堀江敏幸会長インタビュー

堀江敏幸会長インタビュー
特 集
5
内藤明さんにお願いする、という話があったので
——
すが、その時既に早稲田ちんどん研究会のほうの会長
だったそうで……
そうでしたね。僕がちんどん研究会を引き受けて、
内藤先生に代わってもらう手もあったでしょうけれ
ど。ともかく門外漢ながら、演習に出ていた関係者(?)
が複数いたものだから断りづらくて、年に一度書類に
サインするくらいならいいですよということでお引き
受けしました。ただし佐佐木幸綱先生のご意向も伺っ
て欲しいとはお願いしました。歌人でない人間が会長
なんて引き受けていいのかどうか、とね。新歓コンパ
にはちゃんと出ましたね。それから、まだ一回しか参
席したことはないけれど、歌会も見学させていただき
ました。どうもサインだけじゃないような雰囲気もあ
る(笑)。
お世話になっています。
——
個人名を出して申し訳なかったけれど、経緯として
うん。そこで、短歌の特集をするから、なにか書い
てくれって頼まれたんです。僕にその仕事がまわって
きた理由はただひとつ、
「早稲田短歌会会長」という
肩書きがあったからだそうです。で、そこにも書いた
んだけれど、丁度ぼくが高校生の時、「朝日新聞」で
大岡信さんの「折々のうた」がはじまったんですよ。
新聞の一面に詩歌というか短詩を鑑賞するコラムが載
るということで、当時は大変な話題になりました。そ
こで惹かれた作品の作者を、図書館で読んだりしまし
たね。
「 口 を も て 霧 吹 く よ
長塚節の歌
ざる虹とあひたり」
たち一分の間にみた
小中英之の歌
「螢田てふ駅に降り
東直子さん。
放送。ホストは歌人の
2010年1月24日
NHK短歌
最初に早稲田短歌会の会長に就任さ
——
正規のサークルだから、誰か専任教員が印を押さな
れた経緯を聞かせていただけますか。
いと、年度の予算が下りない。それはこちらもわかっ ※ 注 釈
ていたんですが、伝統ある短歌の会なんだから、もっ
としっかりした実作者に頼んだほうがいいと断ったん
です。そしたら、第一候補の先生にはもう断られて、
あとがなかった。予算執行の期日も迫っていた(笑)
。
はそういうことです。
昨年の一月に「NHK短歌」にゲストで参加され
——
た際に、小中英之さんの歌と長塚節さんの歌をとりあ
げられていましたが、ああいうものはどういうきっか
けで読まれたのですか?
○
ええ、2008年に退任されました。 ——
二 〇 〇 七 年 の、 文 化 構 想 学 部 の 創 設 と
同 時 に 早 稲 田 大 学 に 着 任 し た ん で す が、
そ の 年 の 演 習 に、 堂 園 昌 彦 君 が 出 て く れ
ていた。そうしたら、夏休み前だったかな、
短歌をやっているので作品を見て欲しい
と言って三十首の連作を見せてくれたん
ですね。「短歌研究」新人賞の最終候補に
な っ た も の だ っ た と 思 い ま す。 す る と、
翌 年 の お な じ 演 習 に、 早 稲 田 短 歌 会 の 後
輩 だ と い う 田 口 綾 子 さ ん が 来 て、 そ の 年
に 彼 女 が 新 人 賞 を 獲 っ た。 た し か べ つ の
演 習 に は 服 部 真 里 子 さ ん が い て、 彼 女 も
作 品 を 読 ま せ て く れ ま し た。 そ れ ま で 僕
の と こ ろ に 来 て い た の は、 小 説 か 批 評 を
や っ て い る 学 生 ば か り で、 詩 を 書 く 人 も
い る に は い ま し た が、 短 歌 を や っ て い る
若い人に声を掛けられたことはなかったんです。それ
でどういうことなんだろうとびっくりしていたら、突
然、堂園君たちが、短歌会の会長になって欲しいと頼
んできた。前会長の佐佐木幸綱先生が、定年でお辞め
になるということでね。
イ ン タ ビ ュ ア ー : 吉 田、 山 中
りもこまかなる雨に
では「折々のうた」をきっかけに、気になった人 ——
