お父さんは魔法少女 - 俺的小説賞

お父さんは魔法少女
永作一樹
□
何時からだろう家族の会話がなくなったのは。
思い出せば息子が小学生の頃、絵を書いてきたことがあった。
家族全員でその絵を囲んで話をした。
あれがそう、何年前になるのかな。
息子が高校に入ったころぐらいから私と距離を置き始めた。
最初はただの反抗期と思っていたが、本当は学校でいじめられていた様で誰にも言えず考え
込んでいたようだ。
それに気づけないまま月日が立って、息子は高校を辞めて自分の部屋から出てこなくなった。
軟弱者とでも言って、頬でも叩ければ何か変わったかもしれない、が、いかんせん私にはそ
んな勇気などなく、ただ毎日会社に行って帰ってきての繰り返し。
妻とは何年か前から別々の部屋で寝ている。
冷めた夫婦と言われれば「そうですね」と素直に答えられるだろう。
誰のせいなんて考えたこともなかったが、多分全て私のせいなのだろう。
そんな中、今日もいつものように会話のない夕食は続いていた。
黙々と煮物を口に運ぶ、薄味で味があるのかないのかもわからない。
妻と親父とお袋が同じテーブルで食べているはずなのに、まるでファミレスで知らない人と
相席してしまったような気まずさを感じながら箸を進める。
息子の夕食はいつも通り妻が部屋の前に置いてきたのだろう。
夕食を食べ終わった順にごちそうさまも言わずに立ち上がり、片付けもせずに自分達の部屋
に戻っていく。
そんな自問自答を毎日考えながら何も出来ずに今日が終わっていく。
これでいいのか、変えなければいけないのじゃないのか。
これが私の求めていた家族像なのか。
ダブルベットが一つ部屋の中央に置いてある部屋で、ベットに腰掛けて考える。
私もご飯を半分残し席を立つ、空腹は満たされているはずだが何か違和感を感じながら自分
の部屋に戻っていく。
ふと壁にかかっている時計に目をやると、いつもまにか深夜一時を指していた。
一体夕食が終わって自分の部屋に戻ってきてから何時間同じ格好で考え込んでいたのか。
こんな時間に電話をかけてくる人なんていないはずだが?
息子も、こんな風に自分だけで抱え込んで部屋に居たのかと思うと、胸が締め付けられた。
ふと、気づくと机の上に置いてあった携帯電話が光っているのが目に入った。
私は立ち上がり、二歩ほど歩いて机の上の携帯に手を伸ばす。
携帯を開くとディスプレイには登録されていない番号からの着信が知らされていた。
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仕事の電話ではないと思うが一応出てみようと思い、着信のボタンを押した。
「もしもし、どなた様でしょうか?」
声をかけてから少しの間待ってみたが返事がない。
「間違い電話でしたら切りますよ?」
『変わりたくありませんか?』
ふいに耳を劈く甲高い声が電話越しに流れた。
『変わりたくありませんか、そう言ったんです。今の日常。冷え切った家族。何もない貴方。
そんな状態から変わりたくありませんか?』
何を言ってるんだ。
『変わりたいなら、玄関にある服に着替え、横に置いてある武器を持って二丁目の空き地へ来
てください』
「ちょ……」
『では、』
そう言い終わると電話は一方的に切られてしまった。
「くそっ!」
履歴からその電話番号に掛け直してみるものの『電源が入っていないか……』と同じアナウ
ンスの繰り返し。
一体今の電話は何だったんだ。
変わりたいなら二丁目の空き地。
くだらない。誰が行くものか。
携帯を机の上に置き、ベットに踵を返す。
仰向けのままベットに飛び込む、少し前からスプリングが効かなくなったのか少し体が痛い。
『変わりたくありませんか?』
その一言が頭の中で反芻される。
「変わりたいさ、でももう遅いんだ」
誰に言うでもなく呟く。
もう、全部手遅れなんだよ。
「……変わりたかったよ」
気づいたときには顔の下にある布団は涙でグシャグシャに濡れていた。
ベットから体を起こし、部屋から出る。
玄関に行ってみると服が綺麗に畳んであり、その横に太さ五センチ長さ一メートルほどの木
の棒が置かれていた。
畳んであった洋服を拾い、広げてみる。
「これを着るのか」
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明らかに全身タイツ、まごうことなき黒い全身タイツが目前に広がった。
これを着るのか、私は少し迷いながらも腹を決めて着ることにした。
「服を脱がないといけないな……」
今から部屋に戻る気も起きない、私はその場で自分の服を脱ぎ始めた。
苦戦は強いられた物のどうにか全身タイツは着れた。
よく見ると腹のあたりに『魔法少女』と書かれている。
「魔法少女ね」
魔法少女は少女がなるから魔法少女であって、こんな中年がなったら魔法中年なんではない
のだろうか。
本当にどうでもいい事を考えてから、横にある木の棒を手に取った。
「二丁目か……ここから走って五分ぐらいだな」
私は今の会社に十八歳の入社時から愛用している革靴を履き、家を後にした。
□
近くだと思っていた空き地は自分が思った以上に遠く、最初は軽快に動いていた足は鉛のよ
うに重い。
日々の運動不足がこんな所にでるとは、こんな事ならばジムにでも通っておくべきだった。
空き地には着いたものの、誰もいない。
子供達が遊ぶには十分の広さの空き地には草以外は何もなく、あるのは奥のほうにある子供
が四人ぐらい入れそうな土管だけ。
自分が子供の頃はよくここで遊んだ物だが今の子供達は家でゲームばかりで休日の昼間でも
子供の姿をあまり見かけなくなった。
「これも時代かな」
自嘲気味にため息を漏らす。
遥か遠くではあるが土管の真上に何かが落ちてくるのがわかった。
落ちてくる。
私は何気なく夜空を見上げる。
上の方から何か音がするような気がする。
ここで、五分待って何もなかったら帰ろう。
私は土管の場所まで歩いて重い腰を上げ、土管の上に座った。
「?」
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急いで土管から下り、距離をとる。
それは勢いよく土管に落下した。
土管の中央は跡形もなくなってしまい、その場所にはそれはいた。
「鼠?」
それはどう見ても鼠だったが、いくら考えても鼠は言えない大きさの物だった。
何故、この鼠は私ほどの大きさをしているのか。
どうして、顔は鼠なのに体は人間でしかも筋肉隆々なのか。
そして、私に向かって二足歩行でゆっくりと歩いて来ているのか。
「わからない事だらけだ」
私は右手に持った木の棒を力強く握り締めた。
一歩ずつ近づいてくる鼠男。
その言葉が脳裏に過ぎった。
足が震える。
どうしたらいい……どうしたら……
『変わりたくありませんか?』
こいつを倒せば、変えられるのか?
家族が取り戻せるのか、昔自分が思い描いたものが手に入るのだろうか?
いや、むしろここで殺されてしまえば……
私が死んだら誰か悲しんでくれるだろうか?
妻は、息子は、親父は、お袋は私の死に涙を流してくれるのだろうか?
気がつけば鼠男は目前に迫ってきていた。
自分の三歩前ほど前で歩みを止める鼠男。
それにしても美しいほどの大腿筋、と、こんな状況なのに見惚れてしまう。
男ならば人生で一度は考える『自分がもしかしたらゲイではないか』との不安。
十八のときに払拭したはずの不安は今目前に迫ってきた鼠男によりグラリと傾いた。
「いや、それはないな」
傾かなかった。
鼠男はその場で微動だにしない、鼻の頭だけがピクピクと動いているだけだった。
「変わるためには倒すしかない」
でも、どうすればいいんだ。
武器と言われて持ってきた木の棒だけ、これでこんな筋肉隆々な鼠男に勝てるのだろうか。
胸に書いてある魔法少女の文字を眺める。
魔法少女=マジカルステッキ=中年=木の棒
「そういうことか!」
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これで戦えばいいんだな。
待て、確か魔法少女にはそう、呪文があるはずだ。
言わなくてもいいじゃないか、そんな意見もあるだろうが私の中ではそれは許されない。
考えなければ、何か、何か言い呪文を。
その時、頭の中で一つの言葉が生まれた。
「キュン……キュン……ペリッポ……?」
これか、これが私の呪文なのか?
やるしか! やるしかない!
木の棒を持った右手を上に大きく振りかぶり、鼠男に向かって振り下ろす。
「キュンキュンペリッポ! 朝がきて! キュンキュンペリッポ! 昼がきた! キュンキュ
ンペリッポ! 夜がくる!」
連打、ひたすらの連打、無我夢中だが少しの恥じらいを混ぜ合わせながら全ての力を木の棒
に託す。
鼠男の頭部に集中して連打された打撃で鼠男の頭からは夥しい量の血が飛び散っていた。
まだだ、まだ足りない!
木の棒を両手で持ち、真上に大きく振りかぶる。
「おやあああああすううううみなさいいいいいいい! うああああああああああ!」
我武者羅にただひたすらに目の前の筋肉隆々な鼠男を倒すために何回も、何十回も、何百回
も、何千回も、何秒も、何分も、何時間も叩き続ける。
「はっ、はっ」
気がつけば目の前の鼠男は自分の目の前で夥しい量の血を流しながら倒れていて、空は朝焼
けが眩しく輝いていた。
自分が着ている全身タイツも鼠男の返り血で真っ赤に染まっていた。
「勝った……」
これで自分が変われたのか変われていないのかはよく分からない、だけど、だけど。
「おはようございまあああああああああす! ああああああああああああああああああ!」
私は高らかに勝ち鬨を上げた。
□
その日から毎晩あの電話番号から『二丁目の空き地へ来て下さい』と電話があり、正装に着
替え空き地へ向かい蟹娘や、蝙蝠おじさん、蜥蜴伯爵等々、バラエティにとんだ怪人達を鼠男
と同じ要領で倒していった。
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毎回、倒し終わった後の全身タイツには怪人達の返り血で真っ赤に染まっている。
それを家に帰ってから綺麗に洗い、自分の部屋に干すのが毎日の日課になっていた。
家族との関係は何も変わっていないように思えるが、私の中には今までにはない満足感が溢
れ返っていた。
何日か前に全身タイツは、一枚だと心許ないと思いはじめ、電話主へ『着替えのタイツが欲
しい』と伝えると次の日の深夜に替えの全身タイツが玄関に置いてあった。
中々親切である。
一応換えの全身タイツは会社に持っていく鞄の中に入れておくことにした。
今は深夜帯にしか電話は来ていないがいつ何時電話がかかってくるかはわからない。
私が、私が家族を守っているのだ。
勝手ではあるかもしれないが、この想いが私達、家族を繋いでいるように感じている。
「おっと、もうこんな時間か」
全身タイツをハンガーにかけ、木の棒を鞄の中に入れてからベットで一息ついていたら会社
の出社時間になっていた。
「駅まで走らないと間に合わないな」
ベットから立ち上がり、部屋を出る。
と、そこにはいつも見送りにもこない妻が何故かそこにはいた。
今からでも遅くない。
謝って、謝って、これからの話をしよう。
妻が何を話してきても私は妻に謝ろう。
そうだ、丁度良い機会だ。
一体、妻は今夜私に何の話があるのだろう。
出来るだけ平静を装いながら「わかった」と横を通り過ぎるが内心は穏やかではない。
妻は私の目を直視しながらそう言った。
「あなた……今日の夜、大事な話があるの」
家族になろうと伝えよう。
まだ変われる。
まだ遅くない。
鞄の中に入れてある木の棒を握り締め、私は会社に向かった。
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「すいません、今日は早く帰らせていただきます」
部長にそう伝えると「珍しいね」とびっくりされてしまった。
考えれば私が定時に家に帰ろうとすることなんて新婚の時もなかった。
「どれだけ家庭を大事にしていなかったんだろうな」
会社から外に出でから空を見上げる。
まだ太陽が落ちきっていない空は何だか晴れやかで、とても清清しい気分になれた。
「そうだ。ケーキでも買って帰るか」
妻や、息子がケーキが好きかどうかはわからない。
それでも買って帰ろう。
食べなくてもいいんだ。
大きく伸びをしながら道を歩く。
私は妻の為に考え、息子を想ってケーキを買う。
親父とお袋は今度温泉にでも連れて行こう。
「さ、これからは忙しいぞ」
と、十メートルほど先目の前に見知った顔が見えた。
「何でこんな所に」
髪型や、服装がいつもと違うから分かりにくいがあの造型の悪い顔はどう考えても私の息子
だ。
何故、引き篭りの息子が私の会社の近くにいるんだ?
