『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 競争は教育に有害か?経済学からの再解釈 慶應義塾大学経済学部 赤林英夫 1.はじめに 教 育 界 に お い て 、「 競 争 」 に 対 す る 拒 否 感 は 強 い 。「 教 育 に 競 争 は そ ぐ わ な い 」 と い う 言 説 は 世 間 に あ ふ れ て い る 。 197 6 年 、 数 学 者 遠 山 啓 は 、「 競 争 原 理を超えて」を出版し、テストが蔓延する教育界を「序列主義」と痛烈に批 判した。この本は、当時すでに受験界に浸透していた偏差値と、それに基づ いた受験指導を批判するものとして話題を呼び、ベストセラーとなった。 そ れ か ら 3 0 年 が 過 ぎ 、現 在 の 日 本 の 状 況 は 大 き く 変 わ っ た と 言 え る で あ ろ う か 。教 育 の 現 実 や 政 策 が 、 「 自 由 化 」を 軸 に 大 き く 変 化 し て き た 中 、現 在 の 教育界の、 「 競 争 」、 「 選 択 の 自 由 」に 対 す る 理 解 は 、経 済 学 的 に は ど の よ う に 評 価 可 能 で あ ろ う か 。以 上 の 点 を 、批 判 的 に 整 理 す る の が 本 稿 の 目 的 で あ る 。 あらかじめ弁解をしておくと、膨大な教育文献を精査し、そのすべてに論 評を加えることは、筆者の力量を大きく超える。そこで本稿では、近年の教 育政策に関連して、筆者の目にとまった論考をいくつか取り上げ、そこに表 明された競争観・自由観・市場観に、経済学的な視点からの評価を加える。 そ の 上 で 、教 育 分 野 で 、 「 競 争 」や「 自 由 」を め ぐ る 議 論 が 、な ぜ か み 合 わ な いのか、再解釈を試みながら、今後、教育現場が「競争」や「自由」と折り 合いをつけていくために何が必要か、考えてみたい。 2.教育の金銭価値と学力テスト わ が 国 に お け る 教 育 の 経 済 学 の 歴 史 は 意 外 に 古 い 。人 的 資 本 理 論( ベ ッ カ ー , 1981 和 訳 )は 、 発 表 さ れ て か ら ま も な い 196 0 年 代 初 め に 、 政 府 の 白 書 に よ り 紹 介 さ れ( 岡 本 , 2006, p.43 )、そ の 後 、賃 金 関 数 の 推 計 や 教 育 の 収 益 率 の 推 計 の 理 論 的 な 基 盤 と し て 広 く 利 用 さ れ て き た 1 。し か し な が ら 、個 人 デ ー タ の利用が厳しく制限されている中で、わが国におけるこれらの推計は、近年 までほとんどすべて集計データに基づいたものであった。その上で、例えば 1 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 教育の収益率の概念を応用した研究では、大学教育の収益率の変化から大学 進学行動の長期トレンドを説明する、といった、マクロ的教育需要の分析が 主流であった。 一 方 、欧 米 に お い て は 、学 校 や 生 徒 単 位 の 詳 細 な デ ー タ が 研 究 者 の 間 で 普 及したこともあって、公立と私立など、異なるタイプの学校の間の教育達成 度 で の 差 や 、公 教 育 支 出 の 生 産 性 自 体 が 問 題 に さ れ て き た 2 。学 校 デ ー タ を 使 った欧米の研究では、教育の成果は主に学業成績で測られ、教育政策の効果 として、金銭価値にこだわることは少なくなった。しかしながら、わが国に お い て は 、 学 校 レ ベ ル で の 教 育 政 策 の 効 果 分 析 (「 教 育 生 産 関 数 の 推 計 」) は その後全く進まず、教育の効果の分析は、個人の機会費用だけにもとづく賃 金関数の推計という形でのみ、発展してきた。これは、わが国においては、 労働データの個票の利用が研究者の間で浸透する一方、学校データの研究上 での利用が全く進まなかったことが最大の理由であると筆者は考えている。 わ が 国 に お け る 、教 育 の 収 益 率 分 析 の 草 分 け で あ っ た 矢 野 (1991)は 、 「教育 に世俗的な価値を持たせないのが望ましいと考えるのは一つの見識である」 と し つ つ も 、「( 教 育 が ) 所 得 の 向 上 に 役 立 っ て い な い と い う こ と は 、 む し ろ 憂うべきことなのである」と、経済学的な視点が極めて自然であることを論 じ て い る 。し か し 、こ の よ う な 見 方 は 、少 な く と も 当 時 の 教 育 界 に お い て は 、 少数派(という以上に異端)であったと想像される。実際、矢野は「わが国 の教育研究者のあいだでは、人的資本理論よりも、批判の諸理論のほうが好 意 的 に 受 け と め ら れ た 」と 指 摘 し 、 「 人 的 資 本 理 論 の 否 定 は 、教 育 投 資 の 否 定 」 であり、 「 教 育 を 変 え る こ と に よ っ て 生 活 を 変 え る 」と い う「 教 育 学 の 古 典 的 、 楽 観 的 な 教 育 観 の 否 定 」 だ と し て い る 3 。 (同 19 91, pp.8 7 -8 8) 人的資本理論の出発点は、労働市場での個人の生産性上昇が、教育の金銭 的な収益に一致しているはずだ、という競争市場の考え方である。しかし、 教 育 界 で は 、所 得 を 教 育 の 成 果 と 見 な す こ と に 対 す る 拒 否 感 は 根 強 い よ う だ 。 そして、矢野の批判点は、金銭的な収益の計測だけで、実際の生産性の向上 の 計 測 が 行 わ れ な か っ た こ と が 、研 究 の 視 点 が 、 「 教 育 の 生 産 性 」で は な く「 学 歴 の 収 益 性 」、す な わ ち 、試 験 と 学 歴 に よ る 選 抜 に 偏 る こ と に な っ た 、と し て いる。このことは、後で述べるように、教育学会における学歴の「ラベリン 2 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 グ効果(経済学的にはシグナリング理論)への過剰な傾倒に繋がっていく。 筆者から見ると、わが国において、学歴による選抜と金銭的メリットが、 世間でも研究者間でも大きな注目を浴びてきたのは、現実問題として、通常 手にできるデータ(上場企業の役員の学歴など)には、その情報しかなかっ たからだと思われる。これが、米国のデータだと、卒業した学校名は分から ない代わりに、クラスサイズや教師の属性などが詳細に分かるものが多い。 米国にもエリート私立高校・大学はあり、地域の分断は日本以上であるのだ が、研究上の関心の中心は、子どもが受けてきた教育内容や学校資源の教育 効果であった。この違いは、実証研究の中心となるデータセットの性質によ るとしか思われない。 筆 者 か ら 見 る と 、こ う し て 、通 俗 的 に も 好 奇 心 を そ そ る 学 歴 の 効 果 の 研 究 に、必要以上のエネルギーが注がれてきたように思われる。その一方、教育 政策の根幹である、カリキュラムや学校資源の教育効果に関する研究の蓄積 はほとんど進んでいない。 教 育 生 産 関 数 の 文 脈 で 述 べ れ ば 、高 校 の ラ ン ク に よ っ て 卒 業 生 の パ フ ォ ー マンスが大きく異なったとしても、教師の力量や教育資源における学校間の 差が原因であれば、その差は、政策的に改善可能である。しかし、研究目的 で利用できる、学校や生徒のデータベースさえ未だに存在しない中、経済学 者も教育学者も、その部分に切り込んだ研究を行うことはなかった。こうし て、我が国での教育政策研究の歴史で、失われたものは大きい。 3.生徒の競争と教育効果 1) テ ス ト に よ る 教 育 は 有 効 か ? テ ス ト 結 果 や 所 得 上 昇 を 、教 育 の 目 標 や 動 機 付 け と し て 利 用 す べ き で は な い、という考え方は根強い。その一つの理由は、例えば、オリンピックの選 手に対し、高額な報奨金をインセンティブとして利用すべきではない、とい うことと似ている。名誉を目標にしていれば、ルール違反はありえないが、 報奨金が目的であれば、ルールを破ってでもメダルをとろう、という選手が 現れるであろう、というのだ。ただ、ルールを守れない人がいるからルール を変えよう、というのではなく、ルールを守らせる(監視する)ためにかか 3 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 るコストを議論する方が合理的であろう。 ル ー ル 破 り で は な く 、報 奨 金 が あ る こ と で 、本 来 の や る 気 自 体 が そ が れ る 可 能 性 も あ り う る 。 こ れ は 、「 内 面 的 動 機 付 け (Intrinsic Motivation)の ク ラ ウ ディングアウト効果」として、経済心理学において、近年、受け入れられつ つ あ る 考 え で あ る ( Frey, 199 5) 4 。 