巻頭言 「コンクリートから人へ」 - 日本戦略研究フォーラム(JFSS

会 長 挨 拶
自主独立の愛国心が育つとき
会長 中條高德
日本各地から春の便りが届きはじめた 3 月11日、日本のみならず、世界中を震撼させた「東
日本大震災」が発生した。
三陸沖を震源地とする大地震は、たちまち大津波に襲われ、人を、家を、道路を、鉄道を、町
や地域を・・・、一瞬のうちに呑み込んでしまった。行政機能も壊滅、流出し被害の実態も確認
できない今、天は我が国の統治能力を吟味するかのように福島第 1 原発のウラン燃料溶融事故
が発生し、国民全体の不安を醸し出している。
戦中の軍歌「何処迄続くぬかるみぞ 三日二夜を食も無く 雨降りしぶく鉄兜」の如き混乱ぶ
りである。コンビニから飲料や食料品が消えた。株価も大暴落し、ただならぬ世相を示している。
この大震災は、 1 昨年、民主党の天下となり鳩山・菅と、国家にとって最も重要な安全保障
について極めて脇の甘い内閣に驚き、極めて厳しい評価を下しつつある時の国難ともいうべき災
難である。
不思議な現象がある。多分偶然の一致かも知れないが、危機管理の甘い海部俊樹首相時代の湾
岸戦争、自衛隊を憲法違反としてきた村山富市首相時代の阪神淡路大震災、自虐史観に支配され
ている菅首相のもとでの今回の大災害と並べてみると、この 3 つの事象に何か因縁めいたもの
を感じる。無論、科学的に相関がある筈はないが、その時代、彼のリーダー達を選んだのは他な
らぬ国民の吾々であることに、深く気付かねばならない。
前官房長官が自衛隊を「暴力装置」と呼んだ。その内閣が、今回の災害救助に10万を超える
自衛隊に出動を命じた。それでも足りぬと予備自衛官まで召集したのだ。その報を聞き、筆者は
直ぐに自衛隊の幹部に対し、不心得な政治家の発言や対応に憤懣やるかたなしの思いであろうが、
今はとにかく被災者救出のために全身全霊で当たってほしいと、心から激励した。吾々国民も、
体力の限界に挑戦するかの如く泥まみれになり、中には自らの家族の被災をも心に秘め、懸命に
救助に励む自衛官たちに、忖度の心を持ってその活躍に期待し応援しようではないか。
政権交代を果たした民主党ではあるが、永年野党として批判ばかりしてきただけに、国運を担
う統治能力、とりわけ安全保障に対して極めて無知と云わざるを得ない。危機管理など身につい
ている筈もなかろう。
ここで、敢えてこの度の国難に際し国民に訴えたいことがある。それは「自分の国は自分の手
で守る」という自主独立の愛国心である。そしてこの機会に全国民が自分の幸せの為に、我が国
の憲法の前文を改めて読んでほしい。
─平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した─
地震と同じようにこの国を狙うエネルギーは燃え滾っている。国際間というものはこの前文の
如き夢の世界では決してない。
今こそ「この栄光の日本国を護るのは、われら日本民族しかいない」との確認をしよう。それ
がこの度の多数の犠牲者への最高の弔いになると確信する。
─1─
《巻頭言》
「コンクリートから人へ」も間違っていた
理事長 愛知和男



先ずもって、この度の千年に一度と言わ
民主党政権は、この基本的役割を理解し
れる未曾有の大地震とそれによる津波の被
ていなかった。云うまでもないが、有事の
災者ならびにお亡くなりになった多くの
最高司令官は総理大臣である。その任にあ
方々に、心からのお見舞いと哀悼の意を表
る者は、続々届く情報を元に関係各省庁に
します。
的確な指示を出さねばならない。ところが
菅首相はヘリで現地視察。その詳しい説明
3 月11日14時46分に発生した今回の
もなければ具体的対策もなかった。ただの
東日本大震災は、長年そこに暮らす人々の
パフォーマンスだったのかと思わざるを得
全てを奪い、流していった。TVに映し出
ない。
される映像に「地獄」を見た人も多かろう。
政権与党としての力が試される危機管理
民主党のマニフェストの 1 つに「コン
能力は、今回の大震災でその稚拙さが証明
クリートから人へ」というテーマがあった。
された。が同時に、これは全ての政治家、
耳に心地よいせいか国民の支持を得、 1
そしてそれを選んだ国民の責任でもある。
昨年の選挙で大勝利、政権交代となった。
勿論、長い間政権を担当してきた自民党の
勿論これだけが勝因ではないが、八ッ場ダ
責任も免れない。
ムの件に象徴されるように、重視されてき
昨今、あらゆる政党の政策に感じること
たことは確かであり、未だに多くの議論を
だが、目先の問題だけを捉え、国民の耳に
呼んでいるのも事実である。
聞こえの良いことを訴え、安易に支持を取
そして図らずも、今回の大震災で民主党
り付けるという手法が専らになってきた。
のこの主張がいかに間違っているかが証明
こうしたことの「ツケ」が今回の大災害に
された。刻々映し出される被災地の変貌、
も現れているとも言える。
特に大津波に襲われた地域の様子を見る限
大災害を経験したこの機会に、政治のあ
り、大方の建造物が瓦礫と化し流されてし
り方に対する基本的な出直しが求められ
まう中で、コンクリートの建造物だけが残
る。
り、多くの人々の命を救っていることがわ
永年政治の世界に身をおいてきた者とし
かる。この現実を菅首相はどう説明するの
て、自戒をこめてのコメントである。
か知らないが、民主党の主張は全く的外れ
であったのだ。
終わりに、日を追う毎に被災者数が増す
政治の役割、その基本はいざという時に
壊滅的な状況の中で、唯一心救われるのは、
「国民の命と財産を守る」ことである。そ
新しい命の誕生の報と互いを思いやる被災
れが適切に機能するように、平時から常に
者の方々の姿です。心からのエールを贈る
その備えをしておくことが求められる。
と共に 1 日も早い復興をお祈りします。
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─2─
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 緊急寄稿 
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天災と安全保障のリンケージ
─北東アジアの戦略バランスへの悪影響を懸念─
政策提言委員・元陸自西部方面総監部幕僚長 福山 隆
1 はじめに
米国の北東アジアにおける中国との戦略バラ
このたびの東北関東大震災の惨禍を念頭に、
ンスが更に悪化する恐れあり。また、日本の
震災と我が国の安全保障のリンケージについ
地盤沈下は、米国の対中軍事戦略に著しいダ
て、拙速を省みず考察してみたい。
メージの可能性もあり。米国は今後自衛隊派
遣どころか、財政支援さえも望み薄に。米国
2 日本に対する影響
は、かかる事態回避のために日本に対する最
大限の支援・協力を惜しまず。
(1)日本の国際世界におけるステイタスが更な
(2)中国
る地盤沈下
日本のGDPは中国に追い抜かれたが、日本
日本が苦境に陥っている状況で、国際的注視
経済は回復途上にあった。しかし、今次震災
の中、如何に傲岸不遜な中国も尖閣問題など
のダメージにより日本のステイタス(名目・
でゴリ押しするのは躊躇うであろう。
実質)は更なる地盤沈下をするのは確実だろう。
核問題が日本人の深層心理上「反米」とリン
クしやすい傾向があるのを利用し、日米分断
(2)国防投資の抑制
を積極的に工作・推進する可能性もないとは
かかる事態では、あまつさえ冷戦構造崩壊後
いえない。
抑制してきた防衛予算は、更なる厳しい状況
におかれ、防衛力整備は良くて横ばい程度し
4 天災と国防
か望めないだろう。
(3)日本の核アレルギー深化
高名な物理学者寺田寅彦は「天災は忘れた頃
被爆国として、核アレルギーの強い世論が、
にやってくる」という名言を残した。筆者は、
「第三の被爆」により、更に深化し、仮想敵
更に「人災(戦争)は天災に優る」を警句とし
国の核能力を客観的に踏まえたリアリス
たい。日本国民は、忘れた頃やってくる天災と
ティックな対応・措置がますます困難。
同時に、日々顕在化しつつある外敵の脅威から
目を背けず、国防についてもっと真剣に考える
3 米国と中国の思惑
べき時期である。同時に、自衛隊の震災対応を
見れば分かるように、国防の備えは、同時に天
(1)米国
「台頭する中国と凋落気味の米国」という構
災への備えにもなることを銘肝し、国民の生
図の中で、アジアで最も頼りにしていた日本
命・財産を守れなかった民主党は、昨年末決定
が、経済・防衛両面において地盤沈下すれば、
の新大綱を再度抜本的に見直すべきであろう。
─3─
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 緊急寄稿 
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稚拙なリーダーが引き起こした「人災」
─巨大地震による被害拡大の原因─
政策提言委員 ・ 拓殖大学海外事情研究所助教 丹羽文生
「天災は忘れられたる頃来る」
赴くままに対応した菅直人内閣に対し、多くの
戦後、世界で最も安全な国と評されてきた日
国民が怒りを覚えたのではないだろうか。非常
本の「安全神話」が脆くも崩れた。 3 月11日午
事態の時は、何をやっても批判の的となるのが
後 2 時46分頃、三陸沖を震源とする国内観測史
首相の宿命ではあるが、余りにも酷過ぎる。
上最大のマグニチュード9.0の地震が東日本を
福島第 1 原子力発電所で起こった爆発事故
襲い、巨大津波や大規模火災で、多数の死傷者、
も、12日午前の段階で既に放射性物質の一部放
行方不明者を出し、建物、道路、鉄道にも壊滅
出をしなければならない深刻な事態に追い込ま
的な打撃を与え、電気、ガス、水道といったラ
れていたにも関わらず、菅が陸上自衛隊のヘリ
イフラインも全て寸断された。
コプターで視察に来たために、約 1 時間も現場
燃え盛る炎、救出を求める唸り声…。テレビ
は振り回され、復旧作業が大幅に遅れたという。
画面に映る光景は、まるで、数年前に大ヒット
首相が来るとなれば当然、担当者は、その対応
となった映画「日本沈没」を思わせるほど凄ま
に追われ、復旧作業どころではなくなってしま
じいものであった。
う。現場第 1 に拘ったのかもしれないが、菅に
未だに日本列島は広い範囲で余震が続いてい
とっての現場は首相官邸である。
る。物理学者で随筆家の寺田寅彦の残した有名
そもそも緊急災害対策本部の本部長である菅
な言葉に「天災は忘れられたる頃来る」という
は、泰然自若と構えて適切な指示を行い、大所
警句がある。10万人以上の死傷者、行方不明者
高所で判断し、自らの責任の下で決断を下す立
を出した阪神・淡路大震災から16年が経過し、
場にある。司令塔の任を放棄し、首相官邸を何
次第に惨禍の記憶が薄れ、風化しつつある中で
時間も留守にすること自体、許されるべきもの
今回、それを大きく上回る未曾有の大惨事が起
ではなく、今の時点において、日本で最も危険
きたのである。
と思われる場所に国の代表者が赴くなど言語道
阪神・淡路大震災を「第 2 の敗戦」と呼んだ
断である。
人がいたが、まさに今回の地震は「第 3 の敗戦」
計画停電についても、13日午後 6 時過ぎに東
である。だが、いつまでも怯んではいられない。
京電力が発表する予定だったものを、菅が自ら
日本は戦後、文字通り、壊滅的に破壊され尽く
発表したいとごねたために 2 時間も遅れた。
「政
した廃墟の中から不死鳥の如く蘇り、復興と繁
治主導」とは何も政治家が全てを抱え込むとい
栄を築いた国である。全国民総力を挙げて一致
うものではない。これは明らかに「政治主導」
団結し立ち上がれば、必ずや、この苦難を乗り
に名を借りたパフォーマンスであり、翌朝、首
越えられるはずである。
都圏の鉄道網で生じた混乱の原因になったと
言っても過言ではない。
司令塔の任を放棄
加えて菅は、15日早朝、東京電力本社に乗り
それにしても、今回の地震において、感情の
込み、福島第 1 原子力発電所の爆発事故への対
─4─
応に関する不満を、廊下にまで聞こえるくらい
社民党にいた辻元清美であったことに対しても
の大声で怒鳴り散らしたという。地震発生後、
強い憤りを感じる。自衛隊が被災地に入った矢
被災者たちは驚くべき沈着冷静さを保ちながら
先に、いくらなんでも「自衛隊違憲論者」だっ
危機に立ち向かい、略奪や暴動、パニックもな
た辻元を重要ポストに据えるとは不見識極まり
く、避難所では救援物資の支給に整然と列を成
ない。阪神・淡路大震災の時、辻元率いる市民
して順番を待ち、まさに一等国民の矜持を持っ
団体「ピースボート」が、被災地で自己宣伝の
て立派に対処した。
ためのチラシを撒き散らし顰蹙を買ったのは有
これに対し、世界中の人々から賞賛の声が上
名な話である。
がり、普段は日本に厳しい論調の中国の新華通
挙句の果てに、節電啓発等担当の内閣府特命
訊社も「印象的だったのは、日本国民の防災意
担当大臣には、「事業仕分け」なる茶番を演じ
識と地震発生時の冷静で秩序ある行動だった」
てスーパー堤防を「廃止」と判定した蓮舫を起
と報じ、第一財経日報は「日本の民衆の『落ち
用し、同時に、どさくさに紛れて、自衛隊を「暴
着き』が強い印象を与えている」と伝えた。韓
力装置」、海上保安庁を「武器を持った集団」
国の中央日報も社説で「大災害より強い日本人」
を呼んだ仙谷由人を官房副長官にする始末であ
との見出しで「我々は依然として日本を模範に
る。もはや開いた口が塞がらない。
すべきことが多く、先進国への道のりも遠い」
「国民の生活が第一。」と言いながら、ここぞ
と論じている。
とばかりに鳴り物入りの「政治ショー」を繰り
東京電力社員は勿論、菅の周辺にいるスタッ
返し、多くの国民を奈落の底に突き落とした菅
フたちは連日連夜、不眠不休で事に当たってい
内閣の罪は大きい。地震を政権浮揚に利用して
る。精神的にも肉体的にも極度の疲労状態にあ
いるとしか思えない。
り、相当な苛立ちを感じているはずである。そ
いつ起こるか分からない「天災」を未然に防
のような時に、リーダーが 1 人いきり立って、
ぐことは難しいが、今回の地震による被害拡大
他人に八つ当たりするようでは元も子もない。
は、無能な人間をリーダーに据えたことで発生
国民は一流、首相は三流と言われても仕方ある
した「人災」である。宰相の第一義的責任は、
まい。
国民の生命と財産を守ることである。それがで
きないようでは国家の命運を預かる資格はな
鳴り物入りの「政治ショー」
い。
災害ボランティア活動担当の首相補佐官なる
869年に発生した貞観地震と酷似していると
ポストを設けたことも実にナンセンスである。
も言われる今回の地震は、まさに「1000年に 1
自発性(自主性)が基本である災害救援ボラン
度」の大災害である。戦後復興以上の労力を要
ティアを菅内閣で管理し、コントロールすると
すると予想される今後の国家再建事業を、菅内
いうのは、いかにも「社会主義政権」らしい発
閣に託すことだけは何としても避けたいと思っ
想であり、傲岸不遜と断ぜざるを得ない。「国
ているのは筆者だけではないはずである。一刻
民の力」が自然に結集できるような環境を整え
も早く菅内閣を潰さなければ、犠牲になった
ることこそが国の役目ではないだろうか。
人々が浮かばれない。
加えて、その首相補佐官に任命されたのが、
丹羽文生(にわふみお) 1979(昭和54)年、石川県生れ。東海大学大学院政治学研究科博士課程後期単位取得満
期退学。衆議院議員秘書等を経て、2009年から拓殖大学海外事情研究所助教。この間、東北福祉大学非常勤講師
等を歴任。財団法人自由アジア協会理事、防衛法学会監事。著書に『保守合同の政治学』(共著、青山社)等多数。
─5─
【特集】日米同盟を考える (日本語訳P.10〜13)
How to Revitalize the Japan
– U.S. Alliance
VANDERBILT UNIVERSITY
Institute for Public Policy Studies(VIPPS)
Center for U.S.-Japan Studies and Cooperation
James E. Auer, Ph.D.
Last year marked the 50th anniversary of the Ja-
the Japanese and American publics saying they
pan – U.S. Treaty of Mutual Cooperation and Se-
favor its continuation.
curity; however Japan and the United States
Despite the great successes of the alliance in
joined together in an alliance dating from 1952,
overcoming the militar y threat of the Soviet
immediately after the end of the Allied Occupa-
Union during the Cold War and in thus far deter-
tion of Japan.
ring North Korea and China from external ag-
Overall the alliance has succeeded far beyond
gression, the alliance has experienced high
the expectation of either Japan or the United
points and low points throughout its history; and
States in 1952. Neither Tokyo nor Washington,
its future, continued success is not completely
D.C. imagined that the thoroughly defeated and
guaranteed.
almost destroyed nation of Japan would recover
For approximately the first 20 years of the alli-
so quickly and that Japan would become the
ance, from its beginning in 1952 until at least
leading Asian ally of the United States in the
1970, it could be said that Japan did not have
Cold War.
complete freedom as to whether to be allied with
Some people believed that the end of the Cold
the United States. According to the so-called
War and the demise of the Soviet Union would
“Yoshida Doctrine” Japan agreed to grant the
take away the rationale for the alliance; however,
U.S. military the use of a number of bases in Ja-
first, the continued existence of a communist
pan in exchange for American protection against
state in North Korea, an extremely unpredict-
external attack so that Japan could rebuild its
able militar y dictatorship which has large
economy. It is true that unless Japan agreed to
amounts of conventional missiles capable of
grant the U.S. the use of military bases in Japan,
striking anywhere in Japan, and which possibly
the Occupation would not have ended in 1952;
is armed with nuclear weapons as well, and, sec-
however, there was an additional condition
ond, the economic and militar y rise of China,
which Japan had to agree to in order to regain its
which has not made transparent its dedication to
sovereignty. Specifically, Japan had to also agree
market values and its willingness not to interfere
to do “something” for its own defense in cooper-
with its neighbors in Northeast and Southeast
ation with the USA. Since Japan’s Constitution
Asia, have resulted in a strong desire for contin-
was believed to outlaw regular military forces for
uation of the alliance in both Japan and the Unit-
Japan, Japan complied with the American re-
ed States. At present, public support for the alli-
quirement by changing the name of the National
ance is at all time highs, with more than 75% of
Police Reserve, which the U.S. ordered Japan to
─6─
form in 1950, to the Land Safety Force in 1952.
in Japan.
By further Japanese legislation, in 1954, the Ja-
In 1972 the Japanese government made a politi-
pan Defense Agency was established and within
cal decision to declare that, even though Japan
it was contained the Ground, Maritime and Air
has the sovereign right of individual and collec-
Self-Defense Forces.
tive self-defense, that Japan cannot exercise col-
The Soviet Union, Communist China, the Japan
lective self-defense, a gesture which was not
Socialist Party, the Japan Communist Party and
considered terribly important at the time given
some of the Japanese media criticized the Self-
the growing, but still relatively low level of capa-
Defense Forces as illegal, but successive govern-
bility of the Japanese Self-Defense forces.
ments led by the Liberal Democratic Par ty
During the 1970s, conventional Soviet military
(LDP) defended Japan’s defense capability as 1)
force levels, which were already large in the
minimal and 2) exclusively defensive, and, there-
USSR’s European territories, began expanding
fore, as legal. Although the Government stated
in Asia as well, amassing by the end of the de-
in 1960 that Japan could legally possess nuclear
cade, a menacing 100 submarines based in its
weapons for defensive purposes, Tokyo opted
Pacific Fleet in Vladivostok, very close to Japan
not to do so and instead to rely on the nuclear
across the Sea of Japan. Japan – U.S. relations
umbrella of the United States against the proxi-
became tense at the end of the Carter Adminis-
mate nuclear threat of, particularly, the USSR
tration in the U.S. when Japan made a decision
and also from China.
to purchase Iranian oil on the spot market and
The current Japan – U.S. Treaty of 1960 was a
when Tokyo’s defense budget increase was seen
more equal partnership whereby, in exchange
in by the U.S. as insufficient following the Soviet
for Japanese promises to increase its self-defense
invasion of Afghanistan.
efforts, the U.S. agreed to consult with Japan be-
But in Januar y 1981 Ronald Reagan became
fore increasing or decreasing the size and com-
president and called for a division of defense re-
position of U.S. forces based in Japan and to con-
sponsibilities with key allies; in Asia that meant
sult with Tokyo before sending U.S. forces
with Japan. Defense Secretar y Caspar Wein-
stationed in Japan into combat operations out-
berger proposed a division of defense roles and
side of Japanese territory. Most importantly, the
missions in the Pacific, to which, to the surprise
new treaty allowed either countr y to give the
of many Americans, Japan’s Government spelled
other one year’s notice to terminate the treaty
out and agreed. Most importantly, Prime Minis-
starting in 1970. Thus, it can be said, that, since
ter Yasuhiro Nakasone and President Reagan
1970, Japan has been free to cease providing
developed a close relationship; and, under Naka-
bases for the U.S. in Japan and end the station-
sone, the Defense Agency was given permission
ing of U.S. forces in Japan. Throughout the peri-
to exceed the one percent of GNP limit on de-
od from 1952 to 1970, the largest opposition po-
fense spending to carry out Japanese role shar-
litical party, the Japan Socialist Party, called for
ing.
the abolition of the Self-Defense Forces and the
Particularly impressive was the close coordina-
replacement of an alliance with the United States
tion between 100 Japanese Maritime Self-De-
with friendship agreements with Moscow, Bei-
fense Force newly acquired P3C Orion anti-sub-
jing and Washington. But, despite the freedom
marine war fare aircraft and 25 U.S. Navy
to give one year notice of termination since 1970,
Seventh Fleet aircraft which resulted in the de-
no Japanese government has opted to give no-
tection of every Soviet Pacific Fleet submarine,
tice to end the alliance; and the Japan Socialist
exiting Vladivostok for the Pacific, preventing
Party has almost disappeared as a political force
the USSR from gaining any political advantage
─7─
from a huge military expenditure which helped
and supply air craft were limited to support mis-
to cause the Soviet Union to collapse economi-
sions rather than being allowed to fight. Indeed
cally and politically.
the Japanese soldiers in Samawah Iraq had to be
Together Japan and the US won the Cold War in
protected by other countries armed forces while
the Pacific by deterring the mighty and expen-
they carried out their support missions. This
sive Soviet military Far East forces. Japan de-
again was the result of Japan’s prohibiting itself
serves more credit than it receives for this pow-
to exercise the right of collective self-defense.
erful contribution.
As mentioned above, the real and immediate
Before this huge victory could be fully enjoyed,
threat of North Korea and the economic and mil-
Saddam Hussein of Iraq invaded Kuwait and put
itary rise of China have resulted in strong Japa-
at risk the nearby Saudi Arabian oil fields. Japan
nese public support for the Japan – U. S. alliance
failed to join the 37-nation coalition organized by
to the present day; however, among Americans
President George H.W. Bush; and, despite hav-
who understand and support the alliance, there
ing raised taxes in order to contribute more than
is a combination of frustration and worry.
$13 billion to the effort to expel Iraq from Ku-
The frustration comes from the actions of the
wait, Japan was criticized by some leaders in the
first Democratic Par ty (DPJ) of Japan Prime
U.S., Europe, the Persian Gulf states and in Ja-
Minister Yukio Hatoyama, who, made a promise
pan itself for failing to risk Japanese lives, de-
he was unable to keep, that if the DPJ took pow-
spite the fact that Gulf oil was of relatively higher
er, it would require that the U.S. Marine Corps
importance to Japan than to many members of
helicopter base in Futenma, Okinawa would be
the coalition. Japan’s reluctance was based on
moved outside of Okinawa despite a Japan – U.S.
the LDP administration led by Prime Minister
agreement in 2006 that a number of U.S. Ma-
Toshiki Kaifu, who was reluctant to take part in
rines would move to Guam and that the Marine
operations that might be considered acts of col-
helicopters would be relocated within Okinawa.
lective self-defense.
Although the U.S. in no way disapproved of the
Fortunately, U.S. and coalition losses in expel-
DPJ’s coming to power, it felt great disappoint-
ling Iraq from Kuwait were relatively light, so
ment that the new administration, which said it
criticism of Japan was somewhat muted; howev-
supported a strong Japan – U.S. alliance, chal-
er, there was international criticism which stung
lenged an agreement formally committed to by
Tokyo and, as a result, following the September
both nations.
11, 2001 attacks on the United States in New
The Hatoyama administration failed over the Fu-
York City and Washington, D.C., the Koizumi
tenma issue and the current Kan government
Administration acted quickly to pass a law which
has pledged to carr y out the 2006 agreement;
allowed Japan to send naval tankers and destroy-
however, as of this writing it still seems reluctant
ers to the Indian Ocean to support U.S. and al-
to exert the leadership necessary to relocate the
lied operations in the Persian Gulf. Japanese
Marine Corps helicopters from Futenma inside
Ground Self-Defesne Force engineers were sub-
another U.S. Marine Corps base (Camp Schwab)
sequently sent to Iraq, and Air Self-Defense
in a less crowded area of Okinawa.