長塚節は、高校のときに、歌集を買ったんです、岩
薊の花はぬれけり」
波文庫でね。茂吉撰のものがあって、それがわりあい の作品を読んで。
好きで読んでいたんです。ただし、入り口は教科書と
『ミセス』
か国語便覧とか、ありふれた学校の教材ですよ。長塚 きっかけのひとつにはなりました。和歌も短歌も俳
2011年3月号
節の歌って、どんな教科書にもたいてい一首か二首は 句も現代詩も何でもありの方針が、魅力的でしたし。 「堀江敏幸さんに聞く、
載っているでしょう? そこから入って文庫を探した 要は壮大なアンソロジーの試みですからね。気が楽に 短歌の魅力」
はずです。歌人の先生に習ったとか、まわりに歌よみ なったっていうか、おかげですべてが詞華集に見えて
がいたとか、そういうことはまったくなくて、雑多な きた。構えて読む必要はなくて、単発で面白いものが 『折々のうた』 1979年1月から 読書のなかで出会ったんです。だから、短歌をジャン あったらそれを流れのなかで気に留めればいい、それ 2 0 0 7 年 3 月 ま で、
ルとしてとらえたことはなかったんですね。あ、それ でいいんだということを教えて貰った(ような気がし 大岡信が朝日新聞に掲
で思い出した。このあいだ「ミセス」っていう雑誌か た)。小説や映画や音楽や、いろんなものをいっぺん 載。連載を纏めたもの
ら、あれは何と関わっているんだったかな、短歌の新 に吸収しはじめた頃ですから、そのなかに詩歌もあっ
は岩波新書から『折々
たということです。ただしジャンル分けなしの、純粋
人賞を後押ししているということで……
の う た 』『 新 折 々 の う
な興味関心の対象として。
た』として刊行。
現代短歌新人賞ですね。第一歌集に与えられる新
——
高校生の頃ですか。
人賞です。
——
6
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堀 江 敏 幸 会 長 イ ン タ ビ ュ ー
基本的に、準備はしません。書きながら、いろんな
ことを思い出すんです。あるいは、なにか作品を読ん
でいると、べつの作品を思い出すんです。
二〇〇〇年・みすず書房
ジャック・レダ『パリの廃墟』
1981年・小沢書店
葛原妙子の散文『孤宴』
のごときも切りたり」
をりちひさなる豚の瞼
参照
「 ハ ム 薄 く 切 り つ つ ぞ
葛原妙子については収
録作「この世の風」を
ハウス
2009年・マガジン
『彼女のいる背表紙』 ご著書でも、例えば『彼女のいる背表紙』など、 『書かれる手』
——
中学から高校にかけての頃ですね。まあふだんの生
色々なところから文章を引用されてエッセイを書かれ 2000年・平凡社
活は、クラブ活動が中心でしたけれど。
ていますが、ああいった文章の引き出しというのはど ( 2 0 0 9 年 平 凡 社 ラ
うやって準備されているんですか?
イブラリーにて刊行)
高校の頃は何をされていたんですか?
——
卓球。
中高ずっと卓球部だったんですか。
——
これまでご自分で読んできたものを……。
——
そう、中学、高校と、六年やってました。うまくは
なかったんですが、ボールを打ち合うこと、ラリーを
することじたいが面白かった。練習もそこそこ真面目 むかし何気なく読んで、きれいに忘れて、でも記憶
にはやっていましたよ。当時のことは、『書かれる手』 の底に沈んで消えなかったなにかを、書いたり読んだ
という本の、平凡社ライブラリー版の「あとがき」で りしながら、思い出すんです。ほんのわずかな断片で
あったり、漠然としたイメージであったりもしますが、
詳しく書いています。
そのあと、その残滓を頼りに本に立ち返って、全体を
○
読み返す。引用しているからといって、その箇所をす
べて鮮明に覚えているわけじゃないんですよ。それは
「折々のうた」などで見つけた詩や言葉を、ノー 不可能です。こういう場面があってこういう話で、こ
——
トなどに書き留めたりはされましたか?
