グリーン・ツーリズム ―人と自然の真の豊かな社会を目指して―

グリーン・ツーリズム
―人と自然の真の豊かな社会を目指して―
卒業論文
A0652042
外国語学部ドイツ語学科
多屋昌美
国際政治経済論演習
下川雅嗣准教授
2009 年 12 月
1
目次
はじめに
第一章 ドイツのグリーン・ツーリズム
第一節 グリーン・ツーリズム普及を支えたドイツの社会構造と国民性
第二節 「農家で休暇を(Urlaub auf dem Bauernhof)」事業
第三節 EU における位置づけ―LEADER 政策―
第二章 日本のグリーン・ツーリズム
第一節 日本におけるグリーン・ツーリズムの位置づけ
第二節 グリーン・ツーリズムの推進体制と実情
第三章 和歌山県田辺市上秋津地区におけるグリーン・ツーリズム
第一節 グリーン・ツーリズム推進の契機
第二節 秋津野型グリーン・ツーリズム
第三節 地域づくりが目指すところ
第四章 グリーン・ツーリズムによってもたらされる真の豊かな社会
第一節 グリーン・ツーリズム成功のための 3 つの法則
第二節 真の豊かな社会とは
おわりに
参考文献目録
2
はじめに
2008 年 9 月のリーマンショックを発端とした世界金融危機の影響で、非正規労働者の解
雇、大学生の内定取り消しなどが相次ぐ中、新たな雇用の受け皿として農業が注目を集め
ている。また、退職を迎えて第二の人生の場を求める団塊世代の都市部のサラリーマン、
渋谷の「農ギャル(ノギャル)
」のような若者からも農業・農村へのまなざしが熱くなって
いる。一方農村部では、尐子高齢化や過疎化によるコミュニティの崩壊、財源縮小、耕作
放棄地の増大などの問題を抱え、地域の維持・存続が危機的状況にあるところも尐なくな
い。そのような状況の中、なぜ今農業や田舎暮らしが注目されるのであろうか。
就業機会の縮小・雇用の不安定化や農山村の産業後退・空洞化は、1980 年代半ば以降に
急速に進展したグローバリゼーションによるところが大きい。工場などが海外に移転し、
安い製品が大量に輸入されて、国際競争力に务る国内の産業は衰退し、労働賃金の低下や
失業の増加、それに伴う地域の荒廃を招いた。グローバリゼーションの中で人々は「物質
的な豊かさ」を手に入れたが、人とのかかわり、自然とのふれあいの中で得られる「心の
豊かさ」を失いつつあった。本稿では、それらの社会的課題を解決する対策の一つとして、
「緑豊かな農山漁村地域において、その自然、文化、人々との交流を楽しむ、滞在型の余
暇活動1」であるグリーン・ツーリズムを取り上げ、グローバリゼーション・経済効率一辺
倒の社会に変わる、真の豊かな社会の在り方を提示する。
グリーン・ツーリズムは、余暇の習慣の根付いた西欧が発祥であり、もともとは農村で
の長期滞在のための宿泊施設を中心に発展したが、のちに EU 各国の地域政策としても取
り組まれるようになった。EU においては LEADER 政策(持続可能な開発に向けた農村開
発2)の一環として展開されたが、それは地域住民の連携・主体的参画を基本理念としてお
り、各国でのローカル・アクション・グループ(LAG)の活動を活発化させ、
「ボトム・ア
ップ型」の地域政策を実現するものであった。日本では、1990 年代に農業・農村振興策と
して西欧型のグリーン・ツーリズムを導入したことがはじまりである。近年は、本稿で取
1荒樋豊(2008)
「農村におけるグリーン・ツーリズムの展開」日本村落研究学会編『グリ
ーン・ツーリズムの新展開 農村再生戦略としての都市・農村交流の課題』農林統計協会,
p20.
2
「欧州連合(EU)の構造政策」外務省ホームページ
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/kouzou_s.html>(last access 2009/12/01)
3
り上げる和歌山県田辺市上秋津地区の事例のように、地域住民が主体者となって地域政策
の一つとしてグリーン・ツーリズムに取り組む地域が増加し、この活動を支援する国の動
きも活発化している。これらの日独の動きを比較する中で、グリーン・ツーリズムが社会
的問題を解決するツールとして機能するためには、
「住民組織の存在」、
「ボトム・アップ型
の連携」、
「地域間交流」の三つが鍵になることが分かった。その三つの法則に則ってグリ
ーン・ツーリズムに取り組むことによって、雇用創出や農業収入増加、地域住民が地域の
良さを再認識し、その地で暮らすことに生きがいや誇りを感じるといった成果が各地で見
られている。このような「経済的な発展よりも、人の生きがいや暮らしを優先する、持続
可能な社会」を、グリーン・ツーリズムがもたらす真の豊かな社会のモデルとして提示し、
本稿の結論としたいと考えている。
以上の点を踏まえ、第一章ではグリーン・ツーリズムの先進地であるドイツの事例を取
り上げ、その発生と普及の背景について検証する。第二章では先行研究や現在の日本の国
としてのグリーン・ツーリズムの推進体制を見ていくことによって、日本におけるグリー
ン・ツーリズムの位置づけを行う。第三章では和歌山県田辺市上秋津地区の事例から、地
域の視点での日本のグリーン・ツーリズムの実情について言及する。第四章では以上の議
論から導かれるグリーン・ツーリズム成功の鍵と、それによってもたらされる真の豊かな
社会の在り方を示し、結論とする。また、本稿では農山漁村余暇法、農地法といったグリ
ーン・ツーリズムに関連する法制度そのものに立ち入った議論は行わないつもりである。
あくまで、急速に注目を集めている地域政策の現状を把握し、国と地域それぞれがどのよ
うな意識でグリーン・ツーリズムに取り組んでいるか、実際の人々の声を聞くことを重視
したい。グリーン・ツーリズムを含む地域政策は、人々の生活に密着しており、国と地域
が一体となって、継続的に取り組まれるべき課題であると考えるからである。
第一章
ドイツのグリーン・ツーリズム
この章では、ドイツのグリーン・ツーリズムを検証し、その起源、推進体制、そしてそ
の成果を探る。ドイツのグリーン・ツーリズムは、長期的余暇(バカンス)の定着、地域
での活発なスポーツ・文化活動などドイツ人のライフスタイルから自然と発生、浸透して
4
いったが、やがてドイツ連邦政府や EU からも地域政策として推進されるようになった。
まずはドイツの社会構造・国民性などから、グリーン・ツーリズム先進地となった理由を
探る。
第一節
グリーン・ツーリズム普及を支えたドイツの社会構造と国民性
連邦制
ドイツは 16 の州でできている連邦制の国で、歴史的にも地方分権である。その歴史は中
世にまでさかのぼり、14 世紀ごろに勃興してきた都市では市民(具体的には「ツンフト」
とよばれる同業組合)が力を持ち、自治をおこなっていた。それ以降も州や都市は何らか
の連盟や同盟を繰り返し、1871 年には国民国家としてドイツがはじめて誕生するが、その
際も独立した自治体の集合体という形をとった。1919 年に誕生したヴァイマール共和国、
ヒトラー時代は中央集権化が進んだが、戦後、連合国側・ドイツ側の希望で連邦制をとる
方向となった。現在のドイツの自治体は、州の中に行政管区、その中に群、群所属自治体
という形で構成されている。その規模は 200~2000 人ぐらいの規模の自治体が多く、5000
~5 万人の都市が多い日本に比べて、地方分権が経済的にも文化的にも充実した状態を維
持・展開している。
ここで連邦制に大きな影響を与えたとされる「補完性の原理(Subsidiaritaet)3」を紹介
する。
「補完性の原理」とは、課題解決の順位についての原理で、個人が抱える課題は個人
で、それが不可能ならば家族や共同体や非営利組織で、それでも無理なら自治体でといっ
た具合に、できるだけ課題を身近なところで解決していこうという考えである。この補完
性の原理はドイツの地域自治、さらには 1993 年に発行されたマーストリヒト条約にも明記
され、EU の在り方にも採用されている。
国民性
「連邦制」や「補完性の原理」に影響され、ドイツ人には自分の州や地域に対する愛情、
年ローマ教皇ピウス 11 世が出した
社会回勅(社会や政治の問題に対する教会の姿勢をしめす公文書)において示され、今日
の連邦制の原理として影響を与えたとされている。
3この原理は、カトリックの社会理論がルーツで、1931
5
そして自分たちの地域は自分たちで解決しようという意識が根付いているとされている。
また、ドイツ人は比較的ストレートに要求を口にする、相手に意思を明確に伝える性質が
ある。特に、環境や「生活の質」に関する要求は、その求める基準も高い。この 2 つの性
質が相まって、自分の要求を公共の場においても実現しようとする傾向がある。これは、
例えば、自宅に花を飾りたいと考えるのと同じように、街に花を飾りたいと思えばそのた
めに非営利法人を立ち上げたり、議会を通して制度化していくといったことである。自ら
自分の生活を良くしていこうという自発性とそれを地域の周りの人と共有しようという地
域への愛情で、ドイツの地域はよりよい生活空間になっていくのである。また、ドイツの
非営利法人はフェライン(Verein)とよばれ、ドイツ全国に 59 万 4277(2005 年)あると
言われている。やや団体の性格は異なるが、日本の NPO の数 3 万 4000 に比べて圧倒的に
多い。フェラインは人が集まって何か行おうとしたときに容易に組織することができ、そ
の分野は「スポーツ」
(38%)をはじめ、「余暇/故郷保護/しきたりの保護」(18%)、「社
会/福祉/地域/支援開発」
(13%)など幅広い。環境政策の推進や平和主義を主張する「緑
の党」も起源はこのフェラインであった。趣味・娯楽の分野を超えて、政治的経済的にも
影響力を持つものもあるのである4。
社会的市場経済
個人のみならず、ドイツの企業も地元志向である。子どもたちのスポーツクラブの支援、
福祉活動、歴史的建造物修復費用の寄付など地元への貢献度が高い。これはグローバル企
業であるシーメンス社なども同様に、地元エアランゲンの自転車道の整備への協力を行う
など、グローバル企業でありながら、地域社会との関係性を重視している。また、ドイツ
は自由経済が保障された国ではあるが、市場が自然に社会を統一していくというレセフェ
ア(自由市場)とは異なり、基本的に社会が経済システムをコントロールすべきという「社
会的市場経済」という考え方をとっている。新聞などでは「経済は成長が目的ではなく、
人間の生活のための手段だ」といった論調で、
「社会的」の部分を意識した記事がしばしば
展開されてきた。
以上のように、もともとドイツの「連邦制」という社会構造・制度が、国民の意識、さ
らには市場や経済にまで影響を与えてきた。ドイツでは、市場や経済は地域で展開、十分
4高松平蔵(2008)『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか
出版社,p67.