わ が 国 で も 、 し ば し ば 、「 大 学 合 格 だ け が 目的化されているから、大学に入ってから勉強しなくなる」と、嘆かれてき た。ただし、それは、大学がそもそもテストによるインセンティブをきちん と使っていない(生徒を留年させない)からである、ともいえる。 どの程度の外的動機付けと内的動機付けの組み合わせが教育では最適な のか、実証研究としては今後の課題である。最も厳密にこれを確認しようと したら社会実験を行うしかない。ただし、諸外国の文献における、テストに よる教育効果の関心の中心は、子どもへの競争効果ではなく、学校や教師へ の競争効果である、ということは一言添えておきたい。テストが学習(人的 資本の蓄積)のインセンティブになるか、という視点での研究は、欧米の経 済 学 の 文 献 に お い て 、 比 較 的 新 し い 課 題 で あ る (Bishop, 2006)。 2) テ ス ト の 競 争 は 完 全 競 争 か ? 矢 野 (1991 , p.94 )は 、「 完 全 情 報 ・ 完 全 競 争 メ カ ニ ズ ム が 、 効 率 的 な 人 的 資 源配分を完成させた。 ( 中 略 )教 育 市 場 は 、経 済 市 場 以 上 に 効 率 的 で あ る 」と 主張し、その理由は、学歴の収益性に対する理解が行き渡っていること、学 校の威信最大化における最も重要な要素が生徒の質であること、そのための 競争が、試験という、ほぼ完全な情報の下で行われていること、だという。 そこでの暗黙の前提は、入試の難易度は市場における価格に相当する、とい うことである。そこで、試験を価格とのアナロジーで論じることが可能か、 と 問 題 が 生 じ る 5。 生 徒 を 教 育 サ ー ビ ス の 消 費 者 と 考 え る の で あ れ ば 、本 来 、生 徒 自 身 は 競 争 す る 必 要 が な い 。 通 常 の 経 済 モ デ ル で は 、「( 競 争 的 」 価 格 を 所 与 と し て 最 適 の選択をする」のが、消費者行動の基本である。競争すべきはサービスの提 供者=学校、ということになる。もちろん、教育の質は、生徒の質を投入物 として内生的に決まる場合もあり、その場合は、生徒の質に応じて差別化さ 4 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 れ た 価 格 が 競 争 的 に 決 ま る 場 合 も あ る (Rothsch ild and Wh ite, 19 95 )。 し か し 、 そのモデルでさえ、生徒は自ら努力をするわけではなく、単に、価格と質を 比較して、ベストの学校を「選択」するだけである。 実は、生徒側の競争と努力を明示的に考慮するためには、生徒を労働者と 見なし、労働市場のアナロジーを入れるしかないことになる。生徒の「切磋 琢 磨 」、 と し ば し ば 言 わ れ る の は 、 生 徒 を 労 働 者 と 見 な し て い る わ け で あ る 。 その場合、教育が、制度化された試験と定員管理により制約を受けているこ とを踏まえると、 「 ト ー ナ メ ン ト 」と し て 、適 切 な 設 計 に な っ て い る か ど う か が 問 わ れ る こ と に な る (Lazear and Rosen, 1981)。 だ が 、 能 力 が 異 な る エ ー ジ ェントが存在する市場への最適なトーナメント設計がどうあるべきか、経済 理 論 的 に 、必 ず し も 明 ら か に な っ て い な い (Ko no and Yagi, 2008 )。従 っ て 、現 実の社会の中で、試験制度をどう設計すれば、社会的に適切なインセンティ ブ体系を構築可能か、明示的なガイドラインは存在しない。 そもそも、テストによるトーナメントが、価格メカニズムと同等の意味を 持 つ か ど う か は 、経 済 学 で も き ち ん と し た 議 論 は ほ と ん ど な い 。Fernandez an d Gali (1999 )は 、 試 験 に よ る 生 徒 の 学 校 へ の 配 分 は 、 支 払 い 能 力 ( 価 格 ) に よ る 配 分 に 比 べ 、 (1 ) 一 般 に 、 家 計 の 借 り 入 れ 制 約 を 回 避 さ せ る と い う 意 味 で 優 れ て い る が 、 (2 ) テ ス ト 準 備 に 費 や す 資 源 が あ ま り に も 多 い と き に は 、 社 会的に非効率的である、と主張している。ただし、彼らのモデルでは、生徒 を学校に配分するメカニズムは、テストの点数の上から並べていくという単 純 な 仕 組 み で あ り 、現 実 の 入 学 試 験 の メ カ ニ ズ ム に 対 応 し て い な い 6 。そ こ で は 、試 験 準 備 の コ ス ト は 金 銭 支 出 を 伴 わ な い 個 人 の 心 理 的 負 担 だ け で あ る が 、 現実には、予備校や塾の費用を払えるかどうかが、入試の結果に大きな影響 を与える。これは、予備校が普及していない米国であっても、授業料の高額 な私立学校への通学が、大学入学の決定に大きな影響を与える点で、無関係 ではない。また、彼らのモデルでは、テストが学習へのインセンティブにな るという視点も存在しない。 5 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 4.教師の競争と教育 1) 教 師 の 学 び 合 い と 競 争 は 矛 盾 す る か ? 前節で見たように、教育経済学の文献において、競争を教育に導入する主 要な目的は、学校や教師が良い教育方法を学び合う契機を持たせることであ る 。筆 者 に は 、そ れ が 、時 に 意 図 的 に「 生 徒 間 の 競 争 」と 曲 解 さ れ る こ と で 、 外部からの批判・プレッシャーを回避したいと感じる教師に、教育方法に関 する助言さえ拒否する理由を与えているような気がする。 実 際 、 佐 藤 (2006 )は 、 学 校 で の 授 業 研 究 が 、 一 方 的 な 「 良 い 授 業 」 の 提 示 に 終 わ り 、学 び 合 う 関 係 に な ら な い こ と を 指 摘 し 、 「 一 般 的 に 言 っ て 、教 師 は 学び下手である。特に、同僚の教師から学ぼうとしないことは最大の問題と 言ってよいだろう」と断じている。教師の専門職性・自立性の復活を提起す る 代 表 的 研 究 者 が そ う 指 摘 す る の だ か ら 、状 況 は 深 刻 だ と 考 え ざ る を 得 な い 。 し か し 、 佐 藤 (200 6 )は 、「 学 び 合 う こ と が 下 手 」 な 教 員 を 変 え る た め の 解 決 策 を提示していない。 経済学から見ると、そのような「学ぶ姿勢のない」教員こそが、市場を利 用して解決すべき対象と考えられる。教育における「競争原理」は、本来、 生徒でも学校でもなく、教員に対して向けられるべきことである。教員間の 競争は、生徒のテストの平均点をもって行われる必要はないし、そうすべき でない場合も多い。従って、全国学力テストによる学校間競争の導入は、教 育に競争原理を持ち込む一つのやり方であっても、全てではない。 仮に、 ( 非 競 争 的 な )フ ィ ン ラ ン ド 型 の 教 育 が よ い 教 育 方 法 だ と す れ ば 、 「フ ィンランドの教育手法をどれだけまねているか」という競争があってもかま わ な い 。そ う で あ れ ば 、 「 フ ィ ン ラ ン ド 型 の 教 育 を 競 っ て 導 入 す る こ と は 、競 争主義か?」という問いは、すでに意味をなしていない。 良 い 教 育 政 策 、良 い 教 育 実 践 を 学 び 合 い 、吸 収 し て い く 意 欲 の 重 要 性 を 否 定する人はいない。問題は、良い教育実践や政策を吸収する動機付けを、そ んな「動機を持たない、学ぶことが下手な」教師に、どうやって植え付けさ せるかである。教師に良い教育方法の学び合いを動機づけるための政策は、 各地で行われている。例えば、港区、江東区を始めとするいくつかの自治体 は 、塾 の 教 師 と 学 校 の 教 師 に よ る 共 同 授 業 を 行 っ て い る 。こ れ は 、 「公立学校 6 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 の教師に塾の指導法を学ばせるのが目的」とも言われるが、その効果がいっ た い ど れ ほ ど あ る の か 、 検 証 は 行 わ れ て い な い 7。 経 済 学 は そ の 部 分 に 、競 争 の 意 義 を 認 め よ う と す る 。例 え ば 、佐 藤 学 (20 06) を読むと、 「 学 び の 共 同 体 」が 国 際 的 な 潮 流 で 、そ れ ほ ど す ば ら し い 方 法 で あ るなら、なぜ、これまで日本に広がらなかったのだろうかと感じざるを得な い 。 そ れ は 、 や は り 、「 競 争 」 が な か っ た か ら だ と 断 じ ざ る を 得 な い 。 