ういうことが出てきたんじゃないかっていう、かすか
な記憶はあるんですけれど、手がかりはそれだけです
それはないですね。「折々のうた」に関しては、い ね。
ずれ本になるだろうと信じて、メモすることも、スク
『彼女のいる背表紙』
では海外の方の引用が多かっ
ラップブックを作ることもなかった。予想どおり、ちゃ
——
んとまとまったんですよ、朝日ではなく、岩波新書で たですが、葛原妙子さんについて書いている一編もあ
りました。
ね。これは買いました。
○
そうありたいですね。なっているかどうかは、べつ
として。
ご自身で書かれる場合も同じですか。
——
緩急っていうか、混じっていた方が。引用も含めて
ね。ずいぶん前に訳したものですが、ジャック・レダ
という詩人の『パリの廃墟』には、そういう要素が含
まれていました、とても濃く。
あれも、葛原さんの歌集ではなくて、先に散文を読 ようです。最近、段々わかってきた。
んだわけね。大学に入ってから、早稲田の古本屋さん
詩と文章とが混ざり合っているような。
で『孤宴』という散文集を買ったんです。いまはなき
——
小澤書店から出ていた、函入りの小さな本です。その
中の一篇に引用されていた歌にとても惹かれた。歌集 そう。要するに、独立した詩や短歌を読みとく能力
に収められた歌としてではなくて、散文のなかに引用 がないんですね。だから、散文を読んでいて、凝縮さ
された一首として出会ったということなんです。それ れた言葉が投げ出されたときの、激しい変化とか、あ
から、いま言ってくれたように、海外の文学と日本の るいはいつのまに空白地帯に出てきたときの緩やかな
現代短歌を並べても、僕にとってはなんら違和感はな 変化とか、そういう感覚に惹かれたのかな。歌集を通
いんですね。葛原妙子の「歌集」に触れるのは、その し読みするのは、詩集一冊読むのとおなじ体力が必要
だと思うんですが、僕の身体には、散文と詩が混じり
あとのことです。
合っていたほうがいいようなんです。
やはり、たくさん本を読んでいる中で歌に出会っ
——
緩急がついていたほうが。
た、とそういうきっかけですか。
——
そうですね。活字の景色も大切ですね。たとえば文
字がきれいに詰まった散文を読み進めていって、急に
空白があって短い詩が引用されていたりするところ、
林間の空き地みたいなところが好きなんですよ。短歌
なら短歌だけ並んでいるより、前後に、少なくとも前
には文章があってほしい。急に流れが変わって歌がぽ
んと引用されているのがいいですね。だから、少しな
がい詞書が無いといやなんです(笑)。「なんとかかん
とかの折に詠みけり」だけじゃなくて、もっと分量の
ある枕が必要なんです。歌物語みたいなものなら、散
文と詩と両方楽しめてその切り替わりの景色が見られ
るでしょう? どうもそういうものに引きつけられる
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堀江敏幸会長インタビュー
そういう要請だったんですね。
——
2005年・角川出版
(2009年文庫化)
詩歌だけでなく、ご自分で撮られた写真をエッセ た。ただ、ひとつ大きな障害があった。新聞の記事だ
——
イに添えたりもされていますよね。
から挿絵をつけるんですね。ということは、画家が挿
絵を描くための時間を計算に入れて、締切を早めなけ
写真って、あの、文庫本になっているものですか? ればならない。だけど僕はぎりぎりにならないと書か
ないし、なにを書くかも決められないので、それは無
『もののはずみ』です。
理ですと正直に言いました。迷惑がかかるから、やめ
——
たほうがいい、と。そうしたら、じゃあ、なんかそっ
親本はここにないんだけど(本を探しに席を立つ堀 ちで適当に写真でも撮って添えてください、という話 『もののはずみ』
江先生)
、文庫版は、これですね。
になって。
ええ、それは写真もご自分で撮られたとか。
——
○
そうです。これは自分で撮影しました。カメラや写 ええ。それで何か「モノ」について書くことにして、
真に詳しいわけではないんですよ。この本の前半は、 その写真を撮影して送りますと言ったら、結構でござ
以前の勤務先にいたとき研究休暇をもらって、一年間 います、と(笑)。渡仏直前に、オリンパスの小さな
パリに滞在したときに書いた新聞連載がもとになって デジタルカメラを買って、扱い方と外国からの送信の
いるんです。研究休暇中は講義の時間がありませんか 仕方を教わった。困ったときは新聞社の支社に持ち込
らね、ある新聞社から、そんなに暇なら夕刊に何か連 めば送ってくれるという話でね。キャメディアという、
載してくれと頼まれた。時差もあるので、締め切りの たしか300万画素くらいのものですよ。たぶん今の
ある仕事はできるだけ減らしたいと思っていたんです 携帯電話より貧弱なものでしょう。フィルムカメラの
が、その媒体というのが東京新聞で、母体は中日新聞 習慣が抜けないから、馬鹿なことに一枚だけ撮って、
なんです。僕の地元ではたいていの人が中日新聞を読 それを送っていました。半年くらいつづいたと思いま
んでいる。さっきの、「折々のうた」のために朝日新 す。そして、帰国後に、今度は角川書店の本のPR誌
聞 を 購 読 す る な ん て い う の は、 人 で な し の 扱 い で す (「本の旅人」)に、新聞連載もふくめて一冊にまとめ
