親鸞が26歳の時、妙齢な美女との出会いを伝える美しい伝説がある。 初春の祝儀のため朝廷に参内した親鸞は、その帰路、比叡山の麓にある赤 山禅院に参った。赤山禅院は天台宗の守護神として創立され、方位除けの霊 験ありと、都の人々の参拝も絶えなかった。親鸞が神前で静に念誦している と、瑞垣の陰から天女と見まごうばかりの美女が現われた。その女性は親し く親鸞に話しかけてきたが、親鸞が比叡山に帰ることを知ると、 「私も年来このお山に参詣したいと思っておりました。どうか一緒に登らせ てはいただけないでしょうか。」 と真剣な表情ですがりついたのである。だが、比叡山は伝教大師最澄以来、 女人禁制となっている。 「このお山は舎那円頓(真実の悟り)の峰高く、止観の三密(悟りを得る行 法)の谷深く、五障三従の女性は入山することができないのです。法華経 にも女性は垢穢にして仏教の器にあらずと説いております。それ故、伝教 大師も結界の地と定めたのです。」 親鸞はそう答えて入山できないことを説いた。ところが、女性は親鸞の衣に すがりつき、涙ながらに訴える。 「確かに女の身は五障(女は梵天・帝釈・魔王・天輪王・仏になれない)三 従(幼い時は親に、結婚すれば夫に、老いれば子に従う)の障りがあり成 仏できないといわれております。しかし、一切の衆生には全て仏性がある と伝教大師もおっしゃっています。鳥や獣にいたるまで男と女の別はあり ますが、女人だけを除いて、果たして真実の悟りに達することができる のでしょうか。」 ここまで語った女性は、当惑する親鸞を見て語気を静め、恥ずかしそうに、 「しかしながら、お山の掟なれば致し方ございません。もしお山に入られた ら捧げたいと思っておりました玉を、あなたさまに奉ります。この玉は賎し い瓦石を照らす天の日の玉です。あなたさまの仏法の教えが、いつかはこ の玉のようになりますよう。」 そういいながら、女性の姿は忽然と消えた。 数年後、親鸞が九条兼実の娘玉日姫と結婚するのは、この「天の日の玉」が導い たのであったと伝えられる。玉日姫の存在は架空のものではあるが、この女性と の邂逅伝説からは、親鸞の女性に対する信仰救済の姿勢が伺われる。後に形成さ れる親鸞の信仰は、 男女貴賎ことごとく 弥陀の名号称するに 行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさはりなし と『高僧和讃』に詠じたように、男女の差別はもちろんのこと、賎しい身分の者や、 仏の修行をしていない者といった一切の差別を認めていない。男女を問わず、ど のような人間であっても阿弥陀如来を救いの手を差し伸べており、成仏できる存 在であると高らかに宣言するのである。(武田鏡村)
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