江國研究室主催 第 27 回人間社会研究会 (2012 年 6 月 18 日開催) 1. アイリーン・パウア著(三好洋子訳) 『中世に生きる人々』 ,東京大学出版会,1969 年. 「第3章マダム・エグランティーン」講読 (4) 1-1. 発表: ① 中世ローマ・カソリック教会の歴史 ② 考察: 修道院尼僧の生活に観る社会と生活 ― 14 世紀イングランド <別紙の通り> ③ 用語の解説 2. 次回の予定 アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 「第4章メナジエの妻」講読 (1) ― 要約 以上 江國研究室主催 第 27 回人間社会研究会 (2012 年 6 月 18 日開催) 大谷 秀美 <ローマ・カトリック教会の歴史(中世)> 1. 発祥 ・ カトリック (catholic): ギリシア語の「普遍的」が語源。 ・ 313 年、ローマ皇帝コンスタンティヌス 1 世 (Constantine I; 羅 Flavius Valerius Aurelius Constantinus Augustus) によって、キリスト教が公認される。コンスタンティ ヌス一世は、キリスト教を利用することによって、帝国内の諸派閥およびローマ周辺の蛮 族を教化し、ローマ帝国の支配を図った。 ・ 325 年のニケーア公会議 (The First Council of Nicaea) でアタナシウス派 (Trinitarian) が唱えた説(三位一体説 (consubstantiality of the three persons of the Trinity))が正統 とされた。アリウス派 (Arian) の説(Arianism: 神とキリストは一体ではない。キリス トは人間である。 )は異端とされ追放された。 2. 組織 ローマ・カトリック教会の地位の向上につれ、コンスタンチノーブル教会(ギリシア正教会) と首位権をめぐって争い始め、8 世紀頃からの聖像崇拝論争で対立が決定的となり、1054 年に 正式に分離。西欧キリスト教会の首座を占め、総大司教が教皇として君臨し続け、階層組織が 確立された。 ・ 総大司教 (教皇: 羅 papa ; 英 pope; 独 papst; 俗称で法王) ローマ・カトリック教会の最高首長で、初代ペテロを継ぐものとされる。 ・ 司教 (bishop) 教会の行政区画である司教区を統括する。領主的存在で世俗の諸侯と同格で あった。 ・ 司祭 (priest) 一つの教会を統轄し、ミサ聖祭やサクラメント(秘蹟=七つの重要な儀式)を 行う。 ・ 修道院長 (abbot, abbes, prior, prioress) 修道院内を統轄する最高責任者。領主的存在でもあった。 ・ 僧 (monk)、尼僧 (nun) 一般聖職者 3. 発展と衰退 ・ 「いかなる建造物も、それが建てられている土地の所有者に帰属する。教会や修道院を管 理する権限も、その土地の所有者に属すべきである。 」という考えがあった為、司教や修 道院長の任命権(聖職者叙任権)、教会や修道院の財産管理権も世俗の支配者(国王、諸 侯)が握っていた。 1 ・ 9~10 世紀には、聖職とそれに伴う世俗財産の売買が盛んに行われた。 ・ 10~11 世紀の間、多くの領主が、来世での救済を願って土地を寄進したので、教会や修 道院は広大な所領(荘園)を所有するようになり、大司教や修道院長らは支配階級として、 政治的にも大諸侯に匹敵する力を持つようになった ・ 聖職者叙任権を世俗の支配者が握っていたことが教会、聖職者の腐敗、堕落の根本的な原 因であった。聖職の地位を金で手に入れた聖職者の中には聖書を読めない人もいた。 ・ 聖職売買、教会腐敗の弊害を取り除こうと、1075 年、教皇グレゴリウス 7 世 (Gregorius VII) がグレゴリウス改革 (Gregorian Reform)を行う。 ・ 1122 年、教皇カリトゥス 2 世と神聖ローマ帝国王ハインリッヒ 5 世との間に、ヴォルム ス条協約(Concordat of Worms) が結ばれ、教皇の聖職叙任権が妥結された。 ・ 1303 年のアナーニ事件 (Outrage of Anagni: 教皇ボニファティウス 8 世 (Pope Boniface VIII; 羅 Bonifacius VIII) が、イタリア、アナーニの別邸で、フランス王のフィリップ 4 世 (Philip of France) の襲撃に遭い幽閉される) や、1309 年のアヴィニョン捕囚 (Avignon Papacy: フランス王フィリップ 4 世により、1376 年までの間、教皇庁が、ロー マからフランスのアヴィニョンへ移される)などを経て、教皇権は衰退し王権が伸張する。 