(笑)
。田舎にはまだ友達がいっぱい住んでいるんだけ ることを前提に、続きを書いたんです。新聞のときの
ど、中日新聞に書いたときだけ反応がある。それが消 タイトルが「多情物心」、角川が「もののはずみ」。
息になるわけです。だから、ぎりぎりになって承諾し その辺のいきさつはたまたまなんですか。
——
先生も含めて一緒に考える場ということですね。
——
真美術館)図版に収録。
(2010年・東京都写
『 ラ ヴ ズ・ ボ デ ィ 生と性を巡る表現 』 。無いっていうと失礼だけ
とくにありません(笑)
ど、僕もまだ勉強中で、実質的には学生とおなじです
からね。立場上は教師ということになっているんだけ
ど、 自 分 で 自 分 が ど う い う 仕 事 を し て い る の か も わ
からない状況だから、むしろ現場でみんなと一緒に悩
んでるって感じです。だから分別のある学生は、かっ
たるいわけです。考えながらやっているので、途中で
黙り込んでしまうことがあるんですよ。彼らがではな
く、こちらがね。なにか具体的な知識や情報が欲しけ エルヴェ・ギベール
れば、自分で参考書も含めて本を読んでいた方が楽だ
『赤い帽子の男』『幻の
ろうし、知識もいっぱい入るでしょう。しかし教室っ イマージュ』の二冊が
ていうのは広場か街路みたいなもので、学生も教師も 堀江訳で、ともに集英
ひととおりのパフォーマンスが求められる。現場で考 社から出ている。
えたことは、現場だけのものです。たとえそのあとす
「37度7分と38度
ぐ消えてしまっても(笑)
。そういうふうに考えてい
4分のあいだで エ
- ル
る教師もいるってことは、わかってもらえるとありが
ヴェ・ギベールの写真を
たいかな。
めぐって」
お話は変わりますが、現在先生は大学で文学の講
——
たまたま、ですね。まったくの受け身です。計画的
にやったことは、一度もないんですよ。
義をお持ちですが、その際学生に期待することは何で
すか。
それから特に写真が趣味になったとかそういうこ
——
とは。
残念ながら、ありません。好きは好きですが、趣味
にはならない。ただ、不思議なことに、『もののはずみ』
の写真を気に入ってくれた森岡書店という古書店の若
い店主が、一昨年、これまで適当に撮っていたスナッ
プをまとめて写真展を開いてくれたんです。写真集の
ような小冊子も作ってくれて、これはなかなか新鮮な
体験でした。ついでに言うと、僕は最初の仕事は翻訳
で、エルヴェ・ギベールという、エイズで亡くなった
作家の小説を訳したんです。その作家が二十代のなか
ばに書いた『幻のイマージュ』っていう写真論、のよ
うな、そうでないような散文集があって、それも縁が
あって訳した。写真について何か言ってくれという注
文がくるようになったのは、それがきっかけですね。
訳者ならいろんなことを知っていると思われるんで
しょう。最近で言えば、昨年の秋、恵比寿の写真美術
館であった「ラヴズ・ボディ展」にこのギベールの写
彼は写真も撮っていたんです ——
展示された
真が ——
ので、カタログに少し長い文章を書いたりしました。
カリキュラムに沿って、いまならシラバスに沿って
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堀江敏幸会長インタビュー
教えるっていう形を信じている学生は、教えている当
人が「これどうなんだろうな、よくわかんないなあ」
とか素直に口走ったりするのを見ると、不安に駆られ
るわけですね。おまえは、なにもわかっていないのに
講義をしているのかって。もちろん準備はしますよ。
でもあまり役には立たないんです。よいテキストを選
べば、
何度読んでもそのたびに新しく見える。そして、
そのたびにわからないことが増える。
授業で扱うテキストは毎年決まっているのです
——
か?
危険というと?
——
公 式 に 決 ま っ て い て、 非 公 式 に は 決 ま っ て い な い
(笑)
。その日の授業の流れで、つぎに読みたいものが
見えてくるからです。ただし、二〇一〇年度の演習で
は、文庫本を買ってもらいました。本の形態で読んで
ほしいっていうのが最大の理由ですが、プリントを用
意するのはね、楽しいけれどある意味で危険なんです。
著作権の問題もありますし、こちらで準備して配る
と、先週出なかったから、あるいは忘れたからプリン
トをくださいって言う学生があとを絶たない。前の週
に配ったプリントのコピーの残部が、足りなくなるこ
ともあるんですね。そもそも僕が教場へ持って行くの
を忘れる(笑)。だったら、本を買ってもらったほう
が忘れものが少なくなるだろうと思った。
授業で扱うテキストと、そこから派生したテキ
——
ストと、という形だったんですね。
そうですね。本のかたちで、ある作家の、ある作品
を読み、興味がわいたら、そこから派生してべつの作
品をプリントで読む。それが気に入ったら、絶版のも
のを古本で本を探したり、図書館に行く。そういうこ
とです。
先生としてはもう十年以上お勤めですよね。
——
教師業ってことですか? 僕は一九九三年の秋から
教える側に、つまり現場でいっしょに考える側になっ
たので、もう二十年近い。
最初はフランス語を?
