精子上のイズモを介する融合機構の解析

 上原記念生命科学財団研究報告集, 22(2008)
85. 精子上のイズモを介する融合機構の解析
井上 直和
Key words:受精,膜融合,精子,卵子
大阪大学 微生物病研究所附属遺伝情報
実験センター 遺伝子機能解析分野
緒 言
現在, 先進諸国では夫婦の 10 組に 1 組は不妊に悩まされていると言われており, 実際にわが国でも新生児の 100 人に 1 人以
上の割合で体外受精児が誕生している. 少子化の是正が叫ばれる今, 不妊を克服することは重要な課題であり, その根本的解
決のためには受精のメカニズムを明らかにしなければならない.
受精の分子メカニズムのなかでも謎が多い「融合」は, 雌性生殖器内に射出された多くの精子 (ヒトの場合 1-3 億匹) のな
かで, 過酷な生存競争に生き残ったごく僅かな精子が正確かつ確実におこさなければならない現象であり, 次世代へ種を保存す
るために必要不可欠なものである. 近年, 遺伝子改変技術の台頭により, 受精の様々なステップにおける必須因子が次々と明ら
かにされてきている. 精子と卵子の融合機構については卵子上の融合因子として CD9 が最近報告された
1-3).
我々はこれまでに, 融合を特異的に阻害するモノクローナル抗体を用いて, 世界で始めて精子側の融合因子 Izumo を発見し
た
4).
Izumo ノックアウト精子は融合の準備段階である先体反応まで正常に進行するが, その後, 完全な卵子との融合不全にな
る. さらに融合を顕微授精法でバイパスすると正常に発生することから, Izumo はまさに精子と卵子の融合にだけ機能する世界で
始めて発見された精子側の融合因子であった. 本研究報告書では融合因子 Izumo と精子膜上で相互作用する因子を発見した
経緯について報告する.
方法および結果
これまでに精子側の Izumo, 卵子側の CD9 と受精の膜融合に関わる分子が同定され, 融合の分子メカニズムが解明された
かのように見える. しかし, Izumo と CD9 だけで融合の分子メカニズムが解き明かされたのかについては疑問が残る. 事実, これ
までに Izumo と CD9 が直接相互作用する証拠を得られていない. また Izumo が属する免疫グロブリンスーパーファミリーのタン
パク質はインテグリンやテトラスパニンなどの分子と分子複合体を形成し機能することから, Izumo も同様な性質があるものと考え
られる. 受精の膜融合における包括的な分子メカニズムを解明するためには, Izumo と相互作用する精子膜上のタンパク質の同
定が急務である.
我々は, Izumo ノックアウトマウスの機能をレスキューする目的で, 精巣特異的カルメジンプロモーター制御下で Izumo の細
胞内ドメインの C 末端に His タグを付加したトランスジェニックマウスを作製した. このマウスと Izumo ノックアウトマウスを交配さ
せることにより, ノックアウトマウスの雄の妊孕性, 精子の膜融合能が回復したことから, 融合不全の表現型の直接の原因は Izumo
遺伝子自身に依るものであることが確認された (図 1).
Izumo に相互作用する精子膜上のタンパク質を同定する目的で, まず交配により Izumo ノックアウトバックグランドの Izumo-
His トランスジェニックマウスを大量に産出させ, 精子上の Izumo をトランスジーン由来の Izumo-His に置き換えた. このレスキ
ューマウスの精子の可溶化物からは抗 His タグ抗体を用いることで, Izumo-His を効率よく精製できる. また予備的な実験により
Izumo はアガロースやセファロースなどの担体に非特異的に吸着することが分かっていたので, His タグ抗体の担体には磁気ビ
ーズを採用した. この方法で Izumo-His を精製すると同時に, コントロール精子では存在しない 80 kDa 付近バンドが共精製さ
れた. このバンドを切り出し, トリプシン処理後, そのアミノ酸配列を LC-MS/MS によって決定した (図 1).
