1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 [わかみず会(’11.10.5)] Science Wars その後 題目が暗示する「ソーカル事件」後を解説するのではなく、以下の文献を紹介することで 「ソーカル事件」を理解するためのガイドをなすことである。本書は、旗色鮮明な入門書 であり、どんな戦場があるのか、何が戦われているのかを正統派科学者の立場から解説し たものである。 峰尾欽二 なぜ科学を語ってすれ違うのか -ソーカル事件を越えて- 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 AN OPINIONATED GUIDE TO THE WARS (ジェームス・ロバート・ブラウン、青木訳、みすず書房、2010) はじめに(*行以外は、ほとんど本書からの引用) サイエンス・ウオーズと呼べそうな論争には、長い歴史がある。学問の営みが始まって 以来、人は知識の本性をめぐって論戦をくりひろげてきた。プロタゴラスは,人間は万物 の尺度だといった。プラトンはそういう相対主義や、その他社会構成主義のはしりともい うべき思想に愕然とし、それらと戦うことに人生の多くをささげた。科学革命が驚くべき 成功を収めてからは、啓蒙主義が“進歩”と“合理性”という、密接に関連したふたつの 理想を掲げた。その気運を高らかに謳ったのが、ホープの有名な二行連句だ。 自然とその法則は、夜の闇に隠れていた。 神は言われた、ニュートンあれと。するとすべては明るくなった。 しかしまもなくロマン主義の反乱が起きた。キーツが「哲学は天使の翼を切り取る」と 嘆いたのは、「この世の魅惑的な謎を奪う科学的世界観などは、一切ご免こうむる」とい う意味なのだ。 一方、このたびのサイエンス・ウオーズには新しい面もある。とくに、過去のどの論戦 にもなかったのは、科学、認識論、政治という、三つの要素がからまりあっていることだ。 それこそが今回の戦いの新しさであり、非常に面白くて重要な点なのだ。 *キーワード:相対主義、社会構成主義、啓蒙主義、ロマン主義、プラトンの仕事 *大雑把な定義が与えられているけれども、それだけで理解するのは難しいが、役には立 つ。 知識が社会的な構成物であるとは、知識はさまざまな社会的要因によってつくりあげられ ており、社会的な利害とは無関係に、客観的なものごとのありようを調べた結果として得 られるものではないとする立場である。しかもここでいう知識は、たんにものの考え方だ けにとどまらない。社会構成主義者によれば、発見されるべき客観的事実などというもの 1 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 は、そもそも存在しないのである。この立場をどこまで徹底させるかは、人によってさま ざまだ。 相対主義とは、社会構成主義と結びついており、そこから派生する立場と見なされること が多い。相対主義によれば、知識は-科学的な知識であれ、道徳的な知識であれ-特定の 集団や社会と密接に結びついている(「一夫多妻制は,彼らにとっては道義的に正しいが、 わたしたちにとってはまちがっている」など)。 第 1 章 サイエンス・ウオーズの情景 大雑把な定義 ・社会的構成物/・相対主義 ・政治的左派と右派の区別(*なぜ政治が登場するかは、後に分かる) 左派とは、人種差別主義に抗議すること、性差別主義に抗議すること、環境保護を支持す ること、反戦行動主義を取ること、経済格差を是正したいと願っていること。 右派とは、格差是正を最大の課題のように言うことを嫌う。また、自由の重要性がしばし ば強調される。知恵の源泉として、伝統が重んじられることも多い、など。 *サイエンス・ウオーズの発端を『高次の迷信』(後出)に求める例が多いが、ここでは 一世代前から説き起こしている。 ・「二つの文化」とサイエンス・ウオーズ C.P.スノーの『二つの文化と科学革命』①(1959)が引き起こした過去の論争と対比している。 *このつまらない小冊子が,古本で 2.5 万円している。スノーは、この小冊子のなかで二つ の文化(文系と理系)間の対話の不可能性を指摘し、理系の立場を支持しながら教育制度 の抜本改革を提案している。 「二つの文化」をめぐる昔日の論争(1959)と異なる今日のサイエンス・ウオーズの特 徴を指摘する。①科学は客観的なのか、という問題である。昔日なら「科学は単なる事実 を扱う」にすぎなかった。②スノーは弱者である科学者のために立ち上がったが、今日の 科学者は,およそ弱者とは言えない。③スノーは、科学者をおおむね左派、文系知識人を 右派に位置づけたが,今日ではこの図式は成り立たない。 ・ソーカル事件とは(*事件は報告済みなので、少しだけ触れる。) ソーカルがなぜこんな悪さをしたのかを告白している。「私は臆面もない古いタイプの左 派で,脱構築(deconstruction)1がいったいどうすれば労働者階級の力になるかよく分か らない輩で,客観的な真実が存在する外部世界が存在すると単純に考えている。」② 1 「静止的な構造を前提とし、それを想起的に発見しうる」というプラトン以来の哲学の伝 統的ドグマに対して、「我々自身の哲学の営みそのものが、つねに古い構造を破壊し、新 たな構造を生成している」とする、20 世紀哲学の全体に及ぶ大きな潮流のこと。(Wikipedia) 2 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 彼の関心は、今はやりのポストモダン主義者(後出)、ポスト構造主義者(*後に出番が ない)や社会構成主義者と戦うことである、と宣言している。 著者によるソーカルの立場を概括すると以下になるだろう。 「ものごとには特定のありようというものがある。科学者はそれを理解しようとし、その ためにはさまざまなテクニックを身につけ(そのテクニックを使ってもなお、誤ることは あるが)、多大な成功をおさめてきた。」=正統的(古典的?)科学観をもつ,あるいは、 常識的実在論者。 ・論争前史 『高次の迷信 Higher Superstition―アカデミック左派と科学との論争』 (ポール・グロス、 ノーマン・レヴィット、1994)のなかで、著者たちは、「科学、科学的方法、そして科学 の概念的基礎について,誤解を助長するような発言をし、今日、政治的に進歩的な科学評 論としてまかり通っているものを生み出してきたアカデミック左派」を批判している。 *著者は「アカデミック左派」なる命名が不適切、と批判している。 