行動経済学 -人はなぜ無駄な消費・貯蓄をするのか

慶應義塾大学
玉田康成研究会 8 期
行動経済学パート
松山美咲
坂本絢香
中村哲也
矢島亮輔
廣瀬裕一
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目次
はじめに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4
1. 経済学の前提・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
1.1 経済学と経済人
1.2 合理性
1.3 自己利益
1.4 経済学の限界
2. 行動経済学・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
2.1 行動経済学とは
2.2 カーネマンの功績
2.3 プロスペクト理論
2.3.1 概要
2.3.2 価値関数
2.3.3 確立加重関数
2.4 ピーク・エンドの法則
3. なぜ人は無駄遣いをするのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14
3.0 本章の問題意識
3.1 考えられる効果
3.1.1 アンカリング効果
3.1.2 フレーム効果
3.2 アンカリング効果を調べる実験
3.2.1 実験アンケート内容
3.2.2 実験アンケート対象
3.2.3 実験アンケートの目的
3.2.4 実験アンケートの設定方法
3.2.5 実験アンケート結果
3.2.6 考察
3.2.7 提言
3.3 フレーム効果を調べる実験
3.3.1 実験アンケート内容
3.3.2 実験アンケート対象
3.3.3 実験アンケートの目的
2
3.3.4 実験アンケートの設定方法
3.3.5 実験アンケート結果
3.3.6 考察
3.3.7 提言
4. なぜ人は無駄な貯蓄をするのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32
4.0 本章の問題意識
4.1 考えられる効果
4.1.1 保有効果
4.1.2 イケア効果
4.2 保有効果を調べる実験
4.2.1 レンタル市場がある財の保有効果の存在を確かめる実験
4.2.1-1 実験アンケート内容
4.2.1-2 実験対象
4.2.1-3 実験設定の目的
4.2.1-4 実験結果
4.2.1-5 考察
4.2.1-6 提言
4.3 より現実的な「無駄な貯蓄」の解消~中古市場の有効活用~
4.3.1 問題意識
4.3.2 実験アンケートの設定方法
4.3.2-1 中古市場と本
4.3.2-2 実験アンケートの設定目的
4.3.2-3 実験対象
4.3.2-4 実験アンケート内容
4.3.2-5 結果
4.3.3 実験アンケート考察
4.3.3-1 各回答の割合
4.3.3-2 保有効果について
4.3.3-3 販売コストについて
4.3.4 提言
4.4 まとめ
おわりに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54
参考資料一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・55
3
はじめに
買うつもりはなかったのに、安くなっていたのでついつい衝動買いしてしまう。もう使
う予定はないのに、売ることも捨てることもなんだか嫌なのでそのまま取っておいてしま
う。誰だって経験のあることだろう。そもそも実例の少ない現象であれば「衝動買い」な
んて言葉が存在するはずはない。
しかしそれは、経済学的に見ると明らかに間違っている。いや、正確に言うと、経済学
では「考えられない」ことなのだ。なぜなら、従来の経済学では、人間は完全に合理的で
あることを前提としており、衝動買いなんて不合理な行動はそもそも想定されていないの
である。
とはいえ、私たちは日々無駄な消費を繰り返すし、無駄に保有する物の数は日増しに増
えていく。では、もし仮に無駄な消費が抑えられ、無駄に物を保有することがなくなれば、
私たちの生活はどう変化するのであろう。使わない物が一掃され、住む部屋は無駄なもの
が一切ないシンプルなものになる。一方で、効率的な買い物をすることでお金に余裕が生
まれる。もしそんな夢のような生活ができる指針が導き出されば、昨今の不景気でお金の
やりくりに困っている人々にとっては願ってもないことだろう。そんな指針が、どこかに
ないだろうか。
「そう!それを提唱するのが、この論文なのだ!」とまではいかないが、そうした無駄
な消費、無駄な保有はなぜ起こるのかというメカニズムを、行動経済学を使って検証する
ことによって、無駄に思える消費・保有行動を少しでもなくすことができるのではないか、
と考えたことが、この論文の出発点となっている。
本論文の流れとしては、まず、従来の経済学の前提に対し問題を提起した上で行動経済
学の考え方を解説、主に唱えられている理論を紹介する。次に、無駄な消費と無駄な保有
という二つの人間の行動に着目し、行動経済学の理論を利用しながらそれぞれの行動がな
ぜ起こりうるのかを実際にアンケートを行って分析する。そして最後に、アンケートから
出た結果と照らし合わせつつ、どのようにすればそれらの行動をより合理的に、無駄のな
いものへと導くことができるのか、微力ながら提言を行っていこうと思う。
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1. 経済学の前提
1.1 経済学と経済人
経済学を学ぼうとするとき、経済人という考え方を理解することは最低限必要なことで
ある。むしろ、経済学を学んでいく上でもはやそれを意識することすらめったにないほど
当たり前のこととなっている。では、その「経済人」とはいったいどのような人物のこと
なのだろうか。
ホモ・サピエンスを文字って作られた「経済人(ホモ・エコノミクス)」は、経済を学問
として確立する際に用いられた人間のモデルのことで、アダム=スミスが最初に提唱した。
私たちが今学ぶことができる経済学のほとんどはこの経済人という考え方を前提として構
築されており、経済人なくして経済学なしとも言えるほどである。
そしてこの経済人を端的に表現すると、
「常に自分の利益を最大にする行動のみを取るこ
とができる人々」と言える。「自己利益を最大化する行動“しか”とらない人々」と言い換え
てもいい。いわば何をやらせてもパーフェクトで、かつとことん自己中心的な、友人とし
て付き合うにはかなりの覚悟がいるだろう人種だ。そしてそうした経済人たちが日本に約 1
億 2 千万人、世界中に約 68 億人おり、どんなときでも、何があろうとも、みなが最適な行
動を取り続けているというのが、経済学が想定する社会でありマーケットである。
そして、その経済人の特徴を端的に表現する上で、
「合理性」と「自己利益」という二つ
が重要なキーワードとなっている。
1.2 合理性
経済人は常に合理的に行動する、というのは果たしてどういうことなのだろうか。分か
りやすい例が、ミクロ経済学で扱う「利潤最大化」であり、
「効用最大化」だ。ミクロ経済
学の基本的な問題では、企業や消費者の利潤(効用)の最大化を求めるものがよくある。
以下に一例を挙げてみよう。
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第 1 財の価格が 150 円、第 2 財の価格が 100 円とする。消費者 A が第 1
財を x1 単位、第 2 財を x2 単位消費したときの効用関数は uA=2x1A+x2A で
あり、消費者 B が同様に消費した場合の効用関数は uB=x1B+x2B である。
消費者 A、B の所得が各 1000 円であるとき、2 人の消費者の効用を最大
化するような消費量をそれぞれ求めよ。
この手の問題はミクロ経済学の基本中の基本といえるものだが、消費者の効用を最大化
することが求められている。主体は完全に合理的な行動を取るもの、という前提に立って
おり、そこでは非合理的なミスをすることは想定されていない。ミクロ経済学をはじめと
した経済学では、このように全ての主体が利益の最大化という目標に対して最適な行動を
取るという考えの下で成り立っている。そうした意味で「合理性」は経済学とは切っても
切り離せない関係にあるといえる。
1.3 自己利益
経済人を説明する上でもう一つのキーワードとなるのが自己利益である。各主体は各々
の利益のみを追求し、自己の利益に関係する場合以外は他者の利益を考慮することはない、
というのが自己利益という言葉が示す意味である。先ほどの例で見れば、消費者の効用を
最大化する際に、消費者はお互いに他の消費者の効用を考慮せず、自らの効用のみを考え
ればよいのである。
だが、経済学を学んでいく中で、この考えの例外のように思える設問に出くわすときが
ある。消費者の効用に他の消費者の行動や利益が関係しているとき、例えば上の問題でい
うと、消費者 A の効用が
uA=2x1A+x2A +uB
となっているときなどだ。しかしこうした問題は、実は例に漏れず、最終的には自己利
益に行き着くこととなる。例えば上の問題では、消費者 A は消費者 B の効用を考慮するも
のの、それは自分の効用のために必要であるからに過ぎず、消費者 A も最終的な目標は自
己の効用を最大化することのみにある。
したがって、仮に人々がボランティア活動を行うとしても、それが巡り巡ってどのよう
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に自らの効用に反映されるのか、具体的な効用の大きさとして計算し、プラスになると判
断されたときだけ行動に移すというのが、従来の経済学の考え方だといえる。
1.4 経済学の限界
ここまで、従来の経済学の考え方の基となっている経済人について説明してきた。徹底
的に合理的かつ自己利益を追求する経済人を前提とした考え方はアダム=スミスの提唱後、
世界中に幅広く行き渡り、現在に至るまでありとあらゆる経済学の礎としてその発展を促
してきた。そしてさらには、現実経済の発展にも大きく貢献し、経済学が与えた影響はい
まや計り知れないものとなっている。
だがしかし、ここで大きな疑問が生まれてくる。現実の人間との間に大きな相違点があ
るように見える経済人を前提とした経済学で、果たして本当の経済を十分に発展させるこ
とは可能なのか、という疑問だ。
今地球上で生活している私たちは、必ずしも常に合理的に動いているわけではないし、
自らへの利益がなくとも利他的に行動することもある。残念ながら超合理的かつ超利己主
義とはとても言い難いのが、私たちの現状だ。
では、実際の人間の行動を正確に把握し、それに即した予測や提言を行ってくれる経済
的な学問は存在しないのだろうか?
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2. 行動経済学
2.1 行動経済学とは
1 章でも触れたように、実社会には従来の経済学の理論では説明できない利他的な行動や
非合理的な行動が数多く存在する。そのような行動を人間の経済行動における“例外”と呼ぶ
ことにしよう。では例外たちは、機械がデータの中からランダムに抽出してくるようにざ
っくばらんな状態で分布しているのだろうか。
実はそうではなく、例外の中にはある一定の法則に従って生じているものが多々ある。
つまり、人々は何かしらの要因をもとにして合理的ではない行動を起こしている可能性が
高いのだ。
そのような例外を、何とかして経済学に組み込めないかという観点から誕生したのが行
動経済学だ。行動経済学は従来の経済学の理論に、脳科学などとも関わりが深く、記憶や
思考、意識、感情など人間の高次認知機能を研究対象とする認知心理学をはじめとした心
理学の視点を取り入れている。この分野では、基本的に合理的な行動を取る人間が時とし
て合理的ではない行動に走ってしまう、いわば人間らしさを残した合理性のことを「限定
合理性」と呼び、人々が経済人であるということを前提としない新たな理論を展開してい
る。
つまりは、この行動経済学こそが現在の数ある学問の中で、先ほどの問いに答えてくれ
るだろう可能性を最も秘めた学問なのだ。
2.2 カーネマンの功績
行動経済学は比較的歴史の浅い学問であるが、その学問の祖として名高いのが、アメリ
カの経済学者、ダニエル=カーネマンである。彼は共同研究者であるエイモス=トヴェルス
キーと共に、これまで経済学ではあまりなされてこなかった実験という手法により、行動
経済学を大きく発展させた。
例えば、人々は意思決定をする際に、しっかりと手順を踏んで厳密に行動を決定する場
合と、経験や直感によってすばやく行動を決定する場合がある。前者はアルゴリズムと呼
ばれ、後者はヒューリスティクスと呼ばれる。時間がかかるが正確な解を導き出せるアル
ゴリズムに比べ、ヒューリスティクスは短時間で大まかな答えを導き出す。そのため、人
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によってバイアス(偏り)が生じ、回答の内容は大きく異なることがある。具体的な例を見て
みよう。
慶應義塾大学経済学部の「ミクロ経済学初級Ⅱ」履修 者(約 200 人)に以下のアンケートを
とった。
質問 1:あなたは宝くじを買おうと思い立ち、宝くじ屋 α を発見しました。
くじA、Bのどちらを買いますか?
A:25%の確率で 2 万 4 千円もらえ、75%で 7 万 6 千円損する。
B:25%の確率で 2 万 5 千円もらえ、75%で 7 万 5 千円損する。
明らかに、くじ B のほうが A より得である。93%の学生が B と答えた。
質問 2:隣にも宝くじ屋 β があります。今度は二つの選択肢から一つずつ選んで組み合わせる
タイプです。
選択 1:くじX、Yのどちらかを選択してください。
X:確実に 2 万 4 千円もらえる。
Y:25%の確率で 10 万円もらえ、75%の確率でもらえない。
選択 2:くじZ、Wのどちらかを選択してください。
Z:確実に 7 万 5 千円損する。
W:75%の確率で 10 万円損して、25%の確率で損得なし。
4つのくじの当たり外れはみな独立に決まります。くじXとYから1つ、くじZとWから1つ選んで、
どの組み合わせで買いますか?
