死刑制度の存廃における効果測定と予測

三田祭論文
死刑制度の存廃における効果測定と予測
慶應義塾大学 中嶋研究会
小川慶之
松村健
小熊啓介
井坂陽
アブストラクト
死刑制度の凶悪犯罪に対しての犯罪抑止力については世界中で議論がなされ
ており、それに対する先行研究も多く存在する。しかしながら、日本における
死刑制度廃止時の影響を調べた論文は多くはない。それは日本では死刑制度導
入以後、一度も死刑制度を廃止したことがないため、実証研究をするための
データがないためである。
そこで今回は、アメリカ全州において死刑制度の殺人件数への影響を、
Difference in Difference Analysisによって調べた。その後、日本の所得と近
い州に限定して再度分析を行い、日本で死刑制度が廃止された時のインパクト
を予測した。その結果、死刑制度が導入されることでアメリカ全州では年間殺
人件数がおよそ15%減少し、日本で導入した場合でも、およそ12%減少するとい
う結果を得た。したがって、死刑制度廃止には慎重な議論をすべきという結論
に至った。
1
目次
第1章
1.1
1.2
はじめに
研究の背景
研究の目的
第2章 準備
2.1 データ
2.2 仮説
2.3 分析方法
2.3.1 固定効果分析
2.3.2 DID分析
第3章 結果
3.1 分析結果1
3.2 分析結果2
第4章 考察
4.1 考察1
4.2 考察2
第5章
結論
参考文献
2
第1章 はじめに
1.1 研究の背景
死刑制度の存廃は、近年でも是非が問われている議題である。その中でも、大きく注目される
のは、死刑制度自体に、凶悪犯罪をはじめとした犯罪に対して抑止力があるか、ということであ
る。仮に死刑制度に抑止力がないとすれば、死刑制度の存在意義は薄れる。実際に死刑制度に反
対しているアムネスティ・インターナショナルは、科学的な研究において、「死刑が他の刑罰に
比べて効果的に犯罪を抑止する」という確実な証拠はない1)、という見解を示している。
確かに、このような主張のもと、合計133カ国が死刑を法律上または事実上廃止しており、国際
的に死刑制度廃止に向けた動きが広がっている。一方で、未だに64の国と地域が死刑を存置し適
用しているというのも事実である。
このような背景のもとで日本は未だに死刑制度を存置している。死刑制度に関する国内世論調
査でも、制度に賛成の立場が半数を超えており、賛成派は近年むしろ減少している。最も新しい
2009年の調査では、85.6%(内閣府の世論調査より図1)2)の国民が死刑制度に賛成の立場を
とっている。さらに死刑制度の犯罪抑止力についても、最新の調査では62.3%(内閣府の世論調査
より図2)1)の人が死刑制度がある、ことにより犯罪抑止力が増えると回答している。
図1 日本における死刑制度存廃における世論調査(内閣府)
図2 日本における死刑制度の抑止力に関する世論調査(内閣府)
3
半数以上の日本国民が、死刑制度には犯罪抑止力があると回答しているが、果たしてこの感覚
は実際に正しいものなのだろうか。死刑制度の犯罪抑止力といっても、その概念は二種ある(
Roger3), 1990)。一つは、処刑されるというおそれを認識させることで、終身刑という代替刑よ
りも死刑相当犯罪を犯そうとする者を留まらせる、という考え方である。もう一つは、ある犯罪
に対する死刑の存在は、その凶悪性の認識に教化的な影響を与え、それによって人々がその犯罪
を犯さないようになる、という考え方。死刑制度賛成派はこれら二つの考え方に基づき、死刑制
度の必要性を主張している。それに対し死刑制度反対は、そもそも終身刑以上の抑止力が死刑制
度には認められないとしている。この議論は未だ決定的な答えが出ておらず決着がついていな
い。
1.2 研究の目的
死刑制度の犯罪抑止力は多くの人々に関心を持たれているがために、その実証研究は先行研究
が多数存在する非常に人気のある題材である。これらの中には、死刑制度の犯罪抑止力に対して
賛成の立場も、反対の立場も同様に存在している。
例えば、Stephen Laysonが行った研究4)では、1件の処刑につき8.5件から28件くらいまでの殺
人が減少することを導き、死刑の強い犯罪抑止力を認めている。反対に、Forstが行った研究5)で
は、死刑制度の抑止仮説には一致するが、最も大きな影響を与える因子は刑罰の確実性であり、
厳しい刑罰-処刑という因子ではないという見解を支持している。
一方で、これらの研究は主に海外において盛んで、日本における犯罪抑止力についての言及
は、ほとんどなされていない。その原因のひとつとして、死刑制度が日本国内で一度も廃止され
たことがないため、このテーマに関する実証研究するのは難しいということが挙げられる。
そこで、本誌では直接日本を推定するのではなく、アメリカの州の推定から日本で死刑制度を
廃止した時の効果を予測するといった手法をとることにした。尚、アメリカ国内では州ごとで死
刑の存廃が異なるため死刑導入による犯罪件数への影響が推定できる。
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第2章 準備
2.1データ
今回用意したデータは、アメリカの全州の1960~2012年までの死刑存廃に関するデータに関す
るものである。さらに付け加えて、人口などの基本的なデータや失業率や所得などの経済状況の
データも用意することで、死刑存廃以外の要素も検証することを試みた。今回効果測定、予測す
るために用意したデータ一覧は表36)である。
表3 用意したデータ一覧
Variable
Obs
Mean
Std. Dev.