その結果, 意外なタンパク質が同定された. このタンパク質は ACE (Angiotensin-converting enzyme) に類似する膜タン
パク質であり, 全く機能未知のタンパク質であった. この ACE 類似の分子 (ACE-like) は既知の ACE, ACE2 とアミノ酸配列
1
で 50%以上の相同性を示し, 精巣特異的に発現する分子であった. この分子を特異的に認識するポリクローナル抗体を作製し,
精子の可溶化物を用いて Izumo との相互作用を免疫沈降法により確認すると, Izumo 抗体, ACE-like 抗体どちらの抗体でも
双方のタンパク質が検出され, それぞれの相互作用が確認された (図 1).
図 1. Izumo レスキューマウス (Izumo
Izumo-His TG) を用いた、Izumo 結合タンパク質の同定.
a: Izumo ノックアウトマウス作製用のターゲティングベクターと精巣特異的カルメジンプロモーター制御下マウス IzumoHis トランスジェニックマウス用ベクター.
b: Izumo レスキューマウスの平均産仔数. 1. Izumo +/- 雄マウス, 2. Izumo レスキュー雄マウス.
c: Izumo と共精製される ACE-like タンパク質 1. 野性型マウスの精子, 2. Izumo レスキューマウスの精子.
d: Izumo と ACE-like の免疫沈降.
-/-
考 察
最近, 精巣型 ACE は従来のジペプチジルカルボキシペプチダーゼ活性の他に GPI アンカー型タンパク質を切断する活性も
あり, 精子と卵透明帯の相互作用を制御していることが報告されている
性不妊になることが報告された
6).
5).
またショウジョウバエの ACE 類似分子の欠損体は雄
このことから, 今まで主に血圧調節機構について研究されてきた ACE は受精の膜融合や相
互作用に深く関与している可能性があり, この研究は今まで知られていなかった新展開に突入したものと考えられる.
現在, ACE-like のノックアウトマウスを作製しており, キメラマウスの子孫が相同組替え後のアリルを保持するヘテロマウスを
得ることに成功している. 今後はヘテロマウス同士を交配しホモマウスを得た後, このマウスの精子の融合能の解析を行いたいと
考えている.
Izumo や Izumo に結合する分子を解析することで受精の融合機構が解明され, 受精以外の細胞-細胞融合機構の解明にも
繋がると考えられる. さらに, この研究の社会的な貢献としては, 融合の仕組みを知った上で可能になる避妊ワクチンあるいは不
妊治療法の開発など臨床的な応用も期待される.
本研究の共同研究者は, 大阪大学微生物病研究所の岡部 勝教授である. また, 本研究を支援して頂いた上原記念生命科
学財団に深謝致します.
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文 献
1) Le Naour, F., Rubinstein, E., Jasmin, C., Prenant, M. & Boucheix, C.: Severely reduced female fertility
in CD9-deficient mice. Science, 287: 319-321, 2000.
2) Miyado, K., Yamada, G., Yamada, S., Hasuwa, H., Nakamura, Y., Ryu, F., Suzuki, K., Kosai, K., Inoue,
K., Ogura, A., Okabe, M. & Mekada, E.: Requirement of CD9 on the egg plasma membrane for
fertilization. Science, 287: 321-324, 2000.
3) Kaji, K., Oda, S., Shikano, T., Ohnuki, T., Uematsu, Y., Sakagami, J., Tada, N., Miyazaki, S. & Kudo,
A.: The gamete fusion process is defective in eggs of Cd9-deficient mice. Nat. Genet., 24: 279-282,
2000.
4) Inoue, N., Ikawa, M., Isotani, A. & Okabe, M.: The immunoglobulin superfamily protein Izumo is
required for sperm to fuse with eggs. Nature, 434: 234-238, 2005.
5) Kondoh, G., Tojo, H., Nakatani, Y., Komazawa, N., Murata, C., Yamagata, K., Maeda, Y., Kinoshita, T.,
Okabe, M., Taguchi, R. & Takeda, J.: Angiotensin-converting enzyme is a GPI-anchored protein
releasing factor crucial for fertilization. Nat. Med., 11: 160-166, 2005.
6) Hurst, D., Rylett, C. M., Isaac, R. E. & Shirras, A. D.: The drosophila angiotensin-converting enzyme
homologue Ance is required for spermiogenesis. Dev. Biol., 254: 238-247, 2003.
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