第六章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学

第六章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
1 進化し続けるための追加投資
そもそもディズニー哲学とは何か。ウオルト・ディズニーは家族全員が健全で一緒に楽し
めるファミリー・エンターテイメントの場所が必要だと強く感じていた。その場所はそれま
での、いわゆる遊園地とは全く違うものであった。その夢から発想し生まれたのがロサンゼ
ルスの巨大架空劇場のディズニーランドであった。 当初、 ディズニーランドはウオルト ・
ディズニー社とは別会社だった。 自分の夢を実現するための資金調達は非常に困難を極め
た。彼は自分の生命保険まで抵当に入れて資金をつくったのだ。ディズニーランドが完成に
近づいた時期、会社の幹部は、あちらこちらの遊園地から人集めをした。ウオルト・ディズ
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
ニーは幹部たちに、
﹁ここは遊園地ではない。ディズニーランドなんだ。われわれ自身が運
営するんだ。 重要なことは情熱であり、 精力的に学ぶことに意欲的な人たちだ。 間違いが
あってもいい。その間違いを糧に、ディズニーランドの運営に新しい方法を考え出せればい
いんだ﹂と言ってきかせた。ウオルト・ディズニーは自分たちの手でアトラクションを運営
し、維持していくべきだ、と考えていた。
遊園地のスリルだけが売りものでない、テーマ性のあるショーやアトラクションの企画・
運営を考えていたのである。それがディズニーランド成功の鍵だと信じていた。一方、ウオ
ルト・ディズニーは商品販売施設と飲食施設についてはテナント方式を考えていた。それは
それぞれの賃貸料の前金を期待していたからだ。当時、彼には資金の借入能力はほとんど無
かったし、銀行も遊園地建設の資金を融資しない時代だったからだ。しかし、商品販売施設
と飲食施設の賃貸は全てが失敗でしかなかった。彼らはウオルト・ディズニーが何を求めて
いるのか、全く理解できなかったからだ。彼らはそれぞれ、ばらばらに利潤追求を考え、サー
ビスの質を落とし値段をつり上げることだけを考えていたのだ。 そこでウオルト ・ディズ
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ニーはこれらの部門の運営を自分たちの手に取り戻すことにした。 ロサンゼルスのディズ
ニーランドでは、今日ほとんどの施設を自分たちで直接運営している。この方がディズニー
哲学・思想をサービス全体に浸透させ、そのことにより企業ブランド力と商品ブランド力を
つけることができるからだ。経営的にみて、利益はこのディズニー哲学・思想をサービスに
反映することから生まれるのだ。
﹁世界で一番すばらしい場所を企画し、創造し、建設する
ことは可能だが、 その夢を実現するためには人間が必要である﹂ というウオルト デ
・ ィズ
ニーの言葉はディズニーランドで働いた人間であれば知らない人はいない。彼は、ロサンゼ
ルスのディズニーランドのオープンの時から人材の採用には慎重を期し、優秀な人材を得る
ために、他のレジャー企業よりも高い賃金を払い、ディズニーランド哲学・思想をしっかり
身につけさせるために、 キャストの教育・訓練に極めて熱心だった。
今ではどのディズニー・テーマパークでも当たり前のこととして受け入れられているが、
ロサンゼルスのディズニーランドや東京ディズニーランドは他の施設と異なるユニークな性
格をもっている。それはキャストがコスチュームを着ていること、園内がすばらしい植栽風
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
景を創っていることである。これらの努力がなかったら、おそらくディズニー・テーマパー
クはもっと平凡な施設になっていたであろう。ゲストには、園内はきれいで、キャストはフ
レンドリーで、そして、ここが楽しく、安全なところだという気持を抱いてもらうことが大
切なのだ。ゲストが望んでいることを見つけ出し、それを提供すること、そしてそれをやり
続けていくということだ。
当時、一般的にアメリカの遊園地は、乗りもの毎にお金を払うシステムをとっており、入
り口で入場料をとっていなかった。ウオルト・ディズニーは、
﹁この事業を成功させるため
には映画と同じように入場料が必要なんだ。ここは遊園地ではなくディズニーランドという
新しい概念のエンターテイメント・ランドだからだ。大切なことは、入場料を支払ってもら
い、ゲストが帰る時に、充分にここで楽しんで頂けたかどうか、その次に彼らの支払ったお
金以上の価値を体験したと感じてもらえたかどうか、このことが大切なんだ。何故ならゲス
トはそのサービスの質に対してお金を払って下さるのだから﹂ と常々教えていた。 私たち
は、この考え方を当初から東京ディズニーランド運営のバイブルとしてきたし、その姿勢は
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今も変わっていない。だから品質の向上と維持、価格にはことのほか神経を注いできた。園
内の風船一つにしてみても、その価格を百円上乗せするだけで利益が倍になり年間の収益が
一億も一億五千万円も増える。しかし、私たちはゲストの常識的な許容範囲を尊重した価格
政策をとっている。
﹁常に適正な価格をつけて品質を高める、それによってゲストに提供す
るサービスや商品により良い価値を持たせて、たくさんのゲストの人たちに施設の利用を繰
り返していただく﹂。これこそウオルト デ・ィズニーが強く望んだ基本的な哲学である。ウオ
ルト デ・ィズニーは﹁ディズニーランドには常に新しいものを付け加え進化させていくべき
だ﹂と言っている。 現在でもアトラクションの中にはすばらしいものが幾つもある。 しか
し、その良さをさらに保ち続けるためには、時とともに新しいショーを追加していくことが
肝腎なのだ。それが今日のディズニーランドや東京ディズニーランドを創り上げてきたもの
であり、施設運営の基本である。ディズニーランドも東京ディズニーランドも典型的な都市
型リゾートのレジャー施設であり、日帰り圏内のゲストの人たちが多い。私たちのビジネス
は、リゾートの謂わばリピート・ビジネスである。ロサンゼルスのディズニーランドがオー
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
プンした一九五五年にはアトラクションは僅かに十八施設しかなかったが、現在では六十施
設を数える。東京ディズニーランドもオープンした時には、三十二施設であったが、現在で
は四十二施設である。さらにそれぞれ、将来についての中・長期計画をもっていて、今後も
二年から三年毎に主要なアトラクションを増やしていく予定だ。その増設の形は様々で、或
る時には新しいアトラクション施設であったり、或る時には園内の一つのテーマランドの丸
ごとのリニューアルであったり、全く新しいテーマランドの付け加えであったり、また入園
ゲストの割合に対して全体のスペースが足りなくなってくれば、新たなもう一つのパークを
追加するということもある。東京ディズニーランドに東京ディズニーシーをもうひとつ建設
したのもその一環で、 絶えず進化しているのだ。 この追加投資がゲストのリピートを引っ
張っているのである。
ウオルト デ・ィズニーは﹁ショーは初めから正しい形でゲストに提供しなければいけない。
そのためにはお金をつぎ込まなければいけない。そして投資の見返りは長い目で見なければ
いけない。このことがテーマパーク・ビジネスの成功のために最も大切なことだ﹂と信じ、
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それを実践した。ディズニーランド、東京ディズニーランドはこの伝統を継承している。投
資が中途半端なら開発をやるべきではないのだ。中途半端な開発で妥協してはならない、や
るからには必要なお金をかけて本物をつくることだ。そして予定を超えた投資をしたからと
いって回収を急いで価格を吊り上げてはならない。適正な価格で提供し、それによって多く
の人々の利用とリピートを増やせばよいのだ。それがファミリー・エンターテイメント・ビ
ジネスの正しいすすめ方であり、正しい収益への道程であり、それがディズニーの経営の基