Force cargo aircraft were authorized to fly logis-
U.S. experts on bilateral defense ties are more
tic supply missions in support of U.S. and allied
seriously worried about Japan’s unwillingness to
forces fighting terrorism. Although Japan’s 2001
change its 1972 prohibition on the exercise of
response was far more active and appreciated
collective self-defense by political fiat which
than its decision not to contribute forces in 1991,
could be changed by a new Cabinet political de-
the Japanese naval tankers, soldier engineers
cision. The Cabinet led by Shinzo Abe who suc─8─
ceeded Koizumi in 2006 reportedly came within
are certain about the future course of China. If
days of approving a study which called for
China would be allowed to attack Taiwan militar-
changing the most important aspects of the 1972
ily and convert it into a Chinese submarine base,
prohibition before Abe had to resign for health
the security of Japan and the U.S. would be nega-
reasons. His successors have thus far been un-
tively affected. But, as long as China believes
willing to issue a new policy by political decision.
that Japan and the U.S. would act together to de-
Of course the Constitution could also be amend-
fend Taiwan, China is unlikely to risk war and
ed specifically to make clear the legal status of
Taiwan can maintain its de facto independence.
the Self-Defesne Force and to specifically autho-
In 2010 China began to speak of its core interest
rize collective self-defense; however, that would
in the South China Sea. If China were allowed to
take more leadership and effort than seems to
control this key ocean area and exclude or con-
have existed since Koizumi and Abe left the pre-
trol Japanese and other ships from passing
miership.
through, again Japanese and American security
As a result of Japanese unwillingness to clarify
would be adversely affected. Today, even before
its right to exercise collective self-defense, a
changing Japan’s policy on collective self-de-
modern, capable Japanese Aegis-class guided
fense, Japan’s Maritime Self-Defense Fleet could
missile destroyer is theoretically unable to come
join the U.S. Navy’s Seventh Fleet in a frequent
to the defense of an American Aegis ship in the
joint air and sea Freedom of Navigation patrol
Sea of Japan which is patrolling to deter North
through the South China Sea, not to threaten
Korean aggression against Japan if a North Ko-
China but to make sure that Beijing recognizes
rean missile attacks only the American ship and
that the South China Sea is open for the com-
not its Japanese par tner. And, although the
merce of all nations as international waters.
same Japanese missile ship may have a capabili-
Southeast Asian countries such as Indonesia,
ty to intercept a North Korean missile when it
Vietnam and Brunei might be willing to join
takes off from North Korea, it is theoretically not
such freedom patrols as regional par tners.
able to do so until it determines that the missile
Keeping the South China Sea open is very much
is traveling to Japan rather than to South Korea,
in the national interest of Japan, just as allowing
Alaska or another target outside of Japanese ter-
the Chinese fishing boat captain who rammed a
ritory.
Japanese Coast Guard vessel in the waters of the
Fortunately, the Soviet Union did not believe Ja-
Senkaku Islands to return to China before being
pan would not fight in the 1980s when Japanese
tried for his crime was against Japan’s national
and American antisubmarine aircraft patrolled
interest. Some Japanese politicians from the
together in the Sea of Japan to detect USSR sub-
DPJ and the LDP recognize clearly what Japan’s
marines during the Cold War if the Soviets did
national interests are, foremost among them be-
not attack Japanese territor y or Japanese mili-
ing to preserve and strengthen the Japan – U.S.
tar y aircraft. Thus deterrence worked. But
alliance rather than to frustrate the U.S. or to
what if North Koreans believes Japan would not
cause Washington to doubt Japan’s reliability as
fight if North Korea only attacked U.S. destroy-
a partner and decide that the alliance is no lon-
ers or that Japan would not intercept North Ko-
ger in America’s interest. All that is necessary
rean missiles until their destination over Japa-
to preserve and strengthen the Japan – U.S. rela-
nese cities were confirmed, at which time it
tionship is courage and leadership on the part of
would be too late to prevent them from deliver-
future leaders of the Japanese Government.
ing their warheads?
No one, perhaps even the Chinese themselves,
─9─
新たなる日米同盟に向けて何が必要か
ヴァンダービルト大学公共政策研究所
日米研究協力センター
所長 ジェームス E. アワー
日米安保条約を振り返って
いう大きな成功を収めたし、今のところ北朝鮮
2010年は「日本国とアメリカ合衆国との間の
や中国による対外的侵略は抑止されている。し
相互協力及び安全保障条約」(日米安全保障条
かし、この抑止が持続するという完全な保障は
約)が締結されて50周年に当たる年だった。
ない。
1952年、連合国の日本占領政策が終わり、旧日
条約が署名された1952年から少なくとも1970
米安全保障条約が発効され、両国は同盟関係を
年という同盟の初期のほぼ20年間は、米国と同
結んだ。1960年、この条約に替わり新たに日米
盟関係を結ぶか結ばないかを決断する自由を日
安保条約が発効され今日に至っている。
本は完全には持っていなかった。所謂 「吉田ド
1952年のこの同盟は、全体的に見て日米両国
クトリン」 と呼ばれる吉田茂の考えによって、
の想像以上に機能した。壊滅状態にあった敗戦
戦後日本の経済復興を可能にするために、他国
国日本が素早い復興を果たし、冷戦中は、米国
から攻撃を受けた際、米国が日本を守る代わり
にとってアジアの主要な同盟国になるなど、日
に、日本は米軍に日本における基地の使用を承
本も米国も想像さえしていなかった。
諾した。日本が在日米軍基地を受け入れなかっ
冷戦の終焉とソ連の崩壊によって、日米は同
たら、米国による日本の占領政策は1952年には
盟を維持する論理的根拠がなくなるだろうと考
終わらなかったであろう。しかし、日本が主権
える人もいた。だが、次に述べる理由から両国
を回復するためにもうひとつの条件が存在した
はこれまでと同様、今後も同盟関係の継続を希
ことも事実だ。明確に言えば、日本は自国の防
望する結論に達している。第 1 に、非常に予測
衛のために、特に米国に協力して、あることに
不可能な軍事独裁であり、日本のどの都市にも
同意しなければならなかった。それは、日本国
攻撃可能な通常兵器を持ち、その上、恐らく核
憲法では日本は正規軍を持つことを禁止すると
兵器をも装備していると思われる共産主義国家
考えられていたため、米国の命令に従って1950
北朝鮮が依然として存続していること。第 2 に、
年に設置され発足した警察予備隊は、その後米
市場重視への努力が不透明で、北東および東南
国の要求に従い1952年には保安隊に改組された
アジア諸国には干渉しないという方針も不透明
ことであった。更に法律改正により、1954年に
な中国が、経済的にも軍事的にも台頭しつつあ
は防衛庁が設置され、その下に陸上、海上、航
ること。これらにより、世間一般の同盟への支
空自衛隊が発足したのである。
持と期待はこれまでになく高められ、現在、日
る。
米国の「核の傘」に入った日本の決断と
条約破棄規定
日米同盟はその歴史を通じ、効果的だった時
ソ連をはじめ、共産主義中国、日本社会党、
とそうでなかった時があるが、将来も恐らくそ
日本共産党、それに日本の一部のマスコミが自
のように進んで行くであろう。冷戦下ではこの
衛隊を違憲だとして批判したが、自民党主導の
同盟により、ソ連の軍事的脅威を切り抜けると
歴代政権は、その防衛能力を、1 )最小限で、2 )
米両国民の75%以上が同盟維持に賛成してい
─ 10 ─
専守防衛に限定する、故に自衛隊は合法である
い状態に陥っていた。それは、日本が現金取引
としてそれを正当化した。政府は1960年になっ
市場でイランから石油輸入を決定したことと、
て、日本は防衛目的のための核兵器保有は可能
ソ連がアフガニスタンを侵攻したにも拘らず、
であり、それは法に適うと述べた。だが、日本
米国には、日本の防衛予算の伸び率が不十分だ
は、特に憂慮すべき隣国、つまりソ連や中国な
と映ったことによるものであった。
どの核による脅威に対しては米国の「核の傘」
しかし、1981年の 1 月にロナルド・レーガン
に入ることを選択した。
が大統領に就任し、主だった同盟国に防衛の任
1960年に改定された現在の日米安全保障条約
務役割分担の明確化を求めた。アジアにおいて
は、より平等な協力関係にあった。日本が自衛
は日本が米国の同盟国であった。キャスパー・
の努力を増加すると約束したのに対し、米国政
ワインバーガー国防長官が、太平洋地域におけ
府は在日米軍の規模や配置の変更、在日米軍の
る防衛の任務と責任の分担を提案したとき、日
戦闘作戦のための国外への派遣などの事項に関
本はそれに同意した。日本のこの対応は多くの
し、日本に事前協議をすることに同意した。こ
米国人にとって驚きであった。その後、中曽根
の新安保条約から10年を経た1970年以後、この
康弘総理大臣とレーガン大統領との関係も親密
同盟は、日米どちらの国の意思によっても、 1
なものへと発展し、中曽根総理の下で、日本の
年前の予告があれば破棄できると規定されたこ
役 割 分 担 を 実 行 す る た め に、 従 来 の 防 衛 費
とは、非常に重要だ。
GNP比 1 パーセント枠を超えても構わないと
つまり、1970年以降は、日本の自由意思で、
いう方針が防衛庁に伝えられたことは大変重要
米国に基地を提供するのをやめ、在日米軍の存
なことだった。
在に終止符を打つことが可能になったというこ
新規に調達された海上自衛隊のP3C対潜哨戒
とだ。1952年から1970年までの間、同盟の最大
機 「オライオン」 100機と、米海軍第 7 艦隊の
の反対勢力であった日本社会党は自衛隊廃止を
航空機25機が緊密に連携しあって、ウラジオス
求め、日米同盟をソ連、中国、米国との友好協
トックから太平洋に向けて出たソ連の太平洋艦
定に替えることを要求した。しかし、1970年以
隊潜水艦の全てを感知できたことは、非常にす
後、日本は 1 年前の予告期間を経て、条約をい
ばらしかった。また、ソ連の軍事費拡大により、
つ破棄しても良いにも拘らず、それをしなかっ
経済のみならず政治的にも崩壊する原因を助長
た。その後、日本社会党は、政治勢力として殆
したことで、ソ連が政治的利益を獲得しようと
ど消滅してしまった。
した目的は日米によって阻止されたのである。
日米の協力体制は、強大で莫大な予算をかけ
安保条約の危機そして克服
たソ連極東軍の動きを抑止し、太平洋の冷戦に
1972年日本政府は、個別および集団的自衛権
勝利を得たのだ。日本のその力強い貢献は、大
を有しているにも拘らず、それを行使できない
きな称賛に値する。
という「政治的決断」を下した。しかし、自衛
隊は成長段階であり、その能力は十分とは言え
集団的自衛権行使=国際社会からの信頼
ず、従って、日本政府によるその意思表示は当
この大勝利を十分に享受する前に、イラクの
時、あまり重要なこととは考えられなかった。
サダム・フセインがクウェートに侵攻し、近隣
1970年代、ソ連の通常兵力は、ヨーロッパに
のサウジアラビアの油田を危険にさらした。
おいては既に大規模なものであったが、アジア
ジョージ・H・B・ブッシュ大統領による37カ
においても逐次増強され始め、70年代後半まで
国の多国籍軍に日本は加わらなかった。イラク
には、日本海を隔てたウラジオストックに基地
をクウェートから追い出すために日本は増税ま
を置く極東太平洋艦隊は、周辺国を威嚇するに
でして130億ドル以上の資金協力を行ったにも
充分な100隻の潜水艦を集めたのである。
拘らず、米国をはじめ、ヨーロッパやペルシャ
カーター政権末期のその頃、日米関係は厳し
湾諸国の指導者から批判を受けた。多国籍軍に
─ 11 ─
参加する多くの国々よりも、日本にとってはペ
苛立ちの原因は、民主党の鳩山由紀夫総理(当
ルシャ湾岸の石油ははるかに重要なのだが、そ
時)の行動だ。2006年に日米間で、沖縄の海兵
れでも日本が日本人の命を危険にさらさなかっ
隊の一部はグアムに移転し、海兵隊ヘリコプ
たことに対して、国内からも批判が出た。日本
ター部隊は沖縄県内の他所へ移転することを合
が多国籍軍に参加しなかったのは、海部俊樹総
意していたにも拘らず、鳩山総理は「政権交代
理大臣率いる自民党政権の判断によるもので
すれば、県外移転する」と有権者に公約した。
あった。多国籍軍への作戦参加が集団的自衛権
だが、この公約は守られなかった。
行使に当たると考えられたためであろう。
米国は、民主党が政権に就くこと、即ち政権
幸いにもイラクによるクウェート侵攻を食い
交代に賛成しないということでは決してないの
止めるために出た米国や多国籍軍の死者数は比
であるが、緊密な日米同盟を支持すると言いな
較的少なく、日本への批判は何とか静まった。
がら、両国が結んだ正式同意を無視したことは
しかし、日本に汚名を残した国際社会からの批
失望の極みであった。
判は、結果的に、2001年 9 月11日にニューヨー
鳩山政権は普天間問題で失敗した。現在の菅
クとワシントンDCで起きた同時多発テロ事件
政権は、2006年の日米合意を実行すると約束し
後の小泉政権の素早い判断と行動を導き、返上
たが、この原稿を執筆している今現在も、海兵
できたのだった。
隊のヘリコプター部隊を、普天間から混雑の少
小泉政権は、インド洋へ日本の海上自衛隊の
ないキャンプ・シュワブの海兵隊基地移転につ
輸送艦と、護衛艦を派遣する法案を通過させ、
いて、リーダーシップをとることを躊躇してい
ペルシャ湾での米国軍や連合軍の作戦を支援し
るようだ。
た。その後、陸上自衛隊施設部隊がイラクに派
2 国間防衛協力体制について米国専門家が、
遣され、航空自衛隊の貨物輸送機が、テロと戦っ
この問題以上に心配しているのは、集団的自衛
ている米国や連合軍を支援するために後方支援
権の行使を禁止する1972年の決定を日本が変え
の任務で飛行する許可が与えられた。2001年の
ようとしないことだ。これは政治的判断による
同時多発テロ事件に対する日本の対応は非常に
ものであり、よって、新内閣の判断で変えるこ
積極的であり、その行動は、実質的な貢献とな
とが可能である。報道によれば、2006年に小泉
る自衛隊の派遣を行わなかった1991年の決断と
内閣を引き継いで政権に就いた安倍晋三内閣
比較して、感謝に値するものであった。
は、健康上の理由で退任する直前に、1972年の
しかし、日本の海上自衛隊の輸送艦、陸上自
集団的自衛権行使の禁止の、最も重要な部分の
衛隊の施設部隊、航空自衛隊の輸送機ができる
変更を求める調査に同意したと言われる。しか
ことは、実戦に参加することに比較すると限度
し、安倍総理以後の総理は、これまで政治的決
があった。例えば、実際にはイラクのサマーワ
断による新しい政策変更を発表する勇気に欠け
で活動した陸上自衛隊が支援任務を行う際に、
ている。勿論、憲法改正により、自衛隊の合法
他国の武装した軍隊による護衛が必要であっ
性を明確にし、且つ、特別に集団的自衛権を許
た。繰り返しになるが、このことは、日本が集
可するように修正することも必要であり、可能
団的自衛権を放棄している結果なのである。
である。だが、それには、小泉総理や安倍総理
の頃のリーダーシップよりも、更に強いリー
鳩山前首相の大罪による日米同盟の亀裂
ダーシップと努力が求められるだろう。
前述したように、北朝鮮による直接かつ現実
日本が集団的自衛権を行使する権利を明確に
的な脅威と、中国の経済的かつ軍事的台頭は、
したがらないことの結果として、理論的に言え
結果として今日に至るまで日本国内に日米同盟
ば、最新鋭で有能な日本のイージス艦級の誘導
への強い支持をもたらしている。だが、日米同
ミサイル駆逐艦は、日本海上で北朝鮮による日
盟を理解しそれを支持する米国人の間では、苛
本攻撃を阻むために巡回している米国のイージ
立ちと不安が入り混じっている。
ス艦を、譬え北朝鮮が日本の艦船ではなく、米
─ 12 ─
国艦船だけを攻撃したとしても、守ることがで
利益」 について言及し始めた。繰り返すが、も
きないのだ。そして、日本のミサイル艦は北朝
し、中国がこの主要海域を支配して、日本を始
鮮から発射されたミサイルを迎撃する能力が
めとする多くの国々の船の航行を禁止、或いは
あっても、論理的には、そのミサイルが韓国、
統制できるとなったら、日本や米国の安全に多
アラスカなどではなく、間違いなく日本へ向
大な悪影響を及ぼすことになろう。
かっていると判断できるまで、撃つことはでき
現在は、集団的自衛権に関する日本の政策を
ないのである。
変えないままで、海上自衛隊の船隊は、米海軍
前にも述べたが、日米の対潜哨戒機が、ソ連
第 7 艦隊と共に、頻繁に南シナ海上空と海上か
による日本領土や自衛隊航空機への攻撃を危惧
ら「航行の自由」のための巡視を行っている。
して、ソ連の潜水艦を牽制するために共に日本
これは、中国を脅すのが目的ではなく、中国に、
海を巡視していた冷戦中の1980年代、ソ連は日
南シナ海は国際水域として世界中の国々の通商
本が交戦しないとは想像もしていなかった。つ
のために開かれていることを、確実に分からせ
まり、互いの抑止力が働いたのである。
るためなのだ。
しかし、現在の極東アジア情勢を見ると、も
インドネシア、ベトナム、ブルネイなどの東
し北朝鮮が米国駆逐艦だけを攻撃しても、日本
南アジアの国々は、地域のパートナーとして航
は攻撃して来ない、或いは、発射されたミサイ
行の自由のための巡視に進んで加わるであろ
ルのターゲットが日本の都市だと確認するま
う。尖閣諸島沖で海上保安庁巡視船に衝突して
で、日本は迎撃しないと認識しているとすれば、
きた中国漁船の船長を、その罪を裁くことなく
どうなるだろう。言うまでもなく、北朝鮮の弾
送還したことは日本の国益に反するが、南シナ
頭発射を防ぐタイミングはその時点で既に失し
海をオープンにしておくことは、日本の国益に
ているのである。
適うことである。
「航行の自由」を守るために
結語
中国自身も含めて、この地域の将来がどうな
米国政府にパートナーとしての信頼を欠いた
るのかは誰にもわからない。もし、中国が台湾
り、苛立たせたりして同盟関係に亀裂を生じさ
を軍事的に攻撃して、そこに中国の潜水艦基地
せ、日米同盟が米国の国益に適わないと決断さ
を作れば、日米の安全は脅かされることとなる。
せないよう、これを維持し、強化していくこと
だが、日米が協力して台湾を守ると考えれば、
が両国の真の国益に繋がると理解している政治
中国は戦争の危険を冒したりはしないだろう。
家は、民主・自民を問わず、存在する。肝心な
そして、台湾は事実上の独立体制を維持できる
ことは唯ひとつ。日本の将来の指導者たちの勇
だろう。
気と強いリーダーシップなのである。
中国は2010年になって、南シナ海の 「核心的
ジェームス E.アワー(James E. Auer) ヴァンダービルト大学公共政策研究所 日米研究協力センター所長。
センターの主な活動内容として、ヴァンダービルト大学において日本人研究員の受け入れ、ワシントンDCヴァン
ダービルト大学米国政府関連事務所内での日本人研究員受け入れ(2004年 4 月∼2007年 7 月)、米国および日本の
企業の代表を対象とした年 1 回のナッシュビルでの日米技術フォーラム(防衛技術協力)主催、また、2004年を
第 1 回とするワシントンDCでの日米CIP(重要インフラ基盤保護)フォーラムの主催などがあげられる。現在、
大学院を含む同大学の学生を対象に日米関係論、海上権力史を教えるが、これまでに同大学オーエン経済大学院
の非常勤講師、および工学部管理工学科の研究教授を兼任。1963年から1983年まで米国海軍に所属。日本勤務が
長期にわたる。その間、日本海上自衛隊幹部学校に留学の機会を得たり、横須賀を母港とする駆逐艦の指揮官を
務めたりした。1979年 4 月から1988年 9 月まで国防総省安全保障局日本部長。
マルケット大学卒業後、タフツ大学フレッチャー法律外交大学院で博士号を取得。論文「Rearmament of Japanese
Maritime Forces 1945-1971」は邦訳され、時事通信社から「蘇る日本海軍」として出版される。
2008年12月、日本政府より「旭日中綬章」受章。
─ 13 ─
【特集】日米同盟を考える
米軍アジア戦略と日本
ジャーナリスト 児玉 博
米国一極集中の終焉
につながり兼ねないことを憂慮しているのだ。
90年代、グローバニズムの名の下に推し進め
言及は避けてはいたが、中国が念頭にあること
られた米国の「金融資本主義」による経済モデ
は間違いない。
ルはリーマン・ショックで幕を降ろし、“正義
米国の国益においてアジア太平洋地域の比重
の戦争”だったはずのイラク戦争ではその正義
が高まるとし、北東アジアでは米軍の強固な軍
が嘘で塗り固められていたことが明らかになる
事的プレゼンスが『今後数十年間維持されるこ
など、「米国の時代」に陰りが見え始めている。
とを期待する』とも記している。その一方で中
イラク戦争で失った米国の信任とともに、中
国については、米中との軍事交流の強化を目指
国の急激な台頭、大国化するロシア、イスラム・
すとしながらも、意図が不透明な軍備の近代化、
アラブ圏への富の集中など、こうした状況を勘
南シナ海・東シナ海などの自己主張の強まりに
案すればもはや米国の一極集中の時代が終焉を
懸念を持ち続けていると明記。更には、宇宙、
迎え、世界はより不安定要素の高い多極化の時
サイバー空間も含めた地球規模の公共財(グ
代へと変貌しつつある。
ローバルコモンズ)へのアクセスや、利用を妨
米統合参謀本部が今年 2 月に発表した「国家
