第12話 環境問題は「心」の問題

第12話 環境問題は「心」の問題
なぜここまで地球環境が悪化してしまったのでしょうか。その問題のいくつかは人類の生存を脅
かすところまで来ているとも言えます。環境問題を解決するためには、具体的な取り組みをすすめ
る一方で、「本当の幸せとは何か」といった根本的な価値観を問い直す必要があります。そしてそ
のことに多くの人が気付きつつあります。「どこかで間違ってしまったのではないか」とういうこ
とに。そう考える時、地球環境問題は生き方を問い直す奥深さがあるといえます。そのことのヒン
トとなりそうな記事を紹介します。
父に教わったこと
先日、娘の春休みで実家に帰った。実家は今も炭ごたつを使い、まきでお風呂を沸かしてい
る。炭のこたつは体の芯から温まり、まきで沸かしたお風呂はお湯がやわらかく、とても気持
ちいいのだが、どんなに寒くても外の小屋まで行き、炭やまきを運んでこなければならない。
それはたいてい父の仕事である。雪の中、まきを取りに行く父を気の毒に思い、「今はスイッ
チ一つでお風呂も整うんだよ」というと、「まきがあるのにもったいない」と父らしい言葉が
返ってきた。娘とお風呂に入っていると、外から「湯加減はどうだ」と声がかかる。まきの火
が消えないように、たびたび見に来ては湯加減を聞き、くべるまきを調節してくれる。こんな
環境で育ってきたが、不便とも思わなかったのは、不便に感じさせなかった父や家族の労力が
あってのことだったとしみじみ思う。今は何でも人の手を必要としない暮らしになってきた。
便利だが、人への思いやりや感謝の気持ちを抱く機会すらない世の中になってきたように思
う。子どもに思いやりを求め、教育するだけでは心は育たない。お父さん、ありがとう。日々
の生活から私はいろいろなことを学びました。でも、これからはあまり無理をせず、体と相談
しながらがんばってくださいね。 長野県諏訪市 今井由美 公務員・33歳 (平成16年4月15日朝日新聞)
外国から日本に働きに来ている人たちと共同生活をする機会があった。物価高の日本で生活
する彼らは、整髪は合わせ鏡を使って自分でし、水漏れするプラスチックの計量カップも、接
着剤で穴をふさいで使う。解体寸前の車を買って塗装し、手を加え、新しい車のようによみが
えらせる。ある夫は体格のいい奥さんのために、立ったまま作業が出来る折り畳み式のアイ
ロン台を作ってプレゼントした。感動する私に、おれたちビンボウだからと笑っていたけれ
ど、本当は心の貧乏はこちらかも知れないと思った。まだ十分使える車や電気製品が山となっ
て捨てられている所で、どうして日本人はこんなことができるのかと何度も聞かれた。何かに
つけパーティーもやった。ごちそうは、ほとんど一品。百グラム三十円くらいの安い鶏肉で国
の料理をつくり、明け方まで話し、飲み明かす。笑いと友人の足が途絶えなかった。私が帰る
前日、公共の体育館を二百円で借り、お別れバレーボール大会を開いてくれた。運動オンチの
私に全員の声援がとんだ。今、私は失業中である。これまで母子家庭の母として、これでいい
のかと思いながらも仕事に追われ、なにか大切な物に心を寄せるゆとりもなく走り続けてき
た。今、収入が無くなった分、時間がある。巣立った子供の残していった物、ゴミの山のよう
になっている家の中の物に息をふきかえさせるゆとりが出来た。そして大切なものを教えてく
れた彼らとの生活が恋しくてたまらない。
長野県諏訪市 宮沢いく佳 無職・48歳 (平成10年11月11日朝日新聞「ひととき」より)
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「一切の不幸せは不足から生ずるのではない。
あり余るところから生ずるのだ。」(『戦争と平和』トルストイ)
「みんなが貧乏 悪くない初夢」
無職
千葉 剛勇
(千葉県佐倉市 68歳)
日本人が、みんなビンボーになった夢を見た。正月早々、縁起でもないと言うなかれ、悪い
ことばかりではないのである。まず、照明やエアコンをけちるようになり、家電製品をあまり
使わなくなったので、あのまがまがしい原子カ発電が不要になった。多くの人が車を手放した
ので、交通渋滞や大気汚染が少なくなり、道路の新設や拡幅が不要となって、自然破壊に歯止
めがかかった。日常の買い物も遠くまでは出かけられず、まとめ買いも出来なくなって、大型
ス―パ―は不振となり、近隣商店街が復活した。世界中から食糧を買いあさることが出来なく
なって農漁村が活気を取り戻し、食糧自給率が高まり、過疎問題も解決。
さらに、学業を終えても定職に就かず、親に寄生してブラブラしていた子どもたちが、親が
ビンボーになったため、自立せざるを得なくなった。また、親が遺産を残せなくなったので、
醜い相続争いをする子どもたちもいなくなった。こうしてみると、みんながビンボーになれ
ば、大方の問題は解決すると気づいたところで目が覚めた。これは、明日を担う若者への課題
かなと考えている。
食べているのは「命」
朝、子どもと幼稚園のバスを待っていると、黒牛や豚を載せたトラックが通るのを見ることが
ある。荷台から牛や豚が顔を出していることもある。子どもに「あの牛や豚は、これからどうな
るんだろうねえ」と尋ねてみると、子どもは「きっと僕たちに食べられちゃうんだよ」と答え
る。子どものころ、私の生家は鶏肉の販売店で、家で鶏をしめていた。生きた鶏の首を包丁で切
り、逆さにして血抜きをするのだ。死ぬまでの鶏のうめき声や表情を見ると、それで家族が生活
しているとはいえ、気の毒に思ったものだ。いまスーパーなどで安く売られている鶏肉が、そん
な風にして店先に出されているとは、なかなか想像しにくいけれど。釣り針が過って人に引っか
かると、ものすごく痛いうえに、抜けないという二重苦があるらしい。その針に魚はかけられて
いる。そんなことを知るなり想像するなりして食べるのと、知らないで食べるのとでは、感謝の
度合いが違うだろう。大量生産される食品を食べていると、その元の姿、その命を思い起こすの
も困難になりがちだ。私自身も、その「身体」の方にはさんざんお世話になっているはずなの
に、外国のお店で豚や羊の頭を売っているのを見るとどきっとしてしまう。豚という「命」を食
べていることを、ふだんは忘れてしまっていて、それを見せつけられるからだろう。加工品とし
て処理されていく動物のことを、たまに子どもに話すようにしている。子どもにはショッキング
であっても、必要なことではないかと思っている。
鹿児島県国分市
永野 知代子
主婦37歳
(朝日新聞「ひととき」より)
「何もできなければ、日本はあと20年?!」
という言葉ではじまった地球環境問題、みなさんはどのように受け止めたでしょうか。少なくと
も「今のままではいけない」ということは言えます。大量生産、大量消費、大量廃棄を生み出す金
とモノに支えられた生活。金とモノを追求するには競争が起こります。その競争の勝者と敗者は
「南北問題」というかたちで地球上にハッキリと現れてきました。そして「地球環境問題」によっ
て勝者も蝕まれようとしているのです。
今、行動する人が増えてきています。その人達の多くは「何が幸せか」という根本的な問いを問
い直すところから始めています。21世紀、遅かれ早かれ私たち人類は大きな選択せまられるかもし
れません。そしてその選択は私達一人一人の考え方と生活にかかっているのです。(おわり)
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