本哲学なのだ。
レジャー施設の開発にはいろいろな失敗例がある。その原因をみると、逆にどこに事業の
成功の鍵があるかがわかることがある。これは欧米での事例であるが、莫大な資金を投入し
て立派な施設を開発したが、そこで資金が尽きてしまった。そこで企業は施設を維持してい
くために資金や経費が掛からないように、それからの設備の質を落とし、どこの遊園地にも
ある鉄製の乗りもの設備でその場をしのぎ、入園者数を増やそうとした。ところがだんだん
園内や施設の清潔さを保てなくなり、運営の質も低下し、一方では商品の価格を高くする悪
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
循環に陥って、結局、廃業への道を辿っていった。また別の事例では、ユニークなコンセプ
トで大規模な施設や綺麗な建物で開業したにもかかわらず、商圏を見誤ったために立地に不
釣合な過剰投資で行き詰まり、ついに品質やショーを低下させて失敗に至り、挙句に資産価
値が十分の一ぐらいに落ち込んで他企業の手に渡る無残な結果を招いた。またもう一つの事
例であるが、大都市の近郊という立地にあって、多額の資金をつぎ込んだにもかかわらず、
ユニークなテーマ性とビジョンがこの企業にはなかった。 しかも﹁施設の運営に当たる人
材﹂の重要性に気づかなかったのだ。そのために、折角多額の投資をしながら、ついに施設
の価値を生み出せず、事業的に失敗したのである。
これらの事例は欧米だけにとどまらない。わが国もまた決してその例外ではない。テーマ
パークの経営は常に大きな資金を必要とし、 この事業の成功のためには、 進化し続けるビ
ジョンとそれを実現するだけの投資と追加投資が必要だということなのだ。テーマパークの
建設の当初から必要以上に資金を切り詰め、品質を落とし、どこにでもあるアイアンライド
パークをつくっていたら、 それは失敗に終わることは明らかだ。 東京ディズニーランドは
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オープン後、毎年平均百億円の追加投資をし、一年半毎に一つ新しいアトラクションを増や
し、その累積投資額は当初の建設投資額に相当する。これを見ても継続投資が如何に重要で
あるかがわかる。夢を実現するためには、充分な投資と優れた洞察力が必要なのだ。このよ
うにウオルト デ・ィズニーの経営の基本哲学を通して、このビジネスの本質に気づき、私た
ち東京ディズニーランドが進化し続けることができたのだ。
2 お客様はわれわれのVIP
東京ディズニーランドの運営目標は、ゲストに夢・感動・ドラマの楽しい一日を安全、快
適に過ごしてもらうことにある。この目標達成のために運営基本理念として、ゲストに対す
る﹁礼儀正しい親切なおもてなし=サービス﹂がある。ウオルト・ディズニーは﹁全てのお
客様はわれわれのVIP﹂と接客理念を説いている。これは当然のことだが、入園者のいな
いところにショービジネスは成り立たない。だから、ウオルト・ディズニーはショービジネ
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
スにとってゲストは、私たちのVIPでありボスだととらえていた。
その姿勢は今日までディズニーのテーマパーク経営の伝統になっている。ゲストのすばら
しいパーク体験はキャストのサービスのほかに、アトラクション、ショー、食事、商品等、
オンステージ・バックステージを通した全ての要素がそれぞれ高い水準を保って、初めて生
み出されるものであるが、その中でも特に﹁キャストのおもてなし=サービス﹂が重要であ
る。東京ディズニーランドでは入園者の九九%は自分自身で行動し、自分で楽しんでいる。
これらの人に対するサービスは余り負担にはならない。 この人々には何よりも、 アトラク
ション、ショーをはじめとして飲食、商品販売施設等がスムーズに利用できるように、正し
い手順で安全にしかも効率的に対応することである。
何故なら九九%の人たちは﹁アトラクション・ショーを楽しむ時間を自分自身の享受能力
に合わせて買っている﹂からだ。そのために求めているものは、何よりもスムーズなアトラ
クションの利用と快適で安全な園内の回遊である。
実際にキャストの助けを本当に必要としているのは残りの僅か一%である。この一%のゲ
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ストは、興奮していたり、体調を崩していたり、お腹を空かしていたり、当惑したり、考え
込んだり、仲間と離れて不安に陥っていたり、或いは荷物やカメラをどこかに忘れて困って
いたり、時にはそのようなことが幾つも重なって困っていることもある。この一%の人たち
に対してゲストの立場に立った心のこもった親切、そしてゲストの直面する問題解決にチャ
レンジができるパーソナルタッチのサービスがわれわれにとっては最も大切なのだ。そのた
めにキャストは常に自分の周囲に注意の眼を向けて、ゲストのニーズを的確につかみ、こち
らから積極的に声をかけることができなければいけないし、ゲストの質問に正しく応えられ
るように、アトラクションやショーやレストランの場所、トイレの位置、営業時間といった
ことからショーの内容や販売商品の品揃えに至るまできちんと知っていなければいけない。
またキャストの挨拶はゲストとの触れ合いのすばらしい潤滑油である。﹁おはようござい
ます﹂、
﹁こんにちは﹂、
﹁ありがとうございました﹂。またお願いごとをする場合には、
﹁恐れ
入りますが﹂、
﹁申しわけございませんが﹂などのクッション言葉を使うと、後に続く言葉が
とても柔らかく響く。その時の、礼儀正しい言葉遣いや態度がゲストにとても良い印象を与
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
える。
園内で一日を過ごすゲストにとって、キャストとの﹁対話﹂も想い出に残る﹁心の触れ合
い﹂である。また、キャストの明るい笑顔が東京ディズニーランドのゲストの楽しさと夢を
さらに増幅する。東京ディズニーランドで一日過ごしているうちにゲストは様々な体験をす
るけれども、その中で最も心に残る大切なものが﹁人との心の触れ合い﹂、つまり﹁コミュ
ニケーション﹂である。それはゲストとキャスト、ゲストとゲスト、親と子、そして先生と
生徒などさまざまである。このすばらしい﹁触れ合い﹂、
﹁コミュニケーション﹂の体験ので
きるところがディズニー・テーマパークのすばらしいところだ。ゲストは東京ディズニーラ
ンドの中に足を踏み入れるまでに平均十五人ぐらいのキャストに触れ合う。また一日ゆっく
り楽しんで退園するまでには、およそ百人近いキャストと接する。パーク内は触れ合いの場
なのだ。だから、東京ディズニーランドのあの楽しい雰囲気は、ハッピーな気持ちになって
いる人同志の触れ合いが生み出しているものだ。
そして、 キャストはいつも、 車椅子のゲストには手を貸してあげようという気持ちがあ
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る。ゲストの質問には何時でも答える準備ができている。順番待ちで並んでいるゲストには
会話をしたり、 お子さんのお相手をしたりして待ち時間の苦痛を少しでもやわらげてあげ
る。家族の記念スナップにはシャッターを押すことを申し出る。このようにキャストはゲス
トの直面する問題解決を視野の中に入れ、自分の持ち場のほかにそのようなゲストに対する
気配り、心配りを自覚し働いているのだ。ゲスト一人一人のキャストから受ける経験の良し
悪しが東京ディズニーランドに対する気分をつくる。だからこそ人間的な触れ合いが大切な
のだ。
3 マニュアルを超える顧客サービスの実践
東京ディズニーランドが評価を高めた要素を三つ挙げるとしたら、一つはショーが非常に
ユニークなこと、二つ目は美しい景観と清潔なパーク、三つ目がキャストの接遇マナーのよ
いサービスである。 中でもキャストの接遇マナーは大事で、 ロサンゼルスのアナハイムの
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
ディズニーランドのマニュアルを基本としながらも、さらにきめこまかなサービスをするた
めにマニュアルに随分手を入れて来た。現在ではディズニーのアトラクションはどれも申し