げる行動に対しては『我々の意思を表明する用
軍事戦略」にも、こうした米国の“揺らぎ”が
意がある』と極めて強い口調で牽制。特定の国
影を落としている。
を名指しで非難することは、異例中の異例であ
1 月の記者会見に臨んだ国防長官ロバート・
る。
ゲ ー ツ は、 今 後 5 年 間 で1780億 ド ル( 約14兆
また、『自衛隊が域外での運用能力を向上さ
6654億円)の国防費を削減することを発表。陸
せていくことに協力していく』と、日本にもや
軍、海兵隊など合わせて最大 4 万 7 千人を削減
はり異例の言及をしている。米軍内部には自衛
することも発表した。今まで聖域とされてきた
隊の国際活動参加の見送りや、規模の大幅な縮
国防予算にもメスを入れざるを得ないほど、米
小など、その活動に大いなる不満が募っている。
国の財政赤字は巨額なものになっていた。
普天間基地移設問題での二枚舌、荒唐無稽な「東
このことは当然、
「国家軍事戦略」にも影響し、
アジア共同体構想」などの影響は計り知れない。
『米国は今のところ、経済や軍事力で第 1 位に
留まるが、財政赤字が安全保障上、深刻なリス
中国の対アジア戦略
クを引き起こす』と記されていた。つまり、軍
前述のように、世界のパワーバランスが米国
事予算の削減が世界的な軍事バランスの不均衡
一極集中から拡散、また米国の威信に陰りが出
─ 14 ─
するある会議がきっかけだった。
ている。更にもう 1 つ、それは先の「国家軍事
戦略」でも明らかな通り、オバマ政権ははっき
りと東アジアで中国と対峙する、という点である。
米国の対中戦略
2001年 9 月11日の同時多発テロ以来、ブッ
2009年12月、デンマークの首都コペンハーゲ
シュ政権は安全保障政策の焦点は対テロ戦争と
ンではCOP15(国連気候変動枠組条約第15回
位置づけ、アフガニスタン、イラクへ軍事介入
締結国会議)が開催されていた。この会議で、
した。米国が対テロ戦争に明け暮れる頃、さな
余りに自国の経済発展ばかりを優先させ、果て
がら大海を自由に泳ぎまわる鯨のように、中国
は身振り手振りで相手国の代表を面罵する中国
は易々とアジア戦略外交を成功させて行ったの
のやり口に激しい批判の声が上がった。また、
である。
首脳級会談を温家宝首相が無断で欠席するな
中国は意識的に、中国がアジア諸国にとって
ど、中国代表団の振る舞いは傲慢の一語に尽き
安全保障上の脅威ではなく、むしろ相手国に
た。この会議を境にして米中関係は一気に冷え
とって経済的なチャンスをもたらす国として振
込む。
舞ってきた。
米国の行動は「確信犯的」だった。
例えば台湾がそのいい例だ。中国は台湾に対
2010年 1 月には台湾に対して地対空誘導ミサ
し「アメ」と「ムチ」を使い分け、見事な経済
イル「パトリオット」を含む総額60億ドルを超
誘導で2008年に行われた総統選挙で「 1 つの中
える武器売却に同意。更に翌月、オバマ大統領
国」を標榜する国民党の馬英九を勝利に導いた。
はホワイトハウスにある人物を招待した。チ
そして、2010年には中国・台湾間でFTA(自由
ベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世であ
貿易協定)に相当する経済協力枠組み協定の締
る。表向きは中国側に配慮し、目立たぬ形の会見
結にまで至っている。対日政策でも中国は意識
となったが中国側を刺激するには十分であった。
的に“頭”を低くし、粘り強く“微笑”し続け
台湾、チベット問題は、中国が国際社会に対
た。靖国神社参拝で日中関係に亀裂を入れた小
して“自国の利益”と声高に主張し続けながら
泉首相が退陣すると、親中を隠さなかった福田
も、最も神経を尖らせている問題である。つま
首相の下、胡錦涛国家主席が来日(2008年 5 月)。
り米国は、中国が最も嫌がるその部分のかさぶ
東シナ海ガス田の一部共同開発で合意。
たを剥がし、塩を塗り込む。
その 2 年後には最も中国寄りの政権が誕生。
米中関係が一気に冷え込んだ 3 月、中国は新
自民党から政権を奪った民主党政権下、首相鳩
たな地域を“中核的な利益”という言葉で表現
山由紀夫は日米で合意した普天間基地移転問題
し始める。「南シナ海」である。
を白紙に戻すなど反米姿勢を鮮明にし、その一
この地域は中国を始め、ベトナム、マレーシ
方で「東アジア共同体構想」なるものを公言し
ア、フィリピンなど複数の国がその領有権を主
ては中国にチャンスを与え続けた。
張し合っているバトルグランドである。その地
共和党から政権を奪取したオバマ政権の対中
域に対し中国政府は公式に、「中国は南シナ海
政策の転換は、先の「国家軍事戦略」の中でも
に中核的な利益を有する」と宣言。この公式発
言及された公共財(グローバルコモンズ)に関
表から数週間後、中国海軍はこの海域で 3 週間
─ 15 ─
復行為は国際社会を緊張させるばかりだった。
にも及ぶ軍事演習を行う。
米国は素早く反応する。 6 月、韓国で行われ
「真珠の首飾り」戦略
た ア ジ ア・ 太 平 洋 地 域 の 国 防 大 臣 が 集 ま る
「シャングリラ・ダイアログ」の席上、米国防
時あたかも、中国では安全保障問題専門家沈
長官ロバート・ゲーツは、「南シナ海をめぐる
丁立(シェンディングリ)が、中国海軍が海外
米国の利益は航海の安全と自由が保障され、自
に基地を持つことへの合理性を説いた論文を発
由で妨げられることのない経済開発環境を保つ
表した。この論文は、周辺諸国のみならず米国
ことだ」と発言。
など、安全保障関係者たちに大きな波紋を広げ
翌月、国防長官に続いたのは国務長官ヒラ
た。
リー・クリントンだった。ヒラリーはベトナ
それによると、中国政府は既にパキスタン、
ム・ハノイで開催されたASEAN地域フォーラ
ミャンマー、スリランカに深海港を建設中であ
ムに招かれ、次のように発言する。
「航行の自由、
り、同様の建設交渉をバングラデシュ、ナイジェ
アジア公海へのオープンアクセス、そして南シ
リアでも行っている。所謂「真珠の首飾り戦略」
ナ海における国際法の遵守は、米国にとっての
である。中国海軍が米海軍に拮抗し得るような
国家利益である」と。そして、ヒラリーは南シ
能力を持つまでには最低でも10年以上は必要だ
ナ海の資源をめぐる論争の調停支援を申し入れ
ろう。いや、それ以上かもしれない。しかし、
る。領有権論争を抱える多くの国が、ヒラリー
中国海軍の積極的な戦略の概要は既にはっきり
の提案を歓迎すると表明した。
しているということが実証された。
ヒラリーらの発言の背後にあるものは、領有
11月。オバマは中国が重大な仮想敵国と見做
権とは別にやはりグローバルコモンズである自
しているインドを含む、インドネシア、韓国、
由航行権等の国際慣習を中国がどう捕らえてい
そして日本の 4 ヶ国を訪問した。
るのかを問うものだった。
インドの首相、マンモハン・シンと会談した
「南シナ海の領有権問題をワシントンは国際
オバマはインドの国連安全保障理事会・常任理
化しようとしている」と、勿論、中国政府は反
事国入りの支持を表明。また、1998年のインド
発したが、その声をあからさまに無視するかの
の核実験以来、凍結されていた軍民両用技術の
ように、米国とベトナムは 8 月、初めて南シナ
対インド輸出規制を撤廃する方針も明らかにし
海での合同軍事演習を行っている。
た。台頭する中国に対して、大国インドの重石
そして 9 月、尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視
は米国にとって重要な戦略的意味を持つ。
船と中国漁船との衝突事件が起きる。日本側は
中国漁船の船長を逮捕、その身柄を沖縄・石垣
アジアにおける米国のプレゼンスの高ま
島に移送した。中国側はこれに激しく反発。中
りと日本の役割
国が97%を産出している希土類「レアアース」
中国はさながら「ユーラシアプレート」の如
の対日輸出禁止、更に、「フジタ」の社員 4 人
く太平洋に迫り出し、既に米国の「太平洋プレー
を拘束、監禁した。
ト」とは軋みが生まれ始めている。中国政府は
中国のこうした国際慣習を完全に逸脱した報
その急速な台頭が近隣諸国に脅威や不安を与え
─ 16 ─
てはならないと、中国なりの大人の対応をして
普天間基地のグアム移設のきっかけとなった
きた。それが、2010年前後から一気に強硬路線
のが、米国防長官ラムズフェルド(当時)の沖
となり、今までの努力を水泡に帰してしまった。
縄視察である。基地に隣接する学校、民家が密
近隣諸国はワシントンの強いコミットメントを
集する光景を見た氏はその危険さに驚愕し、移
求めるようになってきている。欧米嫌いなカン
設を決意したと言われる。ラムズフェルドの決
ボジアの指導者でさえワシントン詣でを始めた
断を歓迎した防衛庁関係者にラムズフェルドは
ほどである。目覚しい中国の台頭が、逆に米国
こう漏らしたと言う。
のアジアでのプレゼンスを高めている。その米
「あれほど危険な基地をなぜ今まで放置して
国から財政的な支援も含め、安全保障に対する
きたのか。日本政府が言えば、もっと早く移設
主体性、日米安保からの自立が求められている
していたのに」と。
のが日本だ。
この挿話は何を意味するのか。この条約があ
確かに、冷戦時代、米国にとっての日本のポ
る限り、日本は米国の世界戦略に組み込まれ、
ジションは最良のものだった。この時代、戦略
一朝有事が起きれば日本も他人事では済まされ
的な最前線は大西洋であり、欧州であった。日
ない、ということである。日米安保条約にただ
本は駐留米軍に基地を提供し、日米安保に安住
乗りする親米保守も、反対する左翼陣営もある
し、経済活動に専念していればよかった。
点で一致すると言えよう。主体的な運用者とし
だが、時代は一変した。米国の戦略的な最前
て自覚がないゆえに対等の議論や要求さえも自
線が大西洋から太平洋へ、欧州からアジアへシ
粛してしまうのである。
フトした。日本は既に、日米安保に安全保障の
日米安保条約批准以来続いてきたこうした自
全てを委ねるという安穏とした時代は終わって
虐史観が日本の安全保障の正しい議論を妨げて
いる。
きた。条約批准国日本はあくまで当事者であり、
あくまで主体的な条約運用者なのであって、米
終わりに
国の戦略に“巻き込まれる”立場にはない。繰
サンフランシスコ講和条約締結以来、即ち日
り返すが、この条約を運営する主体は日本自身
米安保条約を批准して以来(両条約ともに1951
に他ならないからだ。
年に批准)、日本は自国の安全保障を米国に委
アジアでの中国の台頭、対抗する米国のプレ
ね続けてきた。有事が起きれば、米国が日米安
ゼンスの高まり、両国に挟まれた日本が選ぶべ
保条約に基づいて必ず「日本を助けてくれる」
き選択肢は、独立国として「自国は自国で守る」
と信じ込んできた。
という主体的政策と具体的戦略、そして、何よ
しかし、今日本に求められているのは、日本
り独立国としての矜持なのではないか。
が“主語”となる主体的な日米安保条約に則っ
た安全保障政策であろう。
児玉 博(こだまひろし) 1959(昭和34)年、大分県生れ。早稲田大学文学部卒。著書に「幻想曲」
「バブル」
(共
著)などがある。
─ 17 ─
【特集】日米同盟を考える
日韓軍事協力を探る
政策提言委員・元陸自西部方面総監部幕僚長 福山 隆
1 はじめに
日韓軍事協力について考察する際も、朝鮮半
今年 1 月に来日したゲーツ国防長官も昨年12
島がこのような地政学上の位置にあることを常
月に来日した米軍制服組トップのマレン統合参
に念頭に置くべきである。極論をすれば、北東
謀本部議長も北沢防衛相などとの会談で、緊迫
アジアにおける軍事問題を考えるとき、超大国
する朝鮮半島情勢をにらみ、日米韓の防衛協力
である米国と中国という謂わば「主役」のウエー
の強化に期待を示した。
トに比べれば、日韓軍事協力は北東アジアの安
以下、日韓軍事協力のあり方などについて考
全保障に及ぼす観点からは「瑣末な要素」と言
えてみたい。
わざるを得ない。
尚、本稿は韓国が米韓相互防衛条約を堅持す
るという前提に立つ。韓国は自国の安全保障上、
3 日本の安全保障にとっての朝鮮半島の
将来米国が「頼りにならない」と判断すれば、
意義
米韓同盟を破棄し中韓同盟に切り替える可能性
朝鮮半島は、日本にとって、大陸進出の足掛
が無いとはいえない。孫子の「遠交近攻の策」
かりになる反面、大陸国家のロシアと中国は半
に則れば、北朝鮮を抑止する上では、中国が頼
島を経由して日本を脅かすことができる。日本
りになることは間違いない。
から見た朝鮮半島の戦略的な価値は「脇腹に突
きつけられた匕首(あいくち)」との比喩がある。
2 朝鮮半島の地政学
従って、日本は古来、大陸国家の脅威に対する
朝鮮半島は大陸国家の両雄である中国・ロシ
安全確保のために、朝鮮半島をバッファーゾー
アと海洋国家のアメリカ・日本の挟間に位置し
ン(戦略的な「間合」)にしたいという願望が
ている。ロシアと中国にとって朝鮮半島は、日
あり、一貫して朝鮮半島を自国の支配下に置く
本を経て太平洋に進出する足掛かりになる。一
事を追求した。日清・日露戦争もこのような考
方、米国にとっては、東アジア進出・支配の足
え方が基本になった。
掛かりとなる。従って、朝鮮半島は、日本、米
今日、朝鮮半島では韓国が日米の橋頭堡と
国、中国、ロシアのいずれにとっても、国益や
なって、中ロの脅威を阻止してくれている。そ
安全保障戦略上極めて重要な価値がある。それ
れどころか、北朝鮮も、“主体路線”を堅持す
ゆえ朝鮮半島は、大陸国家と海洋国家の「角逐
ることにより心ならずも中ロに対する防波堤役
の地」になるわけだ。
を果たした。大陸国家の脅威を電流に譬えれば、
─ 18 ─
南北朝鮮 2 国は謂わば「二層の絶縁体」となっ
本人の志願兵からなる「国連義勇軍」を編成し、
て、日本に対する「大陸勢力の放電」を絶縁し
朝鮮半島に投入するという案を考えていた。
てきたと看做すこともできる。
5 日韓軍事協力の現状
4 韓国の安全保障にとっての日本の役割─
従来、日韓軍事協力は米国を挟んだ「ブリッ
朝鮮戦争時の例
ジ(間接)方式」が主体だった。日韓軍事協力
将来の朝鮮半島有事に、日本ができる究極の
が米国を挟んだブリッジ方式を採らざるを得な
貢献は、過去の朝鮮戦争時のそれを検証すれば
かった理由は、両国に歴史問題と竹島問題など
ある程度予測できよう。朝鮮戦争当時と今日と
がある他、米国の「デバイド・アンド・ルール
の大きな違いは、当時、日本は敗戦後の貧困・
戦略(日韓間を分断統治)」があるのではない
混乱の極みにあり、連合国軍の占領下に置かれ、
かと思われる。
自衛隊は存在していなかったことだ。朝鮮戦争
ブリッジ方式による日韓軍事協力は、日米安
時の日本が果たした役割は次のとおり。
保条約を根拠として、米軍の戦力をフルに発揮
第 1 は基地の役割。米軍は朝鮮半島と距離の
させることにより韓国の防衛に寄与することが
近い板付、芦屋、築城及び岩国基地などから出
ポイント。日本は不沈空母に譬えられるが、韓
撃し、航空攻撃・爆撃を繰り返した。朝鮮半島
国防衛のためには、在日米軍基地機能を十分に
への米軍機の出撃回数は、空軍が72万980回、
機能させることが最も重要である。このことは、
海兵隊航空部隊が10万7,303回、海軍が47万6,000
平時の抑止力にとっても、朝鮮半島有事の対応
回、その爆弾投下量は空軍47万6,000トン、海
においても重要である。
兵隊と海軍が22万トンに達しており、陸上作戦
因みに、この点で、沖縄の海兵隊基地の国外
の支援、制空権の確保など朝鮮戦争の帰趨に大
(グアム)移転は、物理的に即応性が低下する
きな力を発揮した。
ことにつながり、問題である。
第 2 は兵站支援の役割。軍需物資の調達、艦
冷戦終結後「日米安全保障共同宣言」が行わ
船、車両、航空機の整備など日本は米国の“安
れ、これに基づく「新ガイドライン(1997年)」
全な”兵站基地の役割を果たした。例えば、マッ
の実効性を確保するために「周辺事態法(1999
カッサーが仁川上陸を敢行する際、高い岸壁を
年)」が制定された。これに先立つ1996年には、
登るために使用した長大な梯子は、大阪近辺の
米軍との間で物資や役務の相互利用を行う枠組
中小企業が昼夜兼行で生産した。
として物品役務相互提供協定(ACSA)が締結
第 3 は直接の作戦支援。吉田首相は国連軍の
され、周辺事態にも適用されることとなった。
要請に応じ、極秘裏に田村元海軍大佐を朝鮮海
冷戦崩壊後、日韓間では軍事協力の前提とな
域掃海部隊の総指揮官に任命、元海軍軍人で「特
る人的交流(防衛白書では「防衛交流」と表現)
別掃海隊」を編成し、元山上陸作戦の一環とし
が深化しつつある。日韓の 2 国間では、①防衛
て掃海作業を実施した。その際、「特別掃海隊」
首脳などのハイレベルの交流、②防衛当局者間
は国旗に替えて万国信号E(特別任務)旗を掲
の定期協議、③部隊間の交流、④留学生の交換、
げるよう指定された。また、後述するが実現は
⑤研究交流が、また、多国間では、①安全保障
しなかったものの、米国務省のダレス顧問は日
対話、②共同訓練・セミナーなどが活発になり
─ 19 ─
つつある。なお、多国間共同訓練は、災害救援、
国海軍哨戒艦沈没事件や延坪島砲撃事件が起き
掃海、潜水艦救難など直接の武力行使には至ら
た背景には、米中のバランス・オブ・パワーの
ないレベルに留まっている。
変化で、抑止力が破綻しつつあるのではないか
との見方がある。
6 我が国の安全にとって朝鮮半島はどの
このような、バランス・オブ・パワーの変化
ような状態が望ましいのか
を認識し、米国は従来の米韓の軍事力に加え、
米国、中国そしてロシアも「現状固定」がもっ
日本の自衛隊をより直接的に朝鮮半島の軍事バ
とも望ましい状態だと考えている。即ち、朝鮮
ランスに組み込もうとしているものと思われ
半島が分断状態で、「火が噴かない」状態─が
る。米国が日韓軍事協力を慫慂する思惑は北朝
ベストだと考えている。否、韓国でさえも現状
鮮問題の先にある、対中国戦略を念頭においた
を変更することに否定的だ。朝鮮を植民地にし
ものであることは間違いない。
ていた歴史を持つ我が国としては、言い難いこ
とだが、我が国としても分断状態の現状が安全
8 朝鮮半島有事─「第 2 次朝鮮戦争」の
保障上望ましいことは確かだ。
様相
南北統一朝鮮(仮称)が出現すれば、その外
朝鮮半島有事の規模・様相はさまざまだが、
交的スタンスが問題だ。南北統一朝鮮が中国、
最大規模としては米中がコミットする「第 2 次
米国のいずれと同盟関係になるのか、或いは中
朝鮮戦争」を想定しておかなければならない。
立なのか。南北統一朝鮮が中国と同盟関係にな
先の朝鮮戦争と異なり将来の「第 2 次朝鮮戦
れば、日本が米中対峙の第一線に立たされるこ
争」は「制限戦争」では収まらない可能性が高
とになる。また、南北統一朝鮮が出現すれば核
い。嘗て中国は、朝鮮戦争で直接の米中対決を
を持った軍事大国が我が国と一衣帯水の位置に
避ける詭弁として「中国人民志願軍」という形
出現することになる。従って、我が国にとって
で参戦したが、近年台頭する中国と凋落する米
朝鮮半島における当面の目標は“Status Quo
国という構図を考えれば、「第 2 次朝鮮戦争」
において、中国は米中直接対決も厭わないかも
(現状維持)”ということになろう。
しれない。そうなれば、日本は米中の全面対決
7 バランス・オブ・パワーに変化が
に巻き込まれ、中国のミサイル攻撃などで国土
経済は軍事力の源泉である。中国は著しい経
が焦土化するリスクもなしとはしない。
済発展を基盤に、急速な国防力建設を積極的に
実施している。一方米国は、低迷する経済の中
9 日韓軍事協力の展望
で、イラクやアフガンに兵力を投入しており、
昨年、作戦分野において日米韓軍事協力の端
これらを含む2001年以降の対テロ戦費の累計は
緒が実現した。昨年 3 月の韓国海軍哨戒艦沈没
1 兆ドル(約86兆円)を超えるとの試算がある。
事件を受けて、 7 月に実施された米韓合同軍事
このような流れを勘案すれば、世界規模では勿
演習に海上自衛官 4 人がオブザーバーとして参
論、北東アジア地域においても、バランス・オ
加した。同様に、昨年11月の延坪島砲撃事件を
ブ・パワーは中国・北朝鮮側に有利になりつつ
踏まえ、12月に実施された日米共同の統合実動
あるとの見方が妥当であろう。昨年生起した韓
演習に初めて韓国軍側からもオブザーバーが参
─ 20 ─
加した。作戦面における日韓軍事協力は、米国
日韓軍事協力のあり方を考える場合の判断基
主導のブリッジ方式で、海軍(海上自衛隊)次
準は、①当該協力が我が国の安全保障に寄与す
いで空軍(航空自衛隊)の順に実施されるであ
るかどうか、②朝鮮半島の軍事バランスを均衡
ろう。
させる、③対中国認識・戦略の整合の 3 点であ
また、兵站分野と情報分野の協力については、
ろう。我が国の防衛を犠牲にして、韓国防衛に
今年 1 月北沢防衛相が訪韓した際、金寛鎮国防
協力する愚は絶対に許されない。この点を考え
相との間で、物品役務相互提供協定(ACSA)
れば、日韓軍事協力は、日米安保条約を根拠と
締結に向けた協議の開始と、軍事情報包括保護
して、在日米軍基地機能を活かし、米軍の戦力
協定(GSOMIA)でも意見交換を進めていくこ
をフルに発揮させることにより韓国の防衛に間
とで一致した。これらの分野では、米国を挟む
接的に寄与することが基本である。韓国に対す
ブリッジ方式だけではなく、日韓直接の軍事協
る直接的な軍事協力は、総合・大局的に見て、
力ができるかもしれない。
我が国の安全・国益につながることだけに限定
今後、米中のバランス・オブ・パワーの変化
して慎重に実施すべきであろう。
と相俟って金正日の健康問題などで、北朝鮮情
直接的な対韓軍事協力の具体策としては、情
勢が不安定化すれば、米国としてはより直接的
報の相互通報体制の整備、韓国軍艦船・航空機
な日韓軍事協力を求めてくるものと思われる。
の緊急避難、兵站支援、北の直接攻撃(ミサイ
ル・航空攻撃、特殊部隊の攻撃等)に対する相
10 結言─日韓軍事協力のありかた
互協力、避難民の受け入れ態勢の整備などが考
自衛隊の戦力設計は、基本的に「専守防衛」
えられる。
を旨としている。それゆえ、本来は朝鮮半島の
日韓両政府は、朝鮮半島における緊張が高
安全にまでコミットする余裕は無いはずである。
まっている今こそ、これらの案件について突っ
また、韓国人は、いくら敵対する国とはいえ
込んで話し合うべきであろう。また、朝鮮半島
同一民族の北朝鮮人を譬え有事であれ自衛隊が
有事における邦人保護(北朝鮮の拉致被害者救
攻撃するなど心情的に許せないと思うに違いな
出を含む)についても、対韓軍事協力とセット
い。このことは、朝鮮戦争時、日本人の志願兵
で交渉すべきであると考える。
からなる「国連義勇軍」を編成し、朝鮮半島に
日韓間の歴史に根ざす複雑な韓国国民の心情
投入するという米国務省のダレス顧問のアイ
を念頭に、先の東チモールのオクシ飛び地での
ディアを聞いた韓国の李承晩大統領が、「もし
PKO活動、或いは現在のハイチPKO活動等、直
『日本軍』が投入されたら、韓国軍は北朝鮮と
接両国の安全保障に関係のない軍の活動を通じ
一緒になって、『日本軍』と戦う」と言明した
ての地道な理解・協力関係の発展が、遠回りに
ことでも容易に想像できる。
見えるかもしれないが現実的ではないだろうか。
福山 隆(ふくやまたかし) 1947(昭和22)年、長崎県上五島宇久島生れ。1970年防衛大学校(14期)卒。外務
省安全保障課出向、韓国防衛駐在官、第32普通科連隊長(地下鉄サリン事件時、除染隊派遣の指揮を執る)、陸幕
調査第 2 課長(国外情報)、情報本部初代画像部長(衛星情報)、第11師団副師団長、富士教導団長、九州補給処
長などを歴任。2005年、西部方面総監部幕僚長・陸将で退官。同年 6 月から 2 年間ハーバード大アジアセンター
上級客員研究員。現在ダイコー(株)取締役専務。著書に『北朝鮮が震える日』
(光人社NF文庫)、その他論文多数。
─ 21 ─



 特別寄稿 

「中国脅威論」の落とし穴
ノンフィクション作家 富坂 聰
中国のGDP世界第 2 位の意味するもの
ということだ。むしろ問題は、このニュースを
2011年が幕を開けて間もなく、日本では中国
いまさら大袈裟に騒ぐメディアの感覚のズレな
を巡る 2 つの大きなニュースが話題となった。
のである。
1 つは、中国がいよいよGDPで日本を上回
更にGDPの話題で言えば、単に経済規模で
り、 世 界 第 2 位 の 経 済 大 国 に な っ た と い う
日中間で逆転が起きたのであって、それが日本
ニュースである。そして、もう 1 つが中国の胡
人と中国人の暮らし─あくまで平均値として
錦濤国家主席がアメリカを訪問したという
─が逆転したことを意味しないのだ。そのこ
ニュースだ。
とは、人口のほとんどが年金や医療保険制度の
2 つのニュースをクローズアップした視点に
枠外にあることひとつとっても明らかだろう。
共通するのは、日本経済が長期低迷するなかで
一方にあるのは、中国経済が一部にとんでも
自信を喪失し続けてきた日本人の自虐的メンタ
ない金持ちを生みだしているという事実だが、
リティーとピタリ符合することだ。メディアに
それは中東アラブ諸国にもあふれている話だ。
は、
「日中逆転」、
「日本の凋落」の文字が躍った。
日本人がそういう人々と比べて自分を悲観する
だが、はたして実態はメディアが報じたよう
ことがなかったのと同じ感覚でとらえれば良い
な変化を意味しているのだろうか。
だけのことである。また一部に大金持ちを生む
答えは明らかに「ノー」である。そもそも中
国家はどうしても社会的に不安定にならざるを
国がGDPで日本を逆転したという話題をいま
得ないという欠点も併せ持つことになるのだ。
さら大騒ぎすること自体がナンセンスだと言う
本来ならば、その不安定になる不安の要素こ
べきだ。昨秋発表した拙著『中国の地下経済』
(文
そ、むしろ日本人が重視しなければならないこ
春新書)で詳しく書いたように、中国の経済規
となのであるが、日本人はどうしても自虐的に
模は、統計に表れない部分を含めれば、とっく
中国の発展を捉えて自信喪失してしまうのだ。
の昔に日本を上回っていたと考えられるから
だ。
胡錦濤訪米の真相
本当の逆転は恐らく、2005年から2006年にか
これと同じ文脈で日本中を駆け巡ったのが胡
けてのことで、早ければ2001年から2002年ごろ
錦濤国家主席の訪米のニュースだ。
に抜かれていたとも考えられる。実際、この時
すでに2008年のリーマンショックの直後、世
期になると、それまで構造不況に陥って苦しん
界金融危機の混乱の中から中国がいち早く成長
でいた日本の鉄鋼や海運、造船といった産業が、
軌道に乗ったことが報じられるようになると、
中国需要によって目覚ましい回復を果たしてし
国際社会で「G2」という言葉が頻繫に語られ
まっているのだ。つまり、一部の産業界では早々
るようになったため、日本人にはこの訪米の
と、中国経済の底知れぬパワーを実感していた
ニュースが、「これからは世界の主要議題がこ
─ 22 ─
の 2 カ国間で決められ、アジアの諸問題でも常
る。米ソがしのぎを削った冷戦期に比べ、米中
に日本が不利な状況に陥る」との危機感を強め
の経済面における相互依存関係は深く、単純な
たことだろう。
対立構造から米中を見ることができない反面、
前述した「中国がGDPで日本を追い越し世
米中がタッグを組んで世界を自在に支配すると
界第 2 位の経済大国になった」との報道に刺激
の視点に立つと、両国の政治面での違いや安全
され、世界第 1 位の経済大国と第 2 位の経済大
保障面での距離、更には経済面においてもライ
国との会談という位置付をする報道も目につい
バル関係となる部分が存在し、それが邪魔に
た。
なってくるのである。
では、先の胡錦濤国家主席の訪米は、本当に
そして今回の胡錦濤国家主席の訪米では、表
そのように位置づけて良い内容だったのだろう
向きは米中が良好な両国関係を演出するような
か?