アンドリュー・ロス(「ソーシャル・テクスト」編集人)らは、この動きに全面反論を試 みるべく「サイエンス・ウオーズ」特集号を「ソーシャル・テクスト」誌 46/47(1996) として出版、それにうまく投稿したのが、ソーカルの以下の論文、『境界を侵犯すること -量子重力の変形解釈学に向けて Transgressing the Boundaries: Toward a Transformative Hermeneutics of Quantum Gravity」(A.D. Sokal) ・サイエンス・ウオーズの四つに陣営 政治的左派 政治的右派 正統的科学観 社会構成主義者と 宗教的保守主義者と に反対 ポストモダニストの一部 反ダーウィン主義者 正統的科学観 を支持 ソーカル、チョムスキー 一部の社会生物学者、 ① ② グールド 、ルウォンティン 、 人種研究者、 IQ 研究者ら ウィーン学団③ S. Gould:ダーウィンの進化論と現代の遺伝学から社会ダーウィニズムを退けた ① R. Lowontin:グールドと共著 ② ③ ウィーン学団:ラッセル、エルンスト・マッハ、アインシュタインを師とする論理実証主 義(後述) ・分類の大雑把な解説 ・上右:この立場を代表しているのは、宗教的右派である。その最大の特徴は、ダーウィ ンの進化論を拒否し、創世記に書かれている天地創造の物語を支持することだ。より一般 3 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 的には、道徳や宗教に支配されているように見える生活上のさまざまな側面に対する、科 学からの押しつけに、強く反発するという特徴がある。 *科学的進歩に貢献する側面が小さいから話題に取り上げられることは少ないが、政治的 影響力としては、最大である。 ・上左:世界のありようといったものが存在して、それをわたしたちが発見しているので はなく、むしろわたしたちが世界に対し、さまざまな社会的、政治的利害に奉仕するよう な枠組みを押しつけているのだ。今日広く受け入れられている科学は、労働者階級を犠牲 にして金持ちに奉仕し、女性を犠牲にして男性に奉仕し、第三世界を犠牲にして西欧世界 に奉仕し、有色人種を犠牲にして白人に奉仕する枠組みである。科学は決して客観的では ないのだから、抑圧された人々によりよく奉仕するような学説を採用してもよいはずだ。 ・下右:わたしたちはただ単に、事実を発見しているに過ぎない。わたしたちがこれまで に明らかにした事実の中には、例えば人種と IQ との関係のように、あまり嬉しくないもの もあるが、それはわたしたちの責任ではない。この世界は、必ずしもわたしたちにとって 喜ばしいものになっていないのだ。 ・下左:客観的な科学は、進歩主義的な運動にとって強力な武器になる。わたしたちとは 関係なく存在する世界があり、科学はその世界を記述し、説明することができる。そして 世界のしくみが分かれば、みんなの境遇を改善するのにも役立つ。 サイエンス・ウオーズでもっとも興味深いのは、“左派のための戦い”という局面では ないだろうか。左派ならば誰しも、いくつかの社会的目標を共有している。しかし、その 目標を達成するにはどうするのが一番よいのかという点で、深刻な意見の対立があるのだ。 そこから重要な疑問がいくつか出てくる。社会秩序を作り、整備し、変えていくために、科 学に何ができるだろうか?科学理論をつくって整備していくとき、社会的要因に何ができ るだろうか?左派は、その社会的目標を達成するために、どんな科学観を採用すべきなの だろう? *左派的使命感を前提に科学観を考えている。科学者は真実の探求のために(あるいは、 博士論文の選定にあたり)こんなアプローチをするだろうか。 挿入章 アメリカにおける宗教右派 *科学に対立する存在として最大のものであり、政治的にも大きな存在であるにもかかわ らず、日本ではあまり知られていないので、報告者が解説を挿入する。 ・古きキリスト教の科学に対する姿勢 聖アウグスティヌス:「より大きな危険をはらんでいるかもしれない、もう一つの誘惑が 存在する。好奇心という病である。それは、私たちを、自然の秘密に挑み、発見させるよ うに挑み、発見させるように駆り立てる。そうした秘密は私たちの理解を超えたものであ り、私たちにとって何の役にも立たないのだから、知りたいと願うべきではないのだ」 4 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 マルティン・ルターは、理性が宗教の大敵であることをよく自覚していて、その危険性を たびたび警告していた。「理性は、信仰にとって最大の敵だ。それは霊的な事柄に何の助 けにもならないのに、しばしば神のみことばに抗い、神から発するあらゆることを軽蔑す る」と彼は言った。③ 報告者と福音派(「ものみの塔」)との交流(口述) 資料の入手④ なぜ神は存在するか-進化論批判(④から報告者がまとめた) ・無生物から生命が誕生した-極めて考えにくい ・複雑な人間の眼が自然に進化したとは考えにくい、ましてや人間の頭脳をや。 ・だから、知性を持った設計者がいなければならない。宇宙の複雑さも同様。 ・進化を示す中間的な化石は発見されていない。変種は発見されるけれども、種から種へ の移行を示す化石は発見されていない。そのことは生物は一時期に創造されたことを示す。 ・進化論は、実験によって確証することはできない。 *うまく反論できますか? 創造論の弱点 ・聖書に基づく年代計算によれば、人間が創造されてからの期間はおよそ 6,000 年である ・放射性炭素による年代測定は当てにならないと主張する。紀元前 2000 年頃より前の物体 の年代を測定するには、この方法は頼りにならない(*確かに、そう主張する科学者はい るらしい。科学をもって科学の隙間を批判する。随所に見られるやり方)。 ・聖書に違反しない限りでは科学を受け入れる(古い時代のキリスト教とは異なる)。し かし、積極的に科学を発展させる原動力になるとは考えられない(神の存在を立証するた めに真理を探究した、かつての科学者の姿勢は感じられない)。 反論 ・自然淘汰による進化は、ついには、途方もない複雑さと優雅さにまで登りつめる。 ・ダーウィン流の進化(とりわけ自然淘汰)は、生物学において設計者の存在という錯覚 を粉砕し、物理学や宇宙論においてもいかなる種類の設計仮説にも疑いの目を向けるよう、 私たちを導いてくれる。 ・設計者という考え方自体がただちに、彼自身はどこから来たのかというさらなる大きな 問題を提起する。