第34回報告書(PDF)

第 34 回日中学生会議
活動報告書
論じ感じる、遠くて近い存在
~向き合う日中、創り上げる未来へ~
平成 27 年 8 月 11 日~25 日 広島 京都 東京
主催
第 34 回日中学生会議実行委員会
一般財団法人日中文化交流財団
協力
公益財団法人日中友好会館
公益財団法人日本中国友好協会
一般社団法人日中外交協会
社団法人日中協会
後援
日本国文部科学省 日本国外務省
中華人民共和国駐日本大使館
在中国日本大使館
在上海日本国総領事館
在広州日本国総領事館
助成
公益財団法人平和中島財団
公益財団法人双日国際交流財団
公益財団法人三菱 UFJ 国際財団
一般財団法人 MR ハウス
OBOG 寄付金
実行委員会
最終発表後に行ったプレゼン
ト交換にて。日本側と中国側
の実行委員で撮った記念の一
枚。
顔合わせ合宿
勉強会の話し合いやディスカ
ッション練習などを行った。
ご講演してくださった OBOG
の方々との一枚。
中間合宿
勉強会の発表や文化交流の練
習、毛里和子先生による講演
会などを行った。
直前合宿
全体写真
広島平和記念資料館
本会議への意気込みの共有の
ほか、文化交流の練習や分科
会のための最終準備を行っ
た。
日中学生会議の全参加者の集
合写真。着ているのは本会議
用に中国側がデザインしてく
れた T シャツ。
広島観光
昼食にて
宿の部屋にて
宮島の厳島神社での一枚。分
科会ごとで行った広島観光
は、分科会で打ち解ける良い
きっかけになった。
昼食でラーメンを食べた時の
一枚。食事を通じて、日本文
化を伝えるきっかけにもなっ
た。
部屋に戻ってからも話し合いを
続ける分科会。議論の場とは違
い、みんな穏やかな雰囲気。
戦後 70 年の節目に、改めて「戦
争」そして「平和」について考
えるために広島平和記念資料館
を訪れた。
分科会
安全保障分科会の一枚。毎日
夜遅くまで準備し、議論の場
では相手の意見を真剣に聞い
ている参加者たち。
東京観光
浅草の雷門前での一枚。半日
であったが、他分科会の参加
者との交流が深められた。
京都観光
金閣寺前での一枚。京都観
光では、寺社巡りや着付け
など、日本文化を満喫し
た。
分科会
最終発表の準備のため、議
論内容の整理やパワーポイ
ントの作成などに取り組む
開発と環境分科会の一枚。
東京講演会
最終発表
中国と長年関わっておられる
外務省の植野篤志氏、日中友
好会館の武田勝年氏両氏から
ご講演いただいた。
2 週間の議論の成果をプレゼ
ンテーションし合った。質疑
応答では、他分科会から鋭い
質問が飛び交った。
宿舎にて
京都府立ゼミナールハウスに
て。午前中の議論を終えて、
昼食を食べに食堂へ向かうと
きの一枚。
文化交流
両国の学生が練習を重ね、そ
れぞれの文化を演目として披
露しあった。写真は盆踊りの
グループの一枚。
最後の別れ
中国側との別れを惜しみ見送
る参加者。参加者の涙は、そ
れぞれの本会議が充実したこ
とを物語っていた。
第 34 回参加者名簿
日本側
役職・分科会
実行委員長
教育
安全保障
名前
慶應義塾大学法学部政治学科
2
乗上美沙
早稲田大学法学部
2
石田菖
ウィットマン大学
4
小山内誠華
フェリス女学院大学文学部日本語日本文学科
1
佐々木透
同志社大学法学部政治学科
3
高橋幹
慶応義塾大学法学部政治学科
2
土井口華絵
北海道大学水産学部海洋資源科学科
3
松本晟
早稲田大学社会科学部
3
橘高秀
東京大学前期教養課程文科 2 類
2
貿易
歴史
群馬県立女子大学
国際コミュニケーション学部国際ビジネス課程
4
額田晟太
広島市立大学国際学部国際学科
3
高村周平
慶應義塾大学法学部政治学科
2
光本恵理
上智大学経済学部経営学科
1
菅原加奈子
恵泉女学園大学人間社会学部国際社会学科
3
児玉祐介
国際教養大学
4
竹田拓磨
開発と環境
学年
御器谷裕樹
王萌子
情報
大学・学部学科
青山学院大学
国際政治経済学部国際コミュニケーション学科
2
清水茉莉花
成蹊大学文学部日本文学科
3
小川真由子
関西学院大学文学部文学言語学科
2
小林廣輝
慶應義塾大学文学部人間科学学科
2
王宗成
名古屋大学大学院環境学研究科社会環境学専攻
萩田美乃里
筑波大学生命環境学群生物学類
2
張本麗奈
慶應義塾大学法学部政治学科
2
土田航己
同志社大学法学部政治学科
4
鈴木友也
慶應義塾大学経済学部
4
金光美希
国際教養大学
2
加藤弘仁
関西学院大学法学部政治学科
2
李倩
筑波大学生命環境学群生物学類
2
古谷涼
山口大学人文学部言語文化学科
3
松本佳吾
慶應義塾大学法学部政治学科
2
辻ありさ
橋本麻莉子
同志社大学グローバル・コミュニケーション学
部 グローバル・コミュニケーション学科
関西学院大学商学部
M2
2
2
中国側
役職・分科会
実行委員長
教育
安全保障
情报
開発と環境
貿易
歴史
姓名
大学
学年
詹文馨
广东外语外贸大学
2
林芷筠
中山大学
1
阮倩雯
广东外语外贸大学
3
彭晓丹
北京第二外国语学院
张笑梅
北京中医药大学
2
钟泽峰
广东外语外贸大学
2
周晓涵
中国劳动关系学院
2
陈红州
广东外语外贸大学
2
董汉达
广东外语外贸大学
2
马成燕
北京第二外国语学院
欧阳卓林
广东外语外贸大学
2
潘欣仪
广东外语外贸大学
3
朱红颖
中山大学
3
范楚璇
北京航空航天大学
苏军
北京语言大学
4
朱子骄
中山大学
1
彭翰文
中山大学
2
工藤龙之介
清华大学
3
梅立楚
广东外语外贸大学
2
王晗
北京邮电大学
3
祝悦
中山大学
1
官晓容
华南理工大学
3
张皓博
中山大学
2
黄嘉伟
广东外语外贸大学
2
林晓晨
广东外语外贸大学
3
秦许鸽
中国传媒大学
M3
凌欢欢
中央财经大学
1
何燁
广东外语外贸大学
2
林文胤
华南理工大学
3
吴可菲
Fordham University
1
赵姝博
北京第二外国语学院
M2
M2
M2
M2
目次
第 一 部 はじめに
1
2
3
4
5
6
日中学生会議について........................................................ 1
実行委員長挨拶 ............................................................. 4
主催者挨拶 ................................................................. 6
創立委員挨拶 ............................................................... 7
日中学生会議顧問挨拶........................................................ 8
関係者挨拶 ................................................................ 11
第 二 部 実施報告
1
2
3
4
事前活動 .................................................................. 12
分科会活動 ................................................................ 16
本会議 .................................................................... 74
事後活動 .................................................................. 76
第 三 部 感想 ................................................................ 77
第 四 部 おわりに
1
2
3
4
5
6
7
謝辞 ...................................................................... 91
ご助成 .................................................................... 91
ご寄付(OBOG 寄付金) ........................................................ 91
ご後援 .................................................................... 91
ご協力 .................................................................... 91
ご助力 .................................................................... 92
顧問 ...................................................................... 92
第 一 部 はじめに
1 日中学生会議について
◆沿革
外務省・(社)日本外交協会主催の全国学生国際問題討論会「ザ・フォーラム」の入選者
により発案。日中関係に関心のある日本人学生有志が 1986 年に実行委員会を設立したのが
始まりである。1987 年夏、中国・北京において第 1 回日中学生会議本会議を開催し、今回
は第 34 回目の開催となる。
◆理念
“日中友好”とは、お互いの国、国民に対して好印象を抱いていることであり、人と人と
の交流が活発なことだ。さらに、国際社会で両国が協力し合うことでもある。
“学生の挑戦”
とは、日中友好を願うチャネルとして、限りない可能性をもつ学生のレベルからの積極的か
つ情熱的な試みである。
◆第 34 回テーマ
論じ感じる、遠くて近い存在〜向き合う日中、創り上げる未来へ〜
日本と中国。隣国でありながら、その関係は政治面や国民感情での冷え込み等によって良
好とは言えない。また、その遠さ故に、今日の学生の多くが日中関係を既存の理論に依拠し
た論理で考えてしまっている。そのような状況において重要なことは、この遠さと近さを自
らで体感することだろうと考える。そのため 34 回では、理論上の中国だけでない中国と向
き合うことを通じ各自の日中関係への主体的な視座の獲得、また未来を見据えた日中友好
に向けた自分なりの理論への模索をテーマとする。
◆第 34 回実行委員会組織
役職
名前
所属
実行委員長
御器谷裕樹
慶応義塾大学法学部政治学科 2 年
副実行委員長・渉
外・中国連絡担当
乗上美沙
早稲田大学法学部 2 年
総務担当
清水茉莉花
成蹊大学文学部日本文学科 3 年
広報担当
高村周平
慶応義塾大学法学部政治学科 2 年
広報担当
李倩
筑波大学生物環境学群生物学類 2 年
1
広報担当
土井口華絵
北海道大学水産学部海洋資源科学科 3 年
財務担当
張本麗奈
慶応義塾大学法学部政治学科 2 年
関西代表
小川真由子
関西学院大学文学部文学言語学科 2 年
◆実行委員会活動
①実行委員合宿
2014 年 9 月に第 34 回実行委員会が発足して以降、11 月、1 月、3 月の計 3 回にわたり、
実行委員合宿を行った。第 1 回合宿では今後の活動において根幹となる、第 34 回の活動理
念や目的、基盤づくりを行った。第 2 回合宿では分科会や勉強会等の事前活動や本会議で
の活動内容決めを行った。第 3 回合宿では、説明会の日程、参加者の選考日程や選考方法
について話しあった。
②広報・説明会
第 34 回ではこれまで同様、全国規模での広報を実施した。全国の 128 大学に対してパン
フレット・ポスターの送付を行った。加えて、Facebook、Twitter 等の SNS を利用して、参
加者募集・説明会等の情報を全国に拡散した。また、説明会は関西で 3 回、関東で 10 回行
った。
③参加者選考
広報活動の結果、参加希望者数が募集人数を大幅に上回ったため、選考会を行なった。一
次は書類、二次には個人面接による選考を行なった。面接場所は、関東と関西各地で行い、
遠隔地の学生には Skype による面接で対応した。面接官は、実行委員に加え、日中学生会議
OBOG などで構成され、厳格な審査のもと参加者 23 名を決定した。
④選考後
参加者確定後は、実行委員が各分科会を担当し、本会議に向けて勉強やフィールドワーク、
中国側との連絡などの準備活動を統括した。また、中国側実行委員長との連絡や、本会議中
の諸手続きの確認をして、本会議に向けて運営面での最終調整を行なった。
2
◆OB・OG 会について
寄稿:伊藤匡伸氏(日中学生会議
OBOG 委員会代表)
日中学生会議は 1987 年の第一回開催以来今年で 34 回目の開催を迎える。その間輩出し
た OBOG の数は日本側だけで 900 名に上る。この OBOG を組織化する試みは以前も行われた
が、継続性に問題が有った。
同期だけでなく OBOG との縦の関係も強化したいとの思いから 2012 年に OBOG 会を再結成
し、毎年 7 月に総会を開催しており、今年で 4 回目を数える。学生や OBOG との適切な距離
感を模索し試行錯誤を重ねてきたが、委員会の 4 年間の活動で頻繁に OBOG 活動に参加して
くれるコアな OBOG を一定数確保できたと思う。そうした OBOG とは主にフェイスブックで
学生の日々の活動を共有しており、学生と OBOG 相互の一体感を構成できているのではない
かと思う。
学生への支援という点でも、今年は 7 月に行った OBOG 総会後に学生への寄付金を募り、
OBOG より多くの寄付を頂いた。かねてより学生へ具体的な形で支援が出来たらと考えてき
たが、一つ形にすることが出来たと思う。
私は 2010 年に日中学生会議に参加し 2013 年より社会人として働いているが、中国のナ
ショナルスタッフと毎日電話やメールでやり取りしている。その際日中学生会議で中国の
学生と交流した経験は間違いなく日々のコミュニケーションの手助けとなっている。今後
私のような OBOG は益々増えてくるだろうし、実際私の同期の参加者では中国に駐在してい
る者もおり、同期の友人と北京へ会いに行ったこともある。今後もこのような OBOG 相互の
繋がりを一層強化し学生に OBOG と交流する場を設けることで OBOG 委員会の価値を高めて
いきたい。
3
2 実行委員長挨拶
◆第 34 回日中学生会議 日本側実行委員長 御器谷裕樹
8 月 27 日に第 34 回日中学生会議本会議及び事後活動以外の全てのプログラムが終了致
しました。これまで数多くの困難がありましたが、無事に開催することができました。今回
の開催にあたりご協力くださった OBOG の皆様や、日中文化交流財団の皆様をはじめとす
る関係者の方々に厚く御礼申し上げます。また今回の会議を成功させるため尽力した日本
側実行委員会と中国側実行委員会、日中双方の参加者に感謝致します。
戦後 70 年の今回、日本で本会議を開催するに当たり昨年 9 月に発足した実行委員会はあ
らゆる手段を模索し、多くの時間を費やすことによってそれを具現化しました。時に寂寥感
や漠然とした不安にさいなまれながらも、一人一人が活動の意義に向き合い自分の役割を
果たし、全体として会議の成功にまい進できたことを幸せに思います。その過程で今回の開
催にあたり例年より数多くのご助力を賜り開催にこぎつけたように感じます。寄附金のお
願い、実行委員会や引き継ぎの在り方など数多くの OBOG にご相談しました。そのほかにも
顧問の先生方や毛里和子先生はじめ新しい日中関係を考える研究者の会の方々や日中産学
官連携機構の方々、多くの学生会議の方々などに初めてお願いを申し上げ、快くご承諾いた
だきました。そのような方々の存在があったからこそ、プログラムを充実させることができ
たことを我々は胸に留め続けるべきでしょう。
今回開催に当たり戦後 70 周年の日本開催である本会議を成功させることと、来年の代へ
少しでも団体を良い状態にして引き継ぐことが最大の目標でした。戦後 70 年の歴史に対し
て、日本と中国の学生が何を考え議論するのか、開催地に初めて広島を据え平和記念資料館
を見学するなど特色あるプログラムを盛り込みました。学生一人一人が、戦争、核兵器、当
時の世界情勢、戦後の日本の復興などに向き合う姿は印象深いものでした。
私は日中学生会議に 3 年間所属し、年々団体の成長を実感しております。社会発信や学生
の限界性など多くの課題を抱えながらも着実に前進しています。今回の実行委員会活動は
例年より仕事が多かったように思いますが、これは来年迎える団体設立 30 周年の節目を意
識してのことであります。
近年 OBOG の方々との交流が多くない状況にありましたが、OBOG 委員会の伊藤様はじめ多
くの方々のご協力のもと現役参加者が OBOG の方々にお世話になることが増えてまいりまし
た。日中学生会議は世代を超えて日中関係や中国について語り合うプラットフォームにな
りつつあると考えられます。
さらに他の学生会議はじめ学生団体同士のつながりが弱まり、お世話になっている方も
偏りがみられていた現実を前にし、実行委員会でそれらの課題を克服すべく年間を通じて
取り組みました。
学生の立場ゆえ社会を今すぐに動かす能力は限定的であります。また、学生に裁量が大き
くゆだねられたこの日中学生会議において議論が不十分な点も認められるかと思います。
4
ですが、そのゆだねられた責任に向き合い、自分の力を最大限に発揮したものに待ち受ける
未来は明るいでしょう。次代を担う日本と中国の大学生同士が学術的な交流をすることに
よって相互理解を促進したことは日本の国益や日中関係のみならず世界に対しての多大な
寄与があるかと思います。
創設者の石津達也さんはじめ多くの OBOG の方々にもお話を伺いましたが、そのたびに
この日中学生会議を運営し、開催に向け尽力した実行委員会の血のにじむような努力の結
晶であることがわかりました。現に度重なる障害にあって開催が中止されたこともありま
したが、それでも日中関係に学生交流というチャンネルを残し続けた日中学生会議の活動
意義は歴史を積み重ねれば重ねるほど増していくように思います。
この団体でしか得られないものがある一方でこれから解決されるべき課題も抱えている
ことは間違いありません。次回の開催にあたり、王実行委員長はじめ実行委員会にはこれ
らの歴史を踏まえて、よき伝統は受け継ぎ、悪しき風習を脱して新たな実行委員活動に勤
しみ、歴史の上に胡坐をかくことなく団体のさらなる発展に寄与することを期待していま
す。さらに OBOG となった第 34 回参加者は惜しみなく次回開催にあたる諸作業を助けるこ
とを誓い、今回ご協力を賜った関係者の方々につきましては、今後ともより一層のご指導
ご協力のほど何卒宜しくお願いいたします。
5
3 主催者挨拶
◆一般財団法人日中文化交流財団理事長
三木友里氏
第 34 回日中学生会議・第 14 回日本開催、参加の皆様。会議開催成功おめでとうございま
す。
今回の会議は 2015 年 8 月 9 日~8 月 27 日の 19 日間、ほとんど初対面の日中大学生 60 数
名が一緒に生活、一緒に勉強、一緒に討論、もちろん和やかな議論あり。議題により、大変
激しい議論もありました。今年は第二次世界大戦終焉「70 周年」
。人類の歴史から言っても、
日中の歴史から見ても非常に特別な意味を持つ年。日中両国の将来の運命を背負ってらっ
しゃる現役大学生が広島という場所を選んで、広島平和記念資料館を訪ねて、共に歴史を振
り返りながら今年の世界の平和について素直な意見を発表、討論したことで、学生会議に参
加してくださった両国の青年大学生たちが如何に過去の歴史事実を鑑みて、責任ある態度
で世界の平和、地球の未来を真剣に思考しているかということを世の中の人々にお伝え致
したいと思います。日中学生会議、1987 年、中国北京で第 1 回開催以来、今回まで日本・
中国開催の 29 年間、34 回開きました。34 回全て、日中両国関係者の方々から大変高く評価
されて成果を得たと言っても過言ではないと思います。
この 29 年間、会議に参加して下さった方々(OB 会の皆様)
、そして応援して下さった機
関団体、個人の方々、長い長い間よく応援して下さり、ご指導下さったことを心から御礼申
し上げます。
「70 周年」を機に「日中学生会議」は今年も「初心を忘れず」日中両国の文化
相互理解を基に、本音の交流を通じて、国境を越えて、信念を持って、真心を持って、前向
きに未来志向で交流して参りたいと改めて確信致しました。
最後に顧問の先生方、OB・OG の方々、助成をいただいた法人・団体の皆様、御後援いただ
いた文部科学省、外務省、在日中国大使館、その他枚挙出来ない数多くご支援くださった
方々に衷心より御礼を申し上げます。
6
4 創立委員挨拶
◆日中学生会議創設者 石津達也氏
成功おめでとう。そして次の 30 年に向けて
何よりも先に、34 回日中学生会議の成功に協力いただいた団体、多くの方々に深くお礼
申し上げます。
私が 1985 年 12 月 29 年、江蘇省南京市の城壁の掘割のかたわらでこの学生会議設立を決
意してから一世代 30 年余りが過ぎ、今年の日本での 34 回会議の大成功を見届けることが
できた。数十人を超える両国の学生が一堂に会し、OBOG も 40 人余り集いに参加した。この
感激をどう表現したらよいであろうか、これだけの隆盛を誰が予想しただろうか。35 回の
実行委員も頼もしい方々ばかりだ。
もうわたしが明日この世を去ってもこの会議は続き、有益・有能な人材を輩出する事であ
ろう。いや、この会議はすでに社会に対してインパクトを与えつつある。それは中国では学
生が歴史を動かしてきた歴史があり、学生が歴史を動かしてきた主体であるからである。古
くは前世紀初頭の清朝末科挙に合格した若い学生=挙人が康有為に率いられて明治維新に
範をとった変法自強運動=戊戌の変法を起こし、先の大戦後の文化大革命の紅衛兵も学生を
主体とした学生だった。また、1971 年に名古屋で開かれた世界卓球選手権で中国チームが、
偶然米国チームと接触、その後米国の若い選手が中国に招待され「熱烈歓迎」の垂れ幕の下、
各地を転戦、一気に中米関係は好転、翌年のニクソン大統領の中国電撃訪問につながったの
はこと(いわゆる「ピンポン外交」
)
。1989 年の天安門事件が学生が主体となったことは周
知の通りである。
我々は政治・宗教的に厳正に中立な団体で、何らかの価値観に立ったり、中国の内政に干
渉したりしては決してならないのであるが、日本人学生は単なる友達作りの国際交流と異
なり、われわれは交流を通じて世界史と対峙しているという気概を持たないとならない。そ
の意味で、決して誇張なく,我々は若き公務員であり、若き外交官なのである。この気概が
なければ、学業の合間にアルバイトをしてお金を貯め、中国で自由旅行をしたほうがよほど
本人の利益になるだろう(それも大切な体験と民間交流であるが)。
我々創立世代は「最低でも 100 年の継続」を目指してこの会議を創立した。2087 年 8 月、
われわれの日本全国に広がった後輩がより大規模に、楽しくも真剣な会議をするのを夢に
みている。まず次の 30 年に期待する。あなた方は第二の創立者である。
おめでとう!日中学生会議 30 周年!