分がないと思う。どこの国の人たちも楽しめる普遍性をもっているが、日本人ゲストとの良
好な関係を生み出すための接遇マナーについては、やはり日本の伝統的作法である﹁おもて
なしの心﹂を活かすことが、ゲストの顧客満足を高めると考えたからだ。もっとも、ディズ
ニーランドのマニュアルにも ﹁一期一会﹂ に近い巨大架空劇場のショービジネス用語があ
る。
﹁毎日が初演﹂である。言葉の本質は同じなのかもしれない。文化は互に交流させて新
しいものを生むという考え方を、かねてから私は大切にしてきたから、東京ディズニーラン
ドのサービスの中にも和魂洋才型が入っているのだ。 ただし、東京ディズニーランドには
ディズニーのテーマパークのマニュアルはあっても、 それは一つの基本を示すものであっ
て、実際の運営に当たっては、ここではキャストの個性が尊重される。
東京ディズニーランドでは、成人式の日などは晴れ着で来園するゲストがいるので、ボー
トに乗って水飛沫でお召し物を汚す恐れもある。そうした恐れのあるアトラクションや乗り
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物については、予め利用制限を決めてガイドブックに告知し、施設側に責任が生じないよう
にしておくのがアメリカのディズニーランド・マニュアルの考え方である。何かにつけて訴
訟の多い文化を持つアメリカの事前のトラブル回避策である。 しかし、私たちは一工夫し
た。
﹁晴れ着が汚れる心配があるなら、ビニール類で覆うなりして汚さずに楽しめるように
工夫することが先決ではないか。本当のサービスというものは本来絶対にリスクを負うべき
ものだ。リスクを負わなければ気持ちのよいサービスはできない。そのリスクに対する安全
を守って実行して、はじめてゲストに喜んでもらうサービスができる﹂。こういう立場で利
用制限をせず、運営の柔軟な対応で乗船に対処するようにした。この﹁リスクに対して安全
を守る﹂ということは、相手のゲストの幸せ気分と安全をひたすらに守るという運営キャス
トたちの自己の責務に対する純粋な使命感から出てきたものだ。ボートの乗船について、自
立歩行で乗れない場合、 ハンディキャップのゲストは利用制限を受けるというアメリカの
ディズニーランドのマニュアルもあったが、東京ディズニーランドではこれもリスクに対す
る安全を、運営をする私たちが守るという前提で乗船に手を貸してハンディキャップのゲス
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
トにボート体験を楽しんでもらえるようにした。そのような対応に変えたほうが日本人の感
受性や文化に合致する。安全を欠くことは絶対に許されないが、東京ディズニーランドに来
園する日本人の伝統的な慣習や価値観を踏まえて、ゲストの安全をしっかりと守れる範囲で
対応の幅を拡げたのだ。
サービスは結局相手に対する﹁思いやり﹂である。考えてみれば、これは機械文明の発達
と、戦後の高度経済成長期によって物質至上主義に走り過ぎてしまった結果、すっかり忘れ
てしまっていた日本人の美徳であった。﹁思いやりの心﹂をもつ企業は顧客を必ず満足させ、
従業員の志気と世間の評判を必ず高めることができる。この精神に支えられた顧客サービス
の実際を見て、アメリカのディズニー社のトップが﹁東京ディズニーランドはロサンゼルス
のディズニーランドの水準を越えた﹂と素直に評価してくれたのだ。東京ディズニーランド
のために書き変えた運営マニュアルと顧客サービスの方法は、その後アメリカのディズニー
社のテーマパークに逆移出して、 むこうのサービスの向上に役立っているのだ。
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4 万博とテーマパークのサービスの違い
サービスには特別な決め手や奇策といったものはない。一つ一つ本当に小さなことの積み
重ねではあるけれども、細かいことが積み重なると、その施設の従業員の人柄や、仕事に対
する態度、また企業であれば社会に対する姿勢、企業理念といったものがはっきりと表に出
て来るものなのだ。そして、ありがたいことにサービスの満足に対して人はリピートしてく
れる。顧客の﹁心﹂をつかまなければ、これからはどの産業のビジネスも成り立っていかな
い。面白い話がある。
筑波科学博覧会が開催されていた頃、同博のコンパニオンのリーダーが東京ディズニーラ
ンドへ見習い研修に来た。博覧会のコンパニオンや各施設の従業員は同博のために募集され
た素人の若い女性たち、または各パビリオンのスポンサー企業の社員であった。ほとんど、
サービス業の素人ではあるが、それなりに選ばれた人々で東京ディズニーランドで数日間の
実習をした。筑波博会場で苦労を積み接客サービスの難しさを肌で感じていた実習生にとっ
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
て、キャスト・サービス教育の行き届いていることに驚いたらしく、
﹁どうすればこのよう
にサービス意識を高めることができるのか﹂という質問があった。私は、
﹁皆さんは今年一
回限りでいいのでしょうが、私たちにとっては毎年同じゲストに来て頂かなければなりませ
んから﹂と答えた。筑波博は半年間一回だけの開催である。一度会場に見に来てくれる人た
ちを何人集められるかが目標になる。東京ディズニーランドはそうではない。一年に一千五
百万人の入園者があるということは、万博式で言えば、日本の全人口が全国から入れ替わり
立ち替わり来園しても、八年で後がなくなるということになる。東京ディズニーランドとし
ては同じゲストに何度も来てもらわなければならないのだ。つまりリピーターになってもら
わなければならないのだ。従って、来園したゲストに満足して帰って頂くことに会社の存亡
の全てがかかっている。トップは必死になってそのことをキャストに教え込む努力をしてい
る。
しかし万博のようないっときのアルバイトで、このことに生活のかかっていない人たちに
はなかなか腰の低い、ひたむきなサービスはできないのだ。私が、
﹁私たちはお金をもらっ
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ていますから﹂と言ったら、彼女たちも﹁私たちもいただいております﹂と言う。ところが
彼女たちの言うお金は、
﹁会社﹂からもらっている﹁お給料﹂の意味であった。私の言って
いるのは﹁ゲスト﹂にお金をいただいているという意味である。しかし彼女たちは、その認
識のギャップに気づいていない。われわれサービス業に携わる人間の頭には、
﹁お金を払っ
てくれるのは会社ではない、お客さまだ﹂という考え方が浸み込んでいる。だからこそ、腰
の低い、ひたむきなサービスができるのだ。それがプロフェッショナルというものだ。お客
さまでなく、会社が払っていてくれていると考えていた彼女たちに、お客さまに思いやりの
ある行き届いたサービスを望んでもそれはどだい無理な話なのだ。
東京ディズニーランド以前、日本ではサービスは商行為に付随しているものとして、それ
は飲食代の中に含まれているものであったり、商品の購入に伴う当然の行為であったりで、
それ自体に代価を払うという考え方は無かった。しかし、東京ディズニーランドはサービス
に価値を付加して、それ自体をビジネスにしたのだ。高い品質のサービスをすれば年一千五
百万人を超す集客につながる。これは日本におけるこれからのサービス産業のビジネスモデ
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第 6 章 ウオルト・ディズニーのテーマパーク経営哲学
ルになっていくものと私は思っている。日本ではレジャー産業をはじめとして、ホテル、飲
食業、小売り、流通、鉄道や、役所、病院、警察などといった公共的なサービスに至るまで
このサービスの大切さに気付き、その改善向上に一斉に努めるようになった。この変化に東
京ディズニーランドのサービス理念と実際が影響し応用されたと、私たちは考えている。先
にも述べたが、アメリカのディズニー社のテーマパークは、現在、顧客サービス教育、
﹁顧
客満足﹂教育のMBAクラスのスクーリングに利用されているのだ。
東京ディズニーランドのサービスの評判はゲストの口コミによって拡がったものである。
もともとサービスは広告で評判をとったのではなくて、﹁キャストが礼儀正しくて親切で、