6
小さな街の輝くクオリティ』学芸
に機能し、人々が地域で豊かに暮らす風土が根付いているのである。
第二節
「農家で休暇を(Urlaub auf dem Bauernhof)」事業
「農家で休暇を」事業の始まり
ドイツのグリーン・ツーリズムは、「農家で休暇を(Urlaub auf dem Bauernhof)」事業
と呼ばれ、農業経営者が主役となって行っている副業的なツーリズムを意味する5。ドイツ
で農家がツーリストに空き部屋や納屋の一角を貸し出したのは約 160 年前にまでさかのぼ
り、当時は貴族階級の余暇活動、キリスト教徒の巡礼のために活用されていた。このよう
な初期の段階を経て、1940 年代後半には兵士が格安で滞在できるバカンス先として利用す
るようになり、そして産業化・近代化が進んだ 1960 年代・70 年代、国民生活において余
暇が大きな存在となる中で、活用者は一般市民にまで広がった。また、1961 年の週休 2 日
制の導入や、週卖位のまとまった休暇の取れる年次有給休暇制度など余暇活動に関する規
定がこれを後押しした。
「余暇活動」と並んでグリーン・ツーリズム普及を推し進めたのが「農業の経営多角化」
への動きであった。農業経営のかたわら、直売所の運営、農家民宿、農家レストランなど
に従事し、副収入を得るというものである。1968 年、ドイツ農民連盟によって初めて「農
家で休暇を(Urlaub auf dem Bauernhof)」のスローガンが掲げられ、ドイツ单部でも特に
山岳農業地域であるバイエルン州からグリーン・ツーリズムが始まった。1960 年代のバイ
エルン州は、不利な地理条件や過疎化による担い手不足など、農業経営に関する問題が厳
しさを増しており、その解決策としての新たな試みであった。
ドイツにおける民宿経営
ドイツにおける農家による民宿が定着したのは 1960 年代といわれている。そのころまで
は朝食付きでベッドのある部屋(Zimmer mit Frühstück)が主流であった。しかし 1960
年代以降、家具つきアパート形式の休暇用ボーヌング(Ferienwohnung ohne Verpflegung)
が徐々に増加しはじめ、そのスタイルに変化が見られるようになった。食事よりも、キッ
チンや浴室といった民宿の室内の設備に高い水準が求めるようになったのである。1966 年
5
山崎光博(2006)
『ドイツのグリーンツーリズム』農業統計協会,p41.
7
には、初めて DLG(Deutsche Landwirtschafts Geselschaft: ドイツ農業協会)が、農家
民宿の中から一定基準をクリアした民宿を紹介したガイドブックを発行した。ドイツの民
宿は、その数も増加を続けているが、農家民宿開業に対して公的補助金や利子軽減・免税
制度が行われていることが背景にある。この助成支援は 1970 年代から本格化し、このよう
な個別農家への直接補助制度については、多くの農家が高く評価している。農家が新たな
ビジネスとして農家民宿を開業するときには、やはり投資額確保が難しく、公的補助は農
家にとっては大きな支援となっているのである。
近年、ドイツの農家民宿はまた新たな局面を迎えている。観光市場が縮小傾向の中、「農
家で休暇を」の需要は増加傾向にある。このような市場の拡大を受け、農家民宿の品質向
上のための投資が増え、DLG は DTV(Deutscher Tourismusverband:ドイツ観光連盟)の
ホテル品質管理規定がベースとなった新たな品質管理規定を行っている。DLG に加盟する
民宿はすべて品質の管理の義務を行うこととなり、その結果がランキングマークとして星
印(★)が民宿ガイドブックに表示される。また、農家民宿の特徴をアピールするために。
DLG 主催による農家民宿トップテンの公表も始められた。評価は農業、観光、地域振興の
それぞれの関係者が行い、星印で5段階(★~★★★★★)で表される。これが利用客の
選択基準となり、評価を受けた民宿はこれを宣伝に掲げ、利用客の増加を図ることができ
る。しかし一方で、評価を気にするあまりに、農家の投資やサービス向上などの負担が増
える、古い農家民宿雰囲気を壊すなどの農家からの反対の声も聞かれる。評価によって、
農家民宿の画一化・リゾート化をすることは好ましくないが、民宿の開業後の管理・開業
後のフォローという点で、ドイツではグリーン・ツーリズムの推進体制が整っているとい
うことが伺えるだろう。
「農業の経営多角化」への動き
余暇の文化・制度による農家民宿経営の定着に加え、グリーン・ツーリズム普及の柱と
なったのが、ドイツ連邦食料農林省による農業外就業開発の推進である。1997 年 1 月、連
邦食料農林省は、
『農業経営者のための新しい市場』を刊行した。これは農業だけでは生き
ていけない農家のために、農家で行っている様々な事例を紹介することで新しい道を提示
するものである。具体的には、
「農家で休暇を」事業をベースとして、農産物の加工・直売
活動、農業と関連した新たな部門の開発・拡大の分野から、農業規模の縮小などを想定し
たニュービジネスとしてのリサイクル活動やコンピュータによる経営分析事業など、農業
8
生産技術とまったく関係のない分野にまで及んでいる。
このような副業として始める多面的なビジネスを「農業の第二の軸足6」としているが、
そのうちでも、
「観光」と「社会福祉」を主たる分野として支援が行われている。観光分野
においては、これまでのベットの貸し出しと並んで、郷土料理店の展開、文化的な催し・
祝祭の開催、キャンプ場開設など、観光の補助的インフラ整備、新しい活動に対する支援
である。社会福祉の面では、地方自治体のサービス業務を安い料金で請け負ったり、農家
女性が自治体の委託を受けて幼稚園を開設し、子供の世話や送迎・給食サービスを行うな
どがある。また、
「農業+福祉」の分野にも注目が集まり始め、農家の老人ホーム開設に向
けて施設の整備・人材教育を推進しようという動きも出てきている。これらはいずれも、
農村が「農業生産の地」という位置づけにとどまらず、農村住民の生活の場、そして都市
住民の余暇・保養の地としてとらえるという発想の転換が背景にある。
ドイツでは、地方自治が発展していることに加え、「農業経営の多角化」という形で、互
いの交流によって地域住民、都市住民双方が利益7を得るものとして、グリーン・ツーリズ
ムが推進・普及されたのである。
第三節
EU における位置づけ―LEADER 政策―
構造政策と LEADER 事業
LEADER事業とは、フランス語の‘Liasons Entre Actions de Development de
l’Economie Rurale’の略称で、
「農村地域における経済開発のための活動連携」を意味し、
EUの農村地域活性化のための助成事業のことである8。1980年代の共通農業政策(CAP)
のもとで農村地域の荒廃が進み、ヨーロッパ全体が協力して新しい展望を考え、その経験
をEU全体に普及させることが必要である認識が背景にある。「構造政策」のもとでの新た
たな農村政策の必要性から、1988年「農村社会の未来」の中で定められた。LEADER政策
は、1992~1994年のLEADERⅠ、1994~1999年のLEADERⅡ、2000~2006年のLEADER
+が進められてきた。最新のLEADER+は、LEADERⅠ、LEADERⅡと比べ、助成地域
6山崎光博(2005)
『ドイツのグリーンツーリズム』農林統計協会,p3.
7
この場合の利益は、金銭的・物質的な意味のみならず、福祉や育児の負担軽減によってで
きた時間や人とのかかわりの中で得られる心のやすらぎといった精神的なものなども含む。
8井上和衛(1999)
『欧州連合[EU]の農村開発政策 LEADER[Liasons Entre Actions de
Development de l'Economie Rurale]事業の成果』筑波書房,p13.
9
はEU全体に拡大されている。
構造政策は EU 域内の地域間格差を是正するために導入された政策で、具体的には条件
不利地域への支援であり、地域活性化対策に必要な資金の助成を行っている。構造政策の
予算は CAP についで二番目に多く、総予算の約 3 分の1を占める。2000 年~2006 年(7
年間)では総額 2130 億ユーロであった。
表1
構造政策の内容と予算9
名称
優
先
目
的
分
野
内容
予算(ユーロ)
目的1
後進地域の開発と構造調整の促進
1359 億 5400 万
目的2
構造的困難に直面する地域の経済的・社会的転換の
225 億 5400 万
支援
目的3
教育、訓練及び雇用の改善・近代化を支援
240 億 5000 万
INTERREGⅢ
国境横断的・国際的・地域間協力
48 億 7500 万
URBANⅡ
都市および近郊部の再生
7億
LEADER+
持続可能な開発に向けた農村開発
20 億 2000 万
EQUAL
労働市場の差別・不均衡撤廃に向けた原因撤廃
28 億 4700 万
漁業特別支援枠
漁業・養殖における構造改革
1億
革新的措置
革新的措置
182 億 4000 万
共
同
体
イ
ニ
シ
ア
テ
ィ
ブ
LEADER+は、
「共同体イニシアティブ」のプログラムの一つとして位置付けられている。
9西川明子(2003)
「欧州連合(EU)の農村振興政策―LEADER
事業―」『レファレンス
No.704』53-65, 「欧州連合(EU)の構造政策(地域政策)」外務省ホームページ
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/kouzou_s.html>(last access 2009/10/08)をもと
に筆者作成。
10
これは「農村振興など、EU が総体として対応する必要があり、かつ共通の解決策を見出す
必要性のある課題に補助金を交付する」10ものである。
LEADER+の意義と EU の目指すところ
LEADER+は、構造基金のうちの約1%の 20 億 2000 万ユーロが割り当てられており、
予算規模からみると大きなインパクトを持つ事業であるとは言えないが、地域住民の主体
的参画を重要視しているという点で大きな意義を持っている。まず予算面で注目すべきは、
EU が全額を負担するわけではないということである。原則として事業費の一部(通常 45%)
のみを補助するという形で、各国・地方自政府などの公的部門や、地元企業などの私的部
門が残りの事業費を負担することになっている。2000~2006 年の LEADER+の実施にか
かった総費用は約 50 億ユーロであったが、そのうち EU からの補助は約 20 億ユーロであ
り、残りの 30 億ユーロは各国・地方政府、地元企業の出資であった。地域で事業を展開す
るには、地元企業の理解とその上での出資が必須となってくる。そして、さらなる住民の
事業への主体的参画を促すため、この補助金で以下の 3 つのアクションを行う。
(1)アクション1「個別の農村地域事業への助成」
アクション1は、行政機関、NGO・NPO等の市民団体、地域住民などから構成される地域
活動グループ(Local Action Groups:LAGs)が企画実行するプロジェクトに対し、EUが助成
を行うものであり、LEADER+の予算額の約88%を占める。地域住民が活動の主体となる
ことを目指すため、地域活動グループの理事会は公務員以外のメンバーを50%以上含まな
ければならないという規定を設けている。また、地元の意見がより反映されやすいものと
するため、地域活動グループが管轄する地域の人口規模を原則として1万人以上かつ10万
人以下、人口密度は最大で約120人/平方㎞に制限している。助成対象となる事業の内容は、
グリーン・ツーリズムをはじめとする持続可能な観光業の発展に資するプロジェクト、農
産物に付加価値を付けるような取り組み・販売促進、地場産業の振興、人材育成や各種職
業訓練などである。しかし、予算額の枠内で助成を行うため、希望するすべての地域活動
グループに対して助成できるわけではない。各加盟国内のLEADER+を担当する事務局が、
その地域グループから提出された事業計画を比較・検討し、その結果選ばれたグループの
みが補助金を獲得できるという仕組みとなっている。また、助成を受けた地域活動グルー
プは、事業を実施するだけでなく、事業成果の評価・データ分析等を行い、事務局や欧州
10西川(2003)
,p55.
