新春座談会

「新しい波をつかむ」
新春座談会
(1998年12月5日、北区「芝苑」にて)
出 席 者
静岡理工科大学教授 志村 史夫
狂言師 山口 耕道
映画パブリシスト 岸野 令子
本誌編集部 守田 由雄
司会 辻 一省(本誌編集部)
辻
すが、ゲストの皆さんはほぼ同世代で談論風発の
あけましておめでとうございます。今日は、
物理学の研究者や映画パブリシスト、狂言師など
方ばかりで、例年とはまた一味違う新春座談会を
の芸術関係といった少し異色の方々にお集まり願
お贈りできそうです。まずは自己紹介からお願い
い、
「波」についてご議論願うことになりました。
いたします。
編集部の私ども2人はいささか年がいっておりま
「それぞれの波」|| 物理、映画、狂言の波イメージ
静岡理工科大学の志村です。私の大学には
波ををいちいち数式で説明しようするからややこ
高校まで物理学をやったことがなく、「物理は難
しくなるだけで、私の授業ではまず「昼間青い空
しいものだ」と思っている学生が少なくないので
がなぜ夕方赤くなるのか」というような問題から
すが、物理は元来自然界の現象ですし、難しいは
入ります。そこで「まずは自然現象に親しむ」と
ずがない。それを難しくさせているのは、日本の
いう考え方で、昨年朝倉書店から物理のシリーズ
中学、高校教育の問題です。我々の生活はすべて
を刊行し始めました。その第1冊目が『したしむ
志村
振動と波』で、それを書店で見つけて今日呼んで
「波がらみ」、音も電波も空の色もすべて波です。
21
特集
「波」
「惑星ソラリス」という映画では、宇宙にある知
的生命体が人間の心をビジュアル化するわけです
が、それに出てくる“ソラリスの海”の波模様を
連想したわけです。映画では、こうした「心理的
表現としての波」が非常に良く利用されていま
す。
山口
狂言師の山口です。本来狂言師というもの
は、狂言師の家に生まれて小さい頃からずっと芸
を仕込まれている人々です。僕などは20歳も過
ぎてこの道に飛び込んでやっているものですから、
理屈抜きで芸を仕込まれた人とちがって「理屈を
頭に入れないと身体が動かない」というもどかし
さを感じています。波に関して言いますと、「船
山口
弁慶」という能で、源義経が兄頼朝に追われて船
耕道氏
で西国へ逃がれる際の船頭役が狂言方ですが、急
に雲が現れて荒波が立ち、平知盛の怨霊が現れ
いただいたようです。私は日本とアメリカでそれ
る。その波を狂言師の声と大鼓と小鼓で表現しま
ぞれ10年ずつ足かけ20年間、半導体の研究をし
すが、波を鎮めるのに「叱れ、叱れ」と言うんで
てきましたが、
「世の中は便利になってきたけれど
すね。「波というものは心優しきものにて、叱れ
も、それは人間にとってよくないのではないか」
ばそのまま鎮まるものにて候」という台詞がある
という疑問を持ちはじめ、5年前に「もう一度哲
ように、波というものは叱ったら鎮まるものだと
学からやり直そう」と第一線の研究から足を洗っ
船頭は自信ありげに言いますが、結局荒波は鎮ま
て日本に帰ってきました。以来、日本古代史や東
らず、知盛の亡霊が現れる。こうした言葉と音に
洋思想、最近は生物機能にも興味を持って研究し
よって、舞台の上に立つ波が観客に見えると「い
ています。また、23年前に日本の古典を英訳し
い役者」になるわけです。もう1つ、能狂言の装
ている出版社での依頼で『風姿花伝』を英訳した
束には昔から図案化されている代表的な「青海
こともあります。映画も好きですし、最近は能の
波」など波模様が案外多く使われています。また
観賞に渋谷の観世会館や名古屋の能楽堂に行った
「四海波静かに」というお決まりの文言などは、
りしています。今日はそういった分野の方ともお
四面海に囲まれた国だからそういう言葉が多いの
話できるのを楽しみに来ました。
かなと思いながら、今日寄せていただいた次第で
映画パブリストの岸野です。映画パブリス
す。
トというのは、簡単に言うと宣伝屋でして、いろ
守田
んな映画の配給・宣伝の仕事をしています。
「波」
て、旧国鉄に11年間ほど勤め、職員の健康管理
という言葉から連想したのは、まず東映のタイト
や呼吸器系の疾患を担当しました。その後住吉区
ルの「岩に砕ける波」、それから有名なフランス
で開業して30年経ち、医師歴はもう43年になり
の“ヌーベルバーグ”という映画史上の1つの新
ますから、世間的にはそろそろ引退を考える時期
しい波、日本でもそれを模して“松竹ヌーベルバ
にきています。ものには引き際というのがあると
ーグ”と呼ばれた潮流もあります。一方、映画で
いうことで、97年9月号では「医者の店じまい」
はいわゆる波そのものよりも、波から派生したイ
という特集を佐藤一夫先生と2人で企画しまし
岸野
メージの方が多く使われていまして、ソビエトの
雑誌部の守田です。1955年に医学部を出
た。伊能忠敬は52歳で「大日本沿海輿地全図」
22
新春座談会「新しい波をつかむ」
を完成したわけですが、これから私たちも「第2
私もう66歳で少し遅過ぎますが、そういうこと
の人生」を考えてみる必要もあるのではないか。
を考えています。
波の地域性と物理的な波
辻
い」よう穏やかにというか、波を鎮めるという意
日本においては、波というのは「浮世の波」
とか「水の流れ」という表現のように、時代の変
味の方が大きいですよね。ただし、演劇や芝居で
化や時間の経過という意味に使われることが多い
