議事録 - 松山市中心市街地賑わい再生社会実験|みんなのひろば

松山アーバンデザインセンター・みんなのひろばオープニングフォーラム
議事録
日時:平成 26 年 11 月 1 日
15:00∼17:30
場所:坂の上の雲ミュージアム 2 階ホール
1.開会
【司会】
皆様、本日はお忙しい中お集まりいただきましてまことにありがとうございます。
定刻でございますので、ただいまより「松山アーバンデザインセンター・みんなのひろばオープニン
グフォーラム」を開催させていただきます。
2.市長挨拶
【司会】
初めに、当フォーラムの主催者を代表いたしまして、野志克仁松山市長からご挨拶を申し上げます。
なお、市長は公務のため出席がかないませんでしたので、遠藤副市長よりご挨拶を申し上げます。
【野志市長(代理:遠藤副市長)
】
ただいまご紹介いただきました松山市副市長の遠藤でございます。
今、司会からありましたとおり、野志市長が他の公務のため出席できません。先ほどのオープニング
セレモニーのほうには出させていただいて、テープカットもいたしました。
まずは、このフォーラムにこのように多くの皆さんにお集まりいただきまして、心からお礼申し上げ
たいと思います。
そしてまた、このフォーラムに、この後の講演で青木先生、また、パネルディスカッションで羽藤先
生ほか、多数の皆様、本当にありがとうございます。心からお礼を申し上げたいと思います。
先ほど申し上げましたとおり、湊町三丁目にセンター、みんなのひろばがオープンしました。
市長も常々言っているとおり、
じっと役所にいるだけ、
どこかにじっといるだけでは何も生まれない。
自らからいろんなところに出向いて行って、直接皆さんの声を聞きながら、また、反応を見させていた
だきながら、そこで新たなまちづくりが生まれるといった思いをずっと思っているのですが、今回のオ
ープンはまさにそれとぴったり合いますし、新たなスポット、賑わいのあるスポットとして、また、商
店街という場所でもありますので、これから大きい活動にもなるのかなと、大変、嬉しく思っていると
ころでございます。
このアーバンデザインセンターにつきましては、もう皆さんご承知と思いますが、公・民・学という
形で、公は置いておいて、民間の方の発想、そしてまた大学の先生方の発想、そしてもう一つ、今後こ
の新たな広場を活用した中で市民の声もどんどんいただきながら、新たなまちづくりに挑戦していきた
いという中でアーバンデザインセンターが立ち上がったところでございます。
いろんな形で公の施設とかまちづくりなどをやっておりますが、とかく公、我々の感覚でしかやれな
いことが多いのですけれども、そういった中で、新たに今回アーバンデザインセンターを立ち上げてい
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ただいて、我々もセンターの皆さんのお力を得ながら、いろんな角度からのまちづくりに取り組んでい
けるものと、これまた大変ありがたく思っているところでございます。
この後、センター、また、広場のいろんな活用とか、アーバンデザインセンターについての色々な広
がりについて、本当に楽しいお話を聞かせいただけると思います。
私は、松山のまちづくりが、このアーバンデザインセンターを契機に一歩、一歩、一歩と発展してい
くものと確信しております。
皆様方には、このフォーラムを通してセンターのいろんなことを知っていただきますとともに、松山
のまちづくりにも是非とも参加いただければ大変ありがたく思っております。
終わりに、このフォーラムの開催に当たりまして、いろんな形でご協力いただきました皆様に心から
感謝を申し上げまして、開会の挨拶とします。
(会場拍手)
3.基調講演
タイトル:
「はらっぱがまちにできること」
講演者 :青木淳建築計画事務所主宰 青木 淳
【司会】
それでは、これより、基調講演に移らせていただきます。
本日、講演いただく、青木淳建築計画事務所 主宰
青木淳様は、1982 年に、東京大学大学院を修了
され、1991 年に青木淳建築計画事務所を設立されました。
公共建築から商業建築まで多方面にご活躍され、2000 年に行われた青森県立美術館の設計競技では、
393 件の応募の中から、三内丸山遺跡の発掘現場から着想を得、土の素材を用いた床や壁をとりいれる
など大胆な発想による設計で最優秀賞に輝かれました。
代表的なご作品として、日本建築学会作品賞を受賞された「潟博物館」や 1999 年の「ルイ・ヴィト
ン名古屋栄店」に始まる、
「ルイ・ヴィトン表参道店」
「六本木ヒルズ店」などのルイ・ヴィトンの店舗
設計をおこなっていらっしゃいます。
本日は、
大変お忙しい中、
本フォーラムの基調講演にお越しいただき、
『はらっぱがまちにできること』
をテーマにご講演いただきます。
それでは、青木様、どうぞよろしくお願いいたします。
(会場拍手)
【青木淳建築計画事務所主宰 青木 淳様】
こんにちは。
雨が降ってきてしまいましたけれども、先ほどは、
「みんなのひろば」
、それからその斜め前にある松
山アーバンデザインセンターが今日オープンしまして、そちらのほうに伺ってきました。
今日はそれを記念して何か話をということなので、これは「原っぱ」ですが、
「原っぱ」とは何なのか、
それから「原っぱ」がまちにできるというのはどんな意味があるのかということについて、日頃、思っ
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ていることをお話ししようと思っています。
手前にある土管は、専門用語では「土管」でなくて「ヒューム管」と言うのですけれども、普通は土
管です。これは「原っぱ」に絶対必要なアイテムです。
これは、説明するまでもないけれども、
「ドラえもん」です。
それから、こちらは「サザエさん」で、これは実は、日本全国共通のイメージであるとは全く思えな
いものです。
これは東京の市川の写真ですが、50 年代の終わりから 60 年代です。これは小津安二郎の映画の中の
ワンシーンで、ガキ大将と戦う前のシーンですが、これが「原っぱ」です。
「原っぱ」とは何かと言うと、戦争で負けた後に焼け野原になったところが多かったわけです。それ
で、その焼け野原の土地を、何か建物がつくれるように整備しないといけないのですが、整備するとき
に軍事物資をかなり使ったのです。周りに張ってあるのは「バラ線」とか言われる有刺鉄線ですが、こ
れはもともと軍事用のものです。これで土地に人が入ってこないようにしました。
この土管は下水管です。これは、下水を流すために地下に埋めるのですけれども、埋めるのは大変で
すから、とりあえず置いている状態です。その土管を地面の中に埋めたときに、動かないためには、砂
利を一回敷かないといけないので、砂利もあった。それから、なぜかドラム缶もありました。そういう
ふうにして、
「原っぱ」というのは、単なる野原ではない。かといって、単なる空き地でもなくて、これ
から何かつくっていく前の過渡的な状態です。実際に「原っぱ」というのは、東京で言えば、1960 年前
後にあって、その後なくなってくるのです。この「サザエさん」の漫画は 1956 年で、この当時はこう
いう風景があったけれども、その後、
「ドラえもん」のお話があった時代には、もはや「原っぱ」はなく
て、どちらかと言うと、イメージの中にしかなかった。いずれにしても、
「原っぱ」というのは、単なる
空き地でもなくて、何かそこでつくる前の状態です。ただ、その場所は、子供たちにとっては一番の遊
び場だったのです。何でそれが遊び場だったかと言うと、遊びに行って、みんなが集まって、それから
遊びを決めることができる場所です。1 週間ぐらい風邪を引いて遊びに行かないと、遊びがもうわから
なくなる、どんどんルールが変わっていくところです。何でそういうことができたかと言うと、この土
管があったというのが結構大きくて、これが、秘密基地でもあり、隠れ家でもあり、何か色々とこれを
意味づけすることができた場所です。そんな意味で、
「原っぱ」というのは、最初から「こうやって遊び
ましょう」と決められている場所ではなくて、使っている中で使い方が決まってくるというような場所
として、昔ありました。
一方、
「遊園地」という遊び場もあるわけです。
「遊園地」の中で一番有名な遊びはジェットコースターですが、これはニューヨークのそばのコニー
アイランドというところですが、やはりジェットコースターというのは、乗ってスリルがあって、すご
く楽しいわけです。ただ、この楽しさは、遊ぶ前からもう決まっているわけです。決められた楽しみを
楽しませてもらうというような感じです。そうしますと、
「遊園地」と「原っぱ」は、子供にとっては両
方ともすごく楽しい場所ですけれども、その二つは性格がすごく違う。
「遊園地」は、どっちかと言うと、目的が最初に決まっていますから受動的、
「原っぱ」のほうは、自
分たちが遊びを見つけるという意味合いで、どっちかと言うと積極的・自発的なものです。
もう少し細かく言うと、まちの中には、大きく言うと、
「つながれるもの」
「つなぐもの」があります。
どういうことかと言うと、目的がはっきりあるような場所が「つながれるもの」で、
「つなぐもの」とい
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うのは目的がない場所のほうです。
具体的に言うと、まちの中では、建物は、ここはミュージアムですから、目的を持っています。例え
ばこういう美術館とか、学校とか、商店とか、いろんな建物があるわけですが、目的を持っているもの
が左にあります。それから、それをつながないと困るので、道でつなぐわけです。道は、そういう意味
では、それらをつなぐだけですから、基本的には目的がない。
建物の中でもこれは言えまして、部屋というのは部屋ごとに機能があって、ホールだったら音楽を聞
くとか、広場だったらみんなが集まるとか、目的を持っていますけれども、それらだけでは建物をつく
れなくて、廊下とか、階段とか、そういう、部屋をつなぐものがあるわけです。
「遊園地」と「原っぱ」と言った場合、
「遊園地」は都市で言う建物、建物で言えば部屋、目的を持っ
ている場所に相当します。
「原っぱ」は、そうではなくて、あらかじめ目的がない場所を指します。これ
が「遊園地」と「原っぱ」の違いですが、今回できた「みんなのひろば」は、どちらかと言うと、この
「原っぱ」に近いと思います。
「遊園地」が悪いというわけではないけれども、
「遊園地」だけでまちは
豊かにならなくて、
「原っぱ」がやはり必要だということを今日、お話ししようと思います。
僕自身の経験を話しますと、熊本の宮崎寄りのところに橋をつくるプロジェクトがありました。もと
もとは宿場町で栄えたところです。昔はこんな素晴らしい、周りに旅館とかが建っている場所だったの
ですが、この橋を新たに付け替えようというわけです。
「橋」とは何だろうということを考えるところから出発したのですが、同時に、宿場町だったので、
「宿場町らしい」というのはどういうことかを考えようとしたのですね。
それで、
「東海道五十三次」
、安藤広重の版画が一番手に入りやすいので、それを見てみます。
五十三次というのは、53 の宿場町、東京と京都の両端を入れると 55 のまちが入っているのですが、
それを見ると宿場町とは何かがわかってくる。次に、日本橋です。東京です。これは橋の絵です。それ
から、終点の京都ですが、これも橋の絵です。昔のことですから、渡しという、橋は架かっていないけ
れども橋のような機能を持ったものを含めますと、何と、55 のうち半分以上が橋の絵です。つまり、宿
場町というのは、ほとんどイコール橋がある場所ということが言えます。では、その「橋」はどういう
ものと捉えられているのだろうかと言うと、一つの典型的なものがこの絵です。掛川というところの絵
ですが、見ておわかりのとおり、橋はさほど特別な、かっこいい橋というわけではない。描かれている
のは、橋というよりは、そこに人がクロスする、人が出会う、普段ならば、すれ違わない人がすれ違う
ということが描かれています。
これは、手前から旅人が行きますが、一番後ろについている子は多分、旅人ではなくて、たこを揚げ
に来ている子供だと思うのです。これも 2 種類の人がいます。向こうからお坊さんが来ますが、これも
違う人です。それから、周りを見ると、お百姓さんが耕しているのが見えまして、四つのグループの人
がここですれ違っている。すれ違う理由は、道だといろんな道があるのでしょうけれども、川を渡るの
は大変ですから、どうしても道が一回集まって、橋で渡ってまた広がるというわけです。そうすると、
一回集まってまた広がるところが宿場町になってくるわけです。結節点になっているのでしょうね。同
時にそこでいろんな人が出会う場所になる。こうして見ると、
「橋」というのは、何か起きる場所になっ
てくるということがわかると思います。
「橋」は、さっきの「原っぱ」と「遊園地」の話で言いますと、道の一部ですので、道が何かと何か
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をつないでいるとすれば、この橋も、橋そのものに目的があるのではなくて、どこかとどこかのまちを
