月曜班・フォトクロミック化合物とその包接体について 1. 目的 フォトクロミック化合物を包接という方法によって固定化し、安定した機能性色素として の性質を持たせる。 2. 原理 2-1 フォトクロミック化合物について ・フォトクロミズムとは ある 1 つの化学種が、分子量不変のまま吸収スペクトルの異なる 2 つの状態の間で可逆的 に異性化する現象で、かつ、そのような変化のうち少なくとも一方向が、フォトン(光子) による刺激によって誘起される現象をフォトクロミズムと呼ぶ。 そのような性質をもつ化合物のことをフォトクロミック化合物といい、スピロピラン類や ジアリールエテン、アゾベンゼンなどが代表的なフォトクロミック化合物として知られて いる。 ・どのようにして光異性化が起こるか 光異性化は環構造の開閉や、シス・トランスの行き来などによって起こる。 これは化合物によって異なるが、ここでは実験で用いたスピロピランを例に挙げて考える とする。 スピロピランは分子構造中に 2 つのヘテロ環を持ち、それらが互いに共通の sp³炭素によっ て結合している。したがってこれらの 2 つのヘテロ環を含む平面は互いに直交しているこ とになる。ここに紫外光を照射することで、基底状態の無色体スピロピラン(A)は、励起 状態(A*)になる。励起されたスピロピランはすぐさま分子内変化し、スピロ炭素が sp³ →sp²と開裂する(B) 。※()内は図 2-1-(2)参照 これによってπ電子の共役軌道が平面的に長くなり、電子が非局在化する。結果、吸収す る光の波長のピークが可視光線側にシフトするため、吸収している可視光の補色に着色す る。 無色体(A) 着色体(B) 図 2-1-(1) 図 2-1-(2) 図 2-1-(3) 図 2-1-(2)は一般的なフォトクロミズムのポテンシャルエネルギー曲線である。 あるフォトクロミック化合物 A が紫外光照射を受けて、 励起状態 A*になる。 これが図の (1) と(2)である。この変化はπ電子系で起こっているので過程(1)をπ―π*励起と呼ぶ。 (3)で分子内変化を起こし、準安定状態 B になる。B 状態は光の吸収や熱によって(4) のように B→A へと変化する。このときの熱戻りのしやすさは Ea(活性化エネルギー)に 依存する。図 2-1-(3)は図 2-1-(2)をわかりやすく示したものである。 2-2 包接体について ・包接体とは 2 種類の化学種について考えると、一方が分子規模の空間を作り、その空間に形状と寸法が 適合することを条件として、他方の化学種をそのキャビティ内に取り込む(包接する)こ とによって生じる化合物のことをいい、キャビティを提供するほうをホスト、包接される 方をゲストと呼ぶ。包接体は Clathrate(クラスレート)とも言われる。 ・どのようにして包接は起こるか ホストには、ゲストが存在していなくともホスト単独で包接体ホストとしての構造を保っ ているもの(1)と、ゲストと共存することで初めて包接体ホストとして働くもの(2) があり、その形成はホストとゲストが共存すると自発的に進行する。※図 2-2-(1) 通常はホストとゲストを直接接触させる、溶液中で混ぜたり再結晶させたりすることで行 うため、一般の化学合成で用いられるような激しい条件は不要となる。そして多くの場合、 包接体を分解すると中身のゲストを回収できる。 図 2-2-(1) 以上から 2 種類の実験を行った。 実験1 独立して存在しているホスト中にゲスト分子を包接させる。 実験2 ゲストと共存することでホストとして働くものを結晶という方法を用いて合成す る。 実験の概要をここに述べる。 実験1は春輪講で述べた「フォトクロミック化合物のシリカゲルへの吸着」の実験の発展 である。独立で存在できるホストに、ゲスト分子としてフォトクロミック化合物を包接さ せた。 実験2はフォトクロミック化合物をゲスト分子として有機層に、複数種の金属イオンをホ ストとして水層に溶解させ、有機層と水層を接触させることで界面に結晶を生成させた。 3. 実験方法 3-1 実験1について ・原理 シリカ粉末を原料に、規則状メソ孔シリカ(メソポーラスシリカ)を合成し、さらにその メソ孔にフォトクロミック化合物を包接させた。