せつ しん こう 今月のことば しゅ 摂取の心光、 おさ ( 「正信偈」 『註釈版聖典』二〇四頁) つねに照護したまふ (意訳) (同『現代語版聖典』一四五頁) 阿弥陀仏の光明はいつも衆生を摂め取って お護りくだ さ る にし かわ まさ と 西河雅人 浄土真宗本願寺派 総合研究所研究員 「どうしたの、暗い顔して、何かあったの?」、大切な人が 悲しそうにしていたら、思わず声をかけてしまいます。 その人の心の中は見えないけれど、そこにある悲しみや苦 しみが顔や態度に出ているのを感じることができるからで す。しかもそれは大切な人であればあるほど、その心の中の 闇が自分自身の痛みとなって敏感に感じられます。 そ ん な 時、「 私 に で き る こ と が あ っ た ら 何 で も 相 談 し て、 力になってあげるから」と励ましたりします。それは大切な 人に早く明るく元気になってほしいからです。 ふだん私たちは、顔の表情や性格などを、明るいとか暗い とか、まるで光に照らされているか、いないかのような言い 方をしていますが、親鸞さまは、ご自身が阿弥陀さまからど れほど大切にされているかという思いを、「つねに私を摂め 取って捨てない心光に照らされている」、つまり「摂取の心光」 という言葉で表現されています。 心光とは太陽や電灯のように目に見える光ではありませ ん。心の中の暗闇を照らす光です。私の心の闇を見通され、 心配で心配で、何とかして安心感を与えたいと願われている たと 阿弥陀さまのお慈悲を、いつでも、どこでも、つねに護って くださる光に喩えられたことばなのです。
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