セレモニーが目立ったが、水面下ではむしろ、
勿論、迎えるアメリカ側のメディアには「世
中国が米国に対してどのようなポジションを取
界で最も重要な 2 ヵ国会談」との表現も多く使
るのか、アメリカが厳しく問うという訪米でも
われたのだから、これが国際社会で特別な意味
あったのである。
を持つことは否定できない。
このことを最も象徴していたのが、米政府高
アメリカの歓迎ぶりも一様ではなかった。中
官が訪米を前に発言した、「今後の米中関係を
国をインドやメキシコと並ぶ国賓として遇した
決めるのは、中国の出方次第」という言葉だ。
のは伝えられた通りだ。礼砲も最も多く打ち上
訪米の前哨戦では、胡錦濤国家主席が『ワシ
げられ、赤じゅうたんが敷かれた空港には、バ
ントン・ポスト』をはじめとした米主要メディ
イデン副大統領自らが出迎えるという厚待遇で
アのインタビューに答え、「ドルが基軸通貨で
あった。
ある制度は過去の遺物」と発言したことが伝え
だが、それがそのまま米中関係の良好さや世
られ、訪米では人民元のレート問題を巡って両
界経済をコントロールできる圧倒的な支配力、
国が火花を散らすのではないかとの観測も流れ
また双方にそうした認識があったかといえば明
ていた。
らかにそれは別問題だ。
この胡錦濤国家主席の強気な発言は、人民元
今仮に米中の「G2」が機能したとして、そ
のレートを低く抑えたまま輸出競争力を維持し
の影響力は世界のGDPの30%程度に過ぎない。
続けたいという中国の意志の表れとの解釈もさ
かつて日米で世界の40%を握っていたことを考
れたが、筆者の考えは違う。中国として示した
えれば、その差は大きいと言わざるを得ない。
かったのは、むしろ人民元のレートの上昇は、
その影響力に限界があることは、世界のGDP
決してアメリカからの圧力によって起きたので
の15%を握っていた─今の中国の約 2 倍─
はないと証明するためのエクスキューズだった
日本自身に「世界経済を牛耳った」との記憶が
のだろう。
ないことでも理解できるはずだ。
つまり、まったく国内向けのポーズに過ぎな
加えて、日米とは違い米中間には、未だ政治
かったということだ。この発言に対しアメリカ
体制やイデオロギーの点で大きな溝が存在して
側からの厳しいリアクション─特に議会から
いる。
の─がなかったのは、ある程度事前に発言の
日本には「G2」とは正反対の概念で「新冷戦」
趣旨を伝えていたと推測すべきだろう。
の視点から米中を分析しようとするアプローチ
事実、中国は口では「ドルが基軸通貨である
もあるが、米中の現状はちょうどこの「G2」
制度は過去の遺物」と挑発的な発言をしておき
と「新冷戦」の中間に位置していると考えられ
ながら、実際には訪米時には人民元の対ドル
─ 23 ─
レートは過去最高の水準( 1 ドル=6,5元)に
こうして見たとき、アメリカと中国の間で人
まで上げてきているのだ。
民元問題が対立軸となることは考えにくいとい
このことの背景には、実は、人民元問題はメ
うわけだ。
ディアが単純化して対立を煽るほど、双方に利
通貨問題を巡っては、人民元がドルに代わる
害対立はないとの事情がある。これは後に述べ
基軸通貨のポジションに興味を示しているとの
るように民主化問題も同じである。
ピントはずれな報道もあるが、そういう野心は
少なくとも当局や専門家の間には存在しない。
国際社会における中国の経済戦略
実態として中国は、 1 年ぐらいの間に外貨の
例えば、人民元の問題では、もはや人民元の
保有内容を変え、ドルの持ち分を10%前後減ら
上昇が「中国にとって不利益」との構図は成り
している。だが、これはリスクヘッジの意味が
立たなくなっているのだ。
強いのと同時に、輸出先として有望なEU経済
理由は、いま中国共産党が最も頭を悩ませて
への貢献という意味が大きいのである。
いる物価上昇という圧力だ。リーマンショック
実際、この 1 年の間に中国は、EUのなかで
後に巨大な財政出動によって経済を立て直した
も財政の破綻が特に心配されているPIGS(ポ
中国は、その巨大な投資の恩恵に浴する者とそ
ルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)
うでない者の間に格差を拡大させるという副作
の国々のうち、アイルランドを除くすべての国
用に悩まされてきた。人々の間に蓄積されるこ
の国債を買うことを発表している。
の不満は、貧困層を中心に広がっているのだが、
中国には、まだ経済的にアメリカのライバル
これが本格的な社会不安へと昇華するのか否か
として名乗りを上げようなどという野心はな
は、厳しい生活を強いられる人々の暮らしをど
く、その段階でもないというわけだ。
こまで圧迫するかにかかっている。そして現在、
米政府高官が、「今後の米中関係を決めるの
中国を襲っている物価上昇という波は、エンゲ
は中国の出方次第」と言った、その中国の出方
ル係数の高い貧困層にとっては致命傷にもなり
は、周知のようにアメリカ側を大いに満足させ
かねない食糧品を中心に広がっているのだ。
る内容だった。
中国共産党にしてみれば、この問題のハンド
中国は、ボーイング社から航空機を 2 百基購
ルを少しでも誤れば、すぐにも社会不安へとつ
入するプランを筆頭に、総計で 4 千 5 百億ドル
ながりかねないという危機感を膨らませて当然
(約36兆円)にも上る膨大な輸入計画を発表。
だ。そしてこの食糧品価格の上昇という難題を
この輸入による効果で、約23万人の雇用がアメ
前にしたとき、いまや食糧の純輸入国となった
リカで創出されると胸を張ったのだ。
中国にとって、人民元高による輸入食料品の価
訪米に伴う大きな〝お土産〟で中国が示した
格押し下げの作用は、実は、願ってもないデフ
かったのは、対米関係の重視である。中国が国
レ圧力なのだ。
力をつけ、経済的な台頭を世界が認めるにつけ、
貿易が依然、中国経済の太い柱である以上、
何かと米国との対立がクローズアップされるの
元高はつらいが、それでも政権を吹き飛ばしか
だが、中国は訪米を機にこの不穏な〝芽〟を完
ねない社会不安と比べれば、吸収しやすい問題
全に摘んでしまおうと考えていたようだ。
だというのが、おそらく中国政府の本音だろう。
蛇足だが、この事情が働いてしばらく元高局
国内世論暴発の恐怖と中国経済外交
面は堅く、今年いっぱいまでの変動幅は 1 ドル
この一連の動きから浮かび上がってくる中国
6,2元前後まで上がるとするのが多くの中国の
は、現実的にはアメリカの対抗勢力となること
経済専門家たちの見方だ。
も望んではいない姿だ。
─ 24 ─
こんな風に書くと、「なんて甘い中国分析だ」
だった。事件に関する一連の中国の動きを見て
という非難の声が聞こえてきそうだが、実際に
みると、口では日本に対して厳しいことを言っ
中国は少なくとも現状で世界をコントロールし
ても、後に国民が忘れてしまえば、何事もなかっ
ようとの野心は抱いていない。むしろ、もし国
たかのように関係を修復させようとするといっ
内的な突き上げをクリアできるなら、出来る限
たように、一貫性のない対応が随所に見受けら
り対外的な問題では静かに収めたいとの意思を
れたのである。
持っているからだ。
これは典型的に、「日本経済が中国経済のな
このことはアメリカに限らず、対EUでは李
かで果たしている重要な役割」という現実と、
克強副総理が、対インドでは温家宝総理がとも
一方で「国民から情けないと見られたら政治生
に大きな経済ミッションを率いて訪問し、気前
命に関わる」という 2 つの要素に挟まれたケー
良く振る舞ったことからも読み取れる。
スだ。
中国が、国内事情が許す限り対外的な問題を
このことは、アメリカが胡錦濤国家主席の訪
静かに収めようとすることは、中国経済の対外
米に際して「中国の出方」を問うたのと同じで
依存度の高さと関係している。
ある。
ここでは紙幅の都合で詳しくは触れないが
もし、こうした場面で中国が内と外で 2 つの
(詳しくは前述した「中国地下経済」を読んで
顔を使い分けられなければ、米中がともに相互
いただきたい)、外国からの投資や外国資本が
に強く依存する経済関係をよそに、対立する面
中国から引く流れが強まれば、中国経済はたち
を強調して、結果的にウィンウィンの反対であ
まち崩壊の危機を迎えることは火を見るよりも
るロストロストの関係へとこじらせてしまった
明らかだからだ。
かもしれないのだ。
だからこそ胡錦濤国家主席の訪米では、口で
は人民元に関する米国の圧力を撥ねつけなが
世論の動向がカギを握る現実的脅威
ら、現実にはアメリカの要求に満額に近い回答
今アジアの事情を考えたとき、やはり心配は
を出すというねじれた対応を見せたのである。
中国の国内世論だと考えられる。この世論の怖
対外関係を巡って国の利害と国内世論との板
さは、未成熟で世界を知らない点に集約される
挟みにあうのは、中国に限った話ではない。こ
といっても過言ではない。今の政権がこの世論
のケースで見た中国は、国内に充満する「対米
に引きずられ始めると非常に厄介だ。だが現在、
弱腰」との不満によって国民から政権担当能力
その中国を取り囲むアジアの国々は、そろって
を問われる危機と、中国経済が現実には深く対
政治が弱くポピュリズムの傾向を持ち、世論が
外依存していて外国に見放されると経済が混乱
主役となる最悪の中国を呼び覚ましかねない性
して、巡り巡って国民生活が疲弊し、その不満
格を帯びている。これは国と国が最もロストロ
のエネルギーが政権を襲うといった、所謂究極
ストに陥りやい危険な状況で、中国共産党の邪
の選択を強いられる形になっているのだ。
な野心を心配する以上に現実的な脅威と言うべ
実は、この選択は昨年起きた尖閣諸島沖の「漁
きだろう。
船衝突事件」のときにも共産党が迫られたもの
富坂 聰(とみさかさとし) 1964(昭和39)年、愛知県生れ。北京大学中退。週刊誌記者を経て、フリーに。北
京中枢の内部情報から在日中国人犯罪まで、現代中国が抱える問題に最も精通するジャーナリスト。著書に『龍
の伝人たち』(第 1 回小学館ノンフィクション大賞優秀賞)、『潜入─在日中国人の犯罪』『苛立つ中国』『中国とい
う大難』『中国ニセ食品のカラクリ』『中国官僚覆面座談会』、訳書に『もし、日本が中国に勝っていたら』『対北
朝鮮・中国機密ファイル』『中国が予測する“北朝鮮崩壊の日”』など多数。
─ 25 ─
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

 特別寄稿 
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中学生の歴史教科書に
何が求められるか
政策提言委員・「新しい歴史教科書をつくる会」会長 藤岡信勝
中学校教科書採択の年に当たり
今年は中学校教科書の採択が行われる年に当
たる。 3 月末に文部科学省の検定が終わり、各
社の見本本が各地の教育委員会に届くのがゴー
ルデンウイーク明け。そこから教科書について
の調査研究が始まり、早いところでは 7 月初旬
に教育委員会による採択結果が決まり始める。
そして、遅くとも 8 月末までには全国の教科書
採択が完了するという日程である。
来年 4 月から一斉に使用されるこの教科書
は、平成18年に安倍内閣の時改正された教育基
本法と、それを受けて改訂された新学習指導要
領に基づく初めての中学校教科書である。それ
は同時に、30年ほど続いて来た「ゆとり教育」
路線が転換されて、学力重視の教育方針が現場
で全面的に実施される大きな区切りをも意味し
ている。
中でも注目を集めるのは、歴史と公民の教科
書であろう。というのは、「新しい歴史教科書
をつくる会」が1997年に創立されて以来14年に
わたって進めてきた歴史・公民教科書の改善運
動が今回どの程度の成果を得るかが問われてお
り、また、新たに扶桑社の子会社である育鵬社が、
独自に歴史・公民教科書に参入するからである。
これに対し、教科書改善運動に反対する左
翼・反日陣営の危機感が高まっている。去る 3
月 1 日、「つくる会教科書」を潰すことを運動
の目的にしている「子どもと教科書ネット21」
なる団体が、韓国の反日団体「アジアの平和と
歴史教育連帯」を招いて会合を開いた。席上、
韓国側の出席者は、今次検定に合格する教科書
が、「日本固有の領土・竹島」といった記述で
あふれるだろう、などと述べ強い警戒感を表した。
しかし、日本の教科書は日本人が決めるので
あり、いかなる外国の団体も、またこれを引き
入れた国内の団体も、教科書の採択に影響を与
えることがあってはならない。日本は独立国で
あり、法治国家である。教科書採択は、日本の
法律とそこに定められた手続きに従って、公
正・適切に行われなければならない。そういう
観点から、ここでは、中学校の歴史教科書に絞っ
て、教科書に求められる基本的要件について述
べてみたい。
─ 26 ─
日本の伝統文化に則った「徳目」掲載
まず、教育基本法改正のポイントがどこにあ
るのかを確かめてみよう。新教育基本法第 2 条
は、教育の目標を定めた。そこには、約20項目
の目標をあらわす「徳目」が掲げられている。
中でも、
「公共の精神」、
「伝統と文化の尊重」、
「我
が国と郷土への愛」(愛国心・愛郷心)などが
明記されたことの意義は極めて大きい。考えて
みれば不思議なことだが、戦後の日本は60年あ
まりにもわたって、こうした基本的な徳目を掲
げることなく進められてきたのである。私益優
先の醜い社会になるのも蓋し当然といわなけれ
ばならない。教育基本法の改正は、戦後教育の
理念の根本的転換を意味しているのである。
このような教育基本法の改正を受けて、文科
省では注目すべき教科書行政の新機軸が打ち出
された。その 1 つは、平成21年 3 月 4 日付で「義
務教育諸学校教科用図書検定基準」が改められ
たことだ。その第 1 章総則の(2)では次のよ
うに規定している。
【本基準による審査においては、その教科用
図書が、…公共の精神を尊び、国家・社会の形
成に主体的に参画する国民及び我が国の伝統と
文化を基盤として国際社会を生きる日本人の育
成を目指す教育基本法に示す教育の目標…を達
成するため、…適切であるかどうかを審査する
ものとする。】(「…」は中略を示す)
この検定基準を実施するため、「教科用図書
検定規則実施細則」も改められた。この細則の
改訂で注目すべきことは、教科書会社が文科省
に検定申請をする際に添付する「編修趣意書」
の書式が改訂されたことだ。新しい書式では、
新教育基本法第 2 条に定める「教育の目標」を
教科書編修にどのように反映させたかを具体的
かつ明確に記載させるものとなった。
これによって、従来は各社教科書の宣伝パン
フレットのようなものに過ぎなかった「編修趣
意書」が、教育基本法の徳目に対応した教科書
内容の改変を迫るものに大転換したのである。
各社は、例えば「愛国心・愛郷心」について、
歴史教科書の記述にどう具体化したのかを申告
しなければならなくなった。この変化は大きい。
新学習指導要領への期待
次は学習指導要領である。学習指導要領は、
従来、中学校社会科歴史的分野の「目標」として、
【我が国の歴史の大きな流れと各時代の特色
を世界の歴史を背景に理解させ(る)】(傍線と
括弧内の補足は引用者による)
ことを掲げていた。それが新学習指導要領で
は、次のように変わった。
【我が国の歴史の大きな流れを、世界の歴史
を背景に、各時代の特色を踏まえて理解させ
(る)】(同上)
どこが変わったか、おわかりだろうか。旧版で
は、「理解させる」対象として、
①我が国の歴史の大きな流れ
②各時代の特色
の 2 つが並列に置かれていた。それが新版では、
「我が国の歴史の大きな流れ」に一本化され、
そのための手段として
ア 世界の歴史を背景に
イ 各時代の特色を踏まえて
の 2 項目が据えられるようになったのである。
これは一見、些細な変化に過ぎないように見え
るかもしれないが、実はそうではない。中学校
で歴史を学んで、生徒が何を「理解」したかを
チェックする時に、それは「我が国の歴史の大
きな流れ」を理解したかどうかを確かめるとい
うことなのだ、と一言でいえるようになったの
である。言い換えれば、歴史の個々の事項や年
号を暗記してもそれだけでは歴史の「理解」と
はいえないのであり、「我が国の歴史の大きな
流れ」を生徒が自分の言葉で述べることができ
なければならない、ということになる。
新学習指導要領について、文科省で説明会が
行われた際、歴史担当の教科調査官は、中教審
教育課程審議会のなかでの議論の一部を次のよ
うに紹介した。
『日本の子供は小中高と何度も歴史を学んで
いるのに、外国に行って自国の歴史や文化を語
ることが出来ない。こういう歴史教育は根本的
に欠陥があり、これからは日本の青年が海外で
自国のことを自分の言葉で自信をもって語れる
ような歴史教育に変えなければならない』。
その場で拝聴していた私は、大変驚くととも
に内心、快哉を叫んだ。なぜなら、14年前に「新
しい歴史教科書をつくる会」の創設のためにか
けずり回っていたころ、故・坂本多加雄氏など
とよく話題にしていたのがこの問題だったので
ある。『新しい歴史教科書』が広く採択される
ようになったら、どのように歴史教育が変わる
かを具体的に示すものとして、私たちは、「日
本の青年が海外に出て、各国の青年と交わると
き、自国の歴史と文化を自分の言葉で生き生き
と語れるようになること」を目標イメージにし
ましょう、と話し合ったのである。「文科省も
10年経って、やっと「つくる会」の問題意識に
追いついたな」と思い、感慨深いものがあった。
自らの言葉で語れるということは、今次学習
指導要領の改訂の大きな柱のひとつである「言
語活動の充実」ということとも関連している。
中学校社会科歴史的分野の「内容」でも、
「時
代区分」や「時代を大観し表現する活動」が新
たに盛り込まれた。このようにして、各時代の
特色を大掴みに捉え、それを通して「我が国の
歴史の大きな流れ」を理解するように教科書を
構成せよ、というのが学習指導要領の要求である。
歴史に対する愛情を深めることの重要性
従って、 4 月以降の採択では、各社の教科書
が「我が国の歴史の大きな流れ」をどのように
とらえて教科書を編集しているかが問われるこ
とになる。その際、教育基本法が示す教育の目
標(徳目)に合致したものでなければならない。
だから、「日本は一貫して侵略国家であった」
といった、事実にも合わず教育的にも誤った歴
史観に立つ教科書は、当然採択で教育委員の良
識の篩にかけられなければならない。
そうではなく、日本が外の文明を積極的に取
り入れながらも自らの伝統を見失わず、外来文
化を自家薬籠中のものにする中から独自の日本
的文化を醸成してきたことや、日本が古代と近
代に 2 度の国家形成を経験したこと、その際、
天皇を自国のアイデンティティとして国民がま
とまってきたこと、 2 度の国家形成には様々な
共通点があることなど、歴史の巨視的な見方が
様々に用意されている必要がある。そういう課
題に各社の教科書がどのように応えているかを
各界の識者には、ぜひ検討していただきたい。
「新しい歴史教科書をつくる会」が関わって
いる自由社と、育鵬社は、 4 月ごろ市販本を出
版するので、比較しやすいと思う。他社は 6 月
に各地で開催される教科書展示会で実物見本を
見ることができる。
歴史教育の目標は、「理解」だけにとどまら
ない。学習指導要領は、歴史教育の目標の第 1
項の最後を、「我が国の歴史に対する愛情を深
め、国民としての自覚を育てる」ことに置いて
いる。どの歴史教科書が本当に「我が国の歴史
に対する愛情を深める」ことになるのか、国民
の目で見届けていただきたい。
藤岡信勝(ふじおかのぶかつ) 1943(昭和18)年、北海道生れ。北海道大学大学院教育学研究科博士課程単位取
得。北海道教育大学助教授、東京大学教育学部教授を経て、現在、拓殖大学客員教授。教育学(教育内容・教育
方法)専攻。平成 7 年、教室からの歴史教育の改革をめざし「自由主義史観研究会」を組織。平成 9 年、「新しい
歴史教科書をつくる会」を創設。現在会長をつとめる。著書・共著に、『中国はなぜ尖閣を取りに来るのか』(自
由社)、
『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究』(祥伝社)、
『教科書が教えない歴史』①∼④(産経新聞ニュースサー
ビス)、『教科書採択の真相』(PHP新書)など多数。
─ 27 ─
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

 特別研究 
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新時代を拓く「防衛計画の大綱」
民主党政調会・外交部門会議座長
外交安全保障調査会事務局長代理
衆議院議員 吉良州司
はじめに
三の原稿依頼だったと思うが、専門性を持たな
政権交代後初めての防衛大綱が昨年末に策定
い私が最終的に執筆するに当たり「新政権の防
された。外交安全保障担当能力について批判に
衛大綱策定過程や、安全保障に対する民主党の
さらされる民主党政権が策定する防衛大綱は一
体質や姿勢について解説する」ことを条件とさ
体どのようなものになるのか、策定に至る過程
せてもらった。安全保障政策のあるべき姿に真
の中でどのような議論が展開されるのか、特に
正面から向き合った民主党内の真剣な議論、そ
安全保障の有識者・専門家の間で注目されてい
れを通して見えてくる民主党の体質、更には新
たと思う。本稿では、防衛大綱そのものについ
政権の安全保障に対する姿勢を理解して戴く一
ての解説・評価については他の専門家に委ねる
助になれば幸いである。
こととし、「防衛大綱への提言」を取りまとめ
「防衛大綱への民主党提言」の策定
た民主党内の議論を中心に、その策定過程につ
いて説明を試みたい。
我が国の安全保障体制は日米同盟を基軸とし
当初、日本戦略研究フォーラムから「民主党
ていることは言うまでもなく、また今後も変わ
政権が策定した防衛大綱について執筆してもら
るものではない。
いたい」という要請を受けた時は固辞した。安
しかし、日米同盟を基軸とする我が国の現在
全保障の権威諸兄を読者層とする本誌に寄稿で
の安全保障の基本的体制は、50年前、世界の
きるほどの専門性を持ち合わせていないからで
GDPの半分を米国が占めていた時代に作り上
ある。私事で恐縮ながら、私は22年間、日商岩
げられ、冷戦時代に保持されてきたものである。
井という商社で主に電力・インフラ関連の投融
冷戦終結後20年が経過し、我が国を取り巻く安
資を含むプラント・ビジネスに携わり、衆議院
全保障環境が大きく変化しているにも関わら
議員としては珍しく民間企業で本社課長職まで
ず、その本質的構造、特に自衛隊の人的・物的
務めた後に政界入りした民間人政治家である。
基盤の基本構造が変わっていないことは大きな
7 年前の初質問が「経済安全保障」「資源エネ
問題であり、新たな時代に対応するための本質
ルギー・レアメタルの安定確保」であることか
的変革が必要である。就中、新興国の台頭と既
らも想像戴ける通り、肌感覚でわかる経済外交
存世界秩序への挑戦、リーマン・ショック後の
分野が専門分野である。その経験を買われてか、
先 進 国 の 迷 走 と 自 信 喪 失、 つ ま り 世 界 的 パ
鳩山政権発足時に外務大臣政務官として外交に
ワー・バランスの変化に対する適格な対応は今
携わることとなり、第 2 次菅政権発足時に、民
後の安全保障政策を立案・遂行していく上で決
主党政策調査会・外交部門会議座長に就任し
定的に重要である。
た。同時に民主党の中長期の外交安全保障の政
このような問題意識を持ちながら、今次防衛
策を方向付ける役割を持つ外交安全保障調査会
大綱への民主党提言の取り纏めにかかった。取
の事務局長代理を拝命し、「防衛大綱への民主
り纏めに当たっては、下記の 4 段階の手続きを
党提言」を取り纏めることになった。
踏んだ。
このような経緯や現在の立場を考慮しての再
1 ) 外交安全保障調査会の幹部が提言の方
─ 28 ─
向性を打ち出し「草案」を作成。
2 ) 同草案をベースとして10回に亘り調査
会役員(33名)による勉強(専門家や
防衛省内局・制服双方から意見聴取)
と議論を重ね「提言案」を作成。
3 ) 全党所属国会議員参加を呼びかけた 4
回に亘る総会において提言案に対する
議論を重ね、「最終提言案」を策定。
4 ) 同最終提言案に対する政調会長、幹事
長の了承を取得後、党の常任幹事会に
おいて「民主党の提言」として正式に
了承された。
今回の提言を策定するにあたっては、中川正
春調査会長の下、民主党きっての安全保障通で
の充実、世界的・地域的な多国間安全保障の枠
組み構築、自由で開かれた国際システムの維持
等に能動的に参画し、牽いては我が国の安全確
保と国益の最大化を目指すもの。
なお、最近の東アジア情勢、朝鮮半島情勢の
不安定性は、我が国の安全保障上極めて深刻な
懸念であり、日米同盟の機能性や実効性の向上
と日米韓の確固たる協力体制の構築が不可欠。
同時に、日米同盟は、我が国自らが自らを守る
という意思と覚悟と能力を備えてはじめて機能
することに十分配意し、過度な対米依存に陥ら
ぬよう我が国独自の取組みが一層求められる。
このような情勢認識および目的意識を持ちつ
つ、新たな『防衛計画の大綱』に対して、以下