息子は何やら金髪の若者と話をしているようだ。
と、言うか。
「絡まれてるのか?」
どうみても首元を掴まれて顔面蒼白になっているように思える。
私が助けなければ!
周りに人はいるはずなのだが、全員見てみぬふりをして息子と若者を上手い事避けて通り過
ぎていく。
だが、相手は若者今のままの私では到底歯がたたないだろう。
しかし、今の私にはこれがある。
私は道の真ん中でスーツを勢いよく脱ぎだす。
周りに居た人達が何か叫んでいるが関係ない。
私は息子を助けるのだ。
私しか息子を助け出せないのだ!
生まれたままの姿になってから鞄から綺麗に折りたたまれた全身タイツを取り出し、息つく
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まもなく着る。
鞄の中の木の棒を握り締めると、私の中の何かが爆発した。
「そおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
全速力で走り、若者の膝へ飛びつく。
「とらあああああああああああああああいいいいいうわあああああああああ!」
必死に、死にものぐるいで若者を倒しにかかる。
「今度は何だよ!」
到底人間のそれとは思えない顔をした息子は脅えた様子で足にしがみついた私を見ていた。
「ここは私に任せて逃げるんだ!」
そう言うと息子は一目散に駅の方向へ走っていった。
後はこいつを倒すだけだ!
足にトライしたのはいいものの、若者は微動だにせず、膝をついている私を上から見下ろし
ていた。
「これならどうだ!」
私は木の棒で若者の膝の皿を全力で叩き始めた。
「キュンキュンペリッポ朝あああああああああああああああ」
膝を二回ほど叩いたところで、若者に上から頭を殴られた私は頭を抑えながらコンクリート
の上をのた打ち回った。
「何なんだよお前!」
若者は私の腹を右足で蹴り上げた。
痛い、声にもならない嗚咽だけが私の口からこぼれる。
「全部お前のせいなんだろ! わかってんだよ! お前が悪いんだ! 全部! 全部!」
仰向けに転がった私に若者は馬乗りになり、私の顔を何度も何度も殴った。
口の中が切れたのだろう、血の味が唾液の中に広がっている。
それでも若者は私を殴る。
何度も、何度も。
薄れ行く意識の中でふと、若者の顔が見えた。
泣いていた。
私を殴りながら何故この若者は泣くのだろう。
「わ、か、ら、な、い、な、あ」
やっと言えた言葉はそれだけだった。
若者の涙は私の顔に、一滴、二滴と降り注いでくる。
温かいな、こんな時なのにそんな事を考えてしまった。
『ごめん』
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それだけ、それだけは妻に伝えたかった。
「らあああああああああいいいいいいいいいどおおおおおおおおんんんんぬわああああああた
あああいいいいむうううううううう!」
その声の刹那、若者が何者かに蹴り飛ばされた。
上に乗っていた若者がいなくなり体は軽くなったが、殴られすぎて私は仰向けから体が動か
せないでいた。
意識が落ちそうになる中、どうにか顔だけ横に向かせる。
そこには私の方を向いて倒れている若者と、背中を向けている赤い全身タイツの人が目に
入った。
その背中には。
「魔法……少女……」
私の意識はゆっくりと闇に飲み込まれていくのだった。
□
愚かな奴らだ。
俺が今、ジンギスカンを食べていることも知らずに『ジンギスカンでも食ってろ』だと?
あくまでデブへの誹謗中傷の言葉であり、本当に食べろ何て事本当は考えてもいないだろう。
そんな言葉が、この掲示板では横行している。
『ジンギスカンでも食ってろ』
さて、今日は女神スレに光臨もないみたいだから早めに寝るかな。
ジンギスカンをしたガスコンロなどは部屋の入り口近くに置いておけば母親が勝手に片付け
に来るだろう。
俺は敷きっぱなしでこの頃茶色がかってきた布団に入り込む。
仰向けになると嫁が天井から俺を見ていた。
「あんまり見るなよ照れるじゃないか」
『べっ! 別にあんたなんか見てないんだからね!』
「そうかい? じゃあ今日は横を向いて寝ようかなー」
『えっ……』
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「嘘だよ。一緒に寝ような」
『……いじわる』
誤解されないように言っておくが今の会話は俺一人で嫁の声を出している。
つか、出さなくてもわかるんだけどね?
それでも言葉にしないと伝わらないことって沢山あると思うわけ。
だから俺が言葉にしてるだけだから別におかしくないし。
おかしいと思う奴の方がおかしいし!
「くだらん」
ニートを始めた頃は毎日張り合いがあったのだが最近はマンネリ気味でつまらなくなってき
た。
ニートだって色々悩みがあるのだ。
今回のアップデートでせっかく作った武器の性能に大幅修正が入って何だかパッとしない武
器になってしまったり。
昔からそうだった。
リアルでも友達少ないのに、オンラインゲームでも段々仲間が減ってきていたり。
「不思議なぐらい、嫌われるんだよな……」
小学生の頃は絵を描くのが楽しくていつでも絵を描いていた。
休憩時間には友達が俺の周りに集まってきた。
でも、中学生になってから何かが少しずつ変わってきた。
どんなに上手い絵を描いても皆が俺を避けていった。
高校に入ると世間的にいじめといわれている物を始めて体験した。
何もかも全部嫌になって学校も辞めて、家に引き篭るようになっていた。
今はどうにか気のあっている友人と時々行く秋葉原だけが俺の外出になっている。
これから、何てわからない。
ただただ、親が働いているうちは安泰だなと勝手に安心している。
「おわっ!」
急に大音量の音楽が流れて上半身を起き上げる。
頭のあった場所を見ると携帯電話からけたたましい音の電波ソングが流れていた。
携帯を開くと数少ない友人からだった。
着信ボタンを押すと『こんばんはお兄ちゃん』と野太い声で言われ、少し不快な気持ちになる。
「もしもしどうなさったロキ氏」
いつもの調子で答える。
「実はですね論破氏、今回我がギルドが遂に明日一周年を迎えるのでありますよ!」
「もう、そんなになりますか、じゃあ明日はイベクエ周りでもしますか?」
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「ふふふ、論破氏話は最後まで聞く物でありますよ……論破氏我がギルドの男女比をご存知
か?」
「気にしたことがないのでわからんでありますな」
「いかん! いかんですぞ論破氏! そんな事では嫁に愛想を着かされてしまいますぞ!」
そこら辺はいらんお世話だ。
「答えは男性五人の女性五人でありますよ」
「そうなんでありますか」
「そこでで、ありますな、今論破氏を除く九人でボイチャをやっておったんですが」
俺には誘いが来なかったが……
「満場一致で明日の夜に、上野でオフ会をやろうとなったのでありますよ」
「そう、よかったでありますな」
俺がそういうと電話越しから『ずこーっ!』と声がした。
「論破氏何を他人事のように言ってるでありますか! 論破氏も参加するに決まっているでは
ありませんか!」
「そうなのでありますか? てっきり小生は誘われない物だと思っていたのでありますが?」
ボイチャ誘われてないし……
「論破氏、よく聞くでありますよ? オフ会とは言っても男女の数は同じ、これ何を意味する
と言えば合コンでありますよ!」
「はぁ……」
「はぁ、
ではありませんぞ! 小生達魔法使い予備軍にはかつてないチャンスでありますぞ!」
「それに小生も参加しろと?」
「決まってるであります。元来合コンとは男女の比率が五分で行われる物でありますからな」
あまり乗り気ではないけど、オフ会事態に興味がないわけでもないので、断るのももったい
ない気がする。
「では、一応小生も参加でいいでありますよ」
「おっふう! さすが論破氏話がわかるでありますな! そこで、明日の夜の七時に上野駅の
前で集合して近場の飲み屋さんに行くであります。服装でありますがいつものようなダサい物
はNGでありますよ」
「ん? よく意味がわからないであります」
「んふふー駄目でありますな論破氏、オタクといえども女性の前では一端の紳士であれと、か
の有名な織田信長も言ってるでありますよ」
「でも某そんなおしゃれな服など持ってないでありますよ」
いきなり電話を切られ、マイク越しから辺鄙な音が一定感覚で流れた。
「ググれとだけ言っておくであります。では某はチャットの続きをするので」
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オフ会か、長いことオンラインゲームはやっていたが初めての経験だな。
期待と不安を抱きながら俺は布団に横になって目を閉じた。
□
朝起きるとすぐにパソコンを起動して『オタクがモテる方法』でググッてみた。
「……別世界だ」
どうして、髪を切るのに七千円も払うしかないんだよ。
いくら考えても理解できない世界がそこには広がっていた。
何個かのサイトを見ても正直チンプンカンプンだったので、自分が見てカッコいいと思った
ミリタリー系の服に目星をつけた。
髪はよく分からないから近くの床屋に行って切ってもらおう。
さて、金が必要だ。
俺は時計をチラリと見る。
九時五十分か、今の時間なら親父は仕事に出かけているし母親はパートに、じいさんとばあ
さんはゲートボールに出かけているはず。
俺は立ち上がって、一階の母親の部屋に向かった。
「あった、あった」
母親の部屋の左側にある箪笥の三段目、これが母親の昔からの預金通帳の隠し場所なのは俺
の中では周知の事実。
通帳に挟まっているカードを取り出し部屋を後にする。
最初は罪悪感を抱いていたこの行為も、いつの間にかコンビニに買い物に行くだけの為にさ
え簡単に使うようになっていた。
そんなもんだよな、そうに決まっている。
スリを繰り返す人達だって同じような考えなんだろうなと、考える。
最初は自分のしている行動に疑問を感じているが、それが日常になってしまえばなんて事は
なくなる。
呼吸をするのと同じように棚にあるものを自分のポケットに入れる。
玄関で靴を履いている途中に自分の靴をよく見てみると結構汚くなっていた。
「丁度いいか、これも買い換えよう」
あれこれ考えるうちに、どうせ足りなくなって次々卸すなら、いっそのこと全額卸してしま
おうかな。
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そうだ。
それがいい。
気がつけば俺はコンビニのATMで何回かに分けて、全部で合計八十万ほどの現金を引き出
していた。
残り残高五十六円のレシートを見ると何故かとても嬉しくなって、気分よく俺はコンビニを
後にした。
手に持っていれば金なんてすぐになくなる物で、洋服、靴、ゲーム、マックブックプロの盛
り盛り、床屋に使うだけで卸した金は今日のオフ会で使う会費以外は全額なくなっていた。
まだ時間は残っていたので一回家に帰った後にカードを同じ場所に戻す。
脱衣所に行って自分の姿を鏡に映った自分を見ると、中々いいんじゃないのかなと自己陶酔
に浸る。
合コンか、興味はないけどもしかしたら、女の子にアドレスぐらいは聞かれるかもな。
「そういえば、俺の携帯赤外線ついてないんだよな」
これはいけないと急いで自分の部屋に戻り、パソコンを起動する。
すぐに自分のアドレスを載せたおしゃれな名刺を作成した。
急な思い付きだったから紙が普通のコピー用紙なのが気に入らないが、自分なりにそれなり
の出来の名詞ができた。
左上には俺が考案したキャラクターの『ペリッポ』とその恋人役の『キュンキュン』こいつ
ら二体は小学生時代から愛用しているオリジナルキャラクターだ。
小学生時代からこの二体は誰に見せても『気持ち悪い』とか『どうみてもヘドロです本当に
ありがとうございました』等と不評だが俺の中では多分これからこいつらを越えるキャクター
待ち合わせ場所の上野駅前に着くと、携帯を取り出してロキ氏に電話をしてみる。
カッターで切った名刺をポケットの中に押し込み、俺は高ぶる心を抑えながら部屋を出た。
そんな事をしているうちに、家を出ないといけない時間になっていた。
は生まれないと確信している。
何コールか後にロキ氏は『こんばんはだよ、あにい』と電話に出た。
少し不快な気分になる。
「今着いたでありますよ」
「そうでありますか。では近くのアールタイプとゆう名前の飲み屋さんに来てくだされ、こち
らはもう盛り上がってるでありますよ」
もう、盛り上がってる?