一様な大きさのメソ孔をシリカに持たせ るため、シリカを一旦ゲル状にし、メソ孔の鋳型として界面活性剤のつくるミセルを利用 した。これにフォトクロミック化合物を包接させる際には着色体にし、極性を持たせてか らのほうがよい。van der waals 力だけでなく静電気力などによる吸引力を持たせるためで ある。 この実験は、フォトクロミック化合物のシリカへの吸着実験で、不純物を含むシリカと、 カラムクロマトグラフィー用のシリカに対するフォトクロミック化合物の吸着量の差が明 らかであったこと。また、同じカラムクロマトグラフィー用のシリカでも、加工を加えた ものとそうでないものでは、明らかに吸着量が異なっていたことから、フォトクロミック 化合物がシリカに吸着されているというモデルよりも、シリカの持つ細孔に包接されてい るモデルを考えた方が理にかなっているのではないかという考察から始まった。 ・実験操作 1)ビーカーに取ったイオン交換水中に、界面活性剤を用いてミセルを大量に生成させた。 臨界ミセル濃度以上になっていればチンダル現象が確認できる。しばらく静置するとミセ ルは充填構造を取り、コロイド結晶ができる。 2)静かにシリカ粉末を加え、攪拌。このときシリカはイオン交換水と反応してゲル化、 ミセルはゲル中に保存される。 3)飛散しないよう注意しながら高温で焼成した。このときなるべく完全に水分を飛ばす。 4)紫外線を照射しつつ、焼成したシリカにフォトクロミック化合物のヘキサン・アセト ン混合溶液を浸し、溶媒が飛ぶまで静置した。 ※1 TEOS(テトラエトキシシラン)によるゾルーゲル法を使ったメソポーラスシリカ合 成法も試したが、収量が悪いことと、TEOS をやたら実験室内で揮発させると危険なので この方法は断念した。 ※2 この実験では、シリカ源としてカラムクロマトグラフィーに用いられるワコーゲルを 用いた。 3-2 実験 2 について ・原理 有機層にゲスト分子であるフォトクロミック化合物と、ホストになりうる材料の一種とし て複数種の非極性溶媒、水層にホストになりうる材料として金属イオンを複数種入れ、2 つ の溶液がふれ合うよう 1 つの瓶に入れ、静置。瓶の中では錯平衡が成り立っており、 結晶化することで安定化するようならば結晶が界面から成長し、やがて水層に結晶が沈殿 する。 ・実験方法 1) 清浄な 10ml スクリュー瓶を用意し、金属塩化物を 3 種類程度選び、イオン交換水 3ml 程度を用いて溶解させた。 2) フォトクロミック化合物を 1 種選び、0.01~2g 程度を適当な非極性溶媒に混合し て 1~2ml 程度の溶液とした。 3) 瓶に有機層を静かに注ぎ入れる。うまくいくとこの時点で界面に結晶の素となる 薄層が見られた。 4) ※1 結晶が出るまで静置。 結晶が出るものと出ないものは有機層を瓶に注ぎ入れた瞬間にほとんど判断がつい た。結晶の成長は思いのほか早く、3 日ほどで成長は止まってしまうが、結晶した部分を除 いてやると再び結晶が生じる。 ※2 ここでもヘキサン・アセトン混合溶媒を主に用いて実験を行った。 4. 実験結果 4-1 実験 1 の結果 未処理のものとの比較対照実験、メソポーラスシリカへの包接実験、さらに金属イオンを 実験操作3-1-1)の段階で加えたものに対する包接実験をそれぞれ行った。 結果を以下の表4-1-1に示す。 番号 使用ホスト ゲスト分子とその溶媒 結果 1 未処理シリカ ニトロスピロピラン 吸着起こらず。 (アセトン) 2 3 4 5 6 7 メソポーラスシリカ ニトロスピロピラン 暗黒条件下で鮮やかな赤 (アセトン) 可逆的に着退色 ニトロスピロピラン 暗黒条件下で赤紫 (ヘキサン・アセトン) 可逆的に着退色 N サリチリデンアニリン 吸着したようだが着退色 (ヘキサン) は起こさなかった。 メソポーラスシリカ ニトロスピロピラン 暗黒条件下で黄色 (Ni) (ヘキサン・アセトン) 可逆的に着退色 メソポーラスシリカ ニトロスピロピラン 暗黒条件下で緑 (Co) (ヘキサン・アセトン) 可逆的に着退色 メソポーラスシリカ ニトロスピロピラン 暗黒条件下で黄色 (Cu) (ヘキサン・アセトン) 可逆的に着退色 メソポーラスシリカ メソポーラスシリカ 表4-1-1 ※1 N-サリチリデンアニリンとは、結晶状態でフォトクロミズムを持つ化合物である。 