11
委員会に報告書等を提出する義務も負っている。
(2)アクション2「農村地域間の協力の支援」
アクション2は、アクション1で認定された地域活動グループが、同じ国内の他の地域
活動グループと協力活動を行う場合(地域間協力)や、他の加盟国やEU非加盟国と協力活動
を行う場合(複数国間協力)に、地域活動グループに対して助成するものである。予算額は
LEADER+全体の約10%で、地域活動グループ間の共同プロジェクトや、協力のための技術支
援にかかる費用に対して助成される。
(3)アクション3「ネットワーク化」
アクション3は、EU内の全農村地域のネットワーク化に対しての助成である。予算額
は、LEADER+全体の約1.4%を占める。農村地域の振興に関わりのある、地域活動グルー
プを含む全ての団体・行政間の協力、情報交換を促進する活動を支援する。具体的には成功
例・失敗例などの情報、ノウハウや技術、経験等をEU全体で共有するためのネットワーク
作りの支援である。
この地域グループが助成を受けるための条件からも、LEADER+の「住民の主体的参画」
を徹底していることがわかる。
表2
助成対象となる事業の条件11
パートナーシップ
事業を発案・実施する地域グループは、農村住民の連携関係に基づ
き、住民の代表者によって設立・運営されなければならない
地域立脚型
プロジェクトが同じ歴史や慣習、アイデンティティといった社会的
な一体性を有する卖位で実施されなければならない
実験的
行政サイドからはリスクが大きいとして敬遠されたようなプロジ
ェクト
ボトム・アップ
トップ・ダウンではなく下から積み上げていく方式である
地域間・越国境的協力
行政区域や国境を超える農村プロジェクト
LEADER事業は条件に恵まれない農村地域の開発を目的とした助成事業であるが、それ
はこれまでの行政主導・縦割り・トップダウンといった従来の助成事業ではなく、地域住
11
西川(2003)p59 を参考に筆者作成。
12
民の連携、主体的参画を基本理念とした新しい手法の助成事業である。
LEADER 事業とグリーン・ツーリズム
ヨーロッパではすでに 1950~1970 年代にから、条件不利な農村地域での人口維持を図り、
社会・経済的な活性化を促ための手段として、農村ツーリズムへの期待が寄せられるよう
になった12。そして、1980 年代に農業外ビジネスの推進が EU の政策テーマとなったこと
で、農村ツーリズムは広く EU 全域に広がった。LEADER 事業の中でも大きな位置を占め
る。LEADERⅠ期の 217 のグループについて見ると、約三分の一の 71 のグループがビジ
ネスプランの中で予算の半分以上をツーリズム関連に投資している。農村地域での一次産
業・二次産業関連雇用の創出が難しい中、農村ツーリズムへの期待は大きい。経済基盤を
多様化し、新しいタイプの雇用を作ることで特に若者の流出を抑えることができる。そし
て、これまでお金になりにくかった環境を経済資源として利用でき、地域にある伝統的な
産業や固有文化の活性化にもつなげることができる。そのため、地域住民の連携、主体的
参画による活性化を図る LEADER 事業においても、農村ツーリズムはその一つの強力なコ
テとして位置づけられているのである。また、ドイツにおける LEADER 政策の事業内容は、
農業一般の活性化、農村ツーリズムによる地域活性化、住宅開発などによる農村空間の再
構築などが基本にあげられるが、特に「農家で休暇を」事業に熱心に取り組まれている。
すなわち、EU・ドイツにおいても農村地域活性化のなかで、グリーン・ツーリズムが重
要な位置を占めていたということが考えられる。そして注目されるのは、ドイツの国内的
な支援に加えて EU の支援策である LEADER 事業による補助金など、支援が拡大している
ことで、グリーン・ツーリズムが農家の個別的な取り組みから、
「地域経営的観点」で取り
組んでいくことが今後の課題と言えるだろう。
第二章
日本のグリーン・ツーリズム
Rural Tourism との呼び方が一般的で、グリーン・ツーリズム
という名称で農村ツーリズムを表現しているのはフランスのみである。Rural Tourism の基
本的な考えは、
「廉価な宿泊施設などのバカンス施設を都市住民や外国人に提供し、その利
益が農家に残ること」にあるが、国情や国民性を反映して、それぞれの国でさまざまな特
徴を持ち、それが呼び方の違いに表れている。
12ヨーロッパの多くの国では
13
第二章では、日本にグリーン・ツーリズムが導入された経緯、先行研究、現在の国とし
ての取り組みを取り上げ、日本におけるグリーン・ツーリズムの位置づけを示す。日本で
は、グリーン・ツーリズムは 1990 年代に新たな国土づくり政策の一環として取り入れられ
たが、近年その支援に対する動きが活発化している。
第一節
日本におけるグリーン・ツーリズムの位置づけ
グリーン・ツーリズムの提唱
我が国で 「グリーン・ツーリズム」 なる用語が登場したのは、 農林水産省が平成4年6
月に新政策 ( 「新しい食料・農業・農村政策の方向」 ) を公表し、 新政策との関連で同省
構造改善局が各界の有識者を集めて組織した 「グリーン・ツーリズム研究会」 の 「中間報
告書」 (平成4年7月) が発表されてからである。新政策では、 グリーン・ツーリズムは、
今後の農村政策の柱の一つとして取り上げられ、 農村地域、 とりわけ中山間地域の活性化
対策として位置づけられた。同報告書では、農村空間を「ゆとりとやすらぎのある人間性豊
かな生活を享受し得る国民共通の財産」であり、「居住空間」また「余暇空間」としてとらえ、
都市にも開かれた美しい村づくり等により、「都市と農村の新たな共生関係を実現」しつつ、
「都市の活性化を図る」ことが必要であり、グリーン・ツーリズムがこの役割を担うべきで
あると提言している13。つまり、日本においてグリーン・ツーリズムは、当初から「ツーリ
ズム」の名の下で行われる卖なる観光振興・地域経済活性化ではなく、農村の存続や心の
安らぎ・豊かさの実現に主眼を置いた国土づくり政策の一つのツールとして取り入れられ
たと言える。
グリーン・ツーリズム導入の背景
政策が提唱された 1990 年代は、日本の政治・経済・国民生活において大きな転換期であ
った。日本は高度経済成長によって「物質的な豊かさ」が増す一方で、産業発展に伴う公
害・環境破壊、地域産業の衰退、都市への人口流出、バブル経済の崩壊に至るまで、様々
中澤 禮介「グリーン・ツーリズム提唱」『DATUMS Advocacy (1991 年-1994 年)』
レジャー・サービス産業労働情報開発センター
<http://www.net-ric.com/advocacy/datums/92_10nakazawa.html>(last access
2009/11/14)
13
14
な課題を抱えていた。これまでの国土づくりを見直す必要性が出てきたのである。
まず、日本の農政の展開過程において、1990 年代は「農政の多元化」という意味で大変
画期的な時代であった。1990 年代末に施行された「食料・農業・農村基本法」は、それま
での「農業」政策が、
「食料・国民・農村空間」政策への性格変化を遂げる契機となった。
この「新農業基本法」において、新たな政策理念として提起されたのが、
「農業の持続的な
発展」
、「農業・農村の多面的機能」であり、わが国の農政が、農業・農村の多面的機能へ
着眼して、その機能の創出や保全を目指すことを明記したことは画期的といえる。こうし
た農政の政策転換は、高度経済成長に伴う、農業の産業としての生産性の相対的低下や都
市への人口流出といった消極的要因が背景にある。さらに食料の輸入拡大、グローバルチ
ェーンの外食産業の進出などによる、国民の食の国際化、「農離れ」も指摘される。
また、1990 年代初頭のバブル経済崩壊によってリゾート開発が頓挫し、経済的損失と大
規模開発行為による自然環境の破壊を引き起こし、その反省から観光や地域開発の方向性
にも大きな変化が見られた。自然・農業体験や農産漁村での心のふれあいを求める動きが
顕在化する。これまでの観光形態の失敗に加え、急速な産業化・近代化による都市生活そ
のものの閉塞感も背景にあるとされている。家庭・地域内でのコミュニケーション不足も
一因とされる、家庭内暴力、ひきこもりといった社会問題である。また、過重労働・労働
条件悪化などによる働き世代のストレス問題などもその例である。加えて、団塊世代の大
量退職の時期を迎え、第二の人生の場として農産漁村が求められ、「農」あるライフスタイ
ルが、都市住民の人生再設計の選択肢に位置づけられるようになった。
以上のように、バブル経済とその崩壊による農政や観光形態の変化といった時代的背景
を踏まえ、国土づくりの新たな施策としてグリーン・ツーリズムが導入・推進されるよう
になったのである。
グリーン・ツーリズムに関する研究の隆盛
近年、急激に注目を集めるようになったグリーン・ツーリズムであるが、その関連文献
においてどのような定義がなされているだろうか。
まず、1990 年代のグリーン・ツーリズムの初期の段階では、山崎光博、井上和衛、宮崎
猛の三者が中心となって、実践的な指導・助言を行ってきた。山崎、井上両氏は、明確な
定義付けは行っていないものの、欧州やとくにドイツの先進事例が日本のグリーン・ツー
リズム推進と農村振興にどのような示唆を与えているかを示し、日本型ツーリズムの特徴、
15
望ましい行政支援などを挙げている。三者の中でも山崎は、農村が農業以外に観光、医療、
教育などの+αの効用を持たせる、
「農村の多角的経営14 」の可能性を述べ、それにあった
行政支援を求めている。井上は「地域活性化の手段としてグリーン・ツーリズムを推進し
ていくには、我が国の農業・農村の実態からすると、地域経営型グリーン・ツーリズムの
展開が重視されなければならない15 」として、地域経営型グリーン・ツーリズムという考
えを主張している。宮崎は、その中で、「グリーン・ツーリズムは都市住民が豊かな自然や
美しい景観を求めて農山漁村を訪れ、交流や体験を通じて楽しむ余暇活動
16」と明確に定
義している。そして、行政用語としての「グリーン・ツーリズム」は、我が国独自のもの
であり、欧米では農村ツーリズムが一般に使用されていること、また、農場での民泊、レ
クリエーションに限定されている欧州のファームツーリズムやアグリツーリズムと呼ばれ
る農林業ツーリズムに比べ、日本はグリーン・ツーリズムを「農村漁村の住民や自然の交
流」と広義にとらえていることを指摘している。三者とも欧州と日本のグリーン・ツーリ
ズムの差別化を図り、その上で日本の方向性を主張するものであった。
第二段階として、日本の行政においてもグリーン・ツーリズムが注目され始めると、グ
リーン・ツーリズムの経済的価値を強調し、「農村における観光開発」と捉える拡大論、一
方で、行政主導に反発して、グリーン・ツーリズム推進は地域住民による「内発的発展」
なものであるべきと主張する、地域 vs 行政の対立論が出てくるようになる。そのような動
きの中で青木辰司・荒樋豊は、グリーン・ツーリズム関連の文献を整理し、グリーン・ツ
ーリズムは、
「グリーン」という言葉に表される「農村の持続可能性」、
「環境保全」を基本
理念とし、その取り組みを農村の観光開発ではなく、住民による都市・農村交流の範囲に
とどめることを明確にした。経済効果や社会的問題解決策としての過度の期待から、「農村
の観光開発」として都市ディベロッパーによって事業が企画・展開されることがあっては
ならないとしている。
筆者は、青木の提示する「協発的発展論17」を支持する。青木はグリーン・ツーリズムに
対して、
「
『内か外か』ではなく、
『外の発想を内で活かす』、『内の資源を活かして、外の人
間が楽しむ』といった両義的な価値を共有し、相互に自己実現と新たな『共生』原理に基
14
山崎光博(1999)
「地域経営型グリーン・ツーリズムと農家経営の多角化」都市文化社『地
域経営型グリーン・ツーリズム』p180.