つなぐ場所、橋の向こうとこっちをつなぐ場所にすぎないけれども、そういう場所が実は豊かな場所で
あったというのは、人がそこで交わるからです。
これは東京の隅田川にある駒形橋という橋ですが、橋によっては、途中にこういうバルコニーがつい
ている橋もあります。
これはちょっと変わっているわけです。橋は、今言いましたように、目的を持っていない、つないで
いるものですけれども、その橋にこういう、目的を持った場所がついているという意味で言うと、部屋
を持っていると言ってもいいような橋です。けれども、本来的にはこういうのがある橋ではないのでは
ないか、むしろ橋そのものに魅力があったのではないかというのが僕の推論です。
昔の絵を見ると、橋があって、これは渡るだけです。ただ、その手前は、
「橋詰」と言われる場所です
が、そういうところに色々なお店が建ち並ぶわけです。なぜ建ち並ぶかと言うと、そこに道路が集まっ
てきて、橋を渡るために人が集まるからです。だから、そこで芝居小屋などもあった。芝居小屋をつく
ったから道が必要になったのではなくて、道があったから芝居小屋が必要になったという意味で、
「原っ
ぱ」があるからまちが豊かになるという一つの例です。
実際、昔は、
「井戸端会議」という言葉がありますが、家だけで生活が完結していませんで、その外に
いて、お母さんたちは周りの人と話をしたりした。これは道ですよね。道の中に井戸があって、それが
ここで、今の言い方をすれば交流の場になっています。
つまり、道というのは、もともといろんなことがそこで起きる可能性があるけれども、今は残念なが
ら交通のためになってしまって、むしろ道が持っている可能性がやせ細った場所なのではないか、もっ
と道を大事にしていったらどうだろうかということでつくった橋をちょっとお見せします。
と言っても、
こういう具合で、橋は単に道が上と下に分かれて、こうやって、太鼓橋をひっくり返したようなところ
が下になって、そこを渡ることもできる。下は人が歩いているわけです。ところどころに穴が開いてい
まして、その穴が開いているところに寄りかかって、下を見たり、本を読んだりしています。宴会に使
う場所です。昼間だとこんな感じですけれども、夜はこのように宴会をしています。これは、宴会をす
るためにつくった空間ではなくて、橋なのです。けれども、その道が何かいい場所になり得るわけで、
そうなると、宴会を皆さんがしてくれる。この橋の開通式に行って、
「文句がある」と地元の人が言われ
るので困ったなと思ったのですが、文句というのは、
「この橋は非常に不便だ。コンセントがない」と言
うのです。カラオケのことですが、橋に行ってコンセントがなくて苦情になったというのは、多分この
橋だけだと思います。みんないい人たちで、ここで宴会をやっていますが、特に夏は涼しいので毎晩こ
んなことをするのですが、宴会が終わると、そこを整理してみんな帰ります。
「ベンチがあったらよかったですか」と言うと、
「いや、ないからいいんですよ」言うのです。道を占
領して使っている楽しみみたいなものがあるのですかね。
今ではここで毎年ここにこういうのがあります。
「モライアスロン」というのは、
「トライアスロン」
をもじったものですが、トライアスロンみたいに、泳いだり、自転車と言っても三輪車で走ったりする
のですが、同時に人から何かをもらわなくてはいけないというのがあって、それで「モライアスロン」
というお祭りがあるのですが、それの観客席にもなっています。
こんな具合に、橋自体は、本当は渡るという目的しかない。逆に言えば、まちの中で目的がほとんど
ない空間です。
そこにバルコニーをつけるというのではなくて、
その橋自体をしっかりつくっていくと、
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実はそこにいろんなことが発生してくる。お祭りだったり、宴会の場所になったり、デートの場所にな
ったりというような、これも「原っぱ」ということの力なのかなと思うわけです。
これが自分の一つの経験ですが、
「まち」と「原っぱ」の関係をもうちょっと考えてみたいと思います。
実は、
「まち」というのは古来、人間の体と関連づけて考えられてきたものです。では、人間はどのよう
に見られてきたかということをお話ししたいと思います。一つは、骨の組み合わさったものだという人
間観があります。これが骨でできている人間の模式図です。この考え方に立つと、例えばこれは人間を
上から、歩いているところを見て、それをコンピューター上で再現していくときのモデルですが、機械
に見えますよね。実際、この人間の関節の動きとか、骨の真っすぐな部分などの関係を組み合わせてい
くと、機械になるわけです。機械を人間が発明していくわけですが、これは多分、人体が骨からできて
いるということと似たような発想だと思います。
機械というものを考えると、その最も完成されたものは時計です。時計は、いろんな部品が組み合っ
て、それで一つの機能を果たしているものですが、全部の部品がそれぞれの機能を持っていて、それが
かみ合って全体が動く。これが、人間が骨でできているということから展開されていくもののイメージ
ですが、実際の都市計画の上でも、これは非常に大きい流れです。
有名なので言いますと、これはケヴィン・リンチという人が書いたもので、有名な都市計画のもので
すが、まちを分析してこんな模式図を描いています。細かいことを今日は申し上げませんけれども、上
に「パス(path)」と書いてありますね。
「path」,「edge」,「node」,「district」,「landmark」とあ
ります。要するに、まちというのは path 通り、edge、node、結節点、ある地区、landmark からでき
ている。その部品が組み合わさってできているのがまちである、だからこの 5 種類の部品がどのように
組み合わさってできるといいまちになるかというようなことを書いている本です。この辺のことをイメ
ージしていくと、当然、この最後にある「landmark」が大変重要になります。実際、今、僕たちを取
り巻いているところにはよく、建物にそういうランドマーク性を求められることが多いわけですが、そ
れは人間を一種の機械として見る人間像に基づいた考え方から来ていると思います。
ほかの見方もあります。ほかの見方の一つは、循環器、心臓がポンプになって血液を送り出してもう
一回戻ってくるという、この血液の流れとして見るという人体モデルもあります。
これはどういうふうにまちと関係するかと言いますと、これは大街道ですが、血管イコール道だと考え
ると、非常にわかりやすいと思います。これは地下鉄の構内図ですが、地下鉄の駅の中は毛細血管でで
きていると言ってもいいのでしょうか、どのように血管が張りめぐらされるといいのか、流れがスムー
ズになるのかというのが、こういうふうに書いてあります。高速道路のインターチェンジもそうです。
こういうふうに考えていくと、血管モデルは僕たちの生活の中に見えているまちの一つの重要な見方に
なっているわけですが、血管は非常に重要でして、何でこれが循環しているかと言うと、最終的には組
織、胃袋だったり、腸だったり、そこまで行って、毛細血管になって、そこで養分の受け渡しをすると
いうところが非常に重要です。血が流れるのはそのためですからね。だから、ただ流れればいいのでは
なくて、流れることで細分化されていって、最終的にはそこに養分の受け取りがある。そう考えていっ
た場合、余談というか、本音というか、このまちのことで言うと、今、大街道と銀天街という 2 本の大
動脈はあるのですが、その場合の毛細血管というところが、実は本当は重要だと思うのです。
今回のこのアーバンセンターあるいは原っぱができたのは大動脈上ではなかったというのがすごくよ
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かったのではないか。実際は大動脈のところに人の流れがあるのですけれども、そこからいかに小さい
血管に人が行き、
その先の毛細血管まで行って、
そこで何かが起きるのは大動脈上ではないというのを、
この血管モデルからイメージしていただけるといいと思います。
そういう動きをつくっていくためには毛細血管が重要ですけれども、もう一つ、心臓がないとしよう
がない。それを動かすものがないとしようがない。それで、心臓的な建物もつくれます。
これは、自分のところで設計した、新潟につくった「潟博物館」という建物ですが、この建物はほと
んどが心臓みたいに、血管でここから入ってここから出るというような動きをもたらすようなものだけ
でできる建築を考えてでき上がったものですが、この中で、こういう階段、上に上ってくる階段ですが、
階段だったり、それから床自体も上にどんどん上っていくスロープだったりして、全部が人の動きをつ
くるものでできています。こういう心臓のような建築をつくると、より「原っぱ」的になるのではない
かと思って、さっき橋を道だけでつくっているから、これも道だけでと思ってつくったのですが、つく
ってみたら、ジェットコースターに非常に似ていると思いまして、これをやるとどうも、
「原っぱ」のつ
もりが「遊園地」になってしまう。歩く楽しみはあるけれども、ちょっとどうなのかなと思います。け
れども、血管モデルも非常に大切な見方だと思います。
もう一つあるモデルは神経モデルです。これも非常に重要な人間の見方です。神経は、建物というよ
りはむしろ、コンピューターの情報処理の問題に結びつきます。人間のモデルで考えた場合、脳が中心
になります。血管モデルだと心臓が中心になるのですけれども、神経モデルは脳です。昔だと、それが
大型コンピューターです。そのときのプログラムの出方は、ある実行すべきことを細分化していって、
それを樹上に、木みたいに組み立てるというようなつくりをしたプログラムで動くわけですが、こうい
うイメージでつくられる都市もあります。それは、どっちかと言うと、逆に古いのです。
ルネサンス時代のまちとかは、中心があって、そこからどうやって細部まで行き渡らせるかという、
真ん中がコントロールしてしまうというイメージです。ですが、神経のモデルは、最近は、脳が指令し
ているのではなくて、神経網が知性をつくっていると言われるようになってきています。つまり、ネッ
トワークそのものが重要だという考え方です。
神経のある一部を取り出すと、こういうふうに、非常に複雑なものになっているのですが、この辺の
モデルでつくられてくるのが、例えばアマゾンの倉庫です。この倉庫は、このように、物が並んでいる
だけです。しかも、これは分類されていない。ただ何がどこに置いたかということだけ書いてある。そ
れを、こことは別のコンピューターで、タブと言って、どこに何があるということを決めてやって、そ
うすると、人が取ってくる。これが一番効率のいいモデルなのです。これは、さっきの中央集権的に見
えるまちとは違いまして、全部パラレルな、並列処理に見えるのですが、実際にはコンピューターとい
う頭脳がつかさどっているまちで、実はこれが現代のまちに近い状況なのかなと思います。
ですから、目立つ建物をいっぱいつくっていくのが現代的なまちなるかと言うと、そうではなくて、そ
の一個一個の建物の関係をつくっていくほうが実は重要だというのが、この神経モデルが示唆する点で
す。
もう一個重要なモデルは、今のネットワークにつながるのですが、免疫モデルです。人間の体は、外
部から抗原という悪いものが入ってくると、それを退治する抗体というものがあるわけですが、その悪
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いものをどうやって排除していくかというのが免疫系です。今ここに出しているのは、ノーベル賞のイ
ェルネという人が出した「ネットワーク説」のモデルです。どういうことかと言いますと、悪いものが
入ってきてそれと戦うというふうに言うのはちょっと違うのではないかというのが、イェルネという人
が提案したことです。人間の体は、敵・味方に分けずに、いつも反応し合っている。あるときに外から
変なのが入ってきた場合にも、入ってきていなくても、反応はずっとしている。体の中は戦場なのです。
でも、外から変なのもが入ってきたときの状況を遠くから見ると、何か非常に変なことが体の中で起き
ているように見えるというモデルです。つまり、お互いがお互いにずっと反応し続けているというモデ
ルが免疫系の考え方です。それに近いモデルは、現在、色々考えられます。イメージとしてわかりやす
いのは、こういう、これは美術作品ですが、一個一個のパーツが、お互いがお互いを助け合って形にな
るという状態で、これが免疫モデルのイメージです。もちろんこの免疫モデルは、中央、つまり全体を
コントロールするものが、脳があってやるというのではなくて、みんなが勝手に動いているけれども、
全体にうまくいく。何となく日本の社会モデルみたいな感じがするのですが、そういうモデルが免疫モ
デルだと思います。
「原っぱ」というのは、今申し上げたような骨格モデル、循環系モデル、神経系モデル、免疫系モデ
ルという中で言うと、免疫系モデルに一番近いものです。