の 6 課題に焦点を絞って提言する。
1.動的抑止力向上と南西方面への対処:量か
ら質へ
東シナ海等での中国海軍活動の活発化の一
方、南西方面の我が国防衛力は手薄である。こ
のため、冷戦型旧式装備が中心の、静的抑止力
による「基盤的防衛力構想」と決別し、「動的
抑止力」を充実させるべく、
① 統合幕僚監部の体制強化、
② 旧式装備の戦車や火砲の大幅な削減、
③ 南西方面における島嶼防衛に即応した機
動的防衛力の強化(装備の事前集積を含
む陸自展開のためのインフラ整備および
海空輸送力)、
④ 海空自衛隊の抑止力と警戒監視能力の強
化、
⑤ 日米の統合・共同作戦能力向上のための
共同作戦計画や共同訓練の拡充、
⑥ 米軍基地の日米共同使用の拡大と基地負
担の軽減、等を図る。
ある長島昭久前防衛大臣政務官が事務局長、私
が同代理、新政権の防衛政策立案の中心であっ
た榛葉前防衛副大臣、中東調査会で鳴らした大
野元裕参議院議員、経済産業省時代に防衛省に
出向した経験から武器輸出三原則問題など防衛
政策に詳しい三村和也衆議院議員を事務局次長
として「事務局幹部会」を構成し、方向性の打
出しと草案作成、議論の差配、最終提言の作成
と承認取得を行った。
字数の関係上、以下、外交安全保障調査会が
策定し、党の正式承認を得た「最終提言」の概
要(要約)を掲載する。
『防衛計画の大綱』見直しに関する提言(要約)
民主党・外交安全保障調査会
2.人的基盤:実効力ある精強な防衛力を構築
隊員の高齢化が部隊の精強性を損ないかねな
い現状の抜本的改革のため、
① 高齢化している自衛隊全体の若返り、
② 幹部・曹・士のバランス適正化、
③ 自衛官の一部職域(後方職種)の事務官・
技官への転換等による一段の効率化、
④ 政府・自治体、地域社会一体での再就職
環境の整備、
⑤ 陸海空自衛隊・統合幕僚監部への予算配
分や人員構成の見直しによる総合的防衛
力の強化、
等を図る。同時に、命をかけて国防に従事す
る自衛官の名誉や尊厳を考慮する。
今日の東アジアの安全保障環境は、冷戦終結
後の地域紛争や破綻国家・脆弱国家の生起、グ
ローバル化の進展、米国の力の相対的低下、新
興国台頭によるパワー・バランスの変化により
不確実かつ不安定な情勢。
政権交代後初めての『防衛計画の大綱』は、
憲法の平和主義や国際協調主義の理念を遵守し
つつ、情勢変化に対応した安全保障上の諸課題
への大胆な改革提言が求められる。
我が国の安全と平和を守るには、我が国自身
の努力、同盟国や友好国との協力、国際社会と
の協調により、周辺地域と国際社会全体の平和
と安定の増進が必要。そのため、これまでの受
動的な一国平和主義国家から、国際社会の安定
と繁栄に積極的に貢献する国家を目指し、新た
な安全保障戦略を構築すべき。
この新たな安全保障戦略は、外交・防衛・経
済・情報を一体とした総合安全保障の観点も踏
まえつつ、国際平和協力活動、
「人間の安全保障」
3.装備品の戦略的整備と武器輸出三原則の明
確化
「武器輸出三原則(佐藤政権時代)」以来の政
府答弁や官房長官談話の積み重ねによる「武器
輸出三原則等」の現政府見解は複雑かつ不明瞭
─ 29 ─
で、①国際協力活動に必要な重機を含む防衛装
備品の海外移転や巡視艇などの輸出を困難にさ
せ、②今や世界的潮流の装備品の国際共同開
発・生産に参画できず、防衛産業技術基盤を減
耗させ、高コスト調達を余儀なくさせる深刻な
事態を進行させている。
この現状打開のため、装備品調達コスト低減
努力の徹底と、国際共同開発・生産への参加を
提唱する。汎用品の海外移転と、三原則で禁止
される領域以外の武器輸出に関する厳格管理を
明確化する 3 つの基準を提案。
① 完成品の海外移転は、平和構築や人道目的
に限定する。
② 国際共同開発・生産の対象国は抑制的、国
際的武器輸出管理レジームを目安。
③ 共同開発・生産および海外移転相手先国と
の間で、秘密保持・第三国移転等に関し、紛争
助長と情報漏えいを防ぐ基準と体制の整備。
兵器が世界に存在する中、核兵器の脅威に対し
ては米国の抑止力に依存する。
上記提言は専門家から見れば当然の内容であ
るが、民主党に対する偏見を持った方々から見
ると意外性に満ちた内容であるかもしれない。
特に下線を引いた提言内容は、民主党を中道左
派政権と見ている方々にとっては違和感を覚え
るかもしれない。しかし、この内容が民主党の
正式な「防衛大綱への提言」として承認されて
いるのである。
国益直視の議論白熱
この民主党提言を踏まえた 7 回の防衛相、外
務相、財務相、官房長官の 4 大臣会合(北岡伸
一東大教授、長島昭久衆議院議員、吉良州司が
4.国際平和協力活動への積極的な取り組み
対米協力に力点を置いた参加姿勢を改め、国
連の活用、国益追求の視点を含めた「復興支援、
人道援助外交」としての国際平和協力活動に積
極的に取り組む。そのためには、国際標準と活
動現場の実情に即して、現行のPKO5原則を見
直す必要がある。現行 5 原則の内、停戦合意、
受け入れ同意、中立性の 3 原則については、脆
弱国家や破綻国家における原則適用は極めて難
しく、国連の要請等を以ってこれに代える必要
がある。
また、自衛隊による文民や他国要員の防護に
必要な武器使用、駆けつけ警護のあり方も見直
しが必要。このため、自衛隊派遣に関する文民
統制徹底の「国会事前承認」を原則として、国
際協力法を見直す。
事務局として参画)による徹底的な「防衛大綱」
論議は、マスコミ誘導世論とは異なる、素晴ら
しい議論と結論であった。安全保障こそ国家の
根幹であるという認識の下、現実的、建設的、
国益直視の意見、提言が各大臣から次々と発せ
られた。この発言内容全てをお伝えすればマス
コミ誘導による偏見を持たされている国民の民
主党を見る目も変わってくると思うが、機密保
持上残念ながらお伝えすることはできない。
外観だけお伝えすれば、新政権の初代防衛大
臣としての責任感、使命感、自衛隊と自衛官へ
の愛情に満ち溢れた北澤防衛相の発言、安全保
障の専門家として極めて建設的・専門的であっ
た前原外相提言、政府の財布を預かる立場と自
5.安全保障・危機管理における官邸機能の強
化およびインテリジェンス体制の充実:政治主
導の安全保障体制構築へ向けて
縦割り行政を超えた政治主導を実現し、外
交・防衛・経済・情報を一体とした総合安全保
障戦略を策定することは、我が国の安全と国益
の最大化の必須条件である。
そのために、既存情報関連機関に加え、官邸
首脳の意思決定を補佐する組織として、官邸に
国会議員を中心とする20名程度の専属スタッフ
からなる「国家安全保障室(仮称)」を創設し、
政治主導で安全保障・危機管理上の意思決定お
よび情報関連機関との連携強化を図る。
衛官の息子として自衛隊に対する温かい眼差し
を送る立場のバランスが抜群の野田財務相発言
など本当に充実した議論であった。また、「赤
い後藤田正晴」と言われ「暴力装置」と口走っ
てしまった仙谷由人前官房長官が、実際は、ど
れほど国防を重視しており、自衛官の名誉や尊
厳を守り士気を高める必要性について熱く語っ
ていたことか、現場にいた人間のみ知りうる「事
実」「真実」である。
このような経緯を経て策定された今次防衛大
綱は、新しい時代にふさわしい防衛方針が盛り
6.核軍縮・不拡散に関する取組
核軍縮の分野において、核兵器および運搬手
段の削減、核不拡散分野ではIAEAの強化を通じ
た拡散リスクの低減等に積極的に貢献し、北東
アジア地域の非核化を目指す。
一方、現実に核兵器をはじめとする大量破壊
込まれたものになったと思う。しかし、唯一残
念なのは、民主党提言が「国際共同開発・生産
への参加を提唱する」とまで踏み込んだ現行「武
器輸出三原則等」の見直し(佐藤政権時代への
原点回帰)につき、衆院の2/3確保も視野に入
─ 30 ─
れた野党協力を得るために大綱自体には明確に
だと思っている。
盛り込まれなかったことである。大綱の中では
これら議員に共通することは、西側陣営につ
「国際共同開発・生産に参加することで、装備
くという正しい判断の上、戦後復興と高度成長
品の高性能化を実現しつつ、コストの高騰に対
を通して我が国を世界有数の経済大国に押し上
応することが先進諸国で主流になっている。こ
げた最大の功労者は自民党とそれを支えた健全
のような大きな変化に対応するための方策につ
な保守層だったと認識する一方、過去の成功体
いて検討する」という後退した表現になってし
験が邪魔をして、少子高齢化やグローバル化と
まったのである。勿論、「検討する」は近い将
いう大きな環境変化に対応できない自民党には
来の実現に繋げるための表現である。しかし、
新しい時代の日本の舵取りを任せるわけにはい
国家の最重要使命である安全保障政策におい
かないと、民主党に身を投じて政権交代を目指
て、民主党内で纏めるのは厳しいと思われてい
したことである。
た「武器輸出三原則等の見直し」が堂々と打出
今次民主党の防衛大綱議論を主導したのはま
せたにも拘らず、安全保障観が全く異なる政党
さにこれらの新時代の議員達である。出身は官
への配慮が優先されたことには個人的に深い憂
僚、大手民間会社を中心に様々な社会経験を持
慮を禁じ得ない。国家の根幹である安全保障政
つ健全な保守系議員達である。現実直視、国益
策において安易な妥協はしないという断固決然
重視、時代の変化への迅速な対応を主張する
とした対応をすべきであった。
堂々たる議論が展開された。この健全な党内議
民主党の体質と目指す「政治主導」とは
我々が目指す「政治主導」である。野党から真
最後に、民主党の体質について説明してみた
の与党に生まれ変わる道程であったと思う。
い。
今現在の民主党政権は迷走を続けていると見
現在、小澤一郎元代表の問題が大きくクロー
られても仕方がない。真摯に反省し改めなけれ
論と結論、 4 大臣会合に至る一連の流れこそ、
ズアップされているが、政権交代の土台形成は
ばならない。しかし、マスコミが報道しない水
2003年の民由合併による一部保守層の民主党支
面下で、健全な若手保守系議員を中心に「あひ
持への転換という要素が大きい。それまでの民
るの水掻き」の如く、新時代に対応した政治主
主党は中道、または中道左派と見られていたが、
導が着々と進行している。
自由党という、いわば自民党を飛び出した自民
我々には志がある。潜在能力・顕在能力もあ
党改革派が合流したことにより、自民党に不満
ると思っている。しかし、政権運営の経験がな
を抱いていた(自民党の歴史的使命が終わった
い。「やりながら学習する」という試行錯誤が
と認識していた)一部保守層が、議員の人物次
許されない我が国の状況であることは承知して
第で民主党を支持し始めたのである。
いる。それでも、今次防衛大綱策定過程のよう
民主党を批判する多くの国民、就中「保守」
に、有識者・専門家の英知、官僚達の知恵と経
を自認する方々は、保守対革新という55年体制
験、そして(外交安全保障には民主党も自民党
の構図で民主党を捉えている。特に旧社会党の
もない、あるのは国の安全だけだと思っている
議員がいることをことさら誇張する。しかし、
が)、自民党の豊富な経験も学びながら、国の
現在の民主党議員の 7 割以上は2003年以降の当
根幹である安全保障のあるべき姿を論じ、実現
選であり、この 3 回当選以下の議員の多くは20
に向け邁進したい。
年前なら「自民党改革派」として保守政党に身
を投じたであろう議員達である。私もその 1 人
吉良州司(きらしゅうじ) 1958年(昭和33)年、大分県生れ。東京大学法学部卒。1980年日商岩井㈱入社、人事
部、電力プロジェクト部などを経て1995年∼2000年、日商岩井米国会社本社インフラ・プロジェクト部課長・部長。
帰国後退職し2003年、無所属で衆院選初当選(以後、 3 期連続小選挙区当選)。鳩山内閣にて外務大臣政務官。現
在、外務委員会理事、民主党政調・外務部門会議座長、外交安全保障調査会事務局長代理、新成長戦略実現本部
事務局長、成長戦略・経済対策PTインフラ海外展開小委員会委員長。著書に「選挙革命∼われらかく闘えり∼」
(文
芸社)。
─ 31 ─



 特別研究 

日本の核武装について
元農林水産省技官・農学博士 渡邉 巌
これまで日本では核についての議論はタブー
とされてきた。このため今回の原発事故にあ
たって、政府の対策が後手後手にまわるなど、
政治家を含む国民の原子力に対する無知がさら
けだされた。それでも以前にくらべると問題意
識が開放的になってきたように思える。例えば、
2 月15日付け産経新聞のアンケート調査では、
国民の約87%は核について少なくとも議論をす
べきだという意見であった。半歩前進といえる。
アンケートの結論は、「核を自らが保有しなく
ても、日米安保体制を堅持すれば大丈夫だ」と
いう意見のようだ。アメリカの核の傘が有効だ
と思っているらしい。「核の傘」とは言葉だけ
の存在であって、実態のないものであることに
気がついていないのが私たち日本人の大部分で
ある。この文章で私が提示したいのは、「日本
が真の意味での独立を達成するためには、外国
からの核の恫喝を受けない国であるべきであ
り、そのためには核武装をすることが必須であ
る」という主張である。
私も大好きな日本ではあるけれども、外交の
弱々しさだけは耐えられない。尖閣問題、北方
領土問題、竹島問題、拉致問題、シー・シェパー
ドの問題などなどである。外交力を支えるもの
は決して軍事力だけではないが、軍事力がその
太宗を占めることは否定し難い。
1.外交における 2 つの考え方
外交には 2 つの考え方がある。 1 つは理想を
求めて祈る平和主義であり、いま 1 つは勢力の
均衡により平和を達成しようとする行動派・現
実派の平和主義である。前者は理想主義者で
あったアメリカのウイルソン大統領にちなんで
ウイルソン主義ともいう。理想を求める姿勢は
人間として好感が持たれ、リベラル派がこの主
義を信奉する場合が多い。具体的には国際法の
強化を図るなど、国際機関の働きに期待すると
ころが大きい。現在の国際連合も次第に強化さ
─ 32 ─
れてきてはいるが、安全保障理事会のメンバー
国が拒否権をもち、国益を主張し続けるために
効果的な行動がとれないでいる。ポルポトによ
るカンボジア人大虐殺、中国によるチベット人
虐殺、イスラエルによるパレスチナ・レバノン
人虐殺、アフリカ民族間紛争など、国連は世界
の不正に対して殆ど無力であった。現在軍備拡
張を続ける中国に対して、国際協調と国際法遵
守を叫んでも無駄である。要するに祈る平和主
義には期待が持てない。毎年広島と長崎で行わ
れる原爆記念日に祈りを捧げることに、核廃絶
促進効果があるとも思えない。
2.核廃絶運動
2009年 4 月、オバマ大統領はチェコのプラハ
で核廃絶運動を提唱した。世界の人々が大喜び
をしたお陰で、大統領はノーベル平和賞を受賞
した。しかし、プラハでの演説の内容を見ると
核廃絶への夢を述べたにすぎず、廃絶は多分自
分が生きている間には達成できず、しかも核兵
器が存在する限りこれの使用を抑止するために
自分達は核を維持し続けるという決意も述べて
いる。この演説の主な目的は「核廃絶」ではな
く、「核拡散防止」であることがわかる。アメ
リカにとって、イランやテロリストが核兵器を
手にしたら大変なことになるという話が中心で
あった。
核を持つ国が核不拡散を主張するのは、自分
達の相対的有利性が低下するのは困ると言って
いるわけで、この立派な主張は実は極めて冷
酷・身勝手・不道徳な主張に思える。安保理の
超大国がこぞって核兵器を持ち、核放棄の可能
性はない。国際政治の論理の倫理性は常にこの
程度のものであり全く頼りにならない。少なく
とも核の廃絶は不可能であることをしっかりと
認識して、初めて正しい議論のスタートに立つ
ことが出来る。
3.核兵器の特殊性
核兵器の特殊性は中国が核兵器開発に踏み
切った動機を振り返るとよくわかる。
1 )現在の国際社会で自主的な核抑止力を持た
ない国は真の独立国ではあり得ない。
2 )核の傘という概念は不道徳な欺瞞である。
他国のために自国の国民を犠牲にできるは
ずはない。ソ連が中国に核の傘を提供する
というのは覇権主義が使うトリックである。
3 )その効果を考えると核兵器は安価であり、
100億ドルの投資で米ソからの先制攻撃を
防止できる。
4 )国際社会で真に発言権を持つのは核武装国
だけである。
このような中国の論理は決して中国の特異的
な論理ではなく、例えばイギリスのサッチャー
首相は核抑止力の合理性を次のように要約して
いる。
1 )1947−91年の間の冷戦期に米ソ間で軍事衝
突が無かったのは桁違いに大きい核兵器の
戦争抑止力による。
2 )戦争抑止力が最大の兵器は核兵器である。
経費と効果の比較においても核兵器より優
れるものはない。イギリスの軍事予算は中
型国家であり、核兵器に依存するのが最も
合理的である。
3 )イギリスが常に最新型の核抑止力を持たな
ければ、国際社会で独立した発言力を失う。
門誌「フォーリン・ポリシー」編集長のビル・
メインズが公言するように、日本に自主的な核
抑止力を持たせないこと、即ち、国家として自
立出来ない状態にしておくことがアメリカの戦
後から今に至る対日政策の基本中の基本である
ことを、日本ははっきりと自覚する必要がある。
5.ミサイル防御システム(MD)は無効
である
核弾頭を搭載して侵入するミサイルを、着弾
前に全てを確実に撃ち落とすことができるミサ
イル防御システム(MD)があれば、核兵器を
持つ必要はない。実際アメリカ連邦下院・外交
委員会のファレオ・マバエガ氏は「日本はアメ
リカの核の傘とMDシステムで守られているか
ら心配はない」という。しかし、この説明くら
い欺瞞に満ちた発言はない。複数の弾道ミサイ
ルや巡航ミサイルを同時に使用すれば全てを迎
撃することは不可能である。まして中国が既に
開発済みの多弾頭ミサイルにおいては、 1 つの
ミサイルが目的地近くで10発程度に分散するた
め、迎撃は益々不可能になる。或いは迎撃対象
を増やす目的で核を持たないおとり(Decoy)
を混ぜることもできる。更には 1 発目の核弾頭
を相手近くの上空で故意に爆発させれば磁界は
混乱してMDによる追跡が不能になる。
6.日米安保の重要性とその限界
本稿の執筆にあたり、アメリカに頼りきると
足をすくわれる可能性があることを何度か指摘
してきた。アメリカに限らず、いづれの国も先
ず自国最優先の方針をとるのは自明の理である
からだ。例えば、アメリカが中国との関係を最
優先するようになることもあり得る。日米安保
も日本にとり限りなく重要ではあるが頼りにし
過ぎてはいけない。この真理は親日的なアメリ
カ人が私たちのためにたびたび言及してくれて
いることであり、肝に銘じておきたい。自分の
国は自分で守る。憲法の諸言の第 1 行目に置き
たい言葉である。
4.他国を守るための「核の傘」は存在し
ない
米国は日本に「核の傘」を提供するから、日
本自らが核を持つ必要はないと言うが、日本を
核恫喝しようとする国は、他国のために自国の
国民を核の危険にさらすことを了解する国は実
際にはあり得ないということを良く知ってい
る。このため、自主的な核抑止力を持たない国
が、集団的自衛権の取り決めにより他国が守っ
てくれるはずだと思うのは楽観的な気休めにす
ぎない。これは核兵器の特殊性に由るものであ
り、この点では欧米の軍事学者と国際政治学者
の間で意見が一致している。アメリカの外交専
渡邉 巌(わたなべいわお) 1938(昭和13)年、東京生れ。東京大学農学部卒、農学博士。農水省技官として、
日本の農業研究所と国際熱帯農業研究所(ナイジェリア)、食糧・肥料技術中心(台湾)などの国際機関において
発展途上国のための研究支援と技術情報の普及活動を行う。日本熱帯農業学会賞受賞、著書に『要約のとき─半
世紀を振り返る─』(文芸社)がある。
─ 33 ─
地域研究 アフガニスタン
アフガニスタンは再び
転機を迎えている
元アフガニスタン支援担当大使
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
美根慶樹
日本の貢献と未だ続く政情不安
米国など多国籍軍がアフガニスタンへの進攻
(法的には「自衛権の行使」)を開始してから今
年の秋で満10年となる。この期間を大きく前半
と後半に二分すると、前半では、国際社会の協
力が次々に成果を上げていった。タリバーン政
権が多国籍軍による攻撃の翌月にあっけなく崩
壊したこと、その直後にボンで開催された国際
会議で新政権としての安全の回復と復興が始
まったこと、2004年に新憲法が公布され国家体
制が確立されたことなどである。この間、日本
は諸軍閥の武装解除(DDR)を担当して成功し、
また、復興・開発のために国際会議を開催する
と共にみずから巨額の援助を提供した。
しかし後半においては、政府から追われ山岳
地帯へ逃れて武装闘争を展開していたタリバー
ンが反攻に転じ、これへの対応に多国籍軍(以
後自衛権の行使を行う部隊とアフガニスタンの
安定化支援のためのISAFを区別する)が苦慮
する場面が多くなり、また、最近は一般住民の
中でも外国兵に対し敵対感情を抱く者が増加し
てきた。
私は2007年の初頭、首都カブールを訪れた。
ちょうど前半から後半への端境期であったの
で、カブールで会う人ごとにタリバーンとの戦
いの見通しを尋ねたが、特に印象的であったの
はISAF司令官(英人)と在アフガニスタン米
大使の説明であった。
ISAF司令官は、タリバーンの抵抗は執拗に
続いているが、活動が再開する春以降(真冬は
寒すぎて行動できない)ISAFとして全力でそ
の鎮圧に当たる方針であり、兵力を増強すれば
戦いに勝てると、力強く語っていた。ISAFの
司令官としての立場から出た発言であったこと
を斟酌して聞く必要はあるが、かなり楽観的な
見通しであったことは間違いない。
一方、米国の大使は、アフガニスタン派遣米
─ 34 ─
軍司令官の観測であるとしつつ、状況はかなり
深刻であり、膠着状態が長期化する可能性は排
除できないと、違ったトーンであった。このよ
うなことを言っていたのはこの人だけであった
が、私は、ひょっとすると実際の状況はもっと
悪いのかなと思ったことを覚えている。
カブールから帰国して以来、タリバーンとの
戦いがどのように展開していくか、強い関心を
持って情勢をフォローしてみたが、春になって
も事態は好転しなかった。翌年になると状況の
悪化が目立つようになり、カブール市内も危険
になってきた。最高級のセレナ・ホテル(と言っ
ても外国人が泊まれるのはそれくらいしかない
のであるが)は、私が宿泊したときは平穏であっ
たが、約 1 年後ノルウェーの外相一行が滞在中
には自爆テロの攻撃を受け、死者も数人出た。
更にその翌年にはこのホテルがロケット弾の直
撃を受けたのだ。
米国のアフガニスタン政策
2009年 2 月、米国ではオバマ新大統領が就任
したが、そのときは既にアフガニスタン問題が
最大の軍事外交案件になっていた。イラクにつ
いては、オバマ大統領は就任直後に14.2万人の
米軍兵士を2010年 8 月末までに撤退させると発
表し、これはほぼこのとおり実行され大問題の
1 つが片付いた。
アフガニスタンについては2009年11月、逆に
3 万人の兵士を 1 年ないし 1 年半の間に増派す
ると発表した。これが実現するとアフガニスタ
ン派遣の米兵の数は約10万人となるが、オバマ
大統領は増派と共に撤兵についても方針を明ら
かにし、本年の 7 月から開始すると言っている。
つまり、この増派は最終的にアフガニスタンか
ら米軍を撤退させるために必要なこと、「出口
戦略」ということである。
一方、警察の強化(実質的には創設に近い)
は復興の主要な柱の 1 つとして、日本も含め各
国が重点的に協力してきた結果、現在警察官の
数は約 9 万人に達しており、今後更に16万人ま
で増強される予定である。しかし、急ごしらえ
であったため警察官の質は低く、麻薬使用、逃
亡などが後を絶たない。中でも問題なのは汚職
がはびこっていることである。装備も粗末であ
り、ユニフォームやヘルメットなども十分に支
給されていないそうだ。
このような警察ではタリバーンのテロ攻撃に
対処することは困難だというのが大方の見方で
あろうが、米国はイラクで4200人以上もの若者
を失い、アフガニスタンでも既に1500人近い犠
牲者を出しているため世論は嫌気がさしてお
り、撤兵は不可避なのであろう。
感情的な反発が起こり、例えば、彼らは「無駄
死にした」と思う人が出てきても不思議ではな
い。実際にもそのようなことはある程度起こっ
ているが、国家としてはそのような感情に流さ
れず冷静に対応できるようである。米国は専制
国家でなく世界でもっとも民主的な国の 1 つで
あり、政府に反対する意見も強烈であるが、こ
のように冷静に振舞えるのはすごいことである
と思う。
今後のアフガニスタン─国際協力は
戦略に欠かせない真実の追究
私は軍事には素人であるが、このような状況
を前にしていくつか思うことがある。
第 1 に、戦争の実情は分かりにくいというこ
とである。戦場がどのような状況にあるのか
知っているのはそこで戦っている人とそこから
正確な報告を受けている人だけであり、一般人
は軍や政府の説明を聞くしかないが、それを聞
いても本当のことはよく分からない。このこと
は昔から存在している問題であるが、現在の世