(以上、R、ドーキンス) ・存在を主張するには、立証責任があるが、不在を主張する側には、立証義務はない。(B、 ラッセル) 36 5 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 ・アメリカにおける宗教右派の歴史(主として、⑤より) 「スコープス裁判」(“モンキー裁判”、テネシー州デイトン、1925) (同州では公立学校では進化論を教えることは禁止されていたのに、生物学教師 J.スコー プスが進化論を教えたことに対する裁判) 公開討論では宗教原理主義側のウィリアム・ブライアン弁護士の敗北、裁判では原理主義者 の勝利。 原理主義-近代主義論争は、事実上、この裁判で決着がついた。原理主義者は決定的なダ メージを受け、深いトラウマが残った。これ以降、原理主義者も福音派(思想的には原理 主義と同じだが、社会に対する態度が違う)も、社会や政治と関わることを避けるように なっていった。 状況が変わって、福音派と原理主義者が再び政治に目覚め、アメリカ政治を揺さぶりはじ めるのが 1970 年代から 80 年代だった。 人種差別を正当化していた南部白人と南部を拠点にしていた福音派が、公民権法成立後、 人種差別撤廃を“押しつけた”民主党に反発し、大挙して共和党に移っていった。 宗教界は、リベラルの時代(ニューディール政策以降)をどう過ごしていたか。 プロテスタントの主流派は、公民権運動の後も、反戦運動や女性解放、中絶の権利、福祉 拡大、環境保護、少数派優遇政策など多くのテーマでリベラルな立場を貫き、さまざまな 運動を支援していた。他方、福音派には不満のマグマがたまっていた。 ・右派は何を求めているのか 宗教右派が攻撃対象にしたのは、伝統的な宗教倫理を崩壊させたリベラルの文化そのもの だ。だが、現実の運動では、人工中絶の非合法化や、公教育での“祈り”の復活など、極 めて具体的で明確なテーマを追求した。 「次の大統領選挙で必ず保守派の大統領を当選させ、最高裁判事の首をすげ替えて、リベ ラルな判決をひっくり返そう」という、明確な目標を設定した政治運動だ。 具体的な課題として、 ・人工妊娠中絶の禁止 ・結婚は男女間のもの ・学校で祈りを教える (公立学校での“祈り”を禁止した 1962 の最高裁判決を覆すこと) 建国時→連邦「政教分離規定」、1947 州政府も公認教育(国教)の樹立禁止 ・右派の勃興とモラル・マジョリティ 6 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 1980 年代宗教右派(メディアの命名)の勃興 1980 モラル・マジョリティー(福音派中心の初期の運動)の結成 1980 南部バプチスト連盟、右派による掌握 1998 原理主義者ファルウェルによる掌握(カーター、クリントン、アル・ゴアらは離脱) 1980 新保守主義(ネオコン)らとレーガン選挙支持、しかし、レーガンは当選後は宗教右 派の主張を取り入れず、宗教右派の失望を買う。 1989 モラル・マジョリティからキリスト教連合(近代的組織)へ、共和党支持 1993,94 フロリダ、カリフォルニア、テキサス、ニューハンプシャー州の教育委員会で多 数派獲得、生物学で天地創造説の教育を決定 1994 中間選挙「保守革命」(共和党が 40 年ぶりに下院多数派、上下両院制覇、知事多数) 1996 クリントン再選、中道路線の勝利 1998 中間選挙、共和党と宗教右派の敗北、キリスト教連合の衰退 ・ブッシュ政権と宗教右派の絶頂期 2000 ブッシュ大統領当選 ホワイトハウス内で聖書研究会 2004 再選 白人福音派の 8 割がブッシュに投票し、投票数の 4 割が白人福音派 最高裁判事に保守派指名→保守は 4 人、リベラル派 4 人、中間派 1 名 「私は神の啓示を受けて、イラク戦争を決意した」「進化論は学説のひとつである」(ブ ッシュ) アメリカの宗教原理主義がアラブの宗教原理主義を誘発した、構図が成り立つ。 ブッシュの凋落と宗教右派の停滞(中絶と同性愛ばかりで飽きられる) 2008 大統領選、宗教右派は候補を一本化できず 第 2 章 科学者の経験は理解されているのか ・社会構成主義者が科学者をいらだたせるわけ 科学には数々の素晴らしい科学的経験の実績がある。 ・新規な予測をすること、例えば、大陸移動説、フレネルの波動実験。 ・自然現象を統一的に説明すること、例えば、ニュートンの運動法則と重力法則、ダーウ ィンの進化論 ・正確な予測をすること、例えば、量子電気力学における電子の磁気能率の予測、天体運 動モデルと火星観測のわずかな誤差からケプラーの法則を導いたこと。 ・賢い思考実験は新しい発見に結びつく、例えば、アインシュタインの特殊相対性理論 ・科学的方法は改良される、例えば、実験データの収集法(「二重盲検法」)や顕微鏡 こうした輝かしい科学的成果を社会構成主義者は理解していない、と著者は言う。 社会構成主義者は、次のような主張をしている。 7 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 「われわれが知識を得るときのそのやり方が、因襲的かつ人為的であることが明らかにな るにつれ、その知識内容を決定しているのは、実在の世界などではなく、われわれ自身で あることに気づかされるのである。知識は[政治的な]状態であるのと同じぐらいに、人 間の行為によって生み出されるものなのだ」(『リヴァイアサンと空気ポンプ』(S.シェイ ピン)) *社会構成主義は、われわれには馴染みが薄いので、別の表現を見てみよう、 「X の存在には必然性がない、ないしそれは現在あるようなしかたをしている必然性はまっ たくない。X を存在せしめたり、今日あるように形づくっているのは、社会的なできごと、 力、歴史であるが、これらはすべて、違ったあり方を取ることが十分可能であった。」(イ アン・ハッキング) 次のようにいうこともできる。 「科学的知識が現在のような形であるのは、けっして不可避なことではなく、別の形でも ありえた。科学的知識が現在のような形であるのは、社会的なできごとや力によるもので ある。」 クーンのパラダイム論(後述)を極端化した立場と考えられる。 第 3 章 科学哲学は何を問題にしてきたのか まず、科学哲学のおさらいをする。社会構成主義者の主張の中には、哲学者から借りてき たものが多いから。20 世紀に的を絞ると、・・・ ①論理実証主義(「ウィーン学団」)の挑戦 中核としての経験論と検証主義(意味のある命題は、検証可能でなければならない)。 