教育における「競争」とは、決して、目先の点数を上げるために、教師が ドリルを使って生徒の尻をたたく姿を意味しない。その本質は、良い教育の 方法を学び合うインセンティブを学校に与えることにある。 「 競 争 」が な く て も、すべての学校、すべての教師が、よりよい教授法を模索して教室でいろ い ろ な 試 み を す る の で あ れ ば 、お そ ら く 、30 年 間 の 間 に 博 物 館 入 り し て し ま う よ う な 授 業 風 景 が 日 本 で 残 っ て い る よ う な 状 況 ( 佐 藤 , 1999, p.97) は な か ったであろう。 良 い 教 育 法 を 学 ぼ う 、と い う 動 機 付 け を 、ど の 教 師 も 自 発 的 に 持 っ て く れ れば良いのであるが、残念ながら、社会はそのような理想状態にない。その ため、すばらしい教育法であっても普及するまで何十年もかかる。その間、 質の高い教育を受けられなかった子どもの機会費用は膨大なものとなろう。 そもそも、生徒(保護者)の選好と教師の選好が完全に一致していれば、 余計な制約条件を課することなく、教師には完全な自由を与えることができ る。しかし、現実は、教師はまずもって労働者であり、生徒・保護者を 「 Principal」 と す る 「 Agent」 に 過 ぎ な い (Laffo nt and Marti mort, 20 01 )。 し か も、教室内での教師の行動の情報は不完全であるため、教育の「成果」に則 した一定の「インセンティブ」の導入が、経済学的には正当化される。 た だ し 、外 的 な イ ン セ ン テ ィ ブ の な い 環 境 で 長 年 仕 事 を し て き た 公 立 学 校 の教師に、いきなり数値目標によるインセンティブという、民間企業でも常 に 効 果 が あ る と は 限 ら な い 手 法 を 導 入 す る の は 難 し い か も 知 れ な い ( Gneezy and Rustichini, 2 000 )。 ま た 、 し ば し ば 、 内 面 的 動 機 付 け を 抑 圧 (clouding out) し な い た め に 、教 師 に は 金 銭 的 な 報 酬 よ り も 非 金 銭 的 な 報 酬( 表 彰 制 度 な ど ) がふさわしい、とも言われる。しかし、教育分野でこれらのことが実証され ているとは言い難く、今後の研究課題といえる。 7 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 し た が っ て 、現 時 点 で 、ど の よ う な 角 度 か ら も 最 適 と い え る イ ン セ ン テ ィ ブシステムを示すことは難しいが、確実に効果があると思われることは、教 室の開放であろう。それは、授業公開でもよいし、研究授業・参加授業でも よい。ペーパーテストによる教員免許の更新や昇格審査の導入以前に、公開 授業・研究授業と、同僚教師や保護者からのフィードバックを義務づけるべ きであろう。 2) 教 師 の 自 由 と 格 差 前節のような「インセンティブ」の導入は教師の管理の強化であり、教室 内での教師の自由を奪う、との主張もありうる。教育界においては、教師が もつ自立性・自主性を高めることが重視されている。そこに見え隠れする、 職業集団としての利害を考慮したとしても、一般論として、教育の質を高め ていく上で、教育手法や内容に関する教師の自由の確保は重要であろう。学 習指導容量による縛りや指導法の極度な管理は、授業から生き生きとした要 素や個性を奪うことは間違いない。そもそも、どのような競争や動機付けを 導入しても、教師に一定の自由がなければ、教育の質の向上はあり得ない。 ただし、そのような自由を無条件で認めることは、現状を所与とすれば、 教師の力量の差を露呈させ、教育の質の差を広げることになる、という認識 が 必 要 だ 8 。「 ド ッ グ ト レ ー ナ ー の よ う に ス ト ッ プ ウ ォ ッ チ を 持 っ て 」( 佐 藤 2005) 行 う 教 育 方 法 は 、 教 育 と し て の 創 造 性 は 著 し く 低 い が 、 同 時 に 、 ア ル バイトにさえできるという意味で、教師による差が最も表れない方法だ。高 いレベルの授業を求めれば求めるほど、個人の力量の差は出る。このトレー ドオフは教育のどのレベルでも、社会のどの分野でも、避けることはできな い。 「 差 が 生 じ て 良 い の か ? 」と い う 一 点 張 り の 問 い は 、自 由 と 創 意 工 夫 の 芽 をすべて殺すことになる。 本 来 の 自 由 主 義 は 管 理 を 徹 底 的 に 嫌 う の で 、究 極 の 教 師 の 自 由 を 求 め る 立 場からは、カリキュラムの統一やインセンティブの導入による管理さえ理念 として認めがたい。それは米国の教育システムのように、地域で税収として 得られる予算以上の一切の再配分を行わない(その代わり使い道やカリキュ ラ ム に は 一 切 関 与 し な い ) と い う 方 法 で し か 実 現 し な い 。 中 嶋 (2 007 ) は 、 全 8 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 国学力調査の分析を教育委員会にゆだね、教員や学校管理に使わせようとし ている文部科学省と、その情報開示による市場主義の完徹を意図する内閣府 の間で緊張感がある、と指摘しているのは、そのような理念の衝突のためで あ る 9。 5.学校・地域の競争と教育 1) 公 立 学 校 選 択 制 と 学 校 間 競 争 公立学校選択制度(いわゆる学校選択制)を批判する側は、この制度は、 公教育に競争原理を導入し、義務教育段階から格差を生みだすことで、社会 に 分 断 を も た ら す 、 と 主 張 す る 。 例 え ば 藤 田 (2 006, p.33 ) は 、「 公 立 学 校 で も 多様な選択肢」がある場合に「誰もが勝ち組になれるわけではなく、負け組 にされていく子どもも多くなる」と主張し、そのような格差構造が定着すれ ば、 「 自 分 た ち は 差 別 さ れ 、ず っ と 底 辺 を 歩 か さ れ て き た ん だ 」と 思 う よ う に な っ て も 不 思 議 は な い と い う ( 同 200 6, p .35)。 「 良 く な い 学 校 」 に た ま た ま 入 っ て し ま っ た 生 徒 が 、( 他 の 生 徒 か ら の ネ ガ テ ィ ブ な ピ ア 効 果 は の ぞ き )、教 師 な ど の 学 校 資 源 は 同 じ で あ っ て も 、学 校 のレッテルだけで、自分の将来に対する展望を失うとすると、これは経済学 でいう「統計的差別」と、それによる負のフィードバック効果、と解釈でき る 10。 統 計 的 差 別 の 存 在 を 実 証 す る こ と も 、 そ れ を 政 策 的 に 除 去 す る こ と も 通常難しい。しかし、教育分野においては、経済学者は一般的に、個人の潜 在 能 力 や 家 庭 背 景・ピ ア 効 果 さ え コ ン ト ロ ー ル す れ ば 、 「 学 校 の 名 前 」と い う 表層的な「ラベル」は、将来の所得や地位に対して決定力をもたないと考え ることが多いように思える。これは、義務教育段階から学校名のラベルがつ いてしまうことを問題視する多くの教育学者と対照的である。学校選択制に よる階層化をめぐる最大の争点が、おそらくここにある。 高校教育段階であれば、その学校名の「ラベル」は、しばしば入試時の偏 差値に基づくことになり、自分に対する将来の「統計的差別」の予想が、学 習意欲の喪失(負のフィードバック)に結びつく可能性はある。しかし、公 立小中学校での学校選択制(いわゆる公立中高一貫校は除く)では、入学試 験 や 授 業 料 に よ る 障 壁 は な い の で 、筆 者 は 、藤 田 が 心 配 す る ほ ど 、学 校 の「 ラ 9 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 ベ ル 」 や 「 統 計 的 差 別 」 が 深 刻 に な る と は 思 わ な い 11。 統 計 的 な 実 証 は 不 可 能 だ が 、筆 者 の 身 近 な 例 で 言 え ば 、事 実 上 の 学 校 選 択 が 可 能 に な っ て い る 都 内 北 部 の あ る 小 規 模 小 学 校 は 、 毎 年 の 入 学 者 数 が 10 人前後で、常に統廃合が話題になっている。しかし、そこに子どもを通わせ る保護者は、藤田の言うような「経済的に恵まれない、情報収集能力が欠け る 、教 育 熱 心 で な い 家 庭 」と い う わ け で は 全 く な い 。皆 、多 く の 情 報 を 集 め 、 自分の子どもにとって何がベストかを考え、小規模校の良さ悪さ、PTAな どの負担も考慮に入れて、その学校を選んでいる。