印度學佛 教學研究第四十三巻第 一号 平成 六年十二月 白 隠 禅 の 武 芸 への 影 響 腰 、 脚 か ら土 踏 まず に充 実 さ せ る。 そ のと き 、 自 分 の こ の気 哲 海 丹 田、 腰 脚 足 心 は、 す べ て本 来 の自 己 であ る等 と 観 想 せ よ 井 筆 者 は こ れ ま で本 誌 に ﹁白隠 の身 心 論 ﹂、 ﹁白 隠 禅 の思 想 的 笠 背 景 ﹂ と い う論 文 を発 表 し て き た。 本 稿 の目 的 は、 白 隠 禅 の 観 想 の効 果 が 積 も れ ば 、 身 全体 の元 気 が 知 ら な い う ち に と いう 。 腰 、 脚、 土踏 まず の間 に充 足 し てき て 、 臍 下 丹 田 に力 が 満 ち 後 世 への影 響 、 特 に 武芸 への影響 を 考 察 す る こと であ る。 本 三) に焦 点 を 当 て る。 彼 の 師 の 一刀流 寺 田 五 右 衛 門 宗 有 の修 あ ふれ 、 固 く 張 り つめ る。 こ れ を 繰 り 返 せば 、 五臓 六 腑 の気 稿 で は、 天 真 伝 一刀流 を称 し た白 井 亨 義 謙 (一七八三︱ 一八四 行 法 から 、 白井 の悟得 し た ﹁練 丹 の法 ﹂ に つい て論 じ て行 く の病 が す っか り治 る と いう 。 田 は、 一身 の中 に 三 ケ所 あ る が 、 こ こ で は下 丹 田 の こと であ では 、 丹 田 と は何 か。 白 隠 は ﹃遠 羅 天 釜 ﹄ で こう いう 。 丹 こ と にす る。 そ の前 に、 まず ﹁練 丹 の法 ﹂ の基 礎 と な った 白 隠 (一六八五︱ 一七 六八) の ﹁内観 法 ﹂ を確 認 し て お こう 。 る。 気 海 も 丹 田 も 臍 下 にあ り 、 これ ら は同 じ も のと いえ る 。 丹 田 は 、 漠 然 と臍 下 の下 腹 部 を 指 す 。 し か し、 そ こが そ の ま 一 内 観 法 白 隠 は 、 二 六歳 で禅 病 に か か ったと き に、 白 幽 仙 人 か ら授 ま丹 田 で は な い。 丹 田 は 、 培 養 さ れ 、 鍛 練 され 、 強 化 され る こ の丹 田 の語 源 は 、 丹 薬 す な わ ち不 老 長 寿 の秘 薬 が 稔 る 田 こ と に よ っては じ め て現 成 す るも の で あ る 。 少 し の間 参 禅 や 公 案 を 止 め て、 まず ぐ っす りと 一眠 り す る と であ ると いわ れ る 。 何 故 こ の丹 田が 発 見 さ れ た か に つ い て で次 のよ う に説 く( 。3 も)し こ の秘 法 を修 め よう と思 う な らば 、 よ い。 そ の際 ま だ 眠 り に つか な いう ち に、 両 脚 を 長 く 伸 ば は、 従 来 あ ま り論 じ ら れ て こな か った 。 つま り ﹁丹 田 に力が け られ た ﹁内 観 法 ﹂ に よ って 回復 し た と い う 。 ﹃夜 船 閑 話﹄ し 、強 く 踏 み そ ろ え て、 身 体 中 の元 気 を 臍 の下 の気 海 丹 田、 −180− 集 約 され 、 丹 田 を中 心 に 動 く と 最も 合 理 的 な 動 き が でき る﹂ と いう定 義 と こ れ に 反 論 を 許 さ な い伝 統 が あ った。 こ の寺 田 の教 示 を 、 白 井 は ま さ に 決 死 の 覚 悟 で 実 行 し た よ う で あ る 。 時 に 白 井 亨 二 九 歳 、 そ の 修 行 ぶ り は 、 ﹃天 真 伝 白 て き た こ と が な く 、 他 の中 国 文 化 に付 属 し て 若 干 入 って き た も 成 さ ん、 苦 熱 煩 暑 の朝 、 厳 寒 素 雪 の暁 き 、備 藩 京 摂 に到 る に旅 箇 、 後 に は井 戸 の水 も 濁 る 故 に、 両 国 橋 の川 へ入 り て 灌 水 三 百 箇 是 に依 て先 生 、 酒 肉 を 断 じ 水 浴 す る 事 、 一日 に 百 箇、 或 は 二 三 百 井 流 兵 法 遣 方 ﹄ に よ る と 、 次 の よ う で あ った 。 