は“波風を立たせる”というか、波乱がないと成
と思うのですが、これは東洋と西欧、また民族に
り立たちませんが……。
よっても感覚が違うのでしょうね。
志村
辻
一方、物理学的に言えば波というのは上下運
動であり、時間が経ってもこれは変化しないわけ
波に限らず、温帯モンスーンのように豊か
な自然のある地域は「八百万の神」で、何でも神
ですよね。
様になれます。ところが、厳しい砂漠地帯などに
志村
行くと、自然なんかちっともありがたくない。こ
くように見えますが、物理的には波というものは
ういう地域では「絶対神」「一神教」です。だか
あくまでも現象であって、物質自体は振動してい
ら、自然に対する考え方もまったく違うでしょう
るだけです。水の波はちょっと複雑ですが、音も
し、波についても温帯モンスーンに暮らしている
空気の圧力変動が伝わっていくだけで空気自体が
我々とは当然異なったものを感じると思います。
移動するわけではない。球場のウエービングでも
海など生まれてこのかた見たことがない人
人間はちっとも動きません。ただ、光や電磁波だ
が、海で波を初めて見た時に、それをどうとらえ
けは別で、媒質がなくても伝わりますが……。映
るか。そもそも「波」という言葉自体がない言語
画でも芸術でも新しく押し寄せてくるようなもの
もあるのではないでしょうか。映画で心理描写の
として「波」という表現を使うと思いますが、そ
ために波を使う手法でも、その使い方にはすごく
の現象を作っている媒質は少しも移動していない
岸野
人間の目には波があたかもずっと移ってい
民族性があります。いつも荒々しい波がぶつかっ
という点が極めて意味深だと思いますね。
ている断崖に住んでいる人と、白砂清松の砂浜に
辻
住んでいる人とでは、当然波のイメージが異なり
数式を使わないで物理の神髄を教えようとされて
ますし、同じ荒波を使っても、日本人なら、そこ
いる点ですが、数式を使わずに果たして近代の物
で激しい心情を表そうとしているとか、今はもっ
理学を理解できるのか。それを恐れずに、「数式
と複雑な使い方をしますが、かなり違うと思いま
を文章として読め」と書いておられるので、勇気
すね。
のある方だと思いました。
辻
日本人の心情としては、流行歌にしても身の
守田
志村先生の書物で非常に感心させられたのは、
私も数式アレルギーで、数式を見ただけで
回りを見ても、やはり波というのは流れるという
頭が痛くなる1人ですが、経済の本でも数式は出
か、さらさらとした水性な民族の特徴がよく出て
てきます。物理は数式なしで理解できるのでしょ
いると思います。能狂言でも揺られ揺られてとい
うか。
う感じで、何か運ばれて行く。
志村
守田
なければ始まりませんが、ほとんどの人は物理の
よね。
山口
それはレベルの問題だと思うのです。もち
ろん専門家になって定量化するときには、数式が
むしろ潮という感じで、波を使っています
専門家になるわけではありません。数式というの
やはり波には「向こうからやって来る」と
は1つの外国語だと思っています。外国に行った
いうイメージがあります。また「波風を立たせな
23
特集
「波」
ときに外国語ができれば便利なように、数式がい
院生に、「数式や言葉で説明しないで絵に書いて
じれれば便利ですが、物理学がわかったような気
みろ」と言っているのですが、本当に理解できた
になるにはとりあえずは必要ありません。絵に書
らどんな現象でも、絵に書けると思っています。
けることの方がずっと大切です。僕は学生や大学
能狂言における波 || 能の質の変動
辻
日本人には家元思想があると言われています
辻
やはり仏教思想ですか。
が、狂言では女性は正式な舞台には立てないんで
山口
すか。
す。そういうインテリジェンスを感じますし、も
山口
根底には明らかには仏教思想があるはずで
う1つは非為政者というか、物事を「下から見
女性は舞台に立てないという風潮はなくな
ってきたと思います。現に和泉流では女性が狂言
る」演劇の基本のようなところも感じられます。
師として立っていらっしゃいますし、能のシテ方
庇護を受けた世阿弥になってくると、素材はほと
には女性が多いです。
んど古典文学になってきます。「それこそ能の粋
志村
だ」と表現する人もあるので、“芸術家ぶる”と
ああそうですか。すべて男性ばかりだと思
いうと世阿弥ファンに叱られますが、「秘すれば
っていました。
山口
花」という言い方に象徴されるように、表面は静
どの流派にもいらっしゃいます。いつだっ
たか忘れましたが、国立能楽堂の企画で女流ばか
でも内には大きな葛藤を秘めているというのが、
りで能をやったこともあります。しかし、ワキ方
世阿弥の美意識かもしれません。それ以降の「土
はおいでになりませんね。また能は舞台で稼ぐよ
蜘蛛」や「船弁慶」など後半の作品では、スペク
り、お稽古の月謝の方が多いわけですが、趣味で
タクルというのか、派手なアクションが入ってく
稽古してらしゃる人は、能狂言に限らず圧倒的に
る。
女性ですね、岸野さん。
守田
歌舞伎に近くなっていますよね。
やがては歌舞伎という流れになってくるの
岸野
ええ、映画の観客も女性が多数派です。
山口
守田
狂言のお稽古を見ますと、若い25∼6歳
かと思いますが、例えば「土蜘蛛」などではクモ
の巣をパーッとはる。静かな能では面白くないと
の美人の方ばかりで、びっくりしました。
山口
いうのか、もう少し動き回って立ち回りをすると