この質問は少し複雑だ。くじ X とくじ W を組み合わせると、くじ A と同じになる。一方、
くじ Y とくじ Z を組み合わせるとくじ B と同じになる。
くじ A はくじ B より嫌われるので、
くじ X とくじ W の組み合わせを選択することは非合理である。結果は以下のようになった。
XZ
XW
YZ
YW
男性(人)
23
89
16
40
女性(人)
3
28
3
7
合計 (人)
26
117
19
47
上記の結果のように、56%の学生がヒューリティクスによって XW と答え、厳密なアル
ゴリズムに則って YZ と答えた人は 9%で最も少なかった。つまり、複数のくじをうまく組
み合わせて、期待利得を高く、リスクを抑えることを、学生は上手くできなかった。学生
は、確実な利得が得られるくじ X を好み、確実な損失が出るくじ Z を嫌った。確実に起こ
ることを重視する心理的バイアスを「確実性効果」と呼ぶ。学生たちはこの確実性効果に
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振り回されたのだろう。
このように、ヒューリスティクスは実験によって比較的簡単に確認でき、またそれによ
る不合理性も目に見える形でデータとして出すことができるのである。しかし、だからと
いって、ヒューリスティクスが悪だと決め付けているわけではない。状況しだいでヒュー
リスティクスは有効に働くこともあるし、アルゴリズムで考えていると間に合わない場合
も多い。つまりは、ヒューリスティクスとバイアスの存在を日ごろから十分に認識するこ
とが大切なのだ。そして、カーネマンはこうしたことをはじめて提唱し、経済学に大きな
衝撃を与えたのである。
ヒューリスティクスをはじめとして、実験によって多くの新たな理論を提唱したカーネ
マンは、ついに 2002 年、ノーベル経済学賞を受賞する。そしてその受賞により、行動経済
学は世界に幅広く知られることとなった。
カーネマンを代表とする行動経済学者たちの功績により、今日ではさまざまな理論が確
立され、多くの人々や学問に影響を与えている。その中でも、今回は行動経済学の代表的
な理論として、プロスペクト理論について紹介していく。
2.3 プロスペクト理論
2.3.1 概要
プロスペクト理論は、従来の考え方であった期待効用理論に異を唱えたことにはじまる。
期待効用理論とは、人々が効用の期待値を基準として行動するというもので、
効用×それが起こる確率
という客観的な数値を基にして計算を行うことが可能だ。これに対し、プロスペクト理論
では人の意思決定は相対的な価値や確率の変化に関係するものであるとして、期待効用理
論の式の「効用」と「確率」の両面を否定、新しい考え方を提唱している。そしてこの考
え方は、先ほど述べたヒューリスティクスによるバイアスを具体化したものとも言える。
日常生活に置き換えて説明してみよう。所持金 1 億円の人が新たに得る 1 万円と所持金
1,000 円の人が得る 1 万円のうれしさの違いは、天と地ほどあるということであり、屋台で
やっているくじが外れる確率が 40%から 30%になるよりも、10%から 0%になるほうがうれ
しい。こうした私たちが現実にうれしく感じるといった「感じ方」を理論化したものがプ
ロスペクト理論であり、前述の例はそれぞれ「価値関数」と「確率加重関数」というプロ
スペクト理論の二つの柱となっている関数が如実に示してくれる典型的な例となっている。
その二つの関数を詳しく見ていこう。
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2.3.2 価値関数
価値関数とは、期待効用理論の「効用」の部分の代替となるものであり、人間が利益を
得たり損失を被ったりしたときに実際に感じる「好ましさ」を関数としてグラフで表した
ものである。
図 1 価値関数のグラフ
このグラフでは、x 軸を損得の大きさ、y 軸をその損得に影響される好ましさで表してい
る。従来の考え方ではグラフは左下から右上へ、原点を通る直線であるはずだが、このグ
ラフでは曲線を描いている。
グラフから分かる特徴として、以下の三つがあげられる。
一つ目に、価値関数のグラフでは利得の場合も損失の場合も、左右両端に近づくにつれ
てグラフの傾きが小さくなっている。この特徴から言えることとして、まず、私たちが感
じる好ましさの変化量は、利得や損失が増加するにつれて逓減していく。つまりこれは、
1,000 円が 1,005 円になるときよりも、10 円が 15 円になるときのほうがより好ましいとい
うことだ。さらに、従来の考え方のグラフと比較して、利得は凸状、損失は凹状であるこ
とから、利得の場面で危険回避型、損失の場面で危険追求型の行動を取ることがわかる。
分かりやすくいえば、私たちはたとえ期待値が同じだとしても、利得に関しては小額でも
確実に獲得できることを好み(確実性効果)、損失に関しては多少のリスクを負ってでも極力
損をしないことを好むということだ。
二つ目の特徴は、たとえ同じ額であっても、利得で増加する好ましさより損失で減少す
る好ましさのほうが大きいということだ。この現象は「損失回避」と呼ばれ、期待効用理
論が想定するよりも私たちは損失に対して過剰に反応し、結果として損失を回避したがる
傾向にあることを示している。これら二つの特徴は、2.2 のアンケート結果にも出ている。
そして三つ目の特徴は、そもそも私たちに「±0」という基準点が存在していることであ
る。通称「参照点」と呼ばれるその点があることによって上記の二つの特徴は成立してお
り、期待効用理論のグラフを見ても分かるように、本来、この参照点がどこにあっても結
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果は変わらず、それゆえにその点が基準となるという考えすらなかったと言っていい。プ
ロスペクト理論では、この参照点、つまり私たちがプラスマイナスゼロと考える点を基準
にすることによって、人間の感じ方をグラフとして表すことができている。
価値関数では以上のような特徴を持っているが、それが顕著に現れる例としてよく取り
上げられるのが株式だ。株を運用する際に、持っている株が値上がりすればすぐに売って
利益を確定させたいと感じ、値下がりすれば株価が回復するまで待って、できるだけ損失
を計上しないように粘ろうと考えるであろうことは容易に想像がつく。そしてこの現象は、
価値関数を用いることによって十分説明できると考えられる。
2.3.3 確率加重関数
プロスペクト理論のもう一つの柱となる確率加重関数。これは、確率に関する人々の感
じ方をグラフにしたものである。図 2 を見て欲しい。
図 3 確率加重関数のグラフ
この図では、p を実際に起こる確率、確率加重(人々の感じ方)を w(p)としており、対角を
結ぶ曲線が確率加重関数のグラフである。
従来の期待効用理論では、効用の期待値、つまり
効用×それが起こる確率
を基本としていたが、この確率加重関数は上の式の後方部分に対して人々は数字どおりの
認識を行っていないことを示している。
このグラフでは、左下の点、つまり確率 0%の場面では事象が起こることをまったく持っ
て期待していない、というところから始まる。ここまではごく当たり前だ。しかし、その
確率が少しでも上がると事情は違ってくる。仮に確率が 5%になると、人々の感じ方として
は実際の 5%以上に期待をしてしまうのである。この現象はカーブを描いて 35%付近まで続
き、それ以降傾きは小さいままで、確率 100%に近くなると急激に上昇している。そして
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100%になるまで人々は実際の確率ほどの期待をしなくなることが分かる。これを全体像と
してみると、人々の感じ方は 35~40%付近に集中するようになっており、このことから人は
「確実に起こる(0%)」「起こる可能性がある」「確実に起こらない(100%)」の三段階で直感
的に判断するのだろうと指摘する学者もいる。
以上のことから、期待効用理論では実際の人間の活動を十分に説明することは難しく、
プロスペクト理論の方が本当の人間により近い理論であると言える。
2.4 ピーク・エンドの法則
プロスペクト理論では、損得や確率について、人々が判断をする際に一定の偏見を持っ
ていることを明らかにした。実はこのようなバイアスが現れる領域は、損得と確率だけに
とどまらない。これから紹介するピーク・エンドの法則は、時間に関する偏見を示すもの
である。
「終わりよければすべてよし」という有名なことわざがある。説明するまでもなく、最
後の段階さえよければ、それまでの経過は関係ないという意味で使われることわざだが、
カーネマンらは実際にこの現象を調査することによって証明し、法則を命名したのである。
カーネマンらが行った調査は以下のようなものだ。
この調査は、ある病気で入院している人を対象として行われた。患者に苦痛を伴う治療
の間、どの程度の苦痛を感じているのかを一分ごとに報告もらう。そして治療が終わると、
その治療の全体的な苦痛の大きさを評価してもらった。
この調査の結果、カーネマンらはある傾向があることを発見した。全体的な苦痛の大き
さは、治療途中に感じた苦痛の最大値、そして治療終盤の苦痛の大きさと相関関係にあっ
たのである。さらに驚くべきことに、治療の長さは 4 分から 1 時間弱と大きく差があった
のにもかかわらず、全体の苦痛の大きさと治療時間の間にはほとんど関係が見られなかっ
た。このことから、カーネマンらは、経験の快苦の記憶は、ほぼ完全にピーク時と終了時
の快苦の度合いによって変えられ、その出来事の時間の長さには関係がないことを突き止
めた。これが、ピーク・エンドの法則である。
この法則は、映画に当てはめると理解しやすい。よほどお気に入りのものでない限り、
映画について最初から最後まで全てを覚えているということはない。話の大まかな流れと
共に、面白かった場面やつまらなかった場面がところどころ記憶として残っていることが
ほとんどだ。そして初見で映画を評価するときには、意識せずとも「見せ場」と「クライ
マックス」が面白かったかによって判断してしまう。ここにピーク・エンド効果が現れて
いる。カーネマンも、過去の出来事は、映画のような連続的な流れとしてではなくスナッ
プ写真のような断片的に記憶されるのではないか、という指摘をしている。
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3. なぜ人は無駄遣いをするのか
3.0 本章の問題意識
私たちは日々たくさんのものを消費しており、今やものを手に入れるためにお金を消費
するという行動は人間にとって必要不可欠となっている。食事を摂る、電車に乗る、洋服
を買う、飲みに行く…。そして、このような消費行動は、「無駄でない消費」と、いわゆる
「無駄遣い」というものに分けることができる。
それでは何が「無駄遣い」で、何が「無駄遣い」でないのだろうか。
私たちは無駄遣いの定義として、「状況に合わせて変化するような消費行動」を「無駄遣
い」とすることにした。つまり、ある状況では購入しないものを別の状況では購入してし
まう、あるいは必要以上に高いモノを買ってしまうような行動のことである。
例えば、あなたが 2 万円の予算を持って洋服屋に行ったとしよう。そこでは一部値引き
が行われており、あなたは定価の 50%ほどで売られているシャツや靴、更にはカバンにま
で目がくらんで予算を超えるほどのお金を遣ってしまうかもしれない。そして買ったもの
のその後十分に活用されない、というケースは往々にしてあり得る。
では、経済学的に見て、無駄遣いはどう捉えることができるのだろうか。
消費を行い経済が活発化するという意味では、たとえ無駄遣いであれもちろんいいこと
として捉えることはできる。しかし、それによる人々の効用、という観点から考えると、
無駄遣いはさほど喜ばしいとはいえない。当然のことだが、無駄な消費を、予算が足りず
に行えなかったほかの必要な消費に回すほうが、経済学的にもはるかに有意義といえる。
さらに、ほとんどの人が無駄遣いを実感したことがあるように、無駄な消費がもたらす経
済的な損失は、かなり大きなものであると容易に想像できる。
私たちはこうしたことから、無駄遣いによる不経済を減らすことで人々の生活はよりよ
いものになるのではないかと考え、行動経済学の観点からアプローチを行おうと考えた。
この章では、明日なるべく無駄遣いをしなくて済むように、財布の紐をコントロールで
きるように、無駄遣いに関するいくつかの原因を、行動経済学的な効果を用いることで解
き明かし、それらへの対策を提案することを試みた。
3.1 考えられる効果
3.1.1 アンカリング効果
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最初に印象に残った数字や言葉が後の判断に少なからず影響を及ぼすことを、アンカリ
ング効果(anchoring effect)という。名前の由来は、船の錨(いかり、アンカー)とされ、船を
止めるために錨を海に下ろすと、船は錨と繋がっている範囲内しか動けなくなる。人間の
判断力にもそれと似たような部分があるようだ。最初に示された特定の数値などに縛られ
てしまう「固着性」から「ヒューリティクスによるバイアス」の一種である。日常の買い
物からビジネスでの様々な場面、株の売買、コミュニケーションに至るまで、非常に広い
範囲で起きる現象である。
では、なぜ無駄な消費を分析する際、「アンカリング効果」に着目しなければならないの
だろうか。3.0 節で定義したように、「無駄遣い」とは「状況に応じて変化する消費」であ
る。何かを購入する際、もし「本日限定」などのアンカーがなければ購入しないのに、そ
のアンカーが存在することで、お得に感じてしまい、購入してしまうことがあるならば、
それはアンカリング効果による無駄遣いと言える。従って、このようなアンカーによって
選択が変化することがあるならば、無駄遣いを分析する際に、「アンカリング効果」に着目
する必要があるだろう。
アンカリング効果が発生してしまう理由として考えられるのは、人間が何かを選択する
際、理由付けをしたがる傾向があるが、その選択が困難であった場合、理由を考える心理
的コストが大きくなり、選択の理由を考えるインセンティブが減少する。結果として、最
初に印象に残った数値や言葉を判断の基準(理由)に仕立て上げることで、心理的コストを下
げて、安易に選択をしてしまうのだろう。
この「アンカリング効果」という現象が初めて『サイエンス』に載ったのは 1974 年とい
