症を起こす病気で、子供
介護していた家族の苦労をよく理解していなかった
から大人までで発病する自己免疫疾患とも見なされ
と反省しました。
ていますが、原因は不明です。治療は早期に炎症を抑
現在、週 4 回のデイサービスに加え、月1週間程度
えるステロイドホルモンを投与することで悪化を防
のショートステイも利用しています。デイサービスも
ぐとされていますが、治療法は確立されていません。
ショートステイも私のために妻が利用しているとの
こうした治療が遅れると後遺症として記憶障害が目
見方もありますが、変化の乏しい家での生活よりは、
立ちますが程度はまちまちです。脳炎が治まれば記憶
もともと賑やかなところが好きな妻にとって施設と
障害が進むことはありません。現在、妻の過去の記憶
いう場で過ごすことが役立っていると思っています。
は壊れ断片的に残り、新しいことを覚えることはほと
一人娘の妻の実父が急死したとき、緊急のショート
んどできません。一時、感情の起伏が激しく振り回さ
ステイが利用できずに葬儀に出られませんでした。
れ、殴る蹴るの暴力をふるってしまいました。今は少
この経験からは早めにショートステイを利用して、妻
なくなり穏やかな時が多いのですが、記憶障害による
や私の状態を施設に理解しもらってきたためか、昨年、
混乱か不穏になることがあります。
妻の実母が亡くなったときは葬儀に出られました。
【介護退職】
医者として仕事をしながら在宅介護ができるか「介
介護保険の制度発足時「家族の会」が提言や要望を
しましたが、今、まだ課題は山積しているとはいえ定
護休業制度」を利用して 3 か月間、自宅で介護を試み
着した介護保険をこういう形で私と妻が利用できる
ました。夜間起きる、出て行く、失禁などで苦慮する
ことがよかったと思っています。
ことが多く、また退院 1 か月半後にデイサービスを利
【失禁】
用してみましたが、私にとって介護と仕事との両立は
発病から 5 年間後も妻は尿と便の失禁が続いていま
難しいことがわかり、また年金を受給できることもあ
す。悪戦苦闘しながら「失禁対策」はほぼ決まりまし
り仕事を辞めることにしました。
た。尿の方は 1 日 4 回、食前と就寝前に紙パンツを交
【介護保険サービス】
換します。紙パンツもいろいろ試して選択しました。
退院前、病院のケースワーカーや担当予定のケアマネ
尿が多かったりすると寝具や衣類が濡らすことはよ
ージャーらで退院後のことを話し合い、介護保険サー
くありますが、早め早めに交換して、部屋に悪臭が残
ビス、とりわけデイサービスを利用することに決めま
らないように心掛けています。便の方は、もともと妻
した。しかし退院後すぐには利用できなくて、休めな
は便秘だったのですが、1 週間も排便がないと心配に
い 24 時間毎日の介護を続けました。やっと 1 週間 1
なり下剤を飲ませたこともありますが下痢をして大
回ですが「認知症対応型デイサービス」を利用できる
変でした。「出るまで待つ」ことにしてから 1 週間か
「ぽ~れぽ~れ」通巻 401 号
2013 年 12 月 25 日発行
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ら 10 日に 1 回、紙パンツのなかに出てたり肛門から
せばいいだろうと私が思っています。妻は何を期待し
出そうになっていると浴室で市販の浣腸液を入れ、直
ているのでしょう。
腸に便が残ってないか指で確かめ、陰部を洗っていま
【悲しいこと】
す。これでほぼうまくいっています。ところが最近、
それにしても認知症になった妻の姿を見ることは寂
一人でトイレに行って尿や便を排泄し、しかも衣類や
しくもあり悲しいことです。断片化した記憶の世界に
周囲を汚さないこともあって助かっています。こうし
生きる妻ですが、一緒に暮らしてきた私を夫とみてく
た作業に関わる記憶は残っているようです。
れるとは限りません。自分の父親だったり、近所のお
【出歩く】
じさんになったりと妻にとっても私の姿が揺れ動い
認知症の人の介護で最も苦労するのが「出歩くこと」
ているのです。がっかりもするし、介護を放棄したく
―いわゆる「徘徊」―を改めて知りました。いつかは
なります。
起こるだろうと予測してはいたものの実際に出歩い
紙パンツに便を貯めて「平気な」妻の姿も悲しいです
て行方不明になった時、驚き不安になりました。在宅
が、太ってきた妻の姿もまた寂しいものです。認知症
介護の当初、玄関にセンサーを付けましたが余り役立
の妻は空腹で食事を要求することはほとんどありま
ちません。1 回目は私一人が車で探して見つけました。
せん。3 度の食事を用意するのは私で、体重が異なる
それからは玄関のドアに内側から針金で固定して開
二人とも私に合わせて同じ内容です。妻はよく食べ、
かないようにしましたが、これも役立たなくなり出て
私は残すことが多いのです。私の体重はあまり変わり
行くのです。その後 3 回行方不明になりましたが、地
ませんが、妻はどんどん太ってきました。太ることを
元の警察を協力で見つかりました。このときほど警察
人一倍気にしていた妻の変わり果てた体型をみると
官に感謝したことはありません。しかも彼らは私を説
がっかりします。
教することはなく対応がよかったのです。
二人で生きることを止めることを考えたことがない
日本独自の「認知症サポータ」が一定の評価を受けて
わけではありません。
いますが、現場の警察官の認知症についての正しい知
【認知症と生きること】
識を持ってもらうことはとても重要です。
認知症という障害を持って生きる妻を支えながら生
妻の出歩くことは、今でもその動きはあるのですが、
活することで世の中を違った視点でみることもでき
この課題は特殊なロックで解決したのです。キーがな
るようになったと思っています。自閉症の子供と暮ら
いと外からも内からも開けられないロックをネット
す若い母親、統合失調症の息子をもつ父親など障害、
で見つけたのです(日本カバ社製)
。窓にもキーがな
とくに精神障害の人と暮らす家族を新聞やテレビで
いと開けられないようにしました。これで出歩くこと
知ると、その人たちの生活と生きる姿を想像してしま
は全く防いで、夜間、私がゆっくり休めるのです。一
います。障害なく生きることでは見えない世の中が見
つの道具によって在宅介護が支えられるということ
え、生きることは容易ではないのですが、その世界が
も知りました。
決して暗くも乏しくないことを知るようになりまし
【お金のこと】
た。この世は、いろいろな人たちが生き支え合うこと
仕事を辞めても年金収入があり、50 歳代の妻は障害年
でより多様で豊かだと思っています。(つづく)
金を受給できています。就労していた頃より少ない収
入ですが、生活に困るほどではないので助かります。
付記:私の介護体験記は月刊「介護保険情報」の 2010
しかも死亡するまで受給できるので助かります。これ
年 4 月から 2011 年 3 月まで毎月掲載された。この寄稿
に対して、私と妻の蓄え、保険会社からの障害補償と
は、私が個人的に認知症の情報発信している「認知症な
介護補償という臨時収入が得られました。しかしこう
んでもサイト」のサイトからダウンロード(pdf2,6M)でき
した蓄えはその使い方に迷います。私と妻があと何年
る。
生きるかわからないからです。またグループホームや
http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/dementiayoko2010.pdf
有料老人ホームを利用することになった時にお金を
またブログ「認知症あれこれ、そして」
準備しておかなければならないかもしれません。
http://alzheimer.at.webry.info/
想定したらきりがないので、あまり先のことは考えな
で私見を述べている。
いで、日々ひもじい思いをすることもなく安泰に暮ら