Catching lightning in a bottle

ー Catching lightning in a bottle ー
Catching lightning in a bottle :
How Merrill Lynch revolutionized the financial world
『メリルリンチの奇跡』
〜金融界に変革をもたらした企業の知られざる物語
Winthrop H. Smith Jr. 著
John Wiley & Sons, Inc., Hoboken, New Jersey
2013/12 600p
1.リトル・ドック(1885-1907)
2.おかしな二人(1907-1915)
3.スミス、ウォールストリートへ行く(1915-1929)
4.食料品屋(1929-1940)
5.ウォールストリートからメインストリートへ(1940-1942)
6.投資の前に調査せよ(1942-1957)
7.グッバイ、ビーン - ハロー、スミス(1957-1970)
8.アメリカはまだいける(1970-1980)
9.誠実な男(1980-1985)
10.筋金入りの楽観主義者(1985-1993)
11.基本理念の確立(1993-1997)
12.価値ある遺産だったはずが(1997-2001)
13.父が泣いた日(2001)
14.マザー・メリルの死(2002-2007)
15.メリルリンチの奇跡(2008)
【要旨】世界の金融界をリードし、証券業に革新をもたらしたメリルリンチ。本書では、
サブプライム・ショックで巨額の赤字を出し、94 年の歴史に幕を下ろすまでの同社の
栄光と凋落の道程を辿りながら、成功と失敗それぞれの理由、そして同社が米国のみ
ならず世界の金融界に与えてきた多大な影響について検証。この “ 金融界の巨人 ” の
強みの根源は、創業者による「顧客利益優先」をはじめとする基本理念の継承と、
「マ
ザー・メリル」と賞された家族的な企業風土にあった。著者は、メリルリンチ共同創
業者の一人ウィンロップ・スミスの子息で、スタンレー・オニール CEO による悪政
に耐えかね引退するまでの 28 年間同社に勤務。本書では、内部にいた者ならではの
視点で、同社を率いたリーダーたちと社員たちの活躍を生き生きと描いている。
●投資ビジネスを大衆の手の届く身近なものに
メリルリンチで働いていた OB たちは、退職後も昔の同僚と集う機会をもつことが多い。
ある集まりのあと、元同僚の一人が私に向かってこんなことを言った。
「僕は、なんてすば
らしい人たちと仕事をしていたんだろうって、つくづく実感するよ。まさに奇跡(catching
lightening in a bottle)が目の前で起こっていた」
メリルリンチがなぜ成功することができたのか。それはこの言葉に集約されるのだろう。
この会社には、個性豊かな人材、不屈の精神、リーダーシップ、倫理、そして誇りがあった。
それは、まさしく「奇跡」と呼べるものだった。
メリルリンチは、1914 年にチャールズ・E・メリルの個人商店として始まった。その後、
カリスマ的な魅力と、創造性、そして先見の明を持ち合わせたメリルは、バランス感覚に秀
でた几帳面なエドモンド・C・リンチと、謙虚でリーダーシップのあるウィンスロップ・ス
株式会社トランネット 〒 106-0046 東京都港区元麻布 3-1-35 c-MA3 A 棟 4 階 Tel 03-3401-7676 Fax 03-3401-7677/ E-mail: [email protected] 1/3
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ミスの協力を得て会社を設立、戦争や大恐慌を乗り越えて成長していく。
メリルたちは、投資ビジネスにおける斬新なアイデアを実現しようとしていた。
「ウォー
ルストリートをメインストリートへ」
。すなわち株式市場を大衆の手の届くものにしようと
したのだ。そのため、メリルリンチでは、何よりも顧客の利益を優先することをモットーと
していた。そのことで一般投資家の信用を得て、顧客を拡大させていった。
従業員であるブローカーの待遇を旧来の歩合制から給与制に変更。その結果、同社と顧客
の関係はより円滑になった。また、運用部門の取引量の増加に対応していち早くコンピュー
タ・システムを取り入れ、合理化に努めた。さらに、合併吸収を積極的に行い経営の多角化
を図っていく。それは、さまざまな機会を活用した市民への株式投資の普及活動につながっ
ていった。
創業者たちは、
「基本理念」とよばれる5か条のガイドライン「
(1)顧客利益、
(2)個
人の尊重、
(3)チームワーク、
(4)市民としての責任、
(5)誠実さ」を打ち立て、社員
にこれを周知徹底した。この基本理念は、後の CEO スタンレー・オニールにないがしろに
されるまで、同社の屋台骨となっていた。
●多業種から人材を育て、宣伝・広告に力を入れる
メリルが株式投資ビジネスを市民に広めていくために、とくに力を入れたのが社員教育と
広告だった。
証券コンサルタント育成スクールを開講し、ときには異業種から人材を引き抜き、訓練を
ほどこして優秀な “ メリルリンチャー ” に育て上げた。スクールによる豊富な人材の輩出は
同社の成功の重要なファクターの一つといえる。ちなみに同社の社員には、第二次世界大戦
中に証券マンとして海外に駐在しながらスパイ活動を行っていた者もいた。彼は、もとはス