15 井上和衛(1999)「地域経営型グリーン・ツーリズムへの展開」前掲書,p58.
16 宮崎猛(1996)
『グリーン・ツーリズムと日本の農村』農林統計協会,p11.
17 青木辰司(2004)
『グリーン・ツーリズム実践の社会学』p143.
16
づく社会的関係性を構築する」という展望をもっている。ここでいう「内」とはグリーン・
ツーリズムの舞台となる農村の住民、「外」はその農村を訪れる都市住民である。荒樋は、
グリーン・ツーリズムは、農村サイドからみると「農家女性や高齢者の主体的な選択肢、
あるいは生き方探しの選択肢」
、
「農村住民が自らの故郷に対して『誇り』を取り戻す運動」
であり、都市サイドにおいても、「癒しを享受する場」として想定でき、それらはともに、
「農村の持つ多面的魅力を住民と都市生活者が共有することによって果されるものであ
る」としている18。青木、荒樋両者の見解をまとめると、グリーン・ツーリズムの活動を通
して、農村住民は自分たちの住む農村に対する「誇り」やそこで暮らす「生きがい」を感
じることができ、都市住民にとっても、日頃の競争社会とは異なる「生きがい」や「豊か
さ」を見出すことができると考えられる。そして、それは双方の持続的交流と農村の資源
を前提とするものである。
日本型グリーン・ツーリズムの定義
以上、日本のグリーン・ツーリズム導入の背景、これまでの研究における位置づけから
考察して、この論文においての日本型グリーン・ツーリズムを、
「農山漁村において、農村
住民と都市住民が、その自然・文化などの資源を利用しておこなう持続的交流活動」と定
義する。そしてその目的は、
「グリーン・ツーリズムの活動を通して、すべての人が生きが
いや誇りを感じる生活を実現すること、そしてその生活において農村・農業がいかに重要
であるかを認識し、それらを守り続けていくこと」である。
なお、具体的な活動内容については、後述のとおり、農家民宿・農家レストラン・農業
体験・直売所の運営など多岐にわたっているためここでは規定できないが、重要なのはそ
の農村の文化・自然などの資源を最大限に活かせる取り組みを行うことである。各地域で
活動内容が大きく異なることはもちろん、時代によっても取り組むべき事業は変わってく
る。常に地域内の現状を考え、それに合わせて変化させながら持続的に取り組んでいくこ
とが必要と言えるだろう。
18
荒樋豊(2008)
「日本農村におけるグリーン・ツーリズムの展開」日本村落研究学会編『グ
リーン・ツーリズムの新展開―農村再生戦略としての都市・農村の課題』農山漁村文化学
会,p28.
17
第二節
グリーン・ツーリズム推進体制と実情
グリーン・ツーリズムの普及率
グリーン・ツーリズム宿泊施設の宿泊者数は平成 16 年度には延べ 770 万人で、農林漁家
民宿宿泊数の延べ 240 万人と、
都市農村交流を目的とした公的宿泊施設の宿泊者数延べ 530
万人を合わせたものである。このうち、グリーン・ツーリズムの普及度の一つの目安とし
て、農家民宿の現状について紹介する。農林漁家民宿は全国で 3671 軒(平成 17 年)、また、
平成 18 年度の新規開業は 402 軒、平成 19 年には 483 軒にも上った。これは平成 15 年頃
からの旅館業法や食糧衛生法をはじめとする関係諸法令運用面での規制緩和によるところ
が大きい。
また、地方でもグリーン・ツーリズム推進への動きがますます活発化している。地域に
おいて都市農村交流推進を行う組織は、平成 13 年の 18 組織から平成 18 年には 58 組織に
まで増加し、地方行政部局内に都市農村交流推進体制は、平成 13 年ではわずかに 2 県にお
いてしか整備されていなかったが、平成 18 年には 27 道県にまで広がった19。
「都市と農山漁村の共生・対流」とグリーン・ツーリズム
日本のグリーン・ツーリズムは、国としては農林水産省の農村振興策「都市と農山漁村
の共生・対流」の一つの取組として位置付けられ、推進体制が取られている。「都市と農山
漁村の共生・対流」とは、「都市と農山漁村を行き交う新たなライフスタイルを広め、都市
と農山漁村それぞれに住む人々がお互いの地域の魅力を分かち合い、『人、もの、情報』
の行き来を活発にする取組20」である。その中でグリーン・ツーリズムは、都市住民と農村
住民の一時的な交流やそれによる経済的効果だけではなく、将来の I ターン・U ターンなど
地域での定住のきっかけという役割も見越して取り組まれるものである。
19
「グリーン・ツーリズムの現状と展望」農林水産省ホームページ,
<http://www.maff.go.jp/j/nousin/kouryu/kyose_tairyu/k_gt/pdf/sonota_1.pdf>(last
access 2009/11/04)
,中尾誠二(2008)「農林漁家民宿にかかる規制緩和と民泊の位置づけ
に関する一考察」
『2008 年度日本農業経済学会論文集』p186.
20「
『都市と農山漁村の対流・共生』とは」農林水産省ホームページ
<http://www.maff.go.jp/j/nousin/kouryu/kyose_tairyu/k_kyotai/index.html>(last
access 2009/10/25)
18
出典)「『都市と農山漁村の対流・共生』とは」 農林水産省ホームページ21
図1
「都市と農山漁村の共生・対流」と「グリーン・ツーリズム」
そして、政府は平成 14 年 9 月 12 日、「都市と農山漁村の共生・対流」推進のため、「都
市と農山漁村の共生・対流に関するプロジェクトチーム」を内閣官房副長官、総務副大臣、
文部科学副大臣、厚生労働副大臣、農林水産副大臣、経済産業副大臣、国土交通副大臣、
環境副大臣で組織した。その会議の中で、「都市と農村の共生・対流」を展開していくため
には「情報交換や連携の場」
、
「多くの主体の参画」、「民間主体であること」が重要である
とし、この国民的運動の推進組織に、都市と農山漁村の共生・対流の趣旨に賛同する企業、
NPO、市町村、各種民間団体及び個人からなる「都市と農山漁村の共生・対流推進会議
(通称:オーライ!ニッポン会議)
」を置いた。グリーン・ツーリズムについては、その推
進組織の一つである、財団法人都市農山漁村交流活性化機構が中心となってその国民的活
動を推進している。
また、農林水産省と観光庁は、平成21年9月1日に「観光関係者と農村地域が連携し、新
たな旅行ニーズに対応した地域のグリーン・ツーリズムの取組を推進することにより、都
21
<http://www.maff.go.jp/j/nousin/kouryu/kyose_tairyu/k_kyotai/index.html>(last
access 2009/10/25)
19
市農村交流の拡大および観光を通じた地域振興を図る22」という、「ようこそ!農村」プロ
ジェクトの計画を発表した。「観光関係者と農村地域との連携によるグリーン・ツーリズ
ムの推進に向けたプラットフォームの構築」、「観光圏を中心とした地域のグリーン・ツ
ーリズムの受け入れ体制の整備」、「国際グリーン・ツーリズムの推進に向けた支援」の
三つの目的を掲げており、これは、都市・農村の交流・共生事業において、グリーン・ツ
ーリズム推進の強化をより明確に打ち出したものと言える。予算は、農林水産省から「に
ぎわいある美しい農山漁村づくり推進事業」の5200万円の一部、観光庁から「観光圏整備
事業」の6億8300万円の一部、そして、「ようこそ!農村」推進事業に対して農林水産省で
新たに組まれた3億7600万円から成っている。
このように、グリーン・ツーリズムを含む「都市・農村の交流・共生事業」は、農林水産
省を始め、総務省、文部科学省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省、環境省、また、
企業、NPO、市町村、民間団体など様々な関係者が一緒になって取り組まれる事業であ
る。
オーライ!ニッポン和歌山シンポジウム
2009 年 11 月 18~19 日、オーライ!ニッポン会議の定期シンポジウムが和歌山県で開催
された。そこでは「ようこそ!農村へ」キャンペーンの一環で実施している旅行商品の企
画提案コンテストの表彰式並びに受賞事例発表、養老孟司オーライ!ニッポン会議代表(東
京大学名誉教授)による基調講演、和歌山県並びに近畿圏における「ふるさと子ども夢学
校」取組事例紹介及び課題抽出のディスカッション、和歌山県田辺市上秋津地区の交流施
設「秋津野ガルテン」の現地見学などが行われた。和歌山県の魅力を通して、都市と農山
漁村の共生・対流の取組に対する幅広い理解と、地域の活性化につなげることを目的とし
たものである。参加者は農水省をはじめ、地方自治体職員など行政サイドの関係者、全国
各地で地域活性化に取り組むグループ(NPO 法人、町内会・自治体、株式会社など)、大
学関係者などであった。筆者もこれに参加したが、その中で、行政・住民側ともにグリー
22
「農林水産省と観光庁による連携事業『ようこそ!農村』プロジェクトの推進につい
て-観光関係者と農村地域が連携したグリーン・ツーリズムの推進」農林水産省ホーム
ページ<http://www.maff.go.jp/j/press/nousin/kouryu/090901.html>(last access
2009/10/29)
20
ン・ツーリズムに関する取り組みはまだ試行錯誤の状態で、その効果やそのための最適な
推進体制にはグレーな部分が多いという印象を受け、この中でどれだけの人々が真剣に受
けとめて取り組んでいるのかいう疑問が残った。しかし、これをきっかけに地域・グルー
プ同士の交流やグリーン・ツーリズムの取り組みへの理解が深まるという点で大きな意義
を持っていたように思うし、グリーン・ツーリズムを含む国土づくりの取り組みは、成果
が出るまで長い時間がかかり、継続的に取り組んでいく必要があると実感した。
今回見学地となった秋津野ガルテンは、和歌山県内でも今一番注目度の高い事例として、
近畿農政局並びに和歌山県からの推薦によるものであった。注目すべきは、地道な地域づ
くりからのステップアップ、住民が自ら出資しあって作った農事組合法人による多角的な
経営、これからますます増加する廃校活用の事例としても参考になるという点で、都市と
農山漁村の交流における受け皿体制整備の良事例として紹介された。第三章では、秋津野
ガルテンのある和歌山県田辺市上秋津地区の事例について取り上げ、グリーン・ツーリズ
ムの実情を見ていくとともに、グリーン・ツーリズムが、都市・農村交流活性化やすべて