「ロキ氏、確か昨日七時に上野駅前で待ち合わせて、そこから飲み屋に行くと言っていません
俺の記憶が正しければそうだったはずだが、寝る前だったから聞き間違いしてたのかもしれ
でしたか?」
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ないな。
「あーすまんであります! 昨日の論破氏との電話後のチャットで今日の集合が六時に変更に
なったんでありますよ、連絡忘れ小生うっかり」
ロキ氏の後ろからは男女が入り混じった笑い声が聞こえてきていた。
正直頭にきたが、ここで怒って帰ってしまうのも大人気ないと自分に言い聞かせて「わかっ
たであります」とできるだけ明るく答える。
電話を切ってからすぐに携帯で店の名前を探す。
アールタイプは歩いて五分ほどの所にあるらしいので、俺は上野駅から歩き始めた。
俺は一体何をやってんだろうな。
翌々考えてしまうともう帰ってもいいんじゃないかなと思ってしまう。
実際問題自分は昨日のチャットにすら誘われていないわけで、多分昨日だけじゃなくて何回
も俺抜きのチャットは行われていたんだろう。
じゃあ、何で俺は今日誘われたんだ?
「人数あわせ」の文字が頭によぎる。
わかってたよ、それぐらい。
俺はこんな名刺なんて作って何を期待していたんだろう。
滑稽だよな。わかってるんだそれぐらい。
いつも、そう、だから仲間はずれにされる。
「あっ」
足を止めて、顔を上げると、大きくアールタイプと書かれた看板が見えた。
落ち込んで考え込んでいる間に店に着いてしまったらしい。
「顔出したらすぐ帰るか……」
帰りに歩いて秋葉原に行って帰ろう。
そう心に決めて店内に入った。
店の中は一本道で、左右襖で仕切られている。
店内に入るとすぐに従業員さんが俺の所にやってきた。
「お一人様ですか」と聞かれたのでさっきのロキ氏から聞いた部屋番号を伝えるとすぐに案
内してくれた。
襖の前に靴は並べられている所がちらほらあるので少しはにぎわっている様だ。
一本道の一番奥に着くと従業員さんは右側の襖を「失礼します」と言ってから開けた。
「おっ! 遅かったではありませんか論破氏!!」
そこには違法医師と瓜二つな格好をしたロキ氏がいた。
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来なければよかった。
襖が開き見えたコスプレして長テーブルに向かい合わせで座っている男四人と女五人を見て
そう確信した。
「あれあれ、論破氏は存分にリア充臭が漂っていますな」
襖を開けて近い方に座っている男性陣の右から二番目に座っているロキ氏が楽しげにこちら
を見ている。
「駄目でありますよーオフ会と言えば正装が基本でありましょう」
お前が『オタクといえども女性の前では一端の紳士であれ』とか言ったからこんな格好して
きたんだろうよ。
と、喉まで出掛かったがグッと堪えた。
「申し訳ないであります。いやはや小生うっかりであります」
どうにか笑顔で話せたと思う。
「まっ、いいであります論破氏は小生の隣に座るであります」
ロキ氏の右側の空いていた座布団に腰掛け、従業員さんが注文を聞いてきたのでウーロン茶
を頼んだ。
「こんばんはであります」
まずは自分の右側にいたドイトル候に声をかける。
「いっ」
この人は自分の中のキャラ設定なのか何を話しても「いっ」しか話さない、えーと?
そのゴスロリ衣装も何かのキャラ設定でしょうか?
ドイトル候は、どう若く見積もっても三十代後半のおっさんである。
そんなおっさんのゴスロリ姿なんて未来永劫見るとは思わなかった。
ありがとうなんて言わないんだからね!
ドイトル候から目線を外してロキ氏の左側に目を向ける。
あー、ビーバー氏またクッキー食べてるよ。
自称十八歳のビーバー氏は何故かいつもクッキーを携帯している。
出っ歯の彼は四六時中クッキーを前歯で削りながら食べている。
んで、コスプレは……ん?
「キリンて……」
首が長すぎて天井に擦れてるやんけ。
普通そこはビーバーだろっ!
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お父さんは魔法少女
つか、これコスプレなのか?
いや、もうビーバー氏はスルーの方向で行こう。
「何をキョロキョロしているでありますか論破氏、早く女性陣に自己紹介をば」
「あっ、そっ、そうでありますな……」
ロキ氏に促され、そそくさと立ち上がる。
立ち上がって女性陣を真正面から見ると、全員俺を見上げている。
「えーっ、そうでありますな……」
しどろもどろになりながら女性陣を右から順に見てみる。
皆同じ作品に出てくるジャージ姿で服装は統一されているようで、顔は結構可愛いな……と、
思いながら四人目まで見ていたんだが一番左の所で視線は止まった。
おい、誰だ自分の家の家畜連れてきた奴。
思わず凝視してしまう。
家畜は俺と目が合うと頬を赤らめながら下を向いてしまった。
「おっ! 論破氏は楊貴妃が御気に召したのでありますな!」
光の速さでロキ氏の顔を見る。
こいつが……楊貴妃だと……あのゲーム内では華麗な舞で敵を圧倒し、仲間をも魅了する楊
貴妃が家畜だと。
気を取り直して女性陣を見る。
落ち着け、見間違いの線もまだ残っている。
また右側からゆるやかに目線を左に流す。
ジャージ姿の三人は二回目でも結構可愛い、うん、可愛いよ。
そして最期に楊貴妃さんに目線を……
おい、誰だ自分の家の家畜連れてきた奴。
何回見ても同じだよ馬鹿野郎。
「ぶふっ!」
目線があったからって頬を赤らめて顔を下に向けるな家畜風情が、出荷されたいか!
名刺だと思って引き抜いた物は『魔法少女』と書かれた全身タイツとそれに絡まって部屋に
だが実際はどうだろう。
一応、説明しておくが、俺は鞄から名刺を取り出そうとしていたんだ。
……意味がわからん。
これか、鞄の中の名刺を手に取り引っこ抜く。
俺は今日作った名刺を鞄の中から取り出そうと鞄に手を突っ込む。
……もういい、早く自己紹介して座ろう。
「論破であります……あっ、よかったらこれ……」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
舞い散る名刺の束。
「ぶふっ! ぶふふふふっ!」
空気が凍りつく中、一人家畜の笑い声
「うっ! うわあああああああああ!」
?
( だ
) けが、部屋の中に木霊した。
自分に向けられた視線に耐え切れなくなり、俺はドイトル候の頭に全身タイツを放り投げて
部屋から飛び出した。
店から外に出ると、夜の風が顔にこびり付く。
来なければよかった。
最初からわかっていたのに。
下を向きながら街を早足で歩く。
皆、俺を馬鹿にしてるんだろ。
わかってるよ。
糞。
最悪だよ。
「いたっ!」
下を向いて歩いていたので、前から歩いてきた人を避けきれずに肩が当たってしまった。
「あっ、すいま」
謝ろうと声を出している途中で体に違和感を感じて前を向く。
「お前かあああああ!」
顔面に迫ってくる硬く握られた拳が見えた。
人間の反射は中々よろしい様でニートの俺でも、無意識の内に頭を左に動かして拳を避けた。
」
「お前のせいで! お前のせいでな ——
ここで、初めて相手の顔が見えた。
金髪で身長の高いヤンキー。
ここで気づく、ああ、絡まれたな。
胸倉を掴まれて前後に揺さぶられる。
「気持ち考えたことあるのかよ! 悩んでるの知ってるのかよ! どれだけ悲しんでると思っ
てんだよ!」
何を言われてるのか一切分からない。
なあ、ヤンキー、一つ言ってもいいか?
泣きたいのは俺の方で、お前が泣きそうになる要素は一切ないと思うんだが。
「そおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
遠くから誰かが走ってくる音が聞こえた。
何だ、と、声の方向に顔を向けると全身タイツを着て木の棒を握り締めた物体がこちらに全
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永作一樹
お父さんは魔法少女
速力で走ってくるのが見えた。
「とらあああああああああああああああいいいいいうわあああああああああ!」
全身タイツのそれは、若者の足に飛びついた。
「今度は何だよ!」
足に飛びつかれた方のヤンキーの顔を見ると足元に飛びついた物体をゴミでも見るかのよう
に見下ろしている。
「ここは私に任せて逃げるんだ!」
上野駅前に着く頃には俺の脚は悲鳴を上げていた。
全身タイツにそう言われたので俺は駅の方に向けて全速力で走り始めた。
□
激しいニート生活で培った俺の肉体に労働と運動は自殺行為と言えるだろう。
今日はもう家に帰ってゆっくりしよう。
そう思っていると、携帯がなっているのに気がつく。
ポケットから取り出し、携帯を開くと知らない番号から電話がかかってきていた。
面倒くさいが一応電話に出る。
『ぶふっ! ぶふふふふふふふふっ!』
「うるせええええええええええええええええええええええ!」
勢いよく携帯を空高く投げる。
俺は決めた。
もう、一生、一人でいい。
誰にも頼らない。
いや、ごめん親には頼る。
リアルでも、ゲームでも、もう一人でいいじゃないか。
もう、誰も信用なんかするもんか!
その時、後ろから肩を二回叩かれた。
全身の毛が逆立つ。
もしかして、さっきのヤンキーが追いかけてきたんじゃ……
おそるおそる後ろを振り返る。
「ぶふっ! ぶふふふふふふふふっ!」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
□
その日のワシはイケイケじゃった。
今日ならばでっかい事が出来る気がすると活き込んで朝から何をしてやろうかと考えた。
そして考えついたのが『隣の家の爺さんになること』普通であればバレるのだろうがその日
のワシは違っていた。
何気ない顔で隣の家に行き、玄関を開けてから「今帰ったぞー」と声をだす。
そうすると何の疑問を持たないで隣の家の奥さんはワシの帰りを迎えた。
ちょろいもんじゃ、ワシは不適な笑みをしながら隣の爺さんの部屋へ入った。
だが、ここで誤算が生じた。
隣の家の爺さんはまだ健在で、普通に部屋でコタツに入っていた。
一瞬取り乱したがここで慌ててはいけない、大丈夫今日のワシならノープログレムと、何気
ない顔で一緒にコタツに入る。
くくく、ばれていない様だ。
そこからはワシの独壇場だった。
一日、十日、百日と、ワシが隣の爺さんだという事はばれずに、ワシはこの家の爺さんと認
識されていた。
いつしかこの家のじいさんは亡くなり、葬式にワシはこの家の爺さんとして並んだ。
自分でも唖然とするほどの溶け込みようで、誰もワシが隣の爺さんなんて気がつかない。
あまりにも気づかれなくて逆に腹がたったので葬式の途中から全裸で参加していたが、誰に
も触れられることなく慎ましく葬式は執り行われた。
そう、気がつけばワシがこの家にやってきてから十年の月日が流れていた。
最近思うことがある。
この家族、空気が重い。
孫が小学生の頃はどうにか会話があったが、中学生になったあたりから家族が集まることな
んて一切なくなった。
そんなこんなでワシの心は今『ホームシックなう』なわけじゃ。
平
( 均年齢八十三歳 が
) 言っ
息子の嫁が作る飯も不味いし、何で味噌汁に餡子い入れるの? こしあんなの? つぶあん
なの?