7
5 日中学生会議顧問挨拶
◆日中学生会議顧問 天児慧教授(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科)
今年は「戦後 70 年」である。戦争が終結して 70 年の長い歳月を経たのに、日中の政府、
国民は相互の理解、信頼、協力の関係を本当に構築していると言えるのだろうか。現実の問
題として相互の理解も、信頼も、協力も極めて不十分である。両国民、とりわけ日中関係者
はどのようにこれらの現実を受け止めるべきか。日本と中国は過去多くの交流の歴史を持
ち、相互に影響し合い、協力し合ってきた。もちろん日本による中国侵略の歴史は忘れるこ
とはできない。しかし、それだけが日中間の歴史ではなく、戦後 70 年にも対立や断絶もあ
ったが、その基本的な流れは友好と協力の交流が主流であった。にもかかわらず、われわれ
は誤解と不信と対立を再び強めているようにも見える。打開の道をどのように模索すべき
か。
まず「戦争の問題」に関して、確かに第二次世界大戦の評価をめぐり「侵略戦争」ではな
かったという見方が日本にはある。そのような見方に対して、中国などアジア諸国、欧米諸
国から厳しい批判がなされてきた。70 年もの歳月を経ながら、この戦争にたいする日本国
自身の態度を明確にしてこなかったことは、無念でありまた嘆かわしいと言わざるを得な
い。戦争の「原因論」から見れば、欧米のアジア侵略に対する「アジア解放」の戦いだった
との解釈もありうるが、
「結果論」から見れば、日本がアジア諸国の人々や領土を蹂躙し、
強制的に自らの勢力圏に置こうとした「侵略戦争」
、さらには無謀にも欧米に戦いを挑み敗
れた戦争であったのは疑う余地はない。
すでに「村山談話」をはじめ、わが国の指導者はこの事実を直視し、真摯に謝罪を行って
きたが、それに反論する国内の声も少なくはなく、海外から日本の誠意が疑われてきた。し
かしこの点で今回の「安倍談話」は不十分とはいえ、「村山談話」を継承し、あの戦争に対
する日本国家としての深い反省の意は示したと考える。
しかし同時に、安倍政権は防衛予算を若干増大させており、かつ日米同盟の強化、集団的
自衛権、安保法制の国会承認を強引に進めてきた。しかしその意図は他国からの攻撃に対す
る反撃能力を高めることで、決して他国を攻撃しようとしているものではないという安倍
氏の言葉を信じたい。中国の驚異的な軍事力の増強を前にして、大多数の日本人には「中国
脅威論」
「対中不信感」が広がっている。しかし中国に軍事的に対抗できるとも、対抗しよ
うとも思わない。中国が日本からの攻撃を懸念する必要は全くない。しかしもし中国がこれ
まで以上に軍事力の増強、威嚇を強めるなら、日本国内の反中感情、中国脅威論はさらに一
段と高まり、
「安全保障のジレンマ」の泥沼に入ることになる。
日中の問題を本音で語り合え、相互理解と相互信頼を構築することが関係改善のための
最大のポイントである。今日、日中の新しい世代の若者たちによる関係改善の取り組みに対
する期待は今まで以上に増してきている。皆さんの世代は、いろいろのこだわりやねじれた
感情に縛られているわれわれの世代より、はるかに率直に正面から相手側に向き合い、自分
たちの本音をぶつけ合うことが可能だからだ。新しい信頼関係を基盤にした日中の未来を
切り開くために皆さんの活躍を心から期待します。
8
◆日中学生会議顧問 上田貴子准教授(近畿大学文芸学部)
つなぐ若者たちへ
2015 年度の日中学生会議本会議が成功のうち終了したとのこと、おめでとうございます。
今年は世界各地で終戦 70 年という言葉が強調されました。しかし、国際法上はサンフラ
ンシスコ講和条約の 1952 年の発効によって戦争状態が終了したとされるので、法的には終
戦から 70 年とは言えません。また中華人民共和国との間では、1972 年日中共同宣言をもっ
て戦争状態が終了したとされ、敵対関係から我々が自由になってまだ 43 年なのです。戦後
70 年とは、1945 年に日本がポツダム宣言を受け入れ、日中・太平洋戦争が休戦になって 70
年という意味なのです。
しかし、実際には 1945 年 8 月以降も戦闘に巻き込まれた人もいます。中国では内戦がは
じまり、そこには中国人だけでなく日本人でも参加を余儀なくされた人がいました。留用者
とよばれるこのような人々は一般の引揚げよりも遅れて帰国されました。また、中国帰国者
と呼ばれる中国人家庭に入り、1972 年以降に帰国された方もいます。このような方々は堪
能な中国語運用能力を有し、中国事情に精通しておられ、公的に日中をつなぐ仕事に従事さ
れる方もたくさんおられますし、私的に日中の絆を築いた方もおられます。このような方々
が日中の草の根のつながりの一本一本でもあるのです。
commemoration という言葉があります。記念という意味ですが、70 年をかかげた数々の行
事は、
節目にしやすい数字をあげ、
まさに commemoration するものでした。この単語は memory
を強調するという意味からきており、実は行事を主催する者の意図する飾りつけをして、歴
史を上書き保存したいという行為でもあるのです。70 年を掲げることで、戦争を深く記憶
に刻み込むことは大事です。ですが、それと同時に、70 年を強調することで後景に退いて
しまうことがあることを知っていてほしいと思います。先に述べたような草の根の民間外
交もその中に含まれています。そして草の根の外交は数字に関係なく連綿とつながってい
くものだと思います。
日中学生会議も、草の根の民間外交といえるでしょう。皆さんの活動を説明なしではどう
いうものか、知らない人もたくさんいるはずです。それでも民間で日中をつないできた少な
くない方々の系譜につながる尊敬すべき価値ある活動です。中国語・日本語ができない参加
者に対しても助け合って理解しあおうとし、自分たちで語り合いたいテーマを俎上にあげ
て議論するという、参加者一人一人にとって未知のチャレンジをしています。先人の活動を
知ってほしいと思うのと同様に、日中学生会議の活動を多くの方々に知ってもらえればと
思います。
最後に、この報告書をご覧になってくださる皆さまが学生の果敢なチャレンジをご理解
くださり、応援くださいますようお願い申し上げます。
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◆日中学生会議顧問 阿古智子准教授(東京大学大学院
総合文化研究科)
戦後 70 年を迎えて
現在、東京の我が家には、日本の大学に通う中国人留学生が 1 人ホームステイしており、
その他にも、年がら年中、中国の友人やそのまた友人が泊まりに来る。夏休みの今は、米国
の大学で学ぶ中国人学生 2 人が日本でインターンをする 1 ヶ月の間下宿しており、我が家
は一気に 5 人家族になった。狭い部屋が 4 つあるだけの小さな家だが、それぞれ譲り合う
べきところは譲り合い、言いたいことは言い合う。お互いよく理解していない間は、疑う必
要のないことを疑ってしまったり、小さなことを大きく考えたりしたこともあったが、時間
が経つにつれて、適度に距離を取ったり、相互に思いやったりできるようになる。
夫が中国に単身赴任しており、祖父母も関西在住、5 歳の子どもを 1 人で育てる私は、毎
日仕事と家事、育児で息をつく暇がない。中国の学生たちは、私が残業で帰宅が遅くなる時
には、子どもの保育園や習い事の送迎、食事から風呂の世話までやってくれる。1 人の学生
は少し前まで、道路に飛び出しては大変と考えたのか、徒歩 15 分もかかる習い事の教室ま
で、息子を肩車して連れて行ってくれていた。私はびっくりして、「疲れるから、歩かせて
ね」と伝えた。もう 1 人の学生は、私が息子の就寝時間までに帰れなかった日、息子が眠る
ベッドのそばで、小さな電灯をつけてしゃがみ込んで勉強していた。
「こんな暗くて狭いと
ころで勉強しなくてもいいのに!」と私が言うと、彼は「○ちゃんがベッドから落ちないか
心配だったから」と答えた。息子は中国のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちにこんなにも大切に
育ててもらっていると胸が熱くなった。私自身も学生時代、中国でよく人の家に泊めてもら
った。母親が早くに病気で亡くなった私を思って、本当の娘のように私に接してくれる「中
国の母」もいる。私にとって、中国は自分の家族が住む国であり、自分の国も同然だと思っ
ている。
あと 5 年、10 年、そして 20 年経てば、日本は、日本と中国の関係はどうなっているだろ
う。最近ワイドショーは、頻繁に中国人の「爆買」を特集して騒いでいるが、日本の人口減
少の趨勢や中国との経済的つながりを考えれば、日本社会に占める中国人居住者・訪問者の
割合が増えていくことは確実だ。同時に、日本人と中国人の間でのトラブルが増え、相互の
不信、誤解、差別感情が高まることも容易に想像できる。
自分の息子を大切にしてくれる中国人学生を前に、
「中国人」
「韓国人」は「日本人」とは
異なる人種だなどとは、私には到底思えない。私は、ヘイトスピーチを断固として許せない。
異なる立場にいる人間が衝突することは予測できる。衝突を出来る限り防ぎ、問題が生じた
場合も迅速かつ効率的に解決する方法を具体的に考えなければならない。ハードな安全保
障だけでなく、相互にコミュニケーション能力を高めるのだ。共有できるソフト面の資産を
増やしていくのだ。私のイギリス人の友人は、
「EU では加盟国間で外国語の学習を広めてお
り、特に近隣国の言葉はとても重視するのに、なぜ日本人は韓国語や中国語を学ぼうとしな
いのか」と不思議がっていた。戦後 70 年にして、アジアの国々との不幸な過去の歴史を乗
り越えるための日本の取り組みはまだ始まったばかりであり、学生同士、忌憚なくさまざま
な考えを述べ、互いを理解し合おうとする日中学生会議は今後も重要な役割を果たしてい
くだろう。
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6 関係者挨拶
◆毛里和子先生(早稲田大学名誉教授)
去る 7 月はじめの土曜日の昼下がり、日中学生会議からの依頼を受けて、
「新しい日中関
係をめざして」という講演をした。中国の大学生との交流ゼミナール参加を控えている皆さ
んはとても熱心に、目を輝かせて付き合って下さった。講演後には熱心で的を射た質問や意
見をたくさん寄せて下さり、私も大いに楽しんだ。
日中関係はいま危うい分岐点に立っていると思う。この講演会でも述べたのだが、1972 年
にスタートしてから 40 年たったいま、これまでとは違う日中両国関係に変わったようであ
る。では「新しい日中関係」というが、一体なにが新しいのだろう。
まず担い手が新しい。1972 年生まれの人はいまや 43 歳、日中ともに、この世代が社会の
中核を担っている。ところが、彼らは「よい時代の日中関係」を余り知らない。次に関係の
あり方が新しい。どうやら、とくに諸国家が若いアジアの国家関係では、国家や政府の関係
は、ナショナリズムや「愛国心」がぶつかり、柔らかい関係を築きにくいことを 2005 年以
来衝突をくりかえす日中関係を見て痛感している。おそらく、人々のレベル、地方のレベル、
個のレベル、文化のレベルでの関係が大事になってくるのだろう。第三が関係をつなぐ価値
の変化である。かつて、
「友好」を目標にした。また「利益」が双方を引きつけた。だがこ
れからはどうだろう。新しい価値、例えば「非戦」などが必要になるのかも知れない。第四
が、どのように「新しい日中関係」に世代をつないで行くのか、という問題もある。日中学
生会議は、こうした「新しい」日中関係を必ずや担っていってくれるにちがいない。
2014 年の第 33 回会議の記録を拝見した。いずれも、得たもの、後悔したもの、悔しかっ
たこと、違いや差などについての深い実感、などが率直に綴られていた。その思考が深いこ
と、文章がなかなかの名文であること、などに感銘を受けた。多くの学生が、違いを知り、
「自分の身の丈を知り」
、悔しさを実感することができたことを語っている。こうした収穫
を得たことをともに喜びたいと思う。また実は人々の認識は、意図しないうちに、教育やメ
ディアで形づくられているのだ、と感じるに至ったことも大事な成長だろう。
こうした新しい経験をすぐに血肉にしてしまう若さをとても羨ましいと思う。彼ら新世
代が新しい日中関係を必ずや切り開いてくれると信じている。
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第 二 部 実施報告
1 事前活動
◆顔合わせ合宿
文責:小川真由子
第 34 回日中学生会議は、5 月 23 日から 24 日にかけて大阪にある新大阪ユースホステル
にて顔合わせ合宿を行った。全国各地の参加者が一堂に集まる初めての機会であり、親睦を
深めることと本会議に向けての準備を始めることを目的とした。以下が詳細である。なお、
分科会活動については顔合わせ合宿、中間合宿、又直前合宿を通して行った。詳細は分科会
活動の項目に記載する。
①アイスブレイク
文責:土井口華絵
初対面の参加者同士がより早く打ち解けるために、フィールドアイスブレイクとルーム
アイスブレイクを行った。まず、大阪駅に集合後、フィールドアイスブレイクを行った。テ
ーマに沿った写真や動画を撮影し、それを共有して点数を競った。ルームアイスブレイクは、
会議室に到着後に自己紹介やジェスチャーゲームを行った。これにより、緊張していた雰囲
気が和やかになった。
②ディスカッション練習
文責:李倩
分科会・勉強会活動を行う上で、効率的な議論をするスキルは必要不可欠だ。本会議の限
られた時間をより有意義なものにするため、顔合わせ合宿で議論の練習を行った。事前課題
として課題図書『日中関係−戦後から新時代へ(毛里和子著、2006、岩波新書)』を読んだ
上で国交正常化について考えてきてもらった。合宿では班ごとに分かれ、自身の考えを班内
で共有し、議論した。最後に、各グループのディスカッションから得た結論を簡潔にまとめ
て発表した。
③OGOB 座談会
文責:乗上美沙
今年のユニークなプログラムの 1 つとして、関西在住の OBOG による OBOG 座談会を顔合
わせ合宿の 2 日目に行った。当日には、第 2 回参加者藤田文亮氏、第 11 回参加者高橋祐治
氏、第 30 回参加者石原なつみ氏に足を運んで頂いた。お三方からは、当時なぜ日中学生会
議に参加するに至ったのか、そして実際に参加した日中学生会議はどのようなもので、如何
なる影響をあたえることになったのか、といったことについてお伺いすることができた。終
盤には質疑応答も行われ、歴史上の日中学生会議を知ることができた。このような OBOG 座
談会の開催によって、これまで希薄化しつつあった関西 OBOG との繋がりを再び構築するこ
とができ、また参加者にとってはこれからの活動に向けてモチベーションの向上に繋げる
ことができた。
④文化交流準備
文責:小川真由子
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本会議で行う文化交流会発表に向けて、参加者全員で企画案を出し合った。文化交流会は
分科会のメンバー以外と交流する機会でもある。ホワイトボードを囲み意見を出していき、
最終的に 5 つの演目を行うことに決定した。一人一つの発表を担当することとした。
⑤勉強会準備
文責:張本麗奈
第 34 回では 6 つのグループに分かれて勉強会を実施した。顔合わせ合宿では、まず勉強
会の概要について説明をした後、グループごとに分かれての作業となった。中間合宿で行わ
れる発表会に向けての skype ミーティングの日程調整や調べる内容について話し合った。
どのグループもすぐに打ち解けてられているように見受けられた。
◆中間合宿
文責:小川真由子
7 月 4 日から 7 月 5 日にかけて、東京にある国立オリンピック記念青少年総合センターに
て中間合宿を行った。全国に散らばる参加者が顏を合わせて議論を進めることが出来る貴
重な機会である。また、5 月から始まり 8 月に本会議を迎えるスケジュールにおいて参加者
の意欲を維持しさらに高める重要な催しでもある。以下が合宿の詳細である。
①講演会
文責:御器谷裕樹
毛里和子先生ご講演会を合宿 2 日目の午後に行った。毛里和子先生は早稲田大学名誉教
授、現代中国研究所顧問。2011 年に「文化功労者」に顕彰され、これまで「中国学研究貢献
奨」、「福岡アジア文化賞」などを受賞された。ご専門は中国政治と外交、東アジア国際関
係。主な著書に『グローバル中国への道程―外交 150 年』、『日中関係―戦後から新時代
へ』、『現代中国政治』、『現代中国政治を読む』、『周縁からの中国―民族問題と国家』、
『中国とソ連』など。
また、新しい日中関係を考える研究者の会の前代表でいらっしゃり、日中学生会議として
は、昨年歴史分科会のフィールドワークでお話を伺ったほか報告書へのご寄稿、本年 3 月に
は同会と共催し 70 人以上にお集まりいただいた講演会「戦後 70 周年とこれからの日中関
係」にてご講演をしていただいた。
今回は 72 年国交正常化の意味を「確認」するとともに、目指すべき「新しい日中関係」
とはなにかをお話いただいた。
ご講演テーマは「戦後 70 周年 新しい日中関係をめざして」
。
予定時刻を超過したにもかかわらず、先生の御好意によりお時間いただき、「新しい日中
関係とは」に関して学生からの率直な意見が飛び出した。先生にはそれぞれの質問に対して
丁寧にお答えいただき今後の学習につながった。
弊団体顔合わせ合宿で 2 年連続の課題本の著者でいらっしゃる先生に、ご多忙の中お越
しいただき誠にありがたい。学生の積極的な発言から非常に勉強になったことがうかがえ
た。
②文化交流練習
文責:小川真由子
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本会議の文化交流会発表に向けて第二回目の対面練習を行った。顔合わせ合宿にて決定
した企画ごとにグループに分かれ、演目ごとに練習した。企画を決めて以降初めての対面で
の練習であり、発表内容についての話し合いを楽しんでいるグループが多く見られた。メイ
ンである分科会活動に真剣に取り組む中、練習時間は息抜きの時間となった。
③勉強会最終発表
文責:張本麗奈
日中国交正常化について 6 つのアクターの視点から 1 つ選び、それについて中間合宿ま
でに調べた内容をまとめて、全体に向けてプレゼンテーション形式で発表を行った。どのグ
ループも分かりやすく工夫に満ちた発表であった。また各勉強会の発表に対して質疑応答
時間を設けた。約 15 分という短い時間での発表時間に自分たちが今まで調べた内容を盛り
込む難しさを勉強会ごとで痛感したようだ。
④OBOG 総会
文責:乗上美沙
7 月 4 日(土)、OBOG 委員会主催の OBOG 総会が今年も都内で行われた。
日中学生会議はその活動の一環として OBOG 総会を OBOG 委員会主催の下で毎年開催して
いる。OBOG と現役の繋がり、さらには OBOG 同士の繋がりが希薄化しつつあるという問題意
識の中で、
繋がりを継続させる場所としての OBOG 委員会がある。今年も総会には多くの OBOG
の参加があった。
会場では、現役参加者が今年の分科会の論点において自分たちが躓いている部分を OBOG
に相談したり、将来の進路を OBOG に相談したり、あるいは日中関係に関わる諸問題に関す
る意見交換を行ったりした様子が見受けられた。省庁、メディア、金融といった様々な分野
に携わっている OBOG との交流は、私たち現役にとってとても強い刺激となった。
また、元中国側の参加があったことがとても印象的であった。その交流の中で、日中学生
会議はまさに日中間の連携が有り、その相互作用で開催されているものであると改めて認
識できた。
OBOG 委員会は、歴史ある日中学生会議の要である。歴史があるからこそ、今がある。OBOG
委員会はこのことを常に教えてくれる存在だ。そこには、単純な人的交流だけに留まらず、
日中友好を実現する上で欠かせない日日友好の実現に向けた個人同士の繋がりが常に重要
視されている。
◆直前合宿
文責:高村周平
8 月 10〜11 日、広島青少年文化センターにて直後合宿を行った。この合宿の目的は、本
会議に向けて各活動の最終調整を行うことである。分科会活動では、中国側と本会議でス
ムーズに議論に入れるよう事前勉強の整理や議題に関するリサーチ、中国側との連絡など
を行った。また、文化交流の練習では、互いに指導し合い熱心に練習する姿が見られた。
この他、本会議のスケジュールや注意事項の確認、本会議の抱負の共有などを行い、気持
ちを新たにした。加えて今年度は、来年度の実行委員募集について説明を行った。
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◆勉強会
文責:張本麗奈
勉強会活動は、中国に関する基本的な知識を得ること、分科会以外のメンバーとの交流
を図ること、本会議の最終発表に向けての発表の練習という 3 つの目的がある。今年の勉
強会は、日中国交正常化について学生・メディア・元軍人・議員・外交官・商人という 6
つのアクターに分かれて 1 グループ 1 アクターについて調べ発表する形をとった。顔合わ
せ合宿から中間合宿まで約 1 ヶ月かけて活動を行った。各グループ週 1 程度のミーティン
グを行い、その内容をパワーポイントにまとめて発表した。全体のテーマを一つに統一す
ることで、全員が日中交正常化に関する様々な方面からの深い知識を得ることができたと
実感している。
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2 分科会活動
◆安全保障分科会
■事前準備
○事前ミーティング
文責:土井口華絵
事前準備として週に 1 回ペースでスカイプによるミーティングを行った。顔合わせ合宿
から中間合宿までの 5 月下旬から 7 月上旬までは、主にテーマ決めを行った。安全保障の
何について興味があるかなどを出し合い、中国側とテーマ決めについてのミーティングも
行った。
中間合宿から本会議までの 7 月中旬から 8 月上旬までは、中間合宿前に決まったテーマ
に担当者を割り振り、勉強会を行った。担当者がそのテーマについて深く調べ、ほかの者に
共有し、議論するという形式で知識を深めた。
○合宿
文責:橘高秀
準備段階で 3 つの合宿があった。最初の顔合わせ合宿で行ったのは、それぞれのメンバー
の自己紹介とテーマの発案である。5 人のメンバーのうち 2 人が欠席していたため、中国側
と合わせて Skype で簡単な自己紹介を行った。その後、安全保障に関して興味のある分野を
列挙し、本会議の議論のイメージ作りをした。具体的に案としては、
「領土」
「食の安全保障」
「日米安保」
「核問題」
「集団的自衛権」
「軍事費」
「南シナ海」
「ナショナリズム」
「台湾問題」
などが挙げられた。中間合宿では分科会に当てられた時間のほとんどを靖国神社フィール
ドワークにかけたので本会議のための議論はほとんどしなかった。フィールドワークにつ
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いての報告は後述する。直前合宿では、今まで Skype ミーティングで話し合ってきたことを
まとめ、本会議の方向性を決めた。主に話し合うことになった「核問題」
「アジアインフラ
投資銀行(AIIB)」
「食料安全保障」
「集団的自衛権」について、以前調査した資料、当時の議
事録を見返しながら復習をした。また、
「集団的自衛権」については、2 日前に中国側から
話し合いたいとの要望が出たために、急きょ調査・発表をして前提知識のまとめをした。最
後に、本会議の予行練習として「食料安全保障」をテーマに模擬討論を行った。
○まとめ
文責:橘高秀
3 回あった事前合宿であるが効率よく有意義に分科会の時間を使うのはとても難しかっ
た。後になって振り返れば、もう少し本会議の議論のための時間を割いておくべきだったと
思う。本会議直前に「集団的自衛権」を扱うことに決まるなど、準備不足・中国側との意思
疎通の不十分さからくる混乱もあったからだ。次期参加者は一回一回の合宿のスケジュー
ルを大切に決めてほしいと思う。
■フィールドワーク
①靖国神社訪問(訪問日 2015 年 7 月 5 日)
文責:王萌子
靖国神社では今年戦後 70 周年記念として遊就館で大東亜戦争七十年展が開催されている。
「大東亜戦争」
(または太平洋戦争)は現在の日中間で起きている衝突や矛盾を生み出した
戦争であり、現在の日本の安全保障体制を決定した出来事である。このような背景を踏まえ、
安全保障を討論していく上では、この戦争を日本がどのようにとらえているのかを知る必
要があり、靖国神社を中間合宿のフィードワーク先として選んだ。
遊就館では常設展示、映画と大東亜戦争の特別展を観覧した。常設展示では遊就館の成り
立ちや明治維新前から第二次世界大戦終戦までの歴史記述パネルや亡くなった兵士たちの
遺品・遺書、そして戦時中に使われていた兵器・戦車・軍艦などの模型が掲示されていた。
映画は「私たちは忘れない―感謝と祈りと誇りを―」という 50 分間の作品をみた。特別展
では昭和 19 年の本土作戦から終戦までの関係資料が掲示されていた。
今回のフィードワークを通して、戦争は残酷なものであり、自分たちと年変わらぬ兵士が
国のため、家族のためにその若い命を散らした事実を改めて認識できた。また、元日本兵の
方々や遺族にとっては、靖国神社は戦友と家族との再会の場であり、魂の拠り所であるとも
感じた。しかし、遊就館の展示では、偏った歴史認識が見受けられ、その正当性に疑問を感
じる。遊就館には子供連れの家族や学生の姿もあり、若い世代への戦争教育という点に関し
ては不十分であると考える。さらに、外国では靖国神社は主に総理大臣が参拝しているとい
うイメージが強いため、外国の観覧者にとって遊就館の歴史認識がそのまま日本政府の認
識と結びつくことも可能である。日本を守るために命を捧げた方たちが眠っている靖国神
社は日本国民にとって特別な場所であろう。しかし、今日複雑化する国際情勢の中、安定的
な外交を築くためには総理大臣が公式に参拝するところではないと考える。
②天児慧教授訪問(訪問日 2015 年 8 月 3 日)
文責:松本晟
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中国外交政策の専門家である早稲田大学大学院アジア太平洋研究科天児慧教授に日中関
係に関する貴重なお話をして頂けると考え早稲田大学にてお話を伺った。私たち安全保障
分科会は事前にいまの日中両国の外交政策を調べ、日中関係に存在する安全保障課題につ
いて質問を用意した。
まず、いまの中国の対外政策について解説していただいた。鄧小平時代から中国は平和五
原則をもとに内政不干渉原則、非同盟政策、韜光養晦政策を対外政策の軸としてきた。しか
し、中国は国際地位が高まっていくことに伴い、自国を発展途上国の中心大国と位置づけ、
現在は新国際秩序の「型」の形成を追求している段階である。特にここ数年は一帯一路政策
とアジアインフラ投資銀行の創設を打ち出し、人民元国際化を主軸にして経済力を浸透さ
せる動向が目立つのである。また一方でアジアインフラ投資銀行に参加表明しなかった日
本の今後の立場及びこれからの日中関係についてもお話をいただいた。日本は自ら主導し
ているアジア開発銀行の機能を改めて見直し、どう AIIB と関係を持つのかが今後の外交課
題になる。そして、日中関係の改善には「戦略的政経分離論」を意識するのが欠かせないこ
とである。主権や歴史問題という前提条件をなしに両国がいかなる依頼関係を築けるかが
ポイントとなる。
また、尖閣諸島の領有権にめぐって、中立的な意見を先生へお伺いした。一つの考えとし
て、共同主権論があげられた。一見「共同」と「主権」は矛盾する概念であり、主権は歴史
によって形成されるが、この問題を戦略的に解決するためにはこれが最善策だと考えられ
る。最後に日米安保条約が日中関係に及ぼす影響について質問させていただいた。日米連携
はリバランスを取るという意味で効果があり、両国の連携により安全保障で中国をけん制
することが可能としている。だが、今後日本は日米同盟の強化する上に、非中国諸国との連
携が必要となってくる。これは中国との敵対でなく、対等な主体構築のためである。
以上は天児教授との質疑応答を通して話し合った内容の一部である。天児教授には多忙
を極める中で私たちのために貴重な時間を割いてお話をしてくださったことに感謝したい。
③湯浅剛教授訪問(訪問日
2015 年 8 月 12 日)
文責:額田晟太
ポスト・ソ連空間の地域機構、政治変動、安全保障が専門の広島市立大学平和研究所湯浅
剛教授に、
「中国の対外政策の歴史・現代・未来――ロシア・中央アジア諸国との関係を中
心に」というテーマでお話を伺った。
まだ専門書の少ない「一帯一路」構想の将来像について有識者の見解を伺い、本会議開始
直後に、分科会全員で有識者の意見を共有し意見の一致不一致を認識することで分科会の
進行を円滑にすることが目的であった。
まず、中華人民共和国の成立からソ連崩壊までの歴史やそれ以降の現代情勢を説明して
いただいた。それらを踏まえた上で、今後の世界情勢の展望について解説してくださった。
現在の中国は国際情勢における相対的地位を上昇させており、
BRICs と SCO(上海協力機構)
にとっても中枢になっているものの、ロシアの存在によりそれらの組織では意のままに活
動できていない。大国であると自負している中国はイニシアチブを発揮できる世界機構と
して AIIB を設立した。日本は AIIB には不参加であったが、その代わりに日本が主要メン
バーとして運営している ADB の活用に尽力し小国にとって利用しやすい枠組みに変更しよ
うとしている。AIIB と ADB、両者の競争によって被支援国の選択肢が増えることが望まし
い。日本は人口減少により大国にはなれないが、国際政治のリーダーではなく、ミドルパワ
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ーを発揮する「伴走者」
、
「媒体」となるのが望ましい姿であるというお話であった。私は、
日本が経済大国であり続けることに固執した考え方しかもっていなかったため、日本のミ
ドルパワーという観点は大変新鮮であった。
急な頼みにもかかわらず、快く引き受けてくださり、講義や質疑応答も笑顔で進行してく
ださった湯浅教授には心から感謝している。
■本会議での議論
文責:王萌子
安全保障分科会では、日中双方の学生が興味を抱いた 4 つのテーマを決めた。日中間の平
和で安定的な関係を構築するために、学生らしい自由な感性でそれぞれのテーマにおける
協力策や解決策を模索し討論した。
○テーマ 1:アジアインフラ投資銀行(Asian Infrastructure Investment Bank、略称 AIIB)
文責:松本晟
【はじめに】
日中間の安全保障課題を経済面からアプローチし、中国主導の新たな国際金融機関、アジ
アインフラ投資銀行を取り上げた。
【議論内容】
1.AIIB の創設意義
1 つ目のテーマとして日中両国から見る AIIB の創設意義について議論した。日本側は事
前に調べてきた資料を参考に論点を 3 つにまとめた。①中国国内の供給余剰と海外需要が
マッチングしていること。②既存の国際金融レジームが世界経済のニーズに十分応えてこ
られなかったこと。③中国が自国の影響力拡大を目的としていること。①に関して、AIIB は
中国が国内のインフラ輸出の促進、過剰生産能力の解消や西部地域の開発促進を主要目的
していること。そして、中央アジアや東南アジア地域ではインフラ建設が進み、資金と技術
の需要が高まっていることにより、需要と供給が非常にかみ合っているのだ。
また、②はアメリカを中心にした国際通貨基金(IMF)や世界銀行などの既存国際金融レジ
ームは世界体制を主導しているが、世界の余剰資金をより有効に活用した点では、極めて消
極的な対応に終始してきたのが実情である。そのため、多くの受け手は AIIB に対し大いに
期待感を抱いているのではないかと考えられる。しかし、AIIB は中国を中心とした金融レ
ジームであり、どう欧米主導の国際金融体制と向き合うのかは今後発展のための重要課題
となってくる。
最後に、③は中国が経済外交政策の札である AIIB から、自国の政治影響力も拡大に繋が
るではないかと考えた。6 月の協定では中国の出資率と投票権が決まり、26.06%の投票権を