能というと、皆同じ時代にできたように錯
いうアクションが入ってきます。
覚されがちですが、実は観阿弥・世阿弥から数え
ると200年くらいの間にできたものです。する
辻
と、時代の流れや流行によって、能の質が変わっ
せんよね。
そうしないと、民衆のなかに文化が広がりま
てくるわけですね。観阿弥の能は、説話や民間伝
山口
承を素材につくられています。
もあると思います。
民衆がアクションを求めていたという部分
映画における波 ||人間的と非人間的を揺れ動く
志村
私は小津安二郎や山田洋次の映画が大好き
岸野
で、去年の教育新聞の新年号で山田洋次さんと対
それは私の敵や(笑い)。また別の機会に論
争しましょう。(笑い)
談したんですが……。
守田
24
私はシニア料金で千円で観れるので、時間
新春座談会「新しい波をつかむ」
があれば映画に行きますが、この間「シティ・オ
ブ・エンジェル」という映画を観ました。これは
普通の天使ではなく、人間それぞれについている
守護霊のような存在です。ロングビーチみたいな
ところに、天使がいっぱい立ってるんですが、普
通の人間には見えない。彼らは酒がうまいという
感覚を持ってはいけないし、恋してもいけない。
結局、天使としての規律を破って……。
人間に恋をしてしまって、地上に下りてき
岸野
た堕天使です。天使は、感情や触覚が感じられな
いから、キスをしてもわからないという設定です
ね。
辻
岸野
宇宙人みたいなもんですか。
宇宙人ならわかるのじゃないですか。日本
岸野 令子氏
やアジアのような宗教ではまた違いますが、欧米
の映画によく天使や悪魔が出てくるのは、もちろ
んキリスト教文化だからで、悪魔をつくったのは
キリスト教です。この「シティ・オブ・エンジェ
面で観るのは初めて体験だったのではないでしょ
ル」はドイツのヴィム・ヴェンダース監督の「ベ
うか。つまり、あの作品が非常に優れていたわけ
ルリン 天使の詩」という映画のリメイクで、も
ではなく、映画のさまざまな波のなかで大ヒット
ともと人間を天上から見守っていた天使が人間に
したわけですね。人間ドラマばかりの時代が続く
恋をして地上に下りて堕天使になり、天使として
と、今度はそれに飽きて宇宙や非人間的なところ
の資格を失って人間になってしまうわけです。こ
を舞台やテーマにしたものにいく。しかし映画と
れに限らず、近頃アメリカのハリウッド映画では
いうのはもともと活動写真、アクションムービー
非常に天使ものが多い。これは1つは世紀末の行
ですから、最新技術の機械装置やコンピュータ・
き詰まりの閉塞感からそういうものが出てきてい
グラフィックスなどを使った映画がどんどん出て
るのではないでしょうか。景気も上向きでいろん
くると、再び人間の身体でできることの貴重さ、
な活動が活発な時代には、やはり天使もお呼びが
大地に触れる感覚がうけたりします。それも周期
かかりません。何か悩みがあり、行き詰まってい
的に変わります。例えば数年前に「ダイハード」
るから、人間以外の最初は宇宙人やエイリアン、
というアクション映画がヒットしましたが、あの
そのネタが尽きてくると天使などが出てくるんで
キーワードは主役がずっと裸足でアクションをし
すね。
ていくところにあった。靴を履いていない点が非
辻
常に人間的感覚というか、触覚的なものを表して
そういえば、昨年の「タイタニック」はすご
いて従来にないアクション映画でした。ハリウッ
いヒットだったようですね。
岸野
ド映画の顕著なスタイルは「人間的なものと非人
「タイタニック」の大ヒットは、1つはラ
間的なものの間を周期的に揺れ動く」ことですね。
ブストーリーでもう1つはいわゆるスペクタクル、
コンピュータ・グラフィックスなどを使った大き
な仕掛けで映画のもっている機能を存分に見せる
という2つの側面がこの映画にあったことです。
若い世代はビデオで育ってきていますから、大画
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特集
「波」
世界観の波 ──「思想の輪廻」
山口
まったわけですが、鉄などさまざまなものを見て
僕は狂言をやっているせいか、日本を悪く
したのは江戸時代だと思っているのです(笑い)。
も、室町から急に落ちて、粗悪品になってきてい
室町・戦国時代までは、少なくとも庶民の世界で
ます。その頃、きらびやかなのが好きな秀吉のよ
は下が上を笑う、女が男を笑うというように日本
うな成り上がり者が出てきて、そこから日本の劣
人は大変大らかでした。江戸時代に入って、鎖国
化・退化が始まった。室町時代というのは、1つ
や身分制度の固定、五人組のような相互監視制度
の分水嶺だと思いますね。
のなかで日本人が駄目になったのではないでしょ
辻
うか。
た原因はアメリカの効率主義に負けたということ
辻
で、戦後30年間、日本は効率を上げるために一
江戸時代こそエコロジーの神髄という志村さ
生懸命にやってきたと思うのですが、効率や技術
ん、いかがでしょうか。(笑い)
志村
僕は戦前生まれですから、太平洋戦争に負け
そのものが悪いということでしょうか。
江戸時代は現代と比べれば、はるかによい
それが自然に則った効率なら高めてもいい
時代だったと思いますが、いろんな面から言って、
志村
古代からのよい日本を悪くしたのは室町時代で
のです。例えば、人間本来の活動領域というのは
(笑い)
す。