黄⇔赤と着退色する。ヘキサンにしか溶解しないので、それに合わせてスピロピランも ヘキサン溶媒に溶解させたが、溶けにくかったのでアセトンを微量加えてある。 ※2 5~7番はいずれも蛍光が見られた。 4-2 実験2の結果 結果を以下の表4-2-1に示す。 番号 用いた金属イオン 用いたフォトクロミック 溶媒 結果 化合物 1 Ni・Fe(Ⅲ) ・Co N サリチリデンアニリン ヘキサン 分解 2 同上 ニトロスピロピラン ヘキサン 黄色の アセトン 板状結晶生成 ヘキサン 変化なし 3 同上 Br スピロピラン アセトン 4 5 Ni・Co イオン交換水のみ ニトロスピロピラン ニトロスピロピラン ヘキサン 黄色の アセトン 板状結晶生成 ヘキサン 黄色の アセトン 板状結晶生成 6 Ni・Fe(Ⅲ) ・Co ジアリールエテン ヘキサン 変化なし 7 イオン交換水のみ 同上 ヘキサン 変化なし 10 Ni・Fe(Ⅲ) ・Co ニトロスピロピラン ヘキサン 変化なし アセトン 11 同上 N サリチリデンアニリン ヘキサン 分解 12 同上 ニトロスピロピラン TEOS 変化なし ヘキサン アセトン 13 同上 N サリチリデンアニリン TEOS 変化なし ヘキサン 15 同上 ニトロスピロピラン TEOS 淡黄色 ヘキサン 針状結晶生成 アセトン 18 19 Ni・Cu Ni・Fe(Ⅲ) ・Co ニトロスピロピラン ニトロスピロピラン TEOS 淡黄色 ヘキサン 細針状結晶 アセトン 生成 TEOS 淡黄色 ヘキサン 針状結晶生成 アセトン 表4-2-1 ※N-サリチリデンアニリンの溶液が分解してしまうのは、この分子が非常に酸性に弱いた め、水層と触れ合っている部分から徐々に分解していってしまうからであると思われる。 5. 考察 5-1 実験1について 1・2番を比較すると、やはり吸着というよりも、包接体を形成していると考えた方がい いようだ。また、春輪講で使用した不純物の混じっているシリカにフォトクロミック化合 物を吸着させたものと 2 番と比較すると、色調は非常によく似ており、ハロゲンランプで 速やかに(数秒)退色するという点でも共通していたが、不純物のある方では紫外光照射 による着色をしない。また暗黒条件下におけば再び着色するが、素早い光応答という点で は微妙なものだった。それに対し 2 番は紫外光照射で着色する。 (約 60 秒ほどの照射)こ れはシリカの細孔内でフォトクロミック化合物が、極力何の制約も受けず可逆的に分子変 形していることを示す。 また、フォトクロミック溶液にシリカを浸した際に、発熱は見られなかった。そのことか らこの吸着は物理吸着であると考えられる。 4番はゲスト分子に N-サリチリデンアニリンを用いた実験であったが、うまく包接体が 出来なかった。この分子は非常に酸性条件に弱く、簡単に破壊されてしまうことが分かっ ているのだが、細孔内にはブレンステッド酸性なシラノール基が存在しているため、包接 させる過程でゲスト分子が分解してしまったと考えられる。 金属イオンを加えたもの、5・6・7番は着色体の色が変化している。元々金属イオンの 色が無色体状態の時についているのだが、それとはまた違った色調変化である。 蛍光について少し述べるとするならば、この蛍光はゲスト分子由来ではなく、ホスト側で あるシリカに金属イオンが導入されたことによって生じた効果である。 着色体の色がノーマルのものと異なっているのは、金属イオンによる以下のような効果の ためと考えられる。 ゼオライト・シリカなどの骨格に遷移金属酸化物を組み込んだ化合物は紫外―可視光領域 に遷移金属イオンと配位子の酸素イオンとの間の電荷移動に基づく光吸収を有することが 知られている。今回の実験の条件から、導入した金属イオンが、着色体状態スピロピラン の酸素原子と相互作用している可能性があり、もしそうならばπ電子共役軌道が本来より も長く伸びて吸収波長が長波長側にシフトしたとも考えられる。 暗黒条件下で着色した6・7番にハロゲンランプの光を照射すると数秒以内に退色した。 また、紫外線ランプ(UV-A)を照射すると再び着色した。 これを再び退色させようと思い、6・7番にハロゲンランプを当てた。このとき退色が起 こってからもさらにハロゲンランプを当て続けたのだが、光源の熱により、熱戻りが起こ り、ハロゲンランプを当て続けていても着色体へと戻って行った。