パイ候補生だったが、メリルリンチが教育して証券マンに仕立て上げたのだ。
ウォールストリートで最初に TV コマーシャルをうつなど、メリルリンチは宣伝・広告に
おいても業界のパイオニアだった。大胆で効果的な広告をつくるために、優秀なコピーライ
ターを社員として迎えて証券の勉強をさせたりもした。
加えて、女性顧客の拡大キャンペーン、さまざまなイベントへの参加、駅構内ブースの設
営など多彩な展開を行う。その結果、ニューヨーク株式市場の一般投資家向け商品の半数を
引き受けることに。こうした取り組みは、
証券業を市民に身近にするだけでなく、
ニューヨー
ク株式市場の成長にもつながった。
メリルリンチのもう一つの特色が、
「マザー・メリル」と呼ばれる家族的な温かさにあふ
れた企業風土である。会社は社員を一人の人間として尊重し、十分な給与と福利厚生を与え
た。リーダーは部下や後輩を父兄のように指導。オニールが CEO に就任するまで、メリル
リンチが理不尽な人事異動を実行することはなかった。
●基本理念に従うことで危機を乗り越え、それを糧にする
メリルリンチは、危機に見舞われるたびに、それを乗り越えた経験から得た学びを成長に
つなげてきた。
たとえば 1987 年の株価大暴落では、他社のトレーダーが職務を放棄するなか、メリル
リンチの社員は 6,000 もの取引を夜半までかかって終えた。基本理念に従い顧客の利益を
第一に考えたからである。また、もとよりリスクを見込んで顧客に分散投資を勧める戦略を
とっていたため、株式市場によるレート切り下げにもあまりダメージを受けなかった。
当時の CEO ウィリアム・シュライヤーはテレビや新聞の広告を通してメリルリンチの健
在をアピール。その後同社は株価大暴落による赤字経営を改善するためにコスト削減や組織
再編成を推し進め、1990 年代にはウォールストリートのリーダー的存在にまで成長するこ
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とになる。
●基本理念と企業風土をないがしろにしたことが凋落の原因
金融業界最初の偉人ともいえるメリルが築き上げた土台の上で、歴代 CEO はそれぞれ個
性豊かな経営手腕を発揮してきた。彼らが創業者メリルの理念をつねに念頭に置いて行動
してきたことが、同社の成長と成功に大きく寄与したといえる。
ところが、その良き伝統は、2002 年に CEO に就任したスタンレー・オニールによって
途絶えてしまった。
オニールは、苦学してアメリカ証券業界初のアフリカ系 CEO となった人物。頭脳明晰で
経営者としての力量はあったが、彼はメリルリンチの基本理念を理解しようとせず、自ら
の利益のためのみに会社を利用した。
オニールは、少数の取り巻きとともに、前 CEO のデービッド・コマンスキーをはじめと
する他の実力者を蹴落とす裏工作を図った。また、それまで同社ではタブーとされていた
冷酷な人事異動をためらいなく実行。メリルリンチに対する訴訟がおきると、罪のない社
員をスケープゴートに差し出した。
メリルリンチは家族のような結束力をもってさまざまな困難を切り抜けてきた。さまざ
まなタイプのリーダーが部下の声に耳を傾け、何事もオープンに話し合ってきた。社員は
そんな自分の会社を愛し、誇りに思い、忠誠を誓っていた。オニールはこの企業文化こそ
がメリルリンチの強みであることを分かっていなかったのだ。
不動産業に乗り出したオニールは専門家の反対にもかかわらず住宅ローン関係の会社を
何社も買収、大きなリスクを負った。そして彼は大きな “ つけ ” を払うことになる。
2007 年 10 月、サブプライム・ショックが金融界を揺るがした。メリルリンチも巨額
の損失を出し、同社の株価は 80 ドルから3ドルにまで暴落。第3四半期の損失は予測の
6倍にまで膨れ上がり、当然ながら危機管理を怠ってきたオニールの責任が問われた。だ
がオニールの独裁と暴走を止めなかった取締役会は彼を解雇にはできず、引退扱いとして
1億 6,000 万ドルもの退職金を与えた。
その後、メリルリンチはゴールドマン・サックス出身のJ・セインを CEO に迎え、立て
直しを図ろうとする。辣腕のセインはベストを尽くしたが、時すでに遅く、2008 年9月、
バンク・オブ・アメリカによる買収が決定。メリルリンチは企業としての歴史を閉じるこ
とになる。
私がメリルリンチを退職したのは、オニール率いるメリルリンチが、もはや私の愛して
やまないメリルリンチではなくなったからだ。メリルリンチの崩壊はサブプライム・ショッ
クが引き起こしたものではない。人的災害であり、糾弾されるべきは当時の CEO と取締役
会である。メリルリンチのあの奇跡のような日々はもう帰ってこないが、
その精神がバンク・
オブ・アメリカの一部となった今も生き続けていることを願う。
コメント:米国の企業、しかも金融業というと、ドライで数字のみで物事を判断するよう
なイメージがある。もちろん、そういった一面も必要だろう。だからこそ、
「情」に敏感で
なければリーダーは務まらないのかもしれない。おそらくオニール氏にも言い分はあるの
だろう。オニール氏は改革をしようとしたが、メリルリンチという独特な組織にとって「変
えてはいけない部分」に手をつけてしまったのではないか。
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