これは、絵本で「原っぱ」がテーマになっているのを見つけたのです。
「原っぱ」にしてはちょっと大
き過ぎるとか、色々あって、どうなのかなと思うところもあるのですけれども、この左上の方にやはり
ちゃんと土管が置いてあって、これは砂利です。これがないと、
「原っぱ」と言えない。これで重要なの
は、この中でやっていることがみんなばらばらです。みんなが軍隊みたいな感じで同じことをやってい
ない。マスゲームではない。みんなそれぞれが勝手にやっているけれども、何となく全体でうまくいっ
ている。
もう少しわかりやすく言うと、これは電子ブロックというおもちゃです。いろんな回路が一個ずつの
ブロックに組み込まれていて、それを組み合わせて使う男の子のおもちゃです。これが回路図です。こ
れは免疫モデルにちょっと近い感じがあります。これは、一個一個のパーツには意味があります。一個
だけでは全体に意味は持てないけれども、組み合わさるとうまくいく。一個一個が心臓だと言ってもい
いし、一個一個が何かやっている場所になっています。
ただし、これで重要なのは、ただやっているわけではない。電気は、一つのブロックに入ってきて、
また出なくてはいけない。つまり、こういう電子ブロックの一個の部品は、入力があって、かつ、出力
がある。つまりそこは、とまっている場所ではなくて、常に動きの場所です。
これは重要なところで、免疫モデルのさっきのところで、上に矢印で書いてありますが、これは反応
だけです。何かが何かに対して反応を起こしている。つまり、動きがなければ機能があってもしようが
ないというのがこの免疫モデルの言っていることなのです。
この一個一個のパーツは、まちで言えば何なのだろうと思うと、いろんなものがあり得ます。例えば
図書館は、そこに入って一生を過ごす場所ではない。当然、ある時間に行ってある時間に出てくるもの
で、ある一定の時間を過ごす場所ですが、その過ごすための仕掛けとして本が置いてあるというふうに
見るとどうでしょう。普通は逆を言うのです。図書館というのは本を見るために行く場所というふうに
言われますけれども、免疫系モデルの上で言うと、これは、人がここに入って出るためにある程度滞在
するための仕掛けであって、その仕掛けとして本が使われているというふうに言えます。
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美術館も、ここに人が入ってきて、デートしたり、自分で楽しんだりするのですが、また出てくる場
所です。通過点です。その通過点のタワーとして美術作品があるわけです。
喫茶店、カフェも、お茶を飲むために行くところではなくて、そこに行って時間を過ごすための場所
でして、
入っていって出るその滞在時間を維持するためにコーヒーサービスがあるというふうに思うと、
これも免疫系モデルを成立させている一つの部品です。
お風呂、温泉、道後温泉も実はそうです。ここにいて、少し時間を過ごして出てくる。この前お会い
した後藤先生はそこで一回死んでまた生まれ変わって出てくる場所であると言われていましたが、それ
も含めて、これは、入って終わりではなくて、出てくる場所です。その間にお風呂、温泉があるという
のが、まちの中で非常に重要なファクターです。
道後温泉には上に休憩できる場所があるわけで、これも同じくそういう場所です。これはホテルでは
ない。泊まらないわけですが、ある時間を過ごしていく。このお茶のサービス、喫茶店のサービスがあ
るわけです。このように、温泉があるというのも一種の免疫の 1 パーツであるし、それが「原っぱ」と
思っていただいてもいいと思います。
これは、道後温泉からちょっと遠くなりまして、九州の熊本の山鹿というまちですが、山鹿というま
ちにも、
「さくら湯」という大きな温泉があります。
この建物を最近つくり直したのですが、つくった方が坂本又八郎です。道後温泉から呼ばれて九州ま
で行ってつくったというわけで、ある意味、道後温泉のまねをしてつくってあるまちです。
城大工だけあって、非常におもしろい建物ですが、このまちは道後温泉とちょっと違います。
ここにも殿様湯みたいなのがあって、そこは同じですけれども、ここの道後温泉と違って、休憩所が
余りないのです。そのかわりに、山鹿というまちには、こういうような、
「八千代座」という劇場があり
ます。これは今でも玉三郎が毎年公演に来るようなものです。
劇場もそこに人が来て時間を過ごして帰るところ、その間の滞在するときのアリバイとして演劇をや
っていると、別に演劇をばかにしているわけではないのですが、都市から考えたら、そういう場所にな
るのです。だから、山鹿というまちが道後温泉とちょっと違うのはここでして、これがあることが非常
に大きいのです。
その一つの温泉場であったり、まちの中に一個だけ部品があってもだめです。それが複数あることで
お互いの人の動きを生み出していくわけです。そういうことが免疫モデルでわかってきます。
ここは飛ばします。これは今、広島の三次というところでつくっている建物ですが、これはいいです。
ちょっとだけ言わせてください。これは、建物ですけれども、まちのようにつくろうというような計
画です。これが 2 階の平面ですが、何となく、道路があって、建物が建っているように見えませんか。
重要なことはここです。これは、楽屋ですけれども、こうやって楽屋もホールも練習室もどこもみん
な通りに面しているので、どこが表でどこが裏というのがありません。普通の本当のまちと同じです。
使い方で、ここを通行止めにすれば大きな公演のときの楽屋として使えるし、通行止めにしなければ
日常的にここも使える場所になります。こんなホールをつくっているのですが、これはある意味で、免
疫的なというか、まちをどうつくるのかというのと同じような発想でつくっています。
今までお話ししたのはどっちかと言うと「原っぱ」の空間の話でした。最後にもう一個重要な例とし
てお話ししたいのが、今回できたものがアーバンセンターですが、実はアーバンセンターも「原っぱ」
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ではないかということです。どういうことかと言いますと、今の状態を見てもわかりますよね。あそこ
の場所で野外の「原っぱ」がみんなのひろば、屋内の「原っぱ」がアーバンセンター1 階だと言うと、
「そうだな」と思ってくださるのではないかと思います。
実は、新潟の十日町というところで今、それに近いプロジェクトをやっています。
そのまちの中心市街地がやはり余り元気ではなくて、その中の一種の公民館的に使える場所を改装し
ていくというプロジェクトですが、そのプロジェクトをやっていくために、うちの事務所がお金を払っ
て部屋を借りました。それがここです。これは、もともとパン屋さんだったところがつぶれてしまった
のを借りて、そこを自分たちで、まちの人にも手伝ってもらって改装しました。というか、中の仕上げ
を壊したというほうが近い。これがまちの人との最初のコラボレーションですが、僕たちはここを「十
日町分室」と呼んでいて、ここで仕事をしているのですが、これをやっているうちに、ここでいろんな
ことが起きました。まず、周りの人が差し入れしてくれるようになって、野菜を持って来てくれたり、
徹夜するとコーヒーを持って来てくれたり、どこかへ行くと、ますずしを買って来てくれたりとかいう
感じで、仕事をしていると、どんどん人が入ってくる。入ってきて、模型とか置いてあるものだから、
「この模型って、どうやってつくるんですか」と言うおじさんが入ってきたり、それから、
「お茶をやっ
てるんですけど、お茶の場所をつくってほしいんですよね」と言ってくるが人います。
それでとうとう、余りにそれが多くなってきて、
「青木事務所分室」という呼び方はやめて、
「分室」
という名前だけにしたわけです。それで、
「分室」と書いてあります。これは、市役所の人も交えた打ち
合わせをここでやるので、ここは市役所分室でもある。もちろん、うちの事務所の分室でもある。それ
から、色々市民団体があって、そこの活動をする上での分室になっている。いろんな立場の人の分室に
なっている。お金を払っているのはうちですけれども、そうなっています。
うちの方針は、設計の初めのころはなるべくここで仕事をしていって、段々、段々、仕事をここでや
るのを減らしていって、最後は居ないようにします。
どうしてかと言うと、まちは、まちの人が考えて、まちの人がつくっていくもので、外の人はサポー
ト役です。最後まで居座ってここでやっていたら、全然まちにならない。僕たちは消えなくてはいけな
い。だから、どうやってフェードアウトするかという実験でもあります。
そうすると、ここは今、うちのスタッフがいるのですけれども、そのうちいなくなるわけです。もう
大丈夫です。鍵を貸す人が何人か出てきて、その人たちに鍵の管理をしてもらう。その人たちがここを、
僕たちがいなくても、勝手に使うようになるというわけです。
実際、この建物ではなく、今ここに置いてある模型がそうです。このまちなかにある建物を改装して
いくわけですが、そこで実際にできたら、そこで行われる活動は実はこの分室と同じなのです。
つまり、これは今ここでつくられたアーバンセンター、そのものだというふうに思ってくださるとい
いと思います。実際、この分室でどんなものをつくろうとしているかと言うと、簡単に言えば、まちの
中に「原っぱ」をつくることです。
「原っぱ」をつくるというのはどういうことかと言うと、目的をはっ
きり持っていない場所をいかに多くつくるかということです。
今の中心市街地の一番の問題は、どこでもそうですが、道はあります。お店はあります。その間がな
いのです。道とお店の「あいのこ」みたいな場所が足りない。それが多いといいのではないか。建物が
あったとすれば、この部分を屋外にしてしまう。それで、本当の外壁をこっちにセットバックして、前
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にこういう、半屋外的な広場をつくる。ここは雪深いところなので、雪が降っても中が明るい半屋外の
空間をつくります。こういう場所を「マーケット広場」と呼んでいるのですが、一番簡単なのはこれで
す。ご存じのように、普通のお店はその場所に対して保健所が許可を出すのですけれども、車でやる商
売のお店は車に対して出すので、この車がどこへ行っても商売できる。すごいことです。だから、こう
いう車を 1 台持って来てやれば、
そこは何にも新たな許可なくお店がつくれる。
一番小回りがいいのは、
こういう車を使った商売です。これを入れるためには空き地が要る。駐車場でもできます。でも、駐車
場ではなくて、これをやったらいい場所が本来の昔の言う広場であって、今言っている「原っぱ」です。
屋台は当然できます。それから、この写真、よくわかりませんけれども、本の貸し出しも同じことです。
これは松山の昔の地図です。大正時代の地図があって、おもしろかったので持って来たのです。
このまちはどこが大街道でどこが銀天街か、大体、何となくわかるわけですが、大正時代にはまだア
ーケードはなくて、もっと城下町的な碁盤の目になっていたのですが、ある意味で言うと、このときは
まちが毛細血管だけでできているような感じです。今は大動脈だけでできている感じです。大正時代か
ら現代に至る間に末端が随分減ってきたという感じがするのではないでしょうか。
そういう意味で言うと、このまちはこれからで、今回が第一歩だと思うのですが、特に「原っぱ」の
ほう、広場のほうを見ると、周りがきっと変わってくる。お店があっち側に向けて窓をあけたくなるだ
ろうし、場合によったら、そっちの広場から入れるように変えてくれるところもあるのではないかと思
うのです。そうすると、道にしか面していないお店が、今度は広場に面するお店ができる。広場ができ
ると、面する面積がふえます。面積がふえるということは、それだけ外と中との関係が生まれてくるわ
けです。これが毛細血管の持っている論理ですが、それの出発点になっているのではないかと思って、
1 年半の社会実験だということですが、これをきっかけに、きっと何か、松山のまちをどうしたらいい
のかというのが具体的に見えてくると思っています。どうもありがとうございました。
(会場拍手)
【司会】
青木様、まことにありがとうございました。改めまして、ご講演いただきました青木様に盛大な拍手
をもって、第 1 部を終了させていただきます。
(会場拍手)
それではこれより、約 15 分間の休憩とさせていただきます。15 分間の休憩の後、16 時 15 分より第
2 部パネルディスカッションに移らせていただきます。
(15 分間休憩)
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4.パネルディスカッション
タイトル:
「まちなか交流拠点での新たなまちづくりの体制・人材育成について」
コーディネーター:東京大学大学院工学系研究科 教授
(松山アーバンデザインセンター センター長)
パネリスト:
羽藤 英二
愛媛大学防災情報研究センター 教授
(松山アーバンデザインセンター 副センター長) 新階 寛恭
愛媛大学防災情報研究センター 助教