理論言語と観察言語を分ける(理論言語には、いかなる意味も与えられない。理論言語は 観察言語と結びつけられて、間接的に意味を獲得する。)。 ・理論と観測の間には明確な区別がある。観測は中立であり、いかなる理論や背景にある 信念とも関係がない。 ・経験的に検証できないものは何であれ、意味がない。 ・科学の歴史は累積的である。科学に革命はない。 ・科学はわたしたちの経験を組織化し、わたしたちが観測するものを予測するが、深い因 果的な説明を与えようとするものではない。 ・科学が目指すのは「真の」理論ではなく、経験をうまく説明してくれる理論である。 ②ポパーと「線引き問題」(科学と非科学を分けるもの) 科学的であるためには、(原理的に)反証可能でなければならない。 理論を本物の科学にするのは、反証可能性である。反証可能性は、科学と非科学との境界 線を引くものだが、「意味のある命題は検証可能でなければならない」とする検証原理と 8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 はまったく別だ。ダーウィンの進化論は(少なくともその大部分は)、検証可能な予測を することができない。進化論は現状を見事に説明するが、未来に関して新しい予測をする ことはない。この点に関して、宗教原理主義者(根本主義者と訳している)に逆手に取ら れた。著名な科学哲学者であるポパーが、進化論は本物の科学ではないと言っている、と。 ③クーンは何を言ったのか ・通常科学/・パラダイム/・危機/・異常科学/・革命の定着 クーンによると、科学の発展は(実証主義者が言うように)累積的ではなく、(ポパーの いうとおり)革命的である。パラダイムは、法律世界における判例みたいなものである。 パラダイムが有効な間は、そのパラダイムにしたがって科学は発展する。パラダイムの有 効性が疑われると、科学に革命が起こり新しいパラダイムが生まれる。 新しいパラダイムの例:コペルニクスの地動説、ラヴォアジェの酸素燃焼説、ニュートン 力学、アインシュタインの相対性理論など 教科書は勝者によって書かれる。そして革命は定着する。 ・クーンの影響 この著作(『科学革命の構造』)は、科学に対する社会学的アプローチを奨励すること になった。(クーンの意図に反して)社会構成主義者たちは、クーンのこの著作の中に、 自分たちにとって有力な武器になるものを見いだした。 「政治革命と同様、パラダイム選択においても-関係する共同体の合意よりも高い判断基 準は存在しない。それゆえ科学革命がいかに遂行されるかを知るためには、自然と論理の 影響を調べるだけでなく、科学者共同体を構成するかなり特殊なグループ内でどんな論法 が説得力を持っているかも吟味しなければならない」というクーンの主張は社会構成主義 者に「科学上の意思決定には、非合理的な要素が極めて重要な役割を演じている。」とい うお墨付きを与えることになった。 (20 世紀科学哲学の動向を、実証主義者、ポパー、クーンで概括した) 第 4 章 社会構成主義のニヒリズム派とポストモダン *なぜ、ソーカルはポストモダンに鮮烈な攻撃を加えたのか? ポストモダン主義者は、ニーチェの真実と知識に対する全的否定[ニヒリズム]に、イン スピレーションの源を見いだしている。ニーチェは、すべての思想は観点に依拠し、事実 というものは存在せず、あるのはただ解釈だけだといった。 ポストモダンとは、ニヒリズム寄りの社会構成主義で、啓蒙主義に反対する立場。 啓蒙主義とは、17,18 世紀、科学革命の余波の中で育まれた全般的態度。啓蒙主義の目標 は、迷信や権威主義を廃止し、その代わりに批判的理性を用いる。神の啓示や政権の代わ りに、世俗の科学を採用し、伝統の代わりに進歩を重んじる。 9 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 ジャン=フランソワ・リオタール(ポストモダン派の論客)にとっては、科学とは、恣意 的に決められたルールに従うゲームの一つにすぎず、科学における真理とは、発言者たち の一団が、「これが真理だ」と主張するものでしかない。 パウル・ファイヤアーベント(ニヒリスト)の場合 (ファイヤアーベントはクーンの良き同僚であったが、その後過激化する。) ①理論の検証は相対的(ブラウン運動を例に) 古典熱力学では、圧力、体積、温度など観測可能な量をベースに中核となる二つの法則が ある。熱力学第一法則(熱はエネルギーの一種であって、エネルギーは保存される)、熱 力学第二法則(状態が何らかの変化をするときには必ず、エントロピーは同じ値にとどま るか、または増大する。*エントロピーとは、物質や熱の拡散の程度を示す尺度) 対立する分子運動論(小さな物質粒子からなる世界を考え、その小さな物質粒子は、ニュ ートンの運動法則に従って動くと考える。これによると、熱力学第一法則は容易に説明で きるが、第二法則は近似的にしか説明できない) 19 世紀初めにロバート・ブラウンがブラウン運動(水の中の花粉が絶え間ないランダム な動きをする)を発見したとき、古典熱力学支持者は関係ない現象として無視した。 20 世紀に入って、アインシュタインの予測とペランの仕事により気体分子運動論による 予測は極めて正確であることが示された。こうして古典熱力学支持者にとって、ブラウン 運動は熱力学で説明されるべき課題となった。2 この例からファイヤアーベントが引き出した哲学的教訓が理論の検証は相対的だという ことである。つまり、ある理論が正しいかどうかを検証するとき、その理論を直接自然と 比較するのではなく、自然とライバル理論の両方に目を向けるべきだ、ということ。 ②多元論の重要性 ライバル理論の育成に努めなければならない。なぜなら、ライバル理論が登場すれば、証 拠が増えるからだ。気体分子運動論が登場しなければ、古典熱力学の弱点に気づくことは なかったであろう。 *ここまでは悪くなさそうである。以降は、科学的方法は不毛で有害でもある、とまで過 激化する。認識論的無政府主義者を自称。 29 2 熱い湯は、放置しておけば次第に冷めて、室内の温度と等しくなり、圧縮された気体は解 き放たれると周囲に存在する気体と混ざりあい均一化します。これが熱力学第2法則の具 体的な例です。この法則は、統計的法則であり、物質粒子がたくさん集り十分な時間を経 た場合にその系が最終的に統計的に行き着く姿を予測したものです。この法則によれば、 十分な時間を経れば物質は、空間に均等にばらまかれ、そしてその運動も平均化され一様 になります。