9月号 - 米本不動産

瑕疵担保責任を負わない売買契約
平成28年9月3日発行
不動産の売買では、引き渡し後に発見された瑕疵について売主が
責任を負うか負わないかを予め取り決めますが、責任を負わないと
した契約でも、場合によっては買主から訴訟を起こされる場合があ
ります。
(例)土地の売買で、引き渡し後に建築工事を始めたところ、地
中から地下室や売主も知らない建築物が発見されました。
この土地は道路が狭く手作業よる撤去工事だったため、費
用が3000万円近い金額になりました。土地の代金からす
れば相当に高い金額のため訴訟となりました。
VOL.140
判決では「瑕疵担保責任免責」の特約を有効としながらも、「想
定外の多額の撤去費用」が発生しても、売主の瑕疵担保責任を免責
するような当事者の合意があったとはいえないので、売主の瑕疵担
保責任免責を本件には適用できないとしました。
このように、たとえ免責特約が付いていたとしても、一定の瑕疵
については適用できないということがあるので、売買契約において
その適用の可否の判断基準を特約合意しておくことが必要です。
発行
編集
製作
よねもと不動産
米本 博
米本 文子
№70 アパートに入居して15
アパートに入居して15年になりますが、長年の使用により畳が相当傷んできまし
15年になりますが、長年の使用により畳が相当傷んできまし
た。不注意で摩耗させたわけでもないので、大家に畳の張替えを要求したところ、
拒否されました。大家に修繕義務はないのでしょうか?
畳の張替えが賃貸人の修繕義務に含まれるのかが問題と
なります。
民法は賃貸人の修繕義務を定めています。ただし、無制
限に修繕義務を負うわけではありません。
賃貸人の修繕義務は①修繕の必要性、②修繕の可能性、③
建物の経済的価値、賃料、修繕額等、諸般の事情を考慮し
てその負担の有無が決められます。
修繕の必要性とは、およそ修繕しなければ契約によって
定まった目的に従って使用できない状態になったことをい
います。
したがって、破損、障害が生じてもその程度が賃借人の
使用収益を妨げるものでないかぎり、賃貸人は修繕義務を
負いません。
いかなる程度の破損をもって賃借人の使用収益を妨げる
状況とみるかは、具体的な事情によって判断することにな
りますが、質問のような畳の損傷は15年と長期間経過し
ていることから、使用収益に支障を及ぼす損傷と解され
修繕の必要性が認められることもあります。
②修繕の可能性・・・賃貸人の修繕義務は修繕が可能な
ときのみ生じます。この修繕の可能性は物理的、技術的
な点だけでなく、経済的・取引的な観点からも判断され
ます。(修繕が経済的に不能な場合とは、修繕が新築と
同様の経費がかかる場合とされています)
よって、畳の張替えは経済的観点から修繕は可能と解
されます。
③その他の事情・・・賃貸借契約の当初より建物の老朽
化等により賃料が相当に低額になったなどという事情が
ある場合には、賃貸人は修繕義務を負わなくても良いと
解されます。
以上のことから、畳の傷み具合にもよりますが、前記
①、②の事情により修繕義務を否定されないかぎり、賃
貸人は修繕義務を負うことになり、修繕費用も負担せざ
るを得ません。
ただし、賃借人が修繕義務を負担するとの特約があれ
ば賃借人が修繕義務を負う場合もあります。
もっともこのような特約は、民法606条の内容から離
れることとなり、特別の事情がないかぎり無効とされる
可能性があります。
シリーズ・わたしの営業体験
シリーズ・わたしの営業体験 №.23 はじめての家探
はじめての家探し
家探し3
前回は、父とローンのことで喧嘩・・・というところまででし
た。
あれほどローンのことを気にしていた父に何があったかわかり
ませんが、この日を境に家探しが本格化しました。
借家の立退き期限はそう遠くありません。とはいえ父を説得
できないことにはなにも始まりません。
「家のことはまったくわからんから、博、おまえが全部やって
くれ」
最初から父のことを期待していない私は、余計な口出しが
ない方がやりやすいと思っていましたから、渡りに舟です。
仕事仕事で家にほとんどいない父ですが、母が亡くなって
からは、どんなに遅くても夜の8時には帰ってくるようになりま
した。
理由は、家で飲むと稼ぎが悪いだのなんだのと母は父を責
めるからです。父の気持ちもわかります。
さて、当時(昭和50年頃)、不動産広告というと新聞の三行
