社会的罪と私の責任 修正版

こう祈ったら
どうか!
社会的罪と私の責任
Br.Job T,.ofm,.
修正版
「誘惑に遭わせないでください」
「罪とは何か、わからない」という人がいます。また「教会で、罪人と呼ばれる
のが嫌いだ」という人もいます。罪がわからないということは、聖霊を知らないと
いうことです。イエスをキリストと信じるなら、聖霊の働きを自覚することが出来
ます。
「弁護者」
、
「真理の霊」と言われる「方」、いつも共にいてくださる「その方」
が(ヨハネ 16:13)真理を悟らせます。聖霊に助けられて罪が何かわかりますし、
自分の罪深さを自覚できます。そして人類の罪深さをも悟るようになります。
私-個人の罪を自覚できたとしても、それだけでは足りません。罪には社会性
があります。サウロは信徒を迫害していたとき、
「サウロ、サウロ、なぜ、私を迫
害するのか」というイエスの言葉をききました。隣人に対する迫害は、キリスト-
神の民に対する罪となるのです。
隣人に対して、ひそかになされる罪も、神の国に害をもたらします。人間は社会
的動物ですから、罪にも社会性があります。 隣人愛には、人間らしく生きる権利、
自由と権利、生存権と共通善などを含みます。抑圧、差別、搾取、公害、環境破壊、
食糧危機などは罪です。たとえ直接に手を下さなくとも、一人の無関心、怠慢、非
協力によっても罪は生じ、損害を与えます。行政や医療機関の「不作為の罪」が問
われた事件がありました。人道に反する罪が裁かれる時代です。
元教皇ヨハネ・パウロ二世は「社会的-構造的な罪」について、
「真の開発とは」
のなかで述べておられます。
「構造的罪(社会制度、企業、国家、体制の集団的行
動による罪)は、個人の罪に根ざすものあり」「多くの個人的罪が積み重なり、集
中したものの結果」が、社会的罪であると述べておられます。 キリスト者として、
自分の内側をしらべながら、社会に対する責任についても糾明しましょう。
内省のために:以下の事件を振り返って見て、思い出すことがありますか。
★
社会的な罪の被害者になったことがありますか?
★
隣人が被害を受けているのを見たことがありましたか?
★
自分が行動を起こしていたら、変わっていたと考えられることがありますか?
◎
自分には関係がないと言えるでしょうか。
聖書の箇所:以下の箇所を選んで読み、思い巡らして見ましょう。
マ
タ イ
13:24―30
「眠っている間に敵が来て、毒麦を蒔いていった」
マ
ル コ
7:20―23
「人から出て来るものこそ、人を汚す」
出エジプト 3:1-13
神が「民の叫び声を聞き、その痛みを知った」と。
ヤ
「何が原因で、戦いや争いが起こるのですか」
コ ブ
4:1-8