とても気持ちがいい﹂ということを、ゲスト自身が周囲の人たちに伝えてくれたから拡がっ
たのだ。口コミは時間がかかるけれども、序々に根をおろしながら着実に拡がっていく信頼
性のある伝播方法である。逆に悪い評判はドミノ現象となって一気に下り坂を転げ落ちるよ
うに拡がっていく。 心しておかなければならないことだ。
私は現場にできるだけ立ち、﹁オンステージこそ東京ディズニーランドのマーケティング
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の最前線だ﹂とマネージャーやキャストたちに言い続けて来た。事実、入園者に減少気配を
感じ始めると、キャストのゆるみを肌で感じたものだ。私はゲストが減少すると、先ず﹁脚
下を照顧せよ﹂と説いた。
﹁ウオルト・ディズニーの経営哲学の原点に立ち戻れ﹂と繰り返
したのである。
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1 顧客満足度をリピート率で把握
東京ディズニーランドのゲスト ・プロフィール︵二〇〇一年度︶を概観しておきたい。
ゲストは首都圏を中心とした日帰り客が主体で、女性比率が圧倒的に高い。しかも二十代
∼三十代がその中心である。家族連れが同行形態の核になっており、通算来園回数︵リピー
ト回数︶二回目以上が九七%を占め、 十五回目以上も全体の三五%を占めている。
訪日外国人は全体の一・六%と意外に少なく、その九〇%は台湾、香港、韓国、その他東
南アジアが占める。 全体の一人当たり平均消費単価は現在、約九千五百円である。
ゲストの来園動機はショーとアトラクションにあるから、顧客満足度の指標の一つはアト
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第七章 テーマパーク運営の実際
第 7 章 テーマパーク運営の実際
同行形態別構成
通算来園回数別
友人
15%
家族・
家族と友人
57%
カップル
16%
通算来園回数
2回目以上
97%
その他
12%
今回が初めて
3%
首都圏
71%
18才以上
67%
女性
71%
地方
29%
17才
以下
33%
男性
29%
居住地別構成
年齢構成
性別構成
うち5回目以上 78%
ラクションの利用回数である。平均でみる
と一時間に一アトラクションを楽しんでい
るが、エリアから次のエリアへ、施設から
次の施設へ回遊する時間や、食事、ショッ
ピングに必要な時間もその中に含んでいる
ので、概ねこれを目安にしていけば、時間
的には無駄の無い一日を過ごして満足して
もらっていると考えてよい。全アトラク
ションの一時間当たりの収容能力は五万六
千人であるから、それに一〇%増の六万二
千人を定員として、それを守ればほぼその
満足基準を満たすことができる。一〇%増
の要因はパレードや各種ステージ・ショー
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第 7 章 テーマパーク運営の実際
の収容力を加味したもので、 例えば昼のパレードの観客収容力は二万五千人である。 東京
ディズニーランドの収容力の強みはシンデレラ城の広場を広くとってあることだ。パレード
のスケール感を圧倒的な迫力で観客席にせまるようにするためにも、 この広さが重要なの
だ。そして、なによりもこの広さによりパークの収容力の補強効果をあげることができる。
ゲストの平均滞在時間は八時間で、平均アトラクション体験は八施設であるから、定員制
度の狙いは実現できている。入園者数の比較的少ない二月、六月はアトラクション体験数が
増えてゲストの満足度は高まる。逆に入園者数が増える夏休み、春休みには施設側としては
大きな機会ロスが出る。しかし、この場合にも顧客満足度が下がらないように、逆に入場制
限をして定員制度を守ることにしている。東京ディズニーランドの運営で重視していること
は入園者数ではなく、あくまでも入園者の ﹁満足度﹂であり、リピート回数である。
ファミリー ・エンターテイメント ︵家族娯楽︶を基本理念とする東京ディズニーランド
は、常に子供を視野においた運営制度を敷いて、施設の安全性、健全性を守っている。子供
の利用できないもの、子供にとって好ましくないものは園内から排除している。酒類の販売
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を制度として禁止したのもそのためである。ウオルト・ディズニーは、子供たちが﹁遊びな
がら学ぶ﹂ことの大切さを主唱し、アトラクション、建築、植栽、デザイン、テクノロジー、
音楽などを素材に使い、子供たちのための学習プログラムのコースをつくり、子供たちの文
化体験として、学校教育に積極的に活用してもらうことをPRした。また、新しく施設をつ
くる時には、 初めから学校教育に活かせる要素を計画に組み入れた。 私たちもウオルト ・
ディズニーに学び、園内の建築、植栽、音楽などをプログラムの内容とした﹁先生のための
東京ディズニーランド野外学習ガイド﹂を製作して広く国内の小中学校に頒布し、子供たち
の校外学習コースのカリキュラムとして活用するように教育団体向けにPRしている。
日本では親子で遊園地や動物園など、野外レクリエーションに出かける時に、母親の手づ
くり弁当を一緒に食べることが楽しみの一つになっている。今では東京ディズニーランドの
﹁お弁当持ち込み制限﹂も制度として定着したが、当初は、
﹁アメリカの商業主義﹂などと批
判されたものだった。持ち込み制限は弁当持参そのものを否定したものではなく、食べる場
所から考えついたものだ。パークの入園ゲートの両サイドには水飲み場やベンチの備えてあ
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第 7 章 テーマパーク運営の実際
る緑に囲まれた快適なピクニックエリアがあって、弁当はそこで何時でも自由に楽しむこと
ができるようになっている。しかし、パークの中では日常生活から離れて非日常の晴れの祭
りの一日として、ディズニーの物語やテーマショーに身も心も浸ってほしいのである。その
時、
﹁おむすび﹂は余りにも日常的で、ディズニーの非日常的でファンタスティックな巨大
架空劇場のテーマショーの雰囲気には馴染まないのだ。
東京ディズニーランドは遊ぶ場所であるから衣類はカジュアルがいいし、ショーやライド
に乗るためにもその方が便利である。しかし、パークの雰囲気は一人のためのものではない
ので、お互いにテーマ性を阻害するような破天荒な身嗜みは控えてもらっている。例えば、
一時流行った原宿族のような奇異な身なりで来園した場合には、われわれの制度の趣旨をよ
く話して、その日の入園は遠慮してもらっている。服装の乱れはゲストが共有し合っている
秩序ある健全な園内の雰囲気にとって、好ましくないからだ。
ディズニー・テーマパークは、アトラクションとショーなどの娯楽体験のほかに、ゲスト
の心を満たす触れ合いとコミュニケーションを大切にしている。パーキングでも入園券売り
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場でも、園内のドリンク ・ワゴンでも自販機を使えば省力化につながることはわかってい
る。しかし、自販機は物を買ってもゲストに対して﹁挨拶﹂も﹁御礼﹂も言わないし、大切
なキャストとゲストのコミュニケーションを断ち、東京ディズニーランドのサービス理念を
崩してしまう。このようなパーソナルタッチの阻害要因になるものは設置しないことにして
いる。今まで、日本の遊園地や日帰りレジャー施設では、東京ディズニーランドのような規
制やルールは運営ポリシーに無かった。規制やルールの基準と根拠は﹁皆のために﹂、即ち
﹁ゲストみんなのすばらしい体験のために﹂ から考え出したものなのだ。 その明解なポリ
シーがゲストの信頼感になっている。
ゲストの来園動機は、順に﹁家族・家族と友人と一緒に楽しみたい﹂
﹁アトラクション・
ショー・パレードを楽しむ﹂﹁キャラクターに会いたい﹂﹁ショッピング・食事を楽しみた
い﹂
﹁園内の雰囲気を楽しみたい﹂などであるが、この中で最も高いのが﹁家族・家族と友
人と一緒に楽しみたい﹂という動機である。この来園動機別から、
﹁家族・家族と友人と一
緒に楽しみたい﹂ということが動機の発端で、次にその目的地として東京ディズニーランド