この現象は、図 2-1-(2) でいう A 状態と B 状態が逆転を起こしている(着色体が B 状態で A よりも安定となった) ためである。この現象は熱的退色(熱的着色)スピードが、光子による着色(退色)スピ ードを上回った(光子から得るエネルギー⋦熱エネルギー)ために起きたと考えられる。 5-2 実験 2 について 表4-2-1より、TEOS の有無が結晶の形を決定しているようだ。 この実験では 2 種類の結晶が生じたが、黄色板状結晶の方は界面から水層に沈んでいかな いこと。また、対照実験で水層にイオン交換水のみであるときにも板状結晶は生成してい るので、もしかしたら有機層に存在している物質のみで結晶はできているのかもしれない と考え、黄色板状結晶を生じた2・4・5番について調べた。 2番の結晶を濾し、結晶部分を取り除いたのち、再び同じ瓶にろ液を入れ、静置したとこ ろ、再び結晶があらわれ、有機層は少なくなっていた。取り出した結晶部分に紫外光を照 射してやっても色変化しなかったので、ヘキサンに浸した状態で結晶に紫外光を照射した。 すると結晶の色は黄色→緑へと変化した。 また、さらに多量のヘキサン中に結晶を一部入れ、よく攪拌したが結晶は溶けなかった。 しかしヘキサン溶液に紫外光を照射してみると無色→青色へと変化したので、結晶表面か らフォトクロミック化合物が溶け出していることがわかる。 4・5番を比較したところ、結晶の析出量は両方とも大差ないように見えたので、 黄色板状結晶の方は有機層に存在する物質のみからなっていると思われる。 15・18・19 番で生じた淡黄色針状結晶は界面に生じた後水層に沈殿している。しかも量も 板状結晶の方と比べると大量に出てきていることから、こちらは水分子、もしくは 金属 イオンと結晶を作っていると考えられる。こちらの結晶も紫外線に反応しない。 この結晶を取り出し、イオン交換水で洗浄したのちにヘキサン中に移して攪拌したが、結 晶は溶解しなかった。このヘキサン溶液の方に紫外光を当てると無色→青色に変化したの で、この結晶中には板状結晶のときと同じく、フォトクロミック化合物が包接されている ことがわかる。 この結果から、結晶状態でフォトクロミズムを失っている原因は以下のようであると考え られる。 1) 包接体を形成する際、ホスト側のキャビティーがゲスト分子の無色体状態の大き さにちょうどであるために、紫外光照射時のゲスト分子の変形を妨げている。 2) 包接体となったときに、ゲスト分子の変形に必要な溶媒分子が自由に移動しない 状態になっており、紫外光を照射してもゲスト分子が反応できない。 のどちらか、もしくは両方であると思われる。 もともと結晶フォトクロミズムを示す物質を包接しようとしていたが、 ニトロスピロピランを用いたとき以外で結晶は作られなかった。 6. まとめ 実験1も実験2も、手法は違うけれど、 同じ「フォトクロミック化合物の包接体を合成する」という目的で実験を行った。 大きく異なっている点を挙げるとするならば、全体の系の中でフォトクロミック分子が、 実験1ではアルゴリズム的に分散しており、実験2ではある程度整った構造を取っている。 ということである。実験2で取った手法は、固定化された機能性色素に対し、厳密に一定 の性質や性能を要求している場合は有用になると思われるが、 単にフォトクロミック化合物の固定化とその安定性を追求するだけなら実験1の手法で 十分であったと思う。 7. 参考文献 1)シュライバー無機化学(上)第 3 版 東京化学同人 2)吸着の化学 第二版 3)機能性色素の応用 4)参考論文:胡 監修:入江正浩 芸 「The Design of Ti-, V-, Mo-Porous Material Photocatalysts for Applications in the Decomposition of NOx and the Selective Oxidation of Light Alkanes 5)参考 HP:http://maildbs.c.u-tokyo.ac.jp/~nisikori/research.html
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