歩いて行ける範囲のはずですが、いろんな道具を
辻
使って時間や空間を拡大してきました。しかし、
さあやりましょう、やりましょう。(笑い)
1997年にブルーバックスで『古代日本の
そこにはやはり無理があり、キリスト教的文明論
超技術』を出した際に、日本の建築史をずっと調
はその無理を承知で自然にチャレンジして、ここ
べましたが、室町時代を境に技術がかなり変化し
まで物質的にも恵まれたわけですが、結局それは
ています。それまではヒノキなどの針葉樹を使っ
無理なのです。今から2千5百年前のBC5世紀に
ていましたが、室町以降は武士がケヤキの文様が
アイスキュロスが『縛られたプロメテウス』とい
好きでケヤキをふんだんに使うようになります。
う戯曲を書きました。ゼウスがエピメテウスとプ
ケヤキが使えるようになったのは、室町時代に縦
ロメテウスの兄弟神に、「地球上のすべての生き
引ノコギリが入ってきたためで、それまでは手斧
物が絶滅しないように能力をうまく分配しろ」と
で木を打ち割り、槍鉋で加工していたわけですね。
命じたところ、兄のメイテウスは人間にだけ能力
半導体の結晶の加工でも、私は昔の槍鉋のような
を与えるのを忘れてしまう。プロメテウスはこれ
方法が必要だと思っていますが、要するに木目に
では人間は絶滅してしまうと驚いて、神様のとこ
沿って木を割って槍鉋で削る方法は、自然の木目
ろから火と技術を盗んで人間に与えますが、ゼウ
に従順なのです。室町以前の建築物はこのように
スはプロメテウスを厳罰に処すわけです。シナイ
自然にかなった加工をしていました。しかし、室
山の岩山に縛りつけ、鳥に肝臓を食いちぎらせ
町期に縦引ノコギリ(大鋸)が入って来ると、木
る。とてつもない痛さです。肝臓が完全に食いち
目を無視して加工できるから、これは非常に効率
ぎられればそれで終わりかと言うと、食いちぎら
がいい。サッと切れるし、そうなると台鉋も使え
れた肝臓はまた生えてきて、これが永久に繰り返
るようになる。だから、効率はたしかによくなっ
されるわけです。私は高校時代にこれを読んで、
たのですが、木目を無視したためにさまざまな問
ゼウスがなぜ人類の恩人プロメテウスをここまで
題が生じるようになりました。室町から技術が大
罰したのか、まったく理解できませんでした。し
志村
かし、今読み返すと「技術は人類を貧困から救う
きく変わって、効率よく便利になって経済性は高
26
新春座談会「新しい波をつかむ」
福音であるが、技術というのは必然と比べればと
弱いものである」と書いてある。必然というのは
自然です。そして「技術と同時に人間に無限の欲
望を与えてしまった」とすごいことが書いてある
のですね。当時の技術など、せいぜい牧畜程度で
環境破壊なんてほとんどない。しかし、ギリシア
人は技術の行き着く先がすでにわかっていて、だ
からこそプロメテウスを罰したのだろうと私はい
ま思うわけです。
辻
その意味では、私が小学生か中学年の時に観
たチャップリンの「モダンタイムス」はよくでき
ていました。「独裁者」ではアメリカに定着しな
いと自分がやられるという媚がまだありますが、
「モダンタイムス」ではアメリカの物質文明を正
志村 史夫氏
面から堂々と批判しているでしょう。戦後のマッ
カーシズムでは、チャップリンのそういう思想は
危険思想だと見されましたが、ギリシア人は2千
年以上も前から警告を発していたのですね。
志村
ょう。僕は太陽が大好きなものですから、「あい
つらネクラだなあ」と思っていたわけです。とこ
ええ。ギリシア人もやはり八百万の神です。
旧約聖書の創世記の最初に、神様が6日目に人間
ろが、初めて砂漠に行った時にその意味がわかり
をつくって「地上のすべての生き物を支配しろ」
ました。彼らにとっては太陽は熱いばかりの余計
と祝福するところがあります。そういう考え方が
者。太陽が沈んで月が出てきた頃からやっと涼し
現代の科学・技術をつくってきたのはたしかです
くなって活動が始まるわけです。太陽と北風の童
が、同時にそれが限界でした。つまり、人間は生
話などとてもじゃないけれども受け入れられない。
物の一種ですし、生物は大自然のなかのほんの一
こうしたことは、現場行ってみないとわかりませ
存在であるにもかかわらず、旧約聖書が人間に支
んね。
配しろと命じるのは二元論。それが現在さまざま
守田
な問題や限界をもたらし、「観察者と被観察物は
は皆同じ目の色しているから不思議だ」と言われ
分けられない」という量子論に代表される現代物
ました。私たちにしたら、目の色が変わっている
理学になって再び一元論に戻ったわけです。現代
方が不思議なのですが、まったく逆の発想なので
カナダに行った時に、ある人から「日本人
物理は革命的だと言われますが、二元論の科学の
すね。
時代はわずか300年ぐらいで、それ以外の時代は
辻
すべて一元論ですから、一種の「思想の輪廻」だ
は珍しいもんね。
と思っています。
守田
岸野
しかし日本は単一民族ではないにもかかわ
らず、単一だと皆思わされているところに、日本
イスラエル辺りの厳しい自然を生き抜く世
人の問題があるのではないでしょうか。
界観と、いわゆる農耕文化というのは全然異質の
ものでしょうね。
志村
そうやね。単一の民族で一億何千万というの
風土の違いは大きいですね。アメリカにい
た時に周りにイスラエルや中近東の友人がいっぱ
いいて、あの辺りの国旗は皆「三日月と星」でし
27
特集
「波」