4.修道院制度の発展 ・ 910 年、アキテーヌ公(William I, Duke of Aquitaine)が、聖職売買や聖職者の妻帯など の弊害を取り除こうとする教会粛清運動の中心となるクリュニー修道院(Cluny Abbey; 仏 Abbaye de Saint-Pierre et Saint-Paul de Cluny)を建設した。クリュニー修道院は、 あらゆる世俗権力の支配からの自由と、修道院長選挙における自由の権利を、フランス国 王・教皇の特許状により獲得した。そして、ベネディクト戒律を厳格に励行し、祈りや読 書、研究の知的活動に励んだ。 ・ 1098 年、ブルゴーニュに、クリュニー修道院と並んで教会粛清運動の中心となるシトー 修道院(Cîteaux Abbey; 仏 Abbaye de Cîteaux)が建設された。ベネディクト戒律の厳 格な実行と清貧、労働を重視し、荒野の開墾に従事し、開拓者の役割を果たし、経済的な 面でも注目された。 ・ 修道院は、日本の寺子屋的な教育や、施薬院、生産・技術の研究などの機能も持っていた。 〔参考文献〕 人見 春雄・臺 靖鈴木 敏彦・増田 正弘, 『世界史 B 用語集』,山川出版社,2000 年. 横山彰人, 『世界史ノート(中世編) 』 <http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/mokuji02.html> ,2012 年 1 月 9 日閲覧. 2 江國研究室主催 第 27 回人間社会研究会 2012 年 6 月 18 日 田中 ひとみ アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 「第 3 章マダム・エグランティーン」講読 <当時の社会生活についての考察> 1 14 世紀のヨーロッパの特徴 (i) 気候の寒冷化 およそ 300 年続いた温暖な気候が終わり、寒冷化が始まる。これに伴い、農業生産 が低下する。 (ii) 黒死病(ペスト)の流行 イギリスやフランスでは人口の三分の一が死滅し、社会変動を促す。 (iii) 農奴解放と農民の地位向上 ・ 賦役の金納化(貨幣地代)が進む。 ・ 農業人口の減少により、領主の土地経営が困難になる。 ・ イングランドで独立自営農民(ヨーマン; yeoman)が出現する。 (iv) 商業都市の発展と大富豪の台頭 大商業資本家(フィレンツェのメディチ家やアウグスブルクのフッガー家)が出現 し、市政を独占するようになる。 (v) 百年戦争の勃発(1339 年~1453 年) (vi) 封建諸侯の没落 荘園制度の崩壊や、火砲の出現などによる戦術変化、長期の戦争によって、諸侯の 役割が低下し、没落の一途をたどる。 (vii) 教皇権の衰退と王権の伸張 十字軍運動の相次ぐ失敗や、教皇庁による統制強化への反発などで、教皇の権威が 低下する。一方で、十字軍指揮者を経た国王の権力は伸張する。また、教会の世俗 化や腐敗が進み、度重なる教会革新運動を経て、16 世紀初頭にドイツでルターの 宗教改革が起こる。 (教皇権の盛衰) 11 世紀: 巡礼の流行や地区教会の成立によってキリスト教信仰は高揚し、教会 粛清運動によって地域教会の支配力が増した。ローマ教皇は、王権と の間に叙任権闘争を展開した。 13 世紀: インノケンティウス 3 世(Innocentius III)の時代に絶頂期を迎える。 14 世紀: アナーニ事件(1303 年)を機に教皇権は急速に没落する。 1 15 世紀: コンスタンス公会議(Council of Constance: 1414 年~1418 年のローマン・ カソリック教会公会議)にて、教会大分裂(Western Schism / Papal Schism: 1378 年~1417 年、ローマ教皇とアヴィニョン教皇が正当を主 張して対立)に決着がつく。 2 考察 14 世紀、中世西欧世界は危機の時代となり、教皇権も衰退し、15 世紀、近代の絶対王政 へと加速していった時代である。修道院を含めローマン・カソリック教会は、世俗化と 腐敗が進んでいた。こうした時代に、上流家庭に育ち、父親が設立した尼僧院に家の財 政事情から入会して、その院長となったマダム・エグランティーンが、6 世紀頃の尼僧院 が旨としていた清貧・貞淑・服従を守ることはなかったのは、しごく当然のことである。 マダム・エグランティーンが、寄宿人として世俗の人々が持ち込んだ、お洒落やペット、 また、巡礼を含む外出などにしか目が向かず、貧しい人々に関心がないのは、彼女が生 きた時代や社会がそうさせていたのであろう。著者のアイリーン・パウアが資料に重用 した『カンタベリー物語』で、ジェフリー・チョーサーは、マダム・エグランティーン を鋭く観察し、彼女がいかに社会や教会の問題に鈍感であったかを、遠回しにかつシニ カルに描いていた。