小規模校というだけでそ の 学 校 を 避 け 、 中 規 模 校 に 通 わ せ る 親 が 、 平 均 的 に 「 教 育 熱 心 」、「 情 報 収 集 能力が優れている」と考えられる原理的根拠はないであろう。実証的にも、 小規模校の生徒の学力水準が低い、という研究を聞いたことはない。 さらに重要な問題は、仮に「ラベル」効果によるマイナスがあったとして も、それ以上に、競争がもたらすインセンティブにより、教育の質や労働生 産性や所得面でプラスの影響があるか、であろう。営利企業であれば、競争 の規律は資源利用の非効率性を減らし、生産効率を向上させ、長期的にはイ ノベーションをもたらすことで、所得水準の平均的な上昇をもたらすと考え ら れ る 。 し か し 、 教 育 学 者 の 多 く は 懐 疑 的 で あ る 。 例 え ば 広 田 (2 004 ) は 、 長 期的なキャリアに資するような知識や技能の習得ために、教育システムが改 善 さ れ る べ き だ (同 , p. 94)と し つ つ も 、「 個 々 の 学 校 が 提 供 す る 教 育 の 質 が 、 もし仮にすべての学校で向上したとしても、一般的な『非エリート』小中学 校の生徒達は、卒業した後のキャリアでは今よりももっと不利な条件で、よ り有利な社会化過程を経た同年齢の子ども達と(限られた)機会をめぐって 競争しなければいけなくなる」ため、どの学校に行く子どもも得をする、と い う 議 論 は 誤 り だ と 主 張 す る ( 同 , p .47)。 学 校 の ラ ベ ル に よ る マ イ ナ ス 効 果 を打ち消すほどに、教育の質が向上することはない、と考えていることにな る。 な る ほ ど 、現 在 の 公 立 学 校 制 度 が 一 般 企 業 と 異 な る 部 分 が あ る の は 事 実 で ある。学校間競争の効果が出てくるためには、教育サービスの供給主体(学 校)が企業のように、教師の採用権と資源配分権を持っているか、需要主体 (保護者)教師を評価し選択することが可能か、少なくともどちらかが必要 10 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 である。学校や教師自体の質に関する情報がなければ、確かに入学してくる 子 ど も の 差 異 だ け が 強 調 さ れ ( 藤 田 ,2006, p.34 )、 学 校 の イ メ ー ジ と ラ ベ ル 付 け が 行 わ れ る 可 能 性 は あ る 12。 ま た 、 現 在 の よ う に 、 教 員 の 配 置 が 、 学 校 で はなく教育委員会の裁量によりローテーション的に管理されていれば、学校 選択が行われても、当事者意識のない教師には、教育の質の向上も望めない であろう。教師自身に「当事者意識」がなければ、学校選択制は何の効果も な い 13。 そ う 考 え る と 、学 校 選 択 制 が ど の 部 分 で 競 争 効 果 を 持 ち う る か は 、人 事 政 策や学校統廃合計画、さらに情報公開政策も含めてワンセットでの政策担当 者 の 構 想 次 第 と な る 。 例 え ば 黒 崎 (2006)は 、 品 川 区 で の 学 校 選 択 制 導 入 結 果 の分析や、品川区教育区長とのインタビューなどを通じ、学校選択制が、条 件次第では、従来の公立学校に蔓延する官僚的な性格を打破する契機となる と 評 価 す る 14。 特 に 、 黒 崎 が モ デ ル と し て 評 価 す る 八 潮 南 中 学 で は 、 入 学 者 の減少に直面して、校長を始めとする関係者の努力により、一時期、入学者 をある程度回復した。しかし、黒崎が評価した直後、八潮南中は入学者を急 激 に 減 ら し 、 結 果 的 に 近 隣 四 校 と 合 併 し 、 2008 年 度 に 小 中 一 貫 校 (「 八 潮 学 園 )) と し て 再 出 発 す る こ と に な っ た 。 もちろん、一校のケースだけで、政策の意義を判断することには意味がな い 。統 廃 合 に よ り 、結 果 的 に 学 校 の 選 択 肢 が 減 っ て し ま っ た の も 皮 肉 で あ る 。 八潮南中のケースについて、どの時点での成果に注目するかで、学校選択制 に対して全く異なる見解が出てくるのは当然である。 あまり議論されていない点であるが、筆者が重要だと考えるのは、黒崎が 主張するように、学校選択制度導入の目的が「教職員の意識改革」だったと しても、費用対効果で本当にベストの政策だったか、もっと精査されるべき だということだ。学校選択制導入後、八潮南中学のように入学者を大きく減 らす学校が出たときに、いったん廃校にして新校舎を建設し、すぐれた教師 を配置することで「悪いラベル」を消し去って再出発することは暗黙のうち に想定されている。しかし、そのような結末は、新校舎建設費用などを考え る と 、安 上 が り と は い え な い 。保 護 者 に と っ て も っ と も 重 要 な 要 素 は「 学 校 」 11 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 ではなく「教師」であるのであれば、現状の学校選択制の運用は、コストが かかる割には実効性が限られている可能性がある。 2) 「 選 択 の 自 由 」 と 私 立 教 育 バ ウ チ ャ ー 私立学校教育バウチャーは、公立と私立間に、補助金面でより公平な競争 を導入しようという目的で提唱された。しかしながら、私立に公立と同等の 補助金を与えることによって、必ずしも、私立と公立が、競争上、立場が対 等 に な る わ け で は な い 。 こ の こ と は 、 赤 林 (20 0 7) で 詳 述 し た が 、 一 言 で 言 う と、わが国の私立学校は、入学者や授業編成を自ら選ぶ権利を既得権として 持っているために、補助金を対等にすると、私立は公立よりも競争上有利に なる。従って、バウチャーが、生徒にとっての選択肢の拡大をもらたすため には、私立の側の選択の自由、特に入学者の(恣意的な)選抜の自由を制限 するしかない。もし、規制を嫌うのであれば、補助金を拒否すればよいわけ で、このような制限を導入する私立バウチャー政策は、諸外国にしばしば見 ら れ る ( 米 国 の 一 部 、 ス ウ ェ ー デ ン 等 )。 学 校 選 択 の「 生 徒 の 側 の 自 由 」の 拡 大 を 、経 済 学 的 に 突 き 詰 め て 考 え る と 、 生徒選別の「学校の側の自由」の制限になるのは、自然なことであり、それ は 、 教 育 学 者 の 「 伝 統 的 」 な 主 張 と 一 致 す る 15。 そ れ を 考 え る と 、バ ウ チ ャ ー 推 進 派 が 私 立 学 校 側 の 選 択 の 自 由 を 残 し た ま ま、バウチャーによる補助金の導入を主張しているのは、市場原理に沿って い る と は 言 え な い 16。 お 金 を 払 っ て で も サ ー ビ ス を 受 け た い と 考 え て い る 消 費者を、支払い意欲とは別の基準で選別することは、消費者の選択肢の拡大 をもたらさない。 3) 和 田 中 の 試 み と 地 域 間 競 争 杉 並 区 立 和 田 中 学 校 は 、20 0 3 年 か ら 、元 リ ク ル ー ト 社 フ ェ ロ ー の 藤 原 和 博 氏を校長に迎え、数多くの新しい試みを行ってきた。特に、賛否両論で大き な 話 題 に な っ た の は 、「 夜 ス ペ 」 と 呼 ば れ る 進 学 塾 と の 連 携 で あ る 。 し か し 、 本稿で取り上げたいのは、 「 夜 ス ペ 」よ り も 多 く の 識 者 の 間 で 評 価 の 高 い 、 「土 テ ラ 」、「 よ の な か 科 」 等 と 呼 ば れ る 、 地 域 の 人 材 と の 連 携 に よ り 、 学 校 に 社 12 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 会 と の 接 点 を 導 入 す る 試 み で あ る 。地 域 と 連 携 し た 学 校 作 り は 、 「開かれた学 校 」、 「 学 校 を 中 心 と し た 共 同 体 」な ど 、呼 び 方 や ニ ュ ア ン ス は 様 々 で あ る が 、 新 し い 学 校 運 営 手 法 と し て 、 多 く の 教 育 関 係 者 の 支 持 を 受 け て い る 17。 し ば し ば 、 地 域 と 学 校 の 連 携 は 、「 学 校 に コ ミ ッ ト す る か 、 学 校 を 切 り 捨 て る か 」 と言った形で、学校選択制と対比される。 「 地 域 に よ る 解 決 」 と い う の は 、「 地 域 」 に よ る 「 民 主 的 な 」、「 共 同 体 的 運営」に対する無条件の賛意に基づくことが多い。ここでは、そのような手 法により、教育における格差が縮まるという保証はない、という点を指摘し ておきたい。地域やコミュニティによる解決は、地域の教育資源の差を直接 反映する。知的で教育熱心な(かつ時間的余裕のある)家庭の多い地域の学 校は、地域から多くの教育資源を得て、発展するであろうし、そうでない地 域の学校は衰退するであろう。