新しい波をつくる──担い手づくりの課題
辻
志村
ここのまま進むと、来世紀どうなるでしょう。
辻
これまで栄えたすべての文明も全部衰亡し
視野を世界に広げて、自分自身の価値観を確
立するということですね。
ていますから、現代文明の運命もそうなると思い
志村
ます。だからこそ、個人1人ひとりの哲学という
れようが、世の中に認められまいが、自分の価値
か、人生観・生き方が問われる時代だと思うわけ
観でいくことが大切ですが、ただし、それには
です。大きな塊・集団から抜け出して、周囲の目
“修行”が必要なのです。例えば、量で評価する
がどうであろうと「自分がこう生きる」というも
のは誰でも数えられるから簡単ですが、質を評価
のを持つことが大切になってきますが、日本は集
するのは大変難しいのですよ。結局、民族や宗教
団主義の社会ですから、少し変わったことをする
に関係なく、世界中でいちばん簡単で誰にでもわ
と白い目で見られるので、この点が日本人は極め
かる価値は金ですから、価値観がぐちゃぐちゃに
て弱い。ムカデ競争にたとえれば、ムカデ競争は
なれば、最後はやはり金しか残らない。私はこれ
直線コースで調子が良い時にはバタバタ進みます
からどんどん金本位の世界になっていくと思いま
が、曲がろうとするとひっくりかえる。また、な
すね。
これからは1人ひとりが、他人にどう思わ
かに少し変なのがいても全体がひっくりかえって
辻
しまうわけです。だから、こうした転換期にはム
どう考えておられますか。
カデ競争で縛っている足の縄を解かなければ駄目
志村
なのですが、集団主義に慣らされてきた日本人に
議が開かれて、これから温室ガスを出さないよう
は解く勇気がない。
にしようということを決めましたが、いまは景気
辻
少々波風が立とうとも、アンチテーゼを恐れ
97年12月に京都で温暖化防止会議国際会
を回復しようと言っているわけです。これは矛盾
ずに出していくということですか。
岸野
現在の皆の願いは景気回復ですが、その点は
している。本気で温暖化ガスを出さないというの
映画に引きつけて言いますと、いろんな国
なら、景気には遠慮してもらわなければならない
の映画を観ていただければ、それが可能になると
し、将来の人類や地球環境のためには「不況大歓
思うのです。他人と違っていい、いろんな異なっ
迎」ですよ。また本気で景気を回復させたいのだ
た文化があって、皆それぞれでいいのだというこ
ったら、温暖化防止には遠慮してもらって、環境
とが理解できるわけで、ハリウッド映画ばかり観
が汚れるのは仕方ないことをきちんと認識すべき
ないでほしいということを本当に強調したいです
です。こうした矛盾することが、日本の首相や政
ね。ハリウッド映画は世界を征服していると思い
治家の同じ口から出ているわけで、一方で温暖化
ますが、そこに単一の価値観の押しつけがある。
防止、一方で景気回復とはなりません。口で言う
そこから解放されてほしいわけです。
のは簡単ですが、結局は、豊かになろうとしてひ
守田
そういういろんな映画はどこでやっていま
たすら温室ガスを出して、自然にどんどん衰亡せ
すか。
岸野
ざるをえないでしょう。だからこそ、正に個人の
大きな映画館はハリウッド映画が中心です
生き方や価値観、考え方が問われ、それが自分の
から、少し探していただかないといけませんが、
満足感につながる時代が来るという意味で、僕は
ヨーロッパやアジアなどの映画は、いわゆる「ミ
面白い時代だと思いますね。
ニシアター」という小さな単館の映画館でかかっ
ています。
28
新春座談会「新しい波をつかむ」
女性の波 ──更年期は人類進化の1つの証
志村
タージュして止めるから、下垂体の排卵刺激ホル
人類がいちばん進化したと言われています
が、見方を変えれば400万年前に猿から変わった
モンの量が多くなる。そのために火照るわけです。
くらいですから、生命35億年の歴史の中でいち
卵巣だけが働きを止めてしまったというのは、他
ばんの新参者ですからね。いちばん進化したと威
の動物ではない。この更年期も人類の進化の1つ
張ってみても、逆に言えばいちばんの新参者なの
の現象だと思います。
ですから、自然の中で生きるノウハウもいちばん
志村
面白いですね。
知らないし、しかも文明の利器でいい目をして生
岸野
ということは、男性はまだ進化していない
きてるから、いちばん弱いわけです。
守田
一種の新興成金ですよね。
志村
そこへいくと、ゴキブリなどは数億年のノ
(笑い)。ともかくセックス=妊娠出産という等式
を切り離し、セックスと出産という2つの機能を
分離したのは、人間の知恵かもしれませんね。
ウハウを持ってますから、絶対に滅亡しないでし
辻
ょうね。
ょう。これはコミュニケーションなのであって、
辻
そうです。人間は前向きにセックスするでし
争いを救済したり、群れを何とか平和にやってい
私は婦人科の端くれですが、更年期というの
くことにセックスを使ったわけですね。
は人間の女性だけにオリジナルなものです。男性
は生涯現役、80歳になっても妊娠させることが
岸野
できますが、女性は現在では長い人でも55歳ぐ
ですよね。女性の月経の周期もやはり自然のリズ
らいで排卵をやめます。
ムというか、波を表してると思うのですが、私が
志村
更年期というのは、人生の1つの波の周期
疑問なのは女性にはそれがあるから自分で自分の
人間だけなんですか。それは不思議ですね。