う昔のことで、前述のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが確証した。彼
らが行った実験は次のようなものだ。
あなたの前にルーレットのような回転板がある。それぞれの仕切りには数が書いてあり、
回転板をまわすと、針がどこかの数の上で止まる。今回はたまたま「65」という数の上で
止まった。ここで質問。
「アフリカ諸国の中で国連に加盟している国は何%ですか」。次の人
の番では、針が「10」に止まった。ここで、同じ質問、
「アフリカ諸国の中で国連に加盟し
ている国は何%ですか」。結果的には、針が「65」で止まった時の平均的な答えは約 45%だ
ったのに対して、針が「10」で止まった時の平均的な質問は約 25%になった。この実験の
参加者は、回転板で偶然に出た数字であるのに、その数字を基準点(アンカー)にして、回答
してしまったようだ。偶然に出た、問題解決のためには全く価値のない情報をアンカーに
してしまえば、その後に正しい答えを出そうとしても、なかなかうまくいかない。
こんなことはよくある。私たちは力を出し惜しみして、複雑な計算や多くの情報に直面
したときには、目につきやすい、あるいは情報を手に入れやすいデータをもとにして、ま
るでそう思っているかのように、手短な判断をしてしまう(ヒューリティクス)。
お金の問題であれば、そんな馬鹿なことはしないと考えるかもしれない。では、次の問
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題を考えてほしい。
問題 2: 企業Aが一株 2,000 円で株式市場に上場される。市場で張り合いそうなライバル会
社が同じ株価でちょうど 1 年前に上場していた。現在その会社の株価は1 万円になっている。企
業Aの株価は 1 年後にはいくらになっているだろうか。
この問題は、玉田康成研究会 7・8 期生を 2 つのグループに分けて、実際に回答を得た。
上記の問題 2 に答えた一方のグループの回答の平均は 6,107 円だった。もう一方のグルー
プには以下の問題 3 を出題した。
問題 3: 企業Aが一株 2,000 円で株式市場に上場される。市場で張り合いそうなライバル会
社が同じ株価でちょうど 1 年前に上場していた。現在その会社の株価は1,000 円になっている。
企業Aの株価は 1 年後にはいくらになっているだろうか。
問題 3 の、問題 2 との違いは下線部のライバル会社の株価である。この問題 3 に対する
平均的な回答は 1,355 円で、問題 2 とは大きく異なった。言うまでもないが、ライバル会
社の株価はこの問題の答えを左右するものではない。しかし、実際の学生の回答からわか
るように、ライバル会社の株価がアンカーの役割を果たし、少なからず判断に影響を与え
たと考えられる。実際の株式投資の世界でも、過去最安(最高)値を記録したときの株価を目
安に行動してしまうことも、アンカリング効果が働いていると言えるだろう。
このアンカリング効果は、為替の世界でも影響を及ぼすと考えられる。例えば、2009 年
の円ドル為替レートについて、著名なエコノミストが「1 ドル=90 円が円の最高値になる
だろう」と予測したとする。その予測を知った個人投資家は 1 ドル=90 円が投資をする上
で、ひとつの目安(アンカー)になる。実際の為替レートが 90 円に近づいてくれば、エコノ
ミストが出した予測の数字を思い出し、
「そろそろ。円安に転じてもおかしくない」と判断
し、外国為替証拠金取引(FX)でドルを買うといった投資行動をとる。その後、1 ドル=90
円を割って円高がかなり進んだとしても、1 ドル=90 円の数字が頭に残ってしまっている
個人投資家は、円高がこれ以上進むことを想定しづらくなってしまう。このように、投資
の世界で、アンカリング効果にかかって一つの数字に固執してしまうと、大きな損失を被
る可能性がある。
最後に政治の世界におけるアンカリング効果を考えてみよう。記憶に新しい例として、
2009 年 8 月 30 日に施行された衆議院選挙がある。民主党の歴史的大勝利に終わった今回
の衆議院総選挙だが、アンカリング効果が一つの要因になっていると考えられる。民主党
はマニュフェストにおいて子供手当支給、暫定税率の廃止、高速道路無料化など、国民の
生活を直接支援する政策を打ち出した。各マスメディアは財源を不安視していたが、国民
にはすでに「生活向上」というアンカーは降りていた。結果として、民主党への政権交代
が実現したが、昨今では財源確保が難航し、国債発行額が膨張することが懸念されている。
「マニュフェストにこだわりすぎる必要はない」と論評するメディアも存在することを考
えると、マニュフェストは得票のためのアンカーに過ぎないように思われる。有権者には
「マニュフェストというアンカー」に注意しつつ、政策の実現可能性を考慮して、投票を
16
行っていただきたい。
これらの例以外にも、あらゆる場面でアンカリング効果が働いている。消費行動の場面
におけるアンカリング効果は、3.2 節で議論する。
3.1.2 フレーム効果
ある問題の表現のされ方を、判断や選択にとっての「フレーム」と呼び、
「フレーム効果」
とは、フレームが異なることによって異なった判断や選択が導かれることである。このフ
レーム効果の定義は、「状況に合わせて変化するような消費行動」という無駄遣いの定義
ととてもリンクしている。つまり、
「状況の変化=フレームの変化」に対応しており、
「消費
行動の変化=異なった判断や選択」に対応していると言える。よって無駄遣いの原因をフレ
ーム効果に求めることは妥当であると考えられる。この章では、フレーム効果がどのよう
にして無駄遣いに影響を及ぼしているのか、について説明していく。
フレーム効果の具体例として、以下の問題を見てほしい。
質問 1 政策 J が採用されると、失業率は 10%、インフレ率は 12%であり、政策 K が採用される
と、失業率は 5%、インフレ率は 17%である。どちらの政策が望ましいか。
回答: [J: 36%, K: 64%]
質問 1’ 政策Jが採用されると、雇用率は 90%、インフレ率は 12%であり、政策Kが採用される
と、雇用率は 95%、インフレ率は 17%である。どちらの政策が望ましいか。
回答: [J: 54%, K: 46%]
これはクワトロンとトヴェルスキーによって行われたアンケート調査である。2 つの質
問は失業率と雇用率という言葉が異なるだけで、実質的には同一である。J と K では、イ
ンフレ率が 12%から 17%へと悪化しているが、一方失業率は 10%から 5%へと改善してい
る。質問 1’では失業率の改善の方が大きく影響する。一方 1’では、逆にインフレ率の方が
大きなインパクトを持っているのである。ではなぜこのような違いが生まれるのか?
考えられる 1 つの要因としては「価値関数の感応度逓減性(2.3.2 参照)が挙げられる。と
ても簡単に言うと、「人々は数が大きくなればなるほど、小さな変化を気にしなくなって
いく」ということだ。そのため、上記の例で言えば「質問 1 のインフレ率」「質問 1’の雇
用率」という、より大きな数字の変化は比較的気にならなくなり、「質問 1 の失業率」「質
問 1’のインフレ率」という、より小さい数の変化に目がとまったと言えそうである。
17
また、もう 1 つの要因として「人間の損失回避性(2.3.2 参照)」が考えられる。損失を激
しく嫌う人間にとって、ネガティブな言葉はポジティブな言葉よりも目にとまりやすい。
これは、民主党が自民党の「ネガティブ・キャンペーン(相手の政策上の欠点や人格上の問
題点を批判して信頼を失わせる選挙戦術。
広告で他社商品に対して用いられることもある )」
を行って見事政権獲得を果たしたことを考えると、分かりやすいかもしれない(もちろんそ
れだけが理由ではないであろうが)。もう少し具体的に説明しよう。例えば民主党は麻生元
首相の漢字の読み間違えを必要以上に指摘した。しかし実際は、漢字の読み間違えは政治
で中心に挙げられるべき議題ではなくもっと話し合われるべき話はたくさんあったはずだ。
それにもかかわらず、的外れな批判を繰り返した民主党ではなく、漢字を間違えた麻生元
首相に国民の批判は集中した。もちろんこれだけではないが、民主党が自民党批判を繰り
返し、その批判を国民が鵜呑みにしたことにより、2009 年 8 月の衆議院選挙で自民党は野
党に後退した。このように人間はネガティブな言葉に反応しやすいし、何かを褒めるより
はアラを探す方が得意である。そんな人間の性質のため、ネガティブな意味合いの強い「失
業率」の方がポジティブな意味合いの強い「雇用率」よりも目にとまり、2 つの質問で選択
が変わったと考えられる。
これ以外でも、フレーム効果が私たちの判断や選択に影響を与えている例は多く存在す
る。
3.2 アンカリング効果を調べる実験
私たちは、アンカリング効果が人間の実際の消費行動に少なからず影響を与えていると
考え、実際にアンカリング効果が存在するか実験アンケートで確認し、どうすれば消費者
がアンカーに影響ざれず、効率的な消費行動をとれるのか提言する。
本論文では、アンカリング効果が存在するかを確認するためのアンケートとして、
「衣類
と小物における無駄遣い(衝動買い)」というテーマを設定した。
理由としては、実際の消費行動において「無駄遣いしてしまった」あるいは「衝動買い
してしまった」と後悔する財として、一番多いのが「衣類や小物」であると考えたからで
ある。要するに、
「バーゲンで安くて買ったのに、一回も着ていない」といった不合理な行
動をとってしまう人が多いと考え、一番現実味のある問題だと考えたのである。
3.2.1 実験アンケート内容
以下のように、アンケートをタイプ A とタイプ B の二つのタイプに分類し、ランダムに
18
配布したが、質問②は同じ質問である。①において、タイプ A と B の違いに下線部を付し
た(実際のアンケートには付していない)。
(タイプ A)
①あなたはある百貨店に買い物に来ています。すると、デザイン、色ともに好みのジャケットA
を見つけ、以下のような値札がついていました。
¥30,000
一応、他にも探してみようと思い、近くのアウトレットストアに来ました。すると、またデザイン、色
ともに好みのジャケットBを見つけ、以下のような値札が付いていました。
¥40,000¥30,000
あなたは買うとしたら、どちらを買いますか?
②あなたはキーケースを探しています。某有名ファストファッションメーカー ※ で売っている
1000 円のキーケースと某有名ブランドメーカーで売っている 2000 円キーケースがあります。
どちらもデザインは似通っており、キーケースとして最低限の機能は共に持っています。どちら
を買いますか?(※ユニクロ、H&Mなど)
(タイプ B)
① あなたはある百貨店に買い物に来ています。すると、デザイン、色ともに好みのジャケットA
を見つけ、以下のような値札がついていました。
¥30,000
一応、他にも探してみようと思い、近くのアウトレットストア(きず物や売れ残り品を割引価格で
売る特売店)に来ました。すると、またデザイン、色ともに好みのジャケットBを見つけ、以下のよ
うな値札が付いていました。
¥40,000¥30,000
あなたは買うとしたら、どちらを買いますか?
②あなたはキーケースを探しています。某有名ファストファッションメーカー ※ で売っている
1000 円のキーケースと某有名ブランドメーカーで売っている 2000 円キーケースがあります。
どちらもデザインは似通っており、キーケースとして最低限の機能は共に持っています。どちら
を買いますか?(※ユニクロ、H&Mなど)
3.2.2 実験アンケート対象
19
慶應義塾大学経済学部の「ミクロ経済学初級Ⅱ」履修者 214 人(男性 170 人、女性 44 人)
を対象に、実験アンケートを行った (無回答や複数回答の場合は無効として扱っており、以
下の結果にズレが生じている場合がある)。
3.2.3 実験アンケートの目的
経済学が前提とする経済人(ホモ・エコノミクス)は財を購入する際、財が同質であれば価
格が安い方を選択する。また、価格が同じであれば、財の需要は同じになる。この前提は
正しいのだろうか。私たちは、アンカーがない場合にはこの前提に近い結論が出ると考え
たが、アンカーがある場合はこの前提とは異なる消費行動をとると考えた。要するに、状
況の変化によって消費行動が変わるという「無駄遣い」が起きるのではと考え、この実験
アンケートを設計した。
◆ ①の目的:
消費行動の際、「割引前の価格(アンカー)が選択に影響するのか」を調べるためにこの質
問を設計した。質問①を要約すれば、「あなただったら、30,000 円のジャケットと 40,000
円なのに割引価格が 30,000 円のジャケットとでは、どちらを選びますか?」ということで
ある。つまり、ジャケットBの値札の「¥40,000」がアンカーとなって、割引後の価格
「¥30,000」が割安に感じられ、ジャケットBを選択する学生が多いのかを調べることが目
的である。もし、ジャケットBに割引前の価格(¥40,000) の記載がなく¥30,000 のみであっ
た場合、ジャケットの違いが「販売場所」のみとなり、回答は半々もしくは選択できない
といった結果になると考えられる。したがって、この質問①においてジャケットBを選択す
る学生が極端に多い場合は、
「割引前の価格」というアンカーによって変化する消費行動、
つまり無駄遣いをしてしまう可能性が高いと言える。アンケートのタイプを二つに分けた
目的については、3.2.7 節で述べる。
◆ ②の目的:
財を購入する際、「ブランドというアンカーが選択に影響するのか」を調べるためにこの
質問を設計した。この質問を簡単に言えば、「安い某ファストファッションメーカーのキー
ケースと少しだけ高い某有名ブランドのキーケースどちらが欲しいですか?」ということ
である。つまり、
「ブランド」がアンカーとなって、デザイン・機能がほぼ同じで価格が少々
高くても、ブランド品を選択することがあるのかを調べることが目的である。2,000 円のキ
ーケースが「ブランド品」でなければ、間違いなく 1,000 円のキーケースを選択するだろ
う。もし、この質問②のように 2,000 円のキーケースに「ブランド」というアンカーがつ
いた場合に、ブランド品を選択する学生が増加するのなら、
「ブランド」というアンカーに
よって消費行動が変化する(無駄遣いをする)可能性が高いと言える。
20
3.2.4 実験アンケートの設定方法
◆ ①の設定方法(タイプ A のみ):
「割引前の価格」というアンカー(ここではジャケットBの¥40,000)の影響だけを調べる