——
そうです。東京工業大学の工学部で二年半、それか
ら明治大学の理工学部で十一年。明治では、教養科目
の演習も担当していました。だから少しは本を読む授
業もあったんです。
文学部/文化構想学部にいらしてからはずっと文
——
学の講義ですよね。
公には、仏語仏文学とは縁が切れたことになります
そういうローテーションをずっと繰り返して書き
——
連載であれば、穴をあけないことかな。締め切りに
間に合わなかったことは多々ありますが(笑)
、落と
したことはない。待っていてくれる人がいますからね。
校了間際で、仮眠しながら待っている人の顔を思い浮
かべる。すると、胸が苦しくなって、書かなければ、
と思う。
作品を執筆する際に気をつけていることはありま
——
すか。
ジ
- ョル
ジュ・ペロスの方へ』
『魔法の石板
2003年・青土社
ね。フランス語そのものは、仕事柄まだ読むし、翻訳 そして『魔法の石板』は三部作なんです。
どことなく『雪沼』という町や『河岸忘日抄』
も細々とですがつづけています。
——
の船の中の世界が繋がってくる、ということですか?
○
『河岸忘日抄』
そうだと思いますね。なにしろ、順番に締め切りが
2005年・新潮社
フランスでの経験を、たとえば小説の『河岸忘日 くる。フランスの詩人の生涯を追ったあとに、どこか ——
(2008年文庫化)
抄』や、
『もののはずみ』といったエッセイ集にも書 わからない日本の町の話を書いて、そのあと船の話を 読売文学賞受賞作。
かれていますが、行った場所の影響というのは作品に 書く。だから、全部つながっているんですよ、僕のな
強く反映されていると思いますか?
かでは。その三つを書いていたときの順番がひとつで 『雪沼とその周辺』
もちがっていたら、おなじものはできなかったでしょ 2003年・新潮社
う。行った場所や土地、ではなくて、書いてできあがっ (2007年文庫化)
た土地の影響とはそういうものです。ばらばらじゃな 川端康成文学賞受賞作
い。作品の間のつながりって言うものは、明確に意図 「スタンス・ドット」
を収録。
したものではなくて、外的な要因と、その時々の心身 の状態、バイオリズムと密接に関係している。
その場所というより、書いているうちに生まれる空
間のイメージの影響はあると思います。じつは『河岸
忘日抄』も、『もののはずみ』と同時期に書いていま
した。在外研究中に書き出して、つまりフランスで書
き始めて、日本に戻ってからもずっと書き続けていた
んですが、帰国後に書いたほうが長いんですよ。二年
以上連載して、そのあいだずっと、架空の船の中にい
たわけです。これは、僕の頭の中にしかない船です。
それから、
『雪沼とその周辺』っていう作品集がある
んですが、これも同時期に書いていた。半分以上はフ
ランスで書いて、そのまま日本に帰ってきましたから、
必然的に作品中の湿度は低いと思いますね。ヨーロッ
パの湿度が、言葉に関係しているということはありう
るんじゃないでしょうか。さらに言えば、ジョルジュ・
ペロスという詩人についての、評伝のような文章も連
載 し て い ま し た。『 魔 法 の 石 板 』 と い う 作 品 で す が、
大きく言えば、『河岸忘日抄』と『雪沼とその周辺』、
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堀江敏幸会長インタビュー
堀江敏幸会長インタビュー
続けられてきた、ということなんですね。
際に書くやり方は、いつもとおなじでしたしね。
○
どういう経緯で「象が踏んでも」は書かれたんで
——
すか。
先日、
『水火』という詩誌に詩を書かれていまし
——
たが。
『水火』という同人誌には、詩人ではない人をゲス
トに呼んで、はじめての詩を書かせる企画があるんで
あれは、生まれてはじめて書いた詩です。四十六歳 すね。僕の前が河野多恵子さんだった。依頼を受けて
にして、はじめての詩(のようなもの)を書いた。
最初はびっくりしましたし、悩みましたが、仏文の先 『水火』
輩筋にあたる方が同人ということもあったのでね。
朝 吹 亮 二、 川 上 弘 美、
松浦寿輝による同人誌。
初めてだったんですか。「象が踏んでも」が。
——
「象が踏んでも」は「現
松浦寿輝さんですね。
——
代詩手帳」2010年
そうです。
度年鑑に再録。