猿や犬猫は生涯妊娠します。もちろん老齢に
1月を28日なら28日ということで、生き方に波
なると流産するかも知れませんが、排卵があるか
というか、リズムをつけることができますが、男
らちゃんと妊娠します。
性は何かのっぺらぼうではないかと思って、それ
辻
志村
辻
をどのようにしていらっしゃるのでしょうか。
(笑
いつからそうなったのですか。
想像力の弱い医者にはよくわからないのです
い)
が、私の想像では数十万年前の氷河期に獲得した
守田
1つの遺伝的なものではないか。つまり、氷河期
躁鬱病は完全に波ですよね。躁鬱病までいかなく
に生き残って栄えた動物はすべて子孫を学習させ
とも躁鬱病的な人はたくさんいます。私もそうで、
るわけで、熊なども学習期間が非常に長いのです
この間ひと月で短い文章を8本も書いたんです。
が、いちばん長いのが人間でした。男性は狩りが
そうなったら後は虚脱状態。だから、そういう波
ありますから、女性が最後まで妊娠・分娩してい
は必ずあります。
ると、学習係がいなくなる。だから、女性が学習
係をできるように自ら不妊にしたということでは
ないでしょうか。でも、それだけ無理なことをし
たわけですから、当然障害が出てきます。顕著な
症状に、顔が熱く火照って仕方ないというのがあ
りますが、その原因は下垂体からは正常な排卵を
命令するホルモンが出るのに、卵巣は働きをサボ
29
男も決してのっぺらぼうではありません。
特集
「波」
創造力と想像力の波動 ||何かを封じることも必要
保団連という保険医協会の全国組織がありま
きましたが、道具は“人間の手の延長”ですか
すが、そこで以前子どもたちの健康に関する全国
ら、道具を使いこなすためにある程度の習熟も必
的なリサーチ「学齢期シンドローム」をやったこ
要だし訓練もいる。ところが機械になって手から
とがあります。最近は、神戸の事件をはじめ枚挙
離れます。しかし、機械のうちはまだ多少は頭を
にいとまがないほど、各地で子どもによる事件が
使うことがありますが、コンピュータに制御され
多発していますが、心理学だけでなく、もっと医
たシステムになるとボタン1つになって、手も頭
学的なアプローチが必要だということで、改めて
もまったく使わなくなる。だから、便利な道具も
全国調査をしようという気運も高まっています。
手の延長の間はよかったと思うんですが、それが
その点、ファミコンやテレビなどの電波映像は、
今なくなってしまったし、子どもに鉛筆を削るこ
子どもたちに対してどんな影響を与えているので
とを禁じたということは、象徴的な問題だったと
しょうか。
思うわけですね。
辻
志村
私が半導体エレクトロニクスの道から足を
辻
それは文部省さえ決心すれば、すぐにでも是
正することができることです。
洗おうと思った理由はいくつかありますが、その
私は、あえて物のない状態で生活するとい
1つがファミコン・テレビゲームです。あれは人
岸野
類を滅ぼします。我々がいろんな情報を得る時に
う体験を、小さい時から必ず経験させないといけ
活字を読むということは、活字は文字1つずつに
ないと思うのです。例えば、映画館はテレビとは
は何の意味もありませんから、頭でそれを連続さ
違って、別空間です。そこには1つのマナーがあ
せ、想像して意味を形づくっていっているわけで
るし、暗闇で観るということも“修行”です。そ
す。ラジオは音だけだからまだいい。テレビは音
ういう訓練をすれば、ひょっとしたら授業中も集
も映像も入っていて、これからバーチャル・リア
中できるかもしれない。それから、最近観たロシ
リティなどになったら、人間の本来の能力がどん
ア映画で、ドキュメンタリーに近い「遠く離れて」
どん退化します。テレビゲームは完全にそれを滅
という映画があったのですが、「革命なんて本当
ぼしますね。私も若気の至りで一生懸命に半導体
にあったの」というぐらい、物も何も揃っていな
の研究して結構業績を上げて、挙げ句の果てがテ
い状態の中で、たとえロシアがどうなっても“ど
レビゲームや携帯電話、バーチャルリアリティー
っこい生きている”人々の話でした。つまりモス
では、と思ったわけですよ。
クワや都会から“遠く離れて”、またこうした機
小学校の先生に聞くと、この10年以内に急
械文明からも“遠く離れて”という二重の意味が
速に集中力が落ち、全然集中できないので授業に
あったと思いますが、その映画では物がないこと
ならないというんですね。これは明らかに最近の
で逆に持つことのできる豊かさが本当にわかるよ
何かの影響だと思いますね。
うに描かれていました。いろんな物に取りまかれ
辻
もう1つ気になるのは、鉛筆を削るのに昔
た環境に生活していると、停電1つになっても困
のナイフがなくなり、鉛筆削りに変わり、いまや
ってしまいますが、実はそうした環境がなくとも
これも使わず、シャープペンシルでしょう。ペス
本当は生きられるわけです。子どもの時からあえ
タロッチも「指の運動がいろんなことを学ぶうえ
てそうした環境をつくらず、体験させないと、自
で基本である」とはっきり書いてます。旧石器の
然にそうはならないのではないでしょうか。
志村
昔からいろんな道具や機械、システムが進歩して
辻
30
映画人も、もっとそういう提言をしないとい
幅広いネットワークづくりこそ連携の基礎
河西 市民病院からレントゲン検査を回してもら
どしたことがなかったわけですが、開業後は 3 年