しばしば、学校問題は地域問題は「ニワトリ が先か卵が先か」という関係(経済学的には「同時決定」と定義できる)に あり、それが両者の政策的な解決をややこしくしていることが多い。 その点に関して、学校選択制は、学校と地域をあえて分断することで、地 域 の 問 題 と 学 校 の 問 題 の リ ン ク を 切 断 す る こ と が で き る 、と い う 利 点 が あ る 。 地域に力がなければ、学区制の下での「学校の開放」は大きな力にならない が、学区制を取り払らえば、活力を失った地域に魅力のある学校を創設し、 域外からも生徒を呼び込むことで、地域発展のきっかけにすることも可能で あ る 18。 品 川 区 の 八 潮 学 園 は 、 そ の よ う な 視 点 か ら 注 目 す べ き だ 。 ま た 、 5 .1 節 で 筆 者 は 、 学 校 選 択 制 は 教 師 が 当 事 者 意 識 を 持 た な け れ ば ほ と ん ど 意 味 を 持 た な い 、と 議 論 し た が 、同 じ こ と は 、 「地域に開かれた学校作 り」にも当てはまる。教師が当事者意識をもたなければ、教師を当事者に含 め た 学 校 作 り (藤 田 , 2005, p.94)と い う 発 想 は 、全 く 意 味 を 持 た な い で あ ろ う 。 地域からどのような提案があったとしても、あと一年で他の学校に異動する 予想する教師が、 「 適 当 に や り 過 ご す 」こ と を 選 択 し て も 不 思 議 は な い 。逆 に 、 採用された地域全体の子どものために良い教育を実践したい、と考えている 教師であれば、どの学校に赴任しても、地域に対する当事者意識を失うこと はないであろう。 13 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 6.教育におけるアカウンタビリティー 1) 情 報 公 開 と 市 場 原 理 近年、様々な形で実施されている「学校情報の開示」は、学校や教師に対 して説明責任(アカウンタビリティー)を求め、同時に、教育の質の向上へ のインセンティブを与えるための、有益な方法であると考えられている。し か し 同 時 に 、学 校 別 の 学 力 テ ス ト 平 均 点 の 公 表 な ど に つ い て は 、 「学校の序列 化 を 促 進 す る 」 と し て 、 反 対 す る 声 も あ る 19。 ま た 、 説 明 責 任 は 、 学 校 の 直 接の利害関係者に対してのみ必要であり、学校別の成績をウェブに乗せる必 要などない、ということも言われる。 情 報 開 示 を め ぐ る 混 乱 の 一 つ の 理 由 は 、ど の よ う な 情 報 を 出 せ ば 何 を 説 明 したことになるのか、理論的な整理が行われていないことにある。 経 済 学 的 に 考 え る と 、学 校 ご と の 点 数 の 開 示 に 社 会 的 な 意 義 が あ る と す れ ば、それは、教育市場における情報の不完全性の改善であると言える。学校 教育がもしサービス(=生徒にとっての利得)であるのなら、どの学校がど のようなサービスを提供し、どれぐらい真剣に教育にコミットしているか、 そういった「教育の質」を推測できなければならない。しかし、ある学校の 教 育 の 質 が ど の 程 度 で あ る か 、本 来 あ る べ き 教 育 上 の 責 任 を 果 た し て い る か 、 絶対的な基準で判断することは難しい。どうしても、他の学校、他の地域と の比較が必要になる。 そ う 考 え る と 、学 校 別 の テ ス ト の 結 果 を 比 較 可 能 な 形 で 情 報 提 供 し て い か なければ、情報の不完全性は改善されないことになる。しかし難しいのは、 テストの結果を学校別に公表しただけでは、学校や教師の力量を示すことに はならないことだ。学校ごとの平均点は、必ずしも、自分の子どもが学校に 通った場合の利得を表さない。単なる学力の平均の比較だけでなく、子ども の家庭背景など、背後の様々な条件も考慮しなければ、学校や教師がベスト を尽くしているのか、当事者にさえ分からない。 真 に 教 育 の 質 を 情 報 と し て 得 た い の で あ れ ば 、自 分 自 身 と 家 庭 環 境・経 済 条件においてもっとも近い生徒が、各々の学校でどのようなパフォーマンス を 得 て い る か を 比 較 し な け れ ば な ら な い 。こ れ は 、 ( ど の 国 で も )通 常 の 学 校 情報の開示では得られないが、学校ごとの平均所得、生活保護世帯比率、さ 14 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 らには、入学時点での平均学力などが分かれば、単純な回帰分析からある程 度 推 計 可 能 で あ る 20。 更 に 言 え ば 、 筆 者 は 、 本 稿 4 .1 節 お よ び 5.1 節 で 、 教 師 の 当 事 者 意 識 を 高 めるような形での情報開示が必要であることを主張した。情報開示を教師の 当 事 者 意 識 と 結 び つ け る た め に は 、「 学 校 」 と い う 漠 然 と し た 単 位 で は な く 、 「教師」の力量が分かるように、情報を作っていく必要があろう。 2) ア カ ウ ン タ ビ リ テ ィ ー と 序 列 化 それでは、学校ごとのテストの点数・序列の公表は、どのような意味で有 益な「アカウンタビリティー政策」と呼べるのであろうか?そして、アカウ ンタビリティーの推進は、どのような時に有害なのであろうか? 一 般 的 に 、経 済 学 者 は 、個 々 の 学 校 の 情 報 が 正 確 か つ 客 観 的 に な れ ば な る ほ ど 好 ま し い 、 と 考 え る が 、 教 育 学 者 は 必 ず し も そ う 考 え な い ( 藤 田 ,2005, p.125)。そ の 理 由 は 、客 観 的・標 準 化 さ れ た 評 価 が 情 報 と し て 行 き 渡 る ほ ど 、 個々の学校のランクが明らかになり、レッテル貼りが強化されるからだ、と いう。 わ が 国 の 教 育 に 何 が 欠 け て い る の か 、議 論 が 活 発 に な っ て き た の は 、PISA、 TIMMS な ど に よ っ て 、学 力 の 国 際 的 な 序 列 が 明 ら か に な っ て か ら で あ る 。そ のような情報の公開は、わが国の政策上の問題点を国際的な視点からえぐり 出すためには必要であった。実際、学校の序列化を批判する識者も、国ごと の序列化自体は批判しない。それどころか、そのデータを自分の主張にあう よ う に 利 用 し て い る の が 現 実 で あ る 。 ま た 、 TIMSS と PI SA は 、 異 な る 序 列 を 示 し て い る こ と は 多 く の 識 者 が 認 め て い る 。例 え ば 、フ ィ ン ラ ン ド は PISA で は 上 位 に あ る が 、 TIMSS で は 上 位 に な い 。 そ う 考 え る と 、 国 ご と の 点 数 の 公開は、必ずしも一元的な序列化には繋がらない。 そ れ で は 、国 ご と の 序 列 の 情 報 は 有 益 で 、学 校 ご と の 序 列 の 情 報 は 有 害 な のか?その根拠とは何であろうか?それは必ずしも明らかではない。 そもそも、ある学校の「当事者」が自分の学校の情報だけ手に入れたとし て も 、イ ン タ ー ネ ッ ト 時 代 で は 、そ れ ら は す ぐ に 収 集 、比 較 さ れ る 。さ ら に 、 自分の学校の平均点と県(もしくは市町村)の平均だけ分かっても、何が問 15 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 題でどうすれば改善できるか、解決策を得ることは難しい。中途半端な情報 し か 与 え ら れ て い な け れ ば 、教 育 の 素 人 が 集 ま る「 地 域 本 部 」 「学校運営協議 会 」は 、結 局 、 「 玄 人 」で あ る 教 師 に 、全 て の 最 終 決 定 を を ゆ だ ね る こ と に な る。国際的な学力調査でも、国の平均点の比較では、どの政策を改善すべき か 答 え が で な い の と 同 様 で あ る 21。 地 域 や 学 校 の 差 異 を 隠 蔽 す る こ と で 、差 別 意 識 が 解 消 さ れ る よ う な 時 代 や 状況は過去にはあったかも知れないが、残念ながら、今はそうではない。イ ンターネット上に情報はあふれ、市民の間の知識は広がった。どのような政 策も、そのような状況を前提とせずに議論することは不可能である。真偽の 不確かな情報や噂がとどめるところなく流れる状況で、意味のある情報のみ を抽出するような、アカウンタビリティー政策の設計が求められている。そ れはおそらく、不確かな情報の流通を無意味にしてしまうぐらい詳細な学校 情報の公開であるはずだ。しかし、筆者は、そのような建設的な議論を聞い たことはない。 