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第 7 章 テーマパーク運営の実際
を選択する、 というプロセスに読みとることもできるが、 他方﹁家族娯楽﹂ の東京ディズ
ニーランドのPRが効いて、 このような結果になったともいえる。
ウオルト・ディズニーは、
﹁私にとっての唯一のもの、最も重要なものは家族入園者であ
る。ディズニーランドでのいろいろな体験を媒体として家族を一つのものにしたい。そのよ
うな楽しみを家族に提供することが、私たちのビジネス全体の中心でなければならない﹂と
語っている。これがテーマパーク経営の基本哲学であり、ファミリー・エンターテイメント
経営の原点である。東京ディズニーランドのゲストの多くは家族で来園し、ディズニーのエ
ンターテイメント体験を通して﹁夢・感動・ドラマ﹂を家族で共有し、それによって﹁家族
のコミュニケーションが弾む精神的な豊かさ﹂
﹁心の豊かさ﹂を楽しんでいるのだ。私はこ
の東京ディズニーランドの情景をじっと見て、ロサンゼルスのディズニーランドを五十年前
に建設したウオルト・ディズニーが、
﹁体験の共有によってコミュニケーションを潤し、そ
れ故に家族の絆を強めることのできる家族娯楽の世界﹂が、日本においても、また世界にお
いても到来することを見越していたことに畏敬の念を抱いている。
159
2 オンステージ﹁明確な運営ポリシー﹂
一方、オンステージとバックステージでは、毎日、アトラクションとショー、ゲストサー
ビス、食べ物、商品その他、ディズニー・テーマショーの経験に応える全ての要素の品質管
理に膨大な作業をしている。そして、一つ一つの要素の品質が一律に高い水準に保たれてい
る時に、初めてゲストにそのような﹁すばらしい体験﹂をしてもらえるのだと皆信じて汗を
流しているのだ。
ゲストの体験は全てオンステージに集約される。東京ディズニーランドの全アトラクショ
ンの年間利用者の合計は一億一千万人︵二〇〇一年度︶である。ビックサンダー・マウンテ
ン、スペース・マウンテン、スプラッシュ・マウンテンといったスリルライドのほか、さら
にカリブの海賊、イッツ・ア・スモール・ワールド、ホーンテッド・マンション、ジャング
ルクルーズ、プーさんのハニーハントなどのアトラクションの人気に、まずなんといっても
東京ディズニーランドの魅力の強さがあると私は思っている。四十二のアトラクションのほ
160
第 7 章 テーマパーク運営の実際
かに、パークワイドのショー、例えば昼と夜のパレードのゲストコントロールなど、オンス
テージのアトラクション ・ショーの運営 ・接遇は全てオペレーション ・キャストが手掛け
る。運営サービスはマニュアルによっておこなわれているが、このマニュアルは東京ディズ
ニーランド用に改良したものである。
アメリカ側はマニュアルは作業基準を示したものであるから、その通りにやることが正し
いマニュアルの使い方だと認識している。一方、私はマニュアルは、基準としてそれ以下で
あってはいけないが、それ以上の水準を目指すことについては制限をしないことにした。こ
のために日米のサービスの差異に歴然としたものが生じたのだと思っている。 例えば、ス
ペース・マウンテンの発車間隔であるが、ロサンゼルスのディズニーランドでは三十秒間隔
で九台の走行、東京ディズニーランドでは二十秒間隔で十一台の走行で、同じ機械を使って
いてもこれだけ運営能力に差があった。これによる待ち時間と収容能力の差は明白である。
アメリカのディズニーランドは、マニュアルに﹁書いてある通りに行う﹂という固定観念に
縛られていたからだ。私共はゲストサービス改善のために、乗降時間を短縮し、
﹁マニュア
161
ルを上回るパフォーマンス﹂をあげることを選んだ。マニュアルは常に改善すべきものなの
だ。従って、ボート類の発車間隔もそれぞれのアトラクションで効率改善し、待ち時間を短
縮している。またアメリカのディズニーランドではジャングルクルーズのトリップタイムを
スキッパー︵船長︶の勘に頼っていたが、東京ディズニーランドではトリップタイム計器を
発案してボートに取り付け、スキッパーがこのタイム計器に従って正確な運転時間を守って
いる。このことにより常にボートは等間隔が維持され、ショーを正確な時間と正しい形でゲ
ストに提供することができる。
アメリカのディズニーランドではゲストが万が一、園内で発病し倒れたような場合には、
その身近にいる運営キャストは救護所に通報するのみで、医師・看護婦が到着するまで病人
に手を触れてはいけないことになっていた。資格の無いキャストが手を触れることで因果関
係を問われることになりかねないからである。 東京ディズニーランドでも、 はじめディズ
ニーランドから来た現場の担当はマニュアルに書いてある同じ方式に固執して譲らなかっ
た。しかし、日本の場合には、仮に放置して対応が遅れた場合、逆に不作為の責任を問われ
162
第 7 章 テーマパーク運営の実際
かねないし、また、周囲のゲストから﹁身近にいるキャストが何故直ぐ介助の手を差しのべ
てあげないのか﹂ときびしい叱責を浴びることになる。そこで私は、東京ディズニーランド
では一刻を争う事態には医師・看護婦が到着するまでの間、必要に応じて運営キャストの適
切な初期対応ができるように運営キャスト、セキュリティー・キャストに日本赤十字の救急
救命講習︵介助クラス︶を受けさせ、人工呼吸と心臓マッサージの技術実習を繰り返し、資
格を取得させて、適切な対応援助ができる態勢を備えた。これは、ディズニーランドから来
た現場の担当と議論するよりも、キャストに資格をとらせればディズニーのマニュアルにも
整合する一石二鳥の措置だった。東京ディズニーランドは一つのテーマパークではあるが一
つの都市経営・運営だと考える私の立場からすれば、何時の場合にも災害の発生、救急対策
に備えることは必要なことで、これも結果的にサービスとして非常に良い措置だったと思っ
ている。開園二十年を迎え、ディズニーランドにディズニーシーを加え、全域を東京ディズ
ニー・リゾートと呼ぶようになった今、さらに拡大した都市経営、運営の質の高い理論と方
法を迫られているのだ。
163
障害者のアトラクション体験にも同じことがいえた。原則として手を貸さない、というの
がマニュアルのオリジナルであったが、これも弱者には手を差しのべるという日本の国民性
や感性に悖︵もと︶る行為だと考えて、東京ディズニーランドでは安全な体験ができるよう
に積極的に手を貸すようにした。
本来、マニュアルは作業を基準化し、ムラのないサービスを提供するためのものである。
その基本的な考え方はディズニーランドも同じであるが、アメリカのディズニーランドと東
京ディズニーランドの違いは、 アメリカのディズニーランドはマニュアルを基準とする
﹁サービスの制度的標準化﹂であり、これに対し東京ディズニーランドはマニュアルによる
﹁サービスの制度的標準化・プラス・キャストの自分らしさの表現﹂だと思っている。一般
にマニュアルサービスを揶揄する例として、ファーストフード・ショップがよく引き合いに
出される。台本が決まっていて次の応答が出て来るようでは機械的で面白くない。型にはま
らず、一人一人が瞬時に判断できることがわれわれのサービスにはなんとしても必要だ。良
いサービスは、一人一人がその場に即した臨機応変に対応できるしなやかさを必要としてい
164
第 7 章 テーマパーク運営の実際
るし、 またそういうチームづくりが重要なのだ。
私はマニュアルの有効性を充分に認めてのことだが、実はマニュアルに無い部分にもっと
大切なことがあると思っている。それは、マニュアル止まりではなくて、キャストが自分ら
しいサービスの向上に取り組んでいける職場風土にすることだ。ここが一番大切なことで、
これができればマニュアルの価値を何倍にも活かすことができる。このような現場のサービ
スの積み重ねが東京ディズニーランドの顧客満足のレベルをあげたのだ。
日本興業銀行の菅谷隆介さんが、東京ディズニーランドのオープン後に東京ディズニーラ
ンド経営に強い関心を寄せ幾度となく来園されたことがあった。私はそのたびによく運営の
質問を受けた。
﹁上澤さんは聞くところによると、 ディズニーのマニュアルを使うためのマニュアルを
作って使っているんだそうですが、それは本当ですか﹂
﹁そんなことはありません。ゲストの関心は常に変化している。リピートをしていくうち
165
にどんどんゲストの目線が高くなっていくので、これに対応したより高いサービスを目指し