持つ中国は実質上重大事項を決定する際、拒否権も持っている。日本側では中国が作った中
国のための国際レジームになるのではないかという懸念もでた。
一方で、中国側は日本側の①と②の意見に賛同した一方、AIIB の創設はあくまで中国が
大国としての責任であることを主張した。AIIB は中国の経済外交政策「一帯一路」との関
わりが強く、アジア地域の経済発展や一体化を実現するための一歩であり、アジア諸国また
は中国の国際的地位の向上を目指すものであると見解を示した。
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2.日本が AIIB に参加しなかった理由
2 つ目のテーマは日本が AIIB の初期メンバーに参加しなかった理由である。日本国内で
は「組織運営の透明性や融資審査の公平性に疑問がある」という声が非常に多いが、それが
唯一の理由とは言えない。組織運営の透明度が遥かに高い IMF や世界銀行の主要国でもあ
る欧州諸国がそろって AIIB に参加していることは、彼らのダブルスタンダードを前提しな
い限り、この考えは成り立たない。討論に至って、以下の 2 つの理由が考えられた。まず、
①日本が本当に参加しなかった理由はアメリカの背景が強く、いわゆるアメリカを置き去
りにして AIIB に参加するという選択肢を持っていなかったこと。そして、②日本政府と日
本企業にとって AIIB に参加する意義が薄いことである。日本政府はこれまで、対外援助政
策の一環として、IMF や世界銀行、そしてアジア開発銀行(ADB)を通してアジア太平洋地域
の経済建設に貢献してきた。仮に AIIB の融資基準が緩い場合、これまでの日本の援助政策
とは相いれない。一方、AIIB が同じ基準を設定しても、日本はいままで通り既存機関で貢
献してもいい。また、ADB 案件における日本企業の受注率は 1%に満たないものであり、中
国主導下の AIIB のプロジェクトに日本企業がいままで以上参画できるかというと、可能性
は極めて低いものである。
3.ADB と AIIB の関係性
1 つ目の「AIIB の創設意義」の議題では既存の国際金融レジームとの関係性が話題になっ
た。そこで 3 つ目の議題では日本が主導している ADB を例に、両者の関係性についてお互
い議論した。下記の表は両者の基本データであり、示した通り ADB と AIIB は似ている部分
が非常に多い。従来 ADB が担う業務が AIIB の創設により、短期的には一部のインフラ案件
では競争関係が生まれるのではないか。また、日本と中国が在アジア太平洋地域での影響力
を考えれば、ここ数年は競争関係になるのではないかと考える。しかし、長期的に考えれば、
両者の機能に違いがある。ADB は発展途上国の脱貧困の支援を目的とする融資機関であり、
AIIB はインフラ建設の促進を目的とする融資機関である。将来多くの場面ではお互い補完
しあいながら、協調できるのではないかと考えられる。
アジアインフラ投資銀行(AIIB)
アジア開発銀行(ADB)
設立年
2015 年年末業務開始予定
1966 年
所在地
北京
マニラ
現代表者
金立群
中尾武彦
加盟国数
57
67
資金規模
最終 1000 億ドル
1531 億ドル
主な出資国
中国 30.34%
(投票権 26.06%)
アメリカ 15.6%(投票権 12.8%)
日本 15.6%(投票権 12.8%) 中
国 6.4%
主な借入国
アジア諸国
インド、パキスタン、ベトナム、
フィリピンなど
20
融資対象
インフラ建設
インフラ、教育、環境保護
目的
アジアでのインフラ開発を通し、貿
易や投資の拡大、共同開発を図る
経済開発、貧困削減のための融資
を中心として実施。
【結論】
以上の議論を踏まえ、AIIB は今後「一帯一路」と共に中国の経済外交政策の重要な札に
なり、いまの国際金融体制には一定の影響を与えるのではないかと考えられる。日本が創設
初期メンバーに加入しなかった理由は様々であるが、現段階では AIIB の動向を注視しつつ、
IMF や ADB での役割を再確認した上で、AIIB との関係に精力を注ぐべきである。いずれに
せよ、AIIB は今後日中関係の改善に向けて重要な課題となるだろう。
○テーマ 2:核の平和利用
文責:額田晟太
【はじめに】
日中両国の原子力開発についてあらかじめ調査したことを共有し、両国の長所・問題点を
明確にした。その上で、日中が持つ共通の問題を考察し、原子力開発について協力の可能性
を模索した。核というテーマでよく語られる核兵器については、事前学習の段階で、中国の
核兵器政策に大きな問題点が見られなかったことと、アジアの小国の核開発問題には個別
に対応できるという結論に至ったことからテーマに採用しなかった。
【議論内容】
まず、両国の現状を共有したうえで、それぞれ以下の問題点が挙げられた。日本は、1)
福島第一原発から見て取れるように地理的な危険性を抱えており、更に 2)原子炉の老朽化
も進んでいるにもかかわらず、3)核廃棄物処理問題も解決されていないため廃炉という選
択肢をとれず、4)解決策を導き出す専門家・研究者不足も深刻である。中国は、1)技術的
な安全性が確保されておらず、2)核廃棄物処理問題も着実に露呈しているが、3)核に関す
る包括的な法律がまだ無いため、4)責任追及に限界がある。逆に長所として、日本は原子
力管理において中国より優れた技術を持っており、中国は技術こそ劣るが、技術者にもなり
うる労働力は十分に擁していることが挙げられた。
以上の議論を踏まえ、2 つについてさらに深く議論した。第一に、両国の長所を活かして
協力することである。つまり、日本の技術力と中国の労働力で互いの穴を補完し合うという
ことだ。第二に、共通の問題点である核廃棄物処理問題を協力して解消することである。こ
の問題では、両国が核廃棄物処理を地下投棄に頼っていることに着目し、代替案を模索した。
結果、海洋投棄と地下投棄という案が出されたが、どちらも現実性、法律面、安全性、倫理
性などを理由に採用には至らなかった。
【結論】
まず、労働力と技術の面で協力は可能であると結論付けた。しかし、現在の技術では核廃
棄物処理問題の解決は困難であり、当面は日中の協力はなされず、現行の地下投棄に頼らざ
21
るを得ない。今後の可能性として、日中共通の目標が核廃棄物処理の新技術開発であること
から、将来この分野で協力できる余地は十分にあると考えた。
○テーマ 3:食料安全保障
文責:土井口華絵
【はじめに】
我々は食品安全保障に関して、
「今後日中間での食料資源競争は起こりうるのか」という
観点から、もし起こりうるならば、食料生産量を増加させるための解決策として遺伝子組み
換え作物は有効なのか、もし有効なのであればどのような規範を定め利用できるのかとい
う順序で議論を進めた。
【議論内容】
まず日中それぞれが自国の食料生産、食料自給率などについて調べてきたデータを発表
しあった。日中ともに今後日中間での食料競争は起こりうるのかという点に関しては、中国
の輸入量の増加や日本の食料自給率の低下などの理由から、どちらの国も食料不足に陥る
可能性があり、競争が起こりうるという結論で合意した。
さらにそこから遺伝子組み換え食品が解決策として有効なのかどうかについて議論した。
まず、遺伝子組み換え作物のメリット・デメリットや現状について出し合い、日中での遺伝
子組み換え作物の現状の共通点や相違点を議論した。日中で共通しているのは、遺伝子組み
換え作物の安全性が不確実であるということ、現在遺伝子組み換え作物の生産は盛んでは
なく(日本では商業用の生産は行われていない)市場に流通している遺伝子組み換え作物は
輸入品が多くその大多数がアメリカからの輸入品であるということ、国民は遺伝子組み換
え作物に対して好印象を抱いていないこと、といった点であった。そのほかにもモンサント
社という遺伝子組み換え作物の種子の世界シェア 90%を占める企業についても議論が行わ
れた。
その結果、まだ遺伝子組み換え作物の安全性が確立されていないという点ともし現状の
まま遺伝子組み換え作物が普及してしまうと世界の食料安全保障がモンサント社によって
左右されることになってしまうという点から、現状では遺伝子組み換え作物は解決策とは
なりえないとなった。
その後代替案を模索するための議論を行い、3 つの代替案を考えた。まず、食料生産量を
増加させる取組として、品種改良を挙げた。品種改良は遺伝子組み換えほど効率が良くない
が、長年続いていることからある程度の安全性は確保されていることや、技術も確立されて
いる。次に日本の食料自給率を向上させるための取組として、農家に対する保証制度や補助
金制度の充実と、農業教育の活性化を挙げた。これによって新しい技術の開発や農業就業率
の向上が期待できるだろう。最後に食料増加の取組として、食事構造の多元化を提唱するこ
とを挙げた。これによって、肉食に偏りがちな現代の食を魚類や海藻、野菜などに目を向け
させることで、食料となりうるものを増やすことを期待した代替案である。
【結論】
食料不足による日中間の競争は起こりうるとなったものの、遺伝子組み換えは解決策と
はなりえないという結論になったため代替案を模索した。その結果、現在日中間ではバック
グラウンドがあまりにも異なるため、協力できる点を見つけることは難しいと実感した。
22
しかし、今後日中両国において同じような危機的状況になった場合品種改良や技術開発
などの面で協力の余地はあるだろう。日中両国の食糧安全保障面では課題があり、両国によ
る長期的かつ多様な方法で解決に臨む必要があるだろう。
○テーマ 4:新安保法制
文責:橘高秀
【はじめに】
話題になっている新平和安全法制を本会議のテーマにすると決まったのは本会議が始ま
る 2 日前であった。それまでこの問題を議題にあげるという話は無く、直前の準備がかなり
大変であったことは反省点である。このテーマについては、まず日中双方が新平和安全法制
について調査してきたことを発表し、その後質疑応答、そして今後の日中関係の改善に向け
ての展望についての討論という順に進んだ。
【議論内容】
中国側から日本側に 2 つの質問があった。1 つ目の「日本の安全保障がアメリカ頼りであ
り、しかも外交防衛上危機的になったわけではないにもかかわらず戦争に巻き込まれる可
能性のある法案を通そうとするのはなぜか」という質問に対し、日本側は 2 つの見解を述べ
た。第一に現政権の掲げる「積極的平和主義」である。これは、日本の果たす役割を増やし
世界平和に積極的に貢献していくこと(平和学で一般的に用いられる“積極的平和主義”と
は意味が異なる)を指す。具体的には新平和安全法制における自衛隊による PKO 保護のため
の駆けつけ警護、国連軍への支援などによる自衛隊権限の拡大によって達成されるという
ものだ。第二の安倍総理大臣の個人的イデオロギーとは、自民党が掲げる「戦後レジームか
らの脱却」と呼ばれる理念に当たる。政権与党は、憲法 9 条に代表される現憲法の改憲を通
してアメリカに依存しない国のあり方を目指しており、集団的自衛権の行使がアメリカと
より公平な同盟関係になると考えている。
2 つ目の質問が、
「今後の日本はアメリカの平和主義に反応して対中国の戦略をとってい
るのか、それともアメリカの力から脱出して自国で自国の平和を守れる国になろうとして
いるのか」というものだ。日本側は、先の質問の回答を参照にしながら、現政権の目指す日
本の姿を説明した。すなわち、最終目標は、憲法を改正し、自衛隊を他国のような完全な軍
隊としての機能を果たせるような組織にすることで、アメリカからの自立を果たすという
ものだ。その過程として、集団的自衛権の行使を認めることで、よりアメリカに対して対等
な立場になることを目指していると説明した。この回答に対しては、中国側から、「日本が
憲法 9 条の平和主義を基に経済発展をしてきたにもかかわらず、その 9 条の力を捨ててま
で集団的自衛権の行使に踏み切るのかが分からない。経済で右肩下がりの日本が政治パワ
ー面での挽回を狙っているのでは」という疑問の声が聞かれた。
日本側から中国側への質問では、1 つ目に「中国政府が今回の問題について尖閣問題や靖
国問題ほど反発が少ないのはなぜか」を挙げた。中国側はこれに対し数点の理由を述べた。
まず中国政府は、日本が中国を脅威に感じているために、安保法制を改定することには一定
の理解を示しているという。そのうえで、中国政府の反応が希薄なのは、内政不干渉といっ
た原則よりも、南シナ海での干渉によって下がった中国のイメージをこれ以上下げないこ
との方がより大きな理由ではないかと分析した。また、他に考えられる理由として、AIIB 政
策や国内のテロ対策などでその余裕がないため、また中国が以前日本にしてきた要求(例え
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ば靖国問題、歴史問題など)が受け入れられなかったことからある種の諦めもあるのではな
いか、という見解を示した。
2 つ目が、
「日本政府が中国を名指しにして仮想敵国のように扱っていることについて学
生の皆はどのように思うか」というものだ。これについては今後の日中関係を不安視する声
と、逆に前向きな声の 2 つに分かれた。前者に関しては先に述べた通り、中国政府が過度に
反応しないのは、日中関係に亀裂を起こしたくないとする配慮というよりは、むしろ国内に
抱える問題を優先するためだという視点である。すなわち、現在の中国は民衆中心の反日感
情を期待できず、むしろ政府当局への不満が激化してしまう恐れがあるために、チャイナド
リームに評されるようなアジアを超えた広い世界に対する期待に民衆の関心を仕向けてい
るとする分析である。後者に関しては、中国が日本に対して強硬な態度をとる余裕がなくな
るとともに、
「爆買い」に代表される経済的相互依存が深化している中で、中国政府が新安
保法制を見逃したことが日中関係の好転につながる、とする考え方である。しかしこれにつ
いては、
「中国政府が今回の新平和安全法制については大目に見ることで、今後日本に対し
て強硬な姿勢をとった時の貸しを作っているのではないか」という意見もあった。
【結論】
以上の質疑応答を踏まえて、今後日中関係の改善に向けて安全保障面でどのような努力
が望まれるかを議論した。中国政府の反応の如何に関わらず、今回の新平和安全法制の成立
によって日中関係の緊張が高まることを前提として考察した。
第一に、安倍政権以後の政権が法律を再改正するという意見が挙げられた。実現性は高く
ないが、現在の法案を違憲だと考える憲法学者が圧倒的多数である以上、仮に集団的自衛権
の行使によって戦闘に巻き込まれた自衛隊員が死亡しその遺族が国に訴えた場合、最高裁
判所も違憲判決を出す可能性がある(あくまで理論上の可能性である)。こうした意味にお
いて安倍政権以降の政権が法律を再改正することは全く不可能なことではない。
第二に、日中間のホットラインを確固たるものに整備することである。これによって戦闘
機のスクランブルといった現場レベルでの偶発的な衝突を抑制し、紛争に発展する可能性
を下げることができる。こうした取り組みは 12 年以降当局の実務担当者同士での話し合い
がもたれているものの、尖閣諸島をめぐる問題で本格的な運用に至っていない。一刻も早い
整備が望まれる。
第三に、閣僚会議を常設化することである。現在は尖閣諸島の問題や靖国神社参拝問題で、
政府高官レベルでの会談が延期や中止になることが多い。これを常設化して定期的に意思
疎通を図れば、誤解や意思疎通の齟齬も防げるだろう。
日本が中国を仮想敵国のように扱いつつ新平和安全法制を審議していることについて中
国側の大きな反発を招いていると予想していたが、議論を通じて実際は違うということを
知り、逆に衝撃を受けた。中国の日本政策の優先順位が下がったためというのが主な理由で
あり、日本の影響力の低下を改めて感じさせられた。しかしその一方で、議論の一部にも出
てきたが、中国政府が過度に反応しなくなったことで日中関係の改善に向けた余地が出て
きたともいえ、地道な歩み寄りが重要であると認識した。
○議論全体まとめ
文責:王萌子
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議論を通して現在の日中間の信頼関係はまだ十分に築けている状態ではなく、また、両国
の置かれている現状や価値観の相違によって二国間で協力できる範囲が限られているとい
うことを痛感した。
しかし、今後の技術向上や中国のさらなる経済発展などにより、日中間で増加する相互利
益によって協力できる範囲が広がることは可能であると考える。二国間での協力関係と国
家レベルの交流深化によって両国の共存への道は望めるという結論に到達した。
■反省点
文責:王萌子
ここでは各活動で考えられる反省点をリストアップする。
○事前学習
・事前学習の一環として討論練習にもっと時間を割くべきであった
・事前学習ではもっと広範囲で調べるべきだった
・テーマの決め方を考量し直す必要があった(最初に目的決めてからやるべきであった)
・テーマを決めるより前に方向性について先に話し合うべきだった
・本会議のイメージがつかめないまま事前学習を進めてしまったことによって生じた知
識の空白があった
・知識と議論の結びつきをもっと強めるべきであった
・日本国内の話と合わせて、中国についての知識ももっと話し合うべきだった
○本会議での議論
・話が長くなる際効率よく省略することができなかった場面があった
・目的がないまま解決策を急いだため、現実性のかける案などもあった
・目的を定めなかったため、討論が停滞した時期があった
○最終発表
・配布資料の準備が後手にまわり、完成が発表直前になったことで、いらぬ混乱を招いた
・発表の時間配分がうまくできていなかった(一人一人の発表時間が伸びていた)
・テーマを全部同じ時間配分で発表すべきではなかった
・重要性の高いテーマを最初に発表すべきだった
・今までが好調すぎたため最後の方では緊張感がかけていた
■総括
文責:土井口華絵
安全保障分科会では新平和安全法制、原子力問題、アジアインフラ投資銀行(AIIB)、食
料安全保障の 4 つを大きなテーマとして扱った。
【反省】で述べたような反省点はあったが、全体として、紆余曲折はあったものの順調に
議論を進めることができた。
今回安全保障分科会には前年度からの参加者が一人もおらず、様々な場面で去年はどう
だったのだろうかという疑問が生まれたり、苦労したりする場面も多かったが、例年の型に
はとらわれずに独自の議論を進められたことがよかった点の一つだろう。また、テーマ決め
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に関しても安全保障といえば軍事や外交が連想されるが、安全保障の定義を広い範囲でと
らえた。それにより、AIIB や食料安全保障について議論できたことも、今年度の安全保障
分科会ならではであった。安全保障という非常に敏感なテーマについて議論するというこ
とで、当初はどこまで踏み込んで話し合えるのかという不安があった。しかし、実際に中国
側と顔を合わせた本会議では深みのある議論ができたのではないだろうか。
討論では扱っていたテーマが国家レベルであったため、我々学生がどのように解決策を
捻出するのかが最も苦戦した点であった。それゆえ、実現性が低い解決策などもあった。こ
れに関しては議論の目的をより明確に定めることによって解決できたと思われる。安全保
障という広い定義を含むテーマであったために、議論では日中両国の話だけに収まらずア
メリカやロシアなど様々な国との関係なども考慮する必要があり、話の幅が世界規模にな
る場面も多々あった。次回以降安全保障について議論する分科会は議論の目的をより明確
に設定し、具体性を持たせるということをぜひ実践し議論に臨んでもらいたい。
平和な日本で生活していることから、準備学習をする以前は安全保障があまり身近では
なく、その存在意義を特別意識する機会はなかった。しかし、我々の生活が安全保障なしに
は成り立たたないものであり、実際は我々の日常生活と密接に関わっていると本会議の議
論を通じて強く感じるようになった。新安保法案が通過した場合、あるいは原発で事故が起
きた場合に一般市民に及ぼされる影響はどのようなものか、といったように具体的な自分
の問題として議論するのも有意義なのではないかと考える。
最後に、安全保障分科会のフィールドワークでご講演くださった日中学生会議顧問の早
稲田大学大学院アジア太平洋研究科天児慧教授、広島市立大学広島平和研究所湯浅剛教授、
安全保障分科会中国側参加者、そのほか日中学生会議にご支援・ご協力くださっている方々
に感謝の意を表したい。
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◆教育分科会
■事前準備
○Skype ミーティング
文責:乗上美沙
はじめての分科会でのミーティングでは、自己紹介を行った。また、合宿に関する業務連
絡や日中学生会議の活動の今後の流れについて、実行委員から説明した。その後の毎週のス
カイプミーティングでは、設定議題への勉強内容の共有、問題意識に対する日本側の意見の
統一に向けた議論を行った。この毎週のミーティングによって、分科会メンバーは互いの知
識レベルを向上させることができた。
○顔合わせ合宿
文責:乗上美沙
顔合わせ合宿のミーティングでは、本会議で中国側参加者と議論する議題の設定を行っ
た。まず本会議における議題設定を行った。候補として様々な議題が挙がったが、最終的に
は暫定トピックとして①日本と中国における農村(地方)—都市関係の教育論、②中国教育環
境における人間関係を決定した。さらには各議題のゴールも設定し、今後の事前準備の土台
を作ることができた。
○中間合宿
文責:石田菖
中間合宿では、日本側が提示する議題についての意見をまとめた。主に階層システムと教
育、能力主義、戸籍制度について話した。中間合宿後の Skype ミーティングでは日本側の提
示した議題、いじめと不登校についてと中国側が提示した議題、家庭教育と反逆、高等教育
と就職について調べ、意見をまとめていくことに合意。
○直前合宿
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文責:石田菖
直前合宿では、フィールドワークの共用、いじめについてのアンケート作成、高等教育と
就職について意見まとめを行った。他にも各課題について日本側の意見を固め、中国側との
議論のために準備をした。
○参考資料
文責:高橋幹
日本側の教育分科会は、主に学術論文や文献、新聞記事などをもとにして、日中両国の教
育事情について事前学習を行った。
日本側の議題①「教育と階層」に関するものでは、以下を知識の基盤として共有した。
・蘇于君(2013)
「中国における農村教育の発展とその課題」
< http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81002808.pdf>
・荒巻草平(2010)「
『教育達成』を読み解く」塩原良和、竹之下弘久編『社会学入門』
・シューレ大学不登校研究会(2006)「アジアの不登校中国 教育噴火―経済発展する中国、
広がる学歴社会(東京シューレ出版)」
・竹内洋(1995)「日本のメリトクラシー-構造と心性(東京大学出版会)
」
日本側の議題②「いじめと不登校」に関するものでは、以下を共有した。
・土井隆義(2014)「つながりを煽られる子どもたち(岩波書店)
」
・
「永新初中女生打人事件后续」
(2015 年アクセス)
<http://www.guancha.cn/society/2015_06_25_324618.shtml>
■フィールドワーク
①不登校新聞
文責:高橋幹
『不登校新聞(fonte)』は、日本初の不登校・ひきこもりについての情報を発信する専門
紙である。
「当事者の声に寄り添う」という理念のもと、実際の不登校・ひきこもりに関す
るニュースや、実際の経験者・当事者の声を発信している。また、不登校・ひきこもりの子
を持つ親のための「親の会」
、
「学校外の居場所」についての案内など、多方面にわたる情報
を提供している。
今回、日本側の教育分科会は、
「いじめと不登校」というトピックで中国側と議論する前
に「日本側の不登校の現状」についてより正確に把握する必要があると考え、
「不登校新聞」
の編集長である石井志昂さんにインタビューをさせて頂いた。
石井さんは、日本の戦後公教育が「児童労働」の回避という目的のために整備されたもの
である点について説明した後に、現在ではその目的が失われ、「学校へ行く」ということが
当たり前のこととして自己目的化しているということに言及し、そこに問題点があること
を示唆した。このような「学校中心主義」は東アジア共通の問題であり、
「学校に行かなけ
ればならない」重圧を感じる子供たちが「不登校」という選択をする原因になっているとい
う。
「不登校新聞」の関連組織である「東京シューレ」等のフリースクールは、そのような
子供たちにとっての「避難場所」であり、「子供たちの多様性」を守る場であると理解でき
28
た。結論として、日本では学校の代わりとなる「居場所」が多く、また「多様性教育」とい
う観点から、
「学校に行かなかった子供達」への社会的・政治的な認知が高まりつつある状
況であることが確認できた。
【感想】
「不登校新聞」の東京編集局は、フリースクール「東京シューレ」に併設されている。王
子駅・線路のすぐそばにあるその場所は、一見すると騒音が強そうだが、どこか閑静で、心
を落ち着かせるような、ゆったりとした「時の流れ」があった。編集長の石井さん自身も不
登校を経験しており、その経験を背景にしたお話を聞くと、石井さんは、論理性や説得力だ
けでなく、人かに対する「共感能力」がとても高いのだと感じた。
不登校には、多様な原因がある。いじめもそのひとつにしか過ぎない。そして、「避難所」
に必要なのは、そのような、「多様な」原因で学校を行かないことを選択した子供たちを、
理由はなんであろうとも受け入れる「優しい空気」のようなものだと私は思う。その意味で、
石井さんの「共感能力」の高さというのは、その東京シューレや不登校新聞が持っていた「優
しい空気」とともにあるものなのだろう。筆者自身も小 6~中 3 の 4 年間、不登校を経験し
たが、その時代にも感じた「優しい空気」に、大学 2 年となった今、5 年ぶりに触れること
ができた。今になって、この空気こそが、教育の「多様性」の根源にあるものなのかもしれ
ないと感じている。
(左:不登校新聞の石井編集長とメンバー
右:文部科学省の新平氏、松田氏とメンバー)
②文部科学省
文責:乗上美沙
8 月 3 日文部科学省を訪問した。日本の都道府県間の所得格差と大学進学率の格差を踏ま
えた上で、日本の地方—都市間の教育格差に対して文科省が行っている取り組みに関して、
文部科学省生涯学習制作局政策課教育改革推進室の松田氏と新平氏にお伺いした。
フィールドワークでは、先に私たちの分析した問題意識に対するご指摘をいただき、本来
は複合的な要因が絡み合っている所得格差と教育格差の関連性について今一度考える機会
をいただいた。その上で、政府として実施している政策に関してお話していただけた。
まず、低所得者に対しては個人単位を中心に支援を行っているとのことだった。例えば教
育費用に対する経済的な援助だけでなく、無料塾を開講し、低所得家庭の子供にも教育を施
せるようなアプローチは行っているとお話された。
また、地方創生への政策も述べていただいた。その一つとしてお話していただいたのは、地
方私大のレベル上げを行うために、都市部の私大の定員数を一定までに下げ、その分を地方
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私大へ誘致するという政策を実施する予定であるとのことであった。
【感想】
日本が国として実施している政策に対する理解が深められたことが最大の収穫であると
感じている。地方の空洞化が問題になっている今日では、地方—都市間の教育格差は所得の
問題に限らず、就職先の企業の数、大学そのものの魅力といった様々な要因が問題として絡
み合っている。このような問題意識に基づき制定された政策について、一会議参加者のみな
らず、一国民として直にお話をお伺いできたのは非常に貴重であると感じた。
③東京都教育庁
文責:佐々木透
私達は平成 27 年 8 月 3 日に東京都庁を訪問し、東京教育庁指導部主任指導主事の小寺康
裕様からお話を伺った。東京都という一つの自治体が、いじめや不登校をどのように認識し
ているのか、また対策しているのかについて幅広く、深い知識と見聞を得ることができた。
中でも興味深かったことが二点ある。一点目は、教師一人ではなく、学校全体でいじめ問
題に取り組んでいかなければならないということである。東京都では、独自に制定した条例
に基づき、
「東京都教育委員会いじめ総合対策」が実施されている。対策の段階として、
「未
然防止」
「早期発見」
「早期対応」
「重大事態への対処」が行われ、専門家や保護者、地域と
連携しながら、いじめを防ぎ、また生み出しにくい環境を作り出そうとしている。
二点目は、不登校についての対策だ。不登校よりは、生徒の中退・退学を念頭に対策する
というものだった。これにより不登校生徒の数も減らすことができる。不登校はいじめに限
らず様々な要因からなり、安易な対策は難しいものであるということを強く感じた。
ただ、このような充実した制度や環境があっても、いじめをなくすことは不可能に近いのが
現実であると述べられた。私がお話を聞いて印象に残ったのは、
「いじめの件数が少ないと
いうのは良いというわけではない。まだ発見できていないいじめが多いということだ」とい
うお話である。中国では、ネットや本で調べた限りではいじめが少ないとのことだった。だ
がこのフィールドワークを通じて、中国にも潜在的ないじめがまだあるのではないか、東京
都のような取り組みが中国にも応用できないのかと深く考えさせられ、大変意義のある訪
問となった。
④クラーク記念国際高等学校さいたまキャンパス
文責:乗上美沙
8 月 4 日、埼玉県大宮にある通信制高校、クラーク記念国際高等学校にお伺いし、キャン
パス長の今窪先生から不登校児に対する取り組みとしての通信制高校に関してお話をして
いただいた。
クラーク記念国際高等学校は、
「学校に毎日通うこと」を前提にした通信制高校である。
全日制より少ない出席日数で卒業が認められる通信制だからこそ、自由な授業の組み合わ
せや時間を最大限に利用した工夫が多く行われている。例えば、授業にディベートや模擬選
挙を導入し、選挙権年齢引き下げといった社会の流れに対応した形で、社会事象と生徒の距
離を縮める取り組みが行われている。また、ボランティアを行い、生徒は積極的に地域創生
にも貢献しているということであった。
こうした特徴的なプログラムの実施には、自己肯定感の創出が背景にある。学校の創造的
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なプログラムは多くのメディアに取り上げられ、高校自体非常に注目されている。そこから、
自身が通っている高校に対する肯定感が増し、さらには自己肯定感にも繋がる、と今窪先生
はおっしゃられていた。
さらに、特殊な心理カウンセリングの資格を全教員が持っていることもご紹介いただい
た。生徒 1 人ひとりに寄り添いながら、その子自身の小さな一歩を共に歩んでいくカウンセ
リングは、先進的な取り組みである。
また、当校ではカリキュラムが多様であり、毎日学校に来ることが難しい生徒でも、毎日
学校に来たい生徒でも自分にあった学校生活を選択できるプログラムを提供していると述
べられていた。
【感想】
「あえて特別扱いをしない」-不登校を経験した生徒に対するこのクラーク高校独自の姿
勢が私の中で強く印象に残っている。現代の社会は多様化が進んでおり、決められた教育の
道に乗ることの絶対性が喪失しつつある。その中で、日本社会がまだ慣れていない多様性に
対して、それを社会に積極的に盛り込もうとする試みが、この姿勢に現れているのだと感じ
た。
(左:クラーク記念国際高等学校の今窪先生とメンバー
右:石浦氏とメンバー)
⑤石浦晃久氏
文責:石田菖
教育分科会では平成 27 年 7 月 4 日に株式会社 Citycreationholding 人事担当、東京大学
院生の石浦晃久様にお話をお伺いした。
訪問では主に本会議の議題の一つでもある高等学校と就職の関係性についての質問をし
た。現代企業の求めている人材、スキルなどをお聞きしたところ、石浦氏は挨拶、コミュニ