7 .「 競 争 」 は 教 育 の 敵 か ? 1) フ ィ ン ラ ン ド を ど う 考 え る か ? 近 年 、財 界 諸 団 体 が 、教 育 政 策 の あ り 方 に つ い て 提 言 を 行 う こ と は 日 常 茶 飯事になった。教育界には、産業界の要請に応えることに対する根強い抵抗 がある。しかしながら、産業界の要請に応える学力を定義し直すことこそ、 PISA が 目 指 し た も の で あ っ た こ と は 明 記 し て お く べ き で あ る ( 福 田 , 2007 a, p.6 )。 問 題 は 、 わ が 国 の 産 業 界 は 、 教 育 界 に 提 言 を す る 上 で 、 国 の 将 来 に と って必要な資質を理解しているのか、という点である。素朴に考えれば、将 来の産業を最も正確に予測できるのは産業界であり、それに応えるのがベス ト、となる。だが、過去15年にわたる不況で、多くの分野で国際競争力を 失い、人材投資による長期的な成長よりも短期的な生き残りのための「非正 規社員化」を進めてきた日本の産業界が、本当に将来必要な人材の資質を理 解 し て い る か 、 疑 問 が な い わ け で は な い 22。 過去においては、わが国は、臨教審で「教育の個性化・自由化」の流れを 作 っ た 事 実 も あ る 。 福 田 (20 0 7a, p .248 )に よ れ ば 、 フ ィ ン ラ ン ド の 学 校 教 育 や 16 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 PISA が 推 進 し て い る 教 育 観 は 、 「 自 ら 考 え る 力 」の 養 成 を 提 唱 し て き た 、1990 年 以 降 の わ が 国 の「 新 学 力 観 」と 決 し て 遠 く 離 れ て は い な か っ た と い う 。 「自 ら 考 え る 力 」 は 、 PISA に 先 立 つ 10 年 前 に 提 唱 さ れ て い る の だ 。 実 際 、フ ィ ン ラ ン ド 式 の 教 育 法 が 、本 当 に 学 力 水 準 に ど れ ほ ど の イ ン パ ク トを与えているかは分からない。社会条件や教育に投入されている資金も、 日本を含めた他の国と全く異なるからだ。それにも関わらず、日本だけでな く、世界中がフィンランド方式を注目し、表層的なまねも含めて、その良さ を 学 ぼ う と し て い る 。 そ れ は 結 局 、「 ア カ ウ ン タ ビ リ テ ィ 」「 テ ス ト に よ る 序 列化」の力である。 PISA の 成 績 に お い て 、フ ィ ン ラ ン ド が 日 本 を 上 回 っ て い る「 序 列 」に よ っ て 、今 後 、 「 新 学 力 観 」の 優 位 性 が 明 ら か に な る と す れ ば 、そ れ は 、日 本 に と っては皮肉なことだ。国際的には、情報開示と序列化によって、他の地域の 実践から学ぼう、という圧力が生まれている。わが国で「新学力観」が推進 された際には、序列をつけてでも、その優位性を示していこう、などという 戦略は存在しなかった。教育政策の推進に、一定の「競争」と「序列化」が なくてはならない証拠といえる。 フ ィ ン ラ ン ド ブ ー ム が 起 き た 結 果 、一 部 の 学 校 で は「 フ ィ ン ラ ン ド 方 式 を 導 入 し て い ま す 」と い う の が 売 り に な っ て い る 。皮 相 的 な 宣 伝 と も 言 え る が 、 私立は競争しなければ生徒が集まらないから敏感に反応する。もしこれが、 日 本 に 欠 け て い た 教 育 方 法 で あ る の な ら 、そ の 普 及 は す ば ら し い こ と だ 。 「よ い 教 育 実 践・政 策 を 学 び 、取 り 入 れ よ う 」、と い う の が 教 育 に お け る 競 争 で あ る 。 良 い 教 育 方 法 が あ る の で あ れ ば 、 そ の 普 及 に 20 年 も か け て は い け な い 。 そのために、学校システムには競争が必要なのだ。 2)「 競 争 」 の 呪 縛 か ら の 解 放 広 田 (2004 , p.75 )は 、「 新 自 由 主 義 」 的 な 教 育 改 革 の ビ ジ ョ ン は 、 経 済 の グ ローバル化に対する教育システムのあり方について明確な像を示しているこ と、個性や個人の自由などの概念が差異や弱者への一定の配慮を見せている こと、そして、犯罪や非行などに対する人びとの不安に明確に応えているこ と 、な ど の 理 由 か ら 、批 判 を す る こ と は 非 常 に 難 し い と し て い る 。そ の 上 で 、 17 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 「新自由主義」的ビジョンの一つの対案として、地球的規模での持続可能性 を視野にいれた経済社会観に基づく教育システムを提案する。 し か し な が ら 、 新 自 由 主 義 か 否 か 23、 と い う 問 い は 意 味 が な い で あ ろ う 。 個人の選択や競争を制限する立場も、かならず一定のレベル(学校、地域) での自律性(=権力からの独立性)を支持するため、どこかに必ず「自由」 が存在するからだ。それは教師個人かも知れないし地域かもしれない。いず れにせよ、よりよきものを求めて自由に学び合い、質を高め合う度合いにお いて、自由主義は差異を固定化し、拡大させる可能性があることを認めざる を得ないからだ。 今後、教育界が「自由」や「競争」と折り合いをつけていくために必要な ことは、現在の潮流を、各々の理想の実現に戦略的に利用していくしたたか さ で は な い だ ろ う か 。そ れ は 、言 葉 の 場 当 た り 的 な 利 用 で あ っ て は い け な い 。 「自由」や「選択」が本来持つ意義を、それがよって立つ経済学的な思考の もとで、逆手にとって利用していくのである。例えば、教育バウチャー制度 が根拠とする「生徒の選択の自由」は、突き詰めれば、学校側の選別の自由 の制限を意味することなど、その良い例である。中高一貫校の是非について も、 「 公 立 校 の 序 列 化 」、 「 エ リ ー ト 化 」と 、閉 ざ さ れ た 価 値 観 の 中 か ら 批 判 す るだけでなく、 「 学 校 選 択 の 自 由 と い う 観 点 か ら も 、知 能 テ ス ト の よ う な 選 抜 をすべきではない」という批判をするべきであろう。 同 様 の こ と は 、近 年 、 「 競 争 原 理 」の 導 入 を 主 張 す る 経 済 界 に も 言 え る 。 「企 業 で は こ う だ 」、「 経 済 原 理 で は こ う だ 」 と い う ア ナ ロ ジ ー で 教 育 政 策 を 論 じ ることに、一定の啓蒙的な意味があった時期もあると思われるが、現在はそ れ は と う に 過 ぎ て い る だ ろ う 。 PISA の 結 果 は 、「 生 徒 を 競 争 さ せ る の が す べ て で は な い 」と い う 認 識 を 後 押 し し た 。 「 競 争 」、 「 選 択 」と い う 言 葉 の 安 易 な 利用は、それを利用した適切な政策の設計を逆に難しくする。教育バウチャ ー論争をめぐる混乱は、その一例である。 2 0 年 前 、「 新 学 力 観 」 が 文 部 省 の 政 策 の 中 心 に 据 え ら れ た と き に は 、「 個 性 化 」、「 自 由 化 」 と い う 、 本 来 、 教 育 界 が 求 め て き た 理 念 が 実 現 さ れ る か に 見 え た 。し か し 、 「 新 学 力 観 」を 推 進 す る 側 は 、そ の 理 念 が 、ど の よ う に し た ら現実の学校の中で実現していくか、どれだけ教育効果が上がるのか、積極 18 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 的に根拠を作るために、諸外国の比較や社会実験の利用などを進めることは なかった。 「 個 性 化 」を 主 張 す る 財 界 の 声 を 利 用 し 、産 業 界 が 求 め る 資 質 が 新 し い 政 策 で ど の よ う に 実 現 し て い く か 、戦 略 的 に 示 し て い く こ と も な か っ た 。 1999 年 頃 か ら 始 ま っ た 「 ゆ と り 教 育 」 批 判 は 、 結 果 と し て 、「 個 性 よ り も 管 理 」を 主 張 す る 立 場 を 相 対 的 に 強 く し た 。こ れ を 嘆 い て い て も 仕 方 が な い 。 PISA に お け る フ ィ ン ラ ン ド の 評 価 の 高 ま り 、 全 国 学 力 調 査 に お い て 、「 塾 が ほ と ん ど な い 」 秋 田 県 の 小 学 校 が 一 位 に な っ た こ と の 衝 撃 24、 さ ま ざ ま な 困 難を抱えつつも教職大学院制度が始まったこと、和田中の試みなどを通じ、 学校と地域が連携することの重要さが理解されつつあるなど、重要な芽が出 てきている。