の人の「心の豊かな」社会を実現するためのツールとして機能し、その意義を達成するた
めの鍵を考察する。
第三章
和歌山県田辺市上秋津地区におけるグリーン・ツーリズム
第三章では、和歌山県田辺市上秋津地区を地域政策としてのグリーン・ツーリズムの成
功例として取り上げ、その成功の要因を探る23。また、その地域住民に与えた地域に対する
意識や現地の社会構造の変化に注目したい。各地域の事例研究の検証によって我が国にお
けるグリーン・ツーリズムの意義に関する理解がより深まると思われるからである。
23
以下は、「秋津野塾 未来への挑戦~田辺市上秋津と地域づくり~」秋津野ガルテンホ
ームページ<http://akizuno.net/>(last access 2009/10/30),
「日本ボランティア学会 2009
年度单紀熊野大会 自生する共同体──あがらいっしょに 6/27-28」の配布資料,秋津野
ガルテン玉井常貴氏・小山裕永氏の発言をもとに作成。
21
第一節
グリーン・ツーリズム推進の契機
和歌山県田辺市上秋津地区の概要
和歌山県田辺市は、県のほぼ中央部に位置し、周りは紀伊山地に囲まれ、市内の单北を
流れる会津川、芳養川河口付近に市街地が形成されている。気象条件は、年間平均気温
16.5℃前後、降水量は 1,650 ミリの温暖な気候に恵まれている。平成 17 年の合併により、
総面積 1,026.77km²を誇る近畿最大の市となった。
今回取り上げる上秋津地区は、市内の西に位置し、総面積は 1,297ha で、そのうち農用
地面積は 364.6ha という市街地に隣接しながら、農村田園風景の残る地区である。農業形
態は、柑橘と梅の複合経営、柑橘の多品目の周年収穫体制など、柑橘栽培を積極的に展開
する、果樹農業の活発な地区である。
また、古くから地域づくりの盛んな地域であり、その始まりは「昭和の大合併」がなさ
れた昭和 30 年代のことである。
合併に伴い、上秋津村の村民財産所処分問題が持ち上がり、
2 年にわたる議論の末、村有財産は村民に分配せず、今後そこから得られた利益は地域全体
の公益のためだけに使うことが決定され、昭和 32 年、県内初の社団法人「上秋津愛郷会」
が設立された。村有財産すべてを地区区民に復帰するという、全国にみても画期的な試み
を実現し、公益法人として運営に努力を重ね、今日に至っている。これは上秋津の今後の
地域づくりの方向性を決めた大きな第一歩であり、上秋津には早くから自治・共同体の意
識が根付いたことがわかる。その後も、農業の危機など地域のさまざまな困難を住民の意
思・工夫によって乗り越えてきた。その結果、平成 8 年、農林水産省農林水産事業者表彰
事業「豊かな村づくり部門」において、近畿地方で始めて天皇杯を受賞した。これまでの
地域づくりの積み重ねが評価されたことが地域にとって大きな自信となり、また、全国の
地域づくり団体・大学からも注目されるようになった。上秋津地区は、地域づくりに対す
る内外からのまなざしが熱い地域である。
地域づくりの歩み
(1) 地域づくりの背景
上秋津地区の地域づくりの背景にあるのは主に上秋津地区の主要産業である農業の衰退
と、合併や急激な人口増加による地域構造の変化であった。上秋津地区は、江戸時代の金
柑作りから始まり、その温暖な気候と山の斜面を利用したみかん作りが農業の主役となっ
22
ていった。昭和 40 年代以降の産地間競争などの農業危機には、柑橘の優良品種の導入を始
めとして、地域でさまざまな知恵を出し、これを乗り越えてきた。みかんと並び、和歌山
県を代表する特産品でもある梅の栽培も活発である。今では「みかんと梅の複合経営」が
主流となっている。しかし、これまで農業が地域を支えてきた上秋津でも、今後農家の収
入は年々減尐する傾向と見られている。地域農業が直面する課題には、傾斜地が多く土地
が狭いなど「農地の条件が悪い」ことが第一にあり、次いで「農業従事者の高齢化と若い
担い手不足」
、
「梅枯れ(生育不足)
」
、
「農産物価格の低迷」など、労働力、農業生産、価格・
流通面でそれぞれにおいて挙げられている。これらは日本の農業が抱える共通の課題であ
る。農業とともに歩んできた地域であるために、「農業が衰退すれば、地域も衰退してしま
う」という危機感が募っていた。
地域づくりのもう一つの大きなきっかけは、平成に入ってからの急激な人口増加である。
昭和 31 年から昭和 60 年には、540 戸から 600 戸程度の増加であったが、平成 15 年には
1013 戸、現在は 1150 戸にまで急増した。自然環境、住環境、交通の利便のよさから、隣
接する町村、田辺市街地から人口が流入したのである。それに伴って顕在化してきたのが、
農家の宅地化による新・旧住民間のトラブルであった。新しく移り住んできた住民のほと
んどは非農家であり、住民同士のコミュニケーション不足や、宅地隣での農作業や排水に
関する問題、地域にある文化継承への負担金支払い等、今までの農村では起こりえなかっ
た諸問題が急激に起こり始めた。農村のあり方の問題が問われる時期が訪れたのである。
(2) 地域づくり塾『秋津野塾』
そこで、地域整備の促進と人口増加の対策の 1 つとして、農村環境改善センターが設立
された。それは地域内の組織集団が集い、議論を深めるための施設となり、合唱や卓球な
ど、住民の文化・スポーツ活動の拠点にもなっている。
農村環境改善センター完成の背景には、地区内の合意形成に尽力した建設促進委員会の
存在があった。完成とともに解散されることとなったが、その成果から、地区内では「地
区全住民の幅広い合意形成を図りながら一層活発なむらづくりを展開するためには、全組
織を網羅するむらづくりの組織が必要」との認識が高まり、上秋津を考える会や愛郷会の
メンバーが中心となってむらづくり組織の設立を目指すようになった。そして平成 6 年 9
月、上秋津地区の全 24 組織から構成される『秋津野塾』が発足したのである。
秋津野塾誕生後は、地域内での決めごとや行事・イベント、また地域で起こる諸問題へ
の対応も迅速にスムースに行われるようになった。秋津野塾は、上秋津地区のむらづくり
23
活動に係る協調機関であるとともに、最高の意思決定機関として位置付けられている。「活
力と潤いのある郷土づくりを推進し、都会ではまねできない香り高い農村文化社会の実現」
を目的に展開しており、秋津野塾と各組織が連携を密にし、確実な合意形成を行いながら
むらづくり活動を推進している。
(3)天皇杯受賞
これまでの地域づくりが評価され、上秋津地区は、平成 8 年度農林水産省主催の農林水
産者表彰事業「豊かなむらづくり部門」において、天皇杯を受賞した。この表彰事業は昭
和 54 年に、
「農山漁村におけるむらづくりの優良事例の表彰を行うとともに、あわせてそ
の業績発表等を行うことにより、むらづくりの全国的な展開を助長し、もっと地域ぐるみ
の連帯感の醸成及びコミュニティ機能の強化を図り、農林漁業及び農山漁村の健全な発展
に資すること」を目的に制定されたものである。全国 8 ブロックで規定された数の地区に
表彰を行い、その中でも特に優れた地区に「天皇杯」が贈られる。上秋津地区は近畿初の
天皇杯受賞であった。
天皇杯受賞は地域の大きな自信とやる気につながり、ますます地域づくりの動きが活発
になった。また、全国からの地域づくり視察や、大学の地域づくり学習の受け入れ等、さ
まざまな人々が秋津野を訪れるようになり、同時に全国から新しい情報も入れ始め、新た
な地域づくりのヒントも得られるようになった。外からの「評価」は、内からの「愛着」
を増し、地域住民同士のつながりを生み出したのである。
(4)マスタープラン策定
天皇杯受賞後も、直売所「きてら」の開業、高尾山登山マラソン大会などのイベントの
開催など、一心に地域づくりに取り組んできたが、4 年経って、後継者問題、混住化問題、
経済問題等の課題が再び見えてきた。そこで、故郷の地域づくりをいま一度原点に立ち返
って考えようということで、平成11年から14年にかけて、これまでの事業の検証と、
10年後の秋津野を見据えた計画を秋津野塾と和歌山大学との共同作業で実施した。
2002 年 10 月に完成した『上秋津マスタープラン(素案)及びマスタープラン策定基礎
調査報告』(以下『マスタープラン』と呼ぶ)は、「地域社会の構造と意思決定システム」、
「土地管理の現状と今後の土地利用」、「地域農業の活性化と地域資源の活用」に関して、
全世帯にアンケート調査を行った。地方でこれほどまでに徹底した調査を行ったことは全
国的に見ても画期的なことであり、全住民の声を直接聞いたという意味で、大いに意義の
あることである。この調査結果から、今後地域に本当に何が必要なのかを確認し、これが
24
地域づくりの転機となり、グリーン・ツーリズムの取り組みが本格化する契機ともなった。
第二節
秋津野型グリーン・ツーリズム
株式会社秋津野
上秋津地区の地域づくりが新たな段階を迎え、マスタープラン実践の一つとしてグリー
ン・ツーリズム事業が本格的に実施されるようになった。大きなきっかけとなったのは、
平成 14 年に上秋津小学校の移転計画が持ち上がったことであった。地域の中心地の広大な
学校跡地や旧校舎は、今後の地域景観、コミュニティ維持に大きな影響を与えるとして、
利用活用委員会が立ちあげられ、その扱いに関して住民の間で激しく議論が交わされた。
当時の秋津野塾のメンバーに、和歌山大学、市行政、JAなどから新たにメンバーを加え、
約 40 人で一年間をかけて、木造校舎の方向性や基本的な考えを検討した。そして「5 年先、
10 年先でも色あせない、地域が活性化する利用方法」をまとめあげ、翌年田辺市に提出し
た。
「自分たちの地域環境を守りたい」という想いを計画にしたのが、農のある宿舎「秋津
野ガルテン」の開業、旧小学校跡を核としたグリーン・ツーリズム事業である。グリーン・
ツーリズムは、校舎を始めとする地域資源やこれまでの経験を活かし、地域づくりと経済
活動の両立を可能にする事業であるとして計画が進められた。
その主体となったのが株式会社秋津野である。秋津野は地域づくり型の株式会社で運営
を開始したが、その理由として、
「事業規模が大きく、大きな資本が必要であった」、「社会
において法人格の信用性が高く、取引先の拡大にもつながる」などを挙げている。また、
「住
民参加型」の法人を立ち上げることで、住民の参加意識を高める効果があることも理由の
一つである。住民参加を重視しているが、NPO 法人などでは助成の制限がきびしく、事業
規模を拡大し、地域づくりを持続的なものにしていくため、国 50%、県 12.5%、市 12.5%、