ケーション能力、夢や目標を持っていることなどとお答えになった。就職でも以下述べたも
のが重視されていて、最近では学歴が以前に比べ重視されなくなり、学歴は一種の指標とし
てあるだけともお答えになった。
就職難の問題は企業や学生のみならず、大学システムにも要因はあるということで就職
難、日本の大学システムの改善点を伺ったところ、AO 入試の増加、単位ごとの学費設定、
地方大学での講演会などを挙げられた。AO 入試を増やし、筆記テストのみの入試を減らす
ことで学生の能力を勉強面だけでなく、多様な面から測ることが出来る。エッセイや課外活
動などを通して学生を測ることで 大学も多様性を増やすことが出来る。単位ごとの学費設
定は大学生の授業へのモチベーションを上げることが出来るのではと仰っていた。欧米な
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どでは授業料は希望取得単位によって変わるため、学生は各授業の値段を自覚し、 授業対
し熱心に取り組む傾向がある。そのシステムを日本の大学でも応用することで日本学生の
モチベーションも上がるとのこと。地方大学での講演会については、現在地方の学生が都市
部の学生に比べて企業などの講演を聞く機会が少ないので 地方大学での講演会を増やし、
地方学生への情報提供と学生のモチベーション上昇のためと仰っていた。
他にも課外活動の重要さ、大学システムへの問題意識、就職でのアドバイスなどのお話も
していただき、大変貴重なご意見を伺うことができた。石浦氏が仰っていた、大学システム
の改善点のように自分たちのいる社会について広いものさしで物事を考えソルーションを
見つけて行き、行動に移していきたいと思った。課外活動が就職、将来にも強い影響がある
と知った今、もっと積極的に課外活動に参加し、自分を高めようと思った。
⑥源健一郎教授
文責:高橋幹
中国側の教育分科会が事前に希望した議題として、両国の「高等教育と就職(の関係)」
があった。日本側はこの議題について、文献や論文以上に、より現実的・具体的な状況を把
握する必要があると考え、四天王寺大学人文社会学部日本学科教授とキャリアセンター長
を兼任する源 健一郎さんへインタビューをさせて頂いた。四天王寺大学は 1967 年、大阪
に設置された、人文社会学部・経営学部・教育学部の 3 学部から成る、文科系の私立大学で
ある。源さんは、三大都市の一つである「大阪」の一中堅私立大教員としての立場から、学
生の就職のためにどのようなプログラムを展開しているかについて説明された。まず、四天
王寺大学のような、高度経済成長期に大学化した学校の多くは前身が短期大学で、いわゆる
「偏差値」としては平均~やや下位であり、そこから如何に学生の就職を繋げるかというこ
とについて、大学側が尽力していることが分かった。例えば、四天王寺大の場合では、大学
職員・教員自らが企業と交渉して、学生のインターンシップ枠を設定しているということや、
2 年生以上の学生を SA(スチューデント・アシスタント)として起用し、新入生の授業サポ
ートなどにあたるシステムを作ることで、学生自身の事務能力・就業意識・責任感等を養成
していることが挙げられた。また、さらに特筆すべき部分は「学生への面倒見」が非常に良
いという点にある。各学生の個人的な事情を踏まえ、大学が臨機応変に授業・出席・課題の
調整をして対応するシステムや、出席不良な学生に対して教員が連絡し、個別にケアをする
のは、学生数の多い他の大学では成し得ないであろう。また源さんは、学生の職業・教育へ
の「目的意識」が結果的に将来のキャリアに影響を与えるという点に触れ、「中堅私立大」
という立場としては、例えば「教育学部」「看護学部」のような「将来のビジョン」が見え
やすいような専門的・養成的な教育が求められるという事にも言及された。
総括して、四天王寺大学をはじめとする「中堅私立大学」の多くは、学生の就職や就業意
識の向上のために、少人数の大学ならではのフレキシブル且つ緻密なケアを行っているこ
とが分かった。また、
「就職に直結した学問」を提供する事も、今後、少子化の中で大学が
存続していく上で重要になっていくことが示唆された。
【感想】
源さんは、上記の役職に加えて、お寺の住職さんとしてもご活躍されている。非常に知的
かつ大らかな方で、
「高等教育と就職」というテーマに関わらない範囲でも非常に興味深い
お話を聞くことができたと思う。源さん自身の専攻領域である、
「日本中世文学」や、源さ
32
ん自身の苗字(源氏)の由来、日本史観、社会観などについても教えていただいたことは非
常に面白く覚えた。源さんとお会いし、さらにフィールドワーク後に食事をご一緒させてい
ただけたのは、日本側の教育分科会のメンバーとたまたまご縁があったからであるが、何か
の機会にまたお会い出来ればと心から思った次第である。
⑦大阪市立高津中学校
文責:小山内誠華
8 月 18 日、大阪四天王寺にある、大阪市立高津中学校にお伺いした。日本の学校のいじ
め問題、不登校についての、対策の一例としての取り組みを伺い、また中国側に日本の中学
校を体験して貰うために部活動見学、施設見学を行った。今回お話をしていただいたのは、
教頭先生の脇田先生と竹島先生だった。
[いじめ・不登校対策]
はじめに、大阪高津中学校での不登校や、いじめ対策の一環としてのアンケートや、資料
が配られた。それを元に説明その後、質疑応答という形で話を進めた。
いじめに関しては、対策としては、学期のはじめまたは、終わりに生徒と一対一の面談を
行っている。そこでは言い出しにくい生徒はスクールカウンセラーに相談できるように、い
じめの発見、または、生徒が言い出しやすい環境を作っていることを説明してくださった。
そして、いじめが発生した場合、学校側として重要視していることは、いじめ解決を求める
生徒もいれば、それを拒む生徒もいることを踏まえて、被害者を守るという意識を前提とし、
別の解決策を教員側で練ること、決して先生一人が勝手に抱え込み、行動することはないと
おっしゃられた。
不登校に関しては、家庭訪問に加えて、不登校になった原因を本人または友人から聞き出
す対策を採用している。不登校もいじめ問題同様で、教員全員で考えることが対策の第一ス
テップとなっている。教員内の対策で限界が来た場合は、子供相談センターや、別の学校の
選択肢を本人に教えることを行う。対策における生徒の両親と教員の関係についてお伺い
すると、学校生活について親は協力的な人もいるが、学校や教育に関しては、全て先生に任
せる非協力的な人もいるとおっしゃられた。
お話のあとの質疑応答においては、まず分科会議論の中で話し合ったスクールカースト
が実際に存在するのかどうかをお聞きした。高津中学校ではスクールカーストは無いが、ス
クールカーストそのものは他の学校ではあり得る現象であると述べられた。そして、もしそ
のようなことがあれば、それは解決しなければいけないとも述べられた。
また、いじめのアンケートの有効性に関してもお聞きした。アンケートはいじめ発見のツ
ールの 1 つであり、実際これで見つかることもあるとお答えいただいた。発見できるいじめ
はいじめのレベルの中でも比較的低いものが多いとも述べられた。
[校舎見学]
プールや、部活動などを見て回った。日本側、中国側ともにお互いの国の施設や、教科の
違いや学校の環境について話が盛り上がり、双方の教育の異なる部分、相似している部分に
対しての理解が深まった。
【感想】
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本フィールドワークを経て、生徒が抱えている問題と、それにたいする教員側の考え方に
は、やはりすれ違いがあり、それを完全に埋めることは不可能だと思った。特に私がそう思
ったのは、いじめや不登校の対策面で、生徒が考えている問題意識というのは、その環境に
実際居ないとわからないことが多々あり、そこで感じる不安や、恐怖は本当に恐ろしいもで
あって、それを教師という一歩引いた立場から解決するというのは難しいと思った。例えば
不登校の対策なら、家庭訪問は一つの解決策だと思うが、私だったら、余計に学校に行かな
ければ行けない、というプレッシャーを感じてさらに体調を崩しそうだなと思った。そうい
った意味でも生徒が抱えている問題に対してコミットし、対策を練るという作業はとても
難しいことだと改めて感じた FW だった。
学校見学では、日中間の違いを発見し、そして自分の中学校との違いも発見でき、有意義
な時間が過ごせた。教育というのは、今回はいじめや、不登校を考えたが、教育内容や、施
設の違い、学校外の教育など幅広い分野から構築されているもので、その多様性は豊富であ
ると改めて感じた。
(脇田先生、竹島先生とメンバー)
■本会議での議論
○論点 1 教育と階層
文責:高橋幹
私たちはまず、中国における教育と階層の関係―いわゆる、「教育の階層再生産」理論に
ついて議論した。このテーマを設定した目的は二つある。一つ目は、教育にまつわる基本的
なイシューとして、機会と資源の不平等が存在し、議論する価値があると考えたためである。
二つ目は、教育と階層というトピックに関しては、
「教育の階層再生産」という、社会学に
おいて重要な理論が確立しており、その理論的アプローチを取ることで中国の社会構造を
分析できるのではないか、と考えたためである。
「教育の階層再生産」の理論は、ある階層出身の個人が、また別の(より高い)階層へ到
達したい場合、
「教育」というファクターが重要な役割を果たしているものの、その「教育」
へのアクセス・選抜の段階で、出身階層が大きな影響を持っているという社会学の理論であ
る。例えば、多くの場合、低所得(社会的に低い)階層の個人が高所得(社会的に高い)階
層へ移動したいのであれば、
「良い高等教育(難関大/大学院)」を受ける必要があるが、
「出
身階層」のせいで、それを受けるチャンスや資源がなく、結果として、
「上流の子供は上流」
「下流の子供は下流」というサイクルが形成されるという状況に陥ることになる。
日本側は、この「階層再生産」のロジックが、中国の高等教育の選抜段階で、より強力な
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形で現れているのではないか、という問題意識・仮説を立てて議論を行った。つまり、中国
国内の階層構造がピラミッド状(少数の上流階層と、多数の中・下流階層の構図)になって
おり、各階層で、独立した再生産サイクルがある、ということだ。より分かりやすく言い換
えれば、この状況では、
「高い階層の子供は高い階層のまま」
「低い階層の子供は低い階層の
まま」で、さらに階層間の移動がなく、少数の上流階層が半永久的に固定されるということ
になる。
さて、議論の結論から言うと、日本側の想定とは異なり、階層移動という点において、中
国の社会構造は非常にオープンなものであることがわかった。
本会議での議論は、前述の問題意識に対して、中国側から自国の高等教育の選抜について
の情報を共有してもらいつつ、両国で分析を行うことで進行した。
議論内容としては、四つの点から説明することができる。一つ目は、高考(中国版のセン
ター試験)の持つ平等性という点にある。中国の大学入試においては、基本的に一回限りの
ペーパーテストの点数だけで結果が決まるということが、結果的に学生の機会を平等にし
ているという側面があるということが分かった。二つ目は、農村―都市間の格差の原因であ
った戸籍制度について、若干の改革があったという点にある。現在、都市開発のために、中
国政府は農村の土地を買い上げている実情があり、土地の買い上げを容易にするために、土
地の所有者―つまり、農村戸籍を持つ農民に金銭的援助を行う、あるいは農村部から都市部
へ戸籍を移動させることを容易にしているということが分かった。三つ目は、貧困学生に対
するサポートが手厚い点にある。優秀な大学生に対する給付型奨学金や、貧困層の学生に対
する無償の助成金などが豊富であり、貸与型の奨学金も基本的に無利子で運用されること
は、日本と大きく異なる点であろう。四つ目は、予備校・参考書の必要性が比較的薄いとい
う点にある。中国の高校では、レベルの差はあるものの基本的にすべての学校で、「高考」
のための試験対策がカリキュラムとして整備されており、受験に必要な学習は高校で行え
る。予備校や参考書はあくまでも副次的なもので、日本のように「予備校」が入試選抜にお
いて大きな影響力を持つということは中国にとってはあまり想像し得ないことが分かった。
ただ、議論で発見された問題点としては、北京大学の例のように、農村部の学生の比率が
減少していること、
「自主招生」システムという、高考の前に、
「学業以外」の能力をもつ学
生を選抜するシステムが広まりつつあるということ、つまり、完全に一回限りの実力勝負で
はなくなりつつあるということが挙げられた。
議論全体の結論として、日本側の想定とは大きく異なり、本人の意思と純粋な努力次第で
階層間の移動が比較的容易であることがわかった。現状としては、「努力」以外で教育選抜
を行うケース(自主招生など)があることも認識されたが、それでも現時点では大きすぎる
ことのない影響であると考えられる。中国の階層構造に関しては、例えば党の高級幹部のよ
うな、最上層にいる人々についてはサイクルが依然として存在する点は否めないが、下流階
層から中上流階層までの移動は本人の純粋な努力次第で可能であり、また、その結果、現在
の中国では「中流」が最も多い(つまり、ピラミッド型構造ではない)という状況になって
いるということが分かった。
○論点 2 高等教育と就職
文責:小山内誠華
中国側の提示した議題の一つは高等教育と就職難の関連性についてであった。中国側か
らなぜ、このような議題が出たのかというと、就職は大学生にとって極めて重要なプロセス
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で、卒業と同様に「ゴール」と広くみなされているからである。しかし、今日では就職難が
社会問題になりつつあり、高等教育の当事者である私たち大学生は生きづらさや不安を抱
きながら生きている。就職難の原因は多々あるが、その中でも高等教育が根源の一つにある
と私たちは考えており、同じく就職難が社会問題になっている中国社会の中で、中国の高等
教育と就職難の関連性を日本社会と比較しながら検討していきたいと考えたからである。
この議題では、両国における就職難と高等教育の関連性を比較し、問題点を共有しながら
お互いの就職難の解決のために高等教育の観点から解決策を模索することを目的としてい
る。また、ここでは、高等教育とは大学を指して考える。
議題としては、日中双方の問題点をあげ、そこから両国の問題点として類似しているもの
のみ、解決策を考えた。その際に、お互いの国の教育システムを参考に考えることもあった。
問題点としては、大学生・大学・政府・企業、以上四つのファクターで考えた。出てきた
問題点としては、大学生から、学生の大手病、大学から、企業が求めている力と大学での力
のギャップ、企業からは学歴フィルターという三つの問題点が挙げられた。
はじめに、大学生の大手病から考えていく。大手病とは、学生が大手企業に行かないと
不安、裕福な生活が送れないという考え方があり、大手のみまたは、大手を多く受ける学
生の現象のことを大手病という。また、大手ばかりに目が行き中小企業に目を向けず、故
に中小企業の人材不足という問題も引き起こしているものである。
私達は、中小企業に目を向けづらいということと、企業数が多く学生がやみくもに就職活
動をしているという点に注目し解決策を考えた。ソリューションとしては、二つあり一つ
目は、日本もあるが、特に中国が中小企業の情報が全く手に入らないという状況があり、
その情報を手に入れられる環境を作るというものだ。例えば、中小企業に特化した就職情
報サイトや、大学のキャリアセンターでもそういった情報を積極的に提供するというもの
である。
二つ目が、適正診断のようなものを作る。これは、企業数が多いため、学生が就職活動
をする際の一つの参考としてもらえるようなものである。
次に、企業が求めている力と大学で求めている力のギャップについて考える。これは、
両国で問題意識が違ったのでそれぞれの解決策を考えた。
まず日本の場合だが、日本の企業は、総合能力(プレゼン能力、スケジュール調整能力、
コミュニケーション能力、リーダーシップ)を求めているのに対し、大学では、その分野
の専門を学び授業内容や、ゼミでもあまりプレゼン能力や、コミュニケーション能力を培
う機会はまだまだ少ない。専門分野の知識だけでなく、企業が求めている総合能力を伸ば
すことも大事である。その大学の授業では十分に得られない能力を、大学生は課外活動で
得ようとする傾向がある。だが今は、まだ大学側は課外活動を推進または、やりやすい環
境がない。この状況を変えられるものを考えた。ソリューションは、課外活動を単位とし
て認められる制度を作る。中国側の話によると、中国では課外活動を単位として認める大
学があると聞いた。このシステムを日本に活用しようというものである。
中国の企業と大学の力の差は、大学では座学や、理論ばかりを教え実際に社会に出てみる
と力不足や、ギャップに戸惑うという問題点がある。そして、中国では日本と違い、人口
が多いため、その分野の専門性を深く追求し、その道のスペシャリストを作るという傾向
がある。例としては、会社の人事部 1 つをとっても、大学の人事学部という人事専門の学
部を出た人しかなれない。また、そこで勉強したからといって、実際に入社したときに大
学の勉強内容との差や、力不足を感じることを問題視している。その差を埋める、インタ
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ーンの機会を増やすというソリューションを考えた。中国にもインターンはあるが、その
機会を更に増やし、また実際に人事の経験をさせるなど実践的なものを考えた。
最後に学歴フィルターについて考える。学歴フィルターとは、日本の場合、マイナビ、
リクナビなどが、説明会・就職活動の際にある一部の大学のみを通し他の大学を通さない
という学歴によるフィルター。日本では特にそのフィルターという概念が強い。
中国では、985・211 大学の出身を優先的に採るまた、専門的な資格を持つ人を採るなどフ
ィルターはある。
*985・211:中国の研究レベルを国際レベルに上げるために国家が限られた大学のみに重
点的に投資していくもの、またその大学。国家重点大学。どちらにせよ、学歴フィルター
はあり、それにより本当に優秀な人材を取りこぼす恐れがある。
ソリューションとしては、双方ともに学歴だけではないフィルターを作ること。これは、
中国が学歴だけではなく、資格による選抜があるからそれを増やし、日本では取り入れ
る。また、企業独自のフィルターを作り本当に企業が欲しい人材を手に入れられる環境を
作る。例えば、企業が体力のある人が欲しかったら、体力フィルターなど企業が欲しい人
材のフィルターを作る。など、既存の学歴重視ルート、学歴で人を見ない資格ルートなど
作ることを考えた。
就職難は、両国背景は違えども抱えている問題は似たものである。それをお互いの利点や、
教育の違い、システムという点で考えたときに、新たな発見を得るだけでなく、自分自身の
問題として捉え自分達が置かれている状況や、さらに加速していくグローバル化の波に対
応できる視野の広がりに繋がったと思われる。また、この問題を考える際に互いの大学の授
業内容や、課外活動、留学に対する熱意、親の話なども聞け、中国の大学生のポテンシャル
の高さに驚いた。それと同時になぜそこまで、熱いのかそうさせている社会の競争の激しさ
も垣間見えた気がした。
○論点 3 いじめと不登校
文責:佐々木透
当初、教育分科会は論点の一つとして不登校といじめに関する日本と中国の違いについ
て議論するつもりであったが、事前準備中に、中国側に日本側が想定していたような「不
登校」が存在しないことが判明した。ここから我々は、どうして中国に「不登校」が存在
しないのかという疑問から、日本と中国の教育観の比較と考察を始めることにした。
議論を進めた中でわかったことは、同じ「不登校」という言葉でも捉え方が異なってい
るということだった。日本では精神的な理由で引き起こる問題であり、不登校になってし
まった生徒を助けようとする動きがあるのに対して、中国では学校に通わなくなったもの
は主に勉強が嫌いで、非行や遊びのイメージが強いということであった。また中国ではそ
の他に、経済的な理由で通えない学生も一定数存在するということが分かった。つまり中
国では、日本のような精神的ないじめが比較的少ないということである。これは何故なの
かについて日本と中国で議論して分かったことの一つが、「スクールカースト」の有無で
ある。これは日本特有の教室の中の序列であり、いじめを生み出しやすい生徒間での構造
として機能していることが多いのだが、対して中国にはそのようなものは存在しないとい
うことであった。
このように、日本と中国で「不登校」に対しての認識の違いが見えてきた中で、もう少
し深く議論することになった。目の前に不登校の生徒がいた場合、学校(先生)はどうする
37
かという問いでは、日中で対処方法が異なった。日本の場合、心理的負担を持つ学生の意
思や状態を尊重し、急いで無理やりに学校に通わせることはせず、ありのまま受け入れる
傾向がある。精神的なケアが充実しているのも要因である。対して中国は、日本以上に学
業中心(受験や「高考」)の学校社会であり、勉強嫌いで学校に通わなくなった生徒が多い
ため、先生がカウンセリング等を通じて、勉強が中心という一つの価値観に戻す傾向があ
るということが分かった。日本側は教育のゴール全てが受験や高考に集約していること
に、中国側の不登校の認識や対処から考えても、少し違和感を覚えていた。それと同時
に、教育に対する評価の難しさを日中互いに痛感することになった。
ここから、純粋に「教育」についてどのように捉えているかについて議論した。まとめ
て結論から言うと、日本の場合は教育に対して良いイメージを持っておらず、学校は当た
り前の場所であり環境である。よって生活の一部になっており自己発展を促すのが難しく
なってきているということである。中国の場合は、教育は自身を成長させる場であり、国
家に貢献しようと意識している人が多くいる。中国の大学生の学習風景を見てもそれは明
らかである。
教育というのは奥が深い。現在の自分が何故この選択をしたのか、なぜその価値観を持
っているのかを決めている大きな要因の一つが教育である。教育は日本と中国との間に協
力も対立もなく、また正義か悪かで判断できない。私はこの議論を通じて、他者を理解す
ることの難しさを実感した。まさに、分科会の目的は交流を通じて相互理解を進めること
である。我々教育分科会は、互いの教育事情を説明しあって、考えを共有して、少しでも
他者を理解できる人に近づいたのではないかと思っている。これこそが、
「教育」によっ
て貢献できる日中友好の基礎・土台の部分ではないだろうか。
■総括
文責:乗上美沙
「価値観の背景にあるものを知りたい」
そんな思いが出発点であった教育分科会は、多様な教育環境で育ったメンバーを迎え、中
国側と大学生の視点で教育に関する諸問題を検討した。
教育分科会が扱った諸問題は他の分野の分科会とはやや異なり、何が正解で、どの制度が
優れていて、日中の対立軸はどこに存在し、どの部分で統一見解を求める必要があるのか、
といった問題とは若干距離があった。つまり、日中の問題というよりは、日中両国に存在す
る各々の問題を私たちは議論した。
しかし、難しかったのは中国、そして日本にも存在する教育の多様性であった。「私の学
校では…」
「私が受けた教育では…」といった、あまりにも多様化している教育の形態に対
して、私たちは時にはそれを過度に一般化し、時にはそれを個人のただの世間話にとどまら
せてしまっていた。大学生という身分の中での自己の視点から得られる情報に対して、適切
に扱うことができなかったことが反省の一つである。
しかし、このような反省がある中でも、教育社会学的な視点から教育制度を理論的・社会
学的に捉えることにとどまらず、そこにミクロな存在としての両国の大学生の視点を交え
て考えることができたことは非常に有意義であると感じている。本会議での収穫を振り返
ると、教育分科会は設定議題として日中間に異文化としての中国社会を発見し、日本と比較
しながら社会の背景にある人間関係の構造や人々に対する社会の評価システムに対する理
解を深めることができた。そしてこの収穫は、日中両国の相互理解には欠かせない土台であ
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ると強く確信している。
最後に、フィールドワークの際快く訪問を受け入れくださり、貴重なお話を聞かせてくだ
さった方々、真剣に私たちとの議論に励んでくれた中国側のメンバー、教育分科会に力添え
をしてくださった全ての方々に心からの感謝の意を示したい。私たちが得たことは、私たち
のみでは得られなかったことであると強く感じている。本当に、ありがとうございました。
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◆開発と環境分科会
■事前準備
○Skype ミーティング
文責:王宗成
先行研究の勉強と本会議の議題を設定するために、週に 1 回程度 Skype ミーティングを
行った。
内容は以下の通りである。
第一回
第二回
第三回
第四回
第五回
第六回
第七回
第八回
第九回
第十回
第十一回
自己紹介
議論したい内容と読みたい本について話し合う
『手にとるように環境問題がわかる本』を読み、「開発と環境」の基本を学ぶ
本会議のテーマについて話し合う
日中の開発と環境分科会が合同会議を開き、本会議のテーマについて話し合う
『中国の環境問題 今なにが起きているのか』を読み、中国の環境問題を学ぶ
フィールドワークについて話し合う
本会議のトピックについて話し合う
日中の開発と環境分科会が合同会議を開き、本会議のトピックを決める
本会議のトピックについて勉強する①
本会議のトピックについて勉強する②
Skype ミーティングを通して、環境問題や景観問題など「開発と環境」に関連する知識を身
につけ、本会議の議論に繋げることができたと考える。
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○合宿
文責:清水茉莉花
【顔合わせ合宿】
顔合わせ合宿では、テーマ決めと事前学習の計画を行った。テーマについてはまずメンバ
ーそれぞれの興味にしたがって候補を出し合い、おおよそのテーマ範囲を決めた。
【中間合宿】
中間合宿では、より詳しいテーマの絞り込みを行った。事前に Skype による中国側とのミ
ーティングを行っていたため、それらを反映させた話し合いとなった。また、本会議までの
ミーティング計画もここで立てた。
【直前合宿】
本会議の議題について細かい点を調整していった。中国側との連絡もリアルタイムで行
っていたため、お互い事前に調べてきてほしいことや本会議中の議論の進め方についても
話し合った。また、本会議中のフィールドワークについてもここで概要を決定した。
○事前勉強に使われた主な文献
文責:王宗成
①オフィステクスト著 『手にとるように環境問題がわかる本』 かんき出版 2012 年
本書は、大気汚染や水質汚濁など身近な問題から、温暖化や生物多様性など地球規模の問
題まで、その発生メカニズム、背景、対策などを分かりやすく解説したものである。
この本を通して、様々な環境問題の現状とそれを解決するための取り組みを勉強できた。
また、本書にも「ある方法によって環境問題が完璧に解決できたとしても、そのことで世界
の人口が激減したり、生活水準が極端に下がって幸福な生活を送れなくなってしまっては
意味がありません。」とあるように、環境問題を解決する難しさを改めて認識させられた。
そのため、私達は「開発」と「環境保護」の両立の難しさを意識しながら、環境問題だけでは
なく、経済や社会、そして人々の生活などの要素も含めて議論することに決めた。なぜなら、
目指すべきなのはあくまで理想的な社会像、いわゆる「持続可能な発展」であるからだ。
②井村秀文著 『中国の環境問題 今なにが起きているのか』 化学同人 2007 年
近年、中国経済が躍進し続けている。しかし、その裏には各地で様々な環境問題が起きて
いる。その中国に、如何に東アジア環境共同体の一員であることを意識してもらい、ほかの
アジア諸国と協調し、環境問題を改善してもらうか。これは大きな課題である。本書は、そ
ういう問題意識を背景に、中国の環境問題を俯瞰的に描こうとしたものである。
同書は、中国の環境問題の概観及びその影響を紹介した上で、エネルギー問題・水問題・
大気汚染・農業問題をそれぞれ具体的に説明した。最後に、環境問題の解決案を提示した。
この本を読んで中国の環境問題をさらに深く理解できた。今の中国の状況は高度経済成
長期の日本を彷彿とさせる。そこで、私達は過去の日本と現在の中国とを比較し、環境問題
のメカニズムを分析した上で、問題解決の方法を提示したいという結論に至った。
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■本会議での議論
○論点 1 景観問題
文責:萩田美乃里
景観とは、風景や景色、特に素晴らしい眺めのことである。開発と環境分科会では、開発
によって損なわれることの多い日中双方の問題として、景観破壊を取り上げた。本会議での
議論が始まる以前から日中間でのミーティングを通して、京都は日本の代表的な都市であ
り、さらに景観保護に力を入れている地域でもあるということが日中間の共通認識として
あった。そこで、京都市役所都市計画局都市景観部景観政策課へフィールドワークに行くこ
とを決定し、京都市の景観政策の実情や生じている課題を担当者に伺い現状を把握するこ
とから開始した。京都市役所で伺ったお話や質疑応答を基に、京都市で行われている景観保
護に関する取り組みを中国においても参考にしていけるかを考えるという方向性で議論を
行った。
景観問題について議論する際、話し合う項目を以下の 2 つに分けた:
①古い建造物が観光に用いられている商業街を取り上げ、中国がどのように日本でのそれ
らにおける景観保護の取り組みを参考にできるか
②古い建造物自体の保存と利用方法について
まず①の議論は、北京と京都の現状、またそれぞれの長所と短所を比較するところから始
めた(図 1)
。議論を進めるうちに、中国国内にも景観保護に力を入れている都市があると
いうことが分かった。そこでまず、なぜ北京と京都の比較なのか、そのような他の地域との
比較ではいけないのかを話し合った。ここで出てきた他の都市とは蘇州と西安である。中国
側参加者によると、蘇州では歴史的建造物のある古い地域を独立させており、発展させたい
地域は別に設けている。西安では元々あった古い建造物にデザインなどを合わせて新しい
建物を建てている。景観保護という視点から見ると、破壊はしておらず、どちらかというと
むしろ昔に合わせているとも言える。京都と北京を比較する理由については、京都と北京は
共に古い歴史と文化を有し、活発な経済活動が行われていることから、分科会のテーマ「開
発と環境」がまさに対立している都市であり、比較対象として適切であると考えた。以上の
理由から、京都のこれまでの取り組みを参考に北京の状況を改善できるかについて議論し
た。
北京市と京都市全体の比較では規模が大きいため両都市の中でも比較する対象を絞るこ
とにし、実際に訪れた京都の観光地である三年坂と北京に数ある胡同(中国の首都北京市の
旧城内を中心に点在する細い路地のこと)の一つである南锣鼓巷を比較することにした。以
下がその違いである。
42
図 1 京都と北京の景観の比較
京都(三年坂)
看板問題
景観法や古都保存法に基づき、京都
風致地区、看板の設置に関する条例
が厳しく詳細に定められている
ごみ問題 ごみ箱は少なく、路上に落ちている
ごみもあまりない
売り物
主に京都に関係するお土産や食品
住民の意識 京都らしい景観を重視している
北京(南锣鼓巷)
条例により、建物や看板の色、高さの
規定がある
しかし内容が曖昧で対応しづらい
ごみが多く、問題になっている
その土地とあまり関係のない商品
景観を重視していない
行政の対応 景観政策が徹底している
景観政策が徹底されていない印象
経済面
景観保全を重要視するとともに、観 景観保全よりも経済的利益を重視
光業による利益も生み出している
※三年坂、南锣鼓巷の景観保全の現状についてはそれぞれ日本側、中国側が提供しあった