ただ、チョーサー自身もキリスト教徒であったので、チョーサーに その意図があったか否かは分からない。ちなみに、「尼僧院長の物語」の節で、マダム・ エグランティーンが話した物語は、ユダヤ人迫害の「血の中傷」事件についてである。 彼女が同事件に疑問を持っていたと疑問をはさむ余地はなさそうである。権力と貨幣社 会と腐敗については、現代と大差はないように思われる。 〔参考文献〕 工房李香『ハイパー世界史ノート』 <http://koubourico.natsu.gs>, 2012 年 5 月 13 日閲覧. 横山彰人,『世界史ノート(中世編)』 <http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/mokuji02.html> ,2012 年 1 月 9 日閲覧. 2 江國研究室主催 「第 27 回人間社会研究会」 アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 §3. 「マダム・エグランティーン」 <Glossary> 2012.06.18. 【アーニック (Alnwick)】 人の名前 【ウィリアム・オブ・ウィカム (William of Wykeham)】 ウィッカム(地名)のウィリアム[1366–1404]: ウィンチェスター司教 (Bishop of Winchester; 1366)、イングランド大法官 (Chancellor of England; 1367)。New College School(英国の寄宿制 中等教育学校 (independent preparatory school); 1379) 、New College(オックスフォード大学の学 寮; 1379) 、Winchester College(英国の私立学校 (independent school); 1382)の創設者。 → http://en.wikipedia.org/wiki/William_of_Wykeham 【ウィンチェスター (Winchester)】 ウ ィン チェ ス ター 大聖 堂 (Winchester Cathedral) の あ る イン グラ ン ド、 ハ ンプ シ ャー州 (Hampshire) の州都。 【エーノー城】 王妃フィリッパの父、エーノー伯爵 (Count of Hainaut)であるギヨーム 1 世(Guillaume I / William I) [1286 - 1337]が居たベルギーの城。 【エクサタ (Exeter)】 イングランドの地名で、現在はイングランド南西部、デヴォン州の都市である。 【エドワード三世 (Edward III of England)】 プランタジネット朝イングランド王 [1312 - 1377] Edward II of England の長男 【エドワード二世 (Edward II of England)】 プランタジネット朝イングランド王 [1284 - 1327] Edward I of England (Henry III の長男) の四男 【エル (ell)】 布用の長さの単位で、45 inch、約 69 cm。 【オウスティン会の托鉢僧 (Friars)】 聖アウグスチノ修道会 (Austin / Augustinian Friars) の托鉢僧。同修道会は托鉢修道会である。 同修道会については、当 glossary、 「 【シオン修道院】cf2 参照」 。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Augustinians 1 江國研究室主催 「第 27 回人間社会研究会」 アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 §3. 「マダム・エグランティーン」 <Glossary> 2012.06.18. 【王妃フィリッパ (Queen Philippa)】 フィリッパ・オブ・エノー (Philippa of Hainault), [1314 - 1369] イングランド王エドワード三世の王妃。 【御附き尼僧(チャップレン chaplain) 】 【カンタベリー物語 (The Canterbury Tales)】 チョーサーの作品の一つ。この作品中に、マダム・エグランティーンが登場する。 → http://en.wikipedia.org/wiki/The_Canterbury_Tales 【教書 (Bull)】 教皇勅書 (Papal Bull; ラテン語 bulla apostolica) のことを指す。