17 鮭の稚魚調査によせて 一一鐙 ,vpJ mよ 持 え l 鮭の了ーが,それが親が天然に生んだも ので、あれ人間が人工受精をして室内で生 栄 川(第一及び第二図)で,前者では天然、 に鮭を産卵させてその稚魚ががjに山る問 まれたものであれ,親からもらった栄養 f 庫(臓のう)の栄養を食い尽したあとは の様子を,また後書で、は主流から放した 自分で偶をとりながら河を下り,その年 れぞれみるために,両地で稚魚の調査を !の夏までには全部海に出て行く。この時 行なった。これらの調査はそれぞれ目的 期は鮭の将来にとって非常に大切な期間 も違い,また調査の結果も完全に整理が 1であるとされているのしかしこの時期の 終っていないので.これらを一柿にして 鮭の子がどんな生活をし,どのようにし 話しをすることは多分に無煙があるが. てがI を下ってゆくのかは,一般の魚の子 どもの時の係子と同じくよく分らないと ここではこの調査をしてみて面白いと思 った二,三のことを断片的につづ、って河 いうのが現状であるの の中て、の稚魚の生活を目、像してみた。 1 l 人工ふ化の稚魚が河を下る間の様子をそ 6itから,錦多昨川と勇払 筆者は昭和 3 錦 多 峰 川 の 稚 魚 錦多 U l 草川の天然で生まれた稚魚、の大き さはどれ位かといっても,もちろんこれ 採取口 5日w:の全長分布として表にした は稚魚の大きさは同じにふ化したもので になるとほとんどいなくなったので止め もまちまちなうえに,稚魚が河に出はじ たのであるが,採取のはじめのほうはこ めた最初から最後に海に出るまでのもの れ以前に稚魚がすでに河に出ていたと見 のが第一表である。稚魚の採取は 4月末 i 可を 全般について採取することができなかっ られるふしがあるので. この年は たので,ここではある期間に採取した稚 降る末期の稚魚、を採ったことになったよ ろで;わる 、 沢であ 魚から坦!像を 1てヱえようという J l :n 1 上じめから 4月 二 + : 主でfH1:~の採取を行なったが. この│同の る。J;'Ií~ ~山下川で 11 l この R : eみるとまずLlにつえ J川上司 ( 1 ) 全長で 40ミリ l i i j1 去の利rffψ1数もちく 18 I I ! j期的にも平均して現われていることね よび ( 2 )4月の中旬ころから全長で 55リ ミ I ! I j後の割合大きな魚、休のものが現われる ようになることである。これらの稚魚、は 首Iの年の 10月から 12} jまでのが:13カ月 り{ ! f jに 1 1 ¥るもので、あれば平)::115ミリも j 主う ものが一緒に怯んでいるのはおかしいと いう疑問が出てくる。ここでは早くから 生まれているいわば兄たむと遅く生まれ ¥ 一 九 一 一川一 U 辺 一 た弟たちが一緒に怯んでいるとみるのが 妥当のようである。つまり大部分のもの はあるー忘期 I I ¥ J i 1 1 jにいて似たような kき UD 点稚魚ほ取地点 生まれてくる利上魚が生まれた 1阪に Y l l fを卜. A 秋味、J m一天然産卵地 の I¥Jに生まれたものの一部である。院卵 はこのように長期間にわたっているが、 第 一 表 錦 多 峰 川 鮭 稚 魚 の 5日毎の会長 (mm) 分 布 37 5 3 3 4 7 2 2 4 9 J 、 ノ 、 戸 11η Kノ に ノ 民 ノ 2 口ノチ にノにノ一 ι 7 2 3 2 2 19 さになって海に出て行くが,一部のもの はそれらよりも早く生まれているにもか かわらずなかなか海(河〉に出ょうとし ないで旺盛に餌をあさっているのだろ う。ここで第一表の左隅に出ている一段 と小さい魚体のものがとれているのも注 意をひく。これがこの採取時期の前 (2 ) Jあるいは 1月)のものとどんな関係に あるのか興味のあるところである。この 魚体の小さな群が 4月の末あるいは 5H に採取した群に入っていないとすれば, 遅くに生まれたものは割合早い時期に河 を下り,早く生まれたものの一部は遅く まで河に止るものもあるが,大部分のも のはある一定期間河に止ったあとに順次 海に出てゆくのだろうかという想像が生 まれてくる。 勇払川の稚魚 勇払 ) 1 1で、の稚魚の調査はウトナイト沼 の存在が稚魚、の降海,成長などにどんな 影響をもっているのだろうということが その目的の一つであった。勇払川(第二 図〉は中流部にウトナイト沼という沼を もっており,普通この沼から下流を勇払 川,上流を美々川とよんでいる。 