いつだったか、その松浦さんに詩を書いたことはあ
「現代詩手帖」の年鑑をめくっていたらお名前を るかとたずねられて、作中人物に仮託して創作した経
——
見つけて、意外でした。
験はあるけれど、と話したことがあるんですよ。たぶ
ん、それを憶えておられたんじゃないかな。『おぱら
年に一回の、厚い一冊でしょう。余程ページが埋ま ばん』という散文集の一篇です。でも、これは貴重な
らなかったんでしょうね(笑)。
体験でした。詩を書いているって感じは、あまりしな
かったですけどね。
『おぱらばん』
今後詩を書かれたりする予定は。
——
1998年・青土社
行も多かったですよね。
——
(2009年新潮社よ
詩でも散文でも、予定は立てられません。仕事を続
り文庫化)
けていって、その仕事と仕事のあいまに、詩のような 行替えにはなっていますが、どうなんでしょう。ほ
何かが生まれるとしたら、それは悪いことではないで んとうに、あれは詩というものなのかな。
しょう。
「象が踏んでも」にしても、なぜああいう詩
○
になったのか、自分ではわからないんですよ。締切間
一五〇〇字と八〇〇〇字の世界は、あきらかに違うは
先ほどの散文と詩の引用の組み合わせというレイ ずですから。でもまあ、僕はほぼ目分量というか、生
——
アウトの話にも繋がるかと思いますが、堀江先生の場 理的なリズムで処理してしまいますね。
合、 短 い 作 品 で は 軸 に な る も の を 一 つ 決 め て 作 品 を
三枚分の呼吸のような。
作っている、という印象を感じました。
——
うん、なんかそういう感じ。お総菜屋のおばさんが、
軸があるとしたら、それはあくまで書きながら見え てくるもので、最初から「一つ決めて」という操作は ポ テ ト サ ラ ダ 百 グ ラ ム っ て 頼 ま れ た と き、 目 分 量 で
ありません。よく誤解されますが、書法としても、締 さっと容器に入れる、あの感覚に似てますね。適当に
切直前にしか書かないという点においても、僕はかな やっているように見えて、ほとんど誤差がないでしょ
り無頼ですよ。計画性は全くない。情けないくらいに う。百グラムくださいっていう注文があった時は、言
葉が百グラムになるんだろうと思います。そういう体
ない。
内リズムはある。
個人的には素材の分量が短歌に近いのかもしれな
——
その感覚は書いていくうちに分かってきたもので
い、と思いました。
——
すか。
分量?
だと思います。書いているあいだしか応用できない
分量というか、情報量です。たとえば、ご実家の ことですから。素材を決めることはできないんです。
——
傍の石垣の話だったりだとか、ああいう要素が限られ あるいはまた、経験とはちがうものかもしれない
た短い作品があると思うんです。
では、もともと持っていたものとして?
——
『正弦曲線』に入っているものですね。あれ
ああ。
は連載時に、原稿用紙で五枚から七枚ぐらいでしたが、 電気ストーブの、弱と中と強みたいなスイッチが、
散文で換算すると短歌的な分量になるんでしょうか? 人によっては、最初からあるのかもしれないですね。 『正弦曲線』
よくわかりませんが、注文の枚数に合わせて言葉も 2009年・中央公論新社
詩を書かれた時も、詩のスイッチというわけでは
伸び縮みするので、そういう枠組は大切だと思います。 ——
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装丁や造本へのこだわりですか。
——
完成形って言うか、僕はこういうフランスの本が好
きなんですよ。たとえばこれとかね(テーブルの上の
本を取って)。簡易装丁で、飾り気なし。イラストも
なし。タイトル、著者名、出版社名。それだけです。
大家も新人も区別なく、おなじ表紙になるのが、この
ガリマール社のシリーズ。みんなベージュ系の色だか
ら、書棚がうるさくならない。テカらない。正直に言
うと、いまの新刊の表紙の光の照り返しが、あまり好
全体の、最終的な本の完成形まで気を使われるん
——
ですね。
そんな高級なものじゃないけど、朱っていうのは、
余白にも入れるものでしょう? それが必然的に、造
本への関心と結びつくのかもしれない。
なくて。
○
あれはまちがいなく、外的な要請にあわせてスイッ
チが入ったんだろうと思いますよ。一頁十七行で偶数
朱入れの時はどのようにされるんですか?