ために、その他の選択の要素となる条件、つまりジャケット A、B の質(色・デザイン)、販
売価格を同じにした。ここで B を選択した場合、
「割引前の価格」がアンカーとして、消費
行動に影響を与えている可能性が高いと言える。アンケートのタイプ B については、3.2.7
節で述べる。
◆ ②の設定方法:
デザイン・機能ともにほぼ同じとし、価格をブランド品の方を高く設定することで、「ブ
ランドというアンカー」のみが働いていることがわかるようにデザインした。また、ブラ
ンド名を特定しなかったのは、選択の基準となりうる、ブランド名によって生まれる信頼・
安心を排除するためである。要するに、「このブランド(例えばルイヴィトンなど)なら信頼
できる」といった理由でブランド品を選択することがないように配慮した。小物の中でも、
バッグなどではなくキーケースを設定した理由は、キーケースはポケットもしくはバッグ
に入れるため人目にはつかないから、「所得が多い」ことなどを顕示するためといった選択
の理由を、排除できると考えたからである。つまり、「ブランド」という名の実体のないモ
ノを選択の基準にするかどうかだけを調べるためにキーケースを選択した。ここで、ブラ
ンドのキーケースを選択した場合、アンカリング効果が働いて消費行動に影響を与えてい
る可能性が高いと言える。
3.2.5 実験アンケート結果
◆ ①の結果(タイプ A のみ):
男性(人)
女性(人)
合計(人)
ジャケット A
21
2
23
ジャケット B
50
20
70
◆ ②の結果:
男性(人)
女性(人)
合計(人)
1000 円のキーケース
75
13
88
2000 円のキーケース
70
28
98
21
3.2.6 考察
◆ ①の考察(タイプ A のみ):
買い物に行ったとき、上記のジャケット B のように元の値段を線で消して、値引き後の
値段が一緒に提示されている値札をよく見かけるだろう。経済学が前提とする合理的な経
済人(ホモ・エコノミクス)は財が同質であれば、価格が安い方の財を購入する。この問題で
あれば、ジャケットの質はほぼ同じ(アウトレットストアで販売されるジャケットBの方が
質の面では悪いかもしれない)であり、価格は同じ 30,000 円、移動のコストもほぼ 0 に等し
い(二つの店は近い)と考えられるので、A、B を選択する人はおよそ 50%ずつになるはずで
ある。
しかし、アンケート結果は異なった。上記の表からわかるように、A を選択した人は
25%、B を選択した人は 75%であった。この結果はアンカリング効果が働いていることを
示している。もし、ジャケット B の値札に割引後の「¥30,000」という価格のみが表示さ
れていれば、ジャケット A、B を選択する割合はおよそ半分ずつ、もしくはジャケット A
を選択する人の方が多かったかもしれない。ジャケット B の値札に元の料金(¥40,000)が一
緒に提示されていることで、¥40,000 という数字が消費者の頭から離れなくなり、ジャケ
ット B を割安だと感じて飛びついてしまった(衝動買いしてしまった)人が多かったのだろ
う。ジャケット B が販売されているのがアウトレットストア(きず物や売れ残り品を割引価
格で売る特売店)であることを深くは考えずに。これはアンカリング効果による「無駄遣い」
を示唆している。
このような値段の提示の仕方は、他の場面でも頻繁に見かける。例えば、旅行業界を考
えてみよう。2008 年まで高騰を続けていた燃油サーチャージ代のために、大打撃を受けて
いた旅行業界だが、2009 年に入って、航空機のジェット燃料価格が下落し、7 - 9 月発券分
の燃油サーチャージは一旦廃止されていた(同年 10 月から復活)。旅行業界はこの時期、こ
こぞとばかりに正規の料金に×印をつけて、その下に割引後の価格を提示した広告を出した。
これは、正規の料金を一緒に提示することで、それがアンカーの役割を果たして、割引後
の価格の割安感をより強く印象付け、消費者の購買意欲を掻き立てるためだと考えられる。
割引前の価格が一緒に提示されていなければ、冷静な目で判断できるはずが、割引前の価
格が提示されることで、衝動的に「安い」と感じてしまう。この例もアンカリング効果に
よって無駄遣いが生じている可能性があると言える。
家電業界もこの例に漏れない。家電量販店に行くと、様々な家電製品の値札に赤線が引
いてあり、その下に割引後の価格が提示されている。ポイント割引後の価格が提示されて
いることもあるなど、家電量販店の値札には様々なアンカーが潜んでいる。しかも、一旦
買うと決めると、保証などの様々なオプションを勧められ、価格がどんどん釣り上がって
いく。これも、オプションを追加する前の価格をアンカーにして、「安い」という印象を消
22
費者に残しておくからこそ成せる技だろう。最初からオプション価格が一緒に提示されて
いれば、
「高い」と考えて購入を控えるかもしれない。この例においてもアンカリング効果
によって無駄遣いが生じている可能性がある。
◆ ②の考察:
デザインや機能がほぼ同じという条件からして、1,000 円のキーケースを選ぶことが合理
的であると考えられる。しかし、上記の結果を見て分かる通り、53%の学生がブランドのキ
ーケースを選んでいることが分かる。半分以上の学生が「ブランド」というアンカーに影
響された。特に注目すべき点は男女差である。男性に比べ女性は圧倒的にブランドのアン
カーに影響されやすいと言える(男性は約 48%、女性は約 68%)。
高いブランド品を買うのか、安い製品を買うのか。日常生活において、このような選択
を迫られる場面がよくあるだろう。なぜ価格が高くてもブランド品を買ってしまうことが
あるのだろうか。理由の一つとして、「顕示的消費」が考えられる。顕示的消費とは「他人
に対して見栄を張りたい」
、「他人に見せびらかしたい」という欲望を満たすために消費を
行うことである。米国の経済学者ソースティン・ヴェブレンが名付けた。しかし、この質
問においてはキーケースを購入する場面であり、キーケースは普段人目に触れるものでは
ないので、この理由は排除されているはずである。
二つ目の理由として、あるブランドに対する「信頼」が考えられる。常に同じブランド
の商品を買う人、もしくは周りの人が購入しているから購入するという人は、そのブラン
ドの質などを信頼しているために多少高くても購入する。しかしこの理由も、この実験に
おいてはブランド名を特定していないため、排除されている。
最後の理由として、
「ブランド品であればよい商品である」という固定観念が挙げられる。
言い換えれば、「ブランド」という実体のないモノがアンカーとなり、良い商品であると直
感的に考えてしまい、選択の理由となってしまう。この質問において、ブランド品を選択
した人が多いのは、この理由だと考えるのが妥当である。やはり、「ブランド」という不確
かなモノによるアンカリング効果が存在すると言え、必要以上に高いブランド品を買って
しまう(無駄遣いする)ことがあると言える。
ブランド品だからといって、品質がいいとは限らない。多少安いファストファッション
メーカーの商品であっても品質の良いモノはある。ブランド品だから、多少高くても買っ
てしまおうという衝動買い(無駄遣い)をする前に、商品の質を冷静な目で判断し、なぜ価格
が高いのかをよく考慮してから、選択を行ってほしい。
3.2.7 提言(アンカリング効果対策)
ここまで説明してきたように、これほど巧妙なうえに避けがたいアンカリング効果とい
うトラップから身を守る方法はあるのだろうか。
23
1993 年春に、ラトガース大学のグレッチェン・チャップマンとペンシルバニア大学のエ
リック・ジョンソンという、二人の心理学者がある調査を行った。彼らはシカゴ大学の 172
人の学生に次の質問をした。
質問: 翌年までに、アメリカがユーゴスラビアに派兵する確率はどれほどか。
質問にはいくつかのバージョンがあったが、どれも 30%、70%をアンカーにしていた。
学生たちは、示された参照値(30%または 70%)より確率が高いか低いか同じであるかを判断
する。その後で、一部の学生は、派兵が妥当である理由を挙げるように指示され、残りの
学生はその反対の理由を示すように指示された。要するに学生たちは、一方で、彼らに示
された数字のアンカー「に見合った」理由を示すように求められ(たとえばユーゴスラビア
派兵の確率を 70%と判断した場合は、派兵を妥当とする理由を書き、30%とした場合には
妥当でない理由を書く)、また一方では、アンカーの数値とは「相容れない」理由を書くよ
うに指示されたのだ(たとえば、ユーゴスラビアへの派兵の確率を 70%としたときには、派
兵に不都合な理由を挙げ、確率を 30%とした場合には、派兵を妥当とする理由を挙げる)。
その後に、実際に派兵する確率は何%か、書くように指示された。
結果を見ると、アンカーに見合った理由を考えるように指示された場合、アンカリング
効果は強化された。その反対に、最初に示された数値とは相容れない理由を挙げるように
指示された場合は、アンカリング効果は弱かった。最終的には、アンカーが 30%だった時
の学生の判断は、派兵を妥当とする理由を書いた学生(アンカーとは相容れない理由を書い
た学生)の平均は 35%、妥当でないとする理由を書いた学生(アンカーに見合う理由を書いた
学生)の平均は 27%だった。アンカーが 70%だった時の学生の判断は、派兵を妥当とする理
由を書いた学生(アンカーに見合う理由を書いた学生)の平均が 54%だったが、派兵が妥当で
はない理由を書いた学生(アンカーとは相容れない理由を書いた学生)の平均は 35%まで落
ち込んだ。
ここで注目すべき点は、アンカーはさておき、アンカーとは相容れない考え方をするよ
うに指示された学生たちは、アメリカ軍のユーゴスラビア派兵を、平均して同じ確率、つ
まり 35%と見積もったことである。学生たちは健全な批判精神を発揮して(逆方向のアンカ
ーを考えることで)、アンカリング効果をある程度低くするような疑問を持つことによって、
アンカリング効果を抑えたのかもしれない。
では、アンカリング効果による「無駄遣い」への対策として、「降ろされているアンカー
と逆方向のアンカーを考える」という戦略は効果的なのか。ここで、実際に行った上記の
アンケートの①を見てほしい。タイプAの①の結果は、
「¥40,000」のアンカーにかかって、
Bを選択した人が 75%もいた。しかし、タイプBの①の結果は、それとは大きく異なった。
まず、タイプBの①の内容をもう一度見てみよう。
24
①あなたはある百貨店に買い物に来ています。すると、デザイン、色ともに好みのジャケットA
を見つけ、以下のような値札がついていました。
¥30,000
一応、他にも探してみようと思い、近くのアウトレットストア(きず物や売れ残り品を割引価格
で売る特売店)に来ました。すると、またデザイン、色ともに好みのジャケットBを見つけ、以下の
ような値札が付いていました。
¥40,000¥30,000
あなたは買うとしたら、どちらを買いますか?
タイプ A の問題と異なるのはアウトレットストアの定義として、
「きず物や売れ残り品を
割引価格で売る特売店」というフレーズが入っていることである。アウトレットストアの
商品の価格を批判的精神で見られるように、このフレーズを入れた。結果は以下のように
なった。
男性(人)
女性(人)
合計(人)
ジャケット A
39
11
50
ジャケット B
60
11
71
ジャケット A を選択した学生は 41%、ジャケット B を選択した学生は 59%だった。タイ
プ A の場合、ジャケット A を選択した学生は 25%、ジャケット B を選択した学生は 75%
だったことを考えると、「きず物や売れ残り品を割引価格で売る特売店」というフレーズを
入れて、アウトレットストアの商品に対して批判的精神を持たせることで、ジャケット B
に飛びつく学生が約 15%も減少した。ジャケット B が割引されているというプラス方向の
アンカーに対して、割引されている理由、つまりきず物や売れ残りだから割引されている
というマイナス方向のアンカーを少し考えるだけで、ジャケット B に飛びつくといった衝
動買い(無駄遣い)を減少させることができる。ちなみに、女性のジャケット A、B を選択し
た割合が 50%ずつであったことは、母体数が男性より圧倒的に少ないとは言えど興味深い。
おそらく、女性の方が商品の質に対して敏感に反応するということが言えるだろう。
頭の中だけの問題なら、ある決定をしようと思ったら、餌(アンカー)として示されている
数値などはきっぱりと無視するか、少なくとも見直すことができる。例えば、会議で最初
の発言がアンカーとなって斬新なアイデアが出てこない場合、今アンカーとなっている発
言を考え、それを無視して新しく考えてみる、といったことはそれほど困難なことではな
いだろう。しかし、実際の行動、特に消費行動の場面では「アンカリング効果」という概
念が頭に入っていても、アンカーとなる数字を無視して行動することは難しい。さらに、
25
多くの場合私たちはそれほど重要でもないことの決定には、あまり注意を払おうとしない。
例えば、100 円ショップで、つい必要ない商品も、
「これで 100 円なら安い」と感じてしま
い、衝動買いしてしまった経験をした人も多いだろう。ここでは、その商品の値段の相場
がアンカーとなって、割安だと考えて衝動買い(無駄遣い)してしまうのだろう。このように、
アンカーになる数値は上手くカムフラージュされていたり、目につかなかったりする。ト
ラップはいたるところで待ち伏せをしているので、その裏をかきたいと思ったら、「目には
目を(アンカーにはアンカーを)」のやり方を勧める。数値や価格に納得いかなければ、同じ
程極端で逆方向のアンカーを、自分の頭で考えだすのである。そうすることで、批判的な
目でその数値や価格を見ることができ、冷静な判断を下すことができるだろう。アンカリ
ング効果による無駄遣いを減らすには、これが一番有効的であろう。
3.3 フレーム効果を調べる実験
ここからは、先まで述べてきたフレーム効果を確かめた実験を記す。そしてそれを元に
して、消費者が売り手側の利用するフレーム効果に引っ掛からないようにするための対策
を提言していく。
3.3.1 実験アンケート内容
(タイプ A)
③あなたは少し暇な時間ができたので、書店で雑誌を探しています。すると、「国
民の20 人に 1 人が読んでいる!」というポップを見ました。ちょっと立ち読みします
か?
(タイプ B)
③あなたは少し暇な時間ができたので、書店で雑誌を探しています。すると、「国
民の5%が読んでいる!」というポップを見ました。ちょっと立ち読みしますか?