地元住民 25%の出資で株式会社秋津野を設立した。ここで、株式会社設立、グリーン・ツ
ーリズム事業開始をどのように進めたか、住民、国、他地域とのかかわりという観点から
見ていきたい。
(1)住民とのかかわり
グリーン・ツーリズム事業を行うにあたって最も重要な課題は、地域住民の理解を得る
ことであった。平成 17 年、グリーン・ツーリズム計画を住民に説明するため、地域内 11
25
地区で計画説明と協力要請を含めた地域懇談会を開催したが、当初グリーン・ツーリズム
事業に対する反対派は住民の約 9 割にも上り、非常に抵抗が大きかった。行政の力に依ら
ない自立した経営であること、グリーン・ツーリズムに関する理解不足、無理に事業化し
て地域が割れることなどに対する不安があった。しかし、「このまま宅地化を待っても地域
の活性にはつながらない。困難でもやってみようと挑戦することが地域の活性化、人づく
りになるのだ」と、委員たちは計画推進に向け、大きな判断を下した。再び 11 地区会館で
会合を重ね、住民の約 4 割の賛成を得られるまでになった。事業計画を明確に伝えること
で、尐なくとも今まで意思表示をしなかった住民も、自らの考え・意見を伝えようとする
ようになり、この住民の変化は、会合を通しての大きな成果であったといえる。
根強い反対が残りつつも、賛成多数で跡地買取が議決され、地域での運営会社の立ち上
げを開始した。
「地域を守るため、住民が他の法人を立ち上げ、資金調達を行う」というこ
とを主眼に、地域住民向けに普通株式(議決権あり)を 1 株 2 万円で 25 株まで、地区外で
は議決権のない株式という規定で出資者を募った。その結果、平成 19 年 6 月 19 日、資本
金 3330 万円、出資者 298 名で運営会社(事業主体)が設立し、農業法人株式会社『秋津野』
が誕生した。そして、出資希望者が続出し、191 名から新たな出資を受け、増資後は資本金
4180 万円となった。株主 489 名のうち、議決権のある市区内の人数は 290 人、議決権のな
い地区外の人数は 199 人であった。出資者に対する事業の報告、意見聴取は、通常の株式
会社同様、株主総会(9 月)の中で行っている。
また、役員の 3 分の 2 以上、議決権のある株主のうちでも 2 分の 1 以上を農業者にする
ことを定めていることからも、
「地域みんなで支えあう」、「農を基軸に据えた」株式会社に
することを徹底しているとわかる。
地域資源・環境を使うグリーン・ツーリズム事業を進める際、明確な説明によって住民
の理解を得ること、しっかりと住民の声を聞くこと、そして住民自らにその主体となって
もらうことは必須であり、そのためにもっとも肝心なのは、個々の住民が意見・想いを伝
えやすい開かれた環境づくりであろう。
(2)行政とのかかわり
国から約 2/1、県と市から約 4/1 の出資を受けたため、それら行政の縛りは厳しく、設立
後 5 年ほどは苦労が絶えなかった。1 つの事業、取組を行うのにいくつのも規約・手続きを
クリアするためにたいへん時間がかかった。また、国も市も、グリーン・ツーリズム事業
に関する知識・経験が乏しく、机上での計画・予想を大幅に上回る盛況ぶりで部屋数など
26
が足りなくなっても、申請を通して尐しずつしか拡大できなかったなど、地域の意向通り
に進められない状況もあった。すべては試行錯誤の繰り返し、行政に対して懸命に働きか
けを積み重ねるのみであった。
近年は、行政が地域づくりを株式会社や NPO 法人等に委託する傾向にあり、「行政から
の追い風」が吹いている。その理由には、
「地域でのホテル・リゾート観光の失敗」と「“公
的ボランティア”と“地元民のボランティア精神”の違い」がある。これまでの行政によ
る地域開発といえば、テーマパーク、スキー場等、大型施設を誘致し、季節変動、マス・
ツーリズム型の観光であった。その失敗の経験から、地域開発に対して消極的になったと
考えられる。公的ボランティアと地元民のボランティア精神の違いとは、行政面から事業
に携わる人々は、
「あくまで中立的な立場から、決められた裁量の範囲で奉仕する」という
考えに対し、地元民は「地域をよくしたい、事業を起こしたい」という強い熱意があり、
行政側もその想いに希望を託すようになったのである。
行政からのまなざし・期待も熱くなる中、今後は行政に地域の活性化の舵取りを期待す
るだけでなく、地域住民自ら問題提起をして一緒にやっていく、というスタンスが望まし
いだろう。
(3)他地域とのかかわり
まず述べておきたいのは、秋津野ガルテンの名前の由来である。ドイツ語の「ガルテン
(Garten)
」を使ってはいるが、ドイツの事例を直接参考にしたわけではない。事業を行っ
ていく中で、ドイツにも類似した事業があることを知り、名前だけを借用したという。や
はり、参考としたのは日本国内の事例である。これまで経験・知識のなかったグリーン・
ツーリズムを行うにあたって、他地域から学ぶことは不可欠であった。秋津野は、JA、大
学、国などと協力して、国内で同様に地域づくりの一環としてグリーン・ツーリズムを行
う地域を視察した。具体的には、マスタープラン策定の中で、項目一つ一つをチェックし、
それを実践している地区と比較した。例には、徳島県勝浦町坂本地区「ふれあいの里さか
もと」
、大分県日田市大山町「木の花ガーデン」などが挙げられる。
地元住民ではない人間の新鮮な意見を取り入れることによって、その町の良さを伸ばす
ことにつながる。前述のとおり、地元住民の熱意と並んで、そういった「外からの風」は
地域づくりの 1 つの柱である。内からの「愛着」と外からの「評価」が地域づくりの核と
なっていくのである。
27
事業内容
株式会社秋津野が運営する秋津野ガルテンでは、
現在主に 7 つの事業に取り組んでいる。
すべて、地域の景観・農業・食・文化・建造物や、地域住民による行事やイベントといっ
た「地域資源、地域力を活かす」ものである。
(1) 食育事業
10 年の歴史を持つ「上秋津小学校農業体験学習」では、周年みかんや梅、その他野菜の
収穫などの農業体験が行われている。そして、自分で収穫したみかんや梅などをジュース
にしたり、漬物作りなど、農産物加工体験や調理教室も実施されている。現在、地域の農
家民宿と連携して修学旅行の受け入れに向けても準備が進められている。
(2) 貸し農園事業
この貸し農園は、秋津野ガルテン周辺に、一区画約 30 平方メートルの農地を年間3万円
で借りることができるというものである。駐車場、シャワー室の完備、農具の貸し出し、
また、遠方からの借主のためにガルテンでの民泊券がついているプランも提供している。
現在までに 34 区画の貸し出し実績があり、訪れた人々からは、
「食の安全・安心に対する
意識が高まった」
、
「地元住民との交流を楽しんだ」などの声が挙がっている。
(3) 農家レストラン事業
秋津野ガルテンでは、農家レストラン『みかん畑』がスローフードバイキングを展開し
ている。地元農家の女性たちが地産地消にこだわった食事を提供している。予想を超える
盛況ぶりで、平成 20 年 11 月から平成 21 年 3 月までの 5 ヶ月間に約 17000 人もの人が訪
れている。週末には家族連れも多く、旧校舎は小学校として活用されていた以前のような
賑わいを見せている。
(4)オーナー樹事業
上秋津の農家が 700 本のみかんの木を 1 本 3 万円/年度で貸し出すもので、これまでの
実績は 30 本である。
秋津野ガルテンが樹を選定し、
樹にオーナーのネームプレートを付け、
管理は農家が行う。1 本の樹からは 30~50kg のミカンの収穫がのぞめ、収穫はオーナー自
身が行うか、農家が収穫してオーナーのもとに発送するかを選択できる。これはとくに都
会の人々に好評である。
(5) 田舎暮らし支援事業
秋津野ガルテンでは、長期滞在も視野に入れ、キッチンなどのついた和室 4 人部屋 6 室
と 8 人部屋 1 室を整備している。利用者は平成 20 年 11 月から平成 21 年 3 月に約 680 人
28
で、今後は 200 人/月を目標としている。そして、秋津野ガルテンを補完し、
「より多くの
人々を秋津野の里に招きたい」と、14 軒の農家が立ち上がり、
「秋津野農家民泊の会」を結
成した。平成 21 年 9 月までに 14 軒に宿泊許可が下り、現在受け入れ準備や体験メニュー
作りを進めている。
(6) 地域づくり研修受け入れ事業
秋津野は、これまでの地域づくりのノウハウを集約し、全国、また、地元の次世代の人々
にそれを伝えるために、
「秋津野地域づくり学校」を開校した。秋津野地域で実際に地域づ
くりをしてきた地元リーダー、そしてこれをサポートしてきた大学教員らが講師となって、
座学と地域の現場での見聞という知識と実践の両方のプログラムが用意されている。その
特徴は、一方通行の講座ではなく、研修生と講師が議論し、地域づくりの課題と展望を見
出す「創造型研修」
、研修生の地域の問題解決に向けた提案と、現地訪問も含めてその事業
実施をサポートする「実践的研修」である点である。
(7)秋津野直売所「きてら」
また、農業法人株式会社「きてら」が、農産物の直売や加工食品の生産・販売を行って
おり、秋津野と連携するなどまち全体での地域づくりを目指し、一方、地域にある地場産
品を地域外の消費者にも届け、地域外へ地域の魅力を発信する役割も果たしている。
「きてら」は、地域住民に 1 口 10 万円の出資をつのり、平成 11 年に立ち上げられた。
10 坪ほどの中古のプレハブから始まり、一時は倒産の危機に追い込まれることもあったが、
地域の産物を集めた「きてらセット」の販売好調などによって、3 年後には 4500 万円を売
り上げるほどに成長した。
平成 15 年には再び地域住民の出資を募り、マスタープラン実践一つとして新店舗と建設、
隣に農産物加工場を併設した。注目すべきは、加工場が農産物に付加価値をつけるととも
に、女性の活躍の場の提供を行ったことである。事業拡大に伴い、平成 18 年「きてら」を
株式会社化すると、社会信用性を高め金融機関からの投資や借入も可能になり、また、取
引先の拡大にもつながり、農商工連携の第一歩となった。
直売所は今年設立 10 年を迎え、2008 年の売上も過去最高の 1 億 4000 万円であった。こ
れは 2008 年 11 月に開業した秋津野ガルテンとの相乗効果が大きかった24。直売所とガル
テンの関係から、グリーン・ツーリズムは様々なビジネス・資源を組み合わせて活用して
いくことが重要であるといえるだろう。
24
紀伊民報 2009 年 6 月 28 日付,12 面.