(松山アーバンデザインセンター ディレクター) 片岡 由香
NPO 法人まちづくり支援えひめ 代表
前田 眞
愛媛大学法文学部観光まちづくりコース 3 回生
(みんなのひろばワークショップ参加者代表)
安田 真菜
松山市都市デザイン課 課長
坪内 洋
【司会】
それでは、お時間となりましたので、これより、第二部パネルディスカッションに移らせていただき
ます。本日のパネルディスカッションは、
『まちなか交流拠点での新たなまちづくり体制・人材育成につ
いて』をテーマに計6名の方々にそれぞれのお立場、視点からご意見を交わしていただきたいと思いま
す。これからの進行は、当パネルディスカッションのコーディネーターとして、東京大学大学院工学系
研究科の羽藤英二教授にお願いしたと思います。
羽藤先生は、東京大学で教鞭をとりながら、首都圏鉄道計画、陸前高田の復興計画、東京 2050 プロ
ジェクトなどの様々な領域で活動をされており、本松山アーバンデザインセンターのセンター長を務め
られておられます。
次に、パネリストの皆さまについて簡単にご紹介させていただきます。
本日、パネリストとしてご登壇いただきます、松山アーバンデザインセンター副センター長であり、
愛媛大学防災情報研究センター副センター長、同研究センターアーバンデザイン研究部門教授の、新階
寛恭様です。
次に、松山アーバンデザインセンターのディレクターであり、愛媛大学防災情報研究センターアーバ
ンデザイン研究部門助教の片岡由香様です。
続きまして、NPO 法人のまちづくり支援えひめ代表であり、松山市中心市街地活性化協議会タウン
マネージャーの前田眞様です。前田様は、松山市をはじめ、久万高原町、松野町、双海町など、愛媛県
内各地でのまちづくり活動に関わっていらっしゃいます。
続きまして、愛媛大学法文学部観光まちづくりコース3回生の安田真菜さまです。安田様は、本日オ
ープンを迎えました松山アーバンデザインセンターの活動の一環である「みんなのひろばワークショッ
プ」などに積極的に参加されました。
最後に、松山市都市整備部都市デザイン課 課長の坪内洋です。
以上、コーディネーターの羽藤先生と5名のパネリストの方々で、パネルディスカッションを始めさ
せていただきます。なお、先ほど基調講演をいただきました青木様にも、アドバイザーとしてディスカ
ッションに加わっていただきます。それでは、羽藤先生、進行の方をよろしくお願いいたします。
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【東京大学大学院工学系研究科 教授 羽藤 英二様】
皆さん、よろしくお願いいたします。それでは、今から 5 時半ぐらいまで、アーバンデザインセンタ
ー、それからまちなか広場が立ち上がったということで、これからどういうふうにまちづくりを進めて
いったらいいのか、進めていくとは言っても、当然、先ほど副市長からもお話があったように、公・民・
学ということで、まさにみんなでどうやっていくかといったようなことを、それぞれお立場の違う方々
が色々議論できればと思いますが、まず、新階先生から、アーバンデザインセンターについて、ちょっ
と聞きなれないような気もしますので、どういう歴史的な背景だったり経緯でこういうものがまちづく
りの現場で求められているのかといったようなこと、それから、立ち上げられたということで、活動方
針のようなことも一通り考えられていると思いますので、そのあたりについて少しお話しいただければ
と思います。
青木さんが先ほどから「原っぱ」という言葉を使ってまちづくりについてお話をしてくださったわけ
ですが、まちなか広場、アーバンデザインセンターも、まさにそういった発想だと思います。まちづく
りの中では今まで、
「こういった機能の施設をつくりたい」
「こういったものが必要だ」ということで、
機能でまちを満たしていくといったことをやってきたわけですけれども、どちらかと言えば、今回の松
山アーバンデザインセンターもまちなか広場も、最初から使い方を「こうだ」というふうに決めている
わけではありません。まさに「原っぱ」は二、三週間すると使い方とかルールが変わってきているよう
に、このまちなか広場もアーバンデザインセンターもみんなで使い方を考え、つくるプロセスそのもの
に参加してもらうということを想定していることということで、まさに「原っぱ」の理論に従って、皆
さんと一緒に考えていきたいと思って立ち上げているプロジェクトです。
それでは、まず、新階先生からお話をよろしくお願いいたします。
【愛媛大学防災情報研究センター 教授 新階 寛恭様】
最初に、今回アーバンデザインセンターが立ち上がったということで、ちょっと堅い話も入っている
かもしれませんけれども、UDCM の紹介させていただきながら活動方針を説明させていただきたいと
思います。お話としては、都市デザインの系譜、歴史的なものを紹介します。あわせて、横糸としての
アーバンデザインのボキャブラリーについて少し紹介します。それから、アーバンデザインセンターそ
のものについて説明をします。最初に系譜ですが、3 段階があります。
戦前の 19 世紀後半、都市計画というものは誕生しました。それから、20 世紀前半になると、近代の
都市計画ができてきて、併せて、都市デザインというものが誕生してきたという歴史があります。
次に、戦後になりますと、20 世紀後半ですが、それから近代史への弊害の反省も起こり、また、都市
デザインというものが人間性・人間的感情を取り戻すために進化したという流れがあります。最近、21
世紀になりますと、新たな都市デザインが模索されているという流れが概観できると思います。
戦前ですが、19 世紀後半、都市計画はパリの改造計画から始まりました。県知事となったジョルジュ・
オスマンという男爵が、スラム街を含むパリ市街地の 4 割をスクラップ・アンド・ビルドして、広幅員
の街路あるいは下水道などを整備して、まちに光と風を取り込んで、都市に満ちた景観を整えたという
ことが行われました。
この人は、権威主義的なところもあるのですけれども、工業化による都市の過密を制御する公共政策
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ということで、その後の近代都市のモデルとなりました。
20 世紀前半になりますと、近代都市計画は機能主義が追求されてきます。
これは 20 世紀の建築を代表するル・コルビュジェという人物ですが、パリの博覧会等で「300 万人
の現代都市、輝く都市」などの構想を発表しております。
これは、高層ビルを建設して、空中を確保し、街路を整備して、歩車の分離を図るというもので、徹
底して都市機能を純化して、都市に垂直性を与えることで人口過密等の都市問題の解決を図ろうとした
ものです。これはその後の都市像というか世界観に大きな影響を与えました。
次に、20 世紀前半になりますと、都市デザインが誕生してきます。これはニューヨークのロックフェ
ラーセンターの中央広場ですが、アメリカの石油王のジョン・ロックフェラーによって、高層建築物の
建設にあわせて広場が設けられました。夏にカフェテラス、冬にスケートリンクとなるこの広場は、今
でもニューヨーク市民に親しまれているのですが、民間による建築の延長としての快適な都市空間設計
の始まりだったと言われています。
そのころ日本ではどうかということで、例えば大阪市の大阪市長の関一によって近代都市計画が大阪
で推進されています。大阪の北と南という二つの都心をつなぐために、地下鉄御堂筋線の建設にあわせ
て、わずか 6m ほどの通りを復員 44m という、当時ではとてつもない広幅員の街路に拡幅する大工事を
実行していくということです。
その結果、大阪市の象徴となったということと、また、特筆すべきは、その沿道に面することとなる
地権者からの負担金をほとんど財源とした官民連携事業の貴重な事例です。
その後、20 世紀後半、戦後、近代主義の弊害であります都市環境の悪化、都市の環境の悪化への反省
が起こってきます。ということで、これはニューヨークのペイリーパークですが、放送会社 CBS の会
長のウィリアム・ペイリーが私財を投じてつくったポケットパークの先駆けです。同じ年にニューヨー
ク市に都市デザイン部局みたいなものができまして、
その後の取り組みのモデルにもなったところです。
高密度な都市生活の中で、必要に迫られた市民の熱い思いとか努力、民間の団体の援助というもので実
現した、現在にも通じる高質な空間の記念碑的な存在です。さらにその都市デザインはさらに進化して
きます。
今度はサンフランシスコです。サンフランシスコで緻密な都市景観コントロールが行われます。例え
ば、丘というその土地の文脈を生かして、さらにそれを際立たせるようなスカイラインのデザイン、都
市マスタープランに位置づけられたアーバンデザインプランといったものがありまして、それによって
詳細な景観コントロールが実行されてきます。その他、眺望の確保とか、周囲との連続性の確保とか、
屋根の高さの調和とか、次々と、現在につながる都市デザインの兆候が生み出されていきます。
そのころ日本ではどうかと言うと、1960 年代、都市の拡大期には、例えば日本の偉大な建築家の丹下
健三先生が発表された「東京計画 1960」の大規模な建築計画が、図を描き出すプロジェクトが進められ
ていきます。これはやがて、新陳代謝を意味するメタボリズム運動となったり、さらに実際のニュータ
ウン計画のほうに引き継がれていきます。
次に、70 年代、80 年代ですが、都市の安定期になってきますと、横浜市に都市デザイン室が出てき
まして、行政がリードする都市デザインが展開していきます。74 年のくすのき広場に始まりまして、馬
車道とか、それから日本大通り、開港広場など、都市空間そのものの高質化といったものが次々と試み
られていきます。
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一方、今度は戦後からの流れですが、建築家の槇文彦先生が、地権者からの信頼を得まして、渋谷の
代官山ヒルサイドテラスをゆっくりとつくっていきます。A・B 棟、C 棟、D・E 棟を、30 年近くかけ
て、建築家と地元との長期の協働によって、建物と外部空間が絶妙に一体となった高質な空間づくりが
成功していきます。その結果、代官山という土地のブランド向上に多大な貢献をしています。
さらに 90 年代、都市の成熟期、安定期になりますと、全国で景観誘導の動きが活発化してきます。
その節目として 2004 年に景観法ができるのですが、こういう緩やかな規制誘導といった枠組みによ
って、歴史的建造物の保存・再生、要は他者のプロジェクトのコントロールによる「地」の形成の手法
が裾野を広げていきます。
次に、最近の話になります。21 世紀の今、新たな都市デザインの計画が模索されておりますが、私な
りに調べますと、特徴が四つあると思います。
一つが戦略です。大きな構想よりも小さな実現ということで、その都市のつぼを狙った戦略的布石で
全体に働きかけていこうということです。具体的には、都市にとって戦略的に重要な立地の小規模公共
空間の創出とか改善があります。
それから生活です。都市生活を豊かにしていくイメージリーダーの役割があります。生活の具体の改
善の姿を見せるというもので、具体的には、公共交通や自転車等も含めて、都市の生活スタイルの提案
としての都市デザインがあります。
それから文化です。都市の文化政策の一翼を担おうとして、文化の力を前向きに信じようとするもの
です。
単なるハードの空間整備ではなくて、
都市の持続可能性とか多様性を模索するものだと思います。
あとは関係性です。物理空間の位置関係だけでなくて、組織だとか人的ネットワークといった様々な
関係性をデザインするというものがあると思います。
最近の海外の事例ですが、ニューヨークのハイラインです。これは、20 年以上使われずに放置されて
いた高架の貨物線ですが、市民の熱意とマイケル・ブルームバーグ市長のリーダーシップで、2009 年に
公園として生まれ変わったものです。これがおもしろいのは、都市インフラの逆転の発想で、壊されか
かっていたものを再生するということだけではなくて、実際にその街区の中を貫通したりする区間も多
くて、
新たな視点を提供するとともに、
その周辺の建物の更新も活発となっているというのが特徴です。
同じニューヨークで、タイムズスクエアの広場化です。
これはニューヨークを代表する場所ですが、これは同じく 2009 年に、車道を狭めて広場がされてお
ります。ニューヨークという都市にとって最も重要な、象徴的な場所を再生するということで、都市そ
のもののイメージアップを図るという、例えば都市全体の経営の視点が入っているというのが特徴だと
思います。
次に、これもニューヨークですが、市長は一方で、都心だけでなくて、市内全域に施策を展開します。
これはマンハッタン島の南側のブリックリン地区のアルビー広場ですが、道路をつけかえて、既存の道
路空間を広場化しております。これを初めとして、既にニューヨークで 50 という数を超えておりまし
て、要は NPO の発議で、その地域ごとに提案があって、それを生かして小空間が次々と生み出されて
