明恵の夢

明恵の夢
ところで、明恵の夢についてですが、明恵上人はほとんど毎夜のように夢を見られ、
その夢を克明に書きとめて『明恵上人夢記』という一冊の本にまとめられています。
その他にも、明恵上人の書かれた本の中に随時、夢のことが書かれていますので、
それらをすべて一冊にまとめたら彪大な量にのぼるでしょう。
明恵はしかし、どうしてこれほどまでに夢に固執したのでしょうか。正直なところ、
私には、明恵が19歳の年から亡くなる一年前まで、実に50年ものあいだ夢のことを
記録せずにいられなかった心情がよく理解できないのです。普通の人間なら「何だ
夢だったのか」ですんでしまうところを、延々数十年も毎夜毎夜、夢にこだわり続けた
心情は何だったのでしょうか。
それに、明恵の夢は現実との境目がないのです。現実が夢につながり、夢がまた
現実につながって、何の異和感もないというのは凄いものです。明恵にとって夢は
現実ですから、19歳以後の明恵は50年の2倍、100年生きたことになるでしょう。
さて、その明恵の記録した夢のいくつかを、多少のコメントと共に紹介することにい
たします。原文は漢文と仮名交り文で甚だ読みにくいので、書き下しに直してありま
す。
建久7年8月の夢。
一、夢に、金色の大孔雀王有り。二翅(にし・羽根が二枚)あり。其の身量人身よ
り大きなり。其の頭・尾、供に雑(くさぐさ)の宝・瓔珞(ようらく・胸飾り)を以て荘厳せ
り。遍身より香気薫り満ちて、世界に遍し。二つの烏、各、空中を遊戯飛行す。
瓔珞の中より微妙の大音声を出し(いだし)、世界に遍し。其の音声にて、偈を説
きて日はく(いわく)、「八万四千の法、対治門、皆是、釈尊所説の妙法なり」。人
有り、告げて日はく、「此の鳥、常に霊鷲山に住み、深く無上の大乗を愛楽して
世法の染著(せんじゃく)を遠離す」と云々。鳥、此の偶を説き巳りし(おわりし)時、成
弁(明恵のこと)の手に2巻の経を持つ。一巻の外題には仏眼如来と書き、一巻
の外題には釈迦如来と書けり。是は、彼の孔雀より此の経を得たる也と思ふ。
成弁、此の偈を聞く時、歓喜の心熾盛也。即ち、「南無釈迦如来、南無仏眼如
来」と唱へて、涙を流し感悦す。即ち2巻の経を持ちて歓喜す。夢覚め巳るに
(おわるに)、枕の下に涙湛ヘりと云々。
ずいぶん凄い夢を見るものですねえ。枕の下に涙が潜るほどに泣く人間なんて今の
時代にはほとんどいないでしょう。明恵が仏眼如来と釈迦如来に対して母と父を思う
ような気持でいたことがよく分ります。幼時体験がいかに長く尾を引いてゆくものか思
い知らされるような夢でした。
元久元年9月3日、紀洲より移りて、神護寺の槙尾房(まきのおぼう)に還住(げんじゅ
う)す。
一、同11日、学問、之を始む。未だ書籍を取り寄せざる間、一両(一、二)の同
行とともに香象( こうぞう・唐の僧賢首(けんじゅ) 法蔵の大師号)の密厳の疏(注釈
書)を読み始む。其の夜、夢に云はく、紀洲かふら坂(蕪坂・熊野路の一壷王子
と山口王子との間にある坂)と覚しき所に、成弁が居処と思しき庵室あり。わりな
く之を造れり。此の房の処は以ての外の高処也。其の下に大きなる湯屋あり。
然も、成弁、或るところに於いて、一部の書上中下3巻(本経の儀軌かとも覚ゆ)
を借り得たり。一処に置かむと欲す。此の湯屋に到り、止まり息ひて(いこいて)、
此の本の庵室を見挙げ、此処に居らむと思ふ。心に思はく、我が前の房、巳に
(すでに)破れにき。然れども此の庵室故(もと)の如し。敢て拘労(くろう)を用ゐず、
須く(すべからく)之に居るべしと。
此の思惟を作す(なす)際、一つの雀有り。一つの鴿(こう)鳥で飛び来る。雀は灰
の中に落ち、鴿鳥は樹に居り、成弁、此の雀を取り、又、鴿鳥に向ひて言はく、
「願はくは来たりて我が手に居よ。」即ち、飛び下りて手に入る。此の雀死に了
んぬ(おわんぬ)。彼の庵室の辺に(ほとりに)仏頂房有りて、云はく、「此の鴿(いえば