Min
Max
City
Year
Area_squar~m
Population
2698
2698
2698
2698
25.98703
1986.044
192774.3
4741325
14.73288
15.27897
248191.2
5316912
1
1960
176.75
9.651103
51
2012
1717854
3.80e+07
Index
Violent
Property
Murder
Forciblerape
2698
2698
2698
2698
2698
208109.1
23251.32
184537.3
341.1686
1416.491
279325.6
38036.97
242538.8
478.9522
1905.642
3218
37
3147
1
6
2061761
345624
1726391
4096
13693
Robbery
Aggravated~t
Burglary
Larcenytheft
Vehicletheft
2698
2698
2698
2698
2698
8199.105
13289.24
48579.4
116578.8
20310.05
15444.84
21417.38
80368.83
146809
33933.76
8
14
20.939
1489
20.287
130897
198045
2384280
986120
320112
Deathpenalty
Unemployment
Percapita
2698
2120
1817
.7727947
6.161085
14100.7
.419104
5.001252
8051.056
0
0
2172
1
92
45213
2.2 仮説
仮説:日本における死刑制度の犯罪への抑止力はそこまで高くないため、廃止すべきである。
2.3 分析方法
今回は、より正確な結果を得るために、アメリカ全州における1960~2012年においてパネル
データ回帰分析のひとつでもある固定効果(Fix Effect)分析を行う。また州ごとの死刑制度の存
廃における変化をとるDifference in Difference Analysis(以下DID分析と呼ぶ) という手法を
とる。
2.3.1 固定効果分析
固定効果分析は、パネルデータにおける回帰分析の標準的な手法である。変数については、死
刑制度による凶悪犯罪の犯罪抑止力の分析を行うことを目的としているので、年間殺人件数を被
説明変数とした。さらに件数表示だと年代によってばらつきが出る可能性があるので、パーセン
ト表示に切り替えた。説明変数としては、死刑制度の導入のインパクトを見るために、死刑制度
がある状態を0、ない状態を1とするダミー変数を導入した。また他にも、各州の人口(単位:千
人)、各州の失業率(%)、各州の一人当たりGDP(米ドル)も説明変数を導入し、死刑制度の
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導入以外の殺人件数の変化への影響の可能性も考慮にいれた。
モデルは以下の数式で表される。
Y it = α + β1 × deathpenaltyDit + ・・・ + ε
2.3.2 DID分析
DID分析(Difference-in-Differences)とは、計量分析手法のひとつであり、観察データを用い
て実験データを擬似的に再現するというものである。具体的には、何らかの操作を施したグルー
プ(treatment group)の前後の変化と何も操作せずに他の条件を一緒にしたグループ(control
group)の変化の差を見る分析である。これを式で表すと以下のようになる。
また図で表すと以下のようになる。
今回のDID分析は、パネルデータを使用して、死刑制度以外の条件、すなわち人口、面積などが
類似した2地域について、死刑制度が導入された方の州と、されていない方の州の死刑制度導入後
の殺人件数を比較する手法である。この手法の手順は、死刑制度導入前後の殺人件数を各州で差
し引き、その後2つの州の差分を算出する。
それが0に近ければ、死刑制度に抑止力はなく、逆に差が大きければ、その差が死刑制度の犯罪
抑止力を表すこととなる。
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第3章 分析
今回は、アメリカ全州における死刑存廃による殺人件数の変動予測と、日本における死刑制度
の殺人件数へのインパクト予測の2つの分析を行った。それぞれの結果を分析結果1、分析結果2
とする。
3.1 分析結果1(全サンプル)
回帰分析を行った結果を図4に示す。
図4 死刑存廃による殺人事件件数の差異(全サンプル)
モデル1
モデル2
Death penalty
-116.0**
-56.66*
(41.58)
(26.31)
Population
-0.000006***
-0.000002
Unemployment
2.795*
1.096
Vehicletheft
0.00846***
Percapita
-0.0025
0.00089
Robbery
0.0216***
Cons
526.3***
353.5
R-square
0.566
0.673
サンプル数
1707
1707
※ 各行の上段は係数、下段は標準偏差を示す。なお*10%**5%*1%水準で有意なもの
3.2 分析結果2(所得制限)
図4で得られた結果はアメリカ全州をサンプルとしてものであるが、日本の死刑制度存廃の影響
を見るためには、日本と近い条件の州のみに絞って、分析する必要がある。そこで次は、一人あ
たりのGDPが28000米ドル以上の州に条件を絞った状態で回帰分析を行い、日本で死刑制度が導
入された場合のインパクトの推定を試みた。なお、GDPを28000米ドルと指定した理由は、
1970~2004年の日本における一人あたりGDPの平均が28000米ドルであったからである。