なう、とか使う老人とかマジモテるとゲートボールのマドンナ達
ていたが本当じゃろうか?
と、言うか『なう』って日本語なのかすら怪しい気がするんじゃが?
何かの略語かもしれんの『ナイチンゲールのウンコ』とか。
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永作一樹
お父さんは魔法少女
「ゲールをゲイルにすると筋肉隆々のマラソンランナーに聞こえるのう」
午後の昼下がり、頭に浮かぶのはそんなくだらない事ばかり。
庭先から見える、自分が十年前まで住んでいた家は、去年リフォームし二世帯住宅に立て替
えたらしい。
ワシの許可もなしに勝手なことをしくさりおって。
怒りは沸いてきたが、自分が隣の家のじいさんになってるんだから仕方ないかと自分で勝手
に納得する。
本音を言おう、飽きてきた。
今、十年前に戻れるのであればこんな馬鹿げたことはしないで隣のじいさんとして平凡な暮
らしをしていたじゃろう。
だが、本当に戻っていいのかわからない。
「もどろうかのう……」
どう考えても今日のワシはノリノリではない。
「肌の艶も悪いしのう」
自分の頬に触れてみるとまるで乾燥ワカメのような肌触りだった。
このまま枯れ果てていくのか。
気づけば外から夕日の光が淡く差し込む時間になっていた。
重い腰を上げて食卓に向かう。
パートから帰ってきた奥さんが出来合いの惣菜をテーブルの上に並べていた。
素っ頓狂な物を食べさせられるよりはマシかと席に着き、買ってきた惣菜を見ると『鯉のバ
バロア』と『カレーフォルレウス』と書かれていた。
良い名前つけてどうするんだ!
ワシの心のツッコミは奥さんに届いただろうか?
最終兵器しか置いていないテーブルで奥さんと婆さんの三人で夕食を食べ始める。
いつもと同じ会話のない食卓に、一つ気になる点を見つけた。
奥さんが化粧をしているではないか。
ご主人と別の部屋で寝るようになってから女であることを捨てたように一切化粧もせず、お
しゃれな服も着なくなった奥さんが化粧だと!
ワシの中に淫靡の文字が浮かんでは消えていく。
どう考えても男が出来たようにしか見えない。
ワシがいぶかしげな目で奥さんを見ていると「どうしたんですか?」と笑顔で言ってきた。
野郎、余裕をかましてやがる。
ワシは「いや」と一言だけ言って飯をかっこんだ。
夕食を食べ終わると、一回自分の部屋に戻り三十分ほどゆっくりしてから毎日の日課の散歩
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永作一樹
お父さんは魔法少女
に出かける。
若い頃から続けている日課だが、最近は日に日に体に疲れが残りようになり、歩くコースが
短くなっている。
家から時計回りで歩き、約三十分ほどで一周する計算になっている。
夜の風に吹かれながら、昔の恋人の事を思い出す。
「ヘレン……」
まさか、男だったなんて……
そう言えば、ヘレンに後ろから攻められた時もこんな日の夜じゃった。
何であの時気づかなかったんじゃろうな。
いや、もう考えるのは止めよう悲しくなるだけじゃ。
散歩も終わりに近づき、ワシは一回足を止めた。
自分の本当にいるべき家の玄関じゃが、何故か今は遠くに見えるのう。
右側が息子夫婦の家で左側がワシの……
「ん?」
ワシは隣にいるのに誰がここに住んでいるんじゃ?
妻は十二年前に亡くなっている。
ならば、何故ワシ用の家がここにあるんじゃ?
考える前にワシの体は動いていた。
左側の玄関を開け、靴を脱いで家の中に入る。
廊下のすぐ左側に襖があったので勢いよく開ける。
「んだらああああああああああ!」
部屋には真ん中にコタツが一つあり、奥の隅に大きなテレビが置いてある小奇麗な部屋が
あった。
コタツにいるのは ———
「ヘレン!」
見間違いではない、コタツに入りながら、こちらを無表情で向いているのはワシの元恋人ヘ
レンだった。
「何で貴様がここに!」
「ココハ、モロタデー」
ヘレンは立ち上がりワシに昔と同じファイティングポーズをとった。
右腕を大きく掲げ、左腕を腰の後ろに回して構えるヘレン独特の構え。
「ハッ!」
ヘレンが気を発すると同時にワシの体は後ろに吹っ飛んだ。
「げはっ!」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
廊下の壁に背中を強打したワシは前のめりに倒れこむ。
「スコシ、ソコデ、ネンネ、シナ」
ヘレン……お前は……
□
眼を開けると、夜空の星空がとても綺麗に見えた。
ワシは……どうなったんじゃ?
顔を左右に動かすとどうやらここは道端のようじゃ。
上半身を起こすと、目の前に自分の家が見えた。
ゆっくりと立ち上がり、腕時計を見ると深夜一時十五分を指していた。
ヘレンのいた左側の玄関を開けようとしてみたが、鍵がかかっていて開かなかった。
「……ここは、もろたでー……か」
昔と何も変わっていなかった。
あの金髪も、厚い胸板も、腰まで生えた顎髭も全部昔のまんまじゃったな。
何分か玄関の前でノックをしてみたが何の反応もないので、ワシは諦めて隣の家に戻ろうと
自分の家を後にした。
明日の朝、もう一回来てみよう。
ヘレンの事じゃ、何か考えあってのことじゃろう。
そう決めて、隣の家の玄関まで行くと、ドアの向こうから何やら物音が聞こえてきた。
「こんな時間に誰か玄関にいるのかのう」
耳を澄ましてドア越しの声を聞いてみると男の声で『ふっ!』やら『はっ!』等の声が聞こ
えてきた。
「ご主人かのう」
ドアを少しだけ開けて中を覘いてみると玄関でご主人が全裸で全身タイツを着るのに古今奮
闘していた。
足下には脱ぎ捨てたのであろうパジャマと何故か木の棒が置いてある。
全身タイツが腰の辺りでつかえて、ご主人は必死に腹を凹ませてタイツを上に上げていると
ころだった。
ご主人がそう言って革靴を履き始めたのでワシは見つからないようにドアを閉めて、玄関横
どうにか腰の辺りを乗り越え、腕を入れ、頭にタイツを被せる。
「よしっ!」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
に身を潜めた。
身を潜めていると玄関を開けてご主人がさっき足下にあった木の棒を手に持って玄関からで
てきて、道路に出てからどこかに向けて走って行ってしまった。
そして、そこは還暦を過ぎても少年の心を忘れないワシはばれないように追いかける。
十分ほど走って、二丁目の空き地でご主人は足を止めた。
ご主人が空き地に入っていくのを電柱の陰で見ている。
土管の上に座ったご主人の胸に白い文字で何か書かれているようじゃが、遠くて見えないの
う。
ご主人は土管の上で惚けていたと思ったら何か見つけたのか、いきなり上を見ながら土管を
降りた。
ワシもつられて上を見ると何かが土管に落ちてくるのが見えた。
少しすると轟音とともに土管が壊れた。
「なっ! なんじゃあれは!」
煙の中から現れたのは鼠の顔なのに何故か体は筋肉モリモリな生き物じゃった。
その生き物はゆっくりとご主人に向かって近づいていくが、ご主人は鼠男を見据えたまま微
動だにしない。
鼠男はご主人の前で立ち止まると鼻をピクピク動かし始めた。
ワシの胸はワクワクでいっぱいになった。
これからもしかしたらご主人と鼠男の死闘が見れるかもしれん。
「そういうことか!」
少し睨み合った後にご主人が先手をうった。
手に持っていた木の棒で鼠男の頭をわけのわからない言葉を発しながら叩きまくる。
鼠男は無抵抗に殴られ続けているが頭からは大量の血しぶきが上がっていた。
それにしても、全身タイツで殴りつづけるご主人背中だけみればわかるその漢気にワシの股
間のマイサンはいつのまにか天高くそそり立っていた。
ご主人の漢気にワシはヘレンを重ね、そしてマイサンは後ろから突かれて果てたあの夜を思
い出していた。
その咆哮と共に鼠男をまた殴り始めた。
殴る手が止まったかと思うと、ご主人は木の棒を両手で持ち、高く振り上げた。
「おやあああああすううううみなさいいいいいいい! うああああああああああ!」
ワシはご主人の猟奇的とも見える光景に目を奪われ、マイサンも力強く脈を打っていた。
何時間その光景をみていたのだろう、いつの間にか朝の日差しがワシらを照らし始めた頃、
ご主人はやっと鼠男への攻撃をやめ、空を仰いだ。
「おはようございまあああああああああす! ああああああああああああああああああ!」
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そのご主人の雄叫びと共にマイサンが果てたのは言うまでもない。
ワシは確信した。
今ならイケる。
ワシは左腕を上に掲げ、右腕を腰の後ろに回した。
気を集中し、半径一メートルの物質を蹴散らすイメージを頭に思い浮かべ、ゆっくりと目を
閉じる。
大きく息を吸ってから目を開けた。
「はっ!」
その声と共にワシの服が全て破れ去った。
細かい布切れと化したワシの服はユラリユラリと下に落ちていく。
「サンダルが残ってしまったのう」
じゃが、中途半端な状態でヘレンとやりあっても勝てるはずがない。
やはりまだ完全とまではいかないようじゃ。
もし、次にヘレンと会ったときにまた奴がファイティングポーズをとったら、ワシは決意を
固めるしかない。
ワシは町中を疾走しながら決意を固めた。
ヘレンに会いに行くのは全ての答えが出てからにしよう。
それがヘレンを倒すヒントになるとワシは確信した。
ご主人の胸に描かれていた『魔法少女』の文字。
そして、ワシにははっきり見えた。
ワシは見つかったら危ないと思い、電柱の陰から全速力で家に向かって走り始めた。
今日ヘレンが気を発したときは上から下まで全て粉々になっていた。
どうすれば、と考えていると、ご主人がこちらを振り向いた。
□
その日からのワシはノリノリじゃった。
毎晩ご主人が深夜に出かけるのをばれないように追いかけ、ご主人と怪物との闘いを見なが
ら打倒ヘレンの対策を練っていた。
見ている内に、もしもご主人がピンチになった時に助太刀できるようにとゲートボールを休
んでトンキポーテにて全身タイツを購入しに、店に行ってみると、色が豊富で一時間ほど迷っ
たあげく、赤と緑の全身タイツを購入した。
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家に帰って早速着てみると似合ってはいるが何か足りない気がした。
「魔法少女かのう」
ワシは書道セットを取り出し全身タイツに魔法少女の文字を背中に書いた。
やはり、全身タイツの色もそうじゃが文字の位置も被ってはいけないからのう。
緑色の全身タイツは腹に横文字で書いておいた。
緑色の全身タイツはこの家の孫へのワシからのサプライズプレゼントとして渡そうと思い部
屋に行くと日中にも関わらず部屋には誰もいなかった。
後で渡すのも面倒くさいのでワシは孫の鞄の中へ全身タイツを畳んで入れておいた。
さてと、今日はご主人の会社にまで行ってみるかのう。
いつも深夜に怪人と闘っているのはみているが、もしかしたら会社帰り等にも闘っておるの
かもしれない。
ワシがいないときにご主人が倒されてしまったら元も子もない。
ワシは全身タイツを鞄の中に詰め込み、家を出た。
□
七時を過ぎた辺りでご主人は会社から出てきた。
ワシは夕方から会社の前にある電柱に身を隠していた。
ご主人にばれないように五メートルほど後ろを歩く。
このまま真っ直ぐに家に帰るのか、と思っていたら道端でいきなりご主人の足が止まった。
ワシが後ろから様子を伺っていると、ご主人はその場でスーツを脱ぎ始めた。
怪人じゃ! 怪人が出たんじゃ! ワシはそう確信した。
周りの悲鳴を意に介さず、ご主人はスーツを素早く脱いで鞄から全身タイツと木の棒を取り
出した。
やはりご主人は会社帰りも毎日怪人と闘っていたのか!
「そおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
ご主人は脱ぎ捨てたスーツと鞄はそのままに、雄叫びとともに全速力で走り始めた。
ワシはご主人がスーツを置いていった場所まで歩いてご主人の様子を確認する。
「とらあああああああああああああああいいいいいうわあああああああああ!」
その声に従ってご主人の近くにいた一人が駅の方向へ走り始めた。
ご主人は十メートルぐらい先で金髪の若者の足にしがみついていた。
「ここは私に任せて逃げるんだ!」
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まさか、人に危害を加えようとした怪人に立ち向かっているのか。
男前じゃ、ほんにあんたは男前じゃよご主人。
「これならどうだ キュンキュンペリッポ朝あああああああああああああああ」
ご主人が若者の膝の皿を叩き始めたと同時に、若者がご主人の頭を上から殴った。
コンクリートの上でのたうち回るご主人の腹に若者は容赦なく蹴りを入れた。
「これは……ご主人のピンチじゃ!」
考えるよりも先に体が動いていた。
ワシはファイティングポーズをとり、気を発する。
「はっ!」
一瞬にして服は破け、前回残ってしまったサンダルも粉々に粉砕した。
「今日のワシなら……イケる!」
ワシは鞄から全身タイツを取りだしものの五秒で着終わる。
周りから悲鳴にも似た賞賛の声が何人分も聞こえてきていた。
そうこうしているうちに若者はご主人に馬乗りになり、顔を何回も殴っている。
急がねば!
「らあああああああああいいいいいいいいいどおおおおおおおおんんんんぬわああああああた
あああいいいいむうううううううう!!」
ワシは若者へ向けて全速力で走り、飛び膝蹴りを食らわした。
若者はご主人の上からはね飛ばされて尻餅をついている。
背中越しに「魔法……少女……」と声がしたので振り返るがご主人は気を失ったのか目を瞑っ
ていた。
「誰だよお前……お前の事は聞いてないぞ」
「何の話じゃ!」
ゆっくり立ち上がる若者にワシはファイティングポーズをとる。
「俺には時間がないんだ。やるなら早く終わらそうぜ」
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
ワシの全身タイツは粉々に破れ去った。
「丁度いい、ヘレン前の消化試合じゃ」
ワシは再度、気を溜め始める。
ワシは心に決めた。
この闘いが終わったら隣の家族に全てを話そう。
「 ワ シ は …… 自 分 の 家 に 帰 る ん じ ゃ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ
ヘレン……ワシは今でもお前を……
あ!」
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□
お宅のご主人はお給料が高くて良いわね。
うちの亭主ときたら、毎日飲み会で帰ってくるのが遅いし不景気で今年からボーナスも減る
のよ。
本当に奥さんが羨ましいわ。
本当本当。
ご近所の奥さん達との井戸端会議、実の所私はこの集まりがあまり好きでなはない、それは
単にご近所の誰かの悪口を聞きたくないとか、誰かを嫌いだからと言った理由ではなく。
優しそうですもんねーおたく、主人なんか。
自分の夫の話をするのが辛いから、その話に対して、笑顔で対応するしかない自分が情けな
くて仕方ないから。
「じゃあ、私はこの辺で」
軽い会釈をして井戸端会議から抜け出す。
パートの帰り道に捕まると話が長くなって仕方ない。
今日はスーパーが特売日だったからいつもよりお客さんが多くて疲れた。
本当は疲れたので家についたらすぐに横になりたいけど、皆の夜ご飯作らないと……
重い足取りで家に向かう。
初めは息子の引き籠もりのことでストレスがたまり、病院にかかると先生から「外にでてみ
ればどうですか」と言われたので気分転換の為にと始めたスーパーのパートも気がつけばもう
五年も勤めている。
外に出ることで家の事で落ち込むことは少なくなったが、逆に主人との関係が薄くなってき
ているなと感じている。
息子がいじめられていることを話そうとすれば「疲れてるから」等と言い寝てしまっていた。
勝手に退学届けを学校に持っていた日の夜に話をしようと電話を入れると上司とキャバクラ
に飲みに行っていた。
『信頼』その言葉はゆっくりと、音もなく崩れ去っていった。
そこから夫の全てが頭にくるようになってきた。
口癖、鼾、声、咳、体臭、歯の磨き方、細かく言っていけば切りがない。
ついには夜隣で寝ることにすらストレスを覚えるようになっていた。
夫に別居生活をしましょうと伝えると顔は困惑していたが二つ返事で承諾してくれた。
久しぶりに一人の夜、私の中には離婚の文字が浮かんでいた。
この家で本当に私は必要とされているの?
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本当に私である必要なんてあるのかわからない。
誰を信頼すればいいの?
頭を悩ませながら家路につく、なんだか台所に立つのも億劫になってしまった。
「今日は簡単なものでいいかな……」
呟きながら冷蔵庫を開け簡単な夕食を作る。
作り終えるとすぐに自分の部屋に逃げるように戻っていった。
和室の部屋に戻ると、部屋の隅に畳んであった布団を広げて仰向けに倒れ込む。
おじいちゃんやおばあちゃんに夕食の声はかけなかったけど、どうせ時間になったら台所に
きて食べてくれるわよね。
ふと、そう思いながら、もう今日は誰と話すのも面倒が臭いと考えた。
出社をするとすぐ上司に事務所へ呼ばれ、行ってみると、事務所には金髪の高校生ぐらいの
少し、休もうかしら……私はゆっくりと目を閉じた。
□
男の子が立っていた。
「急で悪いんだが今日からこの子の教育係宜しくね」
上司が男の子の背中を一回ポンっと叩く。
「田中と言います。これから宜しくお願いします」
外見とは裏腹に深々と頭を下げ挨拶されたので私は少し驚いた。
「こちらこそ宜しくね」
私は一通りの自己紹介をした後、田中君を仕事場に連れて行った。
「難しそうですね」
「最初はそう思うかもしれないけど馴れれば簡単よ」
目の前では何人かのパートさんが流れ作業で総菜をパックに詰めている。
「田中君はアルバイトは初めて?」
「いえ、いくつかやったことはありますけど、食品を扱うのは初めてです」
「じゃあ、少しやってみようか」
私が先導して作業の場所に移動する。
「まずは見ててね」
使い捨てポリ手袋をして大きなボウルに入っているきんぴらゴボウを一掴みし、計り台の上
に乗ったパックに平坦に詰める。
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「きんぴらの場合は二百五十グラムね。そうしたら、横にあるローラーに乗せると勝手に流れ
てってラップしてくれるからね」
総菜によって違うが、平均的にこんな作業を一日中行う。
「じゃあやってみて」
私は今いた場所をどき田中君を促す。
「はい」
少し緊張した面持ちではあったけど一掴みしてパックに入れるとぴったり二百五十グラムに
なっていた。
「じゃあそれをローラーに乗せてね」
ローラーに乗せたパックは小型の機械の中に入り小さい機械音がした後に出てくると綺麗に
ラップがされていた。
「そうそう、上手」
「わかりました。ありがとうございます」
「じゃあ私も隣でやるから途中でわからない事があったら聞いてね」
私は田中君の隣に立って作業を始めた。
「はい」
田中君は無駄話もせずに午前中の仕事をきっちりこなしてくれた。
□
食堂について田中君を先に座らせてから前に座る。
「一回も間違わないなんてすごいわね」
午前中、彼は一回も総菜の重さを一グラムも間違えずに掴んでいた。
「私だって誤差はあるのになーやっぱり若いっていいわよね」
「あっ……いえ……偶然です」
頬を赤くして俯く田中君。
「君はいくつ?」
「今年で十八です」
「若いなー自分の年を感じちゃうわ」
「何で年を感じるんですか? 全然お若いじゃないですか」
一瞬、間をおき私は少し吹き出して笑う。
「ごめんなさいねー若者に気を使わせちゃったわね」
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田中君を見ると何故かキョトンとした顔をしている。
「お世辞でも嬉しいわありがとうね」
「いや、僕はお世辞を言ったつもりは」
しどろもどろする田中君。
外見だけみれば今時の若者なのに話をしてみると誠実で真面目な印象を受ける。
「ごめんね? 一つ聞いてもいい?」
私は自分の頭を指で二回軽く叩く。
「どうして髪を染めているの? その色だとアルバイトなかなか決まらなかったでしょう?」
はぁ、と気の抜けた返事の後に少し間を開いた。
「朝起きたらこうなってました」
目頭から少し出た涙を拭き田中君を見る。
私は声を出して笑った。
「あらそう、それは大変だったわね」
きょとんとした顔で私を見ている彼の顔はコンビニでたむろしている若者とは少し違う、ま
るで小さな子供のような印象を受ける。
「うちはあんまり髪の毛にはうるさくないからいいけど、気にする大人の人もいるから怒られ
ないようにしなさいね」
「わかりました。ありがとうございます」
「そういえば田中君は昼ご飯食べないの?」
田中君の前には何も置かれていない。
「今日初めてだからお弁当忘れちゃった? ここ社員食堂だから食べたいものあったら三百円
ぐらいで食べれるわよ」
「えっと……」
視線を右往左往させながら何か考えている様子の田中君。
「よかったら私の持ってきたお弁当半分あげようか? 同じ箸を使うのは嫌だろうから割り箸
もってくるね」
私は立ち上がり、割り箸が置いてあるテーブルへ向かう。
「あの、僕食べなくて大丈夫です」
背中越しの声に私は後ろを振り返る。
「今日緊張してお腹痛くて……」
そこで気づいたことは自分が久しぶりに心から笑っている事だった。
そこからはくだらない話題で休憩時間を過ごした。
「あ、そう? じゃあ水だけでも、持ってきてあげようか?」
ありがとうございます。と、言って田中君は微笑んだ。
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もちろん、大半の事は笑顔で対応しているけど、それは表面上の話だけで上っ面だけの顔。
でも田中君と話している時は何故か自然に頬が緩み、心が落ち着いた。
「おばさんの長話に付き合わせちゃってごめんね」
休憩も終わりにさしかかり私は自分のお弁当をしまいながら声をかける。
「いえ、とても楽しかったです……あの……」
「ん? どうしたの?」
「明日もお昼ご一緒していいですか?」
田中君は恥ずかしがっているのか頬が少し赤らんでいる。
「いいわよ。明日も一緒に食べましょう」
「ありがとうございます」
「じゃあ仕事の時間だからいきましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
□
いつもの帰り道、私は田中君の事を考えていた。
若さって凄いなと感じる。
『これから居酒屋でバイトなんです』そう言って彼は帰っていった。
話を聞くとどうしても買いたいものがあって、でも、どんなに働いても手に入らないらしい。
そう、彼は言っていた。
若いから買いたいものがあっても使っちゃうのかな?