データに基づいている。三年坂の景観保全の状況については現場へのフィールドワーク、市
役所へのフィールドワーク、また市役所にいただいたデータに基づく。南锣鼓巷の景観保全
の状況については中国側から提示されたデータに基づく。
上図から、私たちは南锣鼓巷での景観破壊の一番の要因はごみのポイ捨てだと考えた。
そこで、ごみ問題を解決するための案として以下のシステムを提案した。
一つ目はキャッシュバックシステムである。これは、元々の値段に上乗せして食べ物を売
り、食べ物の容器や串など特定のごみを返却する際に上乗せした分のお金を返却するとい
うシステムである。問題点としては、人の動きは流れていくのでごみを同じお店に返しにく
く、ごみを持ち込む人がこれから買う人の隣に並んでいるとあまり衛生的でないためイメ
ージが良くないなどがある。解決法としては、ごみを回収する人を雇う、出入り口をいくつ
か設けルートを作る、ごみ回収ブースを別に設けるなどすることで人の流れもでき、衛生的
かつ店の手間もかけずにシステムを動かすことが出来る。
二つ目は、携帯電話のアプリを活かす方法である。ごみ箱にバーコードを読み取る機械を
設置し、入れたごみの分だけアプリ内にお金が入るようにすれば人件費もかからない。
以上の議論およびごみ問題の解決方法から、歴史的に価値のある建造物を用いた商業街
の景観保護については以下のような結論を得た。
1. 外観の雰囲気を統一しその場所自体をブランド化することにより、集客率が上がり
収入増加が期待できるという認識を浸透させることで、店を持つ個人も商店街の景観
保護に働くのでないか。
2. 更なる景観保護を行うためには行政の指導、条例政策が不可欠である。町並み保全
のためには、商売や建物の装飾などが規制され制限されるのもやむを得ない。
②の議論は①の議論と平行して行った。その際は①での議論に出てきた商業街の古い建
造物も参考にした。また、古い建造物でもそれを保護し、活用する価値が本当にあるのか、
43
また何を基準に建物を保存するか否かを判断すべきかについて結論を出した。ただし時間
の関係上、意見を出し合うのみとし、議論を深めるところまで至らなかった。
議論の末、保存価値のある建造物は⑴時代性のあるもの、⑵独特性のあるもの、⑶保存状
態が良く、年代性のあるものという三つの要素が備わっているものだと考えた。また、価値
があると認定した建造物に関してどのような使用方法があるか意見を出し合ったものが以
下である(図 2)
。
図 2 古い建造物の利用方法
ホテル、民宿
洋服屋
ギャラリー、画廊 売店、商店
映画館
カフェ、レストラ 大学の研究用
公共の施設
ン
博物館、資料館
(例:清華大学の
図書館)
伝統技術の体験
施設
本屋、小道具屋
中国側の提示した、上海、紹興、西安の 3 都市に関する具体的な事例および議論で出し合
った三つの要素から、 古い建造物自体の保存方法について以下の結論を得た。
1. 歴史的建造物は出来る限り保存すると同時にその価値を見出す。
2. 保存した場合は、様々な面から、その建造物をどうすれば最大限に活用できるかを考え
る必要がある。
○論点 2 大気汚染
文責:小林廣輝
私たちは日中間の環境問題の中でもここ数年で大きな問題となっている PM2.5(浮遊粒子
状物質)の問題について、お互いの国同士から得られる情報に基づき、工場廃棄物などのハ
ードの側面からではなく、発生源である中国に住む人々の環境に対する倫理観というソフ
トの側面から推察する事を試みた。またその結果によって、今後どのような対策を講じる事
が可能であるか、という事を議論した。
まず時期によって変動があるものの、近年中国国内で増加している PM2.5 が日本に飛来
している事が NASA(民間によって算出されたデータに基づく)の観測データによって把握
され、それが日中両国で大きな問題となっていることを事前勉強会で認識する事から開始
した。また、PM2.5 とは 2.5 マイクロメートルの粒子状物質の事を指し、それが体の血管、
肺などに侵入して健康被害をもたらすなどといった PM2.5 の人体や、環境に及ぼす悪影響
についても事前に学習し、問題点について日中両国で合意した上で議論を進めた。次に二国
間で生じている PM2.5 問題の原因の根本的解決のための手段を考えるために、1950〜60 年
代にかけて日本の北九州市で発生した官営八幡製鉄所をはじめとする工場の煤煙による大
気汚染の状況と現在の中国の状況を比較した。特に、当時の日本と現在の中国国内で起こっ
ている問題は環境よりも経済の発展を優先しているという点で類似しているのではないか、
44
また類似しているのであればどのような点で現在の中国の人々の環境を保護しようとする
倫理観に影響力を与えうるのかについての考察を行なった。以上のような議論から以下の
結果が得られた。
現在の中国の状況も過去の日本の北九州市も生産力を上げる為短期間で相当数の工場や
製鉄所が建設されている点、人々がそういった社会の潮流に肯定的な姿勢を見せていた事
が当時の世論から推測出来る点から、環境汚染によって人々は負の影響を受けているが、国
の経済発展によって得られる利益の方が環境汚染によって受けるダメージを上回っていた
ということが判明した。そこで日本側と中国側の意見の対立が発生した。日本側としては、
中国が早急に環境汚染防止対策を行う必要性を訴え、対して中国側は、広大な国土に点在す
る工場や車を規制する事は現実的に難しいという事を根拠とし日本側の意見に反論した。
そこで用いたのが八幡製鉄所の環境汚染の事例だ。両国の議論により、現在の中国の状況は、
当時の北九州市の状況(八幡製鉄所周辺の汚染がかなり進行し行政により短期間での環境
修復が難しいと判断されていた)には至っていない、という仮説を立て中国の現在の汚染状
態を調べ検証した。そして最終的に、中国は過去の日本ほど汚染が進んでいる状態ではなく、
経済発展を十分に行なってから対策を講じるべきだ、という意見と、中国は既に環境汚染が
進んでいる状態であり、過去の日本のように環境改善に膨大な労力が必要な状態に至る前
に対策を講じるべきだという二つの意見が案出された。中国側メンバーの一部から提案さ
れた前者の根拠としては、中国国内では自然エネルギーや排出権取引といった環境に配慮
した取り組みが既に行なわれているということだ。日本側および残りの中国側メンバーか
ら出された後者の根拠としては、人々の環境倫理を形成する環境教育が地域によって大き
く異なっているという点、大気汚染が原因と考えられる病気によって毎年 100 万人を超え
る中国国民が亡くなっているという点が挙げられた。そして、最終的に両意見共に妥当性が
あると考えそれ以上の議論を進める事はせずに、
「今回の議論では 2 つの立場が得られた」
という結論に終始した。環境汚染は、例えば火力発電所から出る排気ガスを規制する技術の
導入といったハード面、人々の環境倫理向上のための教育といったソフト面の改革が必要
で、今後その対策がなされるべきだという結論に至った。
○本会議の反省点
今回の本会議では以下の反省点が挙げられた。
1
2
3
4
どのように議題について話し合うか、話が詰まった時はどのようにするかなどの「会
議の進め方」は事前にスカイプで話して合意しておく。
話し合いで深夜までの議論はなるべく避ける。会議は長丁場であり、次の日以降の
会議に支障が出る可能性がある。
話す議題に関してはある程度深い知識を持っておかないと議論中に調べることにな
り、中国側と日本側の意見をぶつからせるという本来の目的を達成できない。
環境汚染の中の問題でも測定可能なもの限定で話を進めないと客観的な根拠が得ら
れない。
1 に関しては、本会議が始まってから議論してしまい、本来話すべき内容にたどり着くま
で無駄な時間を過ごしてしまった。
45
2 については、メンバーでの有意義な討論を十分に出来る環境を自分たちで作り上げる事
が重要だと考えた。
3 に関しては、チーム的にも個人的にもかなり深い分野まで勉強(具体的には環境問題の
歴史や日中の環境問題について。フィールドワークも含む)していったつもりだが、日本側
と中国側で勉強する内容のベクトルを同じにしないと有意義な議論を展開出来ないと感じ
た。ある議題を論じている際に用いる具体例や事象などに関してのある一定の知識がなけ
れば毎回議論をストップさせてその知識の共有を行わないといけなくなるからだ。
4 に関しては上記に書いた通りである。
■フィールドワーク
文責:小川真由子
①京都市役所(訪問日:8 月 17 日)
京都に滞在していた期間中、開発と環境分科会は私たちの議論のテーマである「景観問題」
に、法律と条例とともに景観行政に力を入れて取り組んでいる京都市役所を訪問した。目的
は知見を広めること、そして実際に景観行政に取り組む担当者から直接景観保全について
お話を伺うことで議論と実情の乖離を防ぐためである。京都の景観保全について、京都市都
市計画局都市景観部景観政策課の景観政策課企画担当の門川係長と福本氏にお話を伺った。
京都市の歴史ある景観の保全における取り組みについてをテーマに、景観保全を進める
際に生じる課題、土地開発をする際の古い建物の存続を判断する基準、環境の保全を考える
際参考にしている地域、日本全国の地域の景観問題への取り組みの状況などについてや、そ
れに対する見解を詳しくお聞かせいただいた。それまで中国と日本の景観問題について調
べる中、抱いていた疑問の解決と新しい発見をすることができ、有意義な時間となった。自
由に家を建てることができる日本では、行政が干渉できる範囲が限られるため、古い建物の
保全や景観保全が難しい場合がありそれが課題であると答えていただいた。またお二人の
お話から、京都市役所の景観政策に携わっている方々がいかに京都市の景観保全のため工
夫を凝らし、力を注いでいらっしゃるかを知り、熱意あるご尽力に感銘を受けた。
会議では京都市の景観政策について教えていただいたことを参考に、中国の学生と中国
の観光地での景観問題を解決するために何ができるか考えた。詳細は本会議での議論の項
目部分に記載した通りである。京都市が行っている徹底した景観政策は、景観の市民にとっ
ての価値、そこから景観保全とはどうあるべきかを考える中大変参考になり勉強になった。
②映画『僕たちの家に帰ろう』鑑賞と討論(訪問日:8 月 24 日)
中国の開発と環境をテーマとして扱った映画作品『僕たちの家に帰ろう』の鑑賞会とその
後の討論会へ、中国の環境問題に関心の高い監督や、専門家のご意見を伺える貴重な機会で
あるとし、私たち開発と環境分科会は参加した。
映画『僕たちの家に帰ろう』は中国北西部シルクロードの一部と言われる河西回廊のある
甘粛省を舞台とし、近年進む深刻な砂漠化と水不足を問題視しテーマとして取り扱う。河や
地下水が干上がる様子や放牧で生計を立てている遊牧民が追いやられる現実が描かれてお
り、近代化に伴う開発の裏側を見た。撮影はすべて実景である。
私たちは本作を鑑賞後、本作を監督したリー・ルイジュン氏、そして水文学を専門に研究
46
されている総合地球環境学研究所の窪田順平氏をお招きした討論会へ参加し、社会を発展
させる代償として常に問題となる環境破壊、自然と人間のあるべき姿をどう模索していく
のか等話し合った。劇中子供たちが失っていく風景からも見えた農業開発に伴い深刻化す
る中国の水不足の問題の実態について窪田氏にご教授いただき、生活のために必須である
農業開発と周りの地域の深刻な水不足、自動車の増加と同時に深刻化する都市部の大気汚
染、優先順位とその判断基準は一体どこにあるのかを討論した。またこれは討論で出たトピ
ックの一部であるが、日本も中国もエネルギーの節約をする能力は既に十分にあり、大気汚
染も脱原発も技術面においてはすでに解決しているという興味深いお話をしていただいた。
開発と環境という常に表裏をなす課題について改めて考えさせられ、専門家と監督を交
えた中国が抱える環境問題について意見を述べ合う大変貴重な場となった。
■全体の反省点・改善点
文責:萩田美乃里
事前準備の段階から本会議を通して浮かんだ反省点・改善すべき点について記したい。
まず、事前準備において重要なことは 2 点あったと考える。1 点目は、「開発と環境」と
いう大きなテーマの中で何を議論するのかを、中国側と更に早く決めておくべきだったと
いうことである。揺るぎないテーマが決められていることで、事前準備で大切な的確な資料
集めも可能だったと考える。中国側との連絡交換をしたのは事前準備の中でも早い段階で
あったが、双方の日程調整が難しかった。合同会議では話したいトピックを出し合うことは
したがトピックの数を減らし、決定したものについて何を深く議論するかを考える工程が
十分に日中の間でできなかった。2 点目としては、日本側、中国側それぞれの現状の共有も
重要であったことが考えられる。日本側はおおよそ毎週、少なくとも隔週でスカイプを用い
たミーティングを行い、自分たちが担当して調べている資料の内容や進捗状況を共有して
いた。しかし、本会議が始まってみると、中国側はそれぞれのメンバーが別々に興味のある
分野にのみに精通しているということが分かった。また、この様な議題について話し合いた
い、とチャットで呼びかけてもフィードバックが全くもらえず、結局議論できなかったこと
もある。日中間での現状と情報共有の欠如が、今回の開発と環境分科会における一番の反省
点である、
「議論をするための議論」に会議の時間を割いてしまったことにつながっている
と考える。
また上記の議論についての反省点に加え、メンバーの感情面での反省点がある。経済優先
の政策が環境に良くない影響を与えているという現状に対して、改善したい、と同じ意見を
持っていたにも関わらず、テーマの細分化が終わっておらず、議論をすることによって最終
的にどのような結論を得たいかが明確に定められていなかった為、
「議論をするための議論」
に時間を費やしてしまうことがあった。例えば景観問題においては話し合いを始めるので
はなく、分科会 1 回目の時間を使用し長所と短所を互いに出し合い両国での景観保全に参
考にできないか考えよう、という方向性を定めるのみで時間を終わらせてしまった。加えて、
準備の段階で下調べ不足だったため、議論が既存の資料に頼りがちになってしまい、知識を
応用したオリジナルの考えが少なくなってしまった。また、双方の意思疎通にも時間をかけ
てしまった。翻訳を一部メンバーのみに任せてしまったため、議論が進みたくさんのメンバ
ーが話し始めてしまうと一旦止めて翻訳をする、という工程が必要になってしまった。語学
のできる他メンバーも積極的に翻訳に参加するべきだった。しかし、人により言葉の取り方
やニュアンスが違う可能性もあり、それの解決法については別に考えなければならないだ
ろう。
感情面では、政府や経済などに関わっている環境問題について学生で話し合っても問題
解決には至らない、と議論に入る前に消極的になってしまった面もあった。また、事前に議
47
論やフィールドワークについての共通の目的、目標を共有することが不可欠だったと考え
る。議論中の時間に中だるみが多く、環境倫理について話し合うつもりだったのが、時間が
無くなってしまったなど、議論できなかったトピックも多い。
以上が今回の本会議で特に認められる反省点である。今回の本会議では達成できなかっ
たが、また他の場面で生かしていけるよう反省を意識し、改善案を模索していきたい。
■総括
文責:小川真由子
開発と環境分科会では、景観問題と大気汚染、そしてそれに付随するテーマとして環境倫
理について議論した。当初は景観問題、大気汚染、環境倫理の 3 つはそれぞれ独立したテー
マであったが、時間の関係上、環境倫理は景観問題と大気汚染双方に通じるものであるとい
うことでまとまり、先の 2 点に統合された。
景観問題では、景観が美しい京都での滞在期間を景観問題について話し合う期間と割り
当て京都での滞在を通して議論した。景観政策を推進している京都市役所へはフィールド
ワークを行い、疑問の解決と新しい発見を得ることができた。観光でも訪れた三年坂と中国
の胡同を比較し、京都市の景観政策を中国の胡同の景観整備に活かせないか話しあった。大
気汚染では、中国側と日本側互いに関心がある PM2.5 問題を取り扱った。最終発表前日には
東京都内の国立オリンピック記念青少年総合センターにて中国の開発と環境の問題をテー
マにした映画鑑賞会及び討論会に参加し、総合地球環境学研究所の教授に中国の抱える環
境問題についてご教授いただくとともに、専門家としてのご意見を伺った。環境倫理の土台
について考える際には、自分たちが受けてきた環境教育を挙げ、身近な環境教育が相手には
当然ではなかったり、中国国内でも都市部とそうでない地域の環境教育に違いが見られ、話
しているだけでもギャップがあり、これまで気付かなかった差を発見した。議論中直面した
困難としては、同時通訳の難しさが挙げられる。議論のレベルになると、双方の言葉に堪能
であっても、本来発言者が相手に伝えようとした微細なニュアンスが変わってしまうこと
もあり、意思疎通の難しさと大切さが一層感じられた。また開発と環境というテーマを取り
扱うにあたりの知識不足もあり、既存の情報に頼りがちでオリジナルの考えが少なくなっ
てしまったことが心残りとなった。
環境というテーマは身近でありながら難しく、一進一退しながらの会議であったが、議論
に屈せずできる限りのことをしてくれた分科会メンバーに感謝したい。また、その中でやり
取りを円滑に進めるために翻訳を頑張ってくれた分科会メンバーに感謝を表したい。
■参考文献
オフィステクスト 2012 『手にとるように環境問題がわかる本』 かんき出版
井村秀文 2007 『中国の環境問題今なにが起きているのか』 化学同人
北九州市 2006 『青い空を見上げて』 北九州市環境局
北九州市 2014 『北九州市の環境 平成 26 年版』 北九州市環境局
京都市 2007 「京都市の景観政策 時を超え光り輝く京都の景観づくり」
REBIRTH PROJECT ホームページ http://www.rebirth-project.jp (2015/09/04 閲覧)
48
◆貿易分科会
■事前準備
文責:鈴木友也
2015 年 5 月 25 日(月)~8 月 9 日(日)
貿易分科会は事前準備に関して以下のように話を進めた。
まず話し合う議題についての見聞を深めるために、各自資料や文献の精読をすることに
決め、顔合わせ合宿から中間合宿までの数週間を使ってそれらの履行を行った。ただ貿易と
いう一見具体的に思える単語の裏に潜んでいた一言では形容しがたい抽象性が、私たちの
頭をやや混乱させてしまい、テーマを決めるのに四苦八苦してしまった。しかしそのような
観点に加えて、なかなか日本側が全員そろって事前にミーティングできなかった反省点が
あったことも、テーマがまとまらない理由の一つとして考えられる。
こうして日本側がやや議題設定に苦戦していた時に、中国側から「議題はこんな感じでよ
ろしいでしょうか?」という提案が SNS 上であったことは一つの救いになった。AIIB につ
いては漠然とだが私たちの考えていた案と近いものがあった一方で、起業意識という全く
思いもつかなかった案を提案してくれたことは私たちにとって大いにプラスとなった。
日本側はこの中国側の提案を快諾し、各々調べるパートを分けて新たな作業をスタート
させた。参考文献は文庫本・専門書などの紙媒体のものから、ネットの記事や統計などデジ
タル媒体のものまで幅広く調べることができた。とはいえ日本語(日本側)の参考文献であ
ったという点から、日本視点でしか考えられなかったことは、少し残念な部分であった。
以上が事前準備に関する貿易分科会の流れである。全体を通して言えることは、ミーティ
ングなどの全体作業の進め方に関してはやや日本側はうまくできなかった点があることは
否めないが、個人の作業については極めてスムーズに事が運べていたように感じられた。そ
49
れに加えて、日本側が中間合宿で問題視していたコミュニケーション不足を解消するため
に日々日中学生会議に関わることのみならず、勉学のことや生活のことなどの他愛もない
ことを共有してお互いの距離感を本会議前に縮められたことは非常に良かったと考えてい
る。このようにして私たち貿易分科会は、本会議へと続く直前合宿の船出をスタートさせた
のである。
○はじめに
文責:土田航己
貿易分科会の事前準備は顔合わせ合宿から中間合宿、中間合宿から本会議直前までの二
期間において、大きく二つのテーマに沿って行われた。主に文献購読による日中貿易及び両
国の経済状況を理解することを目的としていた。事前準備において月に 3、4 回 skype 会議
を行い、文献に対する内容確認、そして本会議で議論したいテーマを選定する作業を行って
いた。参加者が地方に散らばっていること、メンバーの時間が共通して空けられる日が少な
い中でも自分たちなりにできることを進めていく形で貿易分科会の事前準備は行われた。
○第一期:顔合わせ合宿から中間合宿まで 「日中貿易関係の理解と議題の提案」
まず、メンバー間で日中貿易の全体図を掴むために以下の著作を参考にした。
丸川知雄(2009) 『
「中国なし」で生活できるか~貿易から読み解く日中関係の真実』
PHP 出版
服部健治・丸川知雄編(2012) 『日中関係史 1972-2012Ⅱ経済』 東京大学出版会
改革開放、中国の WTO 加盟を経て日中貿易構造の変化を読み解いた。つまり、中国が経
済成長するにつれて、日本を含め輸出入の産品の変化、そして貿易にかかわる産品が多岐
にわたることを分科会で確認した。日系企業が多く進出する現在では日本の企業は中国進
出にどのような戦略があるのか、また中国に潜むチャイナリスクとはどのようなものがあ
るのかという問題提起が起こった。このような経緯で中間合宿以後の skype ミーティング
は始まる。
○第二期:中間合宿から本会議直前まで 「チャイナリスクと日系企業の対中戦略」
まず、中国経済の全体図を理解するために以下の著作を参考にした。
加藤弘之 上原一慶編著(2011) 『現代中国経済論』
ミネルヴァ書房
波多野淳彦(2012) 『中国経済の基礎知識 世界第二位の経済大国を支える制度と政策
改訂新版』 JETRO
中兼和津次編(2014) 『中国経済はどう変わったか 改革開放以後の経済制度と政策を
評価する』 国際書院
50
上記の著作から中国経済の現状及び制度、政策についての理解を共有した。各自文献を
分かれて担当することで、一人で知りえない程の情報量を簡潔にではあるが、理解するこ
とができたと思われる。
日系企業の中国戦略に関しては企業・業種ごとに異なる部分が多くあるという認識から
全体的に日系企業が中国に進出するうえで直面するチャイナリスクについて理解しようと
試みた。文献は以下を主に参考した
服部健治・真家陽一(2013)
『中国ビジネスのリスクマネジメント戦略』 ジェトロ
渡辺利夫 21 世紀政策研究所監修 大橋英夫編(2012) 『変貌する中国経済と日系企
業の役割』 勁草書房
【顔合わせ合宿】
文責:張本麗奈
顔合わせ合宿ではお互い自己紹介などをして親睦を深めた後、議論したいテーマを洗い
出した。その後ミーティング日程を決め、課題本についても話し合った。
【中間合宿】
文責:金光美希
東京での分科会フィールドワークとして貿易の中心地である横浜の貿易博物館を訪れ見
学した。本会議中にも中国と衝突した「貿易」という定義の意味を理解するにあたって重要
な違いだった開国に面した日本の貿易事情や当時の国際的な文化的背景が事細かに展示さ
れていた。日本側の貿易に対する意義や視点を全員で再確認できた。その後、中国の文化を
感じようと横浜中華街を訪れた。貿易分科会としての議論が進み、遠くに足を延ばして見学
しただけの有意義な体験が得られた。
【直前合宿】
文責:加藤弘仁
中間合宿からの一ヶ月間、スカイプミーティングを通してシェアできなかった各自で調
べてきた資料、知識などを見せ合い、互いの知識を深めた。この段階ではまだ最終的に扱う
テーマが決まっておらず、実際に分科会のメンバーが顔を合わせると、皆多種多様な意見を
発言し貿易と関連する食品問題、安全保障、歴史問題など、本来他の分科会が担当するべき
テーマが浮かび上がり、それについても熱く議論しあった。この議論では貿易分科会の大体
の軸が定まった。また、貿易分科会の中国側とも連絡を取り合い、本会議中に余分な時間を
使わないよう事前に一緒に行きたいフィールドワーク先を考えた。
○反省点
文責:土田航己
第一期(顔合わせ合宿から中間合宿まで)においては課題図書として文献を共有すること
51
で認識を共有できた。第二期(中間合宿から本会議まで)は主に文献を分担したことで、そ
れぞれ忙しい中でもある程度の情報量は得られたと思われる。しかしながら、とりわけ第
二期においては skype 会議も議論というよりは報告会に近く、やや不十分な理解であった
かのように思われる。以上の反省を踏まえて次回以降は参考にしていただきたい。
貿易というテーマ自体の複雑さ、他の分科会にも密接する分野がそれぞれある中で貿易
分科会は議題の設定に苦しんでいたと思われる。その結果日本側のテスト期間も重なり、
議題への理解がやや不十分になるところもあった。議題に関しては中間合宿あたりで仮止
めし、議論を進めていくうちに修正する、といった方法でもよいかもしれない。
■本会議での議論
○論点 AIIB
【はじめに】
文責:土田航己
貿易分科会における AIIB というテーマの進め方としては、①中国側による AIIB の説明
②日本側の認識③AIIB を通じた協調の可能性、といった大きく分けて 3 つの流れで議論を
進めた。比較的ホットな話題であるにも関わらず、情報・分析がそこまで進んでいないこの
テーマを選んだ背景として、様々な争点を抱える日中関係ではあるが新たな協調の糸口と
してこのテーマを選択し、協調の可能性を日中の学生が模索する、そのような目的があった。
文責:張本麗奈
議論のはじめから食い違うと思い聞いてみたら、
「貿易」という言葉を違う定義で理解し
て議論をしていたことに気づいた。日本側は主に国家間での取引のことを貿易の定義と見
なしていたが、中国側は個人間の取引までもを「貿易」と見なしていた。広義での貿易と狭
義での貿易の意味でお互い理解したまま議論していたのだ。定義理解の共有と確認からす
る事の大切さを実感した。また、貿易はこだわりすぎると見えるものも見えなくなってしま
うと感じたことから貿易の枠組みにとらわれすぎず視野を広げようという考えから AIIB に
ついても議論する事にした。
【議論の進展】
文責:土田航己
①AIIB の議論を進めるにあたって貿易分科会は一帯一路などと絡めて中国側の主張を聞い
た。AIIB のシステム、ADB との関連、相違点などの説明を聞いたのち、ADB との共存も可
能であるという内容であった。
②これに対し、日本側の認識は資金の不透明性、既存の金融機関に対する挑戦など AIIB を
脅威の一端とする認識が多かった。また、中国の国内に存在する問題(腐敗、環境問題など)
を指摘し、国際金融機関として中国主導で運営することに対し疑問を投げかけた。
52
③議論を通じて得られた結論は以下のとおりである。それは、経済・貿易分野では AIIB に
参加するメリットが日本にもあるということ、そして運営面については外部から疑問を投
げかけるだけでなく、参加して内部から働きかけることが必要なのではないか。また、その
面で、ADB などの国際金融機関を運営する日本側のノウハウなどが役に立てるのではないか。
アジアの貧困を解消するためには、ADB のみでは資金不足が現状であるから、様々な争点で
の対立を乗り越えて AIIB と共存、または競争してお互いアジアのためにできることを貢献
することが世界第二位第三位の経済大国として求められる責任ではないだろうか。
【小結】
AIIB という議題を通じて両国の利害関係など様々な分野での競争、協調両側面を見るこ
とができた。現状として情報が少なく、判断材料が少ない中で日中双方の学生が互いに対立
を乗り越えるために模索した議題であったかのように思う。情報が偏らないように、賛成
派・反対派など様々な意見や論評を調べたつもりではあったが、目的に影響されてやや偏っ
た意見になった可能性は否定できない。これらの反省点については今後の情勢を見ながら、
次に期待したいと思う。
■フィールドワーク
①JETRO
文責:鈴木友也
中間合宿の直前に貿易分科会を代表して私鈴木友也が JETRO(日本貿易振興機構)のオフ
ィスにフィールドワーク調査をさせていただいた。フィールドワークの内容は、主にこちら
があらかじめ用意した質問を、JETRO の職員でいらっしゃる小宮様よりお答えをいただく形
で進めた。お話したことを述べる前に、まず JETRO の組織について簡単に紹介する。
JETRO は 2003 年に経済産業省が所管する形の独立行政法人として発足し、日本の貿易の
振興に関する事業、開発途上国・地域に関する調査を主目的として活動を続けている。それ
ゆえ日中貿易のみならず世界各国との貿易に関する数量的な統計や調査文献が豊富にある。
そうした貿易に関するエキスパートの側面を持っていることから私たち貿易分科会は
JETRO へのフィールドワークのご依頼をさせていただいた。
さて本題のフィールドワークの内容は以下のようになっている。
第一に、私たちは日中貿易と他の二国間貿易との違いやその特徴について専門的な知識
を有する方からお聞きしたいと思い、その点を質問した。お答えいただいた質問の中でとり
わけ興味深かった点は、日中貿易は二国間貿易の中では最も大きく資本が行き来している
貿易であるという点と、中国の人件費の増加による日本企業の動きの変化に関する点であ
る。前者においては、もはや日本も中国も双方の国なくして経済成長や安定はあり得ないと
いうことが改めて認識させられた。後者においては、タイムリーな話題であり財界の人々が
注目していることが理解できたことに加え、中国での人件費増大に伴う日本企業の動きが
多種多様であることも理解できた。
53
第二に、私たちは TPP 締結に向けての交渉が日中貿易に対してどのような影響を及ぼす
のかという点について質問した。この質問の意図は当初私たちが想定していた中国主導の
グローバル経済圏「AIIB(アジアインフラ投資銀行)
」と、米国主導のグローバル経済圏「TPP
(環太平洋戦略的経済連携協定)
」が対立構造にあり、日本が米国寄りの政策判断を下すこ
とで日中関係(貿易を含む)に何らかの悪影響が生じるのではないかと考えていたことに由
来している。こちらの質問に関しては不確実要素がとても多いので答えに関しては明確な
ことはわからないと述べられていたが、少なくとも TPP 締結自体が日中関係悪化につなが
ることはないのではないかという見解を示された。この点に関しては最終発表の部分に詳
しく書いているので、そちらを参照いただければ幸いである。
質問自体は何点か他にもあったが、以上の質問事項が主に議論をした質問である。今回
JETRO への訪問は、公的な機関への唯一のフィールドワークであったため私自身非常に有意
義な経験になったと感じている。
②丸成商事株式会社
文責:加藤弘仁
本会議最後の開催地である東京にて、私たちは分科会の時間を用いて、日中貿易をして
いる丸成商事の会長にフィールドワークとして話を聞きにいった。インタビューをした方
は 90 代前半で、日中貿易についての知識は底知れぬものだった。彼は主に中国の食品を
輸入する仕事をしていて、起業し始めた 1950 年代から現在にいたるまでの日中貿易の仕
組み、摩擦点などを語っていただいた。
54
◆歴史分科会
■事前準備
文責:李倩
【事前 Skype ミーティング】
分科会はじめての Skype ミーティングでは自己紹介と顔合わせ合宿に関する事務連絡を
主に行い、顔合わせ合宿までに分科会の方向性を考えてくることになった。
【顔合わせ合宿】
顔を合わせてのはじめての分科会ミーティングではどのような議論にしたいのかを話し
合った。結果、第34回日中学生会議の理念でもある「創りあげる未来」の精神に則り、共同
で教科書、もしくは条文を作りたいとの大きな方向性が決まった。
【中間合宿】
7月に行われた中間合宿では分科会活動としてフィールドワークを行った。新宿にある平
和祈念展示資料館に行き、戦争についての基礎知識を学んだ。
【直前合宿】
本会議直前の直前合宿では、本会議に向けて調べてきた資料等を共有した。また、本会議
中の分科会スケジュールを決めた。
【Skype ミーティング】
5月から8月の本会議まで毎週月曜日の21時からの分科会での Skype ミーティングではテ
ーマ決め・テーマの内容決定を主に行った。Skype ミーティングは以下のスケジュールの様