同様に回帰分析を行い、予測をたてた。結果は図5に示すことができる。
Death penalty
Population
Vehicletheft
Forcible rape
Cons
R-square
サンプル数
図5 所得から見る日本の死刑制度導入後の予測
モデル1
モデル2
-35.22**
-31.50*
(12.1)
(14.52)
0.0000227**
0.0000169
0.00561***
0.00551***
0.0164
91.37**
100.1**
0.783
0.787
914
914
7
第4章 考察
4.1 考察1(全サンプル)
Death penaltyの係数が、モデル1においてもモデル2においても、有意で負の値をとることか
ら、死刑制度を採用すると、殺人件数が減少することがわかった。これは、死刑制度導入を訴え
る主張とは異なる。また、死刑制度の犯罪抑止力を営統に評価するためには、死刑制度導入後の
殺人件数の絶対数ではなく減少率に着目する必要がある。減少率が小さければ、死刑制度は抑止
力としての効力に欠け、わざわざ採用するだけのメリットがないということになる。一方で減少
率が大きければ、死刑制度が現状として、抑止力としての効果を発揮していると捉えることがで
きる。
殺人件数の減少率はモデル1を例にとり、下記式をもとに算出する。
116
δMurder(%) = 526.3+(−0.000006)×E(population)+2.795×E(unemployment)+0.00846×E(vehicletheft)+(−0.0025)×E(percapita)
≒0.178
モデル1より死刑制度が導入されることで、殺人件数が年間で約17.8%減ることがわかる。また
モデル2では殺人件数が約10.5%減少することがわかる。これら2つのモデルより、アメリカ全体
では殺人件数が大体15%前後減少すると予想できる。
4.2 考察2(所得制限)
4.1と同様にDeath penalty の係数が、モデル1とモデル2の両方において、有意で負の値をとる
ことから、死刑制度を導入すると、殺人件数が減少することがわかる。また、考察1にて示した
式と同様のものを用いて殺人件数の減少率を求める。分析結果から、死刑制度により殺人件数は
モデル1では約13.0%、モデル2では約11.8%減少するといえる。なお、日本の現在(2013年)の殺
人件数は939件なので、死刑廃止後の殺人件数は
939件 ÷ (100%-13%)≒1079.3
となり、およそ140.3件増加すると推定できる。
第5章 結論
アメリカ全州でDifference in Difference Analysisを行った結果、死刑制度が採用されること
によって殺人件数が減少することがわかった。これは死刑には犯罪抑止力がないとするアムネス
ティ・インターナショナルの主張をしりぞけるものである。また、今後日本で死刑制度を廃止す
ることになった場合、殺人件数はおよそ140.3件増加すると推定できた。
死刑制度の犯罪抑止力があることは確認できたが、この推定には一つ課題があると考えられ
る。それは日本の死刑制度の推定を条件の近いアメリカの州で行ったことである。これは両国の
性質上どうしても異なる部分がいくつか存在してしまい、それをGDPのみで判断するというのは
やはり無理がある。
日本ではいままで死刑制度が廃止されたことは一度もない。そのため違う国のデータを用いて推
定するというアプローチは決して間違ってはいないだろう。しかし、その推定値をさらに真に近
づける方法というのが今後の課題となっていくだろう。
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参考文献
アムネスティ・インターナショナル(1991)「日本の死刑廃止と被拘禁者の人権保障 日本に対
する勧告」日本評論社
2)
死刑制度に関する内閣府(総理府)の世論調査の結果(
http://www.moj.go.jp/content/000053168.pdf)
3)
ロジャー・フッド(1990)「国連犯罪防止・犯罪統制委員会報告書 世界の死刑」成文堂
4)
Stephen Layson, “Homicide and Deterrence : A re-examination of the United
StatesTime-Series Evidence”, Southern Journal,52(1985)
5)
Brian Forst,”The Deterrent Effect of the Capital Punishment : Cross : Sectional Analysis of
the 1960’s Minnesota Law Review, 61(1971)”
6)
Data一覧
Death penalty http://www.deathpenaltyinfo.org/states­and­without­death­penalty
Per Capita Income 1)
http://data.iowadatacenter.org/datatables/UnitedStates/usstpcdi19692004.pdf
unemployment http://www.bls.gov/lau/#tables
7)
Death Penalty Information Center(2014.11.29)
http://www.deathpenaltyinfo.org/costs-death-penalty
James H. Stock & Mark M Watson (2009). Introduction to Econometrics 532-534
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