一体何が欲しいんだろう。
『彼女はいません』なんて言ってたけど本当かな格好いいのにもったいない。
私だったら……何を考えてるんだろう私。
自然に歩くスピードが速くなる。
ふと、そう思った。
彼の笑顔が見たい。
考えたくもないことが頭の中でよぎる。
結婚していなかったら。
同じ高校だったら。
私だったら放っておかないのに。
歳が近かったら。
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会って一日しかたっていないはずなのに、まるで昔から知っているような不思議な感覚。
気がつけば胸の鼓動が早くなっているのは何故?
もう、恋なんて歳じゃないのは自分が一番わかってるじゃない。
それなのに何で。
何でもう彼に会いたくなっているの。
足を止めると、もう自宅の前についていた。
私……何でこの家にいるんだっけ?
彼に早く会いたい。
今日は早く寝よう。
職場に行ったら彼に会える。
早く会いたい。
私は家のドアをゆっくりと開けた。
□
お化粧なんて久しぶりにした。
ましてパートに行くのに化粧なんて今までは考えもしなかった。
「おはようございます」
後ろから田中君の声が聞こえて振り返ると少しびっくりした顔の田中君。
「おはよう」
「お綺麗ですね」
優しく微笑む彼の顔を見て、私の胸は高鳴った。
「おばちゃんの化粧だから変に見えるでしょう?」
「そんな事ないですよ。僕と同い年って言ってもわからないと思いますよ」
「ん……うれしい……」
「…………」
田中君は何も言わずに私を見ている。
「どうしたの?」
「あっ……いえ……」
「今日もよろしくね」
彼にどう思われているのか、本当の気持ちが知りたい。
「よろしくお願いします」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
お世辞なのかもしれない。
嫌だけどせっかく決まったバイトだから我慢してるのかな。
作業中に考えることはそんな事ばかり。
真剣な顔で作業に没頭する彼の横顔。
目が合うと少し恥ずかしそうに会釈する可愛さ。
「今日も計り間違わなかったね」
「いえ、たまたまです」
「あなたの謙遜的なところ好きよ」
「あ……ありがとうございます」
「いつも休みの日は何をしてるの?」
「基本的に休みがないんですよね。毎日バイトです」
「そうなんだ? 今はここと居酒屋だけ?」
「空いた日にビデオレンタル店で働いてます」
「ご家族心配したりしない?」
「いえ、それは大丈夫です」
「何で?」
「一人暮らしですから、たぶん」
「あははっ、たぶんなんだ」
「はい兄弟は何人かいるみたいなんですけど会ったことがないので……」
「あっ、ごめんね変な事聞いちゃったね。ご両親は?」
「母だけ健在です」
「そう、お母さんに顔見せたりしてる? お母さん手結構強がってても寂しがりだからね」
「バイトの合間に会いに行ったりしています」
「ご兄弟には会いたいの?」
「はい、できれば……」
少し寂しげな顔をした彼をみて私は切ない気持ちになった。
「早く会えるといいね」
毎日の会話が私には新鮮で、日々を積み重ねるたびに私は彼への想いは強くなっていった。
「はい、頑張ります」
□
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永作一樹
お父さんは魔法少女
「好きな人とかはいないの?」
「いえ、まだ」
「もったいなーい、若いんだから恋しなさいよ」
本当は嫌なくせに、そんな事も言っていた。
最近、一人で部屋にいると涙が出るようになってきた。
今までどんなに辛いことがあっても泣かなかったはずなのに。
彼の事を考えて、今、彼が自分の知らない所にいるのが不安でしかたなくなってくる。
私は彼の何者でもないのに。
しがらみで多すぎて身動きがとれない。
家に帰れば私には家族がいて、彼との事なんて考えてはいけないと言われているみたい。
いっそのこと……なんて度胸私にはない。
そんな事しても彼が私に振り向いてくれるか何てわからない。
じゃあ、今彼が私の事を好きだったら?
そうしたら全部捨てられるの?
次が決まったからって、これで安心だって。
そんなの卑怯じゃない。
わからない。
わからないの。
目を瞑ると見えてくるのは優しい彼の顔だった。
彼が職場にきてから一ヶ月驚いたことにまだ一回も計り間違いをしていない。
「もう本当に凄いとしか言えないわね」
食堂でその話題になり勝手に盛り上がる。
「そんな事ないですってまぐれですよ。まーぐーれ」
軽く笑う彼。
「田中君とは初めてあった気がしないんだよな……なんでだろ」
まるで昔から自分の前にいて、今と同じように笑顔をくれていたような感覚、それはとても
心地よいと素直に感じる。
「今日もお昼ご飯食べてないけど本当に大丈夫?」
「はい、あんまりお腹すかないんですよ」
「そう、それなら良いんだけど」
「あの、いきなりでわるいんですが……」
「ん? どうしたの?」
「明日一日僕とデートしては貰えませんか?」
「え?」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
本当は聞こえているのに思わず聞き返してしまう。
「僕とデートして貰えませんか」
「どっ、どうしたの急に!」
「嫌ですか?」
「嫌ではないよ。凄く嬉しいけど……」
「僕の休みは明日が初めてで最後かもしれないんです、お願いします」
深々と頭を下げる彼に、私は。
「いいよ。どこに行こうか?」
頭を上げた彼の顔は嬉しそうに笑ってはいたけど、どこか寂しげな雰囲気を感じた。
「自分で誘っておいてあれなんですが、僕は今まで遠くに出かけたことがないのでどこに行っ
たらいいのかよくわからないんです」
「大丈夫、私が明日までに良いデートプラン考えておくわ」
「すいません。ありがとうございます」
「集合場所とかはどうする?」
「朝の十時ぐらいに二丁目の空き地でお願いしたいんですが大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
午後の作業開始五分前のチャイムが社員食堂に響く。
「じゃあ、明日楽しみにしています」
軽く手を振りながら立ち上がる彼にこちらも軽く手を振って答える。
明日彼とデート……そう考えると自然に頬が上がるのがわかった。
何処に行こう。
お昼は何を食べよう。
何時まで大丈夫なのか聞くの忘れちゃった。
遅くまで大丈夫なら夕食も考えないといけないし。
洋服何着ていくか考えないといけないし。
「あーもう!」
私はテーブルに突っ伏し足をばたつかせた。
□
二丁目の空き地に来ると以前には置いてあったはずの土管がいつの間にか撤去されていて、
「凄いわね……」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
何もない本当の更地になっていた。
今の時間は九時半、今日が楽しみすぎて約束の時間より早く来てしまった。
「服装……おかしくないかな……」
家を出る前に一時間ほど鏡とにらめっこして確認したはずなのに今になって、不安が押し寄
せてくる。
膝上のスカート履くの何て何十年ぶりかな……
年相応の格好にしておけばよかったかな。
今ならまだ間に合うよね。
「おはようございます」
「ひっ!」
後ろから声をかけられて変な声を出してしまった。
「すいません。お待たせしてしまいましたか?」
後ろを振り返るとチェックのポロシャツと色の抜けたジーンズに身を包んだ彼がそこにいた。
「いっ、今来たばっかりだから大丈夫よ!」
しどろもどろになりながら返事をする。
「それならよかった……あの……可愛いですね」
「え?」
「その……スカート……」
私は下を向いて自分のスカートを見る。
「あははっ、おばちゃんが履いてると可愛いスカートも台無しだねー」
「そんなことないですよ。とてもよく似合ってます」
「そう、嫌だったら履き替えてくるけど……」
「時間がもったいないですよ。ね、行きましょう」
私に背を向けて歩き出す彼。
しかし、その足はすぐに止まった。
「あー、すいません……何処に行くのかわからないんだった」
軽く笑う彼の顔を見て私も軽く微笑む。
歩きながら今日行くところを説明していると彼は目を輝かせながら私の話を聞いてくれてい
た。
「僕動物園初めてです!」
「パスタって何ですか?」
「そんな高い場所に上れるんですか……」
彼の一つ一つの返答はとても新鮮で説明をしている私も嬉しくなってしまう。
驚くほどに彼は物を知らなかった。
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永作一樹
お父さんは魔法少女
上野の人混みを見て喜ぶ彼の姿を見て可愛いなと感じながらも寂しい気持ちになってしまう。
家族にどこかに連れて行ってもらったことはないのかな……
そんな疑問が頭をよぎるがいきなり聞いたら失礼かなと喉元で止める。
「みんなどこから来るんですかね! 凄いなー! ん? あの二人は手を繋いで歩いてます
ねー凄いなー」
彼の指さした先には若いカップルが楽しそうに歩いていた。
「うぶもそこまで来ると可愛いわねーカップルなら当然じゃない」
「そうなんですか? 僕誰かと手を繋いで歩いた事なんて一度もないですけど……」
「ふーん……手、繋いでみる?」
遊び半分で彼の右手に左手を伸ばす。
「うわっ! 嬉しいです!」
彼は無邪気な顔をしながら私の左手を掴んだ。
「暖かいですね」
「もー恥ずかしいじゃない」
「本当に暖かいです。僕今日一緒に出かけられて幸せです。本当に、本当にありがとうござい
ます」
「大げさ、大げさ」
「本当にに……うん……」
「もう、何感傷に浸ってるの? 今日で、もう会えない訳じゃないんだから」
「あぁ! ごめんなさい! じゃあ行きましょう動物園!」
彼は私の手を引きながら歩き始めた。
彼に握られた左手は、彼の言ったとおり暖かくて幸せな気分にさせてくれた。
そこからの何時間かは、なんだか凄く時間が早く経過したみたいに思えた。
動物園で彼が怯えながらも象に餌を上げた。
お昼に食べたパスタはフォークの使い方が下手くそで口の周りをミートソースだらけにしな
がら食べていた。
午後には買い物に付き合ってもらい私が「この二つの服どっちがいいかな?」と聞くと三十
分ほど頭を抱えながら悩んでくれた。
言葉に現せないぐらい楽しかった。
誰かに話したいぐらい幸せだった。
二人の時間が終わらなければいいのにと何回も願った。
東京タワーの展望台、二人で手を繋ぎながら夜景を見ている。
「もう夜だねー時間がたつのは早いなー」
「そうですね……」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
彼は何故か東京タワーのエレベーターに乗った辺りから口数が少なくなっていた。
「ごめんね。もしかして高いところ苦手だった?」
「いえ、そんな事はないです。凄く素敵でどこかはかなくて、
何か自分を見ているみたいです」
真っ直ぐを見る彼の横顔を私はじっと見つめる。
「自分がどこから来て、これから何処へ行くのか、何をしたいのか、どうすればいいのか、い
くら考えてもわからないんです」
「田中君……」
「生まれてきた意味はあるのかなって、そう感じるんです」
私の左手を握る手に力がこもる。
「でも、貴女に出会ってから少しだけ変わりました」
「私も……」
好き。
「だから、今日言いたいことがあるんです」
抱きしめて欲しい。
「聞いてもらっていいですか?」
何もかも忘れるぐらい愛して欲しい。
彼が私の方を向く。
「実は、僕は貴女のい……」
言葉が終わる前に私は彼に口づけをした。
繋いでいた手を離し、彼の腰に手を回す。
何分口づけをしていただろうか。
「ごめんね……」
唇を離す。
「私の話、聞いてもらって良い?」
彼は無言でうなずいた。
「私、もう全部嫌なの、これから家に帰るのも夫の顔を見るのも、息子の事を考えるのも、わ