に行った。
6/1
中国側との合同ミーティング、方向性案の共有
55
6/8
中国側との合同ミーティング、方向性決め
6/15
中国側との合同ミーティング、テーマ案共有と決定
テーマ:慰安婦問題・核問題・愛国主義・民間交流
6/22
慰安婦問題についてのポイント整理、論点設計
6/29
愛国主義についてのポイント整理、論点設計
7/6
核問題についてのポイント整理、論点設計
7/15
推薦図書決定
7/24
民間交流についてのポイント整理、論点設計
7/27
議題設定
■本会議での議論
◯論点1 核問題
文責:古谷涼
これから時系列に従い、まとめていきたいと思う。今回「核」という論題を、選んだ理由
は、本会議において、被爆地である広島を訪れ広島平和記念資料館を訪れることももちろん
のこと、2011年の福島原発事故も含めて、お互いに問題意識を持って取り組める議題であり、
中国側の学生達が、中国が保有している核兵器・推進している原発に対してどのように考え
ているか疑問に思ったからである。また、未来を共に見つめ、これからの核との付き合い方
を話していきたいと考えたからである。
本会議が始まり、初日の広島にて核について話し合いを始めた。歴史分科会においては、
各々が調べてきた「核」に基づくテーマについて共有し、そこから話し合いに移るという形
をとっていた。日本以外の被爆国ではない国は、あまり原爆の被害を報道しないという現状
が共有された後に、日本の若者と中国の若者の核兵器に対する認識の違いを確認するため
いくつかの質問に基づき話し合った。共有していった疑問点としては簡単にまとめると以
下のものである。
Q.中国の学生が得ることのできる「核」の情報はどのくらいのものなのか
Q.中国が原発を多く量産していることに関してどう考えているのか。
Q.核兵器(原発)が及ぼした影響を踏まえ、核保有国である中国は核を容認すべきなの
か。
Q.中国が核保有によって、国の威信をアピールしているのではないか。
本会議では、
「核」のテーマに関しては、
1.原発の構造
2.中国の核兵器・原発の歴史
3.戦後の日本の原発の歴史
4.核兵器について
5.核の抑止力
56
の5つを日本側が事前準備の資料として提示し、認識共有した。政府の話よりも直接中国の
学生の意見が聞きたいと皆が考え、日本と中国の情報を共有し、過去、現在、未来の核を見
つめ合い考えていった。日本側の提示に対し、中国側からは、
1.核不拡散条約において、
「中国は核兵器を持つ国として、核兵器を持たない国を絶対に侵
略しない。
」と条文化していること。
2.核保有は自国民保護のためである。
3.他の核保有国に比べ、核保有数は必要最低限のものだけである。
4.包括的核実験禁止条約に署名し、核軍縮の意図を示している。
と四つの意見が提示された。
最終発表では、中国は核兵器を保有すべきかどうか」というテーマにおいて、単純に多数
決の意見の結果を示すのではなく、双方の意見を踏まえ提示する形にした。最終発表の準備
を行うにつれて、これまで議論してこなかった情報である中国国防白書2013の、核先制不使
用に関する情報が出てきて、この内容を組み込むか組み込まないか議論したが、組み込むこ
とで、核保有国である中国主席の意図・考え方が目に見えてくると考え、発表へと組み込ん
だ。最終発表に置いては、
1.広島の原爆について
2.中国の核兵器事情
3.議論内容
4.今後の展望
上記四点について、発表した。
本会議が終了し、予定していたよりも、原発に関しての話し合いが深く行うことができな
かった。それに加え、安全保障分科会が原発について調べているという事実より、最後発表
では核兵器だけになってしまった。議論の内容を決めていたのにも関わらず、議論の中で、
原発に関してないがしろにしてしまった部分が否めない。加えて、核兵器の将来についても、
ゆっくり話し合う時間が取ることができなかった。時間は十分にあったはずなのに、議論し
きれなかった部分は反省しなければならない。また、事前準備の段階で、事前学習の範囲の
選定をもう少しきちんと行うべきであった。
○論点2 愛国主義
文責:辻ありさ
歴史分科会では、日中のナショナリズム・愛国主義をテーマの1つに設定した。ナショナ
リズム「国家主義」とパトリオティズム「愛国主義」は異なるものであるが、今回の私たち
の議論では、
「愛する自国のために一致団結する」という意味で、両国の愛国主義について
論じた。日中両国の愛国主義を戦前・戦時中・戦後の時代区分に沿って振り返り、その特徴
を明らかにし、それらの愛国主義の功罪を考え、日中双方の共通認識を得ることを目指した。
また、戦時中の日本の愛国主義と深く関係があると考え、フィールドワークで靖国神社に行
き、希望者は遊就館の展示を見た。
57
①日中間の「愛国主義」の誤解と訂正
議論にあたり、
「愛国主義」そのものに対する両国の違いについて意見を交換することで
共通認識を得た。以下が、相手国に対する誤解とその訂正である。括弧内は誤解を持ってい
た側である。
誤解
訂正
(日本)愛国は愛党である。
愛国と愛党は直接の関係は無い。
(日本)愛国主義は排他的である。
中国の愛国主義は排他的ではない。※
(日本)愛国主義はどの国でも一緒であ
日本人の多くは愛国主義を極端な愛国主義
る。
(軍国主義)だと捉えている。
(中国)愛国主義とはポジティブなもので
日本では、愛国主義はネガティブな印象を持
ある。
つ。
※「中国の愛国主義は排他的ではない」の例として、天安門に掲げてあるスローガンが挙
げられた。天安門には左に「中華人民共和国万歳」
、右に「世界人民大団結万歳」とスロー
ガンが掲げてある。このことから中国側は、中国の愛国主義は自国も愛し、他国も愛するこ
とができると主張し、日本側も承諾した。
②愛国主義の功罪
戦前(日本では明治維新~日露戦争)
、戦時中、戦後の3つの区分で、日本側・中国側がそ
れぞれ歴史に沿いながら自国の愛国主義の特徴を述べ、情報共有をした。両国の愛国主義の
変化を共有した後、それぞれの時代の愛国主義がどのような功・罪をもたらしたかを議論し
た。
日本の愛国主義
戦前
功
罪
ナショナリズムが「国」
「国
韓国併合などに見られるよ
民」という概念をもたらし、 うに、アジアの一等国とし
戦時中
戦後
国民国家になった。帝国主
ての日本という認識を持つ
義としての日本になった。
ようになった。
(功と罪の併存)
政治体制の変革を求める動
国民全体を戦争に参加させ
きがあり、愛国主義が軍国
た。
主義へと変化した。
経済・文化面での自信が、愛
他国との比較で、文化を定
国主義の表れとなった。
義するようになった。
功
罪
中国の愛国主義
58
戦前
六名の知識人が中国を救う
・過度の西洋文化への憧れ
ために改革を支持する様子
によって、自国の良い伝統
が中国国民を勇気づけた。
文化を忘れた。
・盲目的に排外的になった。
戦時中
国民が一致団結して戦場に
なし
行った。
戦後
中華民族を団結させ、近代
文革のような個人崇拝にな
化と経済発展を促した。
ると、国民が自分で考える
能力が無くなった。内向的
になり、過激な行為が発生
した。(例:中国の資本家打
倒運動)
日本の戦前の愛国主義について、帝国主義としての日本の確立を功とした。これは戦前の
範囲を1919年のヴェルサイユ条約より前に設定したためであり、列強の仲間入りをした日
本の大国化を評価した。
中国の戦時中の愛国主義の罪について、なしという結果になった。日本側が「国民が一致
団結して戦場に行った」ことは罪でもあるのではないかと指摘すると、当時の中国は日本軍
の侵攻に対して戦って死ぬか戦わずに死ぬかの二択しかなく、そのため全員で戦うことは
功であって罪ではないと返答した。日中間では戦争に対する立場が異なり、議論中に統一見
解を得ることはできなかった。
【議論を受けて】
日中間の「愛国」の概念の差や、戦争に対する立場の違いを痛感した。互いの認識にずれ
がある中で、相手の考え方を知り、受け入れることが大切であると思う。互いに寛容である
ことが重要であると気づくことができた。
◯論点3 慰安婦問題
文責:松本 佳吾
3つ目の議題として我々は慰安婦問題について取り扱った。
この議題は中国側から提案されたものである。慰安婦問題と言えば、韓国との間における
懸案であると多くの日本人が思うであろう。我々も実際そうであった。
事前準備の段階では、資料収集が難航した。というのも、大学の図書館なども朝鮮人慰安
婦の文献は多く所蔵している一方で、中国人慰安婦についての文献がほぼ皆無であったか
らである。
中国側に以上のことを伝えると、韓国人慰安婦の文献でも構わないので調べてきてほし
いとの要望があった。そこで、我々は1993年の河野談話や、1995年の村山談話、東郷和彦『歴
史と外交』(講談社現代新書)などの資料を用いて事前準備に取り組んだ。
59
議論の方法としては、まず日中両国で調べてきた慰安婦についての情報を共有し、その上
で我々の慰安婦問題についての考えを述べる。次に中国側の要望を聞き、それを受け日本側
の回答を提示し、中国側の了解を得た時点で議論を決着させるという方法で合意した。
本会議では、以上の方法で議論が行われた。情報共有の部分では、中国側から第一に大陸
と台湾の慰安所の歴史と万愛花という慰安婦の体験談、河野談話、中国で慰安婦問題がさほ
ど重要視されなかった理由について説明が行われた。
中国側からは慰安所の設置に軍の関与があった証拠として、陸軍大臣であった東条英機
らの当時の閣僚らの捺印のある密電の資料が示された。日本側はこれに対して反論はなか
った。半官半民の拓殖株式会社が台湾慰安所の設置に関わっていたことも示された。
また慰安婦の体験談では、慰安婦制度の実態とその違法性・非人道性が主張され、聞くに
耐え難いほど悲惨なものもあった。
河野談話については、慰安婦制度への当時の日本政府の関与、多くの女性が強制的に働か
されたこと、慰安婦への反省・謝罪の表明などが強調された点として挙げた一方、河野談話
は、朝鮮の慰安婦に対するもので、中国人慰安婦について日本政府から公式な態度・表明が
出されていない点や、非人道的な行為・罪があると認めつつ、日本政府が国際法上の責任を
認めていないという点が指摘された。
日本政府が法的責任を認めない理由が日中双方から挙げられた。理由としては以下の通
りである。
1.当時日本政府(日本軍)が直接命令を出して慰安婦を募集した資料がない。
2.慰安婦に関する裁判が行われ、被害者に対する賠償がすでに終わった。
3.当時の国際法上、戦争下の強姦は禁止されていなかった。
4.国際刑事法上、遡及処罰は不可能。
5.慰安婦制度は奴隷制度ではないため、国際法違反に該当しない。
韓国の慰安婦問題ほど、中国の慰安婦問題が重要視されなかった理由として、中国でのア
ンケートを用いて説明された。自分がかつて受けた恥について話そうとしない中国人の民
族性、中国政府が学者レベルの研究は指示にとどまり、国として政策・交渉をしていないこ
とが挙げられた。
日本側からも慰安婦問題に関する日本国内の代表的な三つの立場を説明した。
日本の民間人の立場は以下の通りである。
①制度的レイプ派:慰安婦制度は国家による犯罪であり、賠償金を払うべき。
②公娼派:慰安婦制度は強姦・性病・情報漏洩の予防が目的であったため、当時の日本社会
で一般的に受け入れられた制度であった。慰安婦の運営は基本的には民間による。政府の関
与、強制連行についても否定はしない。軍は慰安所の規律を守っており、虐待は逸脱したケ
ース。慰安婦制度自体が、軍や政府に責任を求めるものではない。
③河野談話派:慰安婦の募集に関しての軍の関与、募集時の甘言などによる強制連行への官
憲の関与を認めるが、国際法上の責任は認めない。
60
①~③の共通点として、軍の関与、強制について認めていることが挙げられた。
また、間接的な国家による慰安婦問題の補償の例として、村山富市元首相が立ち上げた、
女性のためのアジア平和基金(1995~2007)を取り上げた。これは、事務経費は国の予算から
支出されるが、賠償金は民間の寄付で賄われ、首相署名入りのお詫びの手紙と共に給付され
る。日本が政府予算で払うとなると、国際法違反を認めることになるため、民間によって賠
償金が払われた。
以上の情報共有を踏まえた上で、中国側から慰安婦問題についての要望を出してもらっ
た。中国側の要望は以下の通りである。
1.日本国政府が、教科書の記述や慰安婦資料館などを増やすことを通じ、慰安婦の事実を
国民に浸透させること。
2.日本政府は河野談話の立場を一貫して堅持し、実行すること。数の問題で韓国人慰安婦
に対して主に言及するのではなく、中国、台湾などアジア諸国に謝罪をすること。
→安倍晋三首相は河野談話を受け継いではいるが、韓国からの圧力によるもの。安倍首相が
2007年に慰安婦の存在を認めていないのでは。安倍首相は、一国の首相として、国内外の発
言内容を統一するべき。という意見があった。
3.アジア平和国民基金のような慰安婦への手当となる基金を復活させ、首相署名の謝罪の
手紙を全員の慰安婦の人に渡すこと。
→後から勇気を出して名乗り出た女性の手当が無くなってしまうため。
この要望に対して日本の回答は以下の通りである。
1.教科書について従軍慰安婦の存在、軍の関与という確定している事実を記載する。
2.談話における元慰安婦に対する謝罪の対象地域を、朝鮮半島だけでなく中国・アジア諸
国も明記する。
3.河野談話の立場を日本政府として立場を継承、堅持する。
4.給付金は親子が対象としたアジア女性基金を再開し、首相署名のお詫びの手紙も渡す。
→慰安婦として働いたことの生涯における損失は大きく、子供にまで影響したと想定。
中国人慰安婦問題を今回は扱ったが、朝鮮人慰安婦問題とは違った主張がなされ新鮮に
感じた一方、さほど我々が注目していない歴史問題がまだあるのだと実感した。他にもこの
ような歴史問題があるのだとすれば、それについて日本政府として取り組むべきであろう
が、それが当事国との外交上の問題に発展してしまうことを考えるとなかなか行動しにく
いというのが現状で、なんとももどかしい気持ちになった。
■総括
文責:李倩
歴史分科会では上記の核問題・愛国主義・慰安婦問題・民間交流と言った 4 テーマを軸と
し、議論を行った。各テーマと歴史分科会ならではの視点を重視し、日中関係の根本にある
61
歴史認識問題にアプローチを試みた。やはり歴史について議論することは難しく、互いに譲
れない点などが多かった。そのため当初予定していた「共通教科書を創りあげる」と言う目
的が果たせなかったことが少し心残りだ。だが、議論を通して互いに対するバイアスが少し
ばかりではあるが、払拭されたと感じた。
62
◆情報分科会
■事前準備
文責:児玉祐介、光本恵理
5 月下旬より、3 回の合宿と、計 11 回の Skype によるミーティングを行った。本会議の論
点を模索し、議論の前提となる知識を習得することのほか、ディスカッションをする能力の
向上にも努めた。以下、その具体的な取り組みと、本会議での発表に活用した具体例の概要
を記載する。
(1)本会議の論点の設定に向けた、関心があるトピックの話し合い(事前合宿、ミーティ
ング①)
日本側参加者の興味、関心は以下の 2 点にまとめられた。
①新メディア(インターネット等)の役割
②政府とメディアの関係
(2)2 つの論点について、基礎知識を学習・共有(ミーティング②③)
まず、中国のメディア状況を議論するに当たり前提となる、メディア統制政策とその変遷
について学習し、中国国民への統制への対抗手段についても知識を得た。また、新メディア
の発達を受けた情報社会の現状や問題点について調査し、新メディアに起因するナショナ
リズムや反日感情についても見識を得た。
(3)日中両国の問題を踏まえてメディア報道を調査(ミーティング④~⑥)
日中関係における自分が興味のある分野についての報道を調査した。具体的には首相らに
よる靖国神社参拝に関する報道(以下、靖国報道と省略する)、環境問題に関する報道、中
国人の日本における爆買いとメディアの関係である。四日市公害報道、靖国報道については
以下で詳しくまとめる。中国においては、新メディアの情報にかなりの信頼性があるという
ことが爆買いについての調査で分かった。中国人は買い物をする上でガイドブックを頼り
63
にするのではなく、微博にある口コミを頼りにしていた。この点から中国における新メディ
アへの信頼度は高いということが分かった。
【四日市公害報道】
ご承知のように、高度経済成長期にあたる 1960 年代、四日市石油コンビナートによる水
質汚濁・大気汚染は、地元市民に深刻な健康被害を及ぼし、数多くの犠牲者を出した。
しかし、1965 年ごろまでは、この問題に関してのメディアによる報道は小規模なものに
とどまった。当時のマスコミのネットワーク体制は十分に地域規模の情報を拾い上げられ
るものでなかった。また、公害源に関する科学的根拠が明確でなかったことや、広告収入源
となる産業界への配慮もその一因だったという。経済成長がなによりも重視されていた背
景もあり、NHKによる四日市公害報道キャンペーンも、「魔の報道」などと政財界から批
判を受ける。しかし、被害の増加や東京での関心の高まりを受け、1966 年ごろから急激に
新聞で取り上げられる回数が増加した。現地の市民感覚に基づいた記事が掲載され、公害の
発生源への根本的対策も促された。そして 1970 年から、東京での関心の高まりもあり、メ
ディアが集中的に公害キャンペーン報道を行う。その結果として、全国的な公害への反対運
動が起こり、公害対策基本法制定や環境庁設置など、政策による根本的な解決へとつながっ
た。
この例より、メディアの主な社会的役割を次のように考察する。(ⅰ)大衆に知られていな
い問題を可視化すること。(ⅱ)繰り返し発信することで関心を持たせ、対策を喚起すること。
(ⅲ)大勢や権力に迎合せずに問題点を知らしめること。そしてひいては、(ⅳ)同様の問題の
再発により次なる犠牲が出ることを防ぐこと。
【靖国報道】
公人の靖国神社参拝の是非をめぐり様々な論争が繰り広げられている。分科会では五大
紙の記事を比較し、公式参拝に反対の立場である朝日新聞社と、賛成の立場である産経新聞
社において、なぜこのような捉え方の差異が生じるかに注目した。そのため、朝日新聞社と
産経新聞社の過去の報道を順に追うことで、公式参拝をどのように捉えて評価しているか
を調べた。
その結果、それぞれの問題の捉え方や言及の多かった部分を表にまとめたものが以下で
ある。
表1
公人の靖国神社参拝に対する報道の特徴(朝日新聞社、産経新聞社)
論調
問題の捉え方
東京裁判史観
主な主張
朝日新聞社
反対
外交問題
支持
近隣諸国との摩擦につ
ながるため、参拝を控
えるべき
産経新聞社
賛成
国内問題
(国内メディアの
問題化以降に外交
カード化した)
疑問視
他国からの批判は内政
干渉である
戦没者への哀悼の表明
64
表から、各紙の主な主張は問題の捉え方に基づき展開されていることが確認された。この
ことから、問題のどの側面を重視するかによって、公式参拝に対する立場に差異が生じてい
ることが分かった。
またこの靖国報道の調査から、日本のメディアには単なる権力批判の機能だけでなく、国
民に対し多様な言論の場を提供するという役割があるということも分かった。国民は各媒
体の記事を読むことで様々な言論があるということを知ることができ、それを基に自身で
判断することができるようになる。また、一つのメディアばかり見ていると、考え方がその
メディアの主張のみに影響される危険性を理解した。
(4)フィールドワークとその関連学習(ミーティング⑦、フィールドワーク)
中国のメディア統制や、その中でのメディアの役割や実態を知るため、記者の峯村健司氏
からお話をうかがった。
峯村氏は 1997 年朝日新聞社入社。2007 年からの中国総局員時代は、
胡錦濤引退報道や毒入りギョウザ事件等、多くのニュースをスクープした。2011 年には、
国際理解に貢献したジャーナリストに贈られるボーン・上田記念国際記者賞を受賞。現在は
朝日新聞アメリカ総局特派員。
事前学習として、峯村氏の近著「十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争」
を読み、印象深い点を話し合った。同書は中国共産党内部の権力闘争や、習近平氏が共産党
主席に就任する際の裏側など、共産党の最高機密を次々と明かしている。また、その内容か
ら峯村氏の取材姿勢も垣間見え、フィールドワークではさらに具体的な取材の現場につい
てうかがうことにした。
■フィールドワーク
①7 月 5 日、都内で朝日新聞記者の峯村健司氏にお話をうかがった。以下、その内容を抜粋
する。
中国内のメディア統制については、共産党中央宣伝部が取り仕切っている。重大
な事故や事件などは原則的に新華社通信の発表を使う決まりだ。何かあると、電話
で主要メディアの幹部に指示を出す。その指示が文書化されたものを、知り合いの
中国人の報道関係者に見せてもらったことがある。中国共産党がメディアに何を
求めているのかが手に取るようにわかった。これに反する報道をすると、責任者が
飛ばされることもある。彼らの中には統制に苦しんでいる者も多い。知り合いの中
にも、統制を苦に記者を辞めた人が少なくない。
日本メディアに対しても、同様の基準を求められる。何かあると呼び出しを食ら
うのは、そう珍しいことではない。私も、事件の現場取材などで繰り返し捕まった。
党の意にそぐわないと、ビザが止められてしまうこともある。事実無根との非難、
統制の根拠づくりを避けるためにも、裏取りやクロスチェックは当然必要だ。
中国製冷凍ギョーザに毒物が混入していた事件は、私の追跡取材から始まり、最
終的に当局を動かすことに成功したケースだ。最初は、中国の官僚らから、
「日本
の陰謀だ」
「事実無根だ」と非難される。カチンときた。河北省のギョーザ工場に
65
毎日のように通い詰める。その結果、不審人物を割り出すことに成功した。1 年半
かけて立て続けに記事を発信し続け、ようやく警察当局は動き出した。自分の報道
がなければ、このように対応策がとられることはなかったと自負している。
(当時の)胡錦濤国家主席ら政府関係者はこれをよく思わない。一連の報道が、
いたずらに日本人の反中感情をあおろうという目的で行われていたのではないか
という。これは、全くの誤解だ。中国政府高官らと討論する機会がは少なくなかっ
た。その際に、こう説明した。真実を解明することで、再発を防ぐことが自分たち
の役割だ。そうしなければ、次の同様のケースは防げず、なお反中感情も深まるだ
ろう。
このように日本のメディアの役割や意識を説明して、すぐに中国の人が納得し
てくれるわけではない。だが、
「理解」はしてくれる。あきらめずに説明して、
「理
解」を生んでいくことの積み重ねが、「納得」につながっていく。
日本でも高度成長期においては、その成長が生む弊害やひずみが多かった。その
中において、メディアが政府を監視する役割を担ってきたのは間違いない。今まさ
に、中国はそのような状況にあり、中国の報道もその水準に達してほしい。
自分の(現場で見聞きしたファクトにこだわる)取材姿勢は、中国特派員の概念
を変えてきたのだろう。記者でさえ、「新華社通信によると~」や「発表によると
~」を日常的に多用し、それだけに基づいて言説を展開する。日本では、現場に基
づいて取材することはどんな記者にも普通のことだ。中国では(統制により)それ
ができない。できないから許されるという甘えが、このような特派員のあり方を当
たり前にしているのではないか。
中国国内で、世論の意向を受けた報道・問題が増えている。これは、現在中国共
産党が抱えている大問題だろう。今やネットの普及を受けて、民意は一瞬で広まる。
十数分で、1000 万アクセスを超える世界だ。これには、政権転覆の脅威として受
け止められ、厳重な注意を払われている。中国共産党は、自分たちの支配に「正当
性がないことがわかっている」
。民主主義国家なら権力を国民を代表して付託され
るが、中国は違う。だからこそ、民衆の権力批判に怯えているのだ。
最近は、観念的な中国論が多い。ファクトに基づかない反中本が多いのは問題だ。
さらに問題なのは、これを国民が望み、需要にこたえる形で出版されていること。
是正できるかがカギとなる。このような状況をどう変えられるか。やはり、
「ファ
クト」
(事実に基づいて報道していくこと)。これしかない。
政府とメディアの関係に興味を持って学習を進めてきた私たちにとって、毒入りギョー
ザ事件の取材や、政府関係者との対話のエピソードはとても興味深かった。
「現場」を知る
方ならではのお話をうかがい、中国におけるメディアの活動の現状や難しさを理解した。ま
た、
社会問題や権力への監視を行うことで、よりよい社会への変化を促すその過程がわかり、
メディアの役割や意義について深い見識が得られた。これは、後にメディアの「監督機能」
に焦点を当てることとなった一因でもある。
(5)学習内容のまとめ(ミーティング⑧⑨、直前合宿)
66
これまでのミーティングやフィールドワークを振り返り、それらから得たことを整理し
た。また、主要な論点を「メディアの監督機能」というキーワードに落とし込み、これを明
らかにしたのち、国民が主体となってできる解決策を模索するという方向性を決めた。
(6)
「政府とメディアの関係」を踏まえた、具体的報道の調査(ミーティング⑩⑪)
「リクルート事件」に関する一連の報道を通してメディアの公権力への監督機能や、調査
報道の意義を学んだ。さらに、
「南方週末社説差し替え事件」を通して中国メディアの監督
機能や検閲の現実を考えたほか、テレビや新聞の事例を用いて誇張報道の手法を考察した。
【リクルート報道】
リクルート事件とは、リクルート社の江副浩正会長が関連会社の未公開株を政財界やメ
ディア関係者に譲渡していた問題を指す。朝日新聞などによる報道から発覚した。安価な未
公開株を購入し、公開されて大幅に値上がりした株を売却したことによる利益は、数千万か
ら一億円超に上った。当時は株取引に関する社会的意識が低く、その実情が理解されていな
かったため、朝日新聞の一連の報道は政界の汚職の手口を暴く革新的な報道キャンペーン
となった。追及の矛先は川崎市の助役に始まり、最終的には当時の竹下登首相や中曽根康弘
元首相ら国政のトップにまで及んだ。また、消費税導入直前の中央政界に大きな余波を残し、
後に「55 年体制崩壊」という政界の権力構造の大きな転換の要因にもなった。江副会長は
辞任し、のちに執行猶予付き有罪判決を受けた。これらの報道は公式発表に依らず、緻密な
取材の繰り返しによって発表された。その上、ほとんどが本社ではなく川崎支局員によって
暴かれた点も大きな特色である。
一連の報道は、メディアによる権力批判の意義をあらわす例だ。政治関連の報道は、公的
発表を受けたものが多い。それらの発表も、メディアの追及なくして透明性は保証されない。
発表に依存しない調査報道の必要性が、一連の報道からうかがえる。
■本会議での議論
文責 : 菅原加奈子、竹田拓磨
本会議では、特に社会問題や公権力に対するメディアの監督機能に焦点を当てて、メディ
アの役割と現状について議論した。その上で、両国メディアの現状における問題点や向上の
余地を見出し、われわれ一般市民が主体となって実践できる解決策を模索した。
○論点 1 両国メディアの概要
まず、大まかな自国のメディア状況を互いにプレゼンテーションし合った。
【中国メディア状況】
中国メディアは、中国共産党による統制を受ける。主管主催部門制度と呼ばれ、新聞各社
の上には管理部門が存在する。ゆえに、その意に反する記事を書いた場合、発表の前に差し
止められている。新聞は、もともとは公的な発表の場と位置付けられてきた。転機は、新聞
社の市場化だ。少し政府の監視が緩まり、党の意思に反しない範囲で、企業が発信したいこ
とや読者の関心を踏まえた紙面が緩やかに増えた。また、経営上の理由から、小さな媒体の
大グループへの統合も進んだ。しかしながら、共産党の厳しい管理は今なお続く。現在では、
購読率の減少に伴う発行部数の減少、さらに広告収入の減少といった、日本の新聞社と同様
67
の課題をもつ。テレビ局は、国、省、自治体ごとにそれぞれ存在し、2000 年代より、新聞社
と同様に大グループへの統合という現象も見られた。また、これらの伝統メディアに代わり
台頭している新メディア、すなわちインターネットの普及を受けて発達してきた媒体の中
で、影響力を持つものを紹介された。中国版 You Tube ともいわれる、优酷网(You Ku)な
どだ。
最後に、伝統メディアの社員にとっては、国や公権力が雇用者であり、筆頭株主であるこ
とや、インタビュー内容などへの介入もあるため、記者らは国に逆らわない取材や記事づく
りを意識しているとした。
中国側のプレゼンテーションからは、彼らがかなり客観的に自国メディアの状況を把握
していることが伝わった。同時に、メディア統制を解決策のない不変不動のものと位置付け
ており、両国の現状を比較するにとどめて改善策を話し合う意思がないことを示唆した。
伝統メディア・新メディアともに統制による影響を受けていることを前提にメディアを
利用する中国の人々。いったい何を信じているのかという疑問をぶつけてみた。その答えは
一人ひとり違った。伝統メディアの中でも、
「社会についての記事は信じられるが、政治に
ついての記事は信用できない」
、
「信用できないからあまり見ない」、
「信用するかどうかはジ
ェネレーション・ギャップもある」
、
「有名な会社なら信頼できる」、
「複数のメディアを見て
判断しなければならない」などの意見があった。新メディア上の文章の真偽の判断基準につ
いては、
「いいね!」という反応の多いものや、ネット上で大きな影響力をもつオピニオン
リーダー、
「大V(ダー・ヴィー)
」の寄稿は信頼度が高いという意見が出た。しかし事前学
習から、ネット上で世論操作を行う「五毛党」などの存在を知っていたため、日本側にとっ
て納得のいく答えにはならず、中国国民には有効な真偽の判断基準が不足しているという
印象を受けた。
【日本メディア状況】
対する日本側からは、
中国と比較する形で憲法 21 条が保証する表現の自由を取り上げた。
また、明確な介入だけでなく、公権力がメディア各社に対して物言いをつけることさえも
「報道を委縮させる」こととして好ましく思われないと説明した。新聞社の構造については、
「五大紙」とも呼ばれる全国紙と、ブロック紙、地方紙、地域紙の区分が存在することを説
明した。発行部数や広告収入の減少については中国の新聞社同様の問題を抱え、電子版を創
設、向上させることで対応していることを紹介した。特徴として、新聞社ごとに論調は大き
く異なることがあり、同じ日本の新聞でも媒体によっては真逆の主張を繰り広げることを
強調した。テレビについては、公共放送NHKの役割と、民法の系列構造について説明。新
メディアについては、ニコニコ動画などの影響力が高いものや、多彩な媒体の記事・動画を
比較して見ることができる総合ニュースサイトを紹介した。
発表を受けて中国側は、日本には政府による報道への介入が全くないのかという点を繰
り返し確認した。たしかに、政府ないし公権力による介入がまったく存在しないことはない。
しかし、介入があった場合、そのことが何らかの形で明るみに出る。そして介入に対する批
判が起こることで、簡単には介入できない状況が作り上げられ、再発を抑止していると説明
した。
○論点 2 両国メディアの特徴を表す事例
メディアの特徴や現状について、抽象論やイメージで語ることを防ぐため、互いにメディ
68
アの特徴を表す具体的な事例を用意し、発表し合った。また、その際、日本側の発表はすべ
て、特にメディアの「監督機能」に焦点を当てた。これは、事前学習において、自国の社会
や政治における問題を監視し、改善を促すことで社会や国民生活に利益をもたらすという
メディアの役割が確認されたからだ。同時に、日中双方のメディアを比較するうえでも、政
府(または権力)とメディアの関係性はキーワードになると考えた。
【日本側プレゼンテーション】
日本側からは、4 つの例を提示した。まずは、四日市ぜんそく発生時の新聞報道について
発表した。多くの人々が認識していない問題を「可視化」し、対策や再発防止を促すメディ
アの役割について中国側メンバーとともに考察した。今なおPM2.5 に代表される公害問題
と向き合う中国にとっても、考えさせられるところがあるだろうという点も、この例を選択
した理由の一つだ。次に、日本国首相らによる靖国神社参拝問題に関する報道である。国益
を損ないうるようなことでも指摘し問題化する点や、各社ごとに論調が大きく異なる点な
ど、中国と比べ特筆すべき日本メディアの特徴を理解してもらうことが主な目的だった。続