つまり熱的平衡状態になるというわけです。統計則によればより統計的に起 こりやすい状態に物質は落ち着く、つまり整頓された状態から、より乱雑な状態に変化し ていくというのです。そしてこの乱雑を表す尺度がエントロピーであり、このエントロピ ーは常に増大するとされています。(さる Web より) 10 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 *ポストモダン主義者たちに対する戦いは、政治的なものであって、まじめな理論的なも のではない、ようだ。 *ポストモダン主義者らの途方もない発言事例は、「’Science Wars’と’Sokal Affair’、およ びその技術化社会への含意」(柳生孝昭[わかみず会(11.10.5)]附 0)にある。 第5章 三つのキーワード-実在論、客観性、価値 サイエンス・ウオーズを理解するためのキーワードには、その他に、合理主義、相対主義。 ・実在論とは、 ①科学の目的は、実在を正しく(あるいはほぼ正しく)記述することである。 この目的は実現可能である。その理由は以下。 ②科学理論は正しいか誤りかの二つにひとつである。科学理論が正しい(誤りだ)という とき、それは文字通りの意味において、正しい(誤りだ)といっているのであって、隠喩と してではない。理論の正否は、いかなる意味においてもわたしたちには依存せず、理論を 検証するために用いる方法や、わたしたちの心の構造や、わたしたちの生きる社会などに も依存しない。 ③理論が正しい(誤りだ)ということは、証拠によって裏付けることが可能である。(し かし、すべての証拠が理論 T を支持してもなお、T が誤りである可能性は残る。) 反実在論:道具主義/検証主義/カント主義/社会構成主義 著者は実在論の立場 道具主義/検証主義は社会構成主義には反対、だから実在論は論争の争点ではない 道具主義=天は人間の手の届かないところにある、理論が正しいかどうか判定できる見込 みはなく、真実を明らかにすることではなく、ただ単に経験的に妥当な説明を与えること 検証主義=命題ないし理論が正しいかどうかは、わたしたちがその理論をどのように検証 するかにかかっている。つまり、正しいかどうかは用いられる証拠によって変わる。 カント主義=ものごとが正しいかどうかは、多くの場合、わたしたちの心の構造によって 決まる。例えば因果関係なども、客観的な世界の一部として決まっているわけではなく、 人間の心が何らかの形であらかじめ準備し、世界に対して押しつけているのだ。 社会構成主義=実在論の三つの用件にすべて反対する。多くの社会構成主義者は、科学の 目的は真実を知ることだという考えに反対し、科学者は自らの社会的利害に奉仕する理論 を推進しようとしているにすぎない 道具主義者と検証主義者も社会構成主義者に反対する。どの科学理論を受け入れるかは、 証拠にもとづいて決定されると考えており、社会的要因ではないと考えるからである。し たがって、サイエンス・ウオーズの対立軸は、実在論か非実在論かではないのである。 ・「客観性」こそ真の争点 11 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 科学者は、少なくとも理論を受け入れたり捨てたりするときには、社会的要因など証拠に よらない要因にもとづいてではなく、得られる限りの証拠に基づいて判断を下すという意 味において、客観主義を取っている。その反対概念である主観主義と併せて、存在論(も のごとはどうなっているのか)と認識論(わたしたちはいかにして知識を得るのか)とい う意味から切り分けてみる。 客観的 主観的 存在論 水は H2O である(①) 認識論 水は H2O であるという信念(③)水はゼウスの尿だという信念(④) 水には味がない(②) ①わたしたちとは関係のない自然界の事実 ②わたしたちに依存する事実 ③化学の標準的証拠に基づく信念 ④『イーリアス』を読んでいるときにドラッグをやりすぎていたせいで生じた信念 存在論的な意味において、ある命題が客観的であるといえるのは、その命題の真偽がわ たしたちとは独立な場合である。「水は H2O である」とか、「その犬は裏庭にいる」。 認識論的な意味では、ある人物が十分な合理的論拠と証拠にもとづいて何らかの命題を 受け入れるのであれば、その人は客観的である。(客観的であっても誤りは起こりうる。) クーンによれば、わたしたち自身や、わたしたちが世界に対して押しつけるパラダイム とは独立な客観的な世界などは存在しないけれども、よりよいパラダイムを選ぶために十 分な客観的な証拠はありうる、と主張する(存在論的客観性の否定)。 ・科学は価値にとらわれないのか 「科学は価値に支配されている」<->「科学は価値にとらわれない」 事実と価値(価値は科学的事実とどう違うのか) 「事実命題」:例:「草は緑色をしている」(~である) 「価値命題」:例:「あなたは事実を語らなければならない」(~すべきだ) 事実命題は経験にもとづいて検証できるが、価値命題は経験にもとづいて検証できない。 事実といわれているものでも検証できないものもある(例: 「神は天地を 6 日でつくった」 ) 。 価値には、「認識論的価値」(または、「認知的価値」)(その根拠を経験的事実認識に 還元できるような価値、例:「論理的矛盾のある理論はすべて捨てよ」)とそれ以外の価 値(例:「他人にしてもらいたいと思うことを、人々にしてあげなさい」)とがある。 キリスト教的な宇宙論は、ニュートンとライプニッツが科学に押しつけた主観的価値な どではなく、一定の信頼性をもった背景知識としての信念(価値)だった(*ニュートン やライプニッツは、神の存在を確認するために真理の追及を行った)。それは過去の話で 12 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 ある。量子力学という制約の下での合理性や価値は現在の話である。時間とともに新しい 証拠が得られ、ある信念が合理的かどうかの判断が変わることもある。 第6章 社会構成主義の自然主義派 ポール・フォアマンの量子力学研究が今日的社会構成主義の(クーンの表現を借りれば) パラダイムとなった、と見なすこともできる。社会構成主義の出発点を(便宜的に)『ワ イマール文化、因果関係、量子論、1918-1927-ドイツの物理学者および数学者の敵対的 な知的環境への適応』(P. Forman,1971)に置いてみる。