ったり、うちの患者さんで手術が必要な人はすぐ
に 1 回の国際泌尿器科会議には必ず参加するよう
市民病院に紹介して、入院された場合には週 1 ∼
にしました。すると、移動中の飛行機の中でこれ
2 回は必ず見に行くようにしています。徒歩 1 ∼ 2
まで関係のなかった他の大学の教授と話ができた
分の距離ですからね。しかし、十三市民病院は 2
り、あるいはホテルについて一杯飲んで話したり、
∼ 3 年後に移転することになっていまして、そう
いろんなきっかけで知り合うことができたわけで
す。つまり、国際学会では日本語が通じるのはそ
なるとこれまでのように入院した患者さんを見に
行けなくなるので「これから困るなあ」と思って
こだけですから(笑)、国内ではなかなか話せない
います。ただし、その代わりにこれまで市民病院
相手とも話せるチャンスがあるのです。要するに、
の外来に通っていた近所の患者さんが、今度はう
自分の出身大学だけではなく、他の大学の先生と
ちに来るようになるかも知れませんが。(笑)
も知り合ってネットワークをつくっていくことが
必要なのではないでしょうか。
病診連携、診診連携のコツ
二宮 河西先生は泌尿器の専門医の資格を取られ
ているのですね。
二宮 病診連携をはかる際に、そのポイントとい
河西 専門科で開業する場合は、やはり専門医の
うのはどんなことでしょうか。
資格をとって開業する方がよいと思っています。
河西 まずは病院に関する情報、特に医師につい
ただし、私の場合は専門医制度ができる前から評
ての情報を持っておくことだと思います。十三市
議員をやっていて“移行措置”でもらいましたか
民病院は以前に勤務していたので病院内の事情は
ら、あまり大きなことは言えませんが……(笑)。
判っていますが、実際に開業すれば十三市民の情
それはともかく、泌尿器科の専門医にとって、泌
報だけでは足りません。専門科の場合はどうして
尿器科だけでやっていけるようにすることが必要
も患者さんの地域が広くなりますから、各地域の
だと思います。僕が 77 年に開業した当時は、「泌
病院の実情にも長けている必要があるわけです。
尿器科では飯は食えないから、皮膚科をつけなさ
例えば豊中市民病院や成人病センター、総合医療
(笑)とよく言われたもの
い、内科をつけなさい」
センター、関電病院、住友病院、厚生年金病院の
です。透析の経験もあったので、教授には「もし
泌尿器科の部長さんは誰かとか、また名前だけで
泌尿器科で食えなくなって透析をすることになっ
なくその先生が泌尿器科としてどんな専門かも知
た際にはよろしく」とお願いしましたが、透析だ
っていなくてはなりません。そういうことを知っ
とどうしても“サテライト”になってしまいがち
ていなければ、病診の連携はなかなかむずかしい
です。そうしたくはなかったので、何とか泌尿器
と思います。
科一本でがんばってきたわけですね。しかし、最
二宮 河西先生は阪大を卒業して市大の医局に行
近でも泌尿器科だけでは食えないということで、
かれたので、人脈も広く、いろんな方を知るチャ
内科や皮膚科を標榜されている先生がおられます
ンスが多かったと思うのですが、普通の人はそう
が、そうすると泌尿器科の患者さんがかえって少
いう機会をどうつくったらよいのでしょう。
なくなってしまうのではないか。泌尿器科より皮
河西 学会をはじめ、いろんな場所に“こまめに
膚科の患者さんが増えてしまったり、内科をつけ
顔を出す”ということです。もちろん、偉い先生
ると内科の先生からの紹介が減ることだってあり
にはなかなか話しかけにくいこともあるでしょう
えるでしょう。だから、泌尿器科としてできるだ
が、そのためにも開業するまでに学会発表もある
け単科で開業できるようにすべきだと思います。
程度して、自分の一応の存在価値を示しておく必
僕は心電図の見方もわかりませんし、皮膚科の疾
患はすぐに皮膚科を紹介します。看板に「皮膚科」
要があります。また、僕は開業までは海外旅行な
31
特集「これからの医院づくり」
患者さんは安心して喜んでくれますし、主治医の
先生もきちんと返そうという気になるでしょう。
それを送りっぱなしのまま「患者が返ってこない」
と言う前に、送りっぱなしという状況も少し反省
してみることが必要です。
二宮 現在はファクスで返事をもらうケースが多
いですが、きわめて懇切丁寧な方と何もしない人
との個人差が大きいですね。
河西 そうですね。大将というか、部長や教授の
「管理不行き届き」です。本来は「こういう患者
が来たらこうしなさい」ときちんと教育しないと
いけない。もう 1 つ“二重検査”の問題がありま
河西 宏信氏
す。僕は紹介する場合には、うちでできるレント
ゲン検査はやって、その診断結果を知らせます。
向こうは受け取って CT などのいろんな検査をや
と入れてしまうと、紹介はできませんからね。
りますが、
「膀胱は異常ないということなのでそれ
二宮 病診連携に関して「病院に患者を紹介した
は検査しませんでしたが、それ以外の結果はこう
のに行ったきりで返ってこない」とかよく言われ
でした」という返事がくる。つまり、患者さんに
ますが、この点はいかがお考えでしょうか。
とって“二重検査”がないわけですね。こちらで
河西 市民病院でも、内科の場合にはなかなか返
わざわざきちんとしたデータを出しているのに、
事を書かない先生もいるようですが、うちの場合
もう 1 回検査をやり直すような病院には紹介しま