29
第三節
地域づくりが目指すところ
秋津野の今後の取り組み
秋津野は、今後の戦略として「ソーシャルビジネスとしての取り組み」、「農商工連携」
の大きく 2 つを掲げている。
まず、
「ソーシャルビジネスとしての取り組み」では、利益を追求するビジネスではなく、
地域の発展、地域の課題解決を目的とし、具体的には、付加価値創造・雇用創出・交流人
口の増大・農業振興を目指す。地域や農業が抱える課題をいかに解決していくかという「社
会性」
、いかに継続的、持続的に事業を進めていくかという「事業性」、これまでにない商
品・サービスや、仕組みを開発・活用するという「革新性」の三つを基本理念に、さまざ
まな地域の資源、ビジネスを組み合わせて活用していく。
「農商工連携」とは、農林業者と商工業者が有機的に連携し、それぞれの経営資源を活
用して新たなビジネスを拡大していくものである。また、市街地と郊外地域が連携し、総
合的なまちづくりに取り組んでいくことも目標である。
秋津野は、この 2 つの戦略を積極的に展開していくが、これまでと同様、時代の変化に
合わせた戦略・対応が必要である。地域住民の豊かな生活を目指して、自ら考え、行動し
続けていくことが大切であり、
「おわりのないのが地域づくり」であるといえるだろう。
第四章
グリーン・ツーリズムによってもたらされる真の豊かな社会
本稿では、グリーン・ツーリズムは「農山漁村において、農村住民と都市住民が、その
自然・文化などの資源を利用しておこなう持続的交流活動」であり、その目的は「グリー
ン・ツーリズムの活動を通して、すべての人が生きがいや誇りを感じる生活を実現するこ
と、そしてその生活において農村・農業がいかに重要であるかを認識し、それらを守り続
けていくこと」と定義し、これまでドイツ、日本、上秋津地区のグリーン・ツーリズムを
見てきた。その中で、グリーン・ツーリズムがその目的を果たせるかどうかは、住民同士
30
の内のつながり、国(連合)と地域の縦のつながり、地域範囲を超えた横のつながりの三
つが鍵になると考えた。本章では、そのグリーン・ツーリズム成功の三つの法則を示し、
そして、
「グリーン・ツーリズムが成功することによってもたらされる真の豊かな社会とは
どのようなものか」という点まで論を進めたい。
第一節 グリーン・ツーリズム成功のための 3 つの法則
住民組織の存在(
「内」のつながり)
グリーン・ツーリズム成功のためには、まず第一に、主体者であり、交流の場である農
村に住む人々同士のつながりが不可欠である。ドイツ、上秋津地区のどちらにおいても、
グリーン・ツーリズムが地域政策として本格的に実施される以前から住民組織が存在し、
その後、グリーン・ツーリズム推進の主体者としても十分に機能し続けている。
ドイツは連邦制という社会構造から、古くから地方分権が発達し、住民に「愛州心」、
「自
治意識」というものが根付いている。身近な問題に対しては積極的に非営利組織(Verein)
を結成し、自ら解決していこうとする姿勢が見られる。特にドイツ人は、快適な「住」に
関する要求が強く、自然や環境に対する問題意識が高いことも、自然や環境を自分たちの
身近な「生活の場」を守っていこうという意思によるところが大きい。
一方上秋津地区も、
「農」を基軸に据えた地域の存続を目指して、住民たちが立ち上がり、
地域づくりに取り組んできた歴史が背景にあってこそ、現在のグリーン・ツーリズム推進
にいたってる。昭和の大合併時代以降、「上秋津愛郷会」、地域づくり塾「秋津野塾」の結
成などを通して、農業・人口問題といったその時代時代に直面する問題に対して、自分た
ちで何とか取り組んでいこうとする動きが活発であった。株式会社秋津野の設立に関して
は、その目的や事業内容を地元住民一人一人に説明し、理解を得ようとした。その結果、
住民出資による設立が実現し、事業の取組への協力者も増加した。農村の自然や学校とい
った公共施設など地域住民の「生活の場」そのものが、グリーン・ツーリズムの資源とな
るため、住民の理解と協力が欠かせないのである。
グリーン・ツーリズムの導入・推進にあたっては、何よりもまず、地域住民同士のつな
がりという基盤構築が大前提となると考えられるであろう。
31
ボトム・アップ型の連携(
「縦」のつながり)
ドイツと日本の各国において、国・行政機関はグリーン・ツーリズム推進にどのように
関わってきたのだろうか。
ドイツを含む EU では、EU の地域政策のうちの LEADER 政策(持続可能な開発に向け
た農村開発)がグリーン・ツーリズム事業を推進してきた。まず、EU 統合において、問題
解決を身近なところから行っていくという「補完性の原則」が基本理念にあり、これがも
ととなって LEADER 政策では、
「住民の主体的参画」が重要視された。LEADER の助成を
受けるには、歴史・慣習・アイデンティティといった社会的な一体性を有する卖位で住民
が連携し、設立・運営される事業であることが条件となっている。また、その助成金も事
業費の 45%にとどめ、残りは地元住民・企業の出資を促して住民主体の姿勢を維持させた。
それら個別の地域活動グループが他の地域活動グループと協力して行う活動(地域間協力)
に対して助成を行ったり、農村地域の振興にかかわりのある、地域間グループを含むすべ
ての団体・行政間の協力・情報交換を促進する活動(ネットワーク化)を支援した。EU 内
で地域政策を統一させつつも、各国の住民の連携・主体的参画を重視する画期的な助成事
業である。
日本でも近年、国や各地方自治体によるグリーン・ツーリズム推進の動きが急速に活発
化している。農業・農村の衰退に対処するという目的のほかに、都市の雇用問題の解決策、
日本のインバウンドツーリズムの推進策などとしても期待が寄せられている。1990 年代以
前のマス・ツーリズムなどの行政主導による地域開発の失敗をうけ、国も地方住民の自発
的活動を大いに歓迎し、情報提供やネットワークの構築など、おもにソフト面での支援を
重点的に行うようになった。しかし、グリーン・ツーリズムに関する諸制度の規制緩和や
地方レベルでの推進体制の強化は、グリーン・ツーリズムに取り組む地区や地方グループ
の追い風となっているが、国や行政の担当者もグリーン・ツーリズムに対する知識や経験
がまだ十分でなく、試行錯誤の状態である。その中においては、本当に地域のニーズにあ
った活動を国へ自ら提案し、一緒になって取り組んでいく必要がある。
以上のように、グリーン・ツーリズムに取り組むにあたっては、ドイツや上秋津地区の
例からも、地域が国(EU)との関係の中で主体性を維持し、自ら働きかけていく姿勢が重
要と言えるであろう。
地域範囲超えた交流(「横」のつながり)
32
グリーン・ツーリズムが、現場である農村の住民同士の連携や地域主体の国との連携が
必須であることはわかったが、ここではグリーン・ツーリズムを含む地域政策は、もはや
地域外の人々なくしては達成されないことも指摘しておく。地域外の人々の関わり方は、
「外からの風」と「外部化」の二つの側面から見ることができる。
まず、
「外からの風」とは、事業計画に他地域の人々の意見を取り入れたり、農村への訪
問者にサービスに対する評価を下してもらうことである。LEADER 政策の助成条件にも「地
域間協力」が挙げられ、助成によって地域のコネクション・ネットワーク化を行っている。
日本の行政も地域間の情報交換・連携の支援に力を入れている。上秋津地区の例に至って
は、事業に取り組むにあたって徳島県勝浦町坂本地区、大分県日田市大山町の視察を行い、
地域外の人を迎え、その意見を取り入れながら計画を行った。現在は、
「オーライ!ニッポ
ン和歌山シンポジウム」など主体者の学びあいの場で、自らの経験を交えた講演・情報発
信で他地域のサポートを行っている。近年急速に活発化したグリーン・ツーリズム推進の
動きの中で、地域間が協力して今後の在り方を模索していくことは不可欠である。また、
農村への滞在者も「外からの風」となる。食事・農業体験などのサービスに対する反応や
アンケートといった、滞在者の農村に対する評価は、主体者である地域の人々が自分たち
の地域の良さに改めて気付く機会を与え、地域の誇りや愛着、そこで暮らすことへの生き
がいを増すことにつながる。ドイツの品質評価制度や上秋津地区の天皇杯受賞もその一例
である。
二つ目は「外部化」である。
「外部化」とは地域の財が地域外の人へ提供されることであ
る。直売所での農作物販売や自然の中での体験活動は、目に見えるとおり農作物や自然と
いった財が地域外の人へ移っている。興味深いことは、食育や介護といった、本来家庭内
にあった機能が地域の公共の場で、地域外の人に向けて「外部化」していることである。
これは、グリーン・ツーリズムが経済活性化のみならず、引きこもりや家庭崩壊といった
社会問題の解決策としても注目を集める所以とも言える。「外部化」は、地域外の人々だけ
でなく、グリーン・ツーリズムの担い手である地域住民にとってもよいことである。農業
以外の副収入源になる、高齢者や農村女性の働く場所を提供し彼らの生きがいを増やすと
いった役割も担っているのである。
他地域の活動グループや農村に訪れる滞在者との交流という「外からの風」や、自然や
人といった自分たちの農村の資源を「外部化」することは、地域住民の自発的行動となら
んで、地域づくりの大きな柱と言えるであろう。
33
第二節 真の豊かな社会とは
かつて高度経済成長によって潤った日本では、どの地方も公共事業が盛んに行われ、建
築業にお金が落ちていた。大手企業も地方に工場を建てて、雇用をもたらした。しかし、
全国に道路や橋や公共建築が行き渡ると、公共投資は大幅に削減され、大手企業もグロー
バル化時代の訪れとともに、さっさと地方を引き上げて、より人件費の安い海外に拠点を
移した。各地の道路沿いに林立した大型チェーン店も、人口が増大し、地方お金が回って
いたころはよかったが、人口が減り始め、お金が動かなくなるとたちまち赤字に転落し、
合併・閉店が相次いだ。こうして、都会からやってきた人々もお金も働く場も消えてしま
い、地方にはソフトと呼べるものが残らなかった。まちづくりから宣伝、イベントまで都
会の企業に委託し、自ら築いたノウハウがなかったのである。何もなくなってしまった地
方では、若者はやる気をなくし、高齢者も生き甲斐をなくす。みんなふるさとに誇りが持
てなくなってしまっていた。
都会に移った人々も、世界経済の影響を受ける国内企業の経営・雇用形態などに不安を
抱え、また、自分の住むコミュニティ内での関係も希薄になり、
「つながりの見えづらい社
会」の中で心の豊かさを失いつつあった。この社会構造の変化による影響は、自殺者の増
加や引きこもり、家庭内暴力といった社会問題の一因でもある。
そのような状況の中で注目すべきなのが、上で挙げた三つの法則に則ってグリーン・ツ
ーリズムに取り組む地域である。グリーン・ツーリズムを行う主体である住民組織の存在
は、衰退する地域や人間関係の希薄化した都市では見直されるべきコミュニティの在り方
である。また、国から指示されたことを行うだけでなく、自分たちの下からの力で何とか
していこうとする姿勢は、地域の人々のやりがい・生きがいにつながっている。そして元
気な地域は、地域の指導者が自ら各地を見て学びに行くことと人材育成に力を注いできた
ことも大いに注目すべきである。まずはリーダー自身が動き、ある程度基盤ができれば、
若い人たちや外部の人をどんどん登用して、新しい感性を取り入れている。そして地方同
士がネットワークで情報交換を行い、互いに学びあい、高めあうことによって、各地域に
ノウハウが地域に蓄積し、将来の地域を担う人材が育ってきたのである。
このようにグリーン・ツーリズムによって農業・農村を守ることは、つまり地域の景観・
34
自然を保つことであり、地域そのものが観光資源、自然体験学習の場となって、地域外か
らも人を集める。また、地元食材を扱う独自の市場が地元で形成され、農家と連携したレ
ストラン・ファームが雇用を生む。このような農業の複合的な経営は、地域に経済的効果
ももたらす。たしかに、その営みの中で、それほど大きなお金が回っているわけではない。
しかし何より大切なのは、持続的に発展する仕組みができたということだ。地域の丈に合
った仕事が生まれ、継続している。自信と誇りを持って、次世代に手渡せるソフト、環境、
人々の暮らしが生み出されている。こうした、景観や環境に配慮し、経済的な発展よりも、
人の生きがいや暮らしを優先する、持続可能な社会にこそ、これからの豊かさのモデルが
あるのではないだろうか。
おわりに
本稿では、グリーン・ツーリズムがグローバリゼーション・経済効率一辺倒の社会の弊
害を解決する可能性と、それによってもたらされる、真の豊かな社会の在り方を考察して
きた。その結果、
「住民組織の存在」
、
「ボトム・アップ型の連携」
、
「地域範囲を超えた交流」
の三つの法則を満たすことで、グリーン・ツーリズムはその意義を達成し、それによって、
「景観や環境に配慮し、人の生きがいや暮らしを優先する、持続可能な社会」が実現する
という結論に至った。これはドイツや日本を中心にして考察を進める中で導き出された結
論ではあるが、さらに、グリーン・ツーリズムに取り組む先進国だけに当てはまるもので
はないと考えている。ローカルなコミュニティの存在、ボトム・アップ型の発展、地域間
の連携の必要性は、グローバル化の中での発展途上国の開発・発展とも共通する部分は多
いはずである。そして、人が生きがいを持って暮らせる社会が将来もずっと続いていくこ
とは、日本、先進国にとどまらず、途上国を含めた全世界の国においても求められること
である。
本稿では、グリーン・ツーリズムに関連する法・規制などに関しては深く言及しなかっ
た。それは、近年グリーン・ツーリズムを含めた農業・農村への注目度が高まる中で、こ
れが卖なるブームに終わらないよう、グリーン・ツーリズムの真の意義を唱えることに論
点を絞るためである。そのため、ドイツ・日本・上秋津のそれぞれの事例を取り上げる中
35
で、議論が浅くなってしまう部分もあった。関連する法・規制などを一つ一つ検証し、今
回十分でなかったグリーン・ツーリズムの問題点を指摘していくことが今後の課題である。
また、2009 年 11 月の行政刷新会議ワーキンググループによる事業仕分けでは、グリーン・
ツーリズムを含め、農業政策、地域政策に影響を与える事業に関しても、削減・見直しが
行われた。地域政策やツーリズム事業といった短期に成果の上がらない事業は冷遇された
が、尐なくとも、特別な地域産業や観光資源もなにもない上秋津地区に、ヒト・カネ・働
く場所をもたらし、地域住民たちに生きがいを与えたことは、地域づくりやグリーン・ツ
ーリズムに長期的に取り組んできたことの成果である。国の長期的視野に立ったグリー
ン・ツーリズム支援を求めるとともに、筆者も本研究にとどまらず、今後もグリーン・ツ
ーリズムを通じて、持続的な地域の在り方、社会の在り方について問題意識を持ち続けて
いきたいと考えている。
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『ドイツのグリーンツーリズム』農林統計協会.