カソリック教会の教皇が発す る。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Papal_bull 【御公現の祝日 (Twelfth Night)】 「訳注(七) 」(p.135), 参照 【告解神父(コンフェサー confessor) 】 【シオン (Syon)】 シオン修道院 (Syon Monastery / Sion) は、1415 年に創設されたブリギッタ会 (the Bridgettine Order) の修道院で、16 世紀の取り壊しまで、シオン・ハウス (Syon House) に近いミドルセッ クス州 (the county of Middlesex) 、アイゼルワース教区 (the parish of Isleworth) のテムズ川北側 の土手に建っていた。 cf1: ブリギッタ会は、スウェーデンの聖ブリギッタ (Saint Birgitta [1303 – 1373]) によって、お よそ 1350 年頃に創立されたアウグスチノ会 (Augustinian) 修道女・修道士 の修道会で、 1370 年に、ローマ教皇、ウルバヌス 5 世 (Pope Urban V [1310 - 1370])の承認を得た。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Bridgettines → http://en.wikipedia.org/wiki/Bridget_of_Sweden cf2: アウグスチノ会 (Augustinians)/聖アウグスチノ修道会 (Ordo Sancti Augustini)は、聖アウ グ ス ティ ヌス (St. Augustine of Hippo; アウ レリ ウ ス・ アウ グス ティヌ ス (Aurelius Augustinus [354 – 430]) の作った会則に基づいて修道生活を送っていた修道士のグループ が、13 世紀半ばに合同で設立した修道会。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Augustinian 2 江國研究室主催 「第 27 回人間社会研究会」 アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 §3. 「マダム・エグランティーン」 <Glossary> 2012.06.18. 【ジェフレイ・チョーサー (Geoffrey Chaucer)】[1343 - 1400] 英文学の父として知られる中世の詩人 → http://en.wikipedia.org/wiki/Geoffrey_Chaucer 【視学官】 Her Majesty's (school) inspector 【司教 (bishop)】 カソリック教会の職位の一つで、ある司教区(教区)を監督する聖務職のこと。 教区の大聖堂に属する。 Cf: pope (総大司教) – cardinal (枢機卿) – archbishop (大司教) – bishop (司教) → http://en.wikipedia.org/wiki/Bishop_(Catholic_Church) 【司祭 (priest)】 カソリック教会の職位(司教に次ぐ)の一つで、地方教区の教会に属する。 司祭に次ぐ職位に助祭 (deacon) がある。 【シトー会 (the Order of Cîteaux)】 The Order of Cistercians. ローマン・カソリック修道会の一つ。クリュニュー会(Clunian Reforms) の修道士であったモレ ーム (ブルゴーニュ (Bourgogne) 地方) のロベール (Robert of Molesme) が、1098 年に、フラ ンスのディジョン (Dijion) の南、シトー (Cîteaux)、に創設した修道院が発祥である。ロベー ルはクリュニュー修道院 (Cluny Abbey) が、聖ベネディクトの厳格で質素な戒律を捨てたと考 え、約 20 人の支持者と共にモレームの修道院を去り、シトー修道院 (Cîteaux Abbey) を設立し た。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Cistercians 【シモン・ドゥ・モンフォール (Simon de Montfort)】 第六代レスター伯爵 (6th Earl of Leicester) [1208 - 1265] フランス、ノルマンディーの貴族出身。イギリス王、Henry III の寵臣で、彼の妹、エレノア (Eleanor of Leicester / Eleanor Plantagenet / Eleanor of England)を妻としたが、後に Henry III とは 対立するようになる。