これらを積極的に利用して、教育予算を増額し、公立・私立と も、教育の質を上げることに利用していくべきなのだ。 筆 者 の 経 験 で あ る が 、 あ る 高 校 教 師 の 勉 強 会 で 、「 勉 強 会 で 他 の 人 か ら 、 良い教育法や新しい知識を学び、自分も向上したい、と考えることこそ、競 争 心 な ん で す よ 」、と 語 っ た と こ ろ 、は じ め は「 教 育 に 競 争 は 無 縁 で す 」と 言 っていた教師からも、 「 そ う い う 競 争 な ら 我 々 も し て い ま す ね 」と い う 言 葉 が 出てきた。遠山の「競争原理を超えて」は、もっぱら生徒の間でのテストに よる競争の批判であった。今日、教育界で議論されている概念は、明らかに そ れ よ り も 深 く 広 い 。そ れ に も か か わ ら ず 「 、 競 争 原 理 を 教 育 に 持 ち 込 む な 」、 という一点張り、 「 子 ど も に も っ と 競 争 心 を 」と い う 安 易 な 市 場 の ア ナ ロ ジ ー により、教育界が失っているもの、市民から共感を得られずに終わっている も の は 多 い 。ま ず 、 「 競 争 原 理 」と い う 言 葉 の 呪 縛 か ら 、我 々 が 解 放 さ れ る こ とが必要だろう。 謝辞 本 論 文 の 執 筆 に 際 し 、 科 学 技 術 研 究 費 基 盤 研 究 (A) 一 般 (2 02430 2 0) の 助 成 を 利用しました。慶應義塾大学大学院の荒木宏子氏には、本稿の校正の労を執 っ て 頂 き ま し た 。 ま た 、 佐 藤 隆 之 氏 ( 早 稲 田 大 学 )、 広 田 照 幸 氏 ( 日 本 大 学 ) に は 、貴 重 で 詳 細 な コ メ ン ト を い た だ き ま し た 。こ こ に お 礼 を 申 し 上 げ ま す 。 参考文献 赤 林 英 夫 (2 007 )「 的 は ず れ な 日 本 の バ ウ チ ャ ー 論 争 」『 中 央 公 論 』 2 月 号 19 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 市 川 昭 午 ・ 菊 池 城 司 ・ 矢 野 真 和 (198 2 )『 教 育 の 経 済 学 』 第 一 法 規 市 川 伸 一 (2 002 )『 学 力 低 下 論 争 』 筑 摩 新 書 岡 本 薫 (2 00 6)『 国 を 滅 ぼ す 教 育 論 議 』 講 談 社 新 書 金 子 郁 容 ・ 鈴 木 寛 ・ 渋 谷 恭 子 (2000) 『 コ ミ ュ ニ テ ィ ・ ス ク ー ル 構 想 : 学 校 を 変革するために』岩波書店 苅 谷 剛 彦 (2 002 )『 教 育 改 革 の 幻 想 』 筑 摩 新 書 苅 谷 剛 彦 (2 003 )『 な ぜ 教 育 論 争 は 不 毛 な の か :学 力 論 争 を 超 え て 』 中 公 新 書 黒 崎 勲 (2 00 4)『 新 し い タ イ プ の 公 立 学 校 :コ ミ ュ ニ テ ィ ・ ス ク ー ル 立 案 過 程 と 選択による学校改革』同時代社 黒 崎 勲 (2 00 6)『 教 育 の 政 治 経 済 学 : 増 補 版 』 同 時 代 社 黒 澤 昌 子 (2 005 )「 積 極 労 働 政 策 の 評 価 ― レ ビ ュ ー 」『 フ ィ ナ ン シ ャ ル ・ レ ビ ュ ー 』 7 月 号 : 197-220. 佐 藤 学 (1 99 9)『 教 育 改 革 を デ ザ イ ン す る 』 岩 波 新 書 佐 藤 学 (2 00 5)「 改 革 に よ っ て 拡 大 す る 危 機 」『 論 座 』 2 月 号 佐 藤 学 (2 00 6)『 学 校 の 挑 戦 : 学 び の 共 同 体 を 創 る 』 小 学 館 佐 藤 学 ・ 苅 谷 剛 彦 ・ 池 上 岳 彦 (2001)「 教 育 改 革 の 処 方 箋 」 『 2 1 世 紀 の マ ニ フェスト』世界編集部編 岩波書店 遠 山 啓 (1 97 6)『 競 争 原 理 を 超 え て :ひ と り ひ と り を 生 か す 教 育 』 太 郎 次 郎 社 中 嶋 哲 彦 (2007) 「 全 国 学 力 テ ス ト は 公 教 育 に 何 を も た ら す か ― 公 教 育 の 目 標 管 理 と 排 他 的 競 争 の 組 織 化 」『 世 界 』 2 月 号 広 田 照 幸 (2 004 )『 思 考 の フ ロ ン テ ィ ア :教 育 』 岩 波 書 店 福 井 秀 夫 編 (2007 )『 教 育 バ ウ チ ャ ー :学 校 は ど う 選 ば れ る か 』 明 治 図 書 福 田 誠 治 (2 007a)『 格 差 を な く せ ば 子 ど も の 学 力 は 伸 び る :驚 き の フ ィ ン ラ ン ド 教育』亜紀書房 福 田 誠 治 (2007b ) 『 競 争 し て も 学 力 行 き 止 ま り : イ ギ リ ス 教 育 の 失 敗 と フ ィ ン ランドの成功』朝日新聞社 藤 田 英 典 (1 997 )『 教 育 改 革 :共 生 時 代 の 学 校 づ く り 』 岩 波 新 書 藤 田 英 典 (2 005 )『 義 務 教 育 を 問 い な お す 』 筑 摩 新 書 藤 田 英 典 (2 006 )『 教 育 改 革 の ゆ く え :格 差 社 会 か 共 生 社 会 か 』 岩 波 書 店 藤 田 英 典 (2 007 )『 誰 の た め の 「 教 育 再 生 」 か 』 岩 波 書 店 20 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 藤 田 英 典 (2 008 )「 和 田 中 『 夜 ス ペ 』 ―何 が 問 題 か 」『 世 界 』 4 月 号 矢 野 真 和 (1 991 )『 試 験 の 時 代 の 終 焉 』 有 信 堂 高 文 社 ゲ ー リ ー ・ S・ ベ ッ カ ー (佐 野 陽 子 訳 ). 1 976. 『 人 的 資 本 :教 育 を 中 心 と し た 理 論的・経験的分析:第 2 版』東洋経済新報社 Bishop, John (2006) “D rinking from the Fountain of Knowledge: Student Incentive to Stud y an d Learn – Extern alities, In fo r mation Proble m, and Peer Pressu re.” In E. Hanushek and F. Welch (eds.). Handb o ok of Econ omics of Education . Vol.2. No rth-Holland. Blau , Fran cine D., Marian ne A. Ferber, An ne E. Wink ler (2005 ) Economics of Women , Men, a nd Wo rk. 5 th Ed . Prentice Hall. Cole man, James, et.al. (196 6) Eq uality of Educationa l Ach ievemen t. Washin gton , DC: Office of Education. Cole man, Ja mes, Th o mas Ho ffer, and Sally Kilgore (1982) High Scho o l Achievemen t. Basic Bo oks. Fernand ez, Raquel an d Jo rd i Gali (1999 ) “To Each Acco rd ing to ...? Mark ets, Tourna ments, and the Matching Problem with Bo rrowing Constraints.” Review o f Econo mic Studies. 66(4):799-824 Frey, Bru n o (1 997 ) Not Ju st fo r the Money. An Econo mic Th eo ry of Person al Motivation . Ed ward Elger. Gn eezy, Uri, and Aldo Rustichini (2000) “Pay Enough or Don't Pay at All.” Qu arterly Journ al of Econo mics. 115(3):791-810. Hanushek, Eric (20 06 ) “School Reso u rces.” In E. Han u shek and F. Welch (ed s.). Ha ndbook of Econo mics of Ed uca tion . Vol.2. No rth -Holland. Kono, Hisaki and N oriyuk i Yagi (20 08 ) “Heterogen eou s Contests and Less In for mative Signals.” Japanese Econo mic Review 59 (1 ):113-126 . Laffont, Jean -Jacq ues, and Dav id Marti mort (2001) The Th eo ry o f Incen tives: Th e Principal-Agent Mo del . Princeton University Press. Lazear, Edward, and Sherwin Rosen (1981 ) “Rank -Order To u rna men ts as Opti mu m Labo r Contracts.” Journal of Political Economy. 