前の年に人工で採卵した卵を,この川 とは全然別の水系である千歳支場に収容 し,稚魚になったものを標識したうえ 4 月1 6日と 5月 2日の 2回に,美々川上流 の御前水の付近から放流した O これを美 々川がウトナイト沼に入る地点と,勇払 川の中流の 2カ所で採取した。この間の 採取稚魚を,錦多峰川のときと同様に採 取口 5日毎のフオークレングスの分布と して表にしたのが第二表で、ある。ただこ !こにあげたのは採取した稚魚の全数の20 %たらずのものについて,採取月日順に 3日 , まとめた値で,稚魚は美々川で 6月1 勇払川では 6月 3 0nでトラップに全然 入らなくなった。このように第二表は美 々川,勇払川とも,採取の初期のものに ついての値であるが,ここで注意をひく 1 のは美々川と勇払川でとれた稚魚の(1) 数と大きさおよび ( 2 )とれる時期である c 4月末までの資料では美々川の場合と 5 れる数は多いが魚体は放流時(一般に 3 う前後〉と余り変らなし、。この間に勇払 川でも稚魚はとれては L、るが数は非常に 少ないものである。このように勇払川で は早いものは 4月中に採取地点まで降河 したものがあったが,群としてこの地点 を大量に通過しはじめるのは 5月の上旬 以後である。このようにみてくると,美 々川上流から放された稚魚は,美々川を 間断なく下ってはゆくが,ウトナイト沼 で大部分のものが必ずある期間滞遊して から勇払川を下るとし、う想定がなりた 。 コ J それではウトナイト沼の滞遊期間はど れ位なのかということになると,やはり 第二表を手掛りにして予想できる。まず 第一回の放流魚が間断なく美々川を下っ ていること,前にふれたように 5月の上 旬以後に勇払川の採取地点に大量に現わ れはじめること,さらには最後に稚魚が 3日,勇払川で とれたのは美々川で 6月 1 6月 30日であったという三つのことか らみて,この時期のものはまず長いもの で 3週間,普通でも 2週間位とみられる c つぎに大きさはどうかというと.これ 20 は美々川の稚魚と勇払川の稚魚では 格段と形容してよいほの違いがみえ A る。美々川を下る稚魚はこの間では あまり大きくならないままにウトナ t F人 十 " - イト沼に入り,ここで何週間か遊ぶ うちに見違えるように(フオークレ 5う前後)大きくなって 6 ングスで 1 )j一杯か 7月のごく初めまでには海 へ下って行くだろうという組、像が生 まれるゆえんである。 以上鮭の稚魚調査によせて断片的 な事実から皮相的な想像をしてみた が,もちろんこれから知らなければ ならないことはあまりにも多 L、。こ のような予想には多くの仮定を置い ていることはもちろんであるが,調 査して分った事実といえども,それ が鮭の子自身にどのような意味をも 1 1てさらにまた河に っており,海に 1 帰るまでの聞の鮭の生活にどんな影 響を与え,あるいはこのことが遺伝 相 的にどんな働きかけをするものかと 1 ふ いうようなことはこれからの問題で ある。 題,水温の│珂係な ここでは偶のIlU どにはふれることができなかった。 例えば餌の問題と,魚体が大きく成 長するということは,たしかに何等 かの関係がありとしても,河の中で 鮭の子がより大きく成長して海に出 ることが以後の鮭の生活にどんな意 義があるかということになるともう 想像の域を脱しな L、。なぜ稚魚がウ トナイト沼で遊ぶのかということも A: 欣流j也 J,~ そこに沼があるからというのでは鮭 B :)~々川稚魚採取地点 の気持を知らなすぎるというものだ c: リ } . J l ) 1 1祁だl : t ; Rl l x J 也点 ろう。 21 第=衰糞々川,勇払川鮭稚魚の 5日毎のフオークレングス (mm)の分布(一部分〕 3 1 2 2 3 3 2 9 1 8 3 5 80 3 24 37 3 3 2 2 1 39 3 2 8 4 2 3 4 1 2 2 3 2 4 3 6 4 5 6 1 2 4 7 5 4 3 4 9 7 9 5 5 1 6 1 1 4 5 3 4 88 5 5 2 5 4 5 7 59 1 9 2 6 1 1 3 1 1 63 3 2 6 5 6 2 67 4 69 5 7 1 2 73 7 5 鮭とくにその河の中での生活について は,今後とも計画的,組織的に事実の回 収をしなければならないが,それらを分 析し総合するにあたってはわれわれはま だまだ鮭の子と顔なじみにならなければ いけないようである。鮭のことは鮭にき けということで・。 (さけ・ますふ化場農林技官〕
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