程 度 であ った 。 し た が って、 丹 田 は 感 覚 と し て あ った け れ 邸 客 舎 と い へど も 修 し 怠 ら ざ る 事 、 五 年 也 、 又 七 日 飲 食 を 断 て 水 ま た 日 本 では 、 丹 田 を 説 く ﹁道 教﹂ が 一度 も 本格 的 に 入 っ ど 、 は っき り と し た 形 で は、 中 国 ほ ど に は 知 ら れ て いな か っ て白 隠 の名 を 挙 げ て い る のも 、 日本 にそ う し た 道 教 的 背 景 が 労 が た た って か、 す っか り体 を こわ し て し まう 。 た だ決 死 の し か し、 こ の努 力 は報 い られ ず に、 白井 はか え って無 理と 過 浴す る事、両度也、 薄 か った た め であ ろ う 。 白 隠 以前 にも ﹁内 観 法 ﹂ を 説 い た者 て 逆 ら う こと ので き な い母 親 を は じ め 親類 の者 ま でが こぞ っ 覚 悟 の白 井 は な おも 水行 を 続け よう と す る。 だ が 白井 に と っ 白 井 亨 が 丹 田 呼 吸 法 す な わ ち ﹁内 観 法 ﹂ を 伝 え た 人 物 と し た。 は いた の であ るが 、 武 士 も 含 め 一般 人 に広 め た功 績 は白 隠 に てと め た た め、 つ い に水 行 を 断 念 す る 。 そ し て、 白 隠 の内観 帰 せ られ る 。彼 は 白 幽 仙 人 か ら 教 え られ たと いう神 話的 な 説 得 力 に よ って、 巧 み に こ の ﹁内 観 法 ﹂ を 広 め て い る。 白隠 法 の応 用 であ る ﹁練 丹 の法 ﹂ の実 行 を 開 始 す る 。 日 が よ ほ ど印 象 深 か った の であ ろ う 。 わ ざ わ ざ ﹁此 れ 文 化 十 こ の ﹁練 丹 の法 ﹂ に よ って開 眼 し た白 井 は 、 修 行 に 入 った は、 単 な る 禅 の修 行 者 で は な か った。 彼 は禅 の教 育 者 と し る。 て、 具 体 的 な身 心 の健 康 法 と な る ﹁内 観 法 ﹂ を説 いた の であ 二 乙亥 年 正月 十 八 日 の事 に し て三 十 三 歳 の時 な り﹂ と ﹃兵 法 余 元より鵠林先師 ( 白隠 のこと) の遺書幾ばく 巻を閲し、又師 の 未 知志 留 辺﹄ の中 に書 い て い る。 さ ら に 次 の よ う に いう。 白井 亨 に 師 の寺 田 が 勧 めた 修 行 法 は、 水 行 であ った 。 寺 田 示教を受けて練丹 の功あ る事 を知 ると雖、水浴修法 の艱辛 を恃 み 二 練 丹 の 法 は 白井 に、 まず 二 十 数 年 も 邪 道 を 習 って 体 に こび り つ い て い て練丹 に懈る事有 るが如 し。 こ のよ う に白井 は、 ﹁練 丹 の法 ﹂ を 実 行 しな か った の は 自 分 る 妄 想 邪 念 を ﹁灌 水 の法 ﹂ す な わ ち水 行 と 酒 肉 を 禁 じ た精 進 井) 食 で浄 化 す る よう に申 し渡 し た。 白隠禅 の武芸 への影響 (笠 −181− め て、 ﹁練 丹 の法 ﹂ の修 行 を 始 め る よ う に な って か ら 白井 は、 と あ る。 寺 田 を 尊 敬 し つ つ、 寺 田 の勧 め た ﹁灌 水 の法 ﹂ を 止 白隠禅 の武 芸 への影響 (笠 井) の研 究 不 足 の よう に書 い て いる 。 し か し 実 際 は、 寺 田が 自 分 は、 ﹃夜 船 閑 話 ﹄ で白 隠 が 述 べて いる よ う に、 ﹁篠 打 せざ る 鞠 理 論 を 立 てて いる 。 