イングランドの近代議会制民主主義 の創始者の一人。 【修道院 (convent / nunnery / abbey)】 cf. 修道僧 (monk) 【修道院長 (abbot / abbes / prior / prioress)】 3 (modern parlianmentry democracy) 江國研究室主催 「第 27 回人間社会研究会」 アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 §3. 「マダム・エグランティーン」 <Glossary> 2012.06.18. 【修道院付司祭(チャップレン chaplain) 】 【十分の一税 (tithes)】 中世ヨーロッパでは、教会が農民の収入の十分の一を受け取る権利があった。後に、徴税請負 人によって管理されるようになったが、ごまかしなどで不正化していくようになる。 【少年司教(ボーイ・ビショップ Boy Bishop) 】 「訳注(八) 」(p.135), 参照 【ステインフィールド (Stainfield)】 英国リンカンシャー (Lincolnshire) の西リンジー (West Linsey) 地域にあるリンカン市から東 へ約 16km の村で教区。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Stainfield 【ストラットフォード・アッテ (=アット)・ボーウェ(=ボウ) ( Stratford – ate - Bowe)】 12 世紀初頭に建てられた橋付近の地名 → http://en.wikipedia.org/wiki/Bow,_London 【聖ベネディクトの戒律 (St Benedict's Rule)】 ヌルシアのベネディクトゥス (Saint Benedict of Nursia) [480–547]によって共同で生活する修道 院僧の為に書かれた教訓集で、その精神はベネディクト派連盟 (Benedictine Confederation) の モットーである、 「平和 (pax (= peace)」と「祈り、働け (ora et labora (= pray and work)」に集約 される。ベネディクトゥスは、529 年頃にモンテ・カッシーノ修道院 (Abbey of Monte Cassino) (イタリア)を設立した。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Rule_of_Saint_Benedict 【聖ロイ (sëynt Loy)】[588 – 660] Saint Elogius / Eloy / Loye / Éloi 金細工職人/その他の金属工/硬貨収集家の守護聖人 英国陸軍の電気機械工兵隊の守護聖人 馬と馬関係の職に携わる人の守護聖人 → http://en.wikipedia.org/wiki/Saint_Loy 【焚火の晩(bonfire nights; 聖ヨハネの祝日前夜 (St. John’s Eve)) 】 聖ヨハネの誕生日とされる 6 月 24 日の前夜。 【托鉢僧 (preacher)】 4 江國研究室主催 「第 27 回人間社会研究会」 アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 §3. 「マダム・エグランティーン」 <Glossary> 2012.06.18. 【タバード屋 (Tabard Inn)】 チョーサーのカンタベリー物語の舞台となった宿屋(実在)[1307 - 1873] 【ティティヴィルス (Tittivillus)】 筆写者の仕事にエラーをさせる、ベルフェゴール (Belphegor) やルシファー (Lucifer)、サタン (Satan) の手下の悪魔。礼拝中のとりとめもないお喋りと、言い間違いや口ごもり、読み飛ば しや歌い飛ばしを集め、それらの罪を犯した人々を地獄へ連れて行く悪魔としても表される。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Titivillus 【ディプサルマ (dipsalma)】 教会で二つのグループに分かれて歌う賛美歌。 