いるという状況にあります。
もう一つはヨーロッパのマルセイユの話です。最近まで徹底的な工業都市だったので、斜陽都市のト
ップランナーと言われていたのですけれども、ユーロメディテラネ構想、欧州広域中心都市構想によっ
て、この港町マルセイユに、国も大々的に投資を展開しています。
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その一環として文化施設をつくったりしているのですが、さらに、このマルセイユの特筆すべきは、
既存の工場とか倉庫などをコンバージョンして、メディア関連企業とか、要は雇用をたくさん生み出し
ています。その結果、そこに新たに来られた方がそのつくった文化施設の利用者にもなっているという
ような好循環を生み出して、昨年、2013 年に欧州文化首都になったという、大きく変わった、都市の持
続可能性を模索するいい事例だと思います。
最近の日本はどうかと言いますと、まず、河川空間の劇的な再生の事例ということで、10 年ほど前で
すが、大阪の道頓堀川にデッキを整備しまして、人通りが生まれた途端に、建物が改修を始めたり、開
口部を次々あけていって、賑わい空間にいきなり発展したという事例です。
これも、大阪にとって非常に象徴的な場所ですが、そういった場所の再生、新たな視点の提供、川沿
いの建物更新を誘導した事例になります。
それから、先ほど紹介した、先進的だと言った横浜がどうなっているかという、今の状況ですが、こ
れは、象の鼻パークで、海沿いの軸と緑の中心軸との二つの軸が交わる場所であって、かつ、横浜が開
港したときの、ペリーが上陸した地点である非常に象徴的な場所ですが、そういう原点でもある場所を
2009 年、ついに再生しました。これは、意味合いとしては、これまで横浜が築き上げていたデザイン空
間を連続させていくという、つないでいくという、要は面的な展開というか、仕上げのような段階の事
例です。
面的な取り組みということで、今度はそのエリアマネジメントの事例です。銀座です。これまでの銀
座は、銀座らしさという、言葉にならないものを守るために、例えば個別建てかえ等に対する地元の話
し合いによって、
「銀座フィルター」というような暗黙のルールが機能していたのですけれども、最近、
色々複雑化してきて、そういう暗黙のルールだけでは対処し切れないということになって、2004 年に改
めて「銀座街づくり会議」というのが組織されました。
それで多くのルール、これは法定ルールと非法定ルール、いろんなルールがあるのですが、それを体
系化しまして、その会議のもとに「銀座デザイン協議会」が設置されました。地区計画等の法定ルール
のほかに、2008 年、
「銀座デザインルール」という、要は協議してやっていきましょうということです
が、そういうルールがつくられまして、このルールは、地元発意ですけれども、結果として行政の手続
にもこの協議会の協議結果が明確に位置づけられまして、それこそファサード誘導とか、これは工事中
の看板とかですが、そういった地元主導の合意形成のプロセスがデザインされているという事例です。
次は道路空間の恒久的利用です。実験というより、間接的なものはこれまで色々あったのですけれど
も、いよいよこれは恒久的な利用がされている事例です。
新宿の歌舞伎町の手前のモア 4 番街というところの常設のオープンカフェです。地元の商店街振興組
合が非常に長い期間、熱意をもって実験とか、色々な取り組みを経て、2012 年、おととしですが、道路
の恒久的なオープンカフェの利用が全国で初めて実現しました。
これは、カフェの収益を環境維持活動に充てることにより空間利用が認められるという循環的なスキ
ームです。公的空間の開放と利用という、持続可能性をもたらすような、経営の視点が本格的に導入さ
れた事例になります。
次は佐賀のわいわいコンテナです。これは、芝生ひろばとコンテナでまちなかに賑わいの場を創出す
る社会実験の事例ですが、市民、それから商店街の地元にデザイナーが加わって実現したものです。
核となる組織がいろんな関係者のつなぎとなって、チャレンジショップとか、ミニ図書館とか、カフ
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ェとか、広場等で構成される、非常に狭いながら非常に高密度な関係性の場が展開されております。
次は、デザインのボキャブラリーですが、これはおさらい的なもので、先ほど都市デザインの文脈と
いう縦糸で説明したのですが、今度はそのツールとか手法、横糸的な感じでおさらい的に流していきた
いと思います。
先ほどあった広場空間の美しい例というか、芝生の広場、あるいは美術館と一体となった広場の例で
す。次が、縁側とテラス、あとは開放的な建物などもあります。それから、水のある空間ということで、
「噴水」とか「水のある舞台」といったキーワードもあります。さらに、ベンチとか、パラソルとか照
明とか、などのキーワードがあります。 これらのツールを活用するキーワードとして、
「交流の場」と
か「社会実験」
「住民参加」といったキーワードがあると思うのですが、具体的にはオープンテラスや模
型を展示したり、ワークショップ、勉強会というようなものがあると思います。
さらに視点を少し広げていくと、町並み保存再生とか、エリアマネジメントとかあるのですが、例え
ば歴史的景観の保全とか、歴史的建物の再生などもあるでしょうし、もう一方のキーワードで「モビリ
ティー」
「コンパクトシティ」
「グランドデザイン」とかいうのがあると思うのですが、具体的に言うと、
小さな交通、新しい公共交通など色々あると思います。こういったことにも留意しながら松山アーバン
デザインセンターが今後取り組んでいくのですが、前置きが長くなりましたけれども、いよいよ本題と
いうか、松山アーバンデザインセンターの取り組みになります。
背景としては、人々がまちに求めるもの、社会的なニーズ、色々と課題はあると思います。それに対
して、解決する方法も複雑化しておりますので、そのまちの課題に取り組んでいくために、公・民・学
連携するプラットフォームの連携のコアとして UDCM が機能していく、しかもそれが開かれた場であ
って、組織の連携とか、専門的な人材とか、拠点施設の見える化、可視化とか、そういったものの象徴
としてのアーバンデザインセンターがあると思います。
松山の事情で見てみると、色々と未来志向の都市づくりをしないといけないということと道後温泉等
に始まる歴史的伝統文化を継承しないといけないということを両方併せて取り組むために、民・公・学
が連携して、その連携の核としての UDCM が必要だと思います。
この UDCM の体制ですが、両輪で取り組んでいきます。一つが管理・運営組織としての都市再生協
議会で、これが広くネットワークしていくプラットフォームになっていきます。
もう一つの両輪が実行組織としての実際の松山アーバンデザインセンターです。今日オープンしたの
が、このセンターが入る場所になります。このセンターが実務的に中心になってプロジェクトを展開し
ていくという両輪の話になります。
これは事業の流れですが、事業の流れから言っても、アーバンデザインセンターが各関係機関のキー
の立場になるということです。このアーバンデザインセンターがどういうプロジェクトをやっていくか
ということですが、羽藤先生から研究と人材育成と実践という三つの柱の説明があったのですが、その
研究の一つとして、松山に関する都市ビジョンの再構築をしようと思って作業をしております。既存の
計画を束ねながら、全体としてわかりやすく、さらに高い次元に持っていくというビジョンに取り組ん
でいます。それから、まちなかにおけるリーディングプロジェクトとしての社会実験としての広場整備
やセンターの設置、それがまさに今日オープンしたものです。
それから公共交通です。歩いて暮らせるまちづくりのために利便性を向上させていくといった公共交
通に関する取り組みです。
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それから、まさに松山の象徴でもある道後温泉について、回遊性の向上とか、賑わい、景観の構築の
ための基本計画をつくるという作業をしております。
さらに言いますと、後ほど、説明があると思いますが、アーバンデザインスクールということで、参
加型の学習プログラムもやっていくというのがアーバンデザインセンターの 5 本柱でやっています。そ
れ以外にも、デザインマネジメントみたいなアドバイスとかは色々、行っておりますが、柱としてはこ
んなものがあります。
フィールドとしては、まちなか、この赤い楕円で囲んだあたりを中心に、道後とか中心市街地、JR
松山駅周辺、そこをつなぐエリアといったものに主に取り組んでいく、余力が出てくればさらにエリア
を広げていくというような感じで考えております。以上です。
【東京大学大学院工学系研究科 教授 羽藤 英二様】
ありがとうございました。
「アーバンデザイン」という言葉そのものが余り聞きなれない言葉だったと
思うのですが、日本、それから世界中でずっとこのアーバンデザイン、都市をデザインしていく、単に
建築とか、単に道路をつくるということではなくて、その間にある部分のデザイン、青木先生の言葉で
言うと、それは「原っぱ」ということになるわけですが、そういうものを都市の中にどんどん入れてい
くといった動きがこれからもさらに進展していくという話と、それをより高いレベルで推進していくた
めにアーバンデザインセンターが公・民・学という取り組みでこれから進めていこうというお話をして
くださったのだと思います。ありがとうございました。
とはいえ、それを実際にどう進めていくかという部分については、よく「ヒト」
「モノ」
「コト」とい
うふうに言いますが、
「モノ(実際の空間)
」だけではなくて、
「ヒト」にどういうふうにかかわってもら
うのかとか、あるいはそれをどういうふうに「コト」としてまちの中の皆さんに加わっていただくのか
といったところについては、非常に難しいところもあると思います。
アーバンデザインセンターの片岡先生が特にこうしたところについて、今まで様々な地域でまちづく
りに、ご自身も参加しておられますし、実践活動もしている中で、こちらに赴任されてから既にアーバ
ンデザインスクールの構想をいろんな大学の先生方とまとめてきているとか、あるいは「風景づくり夏
の学校」のほうも活動を、様々な方々を巻き込んで進めておられますので、そのあたりのお話について、
続いてお聞かせいただければと思います。
【愛媛大学防災情報研究センター 助教 片岡 由香様】
皆さん、こんにちは。愛媛大学の助教で松山アーバンデザインセンターの片岡と申します。どうぞよ
ろしくお願いします。私からは、先ほど新階先生がアーバンデザインセンターの役割の 2 本柱の説明を
されましたが、そのうちの人材育成についてお話ししたいと思います。羽藤先生からアーバンデザイン
スクールというお話があったのですけれども、その話をする前に、わかりやすい事例としまして、先日
まで私のところで東京大学と共催しました「風景づくり夏の学校」という取り組みについてご紹介した
いと思います。これは、こちらに書いてありますとおり、都市計画の提案設計競技でして、コンペティ
ションと言われるプロジェクトになります。
「U-30」というふうに書いていますのは、30 歳以下の若い
方々を対象にしたものということです。これは、松山でやるということで、道後温泉を対象にしまして、
道後の今後をどういうふうにしていけば、魅力的なものになっていって、松山にとって財産として残っ
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ていくかということを、全国の学生、それから実務家の方で 30 歳以下の方に呼びかけて、是非、外の
目線で提案してくださいということで応募してもらいました。
これが 9 月 20 日に愛媛大学で最終審査会をした模様です。全部で 26 チームがエントリーしてきて、
そのうち 14 チームが一次審査に案を提出してくれました。全部を審査したかったのですけれども、時
間の都合もありましたので、一次審査を設けまして、そこで審査員の先生方に審査していただいて、6
チームと、あと、愛大のチームが頑張って提案を先につくってくれましたので、愛大チームと合わせて
7 チームがこの 9 月 20 日に愛媛大学で発表会をしました。
皆さん口をそろえて言われたのが、
「こんなにレベルが高いとは思わなかった」ということをす。「こ
んなコンペをやりますよ」というふうな事前の告知はしていたのですけれども、やってみてやっとわか
る話がありましたので、こういう活動をどんどん広げていきたいと思っています。この後、話してくれ
ます安田さんも参加されていました。
この活動は特徴的でして、
普通のコンペですと、
「この場所をよくするために何かアイデアをください」
ということで発信して、それに提案者の人が提案してくれて、よかったらそれが採用されるという、参
加者、提案してくれる方と主催者側との接点が余りないという感じがするのですけれども、これは学習
の機会をたくさん設けたコンペになっていました。