3.3.2 実験アンケート対象
26
慶應義塾大学の学生約 200 人を対象にアンケートを行った(無回答や複数回答の場合は無
効として扱っており、以下の結果にズレが生じている場合がある)。
3.3.3 実験アンケートの目的
このアンケートの目的は「20 人に 1 人」と「5%」という 2 つの表現の違いで、人々は判
断を変えてしまうのか?つまりフレーム効果が存在するのかを確かめることであった。そ
してその結果から、フレーム効果の原因の 1 つと推測している「価値関数の反応逓減性」
に帰着したいと考えた。以上の流れを通じて、消費行動におけるフレーム効果への対策へ
結びつけることが最大の目的である。
3.3.4 実験アンケートの設定方法
ここでは、このアンケートを設定するまでの経緯について説明していきたいと思う。ま
ず、当然ではあるが消費行動の一環として組み込まれていること。そしてこれに、「価値
関数の反応度逓減性」へ持っていけるような数値が入っていること。あとはできる限り推
定バイアスを取り除くことに注力した。一般に、消費行動におけるフレーム効果を確かめ
る有名な話と言えば「○○円引き」と「○○%引き」の 2 つのフレームの違いによって選択
が異なる、というものがある。しかし、これでは「値段による違い」というバイアスが生
じてしまうと考えた。つまり、定価 500 円の商品の値引きと定価 10,000 円の商品の値引き
では結果に違いが出てしまい、最適な値段設定が難しかった。そこで「○○人に 1 人」と
「○○%」というように人数の割合におけるフレームの違いを採用した。
また、対象である学生はまだ所得が少ない人がほとんどなので、お金に対して過度に敏
感であると考えた。そのような人たちに「買う」か「買わない」の極論的な 2 択を与えた
のでは、圧倒的に「買わない」に偏りが生じ、下手をしたらフレームの違いによる結果の
違いが生まれないかもしれないと考えた。そのような最悪の事態を防ぐためにも「ちょっ
と立ち読みしてみる」と「素通りする」という、より身近な選択肢を与えることにした。
3.3.5 実験アンケート結果
27
タイプ A
男性(人)
女性(人)
合計(人)
立ち読みする
39
15
54
素通りする
56
4
60
タイプ B
男性(人)
女性(人)
合計(人)
立ち読みする
18
7
25
素通りする
49
15
64
3.3.6 考察
A では 47%の人が「ちょっと立ち読みする」というように興味を示した(女性が極端に少
ないので、男性だけの結果を考察してみると約 41%が立ち読みを選んだ)。また B では 28%
の人しか雑誌に興味を示さなかった。(ここでも男性だけに注目してみると、約 27%が立ち
読みを選んだ)
この 2 つの結果を比べてみると、A の方が「ちょっと立ち読みする」確率が高い。つま
り、実際には同じであるにもかかわらず「20 人に 1 人」は「5%」より、多くの人が読んで
いる印象を与えているということが分かる。
この原因は何であろうか?
考えられる要因に「価値関数の反応度逓減性」がある。具体的に言うと、人々は「5%=100
人に 5 人」と頭の中で無意識に置き換え、「100 人に 5 人」と「20 人に 1 人」を比べるこ
とになった。そして数が大きくなるほど変化に鈍感になる人々の性質からして、「20 人に
1 人」の方が大きな割合に映ってしまった、と考えられる。
また、先ほど挙げたもう 1 つの原因「損失回避性」についても言及しておきたい。この
アンケートでは「20 人に 1 人 or 5%が読んでいる」としたが、もし「20 人に 19 人 or 95%
が読んでいない」としていたら結果はどうなっていたであろうか?当然ながら、ほとんど 0
に近い割合の人しか興味を示さないであろう。つまり、お店側は「本を買うこと=損失」と
思われないようなポップの書き方をしていると言える。
28
また、逆に「買わないこと=損失」と思わせることも重要な販売戦略である。以下の例を
見てほしい。
質問 2
A「この家の省エネ対策をすると、年間4万円の節約ができます。」
B「この家の省エネ対策をしないと、年間4万円損をします。」
さてあなたならどちらにより強いインパクトを感じるだろうか。おそらく「B」と答えら
れる方が多いのではないかと思われる。つまり A よりも B を広告に使った方が、販売が促
進されるということだ。このように我々の「損失回避」をいう性質は販売戦略に利用され
ているのである。
3.3.7 提言
ここまで見てきたように、フレーム効果も、私たちの判断・行動に多大な影響を与える。
消費行動も、フレームの違いによって変化してくる(つまり、無駄遣いしてしまう可能性が
ある)。それではフレーム効果に引っ掛からないためにはどうしたらよいのだろうか?これ
からその提言をしていきたいと思う。
フレーム効果に引っ掛からない対策として結論から述べると、「同一の意味を持つ別の
表現(=フレーム)に置き換えてみてから総合的に判断することを心がけること」である。以
下、ポイントを 2 つに分けて具体的に見ていこう。
① 価値関数の反応度逓減性を意識
人々は大きな数になればなるほど、わずかな変化に鈍感になる。逆を言えば小さい数の
場合はわずかな変化にも敏感であるということである。売り手は買い手のこの性質の両面
を利用してくることがある。
今回のアンケートでは「小さい数の変化に敏感」という後者を利用していた。消費者に
とって、より大きな数字に見えた方が魅力的なもの(ex.愛用者の割合)はこの性質を利用する
と効果が大きいと考えられる。
次に「大きな数の変化に鈍感」という消費者の性質を利用している例として、家電購入
時に加入を勧められる保険がある。例えばテレビやステレオなど電化製品を買うと、「500
29
円で 2 年間の延長保証に入りませんか?」などと勧誘されて、つい入ってしまった人もい
るのではないだろうか。しかし今テレビやステレオを 2 年間の保険無しで入っている人が、
新たに 2 年間の保険に入るだろうか。大きい金額の買い物をすると追加の金額が小さく見
えてしまい、また壊れた時の損失を想像してつい延長保険に入ってしまうのである。消費
者の価格弾力性が鈍いところは売り手からしたら、価格をつり上げるチャンスであるのだ。
以上のように、売り手は巧みに消費者心理を突いてくる。通販での愛用者の割合に心が
揺らいだときや、何かのクラブ会員になって更にオプションを勧められ、「まあよいか」
と思ったときなどは、今一度冷静になって、本当に必要なものかを見極める必要がありそ
うだ。
② 損失回避性
人々は損失を極度に嫌う。そして、そんな人間の性質を利用して我々消費者を引っ掛け
ようとしている売り手は少なからず存在する。
買わせるためには、まず自分の売りたい製品を買った時の損失を想像させないことであ
ろう。そこで先ほどの実験で示した様に、その製品についてなるたけプラスになるような
表現でPRしてくるのが必然的であろう。
あるいは、損失を軽減することを重点にPRしてくることも考えられる。損失を嫌う消費
者は「損失を回避できる」というイメージの他に「確実に被ってしまう損失を軽減できる」
というイメージにも弱い。たとえば、私たちの身近な問題として就職活動がある。そして
就職活動における多大な不安を解消するために、ロクに中身も見ずに有名な就活本を買っ
てしまったりする。結果的に途中で投げ出して何も身についていない、なんてことはよく
聞く話である。また、(3.1.2)で示した様な、自分の力だけではどうにもならないような確実
な損失である、失業率を軽減してくれるような政策はとても魅力的に映る。
また「その商品を買わないこと=損失」とイメージさせる戦略が考えられる。人々が詐欺
に引っ掛かるのは「その商品を買わないと~という損をする」ということを具体的に刷り
込まれるからであろう。
以上のことに引っ掛からないようにする意識としては、自らの損失を回避、あるいは軽
減するための手段が他にないか検討した上で購入を決定すること、買わないことは損失で
はないのではないかと再考してみることである。
30
4. なぜ人は無駄な貯蓄をするのか
4.0
本章の問題意識
私たちは普段、物や金を持っていることばかりに執着し溜めてしまってばかりいないか。
溜めるよりもきっと有効な利用方法があるはずなのに、見て見ぬふりをしてしまってはい
ないか。そう考えると私たちの日々の保有行動にはあまり合理性がないように思われる。
具体例を少しみてみよう。
なぜだろう。昨今の不景気の時代、私たちが今後の非常事態に備えて好況時よりも多く
貯金をしてしまっているのは。不況時の方が好況時よりも金の価値は高まって、より有意
義に使うことができるはずなのに。金を持つことで安心し、貯めたがる。
なぜだろう。自分で稼いだ金を、人からもらった金より慎重に使おうと努める、もしく
はなるべく使いたくないと思うのは。特に高齢者は、ライフサイクル理論によれば、余生
に貯蓄をせず消費をし続けることで効用を最大化できるはずなのに、現実には貯蓄がされ
続けている。
なぜだろう。日本で土地が利用されずに空き地になっている光景が目立つのは。土地を
上手く運用することができれば、所有者だけでなく潜在的な利用者の効用を高められるし、
ひいては社会の厚生すら増加させられるはずなのに。
なぜだろう。もう二度と読まないであろうハードカバーを捨てられないのは。そのハー
ドカバーを売れば金という価値を手にできるし、本の置いてあったスペースを活用して効
用を高められるはずなのに。
このように、私たちの日々の生活は合理的な経済人では取り得ない保有行動で満ち溢れて
いる。しかし、私たちは普段何の違和感もなくこの不合理な保有行動をとり続けている。
なぜだろうか。
「なぜ人は不合理な保有行動をとりやすいのか」に行動経済学的観点から答えるのが本
章の第一のテーマであり、そして「では、上手く保有するためにはどのような制度設計が
望ましいのか」を考察するのが本章の第二のテーマである。
4.1 考えられる効果
我々が不合理な保有行動をしてしまう理由として考えられる行動経済学的効果として、
保有効果・現状維持バイアス・損失回避の概念が挙げられる。以下、それらの概念につい
て説明していく。
31
4.1.1 保有効果
(1)まず、保有効果とは、あるものを手放す代価として、それを手に入れるためになら喜
んで支払う額以上の金額を要求する思考のパターンである。この効果のせいで、合理的な
取引や財の有効な使用が妨げられてしまう。その意味で、この思考パターンは人間の不合
理な行動の表れであるといえる。具体例でみてみよう。
例えば、買った当時には 100 万円の価値であった愛車を 2 年後に任意でない何らかの理
由により手放さなければならなくなった時、最低でも(購入時の 100 万円より高い)150 万円
で売りたいと考える場合がそうである。この例で考えると、売りたいと思う価格が市場で
は受け入れられなかったら、その財は所有者の元に残されることになる。もし、所有者が
不当に高い売値をつけて財が所有者の手元に残ってしまったら、それは合理的な取引が所
有者の保有効果によって妨げられてしまっていることを意味する。よって、このときの所
有者の行動は不合理であるといえる。
このような事例は日常生活で多くみられるであろうが、自己の所有物に対して客観的な
価値よりも高い価値を設定するとき、それが正当な理由に基づく評価であれば合理的と考
えることができるが、歪んだインセンティブによってその評価がなされていることが多い
というのが不合理さの所以である。
(2)そして、以上のような現象は人間の不合理な三つの奇癖によって起こると考えられる。
・一つ目の奇癖…客観的には同じ財であっても自分の持っている財の方に惚れ込んでしま
うというもので、これが正しく保有効果を表している。
例えば、10 年使った時計を同種の新品の時計と交換できる と言われても、多くの人は愛着
ゆえに交換を望まないであろう。これは、自分の持っている時計に惚れ込んでしまってい
るゆえに価値を高く見積もってしまっているからといえる。
・二つ目の奇癖…手に入るものではなく失うかもしれないものに着目し、できるだけ損失
を避けたいという心理がはたらくというものである。この奇癖は現状維持バイアスという
概念で説明できる。現状維持バイアスとは、現状を変えることよる不利益の方が利益より
も大きいと感じ、人が現状を維持しようとする思考パターンを意味する。そして、以上の
現状維持バイアスの多くの事例が損失回避の概念で説明できる。損失回避とは、効用の決
定要因は富の多寡にあるのではなく、物事を悪化させるような変更は物事を良くする変更
に比べて重大に見えるという考え方である。
・三つ目の奇癖…他の人が取引を見る視点も自分と同じと思い込んでしまうという心理状
態が挙げられる。先ほどの車の例であれば、自分が愛車と共に過ごした 2 年分の思い出や
時間に対する価値を、赤の他人である取引相手も同じように考慮に入れてくれていると自
然に思い込んでしまっているのだ。
32
4.1.2 イケア効果と仮想の所有意識
また、以上のような保有効果をより高めてしまう要因としてイケア効果と仮想の所有意
識の概念が挙げられる。
イケア効果とは、家具会社のイケア(低価格で販売されているが、多くの家具は自分で組
み立てる仕組みになっている)に由来して名づけられたもので、自己の所有する財に手間暇
かけた分だけ所有意識が高まり、その財の価値を過大評価してしまう効果である。
まさに、カスタマイズされた自動車などがその例である。自分仕様にカスタマイズするこ
とで所有意識が高まり、カスタマイズにかかった費用分よりも高く車の価値を見積もって
しまう。
そして仮想の所有意識とは、実際には自己の所有には帰属していない財をあたかも自分
のものと思い込んでしまい所有意識が高まってしまうという理論である。例えば、オーク
ションを例に挙げれば、入札段階では当然対象物は自己の所有物となっていないわけだが、
入札を繰り返していくうちに「この財を所有したい」という思いが強まり、本来の評価額
より上の入札をしてしまうのである。また、同じような例としてお試し販売が挙げられる。
始めは財を期間限定で無料提供し、期間終了後も継続して財を所有したい場合にはそこで
初めて代金を支払うという方法だ。この販売方法を利用すれば、消費者の所有意識を高め
ることができ効果的に販売ができるので、良く利用されている。
4.2
保有効果を調べる実験
以上、保有効果の概念を具体例とともに説明してきた。これからは、保有効果が存在す
ることを実験アンケートで確認し、得られた結果を元に消費者にとって効率的な制度設計
構築の方法を考察していく。
そして、本論文では保有効果を確かめる実験として「CD と本の無駄な貯蓄」という身近
なテーマを設定した。(本章では「無駄な貯蓄」とは、保有効果に基づく不合理な保有行動
と定義する。)
なぜ CD と本という財を選んだのか。それは CD には大規模なレンタル市場が、本には
大規模な中古市場が存在し、これらの市場が保有効果の存在を前提とした効率的な制度設
計に役立つと考えたからだ。(なぜレンタル市場や中古市場が役に立つかは次節以降の提言
の中で詳説する。)
話が少々抽象的で分かりにくくなってしまったので、実験に入る前に本という財の保有
効果についてイメージを湧かせてみよう。まず、
「もう二度と手にとらないであろう本が、
33
部屋の本棚に沢山並べてある」という状況は保有効果の存在を顕わしている。なぜだろう
か。前提として、この本は当人にとっては価値がゼロであると考えよう。そのとき、その
本を売りに出せば金という価値を得られ効用を高められるし、その本を処分することでで
きた空間を有効に用いればまた効用を高められる。その意味でこの状況は不合理であり、
保有効果によって効率的な取引が妨げられてしまっているのである。では、どのようにす
れば効率的な制度が設計できるか…ということは次節で考えていくことにする。
4.2.1
レンタル市場がある財の保有効果の存在を確かめる実験
この実験では大規模なレンタル市場が存在する財として CD を取り上げた。なぜレンタ
ル市場のある財を選んだのか。それは前述のようにレンタル市場を効率的に活用すれば、
保有効果の存在を前提にしても、きっと消費者の効用を高められるに違いないと考えたか
らだ。
つまり、保有効果を生じさせる要因(ここでは所有欲と呼ぶ)をレンタル市場でコントロー
ルして消費者の効用を高めてしまおうというわけだ。(保有効果を生じる要因の詳細につい
ては実験で調べていく。)
どういうことか。具体例で見ていこう。まず、音楽市場においての消費者の合理的な価
値基準は曲への選好のみと仮定する。しかし実際には、例えば好きなアーティストの CD を
買おうとしている人はその所有欲ゆえ、
曲だけを i-tunes でダウンロードすることを好まず、