【トマス・オブ・ランカスター (Thomas of Lancaster)】 ①Thomas Plantagenet,第一代クラレンス公爵 (1st Duke of Clarence) [1387 - 1421] Henry IV of England の次男で Henry V of England の弟 ②第二代ランカスター伯爵 (2nd Earl of Lancaster) [1278 - 1322] Edmund Crouchback (Henry III の次男)の長男 【農夫ピアズ (Piers Plowman)】 14 世紀後期に書かれたとされるウィリアム・ラングランド (William Langland [1360 - 1387]) による寓意物語詩 (allegorical narrative poem) 。チョーサーの『カンタベリー物語』や『ガウ ェイン卿と緑の騎士 (Sir Gawain and the Green Knight)』 (作者名不詳)と並んで、イギリス文 学における初期の偉大な作品の一つとされている。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Piers_Plowman 【ノーサンブタン (Northampton)】 イングランド、東部ミッドランド地方、ノーザンプトンシャー州の州都で商業都市。 【バースの女房 (Wife of Bath)】 チョーサーが描いた『カンタベリー物語』の登場人物の一人で、彼女を通して、世の女性が最 も欲しているものは、家庭においても社会のおいても、経済的独立と政治的独立であることを、 寓話で示している。 → http://en.wikipedia.org/wiki/The_Wife_of_Bath's_Tale 【フェルマーシャム (Felmersham)】 イングランド、ベッドフォード州ベッドフォード地区 (the Bedford district of Bedfordshire)の村 で行政教区。 5 江國研究室主催 「第 27 回人間社会研究会」 アイリーン・パウア著『中世に生きる人々』 §3. 「マダム・エグランティーン」 <Glossary> 2012.06.18. 【ヘンリー八世 (King Henry VIII of England)】 テューダー朝 (Tudor dynasty) 第二番目のイングランド王。ヘンリー7 世 (Henry VII) の次男 [1491 - 1547]。国王至上法(首長令)(Act of Supremacy; 1534)、イングランド国教会 (Church of England) のローマン・カソリック教会からの離脱、修道院解体 (Dissolution of the Monasteries; 1536 - 1541) などで知られる。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_VIII_of_England 【見習尼僧(ノヴィス novice)】 【ヨハネ伝八章七節「私どもの中、罪なき者まず石を投げよ」 】 Whoever is without sin among us, let him cast the first stone! 【ラムジイ修道院 (Romsey Abbey)】 英国ハンプシャー州にあるラムジイの尼修道院。907 年にエドワード長兄王 (Edward the Elder [(874-877)? - 924] ; アルフレッド大王 (Alfred the Great [849 - 899]) の長男)の娘、エルフレーダ (Elflaeda)と尼僧たちによって設立され、後の 960 年頃にエドガー王 (King Edger) により聖エ セルフレーダ (St. Ethelflaeda) の戒律の元、ベネディクト会修道院として再建された。現在は、 イングランド国教の教区教会。 → http://www.romseyabbey.org.uk/visit/brief-history/ → http://en.wikipedia.org/wiki/Romsey_Abbey 【リンカン (Lincoln)】 イギリス中東部、リンカンシャー州の州都で大聖堂の町。中世の 12 世紀半ば頃には、ユダヤ 人社会があったが、1255 年に「リンカンの血の中傷 (Libel of Lincoln)」が発生し、キリスト教 徒の少年の儀礼的殺人で起訴された 18 人のユダヤ人が、ロンドン塔に送られ処刑され、同町 のユダヤ人は一斉に追放された。チョーサーの作品、 『カンタベリー物語』中、 「尼僧院長の物 語」で、尼僧院長のマダム・エグランティーンが、同事件について語っている。 → http://en.wikipedia.org/wiki/Lincoln,_England#Medieval_town 【レンヌ (Rennes)】 フランス北西部、東部ブルターニュの町で、ブルターニュ県の県庁所在地。 6
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