て、水準の向上に取り組むことにしている。同じことをやっているだけではゲストの満足度
がだんだん低下していく。変化するゲストの満足に対応して、マニュアルの原点を見失わな
いようにしながら、 新しいサービスの領域を積極的につくり出していくことが必要です。
サービスは品質が高ければ高いほど、 そのサービスの利用者は増えてくるのです﹂
私はこのように返答した。
3 マーチャンダイズもディズニー ・テーマショー
商品、飲食事業の直営方針を確立するまでにはいろいろな試行錯誤があった。オリエンタ
ルランドは、ディズニー社がディズニーの版権管理のためにつくった日本の現地法人ウオル
ト・ディズニー・エンタープライズ株式会社︵以下WDE︶の横山松夫社長を通して、アメ
リカのディズニー本社に商品販売事業運営の委託を打診したことがあった。WDEは、日本
166
第 7 章 テーマパーク運営の実際
におけるキャラクター著作権許諾︵版権ライセンス︶管理会社である。当時、WDEはライ
センス契約社数を八十九に絞って、ハイクオリティ重視政策をとり、日本市場におけるディ
ズニー・キャラクター商品の価値を守っていて、その商品政策には高い評価があった。私た
ちの打診に対して、横山社長は即刻ウオルト・ディズニー本社に東京ディズニーランド商品
店舗運営会社設立について働きかけをしたが、ディズニー本社からその意志は全く無いとの
回答を受けた。結局、商品のアイテム数が多くて直営では調達の困難が予想されたワールド
バザールの文房具雑貨の店舗を、WDE傘下のライセンシーでつくった会社に委託し、その
立ち上げをサポートしてもらうことになった。それによって初期の私たちの力不足を補って
もらったが、この店舗は現在、完全な直営制に切り換え、それまでの路線を踏襲し順調に運
営を続けている。
また、商品事業の商品開発は、東京ディズニーランドのスポンサー企業の百貨店に協力を
依頼し、同社から数名の出向者のバイヤーを得て購買部門をつくり、 その百貨店のネット
ワークを利用して食料品︵菓子類︶、衣類、家庭雑貨などの調達をすすめた。当時、有名百
167
貨店の﹁のれん会﹂に出店していた優良菓子メーカーが、東京ディズニーランドのオープン
の時から納品してくれたのは、この百貨店の信用のお蔭だった。当時の遊園地で販売されて
いた商品から見ると、東京ディズニーランドの品揃えは水準が高く画期的なことであった。
実績の全くなかった東京ディズニーランドの申入れだけでは、ここまでの取り引きには応じ
てもらえなかったのだ。しかし、今、考えてみると百貨店に依存した商品開発は東京ディズ
ニーランドの立ち上げには品揃えでプラスになったが、他方自力の商品開発能力が立ち遅れ
るというマイナスにもなった。これは大きな課題であった。
ディズニー・テーマパークではマーチャンダイズもディズニー・テーマショーの一部で、
それをマーチャンダイズショーと呼んでいる。マーチャンダイズショーの基本は、売ること
よりも、ゲストにお店を楽しんでもらうことを重視している。見て楽しんでもらって購入し
てもらうことである。一時、百貨店が﹁百貨店の競争相手は東京ディズニーランドのような
新しいタイプの小売業だ﹂と認識を改めたことがあった。そして百貨店も東京ディズニーラ
ンドのように﹁ファンタスティックな劇場化運営﹂が必要な時代になったと視察や調査が相
168
第 7 章 テーマパーク運営の実際
次いだ。東京ディズニーランドでは商品の値札は表︵おもて︶に出さないようにしている。
誰にも購入できる価格だからである。 東京ディズニーランドでは決してハードセルをしな
い。安全が最優先であるから子供が手を傷つけたり、投げ合って傷をつけたりすることがな
い商品づくりを第一においている。価格は一般市場と同水準かそれ以下を設定基準にしてい
る。このように商品政策にもいろいろと独自のものがある。
東京ディズニーランドをオープンした当時、うれしい誤算があった。一人当たりの平均商
品販売単価が予想の千五百円をはるかに越して二千五百円だったのである。WDEのローカ
ル・ライセンシーが国内向けディズニー商品を販売していた関係で、東京ディズニーランド
のキャラクターのぬいぐるみ商品はそちらへ発注していた。ミッキー、ミニーやドナルドを
はじめとしたキャラクターの﹁ぬいぐるみ商品﹂や陶器製のキャラクター・フィギアリンが
毎日午前中で棚から消えてしまうので、 商品部のバイヤーも納品のベンダーも大騒ぎだっ
た。陶器製のフィギアリンは、当時、WDEのライセンシーの瀬戸のメーカーがアメリカに
輸出していたものを東京ディズニーランド用に造ってもらったものである。出向のバイヤー
169
は何度も瀬戸に走る始末であった。一方、キャラクター商品ではないノンキャラクターの高
級な西洋人形や置き物なども陳列したが、 そのようなものにはゲストは全く見向きもしな
かった。東京ディズニーランドの商品づくりのキーワードは﹁東京ディズニーランドの夢を
感じる商品﹂
﹁東京ディズニーランドの心を感じる商品﹂で、ゲストの関心は市中の流行品
とは基本的に違っていた。
東京ディズニーランドのマーチャンダイズは売上げ全体の六〇%強をワールドバザールが
占め、且つ全売上の九〇%をキャラクター商品が占める。商品は、店舗によってディズニー
のテーマショーに拠るテーマ・マーチャンダイズが重視され、商品を売ることよりも、そこ
に商品を置くことによって、 そのエリアのテーマ性を高めることにあった。 ニューオリン
ズ・スクゥエアーの金・銀・銅製品を扱う﹁トレジャーチェスト﹂は、海賊が略奪してきた
﹁掘り出しもの﹂を売るというコンセプトだし、ウエスタンランドの﹁ウエスタンウエアー﹂
には、 ウエスタンハットやブーツ、 ジーンズなど開拓時代の衣料、 装身具などを置いてい
る。ウエスタンランドでは、本当の西部を求めて、アメリカの店舗でも到達できないほどの
170
高水準の品揃えをしていた。
マーチャンダイズ ・キャストは、 そのような店舗で働きながら、 純粋な気持ちでディズ
ニー魂を吸収し、プロフェッショナルに成長したのである。百貨店からのベテラン出向バイ
ヤーたちもディズニー ・マーチャンダイズのコンセプトに引き込まれて、 のめり込んだの
だ。この結果、 東京ディズニーランドのマーチャンダイズが短期間のうちにアナハイムの
ディズニーランドをはるかに越えることができたのである。
東京ディズニーランド商品はおよそ五〇%がレギュラー商品と呼ばれるロングセラー商品
で、三〇%がクリスマスやニューイヤーズ・イブ、周年記念などの短期間のイベント商品、
二〇%が新製品の構成である。人気商品はキャンディー、チョコレート、ぬいぐるみ、文房
具雑貨などで、 新製品のアイテム数は毎年七千を超える。
マーチャンダイズもディズニー・テーマショーの大切な一部として、それぞれのショップ
と魅力をリニューアルしている。その中・長期的スケジュール・プランが常に準備されてい
171
︵例えばレイアウト・内装など︶が適切なサイクルで若がえりを図り、ショーとしての鮮度
第 7 章 テーマパーク運営の実際
なければならないのだ。ショップの装いと、商品開発力と、キャストの三要素がマーチャン
ダイズの魅力を生み出す条件で、どの条件が欠落しても上手くいかない。経営は決して後手
に回ってはならないのだ。商品販売事業はオリエンタルランドの経営上重要な収益部門であ
る。
次に飲食について見ることにしたい。二十七施設を一ヶ所で同時にオープンする規模は日
本では前例のないことであった。しかし、この分野の当社の専門家とスタッフが時間的な制
約を受けながらも順調に立ち上げることができた。 レストランの基本設計はアナハイムの
ディズニーランドを参考にしているが、 メニュー開発の具体化、 食材の絞込み、 セントラ
ル・キッチンの規模の検討、各レストランの厨房の実施設計は、飲食部門のスタッフが同時
進行ですすめた。スポンサー企業の商品化した食材の利用についての調整や、業務用のカッ
ト野菜などもまだ無かった時代で、その材料づくりをどこまで現場でやるか、それともベン
ダーから調達するのか、または振り分けるかなども、一つ一つのキッチンの規模設定に関係
してくるので大変な仕事だった。入園者数の予測が五千人狂うとオンステージの店舗では全
172
第 7 章 テーマパーク運営の実際
く対応できない。そのような緊急事態の場合には、セントラル・キッチンで仕込んでいる翌