広告くらいでした。いまのように新聞折込チラシはたまにある
くらいで、もちろんインターネットなどありません。
※三行広告・・・新聞の広告欄で三行程度の小さな広告。
詳細を知りたいと言うと、まず間違いなく名前と連絡先を
聞かれる。答えないとその場で電話を切られる。
外で飲むのが習慣だった父も、母が亡くなってからは外で
も家でもお酒を飲まなくなりました。そこで私から、たまには一
緒に飲もうと父に持ちかけました。
その日から、新聞の広告欄は必ず目を通すのが日課になり
ました。しかし、希望条件に合うものはなく、時間だけが過ぎ
ていきます。
「おっ、いいなぁ。博、ビール、酒、どっちがいい?」
うれしそうな表情の父を見ていると、案外、親も子に気を遣っ
ているんだなと知りました。
最近、家を買ったという勤め先の先輩に相談すると、物知り
顔で言います。
「広告に出るのを待っているだけでは駄目だな。不動産屋
に行かなきゃ良い物件はないぞ」
母が元気だったころの父、は仕事帰りに近くの屋台で一杯
引掛けてから飲酒運転(自転車)で帰るのが日課でした。
「家、買うか。頭金は父ちゃんが出すよ」
秋刀魚のおかげ
秋刀魚のおかげ
編 集 後記
性格的に好きになれない先輩でしたが、それはそれ。経験
者の言葉を信じ、次の休日は不動産屋を訪問することにしま
した。 次号に続く
ある夜のことです。いつもより呑み過ぎたのか酔いが回って
それまでとろんとしていた父が、いきなり真顔になりました。
月がと っても 青いか ら遠 廻りし
て帰ろう ・・・
昭和三 十年頃 でしょ うか 、その
頃、流行 ったこ の曲を 聞く と当時
のことを 思い出 します 。
バッタ 採りに 夢中に なり 、気が
付くと夕 陽が沈 み始め てい ます。
「いつま でほっ つき歩 いて いる!
いいかげ んにせ んか」
わたし の母は 怒ると まる で男の
ようでし た。頭 ごなし に怒 鳴りつ
け、言い 訳など しよう もの ならパ
シッと頭 を叩か れます 。
あゝま た叱ら れる・ ・・ 帰った
ときのこ とを思 うと心 が重 くなり
ます。で も帰る しかあ りま せん。
「明日も ここで 待って いる から」
遊び友だ ちの言 葉を最 後ま で聞か
ず家路を 急ぎま すが、 バッ タを捕
まえるの に体力 を使い 果た し、脚
に力が入 りませ ん。
それで も狭い 路地を 必死 に走り
ます。す るとど こかの 家か ら「月
がとって も青い から・ ・・ 」の歌
が流れて きまし た(歌 手: 菅原
都々子)
思わず 空を見 上げま した 。きれ
いな月が 出てい ます。
早く帰 らなき ゃと必 死で したが
少しくら い早く 帰った とこ ろで叱
られるの は間違 いあり ませ ん。あ
きらめて 、ゆっ くり帰 るこ とにし
ました。
草むら からは コオロ ギの 鳴き声
が聞こえ てきま す。季 節は すっか
り秋です 。
「ただ いま」
陽が完全 に沈ん だ頃、 よう やく家
にたどり 着きま した。
建て付 けが悪 く、開 ける のにコ
ツがいる 玄関の 戸を恐 る恐 る開け
ると、あ れっ、 だれも いま せん。
もうい ちど大 きな声 でた だいま
と言うと 、よう やく母 が出 て来ま
した。
「そん な蚊の 鳴くよ うな 声では
聞こえん 。もっ と大き な声 で言わ
なあかん だろう 。早く 手を 洗って
おいで。 きょう は秋刀 魚だ から」
てっき り爆弾 が落ち るも のと覚
悟を決め ていた のに、 いつ もの母
とは違い ます。
「市場で 美味し そうな 秋刀 魚が並
んでいた から、 つい買 っち ゃった
んだよ。 これか ら味噌 汁を 作るか
ら、おま えは七 輪で炭 をお こして
おいで」
だれだ って美 味しい もの は気分
よく食べ たいも の。叱 る方 だって
嫌に決ま ってい ます。
秋刀魚 が母の 心を変 えて くれま
した。
真っ赤 だった 炭に白 い灰 が被っ
てきまし た。
そろそ ろ焼き 頃です 。
網に秋 刀魚を 並べる と、 おいし
そうな匂 いとと もに煙 に襲 われま
す。ゴホ ゴホ言 いなが ら必 死でう
ちわを扇 いでい ると、 ちょ っと焦
げ過ぎで すが美 味そう に焼 き上が
りました 。
「焼け たよ~ 」ちょ うど 味噌汁
も出来上 がり、 みんな で「 いただ
きま~す 」
その日 の母は 、どこ にも いる普
通の母で した。