界でも本質的には変わっていないわけであり、
我々一般人としては関連の状況などを考え合わ
せて自分で判断する他ない。
第 2 に、米軍ではほんとうの状況をかなり正
確に把握し、また現実的な見通しも持っていた
と思われる。ISAFの側でも情勢認識を共有し
ていたはずであるが説明が異なっていたのは司
令官の個人的性格によることであったのか、あ
るいは米軍の認識を語ってくれた人が私と同じ
外交官だったためか、はたまた、いずれでもな
い別の理由によるものか、真相は分からない。
第 3 に、米国はアフガニスタンでの戦いの目
的を達成できないまま、方針を変更して駐留軍
を撤退することにしたのであり、そうなると、
多数の米兵が犠牲になったことについて国内で
アフガニスタンはこれからどうなっていくの
か。また、国際社会の協力はどうあるべきか。
米軍が撤退し、またそれに続いてNATO軍が撤
退すれば、弱体でガバナビリティに問題がある
カルザイ政権が穴を埋められるか、大きな混乱
が発生するのではないか、懸念される。しかし、
アフガニスタンが以前よりかなり回復している
のは事実であり、悲観論一色で見ていくのは妥
当ではない。現地人によって打ち立てられた新
政権が自立し、国際社会と協調していける道を
拓いていくことはベトナムなどにも例がある。
国際社会としては今後これまで以上に民生支
援を重視していくことになり、それを円滑に実
施していくために必要なアフガニスタン警察の
一層の強化を含め、アフガニスタン政府と共同
で可能な協力を探求していかなければならな
い。日本は2009年に 5 年間で50億ドルの支援を
表明しており、その実行は決して容易なことで
はないが、民生支援を重視してきたこれまでの
経験を活かして有意義な協力を実現していくこ
とを期待したい。
米国の言論にはアフガニスタン分割論、つま
り、タリバーンの支配地域と政府のコントロー
ル下にある地域を分けて別々に統治する案さえ
出てきている。これは極端な議論であるが、
フォーリン・アフェアーズ誌にも掲載されてい
るのを見ると、あながち非現実的な考えではな
くなってきているのかもしれない。アフガニス
タンの状況は民主的政権樹立から10年を経て再
び大きく変わろうとしているようである。
美根慶樹(みねよしき) 1943(昭和18)年、兵庫県生れ。68年、東京大学法学部卒。外務省入省。72年ハーバー
ド大学にて修士号。在ユーゴスラビア特命全権大使・地球環境問題担当大使・軍縮代表部特命全権大使・アフガ
ニスタン支援調整担当大使・日朝国交正常化交渉政府代表等を歴任。現在、キヤノングローバル戦略研究所研究
主幹。東大非常勤講師・早大アジア研究機構客員教授も兼ねる。著書に『スイス 歴史が生んだ異色の憲法』(ミ
ネルヴァ書房)、
『国連と軍縮』(国際書院)、
「東アジアの安全保障と米新政権」林華生等編『日中印の真価を問う』
(白帝社)等多数。また、論文では「スイスの核武装問題」『新防衛論集』第27巻 3 号、「「政教分離」表現使用の
是非について」『青森法政論叢』第11号等が高く評価されている。
─ 35 ─
地域研究 ベトナム
ベトナムと「北の隣国」
前駐ベトナム大使
イラク復興支援等調整担当大使
坂場三男
北をにらむ将軍
世紀までの約 1 千年間に亘って支配下に置か
ハノイの春は極めて短い。 3 月に晩冬と初夏
れ、独立後も中国の歴代王朝が大規模な侵攻を
の気候が交錯するような感じである。 4 月に入
繰り返したことから、ベトナムはこれを撃退す
ると中旬には気温が30度を超え、本格的な夏が
るために国力を傾けるほどの艱難辛苦を味わっ
始まる。この「短い春」の間は曇天の日が多く、
て来た。先に述べたチャン・フン・ダオ将軍は、
霧のような細雨が降る日もある。大気はいつも
13世紀の後半、 3 次に亘る元軍の猛攻に耐え、
霞んでおり、その霞の先に巨大な武人の立像が
遂にはこれを打ち負かしたベトナム史上最大の
浮かぶ。チャン・フン・ダオ将軍である。
英雄である。「脅威は北から来る」というのが
この光景は、ベトナム北部の地方都市でも中
ベトナム人が 2 千年の歴史から学んだ教訓に違
央広場に足を運べば良く見かける。立像の主は
いない。
ところによって別の人物になるが、これらの武
人は決まって北の方角をにらんでいる。それぞ
暗雲漂う南シナ海
れ、何百年も前に、中国と戦って勝利を収めた
南シナ海は今や国際海運の主要航路である。
英雄たちである。
日々、何百という大型船舶(大半が日本の海運
会社に所属)が航行している。平和で安全な海
であって欲しいとは誰もが願うことだが、しか
し現実は厳しい。南シナ海という広大な海域に
は実に大小様々な島、岩礁があり、これらの領
有権をめぐって周辺国による争いが絶えない。
南シナ海の中でも最南端に位置するスプラト
リー諸島(中国名:南沙諸島)は100以上の島々
から成り、ベトナム、中国・台湾、フィリピン、
マレーシアなどによる領有権の主張が複雑に入
中国国境に近いライチャウの風景
り組んでいるため、解決困難な「係争海域」と
ベトナムの歴史は中国との戦いの歴史と言っ
化している。中越間では1988年に武力衝突が発
ても過言ではない。紀元前 1 世紀から紀元後10
生し、ベトナム水兵70人が死亡しており、現在
─ 36 ─
でも中国警備艇によるベトナム漁民の拿捕事件
多勢に無勢で孤立化しかねないことを懸念した
が後を絶たず、ベトナム側官民の神経を逆なで
のかも知れない。
している。
昨年、更にもう 1 つ注目される動きがあった。
海底油田の開発を巡っても緊張関係にある。
ベトナム海軍と米太平洋艦隊との「接触」の拡
南シナ海の北西海域に位置するパラセル諸島
大である。親善訪問や海難救助に向けた共同訓
(中国名:西沙諸島)はベトナム戦争末期の
練(つまり「合同軍事演習」ではない)という
1974年に中国軍が完全占領して今日に至ってい
ことになっているが、米国の艦船がベトナム沖
る。ベトナム(及び台湾)が領有権を主張し続
合に頻繁に姿を見せ始めている事実は、中国に
けているが、中国による実効支配が固定化しつ
とって気になることではあろう。
つある。
尚、余談になるが、これら南シナ海の島々を
日本が領有していた時期がある。1939年、大日
本帝国は台湾総督府令をもって南シナ海の島々
(新南群島)を高雄市に編入して帝国領土とし
た。この状態は形式上1951年まで続き、サンフ
ランシスコ平和条約で放棄したことになってい
る。今では、このことを知る人は少ない。
ズン首相と会見
マルチ外交という「切り札」
南シナ海における権益を「核心的利益」とま
で主張し始めた中国の巨大な軍事力を前に、ベ
2 千kmに及ぶ陸の国境線
トナムなど「弱小国」が取り得る対抗手段は「問
中越間の陸の国境線は長年に亘り確定するこ
題のマルチ化」である。
とがなく常に紛争の種になって来たが、昨年 1
1 つは、関係するASEAN諸国と連帯して「数
月に至りこれが最終確定した。現在、 1 kmご
の力」で中国と向き合うこと。もう 1 つは「安
とに国境標識を敷設する作業が行われている筈
全航行」の問題に関心を有する米国や日本など
である。
と共に「国際場裡で」中国と議論することであ
両国の陸の国境地帯を地図で見ると山あり谷
る。
あり、また大小の河川もあって「線引き」はさ
実際、ベトナムは昨年 7 月に議長国として
ぞや難しかったであろうと推察される。また、
ASEAN地域フォーラム(ARF)を主催した折に、
国境線の所在の根拠として援用可能な文書も限
南シナ海問題を取り上げ、中国の動きを牽制し
られていたようである。ベトナム側が根拠とし
た。「領有権問題は優れて 2 国間の問題である」
たのは19世紀にフランスが清朝と交わした文
と主張する中国は、こうした「マルチ化」の動
書。他方、中国側からは国境線を太い毛筆で書
きに一時的に強く反撥したものの、その後は沈
いた古地図が示された由で、ベトナム側交渉者
黙を守っている。強硬な態度に出れば出るほど
は「線の幅だけで100km近くになる代物」と苦
─ 37 ─
笑していた。ともあれ陸の国境線が確定したこ
今日のカンボジアとの国境線を「作った」人物
とは歓迎されるが、国境が河川の中央線とされ
として歴史的評価を受けている。町中にはマッ
た東部国境の一部には火種が残る。沿岸住民の
ク家の廟も残っているが、1979年の中越戦争の
河川利用のルールが難しいからである。
際には廟の取り壊しが真剣に議論されたと言
う。当のマック・クーの石像が建てられたのは
3 年前。これが何の目的で今頃になって建てら
れたのかは誰からも聞き出せなかった。不思議
なことである。
急速に深化する経済関係
他方、中越関係を経済面から見ると近年の急
速な発展ぶりに驚く。中国は今やベトナムに
とって最大の貿易パートナーであり、中国から
中北部地域を歴訪する
の直接投資も徐々に増えつつある。昨年のベト
国境線の話で 1 つ想い出した。ベトナム最南
ナム側貿易実績では、対中貿易は往復で250億
西端、カンボジア国境に面したところにハーテ
ドルを超え、日本との160億ドルを大幅に上回っ
イエンという町がある。この町の入り口に真新
ている。問題は中越貿易が専ら中国からベトナ
しい巨大な石像が立っている。
ムに輸出するだけの「片貿易」になっているこ
とである。ベトナムはここ数年、年ごとに100
∼120億ドルの対外貿易赤字を記録しているが、
この額は中国 1 ヵ国との貿易赤字額にほぼ匹敵
する。両国の国境地域で大規模に行われている
密貿易の実情を考慮すれば赤字額は更に大きな
ものになっている筈である。
2010年に限って言えば、中・ASEAN自由貿
易協定(同年 1 月発効)の効果もあってベトナ
ムから中国への貿易が50%近い増加を示したよ
うだが、「片貿易」の状況には変わりがない。
興味深いのは投資分野における台湾との関係
マック像前に立つ
である。昨年末時点におけるベトナムへの外国
投資累積認可額では台湾が韓国や日本を上回っ
この人物はマック・クー(莫九)という華人
て最大の投資国になっている。投資件数で2146
であり、ベトナム全土で唯 1 人、公開の場に立
件、累積額で228億ドルに上る。「敵の敵は味方」
つ華人像の由である。彼は明朝の遺民の子孫で、
ではあるまいが、台湾にとってベトナムは安心
18世紀前半に地域一帯のクメール人を征伐し、
して投資出来る魅力的な国になっているのであ
─ 38 ─
ベトナム輸出入統計
国別・輸入統計
国別・輸出統計
2010/8/26
2010/8/26
単位:100万ドル、%
2008
単位:100万ドル、%
2009
2009
金額
金額
金額
金額
中国
15,652
16,441
23.5
5
米国
11,869
11,356
日本
8,241
7,468
10.7
△ 9.4
日本
8,538
6,292
11 △ 26.3
韓国
7,066
6,976
10
△ 1.3
中国
4,536
4,909
8.6
台湾
8,363
6,253
8.9 △ 25.2
豪
4,225
2,277
4 △ 46.1
タイ
4,906
4,514
6.5
シンガポール
2,660
2,076
3.6 △ 22.0
シンガポール
9,393
4,248
6.1 △ 54.8
韓国
1,784
2,065
3.6
15.8
米国
2,635
3,009
4.3
ドイツ
2,073
1,885
3.3
△ 9.1
ドイツ
1,480
1,587
2.3
7.2
英国
1,581
1,329
2.3 △ 15.9
ロシア
970
1,415
2
45.9
タイ
80,714
69,949
合計(CIF)
比率 伸び率
2008
△ 8.0
14.2
100 △ 13.3
合計(FOB)
比率 伸び率
19.9
△ 4.3
8.2
1,349
1,266
2.2
△ 6.2
62,685
57,096
100
△ 8.9
る。しかし、近年に至り、ボーキサイトなどの
ベトナムは親日的な国であり、両国間に「戦略
資源分野を中心に中国によるベトナム投資の動
的パートナーシップ」の関係も構築されている。
きが加速されつつある事実に注目したい。ベト
ナム人には中国からの投資を警戒する心理が強
いと言われて久しいが、果たして今後はどうな
るのか。中越関係の将来を占う意味でも注視し
ておく価値がある。
日本の安全保障とベトナム
日越間の安全保障対話は始まったばかりだ。
両国の外務省と防衛省の次官ないし局長級以上
フック計画投資大臣から勲記を授与される
が合同で会議する形になっている。日本の防衛
省とベトナムの国防省の幹部レベルの交流も活
東アジアの安全保障を語るのにベトナムほど
性化されつつある。昨年 6 月には海上自衛隊と
良いパートナーはいない。この関係を大事にし
米国太平洋艦隊の病院船がベトナム中部のクイ
たい。 (了)
ニョンで合同の医療支援・親善活動を行った。
坂場三男(さかばみつお) 1949(昭和24)年、茨城県生れ。1973年横浜市立大学文理学部文科卒。同年外務省入
省、フランス、ベルギー、インド、エジプト、米国(シカゴ)等に勤務。外務本省において総括審議官、中南米
局長、外務報道官を歴任した後、2008年から2010年まで駐ベトナム大使。現在はイラク復興支援等調整担当大使。
新聞・雑誌等にインタビュー記事、論文多数。昨年11月に日本記者クラブで行った講演「東アジアにおける日越
戦略的パートナーシップの意義」の映像・講演記録がユー・チューブにアップされている。
─ 39 ─
地域研究 リビア
アラブを席巻する革命伝染病
東京財団上級研究員兼
笹川平和財団アドバイザー
佐々木良昭
中東・リビアに吹き荒れる政変の嵐
いま猛烈な革命の嵐が、アラブ全体を包んで
いる。アラブの人たちはこれを津波と表現し、
私は急性伝染病、と友人たちに説明している。
チュニジアとエジプトで大衆蜂起が起こり、
結果は大衆による革命とされ、チュニジアのベ
ン・アリ大統領は国外逃亡し、エジプトのム
バーラク大統領はシナイ半島の別荘に逃げ込んだ。
さて、この 2 つの革命に挟まれているリビア
でも大衆蜂起が起こり、カダフィ大佐も間もな
く権力の座から追われることになりそうだ。何
と言っても、米を中心に英、仏、印といった国々
が、カダフィ体制打倒に本腰を入れ始めたこと
が、結論を早引かせるかもしれない。
いまリビアでは、流血と虐殺の継続する、断
末魔の様相を呈しているのだろう。カダフィ大
佐の最終戦争が始まっているのだ。今やトリポ
リ市だけがカダフィ大佐の手中にあり、他の地
域は、ほぼ反カダフィ派の手に落ちたようだ。
これは、200万人のトリポリ市民が、人質に
なっているのと同じことだ。少しでも反対の言
動をすれば、たちどころに銃殺される。このこ
とは、リビアで最後の戦いに入ったカダフィ大
佐とその一派を打倒するためには、より一層の
犠牲が生まれる、ということだ。それを出来る
だけ少なく留めるためには、外部から軍隊が
入って、カダフィ派を打倒するしかないだろう。
リビアを巡る各国の思惑とリビアの将来
既に国連では軍事力の行使をも含む飛行禁止
区域の設定が決められ、英、米、仏は、リビア
への派兵を実行できるよう詰めの検討をしてい
る。しかし、米や英がリビアに派兵するという
ことは、これまでのリビアの大衆の犠牲を全く
違うものに色付けしてしまうだろう。
カダフィ大佐が語ったように、この大衆蜂起
が外国の陰謀であり、米、英がリビアの石油を
狙って仕掛けたものだと、後に語られる可能性
─ 40 ─
がある。それを避けるためには、アラブが英、米、
仏と一緒にリビアに軍を派遣することであろ
う。しかし、アラブ各国は自国問題で手一杯で
あり、派兵するには時間がかかってしまおう。
結局、リビア人自身がカダフィ体制を打倒す
る為の闘いを自身の力で継続せざるを得まい。
そうでなければ、カダフィ体制を甘んじて受け
入れ続けるしかなかろう。
そして大きな犠牲を払ったその後に、リビア
国民は、大衆の蜂起によって行われた革命、そ
の結果勝ち得た共和国を樹立すべきである。
諸外国は軍事介入をすることによって、リビ
ア人が払ってきた犠牲を帳消しにすべきではな
い。リビア国民は自身の手で結論を出すことを
望んでいるのだから。しかし、それはあくまで
も希望的観測かもしれない。
現状をうがった見方をすれば、アメリカはリ
ビア人同士が好きなだけ殺しあい、自分たちで
は何もできない、という結論に到達した段階で、
白馬に乗った王子のように、現れるのかもしれ
ない。
リビアとはどんな国なのか
さてそれでは何故、リビアで今回のような動
きが起こったのであろうか。リビアは、日量
170万バーレル程の石油を産出し、その収入は
多い。しかも、カダフィ大佐はジャマヒリヤ(直
接民主主義)というユニークな統治システムを
実行してきたために、国民は十分に最低生活を
保障されてきていた。つまり、チュニジアやエ
ジプトで起こったような、貧困が理由での革命
は、あり得なかったのだ。
しかし、その豊かなリビアの統治体制にも大
きな落とし穴が開いていた。それはカダフィ大
佐と家族の横暴さであった。カダフィ大佐は
ジャマヒリヤ方式で、国民に全ての権限を任せ
た形になってはいたが、実質は彼の指導に基づ
いて、あらゆる決定がなされていた。
その結果として、彼の息子たちは好き放題な
言動を繰り返してきていた。例外は長男ムハン
マドで、彼は政治に顔をあまり出さず、もう 1
人のサイフルイスラームは、何とかリビアと西
側諸国とのギャップを埋めようとしていた。
リビアの特徴は、リビアには 2 つの首都が
あったということだ。第 2 次世界大戦の結果イ
タリアが敗北し、リビアが独立国となった段階
で、リビアの国王はリビアの部族や歴史を考慮
し、東西双方に首都を置くことを決めたのだ。
西のトリポリタニア地方はローマ色が強く、
東のキレナイカ地方はギリシャ色が強かったの
であろう。異なった歴史的遺跡が証明するよう
に、 2 つの地域を代表するトリポリとベンガジ
が首都に指定されていたのだ。
トリポリタニア地方は感情が激しく、好戦的
だと言えるかもしれない。それに対し、ギリシャ
の影響がかすかに残るキレナイカ地方の人たち
は、宗教的であり、もの静かだ。
しかしカダフィ中尉(当時)がクーデターで
イドリス王朝を倒し、首都を 1 つにしてリビア
を現代国家に塗り替えようとした。
トリポリを首都と定め、インフラの整備が進
み、ホテルが乱立し、瀟洒なアパート群が建設
された。しかし、ベンガジは放置される形になっ
て行った。そうした東西格差が次第に東側の地
域に不満を蓄積していったのであろう。
キレナイカ地方はイドリス国王の時代には、
サヌーシー運動なる宗教運動が活発な地域だっ
た。モスク(イスラム寺院)と学校と農地が一
体となったイスラム学校があちこちにあったの
だ。それが今日の、反カダフィ運動の下地になっ
ているのかもしれない。
リビアにはトリポリタニアとキレナイカ以外
に、南部地域のフェッザーン地方が存在する。
そこはまた全く異なる部族と文化を有している。
リビアは水が少ないことから、各集団は水の
湧く地域にかたまって生活し始めた。それが部
族集団となり、強固な結びつきを生み出して
いった。こうした複雑な構成から成るリビアを
統治することは、容易なことではない。
知的レベルでも大きな差異が存在していた。
ある者は欧米と比肩しても互角であるが、それ
以外の多くは無知に近かった。何故なら、カダ
フィ大佐へのクーデターの前に一般のリビア人
の間に存在したのは、宗教の学問だけだったか
らだ。地域、部族、歴史、教育レベル等の違い
が、実はリビアを構成する複雑な要素になって
いたのだ。それをまとめていくためには、強権
を持ってするか、完全な自由放任で行くしかあ
るまい。カダフィ大佐が考案したジャマヒリヤ
方式はその折衷案であったのかもしれない。
予断を許さないリビア情勢
しかし、その折衷案は、道半ばにして終ろう
としている。
カダフィ大佐による夢が、いま潰えようとし
ている最大の原因は、アメリカ経済の破綻にあ
るのかもしれない。アメリカが自国の経済を立
て直すために、諸外国の資源や富を独占するこ
とを目論んでいるのかもしれない。
そのアメリカの野望を実現する最高の武器
は、ミサイルでも核兵器でもない。片手に納ま
る携帯電話、つまりモバイルなのだ。新たな通
信手段が大衆の心を煽り、頑迷な体制を悪質な
伝染病のように次々と崩壊させていっている。
その攻撃の対象には、チュニジア、エジプト、
リビアに加え、イエメンやシリアといった共和
国群が、そしてヨルダンやバハレーン、オマー
ンといった王国が、更にその先にはサウジアラ
ビアも含まれているのではないか。
国連安保理が飛行禁止区域設置を決議した結
果、カダフィ大佐はリビア東部に対して猛烈な
巻き返しを図っていたが、さすがに米、英、仏
の攻撃を恐れたのであろうか、突然停戦を発表
した。
しかし、その停戦も実施されていないという
情報があり、米、英、仏は飛行禁止が実効的な
ものになるために、リビア国内のレーダー・サ
イトや空軍基地、その他の重要拠点に対する空
爆攻撃の準備を進めている。
この原稿が読者の目に触れるころには、リビ
アに対する空爆から、次の段階の地上軍派遣の
段階に突入しているかもしれない。あるいは、
カダフィ体制が既に、打倒されているかもしれ
ない。事態は急速に進んでいる。
佐々木良昭(ささきよしあき) 1947(昭和22)年、岩手県生れ。1970年、拓殖大学商学部卒。1974年、リビア大
学神学部修了。1997年埼玉大学大学院経済科学研究科修了、経済学修士号取得。1974年アラブデータセンター、
ベイルート駐在代表。1978年在日リビア大使館。1980年拓殖大学海外事情研究所研究員。1993年同教授。2002年
東京財団シニアリサーチフェロー。著書に『誰も書けなかった中東アラブ』
(経林書房)
『アラブの発想日本の発想』
(アスカ出版)
『リビアがわかる本』
(KKダイナミックス)
『日本人が知らなかったイスラム教(青春出版)』
『ジハー
ドとテロリズム』(PHP研究所)など多数。
─ 41 ─
講 座
大学生に教える
安全保障と軍事
(その1)
評議員・東洋学園大学客員教授 冨澤 暉
1.はじめに
人間(個人)は誰でも、他人から支配される
ことを好まず、
「独立」して「自由」に、自ら「発
展」することを望む。しかし、そういう人ばか
りが集まり競争社会をつくると、必ず争いが起
きて互いに不幸なことになる。そこで人間は、
その形作る社会に、適切な「秩序」(「法律」「規
則」「道徳」等)をつくり、その範囲内で争い
の少ない「平和」な生活を営もうとする。
この「秩序」を支えるものとして、①社会構
成員を納得させる「秩序」の論理と権威、②社
会構成員に「秩序」を強制する「力」の 2 つが
必要である。
①の「秩序」の論理と権威には各社会(国家)
の歴史・文化に根ざしたものがあり、一般に西
欧発の形式をとりながらも、各地方・各国家に
より実は千差万別である。
②の「力」を通常「公権力」というが、この
公権力は強くなりすぎると社会構成員たる個人
の「自由・独立」を制限し束縛するものとなり
易い。それ故、「各国内の秩序・平和」と「個
人の自由・独立・発展」とは二律背反の関係に
あり、定まりにくく常に変化している。
「各国家と世界」の関係も、概ね上記と同様
に発展してきたものだが、各国内秩序のような、
「権威」と「力」は、未だ形成・確立されてい
ない。それ故、「世界の秩序・平和」と「各国
の自由・独立・発展」は「個人と国家」間の問
題よりも未成熟であり、より不安定といえる。
「国際秩序」を維持するための「力」とは、
約100年前までは「軍事力」のことであった。
現代ではそれに代わる「経済力」「文化力」が
脚光を浴びているが、「軍事力」の重要性もな
お不変である。
以下、本章では「国際秩序に適合する平和」
と調和しつつ「如何に国の独立と自由と繁栄(発
展)を図るか」について、主として軍事面から
考察していきたい。
2.安全保障とは何か
『広辞苑』で調べると、「安全保障」という言
葉には、①「外部からの侵略に対して国家およ
び国民の安全を保障すること」、②「各国別の
施策、友好国同士の同盟、国際機構による集団
安全保障など」という二つの意味がある。また
「防衛」には、ただ「ふせぎまもること」とだ
け書いてあり、「外敵の侵略に対して国家を防
衛すること」という意味は「国防」という言葉
に付けられている。そして、「自衛」は「自力
で自分を防衛すること」と説明されている。
他方、
『世界大百科事典』では「安全保障とは、
個人、建物、社会などの安全を確保するという
ことが本来の意味だが、現在では専らnational
security(国家安全保障)の意味で用いられる。
17∼19世紀にかけての国家間(国際)の政治体
制の基本線確立とともに生まれた意識であり、
当初の協商・同盟の考え方から 1 次大戦後の国
際連盟、 2 次大戦後の国際連合等における集団
的安全保障の考え方が登場する」(関寛治)と
書いてある。
これらの語句の意味や説明からすると、「安
全保障」も「防衛・国防」も元は同じ意味だっ
たようだが、次第に一国だけの防衛ではなく、
国家間の政治・外交をも含んだものを「安全保
障」というようになったらしい。世界の広がり
に伴って生まれた概念とも言える。
日本では「安全保障」「国防」「防衛」「自衛」
等という夫々違った言葉の意味を概ね同じもの
と考え、区別せず使用している。しかし、現代
の「安全保障」にあって、国際政治(外交)・
経済・環境等の各種手段の重要性が増して来た