この写真は、7 月 26 日に、まず、
「こんなコンペをやりますよ」ということで、インターネット上な
どで募集していたのですが、どんなコンペをやるのかという課題説明会と、あと、青木先生に審査員に
なっていただきましたので、ご講演いただきまして、審査員の先生方にも講義をしていただきました。
参加者に事前に、先輩である先生方からいろんなアイデアをレクチャーしていただきまして、参加者自
身が学習します。もちろん道後の話も、その 3 日後、7 月 29 日に現地の道後温泉で説明会をしまして、
同じメンバーに来ていただきまして、まち歩きとかして、それから地元の方、まちづくり協議会の方と
か市役所、ボランティアガイド、旅館組合の方にプレゼンしていただいて、今、道後がどういう状況で、
どんなことを目指しているのか、どういうところに課題があると感じておられるのかということを、生
の声を聞き取っていただきたいと思って、この場を設定しました。先輩方のアイデアももらい、現地の
情報も得てから提案してくださいというような、参加者の方によりよい提案を出してほしいという思い
があって、こういう企画をしております。
さっき最初にお見せした 9 月 20 日の発表の前日に、東京の方が多くて、せっかくですから、一泊二
日ぐらいで来ていただいて、前日入りをしていただいて、道後の現場でもまちづくりのレクチャーをし
ていただきました。皆さん、次の日に発表で緊張されている中、熱心に、ご覧のとおりぎゅうぎゅうで
聞いていただきまして、
「参加して本当によかった」
というふうに参加者からもお話をいただいています。
これも審査員の先生方に色々と地元でレクチャーをしていただいて、会場の都合で、もっとたくさん
の地元の方に来ていただきたかったのですけれども、この中には市役所の方や地元の活動をされている
商店街の方とかも来ていただいて、一緒にレクチャーを聞いていただくという会をしました。
その後、この日、参加者の人は大変だったと思うのですけれども、レクチャーが終わった後に、次の
日に発表ですけれども、せっかく遠いところをくれたのに、地元の方の反応を聞かないで帰ってしまう
のはもったいないということで、前日に地元プレゼンテーションをしました。
これは、7 作品ありましたので、地元の方も何人来るかわかりませんし、一遍に展示するスペースが
なかなかなくて、この日、子規の命日で、
「糸瓜忌」の日だったので、なかなか場所がなくて、思いつい
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たのが、商店街の中と、それから、地元の方もたくさんいらっしゃいますので、椿の湯の前とか、ピロ
ティーの場所とか、中の休憩スペースのちょっと待ち合わせされているような方に意見をどんどん聞い
ていったらいいのではないかと思って、こういう機会を設けました。
これが学生の方たちにはすごく刺激になったようです。普通なかなか、自分が知らない地域について
提案して、もちろん勉強して提案しているのですけれども、地元の人がこれをどう思うだろうかという
のを提案者の方はいつも思うと思うのですけれども、こういう場をつくっていけば、U-30 と言ってい
ますので、30 歳以下の若い人たちも今後の経験として、実は私も 31 なので、参加者の方とほとんど変
わらない年齢で、自分も経験上、
「そういう機会があればいいのにな」というのがあって、こういう機会
があって、参加者の人にも喜んでいただけたと思いますし、普段まちづくりに関心のない方がいらっし
ゃるところで発表プレゼンテーションしていますので、
「若い人が積極的に、自分が住んでいるまちのこ
とをこんなふうに考えてくれているんだ」というふうに、地元の方にちょっとでも感じてもらうきっか
けになったと思います。わざわざ「こういうことをやりますから来てください」と言って来た人は本当
に関心のある方だと思うのですけれども、そうでない人をどう巻き込んでいくかということが、これか
らのアーバンデザインセンターでも、大変なことですけれども、必要なことだと思っていまして、そう
いうのを実験的にやってみたという事例です。
結果ですが、愛媛大学が 1 位ではなくて、でも、道後温泉賞を受賞しました。最優秀賞は早稲田大学
の方で、レベルが非常に高くて、ここの大学の学生たちはふだんから都市計画を学んでいらっしゃるプ
ロみたいな方たちで、アーバンデザインセンターで今も展示していますので、今度是非ごらんいただき
たい、いつでもお越しいただきたいと思うのですが、すごくよくリサーチしてくださっています。
自分が住んでいる場所ではないからわからなかったと思うのですけれども、どこからこんなデータを
持ってきたのだろうというような細かいリサーチをたくさんしていただいて、その上で、
「じゃ、こうい
うところにこういうものを置いたらどうか」とか「こういうふうにしたら流れが変わるのではないか」
という、いろんなアイデアをご提案いただきました。
この内容は、今日お配りしております封筒の中に、
「アーバンデザインプレス」という、今日発行した
まちづくり通信を入れております。開いていただきますと、左ページにその報告が載っていますので、
またゆっくりお読みいただきたいと思います。
このコンペは、実は、やったらやりっ放しではなくて、せっかくこれだけ手弁当で皆さん頑張ってく
ださっていて、しかも素晴らしいアイデアですし、UDCM が道後の活性化基本計画の作成についてお
手伝いしていますので、今後、学生さんたちにまたプレゼンしていただいて、地元の方で聞きそびれた
方がたくさんいらっしゃると聞いていますし、また、地元の聞いた方がすごく刺激を受けたというふう
におっしゃっていまして、
「こんなアイデアのここをもっと聞きたい」とか、そういうお声もありました
ので、地元で、また道後でプレゼンしていただいて、その後、意見交換とワークショップを通じて、そ
の計画づくりに反映していきたいと考えております。
前置きが長くなりましたけれども、夏の学校もアーバンデザインスクールの一つとお考えいただけれ
ばと思います。
今からお話しする内容は、地味なチラシというふうに羽藤先生から言われたのですけれども、これも
同封していますので、またお読みいただければと思います。
アーバンデザインスクールの狙いですが、松山は地方都市ですので、都市圏に若者が流出してしまっ
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ているという状況があります。ですので、今日も 1 時からの式典で市長がおっしゃっていましたが、次
世代の担い手づくりは本当に本腰を入れて取り組んでいかないといけない課題だと思います。というこ
とで、スクールの狙いはまちづくりの担い手づくりということです。
また、若い人にまちにどんどん入ってきてもらって、最近の学生は普段外に出ない人が多いみたいで
すけれども、大学とか若い人たちの住んでいるエリアとまちがすごく近いので、中心市街地がすごく近
いので、まちに出てきて、
「こんな楽しいところがあるんだな」というふうに発見して、気づいていただ
くという、まちのファンづくりも狙いとしてございます。
四つのキーワードがありますが、それはお配りしたチラシに載っています。
まず、アーバンデザインスクールが何をするかと言うと、狙いの具体的な話ですが、まちの楽しみ方
を学んでいただきます。
対象は、学生の方とか、一般の方で、普段まちづくりに余り参加されていないけれども、
「ちょっと何
か気になるな」というふうな人をちょっとくすぐってみようかいうことで、そういう一般の人たちを実
は対象にしていまして、まちを好きになっていただいて、先ほどお話ししたとおり、ファンになってい
ただくということと、逆に、まちについて興味なさそうな人を自分が楽しませるにはどうしたらいいか
という、まちづくりの担い手としてのスキルとか、そういったものを両方、自分もファンだし、自分は
誰かにファンになってもらうために何かを考えるという、両方の立場を経験していただくということが
まず一つあります。
2 番目に、
「まちづくりの学び方を学ぶ?」というふうにありますが、これは、地域の方々と、せっか
く松山にフィールドがこれだけたくさんありますので、都市圏ではできないようなまちづくりをしなが
ら学習するという方法がとれると思います。ですので、地域の方々と一緒にまちづくりを進めていくた
めの方法を実践的に学んでいきます。座学だけではなくて、地元の方と話をして、具体的にその課題に
ついて何か提案して、それを実現していくような流れを考えています。
また、スクールと言うと、先生がカリキュラムを全部決めてしまって、そのとおりにやるようなイメ
ージがあると思いますけれども、そうではなくて、参加者の方が「この先生を呼んできて、こんな知識
があれば、自分はもっとこういうことができるのに」という提案してもらおうと思っています。最初の
ほうは、ガイダンスなどは教員がやるのですけれども、その後、参加者の方とワークショップをつくっ
て、ご関心のあることを聞いていきますので、その中でグループを組んで、そのグループの中で話し合
っていただいて、
「こんな企画をしたいので、こんな先生を呼んでみたらどうか」とか、本当に自主的に
発案・企画に取り組んでいただくことを目指していこうと思っています。
3 番目には、実際にまちづくりの活動として実現していく。単に「こんなことをやったらどうでしょ
うか」と言って提案するだけではなくて、実際に自分たちも地域の人たちと一緒にやっていって、それ
をアウトプットとして目指していくということです。
その中には、1 時からオープンしましたみんなのひろばも、場所はできたけれども、それをどう使っ
ていったらどんな効果があるだろうかということも、この中で考えていきたいと考えています。
4 番目は、先ほどからお話ししましたとおり、スクールの先生は地域で活躍されている方たちです。
大学の先生だけではないということです。
最初にお話しすればよかったのですけれども、このアーバンデザインスクールの最初の運営にかかわ
っているメンバーは、愛媛大学だけではなくて、松山市の 4 大学、聖カタリナ大学、松山東雲女子大学、
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松山大学、愛媛大学の四つの大学の先生たちで一緒にこのプログラムを考えて実行しようというふうに
なっています。
このアーバンデザインスクールですが、夏の学校もその一部だとお話ししましたが、
「街なか賑わい再
生社会実験」ということで、今回この広場ができましたが、その広場についても皆さんで、参加型で、
「こんなふうになったらみんなが来るんじゃないか」とか、
「居心地いい空間ができるんじゃないか」と
いうことを話し合って、実際に具体化されました。これもアーバンデザインスクールの一つだと考えて
おります。
以上でご紹介を終わります。
【東京大学大学院工学系研究科 教授 羽藤 英二様】
ありがとうございます。
皆さん、アーバンデザインセンターの活動が何となくおわかりいただけましたか。
新階先生は、いわゆる都市デザインの授業のプロですし、片岡先生はまちづくりの現場を知り尽くし
た、かつ、景観分野の新進気鋭の研究者です。こういう方々がかかわって、しかも、今日、は青木先生
もお見えですが、日本中のいろんなすぐれた専門性を持たれている方がこの松山アーバンデザインセン
ターの活動に協力してくださっているというところが非常に大きな特徴だと思います。
また、愛媛大学でも、多分、井口先生は油断していると思うのですけれども、井口先生を初め様々な
まちづくりだけではなくて、ツーリズムといったような、もっと広がりのあるまちづくりの形も、この
アーバンデザインセンターの活動と合わさることで、非常に立体的なまちづくりの発想になっていくと
いうことを、我々センター側は期待しているわけです。
ただ、そうは言っても、先ほど「ヒト」
「モノ」
「コト」というふうに言ったのですが、やはり「ヒト」
がもっと加わって、実際に「コト」になっていく上では、今日、安田さんに来ていただいているのです
が、実際に参加している参加者の方が、
「片岡さんはよさそうに言っているけど、本当なのかしら」とか、
「実際は全然話が違いましたよ」とかということがあってもいけませんので、安田さんは多分、片岡先
生に口説かれて無理やりこの会に参加していると思うのですが、実際にアーバンデザインセンターに参
加してみての感想とか、
「こういうことをやったらもっとよくなるんじゃないか」とか、何か気づいたこ
とがあれば、少しお話しいただければと思います。
【愛媛大学法文学部観光まちづくりコース 3 回生 安田 真菜様】
愛媛大学で 3 回生の安田と言います。
私は、
先ほど出た道後のコンペだったり、
広場のワークショップにも参加させていただいたのですが、
広場のワークショップについて言えば、
最初は、
「まちなかに広場をつくるんだけど、
ちょっと来てみる?」
みたいな感じで声をかけられて、
「まちなかに広場」みたいな、ピンとこない状態で、ただ、ワークショ
ップには興味があったので、参加することになりました。実際、会場に行ってみると、私は結構年配の