吉 田 奥 之 丞 有 恒 が 著 し た ﹃天 真 伝 一刀流 白 井 亨 は、 ﹁練 丹 の法 ﹂ を修 行 す る こと に よ り 独 特 の剣 術 三 白 井 亨 の 剣 理 な った と いえ る。 冷静 な観 察 者 の立 場 で、 寺 田 の剣 を 見 る こと が でき る よう に の好 み であ った ﹁灌 水 の法 ﹂ を 白 井 に勧 めた か ら で あ る こと は、 前 述 の通 り で あ る。 白 井 の場 合 、 ﹁灌 水 の法 ﹂ を 止 め、 練 丹 専 一に 修行 を 始 め た効 果 は、 殊 に著 し く、 二 ヶ月 後 に は、 元 気 が 肢 体 に あ ふ の如 く ﹂ 瓠 然 と し て ふく ら み、 ﹁聊 か 功 力 を 得 た り﹂ す な わ 兵 法 ﹄ に は、 白 井 が 初 心 者 にま ず 教 え た と いう ﹁六 ツ ノ伝 ﹂ れ 、 各 症 状 も 拭 い去 った よ う に な く な った。 彼 の臍 下 丹 田 ち多 少 力 も つ いて き た と い う の で あ る。 こ の功 力 と い う の と いう も のが 出 て い る。 達 に教 え る大 切 な 六 つの要 点 が あ る。 そ れ は、 忘 れ て 捨 て る す な わ ち、 白 井 先 生 が お っし ゃる に は当 流 に は、 初 心 の人 は、 練 丹 の法 によ って得 ら れ た多 少 超 常 的 な 気力 、 勘 と い っ た類 のも のと いえ る 。 こ の練 丹 の法 は 、 日 本 の最 も代 表 的 な 古 典 的 健 康 法 で あ て い る。 こ れ は、 東 洋 的 な 身 体運 用法 を 集 約 し た も の でも あ 体 と 自 分 が 持 って いる 剣 であ る 。 以 上 の三 つを 意 識 し な いよ まず 、 忘れ て捨 て るも の三 つ と は、 敵 の体 (姿) と 自 分 の も のが 三 つと 、 覚 え て学 び 修行 す る も のが 三 つで あ る 。 る 。 し たが って、 白隠 が こ の ﹁練 丹 の法 ﹂ を 説 か な く ても 、 う にす る 。 次 に、 覚 え て 修 行 す る も の三 つと は、 真 空 と 我 が り 、 ﹁下 腹 に力 を 入れ て頑 張 れ ﹂ と い った表 現 で 広 く 知 ら れ 似 た よう な 方 法 は す で に存 在 し た 。 例 え ば 、 ﹃天狗 芸 術 論 ﹄ 腹 ( 丹田)と 太 刀 先 の赫機 であ る 。 は じ め に、 敵 の体 を 忘 れ て 捨 て る と は 、 敵 の体 ( 姿) を意 で説 か れ て い る ﹁収 気 の術 ﹂ や 貝 原益 軒 (一六三〇︱ 一七 一四) の ﹃養 生 訓 ﹄ 等 であ る。 白隠 が著 名 な禅 僧 であ った の で、 そ 識 す る と 、 敵 の動 き に つら れ てそ れ に こだ わ って し ま い、 自 分 の気 も 技も 束 縛 さ れ て 動 き が と れ な く な って し まう か ら で の説 く と ころ に は、 ひと き わ説 得 力 が あ った と 思 わ れ る 。 ﹃天 真 伝 白 井 流 兵 法 遣 方﹄ に、 自 分 の体 を忘 れ て捨 て る と は、 自 分 の体 を 意 識 し て い ると ある。 ず 、 先 生 は寺 田先 生 の天真 の様 子 を 見 て 、 御 自 得 也( 、7) 白井先生 とても、天真 の修し方を寺 田先生 より教 へを受給 ふに非 −182− く な って し ま う か ら で あ る 。 そう な る と と ても 本 来 の動 き は 肩 が つま り、 胸が つま り、 体 が 硬 く な って敵 が 打 ち込 み や す えられる。 