日のための調理品で対応することにした。この柔軟な対応の効果は実に大きかった。即座に
三千人分、 五千人分の食品はどこに外注しても間に合わせてくれないからだ。
東京ディズニーランドのオープン当初、最も苦労したことは、食べものの全体のボリュー
ムがつかめないことだった。ロサンゼルスのディズニーランドから開業支援に来ていた担当
者が持って来たデータを基に、各レストランの食べものの出数を予測して当日の準備をした
が、オープンしたばかりの東京ディズニーランドは、日本人にとって全てが珍しくて、どん
な食事が出てくるのかということでゲストが各レストランを食べ歩くので、喫食数が毎日
ロサンゼルスのディズニーランドの実績を遥かに上回ってしまい、出数予測を根本からやり
直さなければならなかった。テーマ性のことがあったので、各レストランのコンセプトはア
メリカ側で決めたが、メニューの具体化は私どものところにプロフェッショナルが揃ってい
たので一任してくれた。ウエスタンランドの﹁ハングリーベア・レストラン﹂は、アメリカ
側の最初の計画ではハンバーガーだったが、同じメニューは他にもあるのでカレーライスに
173
変更した。ピザは元々アメリカのディズニーランドにあったものだが、向こうのものは一人
前六インチの小型ピザで、食べる時には端が硬くなって味が落ちてしまうので、焼いたあと
でも硬くならないで味落ちしない八人分十六インチ︵八分の一カット用︶を採用することに
した。フードサービスもテーマショーの一要素であるから、ニューオリンズの﹁ブルーバイ
ユ・レストラン﹂ではシーフード中心のメニュー、ワールドバザールの﹁イーストサイド・
カフェ﹂では肉中心のメニューなど、それぞれのテーマに合わせたものを提供している。ま
た食器類もそれぞれのテーマに合わせてデザインをし、焼かせてつくったものである。
東京ディズニーランドは多メニュー、大量供給のフードサービス施設だっただけに、想像
以上の苦労があったが、原価管理、発注システム、店舗売上管理、部門収支のシステム構築
もいち早く完成して予定通り事業を軌道に乗せることができた。東京ディズニーランドオー
プン以来二十年間、無事故︵中毒など︶で現在に至っている。この無事故の継続こそ飲食事
業部門にとっては最も大切な課題である。
174
第 7 章 テーマパーク運営の実際
4 オンステージの生命線 ﹁使命感と情熱﹂
東京ディズニーランドはオープン以来ゲスト数が増え続けている。ゲストに満足してほし
いという気持ちでキャストが一生懸命やっている。その姿にゲストが胸を打たれリピートし
てくれた。キャストはまたそれによく応えた。サービスの品質は、キャストとゲストの相互
の影響によって高まるものなのだ。それにはサービスを提供する側とされる側が﹁満足を共
有している﹂ことが大切である。そこに文化が生まれ、その文化が東京ディズニーランド文
化にまで高められて人を引きつける魅力になるのだ。ゲストの満杯が続くとキャストの心に
ゆるみが生じ、サービスのレベルが落ち始める。そういう意識がおきないように常に誠心誠
意仕事をするように動機づけることが重要だ。それがサービス・ビジネスのマネジメントの
課題である。人間は仕事に慣れると、どうしても気がゆるみがちになるし、また、東京ディ
ズニーランドの安定した経営状況しか知らないキャストにはそこに甘えが出る可能性もあ
る。そうなると東京ディズニーランドはゲストに見捨てられることになる。東京ディズニー
175
ランドの経営が失敗する原因の一つになるものがあるとしたらそこだろう。一万人を超える
キャストを率いるリーダーは、報酬のためだけでなく、ウオルト・ディズニーのテーマパー
ク経営哲学を理解し、使命感を持って自己犠牲をいとわないで仕事に取り組むことが重要な
のだ。 なによりも指導力には使命感と情熱が必要なのだ。
5 バックステージの生命線 ﹁品質と安全﹂
ゲストの遊ぶ表舞台を裏から支えている背後作業のキャストもたくさんいる。特に、整備
作業や清掃作業の人たちで、これらの仕事は園内の﹁品質と安全﹂を守る生命線である。ど
の仕事も夜通しで行われ、東京ディズニーランドオープン以来、その作業の手を止めたこと
がない。二十四時間、そして三百六十五日、二十年間、休むことのない都市のようなもので
あった。東京ディズニーランドは年間の入場者数から見ると、人口五万人規模の都市に匹敵
する。機能面から見ても、警察を除き、銀行・郵便・病院・宅配便など都市運営の基礎的な
176
機能をほとんど備えている。この都市生活のインフラ整備や、生命線の確保のほか、特に表
舞台のショー・ライドやアトラクション四十三施設、商品販売六十施設、飲食五十三施設な
どの百五十を超える施設や設備の保守、点検、整備、改修をはじめ、全域にわたる植栽管理
をも含め、 その仕事に当たっているのが整備作業である。
さらにキャストはアトラクションを正常に稼動させ、ゲストの﹁安全﹂を守りムリのない
ションのショー ラ・イドの正常な運転と乗り降りの安全確保が重要なのだ。東京ディズニー
ランドのショーや乗り物の整備条件が一般の遊園地と根本的に違うところは、利用人数と運
転回数が桁違いに多いということである。従って、
﹁安全性﹂を維持できるようにショー ラ・
イドは計画準備段階から構造計算、 システム設計等に至るまで、 必要条件を組み込んでい
る。その上で運営の﹁安全﹂を守るために、キャストによる日常整備作業の役割が欠かせな
い。
東京ディズニーランドの整備作業は予防整備作業を基本とした作業プログラムに基づい
て行っている。予防整備作業とは悪いところを修復するのではなく、悪いところが発生しな
177
﹁収容力﹂ の最大化を図らなければならない。 それにはゲストが楽しみに訪れるアトラク
第 7 章 テーマパーク運営の実際
いようにするための予防を目的とした作業のことである。アトラクションの中にはスリリン
グな乗り物も少なくない。もしここで生命にかかわる事故が生じたら、取り返しのつかない
ことになる。現在の日本で原子力発電、食品といった大企業の整備作業に問題が多いのは、
予防整備作業の精神と実際が欠除しているからだと思う︵閑話休題︶。
乗り物の整備作業は一台一台の乗り物に四段階の多重式の整備作業プログラムが適用され
ている。
・第一段階⋮⋮閉園後に夜中を通して、毎日実施される日常点検整備。
・第二段階⋮⋮現場工場で実施される週間点検整備。
・第三段階⋮⋮現場工場で実施される月間点検整備。
・第四段階⋮⋮整備工場で毎年一回、一ヶ月半乃至二ヶ月かけて実施される分解整備と
非破壊検査等の年次検査整備。
検査整備終了後に数日間の走行テストを経て、ライドの安全性確認後に運
178
第 7 章 テーマパーク運営の実際
転へ配置。
つまり、乗り物は一年に一回、必ず分解されて新しく再生されるが、その過程で実施され
るそれぞれレベルの異なる三段階の点検整備の時に、機能や構造、部品に対する多重・多角
的点検が実施され、すべての部品を耐用期間の七〇%で交換している。部品は耐用期間の末
期に入ると欠損や緩みなどによる不具合の原因をつくりやすいからだ。日本ではあのバブル
経済の時、安易なテーマパーク・ブームが起きたが、パークの運営にはこれくらい細心の安
全管理が必要だということを、どれだけ関係者が自覚していたか、私はこのことが大きな問
題だと思っていたのだ。 それゆえにトヨタの豊田章一郎社長が東京ディズニーランドを訪
れ、私の説明に ﹁飛行機のジェット機と同じようなメンテナンスの思想でやってるんです
ね﹂と感想を述べてくれた時に、同行した江戸英雄さんもその話を聞いた坪井東さんもみな
東京ディズニーランドのプロジェクトのすばらしさを認めてくれたようであった。 私たち
は、二十年間この信念と整備作業を貫いてきたので無事故を守ることができたのだ。無事故
という奇跡を、 用意周到で懸命な努力で成し遂げてきたのである。
179
ウオルト・ディズニーはアナハイムにディズニーランドを架空の巨大劇場コンセプトで構
想した時、 環境デザイン、景観デザインのランドスケープのあり方に工夫をこらした。
﹁私はゲストがパークにいる間は、彼らが日常生活をしているようなところは見ないよう
にさせてあげたい。私は彼らが全く別の世界にいるように感じてもらいたい。﹂
このようなランドスケープの視点から東京ディズニーランドをみると、首都圏の中にあっ
て日常の生活環境と全く違う環境、景観をデザインすることであった。
﹁この雰囲気はここ
にしかない﹂ という祝祭空間としての自己完結性を持たせることであった。 従って、東京