方がいらっしゃるかなと思ったら、すごく若い人がたくさんいてびっくりした印象があります。
愛媛大学だと、愛媛大学の学生と触れ合うことはあるのですけれども、他大学の学生と触れ合うこと
はなかなかなくて、たまたま横に座った方が商店街の方だったり、そういう、地域がぎゅっとなったよ
うな話し合いの場で広場について話し合えて、おもしろい経験だったと、自分の中では思っています。
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なので、アーバンデザインスクールというのも、私の中ではすごくわくわくしていて、学生の声が実
際に何か物になったり、変化するということが余りないと思っていたので、実際に女の子が発した一言
から、広場にポンプがあるのですが、井戸のためのポンプができたり、恐らく設計の方は全然予想して
いなかったアイデアが飛び出す中で、ああいうふうに形になったので、学生がたくさんいるので、その
声を生かして、アーバンデザインスクールがこれからどんどん活発になると、すごくおもしろいまちに
なるのではないかと期待しています。
【東京大学大学院工学系研究科 教授 羽藤 英二様】
ありがとうございます。割とよく言ってくれたのですけれども、最後に、プロというか、片岡先生と
か新階先生の立場からすると、ある想定があって、アーバンデザインセンターだったり、広場を設計し
たりということがあると思うのですけれども、それに対して、若い学生であったり、年配の方であった
り、いろんな方々に加わっていただくことで、予期しないような使われ方や提案が出てくる、それによ
って使い方、あるいはいろんなプログラムがそこからどんどん起こってくるといったようなことが、こ
れは青木先生がまさに言われた「原っぱ」の本当の効果であり、意味だと思うのですが、そういうふう
に、
「何となくそういうことが起きそうかな」
というわくわく感があれば参加し続けたいということだし、
そういうふうにしていくためにはどうしたらいいかということだと思うのです。
余りにもこちらが目的をぎちぎちと決め過ぎると、市民の皆さんが介在あるいは参加してくださる余
地がなくなってしまいます。従前の土木事業などはそういうことが多かったと思うのです。
そういうやり方ではないやり方をこれからは模索していかなければいけないと思うのですが、前田さ
んは、そういう意味では、まちづくりにこの地元で長年ずっと取り組んでこられて、そのあたりは、松
山人気質とか、いろんな経験をされていると思うので、そのあたりも含めて、少しお話しいただければ
と思います。
【NPO 法人まちづくり支援えひめ 代表
前田 眞様】
「まちづくり支援えひめ」という NPO 法人の代表をしています前田眞と言います。普段、僕自身は余
り知恵がないので、地元の人の知恵を生かして、背中を押して、
「頑張れ、頑張れ」というふうに言うよ
うな役割を担っている者です。
松山市で「市民参加」というふうな言い方をするとどういう仕組みがあるかというのを考えてみたの
ですが、一つはタウンミーティングという、市長に直接意見が言える場があったり、あるいは、公民館
活動が松山は盛んなので、公民館の人たちが主体的に活動目標を決めてやっていたり、あるいは「まち
づくり協議会」という組織が最近でき始めました。40 地区のうち 15 地区ぐらいでできていると思うの
ですが、そういう人たちが自分たちのまちの課題を解決するための計画をつくって実践していこうとい
うふうなことをやり始めたり、そういう地縁型の人たちがそういうふうなフィールドでまちづくり活動
をやっているようなところがあると思います。
では、志を持っている人たちはどうなのかみたいな話で言うと、
「笑顔のまつやま わがまち工房」と
いうのがあるのです。これは、毎年一つのテーマを市役所のほうから提示して、関心がある市民の人た
ちが集まって、今は景観、まちづくりということで議論をし始めているのですが、二十五、六人で、今
回はほとんどが大学生でした。大人が 4 人か 5 人しかいなくて、大学生も全部女子大生という構成で、
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関心があるテーマをみずから見つけて、議論して、市長に直接提言して、その提言がうまくいけば政策
として実行されるような場があったりします。それは物事をつくっていく課程の仕組みとしてあるので
す。
もう一つ、自分たちが「こういうことをやりたい」というふうな、プログラムをつくって、提案して、
助成を受けるためにということで、
「市民活動助成事業」というのがあります。あるいは、愛媛県がやっ
ている「まちづくりアシスト事業?(まちづくり活動アシスト事業)
」というのがあって、それもまちづ
くり事業を提案して助成金をもらってやっていくような事業があります。
それから、前に映していますが、そういうことの一環として、松山市自体をフィールドミュージアム、
「屋根のない博物館」にしようというふうな活動をもう 10 年間続いてやってきているのですが、
「
「坂
の上の雲」フィールドミュージアム活動支援事業?」というのが実際に行われています。
これは、自分の身の回りにある地域資源、地域の宝を、自分たちが「これが宝だ」と思うものを自分
たちのやり方で守って育てていこうというふうな活動を提案していただいて、応援をしていこうという
ふうな事業になります。では、どんな仕組みでやっているのかということです。
もう 10 年間続いているのですが、基本的には「坂の上の雲」を軸としたまちづくりの理念に基づい
てやっていこうというふうな考え方ですが、
「自分たちが主体的にまちづくり活動を進めていけたらいい
ですよね。そういう活動に対して応援もしますよ」ということが進んでいって、松山市内を幾つかのゾ
ーンに分けて、
それぞれのゾーンでそういう活動をしている人たちの提案を受けて、
「サポート委員会?」
という民間の委員会をつくっているのですが、そこの委員会で提案を審査して動かしているという話が
あります。
まち全体を「屋根のない博物館」として、どういう資源に対応してやっていくのかというのがあるの
ですが、仕組みの話はちょっと置いておいて、具体的にどんな資源を使って展開しているかという話で
すが、人とか場所が絡んでいくものとか、地域と物が絡んでいくとか、風習とか活動が絡んでいくもの
とか、いろんなテリトリーに基づいてやる活動が進んできているのです。
松山は俳句のまちなので、山頭火を検証しようという人たちが集まって、
「一草庵」という拠点を使っ
てそういう検証活動をやっていこうというふうな形が進んで、自分たちがアイデアを出して、
「こういう
活動をしたいので応援してくださいね」というふうな話になります。
3 年間継続支援をしていくということがあるのですけれども、3 年間で卒業しても、さらに 2 年間、
新しい事業をつくればもうちょっと応援しましょうということで、結果的に 5 年間の継続支援ができる
という仕組みがあるのですが、そういう中でやっていっています。支援の金額も、助成率がだんだん下
がっていって、
「活動として自立していってくださいね」という仕組みをとっているのですが、そういう
ふうな応援をしています。
実は、松山中心部の案件はすごく少なくて、周辺部の案件が多い。松山の中心部を考えたときに、少
なくとも「坂の上の雲」に関するいろんなゆかりの場所とか、そういうゆかりの地はたくさんあるので
すけれども、それが形として残っていないところが多くて、そういうものをどういうふうに資源として
捉えて活動対象としていくのかというのはすごく難しい部分があるので、どうしても周辺のいろんなも
のが起きてくるというのがあります。
そういうところを今回の先ほどのアーバンデザインスクールの中でうまく、
「こういうふうに活用した
らいい」とかみたいな提案があって、こういう事業助成事業があるので、そういうので少し資金調達し
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ながらやっていくような仕組みにつながっていくというふうなことができるといいと思っています。
今はすごくわかりやすい資源を市民の方に取り上げていただいてやってきているのですけれども、だ
んだんと、目に見えないもので資源として扱っていけるようなものとか、雰囲気、そこにある気質みた
いなものが資源としてうまく捉えられるのかみたいなことも考えていきたいと思っています。松山の人
の気質として、僕が余り偉そうに言えることでもないのですけれども、皆さん勉強するのはすごく得意
というか、好きだけれども、足が一歩前になかなか出ない、勉強止まりで終わってしまうということが
すごくあるのです。だからそれを、背中を押して形にしていく、実践していくというふうなことがもう
少しできると、いろんな思いを持っている人が多いので、動きとしてあらわれてくる部分があると思い
ます。
そういうものを、今回の中心部で言うと、今、中心部で形としては見えないけれども、何かうまく使
っていけるようなフィールドを発掘していければいいと思って、この辺をワークショップなりで展開し
ていくようになると、アーバンデザインスクールでやったものが、別の事業と連携してつながっていく
とか、あるいは、今ここに書いてあるように、いろんな活動が起きていますので、そういう活動と連携
させるようなことができると、今、ここのフィールドミュージアム支援事業は 30 団体ほど支援の成果
があるのですが、そういうところとうまくつながっていくということも含めて考えていくと、より市民
参加で、自分の思いだけの参加ではなくて、他の団体とのコラボレーションとか、そういう協働型の事
業を展開していくとか、あるいはそういう人たちをうまくネットワークする組織が実は今なくて、個別
の支援だけで終わっていますので、そういうものをネットワークするような動きができてくると、もっ
と有効にフィールドミュージアムとしてのあり方ができてくると思います。
そういうのを期待しながら、そういうのとうまくつながっていくといいと思っていました。是非そう
いうものが連携できたらいいなというふうなことで、僕の話を終わりたいと思います。
【東京大学大学院工学系研究科 教授 羽藤 英二様】
ありがとうございます。
「アーバンデザインセンター」と言うと、何かぽっと出てきたような感じがし
て、不安に思われる方もおられると思うのですけれども、この松山では「坂の上の雲」のまちづくりを
長年続けてきたという歴史があります。それから、当然、俳句とか、先ほど言われた山頭火、正岡子規、
道後温泉、様々な中身のある歴史、コンテンツがあるということです。ですから、こういうものをちゃ
んと継承して、どうやってまちづくりに落とし込んでいくかということを、アーバンデザインセンター
をプラットフォームにして展開できればいいという気がします。
ただ、中の人だけでやっていって、果たしてそれがうまくいくのかというところもありますので、い
ろんなプレーヤーの方々が中に入ってやっていただくということが大事だとは思うのですが、青木さん
にいきなり振って申しわけありませんけれども、
「原っぱ」がまちにできることは、原っぱがまちにリア
ルに出現するという意味もあったのですけれども、
「原っぱ」を人に見立てたときに、まちに何ができる
のだろうというようなことを少しかけたタイトルでして、実は「原っぱ」イコール「青木淳」さんとい
うふうにかけていたところもあって、回りくどくて恐縮ですけれども、一般の市民の方がまちづくりに
も入っていただける、それから NPO でまちづくりをやってこられた方も参加していただいて、地元の
学生さんと大学の先生も入ってきていただける、そういう中で、青木さんのような建築家の方が今まで
の話を聞いて、どんなことだったらおもしろいとか、できそうとか感じられたのかというあたりを少し
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お聞かせいただけたらと思うのです。
【青木淳建築計画事務所主宰 青木 淳様】
僕たちの思考は、形がないものを形がないままやっていくのは難しい。今までお話を伺っていて、い
ろんな活動があるのはよくわかりましたし、それをつなげていくということもわかりますけれども、そ
のつなげたものが例えばどんな感じなのかというようなことが、ある意味、目に見える形で見えてこな
いと、議論しにくいというのがあります。
ほかの分野もそうですけれども、
建築で大事なことはそこの部分で、
とりあえずそれを形にしてみる。
形にしてみると、みんながそれを見ることができるので、それをもとに、
「いや、こうじゃなくって」と
かというふうになってくるのです。
議論を尽くした上に形が出てくると思う方も多いと思うのですけれども、実際はそうではなくて、形
が常に目の前にあって、それをいじくっていくというような状態が、かなりおもしろくなってくるので
はないかという気がするのです。
そういう意味で言うと、今度できたアーバンセンターは、今まで松山でやられていることがそこに今
まず見えることがすごく必要ですし、あのスペースでできないかなと思うのですが、松山全体の模型が
欲しいという感じもします。そこを一個一個いじっていくという活動がいいと思います。