ほとんど返ってきますから、泌尿器科ではたいて
せん。「あいつがやったのなら間違いではないか。
い返しているのではないでしょうか。もちろん、
もう 1 回検査してたしかめてみよう」ということ
治ったので来なくなったという方や、返事だけを
にならないように、こちらが膀胱腫瘍と診断した
持って来たので「じゃあ一回診ましょう」と言っ
ら、もう手術の場までは膀胱の中を覗かないとい
ても、それ以来こなくなった患者さんもなかには
うぐらいに信頼関係を築いておくことが大切です。
いますが……。
専門科でやれる環境整備を
二宮 それは互いに顔を知っているということも
あるのでしょうね。
河西 そうです。自分が患者さんを紹介して入院
二宮 協会の泌尿器科部会では、今回大阪市議会
された場合には、少なくともその病院へ 1 回は行
に対して「前立腺がん検診の実施を求める陳情書」
って、主治医や患者さんと顔を合わせておく必要
を提出されましたね。
があると思います。
河西 食生活の欧米化などによって、近年前立腺
二宮 その病院がオープンシステムとかセミオー
がんの伸び率は男性の他のがんを抜いてトップに
プンでなくとも、勝手に行くわけですね。
なっていますが、自覚症状が出てからでは手後れ
河西 そうです。病院の主治医の先生がおられる
になるケースが多く、早期発見のための検診の実
わけですから、診療に関することは言えませんが、
施がカギになります。前立腺がんが男性のがん死
主治医に「よろしく頼みます」と言うだけで、手
亡のトップになっているアメリカでは、前立腺特
術が終われば患者さんをちゃんと返してくれます。
異抗原血液検査(PSA)による前立腺がん検診を
入院した段階、あるいは術前・術後に行きますと、
徹底しているわけで、この検査は診療報酬で見て
32
特集
「波」
きます。そういう観る側の遊びというか、自由さ
た一回りしただけで田舎から都会へ。
が能の普遍性なのかなと思っています。だから、
山口
能の面白さを発見するにはきっと年齢がいると思
映像を組み立てているのだと思うのですよ。NH
うんですね。若い10代や20歳そこそこで「能を
K教育テレビで祝日だけ能の放映がありますが、
観て面白い」というのはどうか、果たしてそこま
テレビのカメラでとらえると自分の頭で映像を組
で自由に遊べるのか。年齢が重なってくると、能
み立てるという作業ができないためか、やはりテ
を観るのがだんだん面白くなってきました。
守田
あれも面白いところで、観客が自分の中で
レビ画面では全然面白くないですね。。
狂言で舞台を一回りした太郎冠者が、「何
辻
かと申すうち、早これじゃ」と言いますが、たっ
小さい子どもはだんだんその能力なくなって
きていますよね。
見えない波、聞こえない波も存在する
シーザーは「人間は見たいものしか見えな
が、きっと少数意見です。社会の矛盾をついた文
い」と言いましたが、目には見えないものがあり
学や演劇などが、過去たくさん生まれてその時代
ますね。
に警告を発してきましたが、悲しいことに、結局
守田
その通りです。金子みすずの「星とたんぽ
は大きな流れの中で置き去りにされたまま、世の
ぽ」という詩がありますが、最近書いた『したし
中はずっと動いていると思います。でも、何かこ
む量子論』の見開きページに、その「昼のお星は
ういう仕事をしている人間の必要性みたいなもの
眼に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ。見えぬ
も、やはり同時に感じるわけで、今年もがんばっ
志村
ていきたいと思います。
ものでもあるんだよ。
」という詩を入れました。ま
さにそれですね。波の話に戻しますと、我々の周
岸野
りには電磁波をはじめ、見えないもの、聞こえな
で見ると「寄せる波」に対して「返す波」があり、
いものがいっぱい飛び交っていて、見える光は波
大多数の人と違っていても、「私はこうだ」と押
長0.38ミクロン∼0.78ミクロン、聞こえる音も
し返せるものを自分で持っておきたいなと思って
20ヘルツ∼2万ヘルツまでの非常に狭い世界で、
います。今日はとってもいいお話を伺えました。
見えない、聞こえないゾーンはたくさんあるので
スピルバーグや山田洋次への批判は、また別の機
す。それを守田先生が言われるように、近代科学
会にぜひやらしていただきたいと思います。
(笑い)
波は上下運動と言われましたが、やはり目
というのは我々が認識できる範囲でいろんなこと
志村
考えてきただけであって、自然全体から言えば極
当分の間、波に興味を持って勉強しようと思って
く一部分であるにもかかわらず、人間の傲りで
ます。こんな面白いテーマを設定された編集部の
「これが自然だ」と思ってきたところに、いろん
皆さんの見識に大いに敬意を表したいと思います。
な悲劇が現在起きているわけです。
山口
辻
波というのは非常に面白いのですね。私も
今日は大変興味深いお話をお伺いすることが
できました。とてもお忙しいなか、本当にありが
能力の範囲どころか、人間の目や耳という
とうございました。
ものは、見たいもの、聞きたいものを自然により
(文責/本誌編集部 田村 清)
分けてますよね。僕がやっている狂言なんて言う
のは、矛盾をつくところに可笑しさがあるのです
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