頁の区切りにする、最大で八頁とか、そういう条件が
——
あったんです。だから、最初に一語を置いて、そのま ま八頁分、
終わりが来るまでそのあとを追っていった。 ゲラで直します。印刷形式や文字がちがうと、頁の
見え方が変わりますよね。たとえば二段組の雑誌のも
のが、一段組みの書籍になると、景色がぜんぜん違う。
紙の上の眺めは気になります。
職人的な感覚ですか。
——
職人的でない物書きは、いないはずですよ。良い悪
いの問題ではなくて、時間の問題ですが。いい加減に
書いたことはありません。いい加減に書くということ
と、
一晩で書くということはまたべつの話ですからね。
できあがった作品は、それにかけた時間だけでなく、
そこに足を踏み入れたタイミングと侵入角度によって
表情が変わる。
集中力とか体調とか。
——
それはまちがいなく関係します。まわりの言葉との
連携も。日本サッカーのたとえで言えば、どこで縦パ
スを出すかという問題(笑)。まあ九〇分まったくパ
スが来ないこともあるし、ロスタイムにならないと見
えてこない風景もありますしね。それは自分の中でも
わからない。流れのなかで生まれてくることです。だ
から穴は開けないけれど、迷惑はかける。校了日に書
いたりするから。
きではないんです。美しいカバーはいらないし、本体
古いものが、好きですね。どんなものでもってわけ
表紙も厚紙でじゅうぶんです。タイトルも著者名も、 ではありませんが。
近づけばわかるくらいの大きさでいい。
古本屋さんでご自分の本を見かけられたことはあ
——
新潮の文庫本もほぼ同じトーンの装丁ですが、た りますか?
——
とえば、ご自分の本棚に並べたときに、どう並んで見
ありますよ。某中古本ショップで、『熊の敷石』の
えるか、といったことは意識しますか。
親本のサイン本を見つけたこともあります。
意識しますね。背表紙の色を揃えれば、古本屋さん そういうとき、何か感じますか(笑)。
に出たときひとまとめにして、紐で縛って売りやすい
——
でしょう? 新潮文庫に作品が入ることになったとき
は、とても嬉しかったんですが、最初の一冊は試用期 複雑ですね。そのときは、為書きもありましたから
間なんですね。誰にも手にとってもらえなくて消えて (笑)。
『熊の敷石』
行くこともある。そうすると、二冊目はない。あの文 2001年・講談社
ご著書が世間に流通しているのを見るときは、や 庫の背表紙の色は、収録二冊目からしか選べないんで
——
(2004年文庫化)
す。最初は白なんですよ。運よく二冊目が出せれば、 はり嬉しいですか。
その段階で希望の色を選ぶことが許される。無念なの
は、 そ の 白 が い ち ば ん 好 き だ っ た こ と で す ね( 笑 )。 それはありがたいことですよね。ほとんど見たこと
だいたい僕の読者の半分以上は、
でも、それは許されないことだったので、仕方なく選 はありませんけれど。
んだのがグレーです。そのグレーを、他の文庫でも使っ 図書館で借りて読んでくださってる。ときどきいただ
てもらった。これ(『もののはずみ』)も、背表紙はグ くお手紙には、たいてい、もう何度も借りて読みまし
たって書いてあります(笑)。
レーです。
図書館で多くの人に読まれる作家、ということで
○
——
すね。
古書店やボロ市など、エッセイにも度々登場しま
——
おなじ人が、何度もってことですよ。のべの読者は
すね。
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堀江敏幸会長インタビュー
少ない。まあ部数も部数だから、大きな本屋さんでな
保護色?
——
いと、現物がないんですね。
背景と同じ色になっていて、それが短歌なのかどう
○
かわからないんだけど、よく見ると短歌が立ってる、
みたいな。文章の中に埋まっている短詩が好きなんで
今後も散文と詩の組み合わせという形で、作品を す。なにしろ『巨人の星』の世代ですからね、
「文学
——
作られるということはありますか。
は消える魔球だ」と言っても許されるでしょう(笑)
。
大リーグボール2号ですね。ボールの縫い目に入った
砂が強力なスピンで外に出て、ホームベース附近の砂
塵にまぎれて消えたように見える。散文というグラウ
ンドを保護色としているボールのような詩形があって
もいいんじゃないでしょうか。
予定ではなく、予感としては、あると思います。た
とえば、引用の形でね。他者の声を引き入れれば、自
分だけに閉じこもるのとはちがう呼吸になります。段
差があったり空白があるテキストに憧れますね。
詩や小説、エッセイを書くときに出所が一緒、と
——
おっしゃられましたが、その出所というのはどこです
か?