けて、リクルート事件についてプレゼンテーションを行った。これは、公権力の発表に依存
せず、メディアが公権力の動きや、公的発表が事実か否かを主体的に調べ報道する「調査報
道」の役割を提示するためだ。以上 3 点について、詳細は事前学習の章をご参照いただきた
い。
最後に、新メディア発の、伝統メディアや社会への監督機能を表す好例として、小保方晴
子氏の研究発表における不正が、インターネット上で摘発された件を取り上げた。
[STAP 細胞問題追及から見る新メディアの現状]
STAP 細胞問題追求は国民がメディアを利用して問題を発見、追及した具体例と言える。
小保方氏の STAP 細胞論文は発表後、米 nature 誌に掲載された。そして伝統メディアは同
論文を世紀の大発見として賞賛していた。しかし、国民が新メディアで疑問をあげたことに
より、同論文に対する調査が始まった。
米カリフォルニア大学教授と「11jigen」と名乗るブロガーが STAP 細胞論文についての疑
問をネット上に書き込んだ。この投稿がきっかけとなり、理化学研究所が調査を始めた。調
査の結果論文に改ざんがあったと理化学研究所が発表しネイチャー誌も論文を撤回した。
この事件をきっかけに、理化学研究所は同じことが再発しないように研究所の運営体制の
改革、センター長の交代等様々な取り組みを行った。またこの取り組みをホームページに載
せ、国民に伝えている。
この例から、国民は自ら情報発信できる新メディアを利用することで社会を監視できる
と考察する。また、追及の声が上がったことを境に報道の論調は同研究の賞賛から糾弾へと
激変がみられる。現代では新メディアの情報量や監視作用が伝統メディアを上回ることも
あり、相互作用があることがうかがえる。
【中国側プレゼンテーション】
(ⅰ)南方都市報による大学受験替え玉事件報道
江西省の大学入試受験会場における、組織的な替え玉受験の実態が、新聞記者による潜入
取材によって発覚した。中国では以前から、日本のセンター試験に相当する「高考」での不
正は、具体的な手法や規模こそ明らかになっていないものの、問題として認識されていた。
69
その実態を暴くため、
「南方都市報」の記者が替え玉受験を斡旋する組織に接触。実際に手
配を受けて替え玉役として入試会場に赴くと、会場のチェックをすり抜けて受験すること
に成功する。同記者は試験終了を待たずに直ちに不正の成功をネット上で発信し、その一部
始終が明るみになった。なお、この取材は事前に地元当局に伝えられていたため、違法行為
とはみなされなかった。この報道を受け、組織の首謀者ら 9 人が直ちに拘束された。また、
教育部はこの事件を非常に重視し、公安部に当該地方の徹底的な調査を要請した。
この例などより、本分科会の主要な論点である「監督機能」という点において、中国の記
者の中にも能力の向上が見られると考察する。また、新メディアというツールを生かした報
道の影響力も、特徴的だ。
(ⅱ)紫静の告発ドキュメンタリー「穹頂之下」
元中国中央電視台のアナウンサーでフリージャーナリストの柴静が、中国の PM2.5 によ
る大気汚染の実態を暴いたドキュメンタリーをネット上で発表した。まず、PM2.5 がどれほ
ど人体に悪影響を及ぼし、毎年どれほどの犠牲者を出しているか説明。その主な原因は、石
炭と石油への依存であるとした。また、企業の違法操業を追及。経済的成長を過剰に追求す
るあまり、環境規制が守られていないという実態を指摘する。その追及は国営の大手石油企
業にも及んだ。対策としては、環境保護部門が正しく規制を執行することや、一般市民違反
を発見したら通報すること、環境保護につながる消費行動を行うことなどを挙げた。
この動画は、1 日に一億回の再生を記録するなど、大きな反響を呼んだ。結果として、地
方環保局が捜査に入った。また、同ドキュメンタリーの中で批判された二大国営企業は、株
価が暴落するという形で社会的制裁を受けた。1 週間後全国人民代表大会が開幕すると、動
画は削除された。しかし、李克強首相は環境問題への取り組みを重視した演説をする。これ
も、同報道を念頭に置いた発言と見られる。
伝統メディアにおいては、このような報道を作成しても、発表される可能性は極めて低い。
しかし、新メディア上での発表は、直ちに削除されることはないため、削除されるまでの時
間で広く社会に影響を与えることができる。社会問題の本質に切り込み改善を促す報道が、
新メディアの発達により一般市民に行き届くようになった点は、現在の中国の顕著な特徴
だ。
(ⅲ)天津爆発事故と新メディアの反応
8 月 12 日夜、中国天津市浜海新区天津港にある国際物流センター内にある危険物倉庫で
大規模爆発事故が発生した。中国側のメンバーは広島観光の途中でこのニュースを知り、衝
撃を受けていた様子だったが、同時に中国メディアの現状も垣間見える例であり、急きょ論
点に加わった。
この爆発は、甚大な被害をもたらし、議論した際には犠牲者数が 114 人以上であると明ら
かになっていた。中には、消火活動の際に殉死した消防士も含まれるが、死者数は正規雇用
の消防士のみを数え、それ以外については公表していない可能性が高いという。
「正確な死
者数を発表していない」との追及は検閲に遭い、削除された。これにより、市民の間でます
ます疑念が高まっている。中国国民は「検閲・削除されたということは、真実や核心をつい
ていたからだ」と考えることが多いという。
香港系メディアからは、地元市民に同情的な報道がなされるとともに、事後対応が批判さ
れた。しかし、本土からは「香港と本土の関係を悪化させるための陰謀的報道」と反論があ
70
ったというが、本土の市民の事件に対する認識に影響を及ぼした。
このような惨事が起こった際は、CCTV をはじめとする伝統メディアは救助者(この場合
消防士)が必死に対応を続けていることを強調し、美化する報道が多い。これは、事件の原
因や、対応の不備といった本質から市民の目を背ける目的であると考えられる。対してネッ
ト上では、原因、責任の所在や具体的な対策、再発防止策といった本質的な報道をするよう
伝統メディアを非難するコメントが多く書き込まれている。
○論点 3 両国メディアの現状
(ⅰ)日中メディアの共通点
根本的な調査に裏付けされた伝統メディアの問題提起は、民衆にその問題に対して関心
を喚起し、解決への原動力となる。また、新メディアとの相互作用により、監督機能を果た
す意味で伝統メディアやその記者の能力が向上している。
一方、新メディアは伝統メディアと比べて、短時間で広範な伝達をすることができ、その
影響力から監督作用において大きな効果を発揮できる。ネット世論は事件関連者に事件解
決を促す点で少なからず影響力を及ぼしている。ただし、新メディア上には莫大な情報が存
在するため、一つの事件に関する興味が持続せず、他の情報に塗りつぶされてしまうことも
考えられる。
(ⅱ)日本と中国のメディアの相違点
中国では、伝統メディアは共産党の意にそぐわない記事などを製作した場合検閲に遭う
ため、新メディアを発表の場とすることで社会に影響を与えることもある。それでもなお、
監督作用という点では、日本のメディアと比べると劣る。
新メディアの情報拡散力や影響力は、中国のほうが日本に比べて高い。これは、中国では
伝統メディアの報道の信頼度が保証されないため、必然的に新メディアに情報を求めるこ
とが多くなり、相対的に新メディアの影響力が高いことに起因する。
また、両国国民は新メディアを通して、伝統メディアや公権力に対し真実を追及する意思
を示す。しかし、日本の伝統メディアは民衆の意見に従って、事実の報道を行うことができ
るが、中国の伝統メディアはやはり統制下においてそのような報道は難しい。
○論点 4 メディアリテラシー
上記のように、概要や様々な例から両国メディアの現状や問題点について考察してきた。
最後に、その問題点に対して一般国民が主体的にアプローチしうる方法を模索し、特に国民
のメディアリテラシーの向上という点に焦点を当てた。メディアや政府、法がどう変わるべ
きか討論したとしても、
「べき」論にすぎず実際に有効ではないと考えたからだ。厳格な統
制の影響を受ける中国はもちろんのこと、日本側にとっても国民が主体となった対応策が
事前準備からの目標だった。また、前出の例からもわかるように、新メディアの発達は、政
府や伝統メディアに国民が働きかけることを可能にし、相互作用的に監視機能を向上させ
ている。よって、一般国民のメディアリテラシーの質を向上させることにより、政府や伝統
メディアの向上を促すことが可能だと考えた。
メディアリテラシーは、情報を受け取る能力と発信する能力に大別される。とりわけ、前
者の中でも情報を主体的に読み解く能力や、メディアを有効に活用する能力についての議
論に時間を割いた。
71
両国国民のメディアリテラシーの問題点として考えられたのは主に下記の 6 点だ。
1. 情報の真偽を見分けることに難点がある。
2. 他人(または他社)の意見に簡単に惑わされやすい。
3. 信頼できる情報源を選り分ける能力に乏しい。
4. 興味の矛先がすぐに切り替わってしまい、重要な情報が忘れ去られてしまう。
5. 主にネット上において過激な意見が主張されがち
6. 双方のメディア(日本国民は中国メディア、中国国民は日本メディア)について正確に
理解していない。
とりわけ、1、3、6 の 3 点について、両国の主要な課題として一致し、これらに焦点を当
てて解決策を話し合った。
情報の真偽を見分ける際には、受け身になって情報を鵜飲みするのではなく、主体的、批
判的にその情報を読み取る必要がある。具体的に注意すべきは、偏った過激な主張。ニュー
スのソースが信頼できない個人・団体の取材や発表に依拠している場合。情報の主体の立場
を正当化するばかりで、自己批判的な要素が欠落しているもの。そして、賛否のどちらか片
方からのみ物事を論じ、意図的に両論につながる材料を提供しないものが挙げられる。次に、
多角的な視点を持つために複数の媒体に触れることが必要だ。具体的には、賛否両論につな
がる情報や、公的見解のみならず市民感覚に基づいた情報、また国内のみならず海外メディ
アにもアクセスすることが有効だ。最後に、主体的に読むために有効なのは、自分の意見を
持ち、その情報の主体と自分の意見の違いに着目しながらニュースなどを読むことが考え
られる。
続いて、信頼性があり有用な情報源を選ぶにはどうすればいいか考える。もちろん、信頼
性という点では、ネット上にあふれる個人の意見は信頼のおけないものも少なくなく、鵜呑
みにしてはならない。やはり、専門性の高い媒体をより重視して参考にするべきだ。ただ、
報道機関や政府機関、知名度や権威で信頼性を判断せず、情報の主体が誰で、どのような手
段を用いて発信したのかに着目する必要がある。さらに、より信頼の持てる情報にアクセス
する方法やツールを知り、多くの人と共有することが、ネット上などにあふれる信頼度の低
い情報への依存性を相対的に弱めるために有効だ。
最後に、日中関係に関わるメディアリテラシーについて。日本人の反中感情、中国人の反
日感情を生む要因となる誤解はどのようにして取り除かれるだろうか。現在、日本の総合ニ
ュースでは、新華社通信など中国系メディアの記事を容易に読むことができる。その中でま
ず日本人にとって重要なのは、中国メディアの記事はやはり中国政府および共産党の意思
が介在するため、中国国民の代表的意見としてとらえてはならないものも多いことを理解
することだ。また、中国のメディアにおいても、日本メディアによる報道が引用される。賛
否ある中でも片方の意見のみを取捨選択し、日本人の代表的意見として取り上げることが
少なくない。だからこそ、中国国民が日本メディアから引用した記事を読む際には、日本メ
ディアの論調には多様性があり、片方の意見を日本国民の代表的意見としてとらえるのは
無理があることを理解するべきだ。
また、日本メディアによる中国を批判するような報道は中国を貶めるための悪意だと取
られることがある。これは、日中両国のメディアの性質の違いに起因する。日本メディアに
は、批判報道をすることで社会の改善を促す使命があり、自国の面子をつぶしかねないよう
な事象に対しても批判する。中国への批判報道も、その役割の上にあることを理解すれば、
中国を中傷しようという悪意だと誤解されることはないだろう。つまり、前項までに言及し
72
たような両国メディアの特性や現状を理解し、それを前提に情報を解釈することそのもの
が、いたずらに対日・対中の反感をあおる誤解を持たないために重要なメディアリテラシー
だといえる。
このようにしてメディアリテラシーを向上させ、その手法を広く共有することで、伝統メ
ディア・新メディア双方の発展を私たち一般市民が主体的・積極的に促していきたい。
■総括
文責:高村周平
日本側情報分科会では、事前準備が始まった段階から「一般国民がメディアをどのように
使っていくべきか」を議論の最終的な結論にしようとしていた。これは、本会議の章でも述
べたようにメディアや政府、法がどう変わるべきかという「べき論」を話し合うよりも、実
用的な議論になると考えたからである。結果的には、こうした姿勢で議論に臨めたことは適
切であった。その理由は 2 点ある。1 点目は、中国側が日本側以上に現実的な議論を望んで
いたためである。彼らは、一貫して政府やメディアのあり方を論じることを無意味だと捉え
ていたため、一般市民に焦点を当てる意義を説明することで、お互いが納得した議題を話し
合うことができたと言える。2 点目は、日中両国のメディアリテラシーの現状や問題点には
想定よりも共通した部分が多くあったからだ。共通した問題点を持ち得たからこそ、両国に
とって意義の大きい結論を導き出せた。
また本会議では、互いのメディアについての役割や現状を把握するために交互に発表を
行い、それに対して質疑応答を設ける方法を採用した。ここで得られた、日本側にとって特
に印象深かったことに関して、以下 3 点述べる。1 点目は、日本側が発表する日本メディア
の役割や現状に関して、中国側が概ね合意したことだ。日本メディアに対する認識が両国で
大きく異なると予想していただけに、中国側が日本側の発表をすんなり受け入れたことに
驚かされた。2 点目は、中国メディアの実情だ。中国では新聞などの市場化が進み、伝統メ
ディアであっても新聞社によって報道内容に差異がある。また、中国メディアにも報道の義
務を果そうとする社会的責任感が存在するなど、事前準備の知識に加えて実情をより深く
理解できた。3 点目は、中国側学生の現実主義的(かつ論理的)な思考だ。日本側の発表に
対しては、必ずデータや情報の出処などの客観的な根拠を要求する姿勢が彼らには常にあ
った。
さらに、議論全体に関する反省も 2 点ほど述べておきたい。まず 1 点目は、全体を通じて
それぞれ日本側、中国側のみで意見を飛び交わす時間が長かったことである。日本側に関し
て言えば、事前準備の内容を確実に復習して議論に臨むことや、前日の議論の内容を全員で
復習し、あらかじめ認識を一致させておくことでその時間を短縮できたと感じる。そして 2
点目は、参加者によって議論参加に大きな差が生まれてしまったことだ。この原因は 1 点目
とも関連している。言語面や知識面において個人差があったものの、全員が主体的に参加で
きない議論であってはいけない。
しかし今回の会議全体を通じて、日中両国のメディアの現状や問題点に対して深い理解
が得られたことは言うまでもない。また、程度の差があるとは言え、一概に中国メディアの
質が劣っているとは言えないことも実感させられた。そしてなにより、異なる国の学生同士
が議論以外の時間までもを利用して、最後まで対話をすることを諦めずに議論を結論まで
導けたことは、これからの人生においても全員の自信になっていくと確信している。
73
3 本会議
◆観光
文責:李倩
観光を通して議論以外の場面でも互いの文化の相同点・相違点を知ることが出来、相互理
解の促進に繋がるのではないかと考え、各開催地の特色のある場所へ観光に行った。また、
分科会メンバー以外の参加者との交流も兼ねて、観光は分科会以外のメンバーでグループ
を組んだ。
広島
広島では、観光名所である宮島、厳島神社へ向かうグループが多くあった。海上に浮かん
でいるように建つ厳島神社を見て、中国の学生たちだけではなく、日本の学生達もその美し
さに圧倒された。また、広島城や、野球を観に行くグループもあった。
京都
日本の古都である京都では、伝統的な「日本」を感じられた。着物体験をしたり、京料理
を食べたり、神社やお寺を廻ったりと、
「和」を満喫するグループが多くあった。
東京
日本の首都である東京では、やはりショッピングを楽しむグループが多かった。秋葉原、
渋谷、原宿などでショッピングを終えた後、東京タワーの夜景を観に行き、東京の魅力を存
分に味わえた。
◆文化交流会
文責:小川真由子
本会議中には、日本側は顔合わせ合宿から発表準備を進めてきた文化交流会が開かれた。
文化交流会はお互いの国の生活、習慣、価値観に根付いた文化を紹介し合うと共に交流を深
めることを目的とした交流会である。日本側中国側それぞれ一人ずつ司会者が進行を務め、
今年はソーラン節、オタ芸、盆踊り、合唱、中国側による日本語での劇、日本側による中国
語での劇、また中国側女子、日本側男子による合同のダンスなど、メインカルチャーからサ
ブカルチャ―に至るものまで様々な演目が発表された。また本会議が開催された 8 月に誕
生日を迎えた参加者にはサプライズが用意され皆でお祝いをした。最後には全体で写真を
撮る時間が設けられ、心に残る時間となった。
◆広島平和記念資料館フィールドワーク
文責:李倩
広島のフィールドワークとして団体で広島平和記念資料館に行った。戦後 70 周年の今年、
今一度戦争について知る・考えることが必要だと考え、今回のフィールドワークを行った。
夏休みということもあり当日館内は参観者で溢れかえっていた。その中で、日本語の分から
74
ない中国の学生に、一つ一つ丁寧に展示内容を伝える日本の学生の話を聞き、多くの展示品
が当時のままの物であることに驚く中国の学生も少なくなかった。施設に戻り、資料館で見
たことや感じたことを共有する際、多くの学生は戦争の悲惨さを改めて認識したと語った。
◆東京講演会
文責:御器谷裕樹
事前に 3 月頃からお願いをして調整・準備をし、ご多忙の中宿泊所の講演会会場までお越
しいただいた。それぞれ講演 1 時間、質疑応答 30 分のお時間をいただいた。
第一部として外務省アジア大洋州局中国・モンゴル第一課長植野篤志様をお呼びし、最近の
日中関係をテーマにし、現在の日中関係の状況や外務省がどのように中国政府と関わって
いるかなどをお話いただいた。
第二部として、元三菱商事中国総代表で現在日中友好会館理事長の武田勝年様をお呼び
し、中国市場と企業経営をテーマにし、中国市場の動態、経済的な日中間の関係を伺った。
国を代表する外務省の視点から政治的立場で中国とどのような関係を持っているのか、商
社の視点から中国市場をいかに俯瞰し戦略を練っているかという経済的な関係を把握する
ことができた。
75
4 事後活動
◆報告会
文責:清水茉莉花
○関東報告会 10月4日(日)
東京の早稲田大学にて開催した。まず初めに、実行委員長の御器谷から第34回日中学生会
議の全体報告を行った。その後各分科会の代表者による分科会発表に移り、事前活動から本
会議終了までの成果をそれぞれがプレゼンテーションを行っていった。質疑応答では来場
者の方々からも積極的な質問がなされ、活発な応酬が行われた。
また、顧問であり早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授である天児慧先生からは「岐
路に立つ日中関係と若者交流の役割」と題し、分科会発表を受けてのフィードバックとご講
演をいただいた。
最後に、第35回日中学生会議実行委員長となった王萌子による閉会の挨拶をもって閉幕
した。
○関西報告会 10月11日(日)
大阪の近畿大学で開催した。関東報告会と同じく、実行委員長の御器谷による第34回日中
学生会議の全体報告から開始した。その後分科会発表を行い、自分たちの成果や感想を披露
していった。発表の後、顧問であり近畿大学文芸学部准教授の上田貴子先生によるワークシ
ョップに移った。このワークショップでは「教科書にかかれた中国・日本をよむ」と題して
日本・中国・台湾・アメリカの歴史教科書比較を行い、歴史の描かれ方は国によって全く異
なるものであると改めて学ぶことができた。
最後に第35回日中学生会議実行委員長の王萌子から閉会の挨拶を述べ、閉幕した。
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第 三 部 感想
3年目の矜持と自分の役割
実行委員長 御器谷裕樹
第32回開催時私は高校3年生で自分の専攻分野さえ確立できておらず、議論の場において
自身が自己表現し相手と合意を作れるかにかかっていることを痛感した。第33回開催では
実行委員という立場で歴史分科会の分科会リーダーを務め、責任を全うした。広報では団体
のよさを把握し、人に魅力的に伝えることを学んだ。
日本開催を唯一経験する者として、実行委員2年目の団体を熟知した者として、本会議の
成功と共に来年の代へ少しでも団体を良い状態にして引き継ぐことが最大の目標だった。
実行委員会での自分の役割を考えたとき、分科会に属さないからこそプログラムの一貫性
や団体の意義について取り組む時間があった。それを実行することができ大変充実感を持
っている。同時に他団体との連携を引き継ぐことや引き継ぎ事項の充実を以て来る設立30
周年の第35回開催の糧とすることができたように感じる。
分科会での学びが中国社会への理解という形で実際の運営の骨肉となり、さらには御講
演者や有識者の方々とのお話が学術的な考察へとつながっていくことに喜びを感じた。総
じてとてもやりがいがあり自分の想像以上に成長が多かったように思う。この団体でしか
学べないことや体験できないことが多く、この3年間ずっと学び続けることができたのは日
中間でこの団体のもつ意義の大きさゆえだと考えられる。
イメージの変化
橋本麻莉子
日中学生会議を通して得たものは多くあったが、その中でも一番の収穫は私の中にあっ
た中国人像が覆されたことだ。日本でしか暮らしたことのない私にとって、中国人像を作り
上げるのはメディアがほとんどだった。しかしメディアで取り上げらえるのは、反日感情を
感じざるを得ないものが多い。偏った情報から中国人像を自分の中で勝手に作り上げてい
たのだ。そして、時々ふと口にする中国人という言葉。そして、その言葉のなかに込められ
た自分が直接関わったことのない中国人に対するイメージが私のなかでは違和感だった。
その中で、友人が口にした「中国人に対して悪く言う人って大抵中国人と関わったことない
人だ」という言葉が日中学生会議へ参加することを後押しした。会議を通して中国人に対し
てどのようなイメージを持つのか楽しみでもあり怖くもあった。中国人といえば愛党主義
の人が多くて反日感情を強く持っているのだろうと思っていたが、それはごく一部の人で
しかなかったのだ。話をする中で、同じ世代の同じ学生であるのだとあらゆる面で感じるこ
とができたのだ。そして、私自身がどれだけ自分が見たもの以外の情報に左右されていたの
かを思い知った。民間でできることの限界を考えて無力感に駆られたりもしたけれど、勉強
会の発表や最終発表で民間交流を取り上げてみて、ただの学生でも学生だからこそできる
ことがあると思えた。ここで得たものを日常に戻っても見失わずにいたいと思う。
活動を通して
77
李倩
私は日中学生会議の全ての活動を通して自身の未熟さを実感した。10 年間の中国滞在経
験もあり、中国の事には詳しいつもりであったが、活動を通して自身の知識不足と問題意
識の低さを感じた。日中学生会議の活動を通して得たもの、知った事を今後の学びに活か
していきたい。
向き合う重要性
古谷涼
私はおよそ 2 週間の共同生活と会議を通して、歴史をきちんと認識し、1 個人として自分
自身の意見を持つことの重要さを認識することが出来た。お互いの歴史を照合し合うこと
は必要な一方、各国の歴史を踏まえて議論していく中で、1 個人として、日本人としてどの
ように考えているのか中国側の学生さん達から求められる場面が多くあった。このような
経験より、ただ単に歴史・過去の人の考えを踏襲するのではなく、世代の変わった私たちの
ような若者たちが、歴史に向き合い、各々がきちんと意見を持たなければいけないと強く感
じた。
戦後 70 周年という節目の年に際し、日本国内の学生達だけではなく、これから超大国へ
と成長していく中国の優秀な学生達の考えを耳にしつつ、およそ 2 週間という共同生活を
通じ、日中の歴史について向き合えたことは人生の中でもまたとない機会だったと感じた。
第 34 回日中学生会議参加者として、日中のよりよい未来を願い、これから紡いでいく大学
生を基に構成される日中学生会議の発展を祈り、様々な機関を巻き込むことで影響力を持
つようになり、団体の存在・活動の結果が未来における日本と中国のより良い関係に繋がる
ことを祈る。
日中友好の架け橋
松本佳吾
今回の日中学生会議は私にとって非常に有意義であった。私がここで得られた大きな経
験を述べたい。
それは、中国人に対するイメージの転換である。当初私の中国人のイメージは、日本に良
い感情を抱いていないというものであった。メディアの反日運動の報道に加え、私は日中関
係を両国の問題に焦点を当てて学んでいるため、より一層そのイメージが強かった。それゆ
え学生会議とはいえ、分科会で愛国主義や、靖国問題、慰安婦問題などを扱うことが正直憚
られた。
しかし、二週間の共同生活や議論を経て、その誤謬は徹底的に覆された。即ち、中国人は
親日的であったのだ。
中国人参加者は日本のアニメや文化など、日本に興味を持ち、親しさをもって話しかけて
くる。私たちが普段意識しない部分にも注目し、様々な場面で「日本の◯◯はどうなの?」
と尋ねてくれた。また分科会では正直に意見を出し、こちらを理解しようとしてくれた。私
は草の根交流の重要性・可能性を実感した。
もちろん中国人が一概に親日的だとは言えないが、日本人が抱きがちな反日的な中国人
のイメージは明らかに誤っているだろう。
同年代の学生たちが、毎日寝食を共にし、紆余曲折を経て分科会を作り上げる−−−この経
78
験が私の中の中国人をより身近にした。私はこの経験を決して忘れまい。
私は今回得られた経験を、中国旅行や将来の在中勤務などで活かしていきたい。
私は「日中友好の架け橋」としての一歩を踏み出したのだ。
活動を通して得たもの
辻ありさ
私が参加を決意した理由は、日中間に存在する問題について議論する機会が少ないと感
じていたためである。中国について興味があり学習しているものの、私の認識と中国人学生
の認識との間に差異は無いか、学びが中国への正しい理解に繋がっているのか、疑問に感じ
ていた。ただ自分のモヤモヤを少しでも晴らすことができればいいと思って参加したのだ
が、その選択は予想以上に実りの多いものになった。
歴史分科会では、4 つのテーマに対する日中間の認識の相違点について歴史を振り返りな
がら討論した。各議題について、議論の中で合致する部分を多く見出すことができたものの、
一致することのない部分もあった。本会議参加前には、日中の参加学生の間で共通認識を作
るという目標設定をしていたが、達成することができなかった議題もあった。それらは新た
な課題として、今後の学びに生かしていこうと思う。
また、共同生活や各地での観光を通して、中国側の学生と同じ感情を共有できたことも、
とても有意義であった。流行りのものを教え合うことや、同じものを見て笑い、驚くといっ
たことも、どれもが参加学生同士の友情を強くするものであった。活動を通して、信頼のお
ける友人を得ることができたと思う。
日中学生会議は、分科会を通して沢山の学びを得ることができ、共同生活で沢山の新たな
発見を得ることができた、かけがえのない経験であった。
学生会議から得たもの
松本晟
8 月 26 日会議最後の夜、私は参加者みんなの前で 16 日間の会議をこう振り返った。
「こ
の会議に参加して、一番得たものは自分の考えが広められたことである。
」
これはまず知識のことだ。自分はこの会議に参加する前、安全保障を領土問題、軍事拡大
や日中両国の外交政策と想定していた。しかし、議論で捉えた安全保障は幅広く、従来の政
治領域問題だけではなく、経済政策、食品問題や原子力問題も分野の一角であった。実際私
もアジアインフラ投資銀行の議題を担当した。表だけでは中国が新たに作った地域金融機
関にしか見えないが、深く研究と議論していけば中国の大国化、または日本主導のアジア開
発銀行との共存と競争関係などの課題もある。これらは、従来の国際関係理論を学ぶ際は触
れることが少ないが、日中学生会議を通し、知識を広げることができた。
そして、もう一つが日中ハーフとしての日本観と中国観である。これだけ様々なバックグ
ランドと違う価値観を持つ参加者と、2 週間以上真剣に討論できた上に、多くの日中関係の
専門家のお話を聞けたことにより、自分のなかで構築されていた日本観と中国観がいかに
狭いものだったのが改めて実感した。
今回の会議で得たことは貴重な経験であり、将来は自分の研究と学生生活に活かしたい
と考えている。そして、次期の日中学生会議も多くの同世代が日中関係に関心を持てるきっ
79
かけになることを期待している。
わたしに勇気を与えてくれたかけがえのない期間
王萌子
漠然と「日中関係」についてネットで調べた時、日中学生会議を見つけた。ホームページ
を開いた 2 分後に参加を決めた。両国の将来を担う日本と中国の大学生が本音で討論し合
える場、まさに私がずっと追い求めていた機会になるだろうと確信したからである。
会議中で私が一番得たものは、日中関係改善への希望である。日本生まれの中国人として、
私は常に日中両国を取り巻くステレオタイプや誤解の中にいた。両国が祖国のわたしにと
ってそれはとても嘆かわしいことであり、いつしか両国の溝は永遠に埋まらないのではな
いかと思う様になったほどである。だからこそ、この会議に参加して、「今」を生きる学生
たちの本音を聞きたかった。会議中では、イデオロギーや歴史文化背景、価値観の違いなど
で討論が滞る場面がありながらも、学生一人一人相手と真剣に向きあい、理解しようと努力
しつつ、自分たちの立場を説明していた。限られた範囲の中で日中関係の改善の可能性を懸
命に探しだそうとする姿は私に大きな勇気と暖かさをくれた。
私の夢は日中間の完全なる友好関係を築くことである。日中学生会議は私にこの夢を追
い続ける原動力を与えてくれたかけがえのないものとなった。
得られたこと
土井口華絵
私は今回日中学生会議に実行委員として参加した。実行委員でありながら今年が初めて
の参加ということで、わからないことが多く本会議前は楽しみではあったが不安やとまど
いといった感情もとても大きかった。しかしいざ本会議が始まってみると、分科会での議論
をはじめ、文化交流会、観光、そして実行委員としての仕事が目白押しで不安を感じる間も
なく怒涛の 2 週間はあっという間に過ぎていったように感じる。
今まで私は、中国に対して面白いところで好きな国などといった漠然な印象しか抱いて
おらず、政治に関する知識はほとんどなかった。しかし今回所属した安全保障分科会での事
前準備や本会議で中国の政治に関する議論も活発に行われ、その場で学ぶことも数多かっ
た。今回の議論を通して、国の政治や体制についての知識を深めることができ、また、引き
続き学習していきたいと考えるようになった。中国側の参加者で、安全保障について大学で
専門的に学んでいるわけではないのに安全保障について膨大な知識を持っている学生がい
て、彼女から受けた刺激は特に大きなものだった。自分の専門分野では無いということは何
の言い訳にもならないということを痛感できたことはこの会議で得られたことの一つであ
る。
最後に顧問の先生をはじめ、講演会でお話しくださった先生方、助成財団の方々、OBOG の
方々、参加者そしていつも我々にご支援ご協力くださっている方々に感謝の意を表したい。
学生が生み出せる価値とは
橘高秀
怒涛のような 2 週間を終えて、充実感と共に一種の寂寥にも似た感慨を覚えている。安全
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保障という双方にとってセンシティブな内容を扱っていたために議論が白熱し紛糾するこ
ともあったが、それは皆が真剣に取り組んだからこそであると言えるだろう。
集団的自衛権の問題では、中国側の学生が大いに関心を持っていることに対して感銘を