「社会実験」という言葉も出てきて、おもしろいと思ったのですが、思考実験というのがあるわけで
す。社会実験というのは実際にやって試すという意味だと思うのですけれども、その前に、考えたこと
を形にするということもありますよね。
夏の学校でうまくいったと思うのは、結構おもしろい案が色々出てきました。これは、そのまま使え
るという意味ではなくて、
「色々話を聞きました」で終わりではなく、それを聞くと「こういうのはどう
でしょう」というような問いかけができるということが結構重要で、そういうところから何か発展して
くるものが多いと思います。目的があって答えがぱっと出てくるより、その間のごちゃごちゃの状態が
重要ではないかなと思いました。
【東京大学大学院工学系研究科 教授 羽藤 英二様】
ありがとうございます。建築家の方は特に、形にするところのプロです。議論だけしていてもなかな
か見えがたいところがありますので、まず形にして、そしてあえてたたかれてみるとか、そこからさら
にどうするのかということが初めて生まれるというところがありますので、今はまだ、特にまちなかを
これから再開発するとか、そういうことも含めて、まちをどうやって活性化していくのかというところ
について、見えがたいところもありますけれども、そういうものを形にしていくというところで、是非、
建築家の方々にもお入りいただいて、学生のような若い方々、地元の商店の方々、いろんな方々と議論
していけるとおもしろいと思います。坪内課長からは、具体的な社会実験のプロジェクトの内容につい
てお話しいただければと思いますが、いかがでしょうか。
【松山市都市デザイン課 課長 坪内 洋】
都市デザイン課の坪内でございます。
先ほど羽藤先生からもありましたが、今回の社会実験がぽっと出てきた企画ではないというのを少し
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わかっていただきたいと、まず思っています。
もともと松山市は、ご存知の方も多いと思うのですが、歩いて暮らせるまちづくりを進めておりまし
て、自動車を必要以上に使わないで、徒歩とか、自転車とか、公共交通を上手に使いましょうという施
策を進めているのですが、そういった中で、中心部、
「お城下」と呼ばれる中心部に少しフォーカスを当
てて、どのように活性化を進めていくかという検討を、3 年前の平成 24 年度に行いました。
そういった中で、これから必要な都市機能、再構築していくような都市機能は何かというふうに整理
した中で、ここの図にもあるのですが、例えば郊外から人がやって来るための自転車とか自動車を受け
入れる駐輪場や駐車場も当然必要ではないかとか、あとは、歩いて暮らせるということなので、外部で
歩行者に優しい空間、自転車に優しい空間も必要であろうとか、そもそも、賑わいを出していくという
ことであれば、中心部、また、その周辺の足元客をふやしていくということも、例えばそれがまちなか
居住という形にもなるのかもしれませんけれども、そういうのも必要だろうというようなことがありま
す。
そういった中で、実際、中心部に人がやって来る中でどのような移動をしているのかというのを少し
考えたところ、恐らく今日来られている方々も実感していただけると思うのですが、まちなかに来ると
きに、大体、目的を持って来て、目的地の近くに自転車をとめたり自動車を停めたりして、行きたいと
ころを 1 カ所、2 カ所めぐって短時間で帰ってしまうというのが実際の皆さんの行動になっているとい
うのが、これはデータで出ているという状況でございます。
そういう中で、回遊性をちょっとでも増やしていくためにはどういう機能が要るかということで考え
ているのがこの広場で、先ほど青木先生から目的のないというような話もございましたが、まさしくそ
うだと思います。例えば大街道や銀天街を歩いている方が、ちょっと目をやったら「何か緑があるな。
ちょっと行ってみようかな」と思ったら休憩するようなスペースがあって、
「じゃ、そこでちょっと休憩
してみよう」ということになり、休憩して終わったら、向こうを見たら「何かおもしろそうなショップ
があるな。じゃ、ちょっと歩いてみようかな」というような、そういった連続するような行動が、もし
かしたらそういう広場によってできるかもしれない。大街道、銀天街はいわゆるリニア、直線的な動き
をしていると思うのですけれども、先ほど先生の言葉で、もっとジグザグといいますか、にじみ出しを
しながらもっともっと歩けるように広がるのではないか、そういう役目を広場が果たしてくれるのでは
ないかと思っています。
一方、目的があるということでは、例えば刺激的な何か、イベントなのか活動なのかわからないけれ
ども、そういうものを広場の中にもっと持たせることによって、広場が目的地になるということが一方
であると思うのです。
そういったときにも、目的地にやって来たらまた、目的地が広場だけれども、次に違うところに、
「お
いしそうなカフェに行ってみようかな」とか、
「おもしろそうな雑貨屋さんに行ってみようかな」とか、
そういうこともあり得るので、広場を一つ挿入してはどうかという計画を、羽藤先生にもご協力いただ
きながら、平成 24 年度にこれをつくりました。
そこで、これは昨年度、25 年度ですが、それを具現化していくために、計画をつくったはいいけれど
も、市民の皆さんのニーズはどうかというふうなことがありまして、そういった意味で、昨年度からワ
ークショップとか勉強会を開催させていただいて、
「そもそもまちなかに広場ってどうでしょうかね」と
いうようなことから入ったり、
「実際に広場でどういうことができるでしょうか」というようなことをや
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ってきました。
また、まちなかでの再開発の勉強会みたいなものもあったのですが、たしか主婦層の方だったと思う
のですが、
「やっぱりちょっと休めるような広場なんかは欲しいよね」
というような声もいただきながら、
「広場が要るよね」というニーズがあったものを、実際にこういった市民の方々に、どこにそういうの
を挿入したらいいのかというのを検討してもらったうちの一つが、今日オープンした、まさしくあの場
所であったということです。最終的にこの場所が決まったということは、地権者の方々とか周辺の地元
の方々のご理解があったからこそであるのですけれども、もともとは市民の方々からの発想からその場
所を選定したというふうなことでございます。
あとは、もとの駐車場とかもとのビルをリノベーションするという事業ですが、実際、平面の駐車場
は当然ながら必要なインフラだと思っていますし、大事なことだと思うのですけれども、一方、実際の
需給バランスはどうかと言いますと、
平日で言えば供給量に対して需要が実は半分ぐらいだったりして、
人気のある平面駐車場は確かにいっぱいとまっているような感じがするのですけれども、データ的には
半分ぐらいはあいているというのが現状でございまして、厳しい社会経済状況なのでやむを得ないとこ
ろはあるけれども、街なかで本当にそれが用途としていいのか、また、空き店舗なども増えてきている
ので、もう一遍それをどういうふうに使っていくかということが大事だというふうに考えました。
それで、今年に入って実際、市議会等々の承認も得られまして、予算化が得られまして、実際にどう
するかということを、3 回のワークショップを開きまして、今日もそのサーティフィケーション?があ
ったわけですが、1 回に平均 50 人ぐらい集まっていただきまして、実際にどのようなイベントをやろう
かというアイデア出しがあったり、実際に使うときのルールはどうするとか、実際その広場におけるベ
ンチなどは自分らでつくったらどうかみたいな、そういうような意見をいっぱいもらったりして、そう
いう形で市民の皆さんと一緒につくってきました。
ご存知の方も多いかもしれませんけれども、こういったワークショップのメンバーや子供と一緒に芝
生をつくりました。ここまではまさしくみんなのひろばという形でつくられてきたような形です。
これは、先ほどもありました社会実験で、1 年半ぐらいやるのですが、私が経験した中で社会実験を
1 年半やっているような実験は多分かなり長いと思っていて、周辺の皆さんにもかなりいろんなご心配
とかご苦労をおかけすると思って、既にそろそろ心配になっているのですけれども、松山市としては精
いっぱいやっていくのですが、とにかくこの 1 年半は、一つは春夏秋冬といいますか、各季節でいろん
なイベントが各季節でありますので、そういったのを上手につなげていただきたい、我々も一緒になっ
てつなげたいという思いで、かなり長い、1 年半というプランをしています。
我々としては、そういう効果をきっちり検証していって、市民のニーズが何なのか、これからどうな
のかというのをちゃんとはかった上で新たな施策を進めていきたいと考えています。以上でございます。
【東京大学大学院工学系研究科 教授 羽藤 英二様】
坪内課長、どうもありがとうございました。2 年ちょっと、構想から含めればもうちょっと長い期間、
お話があったように、目的を決めていない事業だということです。これが、普通の役所の論理でいくと、
いかに珍しい事業なのかということです。
その心は、ここにおられる一人一人の方々が「みんなのひろば」から「私の広場」だというふうに思
っていただくにはどうしたらいいか、それによって、
「私」
、また別の「私」が重なり合うことで「私た
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ち」の新しい使い方とか楽しみ方が生まれてくるスペースになればいい、そのために新階先生や片岡先
生、私、勝手に青木先生も加えてしまいますが、協力は惜しまないと考えておりますので、是非この場
で皆さんにもご協力いただきながら、これからの 1 年半の社会実験を、安田さんなども一緒に進めてい
けたらと思っています。
時間を少し超過してしまいましたけれども、
これでパネルディスカッションを終わりたいと思います。
皆さん、ご清聴どうもありがとうございました。
(会場拍手)
【司会】
皆様、貴重なご意見まことにありがとうございました。また、パネルディスカッションでご発言いた
だきました青木様もありがとうございました。改めまして、パネリストの方々に盛大な拍手をもって、
第 2 部を終了させていただきます。
(会場拍手)
ありがとうございました。
それでは、お席にお戻りください。
5.閉会
【司会】
以上をもちまして、本日のフォーラムの全プログラムを終了いたしました。最後に、松山市都市整備
部開発・建築担当部長の柳原より閉会のご挨拶を申し上げます。
【松山市都市整備部開発・建築担当部長 柳原】
皆さん、長時間にわたりお疲れさまでございました。松山市開発・建築担当部長の柳原でございます。
本日は、大変お忙しい中、当フォーラムに多数の皆さんにご参加をいただきましてまことにありがと
うございました。まず、青木様には、遠く松山までわざわざ足をお運びいただき、貴重なご講演を初め、
パネルディスカッションでは的確なアドバイスをいただき、まことにありがとうございました。
また、前田様、安田様にはおかれましては、これまでのまちづくりの取り組みを踏まえまして、今後
の松山市の新しいまちづくりにどのようにつなげていったらいいのかということについて活発な議論を
いただきましてありがとうございました。
そして、羽藤先生、新階先生、片岡先生には、まちづくりの熱い思いをお聞かせいただきまして、力
強く、頼もしく思いましたし、大いに期待しているところでございます。
本日オープンしました松山アーバンデザインセンターとまちなか広場が松山市の新しいまちづくりの
きっかけとなりまして、画一的なまちなみではなく、地域資源を最大限活用しながら、デザインを重視
した、調和のとれた景観を生み出すなど、誇りや愛着を今まで以上に感じられる松山ならではのまちづ
くりを住民の皆様と一緒にやっていきたいと考えております。
最後に、当フォーラムの開催に当たりまして様々な形でご協力をいただきました皆様に改めて心より
お礼を申し上げ、簡単ではございますが、閉会の挨拶とさせていただきます。
本日はまことにありがとうございました。
(会場拍手)
【司会】
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それでは、ご参加いただきましたすべての皆様への盛大な拍手をもって、
「松山アーバンデザインセン
ター・みんなのひろばオープニングフォーラム」を終了させていただきたいと思います。
(会場拍手)
なお、ご参加いただきました皆様にお配りした封筒の中にアンケートを入れさせていただいておりま
す。会場の出口にてスタッフがアンケートを回収しますので、お手数ですが、会場を後にされる前にア
ンケートにご回答いただき、出口で提出をお願いいたします。
ご参加いただきました皆様、本日はまことにありがとうございました。
(会場拍手)
以上
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