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<http://www.akizuno.net/>
井上和衛「都市・農村交流からグリーン・ツーリズムへの課題」畜産振興事業団『畜産の
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<http://lin.alic.go.jp/alic/month/dome/1996/mar/kantou.html>
「欧州連合(EU)の構造政策」外務省ホームページ
<http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/kouzou_s.html>
「グリーンツーリズム」財団法人都市農山漁村交流活性化機構ホームページ
<http://www.ohrai.jp/gt/>
「地域づくり政策」国土交通省ホームページ
<http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/index.html>
「地域産業政策」経済産業省ホームページ
<http://www.meti.go.jp>
「都市と農山漁村の共生・対流について」厚生労働省ホームページ
37
<http://www.mhlw.go.jp>
「都市と農山漁村の共生・対流について」総務省ホームページ
<http://www.soumu.go.jp>
「都市と農山漁村の共生・対流について」文部科学省ホームページ
<http://www.mext.go.jp>
中澤禮介「グリーン・ツーリズム提唱」『DATUMS Advocacy
ャー・サービス産業労働情報開発センター
(1991 年-1994 年)』レジ
<http://www.net-ric.com/advocacy/datums/92_10nakazawa.html>
「農村振興」農林水産省ホームページ
<http://www.maff.go.jp/j/nousin/index.html>
38
補論
不況下におけるグリーン・ツーリズム
本稿は日独の比較や上秋津の事例紹介によって、グリーン・ツーリズムが、グローバリ
ゼーション・経済効率一辺倒の社会に変わる新たな社会構造を構築する可能性を中心に論
を進めてきた。その中で、
「ツーリズム」という名前から、「不況の中では、旅行や娯楽の
支出をまず抑えるのではないか」といった疑問や、グリーン・ツーリズムを「都市からの
滞在者の消費活動による農村地域の経済活性化」と誤解する声が聞かれた。不況対策とし
てのグリーン・ツーリズムの消極的な意見に対して、本章ではほとんど言及できなかった
観光業におけるグリーン・ツーリズムの位置づけと、それが農村と都市との交流の中にお
いては、不況下でどのような形で機能しているかの確認を行い、説明を加えたい。
「ツーリズム」に対するまなざしの変化
まず、
「ツーリズム」のとらえ方の変化から、グリーン・ツーリズムが不況下でも有効で
あることを指摘する。一般にイメージされる「ツーリズム」は、1960 年代から 1980 年代
にかけて観光産業の主流であった、スキー場・テーマパークといった季節変動型、パッケ
ージツアーによる団体旅行などを特徴とした「マス・ツーリズム」である。その「マス・
ツーリズム」は、レジャー施設を誘致した地域の景観、歴史的建造物破壊を引き起こし、
また、バブル崩壊による経済的影響、尐子高齢化・過疎化といった社会的要因の影響を受
けて地域に大きな損害をもたらした。それらに対する批判から、近年は「着地型観光25」と
いう、旅の企画から運営まで地域が主体の新たな事業展開がみられるようになり、グリー
ン・ツーリズムもそのひとつである。
日本の観光のまなざしの変化は、第1次から第4次にわたる「全国総合開発計画」と事
実上その第 5 次に該当する「21 世紀の国土のグランドデザイン」や、
「観光立国推進基本法」
からもわかる。第 1 次「全国総合開発計画」(1962 年)は、高度経済成長下の地域間の均
衡ある発展や国際収支の獲得などを目標に、国土政策においても重要視されていた。第 2
次にあたる「新全国総合開発計画」
(1969 年)では、キャンプ場やスケートリンク、ゲレン
デなどレクリエーション基地の建設が目論まれていた。第 3 次全国総合開発計画(1977 年)
25
尾家建生,金井萬造(2008)
『これでわかる!着地型観光
芸出版社,p7.
39
地域が主役のツーリズム』学
では、そのレクリエーション環境を拡大するとともにより身近に、より日常的にすること
が示されている。それと対照的に第 4 次(1987 年)では、観光レクリエーションを地域振興
との柱とし、リゾート地域の形成が示されたが、これがバブル経済と相まって熱狂的なリ
ゾート開発ブームや、その後の大きな損失を生んだ。大きな変化が見られたのは、第 5 次
にあたる「21 世紀の国土づくりのグランドデザイン」(1998 年)においてであり、魅力ある
観光地形成は地域に新たな産業振興や雇用創出、地域活性に寄与するなど、その経済的社
会的効果が言及されている。また、2006 年の「観光立国推進基本法」の前文においては、
観光が地域経済の活性化、雇用の機会の増大等の国民経済への寄与すること、健康増進、
潤いある豊かな生活環境の創造等を通じて国民生活の安定向上にも貢献することが述べら
れており、
「地域の住民が誇りと愛着を持つことのできる活力に満ちた地域社会の実現」と
いう、地域振興の側面への期待が強調されている。
このように観光産業においても、グリーン・ツーリズムが「地域振興や国民の豊かで安
定的生活」という明確な目的を持って取り組まれる場合、農村にとっては農商工連携によ
る地域活性化という形で、都市住民にとっては雇用の受け皿という形で、その役割を果た
すことが位置付けられている。
第 6 次産業への動き
農村の地域活性という観点で言えば、農業の新たな経営理念として提唱された、
「第 6 次
産業」がこれを支えている。農林水産業をさす第 1 次産業、工業製造分野の第 2 次産業、
小売業、サービス業といった商業分野の第 3 次産業に加え、農業経営の新しい形としての
「第 6 次産業」が提唱された。農業は、農畜産物の生産だけでなく、食品加工(第 2 次産
業)
、流通・販売(第 3 次産業)にも農業者が主体的かつ総合的にかかわることによって、
加工賃や流通マージンなど、今まで第 2 次・第 3 次産業の事業者が得ていた付加価値を農
業者自身が得ることで農業を活性化させようというものである。
第 6 次産業という名称は、
農業本来の 1 次産業だけでなく、他の第 2 次・第 3 次産業を取り組むことから、各産業の
合計として第 6 次産業とされている。グリーン・ツーリズムも、農業が基礎にあり、これ
と商業・工業を結びつけるのが「観光」の要素である。滞在者への農業体験・食品加工体
験の提供、地域外のショップでの販売などその活動は 3 つの産業の連携によって行われる
ものである。以上のことから、グリーン・ツーリズムは不況下で市場が縮小される対象と
いうよりも、むしろ経済基盤の多角化を図り、各産業分野の経済拡大を相互に助け合うも
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のであると言える。本稿の事例で取り上げた上秋津地区のように、「農商工の連携」は、地
域づくり・国土づくりの今後の課題として積極的に取り組まれていくべきである26。
就農支援とグリーン・ツーリズム
新たな雇用の受け皿としての機能に関しては、グリーン・ツーリズムは将来の U ターン・
I ターンを見込んだ農業体験や就農支援を含んでいるという点を再度指摘する。本稿第二章
で示したように、グリーン・ツーリズムは「都市と農山漁村の共生・対流」事業の一部と
して位置付けられ、その推進体制が取られている。農業体験や地域づくり学校への参加は、
非農家の人々が新たに就農するきっかけとされている。その一つの成果として、2008 年度
は、前年度から新規就農者数全体では減尐したものの、雇用就農者、新規参入者は増加し
ている。
出典)「 平成 20 年新規就農者調査結果の概要」農林水産省27
図
就農形態別新規就農者数
さらに 39 歳以下でみれば、他の年齢層が大幅に縮小している中で、新規就農者全体で見
てもほぼ横ばいの状態である。これは、実家が農業を営んでいないにもかかわらず、新た
に農業に取り組んでみようとする若者が増加していることを意味しており、政府が「都市
グリーン・ツーリズムシンポジウム「農 and 食で地域の未来を考える」
(2009/12/9)に
おいて、山田正彦農林水産省副大臣から、
「民主党政権は第 1 次産業や地域を大事にし、
『第
6 次産業化』路線を掲げており、まさにそれを実践しているのがグリーン・ツーリズムであ
る」との発言があった。この政変期の今後の動きに注目していきたい。
27<http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/sinki08/sinki08.pdf>(last access
2009/12/8)
26
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と農山漁村の共生・対流」の目的としてきたことに対する一つの成果である。
表
年齢別新規就農者数
出展)
「 平成 20 年新規就農者調査結果の概要」農林水産省28
また、退職後に田舎に移住し、農業を始めたいとする都市サラリーマンも増加傾向にあ
る。広い意味でいえば、グリーン・ツーリズムは、若者・高齢者、すべての人へ新たなラ
イフスタイルのきっかけを提供するものであるということができるだろう。
以上のことから、グリーン・ツーリズムは、近年観光産業の視点からも「地域振興」の
役割を期待されており、農村にとっては経済の基盤の多角化、都市にとっては雇用創出や
新たなライフスタイルの提案をいう形で、不況下でこその機能を発揮するものであるとし
て、この補論の結びとしたい。確かに、この不況下で農家民泊の宿泊者数が減尐したなど
の地域の声も聞いたが29、長い目で見れば、地域の経済・人材の基盤をつくり、地域存続の
ための仕組みを作っているという意味で、景気の変動に大きく左右されることなく、継続
28前掲ホームページ.
in 銀座」(2009/11/9)に参加し、尾瀬・
わくわく体験郷「体験館」の女性に話を伺った。
29「ぐんまのグリーン・ツーリズムキャンペーン
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的に取り組まれていくべきと考える。
参考文献
荻原愛一(2009)
「観光立国と地域活性化をめぐって」『レファレンス No.704』7-23
尾家建生,金井萬造(2008)
『これでわかる!着地型観光
地域が主役のツーリズム』学芸
出版社.
油川洋,三橋勇,青木忠幸,長瀬一男(2009)『新しい視点の観光戦略―地域総合力としての
観光―』学文社.
参考ホームページ
「 平成 20 年新規就農者調査結果の概要」農林水産省
http://www.maff.go.jp/toukei/sokuhou/data/sinki08/sinki08.pdf
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