大枝 直美さん

第7回「ハンガリー旅の思い出」2010年コンテスト作品
C賞 大枝 直美さんの作品
「ブダペスト妄想録」
夕暮れのブダペストの街を静かに流れるドナウ川とそれを見下ろす鷲の石像。バッグには美しくも物
哀しい旋律が響いている。1999年に制作された映画『暗い日曜日』の冒頭シーンである。それまで未知
の国であったハンガリーへと私をいざなったのがこの映画だった。第二次大戦直前のハンガリーを舞
台に、歴史と人間のエゴに翻弄された人々の姿を描いたこのドラマの中で、重要なカギを握るのが名
曲「暗い日曜日」だ。この曲はブダペストのあるレストランで生まれ、そのレストランは現在も営業してい
るという。今回、両親と妹との家族旅行で初秋のブダペストに滞在するのはたった3泊だが、映画の舞
台となった街を自分の足で歩くこと、そしてこのレストランを訪れることが大きな楽しみであった。
ドナウ川沿いに建つホテルに到着したのは夜10時過ぎ。目の前のくさり橋や王宮の丘は美しくライト
アップされ、夕食を終えたのであろう人々がゆったりと散歩を楽しんでいる。「ああ、この景色だ」。一瞬
で映画の世界へ飛ぶ。窓を大きくとったこの部屋からは、ベッドに寝転んだ状態でもくさり橋を眺めるこ
とができる。それから三晩、ドナウ川の夜景を満喫すべく、私はカーテンを開け放したまま就寝すること
になる。
翌日は雨だった。陶器が好きな両親とともに、ヘレンド
の店を訪れる。高価ではあるが、手書きの繊細な柄と品
のある色彩に魅了される。買い物を終え、地図を片手に
ペスト側を歩いた。「聖なる右手」はもちろん、祭壇に敷
かれていたカロチャ刺繍のクロスが印象的だった聖イ
シュトヴァーン聖堂、日本では見ることの少ない白いパ
プリカや、焼きナスにしたら食べがいがありそうな巨大な
ナスが並んでいた中央市場、そして豪華絢爛な国会議
事堂。
それにしても、この街のなんと静かなこと。人はいる
し、車もそれなりに走っている。しかし、今まで訪れた
ヨーロッパ国々と比べると、地下鉄にしても市場にしても
圧倒的に「静か」なのである。ハンガリーの人々の話す
言葉が実に落ち着いた響きを持っていることが、そう感
じさせるのかもしれない。
夜。レストラン「キシュ・ピパ」を訪れる。小さな路地に明かりを灯すそのレストランは、素朴な内装、家
庭的な雰囲気の店構えだ。家族連れや老年の夫婦、ガイドブックを片手に入ってきた青年。小さな店
はすぐにいっぱいになった。間もなくピアノの演奏が始まる。リクエストしたのはもちろん、この店で生ま
れた「暗い日曜日」だ。当時、ここでピアノ弾きをしていたシェレシュ・レジェーが作曲した「暗い日曜
日」。
作詞は店のオーナーであったヤーヴォル・ラースローが担当したそうだ。この曲に何かを揺り動かさ
れた人々は次々と死を選び、ついには作曲者までが命を絶ったという。照明を落とした店にピアノの旋
律が流れ始める。静かに始まる曲はアレンジを加えられながら徐々に激しさを増し、また静かに終わり
を迎える。事の真偽は定かでないとしても、曲が生まれた場所でその時代に思いを馳せながらメロ
ディーを味わうというのは、贅沢な体験だ。何を思って曲を作ったのか? なぜそんな悲しい歌詞を? 当時の人々の暮らしは? そして、今ピアノを弾いているしかめっ面のおじさんピアニストは何を思いつ
つ毎晩これを弾く…と余計なことまで考えながら耳を傾け、料理を楽しんだ。グヤーシュにアスパラの
前菜、魚のムニエル…正直に言うと、味はもうひとがんばり。しかしそれでも、「来てよかった」と思える
晩であった。
その翌日。朝一番に蚤の市へ向かうことにした。タク
シーを飛ばして郊外のエチェリへ。閉まっている店もあ
るものの、思っていたより規模の大きいマーケットであ
る。「何に使うの?」というガラクタから、ガラスケースに収
められた高価そうな陶器まで、年を刻んできた品物が所
狭しと並んでいる。何かのおまけとして作られたような子
供向けのマグカップ、弦の切れたバイオリン、どこかの
家の食卓に使われていただろうレース編みのテーブル
クロス。よその家の生活を覗いているようでちょっと申し
訳なくもあり、もう少し覗いてみたくもなる。
午後はブダ側の王宮へ向かう。くさり橋を渡り、坂道をゆっくりゆっくりと登る。眼下にブダペストの街
並みが広がっていく。家に帰ったらもう一度あの映画を見てみよう…と思いながら、ふと気がついた。
「あの『鷲』はどこ???」
映画の冒頭シーンに出てきた羽を広げた鷲の石像。ろくにガイドブックも読んでいなかった私は、てっ
きり高台の王宮にあるものと思っていた。しかし、そこに見つけた「鷲」は映画に登場したものよりも幾
分大きく、鋭い爪に剣をつかんでいる。違う。あの映画の「鷲」は球状の台座に乗っていて…王宮の見
学を済ませて丘を降り、いったんホテルに戻った私は、ひとりで「鷲探し」に出かけた。 夕刻せまるドナ
ウ川沿いにてくてく歩く。アングルからいうと、私の「鷲」はかなり高い場所にとまっているはずだ。くさり
橋には舌のないライオン。船上レストランではディナーの準備が進んでいる。やがて近づいてくるのは
真っ白なエルジェーベト橋。ああ、ここは昨日来た中央市場だ。屋根にはこんなに凝った装飾があった
のか。ちょっと離れて見てみるものだ。そうすると、これが自由橋で……あった。私の「鷲」は、自由橋の
尖塔のてっぺんにとまっていた。橋の全体がもっとよく見える場所を求めて、対岸の丘に登る。自由を
求めた人々を描いたあの映画は、「自由橋」から飛び立とうとしている鷲の目線から始まっていたの
だった。 鷲を発見して満足した私は、そのままブダ側の川沿い
を走るトラムに乗る。ただ乗るだけ。眺めるだけ。この川
の続く先には、どんな人が住んでいるのか。数百年前に
この川を眺めた人は、どんな暮らしをしていたのか。「放
浪癖」に「妄想癖」といわれようと、私はひたすら歩くこ
と、思いを馳せることが好きだ。
この先に何があるのか、あの高い所に登ったら何が見
えるのか。残念ながら、私たちが一生に訪れることので
きる場所は地球上のごくわずかな土地。経験できること
もしかりだ。ならば限られた中で見られるだけ見てやろ
う、見られないなら想像しよう…欲深い「放浪癖」と「妄想
癖」である。
終点に着いた時にはすっかり日も暮れた。ライトアップされた国会議事堂を眺めながら、来た道を歩い
て戻る。通りの家から、おいしそうな香りが漂ってくる。よし、今夜はハンガリー名物を食べるぞ!
翌朝。フォアグラで膨れたお腹を抱えつつ、東駅へと向かった。見事な装飾がほどこされた駅舎から列
車に乗り込む。次の目的地は隣国の首都ブラチスラヴァだ。今度は、雪のドナウ川を眺めたい。白い息
を吐きながら熱々のグヤーシュを…とさらに妄想は広がるのだった。
2011年1月