受けた。生身の彼らの意見を聞くことには大きな価値があった。しかし一方で、異なるバッ
クグラウンドを持つ学生と話し合うことの難しさや限界があった。
この会議に臨むにあたって目標としていたものは、学生の視点から考え、学生にしか生み
出せないものを一緒に作り上げることであった。しかし実際には、価値観の差を認識し、そ
の差を埋めるのに精一杯だったように思う。集団的自衛権の問題も中国側の視点を取り込
むことそのものは有意義であったが、そこから先のレベル、すなわち安全保障という視点を
通して日中関係の改善策を模索する営みにまで到達するのはやはり難しい。我々学生が話
し合う意義として常に現状分析・認識共有の一歩先を目指すことを忘れてはいけないので
はないか。これは今後の学生会議の課題であるし、自分自身の課題であるともいえる。
途中、会議を離れる事情があったが、分科会や実行委員の皆が丁寧に対応してくれた。ま
た、この素晴らしい機会を提供してくださった関係者の皆様にも合わせて感謝したい。
広島で感じた日中交流の意味
額田晟太
今回は、初めて開催地に広島が選ばれた。しかし、広島からの参加者は私一人であったの
で、広島在住者の観点から感想を述べる。終戦記念日の前日、私たちは広島平和記念資料館
を訪れた。私の大学では、ヒロシマや平和に関する授業が必修である。その影響で、昨年と
今年の広島平和記念式典に参列した。その経験が何か力になればよいと思い、2 人の中国側
の学生と一緒に見学した。
彼らは、何度も目を逸らしたり、涙ぐんだりしていた。原爆投下の真実を初めて知り、そ
の正当性を疑問視する声も聞こえてきた。その言葉を聞いて、私はきっと中国側の学生に原
爆投下の悲惨さが伝わり、全員が彼らと同じ意見を持ったものだと錯覚した。しかし、その
後の感想共有の時間で、原爆投下の正当性を主張する中国側の学生に出会った。しばらく話
したが、一貫して「日本の自業自得」を訴えていた。この議論では、私も自分の意見に固執
しすぎたと反省している。
異文化理解と言われるが、すぐに全てを理解したり認めたりすることは困難だと感じた。
しかし、他国の学生と直接意見や価値観を交換する機会は今後も存続させなければならな
い。なぜなら、今理解できなかったとしても、今後の活動を通じて受容し得るからだ。
この会議で同年代の学生が切磋琢磨している姿は、地方の大学で漠然と過ごしてきた自
分を見直す好機となった。関係者の皆様に心から感謝を伝えたい。
正直
萩田美乃里
初めに、これからの生活のたくさんの場面において思い出すことになるだろう第 34 回日
中学生会議の仲間に私を入れて下さった、OBOG の方々や、助成財団、また実行委員に感謝
したい。本当にありがとうございます。たくさんの個性的で魅力的な人々に出会い、2 週間
という文字にしてしまうととても短い期間で別れの時に涙する関係になれるとは初めは思
81
ってもみなかった。
今回私は、ただ中国語ができるから中国人の学生と話す機会がほしい、というだけで参加
していた。確かに、議論中も、議論以外の時もたくさん話すことはできたからそれで良いの
ではないのかと考えたが、考えるほど後から後から、中国語が話せるのだからもっと積極的
に翻訳をかってでればよかった、やっぱり寝落ちしないで資料を作っておくべきだった、学
生だからこそ空想を膨らませてもっと違った議論もできたのではないか、といった思いば
かり浮かんできてしまい正直もどかしい気持ちの方が大きい。頑張っていたはずなのに、本
当はもっとずっと悔しいことや自分に足りないものなど思ったことを考え始めたら数えき
れないほどある。日中の関係性という途方もなく大きなことを考える前に、政府の体制が違
うから日中間で議論できない、参考にできない、ではなく、一人の責任ある人間として自分
の考えを、根拠を持って話したかった。恵まれた環境でもっとできたのではないかと思うと
悔しい。
小さい種を撒く
王宗成
今回の日中学生会議を通して、両国学生同士が議論することの難しさと大切さを実感で
きて、とても有意義な 2 週間を過ごしたと思う。
私が所属した開発と環境分科会は、「景観問題」と「大気汚染」という二つのテーマにつ
いて議論した。日本と中国の学生は自由闊達に話し合い、双方共にいろいろ勉強できたと思
う。しかし、言葉の壁や知識不足で思ったように議論を深くすることができなかった。まず、
言葉の原因で議論の時間が少なくなった。会議中皆は日本語、中国語、英語を混ぜながら議
論を進めたが、理解できない部分はもちろんあった。そして、例え言葉を理解できたとして
も、ニュアンスを何度も確認しなければならない時があった。それでたくさんの時間を費や
してしまって、議論を深める時間が少なくなった。もう一つ議論に影響を与えたのは知識不
足である。日本側は事前に関連する本を読んだり、共同勉強会を開いたりして、本会議が始
まるまでに知識を増やした。それでも議論が進むにつれて、分からないことがどんどん出て
きた。それを調べるために議論の時間を削って、結局最後発表した時にオリジナルのアイデ
ィアがあまり多くなかった。
とは言え、最終発表のために皆は協力しながらスライドを作って、自分たちが勉強したこ
とを他の分科会の学生と共有できた。そして、2 週間の共同生活で互いの国への理解が深ま
るだけではなく、一生の友達もできたかもしれない。
この日中学生会議は皆の心に小さい種を撒いたと思う。種が立派な木になるのと同じよ
うに、日中関係の明るい未来に期待している。
終えて
小川真由子
中国から帰国して以来、メディアを通して見る、報道される中国の中に自分が肌で感じて
きた中国像をあまり見出せないことに、居心地の悪さを感じつつ過ごしてきた。同世代の学
生は中国をどのように思っているのか知りたいと思い参加した。
参加してみて久しぶりに中国の学生と沢山話をすることができ純粋にとても楽しめた。
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故郷の話を教えてもらい、本を紹介してもらい、何気ない時間を共に過ごすことに価値を感
じた。会議中、草の根交流というフレーズをよく耳にした。草の根交流の意義とは何か。勉
強会で参考にした調査によれば両国過半数の人が互いに悪印象を抱いている。一方同じだ
けの人数がその状況を改善した方が望ましい考えだとあった。講演会で植野氏が述べられ
ていたように、政治的関係と民間関係が等しくある必要はなく、政治的関係が日中関係の全
てでもない。その中で民間交流が果たす役割は大きいのだ。
日中の学生が朝から晩まで生活を共にし話を交わす環境に身をおけたことには安堵感が
あった。議論と共同生活双方を軸としたこの 2 週間は日中間の問題に直視しながらも日中
友好は築けることを改めて証明してくれた。深い知識を要する場での討論や発表について
は圧倒されたが、今後それらについては優秀な仲間が背負っていってくれるだろう。私が果
たせる唯一ながら有意義な役目としては、これまで自分で見てきた中国を伝えていくこと
であり、楽しく共に過ごした時間をなかったことにせず、それは良くしてくれた中国の仲間
に対する礼儀でもあると考える。
感想
小林廣輝
今回の日中学生会議を終えてみて感じた個人的な感想と環境と開発分科会での感想を書
きたいと思う。
今回の会議の中で多くの学生の中でも自分の能力が通用する点と通用しない点というも
のが浮き彫りになった。特に私が今後の課題として感じたのが語学力の問題である。議論し
ていく中でお互いの考えの真意を理解し、言葉のニュアンスを正確に相手に伝えることの
重要性を実感した。誰かが自分の発言の翻訳を行い、それを相手側に伝えるという「第三者
が介入する情報共有」は必ず第三者の主観介入し、その隙間から大きな溝へと議論が分断さ
れていくということを実感した。次に議論をする前段階の準備が完全になされていなかっ
たことが今回の大きな反省だと思う。中国側とのスカイプ会議で会議に必ずファシリテー
ターを設けることや、議事をメモする要員、そしてなにより議論する言語の違いはどのよう
に克服していくのかを事前に打ち合わせておくべきだった。会議で議論の本流ではなく「ど
のように議論を進めていくか」について話し合うのは時間の無駄である。
共に
清水茉莉花
昨年初めて日中学生会議に参加してから一年が過ぎた。月並みな言葉だが、長いようで短
い一年だったように思う。実行委員会が発足してから今日までの約一年間は私にとってま
さに波乱万丈、紆余曲折を経てきたという思いでとても一言で言い表すことはできない。未
だに整理できていない部分もあるが、自分なりに第 34 回の活動を振り返ってみようと思う。
私が昨年から継続しての参加を決めたのは、分科会での議論、意思疎通のもどかしさなど
の「足りなかった部分」が悔しかったためだ。それらが今年は解消されたのか。結論から言
えば、解消されたとは言えない。まず分科会については、予想以上に実行委員としての仕事
が忙しく十分にコミットできなかったことが一番の悔いとなった。その中で、本来なら私が
もっと積極的に参加するべきところを補ってくれた他のメンバーには本当に感謝している。
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意志疎通についても、拙いなりに一生懸命伝えようとしていた去年に比べその余裕もなく
していたというのが正直なところだ。
反面、今回の参加から得られた経験は昨年と比べても大きかったと思う。実行委員として
関わる日中学生会議は昨年とは全く違うものだった。日中混合の習慣も常識も違う集団を
率いる責任感は、かえって自分にとっての垣根を取り払ってくれた。
「日本人と中国人」というより、共に生活し議論した一人の友人として、本会議が終わっ
た日、中国側実行委員の友達とねぎらい合ったことを忘れないだろう。
日中学生会議を終えて
石田菖
今回、日中学生会議に参加した理由は日中が抱える問題に対して日中両国 の学生と一緒
に考える環境が備えられていると思ったからだ。中国の学生と一対一で話すことはあって
も、60 人の日本と中国の学生が一つの場に集まって、日中間のセンシティブな問題を色々
な視線から考えることは日常では出来ない。 実際、日中学生会議では、議論、観光、フィ
ールドワーク、共同生活などを通して日中両国の学生と色々な面で交流することが出来た。
私が教育分科会を選択した理由は、国が提供する教育は国民の考え方のベースになってい
ると思ったからだ。日中の教育を比べることで両国の考え方の違いを見つけ深い理解に繋
げていくことが出来ると考えている。
本会議で教育分科会は両国の教育格差、いじめと不登校、高等学校と就職について議論し
た。教育について議論する中で、日本側、中国側の二つの意見に割れることは少なく、日中
の議論と言うより個人と個人の議論になることが多く、そのため私たちが日中学生会議に
ふさわしい分科会か何度も悩んだ。だが、議論を進める上で自分の意見が日本側の学生とど
う似、異なるのかを比べ自分のアイデンティティーについて考える貴重な機会にもなった。
最終的に、両国の教育問題を新しい視線から考え一緒に両国の教育問題について解決策を
考える方向性に設定して議論を進めた。日中学生会議の参加は自分を見つめ直す貴重な機
会になった。
日中学生会議を終えて
高橋幹
日中学生会議に参加して、中国の優秀な学生達と友好関係を結ぶことが出来たし、
「議
論」と「遊び」の、メリハリのついた楽しい 2 週間を過ごすことで、会ってみないと分か
らない彼らの「思い」を感じ取ることができたし、本当に楽しい雑談をすることができた
と思う。特に中山大学・広東外語外貿大学の学生は語学力に長けているだけでなく、専門
知識においても優秀で、一人の日本学生としてプレッシャーと刺激を受けた。また、忘れ
てはいけないのは同じ日本学生との交流だろう。日中学生会議は非常に多様なバックグラ
ウンドを持った学生が多く、ただ「仲良しこよし」をするだけでなく、考えさせるような
価値観を持った日本学生と、政治や人間本質に関わる深い話をすることができた。共同生
活の中で意見の対立や感情・価値観の衝突もあったが、うまく調整しながら解決をするこ
とができた。このことは、今後の自分の糧になるだろうと思う。
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日中学生会議感想
小山内誠華
始めに、第 34 回日中学生会議の開催を支えてくださった方々、また事前準備や、当日
の運営に尽力した運営の方々に深く感謝を申し上げる。日中友好と一口に言っても、その
規模は国同士や、民間の交流など規模も手段も様々であると考えている。沢山の日中や国
際交流団体の中で、日中学生会議でしか得られない価値とは何か、私は「価値観の違いを
生で体験できること」だと思った。そして、共同生活をすることでしか得られない文化や
考え方の違いによって、相手を理解することも忘れてはいけない。価値観の違い、考え
方、今同年代の中国の学生がなにを思っているのか、その全てが私にとって新鮮であり、
この団体だからこそ得られたものだと感とじている。
特に教育分科会での活動を通してそれを実感した。「教育とは何か」このことを議論した
際に、中国側も日本側も自分達の基盤を作る教育に対して真剣に考え、それぞれが思う、教
育に対する考えを共有した時、自分の中で一番刺激や価値観が変わった瞬間だったと感じ
た。またその時に感じたことは、中国人、日本人というくくりでは無く一人の人間として話
せた気がした。国という大きなものに囚われずに、お互いに自分の考えを語れるというのが、
学生の時にしかできないこと、そして日中学生会議だからこそできたことではないかと思
う。
終わり、そして始まり
乗上美沙
この 1 年間、頭の片隅に常にあった第 34 回日中学生会議本会議が遂に終了した。
準備期間中、社会の学生への期待を感じるほど、自分自身が行っている活動が自己満足に
過ぎなく、如何にして自分が携わっている民間交流が実際の日中友好に繋がっているのか
が見えずに、学生として活動する現状に悩んでしまった時期があった。しかし、学生が学生
の視点を持ちながら主体的に日中関係を考えることは、私が考えている以上に社会はそこ
に意義を見出していることであるとも同時に感じることができた。だからこそ、私たちが活
動の中で行ったこと、感じたことを世間にもっと発信していく必要性を改めて感じた。
本会議では、中国を異文化の観点から見つめなおし、教育という切り口の中で中国社会に
対する理解を深めることができた。そこでは、自分が受けた教育、培ってきた価値観は多様
なものの 1 つに過ぎず、自分が持ちうる視点の狭さを感じるばかりであった。さらに、そこ
から改めて現代社会の多様性を肌で感じた。このような世の中で、日本や中国に限らず、世
界はどのような教育を如何に施して、さらにその中で如何なる基準で人を評価していくこ
とができるのか。私は現代社会の中で他者の評価方法を再検討していく必要性を強く感じ
た。
第 34 回活動は終了したが、日中学生会議を通して自分なりに見えてきたものを今後も大
学生として取り組んでいきたい。
感想文
佐々木透
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日中学生会議は、私の今までの人生の中でも最も濃密な活動の一つであった。日本側の学
生は非常に優秀な方が多く、様々なバックグラウンドを持った方が日本全国から集まって
おり、また中国側の学生は語学力が高く、思考深く考える人が多くいて、大いに刺激を受け
ることができた。
私の所属した教育分科会では、不登校やいじめ、高等教育と就職、教育格差などについて
議論した。最初はなかなか上手く進まず、議論のための議論も多く重ねてしまった。問題意
識や議論の方向性を見出す難しさを実感したと同時に、準備不足であったと反省している。
議論を通じて中国側と交流するわけだが、それだけではない。空き時間も中国側と交流でき
る時間である。今振り返ると、まだまだ積極的に行動できていなかったし、不足していた点
が悔やまれる。最後に中国側が帰国する際に、別れを惜しみながら去って行った彼らをみる
と、充実した学生会議を過ごしてくれたのかなと思う。私も、申し分ない二週間を過ごすこ
とができて本当に良かった。
私は 9 月から上海に留学することになっている。この学生会議で身に着けたこと、また反
省点を留学生活でも十分に発揮できるようにしたい。それは、学生会議はただの交流団体で
はなく、価値観の違いと共有を学ぶ場であり、この経験は次に生かしていかないといけない
と思うからである。この素晴らしい経験と感動を、これからも後の世代に繋がっていけたら
と思っている。
大きな一歩
加藤弘仁
私が第 34 回日中学生会議に参加したいと思った理由は二つある。一つは中国に対して
日本人はどのような考えを持っているのかということを知りたかったのと、もう一つは初
めての広島観光を中国人と共にしたいと思ったからだ。
日本の大学に入るまで八年間中国で留学していたので、自分の持っている考えなどはど
ちらかというと中国寄りのものだと思い、ずっと日本で生活をしてきた日本人学生が中国
という国についてどのように考えているのかに興味があった。しかし、実際会議に参加し
てみると、意外と自分と同じ立場の人が多く、正直私が思っていたのと違う環境だった。
もちろん皆それぞれ違う視点を持っていて、様々な考えを知れたのは大きな報酬だ。
私は日本人でありながら生まれてから 21 年間一度も広島を訪れたことがない。今回の
機会で原爆ドームや記念資料館を観光するのが始めてで期待感をつのらせていた。今まで
はテレビや書籍でしか知ることが出来なかったことを、資料館を一回りした後、実際に原
爆を体験した気持ちになり、気持ちが重くなったのを覚えている。一緒に回った中国の学
生も同じ気持ちだったに違いない。このように歴史を見つめ直して日中学生共に共感し合
えるのは素晴らしいことであって、実に様々なものをこの学生会議で学べたと感じる。
第三十四回日中学生会議
金光美希
私がこの活動に参加した主な目的は中国を中心としたアジアの文化に興味があり、自分
の見解をさらに広げようとする努力の一環として日中の学生が交流できる活動に参加した
かったからだ。何か月も前から日本の同じ分科会の学生と準備をして、本会議では中国の学
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生と満足できる意見交換をして議論することができた。広島、京都、東京と三つの都市を共
に体験し、文化交流や観光などで個人として中国の学生と仲良くなり、友好の感情を深めら
れたと思っている。本会議の途中で論点や定義が食い違ってなかなか双方が納得できる話
ができなかったり、日中問わず自分の中国語や考えが思った通りに伝えられなかったりし
たときは困難を感じ、申し訳なく思ったものだった。毎日の他愛のない会話で自分にとって
中国の新たな文化的側面と日本の文化について話し合ったことは興味深く、休憩中に違う
分科会の人たちとも一緒に過ごして皆で笑いあったときは本当に楽しかった。この二週間
という長い活動の中で学んだことはとても言い尽くせないが、言語的にも文化的にも日中
の壁は苦痛で悩ましいものだという観念を交流を通じて自分なりに突破することは可能だ
と思い知った。また共有の思い出の大切さを再確認できた。
終えて
張本麗奈
去年の秋、実行委員をやらないかと誘われ、団体の運営に興味があった私はおもしろそう
だなと思いすぐに実行委員になる決意をした。中国と関係の深い私にとって日中学生会議
はぴったりな場であった。
実行委員がどのような仕事をしており、どのくらいの活動頻度かも理解はしていたが想
像以上にそれは大変なものだった。なおかつ私は 33 回の活動に関与しておらず 34 回から
の参加だったため、最初は実行委員ミーティングについていくのに必死で、また自分が実行
委員でありながら参加者に去年の団体の活動について聞かれたときにきちんと答える事が
できず悔しい思いもした。それに加えて勉強会や分科会も持つなどキャパシティーの限界
を超えるギリギリにいたので辛いと思った事は何度もあった。だが放棄せずに最後までや
り遂げた事によって日中学生会議では多くのことを学んだということだけは自信を持って
言える。また学習面だけでなく中国人の学生とはじめて 2 週間にもわたって共同生活を送
り、彼らの本音や素の部分を見る事が出来た。
最後に、皆さんが第 34 回日中学生会議を通して貴重な経験と体験、苦労と喜びを分かち
合える仲間とかけがえのない友人を作ることができたらとても嬉しく思う。
失敗から学びとるもの
土田航己
今回日中学生会議に参加して思い返してみると、失敗と後悔の多いものであったと思
う。すべての原因は自らの未熟さであり、現時点での自分の限界を感じ続けた期間であっ
た。しかしその失敗の中に多くのことを学ぶ機会を得た。
自分の知らない価値観を知り、自分の考えの幅を広げたい―そう思って応募させていた
だいた第 34 回日中学生会議であったが、いざ本会議を終えてみると母語以外の言語を用
いた自己表現の難しさを痛切に感じた。自分の努力不足を常に感じ、自分の積み上げてき
た意思をも疑うことがあった。それでも得た収穫は非常に多いと現在は感じている。一つ
は自分の拙い表現を聞いて理解しようと努力してくれる仲間に出会えたこと、そして寝食
を共にする日中学生会議だからこそ得られる、私生活を通じて生まれる共有認識によっ
て、議論においても円滑に進むような理解をお互い得たことがあったという経験。これら
87
の収穫は今後の人生を生きる上で非常に重要なものであったと思う。
今回の失敗と反省は表現しきれないほど多いものであったが、その分多くの収穫を得
た。この経験から学び取り、失敗をしても、前に進む姿勢を持ち続けていかなければなら
ず、そのための努力を惜しんでいる時期は、自分はいつまでたっても成長することはない
と感じた。
日中学生会議が終わった今
鈴木友也
2 週間半にも渡る集団生活を共にすることで、日中学生間の相互理解が深まるということ
に私は当初違和感を覚えていました。でもそれと同時に、だから私はこういうやり方や案を
提供しますという政策提言の部分が何も思いつくことができなかったので、そういう思い
を抱えながらも目の前の日々に飛び込みました。
今すべてが終わって振り返ってみると、あの時の自分の考えには浅い部分があったので
はないかと感じております。というのも集団生活を共にすることのシナジーがこれほど高
いことに驚きを隠せませんでした。一緒にご飯を食べる、一緒に歴史的かつ由緒のある建物
を観光する、一緒にくだらないことで大笑いする、こうした何気ない時間の共有が、人と人
とを結び付けていると痛感しました。また実際にそういうことを経験されている方々が、現
実に国際的に活躍しているとたくさんの公演者やお話をさせていただいた人々の話から理
解できました。
政治的には軋轢が生じている日中関係ですが、そうした観点に関係なく日中学生会議が
末永く続いてくれたら、参加する機会を得られた私にとって嬉しいことこの上ない限りで
す。そして私自身、この学生会議の後留学を控えているので、今回日中学生会議で得られた
多くの価値ある経験を糧に精進していければ幸いだと考えております。
挑戦から成長へ
光本恵理
今回の会議に参加した理由として中国のことを知りたいという気持ちは勿論あった。し
かしそれ以上に新しいことに挑戦して自分自身を成長させたいという気持ちの方が強かっ
た。小中高と同じメンバーで過ごした私にとって、様々なバックグラウンドを持つ学生が集
まる会議は魅力的だった。
しかしこの魅力が、私にとっての悩みになった。価値観が違う人が集まると、小さな所で
も求めている物が違った。他者が議論に意味を見いだしている中で、議論の意味を見いだせ
ず何度も悩んだ。また議論中、言語の壁にもぶつかった。様々なことが重なり、私は参加す
る前に描いていたような、議論への参加が出来なかった。
直後合宿で実行委員長が「納得できないことがある人もいると思うけれど、それはいい意
味でも悪い意味でも自分のせいだと思う。」とおっしゃっていた。この言葉を聞いて、結果
の原因は全て自分にあるのだと気がついた。前提として私は自分の考えや価値観が正しい
と思っていたからこそ、自分の想像と違うことが起きると苛立ちを覚えたのだろう。
会議に参加すること自体が大きな挑戦であった。しかし挑戦を通して、成長出来たとはま
だ言えない。なぜならば、会議を終えて気がついた課題への明確な解決策が見えていないか
88
らだ。第 34 回日中学生会議を私にとって挑戦の思い出で終わらせない為に、会議で見つけ
た課題としっかり向き合ってゆきたい。
本会議感想
高村周平
昨年度は参加者として、今年度は実行委員としてこの会議に参加した。昨年とは立場が異
なり、そのため昨年度とは大きく異なった感想を得られた。以下、私が担った 3 つの立場か
ら述べる。
まずは実行委員として、多様な価値観を認める大切さを学んだ。8 人で構成された実行委
員会では、全員の総意を持って物事を決定していた。それには長い時間がかかり、時には同
意できないメンバーへ苛立ちを覚えることもあった。しかし本会議では、その様々な価値観
を許容した議論が会議内容を精査することにつながったと感じている。
次に広報として、情報を発信する難しさを学んだ。外部に団体の存在や意義を発信するた
めにはまず、団体をしっかりと理解し、的確に伝えることが必要だ。しかし、それだけでな
く発信のタイミングや受信者を想定することも重要だ。また、広報を通じてネット上の情報
過多についての問題意識も芽生えた。これは情報分科会での議論にも生かされた。
最後に、情報分科会のリーダーとして周りを見ることの大切さを学んだ。私は知識面や語
学面でリードできない分、参加者の特徴を把握し、それを発揮できるような分科会作りをし
ようとした。参加者が自分の強みを生かしたことで、議論の質を上げることができたと思う。
勿論、至らなかった部分も数多くあるが、他の情報分科会の参加者の支えがあって最後まで
分科会を全うすることができた。尽力してくれたメンバーに本当に感謝したい。
草の根交流の意義はどこにあるのか
児玉祐介
日中間の草の根交流に何の意義があるのか。学生同士の交流や相互理解が、日中友好に具
体的にどう結びつくのか。この疑問は私が中国へ留学していた頃から持ち続けていたもの
で、今回の日中学生会議で答えを探し出そうと考えていた。探し出せるとも信じていた。し
かし、会議を終えた今でも結局その答えを見つけることはできなかった。確かに、二週間の
中国人学生との共同生活と議論を経て、中国と中国人に対する理解はより深まった。同様に
彼らにも、私たち日本人と日本のことを理解してもらえたと思っている。理解しあっただけ
でなく、強い友情を築くこともできた。今回の参加者の中には、今後も関係を持ち続ける人
もいるだろう。そしてこの相互理解とつながりが、将来的になんらかの形で結びつくことも
大いに考えられる。しかし、それが具体的にどう日中友好につながるのか私はまだわからな
い。そう思う一方、この会議で得た経験、知識やつながりが、自分が将来社会に出た時に役
立つと確信している。ここで得たものを国家間の日中友好のレベルまで、どういう風に昇華
させられるのかはわからない。その分それらをまずは自分の活動に生かし、それをどう日中
関係へとつなげれば良いのかということを考えながら、これからも中国との関わりを持ち
続けていきたい。
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意思疎通から考える日中関係
菅原加奈子
日中学生会議全体を通して得た、一番大きなことは「意思疎通の大切さ」である。様々な
バックグラウンド、文化、価値観を持つ学生が集まるため、今まで自分がいた世界では通用
しないことが当たり前であった。中国側の学生との議論では、言語の違いからお互いに言い
たいことが伝わらず苛立ちを覚えることもあった。中国語から日本語に翻訳されたとして
も、自分の中で吸収できなかったり、相手の考えと自分が受け取った相手の考えが少しずれ
たりした。またそれは同じ言語を共有し合う日本人同士であっても同様であった。いくら言
語が同じであっても、価値観が違えば意思疎通を図ることは難しい。自分では言いたいこと
を伝えたつもりでも、相手が理解できているとは限らないのである。
これは自分の価値観だけで話していて、相手の価値観を考えていなかった結果だと痛感
した。世の中には様々な言語を話す人がいて、それぞれに様々な価値観がある。お互いが自
分の価値観だけで話していたら、相手には伝わらない。もともと自分の中にある価値観だけ
で全てを感じ取るのではなく、相手の価値観を理解した上で考えなければいけないのだ。こ
のことは、日中関係にも通じるのではないかと私は考える。言葉が同じだとしても価値観が
違えばずれが生じるのに、言葉が違うため尚更お互い些細なニュアンスのずれで摩擦が生
じてしまっているのではないかと、会議を通して感じた。
みんな同じ、「最高」への熱意
竹田拓磨
5 月、大学からの帰り道のこと。採用通知に気づき、飛び跳ねるようにして家に帰ったの
を覚えている。8 月下旬までの雪崩のような 4 か月、苦しいことも多々あった。だが、日中
学生会議という素敵な活動に思いきり打ち込める喜びは、いつも絶えなかった。
情報分科会の活動では、事前学習から本会議まで進行役を担うことが多かった。その中で
真意が伝わらないこともあり、誰よりも勉強する必要があることを悟った。シンプルな言葉
で真意を理解してもらうための言葉遣いという勉強だ。特に本会議では、平易な言葉のみで
中国側に対してプレゼンをする必要に迫られる。自分の頭の中でわかっているだけでは意
味をなさない。様々な工夫ができると身をもって知った。
異なる社会に生きる、中国の学生たちとの考え方の違いは根深い。自分たちの提案の意義
がわかってもらえず、無力さを感じることもあった。自由時間に雑談をすると、分科会のこ
とにも話題が及ぶ。
「本当はこういう話がしたいのに」
。緊張感が解け、1 対 1 の会話に持ち
込むと、より真意を理解できた。同時に気づく。意見の差はあるが、最高の議論がしたいと
いう熱意は同じだ。休憩時間の交流は私に勇気を与えた。討論そのものと同じくらい大切な
思い出だ。
最後に、胸を張って言いたい。日中学生会議でこの上なく充実した日々を過ごし、自分自
身大きな成長を実感している。尊敬できる仲間に恵まれ、行動や考えにいい影響を受けた。
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第 四 部 おわりに
1 謝辞
第 34 回日中学生会議は、多くの皆様のご助力をいただき、無事その運営・開催を経るこ
とができました。日中学生会議の活動をご理解いただき、そしてご協力していただいた全て
の方々に心から感謝を申し上げます。今後ともご指導、ご鞭撻よろしくお願いいたします。
第 34 回日中学生会議実行委員会一同
2 ご助成
公益財団法人平和中島財団
公益財団法人双日国際交流財団
公益財団法人三菱 UFJ 国際財団
一般財団法人 MRA ハウス
3 ご寄付(OBOG 寄付金)
押川唯様
大澤肇様
林宏煕様
鈴木晃博様
小山里司様
石津達也様
小原朋広様
牛込 美穂子様
福井環様
李 昊様
阿久津俊介様 後藤佳彦様
位田武嗣様
山下陽一様
伊藤匡伸様
天児慧様
飯田鉄二様
鹿城宏一郎様
井上俊吾様
渡邊健人様
本田弥生様
門間紗英子様
石川幸太様
森格様
矢上俊彦様
OBOG 委員会
4 ご後援
日本国文部科学省
日本国外務省
中華人民共和国駐日本大使館
在中国日本大使館
在上海日本国総領事館
在広州日本国総領事館
5 ご協力
公益財団法人日中友好会館
公益財団法人日本中国友好協会
一般社団法人日中外交協会
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社団法人日中協会
6 ご助力
慶応義塾大学法学部政治学科 安田淳教授
東京大学法学部 高原明生教授
日中文化交流財団 大野広之様
7 顧問
早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 天児慧教授
近畿大学文芸学部 上田貴子准教授
東京大学大学院総合文化研究科 阿古智子准教授
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第 34 回日中学生会議
論じ感じる、遠くて近い存在
〜向き合う日中、創り上げる未来へ〜
報告書
2015 年 10 月 28 日
編集・発行
第 34 回日中学生会議実行委員会
http://jcsc.jp/
印刷
株式会社オーエム
宅配プリント
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