○
そうじゃないですね。異質なものが、保護色の原理
で、一瞬、消えて見える、溶け込んで見えるってこと
だから。幻のようなものです。
では今後また、短歌に関する文章を書く可能性も。 ——
それは、散文の中でのポエジーと言うわけではな
——
くて。
短歌に関する文章かわからないけど、偶然のなりゆ
きとはいえ、せっかく早稲田短歌会を通じて縁ができ
たので、若い人たちに教えてもらって、読者にはなり
たいと思います。少しづつ続けていけば、あと二十年
後くらいには、この一首の力がどこにあるのかといっ
た話もできるかもしれない。短歌には、佐々木幸綱先
生じゃないけれど、屹立する力があると思うし、全体
のなかに溶けない歌の力は見ていきたいですね。とは
いえ、現時点での僕のスタイルから言うと、保護色み
たいな短歌との付き合い方があってもいいと思うんで
すよ。
さっきも言ったように、
いちばんわかりやすいのは、
二十年後にはありうるかも(笑)。現段階では、鑑
賞すらおぼつかないですからね。しばらく前に、ナス
カであたらしい地上絵が発見されたというニュースが
ありましたが、あれとおなじで、誰もそう見ていない
だけで、高度を上げたらじつは人の顔だった、ずっと
高いところから眺めたら、
じつはそこに短歌があった、
という現象があってもおかしくないでしょう。壁の模
様のなかにも、歌があるかもしれないですしね。
では、短歌会から今回インタビューをお願いしま
——
したが、次は短歌を十首お願いするとしたら。
どうなんだろう。それはちょっと、わかりませんね。
でも三十一文字っていうさじ加減が分かってきたら、
それは短歌じゃないかもしれないけど、三十一の文字
の集積になるような球種を探る愉しみにはなるでしょ
う。
もし三十一文字で書け、と言われたら短歌を作り
——
ますか。
○
その日の体調。心身の状態ですね。前後になにがあっ での、あるいは投げられたボールがミットに届くまで
たかという、関係性のなかでしか生まれて来ないもの の、あのかったるい感じがないと、保護色も生まれな
がある。
い。出所というのは、駅のホームの右左なんです。
今日なに食べたかとか。
——
そうです。僕の場合は、それがすごく影響してます
ね。冗談でも韜晦でもなく。たとえばよく寝た日とそ
うじゃない日では、言葉の出方が違う。最終的には同
じような呼吸になって、外からはわからなくなるかも
しれませんが、書いている当人にはわかる。短歌だっ
て、べろべろに酔っ払っていては詠めないわけですか
ら ね。 酒 の 歌 ほ ど 冷 静 な も の は な い は ず だ し。 つ ま
り、最終段階で整えるとしても、出発点とそれからの
道筋のばらつきにも意味があるってことです。昨日の
夜会った人の声や読んだ本の印象がまだ残ってる状況
で書くと、
いつもと言葉の出方が違うって言うのかな、
階段を間違えて上ってきたような感覚に襲われること
がありますからね。JRの高田馬場駅で階段を使って
ホームにあがるとき、右の階段で行くか左の階段行く
かで身体感覚が異なるような感じ。階段をあがって左
手の電車に乗るという日常のリズムがあっても、階段
そのものを間違えて方向が逆になることもあるわけで
す。だけど最終的に、たとえば新宿に行くんだったら、
乗り換えてまた戻れば、外からはなにもわからない。
作品としては成立するんです。だけどその間の、過程
がだいじなんですよ。大リーグボール2号を投げるま
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堀江敏幸会長インタビュー
堀江敏幸会長インタビュー
もしかしたら短歌が潜んでいるかもしれない、と。
——
僕だけじゃなくて、みんなに当てはまることですけ
れどね。散文の、分量の問題ではなくて、この散文の
中に三十一文字の顔が見えますよという読みは、歌を
詠む人が、早稲田短歌会所属の実作者がやってくれな
い と。 そ う い う ア ン ソ ロ ジ ー を 作 っ て み て も い い ん
じゃないですか。ミステリーならミステリーを読んで、
その中にある三十一文字だけ集めるとかね。
繰り返しになりますが、偶然ではあれ、短歌会に引
き入れてもらって世界が広がりましたし、それはすご
く感謝してます。まあ、何もできないけど、新歓コン
パに出て、サークル運営費申請の印を押すだけの会長
として、今後も精進いたします。
これからも短歌会をよろしくお願いします。
——
本日はお忙しいところありがとうございました。
(二〇一〇年一月二十日 堀江先生の研究室にて収録)
堀江敏幸会長・略歴
1964年岐阜県生まれ。
早稲田大学文学部仏文科OB。
1999年『おぱらばん』で三島賞、
2001年『熊の敷石』で芥川賞を受賞。
2007年早稲田大学文学学術院教授に就任。
2009年より早稲田短歌会会長を務める。
(撮影・吉田)
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