かってるんだよ。私が悪いことぐらい、息子が引き籠もったのも、夫が冷たくなったのも、家
庭内別居も、私が悪い事はわかってるの、でも、そんな時に助け合ってくれるのが家族だと思っ
てた。自然に手をさしのべてくれるのが夫だと思ってた。時々優しい声をかけてくれるのが息
子だと思ってた。全部私の考えすぎで、本当は家族なんて他人の集まりなんだよね。自分が悪
いことをしてしまったら誰も助けてくれない、だけど途中でリタイアするのも許されない、そ
んな毎日を繰り返して何も考えない用に暮らしてた。私にはここしかないんだって、逃げるこ
一呼吸。
ともできない、今更全員を愛することだってできない、人形なんだよ。私は」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
「でも、田中君と出会ってからは違った。毎日顔を見るのが楽しみで、休みの日は落ち込んだ
りして、おかしいでしょう。こんなおばさんが……だから昨日デートに誘ってくれたときは本
当に嬉しかった。もしかしたら田中君も私のこと好きになってくれたのかなって勝手に勘違い
して……ごめんね」
大きく息を吸う。
「私、田中君の事が好きです」
目から、涙が、溢れた。
「ごめんね、勘違いなのに、君の気持ちも考えないで」
拭いても、拭いても、溢れ出してしまう。
「おかしいね。勝手に、泣いて、ごめん、ごめんね」
顔を手で覆う。
「顔を上げてください」
彼の言葉が聞こえて、私は涙を一回拭いて彼を見た。
「うまく言えませんが……」
いつもの優しい笑顔をしている彼。
「僕も好きです」
私は何も言わず彼の胸に飛び込んで泣いた。
今までの悲しみを洗い流すように、忘れられるように、捨てられるように。
□
「あなた……今日の夜、大事な話があるの」
会社の出社前の夫が部屋から出てきた時に私は声をかけた。
「わかった」といつものように私の事なんて気にもとめていない様子私の横を通り過ぎていく。
小さく呟いたその言葉は夫に聞こえていただろうか。
「いってらっしゃい……」
身支度を済ませて仕事へ向かう。
仕事場へ着くと同僚に声をかけられた。
「田中君今日無断欠席みたいよ」
「え?」
「田中君今日早番だったんだけど時間になっても来ないし、誰に聞いても住所も電話番号もわ
」
からないんだもの ——
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永作一樹
お父さんは魔法少女
そこからの話は私の耳には入らなかった。
何も考えられずにその日の仕事がいつの間にか終わっていて、気がつけば自宅のテーブルで
ボールペンを走らせていた。
「田中君……」
昨日、ひとしきり泣いた後、空き地まで二人で手を繋いで歩いた。
何度も「ごめんね」と言う私に彼は優しい言葉を投げかけてくれた。
『また明日』そう言って手を振ったはずなのに。
そのはずなのに。
「また……一人か……」
頬に温かい物が一筋流れたところで家の電話が鳴った。
時間を見ると八時半すぎ、ああ、夫が残業で今日は遅くなるって電話かな……
「私の大事な話なんてそんなもんよね……」
腰を上げて電話まで歩く。
「もしもし」
『もしもし、僕です。田中です』
「田中君! 今日はどうしたのよ!」
『ごめんなさい、細かい説明はしていられないんです』
「どうしたの! 大丈夫!」
『僕と逃げませんか、遠い、みんなが僕たちの事を知らない場所へ』
「……」
『九時に昨日の空き地で待ってます』
「あっ……」
急いで、自分の部屋に戻り箪笥から通帳を取り出す。
そこで電話は切られた。
「私は……」
これがあれば何ヶ月かは生活に困らない。
急いで玄関に走り靴を履く。
その時、テーブルに置いてあったはずの離婚届はどこかへなくなっていた。
玄関を出たときにはっきりと言葉にした。
会いたい、彼に会いたい。
「さようなら」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
□
マジ、じいさんに本気出すとかありえないんですけど。
ワシはボロボロの体を引きずりながらやっとこさ家にたどり着いた。
あの若者め、今度会ったときこそ見ておれ……
「あそこでわしの爆撃が当たっていれば勝敗は変わっていたのにのう……」
それだけが未だに悔やまれる。
ともあれ、どうにか一命を取り留めた。
「今日はもう休もう……」
技を使って全裸だったので体が寒い、もしかしたら帰りの道で風邪を引いてしまったかもし
れないのう。
廊下を歩いていると不思議な光景が目に入った。
「ん?」
廊下の一部が持ち上がり、持ち上がった場所には下へと続く階段があるではないか。
「はて、ここの家に地下倉庫なんてあったかのう」
少し気になったので降りてみることにした。
周りに明かりが何もないので階段はとても暗く見えづらいのう。
「下に光が見えるわい」
耳を澄ませると人の声のようなものも聞こえる。
「もしや!」
奥さんの濡れ場かもしれん!
「わしのラッキースケベ!」
わしは多大なる期待を胸に階段を音を立てないように慎重に降りていった。
「……なんと!」
ヘレンは全裸で足下へ顔を向けて何かを話しているようだ。
階段の一番下に降りると目の前に見慣れた背中があった。
「……ヘレン……」
わしは顔をヘレンの足下に向ける。
「あれは! この家のばあさん!」
一体何があったと言うんだ!
そこで、ヘレンに動きがあった。
右腕を大きく掲げ、左腕を腰に回す。
考えるよりも先に体が動いていた。
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永作一樹
お父さんは魔法少女
「へれええええええええええええええええええええええええええええええええええええんんん
んんんんんんんんん!」
およそ五メートルの距離を一気に駆けヘレンに殴りかかる。
わしの殺気に感づいたのかヘレンは紙一重でワシの一発を避け、体をワシに向けた。
「何でお前がここにいる!」
「うるさい! この老人虐待野郎! 全国の老人達を代表してわしが貴様を殺す!」
わしはすぐさまファイティングポーズをとり、ヘレンも同じくファイティングポーズをとる。
「……この技は……使いたくはなかったが……」
わしは掲げた左手を自分の胸に当て、自分の衝撃波を心臓に当て始める。
「お前! 何をする気だ!」
「馬鹿たれ! よく見ておれ! これがわしの秘奥義じゃ! いやはあああああああああああ
ああああああああああああああああ!!」
心臓が破裂しそうだ。
「まだじゃ! まだじゃああ!」
何度も衝撃波を打ち込むうちに、衝撃波と心臓の鼓動が徐々に重なり合う。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
体に目に見えて変化が起きてくる。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、膨らみ始め、体を覆っている皮膚が張り裂けんばかりに肥大化する。
体が熱い、頭の奥底が焼け付きそうなほどの速度で回転している。
「あああああああああああああああ!」
思考なんてものは今は必要ない、目の前のヘレンを! ヘレンを!
「じじいインパクッ!!」
体を跳ね、ヘレンに殴りかかる。
「早いっ!」
回避行動に入る途中だったヘレンの体が後方に勢いよく飛ぶ。
「がっ!」
大型モニターに大の字に当たったヘレンの体が前方に倒れる前に、わしはヘレンの顎先を蹴
り上げた。
ヘレンの体が天井近くまで浮き、上昇が終わり、一瞬空中に制止した瞬間に蹴り上げた直後
に飛び跳ねたワシのかかと落としが腹部に突き刺さる。
そのまま床に速度を上げながら落下する。
「これで終わりじゃああああああああああああああああああああ!」
鈍い音が部屋に響き、その瞬間にヘレンの体は床にめり込んだ。
ワシは倒れているヘレンの横に立っている。
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永作一樹
お父さんは魔法少女
「はっ……はっ……」
頭の回路が焼け付いていくのがわかる。
「もう終わりが近い……」
この回路が燃え尽きたらわしは……
ヘレンはぴくりとも動かない。
「殺してしもうたか……ヘレン……ヘレン……」
お前……片言以外で話せたんじゃな……若干ビックリしたわい……
「うっ……」
胃の奥から込み上げる物があり、反射的に口に手を伸ばす。
両手の平では収まらないほどの血がはき出された。
「ヘレン……わしも……そっちに……」
力なく膝をつき、ヘレンの顎髭に触れる。
「昔と……変わらないのう……」
ゆっくりと体を横にしてヘレンと寄り添う。
「ヘレン……わしな……ずっとヘレンの事……だいす……」
□
体を起こし、横に並んでいる老いぼれ二人を眺める。
「ふんっ!」
部屋から出て階段を上がり始める。
「邪魔が入ったが全部計画通りさ! さぁ! パーティはこれからだよ!」
階段を上り終えると、老婆は階段の入り口を勢いよく閉めた。
「せいぜいあの世でニャンニャンしてな!」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
□
狭いリビングに、家族全員が集まっている。
俺の描いた、キュンキュンとペリッポを見て、親父が笑いながら褒めてくれている。
母さんは「何これ」なんて言いながら紙を手で持ってじっと眺めている。
俺はじいさんの膝の上に乗って、自分が考えた二匹のストーリーを必死にばあちゃんに聞か
せている。
ああ、これは夢だ。
俺の小さい頃、一番楽しかったときの思い出を見てるのか。
ひどく懐かしい気がする。
こんな時代もあったんだな。
楽しそうな家族の姿を、少し離れたところから今の俺が眺めている。
戻りたいな、あの頃に。
右手を家族の方へ伸ばす。
近いはずなのに、一向に届く気がしない。
なぁ、俺。
お前、後何年かしたらクラスの奴にいじめられるんだわ。
学校行かなくなって、家に引き籠もってゲームばっかりして、みんなに迷惑かけるんだわ。
無駄に合コン行って化け物に会うから気をつけろよ。
聞こえてないだろうけど。
いじめになんて負けるなよ。
学校きちんと行け。
外に出てくだらない青春でも謳歌しろ。
オンラインゲームなんて始めるな。
みんなに迷惑かけるな。
普通の会社に就職して、普通に暮らせ。
じいさんの膝に乗っている俺は、身振り手振りで何をばあさんに伝えてるのかな。
ああ、戻りたいな。
ちくしょう……
□
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永作一樹
お父さんは魔法少女
目を開けると、自分の顔が濡れているのがわかった。
「夢見て泣いてるとか……メンヘラかよ……」
指で拭き取って、天井を眺める。
「……」
「ぶふっ!」
「えっ!」
自分の右側からした異音に俺は顔を横に向ける。
「なっ! 何でお前が俺の部屋に!」
「ぶふっ! ぶふふふふふふふふっ!」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
□
部屋の大型モニターにはベットの横に座っている女性が映し出されている。
「全て計画通りさ、後少し、あと少しで念願が叶うよ」
モニターの前に立っている老婆の口元はつり上がり、モニターを食い入るように見つめてい
る。
「もう、こんな古ぼけた肉体ともおさらばさ、私は生まれ変わる! 全ての存在になる!」
力強い言葉の中に、確かな狂気がが入り交じっていた。
「昨日の一号の裏切りには本当に腹が立ったがね、今になったらそんな事もう、どうでもい
い、最高だったよ。あの女の死に様! 何が田中くんだ! 何の幻想を抱いてるんだろうね! 一 号 の 恋 心 な ん て 私 の 作 っ た プ ロ グ ラ ム の 一 つ で し か な い っ て の に! 本 当 に 馬 鹿 だ ね!