できるだけ CD を買いたいと思っている。その反面、その人の所有欲がそこまで大きくな
いのであれば、CD を買わずとも一定期間レンタルすることでその人の所有欲を満たすこと
ができるのである。このとき、CD を買うよりもレンタルすることでコストは大幅におさえ
られるし、その人もレンタルすることで満足するのだから効用も下がらない。よって、所
有欲の存在を前提にして、レンタル市場が存在することで、全体として効率性が向上し消
費者の効用もアップする。
以下、このような想定が現実世界でも適用されうるかを実験で確かめ、そしてレンタル
市場をうまく活用すれば所有欲に基づいた保有効果を上手くコントロールすることができ、
消費者の効用を高めることが可能だということを提唱したい。
4.2.1-1 アンケート内容
34
問1. あなたが最も好きな歌手が新曲(シングルCD1枚)を出します。
あなたは以下のどの行動をとりますか。
①CDを買う(1,000 円) ②1カ月待ってレンタルする(500 円)
③3カ月待ってレンタルする(300 円) ④i-tunes で買う(100 円) ⑤買わない
問2. CMで聞いた曲がいいなと思い、今まで知らなかった歌手の曲ですが
手に入れたいと思いました。
あなたは以下のどの行動をとりますか。
①CDを買う(1,000 円) ②1カ月待ってレンタルする(500 円)
③3カ月待ってレンタルする(300 円) ④i-tunes で買う(100 円) ⑤買わない
問3. あなたが最も好きなシングルCD(定価 1,000 円)をいくら以上なら売りますか。
また、そのCDが好きな理由を教えてください。
4.2.1-2 実験対象
慶應義塾大学経済学部生 200 余名(無回答や複数回答の場合は無効として扱っており、以
下の結果にズレが生じている場合がある。)
4.2.1-3 実験設定の目的
◆ ①~⑤の選択肢設定の理由
~保有していない時にどれくらい保有したいと考えるか、保有効果の要因・バイアス~
まず保有効果をもたらす要因は、CD を購入するか否かの決定にも表れるはずである。つ
まり、所有したいと強く思う人(保有効果も高いであろう人)は CD を購入するのに対し、
そうでない人はレンタルやダウンロードで済ませてしまうだろうということだ。
そこで、以上のことを確かめるために問1と問2で選択肢を4つずつ設けた。①を選ぶ
人はジャケットや歌詞カード、または「持つ」ことに価値を見出す人である。④を選ぶ人
は CD の価値を純粋に曲にのみ求める人である。②と③を選ぶ人は、①と④の中間に位置
しているといえ、②の人の方が③よりは割引因子が大きいと考えられ(15 ドルに対しての 1
年間の割引率が 0.39 であるというセイラー教授の実験結果を参考にしている)、所有欲が高
いといえる。
このような、人による選好の違いを把握した上で、レンタル市場や音楽配信サービスが
「無駄な貯蓄」をなくす上でどのように活用されるべきかを考察したい。
◆問 1 と問 2 の比較
~CDの価値は何によって決まるのか、保有効果が生まれる要因・バイアス~
35
前述のように、保有効果をもたらす要因は CD を購入するか否かの決定にも表れるはず
である。
例えば、人が CD の価値を曲の良さでしか評価していないのならば、問 1 と問 2 で選ぶ
選択肢は同じになるはずである。しかし曲以外の価値基準が存在するならば、問 1 と問 2
で選ぶ選択肢が異なるという結果が出るであろう。そして曲以外の価値基準が存在するこ
とが判明したら、それは保有効果の要因と考えられる。
そこで、問 1 と問 2 で選ばれた選択肢を比較することによって、人は CD に曲だけを求
めているのではないことを確かめる。つまり、曲の良さ以外の「その他の要素」も CD の
価値を高め、それが保有効果をもたらす要因であることを確かめる。
そして、
「その他の要素」として何が挙げられるのかを問 3 後段(「CD が好きな理由」)
で把握する。
例えば、
「そのアーティストの CD は今まで全て買っているから」という回答があったな
らばそれは正しく保有効果(現状維持バイアス)の要因である。たとえ新たに発売される CD
が真に自分好みのものではなかったとしても、現状維持バイアスの存在ゆえに購入に至っ
てしまうのだ。また、
「持っているだけで嬉しい、その曲に思い出があるから CD という形
で保存していたい」といった回答も保有効果の一要因だと考えられる。それは、客観的に
は自分の所有している CD と市場の CD は同一のものであるのにもこだわらず、
「自分が所
有している CD」に希少性を感じ、価値を高く設定してしまっているからだ。この傾向は特
に「初回限定版だから、レアだから好き」という回答に顕著に表れている。この時、単純
に考えると、レア物は需要と供給のうち需要が大きいのだから市場価格が高くなり、人々
が価値を高く設定するのも当然のように思える。しかし、「レアだから好き」と回答して
いる人は、市場価格が吊りあがりそうだから所有しているのではないことが通常である。
よって、「初回限定版だから、レアだから好き」という回答には単に客観的な希少性に対
する価値のみならず先に述べた主観的な希少性に対する価値が表れていて、それは即ち保
有効果の一要因を示していることとなる。
◆保有効果の存在を確認
さらに、問 3 の状況では合理的な人間であれば定価以上(1,000 円以上)で売り、新たな CD
を購入すれば差額分だけ儲けを得るはずである。このとき極端に高い値段や低い値段で売
ろうとする人がいた場合、それは何を意味しているのか。保有効果の観点から考察する。
4.2.1-4 結果
36
・問 1
90
80
70
60
50
40
女性
30
男性
20
10
0
①
②
③
④
⑤
①男性:58 人
女性:20 人
③男性:10 人
女性:6 人 ④男性:60 人 女性:9 人
⑤男性:8 人
②男性:12 人 女性:18 人
女性:3 人
・問 2
120
100
80
60
女性
40
男性
20
0
①
②
③
④
⑤
①男性:17 人
女性:2 人 ②男性:18 人 女性:12 人
③男性:25 人
女性:14 人
⑤男性:9 人
④男性:81 人
女性:3 人
37
女性:23 人
・問 3
前段
母集団は 154 人。
後段
男性
女性
音楽性が好き
1
0
歌声が好き
1
0
歌詞が好き
1
0
曲が好き
17
4
アーティストが好き
6
3
その曲に思い出がある
2
1
初回限定版、レア
5
0
歌詞カードが好き
1
0
ジャケットが好き
3
2
そのアーティストのCDは
2
0
3
0
今まで全て買っている
持っているだけで嬉しい
4.2.1-5 考察
◆保有効果の要因の存在
38
問 1 の集計結果の分布をみると、①38.2%
り、それに対し問 2 は
①9.3% ②14.7%
②14.7%
③7.8%
④33.8% ⑤5.4%であ
③19.1% ④51.0% ⑤5.9%であった。
前述のように、人が CD の価値を曲の良さでしか評価していないのであれば問 1 との 2
の結果は等しくなるだろうから、この結果は CD を評価する際に曲以外の価値基準が存在
することを意味する。そして、曲の良さ以外の評価基準として問 3 設問後段の結果が挙げ
られる。上 5 段「音楽性・歌声・歌詞・曲・アーティストが好き」との回答は純粋に曲の
良さに価値を見出している故のものである。それに対し下 6 段「その曲に思い出がある、
初回限定版・レア、歌詞カード・ジャケットが好き、そのアーティストの CD は今まで全
て持買っている、持っているだけで嬉しい」という回答は、所有することによってしか得
られない満足(以下、所有欲と呼ぶ)があることを示している。これはまさに保有効果の存在
を示す要因である。
◆問 1 と問 2 の差異とその原因
~曲のみを選好する人とそうでない人の所有欲(保有効果の要因)の違い~
問 1 では①が 38.2%であるのに対し、問 2 では 9.3%となっている。ということは 28.9%
の人が、
「持つ」ことそのものに意味を見出して CD 購入に及んでいることになる。これは
④の結果についても妥当する。つまり、曲のみを選好する場合には i-tunes などの音楽配信
サービスを用いて曲のみを手に入れる人が多い。また、②と③を比べると問 1 の方が割引
因子が大きく、早く手に入れたいと思う衝動が強いと考えられ、②では待っても良いから
安く手に入れようという意識が生まれると考えられる。⑤の「買わない」を選んだ人は問 1
と 2 でさほど変わらず、どのような場合でも一定割合、買わない人が存在することが分か
る。また、全体として問 1 では①~③まで右肩下がりで、好きなアーティストのCDに対し
ては保有効果が高いと思われる。それに対して問 2 では①~④まで右肩上がりであり、曲の
みを選好する場合はやはり所有しようとする意志があまり存在しないことが分かる。
◆保有効果の大きさ
~人によって異なる~
問 3 設問前段で、最も好きな CD を売るのに払っても良い額の平均は 3,408 円(平均を算
出する際、最低値 2 つと最高値 2 つは除外した)となった。この結果自体は合理的であると
言える。なぜならば、前述のように定価(1,000 円)以上で売って新たな CD を購入し差額分
だけ儲けるという行動は合理的だからである。
では、この平均値を標準として、それから大きくかけ離れた値を提示している人がいた
場合、それは何を意味するのか。本問では、平均値から 2409 円以上のズレが生じている場
合を「大きく離れた値」として設定する。なぜならば、平均値から 2408 円以内のズレで売
った場合は、売ったことによって損失をこうむっておらず合理的な行動といえるからであ
る。このとき、平均値から 2409 円以上下回った売値を設定している人が 27 人(17.5 %)、
上回った売値を設定している人が 48 人(31.2%)いた。
平均値から 2,409 円以上下回った売値をつけている人は、1,000 円で買った CD を 1,000
円以下で売っていることになるから損をしている。これは上で述べた三つの不合理な奇癖
39
の二つ目、つまり手に入るものではなく失うかもしれないものに着目するという奇癖に関
連した行動であると考えられる。通常はこの傾向は損失回避の概念と結びつき、失うもの
の価値を高く設定する結果を導くが、今回の場合には客観的価値が 1,000 円の CD を主観
的には 0、もしくはそれに近い価値で捉えてしまっていることになる。
また、平均値から 2,409 円以上上回った売値をつけている人は、自己の CD を過大評価
する傾向にあるといえる。そしてこれは正に保有効果・所有意識の表れであるといえる。
その裏付けは、その CD を高く売りたい理由として問 3 後段の回答に示されているものに
よってもなされる。特に、
「持っているだけで嬉しい、初回限定版・レア、歌詞カードが好
き、ジャケットが好き」という回答は所有することでのみ生じる価値の存在を意味するか
ら保有効果そのものを表しているといえるし、
「そのアーティストの CD は全て買っている、
その曲に思い出がある」という回答は仮想の所有意識があるゆえの回答であるといえる。
4.2.1-6 提言
以上から、人は保有効果によって財を貯蓄しやすく、しかも財に対する主観的な評価価
値は客観的な価値から大きく離れていることが多いことが分かった。では、我々の保有効
果を弱めさせ、より合理的で自己の効用を高めるためにはどのような政策が有効か。
まず、一人一人が保有効果・現状維持バイアス・損失回避・イケア効果・仮想の所有意
識の概念に支配されがちだということを認識することが前提となる。
その上で、有効なレンタル市場の利用法を考えよう。上の実験結果から算出すると、問 3
より最も好きな CD を好きな理由として「音楽性・歌声・歌詞・曲・アーティストが好き」
という純粋に曲の良さに価値を見出しているものを挙げた人が 63.5%いた。そのような人
は、CD を持つこと自体には価値を見出さないのであるから、その熱中度に合わせてレンタ
ル市場や音楽配信サービス市場を利用すれば良いはずである。しかし、問1より、実際に
そのように行動しているのは 56.3%であった。この差の 7.2%の人々はあえて高いコストを
支払って、CD を購入していることになるから、これらの人がレンタル市場や音楽配信サー
ビス市場を利用すれば効用は高くなるはずである。
そして、それらの市場が上手く利用されるためには、割引率が高い人を引き込むために
できるだけリリース後すぐにレンタル・配信を開始することが望ましいと考える。また、
仮想の所有意識を与えないために即日返却レンタルの方法を充実させるべきである。さら
に、所有意識の高い熱中度の高い買い手に対しては、あえて CD の定価に近い値段でレン
タルする(その分長期間レンタル)ことで CD を購入する際とのコストの比較をさせ、レンタ
ル市場に引き込みそれが買い手にとっても結果として効用を高めることになるという循環
が可能になると考える。一方で、所有意識が低い買い手に対しては、あえて音楽配信サー
ビス市場における値段と近い値を設定しレンタルすることで同様にレンタル市場に引き込
め買い手の効用を高められるかもしれない。
40
さらに、問 1 と問 2 の結果②③を比較した時に、好きなアーティストの CD は高くても
早くレンタルしたいが、曲を気に入っている CD は遅くても安くレンタルしたいという傾
向がみられる。この事実に上の考え方を適用すれば、例えばファンが多いアーティストの
CD はリリース直後にレンタルを開始しその分割高な価格を設定し買い手をレンタル市場
に引き込み、それが買い手にとっても結果として効用を高めることになるだろう。また、
CM 曲で使われた珍しい洋楽の CD などは遅くても安くレンタルしたい人が多いのである
から、音楽配信サービスを低価格で提供すればそれが買い手のニーズに最も合致し非効率
性を生じさせない。
以上の政策によって「無駄な貯蓄」を減らすことができ、より効率的な制度が構築でき
る。
4.3 より現実的な「無駄な貯蓄」の解消
~中古品市場の有効活用~
4.3.1
問題意識
前項では保有効果についての検証を行った。今回はさらに現実的なケースを踏まえて、
「無
駄な貯蓄」の解消に有効な手段を考えていこう。
本章の冒頭で保有効果によりうまく土地利用がなされていない例を挙げた。市場価格が 1
億円の土地に住んでいる人に、1 億円渡せばすぐに土地を売ってくれるかというと、そんな
ことはありえない。長年住んだ土地には必ず保有効果が生まれる。市場価格は 1 億円でも、
保有効果を考慮すればその人にとっては 1 億 5000 万円ほどの価値を感じるかもしれない。
先祖代々の土地であれば 2 億円の価値を感じるかもしれない。
では今ここに、ある所有している土地に保有効果を含めて 1 億 5000 万円の価値を感じて
いる人がいるとする。その人に 1 億 5000 万円を渡せば、すぐにその土地を明け渡してくれ
るだろうか?答えは NO である。理由は簡単だ。土地を売るのが面倒だからである。土地を
売るというのは一般の人から考えるとかなり面倒くさい手続きがいる。さらに住んでいた
土地を売ったら、他所へ引っ越さなくてはならない。家の売買契約を結び、登記を書き換
え、新しい住居を探し、引越しをする、そして新しい場所で 1 から人間関係を築く…これ
には多大なお金や時間・労力が必要だ。下手するとお金に困っていない限り、いくら出し
ても土地から出て行ってくれないかもしれない。そう考えると人に土地を売らせるのはさ
らに難しくなってしまう。こういった自分の所有物の売却のためにかかるコストを「売却
41
コスト」と呼ぶことにする。
別の例を考えよう。携帯電話の中にレアメタルと呼ばれる希少で高額な金属を含まれて
いるのをご存知だろうか。近年、産業界でのレアメタルの暴騰により、政府は使用済み携
帯電話の回収を急いでいるが、なかなか集まらない。なぜだろうか。まず、最初に考えら
れるのが保有効果だ。使用済みの、既に携帯電話としての機能を失った携帯電話の市場価
格はもちろん 0 だ。中のデータさえ移してしまえば不要なものである。しかし長年使い続
けた携帯電話には愛着が生まれ、保有効果が生じる。だから使用済み携帯電話はなかなか
集まらない。だがそれだけではない。たとえ携帯電話に愛着が無くても、わざわざ返却す
るのが面倒だったり、データの流出を危惧したり…という理由で何となく保持している人
も少なくないのではないだろうか。これも「無駄な貯蓄」の典型例であり、
「売却コスト」
が弊害となっている。
しかし経済的に、高い利用価値のある土地を無駄に持てあまし、十分に活用出来ないの
は問題である。実際に日本人は「先祖代々守ってきた土地を自分が売るわけにはいかない!