量子力学が 1920 年代に生まれ た理由に社会学的説明を与え、その後のサイエンス・スタディズの研究方法を示すモデル となったから。フォアマンによれば、ワイマール体制下の科学者たちは、ドイツ大衆の神 秘主義的、反機械論的な考え方に訴えるような、非因果的で非決定論的な量子力学を作り 出すことにより、高い社会的地位を再び手に入れようとした、というのだ。合理的要因を 見ることなしに、社会的要因から量子力学の成立を説明する。科学者には社会的利害があ り、科学上の信念はその利害によって形成されるのであって、合理的要因によって形成さ れるのではないことになる。 16 17 18 19 20 21 他に知識はない。 22 23 ・自然主義者で、かつ、社会構成主義者とは、 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 ・自然主義派とはなんだろうか ヒント:自然主義者の問題意識は、「自然界とは存在するもののすべてであり、自然界を 理解する唯一の方法は科学的アプローチである」という考え方に根ざしている。神は存在 せず、宗教的な世界理解というものもない。あらゆる知識は科学的知識なのであって、その 「ガリレオはなぜ、大砲の弾の運動を調べたのだろうか?なぜ彼は、弾丸が放物線を描く と考えたのだろう?」この問いに、従来の社会構成主義(ロバート・マートン)は第一の 問いだけを研究の対象とする(科学社会学)。 第二の問い(科学理論の内容)にまで立ち入らなければならないというのが、デーヴィッド・ ブルアであり、そのために、ストロング・プログラムの4原則を提唱する。 ≪因果律≫科学に対する正しい記述は、因果的でなければならない。すなわち科学上の信 念をはじめ、知識のさまざまな状態が、どんな原因によって引き起こされているのかを記 述するものでなければならない。 ≪不偏律≫真理と虚偽、合理性と非合理性、成功と失敗について、その両方に対して公平 でなければならない。 ≪対称律≫説明のスタイルは、対称的でなければならない。同じタイプの原因によって、例 えば合理的信念と非合理的信念の両方を説明しなければならない。 13 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 *一方を物理学で説明するなら他方も物理学で説明しなければならない。社会的要因であ っても同様に。 ≪反射率≫社会学的説明のパターンは、原則として社会学それ自身にも適用されなければ ならない。 事例研究: パストゥール=プーシェ自然発生論争(無機物から生物が生まれるか)に関す るファーリーとギーソンによる議論のスタイル 当時の政治的雰囲気 保守派 改革派 カトリック教会 国家(ルイ・ナポレオン) 無神論、共和主義 ≪=≫ 唯物主義者、実証主義者 ダーウィンの進化論 自然発生説は、改革派を利すると考えられていた。自然発生説を打倒すれば、ダーウィン の進化論も倒れるだろうと考えられた。だから強烈な保守的思想の持ち主であったパスツ ールはプーシェ説に反対したのだ、とファーリーとギーソンは結論づけた。 行われた立証実験 パスツールは煮沸した肉汁を白鳥の首フラスコに入れて、微生物が発生しないことを確か めた。一方、プーシェは干し草の抽出液を煮沸したが、通常の煮沸では干し草菌は死なず に残った。これを根拠にプーシェは自然発生説を唱えた。 ファーリーとギーソンによる社会構成主義の立場からの説明は、ストロング・プログラ ムを満たしているのだろうか。 第1の因果律:パスツールの信念は、保守体制を支援したいという社会的要因が原因となっ て引き起こされたものであるから、因果律は満たされている。自然発生説が退けられた理 由が見いだされ、そしてその原因はまったく自然なものと考えられるからである。 第2の不偏律:成立。自然発生説が退けられた理由が、この学説を退けることの正否につ いて、わたしたちがどう考えているかとは無関係に説明できるからである。 第3の対称律:成立。パスツールの信念を説明するのと同じタイプの記述によって-つま り、彼の社会的利害という観点から-彼が逆の信念を持っていた場合も説明できるからで ある。 *パスツールの信念とは、自然発生説を否定することであり、彼が逆の信念を持っていた 場合とは、結局プーシェの信念と同じことではないか? 第4の反射率:直接的には関係がないのだが、ファーリーとギーソンは反射率を意識して いるようである。「この論文を執筆するにあたり、当然ながら、自然発生説論争に関する われわれの解釈に影響を及ぼしうる外的要因について考察し、論文の終わりに当たってそ れを吟味しておくことは極めて適切だろう。とくに、われわれの解釈が保守的思想を持つ 14 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 歴史家や科学者と異なるのは、われわれにとってパストゥールの宗教的、政治的、個人的 態度が不快だからかもしれないからである。」 *著者は、対称律を批判している(ゴチャゴチャと)。社会構成主義とは、こんなもの(と著 者が考えている)というのは分かる。 第7章 合理的論拠の役割 クーンの『科学革命の構造』は、科学に対する社会学的アプローチの引き金になった。社 会構成主義を志すものたちにとって、クーンのこの本は魅力が一杯だった。「政治革命と 同様、パラダイム選択においても-関係する共同体の合意よりも高い基準は存在しない」。 また、パラダイム選択にあたって決定的に重要な役割を演じるのは、合理的論拠と証拠で はない、とクーンはいう。 社会構成主義者のバリー・バーンズは、異なるパラダイム、あるいは競合するパラダイ ムのうちからひとつを選択するときの判断は、社会的要因にもとづいてなされると考え、 さらに通常科学のプロセスでも同様であるという。 ・社会構成主義者の中の自然主義派に触れる。 自然主義とは、知識に関する理論は科学をモデルとしてつくられなければならないとする 立場である。要するに、社会学、心理学、生物学の事実に基づいた記述的な認識論を支持 し、規範的な(~すべきだ)認識論は捨てる立場なのだ。・・・アンチ自然主義者(著者 はここに所属すると自認している)は、強い規範的な意味での合理的論拠が存在すると主 張する。すなわち、合理的論拠が得られるのであれば、それによって支持される信念を選 ぶべきであり、合理的論拠に照らしてどれかの信念を選んだのであれば、その信念を選ん だ原因は合理的論拠であると主張するのである。 事例 プトレマイオス:静止した地球のまわりを太陽、月、恒星、惑星が回っている。 