ディズニーランドは園内が外界から全く遮断された世界を構成しているのだ。ゲストは自分
が浦安という町にいることを意識しないし、日本にいることすら忘れてしまっている。それ
はゲストの視界のなかから日常性が遮断されて、ディズニーのファンタジーの世界に現実に
自分が存在していると自覚できるようになっているのだ。
さらに舞台の景観重視は園内全域に及んでいる。ワールドバザール、アドベンチャーラン
ド、ウエスタンランド、ファンタジーランド、トゥモローランドの領域はそれぞれのテーマ
180
第 7 章 テーマパーク運営の実際
性に基づき、樹種と色彩とデザインの配慮をしている。それによって一つのテーマランドか
ら次のテーマランドへ、 ゲストの感情の転換と移入を自然にできるように配慮しているの
だ。ウエスタンランドの植栽は、あたかも野草が自然のままに繁っているような植え込みに
し、西部の荒野に相応しい野趣に富んだ雰囲気を醸し出している。トゥモローランドは幾何
学的で鋭い切り込みの植栽デザインにし、未来を指向している。
また、環境、 景観の雰囲気は色彩一つで大きく変化する。 ワールドバザール、 アドベン
チャーランド、ウエスタンランドなどに使っている色彩技術は、環境景観をみごとに表現し
ている。映画のセットのように立ち並ぶ様々な建物、例えば、カリブの海賊のアトラクショ
ンの港町からアフリカのマーケット、熱帯地方の小屋、そしてアメリカ西部の素朴な家並み
に至る光景を、制約された狭いスペースの中に融合させ、調和させ、非常に美術的である。
この色彩を維持する塗装作業は、時としては夜中に照明を利用しながら行うこともあるが、
通常は毎日早朝から開園までの時間を縫って、職人たちの筆画きに依っている。
清掃作業も東京ディズニーランドの﹁品質と安全﹂に深い関わり合いを持つ。ウオルト・
181
ディズニーがアナハイムにディズニーランドをつくるという話を妻のリリーに最初にした
時、彼女は﹁遊園地のように汚れている施設をつくるのは止めてほしい﹂と言って計画を制
止した。ウオルト・ディズニーは、
﹁私のつくる施設はチリ一つ落ちていない美しくて清潔
な施設で、それはこれまでに無かった全く新しいものだ﹂と説明した。美しくてチリ一つ落
ちていない清潔なパークはディズニーのテーマショーの品質を守る大事な要素であり、その
ために清掃作業の役割は大きい。どうしたら清潔なパークが保てるのか。ウオルト・ディズ
ニーは﹁園内を何時も清潔にしておけば、お客は汚さなくなる﹂という信念を抱き、事前の
清掃に力を注がせた。それが翌朝の開園までに行う夜間清掃である。
6 バックステージのキャストの苦労
東京ディズニーランドの園内の昼間の清潔感の七〇%は夜間清掃作業によって果たされて
いる。われわれがナイト・カストーディアルと呼ぶ事前清掃である。白いコスチュームで甲
182
第 7 章 テーマパーク運営の実際
斐甲斐しく働く昼の若いカストーディアルが、 メディアからよく脚光を浴びることが多い
が、
清潔感の主役はむしろゲストの眼に触れることのない夜のカストーディアルの役割なの
だ。東京ディズニーランドの一日の運営が終わって、夜中の十二時近くになると出勤してく
る二百五十人の集団がナイト・カストーディアルである。彼らは一日の運営が終わった園内
全体を、ホージングという水圧ホース技術で洗い、埃や汚れを吹きとばして建物や路面を翌
朝の開園までにきれいにする。十五メートルないし二十メートルの長さの水圧ホースは相当
の重量なので、彼らは放水の方向性を制御するために自分の身体にホースの先端を幾重にも
巻き付けて固定し、踏ん張って移動をしながら作業をすすめる。特にこの作業は木枯らしの
吹く真冬の季節には身体が凍るほどの重労働である。しかし一年を通して一夜たりとも手抜
きのできない大事な作業なのだ。彼らの清潔衛生基準は﹁路面に落ちている食べものを小児
が拾って口に入れても衛生上何ら問題のない清潔さ﹂ の徹底ぶりである。﹁品質﹂の追求
に対するこだわりの凄まじさだ。朝四時ごろになると彼らの一部の手で蒸気機関車の清掃作
業も始まる。このような努力の継続により、東京ディズニーランドに美しさを維持している
183
のだ。
当初、お弁当を持ち込めない、英語表示が多過ぎるなど、ゲストの不満が後を絶たなかっ
た。しかし、東京ディズニーランドオープン当時、
﹁すばらしい﹂とゲストが感心したのは
園内にゴミが見当たらないことであった。 園内の運営時間中の昼間清掃作業のデー ・カス
トーディアルは、早番が開園の一時間半前から働き出す。路面の水溜りを掃き、ベンチを磨
き上げ、水飲み場を消毒し、手すりについた夜露を一つ一つ根気よく手で拭う。園内の四百
三十箇所に置かれているゴミ箱のてっぺんまでピカピカにする。準備作業を終え、いよいよ
開園時間を迎える。ここまで清潔にしておけば昼の園内の清掃はゲストの落とすゴミを探し
ながら処理していけば一日の清潔は維持できる。 ミッキーマウスが踊っていても、 ステー
ジ・ショーが上演されていても、彼らや彼女たちは、箒とちり取りを両手に持って無言で人
波の中をきびきびと動く。デー・カストーディアルの数は約三百十人。その過半数は屋外や
ゲストがアトラクションを待つキューエリア、レストルームの清掃を受け持っている。ゲー
トが開いてゲストが入園し運営が開始すると、およそ二万平方メートルの区域を五人ほどの
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グループで受け持つ。ダスト・パン︵ちり取り︶、トイ・ブルーム︵箒︶、クロス・タオル
アルの携帯する清掃の五つ道具である。
受け持ち区域をおよそ十五分で一周する。二時間動いては十分休む。アイスクリームのよ
うなものが落ちていると、ペーパータオルを上からさっとかけて靴の先でキュッとこすり取
る。これも一つの技術なのだ。腰をかがめないのは、目を先に奪われて園内を走っている小
児たちが突っ掛かって転倒し、怪我などさせないように﹁安全﹂のためである。ベテランに
なるとちり取りを後ろ手にもって、 箒を両足の間からくぐらせて掃く。 これもまた見事な
ショーである。彼らにとっては道案内など、ゲストのパーク体験を支援するサービス業務な
どもまた大切な役割なのだ。一般にトイレを見るとその企業の経営姿勢がよくわかると言わ
れるが、
﹁ホテル並み﹂の清潔感はゲストのパーク体験を高める上で大切な要素なのだ。閉
園後の作業も、ゴミ箱の内側の拭きとり、植栽や花壇の中に投げ捨てられたタバコの吸殻集
めなどにも心配りをしている。
185
︵手拭き︶、ポケット・スクレーバー︵ガムはがし︶、ペーパータオル。これがカストーディ
第 7 章 テーマパーク運営の実際
私はオープン以来園内のこの現場の昼夜のカストーディアルに、常に細心の注意を払って
きた。 日本人の清潔感に対する美意識を特に大切にして、 東京ディズニーランドを世界の
テーマパークの中でも最も清潔なところにしたかったからである。今、それは完全に実現し
ている。アメリカのディズニー社の首脳陣もここに来ると、いつも感嘆の声をあげる。
東京ディズニーランドのメンテナンスもカストーディアルも、 セキュリティーもファイ
ヤーも、そしてコスチュームの制作 ・管理も二十四時間、 誰か必ずどこかで仕事をしてい
る。これらの仕事はなかなかの重労働でオープン当時は、 パートのアルバイトが中心の
デー・カストーディアルでは、応募率も悪く出勤率も極端に悪かった。それに欠勤者が四割
というような日も珍しいことではなく、一部の仕事を外部に委託するなど苦労の多い時期も
あった。今では、デー・カストーディアルもパート・アルバイトの人気職種である。彼らは
今、東京ディズニーランドの﹁品質と安全﹂は自分たちが守っているという誇りと自信に満
ち溢れている。東京ディズニーランドが多くの人の心をとらえるのは、すばらしいショーだ
けによるものではない。全体から見ると、ゲストの遊ぶオンステージは氷山の一角で、この
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第 7 章 テーマパーク運営の実際
ようにゲストの眼には余り触れることの無い、水面下で働くバックステージ・キャストの多
くの人たちの使命感と努力によるところに負うところが大きいのである。
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