おかしな商業に利用されたくない!」という考えが強く、うまく利用されていない土地が
多い。ダムや飛行場 1 つ作るのに、立ち退きを要求しようと思えば大問題である。もうい
らないはずの携帯電話を回収するために、経済産業省は現金があたるくじの応募権を携帯
電話と交換する制度を実施、本年度補正予算事業として申請した。「取引は価値を生む」、
これが経済活動の根本であり、
「自分の所有物をスムーズに売れない」という問題は、経済
の活性化を大きく阻害しているのではないかと考えられる。市場や取引ルールをデザイン
する際にはこの「売却コスト」をいかに小さくするかが重要なのだ。しかし売却コストを
小さくするにもまたコストがかかる。取引が円滑に行われる適正な価格付けを設定するに
は、買い取り側は売り手の保有効果を必ず考慮に入れねばならない。そして売り手がより
売却しやすいように売却コストを小さくする努力が必要なのである。これから、
「保有効果」
を中心に分析し、
「売却コスト」を小さくする手段を考え、現実問題を解決する手段を模索
していこう。
なお、「売却コスト」は行動経済学の分野からは外れてしまう。住んでいた土地を売却し
た際の引越し費用を考慮することは経済人として合理的であるからだ。しかしより現実的
な政策を考える上で、消費者に「保有効果に気をつけよう」だけでは大した解決策にはな
らない。この「無駄な貯蓄」の問題を解決する余地は、消費者だけでなく、制度を構築す
る企業や政府側にもあると思われる。そのため本章では「売却コスト」も含めて、提言を
目指すことにする。
4.3.2 実験アンケートの設定方法
4.3.2-1 中古品市場と本
42
今回の実験で検証したかったことは、
「人が自分の所有物を販売する際に生じる保有効果
は、どのような状況で生まれるのか」「その保有効果の大きさは、どのようなものに左右さ
れるのか」、そして「価格では表されない売却コストは、どれだけ所有物の販売の弊害とな
っているのか」である。
ここでターゲットとしたのが本の中古品市場だ。これを選んだ理由は、人が自己の所有
物を販売する中で最も身近であり、広く世間に浸透しているからである。例えば土地や使
用済み携帯電話を売る状況というのは限られてしまう。だが本の中古品市場ならば誰もが
いつでも利用でき、イメージしやすいため、実験を行いやすかったのである。さらに土地
や携帯電話は普通の人はいくつも持っているものではないが、本は何冊も所有しているの
が一般であり、その本の種類によって保有効果に差があると考えられたのである。また本
を中古品として販売する方法も複数あり、売却コストの比較も可能である。そして最後に、
本は筆者達自身が実際に「無駄な貯蓄」をしやすい財だと感じたことが挙げられる。
4.3.2-2 実験アンケートの設定目的
まず保有効果が生まれる状況を見るために、本を気に入っているか否か、実際に使った
か、まだ途中までしか使っていないか、などの状況を分けて設定した。
さらに所有物の持つ保有効果の大きさを検証するために、本の中でも参考書と小説の 2
種類を用意した。参考書とは実用性を求めて買う財であり、小説は娯楽として買う財であ
るため、販売する際に保有効果の大きさに差が見られるのではないか、と考えたからであ
る。
最後に総合的な売却コストを計算するため、中古品市場の選択肢として Bookoff と
Amazon の 2 つを入れた。直接店舗に買い取ってもらう Bookoff と、インターネット上で
販売する Amazon の 2 つでは同じ財を売る時でも、売却コストが変わってくるため、この
2 つの比較はその他の売却コストの検証に有効だと考えたからである。
最後に、いらないものを処分できるか、という問題には男女間に差がありそうだと考え
られたため、実験前に性別を記入してもらった。
4.3.2-3
実験対象
慶應義塾大学の学生約 200 人を対象にアンケートを行った(無回答や複数回答の場合は無
効として扱っており、以下の結果にズレが生じている場合がある。)
4.3.2-4 実験アンケート内容
43
実験アンケートの内容は以下の通りである。
以下の質問において、あなたが実際に取りそうな選択肢を 1 つ選んで下さい。
1,あなたは昨年度使っていた参考書(購入時の定価 2000 円) をどのように処分しますか。
①Bookoff に買い取ってもらう(売値 100 円、100%買い取ってもらえる)
②Amazon に中古品として出す(売値 800 円、買い手が見つかる可能性は 1/2)
③売りに出すのは面倒なのでそのまま捨てる
④売りに出すのは面倒だが、捨てるのももったいないのでとりあえず取っておく
2,あなたは先月買ったが、あまり気に入らなかった参考書(購入時の定価 2000 円)をどのように処分します
か。
①Bookoff に買い取ってもらう(売値 100 円、100%買い取ってもらえる)
②Amazon に中古品として出す(売値 800 円、買い手が見つかる可能性は 1/2)
③売りに出すのは面倒なのでそのまま捨てる
④売りに出すのも面倒だし、まだ使うかもしれないのでとりあえず取っておく
3,あなたは先月購入し、既に読み終えた、気に入った小説(ハードカバー、購入時の定価 2000 円)をどのよう
に処分しますか。
①Bookoff に買い取ってもらう(売値 500 円、100%買い取ってもらえる)
②Amazon に中古品として出す(売値 800 円、買い手が見つかる可能性は 1/2)
③売りに出すのは面倒なのでそのまま捨てる
④売りに出すのも面倒だし、また読むかもしれないので取っておく
4,あなたは先月購入したが、面白くなくて途中で読むのをやめた小説(ハードカバー、購入時の定価 2000
円)をどのように処分しますか。
①Bookoff に買い取ってもらう(売値 500 円、100%買い取ってもらえる)
②Amazon に中古品として出す(売値 800 円、買い手が見つかる可能性は 1/2)
③売りに出すのは面倒なのでそのまま捨てる
④売りに出すのも面倒だし、また読むかもしれないので取っておく
5, あなたは先月購入したが、面白くなくて途中で読むのをやめた小説(文庫本、購入時の定価 500 円)をど
のように処分しますか。
①Bookoff に買い取ってもらう(売値 100 円、100%買い取ってもらえる)
②Amazon に中古品として出す(売値 200 円、買い手が見つかる可能性は 1/2)
③売りに出すのは面倒なのでそのまま捨てる
④売りに出すのも面倒だし、また読むかもしれないので取っておく
44
アンケートは以上の 5 題である。
4.3.2-5
結果
結果は以下の通り。設問によって回答者数に変動があるのは、無解答の学生がいたため
である。
全体
質問/選択肢
①
②
③
④
1
41
25
32
95
2
48
24
25
77
3
23
18
7
144
4
48
21
17
95
5
60
14
18
100
質問/選択肢
①
②
③
④
1
33
20
23
75
2
36
29
18
60
3
19
14
7
112
4
31
18
15
75
5
45
14
14
78
質問/選択肢
①
②
③
④
1
8
5
9
20
2
12
5
7
17
3
4
4
0
32
4
16
3
2
20
5
15
0
4
22
男性
女性
45
4.3.3 実験アンケートの考察
4.3.3-1
各回答の割合
結果から分かる通り、あらゆる質問で選択肢④の「売ることも捨てることもせず、貯蓄
する」という回答が多かった。中古品市場の存在を分かっていても、多くの人は活用せず
に終わっており、これこそが「無駄な貯蓄」の源泉と考えられる。しかしその割合は設問
によって大きく異なっている。ここでよりわかりやすくするため、全体に対する各選択肢
を選んだ人数の割合を示したものが以下のグラフである。横軸が選択肢、縦軸は有効回答
者を 100%とした時の割合(単位は%)を表している。
全体
80
70
60
50
40
30
20
10
0
設問1
設問2
設問3
設問4
設問5
①Bookoff
②Amazon
③捨てる
④取っておく
男性
80
70
60
50
40
30
20
10
0
設問1
設問2
設問3
設問4
設問5
①Bookoff
②Amazon
③捨てる
④取っておく
46
女性
80
70
60
50
40
30
20
10
0
設問1
設問2
設問3
設問4
設問5
①Bookoff
②Amazon
③捨てる
④取っておく
母集団の中で女性の占める割合が少なかったため、全体のグラフと男性のみのグラフが
かなり似通っている。
4.3.3-2
保有効果について
◆保有効果の生じる原因
まず保有効果の原因について考察する。そのために保有効果の概念をもう一度見直そう。
保有効果の定義とは「ある物を手放す代価として、それを手に入れるためになら喜んで支
払う額以上の金額を要求する思考のパターン」である。例えばある本に 1000 円までなら払
ってもいい、と考えている A さんがいるとする。まず A さんに 1000 円でその本を売る。
その後しばらくしてから A さんに「その本を 1000 円で売ってくれ」と頼む。すると「1500
円でなけりゃ売れない」と返される。A さんはこの本に 1000 円までしか出せない、すなわ
ち本を 1000 円と評価していたはずなのに、売る時になったら 1500 円の価値を感じてしま
ったのだ。この 500 円の差額が保有効果である。
では最初に保有効果が生まれているか否かを調べるのに、選択肢④の取っておく(=保有し
ておく)に注目する。そこでグラフを見てみると、設問 3 で選択肢④を選ぶ割合が男女とも
に高いことが分かる。どの設問でも選択肢④の割合が最も高くなっているが、設問 3 では
それが特に顕著である。これはなぜであろうか。設問 3 のみあてはまる特徴として、設定
に「気に入った」小説と書いている。それが大きく影響したと考えられる。実際、他の設
定は全て同じの「面白くなくて途中で読むのをやめた」小説をターゲットにした設問 4 で
は選択肢④の割合は設問 3 と比べると低い。しかしここで「気に入っているものに保有効
果が生まれやすいのだ」と考えるのは早計である。確かに設問 3、4 はともに 2000 円でこ
の本を購入している。しかし小説を読み終えた(もしくは途中まで読んだ)地点での評価は
2000 円ではなくなるだろう。
気に入った小説の評価は Amazon での売値 800 円よりも高く、
面白くなかった小説はより低く評価される。保有効果を検証するには、読んだ後での真の
47
価値付けと、売却する際の価格を比較しなければならない。気に入った小説は読後の真の
価値付けが高かったために取って置かれただけと考えられ、これは保有効果ではないので
ある。むしろ気に入らなかった小説、真の価値付けが低い小説でも、取っておく選択肢④
が最も多く選ばれていることが、保有効果の存在を浮き彫りにしているのである。人は読
み終えたか否かよりも、気に入ったか否かに価値を置き、気に入った本が売却しづらくな
る、これは結果より確かだ。しかし保有効果に関しては気に入ったか否かによらず、発生
しているのである。人間の心理的に、気に入った小説に保有効果が生まれることは分かり
やすいが、気に入らなかったものでも一度所有してしまうとなかなか手放しがたくなる、
という保有効果が生まれるのである。
では次に設問 1 と 2 の選択肢④を比較してみよう。2 つの設問は購入時の定価や現在の市
場価値などは全く同じ参考書である。しかし設問 1 は「昨年度使っていた」、設問 2 は「先
月買ったがあまり気に入らなかった」という違いがある。参考書を使う者にとって、昨年
度使っていたものと先月買ったものでは、明らかに先月買った最新のものの方に価値があ
るはずであり、手放したくないと考えるはずだが、結果はそうではない。設問1の「昨年
度使っていた」参考書のほうが選択肢④の「取っておく」を選んだ割合が多いのである。
この原因は、先ほど述べたように実際に使った結果、真の価値付けが高くなった、とも考
えられるが、1 年前の参考書ではいくら昨年は気に入っていたとはいえ、現在での真の価値
はあまり高くないとも考えられる。ではこうなった原因はなんであろうか。
ここで保有効果を生む人間の奇癖の 3 つ目、
「自分の思い出や思い入れを、赤の他人も同
じように考慮してくれる」と考えてしまったことが挙げられる。昨年の 1 年間、気に入っ
て使い続けた参考書には相応の愛着が生まれ、自分の持つ本を、他の同じ本とは違う存在
に感じてしまうのである。そしてそれを他人にまで適応し、自分の持ち続けた本を売るよ
うに言われた場合、真の価値以上に高額な値段を要求するようになってしまうのである。
これはまさに保有効果である。参考書において言えることは、たとえ 1 年前の参考書で、
今の自分にとっては利用価値が薄くても、実際に勉強に使い続けていた参考書には愛着・
保有効果が生まれて、つい取っておいてしまうのである。
以上の 2 つを他の例にも当てはめてみる。例えば、買ったばかりの普通の洋服よりも、
既に何度も着てしまったが気に入っている洋服の方が、売却せねばならない際は、高い値
段をつけるだろう。この理由には 1 つに、後者の洋服は実際に着てみて、非常に使いやす
い、良い財だと学び、高い評価・価値付けを行ったこと。もう 1 つは実際に何度も着用し
たことにより、自分の所有物に愛着を持ち、強い保有効果が生じたことである。
◆保有効果の大きさ