89(5):841-864. Rothschild , Michael, and Lawrence White (1995) “So me Si mple Analytics of the 21 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 Pricing of Higher Education.” Jo urnal of Politica l Econ o my . 1 03 (3 ) : 573 -586 . Shimada, Haruo (1 981 ) Earnings Stru cture an d Hu man In vestment: A Co mp arison between the United States an d Jap an. Kogak u sha. 日 本 に お け る 賃 金 関 数 推 計 の 最 初 期 の 研 究 と し て Sh i m a d a ( 1 9 8 1 ) が あ る 。 米国では、公立学校間、私立・公立学校間の教育達成度の差がなぜ起きる か 、「 教 育 生 産 性 の 研 究 」 と し て 、 長 年 に わ た り 論 争 の 対 象 と な っ て き た 。 ( Coleman et. al., 1966, Coleman, Hoffer, and Kilgore, 1982) 3 同 様 の こ と を 、 苅 谷 (2003, pp.238-240)も 指 摘 し て い る 。 4 フィンランドをモデルに、テストの点数を目標としない方が、結果的に学 力 が つ く 、 と す る 、 福 田 (2007a, 2007b)の 主 張 は こ れ に 近 い 。 5 そ の 点 に つ い て 、矢 野 は 必 ず し も 明 確 で は な い 。 「 試 験 と い う 情 報 は 、価 格 と 同 等 以 上 の 役 割 を 果 た し て い る 。( 中 略 ) 試 験 の 結 果 が 、 利 益 に 交 換 さ れ 、 あるいは、プレスティージにも交換可能だと考えれば、試験は『価格』とい う よ り も 『 貨 幣 』 と よ ぶ の が 適 切 か も し れ な い 」 (矢 野 , 1991, p.95) 6 現実の入試では、生徒を点数順に並べるための情報作成―試験作成―に費 やす時間と資源が極めて大きい。 7 杉並区和田中の「夜スペ」は、最初から公立学校の教師に学び合いを期待 し な い 政 策 と 言 え る 。苅 谷 剛 彦 も 、 「 藤 原( 和 博 校 長 )さ ん は『 教 師 を 変 え る の は 難 し い 』 と 判 断 し た の だ ろ う 」 と コ メ ン ト を 寄 せ て い る (朝 日 新 聞 2008 年 4 月 12 日 )。筆 者 か ら 見 る と 、 「 教 師 に 信 頼 を 寄 せ て い る は ず 」の 佐 藤 も 、 藤原も、苅谷も、なぜかその部分はあきらめているように見える。それによ る社会的コストはいったいどれほどであろうか? 8 こ の こ と は 、苅 谷 (2001, p.173, p. 190)が 、資 源 的 裏 付 け の な い 総 合 学 習 の 導入が、結果的に力のある教師と力のない教師(そして地域)との差を広げ たと、主張してきたことと同様である。 9 経済学的には、情報が不完全な状況では、競争的な市場であっても配分が 効率的に行われないことが知られている。したがって、自由な競争さえあれ ば、一切の管理(インセンティブ)は不要だ、ということにはならない。 1 0 こ れ ら に つ い て は 、 Blau, Ferber, and Winlker (2002, p.228)を 参 照 。 1 1 藤 田 (2007, p. 142)が 引 用 す る 、 米 国 の 学 校 区 で の ホ ワ イ ト フ ラ イ ト や 日 本 の 私 立 へ の ブ ラ イ ト フ ラ イ ト ( 苅 谷 , 2001) は 、 学 校 選 択 に 所 得 制 約 が 直 接的な決定要因になるケースである。 1 2 岡 本 (2006, p.52)も 同 様 の 指 摘 を し て い る 。 13 た だ し 、 学 校 を 管 理 す る 校 長 に は 、 競 争 効 果 が 現 れ る 可 能 性 が よ り 高 い 。 校長は学校を代表する存在であり、その名の下での学校の人気回復は、金銭 的なメリットはともかく、大いに名誉心を満たされるからである。 1 4 学 校 選 択 制 に 関 し て は 、黒 崎 と 、藤 田 英 典 を 始 め と す る 教 育 社 会 学 者 と の 間 で 、 激 し い 論 争 が 行 わ れ て き た ( 黒 崎 , 2006, 広 田 , 2004)。 1 5 例 え ば 佐 藤 (1999, p.87)、 市 川 (2002, p.103)。 1 6 例 え ば 福 井 (2007, p.198)。 1 7 佐 藤 (1999, p.181-2)、 苅 谷 (2005, p.218)、 藤 田 (2005)、 金 子 ・ 鈴 木 ・ 渋 谷 (2000, p.157)。和 田 中 の 試 み に 関 し て 、藤 田 (2008)は 一 定 の 評 価 を し て い る 。 1 2 22 『労働と社会保障政策のフロンティア』島田晴雄先生退職記念論文集 34字x30行x15-20ページ 2008/09/18 18 地 域 格 差 の 激 し い 米 国 で 、貧 困 層 の 比 較 的 多 い 地 域 に 有 力 な 大 学 が 進 出 し 、 優秀な学生を引きつけている。シカゴ大、ペンシルバニア大、MITなどが 例として上げられよう。もちろん、キャンパス建設の費用が安くすむ、とい うのも進出の大きな理由である。 19 文部科学省は、 「 学 校 の 序 列 化 や 過 度 の 競 争 を 生 じ 、参 加 し な い 市 町 村 が 出ると調査に支障を及ぼす」として、全国学力テストの学校別の平均点デー タを「不開示情報」とするよう通知した。しかし、鳥取県で、情報開示請求 の 異 議 申 し 立 て に 対 し て 、 情 報 公 開 審 議 会 は 、「( 文 科 省 の ) 通 知 は 県 情 報 公 開条例の開示義務を上回るとは認められない」との判断を示した。 2 0 こ れ は 追 加 価 値 モ デ ル (value-added formulation; Hanushek, 2006, p. 88 7 参 照 )と 呼 ば れ る 。し か し 厳 密 に 言 う と 、観 測 で き な い 要 素 が 制 御 で き て い な い 以 上 、「 も し 自 分 が そ の 学 校 に 通 っ た と し た ら 」 実 現 す る で あ ろ う 学 習 を 、 その学校に通う他の生徒の情報から得ることはできない。このことは、統計 的 政 策 評 価 論 に お い て 最 大 の 課 題 で あ る ( 黒 澤 , 2005)。 2 1 2000 年 以 降 、 わ が 国 は PISA な ど の 国 際 学 力 テ ス ト で の ラ ン ク が 下 が っ て い る が 、そ れ を「 ゆ と り 学 習 」の 影 響 と す る 識 者 も い れ ば 、2000 年 以 降 に 広まってきた習熟度学習やドリル学習の影響ととする識者もいる。 2 2 広 田 は 、戦 間 期 の 工 業 高 校 の 卒 業 生 の 動 向 の 分 析 を 通 じ 、産 業 界 の 短 期 的 な ニ ー ズ と 教 育 界 の 人 材 供 給 の 間 に ズ レ が 生 じ て い た こ と を 指 摘 す る (2004, p.95)。 こ れ は 、 現 代 で は ど う で あ ろ う か ? 23 し ば し ば 、 「 共 生 」( 藤 田 , 2006)、「 公 共 性 」( 佐 藤 ・ 苅 谷 ・ 池 上 , 2001 ) な どの概念が「新自由主義」に対置される。 24秋 田 県 教 育 委 員 会 の 話 に よ る と 、 秋 田 県 で は 、 塾 に 通 う 子 ど も は 少 な い に もかかわらず、学校中心の予習復習で、小中学校までは、極めて高い学力水 準と小さな格差を保ってきた。 23
© Copyright 2024 Paperzz