コペルニクス:静止した太陽のまわりを惑星が回っている。 どちらも同程度に火星の動きを予測することができた。どちらが正しいかを決定するには、 証拠が足りない(「決定不全性」)。 一般的には、理論 T、T' , 証拠の全体{Qi} T→{Qi} T'→{Qi} 科学社会学者(知識社会学者)は、決定不全性問題を取り上げて、証拠だけで理論を選択 するには不十分で、その背景にある利害を持ち出す。 著者は、理論を選択するのは、証拠{Qi}だけで十分であるという(その論拠を示していな い。19 世紀になって、恒星の視差が発見されて、コペルニクス説が有力になったけれど)。 15 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 したがって、信念は、合理的論拠と証拠によって説明される、と言う。 第 8 章 科学の民主化 科学の民主化は、サイエンス・ウオーズの主戦場の一つである。 アンドリュー・ロス(「ソーシャル・テクスト」の編集人)の立場 「化学物質を実際に取り扱っている労働者や農民の経験に対してそれ(化学物質に関する 科学者の知識)を与えないのは権力の乱用であり、・・・。科学者の知識が社会的に構成され たものであることを示せば、科学者の知識がまとっている神秘のベールを剥ぐのに役立つ かもしれないが、それだけではなく方法論的改革を進めなければならない。その目的は、 研究のプロセスにはじめからローカルなユーザの経験を取り込み、手工業者の利害によっ てではなく、むしろ生産物を介して影響をこうむるコミュニティーが何を必要としている かに応じて、研究プロセスがかたちづくられるようにするためである。そうした方法論上 の改革によって、文化的相対主義から社会的合理主義がもたらされるだろう。」 ・極端な相対主義への批判 ソーカルとロスとの公開論争(1996.10.30、ニューヨーク大学) ソーカル:「自分は科学を擁護しようとしているのではなく、自分の目にはまったく考え違 いであるように見える、科学に関連する社会問題へのアプローチを攻撃しようとしている のだ。」 さらにソーカルは、西欧の宇宙論と、アメリカ先住民の宇宙論は、どちらも等しく正し いと論じる文化人類学者の文章を引用した。 (先のロス見解やフェミニストと同じく)研究対象の言うことを重く受け止めるという考 えは、最近の文化人類学の少なからぬ領域で大きな要素になっている。その考えによると、 原住民の文化を解釈してよいのは原住民自身であって、文化人類学者ではない、と主張する。 ソーカルは、こうした傾向(*悪しき相対主義!)に対する批判として、先の文章を引用 したと思われる。 ・科学の民主化の支柱 理論は相対的に評価するしかない。 知識の増大に関する絶対的な観点(理論 T をつくる、検証可能な結果を導く、実際に検証 する、正しい結果を出す理論を受け入れ、間違った結果を出す理論は捨てる、選ばれた理 論を使って観測可能なすべてのことを系統的に理解しようとする)=他の理論とは無関係 に評価できる 過去十年足らずの間の科学史の分野で積み上げられた仕事(クーン、ファイヤアーベン トらの仕事)のお陰で合理的な理論選択は、相対的と考えられようになった。もはや、ひ とつの理論だけをとりだして、証拠によって検証できると考えることはできない。むしろ、 16 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 理論は、競合理論に対して相対的にしか評価できないと考えられている。理論は、競合理 論との比較によって評価されるだけではなく、証拠として何を受け入れるかも、競合理論 次第で変わることがある。 *著者は、彼らの仕事に批判的だが、この点は受け入れているようである。 事例=古典熱力学(再論) 熱力学第一法則(熱はエネルギーの一種であって、エネルギーは保存される) 熱力学第二法則(状態が何らかの変化をしたときには必ず、エントロピーはそれまでと同 じ値にとどまるか、または増大する。 分子運動論(小さな物質粒子からなる世界を考え、その小さな物質粒子は、ニュートンの 運動法則に従って動くと考える。これによると、熱力学第一法則は容易に説明できるが、 第二法則は近似的にしか説明できない)19 世紀初めにロバート・ブラウンがブラウン運動 を発見したとき、古典熱力学支持者は関係ない現象として無視した。 20 世紀に入って、アインシュタインの予測とペランの仕事により気体分子運動論による 予測は極めて正確であることが示された。こうして古典熱力学支持者にとって、ブラウン 運動は熱力学で説明されるべき課題となった。 ここから導き出されるべき哲学的教訓は明快だ。すなわち、理論の検証は相対的だと言 うことだ、ある理論が正しいかどうかを検証するとき、わたしたちはその理論を直接自然 と比較するのではなく、自然とライバル理論の両方に目を向ける。何らかの現象がはっき りと理論に関係してくるのは、ライバル理論がその現象を説明したときなのだ。 理論は相対的なものだから、競合理論の中から最善のものを選べばよい。競合理論の多様 性をできるだけ大きくするには、理論家の多様性を大きくしなければならない。つまり、 科学者集団を広く社会的に求めなければならない。 *このあたりは、「反科学者」から科学者側への批判を受けたものだろうか。一時期日本 で見られた、科学者に対する「専門馬鹿」批判はないのだろうか。 第 9 章 社会的行動計画をもつ科学 「スコープ裁判」(1925,テネシー州、W.J.ブライアン≈ C.ダロ-)(既出) 著者は、ブライアンに同情的。ブライアンは「社会ダーヴィニズム」に反対、アメリカ有 権者の大多数が賛成する人間の起源に関する創世記の記述を学校で教えるべき、と主張。 グールドと IQ 論争 グールドによれば、IQ 研究は行動計画、それも極めて保守的な(反動的でさえある)行動 計画をもつ科学だ。高い階層に属する人にとっては、「あなたはその居場所にふさわしい」 と請け負ってくれる科学的証拠(『ベルカーブ』(ハーンスタイン、マレー、1994))ほ ど嬉しいものはないだろう、貧しい人のために社会福祉事業に金を出すのは無駄なことに なる。 17 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 グールドは、『ベルカーブ』の論証(知性は一つの因子によって表され、多重知能を認め ない、知性は遺伝し、IQ は変化しない)を逐一反証している。 ・教育の中身を多数決で決められるか-民主的解決策の課題 政府が食物や薬品などの製造を監視する専門家集団を任命するシステム(多数派の考えに 反しても、ある種の製品を禁止することができる)。 ・科学における価値の積極的役割 認知的価値(経験的知識に基礎づけられた価値。理論を選ぶときには、より適用範囲が広 く、より説明力のあるものを選ぶべきである、など)<->認知的でない価値(経験的知 識に基礎づけられていない価値。キリスト教信仰と両立する理論を選ぶべきであるとか、 大衆の人気を挽回するような理論を選ぶべきである、など) 科学の内容のところで、認知的価値が働いているかどうかに関しては、四つの立場が考 えられる。 ①科学においては、認知的でない価値ははたらいていない。 ②あらゆる科学は、認知的でない価値をはらんでいる。よい科学と悪い科学を区別するこ とはできない。 ③科学において認知的でない価値が一役演じることもあるが、そこから得られる科学は必 然的に悪い科学である。よい科学には、認知的でない価値の居場所はない。 ④良い科学と悪い科学との間には重要な違いがある。しかしどちらにも認知的でない価値 が含まれている。 ①は素朴すぎる。②は社会構成主義者たちの典型的立場。③の典型例は、ソヴィエトの生 物学者ルイセンコは、イデオロギーの虜になったせいで悪い科学をつくった。ノーム・チ ョムスキーによれば、「良い科学の方法」というものが存在し、それは価値とは無関係で あるように見えるという。価値が絡めば科学的方法は悪用され、社会的に有害な結果を引 き起こしかねない。わたしたちが手にしている科学的方法は、イデオロギーによって腐敗 されない限りにおいて、良いものだという。④の立場は、最近のフェミニズム科学哲学の かなりの部分を特徴づけるものである。一方でこの立場は、科学には認知的でない価値が たっぷり含まれているという点を力説するが、他方では、ニヒリズムと、自己欺瞞に満ち た相対主義に陥ることは是非とも避けたいとする。この立場によると、科学における意思 決定には、まぎれもない客観性がなおも存在している-つまり、理論には、科学的観点か ら優劣がつけられるということだ。 ・③と④を吟味するための具体例 人間の起源説 「マン・ザ・ハンター(man-the-hunter)」モデル 18 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 道具の開発は、男たちの狩猟行動の直接的成果である。道具が用いられるようになると、 犬歯はあまり重要ではなくなり、食物を効果的にすりつぶす臼歯が発達するようになった。 人間の攻撃性(狩猟)は、知性(道具の作成)に結びつけられる。この説明では、女が進 化に果たす役割はないか、極めて少ない。 「ウーマン・ザ・ギャザラー(woman-the-gatherer)」モデル この仮説では、道具の使用は女たちの行動の結果として説明される。人間が実り豊かな森 を出て、それほど豊かでない草原に移り住むと広いテリトリーの中で食物を集める必要性 が高まった。女たちは自分だけでなく、子供たちにも食べさせなければならないので、男 たちよりつねに大きなストレスを受けるため、「発明の才」をもつことへの選択圧は女の 方に強くかかる。したがって、道具は女の発案だとされる。この観点からすると、男たち が大きな犬歯を失ったことは、どのように説明されるだろうか。その答えは、女たちは、 犬歯をむき出すような攻撃性をあまり見せない、優しいタイプの男のほうを好んだからだ、 と。このモデルの説明によれば、人間の解剖学的、社会的進化は、おもに女たちの活動か らもたらされた、とされる。 この問題を解決するための証拠は、極めて乏しい。これは決定不全性の一例である。競 合する二つの理論のうちから、一つを選び出せるだけの十分な証拠が乏しいのである。こ こで検討すべきことは、価値をおわされた背景的信念が、科学上の選択に影響を及ぼす場 合が確かにあるということだ。道具を発明したのは男だと思いたい人は、例えば打製石器 の小片を狩の道具と解釈するかもしれない。するとその情報は、人類の起源に関するマン・ ザ・ハンター・モデルによる説明の中で証拠として用いられるだろう。一方、フェミニズ ムの観点に立つ研究者は、打製石器は野菜を処理するための道具だったと解釈するかもし れない。まったく同じ道具が、ここではウーマン・ザ・ギャザラー・モデルを裏付ける証 拠になる。(二つの理論は、いずれ淘汰されるかもしれないけれど、)科学理論をつくる とき、価値は必ず何らかの役割を演じる例である。ウーマン・ザ・ギャザラー・モデルが 果たした大きな役割は、このモデルが登場したことで、マン・ザ・ハンター・モデルが隠 し持っていた仮説が暴露されたことである。マン・ザ・ハンター・モデルは、「文化に埋 め込まれていた、性差別主義的な前提に依存する」証拠に支えられていたことが暴露され た。この教訓は、理論家がどんな背景をもつかによって、理論をつくるタイプは大きく異 なるということだ。そして、対立する理論の存在は科学の進展に役立っているということ だ。結論として、著者は、理論の成否を決めるのは、やはり自然だ、と言っている(*や はり、著者の立場は、③らしい。) 科学者にできること、科学哲学者にできること[結語] ・ソーカルの貢献は、「親科学の左派」に活動の余地を切り開いたことである。 ・科学は、抑圧された人々の友でなければならない。 19 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ・科学者もそうだが、とくに科学哲学者は、社会の不平等を正当化するようなニセ科学を 論駁できる位置に立っている。悪い科学、とくに社会にとって有害な目的に奉仕する科学 を暴露するために必要な力を持っている。 ・わたしたちは、あらゆる機会をとらえて公開の場に出ていき、問題を指摘しなければな らない。 文献 ①「二つの文化と科学革命-1959C.P.スノー、松井巻之助訳、みすず書房、1967」 ②”Transgressing the Boundaries: An Afterward”(Diseent43) ③「神は妄想である THE GOD DELUSION, R.ドーキンス、垂水訳、2007、早川書房」 ④「あなたのことを気づかう創造者がおられますか」「生命の起源-五つの大切な質問」 「生命-どのようにして存在するようになったか、進化か、それとも、創造か」 ⑤「アメリカの宗教右派」(飯山雅史、2008、中公新書ラクレ) 20
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