次に人はどんなものに大きな保有効果を持つのか、を調べるために参考書と小説で比較
してみる。どの設問でも選択肢④の割合が大きいので、参考書と小説のどちらにも保有効
果は生まれているようだが、その生じた保有効果の大きさに差はあるだろうか。
48
そこで設問 1、2(参考書)と 4、5(小説)の選択肢③、④の割合を見ると、選択肢③の捨て
る割合は参考書の方が小説より高い。逆に選択肢④の取っておく割合を見ると、小説の方
が参考書よりも高い。参考書は小説より捨てやすく、小説は参考書より取っておきやすい
のである。これは理解しやすいのではないだろうか。参考書とは必要性に応じて買うもの
であるのに対し、小説は娯楽の1つである。小説のように自分が好きで、買いたくて買っ
たものは、読み終えようと取っておきたいものだ。逆に学生にとって参考書とは、勉強の
ために必要だから買っただけであり、使い終わって必要性が無くなったり、使いにくいと
感じたりすれば、捨てやすいものなのである。保有効果の大きさは「自分が買いたくて買
ったものか」に由来すると考えられる。
4.3.3-3
販売コストについて
◆中古品市場内での比較
中古品市場として選択肢①の Bookoff を活用する割合と②の Amazon を活用する場合を
比較してみる。女性の設問1ではわずかに Amazon が上回るものの、他のほとんどの設問
では Bookoff を活用する割合が上回った。設問 3、4 では Bookoff での売値の期待値は
500×1=500 円、Amazon での売値の期待値は 800×1/2=400 円なので 500>400 より Bookoff
を活用する割合の方が高くなるのは自然である。しかし設問 1、2 では Bookoff での売値の
期待値は 100×1=100 円、Amazon での売値の期待値は 800×1/2=400 円と Amazon を活用
した方が、期待値が高く、設問 5 でも Bookoff での売値の期待値は 100×1=100 円、Amazon
での売値の期待値は 200×1/2=100 円と同値になる。設問 5 では、回答者がリスク回避的で
あったため期待値が同値ならばリスクの少ない選択肢①を選んだとも考えられるが、設問 1、
2 では期待値に 4 倍もの差がある。これは回答者のリスク回避性だけでは説明できないだろ
う。とすると値段とは別に Amazon よりも Bookoff を好む理由がありそうである。
そこで考えられるのが、Amazon と Bookoff での「売却コスト」の差である。今は Bookoff
で販売する場合、電話一本で家まで買い取りに来てくれるし、近所の店頭に持っていけば
身分証明などの複雑な手続き無く、その場で値段を提示して買い取ってくれる。捨てる、
もしくはそのまま保存するよりは面倒ではあるものの、そこまで大きな手間ではないかも
しれない。しかしインターネット上で Amazon を利用して本を販売するとなると、その手
続きは煩雑である。まずインターネット上で Amazon のアカウントに登録し、その後出品
用アカウントを作成する。登録後に電話認証を行って、出品用アカウントが取れる。アカ
ウント取得後は、出品したい物と同じ製品を Amazon のカタログから探して、詳細な商品
の状態を記述、出品価格・配送地域・出品可能数の設定をする。次に商品が実際に売れた
際は、受注を知らせるメールが Amazon から届くので、2 日以内に規定にしたがって商品
を梱包・配送する。この際の配送料は購入者の負担となるが、1 回の取引につき 100 円の成
約料と販売価格の 15%の手数料、さらに商品カテゴリーごとに定められたカテゴリー成約
49
料が差し引かれる。無事配送が済めば、銀行口座にお金が振り込まれ、終了である。この
手続き方法・および手数料の話を聞くと、誰しも面倒だと感じるだろう。実験アンケート
の設問 1・2 で売値の期待値が 4 倍(300 円)も変わってくると書いたが、手続きの面倒さを
考えれば 1/4 の値段でも Bookoff を利用する人の方が多くなったり、Amazon の存在を知っ
ていても捨ててしまう人が現れたりするのも自然であろう。
アンケートの結果では本の処分方法として 1 割前後の人が Amazon を利用するだろうと
回答したが、これについては販売の手続き方法を知らなかった可能性も高い。事実、筆者
の周りで Amazon を本の購入に利用している者はいても、Amazon に出品経験のある者は
見つからなかった。ただし一度でもこの手続きを終えて慣れてしまった人にとっては、
Amazon の売却コストは低く、より高額で売れる可能性の高い分、Amazon はやはり利用
価値がある。
◆男女差について
最後に男女間の差であるが、これは大きな差は見られなかった。④の取っておくという
選択肢は女性の方が多いようにも見えるが、有意と言えるほどの差ではないかもしれない。
4.3.4 提言
実験の結果より、人はどのような本でも保有しやすいということが分かった。気に入っ
たものだけでなく、気に入らなかったものや昨年度に使っていたものさえ保有してしまう
のである。この「無駄な貯蓄」をどのように解消すれば良いのか。具体的には選択肢④で
はなく①や②を選ぶようになるには、どのような方法が考えられるだろうか。
それにはまず自分自身の保有効果を自覚することが必要である。ただ「保有効果を自覚す
る」と言ってもわかりづらいかもしれない。具体的には自分がその本の価値をどのように
測っているかを考え直すのである。同じ本でも人によってその本の価値がまちまちになる
のは当然である。しかしその価値とは「今後自分にとってどれだけ有益か」で測らねばな
らない。例え 1 年前は気に入って使っており、大変役に立ったものでも、今後のことを考
えて、もう必要性のない参考書は売ってしまったほうが良い。買ってみたが使いにくかっ
た参考書を無理して使うより、さっさと売り払ってそのお金で新しい使いやすい参考書を
買ったほうが有効である。自分が買いたいと思って買った小説も、本当に今後読み返すこ
とがあるのかを考えねばならない。面白くなくて途中で読むことをやめた小説を、今後再
び読み返すことは本当にあるだろうか?面白かったが、既に何度も読んでしまって内容を完
全に把握した小説を読み返すことはあるだろうか?自分はただ何となく手元に残しているだ
けではないか、と考え直すのである。これを心がければ、今自分の手元にある多くの本の
価値が違った値に感じられてくるのではないだろうか。
50
そしてさらに売却コストである。
これは消費者ではなく Amazon や Bookoff 側の問題だ。
現行の買い取り方法を見る限り、Bookoff は電話一本で家まで買い取りに来てくれるなど、
限界まで売却コストを下げているように見える。Amazon もスムーズな取引のためにはよ
り手続きを簡素化する必要があるだろう。売却コストを下げるために梱包・発送などの手
続きの一部を Amazon が引き受けるなどである。
無駄な貯蓄をなくすため、取引をより活発に、スムーズに行うためには、物に相応の取
引価格を付さなくてはならない。その取引価格とは「物の市場価値+保有効果+売却コス
ト」以上の価格にしなくてはならない。保有効果の小さい本でも売却コストが高い Amazon
では売られず、捨てられてしまう可能性が高い。比較的売却コストの低い Bookoff でも、保
有効果が高い気に入った小説を売ってもらうにはそれなりに高めの金額をつけねばならな
いのである。この合計値を意識して、売り手は保有効果を、買い手は売却コストを下げる
努力をし、取引価格を設定すればよいのである。
4.4
まとめ
本章では無駄な貯蓄の原因として保有効果に焦点をあて、
解消手段として、CD では iTune
やレンタル市場の、本では Bookoff や Amazon などの中古品市場の有効活用を考えてきた。
こういった対策は CD、本だけに当てはまるものではない。例えば本においても、CD のレ
ンタル市場活用のように、買わずに図書館で借りることも考えられる。さらに CD の iTune
利用に対応する、電子書籍というものも近年登場した。2007 年以降アメリカで売り上げを
伸ばし、近い将来日本でも発売される。CD で検証した議論は本や他の様々な財にも応用で
きるであろう。
自分で稼いだお金も、人からもらったお金も等価値である。偏った保有効果を持たない
ためには、同じ預金口座に入れてしまえばいい。高齢者は自身では必要以上に貯蓄を行っ
てしまうならば、その貯蓄は投資信託などにまわして有効活用してもらえばよい。この手
続きが高齢者にとって複雑で面倒ならば、信託銀行側が出来る限り全ての事務手続きを引
き受ければよいのだ。日本中の土地を有効活用したいのならば、国はただ土地の対価を支
払うだけでなく、保有効果やコストの分まで上乗せしてお金を払えばよい。それが難しい
ならば、居住者が快適な居住先を見つけられるようサポートし、引越し作業を国が引き受
ければよい。レアメタルの含まれた携帯電話を回収したいなら、売却コストと保有効果の
合計を上回るような経済的インセンティブを与えられるようなくじを実施すればいいので
ある。今回の議論をうまく応用できれば、私たちの日常生活に溢れる多くの不合理な保有
行動の大半を取り除けるだろう。
「なぜ人は不合理な保有行動を取りやすいのか」「うまく
保有する(もしくは販売する)ためにはどのような制度設計が望ましいのか」
、この2つのテ
ーマは本章の考察・提言より、解決できたに違いない。
51
おわりに
私たちは「経済学は実際の経済を本当に表しているのか」という素朴な疑問に端を発し、
行動経済学に関する論文を書くことにした。そして、その中でも「無駄遣い」と「無駄な
貯蓄」にテーマを絞って、人間の非合理性とその対処法についてアンケートという形をと
って調査した。
このような非合理的な人間の消費行動の原因として「アンカリング効果」
「フレーム効果」
「プロスペクト理論」
「保有効果」などを挙げ、それを「実証→非合理な行動を防ぐような
提言」という流れで書き上げた。提言に関しては、現在ある行動経済学の資料では抽象度
が高すぎたので、なるべく具体的にすることを心がけた。結果として、これまで読んでき
たどの文献よりも具体度の高い提言ができたのではないか、という自信がある。
最後に、玉田先生をはじめ、助言して下さった先輩方、アンケートに参加して下さった
学生のみなさんに感謝の意を申し上げます。
52
参考資料一覧
≪参考文献≫
『セイラー教授の行動経済学入門』 リチャード・セイラー/著
篠原勝/訳(ダイヤモンド社)
『行動経済学 経済は「感情」で動いている』 友野典男/著(光文社新書)
『予想通りに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』
ダン・アリエリー/著
熊谷淳子/訳
『実験経済学への招待』 西条辰夫/著(NTT出版)
『経済は感情で動くーはじめての行動経済学』 マッテオ・モッテルリーニ/著
泉典子/訳(紀伊国屋書店)
『世界は感情で動くー行動経済学から見る脳のトラップ』 マッテオ・モッテルリーニ/著
泉典子/訳(紀伊国屋書店)
『実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択』
リチャード・セイラー+キャス・サンスティーン/著
遠藤真美/訳(日経BP社)
『経済学の天才に学ぶ! 経済心理のワナ
50』 門倉貴史/著(宝島社)
≪参考URL≫
「阪大ニューズレターNO.29(2005 年 9 月)」 筒井義郎
http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~tsutsui/archive/article/2005sep.newsletter.PDF
「学士会会報 NO.854(2005 年 9 月)」 筒井義郎
http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~tsutsui/archive/article/2005sep.gakushikai.pdf
「mimeo (2004 年 12 月)」 大竹文雄、筒井義郎
http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~tsutsui/archive/article/2004dec.kikenkaihido.pdf
「ISER Discussion Paper NO.630(2005 年 3 月)」 筒井義郎、大竹文雄、池田新介
53
http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~tsutsui/archive/dp/dp_no.630.pdf
「ISER Discussion Paper NO.638(2005 年 6 月)」 池田新介、大竹文雄、筒井義郎
http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~tsutsui/archive/dp/dp_iser_no.638.pdf
「Mental Accounting, Saving, and Self-control」 HERSH.M, SHEFRIN, and RICHARD
H.THALER
http://web.econ.keio.ac.jp/staff/tamada/seminar/behave.pdf
54