さぁ! 替えの息子も後数分したら病室に到着する! これで何も問題はない!」
「何が問題ないって?」
背中から聞こえた急な声に、老婆は素早い動きで体を部屋の出口に向ける。
「まさか民家の地下にこんな研究所を作ってるなんてな、みつからないわけだ」
男は扉を二、三回軽く叩き老婆の顔を正面から見た。
「……誰じゃお前は?」
「正義の味方と、言ったところかな」
「何で全裸なんじゃ?」
「地下への道を開くときに力を使ってね。色々ヒーローにも事情があるのさ」
自分の髭に触れながら全裸の男は一歩部屋に足を踏み入れた。
「そのヒーローが私に何の用かね?」
「わからないのかい? ヒーローなんだから悪の親玉を倒すのが礼儀だろ?」
「ほう、そうかね……」
「無駄な抵抗はするなよ」
男はゆっくりと右腕を大きく掲げ、左腕を腰の後ろに回した。
「かっ!」
男が息を吸い込んだ一瞬、老婆は口を大きく開き衝撃波を放った。
「なにっ!」
男の体が後ろに跳ね、壁に激突し、前方に倒れそうになるが、どうにか体勢を立て直す。
「貴様! 何をした!」
「お前の型……なつかしいねぇ」
「お前は一体……」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
「はっ、お前に教えて何になる」
「ノーモーションで衝撃波……もしや!」
「考え事なんて余裕だね! かっ!」
「はっ!」
男は老婆の衝撃波を自分が放った衝撃波に当て、威力を相殺し消し去った。
「ここからは本気を出させて貰うぞ! はああああああああああああああああああああああ
あ!」
男の掲げた右手から数え切れないほどの衝撃波が放たれる。
「かあああああああああああああああああああああ!」
老婆も応戦し、口から衝撃波を繰り出す。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああ!」
「くわあああああああああああああああああああああああああああああ!」
どちらも同程度の威力の衝撃波を放っているが、多少老婆の衝撃波が押されてきている。
「これで終わりだあああああああああああああああああああ!」
男は最後の力を振り絞り衝撃波を放つ。
「ぎゃあああああああああああああああ!」
老婆はの衝撃波は全て消え去り、残った衝撃波が老婆の体を襲い、老婆の体が大型モニター
に大の字にぶち当たる。
「はっ……はっ……噂には聞いていた……ノーモーションで衝撃波を放てる唯一の人間、この
幻灯古武術創始者……あなただったんですね」
「昔の……話さ」
「何故、あなたがこんな事を?」
大型モニターに体を預けながら老婆は遠くを見ながら語り始める。
「老いとは、誰にでも来るものなのさ、人生に満足していても、いなくてもね。私は満足なん
てできやしなかった。いつまでもあの時の、そう、輝いていた自分を欲していた。だけど現実
はどうだい。こんなに老いぼれて……だから私は永久の若さについて研究を重ねた。そこで偶
然人体の精製に行き着いたのさ」
「……田中の事か」
「そう、完璧な、食事も取らず睡眠も必要ない、研究費用を稼ぐには持ってこいの素材だった。
もし、私が若くなった時用に私好みの外見にしたんだけどね」
「駆け落ちも……お前の仕組んだ事だったのか?」
「いや、あれには驚いたさ。プログラムに入っていたのは母親への恋愛感情のみ、本当は二人
で出かけた先の人気のない場所で殺せと命じていたんだよ。だけど一号は殺さなかった……不
思議なもんだね……まるで人間みたいに勝手に動いてたんだよ」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
「人間だったさ。あいつは。最初から、最後まで……」
「ボタン一つで死ぬ人間かい? それは傑作だね」
「……最後にお前の計画を全部教えて貰おうか」
「ふっ、簡単な事さ……一号の量産計画を打ち立てたんだ」
「量産だと!」
「しかも今度の物は感情なんて物は全てない完全な自己のない物さ」
「そんな物を」
「だがね、量産するに当たって一つの問題が生じた。怪人には名前も戸籍も何もかも存在しな
い、今回は偽装で済んだがこれからの量産でそれを行うのにはリスクを伴ってしまう……そこ
で」
「既存の人間とすり替える……」
「その通り、今回のターゲットは二人、息子とその妻」
「……そんな物のために二人に、あんなくだらないお芝居をさせたのか」
「全ては老いのもたらした結果だよ……」
「他に何か隠してはいないな?」
「ええ、これで全部だ」
「ならば……これでお前の計画は全て終わりだ……」
男は老婆を見据えたまま、右腕を大きく掲げ、左腕を腰の後ろに回し、右手に気を込め始める。
「へれええええええええええええええええええええええええええええええええええええんんん
んんんんんんんんん!」
後ろからの声は、ひどく彼の心をかき乱した。
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お父さんは魔法少女
□
電車の中、少し小さめの座席に僕と彼女は並んで座っている。
彼女は頭を少し僕の肩に持たれかけ小さな寝息を立てている。
知らない人から見れば、僕らは恋人に見えるだろう。
それは自分にとって、どれだけ幸福なことだろう。
ジッと自分の手を見る。
初めて人を殴った。
あんなに痛いなんて思わなかった。
いや、殴られた彼の方が痛かったのかもしれない。
あのおじいさんは平気だったろうか。
『聞こえるかい?』
僕が考えを巡らせていると、頭の中に母さんの声が響いてきた。
「はい、聞こえます」
隣で寝ている彼女を起こさないように小さな声で答える。
『あんた、母親の私を裏切ったのかい?』
棘のある言い方に僕の背筋は凍り付く。
「すいません」
『私はあんたに言ったのは「父親の抹殺」のはずだったんだけどね』
「……」
『今回の件が上手くいけば兄弟に会わせてあげたのに、裏切るなんて、なんて親不孝な息子だ
い』
「いつも、いつも、そう言って最後は会わせて貰えないじゃないですか」
『それはあの父親があんたの兄弟を殺しているから、あんたの隣にいる女だってそうさ、何度
もあの男に体を』
「言わないで下さい!」
『何だね! 母親に向かってその言い方は!』
「すいません、でも、聞きたくないんです」
『ふん、まぁいい、あんた、戻ってくる気はないんだね?』
「はい、僕は彼女と、何処か遠くで暮らします」
『そうかい。じゃあ、最後に本当の事を話してやろうかね』
「え?」
『全ては私の手の中の出来事だったのさ、父親の事、母親の事、あんたの事も、多少のイレギュ
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お父さんは魔法少女
ラーはあったが概ね予想通りの展開になったよ。まず、父親を乗せるのは簡単だったね。私の
らくらくホンから一本電話して、空き地に誘い込んで糞の役にも立たない怪人を出しておけば
勝手に調子に乗ってくれた。自分に存在意義なんて初めからないのに「家族を守っている」な
んて戯言を言い出した。母親も単純だったね。あんたを近くに置くだけで色めきだして、最後
には駆け落ちかい? ご大層なこった。そして、あんたはいや、
怪人一号と言うべきかしらね』
「怪人……」
『そう、あんたは怪人だよ。大金をつぎ込んで生まれた怪人第一号さ! 全ては今日のために
ね! あんたは優秀だったよ。忠実に私の為に働いてくれていた。あんたが働いてくれたおか
げで、糞の役にも立たない怪人が次々と生まれていったんだよ! 父親に殺されるためだけに
生まれるあんたの兄弟がね! あんたも馬鹿だね! 私の言葉を真に受けて! 自分が働けば
働くほど兄弟を殺すことになることも知らずに!』
「くっ……」
『さて、あんたに教えるのはここまでさ……なんだかんだ好き勝手言ったがね、後はあんたの
人生だ自由にその女と人生を歩みな』
「……母さん」
『そうそう、通信を切る前に一つ言っておくよ。あんた、後十秒で死ぬよ』
「なんだって!」
僕は席から立ち上がる。
「……どうしたの田中君?」
『けひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!』
「母さん! 母さん!」
ぶっ、と音がして通信が切れた。
「田中君? どうしたの? 母さんて?」
彼女が僕の体を揺する。
頭が、白くなっていく感覚。
「田中くん! タナか君!」
彼女の声がだんだん遠くなって……
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああ」
□
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永作一樹
お父さんは魔法少女
線路の上、私は田中君に膝枕をして座っている。
頭を撫でると、金髪の髪が指に絡む。
「田中君、私、あなたに出会えて良かった」
優しく声をかける。
彼から返事は帰ってこない。
「ねぇ、次に生まれてくるとき、私達、またこうして会えるかな」
遠くに電車のライトが見える。
「次は同い年がいいな……なんて、今の年齢差でもいいけど……」
ゆっくりと音が近づいてきている。
「見て田中君……」
電車のライトが近づいて、
「綺麗だね……田中君」
「田中君……大好きだよ」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
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目を開けると、木目調の壁が見えた。
「生きてる……よな?」
何回か瞬きをした後に、自分の体がベットに横になっていることに気がつく。
首を左右に動かすと、少し痛みを感じたが左には窓があり、右には小さいテレビと白い大き
な花、リンゴで作られたうさぎが皿に綺麗に置かれている。
それに……
「お前……」
声が何も出ず、涙が溢れてきた。
妻が、優しい笑顔で丸い椅子に座っていた。
「あ……あぁ」
布団から右手を出し、妻の膝に添える。
「今まで……今までごめん……」
心の底から伝えたかった言葉が勝手に溢れ出してくる。
「大切な話……俺からもあるんだ……」
涙は目から未だに流れ続けているが、構わずに言葉を紡ぐ。
「もう、お前は嫌かもしれないが、もし、チャンスがあるのならば、一緒に……一緒に手を繋
いでこれから歩いて行こう……」
これまでの人生では考えもしなかったこと、これからの人生、妻と二人で歩んでいきたい。
ただそれだけの事が、言えなかった。
伝える方法がわからなかった。
でも、今、言葉足らずだが伝えられた。
それだけで十分だ。
「今まで苦労かけたな……今度二人で旅行でも行こう……」
妻は笑顔のまま何も話さずにこちらを見ている。
「花……お前が持ってきてくれたのか? ごめんな、俺、無頓着だから名前わからないけど綺
麗だな」
「花は……好き?」
「何だ。ここで話し始めるのかびっくりしたぞ? そうだな、考えたことなかったがこれから
は好きになれそうだ」
「よかった」
妻は安堵した表情をした後にゆっくりと顔を近づけてきた。
「キスなんて随分久しぶりだから緊張するな」
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永作一樹
お父さんは魔法少女
だが、妻の顔が目前になったところである事に気がつく。
「お前、鼻の頭に何か傷がないか? 怪我でもしたのか?」
よく見ると鼻の頭を中心に八方向に伸びた傷がうっすらと見えている。
「これ? これはね、こうなるの……」
妻がそう言うと、鼻の切れ込みはゆっくりとはっきりした物となり……
「誰だ! 誰なんだ!」
顔が切れ込みの方向に開いていき、頭に覆い被さってくる。
「ハナ、好きなんでしょ、ハナ」
「うわあああああああああああああああああああああああああああああ! 誰か! 誰かああ
ああああああああああああ!!」
必死に暴れようとした瞬間もの凄い力で頭全体を締め付けられた。
「嫌だ! 死にたくない! 妻に! 妻に会わせてくれ! いがあああああああああああああ
あああああああああああ…………」
□
今、音もなく一つの家族がなくなった。
音もなく病室の時間は過ぎてゆく。
風にそよぐカーテン、病室には女性が一人座っている。
目の前にベットが一つ置いてあるが、誰も横にはなってはいない。
女性のいる病室に足音が近づいてくる。
足音は病室に入ってくると、何も言わずに女性の横を通りすぎ、ベットに腰掛けた後すぐに
横たわった。
あのころの家族は、もう二度と、戻りはしない。
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永作一樹
お父さんは魔法少女
第二回俺的小説賞
企画
秀たこ
編集
デザイン
かめとかぼちゃ。
宝栄光(かめとかぼちゃ。)
この作品は第二回俺的小説賞に応募された作品です。
この作品の掲載権は作者の了承の元、俺的小説賞にあります。
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