柔 ら かく 保 つこと で、 威 張 らな い よう にす る こ と であ ると 考 て、 つい 手 に 力が 入 って し ま い、 自 然 の動 き が でき な い か ら いる剣 を意 識 し て いる と 、 ど う し ても そ の剣 に 頼 ろ う と し 江 戸 初 期 に 流 行 し た ﹁剣 禅 一如 ﹂ は ど ち ら か と い う と 、 ﹁心 丹 の 法 ﹂ と し て 修 行 に 取 り 入 れ て 、 彼 の剣 理 を 打 ち 立 て た 。 以 上 の よ う に 、 白 井 亨 は 白 隠 の ﹁内 観 法 ﹂ を 応 用 し 、 ﹁練 び であ る。 と に かく 、 敵 の体 と 自分 の体 と 自 分 が 持 って い る剣 法 ﹂ に 片 寄 った も の で あ った 。 し か し 白 井 の こ の ﹁練 丹 の 結 を意 識 す る と、 敵 に 打 ち 込 む 手が か り を与 え て し まう の で あ 法 ﹂ は 、 具 体 的 に ﹁心 技 体 ﹂ を 鍛 え 上 げ て 行 く 修 行 法 で あ さ ら に、 自 分が 持 つ剣 を 忘 れ て捨 て ると は、 自 分 の持 って でき な い。 る。 以 上 の三 点 は、 沢 庵 (一五七三− 一六四五) の ﹁不 動 智 ﹂ ︿キ ー ワ ード ﹀ 白 隠 、 白 井 亨 、 内 観 法 、 丹 田 、 練 丹 の法 ( 福 島 工 業 高 等 専 門 学 校 助 教授 ) 四五︱ 一五 〇 頁 参 照 。 8 拙 論 ﹁沢 庵 の身 心 論 ﹂、 ﹃印 仏 研 ﹄ 第 四 十 二 巻 第 一号 所 収 、 一 6 今 村 嘉雄 編 ﹃日 本 武 道 大 系 第 九 巻﹄ (同 朋 舎 出版 、 昭 和 五 七 年 )、 二 八 八 頁。 7 註 5 、 一五 頁 。 5 ﹃剣 術 諸流 心法 論 集 上 巻﹄) 筑 波 大 学 武道 文 化 研 究 会 、 昭 和 六 三 年 )、 一四︱ 一五 頁 。 4 甲 野善 紀 ﹃ 剣 の精 神誌 ﹄ ( 新 曜 社、 平 成 三年 )、 三 一六 頁 。 年 ) に よ るが 、 一々 の頁 数 は 省 略 す る。 2 ﹃ 印 仏 研 ﹄ 第 四 十 一巻第 一号 所 収 。 3 白 隠 から の引 用 は、 ﹃白 隠 和 尚 全 集 第 五 巻 ﹄ ( 龍 吟 社 、 昭和 九 1 ﹃ 印 仏 研 ﹄ 第 四十 巻 第 一号 所収 。 回 心 ﹂ の体 験 で あ っ た と い え る 。 る 。 彼 に と っ て ﹁練 丹 の 法 ﹂ を 修 行 す る こ と が 、 い わ ゆ る 覚 え て学 び 習 うも のと 白 井 が し て い る の は、 真 空 と 腹 ( 丹 の理論 と類 似 し て いる 。 田) と 太 刀 先 の赫 機 であ る。 まず 、 真 空 を 養 って 空 気 を 球 状 に し て こ れ によ って 敵 を 包 む 。 次 に腹 (丹田) を練 って 体 を 柔 ら か に調 和 さ せ 全 身 を 腹 と 一つ にす る こと が 肝 要 であ る。 さ ら に太 刀 先 の赫機 の修 行 と は、 長 い竿 を 持 った よう な つも り で 敵 の背 後 を 何 十 丁 も 突 き 貫 く 勢 い で使 う よ う にす る こと である。 こ のう ち 腹 つま り 丹 田 に つい ては 、 次 のよ う に説 か れ る。 す な わ ち、 練 丹 し て 腹 を 練 り 全 身 を 腹 の中 に 入れ 、 顔 も 水落 ち へ入 れ て、 す べ て 縮 め て驕 ら な いよ う に剣 を 使 う こと が 肝 要 だ と いう ので あ る 。 こ こ で縮 め てと いう の は、 勿 論 萎 縮 す 井) る と いう意 味 では な く 、 全 身 を 意 識 せず に気 配 を消 し静 か に 白隠禅 の武芸 への影響 ( 笠 −183−
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