ため、逆に「防衛」を「軍事」の意味に特化す
る傾向も生まれつつある。
その傾向に従って日本の「安全保障」は外務
省が担当し、「防衛(軍事)」は防衛省が担当す
ることになっているのだが、「防衛(軍事)」が
「安全保障」の最重要部分を占めていることに
変わりはない。
帝京大の志方俊之教授は、
「日本では『政治・
経済・外交・防衛』とは言うが『政治・経済・
外交・軍事』とは言わない。軍事(ミリタリー)
が存在しないのだ」「実は『国の安全と繁栄を
守る』という『防衛』や『安全保障』は目的で
あり、『政治・経済・外交・軍事』はその手段
─ 42 ─
である」と述べている(日本防衛学会[2010],
147頁)。このように、防衛と安全保障を同一視
して逆に防衛と軍事を区分する考え方もある。
我々は今なお安全保障の最重要部分を占める
「防衛(軍事)」の意義を理解し、「安全保障」
の中の「防衛(軍事)」を語っていかなければ
ならないのである。
では、「安全保障とは何か」ということにな
るが、実は「安全保障には定義がない」という
のが多くの国際政治学者達の意見である。その
理由を防衛大学校の神谷万丈教授は、安全保障
に関わる学者グループが、①軍事を重視するリ
アリズム派、②国際協調を重視するリベラリズ
ム派、③人権・環境を重視するグローバリズム
派、等に別れていて、取り扱う範囲と手段が違
うので一概に極め難いのだと言っている(武
田・神谷[2003], 3 ─ 8 頁)。
結局は国や個人が安心して(心配せずに)過
ごせるためにということなのだが、人により、
国により、心配の対象が異なってくるというこ
とである。
ただ、世界では、どの派に属する学者でも「軍
事力を全く無視する」という人は極めて少ない
ようである。それに比べると、リアリズム派で
ありながら軍事について不勉強な学者がおり、
その他の派に属する人に至っては、もう軍事に
ついてまったく語らないというのが、日本安全
保障学界の特徴だとも聞く。
安全保障の定義はない、と述べたが、最もそ
れに近い言葉ではないかと言われているのが
アーノルド・ウォルファーズの「獲得した価値
に対する脅威の不在(absence of threats to acquired values)」 と い う も の で あ る(Wolfers
[1959], p. 150)。
この言葉のキーワードは言うまでもなく、
「価
値」と「脅威」であり、安全保障のための政策
とは、それらをどう考え、どう扱うかというこ
とになる。
次は、安全保障(防衛)の手段に移る。ここ
に述べたウォルファーズの言葉から簡単な分析
をすると、次のような手段がある、ということ
になる。
第 1 は「失って困るような価値を最初から持
たない」という手段である。
それは、「失うものなき世捨て人には何の不
安もない」ということである。確かに価値を保
有しなければ安心ではある。しかし、もしホー
ムレスになったとて、最近は面白がって「オヤ
ジ狩り」をする不良少年が沢山いるようだから、
この方法が本当に有効であるかどうかはわから
ない。また鎖国や永世中立などもこの手段に該
当するものだが、一般に、日本のように人・物・
金に恵まれた国ではとり得ない手段だ、といえ
よう。
第 2 は「脅威(敵)を無くす、またはその敵
の力・意志を弱める」という手段である。
古来の、主として軍事力使用による手段であ
る。最近ではその「力の行使」よりも「力の存
在」による敵の抑止・制御に重点が移っており、
更に心理作戦を併用した敵弱体化工作が効果的
だと言われている。
第 3 は「被害を蒙っても、その被害を最小限
に食い止め、更に回復するための準備をしてお
く」という手段である。
このため、価値を一か所に集中させず分散さ
せておき、損害をも分散させるということや、
予備を保有して戦闘力の持続を図るといったこ
とが行われる。一般社会で多用されている保険
制度もこの一種であり、かつて中国が先んじて
実行し、今、スイスやスウェーデンが具現して
いる核シェルターなども明らかにこの分野にお
ける安全保障手段(防衛力)である。
第 4 は「脅威(敵)をつくらない、或いは敵
を味方にする」という手段である。
これには色々な方法があり、例えば「非武装
中立」
「文化交流」
「ODA(政府開発援助)活用」
「同盟・連合」などという政策も理論上はこの
分野に属する。何れも主として外交によるもの
だが、最近では「防衛交流による信頼醸成」「軍
縮交渉」など、軍事力を活用するものが極めて
有効とされ注目されている。
(つづく)
以上は、筆者が東洋学園大学の 3 ∼ 4 年生に教
えている「安全保障と軍事」の授業を教科書風
にまとめたものである。
《引用・参考文献》日本防衛学会[2010]「22年
度日本防衛学会シンポジウム・第 3 セッション
報告」『防衛学研究』43号所収。武田康裕・神
谷万丈編[2003]『安全保障学入門』亜紀書房
Wolfers, Arnold[1959]Alliance Policy in the
Cold War, The Johns Hopkins University Press,
冨澤 暉(とみざわひかる) 1938(昭和13)年、東京都生れ。芥川賞作家冨澤有為男の長男。1960年、防衛大学
校卒( 4 期)。第 2 戦車大隊長、第13普通科連隊長、北部方面総監。1993年、陸上幕僚長。数々の要職を歴任し
1995年退官。川崎重工業(株)顧問を経て、現在、本フォーラム評議員・隊友会副会長・東洋学園大学理事兼客
員教授。講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。編著書に『シンポジウム イラク戦争』(かや書房)など
がある。
─ 43 ─
講 座
本当は狡猾で卑劣だった占領支配
(上)
政策提言委員・高知大学名誉教授 福地 惇
Ⅰ 敵製「神話」を信じさせられて敗戦
後65年間をウカウカ過ごす日本人
はない。両機関を駆使して洗脳プロパガンダを
平成日本人は無明世界に漂って、暗黒の海底
の占領支配は、過酷な熱戦が展開された 3 年 8
に藻屑となって沈殿する運命に置かれているか
カ月の何と 2 倍弱の 6 年 8 カ月だった。これは、
のようである。あの大東亜戦争は、何のための
講和条約締結までは戦争の継続期間だから、圧
戦争だったか。現在の政府公認の国家観や歴史
倒的に優勢な占領軍の支配に、敗戦国は実に不
観は、旧敵国連合国から与えられたものであっ
利な立場で服従せざるを得なかったからだ。ポ
て、マトモな日本人のものではない。だが、無
ツダム宣言を受諾して陸海両軍を完全解体され
残にも歴史学を始めとする学界や有力言論界が
たから、その不利さ加減は甚大だった。それを
政府公認の見解を支えている。
読み込み済みで、米国大統領トルーマンのワシ
戦勝国側は、
「天皇制軍国主義国家観」と「太
ントン政府は、連合国軍最高司令官に強大な専
平洋戦争史観」を強力に提示した。狂暴なシナ
制君主以上の独裁権力を授与し、昭和20年 9 月
大陸・太平洋方面侵略の戦争は、国際法に違反
6 日、『降伏後ニオケル米国ノ初期ノ対日方針』
実行するのである。連合国軍総司令部(GHQ)
した戦争犯罪だと一方的に断罪した。「平和を
を承認し、東京に示達した。占領目的は、「日
愛する」と自称する敵国の正義によって敗戦国
本国ガ再ビ米国ノ脅威トナリ又ハ世界ノ平和及
日本は強引に裁かれて、悪の烙印を押されたの
安全ノ脅威トナラザルコトヲ確実ニスルコト」
だ。日本国民は、正義の連合国に解放されたの
だと特記されている。日本民族の精神(ソフト)
だと訓諭された。悪の戦争指導者を恨み、悪の
と国家・社会体制(ハード)の大々的改造とい
土台である古い日本の歴史・文化・慣習を振り
う占領目的を完遂せよと指令したのである。
棄てて、世界標準の平和と民主主義を愛する新
されたのだった。
Ⅲ 日本精神解体工作と敗戦国改造政策
の初期発動状況
しい国民になるのだよ、と有難迷惑にも教え諭
次稿で説明するが、これは、米ソ合作の現代
敗戦国弱体化政策の発動過程を概観する。明
「神話」で、歴史の事実には合致しない代物で
確な占領目的を目指して 9 月中に次々と対策が
ある。だが、占領軍の正義を真の正義と理解し
講じられた。 9 日、マッカーサーは、日本管理
た少数だが影響力のあるお先棒担ぎが政界、官
方式を「間接統治」とし、占領目的を「自由主
界、学界、言論界や教育機構の労働組合にいて、
義助長」に置くと声明を発して、日本精神の解
占領政策推進の援軍役を演じた。敵製「神話」
体と国家・社会諸制度改造の作業に着手した。
は明らかに日本民族を真に滅亡させる悪魔の企
このこと自体は、ハーグ陸戦法規という国際法
みだというのに、65年をかけて日本民族の脳髄
に明らかに違反するが、圧倒的勝利の戦勝国は、
にジワジワと注入され続け、今や国民の常識に
それを無視した。手足をもがれた敗戦国政府も
なってしまったのである。
無言で過ごした。10日、GHQ(総司令部)は、
第一着手として文部省の改造と監督を始動し
Ⅱ 連合国軍の日本占領目的は何だったか
た。11日、東條英機ら39名の戦犯容疑者に逮捕
現代の侵略者が、征服地を完全支配するには、
指令、内28名を「A級戦犯」として起訴。19日、
新聞報道取締方針(プレスコード)指令。21日、
「教育機関」と「報道機関」を活用するに如く
─ 44 ─
新聞条令発令。22日、「降伏後ニオケル米国ノ
ど、「皇室制度」や祖国の歴史と文化を呪詛し
初期ノ対日政策」全文公表。同日、ラジオコー
嫌悪する反日思想の持ち主が大半だ。彼らに「天
ド指令、民間情報教育局設置。23日、日本改造
皇制反対」、「天皇制解体」運動をさせて、「皇
の具体方針を盛った「SWNCC150─4」を米国
室制度」と日本文明解体に活用しようとの魂胆
国務省が公表。24日、マッカーサーは「報道の
だったのだろう。
政府からの分離」を指令。27日、昭和天皇がマッ
5 日、東久邇内閣はこれを拒絶し、総辞職した。
カーサー訪問。同日、「新聞と言論の自由に関
11日、マッカーサーは、首相就任挨拶に来訪
する新措置」を発令。表現の奇麗さとは裏腹に、
した幣原喜重郎に憲法の自由主義化および人権
マッカーサー=GHQが日本の新聞(言論)を
確保の 5 大改革(婦人解放・労働組合結成奨
一括管理する方針の発令である。
励・学校教育民主化・秘密審問司法制度撤廃・
要するに、 9 月中に洗脳プロパガンダを展開
経済機構民主化)を口頭で命令した。皇室制度
する手段としての教育と報道の諸機関はGHQ
の形骸化、自由主義・民主主義・人権重視に基
の一括強力統制下にほぼ完全掌握されたのだ。
づく「新しい日本を建設」せよ、「旧い日本を
10月 1 日、 内 閣 情 報 局 機 能 停 止 命 令。 2 日、
解体」せよとの指令である。ここで、新日本の
GHQに民政局設置。こうして丸 1 カ月かけて
憲法・教育基本法等の基本性格が示唆されたと
日本民族洗脳支配政策の土台は構築完成され
言えよう。
た。つまり、占領軍超優位の思想戦の戦闘隊形
の構築は成ったのである。正にこの日、連合国
Ⅳ 日本人の目を瞞着した「間接統治」
最 高 司 令 官(SCAP) は、 一 般 命 令 第 4 号 =
公認の歴史教科書や通俗の歴史物語では、幣
「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プ
原首相に対する命令は、「要求」と記される。
ログラム(戦争贖罪周知徹底計画)」を発令した。
だがこれは、GHQの狡猾な詭計(トリック)
日本精神壊滅作戦は始動して、敵国に有利、我
である。占領軍最高司令官は、至高の独裁権力
が方に不利な情報操作、つまり、洗脳プロパガ
を付与され、日本の施政権を全部掌握している。
ンダ(検閲・焚書・発禁を含む)が、計画的に
陸海両軍は見事に解体されたが、政府・官僚機
推進されたが、大多数の日本人はそのことを知
構および議会はほぼ無傷のままに生き残ってい
る由もなかった。
る。従って、利敵者を主とて、従順な日本人を
皇室制度は、日本民族の歴史の主軸、精神文
利用した占領軍の「間接統治」で、占領目的は
化の柱である。日本人から教育と言論(報道)
容易に推進されたのである。
の自由を剥奪しておいて、次は、本当は解体し
拒否できない命令を「要求」と表現する魂胆
たい「皇室制度」を、費用対効果の計算で次善
は、日本人の手によって「平和と民主主義」を
策として、その形骸化にGHQは取り組んだの
目指す戦後諸改革が自発的に推進されたかのよ
である。
うに世を誑かすためである。日本精神解体の
10月 4 日、GHQは、政治的・民事的・宗教
「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プ
的自由に対する制限撤廃の覚書(天皇に関する
ログラム」は、7 年弱の被占領時代に様々な「要
自由討議、政治犯釈放、思想警察全廃、内務大
求」に従う内閣や国会、官僚機構、大学機構や
臣と特高警察全員の罷免、統制法規廃止等)を
言論機関に属した「優秀な」日本人によって大
発した。この覚書は、人権指令または民主化指
方推進されていったのである。この人たちは敵
令とよばれる。
製「神話」を納得してしまったのだろうか。お
「天皇に関する自由討議」と「政治犯釈放」
悧巧な日本人たちは、善い日本人と言えるのか
は連動している。戦前の政治犯は日本共産党員
どうか………。
(つづく)
および共産党シンパや極端な左翼リベラルな
福地 惇(ふくちあつし) 1945年、茨城県生まれ。1969年、東京大学文学部卒。1976年、東京大学大学院人文科
学研究科博士課程国史学専攻修了。高知大学教授、文部省初中局視学官、大正大学教授を歴任。元統幕学校講師、
現政策提言委員、新しい歴史教科書を作る会副会長。著書に『明治新政権の権力構造』『木戸孝允における思想と
現実』『明治政府と西郷隆盛』『敗戦国体制護持の迷夢』『明治維新と近代日本の実相』など多数。
─ 45 ─
講 座
外国資本による日本領土蚕食と
国土安全保障
政策提言委員・防衛法学会理事長 髙井 晉
1 日本国土と日本文化
用リゾート地、ゴルフ場、森林などの価格が底
日本人は、古来より姿の美しい山、巨大な樹
値となった時期と重なっている。とりわけ木材
木や岩石など自然の造形物を神と看做し、信仰
の異常な低価格と山林経営者の高齢化は森林経
の対象としてきた。自然と一体となる神観を有
営を困難にし、これが外国資本への山林譲渡に
する日本人は、山林がもたらす豊かな水資源が
拍車をかけた。これら外国資本による森林購入
水田を潤すことで稲作文化を継承し、河川や地
は、ほとんどが日本人名義で行なわれており、
下水が山林から海へ運んだ栄養分が沿岸の漁業
その実態が明らかにされることは少ない。この
資源を豊かにすることを経験上知っていた。日
事実は、景観を維持し水資源を涵養してきた公
本文化の担い手の日本人は、虫の音を聞き分け
共財ともいえる森林の健全な維持管理につい
る感性をもち、自然や他者に対する調和を心が
て、漠とした懸念を生じさせている。
ける共存共栄を旨とし、世界史でも例を見ない
国土利用計画法(2005年最終改正)に従うと、
ほどの長期間にわたって豊かな森林と平和を享
市街化区域と都市計画区域以外の 1 万㎡以上の
有してきた。
土地の取引の場合、都道府県への届出が義務(第
日本では統治者と被統治者の距離が近く、山
23条)となっているが、購入者の個別情報につ
紫水明の地で育んだ同じメンタリティーの日本
いては公表されないのが一般的である。北海道
人は、世界に冠たる独特の文化を育んできた。
議会で珍しく公表された森林売買の調査結果に
ハンチントンが『文明の衝突』の中で記述した
よると、2009年には 7 件約350haの外国資本の
単一文明としての日本文明が、日本文化をもた
森林購入があったという。現在、北海道の約 4
らしたともいえよう。鎖国政策の下で日本に
万haの山林を約2200の外国資本が保有してい
入ってきた異国人や異国文化は、何時とはなく
るといわれるが、このうち購入者の資本割合が
日本人の価値観や日本文化に同化したため、日
明らかにされた事例は半数にも満たない。
本人はこれら侵入者に対して違和感を覚えな
過疎地となった対馬は、今日、韓国人観光客
かった。
を抜きにしては島の経済が成り立たない。韓国
近年、外国資本による日本領土の蚕食が増加
資本は、対馬の竹敷地区や厳原・美津島市街地
している。外国資本は、長期にわたる不景気の
等の土地を合わせ対馬全土で約5500坪を購入
下で、地方の過疎化、山林と木材の価格暴落等
し、その約90%が島民や帰化日本人名義で購入
を好機と捉え、豊かな自然が維持され治安が安
されているといわれる。近年、港湾周辺の土地
定している日本の領土を投機対象としている。
約3000坪が売買され、海上自衛隊対馬防備隊本
外国資本の領土蚕食は、単なる経済行為の場合
部の隣接地に韓国資本100%のリゾートホテル
は別として、他国家の長期的戦略を背景とした
が建設されたことから、この事実が安全保障上
ものであれば、国土安全保障上、看過できない
の問題として物議を醸した。
問題といえよう。
このほか富士山麓周辺等の風光明媚なリゾー
ト地、北海道の牧場やスキー場、全国各地のゴ
2 外国資本による日本領土の蚕食
ルフ場などが外国資本によって蚕食されてい
外国資本による日本領土の蚕食は、20年ほど
る。これら外国資本の日本領土蚕食は、国家意
前から始まったといわれ、地方の過疎地、別荘
思と関係がないと思われるが、メンタリティー
─ 46 ─
が異なる所有者による異質な私権行使が警戒さ
多発する住宅地やリゾート地における日照
れているのである。
権、景観権、環境権を争う裁判は、私権の行使
と周辺他者との調和をめぐる事例であり、管理
3 土地所有と私的財産権
放棄の山林に起因するスギ花粉発生の放置や道
日本の外国人土地法(1925年)に従うと、日
路事業その他の公共事業の工期の大幅な遅延な
本人による土地取得を禁止あるいは制限する国
どは、私権に対して公共福祉目的の公権行使が
の国民に対しては、勅令(現在は政令)によっ
及び腰だったことから生じた例である。
て、日本における土地取得を禁止または制限で
きる(第 1 条)。しかしながら外国資本の土地
4 領土蚕食に対する法的防衛措置
取得は、この第 1 条の政令、すなわち相互主義
外国資本の土地所有について、原則禁止また
に基づいて外国資本による国土取得を禁止また
は制限する国と原則として自由な国がある。前
は制限する政令が制定されていないため、日本
者には中国や韓国があり、後者には英、米、仏
人と同様に土地所有権が認められている。
等がある。日本の土地所有権は、諸外国と比較
農地の購入については農地法(2009年最終改
してきわめて強いが、たとえ外国資本による土
正)によって利用制限が付され、かつ所有権移
地所有を認める国であっても、その土地所有権
転の際に地域農業委員会の審査を経ていなけれ
は、土地の利用権に近いものであり、公共の福
ばならない(第 3 条)。しかし農地以外の土地、
祉目的の政府の公権に優越できないのである。
たとえば森林や宅地などの所有権移転の場合
日本人による土地購入は自由であり、農地を
は、農地法が適用されない。したがって、外国
除いて購入目的は問われない。外国資本による
資本による農地以外の土地売買は、それが便宜
日本領土の取得は、日本人名義で登録される限
名義人の名前であっても登記簿への登録で取引
り、日本人の場合と同様の条件である。外国資
が成立してしまう。日本に非居住の外国人や外
本の領土蚕食に関して、その購入が合法的であ
国資本が日本の領土を購入する場合、外国為替
ること、土地が外国へ持ち出せないことなどを
法(2009年最終改正)に基づき資本取引の許可
理由に問題視しない政治家や有識者も多い。し
が義務付けられている(第21条)が、ほとんど
かし諸国家の外国人に対する土地取得の制限や
の土地取得の届出が日本人名義で行なわれてい
土地所有権は、日本のそれと異なることを理解
るのが実態で、外国資本による領土取得は判明
しているとは思えない。
し難い。
外国資本による基地周辺地の取得問題につい
日本の土地所有権の特徴は、所有者に対して
ては、取得制限の場所を特定するため、外国人
極めて強い私権(私有財産権)が認められてい
土地法第 4 条の政令を速やかに制定する必要が
ることであり、この私権は、自己所有の土地の
ある。また外国資本土地所有者の私権に対して、
自由使用権はもとより最終処分権も含まれてい
相互主義に基づいた制限を付すべきであろう。
る。土地収用法(2010年最終改正)は、公共利
このほか外国人土地法第 1 条の政令の制定、便
益増進と私有財産との調整および国土の適正な
宜的日本人名義の制限、50%に満たない山林の
利用の促進を目的(第 1 条)とした公権行使を
地籍調査の促進、公益的性格の森林の適正管理
規定しているが、同法は実質的に機能していな
の義務化、河川法(2010年最終改定)改正によ
い。したがって、仮に外国資本が山林等を専ら
る地下水への適用、或いは新たな地下河川法の
外国の便宜目的に使用したとしても、政府は公
制定など、国土安全保障の観点から党派的対立
権を行使し難いと思われる。
を超える法的防衛措置が期待される。
髙井 晉(たかいすすむ) 1943(昭和18)年、岡山県生れ。1974年、青山学院大学大学院法学研究科博士課程終
了。1976年、防衛庁(現防衛省)教官として防衛研究所入所。助手・研究室長・図書館長を経て2006年退官。こ
の間1978年、ロンドン大学キングス・カレッジ大学院に留学し、「防衛学の法的側面」を研究。現在、本フォーラ
ム政策提言委員・青山学院大学と大学院非常勤講師(国際法)・防衛法学会理事長・カナダのピアソンPKO教育セ
ンター在外研究員。主な著書に『ブラウンリー国際法学』
(共訳)
(成文堂)、
『国連PKOと平和協力法』
(真正書籍)、
『国連と安全保障の国際法』(内外出版)など多数。
─ 47 ─
〈連載〉
古戦史にみる戦略の発見
─白村江合戦─
経済学者 海上知明
大陸の誘惑
戦史の研究に必要なのは仮定(IF)の設定で
ある。いみじくもクラウゼヴィッツは「可能的
戦闘」について考えてみることは有益だと述べ
ている。単なる結果論と、そこから逆算した「教
訓」は、しばしば誤った方向に人々を導いてい
く。仮定での考察を試みてみないことには、法
則性を導き出すような分析はしにくい。このよ
うな姿勢をもって戦史を研究すれば、古代に起
こった戦いからも大いなる教訓が得られるので
ある。
近代以前、日本は海を渡っての遠征は数える
程度しか行っていない。特に大きな戦いとして
「白村江の戦い」がある。分裂状態の朝鮮半島
にあって、新羅は、唐軍を朝鮮半島に介入させ、
西暦660年 7 月に百済は滅亡する。しかし、鬼
室福信、黒歯常之ら百済国の遺臣達は反抗を続
け、日本(当時は倭)に救援を依頼した。日本
には、それ以前から朝鮮半島に介入しようとい
う意見があったが、福信らの救援要請は、日本
に滞在中の百済王子・豊璋(余豊)を擁立する
ことを条件としていたため、ついに出兵に踏み
切ったのである。
斉明 7 年(661年) 3 月、中大兄皇子、斉明
天皇自らが筑紫まで下り出兵に備えるが、 7 月
24日に邦の津にて斉明天皇が急死したため、か
わりに 8 月に朴市秦造田来津が司令官になって
渡航することになった。『日本書紀』では、9 月、
5 千人の兵とともに豊璋を帰国させたとしてい
るが、同じ『日本書紀』には天智元年(西暦
662年)にも、阿倍引田比羅夫(阿倍野比羅夫)、
安曇比羅夫らが豊璋を護送しながら船170余隻
で出兵したとある。百済への帰国の記述が 2 度
あることについては、解釈が分かれている。日
本軍の働きで唐の南下、新羅の西進を阻まれ、
日本は豊璋を百済王としている。豊璋王は周留
─ 48 ─
城を拠点に抵抗していた福信らに迎えられる。
そして、天智 2 年(663年) 3 月、新羅討伐
軍が日本を出た。前軍の将が上毛野君稚子、中
軍の将が巨勢神前臣譯語、後軍の将が阿倍引田
比羅夫で兵力 2 万 7 千人である。南百済に上陸
した日本軍は北上を開始し、『日本書紀』によ
れば、上毛野君稚子らは 6 月に新羅の 2 城(沙
鼻、岐奴江)を奪取するなど戦いを優勢に進め
たようである。だが、百済内部に確執があり、
豊璋王が福信を斬るという事態が発生してい
た。このため百済軍の統制が乱れるとともに、
地の利に長じた福信がいなくなり、作戦面で不
利になった。戦略的にも、この確執は日本軍の
戦場到着を10日ほど遅らせる結果となった。日
本からは、更に廬原君臣が率いる精兵 1 万人が
出立していた。
一方、唐は徳物島に40万人の軍を派遣し、熊
津にいた劉仁軌が援軍として 7 千人を率いて南
下した。劉仁軌は明らかに福信殺害の報を待っ
て動いているので、百済内の確執の背後には陰
謀が見え隠れする。
『旧唐書』などによれば、唐・
新羅連合軍は、水陸併進して、日本・百済連合
軍を壊滅させることとした。陸軍は、唐の孫仁
師、劉仁原、新羅王の金法敏(文武王)が指揮
し、海軍は唐の劉仁軌、杜爽、元百済太子の扶
余隆が率いて熊津江に沿って周留城を目指して
下っていく。当初、唐軍は、目標を加林城にす
るか、その先にある周留城にするかで議論が分
かれた。補給など、戦術的にみれば加林城攻略
が順当のように見えるが、劉仁軌は周留城を攻