と)、変じて涌(よう)とならむ(泡となるだろう)」と云ふ。成弁之を聞きて思はく、此
の鳥、雲霞(うんか)等の如くなるものに成るべきか。即ち涌。(此の字かと思ふ)
此の鴿、片目にしのつき(角膜にできる白い点)の如くなる物あり。而も、死する
かと思ふ程に、手を放ちて之を見るに、飛びて外に去りて近き辺に居たり。又之
を呼べば、来りて手に住る(とどまる)。今度、あを(青)き鳥と成る。糸にて組みつく
れるが如し。漸く青雲と成りて空に上る。成弁、手を挙げて此の雲を取り、漸々
に(ぜんぜんに)之を飲む。次第に空に上るを次第次第に之を取りて飲む。後は白
雲にして上る。之を取りて飲む。皆、飲み己る様に思ふ。之を飲む間に此の事
を思ふ。一切を利益せむ。
この鳥の話も大した夢ではありませんね。書き留めておくほどの話ではないでしょう。
鳩が青雲となり、明恵がそれを飲むほどに上へ上へと昇っていくというのも荒唐無稽
です。最後にひょいと「一切を利益せむ」というのも、とってつけたようでおかしいで
すね。要するに、書くほどの夢ではない、ということです。
承久2年
一、同11月3日中の剋(こく)より、案に(つくえに)懸りて眠り入りたる夢に、三昧観
の時の毘盧舎那像(びるしゃな・ヴァイローチャナ・大日如来のこと)を見る。其の
像の左右に、覆耳(ふに)の天衣の中程より黄なる珠を貫きて荘(よそおい)と為すと
云々。障子の光に非ずして、耳を覆耳の天衣の半ばより懸れる玉々(ようらく・胸
飾りのこと)也。
一、同11月6日の夜の夢に云はく、・・・一屋の中に端厳なる美。
女有り。衣服等奇妙也。而るに、世間(よのなか)の欲相に非ず。予と此の貴女と
一処に在り。無情に此の貴女を捨つ。此の女、予を親しみて遠離せざらむの事
を欲す。予之を捨てて去る。更に世間之欲相に非ざる也。比の女一つの鏡を
持つ。糸金を以て様々にからげたり。又、此の女、大刀を持せり。
案じて云はく、女は毘盧遮那也。即ち是、定めて妃也。
即ち、此の女の夢に驚きて、其の後夜に禅堂に入ると云々。此の時、禅中にわ
かに尊玄僧都有り。禅堂の外に在りて云はく、「此の禅法は宛も(あたかも)深き秘
密也。権機に非ずして法を得べし」之を讃歎す。
この夢、奇妙ですね。奇妙なのはこの美女の衣服等ではなくて明恵の心事です。女
は明恵に親しみ、離れたくないといっています。明恵はこれを捨てて去っています。
夢の話とはいえ、生々しいですね。捨てて去るぐらいなら、どうして一処にいたのでし
ょうか。明恵は「世間の欲相に非ず」と2度も断っています。夢の中の出来事の言い
訳を2度もするのは、明恵の内心に、この美女への欲想があったからでしょう。「此の
女の夢に驚きて」禅堂に入るというのも奇妙な話です。それを禅堂の外にあった尊
玄が讃歎するのも奇妙な話です。夢の中とはいえ、美女に心を奪われかけ、その美
女を捨て去り、夢醒めてのち禅堂に駆け込んだ明恵の心境は、そう誉めたものでは
ないと思うのです。が、尊玄は「深き秘密也」と言いました。
密教の「秘密」には二種あります。一は「如来秘密」で、これは如来が、相手の機
根によっては深い境地を教えないという秘密です。もう一つは衆生の秘密で、全て
は明々白々なのに、衆生の眼に迷いがあるのでそれが見えないことをいいます。で
も尊玄の言う秘密は、そのいずれでもないようです。こんな時に、こんなおべんちゃ
らを言うことはないでしょう。尊玄は大した男ではないようですね。
こんなことは『夢記』に記すほどの値打ちはないでしょう。それでも書いたのは明恵
が夢に深くこだわっていたからだとしかいいようがありません。明恵はどうも、度々自
分から女犯したくなった時があるようですね。その度に邪魔が入って遂げられなかっ
たというのが真相でしょう。でも、そういうところが明恵の魅力の一つなのでしょうか。
どうも私には魅力のようには思えません。夢の中でその女とやってくれた方がすっき
りしていいなと思います。我れながら品がなくて申しわけありません。(紀野一義)