略することとする。加林城は堅固であり、持久
戦に持ち込まれると厄介である。周留城は百済
再興の象徴であるから、それを落とせば他の諸
城は落ちるだろうという意見であったが、更な
る深謀遠慮が働いていた。日本軍が、周留城を
救援しようとすれば、その途上にある、白村江
前臣譯語が率いる中軍、阿倍引田比羅夫が率い
る後軍という 3 軍に分け、 4 度の波状攻撃をか
けたとされる。これは戦術的にみても決戦状態
での兵力の逐次投入という初歩的なミスであっ
た。第 1 次攻撃は27日に行われ、唐海軍の堅陣
の前に敗退する。そこで28日、前述した突撃を
行ったのだが、布陣して待ちかまえていた唐軍
は、これを左右から包囲して殲滅、日本軍の船
400隻が炎上したとあるから火計、干潮の時間
差なども利用したようである。救援の見込みも
なくなり百済側は戦意を喪失し、百済最後の首
都・周留城も 9 月 7 日に降伏した(『通鑑』で
は 8 日)。この白村江の敗戦を受けて、日本は
対馬・壱岐・筑紫国などに防人と烽を置き、筑
紫に大堤を築いて水を貯え、大陸からの脅威に
備えている。
に上陸、通過するしかなかったからである。
戦略と戦術の不在
唐・新羅連合陸軍が周留城を包囲し、それに
呼応して唐(新羅も加わっていた)海軍は、白
村江に陣取ったが、そこに日本の海軍が攻め寄
せてきた。日本軍の目的は、唐の海軍を殲滅し
て制海権をとるという戦略的なレベルではな
く、周留城救援という限定された戦術的なもの
であった。対して唐軍は周留城を囮として日本
軍を食いつかせて捕捉しようとしていたようで
ある。皮肉にも日本の作戦目標「周留城」は、
豊璋王がそれ以前に周留城を出て日本軍と合流
していたため、救援意義を低めていた。唐海軍
は、万全の体制で敵が来るのを持っていた。そ
れでも、日本軍が敵情をよく調べていれば勝機
がなかったわけではない。本来ならば、停泊中
の海軍を攻めるという有利な体勢であったから
である。
双方の兵力は、『日本書紀』で「唐軍の諸将
は兵船百七十艘」、『旧唐書』では「倭国水軍の
船四百艘」と書かれているから、最低でも唐・
新羅軍 7 千人で船170隻、多めに見積もれば兵
数 人 1 万 2 千 人、 対 し て 日 本・ 百 済 軍400隻、
多めに見積もれば兵数 4 万 7 千人、船 1 千隻
(『三国史記』『百済本紀』による)にものぼる。
兵数は日本・百済軍の方が有利であるが、唐軍
は巨船を有していた。
兵法の伝統をも有する中国は、陣形を重んじ
るが、これは海戦においても同じのようであっ
た。『日本書紀』でも唐軍が白村江で「布陣を
完了した」と書かれている。対する日本軍は、
作戦も何もなかったようである。後の源義経に
も見られるように、日本には海軍戦略だけでな
く、海戦そのものの運用も稚拙であった。『日
本書紀』によれば、気象など関係なく、「我ら
先を争わば 彼自づからに退くべし」と、がむ
しゃらの攻撃で中央突破して上陸をはかろうと
いうもので、戦略はおろか戦術とも言えない。
日本軍は上毛野君稚子が率いる前軍、巨勢神
「費留」の可能性
この「白村江合戦」は、超大国である唐に小
国日本が挑んだ愚かな戦いとされているが、そ
れは誤った認識で、実は戦略と戦術が稚拙で
あったから負けただけである。しかし、それ以
上に大切なことは、もし日本側が勝利したらど
うなっていたのかという視点で考えてみること
にある。勝利したとしても領土が増えるわけで
もなく、唐という巨大な勢力と対立しながら、
緩衝地帯としての百済を守り続けるという抜き
差しならぬ状態になり、いたずらに財政を悪化
させながら、結局は撤退を余儀なくされたので
はないか。逆に敗北しても、たしかに貴重な将
兵は失ったが、国家としてみれば、日本にとっ
てはほとんど痛手はなかった。つまり「白村江
合戦」から得られる教訓とは、無謀な戦いに踏
み切ったということではなく、介入しても最初
から得るもののない地域に踏み込んだというこ
とにある。任那回復を狙ったという説もあるが、
それとても英国にとっての「百年戦争」と同じ
結果になったであろう。勝利しても「費留」と
なるような戦い、その意味で愚かな戦いであっ
たのである。
海上知明(うなかみともあき) 1960(昭和35)年茨城県生れ。中央大学経済学部卒。2002年 3 月、博士(経済学)。
東京海洋大学海洋科学部海洋政策文化学科・芝浦工科大学人文学部・国士舘大学政経学部非常勤講師、戦略研究
学会古戦史研究部会代表・孫子経営塾理事。首都大学東京のオープンユニバシティで「環境史と文明」などを担当。
著書に『環境思想 歴史と体系』
『環境戦略のすすめ』
『信玄の戦争 戦略論「孫子」の功罪』
『新・環境思想論』
『危
機管理の経済史─環境問題としてのエネルギー』共著に『地球環境史からの問い─ヒトと自然の共生とは何か』
など多数。
─ 49 ─
《Key Note Chat 坂町》
報告と雑感
事務局 長野禮子
第26回 「日韓併合100年」を考える
講 師:藤岡信勝氏(「新しい歴史教科書をつくる会」会長・拓大客員教授・元東大教授)
日 時:平成22年12月16日(木) 14:00∼16:00
参加者:25名 愛知和男・長野俊郎・阿達雅志・髙井晉・清水濶・山下美也 他(敬称略)
雑 感: 平成22年最後の「Chat 坂町」は「日韓併合100年」ということに鑑み、また、同年
3 月に第 2 期日韓歴史共同研究結果報告書を受け、「つくる会」会長の藤岡信勝氏をお
招きし、専門的見地から韓国側が主張する「強制連行」「植民地支配」そして所謂「従
軍慰安婦」の 3 点に絞ってお話いただいた。
その結果、既に氏をはじめ多くの専門家が指摘しているように、これらの全ては韓国
側のでっち上げであり、一方的な言い分であったことが更に明らかになった。両国の「教
科書問題」の定義も異なり、日本側の実証的研究と比べ、韓国側は朱子学と小中華思想
に基づいた教条的な思考から脱却できないことも、彼らの論文等で判明。「共同研究は
不毛だった」「韓国側から特に知的な刺激を受けたことがない」との日本側委員の評価
が示すように、日韓両国の学問的レベルの差を晒すものとなった。そもそもこの共同研
究が外交の一環なのか、学術交流なのか、基本的性格や目的についても不明確な点が露
呈してしまったようだ。
朝鮮が日本の統治下に置かれた頃、軍事力・経済力のない国は列強の植民地になるし
か生き残る道はなかった。清や露の脅威の中で、その 2 国との戦争で勝利した我が国は
朝鮮半島を併合し、現在の貨幣価値で60兆円もの資金を投じ近代化に努めたことは、既
に多くの専門家が指摘している。その結果、朝鮮人の寿命が倍以上に延び、学校建設と
充実した教育の導入により識字率 4 %が61%に上がり、物々交換から貨幣経済への転換、
奴隷開放、上下水道の整備や病院の建設、道路や河川の整備、鉄道、農地の整備と近代
的農業の指導、禿山には 6 億本もの植林・・・。本国に勝るとも劣らない情熱のかけよ
うである。また、忘れてはならないのは北朝鮮にある、当時世界最大級の水豊ダム建設
である。
そして、昭和36年、日韓基本条約で我が国は有償無償と民間の借款など合計 8 億ドル
以上の経済援助をし、韓国側は全ての請求権を放棄した。
地政学的に見る朝鮮半島は幾多の攻撃や侵略と対峙しながらその国柄を構築してき
た。それを知る当時の朝鮮人は「日本による植民地化は、朝鮮人の日常の生活になんら
束縛や脅威を与えなかった。(略)かえって南北朝鮮人は終戦後の独立によって、娑婆
の世界から地獄に落ち込んだのも同然であった」(『日本統治時代を肯定的に理解する』
草思社 朴贊雄著)。また、ある北朝鮮出身の知人が祖父の言葉を懐かしむように言っ
たのも思い出される。「日本統治時代が家族で一番幸せなときだった。朝鮮には力がな
かった。同胞が反日を叫ぶたびに自分たちの歴史の恥部を晒しているようで、恥ずかし
い」と。
欧米諸国の「朝鮮統治」
「日韓併合」についての日本評価は極めて高い。史実を捏造し、
歪曲した歴史観を外交カードに使う中国・韓国に真実を訴え続けることは最早虚しい。
日本国内の進歩的文化人による偏った認識の押し付けや、現在の価値観で歴史を判断す
るのも、もうウンザリである。「国益」「未来志向」などと耳に心地よい政治家の無責任
な言葉も聞き飽きた。日本統治時代に生きた日韓両国の人々の声も、戦後65年の歳月は
消していったのか。
韓国が「反日」をやめたときが、本当の意味での好敵手として良好な国家関係を築く
始まりとなることを、今は、期待することにしよう。
(12/21禮)
─ 50 ─
第27回 「中国は脅威」なのか〜冷静な認識が必要〜
講 師:富坂 聰氏(ノンフィクション作家)
日 時:平成23年 2 月 8 日(火) 14:00∼16:00
参加者:21名 愛知和男・長野俊郎・秋山昌廣・赤星慶治・海上知明・髙井晉 他(敬称略)
雑 感: 中国。悠久の歴史を持つと云われるこの国は様々な時代の変遷を経て、1949年、中華
人民共和国として独立。1972年、日中友好平和条約をもって現在の日中国交が始まった。
当時の田中角栄首相と周恩来首相による日中共同声明の要旨は①中華人民共和国政府
は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄②日本国政府
及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する
相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和
友好関係を確立する③両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国
及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は
武力による威嚇に訴えないことを確認する④日中両国間の国交正常化は、第三国に対す
るものではない。両国の何れも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではな
く、このような覇権を確立しようとする他の如何なる国或いは国の集団による試みにも
反対する、である。が、現実は違う。特に民主党政権後の我が国に対する蛮行とも言え
る中国の攻撃は国際社会のルールを踏み躙り、醜いまでの主張を繰り返しているのは周
知の通りである。
中国の本質を理解しようとしない政治家や親中マスメディアの情報隠蔽や無責任報道
が問われる中、「騒がれているほど中国は脅威ではない」と氏は言い切る。何故か。
GDPが世界第 2 位となった中国を日本の経済発展と同等と考えるべきではない。日
常生活に不可欠な中国製品は何もない。大卒の就職率は低く深刻である。社会保険制度
がない(因みにインフルエンザの治療は約 1 万円。国民が一生に 1 度風邪を引いたら
13,5兆円かかる計算)。福祉の充実などより大都市の近代化を進めることで、見た目の「繁
栄と豊かさ」を誇示し、問題のすり替えをしているに他ならない。中国の個人消費は
30%。内需拡大が困難な為、外需に頼るしかない現実。国進民退といわれる格差社会を
招いたことによる暴動は、今や年間20∼30万件を数える。中国政府はそれがいつ爆発し
北京に向かってくるかわからない不安を常に抱えている─ことだ。
これらを踏まえ中国が食料・エネルギー確保と覇権のために今後も我が国に対し、い
かなる手段で迫ってくるか、その可能性について綿密な戦略を練り、備えねばならない
が、菅政権にそれを期待するのは無理の上にも無理である。
氏は最後に素敵な提案をした。他国の繁栄や衰退に一喜一憂することなく、我が国独
自の歴史・文化・伝統に則った国家の構築を目指し、政治・経済・軍事・教育・科学技
術・宇宙開発・物づくり・もてなしの心や相手を慮る日本人の高い精神性など、あらゆ
る分野で超一流国家となるべく国家目標を掲げ実行することであると。正に世界を俯瞰
した「プレミア国家」構想である。
最早心ない政治家など当てにせず、国民 1 人ひとりが自覚し、賢い先人たちの意思を
受け継ぎ、遥か遠い歴史を見据えた国家づくりを考えることが、今を生きる我々の当然
の責任ではないかと思う。
(2/17禮)
─ 51 ─
第28回 「周辺国から見た日本」
講 師:宇田川敬介氏((株)國會新聞社編集次長)
日 時:平成23年 2 月25日(金) 14:00∼16:00
参加者:12名 小田村四郎・冨澤 暉・髙井 晉・藤巻敏武・山下美也・谷山雄二朗 他
(敬称略)
雑 感: 北アフリカや中東の大規模な反政府抗議デモが連日報道されている中、国連安保理は
26日、対リビア制裁決議を満場一致で採択した。が、カダフィ大佐はそれを一蹴した。
混乱は直ぐには静まりそうにない。胡錦濤を始めとする共産党幹部は、この波がいつ中
国人民を決起させ北京を襲ってくるかという悪夢と胃痛に苦しんでいるのではなかろうか。
今回は、周辺国の国家元首や政府高官とも緊密な関係にあるという宇田川氏に話を聞
いた。氏は日本の国土防衛戦略は、短期では北朝鮮、中期ではロシア、長期では中国を
念頭に置くべきであろうと分析する。以下要点を記す。
北朝鮮: 1 、核実験は近い─元々北は良質のマンガン・ウラン・水銀、さらに窒素が産
出できるが工業力と技術力が伴わない。その不足分を補っているのはイランを
始めとする中東の可能性が大である。中国の関与はない。
2 、在北日本人の分類─①拉致された日本人②帰還運動により北へ行った日本
人妻③よど号で行った日本人④中国経由で仕事に行った日本人(マスコミも含
む)⑤白い粉を買いに行って居ついてしまった山口組を名乗る日本人。
3 、拉致被害者について─横田めぐみさんは生存している。金正日の日本語教
師はめぐみさんであった。「拉致」問題の解決は金正日が死亡し、一定期間が
過ぎれば不可能ではない。しかし、金正日の罪を裁くということになれば、解
決は困難であろう。
4 、昨年11月、北朝鮮による延坪島砲撃後、難民流出を懸念した中国は、瀋陽
軍区の兵士20万人を中朝国境の豆満江に出動させ、脱北してくる483人を射殺
した。
5 、後継者となった若き金正恩は中国のお墨付きを得ている。現在、正恩の国
内外における虚像づくりに精をだしている。
ロシア:露大統領の国後島上陸以降、北方領土に対する露の姿勢は強気だ。現在この地
域に軍用基地を開発するとして中韓との連携を模索し我が国を牽制している
が、露の東方開発には日本の技術・支援は必須。露の本音を探り、 4 島返還に
向け外交努力を続けなければならない。中露国境開発に支援するのもひとつの
道である。
中 国:経済力と軍拡が叫ばれる中国だが、単に「中国」と語るのはあまりにも短絡で
ある。前時代的な覇権主義や軍拡の脅威は否定できないが、現在建造中の空母
について言えば、軍艦としての初歩的な設計が問われているのが現状。
以上を踏まえ、まずは国防に対する国民の意識改革と法整備が急務と提言。
氾濫する情報の中で、真贋を見極めることは容易ではないが、現場を知らない「専門
家」の弁に翻弄される愚は避けたいもの。今回の氏の情報やネットワークがより国政に
生かされ、国益に貢献できるよう願うものである。
最後に、病状悪化が報道されている金正日のその後についての話もあったが、今は敢
えて割愛する。
(3/1禮)
─ 52 ─
日本戦略研究フォーラム役員等(平成23年 3 月10日現在:敬称略)
会長
中條高德(アサヒビール(株)名誉顧問)
援隊長)
嶋口武彦(元防衛施設庁長官)
内藤正久((財)日本エネルギー経済研究所顧問)
中田 宏(元衆議院議員/前横浜市長)
西 修(駒澤大教授)
松井 隆(有人宇宙システム(株)取締役会長/
元宇宙開発事業団理事長)
森野安弘(森野軍事研究所所長/元陸自東北方
面総監)
山谷えり子(参議院議員/元首相補佐官)
山元孝二((財)日本科学技術振興財団常務理事)
山本兵蔵(大成建設(株)取締役相談役)
屋山太郎(政治評論家)
吉原恒雄(拓大教授)
渡邉昭夫((財)平和・安全保障研究所副会長)
副会長
小田村四郎(前拓大総長)
理事長
愛知和男(前衆議院議員/元防衛庁長官)
顧問
笹川陽平(日本財団会長)
田中健介((株)ケン・コーポレーション代表取
締役社長)
鳥羽博道((株)ドトールコーヒー名誉会長)
中野 博((株)グランイーグル代表取締役)
中山太郎(前衆議院議員/元外務大臣)
平沼赳夫(衆議院議員/元経済産業大臣)
山田英雄((財)ジェイ・ピー・ファミリー生きが
い振興財団理事長/元警察庁長官)
山本卓眞(富士通(株)名誉会長)
事務局長(常務理事)
長野俊郎((株)パシフィック総研代表取締役会
長)
副理事長
相原宏徳(TTI・エルビュー(株)取締役会長)
石破 茂(衆議院議員/前農林水産大臣/元防
衛大臣)
岡崎久彦(NPO岡崎研究所所長/元駐タイ大
使)
坂本正弘(中大政策文化総研客員研究員)
志方俊之(帝京大教授/元陸自北部方面総監)
田久保忠衛(杏林大客員教授)
浜田靖一(衆議院議員/元防衛大臣)
舛添要一(参議院議員/元厚生労働大臣)
宮脇磊介(宮脇磊介事務所代表/元内閣広報官)
理事
愛知治郎(参議院議員)
秋山昌廣(海洋政策研究財団会長/元防衛事務
次官)
浅尾慶一郎(衆議院議員)
新井弘一((財)国策研究会理事長/元駐東独・
比大使)
太田 博(元駐タイ大使)
佐藤正久(参議院議員/初代イラク復興業務支
─ 53 ─
常務理事
林 吉永(事務局総務部長/元防研戦史部長)
監事
川村純彦(川村純彦研究所代表/元統幕学校副
校長)
仲摩徹彌(元第一ホテルサービス(株)顧問/元
海自呉地方総監)
評議員
赤星慶治(前海上幕僚長)
磯邊律男((株)博報堂相談役)
伊藤憲一((財)日本国際フォーラム理事長)
大内 厚(高砂熱学工業(株)代表取締役社長)
加瀬英明((社)日本文化協会会長)
川島廣守((財)本田財団理事長)
国安正昭((株)ウッドワン住建産業顧問/元駐
スリランカ大使)
佐瀬昌盛(拓大教授)
清水信次((株)ライフコーポレーション代表取
締役会長兼CEO)
清水 濶((財)平和・安全保障研究所研究委員
/元陸自調査学校長)
白川浩司((株)白川建築設計事務所代表取締役)
田代更生((株)田代総合研究所代表取締役)
田母神俊雄((株)田母神事務所代表取締役/前
航空幕僚長)
冨澤 暉(東洋学園大理事兼客員教授/元陸上
幕僚長)
西原 正((財)平和・安全保障研究所理事長/
前防大校長)
野地二見(同台経済懇話会常任幹事)
長谷川幹雄((株)グランイーグル顧問)
花岡信昭(政治評論家/拓大大学院教授)
原野和夫((株)時事通信社顧問)
福地建夫((株)エヌ・エス・アール取締役会長
/元海幕長)
村井 仁(前長野県知事/元衆議院議員)
村木鴻二(つばさ会会長/元航空幕僚長)
*衛藤征士郎(衆議院議員)は衆議院副議長、西
川徹矢(元防衛省大臣官房官房長)は内閣官房
副長官補就任の間離任
政策提言委員
秋元一峰(秋元海洋研究所代表)
浅川公紀(武蔵野大教授)
阿達雅志(ニューヨーク州弁護士)
渥美堅持(東京国際大教授)
天本俊正((株)天本俊正・地域計画21事務所代
表取締役/元建設省大臣官房審議
官)
洗 堯(元NEC顧問/元陸自東北方面総監)
石川裕一((株)ぷらう代表取締役社長)
今井久夫((社)日本評論家協会理事長)
岩城征昭(前陸自化学学校長)
岩屋 毅(衆議院議員)
上田愛彦((財)
DRC理事長/元防衛庁技術研
究本部開発官)
潮 匡人(国家基本問題研究所評議員)
宇都隆史(参議院議員)
江崎洋一郎(前衆議院議員)
衛藤晟一(衆議院議員)
大串康夫(元航空総隊司令官)
大橋武郎(AFCO
(株)新規事業開発担当部長/
元空自第 5 航空団司令)
大橋弘昌(ニューヨーク州弁護士)
奥村文男(大阪国際大教授/憲法学会常務理事)
越智通隆(三井物産エアロスペース(株)顧問/
元空自中警団司令)
勝股秀通(読売新聞編集委員)
─ 54 ─
加藤 朗(桜美林大教授)
金田孝之((財)横浜港埠頭公社理事長/前横浜
副市長)
金田秀昭(NPO岡崎研究所理事)
茅原郁生(拓大名誉教授/元防研第 2 研究部長)
工藤秀憲(GISコンサルテイング(株)代表取締
役社長)
倉田英世(国連特別委員会委員/元陸幹校戦略
教官室長)
小林宏晨(日大教授)
五味睦佳(元自衛艦隊司令官)
坂上芳洋(元海自阪神基地隊司令)
坂本祐信(元空自44警戒群司令)
笹川徳光(前防長新聞社代表取締役社長)
佐藤勝巳(評論家/元現代コリア研究所所長)
佐藤茂樹(衆議院議員)
佐藤丙午(拓大教授)
佐藤政博(佐藤正久参議院議員秘書)
嶋野隆夫(元陸自調査学校長)
菅沼光弘(アジア社会経済開発協力会会長/元
公安調査庁調査第二部長)
杉原 修((株)AWS技術顧問)
髙井 晉(防衛法学会理事長・尚美学園大学大
学院客員教授)
高市早苗(衆議院議員/元内閣府特命担当大臣)
高橋史朗(明星大教授)
高橋 央(感染対策コンサルタント/元米国
CDC疫学調査員)
田中伸昌(元空自第 4 補給処長)
田村重信(慶大大学院講師)
堤 淳一(弁護士)
土肥研一((株)善衛商事代表取締役)
徳田八郎衛(元防大教授)
所谷尚武((株)防衛ホーム新聞社代表取締役)
殿岡昭郎(政治学者)
中静敬一郎(産経新聞東京本社論説委員長)
中島毅一郎((株)朝雲新聞社代表取締役社長)
長島昭久(衆議院議員)
中谷 元(衆議院議員/元防衛庁長官)
奈須田敬((株)並木書房会長)
西村眞悟(前衆議院議員)
丹羽春喜(元大阪学院大教授)
丹羽文生(拓大助教)
長谷川重孝(元陸自東北方面総監)
浜田和幸(参議院議員)
樋口譲次((株)日本製鋼所顧問/元陸自幹部学
校長)
日髙久萬男(三井造船(株)技術顧問/元空幹校
教育部長)
兵藤長雄(元駐ベルギー大使)
平野浤治((財)平和・安全保障研究所研究委員
/元陸自調査学校長)
福地 惇(高知大学名誉教授/元統幕学校講師)
福山 隆(ダイコー(株)専務/元陸自西方幕僚
長)
藤岡信勝(拓大客員教授)
舟橋 信((株)NTTデータ公共ビジネス事業本
部顧問/元警察庁技術審議官)
前川 清(武蔵野学院大名誉教授/元防衛研究
所副所長)
前原誠司(衆議院議員・前外務大臣)
松島悠佐(ダイキン工業(株)顧問/元陸自中部
方面総監)
松前真二((株)日本空港コンサルタンツ代表取
締役社長)☆新任
水島 総((株)日本文化チャンネル桜代表取締
役社長)
宮崎正弘(評論家)
宮本信生((株)オフィス愛アート代表取締役/
元駐チェコ大使)
室本弘道(武蔵野学院大教授/元陸上担当技術
研究本部技術開発官)
恵隆之介(評論家/拓大日本文化研究所客員教
授)
森兼勝志((株)フロムページ代表取締役社長)
森本 敏(拓大大学院教授)
八木秀次(高崎経済大教授)
山口洋一(NPOアジア母子福祉協会理事長/
元駐ミャンマー大使)
山崎 眞(伊藤忠(株)航空宇宙・産機システム
部門顧問/元自衛艦隊司令官)
山下輝男(第一生命保険(株)顧問/元陸自 5 師
団長)
山下美也(元富士通特機システム(株)代表取締
役社長)
山本幸三(衆議院議員)
山本 誠(元自衛艦隊司令官)
若林保男(湘南工科大学非常勤講師/元防研教
育部長)
渡辺 周(衆議院議員)
研究員
安生正明(埼玉県防衛協会事務局長/元技術研
究本部主任設計官)
江口紀英(元(株)太洋無線取締役社長)
木島 武(元(株)SCC代表取締役専務執行役員)
高 永喆(拓大客員研究員)
事務局
長野禮子((株)日本文化チャンネル桜キャス
ティングコーディネーター/「Key
Note Chat 坂町」・『季報』編集担当)
本田紀子(総務)
吹切栄一(総務)
編 集 後 記
民主党、やんぬるかな。帷幕の中心に床几を据え、そこに陣取って動ぜず、被害の規模を見積
もったうえで、司々の報告に耳を傾け作業の大きな方向を示すのが彼の仕事。聞くところ、出来
ていない。挙げ句の果ては削減した自衛官10万人頼りである。その脇でやはり愚かな部下は鉄道
を止めて東京に大混乱を引き起こした。少々薄暗かろうが東京が元気でいることがどれだけ東北
の人々に安心を与えるか。無策は更に外国人の逃げ足に拍車を掛け「日本は終りだ」と地球の隅々
にまで宣伝させてしまった。そうだった、サヨクにとってはエリート教育は悪だった。奇しくも
今号「特集」ではアワー教授から日米安保の次なるステップを示して貰い、「地域研究」でも貴
重な観点をいただいた。日本復活への糧にすることで玉稿への感謝としたい。(長野)
─ 55 ─
日本戦略研究フォーラム 入会申込書
日本戦略研究フォーラム 御中
貴フォーラムの設立趣旨に賛同し、入会を申し込みます。
平成 年 月 日
会 費
法人A会員
( 1 口年額 5 0 万円)
口
法人B会員
( 1 口年額 1 0 万円)
口
特別会員 ( 1 口年額
5 万円)
口
個人会員
( 1 口年額
1 万円)
口
ご氏名または法人名
ご署名又は印
ご職業・勤務先(個人の場合)
ご住所または所在地 申込者
法人の場合、担当者のご氏名・役職名
電話番号
:
FAX番号
:
E ─ m a i l
:
会費納入方法
振込先
〒
1 . 振込 2 . 現金
請求書
領収書
1 . 要 2 . 不要
1 . 要 2 . 不要
みずほ銀行 神谷町支店 普通 1 3 2 5 9 1 6
ニホンセンリャクケンキュウフォーラム
御紹介者
様
お申し込みFAX:03-5363-9093 お問い合わせTEL:03-5363-9091
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